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心の哲学まとめwiki掲示板

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1 : 掲示板停止のお知らせ(1) / 2 : ご意見、ご連絡スレ(95) / 3 : 雑談スレ(16) / 4 : 死んだらどうなるの?(101) / 5 : AIについて(40) / 6 : 自由意志ってあるのですか?(18) / 7 : 永井均×入不二基義 「現実性について―私・今・現実―」(13) / 8 : 管理者日記(380)
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1 掲示板停止のお知らせ (Res:0)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 1
1メビウス ◆4lggoO1oV6 :2015/05/11(月) 20:13:26
管理者多忙につき掲示板の運用を停止します。
心の哲学まとめサイトについて、記述の間違いの発見や著作権上の問題が
ありましたら管理者のtwitterアカウントにご連絡ください。
https://twitter.com/mobius774

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2 ご意見、ご連絡スレ (Res:74)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 2
1メビウス@管理者 :2010/11/10(水) 00:24:44
当サイトへのご意見、また著作権上の問題などを発見されましたらここへお書き下さい。

76横山信幸 :2015/05/01(金) 21:26:46
もしかして、メビウスさんが他我の話をされたのは、他者のクオリアは検証不能だとするけれども自分のクオリアは検証可能とされるということなのでしょうか。
僕が前提9でクオリアが検証不能だとしたのは、他者も自分も区別せず、不可能だと考えたものです。

>前提9.物理的に一切の機能を持たない非機能的クオリアを考えるときに、任意のyについて、「yの非機能的クオリアがある」の真偽は原理的に検証不可能

そのような意味だとしたら、メビウスさんはこれを間違いだとされるのではないですか。


77メビウス ◆4lggoO1oV6 :2015/05/03(日) 19:58:46
何を主張されてるのかわかりませんが、カントが言ってるように感覚は本性上
判断しないので、クオリアは現れた時点で帰属先人物が決定しています。したがって、
たとえば「自分が検証不可能な自分の痛み」なんて矛盾概念でしかありません。

たぶんクオリアは物的なものに作用するという前提で書かれてるのだと思います。
確かに走りたいと意識すれば身体は走るのだから、心的なものは物的なものに作用する
(心的因果)と素朴に思うのですが、この世界が心的因果の存在しない心身並行説的、
あるいは随伴現象説的なものだと仮定しても論理的に矛盾はないのです。
ゾンビ論証とは心的因果が存在しない可能性を論じることによって、物的なものと
心的なものは存在論的に異なることを示そうとするものです。


78横山信幸 :2015/05/03(日) 21:03:01
僕の主張の主旨は、
「非機能的クオリア」は定義的に一切の物理作用を持たないので「クオリアがある」と語る身体活動の原因にはなり得ないこと、それゆえ、「非機能的クオリア」の存在の検証が不可能であることです。

随伴現象仮説を仮定することは許されているとすることは可能かもしれません。しかし、随伴している物理現象を検証することでもって、随伴している非機能的クオリアを検証したことにすることはできませんよね。

僕は、随伴現象説というおとぎ話が不可能だと主張しているのではありません。原理的に検証不可能なおとぎ話でしかないと主張しています。


79横山信幸 :2015/05/03(日) 21:34:25
書き足します。

>感覚は本性上判断しない

とカントが言ったのだったら、その感覚や印象は僕のいう「非機能的クオリア」とは別物です。判断しないでも語り得るのだとしたら、それは機能をもっていると言わざるを得ないからです。


80メビウス ◆4lggoO1oV6 :2015/05/04(月) 19:44:25
繰り返しますが思考可能性論法とは形而上学的可能性を示すものだから検証可能性は必要条件ではありません。

>語り得るのだとしたら、それは機能をもっていると言わざるを得ないからです。

平行説や随伴現象説では、クオリアに機能がなくても身体はそのクオリアについて言語活動可能です。

勘違いしてると思いますが、チャーマーズを含め本気でゾンビの存在や随伴現象説を信じている学者などいません。
ゾンビが思考可能であるならば心と物は存在論的に異なる可能性がある。異なるのならば随伴現象説が可能であるが
それは節約の原理に反する。ならば心と物はなぜ、どのように相関するのかを議論しているのが現代二元論者です。
非機能的クオリアや随伴現象説は議論を進めるための一段階に過ぎず、それをナンセンスだと批判するのは論点錯誤です。
ちなみに物的一元論者は心的なものが存在論的に異なる可能性を認めたくないので、ゾンビは形而上学的・物理学的に
不可能であるとの論証を試みています。検証不可能というだけで却下できるなら誰も議論してません。


81横山信幸 :2015/05/04(月) 22:04:08
なるほど、思考可能性論法とは形而上学的可能性を示すものだから検証可能性は必要条件ではない。
それって、「思考可能性論法」とは、僕のいう「おとぎ話」をしているだけだから、現実世界を話すための検証機能なんかは必要ないってことですよね。

だから、クオリアに機能が無くても身体はそのクオリアについて検証が不要な「おとぎ話」を語りえるってことですね。

でも、ウィトゲンシュタイン等の哲学においては「語りえる」というのは一般に、世界を有意味な(恒真でも恒偽でも無く、世界と比較することによって真偽が測れるような)命題で持って表現し得るってことですよね。
その意味の「語りえなさ」においてでは、「クオリアは語り得ない」と言えますよね。
随伴現象説のクオリアについて、クオリアを確かめることによって、クオリアの存在や非存在の真偽を測ることは、原理的にできないですもんね。


82メビウス ◆4lggoO1oV6 :2015/05/05(火) 20:09:18
クオリアが機能しない身体による言語の意味の実質がどうであろうと、それは思考可能性論証の眼目とは
関わりが無いので論点錯誤です。
意識が身体に作用しないのはナンセンスだとか、おとぎ話だなんて子供でも主張できますが、そこに
形而上学的可能性を見出して、心身の存在論的な差異の有無や相関関係の内実を議論するのが哲学者です。
なおウィトゲンシュタインにおいては語の意味とは用法であり、カブトムシの箱の比喩が示すように
私的言語に反対していることから、クオリアなど内在的性質の比較検証は前提していません。

なお肝心なことなので再び書きますがクオリアは語りうる必要などありません。語りえないことや検証
できないことは存在しえないことに直結しないので、思考可能性論法に対する反駁にはなりません。


83横山信幸 :2015/05/05(火) 21:47:56
>語りえないことや検証できないことは存在しえないことに直結しない

その通りだと思います。「語りえず、検証できないこと」は存在することもしないことも言えないナンセンスです。
ですから、クオリアについて語ったり論じたりできるということは、現実世界とは何のかかわりもないような空想世界が可能だってこと以上の何物でも無い意味だと理解しました。
その理解で正しいですか。


84メビウス ◆4lggoO1oV6 :2015/05/06(水) 20:07:09
まだ思考可能性論法の眼目を理解されていないようなのでこれ以上の説明は無駄と思い断念します。
以下に読書案内だけしておきます。

信原幸弘編『シリーズ心の哲学Ⅰ 人間篇』第三章
金杉武司『心の哲学入門』pp.67-74

上の二冊を読んでから哲学的ゾンビについて再考されるのが良いと思います。
なお、思考可能性論法をめぐるより仔細な議論を知りたければ、

ジョン・サール『MiND 心の哲学』第三章
鈴木貴之『意識のハード・プロブレムに挑む』第1章と第2章

以上を読まれるといいでしょう。


85横山信幸 :2015/05/06(水) 20:50:30
討論のお相手をしていただけなくなるのは大変残念です。

僕が理解できていない可能性ももちろんありますが、メビウスさんが間違っている可能性も十分にあると僕は考えています。
それを、僕が間違っている点を指摘することもしないで、議論を無駄だとしてしまって切り上げるのは、哲学的態度としては残念なものに思います。
できれば、考え直してくださいませんか。、


86横山信幸 :2015/05/06(水) 20:55:17
失礼ですが、僕の指摘について、そのどこが間違っているのかをメビウスさんが見つけられないのではありませんか。そして、そのことを、僕の理解不足のように言われているだけなのじゃないですか。、


87横山信幸 :2015/05/06(水) 22:35:19
サール「心の哲学」4章を読み返しましたが、やはり、サールの不理解はなはだしく、僕の問題にしたい論点は語られていないと感じました。「唯物論は存在論的に主観的な現象は存在しないと断定する。ところが、私たちはこの意見が間違っていることを知っている。というのも、私たちはつねに主観的な現象を経験しているからだ。」
結局、ここの部分にサールの本意は凝縮されているようですが、物理的に還元できない主観的現象が存在することがホントに語り得ると無邪気に考えている勘違いに問題があることに、彼は気が付いていません。有名な「中国語の部屋」にしてもその勘違いを、ややこしい言い方で主張しているだけに過ぎません。その勘違いは、僕のサイトの「サールの「中国語の部屋」と統語論と意味論<心は実在するか15>」http://sets.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-09dd.html
で詳しく指摘していますので、もしよろしければお読みください。
鈴木貴之『意識のハード・プロブレムに挑む』第1章と第2章は読んでいませんが、そこには、僕の言う「クオリアはナンセンスだ」に対する答えが載っているのでしょうか。
僕の考えている論点と違う論点を語られて、僕の論点がずれていると言われても困ってしまいます。


