したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板

1900初心者:2012/03/28(水) 21:41:47 ID:ixiWFYoQ
さくら様

>その場合、真理、とはなんでしょうか。
では、人間にとっての、「不都合」は、真理ではないのか…
そんな疑問もわいてまいります。
私としては、真理とは何かを探求することには、興味があります。
そこに、救いや信仰は、問題にされないことと、思っております。

ある科学者が、「なぜ、科学者である自分が神をも否定する方向へ向おうと
するのかといえば、真理の追究に救済を持ち込めば、それは真理の探究とは
言えなくなるからです」と、こんなようなことを言っていました。

救われたいという思いではじめられるのが信仰であるのかもしれませんが、
わたくしはやはり、さくら様が言っておられるように「救いや信仰は、問題に
されない」とこのように考えます。

以前よりこちらで何度も引用してまいりましたが、わたくしは、スラヴォイ・ジジェク
の「私を待っているのは、私が同一化しなければならない深い真理ではなく、
私が共生することを学ばなければならない堪えがたい真理なのだ」という言葉
に、最初は抵抗がありましたが、今では感動をさえおぼえるようになりました。
たとえそれが「堪えがたい真理」であっても、真理の名に値するものであれば、
共生することを学んでもよいと、このように考えています。

宗教的真理、哲学的真理、科学的真理、これらはやはり、それぞれの立場で追究
すべきものなのでしょうが、わたくしが生長の家に身を置きましたのは、生長の家
が宗教団体の形をとっていながら、哲学的真理や科学的真理の追究の場でもある
と考えたからであり、実際にも、わたくしが在籍していた当時の青年会には、宗教的
真理以外の会話が自由にできる気風が残っていたようにおもいます。

いまでもこうした気風が残っているのでしょうか。こちらで書き込みしておりま
すと、「人間知」と揶揄されたり、「真理は生命の實相から学べ」と押しつけられたり
といったようなことがないわけではありません。いまの生長の家は、かつての時代
ほどに寛容ではないのでしょうね。こういう時期ですから仕方がないのかもしれま
せん。さくら様は組織に在籍しておられると考えておりますが、もしそうであれば、
実際の現場はどのような状況であるのか、教えていただければありがたく存じます。

1901初心者:2012/03/28(水) 21:42:50 ID:ixiWFYoQ
うのはなさま〜

ごめんなさい。割り込んでしまいました。

1902うのはな:2012/03/28(水) 21:43:21 ID:El6gIMAw
1899 つづき

 大御饌都神の仕事はアマテラスの食事の世話役だった。
だが、アマテラスは宇治の里の五十鈴川の上流に、トヨウケは遠くの丹波国に鎮座している。
これではトヨウケがアマテラスの食事を世話できず、アマテラスも不便に感じたに違いない。
そこでアマテラスはトヨウケを伊勢に呼びたいと考え、ある夜、雄略天皇の夢枕にあらわれたのだろう。
とすれば、トヨウケが山田の里に引っ越してきたのも納得がいくというものだ。

 正宮の脇には忌火屋殿という殿舎が控えている。ここは神々の料理をつくるキッチンである。
火は火鑚臼と杵でおこされる。火鑚臼という檜の板に山枇杷の木を心棒にした杵を上下に回転させて火を
おこすのだ。その火種は杉の葉に移されて炎となる。
古代人はそうやって火をおこし、今にそれが伝わる。神々の世界ではその火を「忌火」と呼ぶ。

忌火といえば反射的に忌まわしいイメージがまとわりつく。
葬式での「忌中」という言葉の浮かぶ。だが、本来、「忌」には神事に慎むこと、心身を清浄に保ち慎むという意味が
ふくまれる。「潔斎」の「斎」とおなじ意味だったのである。
だが、人は高みにいる神々に遠慮して近づかなくなった。そこから「忌」に不吉なイメージが入り込み、不幸を象徴するようになったという。
死者のために籠もる「忌中」がそうである。

 だが、神々の世界では「忌」は神聖で清浄な意味であり、忌火は清らかな火を意味し、忌火を使って神々の食事をつくる殿舎は忌火屋殿と呼ばれるようになった。
この忌火屋殿の料理長が外宮の大御饌都神、トヨウケノオオカミだったのである。
 ちなみに、内宮にも忌火屋殿があり、正殿の裏手には御饌殿もある。
ただし、御饌殿は内宮での儀式で神饌をつくるのが忌火屋殿だ。
いってみれば、内宮の御饌殿や忌火屋殿はオフィシャルな食堂であり、厨房である。

『謎とき伊勢神宮』 井上宏生 著

1903ももんが:2012/03/28(水) 22:03:12 ID:XXCuaQns
>>1902
うのはな様

うのはな様、伊勢神宮の文章面白かったです。合掌、拝。

>>12/03/28(水) 21:43:21 ID:El6gIMAw
1899 つづき

 大御饌都神の仕事はアマテラスの食事の世話役だった。
だが、アマテラスは宇治の里の五十鈴川の上流に、トヨウケは遠くの丹波国に鎮座している。
これではトヨウケがアマテラスの食事を世話できず、アマテラスも不便に感じたに違いない。
そこでアマテラスはトヨウケを伊勢に呼びたいと考え、ある夜、雄略天皇の夢枕にあらわれたのだろう。
とすれば、トヨウケが山田の里に引っ越してきたのも納得がいくというものだ。

 正宮の脇には忌火屋殿という殿舎が控えている。ここは神々の料理をつくるキッチンである。
火は火鑚臼と杵でおこされる。火鑚臼という檜の板に山枇杷の木を心棒にした杵を上下に回転させて火を
おこすのだ。その火種は杉の葉に移されて炎となる。
古代人はそうやって火をおこし、今にそれが伝わる。神々の世界ではその火を「忌火」と呼ぶ。

忌火といえば反射的に忌まわしいイメージがまとわりつく。
葬式での「忌中」という言葉の浮かぶ。だが、本来、「忌」には神事に慎むこと、心身を清浄に保ち慎むという意味が
ふくまれる。「潔斎」の「斎」とおなじ意味だったのである。
だが、人は高みにいる神々に遠慮して近づかなくなった。そこから「忌」に不吉なイメージが入り込み、不幸を象徴するようになったという。
死者のために籠もる「忌中」がそうである。

 だが、神々の世界では「忌」は神聖で清浄な意味であり、忌火は清らかな火を意味し、忌火を使って神々の食事をつくる殿舎は忌火屋殿と呼ばれるようになった。
この忌火屋殿の料理長が外宮の大御饌都神、トヨウケノオオカミだったのである。
 ちなみに、内宮にも忌火屋殿があり、正殿の裏手には御饌殿もある。
ただし、御饌殿は内宮での儀式で神饌をつくるのが忌火屋殿だ。
いってみれば、内宮の御饌殿や忌火屋殿はオフィシャルな食堂であり、厨房である。

き伊勢神宮』 井上宏生 著<<


だけど、美味しい食べ物も、本当に、自分で実際に食べて見て、初めて、自分の好みの味が分かる様に、こうした、文献も、他人の書いた物は、しょせん、他人のイメージーだから、空想の世界を出いから、実際に、行かれて、自分の五体の感覚で、味わって貰うと、より素晴らしいと、思いますよ。では、貴重な、御文章、ありがとうございました。合掌、拝。

1904八咫烏:2012/03/29(木) 04:56:41 ID:goGdBN5E
初心者様、

ボロメオの輪は、現実の組織に譬えるには、非現実的すぎると思います。
お互いに関与できないものが何の意味があるのですか。この様な平面上の不思議絵のようなものが
現実の、交流し、関与し、結び合うべき組織に対してそれを当てはめて、
その通りの状態が起きると思うのですか。

仮に要素を、信仰、救済、真理探求としても、それらが互いに関与しないわけがないのです。
この様なだまし絵のようなものを用いることは、現実の姿を正しく捉えることにはつながらないと思います。



現総裁が、今やめればやりたい事ができなくて無念だとか言われますが、
現実に組織が衰退し、人々の心を救済することもできないでいて、
これ以上何を何をやりたいのかわかりませんが、

雅春先生の説かれた根本真理をしっかりと掴むことなく、真理の探求というのは、
生長の家信徒の基本姿勢ではありえないことです。

根本真理をしっかりと掴み、中心に置けば、そこから一切が整ってくると思います。
健康な人間の体が、統一体として機能し、体中に血液が循環し、自由自在に動けるように、
組織も、第一のものを第一にすれば、自ずと秩序が整ってくると思います。

第一のものを第一にしていないから、いくら組織論を作っていろいろ試しても、
恰も脳内に障害を負った人のように、身体は機能不全になり、自由が失われていくのです。

組織論よりも前に、総裁が仮にも生長の家と名乗るからには、
雅春先生への敬愛の気持ちがあるのかどうか、そしてその説かれた
真理をきちんとつかんでいるかどうか、それがなくてはならないと思います。

それがないまま、形ばかりの継承者では、教団が衰退するのは当然のことで、
それは継承とは言わず、極端にいえば、
総裁の椅子の、非信徒による乗っ取り
であると私は思います。

大体、救済が環境問題とはおかしいのではないですか、
人の心を救わずにいて、形に現れたものを、いじくりまわすのは、
宗教が中心に置くべき救済ではないと思います。
雅春先生も、映画のフィルムを変えないで、スクリーンに写った映像を切り貼りしても
根本的治癒にはならないとおっしゃっているではないですか。

宗教の救済は、人々に自ら起つ力を与えることです。与えると言うより、自覚させると言うべきでしょう。
それなくして、宗教組織の意味が何処にあるのですか。

雅春先生の言葉が扇情的だとか何だとか、雅春先生の教えにケチを付ける前に、
何故雅春先生の教えが多くの奇跡を表し、多くの信徒を獲得できたか、
先ずそれを学ぶことからはじめるべきです。

そもそも、雅春先生とどうしても考えが違うならば、総裁を辞するのが、誠意ある態度
だと思います。

これではまるで、内閣の閣僚が、意見の合意ができてないまま組閣した民主党のようではないですか。
バラバラの方向を向いて、走りだせば、組織としての統一は失われ、機能不全が出るのは当たり前です。

1905八咫烏:2012/03/29(木) 05:40:47 ID:goGdBN5E
初心者様

今はっと思いついたのですが、ボロメオの輪で象徴されるものを思いついた気がします。
現在における、宗教、科学、芸術(この部分は芸術以外でも良いかもしれません)
これらは現在においては、お互いに関与せず独立した存在としてあると考えられます。
しかし、微妙に結びついているとも思えるのです。まさにボロメオの輪とは
思いませんか。

しかしこれらは、やがて未来においては独立したものではなく、つながったものとなるはずです。
あなたがDブレーンのことをおっしゃった時に見つけた概念で、双対性という概念をあるブログで説明していて、
非常に面白かったのですが、未来のおいては、まさにこの双対性の概念がそのまま現れるのではと考えます。

つまり、これらの輪は、それ自体がみな閉じており、内部は閉鎖空間なのに、円の内部の点がその外のすべての線に対応している
というアレです。円の外の全ての線、つまり、円の外側を埋め尽くす無限領域に、円の閉じた内部が対応しているという論理です。
とすると、宗教、科学、芸術、それらは、一見関与していないように見えて、
じつは、すべて、お互いが対応しあっている。と気が付く日が来るというわけです。

まあ、双対性を持ってくるのはちょっと違うのかも知れませんが。

しかし、双対性という理論は面白いですね。
個別のものと思えるものが、無限と対応している。しかし考えてみれば、円の内部もじつは、
無限そのものですから、個別の限定された中身も、有限と言えば有限であり、同時に無限ともいえますから、
無限と対応できるのですよね。
これって、なんか人間神の子の理論と似ていませんか。

1906ももんが:2012/03/29(木) 06:32:10 ID:XXCuaQns
神の子の皆様、おはようございます。本日も、素晴らしい、朝が、やって参りました!嬉しく、楽しく、明るく、感謝、感謝でまいりましょう!ありがとうございます。合掌、拝。


〜幸福の秘訣より〜
《この世では誰でも『幸福になりたい』と思ってる。では幸福になると、どんな心持ちにだろか。》〜
谷口清超著・『ありがとう』はすばらしいより。


さあ?皆様、誰も『幸福になりたい』のだろ?

だが、その根本の幸福とは、一帯なんであろう?
皆様、其々、お答えになられるでありましょう。
今日の私の心に残る一節でした。

それでは、今日も一日、嬉しく、楽しく、明るく、素晴らしい日をお過ごしください。ありがとうございます。合掌、拝。

1907役行者:2012/03/29(木) 07:41:40 ID:8rNkfrlI

 初心者さま

 そして、

 八咫烏さま

  
 現総裁先生と価値観がお近い初心者さまが何を目指されているか。
 たぶん、以下のようなことと憶測しました。


 煽動的な言葉によって支配された文化・文明社会から、コトバに満ちあふれた無為の世界の実現を目指されていると。


 八咫烏さま、初めまして!
 いつも的を得た名文を楽しく拝読させていただいてます。
 さて、以下の文章なのですが、


 >根本真理をしっかりと掴み、中心に置けば、そこから一切が整ってくると思います。 健康な人間の体が、統一体として機能し、体中に血液が循環し、自由自在に動けるように 組織も、第一のものを第一にすれば、自ずと秩序が 整ってくると思います 。<


 完全に同意します。


 >組織論よりも前に、総裁が仮にも生長の家と名乗るからには 雅春先生への敬愛の気持ちがあるのかどうか、そしてその説かれた 真理をきちんとつかんでいるかどうか、それがなくてはならないと思います。
 それがないまま、形ばかりの継承者では、教団が衰退するのは当然のことで それは継承とは言わず、極端にいえば 総裁の椅子の、非信徒による乗っ取り であると私は思います <


 ご自分で一から創業されたのであるなら、何も咎める理由はないでしょう。
 しかし、三代目である以上、上記で述べられておられるよう、創始者への敬愛の情、そして、根本真理の直感把握、これは必須条件でしょう。
 ちなみに、現総裁先生がそのようなお方であることを私は信じております。
 もしそうでなければ、処理することができない大きな壁が行く手を塞ぐでしょう。
 

 >救済が環境問題とはおかしいのではないですか?
  人の心を救わずにいて、形に現れたものを、いじくりまわすのは 宗教が中心に置くべき救済ではないと思います 。雅春先生も、映画のフィルムを変えないで、スク リーンに写った映像を切り貼りしても 根本的治癒にはならないとおっしゃっているではな いですか!
  宗教の救済は、人々に自ら起つ力を与えることで す。与えると言うより、自覚させると言うべきで しょう。
  それなくして、宗教組織の意味が何処にあるのですか。<


 完全同意です。
 物理的に環境問題に取り組むことは大切ですが、あくまでも第二義的なことと存じます。
 第一義的には、フィルム当体を更新することであると私もそう思います。

  

 > 雅春先生の言葉が扇情的だとか何だとか、雅春先生 の教えにケチを付ける前に 何故雅春先生の教えが多くの奇跡を表し、多くの信 徒を獲得できたか。
  先ずそれを学ぶことからはじめるべきです 。<

 
 大方、同意します。
 
 ただ、序節で申しましたが、

 >煽動的な言葉によって支配された文化・文明社会から、コトバに満ちあふれた無為の世界の実現を目指されていると。<


 本質的にここを切願されておられると思うのです。
 神武東征をお導きくださいました八咫烏さま、これからもどうか、お見知り置きを!

         合 掌

1908復興G:2012/03/29(木) 07:56:30 ID:ojEbkDH2

>>1888〜1890
ももんが様。

かなり的はずれなお返事、ありがとうございます。

>先日も言いましたが、『日本の実相』は、私の“心の眼”には既に“現れ”て観えていますが? 復興G様の、“心の眼”には“観えて無い”のでしょうか?<

『日本の実相』が、“心の眼”に“観えて無い”なら、そのようなことは書きません。
“まだ桜は咲いていない。しかし、もうすぐ桜が咲きそうだ”というのは、“(桜が)心の眼に観えている”のでしょう。

桜は、まだ全然つぼみもできていないときにも、“理念の世界”、“実相世界”にはすでに咲いていて、それを“心の世界”で観ることができます。

>それから、復興G様、大変恐縮なのですが、復興G様は?『言葉』は『人間の言葉』『話言葉』と理解していられるようで、大変残念です。<

そんなことはありません。それはあなたの誤解ですよ。

>以前、お話したことがありますが、『コトバ』は、動物、植物含めて、この、宇宙に存在する物の『音』です。
生命は全て、『音』を出します。
復興G様も、当然、お分かりなのだと思いますが。
『行い』も『コトバ』になります。<

その通りです。

>>むしろ破壊的な、悪い方向に向かっているかも知れません。日時計主義とは、問題から目を背けることではないでしょう。<
復興G様の、上の考えは、けして、“光明思想”では無いと思ってしまう、わたくし、で、あります。
私は、“生長の家誌第一号”を復興G様より年輩の地方講師の方に、頂きました。
そのアンダーラインに“日時計主義”は、生長の家の生き方と、雅春先生が、書いています。
日時計主義は、生長の家の基本と思ってます。<

では、ももんが様、その“生長の家誌第一号”の、もっと前の方に書かれている、いわゆる“発進宣言”といわれているお言葉については、どう思われますか?

