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トーキングスティック板/2

537しおん:2016/11/03(木) 21:50:52 ID:6hRUvSRg
転載、コメント板より

2647 :曳馬野:2016/11/03(木) 17:33:59 ID:EByvCsgM


トーキングスティック板/2  >>530 :tapir   >>「生長の家人類光明化運動」 は、
神がおはじめになり、神が為し給うている運動である。完全なる癒しのみがあり、絶対の癒し、すべてのすべてなる
癒しなるものそのもの即ち神が運動をおはじめになりて、癒しそのものが運動をしているのである。
それ故、この運動は永遠久遠の運動なのである。永遠久遠なるものがおはじめになり、
永遠久遠なるものが為し給うているのである。<<

それで「運動は現象」とのお言葉に、そのギャップの大きさに絶句されたのだと拝察いたします。


完全なる神の世界に癒しがあるのですか? 「この運動は永遠久遠の運動なのである」、のであれば
「始め」というものはありませんよね、「はじめた」という言葉が多用されていますが、
生長の家人類光明化運動というものは、現象の不調和をなくすために昭和五年に始まったと云うことですと、
「運動は現象」と いう言い方は可笑しくありません。

過去の悪想念惡行為が現象化して消える事そのものが神の、生命のの働きだと私は思います。
神が、生命が、今此処に働いているのが事実であるからこそ、現象の姿に心を止めず、凡てのものに感謝しましょう
というのではないのですか?過去とか未来とか現象の時間経過を心に留めていながら今の運動を考えればすべて
「現象の運動」と云えます。

生長の家では「永遠の今」と云いますが、ご存知の通り過去未来と云う時間の流れ、空間的な広がりの交差している
一点もない、現象的には一切所にそのまま働いている生命を捉えて『永遠の今』というものと考えます。
神の世界は完全であるという言い方をするのであれば、人類光明化ということ、癒しと云うことは存在しません。
あくまで現象有の視点から、不調和な世界が存在するとして、その解消を目的にするのであれば、
「運動は現象」と云えます。

しかし永遠の今に生きるのであれば、凡てに感謝する総感謝の生き方以外はありません。
本流派の方々が総裁の事を色々言われることも想念の消えゆく姿だけのものであり、
総裁が新たな運動提起するのも消えゆく姿だけのものでしょう。
現象の改善を目的とする人にこうすれば良くなるとの言い方をする、
しかし言葉でなく今永遠の命を生きる人は感謝の言葉、態度ですべての物を大切にする。

人間の生活改善により多くの関心が集まるところには、
ややもすれば教えにより個人の欲望実現が成就されるという期待を持たせてしまいます
。しかし大自然と云われるように、神の儘に其の儘あるのが自然でしょう。
人間が自然界の生物のように言葉なくしてそのまゝに生きる処が『永遠の今』の世界、
善悪の観念の生じない世界でしょう。完全と云う観念そのものが不完全なものがあるという認識に
対比して使われる観念です。「不完全」と云観念の無い人間に「善くしよう」「光明化しよう」という観念はありません。

「良寛」さんのような生き方になるのでしょう。


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