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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板
1
:
トキ
:2011/07/23(土) 17:58:48
「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板 です。
生長の家の信仰についての投稿、ご自分の体験談、教義についての質問など、生長の家の信仰を
勉強し、生活に活かす点をテーマに投稿を広く募集します。宜しくお願い申し上げます。
*生長の家の運動や組織、あるいは「本流復活」運動についての話題は、別のスレッドでお願いします。
1951
:
八咫烏
:2012/03/30(金) 16:30:30 ID:r9nswjII
さくら様
信仰とは祈りであり、行動であると思います。
雅春先生も、祈っていたばかりでは、何事もできないと言われています。
雅春先生は、不行為はマイナスの行動であるとおっしゃっています。
人は努力なしには何事も得ることはできないともおっしゃっています。
かつて、元号法制化の実現があったのは、あの時生長の家が必至で、
頑張ったからだと思っています。あの元号法制化がなければ、日本の国体は
どうなっていたかと思うと、ゾッとする部分があります。
1952
:
さくら
:2012/03/30(金) 16:44:20 ID:tPVxKQcE
八咫烏様
>それとも、あなたが言われるのは、
今私達が生長の家の教えを信じているのは、
無意識の世界で何らかの作用(たとえば初心者様のおっしゃるような言葉の魔術)が働いて、教えを信じているが、
本当はこれは信じるに至った経路を分析してみないと、
生長の家の教え、あるいは教えの一部を信じているのは正しいとは
言えないかも知れないという論理でしょうか。
生長の家の教えが、言葉の魔術・・というのは、わたしは、どこの文章にも
書いてはいないと思いますし、そのようなことを意図した事はございません。
わたしは、個人の体験を、とても重要なものだと思っていますし、
その方しか分からない心当たりや、自己分析がありますし、大変尊重しております。
今の私の焦点であるのは、組織の目的や、組織で行われる結果の検証が必要だということで、そのことに誤解があったものと思われます。
八咫烏様が組織活動をされてないと、仰られているのに、
その見識に甘えていまして、自分の思いを訴えてしまいました。
関心のないことでありましたなら、無理にお答えを必要としたわけではありません。
もし、活動をしているかたでも、生長の家に携わる方どなたでも、
私の疑問になにか、感じる方がいらっしゃれば、
ありがたいことだと思っておりました。
>つまり、うっかり信じ込んでいることが間違っていたかも知れないから、
もう一度、哲学的思索をしたり、他の哲学者の説を学んで
生長の家という枠の中でなく
真理を探求してみるべきだと、おっしゃっているのですか?
宗教の教えを信じ実践することに、うっかり信じ込んでいる、ということは、
合ってはならないですね、人生が狂ってしまいます。
生長の家の教えは、誰にでも分かりやすく説いてくださっていて、うっかり信じるようなそんなエセ宗教の教えではないと、私は思っております。
実際に起こっている問題は、なんでしょうか、
生長の家の枠組みの外、などという区別はなく、私が宗教を考えるようになったのは、
生長の家との出会いがあったからです。
正直、生長の家の問題を語るのに、現在、大変神経を使います。
一つの言葉をとっても、生長の家を愛するが故に、誤解を招くような
発言になったりします。
なぜ、問題が起こったのか、知りたいので、このような言葉になったということを、
おくみいただければ、ありがたいことです。
お言葉、感謝いたします。
ありがとうございます。
1953
:
春らんまん
:2012/03/30(金) 19:05:31 ID:0PhE9jv2
八咫烏様、精力的な御投稿に対し敬意を表します。
今後も応援致しております。
御健闘を祈ります。
感謝合掌
1954
:
志恩
:2012/03/30(金) 19:27:58 ID:.QY5jUA6
八咫烏様
私も、春らんまん様同様に、八咫烏様のご熱心なご投稿に対しまして、
大変感動したり、教えられたりしております。私も、敬意を表します。
1955
:
役子
:2012/03/30(金) 19:49:48 ID:FbQZeP7k
八咫烏 さま
八咫烏さまのご文章、隙入る余地がありませんので、なかなか、返答するのに苦労しています(^_^;)
ゆっくりと、行きますので・・・<(_ _)>
1956
:
役行者
:2012/03/30(金) 19:52:23 ID:FbQZeP7k
役行者です。
失礼しました。
女子板用でσ(^_^;
更新するのを忘れてました(__)
1957
:
春らんまん
:2012/03/30(金) 20:03:03 ID:0PhE9jv2
役子、ハケ--ん♪
1958
:
八咫烏
:2012/03/30(金) 21:56:49 ID:r9nswjII
さくら様
こちらこそ、勝手に推測しまして申し訳ありません。初心者様のレスの中に、
あなたのことが書いてあり、またそのためにあなたと初心者様のやり取りをざっと見て、
あなたの考えも、初心者様と同じとみなして、お答えしました。
私は、組織はあまり参加した年数は少ないですが、それでも生長の家信徒としては
今の教団がどうなるかは、気になりますし、雅春先生の悲願を思うと、
なんとかその悲願を実現できる教団となってほしいと思っています。
現在の組織も知らずに、組織論などを論じてしまいました。これに関しては、組織をあまり知らないのに、
流れとは言え、でしゃばり過ぎたのかも知れません。
どうかお許し下さい。
1959
:
ももんが
:2012/03/30(金) 21:59:56 ID:XXCuaQns
>>1956
役行者様
役行者様、こんばわ。合掌、拝(^_^)
最近は、”性転換“が流行ってるですね。
でも、実際、日本の神様は、性転換しませんが?
インドの神様なんか、性転換しますね?(^_^)
あれは、凄いですね。
あと、真面目なお話ですが、最近は、”同性愛“や、”性同一性障害“て?やはり、病気になるのでしょか?
私は、全くの、異性愛者で、常任ですが?
密教の立場から、どう、思います。?
1960
:
八咫烏
:2012/03/30(金) 22:18:59 ID:r9nswjII
春らんまん様、志恩様
応援いただき有難うございます。
私はけっこう軽率な人間ですので、もう少し慎重に投稿すべきだったのではないかと
ちょっと反省するところもあります。調子に載って、不必要な投稿までしたのではないかと
思ったりしています。でもそのようにおっしゃっていただき、少し安心しました。
なんか、この掲示板にハマってしまった気がします。
春らんまん様の投稿を拝見しましたが、素晴らしいと思います。同じ意見の方を見つけた喜びを
感じます。志恩様が色々なレスで賛同してくださる時もとても励まされましたが、このように考えの
同じ方々と出会うと、なんだか懐かしいですね。若い頃に戻ったような気がしてきます。
役行者様
どうか、いそがずにゆっくりとご投稿ください。
役子様の場合、イメージはどんなお姿なのでしょうね。
乙姫様風の衣装ですかね。
1961
:
復興G
:2012/03/30(金) 22:29:08 ID:ojEbkDH2
八咫烏さま。
復興Gと申します。
私も、あなたの出現に、いやあ、すごい人が現れた! これも天の配剤か! と驚き、共感し、感心し、心の中で声援しています。どうぞ、がんばってください。
1962
:
八咫烏
:2012/03/30(金) 22:56:26 ID:r9nswjII
復興G様
有難うございます。
私の方こそ、復興G様のご投稿を読んで、非常に素晴らしい的確な事を投稿しておられて、
感じ入っております。まさに正論だという気がします。
私も、復興G様のご活躍を応援しております。ご投稿、これからも楽しみにしております。
1963
:
役行者
:2012/03/31(土) 06:28:18 ID:FbQZeP7k
>>1959
ももんが さま
おもしろい視点からの発言ですね(^_^;)
密教と云っても、真言、天台、立川流、始祖 役行者流、また、チベット密教と多種多様なのでございます。
ですから、密教という立場からと、一概には云えないのでこざいます。
因みに、密教とは、そこの風俗、慣習、生活感などなどを生かし、土着の、そこで生活する方々に違和感を感じさせないよう、宗教的生活の地盤を形成してゆくことです。
チベットはチベットならでは、日本は日本ならではの、文化・伝統を生かした密教が誕生するのはその理由に因るのです。
ところで、仮に、ももんがさまの質問に応えようとすると、立川流の立場からになりますかね(^_^;)
そうなるとインドの風習からきているのではないかと存じます。
結論をいうと、分かりません(o_ _)o
1964
:
役行者
:2012/03/31(土) 08:03:27 ID:FbQZeP7k
八咫烏さま
乙姫さまとは・・・イヤイヤ(^_^;)
・・・どうも、ありがとうございます(゚∀゚ゞ)
さて、
> 谷口雅春先生は、言葉の力をよく知っておられ、言 葉を大切になさり 、また言葉を慎重に使われるような、非常に細かい神 経を使われる方だと思います。
