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Web誌友会 板/2
4064
:
トキ
:2014/06/15(日) 13:41:53 ID:fVXlCvWI
>>4602
コメント、ありがとうございました。
大川さんの件は、web誌友会と趣旨が違うので、のちほど、別の場所で
書きます。
4065
:
曳馬野
:2014/06/15(日) 17:19:24 ID:I/wU8psA
●生長の家を明朗の宗教と云うのは間違いかもしれない。生長の家は宗教ではないとも云われている。一宗一派の儀禮や集團を作るのが
宗教であるならば生長の家は宗教ではない。それは儀禮や集團を超越したところの超宗教的教化運動である。而もその教化運動は今まで
言詮不及、不立文字として文章を以て説き得ずとしたところの悟りの真理を、文章による古今未曾有の説き方によって易々と人心に滲み
込ませるやうにしたところは一個の文學運動と見ても可いのであって、必ずしも宗教運動と認めなくとも好いのである。併し宗教をば、
生老病死の四苦を解決しうるものを指すと云うような意味に解すれば、生長の家は文學運動であらうとも同時に宗教運動とも云ひ得るのである。
●『生長の家』とは私の家の名前でもなければ、また『生長の家』という表札を出してある大きな建築物を云ふのではないのです。
心の法則に随って宇宙生々の雰圍気を漂はしている皆様自身の家庭が『生長の家』なのです。さう云ふ家庭の満つる國家は『生長の國家』であり、
全世界がさう云ふ國家ばかりになったら、地上に天国が成就したことになるのです。何でも一歩からです。まづ一人が和顔愛語の『生長の人』
になることが肝腎です。
「生命の實相」 より
4066
:
曳馬野
:2014/06/15(日) 17:50:24 ID:I/wU8psA
生命の永遠性と云ふことが本當にわからなければ、久遠を貫く皇位の永遠性と云ふことが判る筈がないのであります。こんな事では伊勢大廟に
祭祠奉れる天照大神様は勿論のこと、歴代の天皇様の靈魂が今も現に生きて現人神様として御活動になっていますと云ふ事も解らないで、・・・
「生命の實相」より
皆さんはここに引用しました三つの教えをどのように感ぜられていますか?
4067
:
a hope
:2014/06/15(日) 18:21:15 ID:cEpBaIdo
>>4065
4066 曳馬野さま
web誌友会ご参加ありがとうございます。
えーと、この度は、曳馬野さまが「生命の實相」から抜粋文を謹写くださり、
<<皆さんはここに引用しました三つの教えをどのように感ぜられていますか?>>
と質問されていますが、お手数ですが、これらの抜粋文は何巻の何ページからであるかご教示ください。
今現在、このweb誌友会では、「生命の實相」第13巻14巻の倫理篇(教育篇含む)をテキストとしてお勉強を進めています。
今回のご参加で、曳馬野さまが何をされたいのかよく理解できません。
それに、わたしは、聖典の文章の全体の流れからではなくて、聖典の一文だけを取り上げて意見を述べたり解釈したりするのは、
曲解や、間違った解釈をする恐れがありますので、できるだけこのweb誌友会では避けたいと思っているのです。
ですから、これまでずっと順序だててお勉強してきています。
ですが、曳馬野さまのご質問内容が、今回のweb誌友会のテキスト13巻 14巻からの抜粋文であったり、
また、今までの話の内容と関連性があるのであれば、まずは、曳馬野さまご自身の抜粋文へのご感想や、解釈を述べていただけないでしょうか?
どうぞ、よろしくお願いいたします。
4068
:
曳馬野
:2014/06/15(日) 19:28:41 ID:I/wU8psA
a hope さん
昭和14年発行の生命の実相14巻でありますが、昭和26年発行の新修版には二番目のものは有りますが、最初と三番目のものは有りません。
総本山への考え方、天照大神様とはどのようなものなのか、地上天国とは何か、生長の家の目指すもの、それらに対する雅春先生の書かれたものに
何故戦前と戦後では違いがあるかと云う事、またここで自分はこう考えるというような話し合いが必要かどうか、そんなことを考えていただく機縁と
なさんとしての投稿です。今倫理篇の勉強会中であることは承知していますが、和解に関しては訊けさんへの投稿により私の意見は述べてあります。
4069
:
a hope
:2014/06/15(日) 23:23:44 ID:cEpBaIdo
>>4068
曳馬野さま
曳馬野さまがご紹介の最初の二つの御文章は、以前わたしが聖典引用板の>2678 〜>2684に謹写した
「無礙の大道」の内容とほぼ同じだと思いました。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2678n-
ですから、なぜ、最初の一つ目の文章が、戦後削除されてしまったのか理由がはっきりわかりませんね。
なにか、当時使ってはいけない言葉でも含まれていたのでしょうか?
どなかた、ご教示くださるとありがたいです。
最後の御文章に関しましては、わたしの持っている14巻には載っていないのですから、
わたしは全文読むことができませんから、感想を述べることもできませんが、
この掲示板はたくさん「生長の家」の先輩方がご覧になってくださっているそうですから、
どなたかが曳馬野さまのご質問にお答えくださるかもしれませんね。
いずれにしましても、曳馬野さまが今回、このweb誌友会板で三つの文章をご紹介された理由は、
谷口雅春先生が書かれた御文章が、戦前と戦後で違いがあることをご指摘されたからなのですね?
そして、
①総本山への考え方
②天照大神様とはどのようなものなのか
③地上天国とは何か
④生長の家の目指すもの
に関して谷口雅春先生の書かれた文章が、戦前と戦後で違っていることを、
皆で話し合うことが必要ではないかと感じられているからなのでしょうか??
そうだとしたら、わたしもとても興味がある内容です。
まずは、その①〜④の内容が、戦前と戦後でどのように違く説明されているのか、是非ご教示していただきたいです。
また、
<<和解に関しては訊けさんへの投稿により私の意見は述べてあります。>>
とありますが、本当に申し訳ないのですが、わたしはここのところ忙しくて、他の板のすべては拝見していないのです。
その曳馬野さまのご投稿を見過ごしてしまったようですので、どの板の、何番の投稿なのか教えてくださいませんか?
どうぞよろしくお願いいたします。
4070
:
ホープさんへ
:2014/06/15(日) 23:56:31 ID:???
ご参考迄に。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=3
4071
:
ホープさんへ
:2014/06/15(日) 23:57:14 ID:???
ご参考迄に。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=3
4073
:
曳馬野
:2014/06/16(月) 20:44:09 ID:I/wU8psA
生命の永遠性と云ふことが本當にわからなければ、久遠を貫く皇位の永遠性と云ふことが判る筈がないのであります。こんな事では伊勢大廟に
祭祠奉れる天照大神様は勿論のこと、歴代の天皇様の靈魂が今も現に生きて現人神様として御活動になっていますと云ふ事も解らないで、歴代の
天皇様は肉体のお隠れ遊ばすと共に、この世に全然存在遊ばさないと云ふことになり、皇霊を禮拝すると云ふことも虚禮であると云ふやうな不敬
な事を考えるに到るのである。この點に於いて無霊魂無神論者や唯物論者は知らず識らず國體に反する大不敬罪を犯している云ふことになって
いるのであります。
【私は斯う云ふ意味で教育界から、すべての唯物論者を駆逐したいと思ふ位であります。】
「生命の實相」より
【 】印は私が附けました。 『生命の實相』に学ぶと云う方々、このように生命の実相に書かれているのですから
運動の目的にされたらいかがですか。
4074
:
a hope
:2014/06/16(月) 22:20:33 ID:cEpBaIdo
>>4070
のご紹介の文章を掲載させていただきます。
―――――――――――
真理は 戦前も 戦中も 戦後も 変わるものではない
明鏡 - 2014年05月31日 (土) 23時42分
『 無門關解釋 』 はしがき 谷口雅春先生
(原文は、旧漢字・歴史的仮名遣いである。)
・・・真理は 戦前も 戦中も 戦後も 変わるものではない。・・・
・・・(天皇の)大(おお)みごころあるのみなり。・・・
・・・そこで現実世界に 宇宙の真理・実相が
地上に天降(あまくだ)って顕現する必要があるのである。
それがキリストの説いた
「神意(みこころ)の天に成(な)るが如(ごと)く地に成る」
ことである。
その時 その無私絶対愛 の宇宙の中心真理の人格的顕現が
地上に顕現しなければならぬのである。
そのような人格者を地上に求めるとき、
キリスト教ではキリストの再臨(さいりん)という形でそれを表現しようとしているし、
仏教では弥勒下生(みろくげしょう)という形でそれを表現しようとする。
しかし即今(そっこん)キリスト何処(いずこ)にありや、弥勒いずこにありや、
ただ理想として心に描くだけでは抽象概念に過ぎないのである。
私は 無私絶対愛の 宇宙の中心真理の人格的表現を
抽象概念ではなく具体的に生ける人格として
天皇に於て見出(みいだ)さんとするものである。
それが真実であることは、
終戦時の天皇の絶対無私の愛の行蹟(ぎょうせき)が
この世界を戦火の地獄から救い出した事実によって
テスティファイせられているのである。
―――――――
4075
:
a hope
:2014/06/16(月) 22:24:24 ID:cEpBaIdo
>>4070
ご親切なお方へ
明鏡さまのご投稿をご紹介くださり、ありがとうございます。
谷口雅春先生のお書きになった聖典にある「生命の実相」もしくは「唯神実相」の真理は、普遍であるとわたしも信じています。
この『 無門關解釋 』の はしがき では、その「真理」のことを、『(天皇の)大(おお)みごころ』
『宇宙の真理・実相』『神意(みこころ)』『宇宙の中心真理』というように複数の言葉で表現されていて、
その「真理」が地上(現象界)に顕現することを、キリスト教ではキリストの再臨(さいりん)という形で、
仏教では弥勒下生(みろくげしょう)という形で表現しようとしているとありますね。
そして、谷口雅春先生は、その形を、天皇に見出されようとされた。
それは谷口雅春先生が日本人であり、日本は天皇国であるから当然のことだったのだと思いますが、
ですが、それをもって本当に「生長の家」は「天皇信仰である」となってしまったのでしょうか・・・?
