したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

トーキングスティック板/2

528tapir:2016/11/02(水) 23:10:09 ID:CxVXlSJM

>>504 「訊」様

『しかし、私たちは普通そういう意味では「聖戦」という言葉を理解しない。「聖戦」と聞いたら、それは現実に日本軍が中国人とか韓国人とかアメリカ人を刺し殺すことが神の意思であると、そういうふうに考えてしまうことが多い。ですから、その辺のところが重要で、我々は「現象」の側から世界を語っているのか、「実相」の側から語っているのかというところが、重要なポイントとなってくると思うのですね。
皆さんの記憶の新しいところから申しますと、妹尾さんの発表の中でも「大東亜戦争の評価」という言葉が出てきましたけれど、これは厳密に言えば正しい表現ではない。大東亜戦争は、本質的には「迷いと迷いとが相打って滅びて行く」という普通の戦争と変わらないものだから、実在の世界には初めから存在しないものである。だから、そういう「迷い」を〝評価〟する必要はない。そうじゃなく、迷いと迷いが相打っていく中でも、その過程において「実相」がより明らかに現象世界に投影されていくところもあるのだから、その「迷いでない部分」を評価する。分かるでしょう? それがアジア民族、アフリカ民族の独立です。それは確かに日本が一時期、「大東亜共栄圏」とか「大東亜民族の共存」とかいう標語を旗印にしました。それはそれでいいんですよ。そこのところは実相が現れつつある部分ですから。しかし、そういう政治標語と戦争とは同一ではない。歴史を勉強すればすぐわかる通り、戦争の本質は破壊であり人殺しなんですよ。破壊や人殺しを通じて、お互いの迷いが ―― これは日本だけの迷いだけじゃなく中国の迷いもあるし、アメリカの迷いもあるし、イギリスの迷いもある ―― そういうものが崩壊していく悲惨な状況が戦争の本質である。だから、そういう迷い全体を指して呼ぶ「大東亜戦争」というものは評価しない、というのが正しい。「戦争」を評価するのでなくて、その迷いを通じて以前より真理が明らかに現れてきているという、「光明」の部分を評価する。この言葉の使い方を間違うと、危ない。一つ間違うと単なる右翼になってしまう。単なる民族主義や国粋主義になってしまう。日本人だけが繁栄すれば、他の国の人々がどんな悲惨な目に遭ってもそれは正しいと考える、そういう我々の信仰とは何の関係もない考え方に陥ってしまう。このところを是非、皆さんに確認していただきたいのです。
それからもう一つ重要だと思うのは、私たちの運動は「現象」だということです。違いますか? 
 皆さんは肉体を使ってこの運動をしているでしょう? 私も今、「声帯」という肉体の一部を振動させて、皆さんの前で話をしている。我々の感覚でとらえられるものは、「声」も「人の姿」もすべて現象ですよ。私が今、心の中で言おうとしていることが、「声帯」という肉体の器官を使わずに、すべて以心伝心で皆さんに伝わるならば、講話などする必要は何もない。けれども残念なことに、現象世界はそういうふうになっていないので、私は現象界の手続きを踏んで ―― 自分で論理的に、順序立てて考え方を組み立てた後、皆さんの前で声帯を震わせて、時間の制約に制限されながら話をしているわけです。そして、言葉が現象であるならば、我々の運動は当然現象です。なぜなら、我々の運動は言葉の運動なんですから。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板