人を鼓舞するために力強い言葉を使われることはあ るでしょうが、それはその人の 実相を引き出そうとして使われるのであり、扇動す るために使われるのではありません。
細やかな心遣いをなさる雅春先生が、単なる偏狭な 愛国心からのみ 天皇一元論を唱えられるはずはないのです。
また誤解を生むかも知れないとわかっているのに 敢て言われるわけがないのです 。
それは雅春先生の悟られた真理に基づくものだか ら、発表されたのです。
これを、未だ悟りを深めたともいえない段階の人間 が、軽率に判断して「 ここは間違いだ」とするのは、傲慢も甚だしい勘違いだと思います。<
生長の家の信徒として当然のお言葉です。
雅春先生と云えども、それは多少、間違えはあっと思います。
それをことさらに攻めだてるのは如何なものかと、と私も思います。
イエスは云われました、人を裁くなられ、自分が裁かれるからである、とまた、売春の罪を犯した女性に石を投げようとされている人々に、あなた達は罪を犯したことがないのですか!と、イエスは、彼らの贖罪を耳元で囁くのです、一人二人とその場から去って行かれました。意訳です。
ある意味、人生とはことの大小問わず、赦しの連続では、と思う今日このごろです。
それと言葉の暴走とはちがう話で、鎮魂は大切な行事と思います。
ですから、真言宗は、鎮護国家の御修法を、現代に至るまで欠かさずに行事ているのです。
合 掌
1965
:
ももんが
:2012/03/31(土) 08:19:14 ID:XXCuaQns
>>1963
>>1963
神の子皆様、おはようございます。本日も、素晴らしい、朝ですね。元気に、明るく、楽しく、素晴らしい日にいたしましましょう。ありがとうございます。感謝、合掌、拝。
役行者様、お返事ありがとうございます。合掌、拝。
結論は、わかりませんか。そうですよね。(^_^)
掲示板で、この回答したら“”不快“を感じる人が、たくさん、でそうですからね。
もし、偶然、原宿や、宇治など、どこぞで、会えましたら、密教の秘密の部分を、お話伺いたく思います。
復興G様>
復興G様の、御言葉、私に大分賛同してくれたんだと嬉しく、思ってます。もう少し、したら、お返事差し上げます。いつもありがとうございます。合掌、拝。
それでは、皆様、素晴らしい日を、お過ごしください。合掌、拝。
1966
:
八咫烏
:2012/03/31(土) 11:24:28 ID:GspmSDCg
さくら様
きのう、私が、生長の家の使命は、
人間の実相顕現
天皇の実相顕現
日本国の実相顕現
であると書いた時に、あなたはこれは信仰であり、祈りであるとおっしゃいました。
そして、私は信仰とは祈りであると同時に行動であるとお答えしました。
あなたは組織論でも、教団は愛国運動はやるべきではなく、
これは個人的にすべきことであるとおっしゃっていました。
しかし、それはあまりにも創始者谷口雅春先生の意を汲まぬものであると思うのです。
谷口雅春先生はおっしゃっています。自分は宗教教団を作ろうと思って運動を始めたのではないと。
先生は、真理を知らないために苦悩の生活をしている人々を救いたい一心で、修養雑誌を自費出版
されたのです。教団が目的ではないのです。人を救いたい、そのために真理を伝えたいという思いが先に
あるのです。
そして戦後、日本は占領軍により支配されます。雅春先生は占領軍により、公職追放となりました。
占領軍によって、自虐意識を植え付けられ、祖国の歴史を貶め、自らの国を悪い国だと思い込み、
古来より天皇を父のように慕って、国民皆が家族のように結び合っていた
中心帰一の美しい国民性は失われていきました。
公職追放になっておられた間、雅春先生がどんなお気持ちで日本を見ておられたのかと思うのです。
アメリカ流の肉体民主主義に洗脳され、日本国憲法を平和憲法であり人類普遍の原理だと鵜呑みにし、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」
という前文に象徴される、連合国への詫び証文と雅春先生が言われるような奴隷憲法を、
多くの国民は、なんの疑問もなくありがたがっているのです。
雅春先生の悲しみは如何ばかりであったろうと思うのです。
権利ばかり叫び、奉仕精神を忘れ、唯物論に陥り、家族の絆すらも失って
バラバラの個人になっていこうとする日本人、
果ては、自分の生活を楽しむためには、自分の子供すら殺し、胎児を中絶する、
老人は孤独死する、このような日本人になっていく様を、
限りなく日本を愛すと言われた雅春先生が、
どうして、手を拱いて見ていられるでしょうか。
雅春先生は、日本国憲法を破棄し、大日本帝国憲法を復元改正すること、
優生保護法を廃止することの
悲願を立てられ、そのためには、生長の家の一つや二つなくなってもよい
とまで言われたそうです。
大東亜戦争時、特攻隊に志願した若者は、国家のためならば、自分の命をも捧げたのです。
日本を救うためならば、たとえ教団が潰れても、今やらなくては日本がどうなるかわからない、
そんな雅春先生の祖国への危機感があったのです。
当時の信徒はそんな雅春先生の危機感を共有したのです。とくに青年会は、そうだったのです。
現在、日本は民主党左翼政権によって、益々危機的になっています。もちろんその一方で、
本来の日本人らしさへの回帰現象も見られます。日本が戦後レジームを脱し、日本人らしい個性を
取り戻そうとする兆しが見えてきたとも言えます。
しかし、そういう兆しが見えそうな時ほど、
また反対勢力も死力を尽くす時なのです。兆しを見て安心しきっていれば、サッカーの試合で、
終了直前に敵方にゴールを許すようなことになりかねません。
つねに最善の努力を尽くすもののみが成果を得られるのです。
祈っているばかりでは物事は動かないのです。祈ればそれは動きにつながるのが
真の祈りだと思います。
我が動かなければ、宇宙は動かないのです。
去年、今上陛下は、歴代の天皇陛下が行幸参拝される石清水八幡宮に行かれて、
幣帛を奉納されましたが、例年は白い幣帛でしたが、去年は金の幣帛を捧げられました。
これは史上三回目の金の幣帛だそうです。最初の時は、蒙古襲来時であり、二回目は
幕末の孝明天皇が納められました。今回三回目の幣帛を納められたことは、
今上陛下の非常な危機感を表しています。
東日本大震災もありましたが、それだけではないと思います。いろいろな日本の世相なども
思われての危機感であると思います。
また皇統に対する国民の勝手な意見もきっと気にかけておいでだと思います。
1967
:
八咫烏
:2012/03/31(土) 11:32:55 ID:XUCnAhzY
さくら様
今の日本のメディアは、国民に大事な事を知らせません。先日も中国軍の幹部が尖閣諸島を
武力で奪取するという計画の話をしていたようですが、ネットではニュースとなっても、
テレビが放送することはありません。
今日本には多くの中国人が来ていますが、一昨年中国の全人大会で、国防動員法が
制定されたことはご存知だと思います。
この法律は、有事の際には、中国国内の登録されたあらゆる企業の特許を無許可で
徴用できるなどとする項目もあり、
また、中国人民は、国家の命ずる国防義務を果たさねばならないとするもので、
これは国内外を問わず動員されるものです。
前回の北京オリンピックで、チベット弾圧が世界で非常に問題視されて、中国政府への
批判が高まりましたが、日本でもチベットを支援し、中国への批判を行おうとする人々が
聖火リレーの行われる長野へと、全国から結集したことがあります。ご存知だとは思いますが。
その時に結集した日本人の数よりも、はるかに多くの中国人が、日本全国から動員されていたのです。
しかも、彼らは棒か何か武器のようなものをもって集まっていたのです。
そうして、チベット問題を批判しようと声を上げる人々に襲いかかったのです。
もちろん警官も動員されていましたが、彼らは、中国人を逮捕することなく、襲われている
日本人を逮捕したのです。これは上からの命令が出ていたと思われますが、また警官も多数の
中国人を前に為す術がなく、むしろ日本人を助けるために逮捕したのかも知れません。
そこはよくわかりません。
しかし、この事件をマスコミは報道したでしょうか。聖火リレーのニュースはたしかにやったでしょう。
そのありのままを報道したでしょうか。
中国人のそんな暴動のような非道により、骨折した日本人もいます。
まだ日本国内でのことですから、中国人も抑えての行動でしょうが、
中国政府の決定する有事というのがいつを指すかはわかりませんが、
中国に行っている日本人がそういう事態になった時を予想すると
恐ろしいものがあります。
日々の生活のみしか目を向けていない人は、そうした隠された危機に気づきません。
しかし見える人々は見ているのであり、聞こえる人は聞いているのです。
聖書には、黙示録に日を着たる女という予言があります。
日を着たる女は、妊んでいると書いてあります。そしてサタンは生まれてくる子を一飲みにしようと
狙っていると書いてあります。
雅春先生は、日を着たる女とは日本の国のことであるとおっしゃっています。
そして、女は妊娠しているのですが、これは新しい思想が胎動を始め、生まれようと
しているのだとおっしゃっています。
ところがサタンはこの子を一飲みにしようと待ち構えているのです。
戦前も、戦後も、生長の家の運動は、雅春先生の危機感の中から生まれてきたのです。
あらゆる宗教は、教祖が宗教を作ろうと始めたのではなく、教祖の強い思いがあった