わたしは、「生長の家」の天皇信仰に関してはまだ納得がいかないところがあるので、
>>4073
で曳馬野さまが聖典を根拠として言わんとされようとしていることも、なんとなくわかるような気もしますが、
全然お勉強不足だと思うのでこの件に関してはこれ以上のコメントは控えさせていただきます。
どなたか、曳馬野さまのご投稿にお返事をくださるとうれしいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
4076
:
a hope
:2014/06/19(木) 19:22:20 ID:cEpBaIdo
今回のテキストのお勉強をしていたら、曳馬野さまのご投稿にもある「唯物論」について書かれていたので、そのことについてすこし考えてみました。
(a hope 所感)
「生命の實相」p143 に『唯物的世界観と唯心的世界観』という「小見出し」がありますが、
この「小見出し」と同じ「小見出し」の文章が同巻p57にあり、先月ですが(
>>3886
)、にまとめました。
今回は「唯物的世界観」について具体的な例もあげて、前回よりも詳しく説明されていますが、だいたい同じことが述べられていると思いました。
ただ、前回と違うのは、唯物論者であっても厭世的にならない場合もあることが説明されていました。
以下、その部分を抜粋謹写させていただきます。
―――――――――
p145 後から、4行目
『このように唯物的世界観は人生の価値を全面的に否定してしまいまして、どうしても厭世的になりやすいのであります。
その逆に厭世的にならない人は唯物論では人生の理想とか、規範とか、目的とかということを失ってしまいます結果、どうせこの世は無目的で、永遠価値というようなものはないから、五官の快楽に浸っておればそれだけでいいんだということになりまして、浮薄な表面的な快楽主義に陥ってしまうのであります。』
――――――――――
4077
:
a hope
:2014/06/19(木) 19:28:00 ID:cEpBaIdo
(
>>4076
a hope 所感 つづき)
人間は、この「浮薄な表面的な快楽主義」に陥っていても、人生がうまくいっている時には成功者のように見え、
周りからの賞賛も受けたりするのかもしれません。
ですが、何かに失敗していったん転落し始めると、そのような人は自ら命を絶ってしまったり、
犯罪に走ってしまったりするケースが多いのではないかと感じています。
そのような唯物論者は過去にも現在にもたくさんいるのではないでしょうか?
「生長の家」が、「人間神の子」の教えを世の中に広める大きな目的は、
このような唯物論者たちを本当の意味で救うことなのだと思います。
ですから、曳馬野さまが、
>>4073
で謹写してくださった箇所に、
<<【私は斯う云ふ意味で教育界から、すべての唯物論者を駆逐したいと思ふ位であります。】>>
という少し過激であるともとれる雅春先生のご発言がありますが、もし、子どもたちを教育する教師が唯物論者であったならば、
たくさんの子供たちを「厭世的」な、もしくは「浮薄な表面的な快楽主義者」に仕立てあげてしまう可能性が大きいわけですから、
雅春先生にしてみれば、そのような「生命の永続性」を信じない唯物論者は「駆逐したい」と思われたのは本心だったのではないかと思います。
ですが、雅春先生は、そのような唯物論者ですら心から愛されて、救いたいと切願されていたのではないかと思いますが・・・。
4078
:
a hope
:2014/06/23(月) 10:43:49 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます!
今朝、大熊先生のブログに素晴らし個人指導のご報告があり、とても感動しました。
大熊先生は今は「いのちを守る親の会」の理事長さんで、
「小さな命を守る運動」に全力を尽されていますが、
以前は宇治別格本山の講師をされていて、たいへん人気があったそうです。
今回の内容は、今春、ある男性Mさんが大熊先生の個人指導を受けられたあと、ご両親に心から感謝できて、
<<Мさん「先生。毎日が光り輝いている感じなのです。職場では、主任から、2階級特進で、課長になりました。
しかも、不妊と言われていた妻に、赤ちゃんが授かったのです。生活でも仕事も良い事ばかりです。」>>
という、素晴らしい幸せな生活を実現されたというものです。
大熊先生のご指導内容は、「生命の實相」の真理そのものであるとわたしは感じました。
わたしも、大熊先生のような指導できるようになりたいと思いました。
ですから、これからも聖典の勉強を頑張ります!
http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151
4079
:
a hope
:2014/06/23(月) 11:21:56 ID:cEpBaIdo
>>4078
訂正
「小さな命を守る運動」⇒「いのちを守る運動」
わたしは、勝手に「赤ちゃんのいのち」=「小さな命 」と解釈していましたが、
おそらく大熊先生ご自身は、「赤ちゃんのいのち」を「小さな命」だとは考えておられないと思います。
わたしたちは、元は一つなのですから、一つの「赤ちゃんのいのち」を救うことも、
結局は自分自身の「生命(いのち)」を救っていることになるのではないかと、今、気がつきました。
わたしたちの「生命(いのち)」には区切りはありませんものね!
4081
:
a hope
:2014/06/27(金) 10:17:25 ID:brQxC10.
聖典引用板>2973 〜>2975 曳馬野さま
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2973n-
今回の曳馬野さまのご投稿内容は、とても重要な問題提起であるようにも思います。
生長の家が、なぜ、政治の世界に進出したのかとか、「生長の家の歴史」に関しては、
わたしは全然勉強不足なので、この件に関しては、みなさまのご意見を是非うかがいたいです。
よろしくお願いいたします。
4082
:
a hope
:2014/06/28(土) 20:33:21 ID:cEpBaIdo
みなさま こんばんは
今回、曳馬野さまが聖典引用板でされた問いかけを再掲させていただきます。
―――――――――――
優生保護法などと云うものが出来てから、堕胎天国に成ったので、かっては堕胎防止法によりきつく堕胎は禁止されていました。
いかなる理由であれ堕胎は厳罰に処し、手を貸した医師は厳罰に処す法律を作る政治の世界から赤ちゃんを守ることと、大熊さんのように一人一人を助けて
いく生き方とは両方なければいけませんね。
然し生長の家出現すれど社会はますます個人の尊厳を優先する民主主義とやらのせいか、戦前より酷いものに成ってはいませんでしょうか?
―――――――――
この問いかけの参考となるような投稿を、光明掲示板で見つけました。
「相模の龍」さまという方の「雅春先生、山岡荘八氏と対談 」(9422)というスレッドです。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1839
これを拝読すると、わたしのような「生長の家」組織運動の歴史を知らない者でも、
雅春先生が、なぜ、「生長の家」組織を政治の世界に進出させたのかがわかります。
ここでも、「民主主義」が話題に上がっていますね。
4083
:
ユタカ
:2014/06/28(土) 22:13:55 ID:N20ePDNw
こんばんは、
8が壊れて動かないので昔のXPを引っ張りだしてきました、
これは、ウイルスうじゃうじゃ。
ラスト50も読まないで、勝手に発言します、生命の実相13巻P、59
8Lの
本源の生命を汲んでいないで外形だけ残っているような枯れ木のような宗教がある
上記、生長の家 国際本部じゃね? って思いましたよ。
それだけをこめんとしにでてきた。 明日は量販店に領収書をもってPCを修理にいきます。
大熊先生? 頑張っているけど、せっかく生まれた子供を放置して亡くなった子もいるね、助けてあげたいね。
前に、切り刻んだ手足の写真をみて恐ろしくて、もう見にいっていません。
もう、ブログにそういうの掲載されていない???
a hopeさま!がんばって! またくるね!
4084
:
a hope
:2014/06/29(日) 00:30:58 ID:cEpBaIdo
>>4083
ユタカさま
web誌友会ご参加ありがとうございます!
また、今回はユタカさまらしい率直なコメントをいただきました。
正直に言えば、わたしもユタカさまのご意見に近いものを感じているのです。
国際本部だけではなく、今の現象に現れている「生長の家」は「争いの家」とも呼ばれるような惨状です。
そして、大熊先生がお悟りを開かれ、その眼で現象を見つめられた時、惨殺されて闇に葬られているたくさんの胎児を、
見殺しにしておくことができなかったというご心境もなんとなくですが理解できるのですが、
一人の母親として、わたしも、「もう2度とあのように胎児の切り刻まれた写真を拝見したくない」というのが正直な心境です。
ユタカさまのおっしゃるように今現在の日本には、胎児だけではなくて、
せっかく生まれでてきた子供であっても、殺されてしまっているという現実も多くあります。
そして、子供だけでなくて青年や大人であっても、これからの日本の未来に希望を持てず、
人生に絶望して自ら命をたってしまっている人が後を絶ちません。
みなさま、「生長の家」は今、何をなすべきなのでしょうか?
現象の問題に対応する運動もたしかに大切かも知れませんが、それ以前に、
信徒一人一人の信仰がきちんと「生命の実相」に戻らなければ、なにをやってもうまくいかないような気がします。
4085
:
ユタカ
:2014/06/29(日) 17:07:36 ID:N20ePDNw
ahopeさま
雷雨で量販店に行く事をやめました、で13巻を読み進むうちに
よく訊け氏が「久遠の今」の映像を流してくれたけど、イマイチというか、
その意味があまりよく分からなかったですが、この間の88ページあたりのことが
その事につながってくるのでしょうかね??
昔は、教化部で「生命の実相」を正しく講義してくれていたのですが、3代目が講習会などでも分かるように
「迷い」はレストランのメニューから来る!! なんて講話をブッ放すもんだから、
生長の家の講習会が漫談になってしまって、勉強が出来ないんだよね〜〜〜。
生命の実相の本から正しく学んでいきたいですね。。。
P、88 の久遠神性にある救いって素晴らしいね。
善き現象界を造る母胎だそうです。
一人ひとりが久遠の実在を観て信じていけばいいのですね。
で、感想・・・あくまでも自身の感想・・
本源からズレテイル国際本部も、どこそこのなんとか会もみんな現象。
「実際の人間」(リーアル・マン)は悪くないのです。
みんな素晴らしい生長の家神の子!!
ってか?!!!
今からさらに、読み進みます。。。また!!
4086
:
ユタカ
:2014/06/29(日) 17:08:33 ID:N20ePDNw
上記 生命の実相13巻のことです。
4087
:
ユタカ
:2014/06/29(日) 17:15:02 ID:N20ePDNw
ユタカ、
本当に分かるまで、13巻を繰り返し繰り返し読みたい。。。
4088
:
ユタカ
:2014/06/29(日) 17:17:11 ID:N20ePDNw
訊けさまに「久遠の今」の講義をしてもらいたいね。。。
4089
:
a hope
:2014/06/30(月) 11:23:13 ID:cEpBaIdo
>>4085
ユタカさま
「生命の實相」第13巻の p77〜132 までは、主に神性隠蔽について書かれていますね。
「実際の人間」(リーアル・マン)を包み隠してしまう「罪」「迷い」とはどんなものか、
ここのところを丁寧に拝読していくと理解できるのような気がしています。
ところで、総裁先生は本当に、
『「迷い」はレストランのメニューから来る!!』などというご講話をされたのですか?