 「自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。起たざるを得なくなつたのである。友よ助けよ。同志よ吾れに投ぜよ。人類は今危機に頻してゐる。生活苦が色々の形で押し寄せて人類は将に波にさらはれて覆没しやうとしてゐる小舟の如き観はないか。自分は幾度も躊躇した。起つことを躊躇した。自分は中心者として増上慢のそしりを受けることを恐れてゐたのだつた。一求道者としていつまでも謙遜でゐたかつた。併し今は謙遜でありたいと云ふことが自分にとつては安易を貪る一つの誘惑と感じられる。自分はこの誘惑に打ち克って人類を救はねばならない。自分の有つてゐる限りの火で人類を救はねばならない。……」

 というお言葉です。
 これは、日時計主義に反するお言葉ですか。最初から、日時計主義に反することを言いながら、一方で日時計主義を提唱されているのでしょうか。
 これは、「実相と現象」についてのお悟りと使命感から出たお言葉であると、私は拝誦しています。

 あなたは、『生長の家』創刊号の中から「日時計主義」のところだけを引いて、人が現象世界の危機についてちょっとでも言及しようものなら「日時計主義に反する」とおっしゃる。それは『生長の家』総裁がお嫌いな「原理主義」ではありませんか。

 桜の譬えを続けます。桜は、放っておいても自然に咲くでしょう。しかし――
 いつか、「日本の心 さくら物語」という番組を民放で放映していたのを思い出します。かつて国鉄バスの車掌だった一人の男佐藤良二が、名古屋から金沢まで260キロの道、太平洋と日本海を桜のトンネルで結ぼうという壮大な夢を描き、“この地球の上に、天の川のように美しい花の星座をつくりたい。花を見る心が一つになって人々が仲よく暮らせるように” “桜、桜、桜こそわが命” “桜の下で生かしていただける肥えとなるもの――ああ、俺は肥えになりたい。人々にすくい上げられて役に立つ肥えのような人間に” というような言葉を日記に書き綴りながら、その半生をかけて夢を実現して行く苦闘の物語でした。
 ――そういう人がいるから、この世は楽しいんですね」と、テレビでは解説していました。
 米国ワシントン・ポトマック河畔の桜も、日米親善を願う多くの人々の熱意と尽力によって実現したのです。
<つづく>

1909復興G:2012/03/29(木) 07:57:10 ID:ojEbkDH2

<つづき>
ももんが様が、前に

 >中心帰一は、寧ろ、“神様の無言の智恵”により、“自然に成されて行く”様に、私は、感じてます。<(1769)

 とおっしゃったことに対して、私は「この世界は言葉によって創られて行く世界ですから、積極的に言葉の力を駆使するのが生長の家の生き方なのではございませんか」と申しあげました。その「言葉の力」とは、むろん、行いも含みます。
 桜の例で言えば、桜の花は既に神さまの心で創造されていて、自然に咲きますけれども、太平洋と日本海を桜のトンネルで結ぶことも、バスの車掌だった一人の男の使命感と行動によって実現しました。ポトマックの桜もそうです。神の国に既にある理念を現象界に展開するには、人間が使命感をもって口でも言い、行動することが、人に与えられた役割なのではないでしょうか。

>日本だけを愛するの処から、越えて、地球その物を愛するのが、私、個人の在り方です。勿論、日本も愛し、天皇国日本も素晴らしいと、いう事も理解し、更に、日本人である事に埃を持っているから、此を越えないといけないと思うのです。<

私は、日本を愛するのは世界のためだと思います。誰も「日本だけを愛する」なんて言ってません。日本が日本らしくあることによって、世界が救われる。だから日本を愛することを通して、世界を愛するのです。

<「宗教・哲学等の価値観の異なる文化圏が接触した場合は、互ひに反撥して対立するか、一方が他方を征服して抹殺してしまうかの何れかである、従って文化を輸入することは出来ない」といった一般原則があります。この原則は古今東西の歴史が証明するところですが、この一般原則に当てはまらないのが日本の国であり日本の文化であります。
 近代の宗教一つを取上げて見ましても、仏教やキリスト教が「日本の生命」に触れた時その本来の姿を現わして「生長の家」という国家的に世界的に完成される宗教に変貌致します。
 要するに「霊(ひ)の本」から発して世界の各地で個別に華開いた思想や文化が、お里帰りをすると新しい生命に生まれ変るのであります。>
 (『理想世界』昭和51年11月号、木間敬氏)

>「“神様の無言の智恵”』に、ことに、御賛同下さり、ありがとうございます。
この事、生長の家が最先端なのでは無く、仏教でも、キリスト教でも、すでに、すでに、説かれていたのであって、別、生長の家が最先端では、ありません。久遠の昔から、説かれていた事が、最近は、たくさんの人々が、共有出来るようになったのだと、私は観ております。
谷口雅春先生の説かれて事も、素晴らしい事の、あったと思います。しかし、日本にも、世界にも、たくさんの、尊敬すべき、宗祖、祖師方が、たくさん、います。
私、雅春先生だけでなく、全ての、私の心から、尊敬すべき、祖師方に、感謝をすることが、神様への感謝と、思っております。<

 谷口雅春先生も、初期の頃、「生長の家に独自の教義はない。キリスト教よし、仏教よし、神道よし、古今東西の聖賢が既に説かれているところを祖述するだけだから生長の家は宗教ではない」というようなことをおっしゃったことがありましたよね。しかし、それらすべての教えの神髄が一つであること(万教帰一)を、理論だけではなく実証体験を現しながら誰にでもわかりやすく日常の言葉で説かれた。それによってたくさんの人々が救われ、世界平和、神の国実現への道が拓かれた。

>私、雅春先生だけでなく、全ての、私の心から、尊敬すべき、祖師方に、感謝をすることが、神様への感謝と、思っております。<

 それはもちろんですが、ここは生長の家について語っている場であるのに、ももんがさんはなぜわざわざ生長の家を他の教えと同列に並べておとしめるようなことをおっしゃるのか、理解に苦しみます。生長の家は、なくてもよかったのですか?

 きつい言葉をいってすみません。失礼の段はお許しください。

1910トキ:2012/03/29(木) 10:16:07 ID:DPgMPlSw
おはようございます。

 この「「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板 」は、残り、あと100を切りました。

 もう少ししたら、「「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板 /2」
をアップしようと思いますが、よろしいでしょうか?

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1911八咫烏:2012/03/29(木) 10:35:14 ID:goGdBN5E
役行者様

色々とご賛同の言葉をいただき、有難うございます。
大変心強く感じております。


>煽動的な言葉によって支配された文化・文明社会から、コトバに満ちあふれた無為の世界の実現を目指されていると。>

の意味が今ひとつ理解出来ないのですが、煽動的というのは、捏造や人を攻撃するような悪しき言葉のことでしょうか。
それならば、私も同意いたしますが、初心者様のレスを読んでいると、どうもそれだけではないように思われます。

初心者様は、雅春先生が扇情的な言葉をあまりに使いすぎたとおっしゃっていたと思います。
そして、実相は完全であるという言葉を例にあげて、これは何も意味していないというようなことを言われていました。
そして、言葉の力を使うのではなく、使われているとか、おっしゃっておられました。
私は、そういう意味で、総裁先生が、「煽動的あるいは扇情的な言葉」と言われているのならば、
全く同意しかねます。

またさらに、韓国人の反日的な現象に対して、神国日本という言葉を上げて、やはり煽動的な言葉
の例に挙げておられた気がします。
この神国日本という言葉は、別に外国を見下す言葉ではなく、神話の物語を国の発祥とみなし、神道という
生き方をもち、天皇陛下を戴く日本人が、祖国に限りない敬愛の心を込めて呼ぶ言い方であり、
それを否定することには、同意できません。

外国から何を言われようと、祖国の歴史を否定するような考えには反対します。

1912八咫烏:2012/03/29(木) 10:35:50 ID:goGdBN5E
役行者様

これは雅春先生の言葉というわけではないものの、総裁先生は、おそらく、
雅春先生の愛国の教え、愛国の真理に反発しておられる気持ちの現われであろうと思います。
谷口雅春先生は、戦時中か戦前に、天皇一元論とでも言うような思想を発表されています。
また神示にも似たようなものがあった気がします。
これを総裁先生は、煽動的だという位置づけで捉えておられるのではと推察します。

これは信徒の中には理解出来ない方も多くいると思います。
しかし、雅春先生のご著書を読めば、実相哲学と一体をなすものであり、
実相の金波羅華世界をさらに詳細に説明したものとも言えるものです。

谷口雅春先生は、言葉の力をよく知っておられ、言葉を大切になさり、
また言葉を慎重に使われるような、非常に細かい神経を使われる方だと思います。
人を鼓舞するために力強い言葉を使われることはあるでしょうが、それはその人の
実相を引き出そうとして使われるのであり、扇動するために使われるのではありません。
細やかな心遣いをなさる雅春先生が、単なる偏狭な愛国心からのみ、
天皇一元論を唱えられるはずはないのです。
また誤解を生むかも知れないとわかっているのに、敢て言われるわけがないのです。

それは雅春先生の悟られた真理に基づくものだから、発表されたのです。
これを、未だ悟りを深めたともいえない段階の人間が、軽率に判断して、
「ここは間違いだ」とするのは、傲慢も甚だしい勘違いだと思います。

燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや

とはこの事だと思います。

仮にも雅春先生の弟子であるならば、先ず理解しようとすることからはじめるべきで、
最初から、間違いと判断するのは、おかしいのです。

それから、この雅春先生の思想と瓜二つの思想が、杉本五郎中佐の思想です。
お二人は全く交流もなく、それぞれ独自にその思想に到達されたと思われます。

杉本中佐は、禅に打ち込まれ、猛烈といっていいほどの修行をされた方ですので、
おそらく、そうした行の中から到達された部分もあると思われます。

御ふたりともいずれも戦前の同じような時期に、その思想を発表されたのではと思うのですが、
これは、時機を同じくしており、
似たような発明、発見、あるいはそうした思想の発表というものは、
『生命の實相』の霊界篇を読むと、高次の霊界からの啓示の放送であると書かれています。
私は、御ふたりとも啓示を受けられての思想であると思います。そしてその掲示を受信できたのが、
このお二人であろうと思います。もしかしたら、隠れた受信者はまだいたかも知れませんが。

とにかく、私たちは、先ず無条件に雅春先生の教えを学ぶべきではないでしょうか。
わからなければ、分かるものから学んでいけばいいのであり、わからないからといって、
それを排除するというのは、おかしいのであり、たとえそれを自分が拒否するにしても、
総裁先生のように、信徒全員にそれを求めるのは、間違いだと思います。


それから、言葉に満ちあふれた無為の世界という意味が、ちょっとわかりません。
言葉に満ちあふれているのはけっこうだと思いますが、
無為とは聞きなれない言葉であり、生長の家ではあまり聞いたことがないのですが、
老子の言葉として、学校で習っただけです。

どうも無為、無為自然というと、何もせず、というイメージが先行するのですが、
どういうことでしょうか。

生命は静というよりも、本質的には動であると雅春先生はおっしゃっておりますが、
どうも、無為とは必ずしも悪くはない気もしますが、何かイメージが生命的な強さから
遠ざかるのですが。
ご教示願えればと思います。

ご挨拶が最後になりましたが、今後とも宜しくお願い申しあげます。

1913八咫烏:2012/03/29(木) 10:40:31 ID:goGdBN5E
訂正します。
掲示を受信→啓示を受信

1914志恩:2012/03/29(木) 11:05:22 ID:.QY5jUA6
トキさま

信仰/体験②,私は,賛成です。
中味の濃いディスカッションが、おこなわれていますので。
反対される人は、居ないでしょう。
よろしく、おねがいします。

1915a hope:2012/03/29(木) 12:06:35 ID:kcv2QXTk

トキさま

わたしは、この信仰/体験板で、たくさんお勉強させていただいています。
今も、大先輩方による素晴らしいお話合いがされています。
志恩さま同様、「「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板 /2」
のUPに賛成させていただきます。
よろしくお願いいたします。

1916役行者:2012/03/29(木) 12:31:19 ID:8rNkfrlI

 八咫烏さま

 どうやら、大先輩ですね。
 付け焼き刃的な文章ではありません。
 どうか、今後ともよろしくおねがい申し上げます。 
 それから、返答してくださった内容が深いし、いま少しせわしいので、時間をかけゆっくり返答させていただきます。ご了承ください。まずは!


 >言葉に満ちあふれた無為の世界という意 味が、ちょっとわかりません。 言葉に満ちあふれているのはけっこうだと思います が 、無為とは聞きなれない言葉であり、生長の家ではあ まり聞いたことがないのですが、 老子の言葉として、学校で習っただけです 。どうも無為、無為自然というと、何もせず、という イメージが先行するのですが 、どういうことでしょうか 。生命は静というよりも、本質的には動であると雅春 先生はおっしゃって
おりますが 、どうも、無為とは必ずしも悪くはない気もします が、何かイメージが生命的な強さから 遠ざかるのですが ご教示願えればと思います。<


 まず、コトバと、カタカナで書かせていただいたのは、これは、聖書に示されている、はじめにコトバありき!のそのコトバから引用したためです、つまり真理のことです。
 実相と繋がった生命溢れる躍動している状態を述べました。


 ご察しのとおり、老子の無為自然です。
 有為(うい)に対しての無為で、計らい、作意策略、人間的な浅はかな知恵ではなく、実相に繋がった叡智溢れた状態であり、静寂でありながら、躍動した状態であると存じます。
 例えて云えば、コマが完全燃焼して回っているときの静寂さと思ってください。
 
 私が個人的に、老子を敬愛しておりますので、このような表現になってしまいました。
 特に他意はありません。 
 間際らしい表現をしまして、失礼しました(^_^;)

 取りあえずここからで、少しずつ返答させていただきます。

        合掌 再拝

1917春らんまん:2012/03/29(木) 12:43:35 ID:vLOCSedM
合掌
ありがとうございます。

役さまが以前、"国家神道には違和感がある” と書かれていたことを思い出しながら、
ある練成会終了時(閉会式)に”天皇陛下万歳”の奉唱を頼まれた練成参加者さんが、
「天皇陛下万歳って、戦争中に繋がる感じで、なんとなくイヤなんだけどね。。」と周囲に漏らされていた言葉と重なり、
年代の違いというか、
明らかに"先入観が邪魔して”⇒素直に”天皇国日本”の素晴らしさ、が伝わっていないのかなぁと、残念に思いました。

「国家神道」というものは、 ”なかった” のですよ。

(国が国民に、神道を絶対のものとして押しつけた、とか、神道以外の"宗教”を禁止した、というのは、虚偽です)

明治政府は国家の”道徳規準・模範”に近いものとして、神道を選びましたが、国民に"強制”したというものでもなく、また、各神社は”教化活動は禁止”されていました。
(↑ 仏教各派は、これを歓迎しました)
また(教派神道は別です) “教義”というものを明確にしませんでした(これは、教条主義に陥る可能性を避ける意味で賢明なことだったと思います)。


尊師のお説き下さっている”天皇国日本”や、愛国の情理は、”日本だけを愛する”という偏狭なものでなく、八紘一宇の精神で”すべての国の人々を、包む”という、
本来の大和精神を仰っている、と理解しています。
一部・軍の指導で、他国に天照大神を祭る神宮等を創建することに、神道界は”反対”していました。
”そこ其処の国・民族の元来の信仰対象を祭った神社を創建すべきだ”と。

日本の精神文化の中枢が、”御皇室”と”神道”である、と開戦以前から日本の解体を研究していたアメリカ側は、このことを良く理解していました。
戦争に積極的に協力した仏教諸派はさほど弾圧を受けずに、苛烈な神道指令を出し、全国の忠魂碑を倒して回った所業は、鬼畜の名にふさわしいと思いますが、
彼らは”日本の強さの根源""日本の素晴らしさの源”が、これにあると分っていたから、徹底的に”悪者”にしたのでしょう。

“天皇制と国家神道が、戦争への原動力となった”のプロパ(←言い方としては、悪意に満ちたものだけど、一面では真であることは認めます)は、
今の若い世代(30歳以下?)は、脊髄反射で信じている人は少ないと思いますよ(ネットが出来る環境の人とか)。
⇒ここから導かれる結論が <だから、日本は悪かった>
で思考停止しておらず、
⇒<だから、日本を立て直すには、ここに重要な鍵がある>
と、発展させれば、

尊師の御教えは、更に世界に広がっていったのだと、考えます。


21世紀は、日本の時代と言われています。
日本の、”なにの”時代なの?
と聞かれれば、”文化力”と一般には言われていますが、 これは”日本の霊性”の時代、というべきものと思います。

ブラジルで招神歌を禁じた事を怒り、抗議された方たちは、
”ブラジルの教勢の拡大の背景には、日本の霊性の高みに倣いたい、という心情が強く働いた”という趣旨の事を言われておりました。
各国の”スタイル”は、尊重すべきですが、”教えのかたち”まで変えてしまうと、全然意味をなさなくなってしまいます。
“招神歌で神様をお呼びしていないところに、救いがありますか?”と、ブラジルから来日された幹部の方は、仰いました。

全く、その通りだと思います。

再合掌

1918初心者:2012/03/29(木) 12:50:55 ID:ixiWFYoQ
八咫烏様

>>1904
宗教を理念で説明するのであれば、たしかに八咫烏様のおっしゃるとおりで
あるのかもしれませんが、実際の活動では、真理と救済とを結びつけなければ
ならないとする思いが、むしろ神経症的ともいえる呪縛となって、活動自体の
継続を困難にしていたという印象があります。


>>1905
双対性ですか。たしか集合論にありましたね。ラカンも、晩年には双対性の概念を
もちいてみずからの理論を説明していたといいます。

集合論のなかでも、双対性やフィルター理論は、真理を考察するにあたって
役に立ちそうな分野と考えております。Dブレーンもふくめて有用な考察を
書き込んでいただければ、学ばせていただきます。

いずれにしましても、役行者様もお気づきのように、八咫烏様は、わたくしが
相手にできるようなお方ではないと理解いたしました。

1919八咫烏:2012/03/29(木) 13:29:48 ID:goGdBN5E
役行者様

ご教示有難うございます。
学校で習った時にも、いろいろと先生が説明していたのですが、人間のはからいをなくして、という
よさそうなことも説明されていました。老子は孔子を批判しながら、本当はとても期待していただの、変に雑談的な
話の方を覚えていて、また竹林の七賢だの、仙人だのと、まさに何もしないという
イメージが強く残ったものですから、どちらかといえば、いい印象がありませんでした。