88横山信幸 :2015/05/06(水) 22:52:43
思考可能性論法とは、現実世界とは何のかかわりもないような空想世界が可能だってことを主張する以上の何物でも無いような論法である。
結局、僕の主張とはこういうことになるみたいですが、間違っていますか。

無駄だと言わないで、回答していただけませんか。


89メビウス ◆4lggoO1oV6 :2015/05/07(木) 20:04:07
サール批判は的外れ。前述したように心の哲学は自然主義です。この立場ではクオリアを「語りうる」必要はなく
「示す」ことができれば良い。この方法論を理解されていない。ちなみにS.クリプキも言語哲学者ですが
サール同様の主張をしていますし、そもそもチャーマーズのゾンビ論証とはクリプキの可能世界意味論を
ベースにしています。またサールと立場を異にするH.パトナム、D.ディヴィッドソンらも思考可能性論法は
使用しており、この論法は現代分析哲学の思考ツールとして広く承認されています。

>僕が間違っている点を指摘することもしないで、議論を無駄だとしてしまって切り上げるのは、哲学的態度としては残念なものに思います。

間違いは多数指摘しています。私のレスを再読して下さい。思考可能性論法が何たるかも既にくどいほど書いてます。
なお文章を読めば勉強量はすぐわかります。心の哲学における主要なトピックの論点をあらかじめ把握することも
せずに議論を挑む態度こそ無神経だと思います。少しは相手の迷惑を考えて下さい。
なおサール本読解の正誤は別にして、資料のクロスチェックは研究の基本です。先に紹介した四冊は思考可能性論法に
ついての「最低限」レベルですので、もっと本を読まれるのがいいと思います。


90名無しさん :2015/05/07(木) 23:07:24
心の哲学における主要なトピックの論点をあらかじめ把握することもせずに議論を挑んでしまい無神経だと思います。少しは相手の迷惑を考えて下さい。


91名無しさん :2015/05/07(木) 23:22:24
心の哲学における主要なトピックの論点をあらかじめ把握することもせずに議論を挑んでしまい無神経にご迷惑をおかけしました。

上の打ち間違いも僕です。すみません。

メビウスさんのご説明をすべて読み返しました。
思考可能性論法とは結局、クオリアが語り得ないunsinnであるがゆえに、その偽までもが立証不可能になるということを利用して、クオリアの存在を許すような世界像が可能であることを示した論法である。そういう理解で正しいですか。


92横山信幸 :2015/05/07(木) 23:24:15
繰り返しすみません。また署名忘れです。


93メビウス ◆4lggoO1oV6 :2015/05/08(金) 20:06:56
>>89に一部表現の間違いがあったので訂正します。
>H.パトナム、D.ディヴィッドソンらも思考可能性論法は使用しており、
これは「思考可能性論法」でなく「思考可能性論法と類似の思考実験」の間違いでした。

>>91
思考可能性論法・ゾンビ論証とは何かをより正確に言うと、「クオリアが欠如したゾンビが思考可能であるゆえに、
ゾンビは形而上学的にも可能であると主張し、そのことにより心と物が存在論的に異なる可能性を示すもの」です。

物的一元論の立場では物理的なものが全てを決定するのだから、物理状態が同じでありながら心的状態が異なること
はありえないので、ゾンビは「思考可能」ですらありません。ゾンビの思考可能性は物理主義の間違いを示唆します。
したがって物理主義者はゾンビ論証に対し、思考可能なものでも形而上学的に不可能な事例を挙げたり、心と物の
同一性がアポステオリに確かめられる可能性を論じたりして反論しています。
心の哲学者にとってゾンビ論証は検証不可能という理由で退けられないのです。


94横山信幸 :2015/05/08(金) 23:20:08
>物的一元論の立場では物理的なものが全てを決定するのだから、物理状態が同じでありながら心的状態が異なることはありえないので、ゾンビは「思考可能」ですらありません。

に対する質問です。
メビウスさんのその説明が正しいならどんなナンセンスな対象を想定しても物理主義を否定できてしまうのではないかという疑問が湧きました。
例えば、あらゆる物理的存在と一切の相互作用を持たない存在者αを考えます。実在するニュートリノなる物質は物理的相互作用能力が非常に弱く、その多くは地球さえ貫通してしまうほどだそうです。しかしそれでもニュートリノは微かな相互作用能力を持っているのでそれは観測可能で、確実に物理的な実在者だといえます。それに対してここで考えるαは完全に一切の相互作用を持たないものとするわけです。だから、完全に観測不可能で、検証不可能です。さらに定義からして一切の物理的対象と一切の相互作用を持たないのですから、このαはもはや物理的存在でさえ無いはずです。さてそこで、

物的一元論の立場では物理的なものが全てを決定するのだから、物理状態が同じでありながらαが存在したりしなかったりするような異なる想定が想像可能になることはありえないので、αは「思考可能」ですらありません。αの思考可能性は物理主義の間違いを示唆します。

メビウスさんの説明が正しいならこの推論も正しくなるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。正しい推論だと言えると思われますか。


95メビウス ◆4lggoO1oV6 :2015/05/09(土) 19:53:13
物理的なものが全てを決定するとは心身問題の脈絡で物的一元論という立場から言ってるのだから、
物理状態が心的状態を決定するということです。この物と心の関係を付随性と言います。
ゾンビ論証の意義とは付随性が成立しない可能性を示唆できることです。
αはクオリアの類比になっていません。そもそも物理学も物理主義も観測可能な対象しか存在しない
とは言ってませんので前提からして誤解してます。


なお正直言って迷惑ですので書き込み禁止の措置を取らせて頂きます。
心の哲学の基本的な概念やトピックをいちいち説明している時間がないのでご了承ください。
あとは先に紹介した四冊を手始めに独習して下さい。


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3 雑談スレ (Res:0)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 3
1ななし :2012/06/19(火) 18:20:29
こんなスレがあってもいいかなと思って立てました。

2ななし :2012/06/19(火) 18:27:06
管理人さんは永井均をかなり批判してますが、一部のページでは
永井の思想を土台にして語ってるように思います。
管理人さんの永井に対する評価って実際どうなんでしょう?
部分的に評価してるということでしょうか?


3メビウス@管理者 :2012/06/20(水) 22:04:14
永井均は凄く評価してますよ。
今の時代には珍しい生粋の哲学者魂の持ち主であり、
私と問題意識を共有している人物でもありますから。
日本では大森荘蔵以来の本物の哲学者かもしれません。
大抵は「哲学者」なんて肩書きを持っていても西洋の誰々様の解釈専門
なんて人物が多いですからね。日本の場合。

ただ根本的に問題意識を共有しているからこそ理解できる問題点というのが
あって、私はその点を批判することで自分の哲学をやっているという感じです。
永井均を批判することで改めて浮き彫りにされる哲学的問題というのがあるのですよ。
こういう脱構築的手法は永井自身もチャーマーズの哲学に対してやってますね。


4ななし :2012/06/21(木) 18:39:59
レス感謝です。

ところで管理人さんは2chの哲学板には書いてないんでしょうか?


5メビウス@管理者 :2012/06/22(金) 00:26:16
哲学板は数年前まではよく書いてましたが、最近は見ることすらしてません。
厨房比率が多すぎですね。稀にレベルの高い人はいるんですが、基本的に
時間の無駄かなと。

以前は「アキレスと亀」みたいな良スレがあって、その頃は自分みたいに
時空の実在性を否定するやつなんてごく一部だろうと思ってたら、意外に
自分と同じ意見の人が多くて感動したこともあったり。


6名無しさん :2012/12/01(土) 17:04:48
通り掛かりの者です。
一言意見させて下さい。
日本の哲学者に西田幾多郎が取り上げられていないのが気になりました。
『善の研究』なんかは心理主義的だと西田自身が述べている通り
心の意識現象の議論から出発しております。
とりわけこのwikiの文脈で言うならば心身問題にも言及しております。
そういうわけですので勝手ながら、是非載せていただきたく思います。


7メビウス@管理者 :2012/12/01(土) 22:01:00
西田哲学は、初期は現象主義的、無主体論的ですが、後期には変わってるのでやっかいですね。
個人的には、西田の存在論、自我論は大森荘蔵によって乗り越えられたと思ってるので今まで
ページを作るつもりは無かったのですが、もしページを作るとしたら何年も先になると思います。

もっとも、私個人の西田についての知識は浅いので、時間があればじっくり読んでみたい人物でも
あります。


9名無しさん :2013/02/13(水) 20:13:31
was a beeというwikipedianは貴方ですか??


