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管理者日記

1メビウス@管理者:2010/11/16(火) 00:26:38
管理者のブログorツイッター代わりのスレです。

2メビウス@管理者:2010/11/16(火) 00:43:23
約1年前にサイト作ってから放置しておいたのですが、最近になって活動再開しました。

永井均氏は初めて自分の独我論的問題意識を発表したとき、「信仰の告白だ」と指摘されたそうです。
渡辺恒夫氏も永井氏の影響を受けて遍在転生観を著作で発表したらしいですね。
私も自分の思想を告白する場所が欲しかったのかもしれません。
で、本来は心の哲学を私なりに整理するために作ったこのサイトで、自分の思想を開陳してしまいました。

私の思想は渡辺恒夫さんとほぼ同じで、以下のページに述べてあります。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/97.html

あと、永井氏を批判するという形でも述べています。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/49.html

3メビウス@管理者:2010/11/18(木) 00:32:32
永井均と渡辺恒夫を独立したページにしました。
この二人は心の哲学というカテゴリーに入るかどうか微妙なので。

4メビウス@管理者:2010/11/19(金) 23:52:01
遍在転生観のページに書き加えたのですが、
因果律を連想の産物であると見なしたヒュームの考えを、時空の実在を疑いうるものと
演繹したのは飛躍しすぎだったかもしれません。

時間=因果の連鎖

という定義を前提にしたんですが。

5メビウス@管理者:2010/11/21(日) 01:19:08
パルメニデスの弟子であるゼノンは運動が実在しないことを示すために数々のパラドックスを作ったことで知られてますが、
書名は忘れましたが以前読んだ本によると、ゼノンのパラドックスを「打ち破った!」と主張する人は世界に何十人もいるそうで。
それぞれの人がそれぞれの論理でゼノンのパラドックスは間違いだと証明してるのですが、
私にとってはどれも今ひとつ説得力に欠けるものでした。

哲学者の大森荘蔵さんは、ゼノンのパラドックスを破った者は一人もいないと言ってましたね。
そして、いいかげんゼノンは正しいと認めたらどうかと書いておられたような記憶があります。

6メビウス@管理者:2010/11/21(日) 01:22:11
ネットで大森氏のこんな文を見つけました。

http://www.geocities.jp/oku2jp/
ベルグソンのようにそれは抽象化だとか、時間を空間化することだといって捨ててしまうのは間違いだと思う。時間を一本の直線で表現できるというのは、時間がやはりそういう性質を持っているからですね。今のような小刻み的な特質と過去、現在、未来という順序をもっているからこそ直線表示がやれるわけです。

7メビウス@管理者:2010/11/22(月) 23:16:58
永井氏のページを加筆修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/49.html

批判的なことばかり書いてますが、私が一番読んだ哲学者の本は永井氏の本なんですね。
初期の頃の著作から2007年の『哲学塾』までほとんど読んでます。
渡辺恒夫氏と似た自分の思想の対極にあるのが永井氏で、永井氏の思想を知れば知るほど
自分の思想が浮き彫りにされるという感じで。

ただ『哲学塾』で永井氏は機能主義で固まったような印象を受け、それ以降は読んでませんが。

8メビウス@管理者:2010/11/24(水) 00:16:20
これまでの永井氏の著作を回顧してみると、さまざまな思考実験とウィトゲンシュタインの
考察を併せて〈私〉の語り得なさを論証し、心の哲学における機能主義的な方法論に
辿り着いたという所でしょうか。

私としては永井氏のページに「批判」として書いたのですが、彼の思考実験に
視野の狭さを感じてしまいます。

永井氏がもし私の批判を見たら「あなたとは関心の対象が違うんだ」とおっしゃるでしょうが。

9メビウス@管理者:2010/11/28(日) 22:10:43
また永井氏のページに加筆。

パルメニデスは「無」から「有」が生じたり、「有」が「無」になるのは矛盾であると述べました。
この論理は疑い得ないでしょう。
もしその論理が間違っているなら、私の目前にいきなり1万円札の束が現れてもいいはずなのに、
そうはならないからパルメニデスの論理は正しい(笑)

そしてデカルトが懐疑主義を徹底した末に到達した「私は、自分が何であるか十分明晰には知らないが、
何かあるものである」という結論もまた疑いようがない。

私は以上のパルメニデスとデカルトの論理こそ〝思考の原理〟とすべきであると考えます。
そして永井氏のページに加筆したように、永井氏の独在性はその思考の原理に反していると考えます。

10メビウス@管理者:2010/11/28(日) 22:26:15
私はパルメニデス、ゼノン、近年の哲学者ではマクタガートと同じく
時間・変化は存在しないと考えます。

しかしパルメニデスように存在が「静止」しているとも思えません。
カントがいうように「運動」も「静止」も人間の認識の様式で捉えられたものに
すぎない。真に存在するものは運動や静止という人間の概念が当てはまらない
様態で存在しているのではないか……この考えだと排中律に反するような気も
しますが。

いずれにせよ人間には実在を理解する能力は無いのではないかと思います。
視覚の無いものに「虹」が理解できないように。

認知的閉鎖というやつです。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/51.html

11メビウス@管理者:2010/11/28(日) 22:31:15
>>10
>時間・変化は存在しないと考えます。

間違えた。正しくは、
時間・変化は実在しないと考えます。

12メビウス@管理者:2010/11/30(火) 00:09:11
>>9で述べたパルメニデスの論理はヒュームの因果論と対立するのではないかと
思う人もいるかもしれません。
パルメニデスの論理も所詮、経験によって得た知識ではないか?
それは事実でしょう。
しかしヒュームの因果論のエッセンスは、因果の存在を否定していることでは
ないと思います。
因果が人間の認識の中にしか存在しないということが、ヒュームの因果論の要点
だと思います。

13メビウス@管理者:2010/12/01(水) 19:22:10
メニューからもリンクしてるのですが、WEBの
対戦型哲学史は非常にレベルが高いですね。
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/
さまざまな哲学者の思想のエッセンスをきちんと理解した上で
簡潔に要約してるし。
今まで色んな哲学書を読み漁ってきましたが、初心者の入門
向けとしては最高ではないかと。

ポストモダンについては竹田青嗣さんの著作が最高だと思いますが。

14メビウス@管理者:2010/12/02(木) 18:23:51
メニューを大幅に修正しました。

しかしチャーマーズを一元論に分類するのは違和感がありますね。
彼は随伴現象説を支持してるような気もしますが。

15メビウス@管理者:2010/12/04(土) 01:20:18
随伴現象説は中立一元論に分類されるんでしょうが、
「提灯」と揶揄されるように、限りなく二元論に近いような。

17メビウス@管理者:2010/12/05(日) 16:40:43
まとめサイトはWkipediaからの引用が多いのですが、
Wikipediaは結構間違いがあるんですよね。
以前は私自身もWikipedia編集に関わっていましたが。
修正した後に誰かが書き換えてしまうのできりがない。
しかも書き換える人は「信念」持ってるので、すぐ編集合戦になるし。

そんなわけで最近はWikipediaから離れてしまいましたが。

18メビウス@管理者:2010/12/06(月) 00:44:54
結局、性質二元論を一元論のカテゴリーから二元論のカテゴリーへと戻しました。
存在論的には一元論なんですけどね。

現代では物理主義に対抗する二元論として議論されている状況なので。

19メビウス@管理者:2010/12/07(火) 23:27:32
現象判断のパラドックスのページを整理しました。

永井氏の『なぜ意識は実在しないのか』は読んだのですが、
チャーマーズに対する批判は的外れでしょう。

チャーマーズは哲学的ゾンビの思考実験で、随伴現象説の可能性を
模索しているようですが、永井氏はそこに「語りえぬもの」を持ち込んで
しまってる。

私から見れば永井氏が「語りえない」と言った時点で、「語りえない」もの
を示唆してると思うわけで。

20メビウス@管理者:2010/12/07(火) 23:32:35
「語りえない」と言うことが「語りえない」ものの語り方……
というと言葉遊びのように思えるけど、実際にその「語りえない」もの
が何であるか理解できるという点が存在論では重要であり、
「語りえない」で終わらせるのが言語哲学と機能主義のつまらない所だなと。

21メビウス@管理者:2010/12/10(金) 18:01:35
また永井氏のページを加筆修正。

私と永井氏は存在論的な関心の対象は同じだろうけど、
方法論が全く対極なんだろうなと。

22メビウス@管理者:2010/12/13(月) 01:21:06
動物の心の問題についても書きたいなと思ってます。
ネーゲルのコウモリは面白いのですが、しかしコウモリは比較的高度な脳を
持っていて、人間にとっても連想しやすいんですよね。

子供の頃、お婆さんの家の庭にいたカタツムリを見て、こいつに「心」は
あるのだろうかと真剣に考えたことがあります。
あるいはもっと単純な神経構造の生物ならどうだろうと。

猿や猫やコウモリなら「心」を持ってそうだけど、アリやノミぐらいになると
「感覚」ぐらいしかないと見做した方がよさそうです。

こういう思考実験からも独我論の弱点が現せますね。

23メビウス@管理者:2010/12/16(木) 22:30:21
以下のサイトを参考にパルメニデスのページを大幅に加筆修正。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mochi_space/ancient_philosophy/vorsokratiker/parmenides.html

パルメニデスについては10年ぐらい前に図書館に通って色々調べた経験があるのですが、
関連書籍が少なくて残念な思いをした記憶があります。

今はネットが普及してパルメニデスの哲学も容易に学べますね。
上で紹介したサイトは図書館で読んだいくつかの著作物より、ずっと
内容的に優れていると思います。

24メビウス@管理者:2010/12/18(土) 00:19:06
まとめサイトは毎日、少しづつ加筆修正してます。
最初はとりあえずWikipediaからコピペして、まとめwikiとして
体裁を整えてから加筆修正するつもりでしたので。

スピノザも修正しないと駄目っぽい。
その他あれもこれも……。
サイトの完成はいつになるやら……。

25メビウス@管理者:2010/12/23(木) 00:34:14
毎日少しずつ加筆修正。

原意識は稚拙な還元主義っぽいですね。

26メビウス@管理者:2010/12/28(火) 01:05:20
結局、観念論を一元論のカテゴリーに入れました。

厳密には観念論者にもカントみたいな二元論者がいるんですが。

観念論という言葉自体、定義が錯綜してますね。
スティーブン・プリーストは唯心論と同じ意味で使ってるし。

27メビウス@管理者:2010/12/30(木) 17:07:39
以前、時間と空間は実在しないと書きましたが、
カントは時空を認識の「形式」とか言ってるけど、
所詮は抽象観念なんですよね。

28メビウス@管理者:2011/01/07(金) 00:20:59
カタツムリから見れば人間は全知全能の神に見えるかもしれない。

逆に言うと、人間が宇宙や「存在」について知ってることなど、
神から見ればカタツムリ程度かも知れない。

認知的閉鎖の壁。

29メビウス@管理者:2011/01/08(土) 00:14:12
永井氏のページ修正しました。

脱人格的自我について勘違いしてた。orz

しかし、〈私〉は比類のないものだから「語れてはならない」というのは
論理的でないような。

比類の無いものだったとしても語れてもいいのでは?

30メビウス@管理者:2011/01/15(土) 01:27:15
>>22で言っていた動物の心の問題をまとめました。

ほとんど私の思想ですが。

31メビウス@管理者:2011/01/15(土) 19:45:45
時空は実在しないと以前書きましたが、変化はどうかなと。
時空が変化から生じた抽象概念なら、変化そのものは実在するものかも。

変化も抽象概念と言えなくはないけど。

32メビウス@管理者:2011/01/19(水) 19:41:57
もし時間と空間の実在を否定できたなら、心の哲学は根本的に変わるでしょうね。

デカルトの区別による心と物質の「違い」がなくなってしまう。
物質は空間を占める「延長」だから心身問題の解決が困難なわけで。

時空の実在を否定した上で心身問題を考えると、
在ると確信できるのは「心的現象」と「心的現象の背面である『物質』と知覚される何か」
というようになる。

現象学的な見方かもしれない。バークリー風の観念論でもあるし。

入不二基義さんの本をもう一度熟読してみようかなと。

33メビウス@管理者:2011/01/26(水) 22:46:56
ようやくスピノザのまとめが終わった。

スピノザを自然主義的な哲学者と見れば私が支持してる遍在転生観に多くの点で通じますね。

34メビウス@管理者:2011/01/28(金) 00:57:50
「唯識」を一元論からインド哲学のカテゴリーへ移動。

やはり西洋哲学の分類方法でカテゴライズするには無理かなと。

35メビウス@管理者:2011/01/29(土) 02:01:55
何度か書きましたが、時空の実在は十分疑いうるものだと思います。
もし時空が実在しないのであれば、心の哲学のみならず形而上学全般がひっくり返るでしょう。

時空の実在性を考慮しない大半の哲学者は巨大な砂上の楼閣を築いているだけかもしれない。

その意味では入不二基義さんは頑張ってるなと。

36メビウス@管理者:2011/02/02(水) 00:22:33
ようやくデカルトのページをまとめ終わった。
一部記憶モードで書いてますが。

ウィトゲンシュタインがデカルトの「我思う」を、
「思うということが我なのである」としたくだりを読んだときは、
この人は天才だと思った。
永井均さんが惹かれた理由がわかる。

ただ、その独我論を出発点として、私の関心事とは別の方向に
行ってしまったのが残念。

37メビウス@管理者:2011/02/05(土) 00:39:46
私の問題意識ですが。

観念論の立場から時間と空間を「変化」の属性として非実在的なものと
考えますが、なら変化そのものは存在するのか……

パルメニデスは変化は矛盾だとし、ゼノン、そしてある意味マクダカードや
ナーガルジュナも時間の非実在性を論証することで変化の実在性を疑おうと
しました。

ヒュームの懐疑論を演繹して、変化も抽象概念だと言えなくも無いですが、
しかし現前している感覚、クオリアは変化しているわけです。
パルメニデス流に言えば、「あるものがないもの」になっているわけで。

いや、パルメニデスは「だから感覚は信用できない」というわけだけど、
感覚を信じず理性を信じても、その精神現象は現に「変化」してるわけで。
「あるものがないものになる」という矛盾が精神の場では現に生じているわけで、
これをどう解釈すればいいのか……

これが私の問題意識なんですが。

38メビウス@管理者:2011/02/05(土) 00:47:26
そういえば茂木健一郎氏も、脳の作用の過程のある段階でなぜ突然クオリアが
生まれるのか、といった問題意識を書いておられたような覚えが。

物質は粒子で出来ているから消えたように見えても他の何かに変化してるだけ。
でもクオリアは他の何かに還元できない。「青」のクオリアが消えて「痛み」の
クオリアになりました、なんて考えるのは不可能だし。

39メビウス@管理者:2011/02/05(土) 01:57:14
ヒュームのように全てを感覚に還元して自我まで否定したとして、
最後には感覚は生成消滅する――「あるものがないもの」になる
という矛盾、難問が顕わになるわけで。

ラッセルみたいに全ては「出来事」だとクオリアの実在性を否定
しても、やはり「あるものがないもの」になるというのは矛盾のような。

40メビウス@管理者:2011/02/11(金) 18:03:16
マクタガートの議論は面白いと思うけれど、
観念論の立場からは時間が「実在しない」ことを証明する必要はないような。
証明するのも事実困難だったし。

私としては、時間が「実在する」ことは証明されていないことを論証するのが
方法論として正しいと思う。
時間も空間も「変化」から経験的に抽象された観念であることは確かだし。

つまり時空が実在しない可能性を証明することによって、同時に存在論・心身問題の
あり方が根本的に変わる可能性を提示するべきだったかなと。

41メビウス@管理者:2011/02/11(金) 21:48:54
時空が実在で無いことを前提に考えれば、心身問題はもちろん、
自己同一性や他我問題、独我論的問題その他、哲学の全てがひっくり返るような。