しかし、静寂でありながら、生命が躍動している状態という説明ですと、実相世界のようであり、
地上天国をめざすと考えていいわけですね。

それから、私は若くはありませんが、大先輩ではありません。
何しろ、青年会には、大学二年の時に、生学連の練成会に参加したのが始まりですが、
卒業後もほんの少ししか活動らしきものはしませんでした。
生学連の運動があまりにも魅力的だったので、
青年会運動には馴染めず、なんとなく脱落した感じです。

大学生錬成で学んだことは多く、またその頃沢山ご著書を読みました。
安藤先生の講話などとても感動しましたね。戦中戦後の歴史は、
森田先生の講話のお陰で、しっかり頭に入りました。毎回涙涙の感動でした。

しかもその頃、先輩に勧められて、生長の家以外の本もたくさん買いましたが、
読み終えてない本が今もあるという状態です。
なぜか、日本霊異記まで買っているのですが、いま見て何でだろうと思うのですが、
先輩は、きっと理由があって勧めたのでしょうが、さっぱりわかりません。

最近日本の危機を感じ、少しでもお役に立とうと、保守系のブログを書いていますが、
そのため、それらの本を今一度読み直すことが多く、
まるで初めて読むような気分です。実際初めてのもあるのですが。
お陰で、少ししっかりと頭に入ったというところです。

つい自己紹介的な話を長くしてしまい、申し訳ありません。
ということで、大先輩というイメージはお取り消しください。


杉本中佐の話は、最近森田征史先生が書いておられるのを読んだだけなんです。
まあ、いわば全て受け売りといったところでしょうか。

1920志恩:2012/03/29(木) 14:10:46 ID:.QY5jUA6
八咫烏様

私も,皆様と同じく、八咫烏様は、大変優れたすばらしいお方で、ただものではない、という印象を書き込みのご文章を読めば読むほど、感じております。

「今の教え」と言われている 雅宣総裁が総括・指揮している、今の、全生長の家では、雅春先生時代には、当たり前の如く、ご講話や
著書で説かれていたような

「愛国心」「神道」「天皇国日本」なる、生長の家の教えの神髄である最重要な部分が、禁句になってしまったと、多くの
生長の家のお仲間から、嘆く声を聞いて参りました。

九州総本山では、「大日本神国観」も禁止になってるそうなんです。

春らんまん様が、練成会をに(多分、指導的お立場で)参加された折りに、実際に参加者の声を,聞かれたような状況になっております。

私が、大昔、高校時代,飛田給高校生練成会に夏休みに参加したときは、徳久克己先生、菊地藤吉先生、加藤英太先生など、愛国者の先生のご指導があり、愛国心の基本となる
ご講話が満載で、練成後、私は、筋金入りの愛国少女に変身していました。

夏休みが終わり、学校側が主催した学校での弁論大会に出場したときは「天皇を愛し、祖国を愛そう」という、当時では,あり得ない、
べらぼうな題で、全職員、全生徒の前で、講堂で、演説したことがあるくらいなんです。

でも,その題でしゃべった私のことをバカにする人は、誰もいませんでした。
3位に入賞したのは、そのときの、審査員である教師の方々の胸の内には、しっかりした祖国を愛する気持ちが、潜んでいたからだと、思います。

私の少女時代も若き時代も、左翼主義が、進歩的文化人だといわれていたのに。天皇のことは「てんちゃん』て、社会科の先生が呼んでたのに。それでもです。

本題が、あとになりましたが、八咫烏様のご文章を拝見していますと、
いま、生長の家では、誰も、教えて下さらない

「愛国心」「神道」「天皇国日本」このことにも、すごくお詳しいように推察できます。

もしも、お願いで来ますれば、ここの掲示板は、世界中の生長の家の信徒の方々が、ご覧の掲示板ですので、「神道」のことでも、日本のすばらしさでも、なんでも
いいですから、お時間のあるときに、、、少しづつで、いいですので、書き込みとは,別に

【聖典】板が、出入りが少ないですから、あそこへでも、少しでいいですから、書き込みをお願いしたいのですが、決して、
急ぎませんので、ご存知のことを、教えていただけませんでしょうか。

1921志恩:2012/03/29(木) 14:38:04 ID:.QY5jUA6
八咫烏様

上記の、私のぶしつけで、勝手なお願いですが、おいそがしくて、無理だと思われたら、されなくても大丈夫です。
私は、さっぱりした性格なので、すぐに忘れますから。

1922八咫烏:2012/03/29(木) 14:46:48 ID:goGdBN5E
初心者様

実際の活動というものが、具体的にどのようなものかがわからないので、
お応えしかねるのでありますが、
環境問題ならば、既に申しましたとおりであります。

真理と救済を一致させねばならないとする神経症的な呪縛と言われましたが、
では、一致させればいいだけなのではないでしょうか。

何しろ現在の活動というものを全く知らないので、どうも想像ができないのです。


ところで双対性ですが、なんとなく双対性の理論は、
人間神の子の哲学がまるで、眼に見えるような図に現されたような感動ですね。
なんというか、無とか空というものについて考えさせられますね。

ところで、この双対性を説明してくれたブログ主が、双対性に関連して、
「物の見方の視点を変える」ということで、書いておられる文章を紹介します。


【ここに一匹の猫が寝ていたとしましょう。
 この猫は、自分という境界の中、独立した一個の生物として、ここにいます。

 そして、ニンゲンの眼差しが、「きゃっ、かあいーっ」と、その猫に注がれます。
 でも、この猫が猫として在るためには、色々なものが必要です。
その中の一つに、空気があります。息ができなければ猫は死にます。
でもそれ以上に、重力に引かれて地球全体をおおっている膨大な大気としての空気が無かったら、
息をする以前に、猫の形はすぐにはじけ飛んでしまうでしょう。
普段の生活の中でいつも体が触れていながら、特に抵抗も感じず当たり前の存在としてそこにある空気。
 
猫を図としたら空気は地、いや、実としての猫とそれを成り立たせている虚としての空気。
これはなかなかすごい眺めだと思いませんか。
 
でも、ニンゲンの眼差しは、ひとかたまりの中身の詰まった猫という生き物に注がれ、
からっぽに見える空間は気にかけてもらえません。
ちょっと空気がかわいそうです。

 私がこんなことを考えるきっかけを与えてくれた人のひとりに、詩人のまど・みちおさんがいます。
私はどちらかと言うと理科系のためか、今まで詩を読んでもあまり感動したことがなかったのですが、
がぁるふれんどにまどさんの詩集を見せられたときはショーゲキを受けました。

 まどさんがニンゲンや生き物や物質をみるときの眼差しには独特の深さと優しさがあります。

 ところで、双対性という数学の概念を知った時もビビビッときました。
例えば、円の中の全ての点と円の外の全ての直線を対応付け、
両者に対する見方をを双対性の観点から入れかえる、というようなことです。 】

非常に面白いと思いませんか?

猫という一匹の生き物がそこにいる。ところがその存在は、
その周りの上下左右前後すべての領域の存在によって成り立っていると
言えるのです。個とは切り離されたもののように見えて、実は周囲と繋がらなくては
存在できないのです。
もちろん、人間は一人では生きていけないだとか、道徳的観念でそのように考えることはありますが、
これが双対性という数学的理論の中にもあったということが、なんかすごいと思いませんか。

1923志恩:2012/03/29(木) 15:02:10 ID:.QY5jUA6
八咫烏様

他の板を今、見ましたが,今は、大転換期の、大事なディスカッションが,盛んに行われていますから、
ディスカッションのほうを、優先してお願いします。

天皇関係は、あとで、できたらで。できなければ、それで。に、させて頂きます.

1924役行者:2012/03/29(木) 16:22:14 ID:vgFBQwKE

 八咫烏さま

 そう、そう、です。
 杉本中佐が出てきたので、ビックリしたのです。 

 >大学生錬成で学んだことは多く、またその頃沢山ご 著書を読みました。 安藤先生の講話などとても感動しましたね。戦中戦 後の歴史は 森田先生の講話のお陰で、しっかり頭に入りまし た。毎回涙涙の感動でした 。<

 ということはお二方の先生より年下ということで・・勝手に承りました(^_^;)少し、安心です!

 どちらかと申しますと、あまり若かりし頃、生長の家にあまり縁がなく・・・タイムマシーンで遡れるものなら、是非、拝聴したいものです。


 それにしても、日本霊異記までもですか、そのような方面からの歴史の捉え方、そして、現代に及ぼす影響というものを考察するのも、私も変わり者ですから結構好きです。

 そうですよね。
 日本の危機です。
 何かが狂ってきてますね。
 取りあえず、掲示板をとおして、おおいに語り合えればうれしいです。
 
         合掌 再拝

1925八咫烏:2012/03/29(木) 16:42:53 ID:goGdBN5E
志恩様

有難うございます。

志恩様が私のことをそのように評価くださるのは嬉しいのですが、
実際のところ、信仰面では、私は大したことはないのです。だから、忍耐力もなく、
運動からも離脱してしまい、日々の生活も全く生長の家信徒のかけらもないほどの
現象ばかり見た生活を送っていました。

志恩様が、高校で天皇を敬愛すべきという演説を行われたということを聞き、
志恩様こそ、本物の生長の家信徒であると感じました。

私の場合、本を読んで、知識はある程度詰め込んだのですが、知っているに過ぎないのです。

ところで、天皇関係は、かなり生長の家でも本が出ていますから、
それを引用すればいいのではという気もします。『天皇、日本の命』とか
『天皇国日本』とかはどうでしょう。

私はいろんなブログを見ましたが、実に素晴らしいブログが沢山ありますね。
わたしより、はるかに素晴らしい感動するようなものがあり、
わたしもそれらを転載することが多いですが、
転載ならば、すぐに出来ると思います。そういうのを適当にみつくろって、
貼るのはどうでしょうか。

とりあえず、考えておきます。

1926志恩:2012/03/29(木) 17:11:17 ID:.QY5jUA6
八咫烏様

お返事、ありがとうございます。
若いときは、若気の至りってのが、ございまして、、怖いものシラズで、自分以上のことが、出来てしまうものなんですね。
今は、私は、老齢になりましたので、あの頃とは、別人のように、てっきり気弱になりました。

畳の部屋で、どなたかと向き合ってお話したら、きっと、私は、畳のへりをむしっているかもしれません。
それくらい,今は、しおらしい女になりました。(ウソです)

天皇関係、その他のこと、転載で、充分です。
ここをご覧の皆様の、良き啓蒙になると思います。ありがとうございます。

私は、ここの掲示板で,最近になってから、ここのお仲間の、如月様というしんせつなお方に、転載、貼付け方法を
教わったので、それが、ことのほか便利なものですから、最近は、めったやたらと、貼付けをしまくっております。

あまりやり過ぎると、「またか!」と、皆様に、うざがられて、私の方が、皆様から磔(はり)つけの刑に処せられる勢いで
ございます。

なにか、ためになるブログとか、見つけられましたら、転載して下さって、教えていただければ、ありがたく存じます。
気が向かれたときで、結構ですので、それでは、よろしくおねがいします。

1927ももんが:2012/03/29(木) 21:34:43 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子の皆様、こんばんわ。合掌、拝。

体験談〜

今から、十五年くらい前のお話になりましょうか。

千葉の某病院の仕事を、していた時の、お話です。

AIDSの特別室を改修する事になり、改修をして、工事も一段落して、一週間程たった日、その部屋に、一人の、若い女性が、入院してきました。

扉の具合が、少し良くないので、点検に行く事に、私が成ったのですが、その部屋は、AIDSの特別室で、実は、その部屋に入った患者さんは、”余命が無く“、本人は知らないので、それらしい事を、言わないようにと、病院から、硬く、言われいました。

もう、死ぬかも知れない人間と、知りながら、仕事をしなければならない、自分に、何とも云え割り切れない、気持ちが、心の何処かにありましたが、患者には、知らぬ素振りで、坦々と仕事を終わらせて、引き上げました。

数週間後、彼女は、亡くなり、霊安室に行きました。


この、病院での仕事は、色々な、体験をさせて、頂き、私にとっては、貴重な、仕事場でした。

関係ありませんが、放射性廃棄物の部屋で、数時間仕事を毎日したのも、この病院での体験談の一つです。


人間の生と死。改めて、色々と、思い描くものです。


皆様も、AIDSやエボラ出血熱などには、ならないと、思われますが、おきおつけください。ありがとうございます。合掌、拝。

1928ももんが:2012/03/29(木) 22:15:02 ID:XXCuaQns
トキ管理人様


トキ様、こんばんわ。合掌、拝。

教団のことで、お忙しい事と、思います。


さて?


トキ管理人様、三木内閣の時の、稲葉法務大臣 を、どの様に、思われていますか?


是非教えいだだきたい。


宜しくお願いします。
忙しいところ、あいすいません。

感謝敬白、合掌、拝。

1929八咫烏:2012/03/29(木) 22:32:47 ID:goGdBN5E
初心者様

>>1904
>宗教を理念で説明するのであれば、たしかに八咫烏様のおっしゃるとおりで
あるのかもしれませんが、実際の活動では、真理と救済とを結びつけなければ
ならないとする思いが、むしろ神経症的ともいえる呪縛となって、活動自体の
継続を困難にしていたという印象があります。>

先程は、真理と救済を結べつければいいことではないかと書きましたが、
これは、あまり考えることなく書きすぎたと反省し、少し考えてみました。

雅春先生の時代は、愛国運動があり、これは国家の救済ではありますが、
個人の救済ではなく、信徒によっては、宗教的な活動に見えない人もいたのではないかと
思います。たとえ愛国心を持っている人でも、当時は、宗教は政治に関与しないというのが、
なんとなく世間の不文律になっていた時代です。しかし、それでも大抵の信徒は素直に従ったのです。

これと今の運動とを比べるのはどうかと思いますが、あの時には、皆素直に従ったのに、
今は、従わない、あるいは、いやいや仕方なくやるので、全く効果がない、ということでは
ないかと思います。

私は最近、物理法則は物理のみならず、人間の全ての活動にも、当てはまると
いう気がしているのです。
そこでこれを物理学的視点で見てみると、
これは、組織における求心力の低下であると思います。

組織は求心力と遠心力のバランスが保たれなくては崩壊すると考えます。
求心力とは、トップヘの忠誠心ではないかと思います。遠心力とは、活動の意欲です。


組織は求心力が強い時には、活発に外に向かって働きかける遠心力も強いのです。
即ち、活動意欲があるということです。
忠誠心があれば、人間は、よく働くのです。
しかし、忠誠心がないと、そこに不満がすぐに出やすくなり、疑問がすぐに湧きます。
要するにトップを信じる心が薄いので、活動することがほんとに正しいのかとか、このやり方はどうだとか思うのです。
トップを信じる心が厚いと、少しくらいわからなくても、トップの方針に全託する心があるのです。全託して誠心で活動しようと思うのです。

それから、初心者様とさくら様が話しておられるのを読みましたが、
最近は、真理以外の事を話すことができないと言われていました。
またすぐに人間知と揶揄されると。
(この、人間知と揶揄されるというのは、私のことでしょうか。私が人間知と
いい、初心者様と同じく人間知で思索するなどと、書きましたのは、初心者様が
それ以前の書き込みで、「自分は基本的に、真理は人間知で語るべきだと思う」
とかいう意味の事を書かれていたからです。初心者様はむしろ
人間知がお好きなのだろうと思い、だから敢て私も人間知という言葉を
使ったのであり、揶揄するつもりで使ったのではありません。)

さて、私が大学生の頃は、皆自由に色々な話をしておりました。それが今は、
そういう窮屈な状態になっているのは、やはり求心力の低下であると思います。

求心力の低い時には、活動は小さく縮こまるのです。ちょっとでも動きの揺れが大きいと、
遠心力で、糸の切れたように飛んでいってしまい、組織が崩壊するのです。
あるいは余計なことはしないようにしないと、遠心力で飛ばされてしまいかねないのです。
だから、忠誠心を超えて、それ以上に活動意欲のある人は、求心力はそれを支えきれずに、
その人は、外へと飛んで行くのです。
そして飛ばされないようにと思う人は、組織活動は、余計なことをせずに、最小限の動きになるのです。

ところで、古来より、日本は求心力の強い民族でした。だから遣唐使の頃は、
当時の遭難の多い船旅で、命がけで外国の文化を持ち帰って、日本の役に立てようと
進んで留学したのです。そして幕末明治の頃もそうです。外国を知るために、
幕府の禁制を犯しても行かなくてはと、吉田松陰などは思ったのです。
明治になってからも、日本人は支那人と比べても、海外へ留学を希望する人間が多く、
そうした国は日本以外になかったそうです。皆日本のために、
列強の植民地にならないように学ぼうと、出かけたのです。

共産国家などはこういう場合、海外に出たら、そのまま本国に戻らないで、トンズラするケースが
多いですが、こういう求心力の弱い国は、外に出したら、糸が切れて戻ってこなくなるから、
よほど慎重に見張りをつけたりしなくてはなりません。

とにかく組織は求心力と遠心力のバランスの上に成り立っているといえるのです。
だから組織活動は、盛んにしたければ、求心力を増せばいいのです。
求心力をまさずに、活動意欲だけが高まれば、組織は崩壊するのです。

だから、つまり、総裁先生が求心力をお付けになればいいのです。

1930さくら:2012/03/29(木) 23:35:45 ID:tPVxKQcE
八咫烏様

横レスになります、失礼いたします。
活動に関しましても、根本的な的確なご指摘をしていただいていらっしゃり、
大変勉強になります。

>組織は求心力と遠心力のバランスが保たれなくては崩壊すると考えます。
求心力とは、トップヘの忠誠心ではないかと思います。遠心力とは、活動の意欲です。

トップの忠誠心、組織において、これは大変たいせつな要素と思っておりますが、
人につくものでない、といわれる、み教えはどのように考えたらよろしいでしょうか。
たしかに、雅春先生のような、いわゆる「カリスマ」がいらっしゃれば、このような問題はないと思いますが、
人が変われば、バラバラになる・・このようなことを繰り返すことが、
宗教団体の姿として合ってよいのか、疑問があります。
わたしは、生長の家に入りましたとき、人のことを、とやかく責めてばかりいた方に、
尊敬する先生が、
「信仰の道はね、一人の道なんだよ、人じゃないんだよ。一人で歩いて、一人で目指していくものなんだよ。」といわれているのを聞いて、これは、ずっと心に残している言葉の一つです。
こっちのトップが信頼できるからこっちに入る、どっちに入る、
それは自由ですが、人につく、信仰のあり方を疑問に思ってしまいます。
たしかに、団体においては、トップの人格や資質が問われるべきです、
しかし、それによって、各人の信仰の基盤が崩れるのは、おかしいと思っています。
ですから、トップが変わればよい、ということには、すぐに賛同できずにいます。
トップの方針が、なぜこのような独裁的なものとしてまかり通る組織なのか、
そのことを知りたいと思っていました。

