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Ido(イド語)は言語的に優れているか?

1なつ:2007/12/22(土) 04:56:08
イドに対して多くの日本人は、
「イドはエスペラントの不備、欠点、欠陥を直し改良したもの。
初め多くのエスペランティストに受け入れられていったが変更につぐ変更で
捨てられていった。
しかし変更が止まった今、実際はエスペラントよりもいいものになっているのでは?
よくは知らないけど。まあイドよりも不備が多いかもしれないけど、
使用者数、書籍など普及率で断然まさっているエスペラントのままでいいかな。
っていうかどうやってイドを学ぶか知らないし、裏切り者の言語だしねえ。」
というようなことを思っている人が少なからずいます。
では、本当にイドの文法や語彙などは、現在エスペラントよりも優れているのでしょうか?
感情的や情緒的ではなく、あくまでも言語として考察しましょう。

2なつ:2007/12/22(土) 05:30:10
イドの文字、発音、アクセントについて。

改良面。
1、字上符の廃止。
2、gx音の廃止。(つまり日本語でいえば「じゃ」は2種類から1種類となった)
3、jはジャ行。(エスペラントではJはヤ行でjxがジャ行)
4、yはヤ行。(エスペラントにyはない。ヤ行はj。)
5、wはワ行。(エスペラントにwはない。ワ行はux。)
(なおアクセントはエスペラントと同じ。つまり2音節以上の語は後ろから2番目の母音。)

例外の創設。
1auと綴っても、発音はawである。
2euと綴っても、発音はewである。
3ioと綴っても、発音はyoである。
4iaと綴っても、発音はyaである。
綴りと発音の乖離の創設にともないアクセントにも乖離がでてくることになる。
例えば、audasと綴るがawdasと発音するため、アクセントも後ろから2番目の母音ではなく、
aにアクセントがくる。また、familioは発音はfamilyoなのでmiにアクセントがくることになる。

5動詞の不定詞は最後の母音にアクセント。
例えば過去不定詞amirはiのほうにアクセント。

3なつ:2007/12/22(土) 05:58:50
イドの対格nについて。
改良面。
対格のnは不要。

例外の創設。
目的語が動詞の前に来るとき、対格のnが復活する。
1、倒置をするとき
2、特に目的語に代わる疑問詞、関係代名詞は必ず動詞の前に来るからnが常に必要となる。

イドの冠詞について。
エスペラントと同じでlaが基本。

例外の創設。
1次に母音がくるとl’でaの消失。
2前置詞de,da,diのあとにくるとき、合体してdel,dal,dilという形になる。
3前置詞aのあとにくるとき、合体してalという形になる。
4la+形容詞+名詞で、名詞が複数でかつ、省略(例えば文脈により繰り返しをさけるようなとき)した場合laはleになる。
(イドは形容詞は格変化しないので省略された名詞が複数であることを意図)

4なつ:2007/12/22(土) 06:18:54
イドの形容詞について。
エスペラントと同じで語尾がa。
改良面。
エスペラントと違い対格がなく格変化しない。

例外の創設。
ヨーロッパの自然言語にあわせて、
ヨーロッパ的主観でaを除けたほうが語調がいいと思えば除けてもいい。
例えばBon jorno. Kar amiko.
あるいは特にspecialaなどalaで終わるものなどは語尾aの省略がみられる。

5なつ:2007/12/22(土) 06:38:53
イドでは、ロマンス語に近づける意図のみで語彙をどんどん変更していったと断定できるものが散見できる。
なお作者ボーフロンはフランス人。

Bonan tagon.(エス) → Bon jorno.(イド)・・・イタリア語?
Kaj vi?(エス) → E vu?(イド)・・・フランス語?