スピノザの神から時空の要素を取り除いたものになりそうだけど。

42メビウス@管理者:2011/02/16(水) 00:35:25
入不二さんの本を読んだら、マクダカートも>>37と同じように行き詰ってたw

43メビウス@管理者:2011/02/19(土) 14:56:32
存在論にしても心身問題にしても時間論が決定的な鍵になる可能性があるだろうと。
汎経験説対創発説でも書いたのですが、クオリアの最大の難問は生成変化することに
因果的な説明が困難だからで。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/108.html

44メビウス@管理者:2011/03/05(土) 00:23:16
2chの哲学板に書いたパルメニデスについての小論を、
パルメニデスのページに加筆しました。

入不二さんは時間について「現実性の推移」と書いてますが、
ちょっと苦しいような。
しかし、私個人の考え方と近いような気もしますが。

45メビウス@管理者:2011/03/06(日) 00:14:31
汎経験説も創発説も否定されるなら、消去法的に、ある種の観念実在論が
残るかなと考えてますが。

その場合、ヒューム的な無主体論になるしかないかなと。

46メビウス@管理者:2011/03/07(月) 21:57:30
観念実在論というと普遍論争の一方の立場になるので、
クオリア実在論と言ったほうがいいかな。

イデアとクオリアの類似性を指摘する意見は多いですね。

47メビウス@管理者:2011/03/28(月) 23:11:40
私の考えを形而上学的無主体論としてまとめました。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/125.html

永井さんの西田幾多郎本を読んだのですが、西田幾多郎は自我について
私とほとんど同じ考え方だなと感動してしまった。

入不二さんがいうように一種の「思考型」なんですよね。無主体論は。

48メビウス@管理者:2011/04/02(土) 00:08:11
しかし西田幾多郎も後期には考え方が変わってるような。
永井さんの解釈は微妙に牽強付会っぽいけど。

49メビウス@管理者:2011/04/05(火) 22:42:26
読みたい本がいっぱいあっても時間が全然足りないな。
職業哲学者がうらやましい。

ただ、職業哲学者と違ってアマチュアであることにもメリットはあるわけで。
用語の使い方が厳密でないとか原書を読んでないとか、職業哲学者が守らなければ
いけないルールや思考法を無視して好き勝手に考究できるというのがアマチュアの
いいところ。

50メビウス@管理者:2011/04/07(木) 23:36:06
大森荘蔵さんの本を再読してるのだけど、10年ほど前読んだときは
共感する部分が多かったのに、今はほとんど共感する部分がないなw

おっと、また大きな地震が来た・・

51メビウス@管理者:2011/04/12(火) 23:13:24
入不二さんのウィトゲンシュタイン本に出会えたことは幸運だったと思う。
それまで僅かに同類はいたものの、多数派から見れば異常といえる自分の考えに、
「無主体論」という確かな枠組みを与えてくれたから。

52メビウス@管理者:2011/04/21(木) 00:14:10
ヒュームの本を再読してたら記憶の間違いに気づいた。
というより以前読んだ時はわからなかったことが、
今ではわかるようになったのかもしれない。

自分の考え方とヒュームはそっくりだと思ってたのに、
重大な相違があるような気が……。
どう解釈すればいいか難解な部分もあるのだけど。

53メビウス@管理者:2011/04/21(木) 23:45:20
ヒュームは知覚がそれぞれ別個の存在であるとして、
その別個の存在の結合のあり方を知ることはできないとする。
そして、それぞれの知覚が「何か」に内属してる可能性を否定しない。
この点は懐疑主義的。

54メビウス@管理者:2011/04/22(金) 23:07:11
ヒュームのページを加筆。
自我を共和国にたとえるのは西田幾多郎の立場に近いのかな。

55メビウス@管理者:2011/04/23(土) 23:32:38
しかし共和国という枠組みを想定するのはメタレベルの自我を想定するのに等しいような。
知覚同士の結合のあり方を考えるのも同様。

知覚がそれぞれ別個の存在であるというなら枠組みや結合など考える必要はないと思う。
それが無主体論の本質。

56メビウス@管理者:2011/04/27(水) 00:39:45
知覚がそれぞれ別個の存在であるとして、
その別個の存在の結合のあり方を知ることはできないとする。
これをヒュームは矛盾だと考えて、カントは「統覚」という概念で
解消しようとするのだけど、「統覚」とは上手く考えたようで、実の所
何の説明にもなってないような……。

永井氏の本では世界を成立させる作用として「統覚」を評価してる
んだけど、これは物理主義の「創発」と同じでは? と思ってしまう。

57メビウス@管理者:2011/04/28(木) 03:49:26
「人物」のカテゴリーにカントのページを作ってないんだけど、どうするかな。

重要な人物であることは事実だけど、個人的にカントは過大評価されすぎと
いう気が……。

カント哲学は「上手い」という印象だけど、パルメニデスやデカルトの
ように存在の本質にアプローチしたものでなく、プラトンやヒュームの
ように際立ってユニークなアイデアを創出したわけでなもない。

唯物論者から見れば観念論者であり、観念論者から見れば不徹底な観念論
者である。

上手く語っただけでも十分凄いんだけど。

58メビウス@管理者:2011/05/04(水) 00:44:22
渡辺恒夫-遍在転生観のページを大幅に加筆。

自然の斉一性原理を考究すれば必然的に一元論に至るような。

59メビウス@管理者:2011/05/05(木) 02:40:11
形而上学的無主体論のページでクオリア実在論とか書いてるけど、
自分でも説明に成功してるとは思えない。そもそも信じていいのかもわからない。

消去法的にそうなるのでは、という思考実験の結果で。
哲学は消去法で結論を出すべきではないのかも。

60メビウス@管理者:2011/05/09(月) 00:16:30
フッサールも『イデーン』の中で、言葉の意味は物があることと同じように
人間にとって存在してると書いてるわけで。

イデア論や中世の観念実在論もそうだけど、消去法的に考えるとこの結論に
辿り着くのは必然かも。

61メビウス@管理者:2011/05/18(水) 00:31:43
死んだらどうなるの? というシンプルな質問をもらったんだけど、
その疑問こそが哲学の核心的な問題なわけで、この疑問に何も答えない
哲学は哲学じゃないと思ってる。

そういう意味ではポストモダンは哲学じゃないなと。

しかしホーキング博士は、脳はコンピューターのようなもので、
壊れたコンピューターには天国も来世もない、と述べたそうで、
クオリアについて何も考えてないんだなと、がっかり。

62メビウス@管理者:2011/05/24(火) 01:28:48
結局、カントのいう「統覚」は、無主体論と対極の「思考型」なんだと思う。

63名無しさん:2011/05/29(日) 21:05:40
差異への関心に導かれてここまでたどり着いたけど、
ベルクソンって心の哲学にかなり関係があったんだな、と初めて知った。

64メビウス@管理者:2011/05/30(月) 00:34:56
空間的に位置を規定できる身体と違って、心は純粋に時間的なものとされてますからね。
ベルクソンの純粋持続は重要な概念です。対立するのが古代エレア派とヒュームの哲学で
しょう。

65メビウス@管理者:2011/06/01(水) 00:26:16
私個人はエレア派の時間論が正しいのではないかと思ってますが。

時間は変化の属性であり、変化の概念から派生した概念です。
時間の中に変化が在るわけでないのが重要です。
われわれは変化を時間的な流れの中にあるものと思いがちですが、
その素朴な見方は根本的に間違っているかもしれません。

66メビウス@管理者:2011/06/01(水) 00:29:52
上の考えは時間・空間を認識の「形式」とするカントの哲学を
飛躍させれば導かれることでもありますが。

そう考えるとカントはやはり重要な人物だなと。
時間があればカントのページを作りたいと思います。

67メビウス@管理者:2011/06/02(木) 00:16:41
自己同一性についてのページを作りました。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/128.html
一般的な説の紹介だけですが。

遍在転生論とか無主体論を書き加えると難しくなりすぎるので。

68メビウス@管理者:2011/06/06(月) 23:40:20
2chで自分が書いたものを形而上学的無主体論に書き加え。
永井氏の〈私〉はデカルト的なコギトが存在するための必要条件では
ないんですよね。
〈私〉は「魂」と言い換えることができると思いますが。
結局、最初永井氏が〈私〉についての問題意識を発表したときに指摘
されたように、「信仰の告白」だったのだろうと思う。

69メビウス@管理者:2011/06/11(土) 01:55:00
形而上学的無主体論を書き直し。
自己と、自己同一性の問題については一つの見地を確立できたかなと。

70メビウス@管理者:2011/06/16(木) 21:37:12
永井氏のページを大幅に加筆修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/49.html

永井氏にストーカーみたいに粘着してますがw
独在性を否定することが、自分の立場である遍在性の肯定に繋がるので、
いやでもストーカーにならざるを得ないw

71メビウス@管理者:2011/06/21(火) 00:23:15
時間について実在性を考究した哲学は多いけど、空間については少ないような。

まあ、時間と同じ論法で否定も肯定も出来るでしょうが。

時間と空間のあり方は、ロックが一次性質と二次性質を区別したことに
ヒントがあるような。

72メビウス@管理者:2011/06/24(金) 02:12:09
前にカントは上手い哲学者と書いたんだけど、改めて読んでみると凄く上手いw
物自体を仮定したのはロックの二元論に逆戻りと見えるようで、実は違う。

現象主義的な視点を維持したまま自然科学と相克せずに現象を説明できるし、
物自体が仮にエレア派的な「唯一」の存在だったとしてもカント哲学は矛盾しない。

カントが天才なのは誰もが認めるところだけど、ひょっとしたら大天才かもw

サールは現象主義に批判的なんだけど、カントをどう評価してるのやら。

とりあえず、カントのページを作らないといかんな。

73メビウス@管理者:2011/06/28(火) 01:00:26
永井氏はカントの超越論的な条件を、自己同一性を成り立たせる条件と
同一視してるんだけど、これは明らかに思い込みだろう。
ウィトゲンシュタインも同様っぽいけど。

カントの「条件」は現代風にいえば「法則」なわけで、これとヒュームの
自然の斉一性原理と重ねて考えれば個別的な自我は否定される。

これはあくまで現象主義的な思考なんだけど、ほぼ自然科学の立場と一致
してしまうな。

74メビウス@管理者:2011/06/29(水) 00:47:01
ようやくカントのページ作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/129.html

まあ、確証バイアスがあるかもですが。

75メビウス@管理者:2011/06/30(木) 00:32:59
次はデリダの「差延」について書こうかなと。
ポストモダンは無用の長物というのが個人的見解ですが、
差延は哲学史的に重要な概念で。
ハイデガーにも言及しないといけないし、また時間がかかるなと。

76メビウス@管理者:2011/07/01(金) 00:49:41
そういやハイデガーのページも作ってないな。
心の哲学とはあまり関係ないけど。
存在的、存在論的は重要な概念だし。
Wikipediaでは「差延」のページに存在論的差異との関係という形で
簡潔に紹介されてるんだけど。
その方法で自分なりに1ページにまとめてみるかな。

しかし時間がないな。

77メビウス@管理者:2011/07/05(火) 00:29:35
存在論的差異に絞って書いてみるかな……。
そう思って現象学関係を読み返してたら、
自分のサイトのフッサールのページが適当であることに気づいた。
他サイトからの引用で適当に書いてるページが結構あるので申し訳ない。
「差延」までページを作って、後はサイト内容の見直しに入ろうかと。

78メビウス@管理者:2011/07/11(月) 00:54:03
デリダの差延について調べてるんだけど、ゼノンのパラドックス的な詭弁を感じるw
まあソシュールの言語論や記号論がベースにあるんだけど。
そこに時間の無限分割を持ち込んだようなw
私としてはフッサールの「現象」解釈の方が正しいと思う。
やっぱり現代思想は無用の長物だなとw

79メビウス@管理者:2011/07/13(水) 00:30:46
ようやく存在論的差異と差延のページを作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/93.html
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/130.html

Wikipediaよりわかりやすく、より深く書いたつもりだけど。

竹田氏の存在論的差異の解釈は一般的なハイデガー解釈とは違うと思うけど、
ユニークだと思うし、自分も共感してるので、あえて載せることにした。

80メビウス@管理者:2011/07/14(木) 00:30:42
ユングは心の哲学とあまり関係ないのでページを削除。
替わりにデイヴィッドソンのページを作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/79.html

81メビウス@管理者:2011/07/15(金) 00:16:37
ストローソンは実証主義だと思ってたら、そうでもないような。
中立一元論とも思える形而上学的なことも書いてるし。
シュリックとともに調べなおしだな。

82メビウス@管理者:2011/07/17(日) 01:25:10
どうもウィトゲンシュタイン独我論の最深部には信仰があるっぽい。
まあ、信仰熱心な人物だったから必然的でもあるけど。
あちこち書き直さないとな。

83メビウス@管理者:2011/07/18(月) 23:09:34
形而上学的無主体論からエレア派に関する部分を削除。
自分の信仰にすぎないっぽいので。

渡辺氏のページも書き直しの必要があるな。

84メビウス@管理者:2011/07/21(木) 00:30:48
デレク・パーフィットはほとんど自分と同じ立場だな。
彼の死生観は渡辺氏と繋がる部分もある。

85メビウス@管理者:2011/07/24(日) 22:35:13
パーフィットに関連して永井氏の『転校生とブラックジャック』を読み返してみた。
永井氏は還元主義をきちんと批判してないな。
論点先取的にすぐ「私」が出てくるし、擬似記憶に対する批判で、
自分の記憶論ともいうべきものを述べてるんだけど、それも還元主義を否定する
ものになってない。

私のように直接経験(クオリア)に拘る者からしたら、「世界を開闢する」「私」
ではない直接経験など無いし、それがクオリアの本質なのだから、記憶があるからと
いってそれが人格の同一性の根拠になるわけでないし、還元主義の否定にもならない。

86メビウス@管理者:2011/07/30(土) 01:19:11
人格の同一性のページをだいぶ修正。

もっと前にパーフィットを知ってたらなとつくづく思う。
新品で1万円近い大著なので読む人が少ないのが問題かも。

しかし独力でパーフィットと同じ地点まで達してたのは
我ながら凄いと思ったりw

87メビウス@管理者:2011/07/31(日) 21:43:20
入不二氏は、直接経験が純粋に「隣接項のない」独我論的な経験であると
見てるから、私が無主体論のページで書いた派生問題に気づいてないわけがない。

永井氏は、パーフィットがスペクトラムの思考実験で自己を解体したのに対し、
記憶の特権的な能力で批判するわけだけど、それは昨日の自分と今日の自分、
あるいはその「特権的な記憶」と他の知覚の同一性を保障するものではない。
つまりヒューム的な還元主義に対する批判にはなってないと思うわけだが。

88メビウス@管理者:2011/08/04(木) 00:38:59
田崎晴明が言ってるのは私のサイトのことかなw
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/modphys/11/Ohmori.pdf

この人は哲学のことがなーんにもわかってないな。
カントが論証したように自然科学とは「現象」世界のことであり、
実体(物自体)には決してアプローチできないのだから、
科学の立場からゼノンにどうこう言っても、釈迦の手のひらで暴れる猿に
等しいわけだけどw

89メビウス@管理者:2011/08/05(金) 00:39:29
田崎氏は大森氏を素人扱いしてるんだけど、
大森氏も理学部物理学科卒業なんで、ゼノンのパラドックスの
数学的な解決法なんて知ってるわけだがw

90メビウス@管理者:2011/08/15(月) 00:41:21
大森氏はゼノンは正しいというのだけど、点時間を否定するだけで
運動そのものは認めるわけで、パルメニデスが提起した変化の矛盾も
点時間の回避で解消できると考えてるみたいな。

91メビウス@管理者:2011/08/19(金) 02:36:05
参考文献の表記方法を論文風に統一することにした。
最初は備忘録として始めたサイトなんで注意を払ってなかったけど、
googleからのアクセスも多くなってるんで。
著作権にも注意しないとな。