10名無しさん :2013/02/14(木) 13:53:08
と思ったら掲示板内に居てびっくり。失礼しました。


11名無しさん :2013/02/18(月) 16:30:13
形容はその対象を除外して、自立して実在するといえるのか。
すなわち、非実在を実在と感覚・誤解しているのではないか。
であるなら、これらは再び一般化しなおす必要があるのではないか。
先人が挑戦してきたことは、すなわちこういうことなんじゃないか。
見たいな事を、最近哲学を勉強して思いました。
でもこれって、ほとんど革命(規範の書き換え)なんじゃないかなと。
これらの行き着く先って何かなと。


12メビウス@管理者 :2013/02/18(月) 19:48:57
形容はクオリアとして存在しているとし、それを実体(entity)的に捉えることから近年の
心の哲学における自然主義的な二元論は出発しています。

なお物理主義的な立場ではクオリアは非実体的なものとされています。


13メビウス ◆4lggoO1oV6 :2013/07/04(木) 20:40:40
ツイッターを使い始めましたので、ご意見などありましたらツイッターでも伺います。
https://twitter.com/mobius774


15名無しさん :2013/08/20(火) 22:42:00
「心の哲学」あるいは脳・意識に関する参考書などを
レベル別、ジャンル別にどこかのページで紹介して頂けないでしょうか。


16名無しさん :2015/03/17(火) 08:28:51
管理人様、皆様はじめまして。wikipediaの現象判断のパラドクスからこちらに辿り着きました。
さてご存知かもしれませんが今redditに日本語サイトが続々誕生しています。
ついては哲学板も作りましたので一度覗いていただきよろしければ皆様の学知を
ぜひご披露いただければと存じます。
なお同板のこのスレhttp://www.reddit.com/r/philo_jp/comments/2yn2j3/質問すると誰かが答えるスレ/に
心の哲学wikiのURLを貼らせていただきましたがご了承ください。
今後ともよろしくお願いいたします。同板mod reoreditと申します。
失礼いたしました。


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4 死んだらどうなるの? (Res:101)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 4
1 名前:ななし 投稿日: 2011/05/13(金) 00:14:35
死んだらどうなるんでしょう?

サイト内全部読んでないですが、それだけ知りたいです。

81 名前:アルキ猫 投稿日: 2012/07/02(月) 06:50:20
分かりました。
少し勉強させて下さい。

82 名前:アルキ猫 投稿日: 2012/07/04(水) 18:43:15
>メビウスさん
すみません、また質問させて下さい。
「意識がクオリアという最小単位に還元でき、その知覚の束が意識を産み出す」ということは、死んだ場合、肉体を構成する元素と同じように意識は分解されて個別のクオリアに分解される(可能性がある)と言うことでしょうか?
クオリアは残ってもバラバラになって別のそれぞれ別の知覚の束=別人の意識に再構築されるならば、死ねば自分の意識は消失し、この世から無くなるということになるかと思います。
またノンレム睡眠時のクオリアはどうなっているのでしょうか?無意識状態の人のクオリアは消失し、別の人の意識の元になっているのでしょうか?

83 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/07/04(水) 21:21:06
>死んだ場合、肉体を構成する元素と同じように意識は分解されて個別のクオリアに分解される

これは性質二元論の立場の一つで「汎経験説」という主張ですね。
この立場では自分が死んで無くなるか否かはパーフィットが結論した
通り恣意的な判断だと思います。

なお、それと対立する立場に物理主義の立場の「創発説」というのがあります。
この立場ではクオリアは物質から生成されると考えているので、死ねば自分は
消滅します。

ちなみに、私の考えでは上記の二つの立場はともにナンセンスだと思っています。
私の考えをここで簡潔に説明することはできませんが、もし興味ありましたら
まとめサイトのTOPページに私の見解を記述したページを表記してありますので、
のんびりと読んで頂ければ嬉しいです。

84 名前:was a bee 投稿日: 2012/07/21(土) 18:38:19
>>76
おお、ありがたいです。
あまり咀嚼できてはないですが、何となく雰囲気は分かるような気がします。
とはいえ
「「「今・私にクオリアがある」というクオリアがある」というクオリアがある」・・・
的な無限後退が発生しそうな気もします。しかしそれもまた面白そうですが。

85 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/07/23(月) 23:41:05
>>84
おや、お久しぶり。
確かに無限後退的な部分があって、その点をどう解決するかが課題だと感じています。

アイデアのひとつは、ゼノンのパラドックスを逆用して、存在は無限分割が可能だと認めることでしょうね。
もう一つは、今まとめているのですが、大森荘蔵の「立ち現われ一元論」のような立場で、
デリダが「差延」としたものに対して、「過去自体」を措定することだと思います。

しかし、いずれにしても永井・入不二両氏が問題にしている「現実性」について上手く説明でき
ないのが難点で、そこが今の私の最大の関心事です。

was a beeさんに何かいいアイデア、あるいは私の問題提起の仕方そのものについての疑問や批判が
あればぜひ伺いたいと思います。

86 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/07/26(木) 21:05:50
あと一つ、まだまとまっていないアイデアなんですが、
「無限に分割する」というのは論理的には可能でも、自然的には不可能だろうと
考えたことがあります。
自然数を全て数えるというのは不可能です。またたとえば、自分は無限の言葉の
組み合わせを行うことができると考えていても、実際には有限の組み合わせしか
行えません。

つまり宇宙にあるクオリアの数は有限個かもしれないという可能性があるわけで、
実際には無限分割はできないという可能性です。

この考え方は決定論と自由意志の否定に繋がる問題なので、複雑ですが。

87 名前:was a bee 投稿日: 2012/07/30(月) 17:57:26
>>85
メビウスさんの考え、少しずつ読ませてもらってます。
非常にざっくりと考えると、時間も空間も意識へと還元する、意識一元論みたいなものと言って良いのかなと思いました。
そして堆積のパラドックス(人間→馬→ミミズ→微生物→・・・)を考えると独我論的な私という考えを維持しがたい、
この批判は、私もそう思います。
ただそう思いつつも、それでも独在論的な問題設定は形を変えてやはり存続するように思えます。

バラバラに散らばった変化も運動もすることなき、意識トークンの集まりの全体が、この世界であったとして、
それでもなお、やはりまだ問えることが残るように思います。

「なぜこの意識トークンが体験されており、別の意識トークンが体験されているのではないのか?」

太古の人々が導入した霊魂といった概念、デカルト的な我の概念、またカント的な統覚の概念、永井的な<私>の概念、
これらの概念が導入されたことの背景には、常にこのような問い、現に在る経験があまりに非対称的であるという事、があったように思えます。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

88 名前:was a bee 投稿日: 2012/07/30(月) 18:19:19
最近この論文を読んでちょっとおもしろいと思ったのですが、

「温度計に意識はあるか?」 by 大泉 匡史、土谷 尚嗣
http://www.emotion.caltech.edu/~naotsu/Naotsugu_Tsuchiyas_homepage/papers_for_download_files/12%20Mar%2030%20LiSa%20Oizumi%20Tsuchiya.pdf

麻酔は本当に「痛み」を消しているのか?それとも「痛み」は消しておらず、ただ「麻酔時の記憶」を消しているだけなのか、
みたいなことが少し書かれてました。
これは身近だけど、深い問題のように思います。経験と記憶。

89 名前:was a bee 投稿日: 2012/07/30(月) 18:38:32
ちなみに、今のところ自分は意識についてハッキリとした立場は持ってないのですが、
立場についての立場、どういう考え方がありえそうか、については
Crazyism (キチガイ主義?)とかいう考えに共感を覚えます。
http://www.consciousentities.com/?p=1068
意識の問題についてどういう答えが最終的に普及するにせよ、
そうした理論は必ずどこかしらキチガイじみた内容を含まざるをえない、と。

90 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/07/31(火) 21:58:32
>>87
>そしてこのことは「一つである全体的意識」を導入してもなお、「なぜこの意識トークンか?」と形を変えてなお存続するよう思えます。

これは最もな疑問で、>>85でも書いた「現実性」の問題だと思います。
「現実性」と言っても永井均、入不二基義ではニュアンスが微妙に違ってますし、
そもそもこの問題はエレア派の時代からあったものだと思います。
ヒュームが主著『人性論』を封印しようとした事情は宗教的な問題かもしれませんが、
ひょっとしたら現実性の問題に気づいていたからかもしれません。
現在まとめている大森荘蔵の「立ち現われ一元論」も類似の問題に苦悩した形跡があります。
大森哲学はヒュームと同型の「無主体論」といえるものであり、was a beeさんが指摘されたのと
同様の指摘を大森に対してしている人がいます。
http://www.geocities.jp/toryon33/tokinagarezu.html

91 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/07/31(火) 22:06:10
なお、現実性の問題に対する私の解答ですが、was a beeさんの以下の文、