このような柔軟性のない硬直した組織になったのは、どこに原因があるのか、
もっと・・なんというか、本質的なことを知りたいとそんなことを思っています。

活動の意欲、ということで言えば、組織の内部では、
はっきり言って、停滞していますが、
でも、仲間で話していると、何ができるか、考えようとする力を感じています。
地味な活動ですが、組織内でできないことは、
外に向かってやっていこうともしているし、考えていこうとしています。
組織を崩壊させない遠心力・・とはどんなかたちでしょうか。
これは、良心の発露の自由を認めながら、
全体として生かし合っている・・なにか、そんなかたちだと思うのですが・。

今の組織に魅力がないのは、トップの方針の他に
なんなのか、もっと根本的なことが知りたい、このように思っておりました。


ぶしつけに、言葉をおかけしまして申し訳有りません、、
また、お話、楽しみにしております。

1931志恩:2012/03/30(金) 05:51:05 ID:.QY5jUA6
さくら様

私の、ささやかな経験をお話させていただきますが、
私は、結婚をきっかけに、本部を退職(夫の会社と休日が違うので)しまして、結婚後は、新たな職場に就職しました。(夫と共働き)
①小さい貿易会社。
その後、②建築設計事務所(経理事務員として入社。本部では、経理はしてなかったので著書による独学で経理は勉強)に転職、これらの一般会社で働いていた経験が、あるのですが、

この2番めに就職した、建築設計事務所には、赤字決算が続いている時,私は、入ったんです。そして、途中で、私が居た時に、社長が、変わったんですよ。
今度は、すごく、人望のあるいい人が,社長になりましてね。そうしましたら、新社長は、今までやって来た事を、全部見直しまして、前の社長は、えばりんぼうでしたが、
新しい社長は、厳しさはある人でしたが、皆さんの意見を聞いて下さる人で、

社員のやる気も,全然変わってしまいました。私も,会社へ行くのが、楽しみになりました、私は、経理事務でしたから試算表も作成していたんですが、決算も、黒字に変わりました。

私は、トップが大事だ。トップが,大事だと,今まで言って来ているのは、一般の会社だったら、トップ次第で、こんなにも会社の雰囲気や、方針が、がらっとよくなることを、身をもって
体験しているからです。

別に、カリスマでなくても、いいのです。人望さえある人なら。それと、トップをサポートする、トップの右腕になる人材もすごく大事ですね。
それでも、生長の家は、宗教組織だから、トップは,変えるシステムがないとすれば、

雅宣総裁は、楠本先生が健在でおられるうちに、一般信徒は、いれないで、訊け君とでも二人で、一信徒として、宇治を5日間でも
借り切って隠密に、しっかり、練成をうけられてみられたら、いかがかと存じております。

それでもって、生長の家の教えに心から納得するものがあり、大反省し、敵だと思ってた人も受け入れられるような別人格に変わることができましたら、それはそれで、すばらしいし。

しかし、それでも、尚、生長の家も嫌い、雅春先生も嫌いだというのなら、無念でも、生長の家を離れて、おやりになりたい環境問題団体を自ら創設されたほうが、ご本人にとっても
吾々信徒にとっても、真っ当なことでは、ないでしょうか。
      
                          〜つづく〜

1932志恩:2012/03/30(金) 06:41:00 ID:.QY5jUA6

さくらさん曰く >自分が、人を とやかく責めていたときに

尊敬する先生が、「信仰の道はね、一人の道なんだよ、人じゃないんだよ。一人で歩いて、一人で目指していくものなんだよ」と
言われるのを聞いて、これは、ずっと,心にのこしている言葉です<

と、あんに、おかしいことをおかしいといってる人間に対して、「あなたがたは、トップを責めてるけど、信仰とは、トップが、どうだらでなく、自分一人の問題じゃないの」と
言ってるように聞こえますが、

「信仰とは、自分一人の問題だ」というのは、合ってると思いますよ、ただし、それは、自分だけ信仰のおかげで、幸せに生きてりゃいいのだ、という人だけに当てはまる言葉だと思います。
今は、世の中、年に3万人も自殺者が出ている。うつ病患者もいっぱいだというときに、自分だけ個人で信仰してればいいのか、そんな個人だけの力では、たかがしれてるでしょ。
国の問題もあります。

生長の家は、3代目になってから、本来の使命である、国家のことや個人救済運動を、今のように、組織から抹殺して、怠っているから、やってないから、ますます自殺者がふえてるんじゃないですか。

さくらさん曰く >団体においては、トップの人格や資質が問われるべきです。しかし、それによって、各人の信仰の基盤が崩れるのは、おかしいと思っています>

 信仰の基盤が,崩れるというより、トップにより、教えの神髄が、骨抜きにされて、コマでいえば、心棒を抜いてしまってようなものですから、生長の家の基盤そのものが、崩れているんです。
 それによって,崩れるのはおかしいといっても、崩れるのが、法則だからです。

さくらさん曰く >このような、柔軟性のない硬直した組織になったのは、どこに原因があるのか、>

 それは、ひとえに、組織のトップである総裁の、硬直した考え方、指揮のやりかたに原因があります。

さくらさん曰く>「組織を崩壊させない遠心力は?」< ということですが、まず、てっとり早い方法は、求心力、遠心力のない今の総裁を替える事。
人望のある人、皆がこの人のためならと、信頼できる人が、トップになれば、
自ずから、求心力も遠心力も、戻ってくるものです。

総裁を、替えられない場合は、現総裁が、人望のある人間に,早急に、変わることだと思います.

1933さくら:2012/03/30(金) 08:08:41 ID:tAKiNqj6
志恩様の貴重なアドバイス、参考にさせて頂きます。

ありがとうございます!

1934トキ:2012/03/30(金) 09:18:48 ID:JYtwOufo
>>1928

ももんが様

 おはようございます。ロッキード事件への対応で有名になった大臣ですね。
もともとは中央大学法学部の先生でしたが、政界に転出されました。生長の家へも好意を持っておられ、
憲法問題でも支持されていました。回顧録では、戦争中に教え子がたくさん戦死された事を深く嘆いて
おられたのが印象に残っています。信念のある人で、憲法問題で野党の追求を受けても退かず、また
ロッキード事件でも、徹底追及の立場を貫かれたと聞いております。もちろん、直接は知りませんが、
見識と信念のある先生だという印象は持っております。

 以上、うろ覚えで、失礼をしました。

合掌 ありがとうございます

1935八咫烏:2012/03/30(金) 09:20:48 ID:r9nswjII
さくら様

私が、ここで挙げました組織とは、宗教組織に限らず、純粋に考えた
組織というもののもつ物理的な側面です。

ところで、私も信仰とは本来一対一のものと考えます。だから基本的には、
個人と真理(神)との関係だと思います。だから、本来は、個人の忠誠心は
真理(神)に向かうものでしょうから、組織は神から委託されている
という位置づけなのかも知れません。

組織は、信仰者(賛同者)の集合ですから、それが有機体的に機能するには、
やはり中心帰一というものが必要で、そうでないと単なる集合に過ぎません。

しかし、信仰者個人にとっては、組織は信仰というものに付随する
救済や個人の悟りの深化とかそうしたものの達成のためにあるのであって、
組織がそうした個人の欲求とずれてくると、個人にとって、組織は意味がなくなります。
信仰者にとっては、トップヘの忠誠心は、実は神への忠誠心の代理であり、
信仰者はトップが神の委託に答えていないとみなすと、求心力はなくなるでしょう。

個人としては、そういう組織を改善しようとするか、個人の信仰の質を変えるかしかないと思います。
それによって、求心力と遠心力のバランスは保たれると考えます。

それができない信仰者は、外に出ていくと考えられます。


これは、物理的な法則のみで考えた組織なのですが、ざっと考えただけの段階ですから、
綿密な部分での整合性は不十分なところがあるかも知れませんが、一応こんなものかなと
思うのです。
ただ宗教組織というものは神意が天下るものではないかと思いますから、
そういう神意のはたらきは、どのように作用するのかは、さっぱりわかりません。

1936八咫烏:2012/03/30(金) 09:27:13 ID:r9nswjII
>1935
で書きました救済とは、自分個人のことではなく、他に対するもので、人類、国家とかへの救済です。

1937志恩:2012/03/30(金) 10:56:41 ID:.QY5jUA6

 本音をいえば、総裁の考え方は、どうやっても、こうやっても、

 変わらないと、思っています。

1938八咫烏:2012/03/30(金) 10:59:41 ID:r9nswjII
志恩様

説得力のある体験談有難う御座いました。
やはり志恩様にはかないません。

私は初心者様に合わせて、理論的に語ってみようと思いましたが、
やはり理科系でない人間が物理的な法則を応用して話しても、どうも自分ながら、
具体的なところで、どうみなすべきかわからなくなってしまいました。
ボロメオの輪と一緒で、混乱するだけだった気もします。

最近、物理法則というのは、本来心の法則なのではないかという気がしています。
雅春先生も、物質は物質にあらずと言われており、物質とは、本当は言葉でできている
そして、さらに言葉すなわち心、想念であり、だとすると、人々が物理の法則と思って
いたものは、実は精神、心の法則だったのではないかと、思ったりするのです。
それで、こんなことを考えてみたのですが、いまいちだった気がします。

神意はどのように働いているのでしょうね。『生命の實相』という神殿が移動したのですから、
神殿のあるところが、生長の家だという気がしますが、
また同時に、個人一人一人が住吉の大神の分身、あるいは全身全霊であるとさえ、言われています。
何か新時代に向けて、動き出しているのでしょうが、胎動を感じるのみで、何が生まれるのか
わかりませんね。

21世紀は霊性の時代と言われ、今は世界的変換期であり、
生長の家も神意によってその準備がなされつつあるのでしょうね。

1939ももんが:2012/03/30(金) 11:15:10 ID:XXCuaQns
>>1934
トキ管理人様


トキ様、おはようございます。合掌、拝。

レス読んでくださり、嬉しく思います。ありがとうございます。


>>1934:トキ
12/03/30(金) 09:18:48 ID:JYtwOufo
>>1928

ももんが様

 おはようございます。ロッキード事件への対応で有名になった大臣ですね。
もともとは中央大学法学部の先生でしたが、政界に転出されました。生長の家へも好意を持っておられ、
憲法問題でも支持されていました。回顧録では、戦争中に教え子がたくさん戦死された事を深く嘆いて
おられたのが印象に残っています。信念のある人で、憲法問題で野党の追求を受けても退かず、また
ロッキード事件でも、徹底追及の立場を貫かれたと聞いております。もちろん、直接は知りませんが、
見識と信念のある先生だという印象は持っております。

 以上、うろ覚えで、失礼をしました。

合掌 ありがとうございます<<


稲葉先生は、禅者でいらっいます。

稲葉先生の事、印象よく、思われて、いいて、大変、嬉しく、思います。

もっと書きたいのですが、尊敬する、稲葉先生に、御迷惑なので、控えます。


機会が、あれば、トキ様に、直に、お話したいお方の一人です。

いつも、本部と分派の中和のお仕事、お疲れ様です。

無理なさらないよう、気おつけて、お仕事して下さい。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1940初心者:2012/03/30(金) 11:21:23 ID:ixiWFYoQ
八咫烏様

トップが神の委託に答えているかどうか。このような言葉を、生長の家で
聞くとは、思いもよりませんでした。まさにこれは、ギリギリのところで神に
向き合おうとする人の言葉と受け取りました。

さくら様が問うておられるのは、このことではありませんか。「実相があらわれ
た」といって得々としている人々に、ギリギリのところで神と向き合おうとする
気概はあるのか、と。

神の委託を問うようなそんなしんどい信仰はしたくない、もっと楽に信仰したい、
今日一日が無事であればよい、奇跡が起きればそれでよい。こうした姿勢の信仰
が、実際の生長の家の現場で蔓延していることに、さくら様は疑念をいだいて
おられるようにも感じられます。

神の委託を問題にすること。生長の家では、こうした思想は一蹴されます。
神の委託がなぜ必要なのだ。すでに実相はあらわれている。いまさらなぜ
委託を必要とするのだ。委託はすでに成就されている。それを問題にする
とすれば、それはいまだ完全浄土が実現されていないと思う迷いから来ている
のだと、このように一蹴されるのが常であるようにおもいます。

生長の家では、神意は総裁をとおしてあらわれると、このように言われていた
と記憶しております。「神の委託はあるのか」。このことが問題にされたことは
ありません。

わたくしは、信仰とは、「神の委託はあるのか」と、自らに問いつづけることでも
あると考えます。「神意は総裁をとおしてあらわれる」との言葉を鵜呑みにして、
それを問おうとはしなかった生長の家の信仰には、どこかに甘さがあるのでは
ないかと、このことをおもいます。さくら様はきっと、現場の感覚としてこのことを
知っておられるのだとおもいます。

いまになって神の委託を疑いはじめたとしても、それは出し遅れの証文である
ような気がいたします。なにをいまさら。これが実感であります。

1941志恩:2012/03/30(金) 11:48:42 ID:.QY5jUA6

心理学者であり、霊感も強いユングの予言に、
「1つの終わりの時代にふさわしい出来事が、人類に待ち構えている」という言葉がありますが、

この2012年「辰年」(龍・竜)の12月は、アセンションや岩戸開き、フォトンベルト、マヤ暦の最終日など、
ちょうど、世界の終末説と重なっていると、あちこちで、いわれていますものね。

世界の終末説とは、いかないまでも
社会のシステムが限界に達し、「転換期」であることは、誰でも感じている事です。

一人一人の内に潜んでいる蛇が龍に変わる年ですね。
素直な信にまさる力はないし、純度100%の感謝な心と,謙虚な心で、本当に心の底で願えば、

これさえ出来れば、「内なる龍神様」は、どんな願い事も叶えて下さると信じています。

1942志恩:2012/03/30(金) 12:05:47 ID:.QY5jUA6
トキ様

「生長の家では、真意は、総裁を通してあらわれる」と、言われてきたのですか。
雅春先生の時代でも,一度も,聞いた事が無い言葉ですので,吃驚しています。

その後,そのように言われて来たのですか?最近の組織のことは、わかりませんので、
そのようなことは、聞いた事、ありませんでした。

実相だとか,奇跡だとか、ややこしいことは、まったく、ことばとして、普段は、考えていません。
朝、目がさめたら、『あぁ、生かされてる。ありがたいなぁ。花が咲いてても、何て美しいんだろう。
近所のことも、困った時には、相談にのったり、自分で出来るかぎりの親切もし、神様のあたたかいまなざしを
いつも、間直に観じて、すご〜くらく〜に、いきてます。生長の家を知らなかったら、このようには、いきられません
でした』

私としては、当たり前が、全て、ありがたい奇跡なんですからね。

1943初心者:2012/03/30(金) 12:30:43 ID:ixiWFYoQ
八咫烏様

志恩様のご発言からもあきらかなように、「神の委託」といった発想は、生長の家に
はありません。

1944八咫烏:2012/03/30(金) 12:53:54 ID:r9nswjII
初心者様

神の委託という発想は、もちろん私が、宗教組織とはどういうものかを思索した時に
思いついた私の言葉です。では言い換えることにします。
宗教組織のトップが、神意を受け止めているかどうか、ではどうでしょうか。

生長の家の信仰者は、つまり、雅春先生の弟子として雅春先生の悲願実現を目指そうとする人々は、
生長の家の神意を

人間の実相顕現
天皇の実相顕現
日本国の実相顕現

と受け止めています。それが生長の家出現の使命だと受け止めています。
この神意を総裁がしっかり受け止めているかどうか、
とうふうに書き換えます。
(これは一般宗教組織ではなく、生長の家限定でお考えください。)

1945八咫烏:2012/03/30(金) 13:22:05 ID:r9nswjII
初心者様

実相が現れたからと言って得々としているとは、さくら様の投稿を見ると、
どうやら、「結果が出たから真理だといい、結果が出ないものは非真理だとさばく」
という、あれですね。

これは私には、具体的に事例がないとなんとも言えないですが、結果が出たから真理というのは、
その通りだと思うのですが、教えの通りに実行したら、病気が治ったとかそういうことでしょ。
もちろん、それを鼻にかけるのはよくないと思います。得々として威張り散らすのはよくないでしょうね。
しかし、結果がでないから非真理というのは、実行したことを本気でやったかとか、失敗の原因を分析する必要が
あるでしょうね。としか言えないですね。

結果が出るということを、あなたやさくらさんは「ギリギリのところで神と向き合ってない」と捉えられることにも
私は疑問を感じます。
聖典にはいろんな体験談が載っておりますが、それらを読むと、たいていの場合は、
神と向き合ったことでしか、体験は生まれないように思えるのですが。
例外として、祖先などの高級霊が信仰に導くために行う奇跡もあるように書かれてはいます。

神と向き合うとは、つねに自分の中の神の子を自覚することではないでしょうか。
そして、神想観によって、神と一体の自覚を得ることで、何をなすべきが神意であるかを自ずから
知ることではないでしょうか。

1946初心者:2012/03/30(金) 14:10:02 ID:ixiWFYoQ
八咫烏様

「神の委託」という言葉を持ち出されたので、生長の家の人とは少しばかり
違う考え方の人なのかと期待いたしました。違った考え方をお持ちであれば、
そちらのほうも学ばせていただきます。

