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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板

1900初心者:2012/03/28(水) 21:41:47 ID:ixiWFYoQ
さくら様

>その場合、真理、とはなんでしょうか。
では、人間にとっての、「不都合」は、真理ではないのか…
そんな疑問もわいてまいります。
私としては、真理とは何かを探求することには、興味があります。
そこに、救いや信仰は、問題にされないことと、思っております。

ある科学者が、「なぜ、科学者である自分が神をも否定する方向へ向おうと
するのかといえば、真理の追究に救済を持ち込めば、それは真理の探究とは
言えなくなるからです」と、こんなようなことを言っていました。

救われたいという思いではじめられるのが信仰であるのかもしれませんが、
わたくしはやはり、さくら様が言っておられるように「救いや信仰は、問題に
されない」とこのように考えます。

以前よりこちらで何度も引用してまいりましたが、わたくしは、スラヴォイ・ジジェク
の「私を待っているのは、私が同一化しなければならない深い真理ではなく、
私が共生することを学ばなければならない堪えがたい真理なのだ」という言葉
に、最初は抵抗がありましたが、今では感動をさえおぼえるようになりました。
たとえそれが「堪えがたい真理」であっても、真理の名に値するものであれば、
共生することを学んでもよいと、このように考えています。

宗教的真理、哲学的真理、科学的真理、これらはやはり、それぞれの立場で追究
すべきものなのでしょうが、わたくしが生長の家に身を置きましたのは、生長の家
が宗教団体の形をとっていながら、哲学的真理や科学的真理の追究の場でもある
と考えたからであり、実際にも、わたくしが在籍していた当時の青年会には、宗教的
真理以外の会話が自由にできる気風が残っていたようにおもいます。

いまでもこうした気風が残っているのでしょうか。こちらで書き込みしておりま
すと、「人間知」と揶揄されたり、「真理は生命の實相から学べ」と押しつけられたり
といったようなことがないわけではありません。いまの生長の家は、かつての時代
ほどに寛容ではないのでしょうね。こういう時期ですから仕方がないのかもしれま
せん。さくら様は組織に在籍しておられると考えておりますが、もしそうであれば、
実際の現場はどのような状況であるのか、教えていただければありがたく存じます。


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