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トーキングスティック板/2

479tapir:2016/10/26(水) 11:39:04 ID:CxVXlSJM

>>474 「訊」様へ


結論です。


1、>>文章や講話に接する限り白鳩会総裁が、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。<<


谷口雅春先生の御教えはあまりにも広大無辺で、広義の意味においては、宇宙全体が生長の家である。

従って「人間は神の子ではない」とか「天地一切のものに和解するな」とか「実相はない、現象のみある」と断言しない限り、生長の家の言葉を使って文章や講話をすれば、その内容の細部が違っていても「谷口雅春先生の御教えではない」と断言できない。


2、>>表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。<<

・谷口雅宣先生は、過去において「光明化運動は現象である」と発言したが、それを肯定することはできない。

「光明化運動」は、現象的な側面もあるが。「御教え」の側面を外すことはできない。

・「御教え」を改変したと思われる重要な事例の一つは、「株主」である「聖使命会員」の意向を反映するはずの「代表者会議」のルールを変えた事である。

・御教え改変の事例ではないが、「聖使命会制度」の見直しが必要であったことによる両軸体制による改革があったが、成功しなかった。(「両軸体制での組織の会員の拡大は、うまくいかなかった」というのは、谷口雅宣先生ご自身がブログに2010年8月11日のブログに書いている言葉である)

・元々の聖使命会制度を生かした改革の方がより有効であったように思われる。


3、>>その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい<<

・谷口雅春先生の「人類光明化運動のパテントは諸君に譲られた」を読むと、生長の家は「悟りを得た指導者に信徒が黙って従う教えではない」、「総裁を含む、生長の家構成員全員が神の子であり、尊い存在であるという意味では完全に平等である」という教えであることを、その活動においても表現されていることがよく分かる。

・日本国の歴史的な言葉を使えば、「一君万民」であって、総裁も参議長も理事長も教化部長も本部講師も地方講師も教区の相・白・青の責任者も一聖使命会員も、「民」として「神の子」として平等の立場にあるというのが、御教えの根本になっている。

・「総裁ご夫婦」だけが特権階級ではないのに、客観的にそのように見える今の中央集権的な体制は、「人間は皆神の子で平等である」ということを組織的に実現しようとした「生長の家の組織は悟りを得た聖使命会員全員が支えていくもの」という昭和29年の谷口雅春先生のお言葉に表された「御教え」を否定していると言わざるを得ない。


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