から生まれたのではないでしょうか。
だから、生長の家も教団も、雅春先生の思いが先にあったのです。
組織論だとか色々工夫するのもいいと思いますが、それより先にどんな思いがあるかと
いうことではないでしょうか。
現総裁が、環境問題への強い思いがあれば、その強い思いは人を引きつけるでしょう。
どんどんやられればいいと思いますが、仮にも雅春先生の創始された教団を使って、
雅春先生の悲願には見向きもせず、自分の思想に教団を利用されるのは、それは許されることでは
ないと思います。きちんと別組織を作られるべきです。
雅宣氏の思いが強ければ、それは出来るでしょう。
奇をてらうだけの方針であれば、人はついていかないかも知れませんが。
1968
:
八咫烏
:2012/03/31(土) 12:03:24 ID:XUCnAhzY
役行者様
お返事ありがとうございます。
<雅春先生と云えども、それは多少、間違えはあっと思います。<
もしも間違いと言われるならば、これは多少で済む話ではないでしょう。
私は、一連の実相哲学の展開として、理解しているつもりです。
しかし、ここは受け入れることができない人には、どうしようもない部分かも知れませんね。
有難うございました。
1969
:
さくら
:2012/03/31(土) 12:10:32 ID:tPVxKQcE
八咫烏様
・・私のような、幼い疑問に対しても意図を汲んでくださり、
真摯に答えていただき、感謝いたします。
只今、返信を書く時間がありませんので、
ゆっくり読ませていただきたいので
考えるお時間いただければ、ありがたいと思っております。
途中で、他の方が返信を書いていただくのは、それは、
大変ありがたいことなのですが、
私の意図することと、違って受け取られ、方向がずれてしまうのことがあるとしましたら、
それは、とても残念なことに思っております。
それは、私の発言が整理できてない処があることが原因ですが、
どうぞ、そのところは、了解いただければと思っております。
では、ありがとうございます。
1970
:
役行者
:2012/03/31(土) 13:06:37 ID:R4QFGmvc
八咫烏 さま
>ここは受け入れることができない人には どうしようもない部分かも知れませんね<
こことは何か?と云うことになりますが、大体憶測できますので、また、時間があるときに投稿します。
一言、付け加えさせていただきますと、雅春先生でも多少の間違いがある!とは、言葉の差異を申しあけだつもりなのです。
一連の実相哲学の展開として!というのなら、谷口哲学の中核的な部分を指しているのでしょう。
改めて、投稿します。
合掌 再拝
1971
:
八咫烏
:2012/03/31(土) 18:35:56 ID:XUCnAhzY
役行者様
そうですか、よくは理解できませんが、私の誤解ということですね。
そうならば、申し訳なかったです。お許し下さい。
あまりに婉曲な表現は、どうも苦手なので、なるべく直球でお願いします。
1972
:
さくら
:2012/03/31(土) 19:27:51 ID:tPVxKQcE
八咫烏様
八咫烏様のご文章からも、雅春先生が、いかに国を思い、この生長の家にかけられてこられてきたかの思いが伝わってまいります。
ありがとうございます。
>谷口雅春先生はおっしゃっています。自分は宗教教団を作ろうと思って運動を始めたのではないと。
先生は、真理を知らないために苦悩の生活をしている人々を救いたい一心で、修養雑誌を自費出版されたのです。教団が目的ではないのです。人を救いたい、そのために真理を伝えたいという思いが先にあるのです。
そうですね、
宗教団体の活動を考えるとき、心に思うことの一つです。
雅春先生は、苦悩している人を救いたいという止むになまれぬ必死のお心があり行動されたからこそ、神が感応され、生長の家の出現となったのだとと、そのように理解しております。
もともとは、雅宣先生は、雅春先生の愛国的発言や愛国路線がすべて間違いであったかのように言われて、即刻、雅春先生のお言葉を否定された、ということではなかったと思われます。
時代によって、雅春先生の仰られる言葉が、変わらざるを得なかった、
それは間違えというより、その都度国を思い人類を思う故からのやむを得ないお言葉であり、そして行動であったこととして理解されておられた、とこのように思っていました。
間違え、といわれたのは、教え、のことではなく、その方針の方であり、
それは時代によってお言葉のニュアンスや立場が変わらざるをえなかったので、
雅春先生でさえ、その点では間違えがあったとの発言があったと思います。
政治運動についての方向転換は、雅春先生が信仰が利用されてしまう政治運動の実態に失望されたことなどから、挫折感の強い文章もあったようですが。
「純粋宗教的立場から 幾分方向転換して政治的方面に運動を進めてきたために、宗教の純粋さや、清潔さが少しでも失われてきていないか」とのご発言があり、清超先生が雅春先生のご意志を守られて、政治運動からの決別があったと伺っております。
その後雅春先生は、日本国実相顕現のたまに龍宮住吉本宮を建立されて、長崎に移転され祈りに徹せられたと。
ですから、政治運動からの撤退は、雅春先生のご意志である、として、
はじめ雅宣先生の方針は、このことを踏まえて、ということであったようです。
それで、雅宣先生の愛国の書の絶版の背景には、運動のあり方が、政治的なものを含んでしまうことを極力さけられた、という事が上げられると思っておりました。
それは、生長の家がめざす信仰運動と方向をずらしてしまい可能性がある、
それを、徹底して守ろうとしたような意図があったようです。
1973
:
さくら
:2012/03/31(土) 19:28:24 ID:tPVxKQcE
しかし、それが結果、生長の家の信仰の基盤となる教えを排斥するようなことになり、
今の教団の活動の方針、実態となったことは、ほんとうに残念で仕方ありませんし、
雅宣先生は、間違えであった。
現実の実態は、そうした状況だと思っております。
私は、祈り、といったのは、祈ってばかりいて、行動しない、ということではありません。
信仰の良心に基づいた行動を、していきたいと、思っております。
私は、ただ、雅宣総裁の今の組織の方針を指示して、活動したい、とはやはり、思えないことが多いです。
ただ、雅宣先生の意図をあまりに理解されていないで、闇雲に反対をするのは、
自分がフェアではないと感じましたし納得がいかなかったので、
雅宣総裁を言わんとすることを理解したいと思ってきました。
でも、理由が論理的に正当化されるから、正しいということではありません、
現にこうした現実をつくったのですから、やはり、間違っていた、と思っています。
そこから、運動といったものの性質から、宗教団体の方針による運動のあり方も、
純粋なる信仰と、ある程度独立性を持たせて運営されるべきではないか、
と思ってきました。
信仰によるやむにやまれぬ思いからの行動であっても、
各人の信仰や魂の深化の目的をおかすような活動になってはいけないと感じてます。
どんな運動でも、それは、目的を持ち結果を求めますし、世の中を変えていきたいという欲望を持ちます。
雅春先生の教えによる、政治運動のあり方が、修正を求められたように、
雅宣総裁の信仰による平和運動が、環境偏狭の方針になったように、
運動には、信仰とは性質の異なる側面をもつので、
時に致し方ない方向へ行くこともあるのではないか、とそのように感じていました。
>現総裁が、環境問題への強い思いがあれば、その強い思いは人を引きつけるでしょう。
どんどんやられればいいと思いますが、仮にも雅春先生の創始された教団を使って、
雅春先生の悲願には見向きもせず、自分の思想に教団を利用されるのは、それは許されることではないと思います。きちんと別組織を作られるべきです。
雅宣氏の思いが強ければ、それは出来るでしょう。
同意いたします。
環境活動は、もし組織として可能なら、独立してべつの団体を立ち上げて、
おおいに活動されればよいと思います。
生長の家としては、生命の實相、教えは守られ、信徒の信仰はそこで守られるべきであると思っています。
宗教団体としては、布教や、教えの学習、信徒の魂の深化が、守られるようになる。
これが、信仰と、救済活動が、互いにつながりをもちながらも、独立するようなかたち、として、イメージが浮かんだことです。
1974
:
トキ
:2012/03/31(土) 20:12:30 ID:SUr0YA9Q
「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2
をアップしました。この板がいっぱいになったら、そちらをご利用下さい。
管理人敬白
1975
:
春らんまん
:2012/03/31(土) 20:12:41 ID:2wOWG6Oo
>>1972
さくら様 お初に書かせていただきます。
二代め総裁を敬愛する方たちには、申し訳ございませんが、私は、二代目も現も、
敬愛しておりません。
それは、尊師の"大東亜戦争を、どう捉えるか"に繋がっているからです。
二代目総裁も、後半は、"大東亜戦争否定論"を多発して書いていたようですね。
私は、K湖道場で研修生をしていた時、初めて二代目総裁の御著書を開いた時、
大東亜戦争を否定する文章に出会い、
パッと、本を閉じました。
心の中に、浮かんできた気持は、
≪よく言うぜ! 自分は奥にの為に役にも立たず、ただ、病院で寝てただけじゃねぇか!