その類の迷いは、「どれにしようかな?」っていう現象に対応するときの迷いですね。
わたしも、レストランでのメニュー決定ではすごく迷ってしまう方ですが・・・。
「久遠の今」悟りとは、「生命の実相」悟りの状態と同じなのではないかと感じています。
「今」この時に『わたしは素晴らしい世界に生かされているんだー!』という最高の喜びを感られる状態が、
「久遠の今」の悟り(「生命の実相」の悟り)なのではないかと・・・あくまでも推測ですが・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=WueXb8tC-iQ&feature=youtu.be
これは、昨晩、聖典引用板>2981〜>2983にまとめた「谷口教育学」の内容にもつながるのと思うのですが、
この「久遠の今」動画の最後の方に徳久先生のお話が出てきますが、
実は、昨夕のウォーキングの時に、スマホのyoutube で、徳久先生の「ヨハネ伝講義」を聴いていたのです。
https://www.youtube.com/watch?v=yeIu8k1VAKA&index=3&list=PLSD5-8-K4t_6o56gFPAkhMbh3KuaOXE_O
その中で印象に残ったのは「羊に育てられたライオン」のお話でした。
ライオンは優しい性質の羊に育てられて(型にはめられて育てられて)優しい性質のようなライオンに仕上がっていても、
一度、仲間のライオンの「ガオッー」という鳴き声を聞いただけで、その本性が顕れ、ライオン本来の姿に戻るのだそうです。
人間も現象世界の罪や迷いの中で生活して、自分自身も罪や迷いに惑わされて生活していても、
一度、まことに「人間の神性」悟った人間(谷口雅春先生のような)の「コトバ」によって、
人間の本性である「神の子」が導き出される・・・というような、とても興味深い内容でした。
そのお話を聴いた後、ママ友に出会ってしまい、わたしの「ウォーキング講習会」は現象世界の井戸端会議へと転向していまいましたので(笑)、
もう一度、「ヨハネ伝講義」聴き直してみたいと思います。
4090
:
トキ
:2014/06/30(月) 22:34:28 ID:mO1r0CPg
>>4089
素晴らしい御文章、ありがとうございます。
総裁ご自身は、「自分は自由主義者」と言われているので、彼の主観的な感想なんでしょうね(笑)
私個人は、生命の実相第13巻の130pにある「不信項へ迷信の因」が印象に残りました。
恐怖、臆病は究極において自卑の一種でありますが、焦燥不安の状態を喚起し、神への従順ージッと
大きなもににお委せすることーができないような状態にいたらしめるのであります。お委せの心がない
から恐怖する、恐怖するからジッと委せておくことができない。二つの隠蔽は互いに相反映して、ます
ます実相無畏の状態を隠蔽してゆくものであります。実相本源の神に委せることができず、実相無畏の
状態が隠されてきますと、何か物質的な眼に見えるもので霊妙な働きをするものに頼らずにはおられな
くなる。そのためにいろいろの迷信発生し、偶像崇拝となり、本源の神を忘れて、霊媒に乗り移って出
でくるいるいろの霊たちの教えを本源の神の示しと取り違えて、まことしやかに信ずることになるので
あります。ここに実相の神を隠蔽する隠蔽(つみ)を生じるのであります。
霊媒心霊はかくのごとく実相本源の神にお委せできない不信仰のあらわれなのであります。淫祀邪神の
崇拝も、人から見たら「あの人は信心深い人だ」と思われるかもしれませんが、また本人も自己を信心
深いと思っているかもしれませんが、決して本当に信心深いのであはありません。それはかえって実相
本源の神を信じないから、アチラの神を拝み、コチラの神を拝するようになるのであります。
(130~131P)
霊的な信仰は確かに説得力はあり、また、ある段階では必要な部分もありますが、本源のものではな
いと知る事も必要かと感じます。
4091
:
曳馬野
:2014/07/01(火) 02:56:19 ID:I/wU8psA
神への従順ージッと大きなもににお委せすることーができないような状態にいたらしめるのであります。お委せの心がないから恐怖する、恐怖するから
ジッと委せておくことができない。二つの隠蔽は互いに相反映して、ますます実相無畏の状態を隠蔽してゆくものであります。
霊的な信仰は確かに説得力はあり、また、ある段階では必要な部分もありますが、本源のものではないと知る事も必要かと感じます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
【神への従順ージッと大きなもににお委せすること】とは
【本源のものではないと知る事】が出来て『トキ氏』の様に、分派の様に、a hopeさんも言われるような教団を批判して「争いの家」と為すことなのでしょうか?
「本源のもの」を本当に知った人がいるのでしょうか?私には各自の観念の神でしかないと思われます。【神への従順ージッと大きなもににお委せすること】が
結果として【争いの家】を創出しているトキ氏の、分派の行動とは思えない。
4092
:
a hope
:2014/07/01(火) 08:01:53 ID:cEpBaIdo
>>4090
トキさま
<<総裁ご自身は、「自分は自由主義者」と言われているので、彼の主観的な感想なんでしょうね(笑)>>
そうなのですか!
でも、「生長の家」の総裁である方が、「生長の家」の講習会やご自分のご著書、またはブログで、
「生長の家の教え」ではなくて個人の主観をお話になったりするから、信徒が迷ってしまうのかもしれないですね。
「訊け」さまが、「生長の家ってどんな教え」を読むかぎり、総裁の思想は「間違っていない」といっておられますが、
このご著書は、タイトルどおり、本来の「生長の家の教え」の関してのみ書かれているご著書だと思うので、
雅宣総裁もそのことをわきまえて、執筆・編集されたと思うのです。
ですが、これはわたしの個人的な意見ですが、他の雅宣先生のご著書、例えば「次世代への決断」等、
又はブログでの内容等拝見すると、そのご思想は、本来の「生長の家の教え」とはかなり違ってきてしまっているように感じています。
トキさまの謹写箇所「不信項へ迷信の因」は、p82の「宗教争いは偶像崇拝より起る」に関連していると思うので、
過去に謹写したものを再掲させていただきます。
―――――――
「生命の實相」第13巻 p82
宗教争いは偶像崇拝より起こる
物質的な形あるものを礼拝の的にするようになりますと、物質的な形あるものは有限でありますから、
ここまでは自分の領分であって、お前の領分ではないというような争いができてくるのであります。
人間を和合させる働きをせねばならぬ宗教でさえも、肉体キリストという物質的顕現に捉えられていましては、
顕現せられましたそれぞれの応身または報身は異なりますから、互に信者争い、
領分争いをしなければならぬようになってくるのは当然であります。
その宗教が偶像崇拝教である程度は他教を排斥する程度でわかるのであります。
つまり、すべての争いの第一の萌芽(ほうが)は、物質的な形あるものを崇拝すること
――すなわち偶像崇拝――よりくるものであります。
すなわち「すべての罪のうち最も重きものはなんであるか」と問う人がありますならば、
「偶像崇拝をもってその第一とす」と「生長の家倫理学」は答えるのであります。
キリストでもこれを肉体イエスという「物質的形体」に見いださず、
「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在り」といわれた「永遠神性」にこれを見いだし、
仏でもこれを肉体釈迦に見いださず、「過去の諸仏は皆わが弟子なり」と阿難答えた「久遠の釈迦」に見いだし、
「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず「すべての教えわれに流れ入りて生命を得ん」と示された「久遠実在の生長の家」に見いだすとき、
すべての教えは、ここからあすこまでは自分の領分だなどという縄張り争いをする必要がなくなるのであります。
―――――――
そして、
>>4091
で曳馬野さまが、ご質問されている内容の答えもここにあるように感じていますが・・・
4097
:
a hope
:2014/07/02(水) 15:40:00 ID:cEpBaIdo
みなさま こんにちは
今日は、久しぶりに平日のお仕事のお休みなので、ネットサーフィンしていましたら、
そのことから、とても興味深い文献を拝読することになりとてもお勉強になりました。
これは、たぶん、曳馬野さまがさかんにおっしゃっている、戦前と戦後で聖典の内容が変わっているという、
事例の一つなのではないかと思うのですが・・・
昨晩、聖典引用板にまとめた、「生命の實相」第13巻のp170 後ろから3行目〜の「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」
の文章のオリジナル版とも言える文章を、「邁進日本の心と力」(昭和13年11月発行)の中に見つけたのです。
(わたしは、この聖典は以前ある方からPDFファイルの文書としていただき保存してあったのです。 感謝 合掌)
それどころか、今回のテキストである第13巻の今お勉強中の第六章「価値の本質」が、「邁進日本の心と力」の中では、
第1篇「日本精神の倫理」としてほぼ同じ内容で記載されていて驚きました。
まだ、全文をちゃんと確認したわけではないのですが、わたしの持っている「生命の實相」頭注版(昭和38年初版発行)にはない文章が含まれていたり、
表現もところどころ変わっているのです。
わたしが感じたところでは、愛国を思わせるような表現はすべて違う言葉に換えれれてていて、
文章も愛国心や天皇に関するものは削除されているようです。
特に、昨晩お勉強していた、「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」【生命の實相13巻p170】のタイトルは、
「邁進日本の心と力」の中では「物質の否定・棄揚(きよう)・神国の肯定」となっているのです。
そして、そこには、日本神国、天皇に関する生長の家の倫理学的見解がかなり詳しく述べられていて、
わたしはその部分は、今日、もう何度か拝読しましたがとても興味深い内容でした。
「生長の家」が天皇信仰であるという根拠にもなるような御文章ですが、
ですが、現在出回っている「生命の實相」には、その御文章が削除されているのはなぜでしょうか?
頭注版「生命の實相」は、谷口雅春先生が直接編集に関わられていたのではないかと思うのですが・・・
曳馬野さまのご質問の趣旨は、そういうことなのではないかと思いました。
つまり、なぜ、雅春先生は、戦後の聖典から、日本神国や天皇に関するご文章を変更・削除されたのかということですよね?
曳馬野さま、違いますか?