1947さくら:2012/03/30(金) 15:35:05 ID:tPVxKQcE
八咫烏様

丁寧な返信いただいておりまして、ありがとうございます。

私の言葉足らずな表現に誤解もあったようで、失礼いたしました。

>実相が現れたからと言って得々としているとは、さくら様の投稿を見ると、
どうやら、「結果が出たから真理だといい、結果が出ないものは非真理だとさばく」
という、あれですね。

初心者様の、得々としているということをいったことですが、
私におきましてはそのように意図しておりません。
結果でたから、真理だ、でないかた真理ではない、
そのような場合はなかったか、と私が申しましたのは、
もっと、信じることや、信仰による活動においても、
さらなる検証を必要とすることである場合がある、
実際に宗教ではそのようなことで問題が起こっていますので、
生長の家でも、そのことは今の問題に全く無関係とは思っておりませんので、
信仰者として、実践者として、どう考えるべきか、そのような問いかけを
したい気がしておりました。

たとえば、人間の物事を理解する、という過程においての一面に、
右脳的な理解、左脳的な理解があります。
同じ花を見ても、感覚的に美しさとして理解するのか、理論的な情報として理解するのか、
それは、花を、同じように「わかった」という方でも、この二人は、
果たして、同じ花を見ているとは、一概にいえないかもしれません。
まあ、それぞれの立場で、満足しているとは思います。
しかし、花の全体像を知るためには、どちらも必要な側面と言えます。
体験として素晴らしいと分かった、というのも、理解のたいせつな一面ですが、それだけで、判断の材料には足りない面があると思います。
同時にその体験がなぜ起こったのか、その背景にはどんな論理的な道筋があるのか、
それもまた、全体像を理解するのに、たいせつな事だと思っております。

また、この現象界で物事を認識するというのは、精神分析学によると、ある2つの概念や対象物に矛盾のない関係性を見出したとき、はじめて意識の世界に入ってくる、これが、理解であると思います。
しかし、この関係性に矛盾が生じる場合はどうでしょうか。
例えば文章でも、
「雨が走った。」
このような文章は、雨、と走る、のあいだに関係性を見出すことができず、
意識レベルでは理解が困難です。
その時人は、どのような反応を示すでしょうか。
一つには、理解不能の文として、無視するかもしれませんし、
あるいは、理解不能なことは、不快感があり、排除しようとするかも知れません。
どちらにしても、意識の世界では、理解という域に到達いたしません。
しかし、ほんとうは、その背後には、「雨が降ったので私は走った」のように、
見えない言葉や論理がかくされているかも知れません。
一見排除したくなるような物事も、理解を深めていけば、
理解できる、糸口がかくれている場合があるかも知れません。
理解するとは、このような努力が不可欠な側面があると思います。

しかし、人間の無意識は、この矛盾する関係を統合する力がありますから、
一見関係ない事柄に、ある共時性を見出し、それを、信じる、というレベルにまで
到達させる力があります。
宗教は、この潜在意識のレベルに、大変密接に関連していることと言えると思います。
ですから、宗教の問題においても、人が無意識の世界においても、
どのようにしてある結論に達するのか、何を信じるに至るのか、
どのような矛盾を問題として抱えているのか、それを考えることは、
難しいことですが・・無関心ではいけないと思っております。

1948さくら:2012/03/30(金) 15:35:50 ID:tPVxKQcE
>信仰者個人にとっては、組織は信仰というものに付随する
救済や個人の悟りの深化とかそうしたものの達成のためにあるのであって、
組織がそうした個人の欲求とずれてくると、個人にとって、組織は意味がなくなります。

>信仰者にとっては、トップヘの忠誠心は、実は神への忠誠心の代理であり、
信仰者はトップが神の委託に答えていないとみなすと、求心力はなくなるでしょう。
個人としては、そういう組織を改善しようとするか、個人の信仰の質を変えるかしかないと思います。
それによって、求心力と遠心力のバランスは保たれると考えます。
それができない信仰者は、外に出ていくと考えられます。



組織は、信仰というものに付随する救済、個人の悟りの深化などの目的がある、ということでしょうか。その目的がかなえられない組織は不要と言うことでしょうか。

では、実際活動において、この為になにをするか、それが問題です、
それがいつも問題になっていると思います。
政治活動か、環境問題か・・そのトップの方針が神意なのか、個人が判断し、求心力がないと分かれば、出ていく、ということでしょうか。
宗教における組織活動において、これを目的とおくことに、わたしには疑問があります。

生長の家の神意を上げてくださいました。

人間の実相顕現
天皇の実相顕現
日本国の実相顕現

これは、私には、信仰であり、祈りであると、認識しております。

もし、これが神意として、組織がその神意を実現する目的をもって活動をするところならば、
実際活動においては、組織は何をするところで何を実際に実現するところなのでしょうか、
なにを実現させれば、神意が適った、ということになりますでしょうか、そのような疑問が湧いてきてしまうのです。

1949八咫烏:2012/03/30(金) 15:54:17 ID:r9nswjII
初心者様

私はほんとに組織経験が短期間ですので、組織としての生長の家は若い頃の頃のことしか
知らないのです。しかも地方の末端信者ですから、大して組織などの仕組みも考えたことがないのです。
もともと、教えに触れたきっかけも、父の持っていた『生命の實相』を読んだからであり、読者として、
個人的に信仰していたのです。だから、現実の組織という感覚が、ずれているのかも知れません。

神の委託という言葉も、考えてみれば、キリスト教的というか西洋的発想ですよね、全く頭の中で、
純粋に、思索して思いついただけで、宗教組織を想像しただけですから、
意味ないレスだったかも知れません。

生長の家と違った考え方と言われても、生長の家を信仰していますし、組織には接していませんが、
本は読んでいますから、やはり生長の家が基礎の発想になるかと思います。
でも同時に、誰もみな普通に生活し、生活の中から真理を発見することは多いと思いますし、
生長の家でない方の御文章にも感動し、教えられることは多いですし、それらはみな真理の言葉と
思います。発想が生長の家の人とは違ったとしても(これは思想的に反対という意味ではなく
気付かないような発想というくらいの意味です)、神は何も生長の家だけにおられるわけではありませんから、
どんどん取り入れて、活用するのもいいのではと思います。

私は最近南出弁護士の國體護持塾というサイトの
国家の組織の腐敗をいかに防ぐかの工夫を書いておられたのを読みましたが、
江戸の幕府の発想である、権威と権力を分ける、あるいは権力と報酬を分ける
というやり方を書かれていて、それを国家に取り入れる提案をされていました。

譜代大名には権力を与え、石高は少なく、外様には石高を多く与え、権力からは遠ざける。
あるいは武士には権力を与え、そのかわり、富は町人が握る、という仕組みです。
あるいは、別の例では、商人の番頭と手代が、食事を一緒にする時に、魚一匹を半分に分ける分け方で、
尾頭付きの部分は番頭が取り、しっぽのある半分を手代が取る、
すると尾頭付きは食べにくく身も少ないが、尾頭付きということで、番頭の面目は立ち、
また年とった番頭には程よい量となる。
しっぽ付きは食べやすく身も多いので食べ盛りの若い手代には丁度いい、とする発想です。
もう一つの別の方法もあったのですが、忘れてしまいました。

権力と報酬を一致させることで、腐敗が生れる、だから、それらを一致させないように、互いに、
質の違うものを分け合うというのです。私はこの発想を生かせないものかと考えたのですが
現実の組織を知らないので、全く具体策が思い浮かびません。


しかし、生長の家信徒として、何事に関しても選択の基準は、どこまでも神意を確かめて行いたいと
願うのです。まだまだ私は、神と一体の自覚が浅いので、神想観と聖経読誦を心がけている段階です。

1950八咫烏:2012/03/30(金) 16:15:55 ID:r9nswjII
さくら様

えっと、私が読んだ聖典では、体験が起こったという例がよくあげてあり、
それらには、精神分析的に、また心の法則の面で、あるいは真理そのものとして、
いろいろに説明がなされていました。また、体験者も、何故体験が起こったのかということを
その時に自ら分析することもしていたりして、何故今まで不幸であったか、何故奇跡が起こったのかを
自覚しているようでしたが、体験する人間が、それを自覚しないということがあるのでしょうか。

それとも、あなたが言われるのは、
今私達が生長の家の教えを信じているのは、
無意識の世界で何らかの作用(たとえば初心者様のおっしゃるような言葉の魔術)が働いて、
教えを信じているが、
本当はこれは信じるに至った経路を分析してみないと、
生長の家の教え、あるいは教えの一部を信じているのは正しいとは
言えないかも知れないという論理でしょうか。

つまり、うっかり信じ込んでいることが間違っていたかも知れないから、
もう一度、哲学的思索をしたり、他の哲学者の説を学んで
生長の家という枠の中でなく
真理を探求してみるべきだと、おっしゃっているのですか?

1951八咫烏:2012/03/30(金) 16:30:30 ID:r9nswjII
さくら様

信仰とは祈りであり、行動であると思います。
雅春先生も、祈っていたばかりでは、何事もできないと言われています。
雅春先生は、不行為はマイナスの行動であるとおっしゃっています。
人は努力なしには何事も得ることはできないともおっしゃっています。
かつて、元号法制化の実現があったのは、あの時生長の家が必至で、
頑張ったからだと思っています。あの元号法制化がなければ、日本の国体は
どうなっていたかと思うと、ゾッとする部分があります。

1952さくら:2012/03/30(金) 16:44:20 ID:tPVxKQcE
八咫烏様

>それとも、あなたが言われるのは、
今私達が生長の家の教えを信じているのは、
無意識の世界で何らかの作用(たとえば初心者様のおっしゃるような言葉の魔術)が働いて、教えを信じているが、
本当はこれは信じるに至った経路を分析してみないと、
生長の家の教え、あるいは教えの一部を信じているのは正しいとは
言えないかも知れないという論理でしょうか。

生長の家の教えが、言葉の魔術・・というのは、わたしは、どこの文章にも
書いてはいないと思いますし、そのようなことを意図した事はございません。

わたしは、個人の体験を、とても重要なものだと思っていますし、
その方しか分からない心当たりや、自己分析がありますし、大変尊重しております。

今の私の焦点であるのは、組織の目的や、組織で行われる結果の検証が必要だということで、そのことに誤解があったものと思われます。

八咫烏様が組織活動をされてないと、仰られているのに、
その見識に甘えていまして、自分の思いを訴えてしまいました。
関心のないことでありましたなら、無理にお答えを必要としたわけではありません。

もし、活動をしているかたでも、生長の家に携わる方どなたでも、
私の疑問になにか、感じる方がいらっしゃれば、
ありがたいことだと思っておりました。

>つまり、うっかり信じ込んでいることが間違っていたかも知れないから、
もう一度、哲学的思索をしたり、他の哲学者の説を学んで
生長の家という枠の中でなく
真理を探求してみるべきだと、おっしゃっているのですか?

宗教の教えを信じ実践することに、うっかり信じ込んでいる、ということは、
合ってはならないですね、人生が狂ってしまいます。
生長の家の教えは、誰にでも分かりやすく説いてくださっていて、うっかり信じるようなそんなエセ宗教の教えではないと、私は思っております。

実際に起こっている問題は、なんでしょうか、

生長の家の枠組みの外、などという区別はなく、私が宗教を考えるようになったのは、
生長の家との出会いがあったからです。

正直、生長の家の問題を語るのに、現在、大変神経を使います。
一つの言葉をとっても、生長の家を愛するが故に、誤解を招くような
発言になったりします。
なぜ、問題が起こったのか、知りたいので、このような言葉になったということを、
おくみいただければ、ありがたいことです。

お言葉、感謝いたします。
ありがとうございます。

1953春らんまん:2012/03/30(金) 19:05:31 ID:0PhE9jv2
八咫烏様、精力的な御投稿に対し敬意を表します。

今後も応援致しております。

御健闘を祈ります。

感謝合掌

1954志恩:2012/03/30(金) 19:27:58 ID:.QY5jUA6
八咫烏様

私も、春らんまん様同様に、八咫烏様のご熱心なご投稿に対しまして、
大変感動したり、教えられたりしております。私も、敬意を表します。

1955役子:2012/03/30(金) 19:49:48 ID:FbQZeP7k

 八咫烏 さま

 八咫烏さまのご文章、隙入る余地がありませんので、なかなか、返答するのに苦労しています(^_^;) 

 ゆっくりと、行きますので・・・<(_ _)>

1956役行者:2012/03/30(金) 19:52:23 ID:FbQZeP7k

 役行者です。
 失礼しました。
 女子板用でσ(^_^;

 更新するのを忘れてました(__)

1957春らんまん:2012/03/30(金) 20:03:03 ID:0PhE9jv2
役子、ハケ--ん♪

1958八咫烏:2012/03/30(金) 21:56:49 ID:r9nswjII
さくら様
こちらこそ、勝手に推測しまして申し訳ありません。初心者様のレスの中に、
あなたのことが書いてあり、またそのためにあなたと初心者様のやり取りをざっと見て、
あなたの考えも、初心者様と同じとみなして、お答えしました。

私は、組織はあまり参加した年数は少ないですが、それでも生長の家信徒としては
今の教団がどうなるかは、気になりますし、雅春先生の悲願を思うと、
なんとかその悲願を実現できる教団となってほしいと思っています。

現在の組織も知らずに、組織論などを論じてしまいました。これに関しては、組織をあまり知らないのに、
流れとは言え、でしゃばり過ぎたのかも知れません。
どうかお許し下さい。

1959ももんが:2012/03/30(金) 21:59:56 ID:XXCuaQns
>>1956

役行者様

役行者様、こんばわ。合掌、拝(^_^)


最近は、”性転換“が流行ってるですね。


でも、実際、日本の神様は、性転換しませんが?

インドの神様なんか、性転換しますね?(^_^)

あれは、凄いですね。

あと、真面目なお話ですが、最近は、”同性愛“や、”性同一性障害“て?やはり、病気になるのでしょか?

私は、全くの、異性愛者で、常任ですが?

密教の立場から、どう、思います。?

1960八咫烏:2012/03/30(金) 22:18:59 ID:r9nswjII
春らんまん様、志恩様

応援いただき有難うございます。
私はけっこう軽率な人間ですので、もう少し慎重に投稿すべきだったのではないかと
ちょっと反省するところもあります。調子に載って、不必要な投稿までしたのではないかと
思ったりしています。でもそのようにおっしゃっていただき、少し安心しました。
なんか、この掲示板にハマってしまった気がします。

春らんまん様の投稿を拝見しましたが、素晴らしいと思います。同じ意見の方を見つけた喜びを
感じます。志恩様が色々なレスで賛同してくださる時もとても励まされましたが、このように考えの
同じ方々と出会うと、なんだか懐かしいですね。若い頃に戻ったような気がしてきます。

役行者様

どうか、いそがずにゆっくりとご投稿ください。
役子様の場合、イメージはどんなお姿なのでしょうね。
乙姫様風の衣装ですかね。

1961復興G:2012/03/30(金) 22:29:08 ID:ojEbkDH2

八咫烏さま。

復興Gと申します。
私も、あなたの出現に、いやあ、すごい人が現れた! これも天の配剤か! と驚き、共感し、感心し、心の中で声援しています。どうぞ、がんばってください。

1962八咫烏:2012/03/30(金) 22:56:26 ID:r9nswjII
復興G様

有難うございます。
私の方こそ、復興G様のご投稿を読んで、非常に素晴らしい的確な事を投稿しておられて、
感じ入っております。まさに正論だという気がします。
私も、復興G様のご活躍を応援しております。ご投稿、これからも楽しみにしております。

1963役行者:2012/03/31(土) 06:28:18 ID:FbQZeP7k


 >>1959
 

 ももんが さま

 おもしろい視点からの発言ですね(^_^;)

 密教と云っても、真言、天台、立川流、始祖 役行者流、また、チベット密教と多種多様なのでございます。

 ですから、密教という立場からと、一概には云えないのでこざいます。

 因みに、密教とは、そこの風俗、慣習、生活感などなどを生かし、土着の、そこで生活する方々に違和感を感じさせないよう、宗教的生活の地盤を形成してゆくことです。
 
 チベットはチベットならでは、日本は日本ならではの、文化・伝統を生かした密教が誕生するのはその理由に因るのです。

 ところで、仮に、ももんがさまの質問に応えようとすると、立川流の立場からになりますかね(^_^;)

 そうなるとインドの風習からきているのではないかと存じます。
 結論をいうと、分かりません(o_ _)o

1964役行者:2012/03/31(土) 08:03:27 ID:FbQZeP7k

 八咫烏さま

 乙姫さまとは・・・イヤイヤ(^_^;)
 ・・・どうも、ありがとうございます(゚∀゚ゞ)

   
 さて、

 > 谷口雅春先生は、言葉の力をよく知っておられ、言 葉を大切になさり 、また言葉を慎重に使われるような、非常に細かい神 経を使われる方だと思います。
 人を鼓舞するために力強い言葉を使われることはあ るでしょうが、それはその人の 実相を引き出そうとして使われるのであり、扇動す るために使われるのではありません。

  細やかな心遣いをなさる雅春先生が、単なる偏狭な 愛国心からのみ 天皇一元論を唱えられるはずはないのです。
  また誤解を生むかも知れないとわかっているのに 敢て言われるわけがないのです 。
 それは雅春先生の悟られた真理に基づくものだか ら、発表されたのです。
  これを、未だ悟りを深めたともいえない段階の人間 が、軽率に判断して「 ここは間違いだ」とするのは、傲慢も甚だしい勘違いだと思います。<


 生長の家の信徒として当然のお言葉です。
 雅春先生と云えども、それは多少、間違えはあっと思います。
 それをことさらに攻めだてるのは如何なものかと、と私も思います。

 イエスは云われました、人を裁くなられ、自分が裁かれるからである、とまた、売春の罪を犯した女性に石を投げようとされている人々に、あなた達は罪を犯したことがないのですか!と、イエスは、彼らの贖罪を耳元で囁くのです、一人二人とその場から去って行かれました。意訳です。