自分が役に立たなかった事を不徳に思うならまだしも、おこがましくも、
偉そうに、否定してんじゃねぇぞ!
ゴミ拾いでもやっとけ!!≫
でした。
(閲覧中の方々に、御不快を与えたら、大変申し訳ございません)
トキさん、削除しても構いません。
二代目総裁は、尊師が長崎公邸に御隠居されてから
(それまでは、原稿のチェックを尊師から受けていた)
"大東亜戦争悪玉論"を書き続けていた、のは事実のようでありますし
(私は、それ以降、この方の書いたものなど、何一つ、読んでございませんので、
知りません)
政治からの撤退の時、"せめて、今まで協働してきた方たちに・御挨拶を"に対し
≪そんなものは、いらん≫
と行ったのは、二代目、と聞いております。
現総裁だけの責任ではない、とたびたび申し上げてきたのは、こういうことで御座います。
合掌
1976
:
春らんまん
:2012/03/31(土) 20:16:32 ID:2wOWG6Oo
訂正
>自分は奥にの為に役にも立たず
↑
"御国の為"
>≪そんなものは、いらん≫
と行ったのは、二代目
↑
"言ったのは"
訂正・謝罪致します。
1977
:
春らんまん
:2012/03/31(土) 20:48:31 ID:2wOWG6Oo
なおかつ、(確か、自分が読んだ文章で、気持悪くて記憶に残っているのは)
『谷口雅春先生が、"戦場で、人を殺さなくて、本当に良かったですね"と
仰ってくださったこと』と、書かれていることに、
逆上しました。
よしんば、プライベートで、こういう会話があったかも、しれません。
それを、いちいち、なんで、信徒が読む本に、ワザワザ書かなきゃいけないのですか??
斎主として英霊様のお祀りをされた尊師と違い、二代めは、一度も"祖国の英霊に、尊崇の念"を公表した事実は、ないと思います。
"大東亜戦争を侵略戦争だなとど、誣いる者は、生長の家から去れ!!!"という
尊師の御言葉に従うならば、
二代目以降から、"谷口家による乗っ取り"は、現在したのですよ。
尊師は、世襲は希望されてなかった(占領下で、開祖と教主を分けて、一時しのぎをしていた)
とするならば、
二代目以降、尊師の御教えを正しく伝えてこなかった、
だからこそ、今の"瓦解は、正しい"
という結論になるのです。
再拝
1978
:
春らんまん
:2012/03/31(土) 21:20:39 ID:2wOWG6Oo
さくら様に、最低限の質問を致します。
"人間は、地球のガン"と言っている現総裁は、"人間は神の子"の教えが、理解された上での発言と、思われますか?
大調和の神示については、余りにイタイので、触れませんが、
"総裁は、裁判によって、聖典と聖経を失ったことを、反省していますか?"
です。
↑
あり得ないから、こうゆって、"新たなる? 珍毒真理の展開"になっているので
ございましょうけれど、
私など、信仰三歳児(5月で満五歳♪)
にはるかに及ばない貴女が、
もう少し、蝮の毒にあたっている方を、なだめすかすにしても、
本源を冒涜しては、あきまへんなぁ。。。
(言い換えますと、 アンタ、バカじゃね? キチガイのマサノブとデートの約束までして。
一部・女性問題も一時あったらしいわよね、アンタ、それ知ってて言ってる?)
と、
心配してしまいます。
ガセネタでしたら、大変、失礼いたしました。
合掌
1979
:
春らんまん
:2012/03/31(土) 21:26:29 ID:2wOWG6Oo
>私など、信仰三歳児(5月で満五歳♪)
↑
5月で満三歳
でございます。
訂正致します。
1980
:
さくら
:2012/03/31(土) 21:36:42 ID:gX/8KLGY
春らんまん様
はじめまして。
最低限の質問ありがとうございます。
最低限のお答えをいたします。
一、"人間は、地球のガン"と言っている現総裁は、"人間は神の子"の教えが、理解された上での発言と、思われますか?
人の理解は関与できませんが、思われますか?と聞かれれば、
そう思います。
役立たず、や、キチガイとの言葉を使われる方でも、
雅春先生の説かれた人間神の子を理解された上でのことだと、
思うようにつとめております。
二、"総裁は、裁判によって、聖典と聖経を失ったことを、反省していますか?"
人の反省の状態は、私には、関与するところではございません。
ご教授ありがとうございました。
1981
:
役行者
:2012/03/31(土) 21:40:49 ID:R4QFGmvc
八咫烏 さま
> あまりに婉曲な表現は、どうも苦手なので、なるべ く直球でお願いします<
分かります。
性格は直球なのですが、掲示板上では、なんか婉曲に表現してますね、こちらこそ申し訳ないです。
1982
:
春らんまん
:2012/03/31(土) 21:53:40 ID:2wOWG6Oo
御回答、ありがとうございました。
私は、貴女の御認識がどうあれ、"祖国日本"の事が第一義であり、
生長の家の組織は、
その下に準ずるものです。
>役立たず、や、キチガイとの言葉を使われる方でも、
↑
どう捉えられたかは、あなたの御自由ですが、
二代目は、
"大東亜戦争においては"⇒"御国の為になる働きはしていない"のは事実
であり、
キチガイ?
とは、父祖の恩恵を受けて生きながら、逆行している御身分の現総裁夫婦の事を、事実に基づいて、
言っているに過ぎません。
汚いものにフタ、の、事実を直視しない君ら一般信徒や職員が、総裁をここまでにしたのだという事実は、
嫌でも、
いつか、直視して下さい。
(それに耐えられない、多くの職員が、精神を患っています)
感謝再拝
1983
:
さくら
:2012/03/31(土) 22:42:10 ID:gX/8KLGY
春らんまん様
貴女が、祖国を愛される気持ちを理解いたしました。
私もわたくしの立場におきまして、
雅春先生の御意志は、
本来、どこにあったのかを、
自らに問い、振り返る
一信仰者でありたいと、
そのように感じさせて頂きました。
ありがとうございました。
1984
:
rei
:2012/03/31(土) 23:27:44 ID:bo95azFI
あまりにも活発に意見交換がされているので、一通り読むだけでも私には
大変な所ですが、
すみませんが少し前に書かれていた1940の初心者様へ。
「神の委託」という言葉は生長の家では「神の御心(神意)」という言葉で
頻繁に使われていると思います。
同じ意味だと思います。
だから、雅宣総裁の打ち出される方針が、生長の家の教えと違うんじゃないか
と思っても、これが神のみこころなのか、、、と思いつつ従うのです。
生長の家が崩壊に向かっているかのごとく見えるのも
「みこころ」ですか?神様。と自問自答しながら歩んでいます。
違うんじゃないか、、と思われる方々がこうしてここへ発言したり、
本流とかの掲示板に発言されてるのだと思います。
あなた様が言われる「トップが神の委託をうけているかどうか」ということは
信徒みなが常に常に神様にお伺いしているところです。
どうしてここのところをみなさんがスルーしてしまわれるのかわかりません。
もう、言う気も失せてしまわれたのが本音ですか?