4098
:
曳馬野
:2014/07/02(水) 16:15:16 ID:I/wU8psA
a hope さん
その通りです。理屈を言う方はいっぱいいますが、私の提示に精一杯お答えくださり誠に有難うございます。
4099
:
トキ
:2014/07/02(水) 21:08:28 ID:dkHqmOAw
>>4092
a hope 様
「生長の家ってどんな教え」は、講習会の質疑応答をまとめた本ですね。
各地の講習会には、総裁ご夫妻とご一緒に、総裁秘書室のメンバーと講習会企画推進室の
メンバーが来られます。もちろん、モバイル機能がついたパソコンも持参です。
講習会での質疑応答は、書面で書かれて御昼休みに回収されます。総裁がそれをご覧にな
り、適当なものに返答をされます。私の記憶に間違いがなければ、そのときに、随行の人が
下調べをして、総裁に資料を提出し、総裁はそれを参考にして返答を書かれたはずです。
その一部は、加筆されて機関誌に掲載され、さらに「生長の家ってどんな教え」になりま
した。ですから、あの本の内容はそれほど間違ったものではないと考えています。
谷口雅宣先生も、昔はなかなか良い事を言われていた時もありました。もっとも、当時
は谷口清超先生もご健在だったし、徳久克己先生などの先達もお元気でしたから、自由には
ならなかった点もあったと思います。しかし、今は、彼の発言は支持できないものが多い
と感じております。
この変化については、この誌友会の趣旨とは異なりますから、ここでおしまいにいたしま
す。
釈尊は、亡くなる直前に、「自灯明、法灯明」と言われました。「自らをよりどころとし、
教えをよりどころとしなさい」という意味です。私は、この場合の「自ら」を肉体の自分で
はなく、神の子たる自己だと解釈をしております。谷口雅春先生の御意志も同じだと考えて
おります。
こういう時期だからこそ、信徒一人一人が聖典を勉強する時期だと考えています。
4100
:
a hope
:2014/07/07(月) 10:44:32 ID:cEpBaIdo
>3007 >3010 聖典引用板 志恩さま
色々と戦後の歴史を教えてくださりありごとうございます。
とてもお勉強になります。 合掌。
――――――――――
a hope様
戦争直後にアメリカの占領軍(GHQ)により発令された公職追放令は、
サンフランシスコ講和条約を締結したので、廃止されたと、載っていました。
ですから、公職令の 廃止後は、自由に言論することが可能になったのでしょう。
終戦直後、
徳久先生は、天皇については、雅春先生が公職追放された関係で
語ることができなくなったので、
親孝行の話を中心にしよう。親孝行は天皇・・に繋がる。
そう思われた徳久先生は、
当時の飛田給道場では、天皇の話は、せず、親孝行中心の話をするように、
されていた。
私が、初、飛田給 夏期高校生練成会に参加した中学3年生の時とは、
昭和30年代の
最初のころでしたから、菊地藤吉先生(共産党から転向した先生)や、
加藤栄太先生などが、すでに、練成会で熱く天皇陛下のお話をされていました。
しかし、当時は、これも、占領軍政策で、日本弱体化のために、左翼思想の人間を
教育界のトップにすえて、言論統制を行った成果が出ていて、日本国土全体は、
共産党,社会党の、赤い、反日思想によって、牛耳られていました。
そして、その反日思想の人らの手によって、、
天皇が、日本国民を戦争に駆り出した責任者なのだとか、日本人は悪い国民なのだという
教育をタタミコマレテ、
われわれ日本人は、洗脳されていった時代でしたから、
雅春先生が、日本の国民に、それは、間違った考え方なのだという真実を、日本人が、
愛国心を取り戻すために、命がけで、説き、愛国運動をされていたことは、
当然のことだったと、思います。
でも、天皇万歳というと、右翼的ですから、
昔の説き方じゃなくて、親孝行を話をされるときに、天皇という生き方は、
無私であり、日々、国民のために四方拝もされてて、。。。というふうに、
親孝行の話とともに、他国には無い、天皇の、本当のすばらしさも、説けば、
自然に聞き手に受け入れてもらえると思っております。
ですから、親孝行の話から入り、日本人に対しては、天皇の話もする、、というのが、自然体では
ないかしら。
―――――――――
こちらの志恩さまのご説明は、とてもわかりやすくて「生長の家」の歴史をほとんど知らないわたしにも、納得がいく内容です。
そして、
<<でも、天皇万歳というと、右翼的ですから、
昔の説き方じゃなくて、親孝行を話をされるときに、天皇という生き方は、
無私であり、日々、国民のために四方拝もされてて、。。。というふうに、
親孝行の話とともに、他国には無い、天皇の、本当のすばらしさも、説けば、
自然に聞き手に受け入れてもらえると思っております。
ですから、親孝行の話から入り、日本人に対しては、天皇の話もする、、というのが、自然体ではないかしら。 >>
この、志恩さまのご意見に心より賛同させていただきます。
(つづく)
4101
:
a hope
:2014/07/07(月) 10:46:10 ID:cEpBaIdo
(
>>4100
つづき)
ところで、「学ぶ会」さまや、「ときみつる會」さまなどの本流復活を目指していらっしゃる団体さまは、
やはり、教義には「両親に感謝」の教え、もしくは「人間神の子」の教えを中心にされているのでしょうか?
志恩さまも書かれていますが、もしそうではなくて、天皇信仰や、愛国を前面に出してしまっているのであると、
そのような言葉を目にしただけで、「生長の家の教え」に興味を失ってしまう人は現代の日本にはとても多いと思います。
わたしは今まで勉強不足でしたが、実際に生長の家の愛国書というものを拝見していると、とても奥が深くて万教帰一的で、
けっして、超国家主義とか国粋主義であるとは思えません。
ですが、今現在の日本には、(総裁もそうですが)、その真理をきちんと理解できていない人たちがほとんどだと思うので、
それはとりあえず前面に出さずに、「両親への感謝」「人間神の子」の真理を前面に、教義をされたら、
若い世代の人たちも「生長の家の教え」に興味をもってくださるのではないかと思います。
4102
:
トキ
:2014/07/07(月) 22:20:56 ID:I66.tKn.
われらは古来、人類がすべて神の子であり、何某の尊であり、日子であり、日女
であるとの自覚をもった。今こそいっそう人類がすべて日子であり、日女であり、
何某の尊であるということを知らねばならぬ。すべからく人類は輝く太陽神の子孫
であるということを自覚しなければならぬ。これは古代日本人の原始的迷信などと
思ってはならない。一切の生命は太陽を源として生まれて来るものであることを
近代の科学は証明している。
生命の実相第13巻 74pより謹写
*まもなく霊牌の時期になりますが、此の世にいる私達も、日子であり、日女である
ことを思いだしましょう。
4103
:
a hope
:2014/07/08(火) 00:26:29 ID:cEpBaIdo
>>4099
トキさま
<<釈尊は、亡くなる直前に、「自灯明、法灯明」と言われました。「自らをよりどころとし、
教えをよりどころとしなさい」という意味です。私は、この場合の「自ら」を肉体の自分で
はなく、神の子たる自己だと解釈をしております。谷口雅春先生の御意志も同じだと考えて
おります。こういう時期だからこそ、信徒一人一人が聖典を勉強する時期だと考えています。 >>
「自灯明、法灯明」・・・そういう意味だったのですね。
どんなに素晴らしい尊敬できる人であっても、肉体を持って生まれているかぎり、
その現象に現れている姿は完璧ではないのですよね。
「生命の實相」第13巻 p82 後から4行目〜
<<その宗教が偶像崇拝教である程度は他教を排斥する程度でわかるのであります。
つまり、すべて争いの第一の萌芽(めばえ)は、物質的形あるものを崇拝すること
――すなわち偶像崇拝――よりくるのであります。
すなわち「すべての罪のうち最も重きものはなんであるか」と問う人がありますが、
「偶像崇拝をもってその第一とす」と「生長の家倫理学」は答えるのです。>>
だから、最終的によりどころにできるのは、自己内在の神だけなのかもしれませんね。
その神を顕すためによりどころにするのが、わたしたち「生長の家」信徒にとっては聖典「生命の實相」となのですね。
ところで、
>>4102
のご紹介の御文章は、「生命の実相第13巻 74pより謹写」とありますが、
頭注版の13巻 74pには見つからないのですが・・・
出典をもう少し詳しく教えてください。
4107
:
トキ
:2014/07/09(水) 15:09:34 ID:nkzt7hXM
>>4103
ご質問、ありがとうございました。あと、お詫びと訂正です。
当該文章は、頭注版の3巻 74pの間違いでした。古い本でしたので、
表紙の印刷がかすれて読めなくなっていました。
すみませんでした。
合掌 ありがとうございます
4108
:
a hope
:2014/07/11(金) 10:21:39 ID:cEpBaIdo
>>4102
トキさま
お返事をありがとうございます。
本当ですね。
生命の實相第3光明篇第三章「生長の家」とはなんであるか の最後(p74)に、
おまけのように、トキさまの謹写された御文章が掲載されていました。
そのような、文章の紹介の仕方は、「生命の實相」ではちょっとめずらしいのではないかと感じました。
短い文章ですが、ですがその文章には、とても重要な真理が書かれていると思いました。
タイトル、ふりがな、頭注まで含め、前文謹写させていただきます。合掌。
―――――――――――――
日子 と 日女
われらは古来、人類がすべて神の子であり、※何某(なにがし)の尊(みこと)であり、日子(彦)であり、日女(姫)であるとの自覚をもった。
今こそいっそう人類がすべて日子であり、日女であり、何某の尊であるということを知らねばならぬ。
すべからく人類は輝く太陽神(ひめしん)の子孫であるということを自覚しなければならぬ。
これは古代日本人の原始的迷信などと思ってはならない。
一切の生命は太陽を源(みなもと)として生まれて来るものであることを近代の科学は証明している。
※何某の尊――
むかしから日本では、人間を神の生命のあらわれとしてミコトといってうやまっていた。
決して肉体人間のみは見ていない。
何某というのはだれそれという不特定の人をさした代名詞。
たとえば大和武尊(やまとたけるのミコト)・大国主命(おおくにぬしのミコト) 【頭注より】
――――――――――――――
昨晩、聖典引用板にお勉強した「生命の實相」第13巻p173〜の箇所には、
<<日本語ではこれを「霊人」(ひと)という。
「霊人」とは霊的実在なる所の普遍的存在であるということである。
霊子(ひこ)または霊女(ひめ)という場合は「久遠男性」または「久遠女性」の意味であって、
朽ち果てるべき「仮面の人間」ではないのである。>>
とありました。
ミコトという言葉にしても、「命」「尊」二つの漢字で表現されるのですね。
でも実際に、「生長の家」で礼拝供養するときには、「比古の命」「比女の命」と書くのですね。(「人生を支配すり先祖供養」p20より)
色々な漢字が出てきて、ちょっとややこしい感じもしますが、そのなんでもあり的な特徴が「生長の家」の万教帰一の教えに通じるのだと思いました。
「こうでなければいけない」「こうしなければいけない」そういう「縛り」がまったくないのが、本来の生長の家の教えですよね?
だから、わたしは、なぜ、本流復活の先輩方が「天皇国日本の実相顕現」という表現にそんなにこだわっていらっしゃるのかが未だよく理解できません。
現代の日本で、「天皇国日本の実相顕現」という言葉を前面に掲げて運動をされることは、反対に「天皇国日本の実相顕現」を妨げる結果になっているのではないかと感じています。
わたしは生長の家の「人間神の子」の真理が現代の日本の若者を含む多くの人たちに浸透してこそ、
まことの(形だけではないという意味)「天皇国日本の実相」が顕現すると思うからです。
そのためには、まずは、現代の戦後の唯物論の教育に洗脳された人々に生長の家の「人間神の子」真理を広く伝道することが先決なのではないでしょうか?