 ある意味、人生とはことの大小問わず、赦しの連続では、と思う今日このごろです。

 
 それと言葉の暴走とはちがう話で、鎮魂は大切な行事と思います。
 ですから、真言宗は、鎮護国家の御修法を、現代に至るまで欠かさずに行事ているのです。

         合 掌

1965ももんが:2012/03/31(土) 08:19:14 ID:XXCuaQns
>>1963>>1963

神の子皆様、おはようございます。本日も、素晴らしい、朝ですね。元気に、明るく、楽しく、素晴らしい日にいたしましましょう。ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

役行者様、お返事ありがとうございます。合掌、拝。


結論は、わかりませんか。そうですよね。(^_^)

掲示板で、この回答したら“”不快“を感じる人が、たくさん、でそうですからね。

もし、偶然、原宿や、宇治など、どこぞで、会えましたら、密教の秘密の部分を、お話伺いたく思います。
復興G様>

復興G様の、御言葉、私に大分賛同してくれたんだと嬉しく、思ってます。もう少し、したら、お返事差し上げます。いつもありがとうございます。合掌、拝。


それでは、皆様、素晴らしい日を、お過ごしください。合掌、拝。

1966八咫烏:2012/03/31(土) 11:24:28 ID:GspmSDCg
さくら様

きのう、私が、生長の家の使命は、

人間の実相顕現
天皇の実相顕現
日本国の実相顕現

であると書いた時に、あなたはこれは信仰であり、祈りであるとおっしゃいました。
そして、私は信仰とは祈りであると同時に行動であるとお答えしました。

あなたは組織論でも、教団は愛国運動はやるべきではなく、
これは個人的にすべきことであるとおっしゃっていました。

しかし、それはあまりにも創始者谷口雅春先生の意を汲まぬものであると思うのです。

谷口雅春先生はおっしゃっています。自分は宗教教団を作ろうと思って運動を始めたのではないと。
先生は、真理を知らないために苦悩の生活をしている人々を救いたい一心で、修養雑誌を自費出版
されたのです。教団が目的ではないのです。人を救いたい、そのために真理を伝えたいという思いが先に
あるのです。

そして戦後、日本は占領軍により支配されます。雅春先生は占領軍により、公職追放となりました。

占領軍によって、自虐意識を植え付けられ、祖国の歴史を貶め、自らの国を悪い国だと思い込み、
古来より天皇を父のように慕って、国民皆が家族のように結び合っていた
中心帰一の美しい国民性は失われていきました。

公職追放になっておられた間、雅春先生がどんなお気持ちで日本を見ておられたのかと思うのです。
アメリカ流の肉体民主主義に洗脳され、日本国憲法を平和憲法であり人類普遍の原理だと鵜呑みにし、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」
という前文に象徴される、連合国への詫び証文と雅春先生が言われるような奴隷憲法を、
多くの国民は、なんの疑問もなくありがたがっているのです。
雅春先生の悲しみは如何ばかりであったろうと思うのです。

権利ばかり叫び、奉仕精神を忘れ、唯物論に陥り、家族の絆すらも失って
バラバラの個人になっていこうとする日本人、
果ては、自分の生活を楽しむためには、自分の子供すら殺し、胎児を中絶する、
老人は孤独死する、このような日本人になっていく様を、
限りなく日本を愛すと言われた雅春先生が、
どうして、手を拱いて見ていられるでしょうか。

雅春先生は、日本国憲法を破棄し、大日本帝国憲法を復元改正すること、
優生保護法を廃止することの
悲願を立てられ、そのためには、生長の家の一つや二つなくなってもよい
とまで言われたそうです。

大東亜戦争時、特攻隊に志願した若者は、国家のためならば、自分の命をも捧げたのです。
日本を救うためならば、たとえ教団が潰れても、今やらなくては日本がどうなるかわからない、
そんな雅春先生の祖国への危機感があったのです。

当時の信徒はそんな雅春先生の危機感を共有したのです。とくに青年会は、そうだったのです。

現在、日本は民主党左翼政権によって、益々危機的になっています。もちろんその一方で、
本来の日本人らしさへの回帰現象も見られます。日本が戦後レジームを脱し、日本人らしい個性を
取り戻そうとする兆しが見えてきたとも言えます。

しかし、そういう兆しが見えそうな時ほど、
また反対勢力も死力を尽くす時なのです。兆しを見て安心しきっていれば、サッカーの試合で、
終了直前に敵方にゴールを許すようなことになりかねません。

つねに最善の努力を尽くすもののみが成果を得られるのです。
祈っているばかりでは物事は動かないのです。祈ればそれは動きにつながるのが
真の祈りだと思います。
我が動かなければ、宇宙は動かないのです。

去年、今上陛下は、歴代の天皇陛下が行幸参拝される石清水八幡宮に行かれて、
幣帛を奉納されましたが、例年は白い幣帛でしたが、去年は金の幣帛を捧げられました。
これは史上三回目の金の幣帛だそうです。最初の時は、蒙古襲来時であり、二回目は
幕末の孝明天皇が納められました。今回三回目の幣帛を納められたことは、
今上陛下の非常な危機感を表しています。

東日本大震災もありましたが、それだけではないと思います。いろいろな日本の世相なども
思われての危機感であると思います。
また皇統に対する国民の勝手な意見もきっと気にかけておいでだと思います。

1967八咫烏:2012/03/31(土) 11:32:55 ID:XUCnAhzY
さくら様

今の日本のメディアは、国民に大事な事を知らせません。先日も中国軍の幹部が尖閣諸島を
武力で奪取するという計画の話をしていたようですが、ネットではニュースとなっても、
テレビが放送することはありません。
今日本には多くの中国人が来ていますが、一昨年中国の全人大会で、国防動員法が
制定されたことはご存知だと思います。

この法律は、有事の際には、中国国内の登録されたあらゆる企業の特許を無許可で
徴用できるなどとする項目もあり、
また、中国人民は、国家の命ずる国防義務を果たさねばならないとするもので、
これは国内外を問わず動員されるものです。

前回の北京オリンピックで、チベット弾圧が世界で非常に問題視されて、中国政府への
批判が高まりましたが、日本でもチベットを支援し、中国への批判を行おうとする人々が
聖火リレーの行われる長野へと、全国から結集したことがあります。ご存知だとは思いますが。
その時に結集した日本人の数よりも、はるかに多くの中国人が、日本全国から動員されていたのです。
しかも、彼らは棒か何か武器のようなものをもって集まっていたのです。

そうして、チベット問題を批判しようと声を上げる人々に襲いかかったのです。
もちろん警官も動員されていましたが、彼らは、中国人を逮捕することなく、襲われている
日本人を逮捕したのです。これは上からの命令が出ていたと思われますが、また警官も多数の
中国人を前に為す術がなく、むしろ日本人を助けるために逮捕したのかも知れません。
そこはよくわかりません。

しかし、この事件をマスコミは報道したでしょうか。聖火リレーのニュースはたしかにやったでしょう。
そのありのままを報道したでしょうか。

中国人のそんな暴動のような非道により、骨折した日本人もいます。
まだ日本国内でのことですから、中国人も抑えての行動でしょうが、
中国政府の決定する有事というのがいつを指すかはわかりませんが、
中国に行っている日本人がそういう事態になった時を予想すると
恐ろしいものがあります。

日々の生活のみしか目を向けていない人は、そうした隠された危機に気づきません。
しかし見える人々は見ているのであり、聞こえる人は聞いているのです。
聖書には、黙示録に日を着たる女という予言があります。
日を着たる女は、妊んでいると書いてあります。そしてサタンは生まれてくる子を一飲みにしようと
狙っていると書いてあります。

雅春先生は、日を着たる女とは日本の国のことであるとおっしゃっています。
そして、女は妊娠しているのですが、これは新しい思想が胎動を始め、生まれようと
しているのだとおっしゃっています。
ところがサタンはこの子を一飲みにしようと待ち構えているのです。

戦前も、戦後も、生長の家の運動は、雅春先生の危機感の中から生まれてきたのです。
あらゆる宗教は、教祖が宗教を作ろうと始めたのではなく、教祖の強い思いがあった
から生まれたのではないでしょうか。

だから、生長の家も教団も、雅春先生の思いが先にあったのです。

組織論だとか色々工夫するのもいいと思いますが、それより先にどんな思いがあるかと
いうことではないでしょうか。

現総裁が、環境問題への強い思いがあれば、その強い思いは人を引きつけるでしょう。
どんどんやられればいいと思いますが、仮にも雅春先生の創始された教団を使って、
雅春先生の悲願には見向きもせず、自分の思想に教団を利用されるのは、それは許されることでは
ないと思います。きちんと別組織を作られるべきです。
雅宣氏の思いが強ければ、それは出来るでしょう。
奇をてらうだけの方針であれば、人はついていかないかも知れませんが。

1968八咫烏:2012/03/31(土) 12:03:24 ID:XUCnAhzY
役行者様

お返事ありがとうございます。

<雅春先生と云えども、それは多少、間違えはあっと思います。<

もしも間違いと言われるならば、これは多少で済む話ではないでしょう。
私は、一連の実相哲学の展開として、理解しているつもりです。

しかし、ここは受け入れることができない人には、どうしようもない部分かも知れませんね。

有難うございました。

1969さくら:2012/03/31(土) 12:10:32 ID:tPVxKQcE
八咫烏様

・・私のような、幼い疑問に対しても意図を汲んでくださり、
真摯に答えていただき、感謝いたします。

只今、返信を書く時間がありませんので、
ゆっくり読ませていただきたいので
考えるお時間いただければ、ありがたいと思っております。

途中で、他の方が返信を書いていただくのは、それは、
大変ありがたいことなのですが、
私の意図することと、違って受け取られ、方向がずれてしまうのことがあるとしましたら、
それは、とても残念なことに思っております。

それは、私の発言が整理できてない処があることが原因ですが、
どうぞ、そのところは、了解いただければと思っております。

では、ありがとうございます。

1970役行者:2012/03/31(土) 13:06:37 ID:R4QFGmvc
 
 八咫烏 さま 
 

 >ここは受け入れることができない人には どうしようもない部分かも知れませんね<

 こことは何か?と云うことになりますが、大体憶測できますので、また、時間があるときに投稿します。

 一言、付け加えさせていただきますと、雅春先生でも多少の間違いがある!とは、言葉の差異を申しあけだつもりなのです。
 一連の実相哲学の展開として!というのなら、谷口哲学の中核的な部分を指しているのでしょう。

 改めて、投稿します。

        合掌 再拝

1971八咫烏:2012/03/31(土) 18:35:56 ID:XUCnAhzY
役行者様

そうですか、よくは理解できませんが、私の誤解ということですね。
そうならば、申し訳なかったです。お許し下さい。
あまりに婉曲な表現は、どうも苦手なので、なるべく直球でお願いします。

1972さくら:2012/03/31(土) 19:27:51 ID:tPVxKQcE
八咫烏様

八咫烏様のご文章からも、雅春先生が、いかに国を思い、この生長の家にかけられてこられてきたかの思いが伝わってまいります。
ありがとうございます。

>谷口雅春先生はおっしゃっています。自分は宗教教団を作ろうと思って運動を始めたのではないと。
先生は、真理を知らないために苦悩の生活をしている人々を救いたい一心で、修養雑誌を自費出版されたのです。教団が目的ではないのです。人を救いたい、そのために真理を伝えたいという思いが先にあるのです。

そうですね、
宗教団体の活動を考えるとき、心に思うことの一つです。
雅春先生は、苦悩している人を救いたいという止むになまれぬ必死のお心があり行動されたからこそ、神が感応され、生長の家の出現となったのだとと、そのように理解しております。

もともとは、雅宣先生は、雅春先生の愛国的発言や愛国路線がすべて間違いであったかのように言われて、即刻、雅春先生のお言葉を否定された、ということではなかったと思われます。
時代によって、雅春先生の仰られる言葉が、変わらざるを得なかった、
それは間違えというより、その都度国を思い人類を思う故からのやむを得ないお言葉であり、そして行動であったこととして理解されておられた、とこのように思っていました。
間違え、といわれたのは、教え、のことではなく、その方針の方であり、
それは時代によってお言葉のニュアンスや立場が変わらざるをえなかったので、
雅春先生でさえ、その点では間違えがあったとの発言があったと思います。
 
政治運動についての方向転換は、雅春先生が信仰が利用されてしまう政治運動の実態に失望されたことなどから、挫折感の強い文章もあったようですが。
「純粋宗教的立場から 幾分方向転換して政治的方面に運動を進めてきたために、宗教の純粋さや、清潔さが少しでも失われてきていないか」とのご発言があり、清超先生が雅春先生のご意志を守られて、政治運動からの決別があったと伺っております。
その後雅春先生は、日本国実相顕現のたまに龍宮住吉本宮を建立されて、長崎に移転され祈りに徹せられたと。
ですから、政治運動からの撤退は、雅春先生のご意志である、として、
はじめ雅宣先生の方針は、このことを踏まえて、ということであったようです。
それで、雅宣先生の愛国の書の絶版の背景には、運動のあり方が、政治的なものを含んでしまうことを極力さけられた、という事が上げられると思っておりました。
それは、生長の家がめざす信仰運動と方向をずらしてしまい可能性がある、
それを、徹底して守ろうとしたような意図があったようです。

1973さくら:2012/03/31(土) 19:28:24 ID:tPVxKQcE
しかし、それが結果、生長の家の信仰の基盤となる教えを排斥するようなことになり、
今の教団の活動の方針、実態となったことは、ほんとうに残念で仕方ありませんし、
雅宣先生は、間違えであった。
現実の実態は、そうした状況だと思っております。

私は、祈り、といったのは、祈ってばかりいて、行動しない、ということではありません。
信仰の良心に基づいた行動を、していきたいと、思っております。

私は、ただ、雅宣総裁の今の組織の方針を指示して、活動したい、とはやはり、思えないことが多いです。
ただ、雅宣先生の意図をあまりに理解されていないで、闇雲に反対をするのは、
自分がフェアではないと感じましたし納得がいかなかったので、
雅宣総裁を言わんとすることを理解したいと思ってきました。
でも、理由が論理的に正当化されるから、正しいということではありません、
現にこうした現実をつくったのですから、やはり、間違っていた、と思っています。

そこから、運動といったものの性質から、宗教団体の方針による運動のあり方も、
純粋なる信仰と、ある程度独立性を持たせて運営されるべきではないか、
と思ってきました。
信仰によるやむにやまれぬ思いからの行動であっても、
各人の信仰や魂の深化の目的をおかすような活動になってはいけないと感じてます。
どんな運動でも、それは、目的を持ち結果を求めますし、世の中を変えていきたいという欲望を持ちます。
雅春先生の教えによる、政治運動のあり方が、修正を求められたように、
雅宣総裁の信仰による平和運動が、環境偏狭の方針になったように、
運動には、信仰とは性質の異なる側面をもつので、
時に致し方ない方向へ行くこともあるのではないか、とそのように感じていました。

>現総裁が、環境問題への強い思いがあれば、その強い思いは人を引きつけるでしょう。
どんどんやられればいいと思いますが、仮にも雅春先生の創始された教団を使って、
雅春先生の悲願には見向きもせず、自分の思想に教団を利用されるのは、それは許されることではないと思います。きちんと別組織を作られるべきです。
雅宣氏の思いが強ければ、それは出来るでしょう。

同意いたします。
環境活動は、もし組織として可能なら、独立してべつの団体を立ち上げて、
おおいに活動されればよいと思います。
生長の家としては、生命の實相、教えは守られ、信徒の信仰はそこで守られるべきであると思っています。
宗教団体としては、布教や、教えの学習、信徒の魂の深化が、守られるようになる。
これが、信仰と、救済活動が、互いにつながりをもちながらも、独立するようなかたち、として、イメージが浮かんだことです。

1974トキ:2012/03/31(土) 20:12:30 ID:SUr0YA9Q
 「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

をアップしました。この板がいっぱいになったら、そちらをご利用下さい。

管理人敬白

1975春らんまん:2012/03/31(土) 20:12:41 ID:2wOWG6Oo
>>1972 さくら様 お初に書かせていただきます。

二代め総裁を敬愛する方たちには、申し訳ございませんが、私は、二代目も現も、
敬愛しておりません。

それは、尊師の"大東亜戦争を、どう捉えるか"に繋がっているからです。

二代目総裁も、後半は、"大東亜戦争否定論"を多発して書いていたようですね。
私は、K湖道場で研修生をしていた時、初めて二代目総裁の御著書を開いた時、
大東亜戦争を否定する文章に出会い、

パッと、本を閉じました。

心の中に、浮かんできた気持は、

≪よく言うぜ! 自分は奥にの為に役にも立たず、ただ、病院で寝てただけじゃねぇか!
自分が役に立たなかった事を不徳に思うならまだしも、おこがましくも、
偉そうに、否定してんじゃねぇぞ!

ゴミ拾いでもやっとけ!!≫

でした。

(閲覧中の方々に、御不快を与えたら、大変申し訳ございません)
トキさん、削除しても構いません。


二代目総裁は、尊師が長崎公邸に御隠居されてから
(それまでは、原稿のチェックを尊師から受けていた)
"大東亜戦争悪玉論"を書き続けていた、のは事実のようでありますし
(私は、それ以降、この方の書いたものなど、何一つ、読んでございませんので、
知りません)

政治からの撤退の時、"せめて、今まで協働してきた方たちに・御挨拶を"に対し
≪そんなものは、いらん≫
と行ったのは、二代目、と聞いております。


現総裁だけの責任ではない、とたびたび申し上げてきたのは、こういうことで御座います。


合掌

1976春らんまん:2012/03/31(土) 20:16:32 ID:2wOWG6Oo
訂正

 >自分は奥にの為に役にも立たず

"御国の為"

>≪そんなものは、いらん≫
と行ったのは、二代目

"言ったのは"

訂正・謝罪致します。

1977春らんまん:2012/03/31(土) 20:48:31 ID:2wOWG6Oo
なおかつ、(確か、自分が読んだ文章で、気持悪くて記憶に残っているのは)

『谷口雅春先生が、"戦場で、人を殺さなくて、本当に良かったですね"と
仰ってくださったこと』と、書かれていることに、


逆上しました。


よしんば、プライベートで、こういう会話があったかも、しれません。

それを、いちいち、なんで、信徒が読む本に、ワザワザ書かなきゃいけないのですか??