92メビウス@管理者:2011/08/23(火) 00:22:06
ヒューム哲学から必然的に派生する意識の連続性問題について考究してみた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/82.html#id_9b2a1244

93メビウス@管理者:2011/09/07(水) 00:21:12
チャーマーズはゾンビワールドが論理的に可能だというわけだけど、
逆に、唯心論的な「意識だけの世界」も論理的に可能だと思うわけで。

94メビウス@管理者:2011/09/07(水) 00:24:59
意識だけの世界が可能だとしても、問題は変化する意識とクオリアなわけで。

創発説も汎経験説もナンセンスと私は考えるのだけど、いずれも論理的に可能
か否かは判断し難い。

95メビウス@管理者:2011/09/08(木) 00:38:13
創発説はクオリアの由来の説明を放棄しているに等しい。
これは現象学の立場に似ているかも。

汎経験説の主張は「論理」ではないし。
延長・質量をもつものに対してのみ数学や論理は成り立つ。
「赤」や「美」や「恋」を足したり引いたりできない。

つまり「非論理性」こそが現象的意識の本質なわけで。

96メビウス@管理者:2011/09/08(木) 00:44:30
現象的意識は論理的整合性に反している。
けれど、それはあくまで現象的意識の内部の事実。

現象的意識を「一つの全体」としての存在者として見て、
なおかつその「一者」は時間と空間の外部にあると見れば、
論理的整合性に反していない。

97メビウス@管理者:2011/09/08(木) 00:46:39
上のような考えはカント哲学を延長すれば到達する一つの境地でもある。
形而上学的無主体論のページでも書いたんだけど。

チャーマーズも情報の二相理論で、時空について私と似たようなことを
書いてたので感動した。

98メビウス@管理者:2011/09/10(土) 01:08:21
ラッセルは時に鋭い分析をするんだけど、カントールで無限分割のパラドックス
が解けたと考えてるのは素朴すぎるような。

99メビウス@管理者:2011/09/10(土) 23:43:19
形而上学的無主体論を大幅に加筆修正。
>>94-97で書いた問題もまとめてみた。

100メビウス@管理者:2011/09/10(土) 23:44:35
それにしても、岩波書店の西田幾多郎全集は読みにく過ぎる。

101メビウス@管理者:2011/09/16(金) 00:39:34
渡辺氏のページに自分の意見ばかり書いてるのもどうかなと……。
大幅に修正が必要かも。

永井氏の記憶論についても批判を書きたいな。
記憶は個別的な意識のトークンでしかないから、昨日の自分との紐帯には
ならない。

102メビウス@管理者:2011/09/16(金) 00:44:58
ラッセルの刹那的独我論は、デカルトの世界連続創造説と繋がるものがある。
デカルトも刹那的独我論の可能性に気づいていたんだろうと思う。

103メビウス@管理者:2011/09/20(火) 00:34:33
渡辺恒夫『〈私の死〉の謎』は自我意識研究の歴史などが概観されていて面白い。
基本、渡辺氏は心理学者なんで『輪廻転生を考える』しか読んでなかったんだけど。
この本には「刹那転生」という概念が出てくる。これはほぼ還元主義の立場。

パーフィットといい、一時期の西田幾多郎といい、私もそうだけど、
この種の思考型では必然的にこういう結論に至るようだ。

104メビウス@管理者:2011/09/21(水) 23:30:14
勘違い。渡辺氏は還元主義の立場ではないな。
三浦俊彦とのメールのやりとりを見てわかったけど、
自己と独我論的問題については永井氏の立場に近い。
永井氏の場合は唯一性に対する現実性の概念で問題の所在を強調するけど、
渡辺氏は遍在性の概念で問題の解消を考える。

105メビウス@管理者:2011/09/21(水) 23:33:15
しかし、三浦氏はウィトゲンシュタインの独我論を知らないんじゃないかと
思ってしまう。

まあ、意識の超難問が擬似問題というのは同意だけど。
問題はそこから始まるというのが私の考え。

106メビウス@管理者:2011/09/24(土) 01:58:09
渡辺氏か三浦氏にメール送ろうかとも考えたんだけど、
両氏のやりとりは8年も前のことなんだな。

私が「人格の同一性」のページで考究したことが、両氏の
問題性の核心だと思うんだけど。

107メビウス@管理者:2011/09/24(土) 02:19:38
三浦氏からすれば、自分のコピー人間がいて自分と同じことを考えていた場合、
物理主義的に「同じ人間が二人」と答えるんだろうな。

「私」には端的な唯一性があるゆえに「同じ存在」「同じ性質」とは考え難い。
私の思考の出発点はそこなんだけど、両氏のやりとりは何とも……。

108メビウス@管理者:2011/09/26(月) 23:20:37
ラッセルの刹那的独我論は論理的に否定できないにしても、
実体の在り方はおそらく、その対極の絶対一元論的な在り方だろうと思う。
多元論は何か不自然であるような。

ウパニシャッドからエレア派、新プラトン主義、近代ではヘーゲルと、
実体の在り方を考究すれば、絶対一元論という最も無駄の無いシンプルな
思想に行き着くのは必然かも。

109メビウス@管理者:2011/09/28(水) 00:29:02
ラッセルの刹那的独我論にしても、ヒュームの知覚がそれぞれ個別の存在と
いう考え方にしても、意識の連続性がやはり問題になる。

やはり、個別のクオリアはそれぞれ唯一の現象的意識というものの「性質」と
考えた方が合理的だと思う。カントもウィトゲンシュタインも時間空間は対象の
形式と捉えるけど、それは暗に対象を見る自我を想定している。

還元主義的な立場ではその自我を否定するから現象的意識が丸ごと「一つ」の
存在者と考えた方が合理的。

110メビウス@管理者:2011/09/28(水) 00:35:21
あるいは「他者」の存在が問題になるかもしれない。

しかし還元主義では自分と他者に絶対的な境界はないとするから、
他者の現象的意識も自分の現象的意識も区別は不要になる。

むろん、今の自分と過去の自分には「記憶」という紐帯があるという
立場もあるけど、科学的には、記憶はその時々に創造される現象的意識に
すぎないし、また人は過去の自分について忘れていることも多い。

忘れている過去の自分は「他者」であると考えることもできるし、
それは逆に、他者とは「忘れている自分」であると解釈することもできる。

還元主義を透徹すればそうなる。

111メビウス@管理者:2011/10/11(火) 23:36:12
ウィトゲンシュタインは『論考』5.64で、
「独我論の自我は広がりを欠いた点にまで縮退し、自我に対応する実在が残される」
と書いていて、これを入不二氏は独我論的な無主体論と解釈してるんだけど、
その「実在」という言葉は「クオリア」に置き換えてもいいように思う。

永井氏は「〈私〉とは世界を開闢する原点」という言い方をするんだけど、
「世界を開闢しないクオリア」というのは無いわけで。

カントは統覚の働きが全ての表象に「我思う」を伴わせると考えたけど、
これもクオリアの側から考えれば、「我思う」が伴っていないクオリア
なんてない、といえるような。

112メビウス@管理者:2011/10/20(木) 01:01:08
チャーマーズは物理学者たちの影響を受けて情報の二相理論によって、
根源的な存在を「情報」と考えてるんだけど、
しかし「情報」とは誰か――主体に認識されることが前提の言葉だから
違和感がある。

だからこそ、「時空」そのものさえ情報空間の中にある可能性を想定して、
絶対一元論的な世界観を展望しているのかもしれない。
時空が実在しないとなれば、「認識」という動的な作用も想定する必要が
ない。だから「世界とは差異」という結論に至ったのかも。

113メビウス@管理者:2011/10/21(金) 00:18:07
あと多元論とネーゲルのページを作りたい。

いきなり忙しくなって本を読む暇も無いから
いつになるかわからないけど。

114メビウス@管理者:2011/10/29(土) 21:39:02
根源的な存在を「情報」と考えるのは暗に無主体論の立場を前提としてる。

またその情報が時空の内部にあるのでなく、逆に時空が情報の内部にあると
考えるのは、やはりチャーマーズは絶対一元論的な世界をイメージしてる。

それぞれの情報が因果関係によって繋がっているというなら、時空が実在
しないことを前提にすると、全ての情報は「唯一の存在」の一つらなりの
「性質」として解釈する他はない。

そう考えるとチャーマーズの思想は私の至った結論に極めて接近するわけだが。

115メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:46:49
ライプニッツが「モナドには窓が無い」としたのは、
他の存在に作用されるようでは「実体」の定義からしておかしいからで、
だから彼は神による予定調和を想定せざるを得なかったのだろうけど。

神の存在を信じない私や多くの現代人からすれば、存在間の相互作用の
方を信じるしかないわけだけど、そうなるとライプニッツが見抜いた
ように世界から「実体」が存在しなくなる可能性がある。
だからバートランド・ラッセルは実体を否定して「出来事」だけを想定
したのかもしれない。

116メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:51:03
ラッセルの「出来事」は現代の量子力学と相性が良いと評価する意見も
あるのだけれど、それでも実体を否定するとやはりおかしなことになる。
たとえば普通は、「波」とは「水の運動」であると、現象を説明するのに
実体の概念を用いるのであるけど、ラッセルのように実体を否定するなら、
「出来事の原因は出来事である」と循環論法になるような。

117メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:55:22
その循環論法を一気に解決してしまう方法はただ一つで、
「出来事の原因は出来事である」というようなものは、
全て「唯一の実体」内部の「性質」であると考えること。

というように、存在論から論理的矛盾を除去しようとすると、
どうしても絶対一元論に行き着いてしまう。

118メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:57:41
実体と多元論と、ネーゲルとウィトゲンシュタイン独我論の
ページを作らないとな。

忙し過ぎて何年も先になりそうな。

119メビウス@管理者:2011/11/20(日) 04:58:25
>>107に関連して、
三浦俊彦の「意識の超難問」批判があまりにずさんなので、
永井・渡辺両氏をフォローする形で書いといた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/133.html

120メビウス@管理者:2011/11/24(木) 00:57:47
>>119はウィトゲンシュタイン独我論とセットで説明しないとわかりづらいかも。

忙し過ぎて加筆する暇が無いな。

121メビウス@管理者:2011/11/30(水) 22:13:38
パーフィットの混合スペクトラムの思考実験が
現象的意識やクオリアについても適用できることを書いてみた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/128.html

122メビウス@管理者:2011/12/06(火) 22:27:57
ようやくウィトゲンシュタイン独我論の解説おわた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/75.html#id_13477f70
あちこちでウィトゲンシュタインを引用しておきながら、
その独我論についての説明が適当だったので、頑張って書いてしまった。

年末の忙しい時に何をやってるんだろう私はw

123メビウス@管理者:2011/12/07(水) 21:56:52
永井均への批判は上のウィトゲンシュタインの問題と重複してるので大幅に整理した。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/49.html

124メビウス@管理者:2011/12/12(月) 21:55:59
ウィトゲンシュタイン独我論と対の問題といえる
動物の心を大幅に加筆修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/116.html

意識の境界問題や汎経験説まで関わってくるので面白い。

125メビウス@管理者:2011/12/15(木) 21:46:57
>>122-124と関連して、人格の同一性もかなり修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/128.html

まだ書き残したことがあるような気もする。
まあ、人格の同一性問題は哲学の問題が全て詰まってるし。
このページは永遠に完成しないかも。

126メビウス@管理者:2011/12/16(金) 02:52:35
他人の掲示板に書き込む際の最低限のマナーも知らないで、
的外れな批判をしている人を書き込み禁止にした。

ここは2chじゃないし、私もボランティアで講義してやるほど暇でもない。

127メビウス@管理者:2011/12/20(火) 21:47:11
大森荘蔵のページは他サイトからの引用ばかりで上手くまとまってない。
でもまとめる気力が無くなってしまった。
以前は夢中になって読んでたのに、今ではほとんど共感できなくなった
からだろう。

フッサールも同様。

128メビウス@管理者:2011/12/26(月) 01:07:55
今年はもうサイト更新しないと思う。
来年はたぶん引越しがあるのでネーゲルのページ作るのは
いつになるかわからない。

129メビウス@管理者:2012/01/10(火) 00:18:26
心の哲学の用語を若干修正する必要あり。
忙しすぎて週に一つぐらいしか出来そうにない。

130メビウス@管理者:2012/02/08(水) 01:37:14
ただ今引越し準備中。
まとめサイトの更新は当分お休み。

131メビウス@管理者:2012/03/10(土) 03:50:10
ようやく引越しの日時が決まった。

それはともかく最近、西田幾多郎って大したことないんじゃ?
思うようになってきた。「変化」を無条件に前提してるような
気がする。ベルクソンの影響を受けてるから当然かもしれないけど。

132メビウス@管理者:2012/03/28(水) 00:54:04
ようやく引越し終わった。
落ち着いたらまとめサイトの更新を再開したいと思う。

133メビウス@管理者:2012/04/05(木) 19:24:27
久しぶりに渡辺氏のページを見ると、遍在転生観についてこんなことが
書いてあった。

>遍在転生輪廻説の主張の最低限の要件は、他者とは時間を異にした私である、という点にあるからだ。
http://fantastiquelabo.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-fe89.html

私の考えを要約すると、時空は実在しない、ゆえに他者も存在せず、
ゆえに全ては〈私〉である、ということになると思う。

この辺のことは人格の同一性やパルメニデスのページでも書いてるけど、
時間論についてのまとめページを作るべきかもしれないな。

134メビウス@管理者:2012/04/08(日) 02:42:56
意識の超難問については、
物理主義によっては定義できない「何か」は確かにあるのだけれど、
仮にそれを「魂」や〈私〉だとしても、やはりパーフィットの
スペクトラムの思考実験では存在することは不可能に思える。

つまり一見、存在論的独我論と、それと相反する立場の主張が同時に
正しいよう思えるわけで。

そのことが示すのは、論理的に矛盾の無い〈私〉の在り方を模索すると、
素朴実在論を否定するしかない……ということになるような。

これは人格の同一性のページの終盤で考察した結果でもあるけど。

135メビウス@管理者:2012/04/09(月) 02:12:49
>>134の問題を超難問のページに加筆。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/133.html

136メビウス@管理者:2012/04/14(土) 13:06:41
ウィトゲンシュタインのページを微修正。

137メビウス@管理者:2012/04/18(水) 19:57:05
「コウモリの感覚」のページ名を「コウモリの視点」に変更。
「コウモリであるとはどういうことか」では長いし。
ネーゲルも「視点」の概念に拘ってるのでこれでいいかも。

人格の同一性のページにもネーゲルの見解を加えておけば、
ネーゲルのページを独立して作る必要はないような。

138メビウス@管理者:2012/04/19(木) 00:22:57
Wikipediaの関連項目リンクに「時空の哲学」を追加。

しかしWas a beeという人は存在論関係で随分頑張って書いてるな。
私のまとめサイトも見てるっぽい。
私の問題意識とほぼ重なってるし。

139メビウス@管理者:2012/04/27(金) 22:57:47
「人格の同一性」のページにネーゲルの見解を加筆。

140メビウス@管理者:2012/04/30(月) 13:42:05
大庭健は自分の問題意識から外れてるので著作を読んでも放置してたのだけど、
永井均やトマス・ネーゲルと並べて見ると面白いかもしれないと思って、
「意識の超難問」のページに大庭健の見解を加筆。

141メビウス@管理者:2012/05/06(日) 22:48:54
現在パルメニデスのページを書き直し中。
今読み直すと随分荒い文章だし。
他サイトからの引用部分も明確になってないし。
一元論に関する自分の意見はあちこちのページに分散して纏める必要がありそう。

渡辺恒夫氏のページも大幅に修正しないとな。
自分の思考の往路に過ぎない部分も書いてるし。

142メビウス@管理者:2012/05/16(水) 22:50:14
パルメニデスのページを書き直すために色んな資料を読んでるんだけれど、
エレア派が「空虚」を否定する論法は間違ってるな。