雅春先生も、そのために、戦後の「生命の實相」などの聖典から、わざわざ、愛国や天皇信仰に関する文章を削除され、
どのような思想・信仰をもった人々にも「生長の家」の教えが浸透していうようにされたのではないのでしょうか?
それは、サンフランシスコ講和条約締結後、再び日本人に言論の自由が許されるようになった後でも、
雅春先生が「聖典」に戦前の愛国や天皇信仰に関する御文章を復活させることがなかった大きな理由でもあるとわたしは思うのですが・・・。
4109
:
トキ
:2014/07/11(金) 20:16:29 ID:v2lJ7fjA
>>4108
a hope様
先日はたいへん失礼をしました。ごめんなさい。
さて、「天皇国日本」ですが、これは私の考えでは、神界や高級霊界についての
理解が前提になると考えます。ご神示にもあった通り、これを現象の話と混同する
と問題があると思います。
譬えて言うと、吾々が小学生の頃は、「引き算」の授業で小さな数字から大きな
数字を引けないと習いました。が、中学になり、マイナスという概念を習うと、
小さな数字から大きな数字を引く事は問題なしとなりました。
私が大学の教養課程で、物理化学という科目で、量子力学等を勉強した時に、
「難しいからと諦める事はない。今はわからない事でも、勉強が進んだら、自然と
わかるようになります。」
と言われた事がありました。
同様に、ある段階になると、この問題は自然と理解ができるものかと思います。
それまで、みんなで地道に勉強をいたしましょう。
4111
:
a hope
:2014/07/13(日) 10:00:57 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます。
今回の第25回web誌友会は、5月に始まりましたが、わたしの勝手な司会で、今月で3か月目に入ってしまいました。
テキストは「生命の實相」第13巻と14巻です。
昨晩、「あまむし庵」さまのブログを拝読させていただいていました。
http://56937977.at.webry.info/
「あまむし庵」さまがどのようなお方は知りませんが、「天皇国日本の実相顕現」というお言葉を頻繁に使われているので、
本流関係の大先輩なのではないかと勝手に想像しています。
その御文章の感じが、どこかで拝読したことのあるような気もするのですが・・・(?)
わたしが拝読したログの内容は、『4/中心帰一 その一/現象の迷いの否定を通さない「中心帰一」は中心帰一ではない』から、
『12/「生長の家本部赤痢菌事件」の対処法と教訓/日本と世界の問題を自分自身の問題として受け止める 』までですが、
かなりの量でしたから(A4に27枚!)、プリントアウトしてじっくりと拝読させていただきましたがすごい内容だと感じました。
前半部分は、本流の先輩らしく、現教団や総裁・副総裁のご批判文が多かったので、一度は拝読をやめてしまおうかとも思いましたが、
続けて拝読していくと、その内容は「生長の家の教え」そのものように感じました。
reiさまも、とても感動されていて、コメント欄で讃嘆されています。
特に最新の『12/「生長の家本部赤痢菌事件」の対処法と教訓/日本と世界の問題を自分自身の問題として受け止める 』は、
今回のテキストである「生命の實相」第14巻の『和解の倫理』の解説をしてくだっていて、とてもお勉強になりました。
http://56937977.at.webry.info/201407/article_3.html
そこには、以前わたしも聖典引用板板に謹写させていただいたことのある楠本加美野先生のご体験も例にあげてくだっています。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/851
その時のわたしの(所感)を再掲させていただきます。
――――――――――
>>851
(a hope所感)
楠本加美野先生は、河口湖道場に赤痢が発生したとき、辞職願を書かれて責任を取ろうとされた。
でも、本当に責任を取るということは、そういうことではなかったと、「大調和の神示『七つの燈台の点燈者の神示』」に気づかされたとあります。
それは「省みて天地万物に感謝して和解すること」だったのですね!
わたしは、このお話を拝読して、『赤痢菌に和解する』とは、『赤痢菌が人にする「悪さ」(虚説)と和解することではない』のだと思いました。
加美野先生は「どうして今、この道場に赤痢が発生したのか……赤痢菌は神様の使いである、何かを教えて下さっているに違いない」そんな風に自ら省みられ、
真剣に懸命に祈られたからこそ大切なことを悟られて、赤痢菌の存在自体に感謝でき、赤痢菌と和解することができたのだと思います。
今、「生長の家」で起きている全ての問題は、赤痢菌同様、わたしたち信徒一人ひとりに、何か大切なことを教えて下さるために神様が与えて下さったありがたい課題なんだと思います。
だから、今、わたし達「生長の家」の信徒のすべきことは、やはり「天地万物に感謝すること」なのだと思います。
そして、感謝するとは、「省みて和解すること」なのだと思います。
わたしたちが自らを省みることのないまま、相手への真の「感謝」や「愛」や「赦し」の心のないまま、
相手の「虚説」だけを討つことは、生長の家の大神さまの御心そして谷口雅春先生の御心にはかなっていないような気がします。
―――――――――
(つづく)
4112
:
a hope
:2014/07/13(日) 10:09:37 ID:cEpBaIdo
(
>>4111
つづき)
「あまむし庵」さまは、加美野先生の御文章を引用されご指導してくださったあと、
当時の日本の社会状態や「生長の家」の運動の様子をご説明くださり、
わたしたち「生長の家」の信徒に、とても重要なご教示をしてくださっているように感じました。
以下、その部分を引用させていただきます。
(つづく)
4113
:
a hope
:2014/07/13(日) 10:12:02 ID:cEpBaIdo
(
>>4112
つづき)
↓「あまむし庵」さまの御文章です。
―――――――――――
河口湖道場における「赤痢菌」事件。この当時日本は「赤色(共産)革命」前夜の大混乱期にあったのです。全信徒が一丸となって、谷口雅春先生著『占領憲法下の日本』を、全国民に配布するための伝道に立ち上がっていた時代です。人類に次々と毒素を増殖伝染させて行く「赤痢菌」は、当時の唯物主義的「赤色(共産)革命」の象徴のようでもあります。赤色革命、共産主義思想、マルクス主義思想は、人類全体に唯物論の毒素を増殖伝染させる「ユダヤ思想」をルーツとしているのです。
注)「赤色革命、共産主義思想、マルクス主義思想は、ユダヤ思想をルーツとしている」この件については、当ブログ「1/マルクスの建前と本音」を参照下さい。
http://56937977.at.webry.info/201402/article_1.html
赤色革命、これは『ヨハネの黙示録』十二章及び十三章で預言されたところの「赤き龍」(サタン)であり、『古事記』では「八岐大蛇(やまたのおろち)」として預言されています。前世紀、世界中で猛威をふるった赤色革命の嵐は、今世紀(21世紀)ではもはやその力は失ったかに見えますが、唯物二元論のユダヤ思想は、国際金融至上主義、国際グローバリズム、CO2温暖化環境保護主義、世界中の銀行システム、日本国憲法等々、様々な形を変えて全世界を蝕(むしば)んでいるのです。
注)「唯物二元論のユダヤ思想は、国際金融至上主義、国際グローバリズム、CO2温暖化環境保護主義、世界中の銀行システム、日本国憲法等々、様々な形を変えて全世界を蝕(むしば)んでいる」この点については、説明を要しますので、今後順次このブログでご紹介したいと考えております。
現在、それらの赤色思想(唯物思想)が、生長の家の組織の中枢をも蝕(むしば)んでいる事実を見る時、この問題を地球規模的問題、且つ人類の歴史的問題として捉え直す必要性を、強く感じずにはいられません。つまり、現在生長の家人の目前に現れているところの危機は、天皇国日本の危機であり、同時に全地球的危機であることを、私達に教えてくれているものだ、と解すべきなのであります。目前の問題を国家、地球全体の問題として、しっかりと捉えることによって、改めて生長の家立教の使命の確認と、神から生長の家人に課せられた偉大な使命を、正しく受け止めることができるのではないでしょうか。
以上の意味において、この問題に対して絶対感謝をすべきであると考えております。
(つづく)
4114
:
a hope
:2014/07/13(日) 10:14:16 ID:cEpBaIdo
(
>>4113
つづき) ↓「あまむし庵」さまの御文章のつづきです。
ありがとうございます。ありがとうございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝唱行を繰返すことによって、自分自身の心の中で、「あぁ、ありがたい」「なんて有難いんだろう!」と、問題に対する感謝の念が生じてきます。さらに時間が経てばたつ程、その感謝の念は、「ただありがたい」底に終るものではなく、谷口雅春先生の教えを受けた私自身に対する、「神様から与えられた使命の躊躇なき断行の決意」に昇華して行くのであります。赤痢菌に感謝し得た楠本講師の感謝は、「誰彼の差別なく触れる人ことごとくに菌を伝える赤痢のようでなければならない」との、断固たる伝道の決意として結実した時、然(さ)しもの赤痢菌事件も見事に解決し得たではありませんか。
今回、生長の家本部中枢で発生した、謂わば「生長の家本部赤痢菌事件」に対する私自身の感謝は、「神から与えられた使命の躊躇なき断行の決意」という、教訓を与えて下さったことに対する感謝となって行くのでした。それは取りも直さず、「天皇国日本実相顕現」と「人類光明化運動」の断固たる決意であります。
今回の「生長の家本部赤痢菌事件」は、私にとって、現在進行形で進んでいる日本と世界を蝕むユダヤ問題(赤色思想・唯物思想による全世界への侵蝕問題)が、生長の家自体をも侵蝕している事実に目覚めさせたと同時に、この地球規模の問題は、自分自身としても極めて身近な大問題であったという「事実」を、深く理会し得たというところに、最大の「教訓」を読み取る事ができたのであります。
今までは、ユダヤ思想、唯物思想が、日本と世界に及ぼす影響力については、ある種「他人事」的な距離感をもって、眺めていた憾(うら)みがありました。しかし、今回の「生長の家本部赤痢菌事件」を深刻に考える中で、これらの諸問題に共通する同一性を発見できたのであります。その瞬間、小生の意識は、日本と世界が抱え続けている「ユダヤ思想、唯物思想、赤色思想」の大問題を、「自分自身の問題」として受け止め始めていたのです。
これが、「生長の家本部赤痢菌事件」に対する、小生の受け止め方なのであります。
――――――――――――――
(つづく)
4115
:
a hope
:2014/07/13(日) 10:16:27 ID:cEpBaIdo
(
>>4114
つづき)
「あまむし庵」さまの御文章からは、感謝の念のようなものがじわじわと伝わってきて、拝読していてとても気持ちよくなってきます。
わたしは、気功をやっていたことがあるので、「氣」や「波動」にはとても敏感で、たとえそれが文章であってもその波動を感じてしまうのです。
ただ、すべてわたしの主観で感じていることなのでそれが正しい感じ方であるかは不明ですが・・・(笑)
大熊先生のご講義もわたしにはとても心地よいです。
http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/MYBLOG/yblog.html
大熊先生はよく「報恩」というお言葉をお使いになりますが、お二人に共通しているのは「愛」と「感謝」だと思いました。
「生長の家」は素晴らしい!!!