エスペラントでは反意語はmalで作るがイドではdesで作る。
しかし別の形も存在し入門期を出たらそちらを使うべきらしい。
つまり結局、エスペラントの倍の労力で反意語をすべて覚えていかなければならない。

bona(良い) : desbonaまたは mala(悪い)
bela(美しい) : desbelaまたはleda(醜い)
forta(強い) : desfortaまたはfebla(弱い)
richa(金持ちの) : desrichaまたはpovra (貧乏な)

6なつ:2007/12/24(月) 01:22:51
日本で有名な宣伝サイト「国際語IDO
...その可能性と必要性
Ido, Esperanto reformita」への反論。
>>エスペラント語の字上符がどんなに不便な物であるか
>>を懐かしく体験する事が出来ます。字上符が無いとコンピュータを使うのがこん
>>なに楽なのかと分かる
>>イド語では形容詞の語尾は名詞と歩調を合わせる必要がありません
>>語順を英語と同様に定めているので、目的語をどうしても動詞の前に出す必要が
>>ある時にエスペラント語と同様に−nを使う以外には、対格語尾を必要としません
まさに英語のみに焦点をあてた狭い視野。
さらに対格nについてですが、結局、対格nの呪縛から逃れられず逆に複雑にしています。
エスでは「目的語は語尾n」で終わる解説を、だらだら例外項目と例文を述べないのといけなくなった。
対格の呪縛からのがれられない中途半端かつより複雑な言語となった。

7なつ:2007/12/24(月) 01:51:38
「国際語IDO
...その可能性と必要性
Ido, Esperanto reformita」への反論

>>エスペラント語では重要な場面での多義語が幾つか認められ、意味が不明確です。
>>antau 場所の前(avan)、時間の前(ante)
日本語批判にも聞こえますね。日本語でも「前」ですから。
わざわざあなたも「場所の」「時間の」と書かなくてはならない。滑稽です。
>>de  de(of) da(by) de(from)
(de(of)は恐らくdiの誤り)
現実的に運用するときdaだったかなdeだったかなと、考えてしまうことがある。
実際あなたも混乱して間違っているのだから(笑)
さらにフランス語などまさに三種類ともdeである。
deのみでいいのは数百年のそれで証明済み、エスももう百年の歴史がある。
>>atendas  期待する(expektas)、待つ(vartas)
>>eble   可能な(posible)、多分(forsan)
>>neebla  否定出来る(negebla)、不可能な(neposibla)
>>povas   能力的に出来る(povas)、許可されて出来る(darfas)
文脈や言いかえで十分対処できる。ていうか
多義語というか、ebleなんかは、「可能な」の意味もも「多分」の意味も、エスではないはず。
「ひょっとして」みたいな意味しかないと思いますが。
povasに関してはこれも、日本語(あるいは英語)でどう説明するんですかね。
「能力的に」「許可されて」出来る?日本でも区別の必要はないしあなたがそれを
逆に証明している。これまた滑稽です。

8槍騎兵:2007/12/24(月) 10:40:54
> 『新生人工言語論が真実を知っている』スレッドの85

 了解致しました。そういう事でしたら、こちらで遠慮無く感想その他を書き込ませていただく事に致します。
スレッドの性質上、再反論めいたものが多くなってしまいますが、あくまでも私の個人的な好みに基づいての
書き込みに過ぎませんのでその点あらかじめお断り申し上げておきます。

>>2
> 1auと綴っても、発音はawである。
> 2euと綴っても、発音はewである。
> 3ioと綴っても、発音はyoである。
> 4iaと綴っても、発音はyaである。

 例えば ou と綴った場合の発音は ow ではなく ou のまま、ie と綴った場合は ye ではなく ie のままなのでしょうか?
そうであるとすれば確かにややこしいようですし、そもそも意味不明です。
 しかし、これは単に「a,e,o と i,u が連なった場合は1音節と考える。アクセントは前後に関わらず a,e,o の側に付く」と
いう事ですよね? である以上、別に非難に値する程の例外だとは思えないのですが。

> 5動詞の不定詞は最後の母音にアクセント。
> 例えば過去不定詞amirはiのほうにアクセント。

 確かにいささかややこしい点です。しかし、amiras がアミーラスなのに amir がアーミルだとすれば、それはそれで
感覚的にしっくりこなくて使いづらい気もするんですよねぇ…… 難しいところです。