>「なぜこの意識トークンが体験されており、別の意識トークンが体験されているのではないのか?」

このような捉えられ方をされるのは仕方ないのですが、私が構想したのは、
言語によって分節され、多数あるように見える意識トークンが、
実はひとつらなりの「唯一の」意識トークンではないかというものです。

この点、現段階では説明に苦慮していますが、いくつかアイデアが
ありますので、いずれ「一元論」のページに自分の見解として書くつもりです。

92 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/07/31(火) 22:18:35
>>89
>Crazyism

確かにそうでしょう。
性質二元論の立場から主張されてる汎経験説では、原意識というものを
想定せざるを得ず、トースターにも何らかの意識があると考える人もいます。
対して物理主義の創発説では、脳を構成する素粒子の中にクオリア製造装置が
あるというようなものです。
上の二つの立場を拒否するなら、時間の実在性を否定する私のような一元論の
立場を取るしかないように思われます。

いずれも日常的感覚からかけ離れているのでクレイジーと思われて当然でしょうね。

でも、それは哲学なら当然のことでもあります。
哲学には日常的な世界の全てを転倒させる「力」があるのだと、私は信じてます。

93 名前:アルキ猫 投稿日: 2012/08/03(金) 20:38:33
こんばんは。
確かに意識が実は無主体であって個人固有のものでないというのは現代の常識や唯物論的科学観からすると主客転倒していて一般の人にはにわかに理解し難いものがありますね。
私も未だに分かったような分からないような…
まさに天動説が地動説になったような感がありますが逆に世の常識が逆転してるとも言えるのかも知れませんね。

94 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/08/04(土) 22:32:32
>>93
アルキ猫さん、実は逆なんですよ。
近代以前の心身問題では素朴心理学が前提となっていたため、
「私」という自己が「痛み」などの感覚を知覚するという構図で
心的現象を理解していました。

しかし現代の心の哲学は自然科学の知見を前提として出発しており、
物理主義も性質二元論も同様に無主体論なんです。
すなわち物理的な実体のみを認める立場でも、それと対応して心的な
ものがあるする立場でも、物理的でもクオリアでもない「私」や「魂」
のようなものは認めないのが、大半の心の哲学の立場なんです。
ペンローズみたいな人は少数派ですね。

でも、それだけではどうしても上で書いたような「現実性」の問題が生じます。
その点はジョン・サールもチャーマーズも気づいていて、何かしら特別な原理が
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

95 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/12/06(木) 21:27:24
>>76では自分の見解をふたつのページに分けてましたが、
atwikiの仕様が変わって容量制限が緩和されたので、パルメニデスのページにまとめました。
なお空間の実在性については別の見地から考究してみました。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/96.html#id_3812eb7c

97 名前:ある唯物論者(異邦人) 投稿日: 2013/10/12(土) 21:35:06
私は唯物論者です。
クオリアや現象的意識を含めおよそあらゆる現象は物理的現象であると考えます。
将来のレベルアップしたアシモであればクオリアや現象的意識を持つことが出来る可能性はあります。
それが可能であるのはクオリアや現象的意識が純粋な物理的現象であるからです。

98 名前:メビウス ◆4lggoO1oV6 投稿日: 2013/10/13(日) 21:55:58
>>97
スレ違いなので該当のスレにレスします。

99 名前:名無しさん 投稿日: 2013/11/16(土) 11:44:41
twitterやwikiを見るにメビウスさんのお考えも細かい変化があるように思われますが
ここで改めてスレッドの題について現在のメビウスさんはどのようにお考えですか?

100 名前:メビウス ◆4lggoO1oV6 投稿日: 2013/11/17(日) 19:33:49
個々の人間と時空の実在性を否定して、「宇宙に本当に存在しているのはただ一つである」とする
エレア派の立場を取る点で私は一貫しているのですが、「何が存在しているか」という問題
については考え方が変わってきました。

以前は自分が見たり思ったりする心的「現象」が自分の理解した通り存在するのだと大森荘蔵同様に
思っていたのですが、最近は時間の問題を考究した末に、人間は「現象」を正しく理解できない
のだと思うようになりました。

この問題は11月1日に 銑と連続ツイートしているのですが、
https://twitter.com/mobius774
いずれまとめwikiにも自分の見解として書くつもりです。

101 名前:名無しさん 投稿日: 2014/09/27(土) 23:13:37
まず、死んでも意識は続くと思う。霊体になっても人間や物などは見えてると思うし、もしかしたらあの世に行かなくても良かったりしてね。死んでもこの世に留まる霊はネガティブな思い100%で生きてきた霊だとどこかに書いてあった、よくいう成仏してないってやつだね。

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5 AIについて (Res:40)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 5
1 名前:跳ぶ 投稿日: 2013/06/16(日) 22:30:55
本気で、強いAIを作ろうとしています。
過去の哲学者の意見を反芻するのは楽しく、勉強になるのですが、
僕の考えた妄想に少しお付き合いいただきたいです。

今問いたいのは、強いAIと、弱いAIの違い、AIに自意識が宿るか
どうかです。

そも常々論じられている強いAIと弱いAIとの違いというは、
結局、「人間」の自意識が宿るか否かではないでしょうか。

人間の「五感、時間、気分その他」に対するあらゆる認識を機械に
適応できたとき、それで「人間の自意識」というものを
論じられるかもしれませんが、それは既にクローンと同じで何の
問題解決になっていないと思います。

そして今、人間とは袂を分かつ、完全な別の存在としてのAIの
自意識を生み出す事を考えたいのです。

僕は徹頭徹尾、意識なぞ錯覚でしかないと思っています。
無意識全体を明晰に認識する事はできないのですから、常々
人間の意識の裏には無意識があります。
意識と無意識の領域を足せば、自分の思考の限界になると思います。
人間の五感情報を、明晰に意識上では処理し切れないがために
無意識というものが生まれますが、コンピューターが情報
をリアルタイムで明晰に理解し続けるなら、やはりそこに
いかなる意識の存在もなしえないと思います。

しかし、常に情報を
意識・無意識にランク付けし、意識して処理する
情報に無意識がより高度な影響を与えるプログラム
が組めれば、そこに錯覚による意識は存在するとしても
よいのではないでしょうか。

全く、3次元的、物理的な現代科学の思考枠組みを超える何かが意識
というものに影響を及ぼしていないのであれば。

21 名前:hijk 投稿日: 2013/10/16(水) 10:58:34
人間の脳内のニューロンを、少しずつ同等の機能を持つ電子回路に置き換えていくとします。最後は生体部品が無くなって、全て機械(AI)になります。この時、現象的意識やクオリアは発生しているでしょうか。私は、全ての電子回路が正しい計算機能を実行し続けている限り、やはり現象的意識は生じていると思います。(随伴説ということになるでしょうか。)もし、そうでない(機能的には人間と同等だけど現象的意識を持たないゾンビになる)と考えるなら、ニューロンという物質構造にだけ現象的意識を生む特別な霊的要素があるということになってしまわないでしょうか。勿論、このAIが現象的意識を持っているかどうかは“確認できない”、と言われたら、(人間でも他人が現象的意識を持っているか否か“確認できない”のと同じ意味で)同意します。一方、健常な人間は覚醒時に誰でも現象的意識を持つことを認めた上で、かつ、機械は現象的意識を持ち得ないと断ずる理由は、全く無いように思います。現在の技術水準では、ニューロンの機能が全て明らかになったわけでも、人間の脳に匹敵する計算機が作れるわけでもありません。しかし、原理的にAIが不可能だと断ずる理由も無いように思います。博学な管理人様が、「動物の心」やスペクトラム思考実験の妥当性も認めていらっしゃるのに、なぜ機械には現象的意識が生じないとお考えなのか、大変興味があります。

22 名前:ある唯物論者(異邦人) 投稿日: 2013/10/16(水) 19:18:34
人間自身も純粋な機械に過ぎません。アシモと変わりません。
人間がクオリアや現象的意識を持っている以上、当然アシモもクオリアや現象的意識を持つことが可能です。
クオリアや現象的意識は純粋な物理現象です。
クオリアや現象的意識を非物理現象である、と無反省に断定すべきではありません。

23 名前:メビウス ◆4lggoO1oV6 投稿日: 2013/10/16(水) 19:44:42
>>20
>既存の哲学者の誤りは「クオリアや現象的意識を無反省に非物理現象である
>と断定」した点にあります。

こんなデタラメなことを書いてる人に反論するつもりはありません。
最低限、心の哲学の入門書ぐらい読んでから出直してください。
ちなみにNCCを無視してアシモがクオリアをもてるというなら、
自動ドアや扇風機もクオリアをもてるということです。
人間も自動ドアも扇風機も純粋な機械に過ぎませんから。

24 名前:メビウス ◆4lggoO1oV6 投稿日: 2013/10/16(水) 19:53:06
>>20
>脳科学的方法によってクオリアや現象的意識を解明することは不可能です。