4117
:
a hope
:2014/07/15(火) 18:31:44 ID:cEpBaIdo
みなさま
今迄、聖典引用板の方に、web誌友会のテキストである第13巻の内容をまとめたものや、
(所感)を書かせていただいていましたが、聖典引用板の方には謹写した文章のみを投稿させていただきます。
これからは、テキストをわたしが個人的にまとめたものやその内容への所感は、こちらに投稿させていただきます。
(テキストまとめ)
○『善とはなんぞや』p176
・・・無相なるがゆえに無限相であるところの自由自在な神性が、時相応、所相応、人相応に顕現した状態をいう
時相応・・・時にふさわしい
所相応・・・所にふさわしい
人相応・・・その人にふさわしい
△人の時所に相応しない「思い」と「行為」とは
・・・前例においてそれが同じ「思い」同じ「行為」であっても「善」だとはみとめられない
例)<<たとえば、赤穂(あこう)四十七義士が主君の仇(あだ)のために吉良上野介(きらこうずけのすけ)を殺害してみずから切腹したごときは、近代においては「善」であると認められないことは前述したとおりである。>>p176 8行目〜
△「善」の動機説、精神内容説とは
・・・古来から唱えられている説で、動機さえよければ、その行為の精神内容さえよければ、形はどうでもそれは「善」であるとみとむべきである
・・・人類のためだという動機ならば手段としての行為はどのようなものでも、またどのような結果を招いてもその行為は「善」である
【「善」の動機説、精神内容説を谷口倫理学が排斥する理由】
<<動機が善であってもそれが不結果を招くのは、その動機としての彼の行為を指導し、彼を行為にまで駆るところの精神内容に、すべての場合や条件を尽さざるところの不完全さを暴露しているのである。不完全は「善」ではないから、不結果を招くような動機も手段も「善」とはいいがたいのである。>> p177 後から6行目〜
4118
:
a hope
:2014/07/15(火) 18:38:06 ID:cEpBaIdo
(
>>4117
a hope所感)
ここの第13巻p176〜183には、宗教を信仰する人間が、その「教え」(真理)の表現として現象世界で何らかの「運動」をしていく時に、
守らなければいけないとても重要なことが書かれているような気がします。
たとえ動機が「善」であるように見えていても、その行為に結果がともなわばければ、
それは「善」とはいがたいと谷口雅春先生はおっしゃっています。
これは、たいへん厳しい教えなのではないでしょうか?
それでは、人間がまことの「善」をなしとげるにはどうしたらいいのでしょうか?
その答えは、P178の『人間に神を実現する』とp179の『自我のおきかえ』に書かれていて、
そのたとえ話としてp180の『香厳(きょうげん)上樹(じょうじゅ)、飛躍の道』に『無門関』の第五の公案「香厳上樹」のお話と、
イエスが悪魔に惑わされそうになった時のお話が紹介され、まことの「善」とはどのような事かの詳しい解説がされています。
ここのところも、とても重要だと感じているので、時間がかかりますが、聖典引用板の方に全文謹写させていただきます。 感謝 合掌。
4119
:
a hope
:2014/07/15(火) 22:32:13 ID:cEpBaIdo
『人間に神を実現する 』p178
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3024
(a hope所感)
ここでいう、「法界を覆う知恵」とは、神の知恵、つまりは「実相の悟り」のことだと思いました。
そして、その悟り、つまり、「法界を覆う知恵」を得るためには、「禅的な修養が必要」とあります。
生長の家の信徒であれば、修養とは三正行のことですから、聖典・聖経の拝読 神想観 愛行ということですね!
4120
:
a hope
:2014/07/17(木) 11:03:37 ID:cEpBaIdo
『自我のおきかえ』p179
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3026
(a hope 所感)
<<人間の小知は決して全法界に達せざるがゆえに、根本的には善をなすことができない。>>
なんて厳しい言葉でしょうか!!
ここのところの文章を真っ直ぐ受け取れば、「わたしたち人間は人間知では善をなすことができない」ということになります。
まあ、まことの善とは、「実相」の現れのことですから「生長の家」の真理から言えばそれは当たり前のことなのかもしれませんが・・・
現象世界のさまざまな「迷い」の中で生きているわたしたちは、「サタン」の誘惑も頻繁に受けますから、このまことの「善」を実行するのは至難の業のような気もします。
でも、そんなことばかり気にしていてはなにもできませんから、わたしたちは「生長の家」人は常に「三正行」を怠らず、
>>4114
であまむし庵さまのおっしゃるように、「神から与えられた使命の躊躇なき断行」していかなければいけないのだと思いました。
4121
:
a hope
:2014/07/17(木) 11:05:18 ID:cEpBaIdo
「使命邁進の神示」
人がどう思ふかも知れぬと、そんなことばかり気にかけているようなことでは心の苦しみは絶えぬものだ。
自分がどの位愛したか、自分がどんな仕事をしたか、そればかりを考えるが好い。
肉体の人間は誤解するものだとあれほど言いきかしてある。
肉体は念の集積で出来たレンズ又はプリズムであるから、人によってその『眼鏡』は違うから、どんな光線でもみんな屈折して見えるし、丸いものも三角に見える。
深切で言ったつもりが悪意にとられたり、失敗(しくじ)って言った言葉でおかげを受ける人もある。
誰が何を思っても、それは迷いで屈折して色々に観るのであるから、ただ神に知られることだけを求めて人に知られようなどとは思わぬが好い。
人間の苦しみの一つの元は上べを飾りたい心である。(昭和七年三月十五日執務中神示)
4124
:
a hope
:2014/07/18(金) 22:36:18 ID:cEpBaIdo
「香厳上樹(きょうげんじょうじゅ)、飛躍の道」p180
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3027n-
(a hope所感)
「悟り」を開いた状態であればどのような行動をとっても「善」の現れとなる、ということなのでしょうか・・・?
自分(我)を無くした状態(無我状態)になった時はじめて、神の御心がそのまま現れてまことの「善」をなせるということなのだと思いました。
だから「善」をなすためには、自分の中の神とつながる毎日の「神想観」が何よりも大切なのですね!
4125
:
a hope
:2014/07/19(土) 09:33:00 ID:cEpBaIdo
『人格の自由と「認め」の倫理 』p183
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3029
(a hope 所感)
よく真面目に親の言うことを聞いて育っている人のことを、「お前は親のひいたレールを走らされているだけだ」と揶揄することがあると思いますが、
その場合、その人自身に人格の自由がなくて「親のひいたレールの上を走っている」場合と、
人格の自由を持ちながら「親のひいたレールの上を走っている」場合があるのではないかと感じています。
それは、不満だけれど仕方なくいうことを聞いているのか、それとも、親を信頼して喜んでしているのかの違いだと思います。
後者の場合であれば、たとえ親のひいたレールの上を走っていても「人格の自由」は認められているのではないでしょうか?
信仰にしても同じだと思いました。
わたしたちは神さまのひいたレールの上を走っている時、自然に不安が消えてすべてがうまくいき、おのずと喜びや満足感が湧き上がってくるのだと思います。
光明掲示板でわたしをご指導くださった明鏡さまのお言葉をみなさまに紹介させていただきます。
<<本来、信仰とは、信ずれば信ずるほど、心が幸せになり、安心してゆくものですが、
信ずれば信ずるほど、不安になるものを “ 迷信 ” といいます。>>
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1743&submitlog=1743
みなさまのお幸せを心よりお祈りします。 合掌。
4126
:
a hope
:2014/07/19(土) 09:50:47 ID:cEpBaIdo
>>4125
訂正
親のひいたレール→親の敷いたレール
すみません、なまってしまいました(;´∀`)
4128
:
a hope
:2014/07/21(月) 17:25:23 ID:cEpBaIdo
「驀進日本の心と力」より 『善の存立し得る根本条件』 p67
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3031
(a hope所感)
今回また「驀進日本の心と力」の中に、戦後、削除されたと思われる貴重な文章をみつけました。
それは「人格の自由」についての文章なのですが、「生命の實相」第13巻では「夫婦の貞操」を例にあげ4ページほど(p184〜p188)で説明されているだけなのですが、
「驀進日本の心と力」では、さらに「天皇」「領土権」「所有権」の例もあげて、7ページにわたってとても詳しく説明されているのです。
わたしはこの部分も「生命の實相」を拝読しただけでは、なんとなくすっきりしませんでしたが、
原文を拝読することで、やっと真意が理解できたような気がします。
少しずつですが、「驀進日本の心と力」の方の原文を聖典引用板の方に現代文に直しながら謹写させていただき、
理解を深めていきたいと思います。
感謝 合掌。
※訂正とお詫び・・・今まで、「【邁進】日本の心と力」と書いていましたが、正しくは「【驀進】日本の心と力」でした。
大変失礼いたしました。
4130
:
a hope
:2014/07/22(火) 23:06:48 ID:cEpBaIdo
「驀進日本の心と力」より 『領土権の根拠は那辺(なへん)にありや』p69
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3034
(a hope所感)
頭注版「生命の実相」には、領土権に関する文章は一切ありません。
とくに、
<<歴史以後に世界各国がこの国土は自分の国土であると宣言したところが、それは既に、歴史以前の大宣言(おおみことのり)であるから、世界各国の統治者は国土を『※うしはく』のであって知ろしめすのではないのである。
かくの如く『認め』の権威が明らかとなったとき、はじめて、夫婦の貞潔と云うものの価値と権威とも明らかになるのである。
夫婦の貞潔(ていけつ)が美徳であると云うのは単なる良人の占取欲(せんしゅよく)のためではなく、社会公安上の便宜ではなく領土権と等しく『人格の自由』と『認め』と、その『認め』の発表のコトバの力に基づくのである。>>
ここの部分は、「領土権」と「夫婦の貞潔」を同等に説明していて、唯物論的に考えてしまうと、
妻や良人を「領土」と同等に考えている「とんでもない思想」、ということになってしまうのではないかと感じました。
戦後、日本国内に唯物論的考え方をする人が増えてきてしまい、「領土権」について考えるにしても、
現象の土地や国土を取り合いするような現状のなかで、この「生長の家の教え」の真意を人々に伝えるのはなかなか難しいのではないかと思いました。
ですがわたし自身は、ここのところの文章をじっくり拝読していると、主人と結婚した時に「誓いの言葉」を交わし合ったことを思い出し、
「間違いなく主人はわたしの半身であって、かけがえのない大切な人だったんだ・・・」
ということに気がつきました。
そして、いままで感じたことのないくらい主人のことを愛おしく感じました。
「谷口倫理学」・・・すごすぎます(笑)
4132
:
a hope
:2014/07/24(木) 08:40:24 ID:cEpBaIdo
「驀進日本の心と力」より 『貞操の根拠は那辺にあるか』p71
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3037
(a hope所感)
<<夫婦の貞潔を冒してはならないのは、領土権を侵犯してはならないのと同様である。>>
ここのところの文章は、本当に生長の家の「唯神実相的世界観」をしっかり理解していないと、
現代では、激しく批判されてしまうかもしれない表現ではないかと感じています。
今、世間では不倫や離婚が当たり前のように行われています。
子どもたちのお友だちにも、片親家庭の子供が信じられないくらい多いです。
少し前の時代でしたら、父親のいない子供は肩身の狭い思いをしていたり、いじめられたりしたのだと思いますが、
今の子供達は全く気にしていないから驚きです。
中には、「お父さん」という言葉の意味を知らない小学校低学年児もいます。
時代背景はこれだけ変わってしまいました。
やはり、たとえそれが真理の言葉であっても、時代の変化に従って表現を変えていかないと、
真理の伝道はむずかしいのではないかと感じています。
みなさま、わたしは聖典「生命の實相」または、その関連文章を拝読して、素直に感じたことを発言させていただいていますが、
これは、わたし個人の解釈であり、感想です。
賛同してくださる方もいらっしゃるでしょうし、異論のある方もいらっしゃると思います。
また、「新人が、聖典解釈などとんでもないことをいている!」と、
不愉快に感じていらっしゃる方もいらっしゃるかと思います。
ですが、わたしは「生命の實相」真理の素晴らしさに魅了されてしまっていて、このweb誌友会を続けて行くことに生き甲斐を感じているのです。
Web誌友会の趣旨である「生命の實相」の輪読会へのご参加はもちろん大歓迎ですが、
わたし個人へのご意見、ご感想なども、遠慮なく、こちらでご発言下さいね!