「ない(空虚)」を主語として考えなければならないのに、
「ない」ものが「ある」は矛盾だと、主語と述語と意図的に混同してる。

まあ、このような見方は一般的なものでWikipediaのエレア派の項目にも
似たようなことが書いてあるけど、問題はそれだけではないのが面白い所。

143メビウス@管理者:2012/05/22(火) 22:26:13
以前読んだ井上忠の『パルメニデス』を再読してるのだけど、
やはり解釈が強引なような。
『西洋哲学史1』の納富信留からも一般的な解釈ではないと評されてるけど、
やはりパルメニデスに関しては一番情報量が多い。

144メビウス@管理者:2012/05/30(水) 00:13:11
内山勝利の『ここにも神々はいます』は内容が薄くて残念。
しかしパルメニデスについては独特の見地をもっていて、
買って損はなかったかも。

しかし、哲学というのはどのように読み替えてもいいのだとなと
改めて思って、デリダの脱構築がいかに優れた概念かを今更だけど
理解したようなw

145メビウス@管理者:2012/06/01(金) 22:44:04
入不二氏のマクダガートは既に何度も読んだんだけど、
読む度に考え直させられるな。
時間論は底なし沼みたいなものだとつくづく思う。

時間論を考え尽くすには人生の時間が足りないw

146メビウス@管理者:2012/06/06(水) 22:51:05
私が「現象的意識の非論理性」の解として述べたことはデリダの
「差延」と類似のロジックであるような。
デリダの場合はあくまでポストモダン路線の認識論だろうけど、
私の場合は認識論であり存在論でもあるが。

入不二氏も類似のことを書いてたんだよね。
結局、懐疑主義をおし進めれば誰でも行き着く所は
同じということかな。

147メビウス@管理者:2012/06/12(火) 23:40:08
にしてもデリダの「差延」には時間論的な問題意識が感じられない、
というか感度が低いな。
ポストモダンの人だから当然ではあるけど。

フッサールの受動的総合=大森荘蔵の立ち現われ一元論の立場から見れば
デリダの認識論は問題ではないような。

148メビウス@管理者:2012/06/13(水) 22:54:51
「パルメニデス」のページを大幅に修正
http://www21.atwiki.jp/p_mind/editx/96.html
自分の一元論は「一元論の合理性」として書いた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/14.html#id_e9f8d93e

関連ページも大幅に整理しないとな。
あちこちのページに似たようなこと書いてるし。

149メビウス@管理者:2012/06/15(金) 01:59:50
入不二氏が時間の本性として、変化を否定した上で無数の「今」の間の
「現実性」の推移とした動機はわかるのだけど、私がこれに異論がある
のは「パルメニデス」で書いたとおり。

しかし入不二氏の論点から見えてくるものがあるような。

無数の「今」があって、それらが全て「現実性」を有していたとしても、
それは論理的に間違いでも矛盾でもないように思える。

150メビウス@管理者:2012/06/16(土) 00:23:18
「意識の超難問」を微修正。

渡辺氏が超難問に関心をもって遍在転生観を主張した背景には、
「私」が消えたり生じたりすることの不合理性を感じていたに違いないと思う。

ならば変化と時空の実在性を問わざるを得ないはずなのに、
渡辺氏は遍在転生観を科学的実在論と調和させようとしている。

151メビウス@管理者:2012/06/16(土) 21:16:37
「渡辺恒夫-遍在転生観」のページを大幅にスリム化。
他のページでも書いてることを削除した。

152メビウス@管理者:2012/06/22(金) 21:16:30
WikipediaでWas a bee氏が編集した「形而上学的ニヒリズム」にヒントを得て
「パルメニデス」のページを加筆。

形而上学的ニヒリズムは可能世界としてはあり得るような。
でもこの世界ではパルメニデスの論理で不可能性を主張できると思う。
しかし「引き算論法」というのは多様性が前提になっているので
論点先取のような気もする。

153メビウス@管理者:2012/06/23(土) 13:40:38
>>149に関連してるけど、大森氏がカントの物自体にならって
過去を「過去自体」としたのは優れた発想だなと改めて思った。

154メビウス@管理者:2012/06/27(水) 00:55:22
存在論においてどのような時間論の立場を取ったとしても、
最後に問題として残るのは特権的な「今」というリアルな
感覚が持続することだと思う。

自分にとってベルクソンは通り過ぎた人という感じだったけど、
もう一度読み直してみようかな。

他に修正しないといけないページもあるんだけど、
どうにも自分の時間論には、まだ大きく欠如した部分が
あるような気がする。

155メビウス@管理者:2012/06/27(水) 20:27:24
もちろん、その「リアルな持続する〈今〉」も
存在者であるクオリアの「性質」だとすることができる。

しかし、一度「性質」という大きな枠組みを作ってしまうと、
何でもその中に入ってしまうので、かえって何も解答していない
ような気がする。

156メビウス@管理者:2012/06/28(木) 01:28:02
>>149で書いたような、無数の「今」があって、それらが全て「現実性」を
有している、というのは「形而上学的無主体論」で書いたことに通じるわけだけど。
ヒュームは知覚が全て独立した存在者だと考えたけれど、特権的な「今」という
リアルな感覚の持続が説明し辛いことが致命的な弱点だと考えて『人性論』を
封印しようとしたのかも。

しかし、持続が感じられる特権的な「今」が説明し辛いというのは、結局の所、
「今」というリアルな「性質」のクオリアを線形で表現されている時間軸上に
位置づけようとしていることが原因で、時間が実在しないという立場を取れば、
これは問題自体が錯覚だということになるのかも。

大森荘蔵も時間というのは線形で表現できるというのが本質だとベルクソン
を批判したけど、それを私流に換言すれば、「時間の感覚」というクオリアが
線形時間という概念を派生させている、となるような。

つまり再帰的にカントの認識論を選択しているわけだけど。

157メビウス@管理者:2012/06/28(木) 01:34:48
それにしても、クオリアがそれぞれ、リアルな「今」という性質を
もって実在しているというのは、イメージするのは全く不可能。
この辺が人間の思考の限界なのかも。

かつてのヒュームだけでなくチャーマーズも類似の形而上学を
構想してるけど、やはり論理的帰結としてしか語られていない。
まさに「語りえない」もの。

158メビウス@管理者:2012/06/30(土) 01:42:52
クオリアを時間軸上に位置づけるのは間違いとするならば、あるクオリアと他の
クオリアはただ因果的関係として記述できるのみなのかもしれない。

「位置づける」という言葉自体が空間的であるし。
大森氏のいう「過去自体」や、未来と因果関係を持つ、ということのみが表現可能かも。

この点、ウィトゲンシュタインの論理空間内での「事実」同士の関係の類比かも。

159メビウス@管理者:2012/07/03(火) 20:38:53
「一元論」のページを多少加筆修正。
本当はこのページの自分の見解は「パルメニデス」のページに書きたかったこと
なんだけど、atwikiが1ページ50キロバイトまでという糞制限なんで分割せざるを
えなかった。

160メビウス@管理者:2012/07/04(水) 21:25:57
「観念論」と「認知的閉鎖」を微修正。

大森荘蔵を再読しようと思って著作を探してるんだけど、
どうやら引越しの際に大量に消失したもようorz
三年に一回ぐらい引越ししてるんで、引越しの度に本が消える。

161メビウス@管理者:2012/07/19(木) 21:18:29
大森荘蔵の著書で残ったのは2冊だけ。
さすがに失ったのを全部買いなおす気はしないので、野矢茂樹の
『大森荘蔵――哲学の見本』を基に大森哲学をまとめようと思う。
今の大森氏のページは引用だらけで全然なってないし。

野矢氏の本は上手くまとまってると思うけど、かなり突っ込んだ
解釈もあるような気が。
大森氏がアウグスティヌスと同様の時間論を選択したとは思えない。
確かに、『時は流れず』にそういう表現も一部あるのだけど。

162メビウス@管理者:2012/07/19(木) 21:27:05
大森氏が時間の矛盾を自覚しながらも変化を否定し切れなかったのは、
永井氏や入不二氏、そしてマクダカートがつまずいたのと同じ「現実性」の
問題が背景として存在していたからだろうと思う。
これは>>154-157で書いた問題。

163メビウス@管理者:2012/07/19(木) 21:34:49
ここで改めて、ハイデガーやパルメニデスとは違った視点から、そもそも
「在る」とはどういうことなのか問わなければならないような気がする。

時間・変化を存在者の「性質」と考える私の立場からすれば、「在る」とは
現実性を有した存在者そのものであり、その現実性とは、「無いものが在る
ものになる」という性質のことなのだ、と考えるしかないような……。

164メビウス@管理者:2012/07/21(土) 02:07:47
「今」の「リアル」という特権的性質が確かに問題の焦点なんだけど、
そのリアルには確かに「幅」がある。実在としての時間的な幅というのでなく、
「無いものが在るものになる」という性質としての幅。

これは一瞬でも「持続」として感じられるクオリアがそうだともいえるし、
一瞬でなく一年でも一生でも同じことであるような……。

165メビウス@管理者:2012/07/21(土) 02:13:01
入不二氏は「今」が変化して過去になり未来が到来するというのでなく、
変化を否定して「現実性が推移する」と考えたのだけど、
>>164のような考えなら、一生丸ごと「現実性」がある、としても矛盾では
ないような。

166メビウス@管理者:2012/07/23(月) 23:20:52
上で書いた現実性の問題について永井・入不二両氏が対談するそうな。
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=164064&userflg=0

地方に転居したんで行けないけど、まあどうせ両氏の問題提起の仕方から
すると説得力のある論理的な解答は得られないだろうと思うし。

167メビウス@管理者:2012/07/26(木) 21:36:00
>>166のリンク先に
>現実性は可能性や必然性とならんで「様相」の一種だとされる

とあるけど、これは事実そうだろうと思う。
問題はその「在り方」。
永井・入不二両氏はその「在り方」の問い方を間違ってるんじゃないかと思う。

168メビウス@管理者:2012/07/26(木) 21:48:47
「我思うゆえに我あり」というのは現象的意識とされる。
現象的意識とクオリアの違いは、クオリアが単純な知覚であるのに対して
現象的意識は持続的な意識であるとされるが、本質的な違いはない。
「持続的に感じられる」というのも一個のクオリアかもしれないからだ。
ならば「我思うゆえに我あり」も一個のクオリアかもしれない。

ならば、「私は丁度十年前には映画を見ていて、今この瞬間は哲学的問題を
考究している」という思い、またその思いの対象となっている「過去自体」
もこれから先の人生も丸ごと含めて一個のクオリアかもしれない。
これは自分の考えとして「一元論」のページに書いたこと。
で、>>164に書いたんだけど、リアルや現実性というものの本性が、
「無いものが在るものになり、在るものが無いものになる」という感覚で
あれば、それは(時間的な)幅をもっている。
ならば現実性が無くなったと思っている「過去自体」も含め、人生丸ごと
現実性がある、と考えても論理的に間違いではないように思える。

169メビウス@管理者:2012/08/04(土) 22:39:47
永井均が現実性の問題について、〈私〉と他者は「今」と「過去」の類比と
みなしたことは間違いだと指摘したんだけど、私のような時間の実在性を
否定する立場からは、この類比は正しいと思った。
「この今」は「1年前の今」と対等の立場で存在するとみなすから、
なぜ「この今」なんだと現実性を問わざるを得ない。

170メビウス@管理者:2012/08/04(土) 22:43:05
もっとも、三浦俊彦のような立場からすれば「事後確立の誤謬」なのかもしれない。

171メビウス@管理者:2012/08/07(火) 20:50:05
デイヴィッド・ルイスが様相実在論を主張したのは単なるナンセンスだと
思ってたけど、現象主義の立場からは独特の根拠があるかもしれないと
思うような。

172メビウス@管理者:2012/08/07(火) 20:51:56
とりあえず大森荘蔵のページを書き直して、次に永井均のページを
修正する必要がありそう。
今のページは〈私〉のニュアンスの変化を十分フォローしてないような。

173メビウス@管理者:2012/08/10(金) 23:20:39
ようやく「大森荘蔵――立ち現れ一元論」のページまとめおわた。
野矢茂樹の大森本のまとめみたいだけどw

野矢氏も難解で曖昧な大森哲学をよくあれだけ簡潔にまとめたと思う。
かなり恣意的な解釈もあると思うけど。

ページの方はまだ加筆修正が必要かな。
大森氏の最大の欠点は変化を説明できないことだと思う。
これはアウグスティヌスもマクタガートも同様だけど。

174メビウス@管理者:2012/08/10(金) 23:25:43
自分は変化を説明したような気でいるけど、
現実性の問題を棚上げしてるような気がする。

永井氏のページを書き直したら現実性の問題について書いてみようかなと思う。

175メビウス@管理者:2012/08/11(土) 12:42:19
永井・入不二両氏の対談って朝日カルチャーセンターの中之島なんだな。
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=164064&userflg=0

てっきり東京でやるのかと思ってたけど大阪ならなんとか行けそうな。
本にしてくれればありがたいんだけど。

176メビウス@管理者:2012/08/14(火) 00:43:57
朝日カルチャーセンター申し込みしたw
大阪なら2時間ぐらいで行けるし。
現実性の問題は今の自分の最大の関心事でもある。

でもあまり期待してないんだよね。
永井氏、入不二氏とも言語哲学の枠組みで話すだろうと思うし。

糞暑い最中なんでキャンセルするかもw

177メビウス@管理者:2012/08/14(火) 00:50:29
永井氏、入不二氏に質問してみたいとも思うんだけど、
現実性の問題は簡潔に短い時間で質疑応答するのは難しいような。

178メビウス@管理者:2012/08/15(水) 23:13:52
講義参加のために入不二氏のマクタガートを再読。というか4回目。
以前は曖昧に理解してたマクタガートの形而上学をほぼ完全に理解した気がする。
大森荘蔵の時間論とほぼ同じだと思った。
時間が取れればマクタガートのページも作ろうと思う。
心の哲学にも大いに関係するし。

しかし入不二氏が自分の形而上学を述べた部分は説得力に欠ける。
やはり講義も退屈な言語の時制・人称表現の問題とかになりそうな。

179メビウス@管理者:2012/08/18(土) 22:06:36
朝日カルチャーセンター行ってきますた。
大阪駅着いて南口が見えて、さあのんびり歩いて行こうかと思ったら
いきなり豪雨キタorz
駅で40分ほど待って小雨状態になってから向かう。
まぎらわしいことに朝日新聞社ビルは2つあって、最初に入ったビルは間違い。
ようやく到着したのは4時ちょっと前。
受講者数は40人ほど。
平均年齢は40歳ぐらいで思ったより高め。
女性の数は6-7人ぐらいで思ったより少なめ。

講義の内容は明日にでも整理して雑談スレにも書きます。

180メビウス@管理者:2012/08/19(日) 22:13:13
カルチャーセンターでの講義は期待してなかっただけのことはあったw
でも両氏の講義を生で聞けたのは意義があったと思う。
著作だけからはわからない部分というのが見れたし。

講義内容は私の問題意識から外れてたので結局質問はせず。

もしまた大阪で講義があったら、講師が入不二氏なら行くかも。
入不二氏は新宿のカルチャーセンターで講義やってるそうな。
こんなことなら首都圏に住んでた時に行ってれば良かったな。

181メビウス@管理者:2012/08/19(日) 22:24:22
しかし両氏の講義から影として浮かび上がる問題があったと思う。
入不二氏の「現実性」についての問題意識は永井氏の〈私〉とパラレルで、
特権的で、それが全てでありそれしかないというあり方(全一性)ならば、
そんな異質・特殊な性質がぽんぽん生まれたりササッと消えたりするのは
不自然だろうに。二人ともその辺の問題の掘り下げが足りない。
「死んだら現実性はどうなるの?」という質問が出たのは当然でもある。
まあ、永井氏には信仰があるみたいだけど。

