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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板
1994
:
八咫烏
:2012/04/01(日) 15:42:32 ID:XUCnAhzY
松浦光修先生の講話のつづき
日本の古語では、命のことを「玉の緒」と言います。玉とは宝石のことです。勾玉の玉です。そしてもう一つ意味があります。魂、霊魂も意味するのです。この言葉に古代の日本人の並々ならぬ智慧がこめられています。言わば日本にとって天皇とは、宝石を貫く一筋の糸のような存在なのです。
二千年の歴史を通じてみれば、日本史の各時代はそれぞれに美しい宝石にたとえられるでしょう。そして、その宝石を貫くのが天皇です。奈良時代の純朴さ、平安時代の雅、鎌倉時代の武士道、それらの過去のすべてを私たちは当たり前のように今、私たちの先祖のものだと言ってますが、少し冷静に考えてみてください。
たとえば、タイムマシンに乗って、今この場所を動かずいきなり平安時代に遡ったとします。するとどうですか。まず言葉が通じません。今の日本語と平安時代の日本語では、発音から何から、かなり違います。現代人には英語よりわからないかもしれません。そして政治制度も社会制度も、着る物も食べる物も、住宅環境も、要するに何もかも違います。「同じ日本人です」と平安時代の人に言っても「変な服着ているな。おまえなんか知らない。見たことない。おまえは外国人だ」と言われるでしょう。
そもそも「同じ日本人」という根拠は何ですか。平安時代と現代をつなぐ“縦糸”はどこにあるのかということですね。「同じ日本人」という根拠は、考えてみると、案外ないんですね。そして結局のところその根拠は、「天皇を戴いている国の民である」という一点に絞られるわけです。それだけが、日本が日本である証なんですね。
すべての人は、生まれ、成長し、やがて老いていく。赤ん坊の頃の私の写真を見た人と、今の私の姿を見た人では、同じ人とは思わないでしょう。しかし同一人物です。そこにはひとつの命があり、人格がつながっています。姿が変わろうと、人の命は一つづき。それと同じことで、何が変わろうと国の命も一つづき。その日本の命、それが天皇です。
三重県の名産のひとつに真珠があります。美しい真珠のネックレスには、たくさんの真珠が使われていますが、貫く糸は一本です。その糸が切れれば、どれだけ真珠があろうと、散り散りばらばらになります。もはやネックレスにはなりません。それと同じことで、どれだけ過去に、世界に誇る優れた文化や歴史があろうと、皇統が絶えれば日本は散り散りになり、ばらばらになる。
思えば「玉の緒」という言葉に、宝石を貫くものという意味と、魂を体につないでおくもの、つまり命と、その二つの意味を持たせた古代の日本人は、なんと智慧深い人たちであったことかと思います。
しかし、今の日本ではその大切なことがまるで教えられていない。それどころか軽蔑や憎悪の対象として教える教師たちがいる。そんなに日本が嫌いなら日本から出て行けばいいんです。あの人たちは、なんで日本の税金を使って日本の教壇に立っているんでしょう。厭なら日本から出て行けばいいのに、誰も止めはしないのに、と不思議に思います。日本に居つづけて文句ばっかり言っている。日本の税金をもらいながら、日本に文句ばっかり言っている。そういう教師たちがなんで日本の教員資格を与えられているのでしょうか。わたしには不思議でなりません。
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