斎主として英霊様のお祀りをされた尊師と違い、二代めは、一度も"祖国の英霊に、尊崇の念"を公表した事実は、ないと思います。

"大東亜戦争を侵略戦争だなとど、誣いる者は、生長の家から去れ!!!"という
尊師の御言葉に従うならば、

二代目以降から、"谷口家による乗っ取り"は、現在したのですよ。


尊師は、世襲は希望されてなかった(占領下で、開祖と教主を分けて、一時しのぎをしていた)
とするならば、

二代目以降、尊師の御教えを正しく伝えてこなかった、

だからこそ、今の"瓦解は、正しい"

という結論になるのです。


再拝

1978春らんまん:2012/03/31(土) 21:20:39 ID:2wOWG6Oo
さくら様に、最低限の質問を致します。

"人間は、地球のガン"と言っている現総裁は、"人間は神の子"の教えが、理解された上での発言と、思われますか?

大調和の神示については、余りにイタイので、触れませんが、

"総裁は、裁判によって、聖典と聖経を失ったことを、反省していますか?"

です。


あり得ないから、こうゆって、"新たなる? 珍毒真理の展開"になっているので
ございましょうけれど、


私など、信仰三歳児(5月で満五歳♪)
にはるかに及ばない貴女が、

もう少し、蝮の毒にあたっている方を、なだめすかすにしても、


本源を冒涜しては、あきまへんなぁ。。。



(言い換えますと、 アンタ、バカじゃね? キチガイのマサノブとデートの約束までして。
一部・女性問題も一時あったらしいわよね、アンタ、それ知ってて言ってる?)
と、
心配してしまいます。


ガセネタでしたら、大変、失礼いたしました。


合掌

1979春らんまん:2012/03/31(土) 21:26:29 ID:2wOWG6Oo
>私など、信仰三歳児(5月で満五歳♪)

5月で満三歳

でございます。

訂正致します。

1980さくら:2012/03/31(土) 21:36:42 ID:gX/8KLGY
春らんまん様

はじめまして。
最低限の質問ありがとうございます。
最低限のお答えをいたします。

一、"人間は、地球のガン"と言っている現総裁は、"人間は神の子"の教えが、理解された上での発言と、思われますか?

人の理解は関与できませんが、思われますか?と聞かれれば、
そう思います。
役立たず、や、キチガイとの言葉を使われる方でも、
雅春先生の説かれた人間神の子を理解された上でのことだと、
思うようにつとめております。

二、"総裁は、裁判によって、聖典と聖経を失ったことを、反省していますか?"

人の反省の状態は、私には、関与するところではございません。

ご教授ありがとうございました。

1981役行者:2012/03/31(土) 21:40:49 ID:R4QFGmvc

 八咫烏 さま


> あまりに婉曲な表現は、どうも苦手なので、なるべ く直球でお願いします<

 分かります。
 性格は直球なのですが、掲示板上では、なんか婉曲に表現してますね、こちらこそ申し訳ないです。

1982春らんまん:2012/03/31(土) 21:53:40 ID:2wOWG6Oo
御回答、ありがとうございました。


私は、貴女の御認識がどうあれ、"祖国日本"の事が第一義であり、
生長の家の組織は、
その下に準ずるものです。

>役立たず、や、キチガイとの言葉を使われる方でも、


どう捉えられたかは、あなたの御自由ですが、


二代目は、
"大東亜戦争においては"⇒"御国の為になる働きはしていない"のは事実
であり、

キチガイ?
とは、父祖の恩恵を受けて生きながら、逆行している御身分の現総裁夫婦の事を、事実に基づいて、
言っているに過ぎません。


汚いものにフタ、の、事実を直視しない君ら一般信徒や職員が、総裁をここまでにしたのだという事実は、


嫌でも、
いつか、直視して下さい。


(それに耐えられない、多くの職員が、精神を患っています)



感謝再拝

1983さくら:2012/03/31(土) 22:42:10 ID:gX/8KLGY
春らんまん様

貴女が、祖国を愛される気持ちを理解いたしました。

私もわたくしの立場におきまして、
雅春先生の御意志は、
本来、どこにあったのかを、
自らに問い、振り返る
一信仰者でありたいと、
そのように感じさせて頂きました。

ありがとうございました。

1984rei:2012/03/31(土) 23:27:44 ID:bo95azFI
あまりにも活発に意見交換がされているので、一通り読むだけでも私には
大変な所ですが、
すみませんが少し前に書かれていた1940の初心者様へ。

「神の委託」という言葉は生長の家では「神の御心(神意)」という言葉で
頻繁に使われていると思います。

同じ意味だと思います。

だから、雅宣総裁の打ち出される方針が、生長の家の教えと違うんじゃないか
と思っても、これが神のみこころなのか、、、と思いつつ従うのです。

生長の家が崩壊に向かっているかのごとく見えるのも
「みこころ」ですか?神様。と自問自答しながら歩んでいます。
違うんじゃないか、、と思われる方々がこうしてここへ発言したり、
本流とかの掲示板に発言されてるのだと思います。

あなた様が言われる「トップが神の委託をうけているかどうか」ということは
信徒みなが常に常に神様にお伺いしているところです。

どうしてここのところをみなさんがスルーしてしまわれるのかわかりません。
もう、言う気も失せてしまわれたのが本音ですか?
八咫烏さまがすばらしい返答をなされるとは思いますが、
ここはちょっと黙っていられませんでした。

1985志恩:2012/04/01(日) 00:55:16 ID:.QY5jUA6

reiさま

「神の委託」=「神の御心(神意)」のことですが、
私が、疑問に感じましたのは、
神の委託にしましても、神意にしましても、『現総裁に降りる』という言い方をされましたので、
そんなことは、初めて聞きました、と申し上げたのです。

雅春先生は、信徒の皆様お一人お一人に、皆さんは、神の子で、神の御心は、
皆さんお一人お一人に降りるとおっしゃってましたから。

現総裁だけに、神の御心が、降りるわけでは、ないという意味を、言いたかったのです。

訊け管理人様が、謹写してくださってるご文章の中に「夫にハイ」の例えを書いてくださってますが、
例え,総裁でも間違ってると思うことをおっしゃったのでしたら、現象の総裁には、ハイと言わなくていいのです。
実相の総裁に,ハイというのです。ということを、教えてくださってます。

生長の家が、崩壊に向かっているのは、今の生長の家のやりかたが、間違っていたということを現しています。
ですから、大転換する事が,大事だと、神様が、おっしゃっておられるのだと思っています。

われわれ、心ある信徒が、おかしいことを、おかしいと訴えてるのは、崩壊から、発展の方向へ転換する為の、
ささやかながら、お手伝いをさせていただいている気持ちで、発言させていただいているのです。

生長の家は、われわれにとりましても、たいせつな たましいのふる里だからです。

1986役行者:2012/04/01(日) 04:25:34 ID:6Sl3qdi.

 八咫烏さま
  
 また、

 皆様


 真理について、語らせてください。  
 

 >真理を探求するとは、前にも言いましたように、生長の家の信徒は教えを知識ではなく、魂全体で感得したい、全人的に体得したいと願うも のなのです。
  しかも、悟りといっても無限に続くものであり、一 段登ったら、次の段階があり、それは果てしないともいえます。 実相は完全ですが、実相は完全であり無限であるからこそ、この現象世界は 無限に実相をあらわし続けるものだと思います。 だから欲求も無限にならざるを得ません。<


 同意します。
 真理は汝を自由ならしめん!とのイエスの言葉があります。
 
 無限に生成発展してゆくのが、実相世界と存じています。
 完全の中に無限も含まれていると存じるのです。
 ですから、私も、たとえ真理探究と云えども、救済・信仰と切り離すべきではないと存じます。
  

 >組織は、信仰者(賛同者)の集合ですから、それが 有機体的に機能するには、やはり中心帰一というものが必要で、そうでないと 単なる集合に過ぎません。
  しかし、信仰者個人にとっては、組織は信仰というものに付随する救済や個人の悟りの深化とかそうしたものの達成のためにあるのであって、 組織がそうした個人の欲求とずれてくると、個人に とって、組織は意味がなくなります。
  信仰者にとっては、トップヘの忠誠心は、実は神へ の忠誠心の代理であり 、信仰者はトップが神の委託(神意)に答えていないとみなすと、求心力はなくなるでしょう 。個人としては、そういう組織を改善しようとする か、個人の信仰の質を変えるかしかないと思いま す。
  それによって、求心力と遠心力のバランスは保たれると考えます <


 まさしくそのとおりと存じます。
 生長の家では、信仰とは実相の中に、入ることだと云っています。ですから、究極的には組織とは関係がなく、個人の悟りの深化の問題だと思います。ただ、組織はその深化に支援、協力、手助けをする役目もあるのではないかと存じます。
 
 reiさまも云われていますよう、信徒も真剣だと思います。
 自分の魂が救済されたいのです。自分の信じている教団が間違った方向にいっていたら憂うべき問題ですよ。
 たとえば、信仰が自らの内に向かうか、外に向かうか、でも違ってきます。
 自分のなかに神が存在し、内奥の世界に入ることが信仰だと教え諭すだけでも、個人にとりまして大いに救済となることでしょう。
  
 ベクトルが神の道に向いているか、いないかで、組織としての人類に果たす役割がまったく違ってくるでしょう。 

 ですから、宗教家、特に教団トップの発言は、本当に大切なのです。
 このようなことを大いに語り合う場をつくる、手始めに、このことからはじめて行きたいと私は思うのです。
 つまり、和解のために同じテーブル上に付くことを大いに期待します。
 大同団結して、もう一度、一からやり直していきたいと心より思ってます。

          合 掌

1987SAKURA:2012/04/01(日) 05:05:52 ID:eEeagkZk

トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

【SAKURA の 独り言】
勉強不足…でしょうか?自覚しております〜〜〜が ><

■【ホメロスの輪…】ウフ〜〜〜ン!!

そうです〜〜ネ!ふと?【リング…三つのリング連結??】
連想して…例えば…??【男・女・子供】
つまり、具体的には【男性・女性が一体となり、子供が生まれる…!】
【一つの“絆”で〜〜〜ショ】
これが【ホメロスの輪…】に、たとえて行きますと…

以前【さくら様】が…
〜〜〜♫【カルチェ〜〜〜来い〜〜〜♫】と、書いていらっしゃいましたが…
私は当時【カルチェのバック…】とばかり、連想していましたが?
ここ数日前から【カルチェのリング】を思い出したのです。
この【3連にかさなった“リング”…ゴ−ルド・シルバ−・くすんだゴ−ルド】が
【3連…】重なっています…。不思議な気分です…はずす事は、難しい? ><

私も“20歳の頃”当時【青山ヴァンド−ム…】で、一見風を買いましたが…?ウフフ
当時は“30%引きで購入”…勿論“偽物”ですが〜〜><
当時の私にとりましては、高価なものでしたが…?
今は“ネット販売”・“通販”で安くて??万ぐらいでしょうが……?

ふと!今の“私の手”…もう〜〜〜“料理”をする様になりますと…
どう見ましても「無用の産物」当に!手にとっても、似合わない様ですが… ><
この【3連のリング】を連想しましたら、先ず!「一本のひもから」始まる…
或る方が云いまして【一本の紐???】
話は脱線しますが……そういえば?
日本でも「道ゆきコ−ト」etcとか?「子供の着物」に飾り紐結び…
がありますョ〜〜〜ネ!これは【一本の紐】での展開が始まりますが…
実際!作りますと難しいのです〜〜〜〜〜ョネ!

■この事を踏まえまして、更に“連想”しながら〜〜〜♫
【家族……男性・女性が一体そして子供】これを互角に関連しますと“リング”に
なります〜〜〜ョネ!
更に!【祖父・祖母とか関連していくうちに、一つの輪】が増えて行くのでしょう。
そうしますと「さくら様」のおっしゃいます事は…
勉強不足な私?【具体論…】が見えないのです…。

■【組織・真理・救済…】
この事が【ホメロスの輪…】でしたら、この三者がどの様に
「互角」なのでしょうか?仮に今…そうでない場合…ではどの様にして、
「互角」に持って行かれますのでしょうか?

余りにも…【抽象論…】の様に思えますし、この事が「生長の家」の場合、
どの様なる【具体論…】或いは将来この様に〜〜♫〜〜との、お考えが、
あられますのでしょうか…?

そうでなくても、【現在の生長の家】…お家騒動…
この三者の力(さくら様のおっしゃる“組織・真理・救済…”のバランス)
元々あったのでしょうか?いつから崩壊していきましたのでしょうか?

いろいろ【独り言…具体論】只今!考え込んでいます…。
                                 再合掌
PS:
  先ず!現状は信者(魂の向上を求める人々)この方々を集客を如何になす事が、
  出来るのか…?ここからが、始まる”モノ”と思います。

更に…追及していきま〜〜〜〜す。

1988役行者:2012/04/01(日) 05:17:02 ID:6Sl3qdi.

 八咫烏さま
  
 また、

 皆様

 改めて

 >もしも間違いと言われるならば、これは多少で済む 話ではないでしょう。
  私は、一連の実相哲学の展開として、理解している つもりです。
  しかし、ここは受け入れることができない人には どうしようもない部分かも知れませんね<



 その“ここ“とはたぶん、さくら様が触れられ、春さんがふくらまして下さっている部分も含まれているかと存じます。
 言葉の差異でなく、一第目、二第目、三第目と受け継がれてゆくなか、“違い“について語るのなら、天皇のことと、戦争、特に大東亜戦争のことにほぼ集約されることと存じます。

 教団が如何に示すかにより、信徒の信仰のあり方の基盤を揺るがす大きな課題と存じます。
 もちろん持論はありますが、ここは、そう簡単に結論つけるべきではないと存じます。
 大いに、語り合うべきであると存じております。

        合掌 再拝

1989rei:2012/04/01(日) 07:40:34 ID:bo95azFI
ごめんなさい、
よく読んだら皆様ちゃんと答えておられますね。

志恩さま
ありがとうございます。
私はけっこう真面目な信徒なんですね、、。
機関誌も普及誌もあまり読んでいないと思ってたけど
ちゃんと読んでたみたいです。
知らず知らず今の教えが自分の中に相当進行してると思います。
この掲示板をよんでると、
それをすごく感じます。

生長の家の大神ー総裁・副総裁ーみ教え
という菩薩は何を為すべきかの中の言葉を盛んに教えられました。
これは、現総裁に神意が降りるという意味ではないのですか?

1990志恩:2012/04/01(日) 08:17:50 ID:.QY5jUA6
reiさま

「生長の家大神ー総裁・副総裁ーみ教え」については、宇治の大道場にそのを大書した幕があるそうですが、
本流のほうに、「靖国見真会」参加者様が、それについて、書かれてますので、
それを貼付します。

果たして、貼るのに,成功するかどうか、わかりませんが。

 http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&amp;mode=res&amp;log=1450

1991志恩:2012/04/01(日) 08:20:00 ID:.QY5jUA6
貼れてましたね。よかったです。

reiさま、また、いらしてくださいませね。

1992ももんが:2012/04/01(日) 10:31:02 ID:XXCuaQns
神の子皆様、おはようございます。本日は、素晴らしい、御天気ですね。元気に、明るく、健やかに、お過ごしください。ありがとうございます。合掌、拝。

本日は、聖母マリア様の、お歌を聴いて、慈悲の御心に、平安を求めて下さい。

>>http://m.youtube.com/watch?guid=ON&amp;gl=JP&amp;hl=ja&amp;client=mv-google&amp;v=G7Dd8CKsaxk<<


私には、聖母マリア様=観世音菩薩であり、けして、天使ミカエルないのです。ミカエルは、マリア様に、イエス(真理)を受胎を、しらせた、下部に過ぎないのです。

慈母の心は、地球の心が、奏でる、”音“であると、こう、感じています。

では、では、皆様、本日も、素晴らしい、太陽の下に、素晴らしい日をお過ごしください。ありがとうございます。合掌、拝。

1993八咫烏:2012/04/01(日) 15:41:26 ID:XUCnAhzY
松浦光修先生の講演記録の一部を添付します。
http://matsumitsu.exblog.jp/6991032/

  守るべきものとは、国体

 なぜ私がこの問題に最大級の危機感を持っているのか、お話します。私はいつも学生諸君にも「天皇は日本の命である、皇統が絶える時、日本は死ぬのだ。万一そうなったら、その日に日本の歴史は終るんだ。地球上に日本という国は消えるんだ」と言っているんです。神話も文学も神道も武士道も、すべて日本文化は天皇に直結しています。直結して生きています。近代以前の歴史も、近代以降の歴史も、大東亜戦争も靖国神社も、すべて天皇に直結しています。皇統が絶えれば何もかも消えます。何もかもなくなります。

 日本で守るべきものの優先順位をつけるとすれば何はさておいても皇統である。たとえば、人間の体でも守るべき優先順位があるはずです。誰かが襲ってきたら私たちは手で自分をカバーします。また頭や心臓をカバーします。手を守るために頭を差し出すような人はいません。足を守るために心臓を差し出す人もいません。優先順位があるわけですね。たとえ手や足が傷ついたところで、それでその人の命が絶えるわけではない。しかし、頭や心臓をやられたら、手や足が無傷でも人の命はなくなるのです。

 今、日本はたいへんな危機を迎えております。むろん、できればどこも傷つけることなく生きていければ、それにこしたことはないのですが、万一の時はどうするのか。何かを犠牲にしてでも皇統を守らなければならない、そういうこともあるのではないのか。たとえ景気が回復しても、憲法が改正されても、何がどうなっても、皇統が絶えればすべては無意味です。昔の人はその大切な日本の国がらを「国体」と呼んだわけです。

