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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板
1972
:
さくら
:2012/03/31(土) 19:27:51 ID:tPVxKQcE
八咫烏様
八咫烏様のご文章からも、雅春先生が、いかに国を思い、この生長の家にかけられてこられてきたかの思いが伝わってまいります。
ありがとうございます。
>谷口雅春先生はおっしゃっています。自分は宗教教団を作ろうと思って運動を始めたのではないと。
先生は、真理を知らないために苦悩の生活をしている人々を救いたい一心で、修養雑誌を自費出版されたのです。教団が目的ではないのです。人を救いたい、そのために真理を伝えたいという思いが先にあるのです。
そうですね、
宗教団体の活動を考えるとき、心に思うことの一つです。
雅春先生は、苦悩している人を救いたいという止むになまれぬ必死のお心があり行動されたからこそ、神が感応され、生長の家の出現となったのだとと、そのように理解しております。
もともとは、雅宣先生は、雅春先生の愛国的発言や愛国路線がすべて間違いであったかのように言われて、即刻、雅春先生のお言葉を否定された、ということではなかったと思われます。
時代によって、雅春先生の仰られる言葉が、変わらざるを得なかった、
それは間違えというより、その都度国を思い人類を思う故からのやむを得ないお言葉であり、そして行動であったこととして理解されておられた、とこのように思っていました。
間違え、といわれたのは、教え、のことではなく、その方針の方であり、
それは時代によってお言葉のニュアンスや立場が変わらざるをえなかったので、
雅春先生でさえ、その点では間違えがあったとの発言があったと思います。
政治運動についての方向転換は、雅春先生が信仰が利用されてしまう政治運動の実態に失望されたことなどから、挫折感の強い文章もあったようですが。
「純粋宗教的立場から 幾分方向転換して政治的方面に運動を進めてきたために、宗教の純粋さや、清潔さが少しでも失われてきていないか」とのご発言があり、清超先生が雅春先生のご意志を守られて、政治運動からの決別があったと伺っております。
その後雅春先生は、日本国実相顕現のたまに龍宮住吉本宮を建立されて、長崎に移転され祈りに徹せられたと。
ですから、政治運動からの撤退は、雅春先生のご意志である、として、
はじめ雅宣先生の方針は、このことを踏まえて、ということであったようです。
それで、雅宣先生の愛国の書の絶版の背景には、運動のあり方が、政治的なものを含んでしまうことを極力さけられた、という事が上げられると思っておりました。
それは、生長の家がめざす信仰運動と方向をずらしてしまい可能性がある、
それを、徹底して守ろうとしたような意図があったようです。
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