>>17で「既知の物理現象でクオリアを説明することが可能です」と書いているのと矛盾している。

クオリアが既知の物理法則で解明できると主張してる唯物論者は「脳科学の知見」を前提にしてるのです。
脳科学で解明できないのなら未知の物理法則があると言ってる二元論者と同じです。
あなたは「唯物論者」を自称しているにも関わらず、唯物論の主張を全く理解していない。

25 名前:メビウス ◆4lggoO1oV6 投稿日: 2013/10/16(水) 20:05:52
最後に、ある唯物論者(異邦人) さんへ、

私は、全くの初心者の方に心の哲学の諸問題を一からレクチャーするほど
暇な人間ではありません。ご自分で入門書を読んで勉強して頂きたいと思います。

26 名前:メビウス ◆4lggoO1oV6 投稿日: 2013/10/16(水) 20:22:33
>>21
>人間の脳内のニューロンを、少しずつ同等の機能を持つ電子回路に置き換えていくとします

これは多重実現可能性テーゼによって肯定されるので、遥か未来に実現するかもしれませんね。
仮に全てのニューロンをシリコンチップに置き換えて、人間同等の意識機能が維持できたとすると
その「コンピューター」にはクオリアがあると認めていいかもしれません。

ただしそのコンピューターは、140億個もの脳細胞の、途方もなく複雑な構造を忠実に模造して
いるわけだから、現在のデジタルコンピューターとは全くの別物であり、
コンピューターというより「人工脳」と言った方がいいかも知れません。

これは昆虫の神経細胞の模倣についても同じことでしょう。
デジタルコンピューターによるシミュレーションと、人工神経を作ることは
全く別のことだと思います。

27 名前:hijk 投稿日: 2013/10/17(木) 07:08:35
>>26
ご返信ありがとうございます。シリコン上でクオリアが生じる可能性を
否定しているわけでは無いのですね、失礼致しました。仰る通り、人間の脳細胞を忠実に模倣した計算基盤は「人工脳」と言った方が良いと思います。
さてここで、この人工脳の特定の小さな領域の入出力を普通のデジタルコンピューターのソフトウェア・
シミュレーションで置き換えてみます。これでも人工脳全体の機能は変わらないし、
現象的意識も随伴しているでしょう。この領域を少しずつ拡大し、ついには人工脳全体を
普通のデジタルコンピューターでシミュレーションした状態を考えます。これでも意識は生じているはず。
…こう考えると、精神を為す計算の基体がニューロンなのかシリコンなのかソフトウェアなのかは
重要なポイントではなく、この物理世界の中で特定の「自我と意識を為す情報処理(計算)」が
持続されていることの方が本質なのではないか、と私には思われるのです。勿論、仰る通り、そんな計算を実時間でやってのけるデジタルコンピューターは、私が生きている間には
絶対に実現できないし、人類には作り得ないかも知れません。
また、私はこのようにAIは可能と考えていますが、それによって心の哲学、クオリアや現象的意識の謎が
解決するとは思っていません。意識の機能面は隅々まで解明され、どういう計算を行う時に
クオリアが生じるかのモデルもいずれ明確になると思います。それでも、この世界の中で、特定の計算を行うと「なぜ」
クオリアや現象的意識が生じるのか、そもそも物質とか情報とは何なのか、という問題は
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

28 名前:メビウス ◆4lggoO1oV6 投稿日: 2013/10/17(木) 19:58:17
>>27
私が書いたことを勘違いしてると思います。
デジタルコンピューターでは「機能」の模倣はできても「構造」の模倣はできないのですよ。
>>26ではシリコンで構造の模倣ができたなら、クオリアを維持できるかもしれないと想定してます。
そのような技術は遥か未来のナノテクノロジーが必要でしょう。
もし現在の半導体技術で神経細胞をシリコンに置き換えても、まともに機能しないとはずです。
つまり単純な信号の入力・出力を想定しているわけではないということです。

Wikipedia人工神経のページに、生物の神経との差異が書かれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E7%A5%9E%E7%B5%8C
神経細胞のページも参考になります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E7%B4%B0%E8%83%9E

29 名前:hijk 投稿日: 2013/10/18(金) 07:17:14
勿論、現在の半導体技術でニューロンを置き換えることは出来ないしですし、ニューロンは単純な入出力機器でもありません。神経回路の三次元的構造が極めて複雑なのは勿論、神経ペプチドを介して免疫系とすらクロストークしますから、その情報処理の総体は極めて複雑です。しかし、それがいかに複雑であっても、やっていることが物理法則に従う情報処理であることには変わりがありません。生体脳→人工脳→デジタルコンピューターと徐々に置き換えていく思考実験でも、勿論、この、複雑な分子レベルの情報処理まで模倣することを想定しています。
但し、私個人は、現象的意識やクオリアを発生させる情報処理モデルがいずれ抽出できて、より簡易な計算処理に還元できると考えています。(※ペンローズが提唱するような量子的トリックも必要無い。)脳の障害や様々な実験が、そのことを指し示しているように私には思われます。Blue Backs『単純な脳、複雑な「私」』池谷祐二著は面白かったです。脳の一部の機能を非侵襲的に止めて、様々な意識への影響を作ることもできます。機能的には通常の人間と同じような動作をするのに、そのことの自覚が難しくなるような部位も見つかると思います。(※つまり現象的意識やクオリアをON/OFFして哲学的ゾンビ状態を人工的に作れたりできる可能性もあると思います。)
もし仰っている「構造」というのが、情報処理を担う細胞や分子の三次元的配置のことを仰っているのだとすると、現象的意識やクオリアの発生には、何らかの物質的な位置関係や密度が重要だとお考えになっているのかな、と想像しました。確かに、デジタル・コンピューターは、入出力をシミュレートできても、その内部の計算素子の配置や物理的な情報伝達の経路は異なります。それによりクオリアが生じなくなるということは、生体脳→人工脳への置き換えまではクオリアを維持できる可能性があるけれど、人工脳→デジタルコンピューターへの置き換えでは、機能が模倣されるとしても「だんだん現象的意識が薄れていく」「クオリアが消えていく」とお考えなわけですね。

30 名前:メビウス ◆4lggoO1oV6 投稿日: 2013/10/18(金) 19:46:52
ニューロンとデジタルコンピューターの処理の決定的な違いは、断続的か持続的かということでしょう。
コンピューターは単純に ONと OFFで情報処理します。これはマルチコアCPUであってもマルチスレッドの
プログラムでも変わりありません。

しかし生物の夥しいニューロンは全て静止電位を常態としてもっており、1つにつき数万個のシナプスをもち、
活動電位が発生するとネットワーク内の多数のニューロンが順次、並行的に発火します。
「ネットワーク」という点がポイントです。茂木健一郎もクオリア発生の最低限の要件として
「複数のニューロンの発火」ということを述べています。

デジタルとは根本的に情報処理のあり方が異なるんですね。
私がナノテクで構造の模倣と言ってるのは、そのようなネットワーク構造の模倣という意味です。

31 名前:hijk 投稿日: 2013/10/19(土) 05:25:10
いつも丁寧にご返信頂き有難うございます。

> ネットワーク内の多数のニューロンが順次、並行的に発火します。
> 「ネットワーク」という点がポイントです。

それではもし、夥しい数のデジタルコンピューターを相互に
ネットワークで接続したら、クオリアは発生し得るでしょうか。

(以下補足)

 ・勿論、このデジタルネットワーク網のトポロジーも、
  脳の神経回路網と同様に十分複雑に構成されているとします。
 ・生体脳と比べると、処理の分散遅延が大きく、現象的意識が
  発生したとしても、それはゆっくりしたものになる(※その
  意識から見ると世界が早回しに見える)かも知れません。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

32 名前:メビウス ◆4lggoO1oV6 投稿日: 2013/10/19(土) 13:44:56
現状でもクオリアが厳密にニューロンの「何と相関」しているのか解明されていません。
情報処理過程だけでなく、もしニューロン群が常態としてもっている電位が関係しているのなら、
一時的に OFF状態になるデジタルではネットワーク構成を模倣しても無理ということになります。

また茂木さんは「複数のニューロンの発火」とは言ってるのですが、二個のニューロンの発火にも
クオリアがあるかはわかりません。
しかし、もし発火状態の二個のニューロンにクオリアが相関しているとするなら、相互作用が想定されるので、
中央演算処理装置(CPU)で情報処理するデジタルコンピューターでは模倣するのは不可能ということになります。

コンピューターのネットワークというのは所詮、情報伝達手段に過ぎないので、だから携帯キャリアは
時に「土管屋」といわれたりします。
それ自体が有機的で「情報そのもの」かもしれないニューロンのネットワークとの大きな違いです。

