① 聖典『生命の實相』と聖経『甘露の法雨』を失うことが確実視されて以来、雅宣教主は諸般の事情に疎い多くの信徒を繋ぎ止めて置くために“偽経”である『大自然讃歌』と『観世音菩薩讃歌』を制作発表し、さらに尤もらしい名前をつけて『生長の家(実は「雅宣教」)ってどんな教え?』を発刊、本流復活を願う信徒達による「第一回全国大会」の大成功の報の接するや、これはならじと「新・祈りの言葉」を教主のブログ「唐松模様」で連続発表いたしております。
② 開祖・谷口雅春先生の聖経『甘露の法雨』や「祈りの言葉」は最高級神霊界から全人類の中からただ一人選ばれた開祖・谷口雅春先生に直接啓示されたものである事は全信徒の皆様のよく知る所であります。
③ しかし、雅宣(自称)総裁の作った“偽経”と評せられている『大自然讃歌』や『観世音菩薩讃歌』は雅宣(自称)総裁が、自分の肉体頭脳知(人間知)を絞り出して作ったものであります。しかし、この本質を見抜けないまでに洗脳されてしまった信徒たちは本部講師・地方講師を含めて、神界からの啓示を受けて雅宣氏が書いたと信じています。しかし、事実は大霊界の地獄・煉獄に君臨する“巨大悪霊”からのインスピレーションを受けて書いたものであります。
② 現下の教勢低下と信徒間の反目と混乱が生じた根本原因は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を三代目の雅宣(自称)総裁が換骨奪胎して別の内容に入れ替えたことであるから、もう一度原点に立ち返り、宗教界に於ける“嗣法”の原理原則(一杯の盃の水を一滴も零さずに次の盃に移し替えること)に則り、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の全相をそのままに継承する後継者を「総裁」に迎え入れることである。
③ 全信徒がこぞって受け入れることが出来る後継者は、何といっても開祖・谷口雅春先生の一族の方達の中から迎え入れることであり、このことは開祖・谷口雅春先生が御生前において意思表示をされていたことでもある。
① 間違いなく実現する事は只一つあると思います。それは、< 最新の環境技術を組み合わせてCO2を出さない日本で初めての建物、世界でも画期的な試みで完成後は世界から大勢の見学者が押し寄せるだろうと建築業界では話題になっている、> この部分は確実性は高いだろうと思います。ただし、“押し寄せる”ほど見学者が来るでしょうかね? 建築専門家や環境改善団体や珍しもの好き観光客はある程度はくることは確かでしょう。
② You−Tube画面に映る「森のオフィス」七棟の建物は現代の大建築であることは間違いないのでしょうけれども、すごいお金を掛けていますね。500億円といわれる信徒の浄財の積み立てがあってこそ実現できたのだと感心いたしました。個人や民間会社などではこれだけの建物は建てられませんね。全く莫大な親の遺産を受け継いだセレブお坊ちゃまの“豪勢な道楽”との印象が先に立ってしまいました。
③ これだけの豪勢な建築物の維持管理の年間経費は莫大でしょう。減価償却費や補修費も大きいと思われます。「森のオフィス」は独立採算制ではなく、営業活動はしていないわけですから、全ての経費を賄う収入は、信徒さんの「聖使命会費」をはじめとする浄財という名の寄付金に全額を依存して行く事になっています。この点の見通しはついているのですか? 現在、「聖使命会費」の収入は急減しているようですが・・・いや、失礼しました。教団の資産は雅宣殿ご存命の間は十分にあり、たとえ“竹の子生活”にしろ教団破綻・資金ショートは絶対的にあり得ないと云う事だったんですね。
① 急激な教勢低下現象の中にあっても、雅宣氏は三代目という最高責任者でありながら、その責任を何ら感じていないように見える。民間会社の社長なら会社業績が赤字転落しその状況回復の見とうしが立たないときには責任を感じ、社長交代を考えるのが普通。しかし、「雅宣」という人はこの様な常識が通じない精神状態であるとしか思えない。(この点、理事参議という最高幹部役員も同じ心的状態にある。)
② 彼は、講習会で、壇上から講話をしていて、午後の部が始まった時に弁当だけを食べに来て帰った人が非常に多いことに気がついているはずである。最後まで受講した人は、30〜40%位しかいないということがよく分かっているはずである。なぜ大勢が途中でゾロゾロと帰っていくのであろうか? 普通の常識人ならば、自分の講話内容に魅力がないためだと自己反省するのであるが、「雅宣」という人は全然自己反省していないように見うけられるのである。
③ 彼は、一日9時間以上ものパソコンお宅といわれていることも自分で十分に認識しているはずである。「掲示板」の投稿記事を通じて、自分の“言行不一致”を激しく追及されていることも知っているはずである。お通夜の“暴言”、陰湿な人事管理、「大調和の神示」を説きながら、兄弟を一方的に追放したことなど、さらに「法燈継承劇」を自作自演して“ニセの法燈継承者”と自称していることなどが信徒たちに知れ渡っていることを知りながら、恥かしげもなく“総裁”と自称し、宗教家であると自負し、堂々と平気で文章を書き殊勝な講話をしている。
① 上記三つの投稿文で解ることは、「初心者」なる人物は、霊的真理の分野については完全に理解する能力に欠けているということである。その反面、小理屈や大理屈にだけは長けているといえるのである。この点に関しては雅宣(自称)総裁と全く同じであり、だから「初心者=雅宣(自称)総裁」と言われても仕方がないことであるし、実際にそうなのである。
② 「初心者」は言う。< わたしは『生命の実相』では真理を知ることはできないと考え、教えを手放したのであります。>と。『生命の實相』の教えを手放したのであれば、なぜこの様な掲示板にわざわざ出てきて難解な言葉を使って、開祖・谷口雅春先生が説かれた『御教え』を批判する必要がどこにあるのであろうか? 「初心者」=「雅宣(自称)総裁」なればこそ故である。
③ 「初心者=雅宣(自称)総裁」は、< 形ある實相世界はない >と主張する。この主張は彼の立場に立てば当然であろう。なぜなれば、「初心者=雅宣(自称)総裁」は、五官の世界といわれる現象世界・肉体と物質の世界から一躍超入して(「無の関門」を透過して)實相世界(実在世界)に入り、實相覚で以ってそのありさまを実際に見た霊的体験がないからなのである。体験のないものにとっては、実際の体験を持つ人の語ることを信ずることは大変難しいことである。開祖・谷口雅春先生は御自身のこの霊的体験にもとずいて實相世界(実在世界)のありさまを説かれているのである。