八咫烏さまがすばらしい返答をなされるとは思いますが、
ここはちょっと黙っていられませんでした。
1985
:
志恩
:2012/04/01(日) 00:55:16 ID:.QY5jUA6
reiさま
「神の委託」=「神の御心(神意)」のことですが、
私が、疑問に感じましたのは、
神の委託にしましても、神意にしましても、『現総裁に降りる』という言い方をされましたので、
そんなことは、初めて聞きました、と申し上げたのです。
雅春先生は、信徒の皆様お一人お一人に、皆さんは、神の子で、神の御心は、
皆さんお一人お一人に降りるとおっしゃってましたから。
現総裁だけに、神の御心が、降りるわけでは、ないという意味を、言いたかったのです。
訊け管理人様が、謹写してくださってるご文章の中に「夫にハイ」の例えを書いてくださってますが、
例え,総裁でも間違ってると思うことをおっしゃったのでしたら、現象の総裁には、ハイと言わなくていいのです。
実相の総裁に,ハイというのです。ということを、教えてくださってます。
生長の家が、崩壊に向かっているのは、今の生長の家のやりかたが、間違っていたということを現しています。
ですから、大転換する事が,大事だと、神様が、おっしゃっておられるのだと思っています。
われわれ、心ある信徒が、おかしいことを、おかしいと訴えてるのは、崩壊から、発展の方向へ転換する為の、
ささやかながら、お手伝いをさせていただいている気持ちで、発言させていただいているのです。
生長の家は、われわれにとりましても、たいせつな たましいのふる里だからです。
1986
:
役行者
:2012/04/01(日) 04:25:34 ID:6Sl3qdi.
八咫烏さま
また、
皆様
真理について、語らせてください。
>真理を探求するとは、前にも言いましたように、生長の家の信徒は教えを知識ではなく、魂全体で感得したい、全人的に体得したいと願うも のなのです。
しかも、悟りといっても無限に続くものであり、一 段登ったら、次の段階があり、それは果てしないともいえます。 実相は完全ですが、実相は完全であり無限であるからこそ、この現象世界は 無限に実相をあらわし続けるものだと思います。 だから欲求も無限にならざるを得ません。<
同意します。
真理は汝を自由ならしめん!とのイエスの言葉があります。
無限に生成発展してゆくのが、実相世界と存じています。
完全の中に無限も含まれていると存じるのです。
ですから、私も、たとえ真理探究と云えども、救済・信仰と切り離すべきではないと存じます。
>組織は、信仰者(賛同者)の集合ですから、それが 有機体的に機能するには、やはり中心帰一というものが必要で、そうでないと 単なる集合に過ぎません。
しかし、信仰者個人にとっては、組織は信仰というものに付随する救済や個人の悟りの深化とかそうしたものの達成のためにあるのであって、 組織がそうした個人の欲求とずれてくると、個人に とって、組織は意味がなくなります。
信仰者にとっては、トップヘの忠誠心は、実は神へ の忠誠心の代理であり 、信仰者はトップが神の委託(神意)に答えていないとみなすと、求心力はなくなるでしょう 。個人としては、そういう組織を改善しようとする か、個人の信仰の質を変えるかしかないと思いま す。
それによって、求心力と遠心力のバランスは保たれると考えます <
まさしくそのとおりと存じます。
生長の家では、信仰とは実相の中に、入ることだと云っています。ですから、究極的には組織とは関係がなく、個人の悟りの深化の問題だと思います。ただ、組織はその深化に支援、協力、手助けをする役目もあるのではないかと存じます。
reiさまも云われていますよう、信徒も真剣だと思います。
自分の魂が救済されたいのです。自分の信じている教団が間違った方向にいっていたら憂うべき問題ですよ。
たとえば、信仰が自らの内に向かうか、外に向かうか、でも違ってきます。
自分のなかに神が存在し、内奥の世界に入ることが信仰だと教え諭すだけでも、個人にとりまして大いに救済となることでしょう。
ベクトルが神の道に向いているか、いないかで、組織としての人類に果たす役割がまったく違ってくるでしょう。
ですから、宗教家、特に教団トップの発言は、本当に大切なのです。
このようなことを大いに語り合う場をつくる、手始めに、このことからはじめて行きたいと私は思うのです。
つまり、和解のために同じテーブル上に付くことを大いに期待します。
大同団結して、もう一度、一からやり直していきたいと心より思ってます。
合 掌
1987
:
SAKURA
:2012/04/01(日) 05:05:52 ID:eEeagkZk
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
【SAKURA の 独り言】
勉強不足…でしょうか?自覚しております〜〜〜が ><
■【ホメロスの輪…】ウフ〜〜〜ン!!
そうです〜〜ネ!ふと?【リング…三つのリング連結??】
連想して…例えば…??【男・女・子供】
つまり、具体的には【男性・女性が一体となり、子供が生まれる…!】
【一つの“絆”で〜〜〜ショ】
これが【ホメロスの輪…】に、たとえて行きますと…
以前【さくら様】が…
〜〜〜♫【カルチェ〜〜〜来い〜〜〜♫】と、書いていらっしゃいましたが…
私は当時【カルチェのバック…】とばかり、連想していましたが?
ここ数日前から【カルチェのリング】を思い出したのです。
この【3連にかさなった“リング”…ゴ−ルド・シルバ−・くすんだゴ−ルド】が
【3連…】重なっています…。不思議な気分です…はずす事は、難しい? ><
私も“20歳の頃”当時【青山ヴァンド−ム…】で、一見風を買いましたが…?ウフフ
当時は“30%引きで購入”…勿論“偽物”ですが〜〜><
当時の私にとりましては、高価なものでしたが…?
今は“ネット販売”・“通販”で安くて??万ぐらいでしょうが……?
ふと!今の“私の手”…もう〜〜〜“料理”をする様になりますと…
どう見ましても「無用の産物」当に!手にとっても、似合わない様ですが… ><
この【3連のリング】を連想しましたら、先ず!「一本のひもから」始まる…
或る方が云いまして【一本の紐???】
話は脱線しますが……そういえば?
日本でも「道ゆきコ−ト」etcとか?「子供の着物」に飾り紐結び…
がありますョ〜〜〜ネ!これは【一本の紐】での展開が始まりますが…
実際!作りますと難しいのです〜〜〜〜〜ョネ!
■この事を踏まえまして、更に“連想”しながら〜〜〜♫
【家族……男性・女性が一体そして子供】これを互角に関連しますと“リング”に
なります〜〜〜ョネ!
更に!【祖父・祖母とか関連していくうちに、一つの輪】が増えて行くのでしょう。
そうしますと「さくら様」のおっしゃいます事は…
勉強不足な私?【具体論…】が見えないのです…。
■【組織・真理・救済…】
この事が【ホメロスの輪…】でしたら、この三者がどの様に
「互角」なのでしょうか?仮に今…そうでない場合…ではどの様にして、
「互角」に持って行かれますのでしょうか?
余りにも…【抽象論…】の様に思えますし、この事が「生長の家」の場合、
どの様なる【具体論…】或いは将来この様に〜〜♫〜〜との、お考えが、
あられますのでしょうか…?
そうでなくても、【現在の生長の家】…お家騒動…
この三者の力(さくら様のおっしゃる“組織・真理・救済…”のバランス)
元々あったのでしょうか?いつから崩壊していきましたのでしょうか?
いろいろ【独り言…具体論】只今!考え込んでいます…。
再合掌
PS:
先ず!現状は信者(魂の向上を求める人々)この方々を集客を如何になす事が、
出来るのか…?ここからが、始まる”モノ”と思います。
更に…追及していきま〜〜〜〜す。
1988
:
役行者
:2012/04/01(日) 05:17:02 ID:6Sl3qdi.
八咫烏さま
また、
皆様
改めて
>もしも間違いと言われるならば、これは多少で済む 話ではないでしょう。
私は、一連の実相哲学の展開として、理解している つもりです。
しかし、ここは受け入れることができない人には どうしようもない部分かも知れませんね<
その“ここ“とはたぶん、さくら様が触れられ、春さんがふくらまして下さっている部分も含まれているかと存じます。
言葉の差異でなく、一第目、二第目、三第目と受け継がれてゆくなか、“違い“について語るのなら、天皇のことと、戦争、特に大東亜戦争のことにほぼ集約されることと存じます。
教団が如何に示すかにより、信徒の信仰のあり方の基盤を揺るがす大きな課題と存じます。
もちろん持論はありますが、ここは、そう簡単に結論つけるべきではないと存じます。
大いに、語り合うべきであると存じております。
合掌 再拝
1989
:
rei
:2012/04/01(日) 07:40:34 ID:bo95azFI
ごめんなさい、
よく読んだら皆様ちゃんと答えておられますね。
志恩さま
ありがとうございます。
私はけっこう真面目な信徒なんですね、、。
機関誌も普及誌もあまり読んでいないと思ってたけど
ちゃんと読んでたみたいです。
知らず知らず今の教えが自分の中に相当進行してると思います。
この掲示板をよんでると、
それをすごく感じます。
生長の家の大神ー総裁・副総裁ーみ教え
という菩薩は何を為すべきかの中の言葉を盛んに教えられました。
これは、現総裁に神意が降りるという意味ではないのですか?