33 名前:hijk 投稿日: 2013/10/20(日) 08:53:48
仰る通り、活動電位がクオリア発生に関与しているかも知れません。また、内発活動(ゆらぎ)や免疫系との相互作用も勘定に入れる必要があるかも知れません。これらはまだ“機能的には”シミュレート可能な範疇です。しかしもしも、仰るような複数ニューロン発火間の未知の神秘的遠隔相互作用や、微小管内の量子効果や、グリア細胞も含めてミッチリ詰まった細胞場全体の重力作用すら、クオリア形成に参与しているとしたら、“機能的にすら”シミュレート不可能だと思います。クオリアを発生させるハードウェアは結局のところ脳の形になってしまう。
そういった可能性も、排除すべきでは無いと、私も思います。従って、管理人様が仰る「デジタルコンピューターでは機能的模倣は出来てもクオリアは生み出せないかも知れない」という主張は正しいと思います。
一方、現象的意識/クオリアは、ノンレム睡眠時にはスッカリ消えるし、覚醒時にも安定持続しているわけではなく、大変脆いもので、ある種の情報処理過程が持続されている時だけ創発・随伴する現象以上のものでは無い(それ以上に神秘化する理由が無い)ようにも思われます。人間脳に対するMRIやTMS(経頭蓋磁気刺激法)を使った健常者への心理実験の最近の成果を見ると、意識/クオリアの発生/抑止の“仕掛け”に、情報処理過程以上の何かを持ち出す必要は無いように思えてきます。
また、生体脳→人工脳→デジタルコンピューターへの置き換え思考実験に沿って、“機能的には”脳をデジタルコンピューターで模倣できると考えるなら、現象判断のパラドックスをどう説明するかの立場が重要になると思います。(※管理人様がここをどうお考えなのかは興味があります。)私個人の立場としては、表面的には随伴現象説を採りますが、物理現象や時空は実在しないと考えているので、現象的意識は(物理状態というよりも)「ある種の情報処理過程」に随伴する、と考えています。

34 名前:メビウス ◆4lggoO1oV6 投稿日: 2013/10/20(日) 12:54:42
そもそも「情報」というのは「存在」ではなく「概念」に過ぎないので、脳の情報処理過程というのは曖昧さがありますね。
たとえばモールス信号は情報であり、石を叩いても伝達できますが、石にクオリアが発生するとは誰も思わないでしょう。
あるいは石に「・・・」と三つの点があったとします。それを猫が見ても何も感じないでしょうが、人間が見ると「3」
という情報を読み取るかもしれません。情報とはそういうものです。
だから私は「発火状態にある複数のニューロン」という「存在」にクオリアが相関すると考えるのが妥当だと考えます。

あと現象判断のパラドックスについては、私はそもそも現象主義者なので、大森荘蔵の「重ね描き」を採用します。
この立場では現象判断のパラドックスは生じません。逆にいうと実在論ではどの立場でもパラドックスが生じます。

35 名前:hijk 投稿日: 2013/10/21(月) 07:06:23
ご返信&ご指摘ありがとうございます。
仰る通り私は「情報」を曖昧にしか定義できておりません。個人的には、真我=純粋無を求め続ける情報処理過程から現象的意識/クオリアは立ち上がり、またそのような情報処理過程が可能な場としてしか時空や物質は析出され得ない、と考えており、情報処理過程を最も根源的なもの、現象的意識や物理的存在を副次的なもの、と考えている点では、心の哲学まとめwikiの分類では「中立一元論」に当たりそうな気がします。結果として真我計算が行われ続けるなら、その物理的基体は生体脳でも人工脳でもノイマン型計算機でも何でも良い、という私の考え(思い込み)は、このあたりの世界観から来ているんだな、と改めて気付かせて頂きました。
これだけ幅広く心の哲学を考究されている管理者様が採用されている「重ね描き」には、俄然興味が湧きました。以前触れた時は「なるほどなー」程度で通り過ぎてしまったので、大森荘蔵の本を読み返してみようと思います。
ご指導ありがとうございました!

36 名前:hijk 投稿日: 2013/11/13(水) 07:38:11
twitterの方に『まとめwikiの掲示板に、稀にコンピューターでも心(クオリア)が持てるのではないか、という人が来る。彼らは単にプログラムを知らないだけだと思っていたのだけど、そうではないようで、たぶんプラグラマーの「苦労」を知らないということなのだろう。』とありました。
私のことも含まれるのかなぁ、と思いつつ、私は商用のゲームプログラムも業務プログラムも大量に書いて来たし、デバッグの苦労も死ぬほど知っているので、上記の推測は私には当てはまりません。(これは単なる事実報告です。)
理由はもっと単純で、プログラムの苦労云々じゃなく、「脳という物質は、いかに複雑であっても、情報処理以上のことはやっていない」という信念です。人間の脳は宇宙で一番複雑な構造物だと思いますが、だからといって特殊な物理過程を持っているわけではない。また、神経系の進化の歴史を見ても、人間の脳だけが情報処理以上のことをやるようになったと考えるのは不自然・不合理です。
根本的・質的な違いが無く、「複雑さの違い」としか言えない以上、スペクトラム思考実験により、人間と動物、人間とコンピューターの明確な境界も引けないことは明白だと思います。真の争点は、人間と動物、人間とコンピューターとの違いなどではなく、「現象的意識を有む情報処理過程とはどのようなものか」であるべきと思います。
ちなみに私は、現象的意識を持ったAIは、正しくも現象主義者的性格を持つはずだと考えています。

37 名前:メビウス ◆4lggoO1oV6 投稿日: 2013/11/13(水) 20:00:35
本職のPGでも強いAIの可能性を肯定する人がいたのですね。正直意外でした。
私はかつて10年以上IT業界にいて、時折SEやPGとサールの「中国語の部屋」について話をしたのですが、
サールの論証に反対する者は一人もいなかったので、本職の人は強いAIを拒否するのが当然と思い込んでいました。
(ただし強いAIが難しくて弱いAIが簡単だというイメージは間違っているという指摘はありました)

あと脳とコンピューターの根本的違いは今までも書いてきたのですが、付け加える点が
あるとしたら「付随性」の問題でしょう。これはソール・クリプキの議論が参考になります。
青山拓央がクリプキの『名指しと必然性』から該当の部分を抜粋していますので、よければご覧下さい。
http://wiki.livedoor.jp/aoymtko/d/%a5%e1%a5%e2

クリプキの議論の要点は付随性が必然的でないということなのですが、しかし換言すると、
デジタルにクオリアが相関する異なる可能世界は思考可能であるけれど、この世界ではニューロンに
クオリアが相関する自然法則が現に「成立」してしまっているので、ある日突然、E=mc^2がE=mc^3に
なるような自然法則の変化が生じない限り、デジタルにクオリアが相関することはない、ということになります。

38 名前:hijk 投稿日: 2013/11/14(木) 14:50:07
付随性についての議論のご紹介ありがとうございます。
私も、(クリプキが言うように)部分的な物理的状態に「熱さ」「痛さ」は必然的には付随しないと思います。それと整合的だと思うのですが、(パトナムの言う)多重実現可能性にも賛成なので、「熱さ」「痛さ」を感じる生体ニューロンを用いないロボットもまた可能だと考えます。
とはいえ、「熱さ」「痛さ」を「感じる」情報処理過程とはどんなものかを具体的に示さなければ説得力のカケラも無いので、それは今後研究していきたいと思います。なお、以下のURLは、その第一歩として作ったオモチャのモデルプログラム(JavaApplet)です。宜しければご笑納ください。
http://www.netlaputa.ne.jp/~hijk/philo/ac2/artificial_consciousness_2.html
ありがとうございました。今後ともご指導の程、宜しくお願い致します。

39 名前:名無しさん 投稿日: 2013/11/16(土) 11:40:36
心の哲学で主流の物理主義、特に機能主義の観点からは
強いAIは理論上作成可能なのではないかと思うのですが
メビウスさんはどうお考えですか?