>>3
> 目的語が動詞の前に来るとき、対格のnが復活する。

 これは単に、分析的に対格を示せない場合のみ -n を必要とするというだけの話ですので問題無いかと思われます。
別に、本来必要無いはずの -n を付けてしまったところで誤解が生じるわけでもありませんし。

> イドの冠詞について。

 確かにこれは別に無くてもよさそうな改造点というか、ロマンス語に近づける事のみを目的とした感じですね。
ややこしいわりには利点が少なそうです。4番も代名詞を用いたほうが分かりやすいですし。

>>4
> ヨーロッパの自然言語にあわせて、ヨーロッパ的主観でaを除けたほうが語調がいいと思えば除けてもいい。

 確かに中途半端です。むしろ私などは、それならばいっその事形容詞語尾 -a 自体を撤廃した方が良いのではと
思いますね。無論その場合には前提として、語順をNA型なりAN型なりにはっきりとしぼった上での話になりますが。

>>5
> イドでは、ロマンス語に近づける意図のみで語彙をどんどん変更していったと断定できるものが散見できる。

 これは別に問題無いんじゃないですか? エスペラント語彙の過半がロマンス語系統である以上、統一感を増す為の
作業だという解釈も出来ますし。ラテン語がヨーロッパ文化の基層にある事は間違いない事実ですので、その子孫で
あるロマンス語を優先させる事自体は別に変な事だとは思いません。まぁだからといって、あえて必要とされるような
作業だったとも思いませんが。

> つまり結局、エスペラントの倍の労力で反意語をすべて覚えていかなければならない。

 仕方無いんじゃないですかねぇ…… ごく基本的な語彙にまで反意形しか用いる事が出来ないとなれば、それを
物足りなく感じる人は絶対に出てきますし。

 もちろん、初学者の負担という面を重視すればなつ様の仰る事ももっともではありますし、一概にどちらが良いとも
私には言い切れないのですが。

9槍騎兵:2007/12/24(月) 11:00:57
>>6
> まさに英語のみに焦点をあてた狭い視野。

 この言い回しではいささか感情的に聞こえてしまうように思われますので、宜しくないのでは。
文脈上「基本語順をSVOとしている」という意図での表現に過ぎないように見受けられますし。

> さらに対格nについてですが、結局、対格nの呪縛から逃れられず逆に複雑にしています。
> エスでは「目的語は語尾n」で終わる解説を、だらだら例外項目と例文を述べないのといけなくなった。
> 対格の呪縛からのがれられない中途半端かつより複雑な言語となった。

 このあたりは結局のところ、単に説明の仕方の問題に過ぎないのでは?
「イドでは必要とされる場合のみ対格に語尾 -n を付ける」としてしまえば充分にシンプルです。

 まぁむしろ、私などはそもそも対格を語尾で表わす事自体がいかがなものかと思っているのですが。

>>7
 なつ様の主張されている事自体は論理的であり一定の説得力もあるかと思うのですが、それだけに
「滑稽です」の連発は避けた方が良いのでは。言い回しをもう少し柔らかい表現にされておかなければ、
折角の論理的指摘が台無しになってしまう恐れがあるかと思われます。

 このスレッドの趣旨が>>1にある通り『感情的や情緒的ではなく、あくまでも言語として考察しましょう。』
である以上、細かい事かもしれませんが極力感情的、情緒的と捉えられがちな表現は避けるように
努められるべきではないかと老婆心ながら述べさせていただきます。