1990
:
志恩
:2012/04/01(日) 08:17:50 ID:.QY5jUA6
reiさま
「生長の家大神ー総裁・副総裁ーみ教え」については、宇治の大道場にそのを大書した幕があるそうですが、
本流のほうに、「靖国見真会」参加者様が、それについて、書かれてますので、
それを貼付します。
果たして、貼るのに,成功するかどうか、わかりませんが。
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1450
1991
:
志恩
:2012/04/01(日) 08:20:00 ID:.QY5jUA6
貼れてましたね。よかったです。
reiさま、また、いらしてくださいませね。
1992
:
ももんが
:2012/04/01(日) 10:31:02 ID:XXCuaQns
神の子皆様、おはようございます。本日は、素晴らしい、御天気ですね。元気に、明るく、健やかに、お過ごしください。ありがとうございます。合掌、拝。
本日は、聖母マリア様の、お歌を聴いて、慈悲の御心に、平安を求めて下さい。
>>
http://m.youtube.com/watch?guid=ON&gl=JP&hl=ja&client=mv-google&v=G7Dd8CKsaxk
<<
私には、聖母マリア様=観世音菩薩であり、けして、天使ミカエルないのです。ミカエルは、マリア様に、イエス(真理)を受胎を、しらせた、下部に過ぎないのです。
慈母の心は、地球の心が、奏でる、”音“であると、こう、感じています。
では、では、皆様、本日も、素晴らしい、太陽の下に、素晴らしい日をお過ごしください。ありがとうございます。合掌、拝。
1993
:
八咫烏
:2012/04/01(日) 15:41:26 ID:XUCnAhzY
松浦光修先生の講演記録の一部を添付します。
http://matsumitsu.exblog.jp/6991032/
守るべきものとは、国体
なぜ私がこの問題に最大級の危機感を持っているのか、お話します。私はいつも学生諸君にも「天皇は日本の命である、皇統が絶える時、日本は死ぬのだ。万一そうなったら、その日に日本の歴史は終るんだ。地球上に日本という国は消えるんだ」と言っているんです。神話も文学も神道も武士道も、すべて日本文化は天皇に直結しています。直結して生きています。近代以前の歴史も、近代以降の歴史も、大東亜戦争も靖国神社も、すべて天皇に直結しています。皇統が絶えれば何もかも消えます。何もかもなくなります。
日本で守るべきものの優先順位をつけるとすれば何はさておいても皇統である。たとえば、人間の体でも守るべき優先順位があるはずです。誰かが襲ってきたら私たちは手で自分をカバーします。また頭や心臓をカバーします。手を守るために頭を差し出すような人はいません。足を守るために心臓を差し出す人もいません。優先順位があるわけですね。たとえ手や足が傷ついたところで、それでその人の命が絶えるわけではない。しかし、頭や心臓をやられたら、手や足が無傷でも人の命はなくなるのです。
今、日本はたいへんな危機を迎えております。むろん、できればどこも傷つけることなく生きていければ、それにこしたことはないのですが、万一の時はどうするのか。何かを犠牲にしてでも皇統を守らなければならない、そういうこともあるのではないのか。たとえ景気が回復しても、憲法が改正されても、何がどうなっても、皇統が絶えればすべては無意味です。昔の人はその大切な日本の国がらを「国体」と呼んだわけです。
人は富を得ようが名誉を得ようが、命を失えば意味がない。それと同じことで、すべての政策がうまくいっても、日本の国体が護持されていなければ意味がない。なぜ天皇がなければ日本がないのか。簡単なたとえ話をいたしましょう。
1994
:
八咫烏
:2012/04/01(日) 15:42:32 ID:XUCnAhzY
松浦光修先生の講話のつづき
日本の古語では、命のことを「玉の緒」と言います。玉とは宝石のことです。勾玉の玉です。そしてもう一つ意味があります。魂、霊魂も意味するのです。この言葉に古代の日本人の並々ならぬ智慧がこめられています。言わば日本にとって天皇とは、宝石を貫く一筋の糸のような存在なのです。
二千年の歴史を通じてみれば、日本史の各時代はそれぞれに美しい宝石にたとえられるでしょう。そして、その宝石を貫くのが天皇です。奈良時代の純朴さ、平安時代の雅、鎌倉時代の武士道、それらの過去のすべてを私たちは当たり前のように今、私たちの先祖のものだと言ってますが、少し冷静に考えてみてください。
たとえば、タイムマシンに乗って、今この場所を動かずいきなり平安時代に遡ったとします。するとどうですか。まず言葉が通じません。今の日本語と平安時代の日本語では、発音から何から、かなり違います。現代人には英語よりわからないかもしれません。そして政治制度も社会制度も、着る物も食べる物も、住宅環境も、要するに何もかも違います。「同じ日本人です」と平安時代の人に言っても「変な服着ているな。おまえなんか知らない。見たことない。おまえは外国人だ」と言われるでしょう。
そもそも「同じ日本人」という根拠は何ですか。平安時代と現代をつなぐ“縦糸”はどこにあるのかということですね。「同じ日本人」という根拠は、考えてみると、案外ないんですね。そして結局のところその根拠は、「天皇を戴いている国の民である」という一点に絞られるわけです。それだけが、日本が日本である証なんですね。
すべての人は、生まれ、成長し、やがて老いていく。赤ん坊の頃の私の写真を見た人と、今の私の姿を見た人では、同じ人とは思わないでしょう。しかし同一人物です。そこにはひとつの命があり、人格がつながっています。姿が変わろうと、人の命は一つづき。それと同じことで、何が変わろうと国の命も一つづき。その日本の命、それが天皇です。
三重県の名産のひとつに真珠があります。美しい真珠のネックレスには、たくさんの真珠が使われていますが、貫く糸は一本です。その糸が切れれば、どれだけ真珠があろうと、散り散りばらばらになります。もはやネックレスにはなりません。それと同じことで、どれだけ過去に、世界に誇る優れた文化や歴史があろうと、皇統が絶えれば日本は散り散りになり、ばらばらになる。
思えば「玉の緒」という言葉に、宝石を貫くものという意味と、魂を体につないでおくもの、つまり命と、その二つの意味を持たせた古代の日本人は、なんと智慧深い人たちであったことかと思います。
しかし、今の日本ではその大切なことがまるで教えられていない。それどころか軽蔑や憎悪の対象として教える教師たちがいる。そんなに日本が嫌いなら日本から出て行けばいいんです。あの人たちは、なんで日本の税金を使って日本の教壇に立っているんでしょう。厭なら日本から出て行けばいいのに、誰も止めはしないのに、と不思議に思います。日本に居つづけて文句ばっかり言っている。日本の税金をもらいながら、日本に文句ばっかり言っている。そういう教師たちがなんで日本の教員資格を与えられているのでしょうか。わたしには不思議でなりません。
1995
:
八咫烏
:2012/04/01(日) 15:52:58 ID:XUCnAhzY
松浦光修先生の講話
http://matsumitsu.exblog.jp/7039964/
日本に生を受けた者の義務とは
ともあれ私たちは、日本を日本たらしめているものが何か、普段からそういう認識を確立していないといけません。そうでなければ、いざという時、私たちはただうろたえるばかりで、手を守るために頭を差し出したり、足を守るために心臓を差し出したり、そういう愚かな真似をしてしまうでしょう。
そう考える時、新聞に名前こそ出ませんでしたが今年、まさに我が命をさらして陛下をお守りした人がいた、そのことを覚えておいででしょうか。今年七月四日、陛下が北海道に行幸された時、富良野市の国道三十八号線で、いわゆる「ソフト警備」の隙に乗じて陛下のお車に車が突入するという驚愕すべき事件が起こりました。そういう事件は、日本史上初めてであります。この事件のことを翌日の『産経新聞』はこう伝えています。