改めて、私が存在論の根本問題はパルメニデスのアポリアにあると見たのは
正しいと思ったw

182メビウス@管理者:2012/08/20(月) 21:24:25
結局、心の哲学と同型の問題がある。
性質二元論者が物理主義に対し、クオリアが物質やエネルギーに還元不可能な
排他的性質をもつことを強調すればするほど、ならばそのクオリアはどのように
生まれるのかという問題が浮き彫りにされてくる。
性質二元論者は苦肉の策として原意識みたいなのを想定して汎経験説を主張する
わけだが、それだとトースターやサーモスタットにも意識があるかも……
なんて一種のナンセンスに至ることになる。

183メビウス@管理者:2012/08/20(月) 21:30:02
〈私〉であろうが「現実性」であろうが、それらは物質とかクオリアなど
他に存在するどのようなものとも比較しようの無い性質、他のどのような
性質にも還元不可能な絶対的な排他的性質であるとするならば、それらは
ポンポン生まれてサッサと消えるわけはない。
もし物質の離合集散なんかで説明するなら笑い話になる。

特権性、排他性を強調すればするほど、ならその〈私〉や「現実性」はどの
ように生まれるのか合理的な説明が困難になる。まさに心の哲学のクオリア
問題と同型。

184メビウス@管理者:2012/08/23(木) 00:52:47
大森荘蔵のページを微修正。

次は永井均のページを修正するかな。
その次がマクタガート。

現象報告のパラドックスや心的因果についても書きたいけど、
まだ自分の考えがまとまってないような。

185メビウス@管理者:2012/08/25(土) 21:00:32
永井均のページ修正。

カルチャーセンターで真意を問われた「神を信じてる」という文は
『私・今・そして神』にあった。
思考実験としての神が頻繁に出てくるので記憶に残ってなかったけど、
よく読むとそのくだりは文脈を外れて自分の体験談の脈絡で出てくるので、
これは信仰の告白と受け取られても仕様がない。

永井氏の著作を読んでいる時にいつも感じていた奇妙なバイアスの謎が
ようやく解けた気がする。

186メビウス@管理者:2012/08/27(月) 00:14:31
永井均のページを微修正。

あとデリダの「差延」のページはWikipediaの引用だらけなので消した。
今後同様のページは修正していきたいと思う。

187メビウス@管理者:2012/08/29(水) 23:08:34
ウィトゲンシュタインのページを加筆修正。
なぜウィトゲンシュタインが行動主義を選択したかという脈絡にも言及しといた。
結構間違ってる部分もあった。

188メビウス@管理者:2012/09/06(木) 20:23:55
マクタガートのページを作ろうと思ったけど、
時間の本質について考えざるをえないので後回しにするしかない。
大森氏がそうだったように終生の課題になるかも。

とりあえず多忙な状況が一段落したら心の哲学の関連項目を修正していこう。

189メビウス@管理者:2012/09/07(金) 23:41:22
水槽脳に私の現象主義的な考え方を書き加えた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/35.html

ここには一元論に通じるセオリーもある。

190メビウス@管理者:2012/09/15(土) 22:49:45
大森氏のページを書き直した。
現象主義の立場では意識のハードプロブレムは錯覚問題だと思う。
現象報告のパラドックスや心的因果、随伴現象説も同様。

諸悪の根源は科学実在論を前提とした物理主義のような気がする。

現象主義を勉強しなおしてみようと思う。

191メビウス@管理者:2012/09/19(水) 22:18:06
観念論は二つの系統があるので、それを説明しておく必要がある。

唯物論も実証主義から見れば観念論の一種なんだよね。

192メビウス@管理者:2012/09/22(土) 23:25:50
観念論のページを大幅に修正
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/60.html

種村完司の『知覚のリアリズム』は読んでる途中だけど、各種の知覚・感覚論が
纏っていて読み応えがある。
種村氏は物理主義的な立場なんで違和感のある部分も多いけど。

193メビウス@管理者:2012/09/25(火) 21:08:01
観念論のページで少し言及したけど、
現象主義のページを書き直す際には、本格的な実在論批判をやってみようと思う。

実在論を前提にするから心の哲学の様々な問題が派生するわけで。
科学哲学や科学的実在論の論文や著作を読んでもそのことに言及されてない。

実在論の致命的な弱点は二元論に陥るということだと思う。

194メビウス@管理者:2012/09/30(日) 15:45:07
種村完司は唯物論者でマッハなどを批判しながらも、実在論の立場では
心身問題が解決困難であることを認めている点でまだ誠実だと思う。

戸田山和久の『科学哲学の冒険』では、科学的実在論を擁護しながら、
その最大の欠点である心身問題に全く言及されてなくて呆れた。
科学哲学の入門書としてはいいんだけど、哲学的な感度が足りないw

195メビウス@管理者:2012/10/06(土) 21:37:59
マッハの『時間と空間』を読んだけど、さすがに難しかった。
で、木田元の『マッハとニーチェ』を購入。
マッハの思想と十九世紀の哲学がコンパクトに纏められていてかなり良い。

196メビウス@管理者:2012/10/10(水) 21:04:54
心脳同一説は間違いだと確信するに至った。

クリプキの固定指示詞と、
分割不可能なクオリアと分割可能な物質が同一だとすると堆積のパラドックスが生じること。

「脳の作用」というのも表象の一種。
「赤」という表象と、「赤を生み出すとされる脳の作用という表象」は異なるものであり、
ただ隣接関係にあるということであり、結局物質とはマッハの考えたように「記号」である
とすれば矛盾は無い。
大森氏の「重ね描き」は、ほぼこの意味であると思う。

197メビウス@管理者:2012/10/13(土) 13:29:51
よく調べるとフッサールは心の哲学と関係が薄いので、とりあえずページを消した。
ただ自分のフッサール理解は浅いので、勉強して考えが変われば復活させるかも。

198メビウス@管理者:2012/10/14(日) 00:40:29
現象主義のページを全面的に書き直した。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/124.html

次は実在論のページを書き直そう。

199メビウス@管理者:2012/10/24(水) 20:50:26
モリヌークス問題というのは面白いな。
http://www.furugosho.com/precurseurs/locke/molyneux.htm

200メビウス@管理者:2012/10/25(木) 22:16:22
観念論のページで書いてた自分の実在論批判は消した。
実在論のページでまとめることにする。

201メビウス@管理者:2012/10/28(日) 21:39:55
広松渉の『心身問題』を入手。

広松渉は左翼の哲学者だと思ってたけど、「唯物論と経験批判論」で検索したら
ガチ左翼っぽい人に観念論者だと批判されてるw
マッハ主義に一定の価値を見出しただけでこれだから、イデオロギーの色眼鏡
かけて哲学やってる人はコミュニケーション障害な人たちなんだなと思うw

202メビウス@管理者:2012/11/04(日) 23:23:45
心身並行説を修正。明らかな間違いがあった。
心身並行説の元祖はスピノザなんだから実体二元論でなく中立一元論だ罠。

適当に作ったページを今までチェックせず放置してたorz

203メビウス@管理者:2012/11/08(木) 22:34:47
廣松渉のページを大幅に加筆修正。
まあ、アウトラインだけだけど。

204メビウス@管理者:2012/11/10(土) 14:30:30
ライプニッツも修正の必要があるな。
モナド論はわかったようでわかってないような気がする。

ヒラリー・パトナムその他、Wikipediaを適当に加筆修正しただけのページも
大幅に書き直したい。

実在論のページ書き直しがいつになるかわからん。

205メビウス@管理者:2012/11/11(日) 15:04:01
とりあえずライプニッツのページを加筆修正。
モナド論における自我論は極めて難解。
また時間がとれれば勉強しよう。

206メビウス@管理者:2012/11/11(日) 21:54:21
Wikipediaの「心の哲学」ではライプニッツが心身並行説をとったと書かれてる
のだけど、そこはスピノザとすべきではないかと思う。年代的にも。

確かに予定調和説は並行説の一種ともいえるけど、一般的にはライプニッツの
予定調和説とスピノザの心身並行説は区別して解説されてると思うし。

207メビウス@管理者:2012/11/18(日) 00:28:30
戸田山和久は『科学哲学の冒険』で「道具主義」が独立性テーゼに「Yes」と
書いてあるけど、これは間違いだろう。
小林道夫『科学の世界と心の哲学』では、道具主義はカルナップにより主張され、
素粒子のような理論的存在を、マッハのような現象主義者のように「道具」とみなし、
実在と対応するものではないとする……という主旨のことが書かれてる。

実際、マッハや論理実証主義者のカルナップが取る立場なら独立性テーゼなんか認めるわけないし。

208メビウス@管理者:2012/11/19(月) 20:52:07
「実在論」のページを全面的に書き直した。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/91.html

自分の実在論批判はまだ書いてないけど。

それにしても「反実在論 anti-realism」とは紛らわしい呼称だな。
non-realismと峻別するためにanti-scientific realismとすればよかったのに。
日本語に直訳したやつも思慮が足りないと思う。
自分なら反科学的実在論と意訳するが。

209メビウス@管理者:2012/11/20(火) 23:09:56
>>208
よく調べると反実在論といってもイーアン・ハッキングは存在論的意味も持たせてて、
これは非実在論に近い。
いずれにしても紛らわしいことは確かだけど。

210メビウス@管理者:2012/11/21(水) 23:12:21
実在論のページにヒラリー・パトナムとファン・フラーセンの見解を加筆。

211メビウス@管理者:2012/11/22(木) 23:39:06
バークリーのページを加筆修正。
パトナムについてはWikipediaの方が遥かに充実してるのでメニューから消した。

212メビウス@管理者:2012/11/23(金) 16:56:27
中国語の部屋に自分の見解を加筆。
昨今の機能主義はすでに哲学ではないと思うし。

213メビウス@管理者:2012/11/25(日) 21:48:41
多重実現可能性に自分の見解を加筆。
ひょっとしたら私の解釈は間違ってるかもしれないとも思うけど。

214メビウス@管理者:2012/12/04(火) 22:01:32
ティム・クレイン『心の哲学』を入手。
翻訳の問題かもしれないけど、文章がいまひとつだ。
やはりこの分野ではサールが一番だろうと思う。

215メビウス@管理者:2012/12/11(火) 23:59:32
随伴現象説は心脳同一説に近いのだけど、これはやはり堆積のパラドックスが当てはまる。
それに全ての知識は経験によって得られるとする経験主義に反した大陸合理論的な
主張にも思える。

216メビウス@管理者:2012/12/13(木) 00:16:23
心的因果の問題について自分の見解を書きたいと思うのだけど、来年になりそうな。

「主客未分」の概念を拡大解釈すると因果関係の順序の否定、さらに拡大解釈すると
独今論に至るような……。

217メビウス@管理者:2012/12/16(日) 20:34:05
年末で忙しくなってきたので今年は大きな更新は無理かも。
来年の予定としては、
まず無主体論のページの大幅な書き直し。
実在論批判。
デリダの「差延」の再勉強。差延にはゼノンのパラドックスが内包されてるような?
そして心的因果に自分の見解を加筆。
大森荘蔵の読み直し。
ベルクソンの勉強。

以上を春までにやりたい。

218メビウス@管理者:2012/12/17(月) 20:48:32
デリダの「差延」はどうもひっかかると思ってたけど、
これは時間の実体説(substantivism)を前提にしているからだと思う。
自らに先立った存在者たちを前提にし、それらの「痕跡」があるというなら、
存在を時間的に捉えているということだし。

つまり差延とは、形而上学的な実体概念を批判するために、時間の実体説という
形而上学的な概念を用いているということであり、これは矛盾だと思う。

たとえば、
A = 「私は5時から6時までずっと音楽を聴いていて、最後の曲には感動した」

上の「A」という言葉は、本当にその言葉が指し示す体験と厳密に一致しているのか、という懐疑がある。
ベルクソンは言語と体験の一致の不可能性を指摘したし、大森荘蔵も『時は流れず』でそのベルクソンの洞察に
言及している(p96)。
つまりわれわれの言語とは、体験を「ありのまま」語っているのではなく、語れているのは体験の断片なのだろ
うと思う。

219メビウス@管理者:2012/12/20(木) 20:51:14
デリダは思想家としては面白いんだろうけど、
サールは哲学者としては失格みたいに評してる。
http://d.hatena.ne.jp/katos/20111201/1322730931

結局、文学や芸術の世界で評価された人物ということかな。

220メビウス@管理者:2012/12/23(日) 13:50:52
>>193
>実在論の致命的な弱点は二元論に陥るということだと思う。
今読み直すとこれは間違いだな。
実在論というのは「みかけの現象」と「真にあるもの」の二項対立を前提にしてるから、
実在論イコール(広義の)二元論だ。サールが物理主義批判で言ってたことはこのこと
だったろうと思う。

221メビウス@管理者:2013/01/08(火) 17:33:31
大森荘蔵のページを加筆修正。

「重ね描き」についてはかなり恣意的な解釈かもしれないと思うけど。

222メビウス@管理者:2013/01/08(火) 23:47:13
大森荘蔵のページをさらに加筆。
知覚因果説批判を書き加えた。

しかしその昔、大森氏の本を読んだ時はわからなかったことが今では驚異的なほどに理解できる。
永井氏流の表現だと、問題意識のレベルが大森氏と同じレベルに達したということかもしれない。

223メビウス@管理者:2013/01/12(土) 22:02:13
「人格の同一性」のページを修正。
柴田正良の『ロボットの心』再読したら、そんな単純な物理主義者ではなかった。
実在論論争においても大森氏の「重ね描き」を評価してるし。

224メビウス@管理者:2013/01/14(月) 18:02:36
「現象主義」のページを加筆。

実在論批判をやりたいんだけど、そのためにはバークリーをきっちり読まないといけないような。

225メビウス@管理者:2013/01/17(木) 01:34:09
ライプニッツのモナド論は数学的プラトン主義と類比的かも。

たとえば、「4」というのは唯一の存在であり、なおかつ、自身が「4」であることで
他の全ての数を表象している。
「7」も「13」もその他全ての数は「4」との関係として存在しているのだから。

226メビウス@管理者:2013/01/19(土) 01:44:41
大森氏が他我について、アニミズムというのはおかしいと思った。
「立ち現われ」や「加工主義」批判からして、大森氏は無主体論者であるし、
ならば、一時期の西田幾多郎のように過去の自分と他者を類比的と見るべきだろう。

227メビウス@管理者:2013/01/19(土) 21:28:17
amazonで大森荘蔵著作集見たらべらぼーな値段がついてるw
全巻揃えようとしたら数十万円はかかりそうな。

処分するんじゃなかった。
元から全巻もってたわけじゃないけど。

少しずつ買っていこう。

228メビウス@管理者:2013/01/20(日) 23:32:58
「形而上学的無主体論」のページを大幅に書き直し。
「現象的意識の非論理性」の部分は削除。この問題は重要なので独立したページを
作ろうと思う。

230メビウス@管理者:2013/01/30(水) 21:21:15
またパルメニデスのページを修正。
科学史における時間・空間論を少しながら追加し、
マクタガートの時間論の補足のような感じで、時間の実在性を否定してみた。

232メビウス@管理者:2013/02/01(金) 21:44:27
インド哲学は自分の見解がほとんどないのでメニューから消してWikipeidiaにリンク。
このサイトを始めたときから比べるとWikipeiaもかなり充実してきたので、必要ないページは消していく。

233メビウス@管理者:2013/02/01(金) 21:57:04
しかし地方に転居したんで図書館の蔵書数がへぼくて使い物にならないのが辛い。

234メビウス@管理者:2013/02/02(土) 13:34:41
実在論批判は現象的意識の非論理性とイコールなんだけど、同じページにまとめるか迷う。

実在論は二元論なので心的因果という別の問題もあるからやはり別のページにすべきかも。

235メビウス@管理者:2013/02/02(土) 13:38:20
実在論って要するにプラトン主義なんだよね。
中世普遍論争における普遍実在論と全く同型。
この点も詳しく書いてみたい。