40 名前:メビウス ◆4lggoO1oV6 投稿日: 2013/11/16(土) 19:47:52
>>39
心の哲学は自然主義、つまり自然科学(この場合は脳科学)の知見を前提にしているので、
機能主義や行動主義、また性質二元論でも強いAIの可能性は否定されます。

デネットはコンピューター機能主義を擁護して、人間の脳もコンピューターも似たような
ものだと考えていますが、そもそもデネットはクオリアの存在を否定します。
(ただしデネットとサールでは「意識」や「クオリア」という語の定義が異なる)

著名な学者でクオリアをもてる強いAIが可能だと考えているのはチャーマーズぐらいでしょう。
ただしチャーマーズは汎心論という形而上学を前提に主張していることに留意する必要があります。

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6 自由意志ってあるのですか? (Res:0)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 6
1名無しさん :2012/12/09(日) 00:33:47
人間が脳の電気信号と化学反応にしたがって動いてるだけの存在だとすれば
自分の意思で選べる行動なんて何一つもないような気がするのですが、
でも自由意志と決定論は両立できるといっている人もいるようです。
正直初心者なので意味がよくわかりません。

2メビウス@管理者 :2012/12/10(月) 23:14:45
物理主義的な立場だと基本的には自由意志などないということになりますね。
でも逆に観念論的な立場でも、知覚のみ存在し、それが法則に従って生成する
とするヒュームのような立場では自由意志はないことになります。

哲学で自由意志を認める人は「魂」の存在を認めている立場の人でしょう。

ちなみにジョン・ロックは人格の同一性の問題について、「人格とは法律用語だ」
と言ったそうですが、私はロックにならって、自由意志とは法律用語だと思っています。
つまり法学的観点から自由意志が認められるなら、物理主義的な決定論とも両立できる
というわけです。

また実存主義的な観点から考えると、自分が一時間後に何をするか物理的に決定
されているとしても、今の自分がそれを知らないなら、それは「自由な状態」とみなす
ことができると思います。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


3メビウス@管理者 :2012/12/11(火) 21:39:39
上に追加ですが、自由意志と決定論は両立できるとする説は「両立説」と呼ばれるもので、
ウィリアム・ジェームズの「弱い決定論」を前提にしています。
これは、「私が歩いている理由は私が歩こうと思ったからだ」と、因果関係を限定的に捉え、
「私が歩こうと思った理由」は問題にしないというものです。
因果関係を無限に遡れば決定論になりますが、因果関係を自分の意思の場面に限定すれば
自由意志が認められるというわけで、何だかご都合主義ですね。


4名無しさん :2012/12/17(月) 07:04:07
それだとなんだか「物はいいよう」みたいな印象を受けます。

話が少し変わるんですけど、
悪いことをした人を裁く法律家の人たちは人間に自由意志があると信じているのでしょうか?
信じているとしたらどのような形で自由意志が存在すると考えているのでしょうか?


5メビウス@管理者 :2012/12/17(月) 20:55:51
法律家の人々は哲学的な考究はしていないと思います。
法律での自由意志とは「選択肢」の問題ですから。
たとえば「あいつを殺さなければ私が殺されていたから、他に選択肢はなかった」
という状況が立証されれば、自由意志で犯罪を犯したとは認められませんね。


6名無しさん :2012/12/18(火) 15:15:38
「自由意志とは法律用語」の意味がわかったような気がします。


16hijk :2013/10/16(水) 18:28:47
物理法則をねじ曲げるような力を持つ(霊的な)自由意志は存在しないという事で異論は無いと思います。では、どういう時に私たちは自由意志が有ると思い込むのか。(1)物理的に見ると電気信号の因果関係に過ぎない挙動の細部を「分からない」こと(2)外界の何者でもない「この私」という概念(仮想焦点)を計算・維持していること(3)自分の身体の挙動や思考の結果を見て(1)の条件よりその原因が分からず手持ちの(2)をその原因に充当するしかない。この(1)〜(3)が自由意志があると思い込める条件だと思います。法律は物理身体ではなく(2)の仮想焦点を責任の対象としているのだと私は思います。(3)のような推論が出来る状態にある時に初めて(2)に責任を問える、というのが、社会学的な考え方なのだとすれば、それは妥当に思えます。纏めると、存在論的(霊的)な自由意志なんて無いけれど、実践的には(実感とも矛盾しない)自由意志の有無を定義することは可能。


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7 永井均×入不二基義 「現実性について―私・今・現実―」 (Res:13)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 7
1 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/08/19(日) 21:54:35
2012年8月18日に朝日カルチャーセンター(中之島) で行われた
永井均と入不二基義の講義と対談の要約です。

テーマ「現実性について―私・今・現実―」

講義前に司会の女性が話し。永井、入不二がそれぞれ20分ずつ自身の
「現実性」についての問題を提起し、その後30分間二人のディベート、
残る20分を受講者との質疑応答に当てるという予定。

受講者40名ほど。内女性7名ほど。平均年齢40歳ぐらい。

講義に先立って受講者に両講師の講義内容を略記したテクストが配られる。
入不二のは抽象的な文や記号が記された一枚の紙。
永井は2008年の『精神科学』第46号に発表した論文の一部で、8枚ほど。

2 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/08/19(日) 21:56:02
講義の大まかな流れは以下のようなものだった。

予定通り16時から永井の話で始まる。
永井は論文を読むだけ。
(正直手抜きだと思った)
永井は延々と読み続けて予定時間を10分以上オーバー。

次に入不二の話。現実性について語りながら、意味不明だった一枚のテクストの
記述の意味を解説していく。
(入不二の講義のやり方はセンスがあると思った)
20分ちょっとで終わり。

次に永井と入不二のディベート。
これも20分ちょっとで終わり。あっという間の印象。
入不二は物足りなそう。でも永井はそうでもないような。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

4 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/08/19(日) 21:59:20

・永井の講義の内容要約。
以下、()内は私の解説。

まず「今」については、「この今」と「〜の時点での今」の2種類の「今」があるとして、
もし2種類なければ言語は機能しなくなるという。たとえば今日記をつけているという
ことは未来の「今」において読まれることを既に知っていることになる。
(これは、マクタガートのいうB系列の時間とA系列の時間に対する理解が同時に成り立
たっているということ)
また「私」という語も二つの意味があるという。
(これは永井がかつてから主張してる一般化できる「私」と一般化されてはいけない〈私〉。
で、その2種類の「私」を2種類の「今」と類比して、2種類の「私」がなければ言語は
機能しなくなるということを想定する。
ただし「今」の場合、「私」が固定的に誰かである人物と違って、固定的な性質を欠いて
いるとする。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

5 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/08/19(日) 22:00:48
・入不二の講義の要約

まず、現実性は様相ではないと主張。「この時点」という場合の「この」という言葉の
意味は言語に含まれず、規定できない特権的なもの(永井も同意)。

そして下のような「様相ネットワーク」を想定する。

   可能性――――――――不可能性
    |
    |
必然性――偶然性


上の可能性は不可能性と相互否定関係にあり、必然性は偶然性と相互否定関係にある。
しかし、現実性は上の図の様相ネットワークからは導けない。現実性はそれが全てであり
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

6 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/08/19(日) 22:02:28
・永井と入不二のディベート要約

入不二は、永井が「私」「今」「現実」をパラレルなものとみなしたことに
対し、「私」や「今」は「自己」や「この時点」など、他の言葉や概念で置き換え
可能だが、「現実」だけは置き換え不可能であり、「私」や「今」は「現実性」に
取り込まれると主張。
「私」といった自我の概念や今が推移するといった時間の流れは、全て現実性の
中で生じていて、現実性だけは不変だという。

(永井の「私」に対してこのような突っ込み方をした人はいなかったので、
この入不二の指摘は新鮮だった)

それに対し永井は「私」「今」「現在」、それぞれの違いを語り、
やはり「私」の特権性を主張。このあたりは永井の著作を読んだことの
ある者なら誰でも知ってる内容。

7 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/08/19(日) 22:03:54
・受講者との質疑応答要約。

現実性を様相外に特権的に位置づける入不二に対し、
「私が死んだ後の『現実性』というものは、どんな意味を持ちうるのか?」
というような質問があった。

入不二の解答は曖昧。(私が意訳すると、要するに「語りえない」ということ)
だが、私の死によって現実性が消失する事態は想定しうるという。

次に永井・入不二両氏に、私・今・現実と言語の関係について質問があった。
入不二は現実性は言語の問題ではなく、言語から独立していると語る。
永井は、私・今・現実はそれぞれ当のもの以外の概念によってしか語れない、
そして語られたものは当のものではない(要するにハイデガーの存在論的差異)という。
入不二は、私にとって「現実性」がまさにそれ(存在論的差異)だという。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

8 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/08/19(日) 22:05:22
以上、記憶とメモを頼りに書いたので、もし講義に出席された人がこの掲示板見ましたら、
加筆して頂ければと思います。

9 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/08/22(水) 20:53:48
>>5-6の内容はわかり辛いかも知れないので補足。

入不二の形而上学は『時間は実在するか』のp252〜255あたりがわかりやすい。
要約すると、「今」でありうる時点は無数にあるが、現実化している「今」は
「この今」だけだけである。
(これを言い換えれば、無数の時点に「私」はいたが現実化している「私」は
「この私」だけだとなる)
従って入不二の形而上学においては「現実性」が特権化される。

10 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/08/24(金) 21:54:42
>>6の両氏のやりとりの一部が入不二基義公式サイトに載っていた。
こっちの方が正確なので引用転載します。

http://wiki.livedoor.jp/irifuji/
>「今」ということばに対して「現在」ということばがあり、「私」ということばに対して「自己(自我)」という
>ことばがあるのに対して、「現実」ということばに対してはそれに相当するものがないのでは?
>という私の問いに対して、永井さんの応答は、「現実性」がそれに当たるのでは?
>だから、ほんとうは「今」に対しては「今性」、「私」に対しては「私性」という方が正確だろうというものだった。