どうぞよろしくお願いいたします。 感謝 合掌。
4134
:
トキ
:2014/07/26(土) 21:16:10 ID:Iil/ZUCE
先日、谷口輝子先生の「愛の相談室」という聖典を拝読しておりまして、こういうご文章
がありました。
「この間、私の所へ、山形県酒田の一白鳩会員から手紙がまいりまして、私はその手紙を
見て、非常に感激したのでございます。70歳になっておられましたが、当時既にずっと十何年
前からの白鳩でございます。その方は川島しげ江さんとおっしゃる方で、短い手紙でございま
すけれども、こんな手紙をくださったのでございます。
「先日、家で誌友会の最中に盗人が入りました。18歳の将来ある少年で、何も物は盗られ
ませんでしたが、指名手配されて捕らえられた少年の由。かわいそうでかわいそうで、寝ても
眠られず『光の泉』やいろいろのご本や、お菓子などを持参し、差し入れとして警察へ面会へ
行きました。初対面の時はなかなか話もしてくれませんでしたが、やがて和顔・愛語・讃嘆の
うちにすっかり人相が別人のようになり『将来立派な人になって、世のため人のために尽くす
人間になるんだ」といって、泣いて泣いて・・・・。真実に泣くのでございました。山形市内
の少年の施設に収容されて、元気で規則をよく守り、ご本を読んでおります由。もっともっと
御教えのご本をたくさん差し入れ続けてあげたい。誌友会の時に入ったというのは、何かの
因縁だと感じられます。必ずこの御教えで救われます少年に違いないような気が致します。
神想観をして祈っております。有り難うございます。有り難うございます。」
手紙にはそう書いてありました。
ただ簡単な好奇心とか上辺だけの慰めなんかで刑務所を訪れたり警察を訪れたりしたのでは、
このように変わらないのでございます。真実、この川島さんは、母親のような、実際に生んだ
子供を愛するような気持ちで、その少年を哀れんで、夜寝ても、その子のことが心配になって
眠れないくらいに真実なる愛情をもって、そこを訪れて行かれました。そのために、この少年
はすっかり人相が別人のように変わったというのでございます。この母親のような愛情をもって
他人の子供にも対されるような人。これが本当の生長の家の人間であり、私達の誇るに足りる
白鳩会員であると思うのであります。
(谷口輝子先生 「愛の相談室」 22P)
伝道というのは難しいものですが、基本は愛情が大事かと思います。その上で、その場その場
で一番良い表現をしたら、きっとその人のためになる言葉が出て来ると感じます。
4135
:
a hope
:2014/07/27(日) 12:44:20 ID:cEpBaIdo
「驀進日本の心と力」より 『所有権の根拠』p72
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3041
(a hope 所感)
今回の謹写部分で一番心に響いたのは、(注)の「常不軽菩薩」に関する文章でした。(これは生命の實相第13巻p187にもあります。)
<<(注)「認め」の倫理的価値は、遥かに遡(さかのぼ)れば『法華経』の「常不軽菩薩品(じょうふぎょうぼさつほん)」に於て、常不軽菩薩が万人を成仏すべきものとして礼拝したのに始まる。認めて初めて存在に入るのである。この時よりして万人は成仏すべく定められたのである。大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)が※十劫(こう)の間を道場に坐してしかもなお成仏しなかったのは、本来「仏」でありながら「認め」が存在しなかったからである。>>
ここに「認め」の重要さ述べられていると感じました。
宗教の教義をいくら勉強して知識を豊富にしてみても、いくら神想観をして外に神を求め続けても、たくさんの愛行を実行してみても、
わたしたちは『万人を神の子として「認め」、礼拝する』ことができなければ、成仏できないということが述べられているのだと感じました。
「常不軽菩薩」のように、どんなに憎むべき相手であっても、「赦し」「感謝し」「愛する」ことができたとき、
初めて「釈迦」や「キリスト」や「谷口雅春先生」と同じ心境になれるだと思いました。
4136
:
a hope
:2014/07/27(日) 12:46:00 ID:cEpBaIdo
(第13巻まとめ)
この「生命の實相」第13巻の倫理篇では、「円満完全なる人格(神の子・人間)とは何か」と、「それを隠蔽する『ツミ』とはどのような事か」、そして、「まことの『善』とはどのような事か」が、とても丁寧に説明されていました。
ここの部分は、とても深い真理が説かれていると感じたので、5月から3か月かけて丁寧にお勉強してきました。
とくにありがたかったのは、第6章の「価値の本質」のオリジナルであると思われる文章を、
「驀進 日本の心と力」に見つけて拝読できたことで、より理解が深まったことです。
さらに、つづけて「生命の實相」第14巻をお勉強することで、理解を深めていきたいです。
ですが、今日は、あまむし庵さまがブログを更新されたので、その御文章をじっくり拝読させていただきます。
http://56937977.at.webry.info/201407/article_5.html
感謝 合掌。
4137
:
a hope
:2014/07/27(日) 12:49:39 ID:cEpBaIdo
(
>>4134
トキさま)
素晴らしい御文章をご紹介くださりありがとうございます。 合掌。
<<ただ簡単な好奇心とか上辺だけの慰めなんかで刑務所を訪れたり警察を訪れたりしたのでは、このように変わらないのでございます。
真実、この川島さんは、母親のような、実際に生んだ子供を愛するような気持ちで、その少年を哀れんで、夜寝ても、その子のことが心配になって眠れないくらいに真実なる愛情をもって、そこを訪れて行かれました。
そのために、この少年はすっかり人相が別人のように変わったというのでございます。
この母親のような愛情をもって他人の子供にも対されるような人。
これが本当の生長の家の人間であり、私達の誇るに足りる白鳩会員であると思うのであります。>>
「まことの愛」がどれだけ人を変えることができるかを証明していますね!
その「まことの愛」が、当時の生長の家には溢れていたのでしょうね。
他人の子を、我が子同然に考えるというのは、なかなかできることではないと思います。
この文章を拝読して宇治でたくさんの赤ちゃんと妊婦さんを救って大活躍されている大熊先生のことを思い出していました。
わたしも、自分の身近なところから真理の実践をしていきたいと思っています。
4139
:
a hope
:2014/07/30(水) 08:25:22 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます。
子供達が夏休みに入りました!!
普段は時間が取れなくてなかなかゆっくり勉強を見てあげられなかったり、
遊んであげられなかったりだったので、この時期はたくさん子供達と過ごすことができて本当に幸せです。
ところで、みなさまは、あまむし庵さまのブログはご覧になりましたか?
http://56937977.at.webry.info/201407/article_5.html
わたし自身は、その内容に感動するとともに深く自己反省することもできました。
「謙(へりくだ)り」ということの本当の意味を考えさせていただきました。
あまむし庵さまの素晴らし御文章に心から感謝いたします。 合掌。
4140
:
a hope
:2014/07/30(水) 08:32:09 ID:cEpBaIdo
みなさま
現在、このweb誌友会板では、聖典「生命の實相」倫理篇をお勉強しています。
この倫理篇には現在の「生長の家」問題を解決するヒントが沢山かくされているような気がしているので、
時間をかけてじっくりお勉強しています。
そして先日やっと第13巻をお勉強し終わったので、これからは14巻に移りたいと思います。
この巻の4章には、あの有名な『家ダニ』や『放蕩息子』のお話の「和解の倫理」があります。
あまむし庵さまもブログで自身のご解釈をご教示くださっていて、とてもお勉強になりました。
http://56937977.at.webry.info/201407/article_3.html
また、わたしは以前この掲示板での「訊け」さまのこの章に関するご発言を拝見して、
「和解の倫理」の真実に気づかせていただだいたのです。
ですので、今回はできれば「訊け」さまにも是非、このweb誌友会に参加していただいていろいろご教示いただきたいと思っています。
個人的には「生長の家」の教えを信仰していくのに、この「和解」を外してしまったらその「教え」の価値はゼロに等しいと感じています。
みなさま、本当の「和解」とはどういうことなのか、ここでじっくり考えていきませんか?