236メビウス@管理者:2013/02/02(土) 23:24:17
ウィトゲンシュタイン全集も高いなあ。
別に金に困ってるわけではないけど、ベルクソンにバークリーにスピノザに大森荘蔵に……

少しずつ買っていこう。

237メビウス@管理者:2013/02/03(日) 23:38:46
デイヴィッド・ヒュームのページを加筆。
かなり穿った解釈かもしれないけど。

238メビウス@管理者:2013/02/04(月) 23:13:36
ヒュームの全集も高いな。
都会に住んでた時は近くに大きな図書館があったから、本なんて全てタダで読めた。
タダで読んで良い本だと思ったやつだけamazonで購入というパターン。

つくづく地方は不便だな。

239メビウス@管理者:2013/02/10(日) 13:56:02
上野修『スピノザの世界』を参考に、スピノザのページを大幅に修正。
孫引きで恐縮だけどw
スピノザの『エチカ』は簡潔な文体なのはいいけど、理論展開にとてもついていけなくて
すぐ投げ出してしまったw
実際、上野氏も解釈に苦しんでいる部分が多いように思った。

しかし上野氏のおかげでスピノザがヒュームの無主体論と紙一重だとわかった。
スピノザの難解さはその辺にあるのだろうと思う。

240メビウス@管理者:2013/02/10(日) 13:58:13
先日、ヒュームのページを書き直したんだけど、自分でも全く満足していない。
ヒュームが知覚の二つの原則を矛盾だとしたことは、もっと深く探求すべきかも。

241メビウス@管理者:2013/02/16(土) 22:24:26
また大森荘蔵のページを加筆修正。

ところで、「創発」は物理主義の立場から主張されたと思ってたけど、この私の理解は正確
ではなかったようだ。
河村次郎の『自我と生命』に、創発とは物理主義的な還元主義に対抗して生まれた概念……
とか書いてある。ティム・クレインの本にも類似のことが書いてあったけれど、意味が明快で
なかったのでスルーしたけど、複数の学者がいうんなら間違いはないだろう。

つまりクオリアが生じる原因についての仮説は三つあり、
1、創発
2、汎経験説(原意識の組み合わせ)
3、還元主義
還元主義に対して創発説が主張され、その創発説に対して汎経験説が主張されている
ということだと思う。

該当ページと関連ページを大幅に書き直さないとな。

242メビウス@管理者:2013/02/17(日) 23:11:02
還元・創発・汎経験説のページを作って、創発説の由来を書いた。
汎経験説対創発説は上のページにリダイレクト。

汎経験説対創発説はあちこちのページで書いてるので徐々に書き直し。

243名無しさん:2013/02/18(月) 01:04:14
パルメニデスの項目で表記に不明なところがありましたの御連絡させていただきました。

つまり、ほんとうに「ない」ものは断じて「ない」のであるが、
それは言葉では表現できないず※、
言語上の「ない」を、あたかも「ある」と対立して実在しているかのように…

細かいことなので申し訳ないですが…。

244メビウス@管理者:2013/02/18(月) 19:39:09
>>243
脱字でしたね。
>それは言葉では表現できないにも拘わらず
と修正しました。

245メビウス@管理者:2013/03/01(金) 16:48:33
ライプニッツの自我論を書き直した。
ようやくモナド論を半分ぐらい理解できた気がする。

246メビウス@管理者:2013/03/03(日) 21:36:36
スーザン・ブラックモアの『「意識」を語る』はインタビュー集で、
色んな哲学者や科学者の意識についての見解がわかるので面白い。
しかし翻訳が酷すぎる。

247メビウス@管理者:2013/03/04(月) 21:15:27
山形浩生は翻訳も酷いけど、あとがきも酷い。
自分の見解を書くのは結構だがチャーマーズやサールが何を問題にしてるのか
理解してるとは思えない。
この人物は博学なのは確かだろうけど、広いけれど浅い知識しか無いんだろうと思う。

248メビウス@管理者:2013/03/09(土) 22:06:50
独今論のページを加筆。また自分の見解ばかり書いてしまった。

今度は現象的意識の非論理性のページを作る予定。
実在論批判も書く予定だったけど、考えてみれば現象的意識の非論理性はそのまま
実在論批判になっているので、一緒にしとこう。

249メビウス@管理者:2013/03/12(火) 00:08:45
やっぱりサールは天才だと思う。
柴田正良が学生たちと「ロボットは心を持てるか」という議論して、
ほとんどの学生は中国語の部屋の思考実験を聞いて「持てない」と
結論してしまうと書いてたし。

250メビウス@管理者:2013/03/16(土) 21:56:50
今までずっと随伴現象説を性質二元論の下位カテゴリーに位置づけていたけど、
よく考えれば間違いだった。
とりあえずメニュー修正。

251メビウス@管理者:2013/03/16(土) 23:24:23
随伴現象説の間違いで書き直すべき所が大量にある。
好きな本ばかり読んでたのがまずかった。
心の哲学の基本的な部分で間違ってたのはがっかり。

しかし随伴現象説は基本的には物理主義なんだよね。
ジェグォン・キムとか。
サールが時に物理主義者と批判される理由がわかる。

252メビウス@管理者:2013/03/17(日) 14:15:05
2ch哲学板で意見交換を試みたけど、やっぱ全然話が通じない。
おまけに異常者がいる。

2chはやめた。
ツイッターやってみよう。

253メビウス@管理者:2013/03/17(日) 23:07:48
還元・創発・汎経験説のページは自分の意見が混合してたので書き直し。
自分の意見は下にまとめた。

254メビウス@管理者:2013/03/19(火) 22:35:30
現象判断のパラドックスを大幅に修正。

255メビウス@管理者:2013/03/20(水) 18:45:23
随伴現象説は思ったより広い意味で使われてる。
性質二元論とは還元についての立場があきらかに違うにも関わらず、
性質二元論の一種として解説してるケースもある。
しかも、必ずしも創発説を前提としているわけではない。
創発概念もエックルスは特別な定義をしてるし。
サールが創発を認めながら随伴現象説を否定するのは矛盾だと思うし。
なんでこんなに混乱してるのやら。

本格的に調べて書き直しだな。

256メビウス@管理者:2013/03/20(水) 22:00:16
とりあえず創発説や随伴現象説、それらと性質二元論の関係の
曖昧さを考慮して各ページを微修正した。

茂木健一郎は随伴現象説と性質二元論を同一視してるようだが、
両者は明らかに異なるはず。
スピノザやラッセルは「随伴して生じる」なんて表現はしないし。

257メビウス@管理者:2013/03/21(木) 20:48:32
心脳同一説と性質二元論の違いの説明方法を変えてみた。
今回の方がわかりやすいと思う。

258メビウス@管理者:2013/03/22(金) 22:19:06
ツイッターのアカウントを取得したので茂木氏に随伴現象説の件で質問しようかと
思ったけど、40万以上フォロワーいるしw
とても回答は期待できないのでマイナーな哲学者に質問しようかなとも思うけど、
心の哲学者でツイッターやってる人は少ないな。

とりあえず付随性のページは自分で調べられる範囲のもので書き直した。

259メビウス@管理者:2013/03/24(日) 21:36:22
付随性は随伴現象説だけの問題ではないのでメニューを修正。
書き直した上で心的因果の下位カテゴリーに移した。

太田雅子はツイッターやってるみたいだけど一般公開してないな。
入不二基義は身辺雑記ばかりで哲学的つぶやきはしてないし。
しようがないので放置してたmixiのアカウントから哲学関連コミュニティ
を探してみる。

260メビウス@管理者:2013/03/25(月) 23:33:04
英wikiでも創発説と随伴現象説は峻別されてるな。
Epiphenomenalismのページ見ると、
mental phenomena are caused by physical processesとあって、
emergenceやemergentは使われていない。
ティム・クレインの本では付随性と創発主義の微妙な違いが書かれてあった。
ややこしいことにチャーマーズとディヴィドソンでは付随性のニュアンスが違う。

付随性、随伴現象説、創発主義は、字義だけ見ると同一の心身関係論を説明する
言葉のように解釈できるけど、心の哲学ではきちんと区別されているということだ。

261メビウス@管理者:2013/03/26(火) 21:12:23
ジェグォン・キムを随伴現象説に分類してたけど、微妙なので外して、
チャーマーズの分類通りフランク・ジャクソンに変えた。
キムの主張は見方によっては随伴現象説なんだけど、中立一元論にも思える。
太田雅子の本を読めば詳しいことがわかると思うけど、正直そこまで細かい
議論には興味が無いし。

262メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/03/27(水) 20:43:32
トリップ付けてみる。

263メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/03/27(水) 20:50:25
心の哲学の限界が見えてきた。
所詮実在論だし。実在論とは二元論のことでもある。
物理主義は一元論の範疇にされてるけど、サールが看破したように還元、または消去
しようとする「心的」なるものを認めていることになる。

本当の一元論は現象主義または観念論だけ。

264メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/03/29(金) 21:12:29
大森荘蔵の弟子は沢山いるけど、現象主義を継承した人物がいないのは、
今の時代現象主義ではメシが食えないからだと思う。
心身問題での大森氏の探究には優れたものがあるのに、現代の心の哲学には
ほとんど生かされていないような。
日本人学者の著作には大森氏を引用してるケースは結構あるけど、英語圏の学者が
引用してるのは未だに見たことが無い。
英語語圏の学者は傲慢だな……というより、可哀想だなと思う。
学者にとって一番不幸なのは価値ある情報を知らないことだろう。

265メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/03/31(日) 21:33:32
橋元淳一郎『時間はどこで生まれるのか』を読了。
私とほぼ同じ考え。つまり橋元氏はマクタガートのいう「C系列」論者。
そしてC系列は時間ではないから時間は実在しないという。

しかし現代の物理学者は時間は実在しないという立場の者が多いと書かれてるんだけど、
例として挙げられてるのはジョン・ホイラーだけというのは不満。
ちなみに内井惣七の本ではジュリアン・ハーバーが非実在論者として挙げられていた。
また中島義道の本には、ほとんどの物理学者は出来事の実在性を取り、時間の実在性を
捨てていると書かれてたんだけど、具体的な科学者名はなかった。

たぶん中島氏は相対論でいう「事象」を「出来事」と解釈したのだと思う。

266メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/03/31(日) 21:45:07
アインシュタインは現在過去未来の区別が幻想だって言ってたし。
もっとも、その相対論解釈だけではC系列に直結しないと思うけど。

橋元氏は、「この宇宙はただ存在するだけの相対論的C系列で、ミンコフスキー空間という
時空に描かれた一枚の絵」という(p.132)。
この解釈も、思考のプロセスは全然違うけど私と同じw
おまけに、「われわれの宇宙が相対論的C系列であるとすれば、あらゆる事象は在るがままに在る」(p.155)
という部分を読んだ時は、橋元氏は私のサイトを見てるんじゃないかと思ったw
でも出版が2006年だから私のサイトは関係なし。

要するに、時間の実在性を否定した上で、無主体論を徹底すると必然的にこのような解釈に到達するという
ことなのだろうと思う。
橋元氏は物理学的な思考プロセス、私は哲学的な思考プロセスだけど、結論はほぼ全く同じ。
また他の時間論の本ではないがしろにされがちな空間についても実在性を積極的に否定してるので、
よくここまで一致するものだと感心してしまったw

ちょっと残念なのは、橋元氏に哲学的な知識が不足してることだな。

267メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/01(月) 23:34:59
クオリアのページに意識とクオリアの違いを加筆。
サールや茂木氏の、意識は常に質的であるという考えは尤もだと思う。

268メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/04(木) 22:48:29
心の哲学者で時間・空間について論じてる人物はほとんどいないのは残念。
チャーマーズが情報の二相理論で僅かに時空の問題に言及している程度だな。

心的なものは非空間的、物的なものは空間的というデカルトの二文法を否定するには、
時空の哲学は不可欠だと思う。
結局、現代の心の哲学者はデカルトの手の平で踊っているだけと思える。
二元論を前提にする限り心身問題に合理的な解答を与えることは不可能だろう。

269メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/06(土) 23:47:47
植村恒一郎の『時間の本性』は変化の問題を考察してる点で、
他の時間論本より優れていると思う。基本はベルクソンなんだけど。

植村氏は「出来事」が最も根源的な概念と考え、出来事とは変化だから、
出来事自体は変化しないという立場。
私と近い考えなんだけど、植村氏は「私」という主体を天下り的に想定してる点が不満。
これで無主体論を前提にすれば私や橋元淳一郎みたいなC系列論者になると思う。

270メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/06(土) 23:55:35
植村氏の場合、「私」という主体を想定しているために「人生丸ごと現在」
という中途半端な主張になっている。

橋元氏の場合、「あらゆる事象は在るがままに在る」と、個人の人生の
現在性を超えて、より完成度の高い形而上学になっている。

271メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/07(日) 21:27:13
人格の同一性のページを微修正。

ベルクソンのページはWikipediaの方が遥かに充実してるのでメニューから消した。

272メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/07(日) 21:30:54
植村氏の時間論にはいくつか重要な問題がある。
ひとつは人格の同一性問題がないがしろにされていること。
人生そのものを「持続」というのはパーフィットが批判した非還元主義の立場。
ならばパーフィットのスペクトラムの思考実験に合理的に答えなければならない。

273メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/07(日) 21:38:13
もうひとつは「絶対無」と、ベルクソンが洞察した存在の否定としての無、
いわば「擬似無」とを混同していること。
変化や消滅の概念を含む「持続」や「出来事」が根本概念だというのは、
認識論的に正しくても、存在論的に重要な問題が派生する。
存在論的には、出来事は不可能なものを含むことはできないからだ。
つまり出来事に含まれている消滅とは擬似無でなければならない。
絶対無が含まれているなら持続した出来事にはならない。

274メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/07(日) 21:47:25
しかし出来事が無矛盾な全一的な存在者だとしたら、それは絶対無から生じた
ことになる。絶対無から生じていないというなら、擬似無から生じたことに
なり、人生が始まる前から出来事は持続していることになる。
また人生の終わりに絶対無になるというのも、論理的不可能性がある。

橋元氏の「あらゆる事象は在るがままに在る」という相対論解釈による
形而上学は、個人の生を超えており、植村氏の矛盾を解消している。

275メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/07(日) 21:51:46
植村氏が現象主義を前提にするならともかく、バークリーを批判して
実在論を肯定した上で、非還元主義的な「出来事」を提唱するのは無理がある。

276メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/09(火) 23:09:12
ようやく「現象的意識の非論理性」のページが完成。とりあえずだけど。

>>265-266で紹介した橋元淳一郎の見解はどれぐらい形而上学的含意が
あるのか微妙なのだけど、私の見解と極めて近いので再考した上で
載せるかも。

277メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/11(木) 21:05:02
橋元氏の残念なのは自我論がないこと。
時間の実在を否定するなら人格の同一性についての考察が不可欠だ。
逆に時間の実在を肯定する立場でも人格の同一性は問題になるので、
橋元氏も植村氏も同様の瑕疵がある。

278メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/15(月) 21:29:19
マリーの部屋のページを大幅に修正。
フランク・ジャクソンは物理主義的な表象主義に転向したので、表象主義の
ページを作ろうと思う。

あと大森荘蔵の「重ね描き」も独自の心身関係論として、独立したページに
しようと思う。

279メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/19(金) 21:22:12
ようやく表象主義のページが完成。

しかし表象主義の細部は疑問だらけ。機能主義の問題点を少しも克服してないように思える。

といっても資料が少なかったので正確に理解してるか疑問がある。
手持ちの本では信原氏の入門書で僅かに言及されてた程度。
後はネット上で拾える論文を寄せ集めて、それを要約したというレベル。