「調べでは、現場は中央分離帯のない片側一車線で、対向車線を走っていた古泉容疑者の車は、車列とすれちがった直後にUターンし、対向車線を逆行する形で車列に追いつき、その後しばらく併走。警護のため車列に加わっていた道警の白バイが制止したが、両陛下の車に横から接近し、阻止しようとした皇宮警察の白バイのうち一台と衝突。白バイは車に倒れかかるように接触した。車列は現場に約三分停止した。・・・前部が破損したが、両陛下におけがはなく、予備の車に乗り換え、予定通り視察を続けられた。」(『産経新聞』平成十五年七月五日)
その日のテレビニュースで破損した両陛下のお車が映されていて、私はゾッとしました。それでも両陛下はご自分たちのことより「警察官にけがはなかったか」と、そのことをご心配であったそうです。
その容疑者のような“異常な国民”が現われはじめたこと、そのこと自体、同じ国民として申し訳ない思いでいっぱいです。そして、ご自分たちのことより、警察官のことを気遣ってくださるという、まさにご歴代の天皇と変わらぬご聖徳に、私などはただ感激するほかありませんでした。
1996
:
八咫烏
:2012/04/01(日) 15:53:48 ID:XUCnAhzY
松浦光修先生の講話、上の続き
この時、皇宮警察の白バイの警察官は、両陛下のお車と、そのお車に突入しようとする車との間に割って入り、まさに身を挺して両陛下をお守りしました。その白バイの皇宮警察官の名前は出ていませんが、ただ一人で両陛下をお守りしたわけです。それのみでなく、その警察官は、二千年来の日本の命も守った人である、と讃えて結構だと思いますが、なぜか警察官や自衛官のことを、日本のマスコミは讃えないですね。
私たちも、たとえ身は民間にあるものであっても心はこの皇宮警察官のようでなければならない、それが日本に生を受けた者の義務だと思います。まるで自分の父母を思うように、古くから日本人は天皇を慕ってまいりました。目の前で父母を傷つけようとする悪人がいれば、普通の日本人なら体を張って父母を守ろうとするでしょう。天皇に対しても同様です。その思いは、その行動パターンは、日本人の心の遺伝子にしっかりと組み込まれています。
先の警察官は、目の前の危機に直面して、思わず身を挺して、自分の命も顧みずに両陛下をお守りしたわけでしょう。この「思わず」というところがたいへん大事なんです。非常事態に直面すると、まともな日本人なら、天皇を我が父母と同様に思う“心の遺伝子”が発動いたします。そのような、まともな日本人のおかげで、つまり先人たちの努力のおかげで、今日の日本はあるわけです。
三井甲之の有名な和歌を一首あげておきます。ご存知の方も多いと思いますが、その白バイの警察官のことも思いながら、あらためて味わってみたいと思います。
「ますらをの かなしきいのち つみかさね つみかさねまもる やまとしまねを」
「海ゆかば山ゆかば・・・」の遠い古代から、近くは大東亜戦争に至るまで、我が国の先人たちは、我が身を盾として、父母を守る子供のように、国の命である天皇を守るため、国難に殉じ、若い命を散らしてまいりました。そして今も、先の警察官のように身を挺して両陛下をお守りしている人もいます。問題は、それでは私たちは何をしているのか、ということです。
「私は警察官じゃないから」とか、そういう問題ではありません。この事件のような両陛下に対する直接的攻撃も今後心配されます。今は卑劣なテロが続発する危険な情勢です。ですから、私は皇族方は東京に一極集中してお住まいになるのは危険である、と考えております。各地の離宮に厳重な警備を敷いてなるべく一ヵ所にかたまらずにお住まいになった方がよいのではないか。大東亜戦争の時など、今上陛下は疎開されておられましたが、そういうことも、もう考える時が来ている。
一方、そういう直接的な攻撃ではなく、間接的な攻撃なら、もう枚挙にいとまがない。この半世紀、皇室に対する間接的な攻撃が絶え間なく行われてきたことはご存知の通りです。政界、官界、学会、言論界、教育界、その中に、さまざまな手段を使って両陛下を脅かす人々がいます。国旗、国歌を冒涜し、「天皇は差別の根源」などと理屈の通らないことを言う人たちがたくさんいるわけです。
戦後は「お母さん、天皇って何?」と子供が聞くと「私たちの税金で食ってる人だよ」なんてことしか教えない母親が多かった。それが普通になってしまった。自然と皇室に対する軽蔑や憎悪が生じる。やがてそれが行動につながっていったのがあの「全共闘世代」の人々でしょう。しかし今でも、そういうたぐいの人たちが私たちの目の前で跳梁跋扈しているではありませんか。それでは、私たちはどうしたらいいのか。見てみぬふりをしていていいんでしょうか。もしそうだったら、それはまるで両陛下のお車に突っ込もうとしている犯人を目の前で見ていながら、見て見ぬふりをする卑怯者のようなものではないか。
「おい、何言ってるんだ、おまえら」と、せめて一言、正々堂々と面と向かって、そういう人たちに言い返すべきではないか。勝てるとか負けるとかそんなことを考える必要はない。「思わず」そう言ってしまう、「思わず」そう叫んでしまう、それがまともな日本人だろうと思うんです。そんな連中に、まともな日本人なら一矢報いたいと思うはずです。そして、皇室おご恩に報いたい、と思うはずです。あたかも大逆を働こうとした犯人に「思わず」白バイで体当たりした、あの皇宮警察官のように・・・。
1997
:
ももんが
:2012/04/01(日) 17:19:10 ID:XXCuaQns
>>1909
復興G様
復興G様、先日のお言葉、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。
先日の、御文章をいただきまして、復興G様が、”挨拶“していただけないことに、事に、大変ビックリいたしました。
>>かなり的はずれなお返事、ありがとうございます。
<<
最初の、この、この御言葉を読んで、復興G様は、”“内心”私の言う事に、“賛同”理解していただいと思いました。
あと、“認めたくない心”、“自我”が邪魔されてるのかと、感じしまいました。
『>それから、復興G様、大変恐縮なのですが、復興G様は?『言葉』は『人間の言葉』『話言葉』と理解していられるようで、大変残念です。<
>>そんなことはありません。それはあなたの誤解ですよ<<』
そうですか?『誤解』ですか?環境は、宗教と関係ないとおしゃる?なら、道元禅師は『水』を大切にする事を言われてます。弘法大師も『植林』をされました。
これは、『地球』の声を、“心”で聴くことが、出来るから、自然に言葉になるのです。
確かに。
>>その通りです。<<
と、復興G様は、御答え下さいましたが、実際は、“人の言葉”、“雅春先生の言葉”の追従に成ってるだけで、“自己の内側から聴こえた神の声”では、無いと、生意気ですが、拝察しました。
>>では、ももんが様、その“生長の家誌第一号”の、もっと前の方に書かれている、いわゆる“発進宣言”といわれているお言葉については、どう思われますか?
「自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。起たざるを得なくなつたのである。友よ助けよ。同志よ吾れに投ぜよ。人類は今危機に頻してゐる。生活苦が色々の形で押し寄せて人類は将に波にさらはれて覆没しやうとしてゐる小舟の如き観はないか。自分は幾度も躊躇した。起つことを躊躇した。自分は中心者として増上慢のそしりを受けることを恐れてゐたのだつた。一求道者としていつまでも謙遜でゐたかつた。併し今は謙遜でありたいと云ふことが自分にとつては安易を貪る一つの誘惑と感じられる。自分はこの誘惑に打ち克って人類を救はねばならない。自分の有つてゐる限りの火で人類を救はねばならない。……」
というお言葉です。
これは、日時計主義に反するお言葉ですか。最初から、日時計主義に反することを言いながら、一方で日時計主義を提唱されているのでしょうか。
これは、「実相と現象」についてのお悟りと使命感から出たお言葉であると、私は拝誦しています。<<
”いいえ“この御文章、全体の雰囲気から、”日時計主義“が溢れているているているではありませんか。
”感じ“取れませんか?