 人は富を得ようが名誉を得ようが、命を失えば意味がない。それと同じことで、すべての政策がうまくいっても、日本の国体が護持されていなければ意味がない。なぜ天皇がなければ日本がないのか。簡単なたとえ話をいたしましょう。

1994八咫烏:2012/04/01(日) 15:42:32 ID:XUCnAhzY
松浦光修先生の講話のつづき

日本の古語では、命のことを「玉の緒」と言います。玉とは宝石のことです。勾玉の玉です。そしてもう一つ意味があります。魂、霊魂も意味するのです。この言葉に古代の日本人の並々ならぬ智慧がこめられています。言わば日本にとって天皇とは、宝石を貫く一筋の糸のような存在なのです。

 二千年の歴史を通じてみれば、日本史の各時代はそれぞれに美しい宝石にたとえられるでしょう。そして、その宝石を貫くのが天皇です。奈良時代の純朴さ、平安時代の雅、鎌倉時代の武士道、それらの過去のすべてを私たちは当たり前のように今、私たちの先祖のものだと言ってますが、少し冷静に考えてみてください。

 たとえば、タイムマシンに乗って、今この場所を動かずいきなり平安時代に遡ったとします。するとどうですか。まず言葉が通じません。今の日本語と平安時代の日本語では、発音から何から、かなり違います。現代人には英語よりわからないかもしれません。そして政治制度も社会制度も、着る物も食べる物も、住宅環境も、要するに何もかも違います。「同じ日本人です」と平安時代の人に言っても「変な服着ているな。おまえなんか知らない。見たことない。おまえは外国人だ」と言われるでしょう。

 そもそも「同じ日本人」という根拠は何ですか。平安時代と現代をつなぐ“縦糸”はどこにあるのかということですね。「同じ日本人」という根拠は、考えてみると、案外ないんですね。そして結局のところその根拠は、「天皇を戴いている国の民である」という一点に絞られるわけです。それだけが、日本が日本である証なんですね。

 すべての人は、生まれ、成長し、やがて老いていく。赤ん坊の頃の私の写真を見た人と、今の私の姿を見た人では、同じ人とは思わないでしょう。しかし同一人物です。そこにはひとつの命があり、人格がつながっています。姿が変わろうと、人の命は一つづき。それと同じことで、何が変わろうと国の命も一つづき。その日本の命、それが天皇です。

 三重県の名産のひとつに真珠があります。美しい真珠のネックレスには、たくさんの真珠が使われていますが、貫く糸は一本です。その糸が切れれば、どれだけ真珠があろうと、散り散りばらばらになります。もはやネックレスにはなりません。それと同じことで、どれだけ過去に、世界に誇る優れた文化や歴史があろうと、皇統が絶えれば日本は散り散りになり、ばらばらになる。

 思えば「玉の緒」という言葉に、宝石を貫くものという意味と、魂を体につないでおくもの、つまり命と、その二つの意味を持たせた古代の日本人は、なんと智慧深い人たちであったことかと思います。

 しかし、今の日本ではその大切なことがまるで教えられていない。それどころか軽蔑や憎悪の対象として教える教師たちがいる。そんなに日本が嫌いなら日本から出て行けばいいんです。あの人たちは、なんで日本の税金を使って日本の教壇に立っているんでしょう。厭なら日本から出て行けばいいのに、誰も止めはしないのに、と不思議に思います。日本に居つづけて文句ばっかり言っている。日本の税金をもらいながら、日本に文句ばっかり言っている。そういう教師たちがなんで日本の教員資格を与えられているのでしょうか。わたしには不思議でなりません。

1995八咫烏:2012/04/01(日) 15:52:58 ID:XUCnAhzY
松浦光修先生の講話
http://matsumitsu.exblog.jp/7039964/

 日本に生を受けた者の義務とは

 ともあれ私たちは、日本を日本たらしめているものが何か、普段からそういう認識を確立していないといけません。そうでなければ、いざという時、私たちはただうろたえるばかりで、手を守るために頭を差し出したり、足を守るために心臓を差し出したり、そういう愚かな真似をしてしまうでしょう。

 そう考える時、新聞に名前こそ出ませんでしたが今年、まさに我が命をさらして陛下をお守りした人がいた、そのことを覚えておいででしょうか。今年七月四日、陛下が北海道に行幸された時、富良野市の国道三十八号線で、いわゆる「ソフト警備」の隙に乗じて陛下のお車に車が突入するという驚愕すべき事件が起こりました。そういう事件は、日本史上初めてであります。この事件のことを翌日の『産経新聞』はこう伝えています。

 「調べでは、現場は中央分離帯のない片側一車線で、対向車線を走っていた古泉容疑者の車は、車列とすれちがった直後にUターンし、対向車線を逆行する形で車列に追いつき、その後しばらく併走。警護のため車列に加わっていた道警の白バイが制止したが、両陛下の車に横から接近し、阻止しようとした皇宮警察の白バイのうち一台と衝突。白バイは車に倒れかかるように接触した。車列は現場に約三分停止した。・・・前部が破損したが、両陛下におけがはなく、予備の車に乗り換え、予定通り視察を続けられた。」(『産経新聞』平成十五年七月五日)

 その日のテレビニュースで破損した両陛下のお車が映されていて、私はゾッとしました。それでも両陛下はご自分たちのことより「警察官にけがはなかったか」と、そのことをご心配であったそうです。

 その容疑者のような“異常な国民”が現われはじめたこと、そのこと自体、同じ国民として申し訳ない思いでいっぱいです。そして、ご自分たちのことより、警察官のことを気遣ってくださるという、まさにご歴代の天皇と変わらぬご聖徳に、私などはただ感激するほかありませんでした。

1996八咫烏:2012/04/01(日) 15:53:48 ID:XUCnAhzY
松浦光修先生の講話、上の続き

この時、皇宮警察の白バイの警察官は、両陛下のお車と、そのお車に突入しようとする車との間に割って入り、まさに身を挺して両陛下をお守りしました。その白バイの皇宮警察官の名前は出ていませんが、ただ一人で両陛下をお守りしたわけです。それのみでなく、その警察官は、二千年来の日本の命も守った人である、と讃えて結構だと思いますが、なぜか警察官や自衛官のことを、日本のマスコミは讃えないですね。

 私たちも、たとえ身は民間にあるものであっても心はこの皇宮警察官のようでなければならない、それが日本に生を受けた者の義務だと思います。まるで自分の父母を思うように、古くから日本人は天皇を慕ってまいりました。目の前で父母を傷つけようとする悪人がいれば、普通の日本人なら体を張って父母を守ろうとするでしょう。天皇に対しても同様です。その思いは、その行動パターンは、日本人の心の遺伝子にしっかりと組み込まれています。

 先の警察官は、目の前の危機に直面して、思わず身を挺して、自分の命も顧みずに両陛下をお守りしたわけでしょう。この「思わず」というところがたいへん大事なんです。非常事態に直面すると、まともな日本人なら、天皇を我が父母と同様に思う“心の遺伝子”が発動いたします。そのような、まともな日本人のおかげで、つまり先人たちの努力のおかげで、今日の日本はあるわけです。

 三井甲之の有名な和歌を一首あげておきます。ご存知の方も多いと思いますが、その白バイの警察官のことも思いながら、あらためて味わってみたいと思います。

 「ますらをの かなしきいのち つみかさね つみかさねまもる やまとしまねを」

 「海ゆかば山ゆかば・・・」の遠い古代から、近くは大東亜戦争に至るまで、我が国の先人たちは、我が身を盾として、父母を守る子供のように、国の命である天皇を守るため、国難に殉じ、若い命を散らしてまいりました。そして今も、先の警察官のように身を挺して両陛下をお守りしている人もいます。問題は、それでは私たちは何をしているのか、ということです。

 「私は警察官じゃないから」とか、そういう問題ではありません。この事件のような両陛下に対する直接的攻撃も今後心配されます。今は卑劣なテロが続発する危険な情勢です。ですから、私は皇族方は東京に一極集中してお住まいになるのは危険である、と考えております。各地の離宮に厳重な警備を敷いてなるべく一ヵ所にかたまらずにお住まいになった方がよいのではないか。大東亜戦争の時など、今上陛下は疎開されておられましたが、そういうことも、もう考える時が来ている。
 
 一方、そういう直接的な攻撃ではなく、間接的な攻撃なら、もう枚挙にいとまがない。この半世紀、皇室に対する間接的な攻撃が絶え間なく行われてきたことはご存知の通りです。政界、官界、学会、言論界、教育界、その中に、さまざまな手段を使って両陛下を脅かす人々がいます。国旗、国歌を冒涜し、「天皇は差別の根源」などと理屈の通らないことを言う人たちがたくさんいるわけです。

 戦後は「お母さん、天皇って何?」と子供が聞くと「私たちの税金で食ってる人だよ」なんてことしか教えない母親が多かった。それが普通になってしまった。自然と皇室に対する軽蔑や憎悪が生じる。やがてそれが行動につながっていったのがあの「全共闘世代」の人々でしょう。しかし今でも、そういうたぐいの人たちが私たちの目の前で跳梁跋扈しているではありませんか。それでは、私たちはどうしたらいいのか。見てみぬふりをしていていいんでしょうか。もしそうだったら、それはまるで両陛下のお車に突っ込もうとしている犯人を目の前で見ていながら、見て見ぬふりをする卑怯者のようなものではないか。

 「おい、何言ってるんだ、おまえら」と、せめて一言、正々堂々と面と向かって、そういう人たちに言い返すべきではないか。勝てるとか負けるとかそんなことを考える必要はない。「思わず」そう言ってしまう、「思わず」そう叫んでしまう、それがまともな日本人だろうと思うんです。そんな連中に、まともな日本人なら一矢報いたいと思うはずです。そして、皇室おご恩に報いたい、と思うはずです。あたかも大逆を働こうとした犯人に「思わず」白バイで体当たりした、あの皇宮警察官のように・・・。

1997ももんが:2012/04/01(日) 17:19:10 ID:XXCuaQns
>>1909
復興G様

復興G様、先日のお言葉、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

先日の、御文章をいただきまして、復興G様が、”挨拶“していただけないことに、事に、大変ビックリいたしました。

>>かなり的はずれなお返事、ありがとうございます。
<<

最初の、この、この御言葉を読んで、復興G様は、”“内心”私の言う事に、“賛同”理解していただいと思いました。

あと、“認めたくない心”、“自我”が邪魔されてるのかと、感じしまいました。


『>それから、復興G様、大変恐縮なのですが、復興G様は?『言葉』は『人間の言葉』『話言葉』と理解していられるようで、大変残念です。<

>>そんなことはありません。それはあなたの誤解ですよ<<』


そうですか?『誤解』ですか?環境は、宗教と関係ないとおしゃる?なら、道元禅師は『水』を大切にする事を言われてます。弘法大師も『植林』をされました。
これは、『地球』の声を、“心”で聴くことが、出来るから、自然に言葉になるのです。

確かに。

>>その通りです。<<

と、復興G様は、御答え下さいましたが、実際は、“人の言葉”、“雅春先生の言葉”の追従に成ってるだけで、“自己の内側から聴こえた神の声”では、無いと、生意気ですが、拝察しました。


>>では、ももんが様、その“生長の家誌第一号”の、もっと前の方に書かれている、いわゆる“発進宣言”といわれているお言葉については、どう思われますか?

 「自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。起たざるを得なくなつたのである。友よ助けよ。同志よ吾れに投ぜよ。人類は今危機に頻してゐる。生活苦が色々の形で押し寄せて人類は将に波にさらはれて覆没しやうとしてゐる小舟の如き観はないか。自分は幾度も躊躇した。起つことを躊躇した。自分は中心者として増上慢のそしりを受けることを恐れてゐたのだつた。一求道者としていつまでも謙遜でゐたかつた。併し今は謙遜でありたいと云ふことが自分にとつては安易を貪る一つの誘惑と感じられる。自分はこの誘惑に打ち克って人類を救はねばならない。自分の有つてゐる限りの火で人類を救はねばならない。……」

 というお言葉です。
 これは、日時計主義に反するお言葉ですか。最初から、日時計主義に反することを言いながら、一方で日時計主義を提唱されているのでしょうか。
 これは、「実相と現象」についてのお悟りと使命感から出たお言葉であると、私は拝誦しています。<<

”いいえ“この御文章、全体の雰囲気から、”日時計主義“が溢れているているているではありませんか。
”感じ“取れませんか?
幸福感が、”使命感は気にしない方がいいですよ。

”心の灯火“て番組で、ヤット神父が、言っていた。
『暗いと不平を言うよりも、すすんで、あかりをつけましょう。』

此れと、同じ内容の、雅春先生の御言葉と思いますよ。

”聖書“を引用なされたのでしょね。わかりませんが、日時計主義だと、私は思いますよ。


〜つづく

1998ももんが:2012/04/01(日) 17:30:05 ID:XXCuaQns
>>1909
復興G様〜つづく②




>> とおっしゃったことに対して、私は「この世界は言葉によって創られて行く世界ですから、積極的に言葉の力を駆使するのが生長の家の生き方なのではございませんか」と申しあげました。その「言葉の力」とは、むろん、行いも含みます。
 桜の例で言えば、桜の花は既に神さまの心で創造されていて、自然に咲きますけれども、太平洋と日本海を桜のトンネルで結ぶことも、バスの車掌だった一人の男の使命感と行動によって実現しました。ポトマックの桜もそうです。神の国に既にある理念を現象界に展開するには、人間が使命感をもって口でも言い、行動することが、人に与えられた役割なのではないでしょうか。<<


”与えらた使命“、それが、自然に発揮されるですよ。仏教では”因果必然“というんですがね。上のお話も、そうなる、因果にあっただけ、なすべき事は、確かに見方によって、使命だが、それは、その人に生まれながらに、為すべき事がらであっただけです。

言葉が、展開するから、その人に生まれながらに備わった、使命が展開するわけですよね。
私は、そのように、理解しております。



>><「宗教・哲学等の価値観の異なる文化圏が接触した場合は、互ひに反撥して対立するか、一方が他方を征服して抹殺してしまうかの何れかである、従って文化を輸入することは出来ない」といった一般原則があります。この原則は古今東西の歴史が証明するところですが、この一般原則に当てはまらないのが日本の国であり日本の文化であります。
 近代の宗教一つを取上げて見ましても、仏教やキリスト教が「日本の生命」に触れた時その本来の姿を現わして「生長の家」という国家的に世界的に完成される宗教に変貌致します。
 要するに「霊(ひ)の本」から発して世界の各地で個別に華開いた思想や文化が、お里帰りをすると新しい生命に生まれ変るのであります。>
 (『理想世界』昭和51年11月号、木間敬氏)<<



復興G様、他人の言葉でなく、御自身の言葉を、賜りたいです。

私は、この方の見方と、見解を異なります。

>>「宗教・哲学等の価値観の異なる文化圏が接触した場合は、互ひに反撥して対立するか、一方が他方を征服して抹殺してしまうかの何れかである、従って文化を輸入することは出来ない」といった一般原則があります。この原則は古今東西の歴史が証明するところですが、この一般原則に当てはまらないのが日本の国であり日本の文化であります。<<

とありますが?征服した民族が、けして、優位になれたわけではなく、文化や言葉も同化して行く事も、あったわけだから、一概に言えないと思います。


>> それはもちろんですが、ここは生長の家について語っている場であるのに、ももんがさんはなぜわざわざ生長の家を他の教えと同列に並べておとしめるようなことをおっしゃるのか、理解に苦しみます。生長の家は、なくてもよかったのですか?<<

“仏祖の往昔は我らなり、我らが到来は仏祖ならん”

“生長の家の教えも、他宗の教えも、我においては、一体である。”そう、私の心の中では、一つなんですよ。

なんの、差別が、ありますか?

差別が、あり拘りがあるのは、復興G様の御言葉と、心の中の既成概念、だけですよ。

復興G様が、このように、思い、感じるのは、既成概念(拘る心)

<<、ももんがさんはなぜわざわざ生長の家を他の教えと同列に並べておとしめるようなことをおっしゃるのか、理解に苦しみます。>>

そう、復興G様の心の内にある一つの拘りの心だと、私は、思います。

私は、神様のお話をしてるだけで、生長の家(地上の)とか、キリスト教とか、仏教とか、余り拘りは、ありません。

復興G様は、本当は、私の考え方に賛同していられるのだなと感じます。

文章全体から、それを、感じでます。

良いのですよ、すぐに、完全賛同でなくとも、真な、ありがたく、思います。

それでは、長々と、失礼な御言葉もあり、すいませんでした。真ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

1999SAKURA:2012/04/01(日) 18:17:05 ID:I4aQXl92
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

【SAKURA の 独り言】
勉強不足…でしょうか?自覚しております〜〜〜が ><

私自身、この【ホメロスの輪…】に関しまして、
かなり前から“3月上旬位”からでしょうか…「さくら様」が、一つの定義を、
出されましたが…【組織・真理・救済…】この事が…
【ホメロスの輪…つまり“3連のリング”…値するような事を示して下さいました…。
ならば…この事がどの様に関連して…この「3者…互角」なのでしょうか…?

勉強不足の私ですので…其の“具体的な考え”をお願いできればと思いまして、
今回…皆様と一緒に「さくら様」に御回答を頂けますととの思いから…
投稿させて頂いた次第です。
今回…再度私の【ホメロスの輪…】に関しての“考え…入門”と思いますが?
投稿させて頂きます…。

尚…「さくら様」からの「返事の言葉…」投稿させて頂きますが…(下記の文)
果たて、【ホメロス3連リング…】つまり【真理・救済…】この部分はどの様に
【組織…】との関連が…具体的な一例を頂けますと思いましたが…??

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■生長の家政治連合と「今の教え」を考える
888 >さくら 投稿言葉…          (抜粋させて頂きました。)
SAKURAさま

具体案っていうのは、
実際ある機能を使えば   活動では、単青や、地区の活動が、
自由に機能する、そういうことなんですが…。
組織の内部の意識を大きく変えないと、
状況は、変わらないでしょうと、思います、。<    (抜粋させて頂きました。)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   <つづく>


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板