心の哲学で表象主義が注目され始めたのはジャクソンの転向から考えると
2000年前後ぐらいからだから、まだ研究成果も少ないということかも。

280メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/21(日) 21:30:50
「言語的批判」のページは消すかどうか難しいところ。
大森氏の「重ね描き」を独立したページにするなら、必要なくなるような。
重ね描きは明らかにウィトゲンシュタインの洞察、つまり言語的批判を出発点にしてる。

281メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/21(日) 21:40:39
ウィトゲンシュタインの<独我論と実在論の一致>で心身問題は終わったという見方はできるけど。
しかし事情が変わったのは20世紀後半の脳科学の劇的な進捗で、このため心の哲学は自然主義、
科学的実在論を前提にせざるを得なくなった。
ウィトゲンシュタインや大森氏の洗礼を受けているはずの野矢茂樹があえて実在論を
選択したのもそいう背景があったからだろうし。大森氏が晩年脳科学に拘った理由でもある。

それでも大森氏は基礎付け主義を放棄せず「重ね描き」で現象主義を貫徹したのだから、
凡百の哲学者とは器が違うな。

282メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/24(水) 20:30:16
心の哲学全般のページを加筆修正。

あと大森荘蔵のページを修正すれば、このまとめサイトも一応完成だな。
細かい部分の修正は定期的にやる必要があるだろうけど。

サイト完成したらのんびり好きな本読んでみたい。
2chの軍事板にも戻ってみるか、と思って久しぶりに見たら良コテは
ほとんどいなくなっているんだな。残念。

283メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/27(土) 23:28:46
大森荘蔵のページを加筆修正。
「無主体論と独今論」というテーマで大森氏がなぜ最終的に独今論に到達したかを
私の独今論解釈で書き加えた。かなり恣意的な解釈かもしれないと思うけど。

以前書いたヒュームの問題は大森氏の無主体論の問題と同じだと思うので、
ヒュームのページも修正する必要がありそうな。

284メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/27(土) 23:31:15
あと「重ね描き」を主要な説のカテゴリーに加えた。
独立したページを作るつもりだったけど、重ね描きは大森哲学全体から不可分なので、
大森氏のページ内にリンクした。

私としては、重ね描きで心身問題は「解消」していると思っている。
「解決」ではないのがポイントである。

285メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/02(木) 00:19:16
「無主体論と独今論」はまだ書き直しが必要っぽい。
大森氏はアウグスティヌスらの独今論に接近する過程で、なぜヒュームの
抱えた人格の同一性問題に言及しなかったかと疑問に思う。

あと「形而上学的無主体論」のページは自分でも満足してないのでとりあえず消した。
書き直しは何年後になるやら。

286メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/02(木) 00:23:07
「対戦型哲学史」の人のウィトゲンシュタイン解釈は優れたものだと思うが。
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card15987.html

しかしウィトゲンシュタインがもしラッセル並に長生きしてたなら、
やはり大森氏のように知覚因果説を検証せざるを得なかったかもしれない。

287メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/03(金) 21:10:04
各ページを微修正。

ベルクソンは「無」を認めなかったから「純粋持続」の終焉の解釈で苦慮したような。
霊魂研究とかw
いっそ独今論の立場を選択すればよかったと思うけど。
純粋持続を評価していた大森氏は最終的に独今論を選択したし。
ベルクソンはマクタガートと同時代の人なんだけど、どれだけマクタガート
を知ってたのだろう。

288メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/04(土) 21:35:20
ベルクソンは主体である「私」を放棄できなかったのだと思う。
その点、永井均と共通してるような。
永井氏も神や魂を信じてるみたいだし。

「実在」や「私」に拘る限り救いようの無い不合理を抱え込んでしまう。
だから私は無主体論と独今論を選択した。
大森氏もおそらく私と類似の理由で、思考プロセスは違えど同じ結論に至ったのだと思う。

289メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/05(日) 23:23:00
ヒュームのページを修正。大森氏のページで書いた自分の見解と整合性を持たせた。

無主体論は、よく指摘されるように理解不能な考え方だが、それでいいような気がする。
「汝自身を知れ(know thyself)」という格言は紀元前からあったそうだけど、
結局、カントがいうように人間は思考の様式が制限されているので、
「私自身」の本当のあり方は理解できないのだろうと思う。

290メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/07(火) 23:12:23
中国語の部屋のページを加筆修正。

この思考実験で心の哲学における機能主義は終わってると思う。
認知科学には機能主義の役割はあるんだろうけど。

291メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/10(金) 23:31:17
大森荘蔵のページを微修正。いくつか間違いがあった。

まだ加筆が必要な気が。
知覚因果説を否定するのはよいとして、野矢茂樹も指摘してるように、
「因果関係」の問題が解消したわけではないような。

この点には私なりの見解があるのだけど。

292メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/12(日) 21:21:55
クオリアのページに自分の見解を加筆。

言語的批判のページはとりあえず消した。
この問題をやろうとしたら後期ウィトゲンシュタインやクワインを本格的に勉強する
必要があるだろうし、そんな時間もない。

まあ、クリプキによって分析哲学における形而上学は復活したというのが一般的な
理解だから、言語的批判はとりあえずスルーしてもいいかも。

294メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/21(火) 21:18:12
マイケル・ダメットのマクタガート解釈は多くの論者が言及してるので『真理という謎』を購入。
マクタガートに関する論文は短い内容だったが、久しぶりに知的興奮を味わえた。

ダメットはマクタガートの時間論から、

A:時間の内に存在するものは、状況依存的表現なしに(世界の)描写はできない
B:実在には、観察者に依存しない完全な描写が原理的にありうる

という二つを読み取り、両者が矛盾するとした。
時間についての、ミンコフスキー空間のような客観的描写には動的な変化が描かれないから。
これは「描かれた運動は、運動そのものではない」というベルクソンの洞察と同じ。

295メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/21(火) 21:20:57
両者が矛盾するためマクタガートは時間の非実在を選択したというのがダメットの解釈。
しかしダメットは実在を認めて、認識の可能性、つまり科学的実在論を拒否する。
これがダメットの「反実在論」。

296メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/23(木) 20:50:42
ダメットの解釈は橋元淳一郎の解釈と部分的な共通性がある。
橋元氏はC系列論者でダメットとは異なるが、それでも「変化している現在」、
つまりA系列は認めざるを得ず、それを「人間の意志」で創られるとしている。
その辺の説明は実に不合理で、まあ橋元氏は哲学者ではないので仕方ないかなと。

297メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/27(月) 23:04:02
三浦俊彦『ラッセルのパラドックス』は、ラッセルの思想の変遷がよくわかる良書だった。
前述のダメットや橋元淳一郎の本といい、最近購入した本は「当たり」が多いw

ただ、ラッセルが後期ウィトゲンシュタインに反発して、あくまで実在の探究に拘ったのは無神論者
だったからだと思うが、その点への言及はなかった。
ウィトゲンシュタインの信仰とラッセルの無神論は、両者の哲学の重要な「根」だと思うんだが。

298メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/01(土) 20:35:06
三浦氏の本を参考にラッセルのページを書き直したいと思うんだが、
晩年のラッセルの思想は複雑難解すぎる。体系的にまとめようとしたら
タイプ理論から説明する必要がありそうな。
つまりラッセルは「中立一元論」とはいっても、それは巨大な哲学体系から
必然的に導かれた立場だということで。

299メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/02(日) 19:24:03
三浦氏はチャーマーズと共通点が多いな。
クリプキに心酔してる点。ラッセルから大きな影響を受けて点。
チャーマーズは数理エリートだったし、三浦氏は論理学者。

論理を重視する人としての共通性があるということかな。

300メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/08(土) 13:33:12
ラッセルのページを加筆修正。
ラッセルの哲学はホワイトヘッドから大きな影響を受けてるというので、
中村昇『ホワイトヘッドの哲学』を購入。
とりあえずホワイトヘッド哲学のアウトラインだけ理解。
ベルクソンとそっくりだなと思ったら、やはりそういう指摘はあるんだな。

301メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/08(土) 20:46:54
三浦俊彦は「クリプキの論説のわかりやすさは群を抜いている」と絶賛するわけだけど。
http://members.jcom.home.ne.jp/miurat/kripke-s.htm

『名指しと必然性』は私も読んだが、同一性の成立についての論説は説得力に欠けていると思うが。

302メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/09(日) 15:35:14
ラッセルの無主体論は優れた考察だと思ったが、
しかし肉体を主体として想定する限り知覚因果説の難点を抱え込むはず。
これはシュリック、ストローソンにも共通する。

知覚因果説のページを作るべきかもしれない。

303メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/09(日) 15:48:27
ラッセルが終わったのでウィトゲンシュタインのページも書き直したい。
ただしウィトの哲学全体を把握するのは無理なので、独我論に絞ってみる。

『論考』の独我論解釈は入不二基義の解釈でいいと思うんだけど、
『探究』はどうかな。入不二氏は『探究』にまで言及してないし。

しばらく前からウィトの著作を読み直してるんだけど、以前に比べると
だいぶ理解できるようになった気がする。
やはり永井均が書いてたみたいに、ウィトの哲学全体は(特殊な)独我論を
前提に成り立っているような心証がある。

304メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/10(月) 23:08:46
無主体論のページを加筆修正。
シュリックはラッセルの影響が強いように思うけど、入不二氏は書いてなかったな。

あと存在論的差異のページはとりあえず消した。
自分のハイデガー解釈には疑問がある。
もう一回勉強しなおそうと思うが、何年先になるやらだな。

305メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/13(木) 20:47:36
随伴現象説のページを修正。
近年では「随伴現象説」という言葉はネガティブなイメージしかもっていない。
20世紀初頭には随伴現象説は広く受け入れられていたみたいだけど。
ウィトゲンシュタインの『探究』でも随伴現象説が言及されてるんだよね。

現在、随伴現象説を主張してる学者は皆無だと思うが、茂木健一郎はそれっぽい
ことを書いているような。でも中立一元論とも受け取れるので真意は不明。

306メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/14(金) 20:39:01
現象主義のページを微修正。
「ブントが要素主義を批判した」という間違いがあった。
「ブントに代表される要素主義」と修正。

あと、知覚因果の説明が現象主義では難しいことを書き加えた。

307メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/16(日) 12:40:37
知覚因果説のページを作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/141.html

どちらかというと現象主義寄りの解説だけど。

野矢茂樹は私や大森荘蔵とは別の観点から知覚因果を否定してるみたいな。

308メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/18(火) 21:07:28
野矢茂樹の『哲学・航海日誌』の他我論は実に興味深い。

以前、私も大森荘蔵の他我論に違和感を抱いて、自我と他我には実は明確な
境界などないのではないかと考えたことがあるんだけど、野矢氏もそれに近い
ことを書いている。
ただ私の場合は実在論を否定するわけだけど、野矢氏の場合はそこまで行っていない。

309メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/18(火) 21:14:32
しかし、野矢氏は「逆転スペクトル」に対して、永井均と同じような批判をしてる。
永井氏のページでも書いたことなんだけど、想像可能性論法の意味がわかってないと
しか思えない。
ウィトゲンシュタインの私的言語批判を牽強付会してるけど、私的言語は関係ないし。

ウィトゲンシュタインのページを修正し終わったら、「ウィトゲンシュタインの誤用」
というテーマで野矢氏の批判をしてみようと思う。

310メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/21(金) 20:39:38
もう少し野矢茂樹を読んでみようと『同一性・変化・時間』を購入。
私の問題意識と重なってるタイトルだし。

ところが内容はがっかり。問題意識が浅すぎる。
永井均の言い方だと「哲学的感度が低い」。

偶然だろうけど、同じく大森荘蔵の弟子である植村恒一郎の『時間の本性』も
同じ2002年に出版されてる。でもこちらはかなり哲学的感度が高い。

大森氏の弟子同士、時間について議論してなかったのかな。
シンポジウムで会うことはあったみたいだけど。

311メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/23(日) 22:40:55
「他我とは自我である」なんてアクロバットな思想を持ってるのは渡辺恒夫と私ぐらい
なものだろうと思ってたけど、>>308で書いた野矢茂樹もそれに近いことを言ってるし、
森岡正博も類似の主張をしてる。
http://www.lifestudies.org/jp/taga01.htm
森岡氏によると、「私の心と他人の心はまったく同じである」という発想を最初に提唱したのは
1984年の平山朝治らしい。

平山氏の本を入手して渡辺氏のページを加筆しようと思う。

312メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/23(日) 22:48:03
空間の実在性を否定するのは時間の実在性を否定するより遥かにたやすい。
さらに「自我」を否定する無主体論の立場をとるのなら、「他我とは自我である」
という発想は必然的に生まれる。一時期の西田幾多郎もその可能性に言及した。

しかし大森氏は他我問題を「アニミズム」で片付けたんだよね。
それが不満。
この不満だけは野矢氏と共有できるw

313メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/25(火) 21:09:47
ウィトゲンシュタインのページを大幅に修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/75.html
独我論と心の哲学に関連した部分のみに絞ってまとめた。
「派生問題」として書いていた自分の見解は疑問が生じたので、とりあえず消した。

以前に比べればだいぶ理解できるようになったけど、やはり『探究』は意味不明の
部分が多い。
大森氏は第Ⅱ部の解読を諦めたそうだけど。

314メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/27(木) 21:05:49
入不二基義『時間と絶対と相対と』の書評。

入不二氏は「変化こそ時間にとって本質である」というマクタガートのA系列を
「動く今」として解釈する。(p.27)つまり「PがQに変化する」場合、
t1という時点でPという状態であること、t2という時点でQという状態に
あることは共に真であり、ここに変化はない。
「t1という時点でPという状態である」そのこと自体が、未来である状態から
現在へと到来し、過去へと消え去る。これが「(A系列の)変化」である、という。
世界の中の「状態変化」が全て凍りついて止まったとしても、その静止した
世界自体が、過去のものとなっていく「時間変化」こそが、〈今〉の運動なの
である、とA系列を定義する。

――この解釈は矛盾がある。世界が凍り付いて変化が生じないなら、「t1という時点でPという状態である」
という出来事も生じないのだから、〈今〉の運動も生じなくなる。

317メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/27(木) 22:14:28
入不二氏は「動く今」、つまりA系列は誤解であるという。(pp.34-36)
〈今〉は並立のありえない単独の様相であり、〈今〉という自己同一体が、
複数の時点間を移動しているのでなく、まったく新たな〈今〉がそのつど
生まれていると言った方がよい、という。
「時間の要」としての〈今〉は、同時性という意味での〈今〉でもなく、
「動く今」でもない、まさに現実化している〈今〉(〈今〉の現実性)こそが、
第三の〈今〉である、という。

――この入不二氏の主張には同意するが、これはマクタガートのA系列(「現在」が
なくなって「過去」になるという変化)に含意されているものである。
マクタガートも(A系列においては)過去と未来の実在性を認めているわけではない。
入不二氏の分析にはマクタガートの認識論と存在論の混同が散見される。

318メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/27(木) 22:19:55
「変化」とは矛盾を孕むものである。変化と同一性は両立しない。

入不二氏も前述のように「t1という時点でPという状態であること、t2という時点で
Qという状態にあることは共に真であり、ここに変化はない」と変化の矛盾を認めている。
ならば、なぜ人は「同一であるものが変化する」と認識するのか、という問題がある。

マクタガートは、出来事が変化しながらも「同一」のままにしておける特性として、
「出来事Aが、未来であり、現在になり、過去になる、という時間様相の変化を被る」
ということによって、変化と同一性の認識が成立すると考える。
(ただし、その時間の三様相が矛盾するため時間の非実在を主張する)

入不二氏は、同一不変の出来事が、未来の方から現在へと到来するという考え方の錯誤を
指摘する。未来は「ない」のだからという理由である(p.40)。
C.D.ブロードの考察も援用される。