といいながらも、今回は夏休みでもありますので、わたし a hopeの書き込みはいつもより少なくなると思います。
みなさまのご参加をどうぞよろしくお願いいたします。
4142
:
a hope
:2014/08/03(日) 10:47:33 ID:cEpBaIdo
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第26回 web誌友会 案内
期間 8月1日〜8月31日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p126まで
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
4143
:
a hope
:2014/08/03(日) 10:49:07 ID:cEpBaIdo
トキさま みなさま こんにちは
第25回web誌友会は、わたしa hopeの勝手な司会で、3か月間「生命の實相」第13巻の倫理篇〈上〉をお勉強させていただきました。
そして先日やっと13巻をお勉強し終わりました。
ここでちょうど8月に入りましたので、今月から第26回web誌友会を開催という形にさせていただきたいと思います。
勝手ばかりして申し訳ありませんが、今月からは、また、1カ月期間でテキストの範囲をお勉強し終わるような形に戻したいと思います。
みなさまのご参加をどうぞよろしくお願いいたします。
4144
:
a hope
:2014/08/03(日) 10:50:52 ID:cEpBaIdo
それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
住吉大神様 住吉大神様 谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます
世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
4145
:
a hope
:2014/08/03(日) 10:57:22 ID:cEpBaIdo
続きまして、「生命の實相」第14巻 p2にあります「仏陀の聖訓」を謹写させていただきます。
仏陀の聖訓
「まことに『恨み心』をもってしては、その怨みを解くことはできない。
ただ『怨みなき心』によってのみ怨みを解くことができる。
このことは、永恒(えいごう)に易(かわ)ることのない真理である」
とは『法句経(ほっくきょう)』の第五にある仏陀の聖言である。
「恨み心」をもってしては怨みを解くことはできない、「怨み無き心」によってのみ怨みを解くことができるなどと実にきまりきったことだというような、
怒っている心は怒っているのだ、笑っている心は笑っているのだというようなあたりまえのことを仏陀は何故いったのであろうか。
これは「迷っている妄心」で「迷い」を無くしようと思っても、結局その迷いを解くことはできないものであるという真理を説かれたものである。
怨みを解くには、怨んでいる心でその怨みを解消しようと思っても駄目なのである。
「本来怨んでいない心」を出して来た時、怨みはひとりでに解けてしまってしるのである。
「暗(やみ)の心」で「暗の心」を消そうと思っても駄目である。
「光の心」を出して来さえしたら暗の心は自然に消える。
そのほかの心をもってしては「暗の心」はとうてい消えないのである。
「暗の心」は「無い」と知ったら、「怨み心」は本来無いと知ったら、もう暗の心は消えており、恨み心は消えているのである。
感謝 合掌。
4147
:
神の子さん
:2014/08/03(日) 14:02:09 ID:Lz6iJNnk
ほーぷさん、
いつもありがとうございます、閲覧させていただいていますが、
夏休みなので、ゆっくり進んでください、一か月は出かけていてここを読めないので・。
4148
:
a hope
:2014/08/03(日) 18:39:54 ID:cEpBaIdo
>>4147
神の子さん
ありがとうございます。
はい、わたしも夏休み、家族で過ごす時間を大切にしたいのであまり書き込みできないと思います。
でも、このweb誌友会は中断したくないので、いままで通り時々赤線を引いてある箇所を謹写して、
所感を述べていきたいと思っています。
みなさまも、テキストの範囲で心に響いた箇所等を紹介してくださるととてもうれしいです。
4149
:
トキ
:2014/08/03(日) 23:51:47 ID:neiIgbMA
a hope様
熱心なご投稿には本当に頭が下がります。
心から感謝申し上げます。誌友会、よろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
4150
:
a hope
:2014/08/04(月) 08:39:03 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第14巻 p3 10行目〜
「生長の家」はたんなる宗教ではなく、生活であり、家庭であり、また、いっさいでありますが、
それが生まれ更(か)わりの宗教たる一面の最も鮮やかな特色をなす一面でありまして、
個の生まれ更わりの一面があるために生活も生きてき、家庭も生きてくるのであります。
(a hope所感)
>>4149
トキさま
ありがたいお言葉に心から感謝いたします。 合掌。
上の謹写部分の文章の言わんとしていることを言い換えれば、「生長の家」を信仰していれば、つまり、三正行(聖典拝読・神想観・愛行)を続けていれば、
わたしたちは生まれ更わることができて、生活や家庭が生きてくるということですよね?
わたしはそれが、最近、実感としてわかってきているのです。
だから、このトキ掲示板で聖典のお勉強をさせていただくことも、そのわたしの「生まれ更わり」のための大切な「行」であると思って、感謝をこめてさせていただいています。
この第14巻の第1章 と第2章は、『悔い改め(生まれ更わり)』について詳しく述べられています。
これからしばらくは、テキスト内の『悔い改め(生まれ更わり)とは何ぞや』が書かれている箇所を抜粋謹写していきたいと思っています。
みんさまもよろしかったら、ご参加くださいね!
4151
:
a hope
:2014/08/04(月) 08:41:20 ID:cEpBaIdo
>>4150
訂正
個の生まれ更わり→この生まれ更わり
4152
:
トキ
:2014/08/04(月) 20:40:52 ID:FXm1V2Sw
>>4150
これはとても重要なご指摘だと感じます。
生長の家という団体に所属すれば自動的に救われるのではなくて、生長の家の信仰、
つまり谷口雅春先生の説かれた教えを実行すれば、魂の向上が正しく行われる、とい
う事ですね。
生活の中に生きる信仰とは、やはり実践を通じての魂の深化こそが、大切だという感じ
がします。
4153
:
神の子さん
:2014/08/04(月) 21:01:56 ID:I/wU8psA
破邪顕正は新潟越南教区の中内英生教化部長は酷い保身の人間だと云っています。
彼は30年ほど前に本部錬成道場で錬成を担当していた。 100人以上の参加者の面倒を総務と二人つまり三人でしていた。
その彼でさえ魂が低いというのであれば、誰が魂の深化ができるでしょう。本当に困って10日間の錬成に参加する人たちの相手をしていたのに、
魂が低いとは?
4155
:
a hope
:2014/08/06(水) 18:58:58 ID:cEpBaIdo
本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p3〜4
○本当の「生まれ更わり」というのは自覚が生まれ更わってくることであります。
自覚が生まれ更わってきて、忽然「われ神の子である」と自覚ができてくることができなければ、
肉体は何度生まれ更わっても本当の「生まれ更わり」というわけにはゆかないのであります。
○「われ罪の子」の自覚が忽然消えて、「われ神の子」の自覚に入るのが本当の「生まれ更わり」でありますが、
この「われ神の子」の自覚を得るというのは、罪を犯しながら、その罪を犯している自分を
「これで神の子だ、これで真我だ」と自慢自讃することではありません。
罪が外に犯されてるのは、まだ「われ罪の子」という偽存在(にせもの)のわれの自覚が潜在意識内に残っているからこそ、
それが具象化して出て来るのでありますから、その偽存在のわれの自覚を「神の子なり」「真我なり」と名称を付けかえてみましても、
それは何も真に「神の子」が自覚されているわけではない。
4156
:
a hope
:2014/08/06(水) 19:01:23 ID:cEpBaIdo
(
>>4155
a hope 所感)
<<罪を犯しながら、その罪を犯している自分を「これで神の子だ、これで真我だ」と自慢自讃することではありません。>>
わたしは、ここの文章に「悔い改め」の真意が表現されていると感じています。
「人間は神の子だ」という生長の家の真理の言葉を、「神の子だから何をしても許されるんだ」と解釈してしまうと、
人間は増上慢になってしまうのだと思います。
「悔い改め」とは自己反省することだと思うので、自己反省できない人は「生まれ更わる」こともでいないということにならないでしょうか?
>>4152
トキさま と
>>4153
神の子さんのご投稿に、「魂の深化」という表現があり、神の子さんは「魂が低いとは?」と質問されていますが、
わたし個人的には、人間の魂の深化にレベルなどないのではないか・・・と最近は感じています。
その人がどれだけ「実相」(神の子)を現象生活に現しているかいないかで、その人から発する「オーラ」や「氣」の状態がかわってきてしまうので、
それを客観視して魂の深化のレベルのようにとらえているのが精神世界(スピリチャル)的な考え方なのではないかと思うのです。
ですが実際には、ニセモノの我が消えて「神の子」の自覚さえ得られれば、誰でも神と同一のレベルに達することが可能なのですから、
「生長の家の教え」を信仰するということがどれだけ素晴らしいことかがわかります。
わたしは「生長の家の教え」に出会えたことに心から感謝しています。 合掌。
4157
:
トキ
:2014/08/06(水) 22:09:41 ID:yk7MqROc
>>4153
神の子様、HNをご表明下されば幸いです。
なお、「魂の深化」(進化ではない)とは、自分としては
「神の子の自覚を深くする」という意味で使いましたが、
誤解を招く表現でしたら訂正させていただきます。
4158
:
a hope
:2014/08/09(土) 18:01:33 ID:cEpBaIdo
本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p5 後から1行目〜
○われは肉体的存在だと思っていた信念が、クラリ!と一転して、わが肉体的存在は仮相であって、
そんなものは実在ではないと知って、実相そのものに新生することが「新たに生まれる」ということである。
「天より降りし者」すなわち実相より生まれた人の実相(神の子)のみが神の子であって、
その実相の自覚に入ることが本当に生まれ更わるということである、
とイエスはいっているということはすでに述べたところであります。
p6 後から4行目〜
○悔い改めよというのは、心をクラリと転向せよ、今までこれが自分であると力んでいた「自分」はそれは「本当の自分」ではなかった。
それはニセ物の自分であった、「本当の自分」は別にあった、それは「神の子なる自分」であったと悟る。
ここに完全に「われの転回(おきかえ)」というものが行われる。
これが悔い改めであり、新生であるのであります。
p7 後から6行目〜
○今まで罪を犯したということが本当に悪いとわかっているくらいなら、その報いをのがれようと思って小細工をしたり、
逃げようとしたりするものではないのであります。
その人がもし完全に悔い改め、すなわち「われの根本的置き換え」ができていましたら、
最後の審判を恐れるなどということは決してないのであります。
なぜなら「本当のわれ」というものは、火にも焼けず水にも溺れることのない金剛不壊のものだということを知ることが、
すなわち「われの完全な置き換え」すなわち「悔い改め」であるからであります。
だから最後の審判が恐ろしいようでは「悔い改め」ができていないわけで、
最後の審判を恐れて悔い改めよでは意味をなさないのであります。
最後の審判を恐れるならば、火に焼け水に溺れるような偽存在のわれを捨てて、
最後の審判にかからないところの金剛不壊の「われの実相」を求めよということになって、
初めてここに首尾一貫した「なんじら悔い改めよ」の意味をなすのであります。
4159
:
a hope
:2014/08/09(土) 18:03:23 ID:cEpBaIdo
(
>>4158
a hope 所感)
一言に「わたしは神の子です!」というのは簡単ですが、その自覚をまことに得るのはなかなか難しそうです。
その自覚は日々の修行(三正行)により、徐々に深まっていく場合もあるでしょうし、
ある日突然「われの転向(おきかえ)」が行われて「悟る」こともあるのかもしれません。
ですが、いずれにしても、その自覚を得るには「ニセ物の自分」を否定し、「本物の自分」を肯定するという「悔い改め」という行為が必要なようです。
聖典には、何度も何度もしつこいくらいに、この「悔い改め」とはどのようなことかが表現を変えて説明されています。
続けて謹写していきたいと思います。 合掌。
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