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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板
1973
:
さくら
:2012/03/31(土) 19:28:24 ID:tPVxKQcE
しかし、それが結果、生長の家の信仰の基盤となる教えを排斥するようなことになり、
今の教団の活動の方針、実態となったことは、ほんとうに残念で仕方ありませんし、
雅宣先生は、間違えであった。
現実の実態は、そうした状況だと思っております。
私は、祈り、といったのは、祈ってばかりいて、行動しない、ということではありません。
信仰の良心に基づいた行動を、していきたいと、思っております。
私は、ただ、雅宣総裁の今の組織の方針を指示して、活動したい、とはやはり、思えないことが多いです。
ただ、雅宣先生の意図をあまりに理解されていないで、闇雲に反対をするのは、
自分がフェアではないと感じましたし納得がいかなかったので、
雅宣総裁を言わんとすることを理解したいと思ってきました。
でも、理由が論理的に正当化されるから、正しいということではありません、
現にこうした現実をつくったのですから、やはり、間違っていた、と思っています。
そこから、運動といったものの性質から、宗教団体の方針による運動のあり方も、
純粋なる信仰と、ある程度独立性を持たせて運営されるべきではないか、
と思ってきました。
信仰によるやむにやまれぬ思いからの行動であっても、
各人の信仰や魂の深化の目的をおかすような活動になってはいけないと感じてます。
どんな運動でも、それは、目的を持ち結果を求めますし、世の中を変えていきたいという欲望を持ちます。
雅春先生の教えによる、政治運動のあり方が、修正を求められたように、
雅宣総裁の信仰による平和運動が、環境偏狭の方針になったように、
運動には、信仰とは性質の異なる側面をもつので、
時に致し方ない方向へ行くこともあるのではないか、とそのように感じていました。
>現総裁が、環境問題への強い思いがあれば、その強い思いは人を引きつけるでしょう。
どんどんやられればいいと思いますが、仮にも雅春先生の創始された教団を使って、
雅春先生の悲願には見向きもせず、自分の思想に教団を利用されるのは、それは許されることではないと思います。きちんと別組織を作られるべきです。
雅宣氏の思いが強ければ、それは出来るでしょう。
同意いたします。
環境活動は、もし組織として可能なら、独立してべつの団体を立ち上げて、
おおいに活動されればよいと思います。
生長の家としては、生命の實相、教えは守られ、信徒の信仰はそこで守られるべきであると思っています。
宗教団体としては、布教や、教えの学習、信徒の魂の深化が、守られるようになる。
これが、信仰と、救済活動が、互いにつながりをもちながらも、独立するようなかたち、として、イメージが浮かんだことです。
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