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トーキングスティック板/2
530
:
tapir
:2016/11/02(水) 23:51:44 ID:CxVXlSJM
>>525
「訊」様
「訊」様が引用された以下の榎本恵吾先生の文章は「生長の家人類光明化運動」の究極の説明になっていると思います。
>>「生長の家人類光明化運動」 は、神がおはじめになり、神が為し給うている運動である。完全なる癒しのみがあり、絶対の癒し、すべてのすべてなる癒しなるものそのもの即ち神が運動をおはじめになりて、癒しそのものが運動をしているのである。それ故、この運動は永遠久遠の運動なのである。永遠久遠なるものがおはじめになり、永遠久遠なるものが為し給うているのである。<<
それで「運動は現象」とのお言葉に、そのギャップの大きさに絶句されたのだと拝察いたします。
長々と引用した総裁先生の文章は、「タブーをなくそう」という宣言として新鮮なものを感じます。
けれども教えの解釈とその表現において、榎本恵吾先生の文章を読んだ後には、失礼を承知で申し上げますが、浅い解釈、拙い表現と言わざるを得ません。
「浅い解釈」は、榎本恵吾先生の文章との対比ではっきりしたと思います。
「拙い表現」について、谷口雅宣先生の以下の文章をあげたいと思います。(これも榎本先生の緻密な文章を読んでますます感じたことでもあります。)
>>皆さんの記憶の新しいところから申しますと、妹尾さんの発表の中でも「大東亜戦争の評価」という言葉が出てきましたけれど、これは厳密に言えば正しい表現ではない。大東亜戦争は、本質的には「迷いと迷いとが相打って滅びて行く」という普通の戦争と変わらないものだから、実在の世界には初めから存在しないものである。だから、そういう「迷い」を〝評価〟する必要はない。<<
(1)「評価」の言葉の意味が、妹尾講師の使い方と違っていること。
妹尾講師は、谷口雅春先生が「大東亜戦争」について、プラスやマイナスの評価をされたという意味で「評価」という事がを使っているのに、谷口雅宣先生は、「評価」を「善いことと認める」の意味で使っているので、同じ言葉の意図的な置き換えが、文章の意味を分かりづらくしていると思いました。
(2)谷口雅春先生は「神が戦(たたかい)をさせているのではない。迷いと迷いと打合って自壊するのだと教えてある。」(『神示集』119頁「日本の実相顕現の神示」)と書かれているのを、『大東亜戦争は「迷いと迷いとが相打って滅びて行く』と総裁先生は言い換えている。
理念としての「戦い」を現実世界の「大東亜戦争」に安易に置き換えてよいのかどうかに疑問を感じます。
「戦い」が神の世界にないというのはその通りですが、歴史上の「大東亜戦争」にはプラス面とマイナス面があったと考えるのが普通だと思います。それを単純に「迷い」であると決めつけるのは、言葉の混同だと思います。
最初の論題ですが、
「文章や講話に接する限り純子総裁だが、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。(岡氏解任や経本、三神勧請等)その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい」
御教えの改変を意図しているのではないが、御教えの浅い解釈、拙い表現が誤解を産み、総裁・生長の家本部と地方の幹部・信徒との間の意見の食い違いと、様々な問題の原因になっていると思われます。
『御教えの否定』に該当するか否かは、もう少し話し合ってから結論を出したいと思います。
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