しかし、この批判はマクタガートの論旨を捉え損なっている。マクタガートは
「時間概念(出来事が変化しながらも同一であると理解される)」の成り立ち
を認識論的に分析しているのである。つまり時間の矛盾を主張するための前段階の
レトリックであり、未来が存在論的に「ない」ことは問題にならない。
これが入不二氏はマクタガートの認識論と存在論の混同ということである。

319<削除>:<削除>
<削除>

320メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/28(金) 20:15:24
入不二氏は、時間特有の変化は、変化の中から取り出される固定的なものに対しての、
さらに高階の変化として、どこまでも高階化するのでなければならない、という(pp.106-107)。
これは>>314で書いたような、
>「t1という時点でPという状態である」そのこと自体が、未来である状態から現在へと到来し、過去へと消え去る。
ということをYとして表現するならば、そのY自体も、未来である状態から現在へと到来し、過去へと消え去る……(無限)
というわけであり、無限後退を時間の本質として肯定しようとする。

――この入不二氏の考えには同意する。ただしこれはマクタガートのA系列と対立するものでなく、
A系列から必然的に導出される理論である。
「現在」なるものが未来から徐々に到来して現実化し、過去へ無限に退行していく……。
このA系列は高階性を包含している。

321メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/28(金) 20:27:26
A系列論者とB系列論者の論争に対し、入不二氏は第三の解釈として、過去・現在・未来が両立不可能なのは、
それらが異なる概念だからというのでなく、「ある」現在と「ない」未来・過去との動的排他性だと主張する。(p.112)
また、赤と青の排他的な関係でなく、むしろ現在の赤と過去の赤を並べて比べることの不可能性に相当する、という(p.126)

――この入不二氏の解釈もA系列に既に含意されていたものである。
>>317で述べたようにA系列論者は過去と未来の実在を認めているわけではない。
即ちA系列論者が時制の「概念」によってのみ排他性を主張しているという入不二氏の理解が間違いである。
マクタガートも「ある」現在が「ない」過去になるということを、時間特有の変化と捉えていた。
その存在論的な問題を現在・過去・未来という概念で表現したのが、A系列という認識論的表現なのである。

322メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/28(金) 20:36:57
入不二氏は上の問題と関連して、時間特有の変化とは、
「端的な現在の現実性(これ)こそが過ぎ去るのでなければならない」という(p.117)。
これは>>317の「新たな〈今〉がそのつど生まれている」ということの表裏である。
この主張は『時間は実在するか』でも見られた。「現実性」の概念は入不二氏の形而上学の中核であり、永井均の〈私〉に近似する。

――この入不二氏の考えに対しては、存在論の最深部に到達しておきながら、存在論の核心問題を捉えそこなったという心証を抱く。
全一的な「現在(現実性)」が過ぎ去り、新たな「現在」が到来するということは、入不二氏も認めた排他的な「ある」が
「ない」になり、「ない」が「ある」になることである。これは「無からは何も生じない」という存在論の根本的信念に
ついて論じなければいけないはずである。
事実、植村恒一郎は『時間の本性』でこの問題について論じている。論じないのは、重大な瑕疵であると批判せざるを得ない。

323メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/01(月) 20:59:59
言語的批判のページを復活させて加筆修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/29.html

野矢茂樹と永井均によるクオリア批判を「ウィトゲンシュタインの誤用」として批判した。

324メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/01(月) 21:09:19
今後の予定。

>>320で書いた入不二氏の時間の高階性という問題が、意識の高階性に繋がるか研究してみる。
ややこしいことにクオリアを意識の「高階の性質」という人がいる。

あと、平山朝治の著作を入手したので、森岡氏の論文と併せて研究し、
渡辺恒夫のページを修正しよう。

あと、大森氏のまだ読んでない著作を購入して「重ね描き」に潜在する難問の研究。

325メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/02(火) 20:42:11
言語的批判のページの私の見解部分を微修正。
語の「指示対象」と書くとフレーゲみたいで、その後に引用しているウィトゲンシュタイン
と矛盾するようなので。

326メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/02(火) 20:45:16
野矢氏に関してこんなのを見つけた。
東大生だと思うけど、2011年にこんなシケプリを作成してる。逆転スペクトルその他について。
http://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/lindoc-s3/documents/1013/files/2b096fba28128c869919671a2848fdf93f57191b.pdf?1328155842
>日常の振る舞いで齟齬が起きていないものに亀裂を生じさせるような懐疑を公共言語で
>表現できるわけない。公共言語でそのような懐疑を理解できたと思っていても、
>本当は理解できていないのである。

もちろん野矢氏の本を参考にしてるわけだが、こんな間違ったこと覚えていいのかとw
知覚一元論に対する(野矢氏の)理解も浅い。

327メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/02(火) 21:01:07
野矢氏は単にウィトゲンシュタインを引用したくて逆転スペクトルに私的言語を牽強付会してるとしか思えない。
ウィト妄信者にありがちなこと。

私のウィトに対する評価は野矢氏ほど高くない。
独我論と言語哲学について優れた考察を行ったことは認めるものの、
文法至上主義は「現象主義の劣化バージョン」というべきものだ。

われわれは言語でしか哲学を語れないのだから言語の射程を超えたものについては語れない――
これは当然だが、「現象を超えたものについては語れない」という現象主義の思考型と同じ。
異なるのは、「言語」そのものが「現象」の一部に過ぎないということ。
だから現象主義の劣化バージョンである。

ジョン・サールは言語哲学が専門だったが、「言語の哲学は心の哲学の一部門にほかならない」
という理由で、研究の中心を心の哲学に移した。

サールの姿勢はもっともである。

328メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/04(木) 20:35:56
逆転クオリアの思考実験をアレンジしてみた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/41.html#id_219ee2f3

野矢氏や永井氏は「本当の色」なんてないという立場だが、私はありうるという立場。

329メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/07(日) 21:38:46
森田邦久『科学哲学講義』と内井惣七「量子重力と哲学」を参考に実在論のページを加筆。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/91.html

330メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/13(土) 19:56:20
ジェグォン・キムの「付随的因果」とは上手く考えたものだと感心してしまう。
ちょっと調べて独立したページにしようかと思う。

331メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/23(火) 20:28:50
ここしばらく時間論に夢中になっていたのだけど、ちょっと心の哲学に戻ってみる。
大田雅子『心のありか』を参考に各ページを修正していく。

332メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/24(水) 21:46:29
永井均のページから言語的批判のページと重複している部分を削除。

あと心的因果のページを加筆。
太田さんの本を読むと性質二元論でも心的因果は擁護できないようだ。
結局、「重ね描き」で解消するしかないと思うんだが。

333名無しさん:2013/09/02(月) 20:02:57
動物の心のページを微修正。
自分の考えも多少変わってきた。

339メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/09/27(金) 20:00:06
時間論のページ作成で行き詰った。
B論者といっても立場がさまざまなのはわかるけど、どの程度存在論的な主張をしているのかが微妙だ。

340メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/10/07(月) 19:51:29
実在論のページは修正が必要。
大森荘蔵のページも加筆が必要。
色んなページが中途半端な状態だ。

時間論のまとめが終わったら取り掛かろう。
来月になりそうだ。

341メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/10/10(木) 22:37:06
とりあえず「時間と空間の哲学」のページを作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/142.html

まだまだ加筆修正が必要だ。

342メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/10/13(日) 22:29:43
「独今論」という語は永井さんのバイアスが強すぎるので、この語を使うのはやめにする。
関連ページを書き直さなきゃいかん。

343メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/10/23(水) 19:54:35
大森荘蔵のページを大幅に加筆修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/106.html

344メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/10/29(火) 20:01:19
実在論のページは大幅な書き直しが必要なようだ。
今日の実在論論争は非常に複雑になっているので、実在論VS非実在論の二分法
では粗雑に過ぎる。

347メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/03(日) 13:10:17
心の哲学は科学的実在論を前提にしてると書いていたんだけど、これは間違いだと思った。
心の哲学は自然主義が大前提なので「自然な存在論的態度」であり、これは実用的実在論が
前提である――

そう思って書き直したんだけど、やはりこれも間違いの可能性がある。

348メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/03(日) 13:19:36
自然主義では実在論論争にはコミットしない。
しかし心の哲学では、たとえば唯物論では「物質だけが実在である」と、
明らかに形而上学的実在論の主張をしている。二元論も同様。
心の哲学は実在論論争にコミットせざるを得ない。

しかし今日の科学哲学における実在論論争は科学的実在論の認識論・知識テーゼ
を巡るものが中心となっているので、存在論的問題が俎上に載ることは少ない。

349メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/03(日) 13:30:30
結局、心の哲学は実在論論争にコミットすべきだ、という規範的な前提で、
心の哲学における実在論論争と科学哲学における実在論論争を付会させて
書き直すしかない。

科学哲学を本格的にやろうとしたら数年がかりになってしまうので、
実在論論争に限定して研究する。

「実在論」のページに心の哲学の「実在」問題を加筆するのがいいかも。

350メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/04(月) 13:22:04
心の哲学は時間の哲学と不可分だからサイト名を
「心の哲学・時間の哲学まとめ」に変更しようかと思ってたのだけど、
科学哲学とも不可分となると更にややこしくなる。

351メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/05(火) 20:01:40
構造実在論は理論対象を不可知として理論の実在だけを認める立場だから、
現象主義に限りなく近くて非実在論の一種だと思っていたのだけど、調べてみると
科学的実在論から派生した立場だった。
科学的実在論の欠点を消去していくと現象主義に接近せざるを得ないということかも。

それにしても実在論論争の複雑さは時間論論争のそれを上回っている。
とても網羅的なページを作ることはできないな。
重要なトピックのみ拾って解説する方法にするかも。

352メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/07(木) 21:05:18
「アウェアネス」のページを削除した。関連ページも微修正。
この語はかなりチャーマーズのバイアスが強い。
使わない方がいいかもしれない。

353名無しさん:2013/11/10(日) 15:02:41
結局「アウェアネス」のページを復活させた。
サールの定義を基本にした。

用語の定義が混乱するのは哲学の宿命だな。

しかしチャーマーズが「現象的意識がないのにアウェアネスがあるケースがある」
というのは理解しがたい。無意識とどう区別してるのやら。

354名無しさん:2013/11/12(火) 21:02:32
道具主義についての小林道夫と戸田山和久の説明が食い違っている。
自然主義についてもクワインの見解は別個に扱うしかない。

実在論のページ修正は今週中には無理だな。あまりにも複雑だ。
来週中には何とかしたい。大幅に説明を省略するかも。

355メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/18(月) 20:19:54
行動主義のページを修正。間違いがあった。
基本的な部分で間違ってると凹むな。

適当にでっちあげて放置してるページが少なくないので、まだ間違いがあるかもしれない。

356メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/21(木) 21:07:16
「実在論」のページを「実在論論争」に変更して大幅に書き直した。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/144.html

マイナーな立場については省略した。
哲学初級・中級の人が実在論論争を概観するには丁度いい分量かもしれない。

357メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/01/07(火) 22:35:51
「時間と空間の哲学」のページを微修正。

青山拓央がアキレスと亀についてホーキングの言葉を引用してるのだけど、
どこまでホーキングの言葉かわかりにくいので該当部分を丸ごと引用した。

358メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/01/29(水) 16:49:18
「アウェアネス」のページを茂木さんの解説を元にして書き直した。
今まで書いてたのが間違ってたのかもしれない。
茂木さんの情報は脳科学・認知科学の標準的な知見だから間違いないだろう。

科学では哲学にありがちな用語の混乱が排除されてるのでありがたいな。

359メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/04/03(木) 19:23:28
サイト内を見回すと古いページには細かい間違いがいっぱいある。
少しずつ修正していこう。

360メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/04/04(金) 20:13:53
大森荘蔵のページを修正。

大きな変更点は、「立ち現れ」→「重ね描き」の順で説明していたのを、
「重ね描き」→「立ち現れ」の順にした。

立ち現れから説明した方がわかりやすいと思っていたのだけど、
重ね描きは立ち現れに包括された理論なので、やはり修正した方がいいと思った。

361メビウス@管理者 ◆4lggoO1oV6:2014/05/09(金) 20:46:32
「現象的意識の非論理性」のページを修正。
説明方法を変えてみた。それでも理解されにくいとは思うが。

で、その続編といえる「夢と現実と真実と」をUP。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/145.html
これは入不二氏の現実性についての議論を理解してない人には理解不能だと思う。

362メビウス@管理者 ◆4lggoO1oV6:2014/05/21(水) 22:23:14
atwikiはデフォルトで文字が小さい件、今まであまり気にしてなかったのだけど、
wikipediaと並べて比較してみると明らかに小さすぎで読みにくいので、cssカスタマイズ
でfont-sizeが76%になっていたのを85%にした。多少読みやすくなったと思う。

363メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/05/26(月) 20:34:52
トロープ説のページを作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/147.html

正直、つまらない説だと思う。

364名無しさん:2014/05/30(金) 22:32:34
無限論で疑問に思ったことがあるんですけど、0.99999・・・・=1であるという実無限の考え方がありますよね。
でも1+1は2であるけど、1と同じ数である0.99999・・・に0.99999・・・を足してしまうと絶対に最後に8が出てしまって2にならなくなりませんか?
やっぱり実無限で根本的に無理のある考え方ではないでしょうか?メビウスさんはどうお考えですか?
勝手に書き込みすみません

365メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/05/31(土) 14:02:22
0.999...の「最後」というのはないので、8が登場する余地はありません。
数学には「極限」の概念はありますが、「最後」とは似て非なるものです。

なお実無限の立場を取る学者は、野矢茂樹によると数学では多数派だそうで、
数学では 0.999... = 1 で問題ないのだと思います。

哲学では 0.999... に対応する「実在」がないということが問題とされます。

366名無しさん:2014/05/31(土) 15:39:04
>>365
わかりました。わざわざありがとうございます。

367名無しさん:2014/05/31(土) 23:48:36
>>365
調べてみれば、ガウスは実無限に強く反対していたようですね
あとやはりアキレスと亀を実無限で解決できたと考えてるのはやはり見当違いな気がしますね。
なぜ実無限という「終わり」が存在しないという亀に追いつこうとする動作を「終える」ことができるというのでしょうか。

368メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/06/02(月) 19:52:24
いや、0.999...に「最後」はないけど、極限値に「収束」すると考えるので、
アキレスが亀に追いつくことに問題はないと考えます。

なお野矢茂樹はアリストテレス同様に可能無限の立場からゼノンの論証を否定しています。
同じ可能無限の立場でもカントはゼノンの論証を(限定的に)肯定しています。

369名無しさん:2014/06/04(水) 15:47:27
「夢と現実と真実と」読み終わり終わりました。
存在論などの形而上学的な問いはどうしても抽象的で説得力に欠けるような印象をもっていたんですが、
あなたのサイトは地に足のついた説得力のある文章で非常に面白かったです。
確かに今まで主観的な感覚の変化なんて特に不思議とも考えようとしませんでしたが、最近ではこればっかり考えるようになりましたw
しかし、変化の不思議さについて考えていくとクオリアだけじゃなくて、脳の状態の変化や原子が別の原子に変化するなどの物理的な状態の変化について
も考えさせられますね。過去でもなく未来でもない「本当の今」とはなんなのか・・・

374メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/07/05(土) 22:58:43
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376メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/08/18(月) 21:35:07
ようやく「無限論」が完成。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/148.html

私の哲学は、

1、人格の同一性
2、無限論
3、現象的意識の非論理性
4、夢と現実と真実と

という順序になる。無限論はもっと早く書くべきだった。
内容が難しいので随分手こずった。

377メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/08/21(木) 22:30:56
「重ね描き」を加筆修正。
説明方法を変えてみた。

378メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/08/24(日) 13:22:13
ウィトゲンシュタインのページを微修正。

「語りえぬもの」を、「示される」と「沈黙しなければならない」の二つの要素に
分けて理解するのは重要だと思う。


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