したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

「コメント」板

2654しおん:2016/11/03(木) 18:46:33 ID:6hRUvSRg
江戸時代のミニマリスト(最小限主義の実践者)
・良寛について

【禅宗のお坊さんだった良寛】
良寛は、
【1】すぐれた詩や和歌や墨書を のこした
【2】世捨て人であり、子どもたちと よく一緒に遊んでいた
【3】晩年に、40歳以上 はなれた尼僧と恋愛関係にあった

たったこれだけ、といえば、これだけだ。
日蓮のように新たな宗派を立ち上げたのでもなければ、空海や最澄のように教団を
率いたわけでもない。

良寛は、寺を持たず、  ●托鉢で日々の糧を得ながら、

山奥の小さな庵などで生涯を過ごした。仏教にまつわる際立った業績はなく、
たとえば蓮如のように宗派を中興したわけでもない。
住職でもなければ開祖でもなく、ほとんど弟子をとらなかったので、いわゆる
「良寛の教え」というものは存在しない。

詩文や和歌にすぐれており、墨書の達人であった。
それらの作品を布施(無料進呈)することはあったが、
良寛みずから売って生活費の足しにすることはなかった。

【ミニマリストとしての良寛】

30年間にわたる修行と放浪のすえに、良寛がたどりついた場所が
●「五合庵」という住まいだった。新潟県国上山に建てられた
●草庵で、住居スペースは板敷きの六畳間のみという粗末な建物だ。

【この五合庵における「最小限主義(ミニマリズム)」のエピソード】

たとえば、知人がたずねてきたとき、足を洗うための「たらい」が無かったため、
すり鉢をに水を汲んでそれを代わりに使ったという。食事につかう器なども、
どこかで拾った「欠けたお椀」を使っていたことが伝えられている。

あるとき、ただでさえモノが少ない五合庵に泥棒がやってきた
賊の侵入に気づいた良寛は寝入ったフリをして気配をうかがっていた。
金目のものが見当たらないので、泥棒が敷布団を引き剥がしにかかったところ、
良寛は寝たフリをしたまま敷布団をくれてやったという。
これは禅宗における「布施」を実践したにすぎないのだが、究極のミニマリズムと言えなくもない。

必要なものまで手放してしまうほど厳格な禅の実践者である良寛だが、じつは酒とタバコが大好きだった。

禅宗には「こだわらないという考えに、こだわらない」という身もフタもない教えが
ある。
_______________________________________________
>>2647:曵馬野さん

これは、tapirさんへのコメントでしょうけれど、
>>「不完全」と云観念の無い人間に「善くしよう」「光明化しよう」という観念は
ありません。「良寛」さんのような生き方になるのでしょう。 <<

上記のように、良寛さんという人は、ご自分で托鉢したものだけのものを糧に、そして、
山上で、6畳一間という草庵で、暮らしていた..とありました。

ですが、良寛さんと比べて、雅宣先生の生きかたは、どうかと言いますと、

雅宣先生は、
●信徒の浄財、1億5000万円も使って森の中のオフィスを建て、
●最高級な薪暖炉のある、ぬくぬくとした立派なご自分の家に住み、

●生長の家の(自称)法燈継承者であり、総裁という最高の地位も得、
●超高級な お給料をご夫婦揃ってもらい、
●ご自分で作ったお経や著書を、信徒たちに組織を通じて買ってもらっています。

はっきり言って、ご自分で托鉢するどころか、教団から、このようにたくさん与えられており、
それによって、稀に見る贅沢三昧な暮らしをされておられますのに、

良寛さんみたいに....、
とは、ただ、光明化運動などの本来の仕事などのことはせず、、
何も考えずに、奥様と二人で思いつかれたことを、

世捨て人になった つもりだけ は良寛さんを見習って、
ご夫婦揃って、優雅なハイソな暮らしを、ただ、遊びながら楽しんでいようと
いうのでしょうか。

そのようなことを言われましても、閲覧者の皆様は、
どなたも、あなたの言われることを、納得しないと思います。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板