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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板

1986役行者:2012/04/01(日) 04:25:34 ID:6Sl3qdi.

 八咫烏さま
  
 また、

 皆様


 真理について、語らせてください。  
 

 >真理を探求するとは、前にも言いましたように、生長の家の信徒は教えを知識ではなく、魂全体で感得したい、全人的に体得したいと願うも のなのです。
  しかも、悟りといっても無限に続くものであり、一 段登ったら、次の段階があり、それは果てしないともいえます。 実相は完全ですが、実相は完全であり無限であるからこそ、この現象世界は 無限に実相をあらわし続けるものだと思います。 だから欲求も無限にならざるを得ません。<


 同意します。
 真理は汝を自由ならしめん!とのイエスの言葉があります。
 
 無限に生成発展してゆくのが、実相世界と存じています。
 完全の中に無限も含まれていると存じるのです。
 ですから、私も、たとえ真理探究と云えども、救済・信仰と切り離すべきではないと存じます。
  

 >組織は、信仰者(賛同者)の集合ですから、それが 有機体的に機能するには、やはり中心帰一というものが必要で、そうでないと 単なる集合に過ぎません。
  しかし、信仰者個人にとっては、組織は信仰というものに付随する救済や個人の悟りの深化とかそうしたものの達成のためにあるのであって、 組織がそうした個人の欲求とずれてくると、個人に とって、組織は意味がなくなります。
  信仰者にとっては、トップヘの忠誠心は、実は神へ の忠誠心の代理であり 、信仰者はトップが神の委託(神意)に答えていないとみなすと、求心力はなくなるでしょう 。個人としては、そういう組織を改善しようとする か、個人の信仰の質を変えるかしかないと思いま す。
  それによって、求心力と遠心力のバランスは保たれると考えます <


 まさしくそのとおりと存じます。
 生長の家では、信仰とは実相の中に、入ることだと云っています。ですから、究極的には組織とは関係がなく、個人の悟りの深化の問題だと思います。ただ、組織はその深化に支援、協力、手助けをする役目もあるのではないかと存じます。
 
 reiさまも云われていますよう、信徒も真剣だと思います。
 自分の魂が救済されたいのです。自分の信じている教団が間違った方向にいっていたら憂うべき問題ですよ。
 たとえば、信仰が自らの内に向かうか、外に向かうか、でも違ってきます。
 自分のなかに神が存在し、内奥の世界に入ることが信仰だと教え諭すだけでも、個人にとりまして大いに救済となることでしょう。
  
 ベクトルが神の道に向いているか、いないかで、組織としての人類に果たす役割がまったく違ってくるでしょう。 

 ですから、宗教家、特に教団トップの発言は、本当に大切なのです。
 このようなことを大いに語り合う場をつくる、手始めに、このことからはじめて行きたいと私は思うのです。
 つまり、和解のために同じテーブル上に付くことを大いに期待します。
 大同団結して、もう一度、一からやり直していきたいと心より思ってます。

          合 掌


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