幸福感が、”使命感は気にしない方がいいですよ。
”心の灯火“て番組で、ヤット神父が、言っていた。
『暗いと不平を言うよりも、すすんで、あかりをつけましょう。』
此れと、同じ内容の、雅春先生の御言葉と思いますよ。
”聖書“を引用なされたのでしょね。わかりませんが、日時計主義だと、私は思いますよ。
〜つづく
1998
:
ももんが
:2012/04/01(日) 17:30:05 ID:XXCuaQns
>>1909
復興G様〜つづく②
>> とおっしゃったことに対して、私は「この世界は言葉によって創られて行く世界ですから、積極的に言葉の力を駆使するのが生長の家の生き方なのではございませんか」と申しあげました。その「言葉の力」とは、むろん、行いも含みます。
桜の例で言えば、桜の花は既に神さまの心で創造されていて、自然に咲きますけれども、太平洋と日本海を桜のトンネルで結ぶことも、バスの車掌だった一人の男の使命感と行動によって実現しました。ポトマックの桜もそうです。神の国に既にある理念を現象界に展開するには、人間が使命感をもって口でも言い、行動することが、人に与えられた役割なのではないでしょうか。<<
”与えらた使命“、それが、自然に発揮されるですよ。仏教では”因果必然“というんですがね。上のお話も、そうなる、因果にあっただけ、なすべき事は、確かに見方によって、使命だが、それは、その人に生まれながらに、為すべき事がらであっただけです。
言葉が、展開するから、その人に生まれながらに備わった、使命が展開するわけですよね。
私は、そのように、理解しております。
>><「宗教・哲学等の価値観の異なる文化圏が接触した場合は、互ひに反撥して対立するか、一方が他方を征服して抹殺してしまうかの何れかである、従って文化を輸入することは出来ない」といった一般原則があります。この原則は古今東西の歴史が証明するところですが、この一般原則に当てはまらないのが日本の国であり日本の文化であります。
近代の宗教一つを取上げて見ましても、仏教やキリスト教が「日本の生命」に触れた時その本来の姿を現わして「生長の家」という国家的に世界的に完成される宗教に変貌致します。
要するに「霊(ひ)の本」から発して世界の各地で個別に華開いた思想や文化が、お里帰りをすると新しい生命に生まれ変るのであります。>
(『理想世界』昭和51年11月号、木間敬氏)<<
復興G様、他人の言葉でなく、御自身の言葉を、賜りたいです。
私は、この方の見方と、見解を異なります。
>>「宗教・哲学等の価値観の異なる文化圏が接触した場合は、互ひに反撥して対立するか、一方が他方を征服して抹殺してしまうかの何れかである、従って文化を輸入することは出来ない」といった一般原則があります。この原則は古今東西の歴史が証明するところですが、この一般原則に当てはまらないのが日本の国であり日本の文化であります。<<
とありますが?征服した民族が、けして、優位になれたわけではなく、文化や言葉も同化して行く事も、あったわけだから、一概に言えないと思います。
>> それはもちろんですが、ここは生長の家について語っている場であるのに、ももんがさんはなぜわざわざ生長の家を他の教えと同列に並べておとしめるようなことをおっしゃるのか、理解に苦しみます。生長の家は、なくてもよかったのですか?<<
“仏祖の往昔は我らなり、我らが到来は仏祖ならん”
“生長の家の教えも、他宗の教えも、我においては、一体である。”そう、私の心の中では、一つなんですよ。
なんの、差別が、ありますか?
差別が、あり拘りがあるのは、復興G様の御言葉と、心の中の既成概念、だけですよ。
復興G様が、このように、思い、感じるのは、既成概念(拘る心)
<<、ももんがさんはなぜわざわざ生長の家を他の教えと同列に並べておとしめるようなことをおっしゃるのか、理解に苦しみます。>>
そう、復興G様の心の内にある一つの拘りの心だと、私は、思います。
私は、神様のお話をしてるだけで、生長の家(地上の)とか、キリスト教とか、仏教とか、余り拘りは、ありません。
復興G様は、本当は、私の考え方に賛同していられるのだなと感じます。
文章全体から、それを、感じでます。
良いのですよ、すぐに、完全賛同でなくとも、真な、ありがたく、思います。
それでは、長々と、失礼な御言葉もあり、すいませんでした。真ありがとうございます。感謝、合掌、拝。
1999
:
SAKURA
:2012/04/01(日) 18:17:05 ID:I4aQXl92
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
【SAKURA の 独り言】
勉強不足…でしょうか?自覚しております〜〜〜が ><
私自身、この【ホメロスの輪…】に関しまして、
かなり前から“3月上旬位”からでしょうか…「さくら様」が、一つの定義を、
出されましたが…【組織・真理・救済…】この事が…
【ホメロスの輪…つまり“3連のリング”…値するような事を示して下さいました…。
ならば…この事がどの様に関連して…この「3者…互角」なのでしょうか…?
勉強不足の私ですので…其の“具体的な考え”をお願いできればと思いまして、
今回…皆様と一緒に「さくら様」に御回答を頂けますととの思いから…
投稿させて頂いた次第です。
今回…再度私の【ホメロスの輪…】に関しての“考え…入門”と思いますが?
投稿させて頂きます…。
尚…「さくら様」からの「返事の言葉…」投稿させて頂きますが…(下記の文)
果たて、【ホメロス3連リング…】つまり【真理・救済…】この部分はどの様に
【組織…】との関連が…具体的な一例を頂けますと思いましたが…??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■生長の家政治連合と「今の教え」を考える
888 >さくら 投稿言葉… (抜粋させて頂きました。)
SAKURAさま
>
具体案っていうのは、
実際ある機能を使えば 活動では、単青や、地区の活動が、
自由に機能する、そういうことなんですが…。
組織の内部の意識を大きく変えないと、
状況は、変わらないでしょうと、思います、。< (抜粋させて頂きました。)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<つづく>
2000
:
SAKURA
:2012/04/01(日) 18:20:04 ID:I4aQXl92
<つづく>
■【ホメロスの輪…】ウフ〜〜〜ン!!
そうです〜〜ネ!ふと?【リング…三つのリング連結??】
連想して…例えば…??【男・女・子供】
つまり、具体的には【男性・女性が一体となり、子供が生まれる…!】
【一つの“絆”で〜〜〜ショ】
これが【ホメロスの輪…】に、たとえて行きますと…
以前【さくら様】が…
〜〜〜♫【カルチェ〜〜〜来い〜〜〜♫】と、書いていらっしゃいましたが…
私は当時【カルチェのバック…】とばかり、連想していましたが?
ここ数日前から【カルチェのリング】を思い出したのです。
この【3連にかさなった“リング”…ゴ−ルド・シルバ−・くすんだゴ−ルド】が
【3連…】重なっています…。不思議な気分です…はずす事は、難しい? ><
私も“20歳の頃”当時【青山ヴァンド−ム…】で、一見風を買いましたが…?ウフフ
当時は“30%引きで購入”…勿論“偽物”ですが〜〜><
当時の私にとりましては、高価なものでしたが…?
今は“ネット販売”・“通販”で安くて??万ぐらいでしょうが……?
ふと!今の“私の手”…もう〜〜〜“料理”をする様になりますと…
どう見ましても「無用の産物」当に!手にとっても、似合わない様ですが… ><
この【3連のリング】を連想しましたら、先ず!「一本のひもから」始まる…
或る方が云いまして【一本の紐???】
話は脱線しますが……そういえば?
日本でも「道ゆきコ−ト」etcとか?「子供の着物」に飾り紐結び…
がありますョ〜〜〜ネ!これは【一本の紐】での展開が始まりますが…
実際!作りますと難しいのです〜〜〜〜〜ョネ!
■この事を踏まえまして、更に“連想”しながら〜〜〜♫
【家族……男性・女性が一体そして子供】これを互角に関連しますと“リング”に
なります〜〜〜ョネ!
更に!【祖父・祖母とか関連していくうちに、一つの輪】が増えて行くのでしょう。
そうしますと「さくら様」のおっしゃいます事は…
勉強不足な私?【具体論…】が見えないのです…。
■【組織・真理・救済…】
この事が【ホメロスの輪…】でしたら、この三者がどの様に
「互角」なのでしょうか?仮に今…そうでない場合…ではどの様にして、
「互角」に持って行かれますのでしょうか?
余りにも…【抽象論…】の様に思えますし、この事が「生長の家」の場合、
どの様なる【具体論…】或いは将来この様に〜〜♫〜〜との、お考えが、
あられますのでしょうか…?
そうでなくても、【現在の生長の家】…お家騒動…
この三者の力(さくら様のおっしゃる“組織・真理・救済…”のバランス)
元々あったのでしょうか?いつから崩壊していきましたのでしょうか?
いろいろ【独り言…具体論】只今!考え込んでいます…。
再合掌
PS:
先ず!現状は信者(魂の向上を求める人々)この方々を集客を如何になす事が、
出来るのか…?ここからが、始まる”モノ”と思います。
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