>さらに私のコメントは、「現在」は「今性」よりもさらに、「自己(自我)」は「私性」よりもさらに、
>客観化(実体化)したものを表していると思うので、その意味では、「今―今性―現在」「私―私性―自己(自我)」
>「現実― 現実性― φ」という具合に、やっぱり対応するものがないのでは?というものだった。

11 名前:was a bee 投稿日: 2012/08/30(木) 05:43:43
メビウスさん、こんにちは。
二人の講演を見に行かれたんですね。講演記録 とても勉強になります。
(こちらに書き込んで良いのか迷いましたが、不適切であればすいませんが移動してください。)

「現実性はそれが全てでありそれしかないというあり方(全一性)ゆえに、否定が機能しない。
現実性は現実性からしか導けない。様相ネットワークから孤立している。」
「現実性は孤島」
対立概念がないから、何かとの対比を通じて理解できない。これ納得です。
ここはハイデガーの「存在は類ではない」という話とも似てる気がします。

「現実― 現実性― φ」
これは「存在」とか「創造」とかいう言葉が入るでしょうか。もしくは、ここが空っぽであること、それが現実性の特徴なのかも。
(永井氏が言う「開闢」という言葉はここに入りそうな気もします)

12 名前:メビウス@管理者 投稿日: 2012/08/31(金) 22:39:54
was a beeさん、こんばんは。
入不二氏の現実性概念は実存主義的な存在論であるような気がします。

>>5でリンクした公式サイトの公開論文にも、
>ニュートラルな(現実世界に対して外在的で無関与な)視点など、取りようがない。
と、現実性が一人称的な概念であることを伺わせています。
だから>>7で書いた受講者の質問に対して解答に困ったのだと思います。

でも「私の死によって現実性が消失する事態は想定しうる」というのは矛盾であるような気もします。
それなら「世界」の中に、それぞれ個別の現実性を有した人物たちがいるという、
様相ネットワークをイメージできますからね。

あと「現実― 現実性― φ」については、確かに永井氏の「開闢」概念に近いですね。
「φ」の意味については『ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか』のp90-91あたりが
わかりやすいです。そこではウィトゲンシュタイン独我論の「私」について書かれてるのですが、
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

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8 管理者日記 (Res:352)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 8
1メビウス@管理者 :2010/11/16(火) 00:26:38
管理者のブログorツイッター代わりのスレです。

354名無しさん :2013/11/12(火) 21:02:32
道具主義についての小林道夫と戸田山和久の説明が食い違っている。
自然主義についてもクワインの見解は別個に扱うしかない。

実在論のページ修正は今週中には無理だな。あまりにも複雑だ。
来週中には何とかしたい。大幅に説明を省略するかも。


355メビウス ◆4lggoO1oV6 :2013/11/18(月) 20:19:54
行動主義のページを修正。間違いがあった。
基本的な部分で間違ってると凹むな。

適当にでっちあげて放置してるページが少なくないので、まだ間違いがあるかもしれない。


356メビウス ◆4lggoO1oV6 :2013/11/21(木) 21:07:16
「実在論」のページを「実在論論争」に変更して大幅に書き直した。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/144.html

マイナーな立場については省略した。
哲学初級・中級の人が実在論論争を概観するには丁度いい分量かもしれない。


357メビウス ◆4lggoO1oV6 :2014/01/07(火) 22:35:51
「時間と空間の哲学」のページを微修正。

青山拓央がアキレスと亀についてホーキングの言葉を引用してるのだけど、
どこまでホーキングの言葉かわかりにくいので該当部分を丸ごと引用した。


358メビウス ◆4lggoO1oV6 :2014/01/29(水) 16:49:18
「アウェアネス」のページを茂木さんの解説を元にして書き直した。
今まで書いてたのが間違ってたのかもしれない。
茂木さんの情報は脳科学・認知科学の標準的な知見だから間違いないだろう。

科学では哲学にありがちな用語の混乱が排除されてるのでありがたいな。


359メビウス ◆4lggoO1oV6 :2014/04/03(木) 19:23:28
サイト内を見回すと古いページには細かい間違いがいっぱいある。
少しずつ修正していこう。


360メビウス ◆4lggoO1oV6 :2014/04/04(金) 20:13:53
大森荘蔵のページを修正。

大きな変更点は、「立ち現れ」→「重ね描き」の順で説明していたのを、
「重ね描き」→「立ち現れ」の順にした。

立ち現れから説明した方がわかりやすいと思っていたのだけど、
重ね描きは立ち現れに包括された理論なので、やはり修正した方がいいと思った。


361メビウス@管理者 ◆4lggoO1oV6 :2014/05/09(金) 20:46:32
「現象的意識の非論理性」のページを修正。
説明方法を変えてみた。それでも理解されにくいとは思うが。

で、その続編といえる「夢と現実と真実と」をUP。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/145.html
これは入不二氏の現実性についての議論を理解してない人には理解不能だと思う。


362メビウス@管理者 ◆4lggoO1oV6 :2014/05/21(水) 22:23:14
atwikiはデフォルトで文字が小さい件、今まであまり気にしてなかったのだけど、
wikipediaと並べて比較してみると明らかに小さすぎで読みにくいので、cssカスタマイズ
でfont-sizeが76%になっていたのを85%にした。多少読みやすくなったと思う。


363メビウス ◆4lggoO1oV6 :2014/05/26(月) 20:34:52
トロープ説のページを作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/147.html

正直、つまらない説だと思う。


364名無しさん :2014/05/30(金) 22:32:34
無限論で疑問に思ったことがあるんですけど、0.99999・・・・=1であるという実無限の考え方がありますよね。
でも1+1は2であるけど、1と同じ数である0.99999・・・に0.99999・・・を足してしまうと絶対に最後に8が出てしまって2にならなくなりませんか?
やっぱり実無限で根本的に無理のある考え方ではないでしょうか?メビウスさんはどうお考えですか?
勝手に書き込みすみません


365メビウス ◆4lggoO1oV6 :2014/05/31(土) 14:02:22
0.999...の「最後」というのはないので、8が登場する余地はありません。
数学には「極限」の概念はありますが、「最後」とは似て非なるものです。

なお実無限の立場を取る学者は、野矢茂樹によると数学では多数派だそうで、
数学では 0.999... = 1 で問題ないのだと思います。

哲学では 0.999... に対応する「実在」がないということが問題とされます。


366名無しさん :2014/05/31(土) 15:39:04
>>365
わかりました。わざわざありがとうございます。


367名無しさん :2014/05/31(土) 23:48:36
>>365
調べてみれば、ガウスは実無限に強く反対していたようですね
あとやはりアキレスと亀を実無限で解決できたと考えてるのはやはり見当違いな気がしますね。
なぜ実無限という「終わり」が存在しないという亀に追いつこうとする動作を「終える」ことができるというのでしょうか。


368メビウス ◆4lggoO1oV6 :2014/06/02(月) 19:52:24
いや、0.999...に「最後」はないけど、極限値に「収束」すると考えるので、
アキレスが亀に追いつくことに問題はないと考えます。

なお野矢茂樹はアリストテレス同様に可能無限の立場からゼノンの論証を否定しています。
同じ可能無限の立場でもカントはゼノンの論証を(限定的に)肯定しています。


369名無しさん :2014/06/04(水) 15:47:27
「夢と現実と真実と」読み終わり終わりました。
存在論などの形而上学的な問いはどうしても抽象的で説得力に欠けるような印象をもっていたんですが、
あなたのサイトは地に足のついた説得力のある文章で非常に面白かったです。
確かに今まで主観的な感覚の変化なんて特に不思議とも考えようとしませんでしたが、最近ではこればっかり考えるようになりましたw
しかし、変化の不思議さについて考えていくとクオリアだけじゃなくて、脳の状態の変化や原子が別の原子に変化するなどの物理的な状態の変化について
も考えさせられますね。過去でもなく未来でもない「本当の今」とはなんなのか・・・


374メビウス ◆4lggoO1oV6 :2014/07/05(土) 22:58:43
SPAMが多いので逆引きできないホストからの投稿を禁止。


376メビウス ◆4lggoO1oV6 :2014/08/18(月) 21:35:07
ようやく「無限論」が完成。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/148.html

私の哲学は、

1、人格の同一性
2、無限論
3、現象的意識の非論理性
4、夢と現実と真実と

という順序になる。無限論はもっと早く書くべきだった。
内容が難しいので随分手こずった。


377メビウス ◆4lggoO1oV6 :2014/08/21(木) 22:30:56
「重ね描き」を加筆修正。
説明方法を変えてみた。


378メビウス ◆4lggoO1oV6 :2014/08/24(日) 13:22:13
ウィトゲンシュタインのページを微修正。

「語りえぬもの」を、「示される」と「沈黙しなければならない」の二つの要素に
分けて理解するのは重要だと思う。


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