10なつ:2007/12/24(月) 18:30:27
槍騎兵さん
自分がだんだん無意識に感情的になっていきました。今みると確かにお恥ずかしい限りです。
重母音に関してですが、訂正したいと思います。
1auはaw 2euはew 3i+母音はy+母音 4u+母音はw+母音。
その他は一音節にならず離して二音節で発音するということです。
実はザメンホフ氏は字上符が表記できなければ、uxはuでもいい。
と言っていますね。しかしwやyを創設したにもかかわらず、
どうしてawdasじゃないんでしょうか?それは、みてくれ、かっこよさ、自然言語に近づけたい
というベクトル以外考えられないんですね。ほかの場所にもそういう考えが散見されます。
これは別に感情的な批判じゃなくて、事実そうです。
そのほか、Italia(イドは国名はaで終わる)はイターリャでイタリア語同様にtaが強調です。
familioはファミーリョ、akademioはアカデーミョ。mentioはメンテョ。tyoは多くの言語話者に難しいですね。
さらにlilioリーリョ。それに対してjoyoという単語もある。この綴りの乖離はどうでしょうかね?
許容範囲ですかね?エスペラントは実に簡潔だと思います。
発音、アクセントに例外は一切ありません。ただし、ヨーロッパの言語をやっている
人にとってはfamilioはファミーリョとmiを強く言ったほうがかっこいいと思う人が
少なからずいるんだろうと思います。しかし、そういう力を撥ね退け鉄則化させているのが長所だと思います。
不定詞のアクセントの例外はamas(現在形)とamar(現在不定詞)
amis(過去形)とamir(過去不定詞)ほか未来形も同様に、
聞き分けが難しいときがあるという必要性から例外を作ってしまったようです。
「イドでは必要とされる場合のみ対格に語尾 -n を付ける」と説明しても
じゃあ必要っていつ?といわれるでしょう。おそらくそのときはあとの課で順次やっていくから大丈夫。
というもわーっとした答えが返ってくるんじゃないかなと思います。
疑問詞の課で述べ、関係代名詞の課で述べ、倒置の課で述べ、
と私が講師なら小出しにして行かざるを得ないでしょう。

11なつ:2007/12/24(月) 19:02:20
槍騎兵さん
ロマンス語よりに語彙をしていったのは意義があったんでしょうかね?
Kaj vi?をE vu?というのはフランス語の発音そのものです。
必要性はなかったように思います。
そして仰るとおりいっそのこと形容詞a自体を撤廃したほうがよかったかもしれません。
ヨーロッパの自然言語、特にロマンス語に近づけたいのであればすべきだったでしょう。
不徹底という思いがこの言語にはつきまといます。
Interlinguaなら主要ヨーロッパ言語(英仏露伊独西葡)の中から共通的なつまり最大公約数的な
語彙を統計的に選択しています。イドのように恣意的に語彙選定しなおしていません。
そしてエスペラント、イドのように名詞、形容詞に特定の品詞語尾はありません。
対格は全くありませんし。
個人的にはエスペラントの徹底した有無を言わせぬ鉄則に魅力を感じます。
そしてよりヨーロッパの自然言語に近いほうがいいと思えばInterlinguaを選んだほうがいいと思います。
まあ、エスペラントよりもヨーロッパ偏重しすぎて非欧語話者にはより不利な言語で学ぶ気はせず、
英語と難易度は変わらなくなったと思うのですがね。
イドの存在意義って現在なんでしょうかね?

12槍騎兵:2007/12/25(火) 02:51:10
>>10
> しかしwやyを創設したにもかかわらず、どうしてawdasじゃないんでしょうか?

 確かに w や y を使えば話が早いですよね。それは確かです。

 まぁこのあたりも程度問題であり、例えば「そもそも後ろから2番目などという規則はまぎらわしい。
じゃあ1音節語にアクセントは付くのか付かないのか? 最初か最後にしておけばそういった『例外』
についてわざわざ説明する必要も無いのに」という考え方だって可能です。極端な例ではありますが、
そういう考え方の持ち主からすればエスペラントも中途半端と言えるかもしれませんよ(笑)

> tyoは多くの言語話者に難しいですね。

 イドに「テョ」と「ティオ」による弁別はあるのでしょうか? それが必要でなければ別に問題では
なさそうな気が致しますが。

> さらにlilioリーリョ。それに対してjoyoという単語もある。この綴りの乖離はどうでしょうかね?

 lilio と joyo の違いは単に、3文字で1音節の場合は「子+子+母」と綴り、2文字なら「子+母+母」
と綴るというだけの事に過ぎないでしょう。アクセントの事を考えれば前述と同様に lilyo にしてしまった
方がスッキリして良いとは思いますが。

> 「イドでは必要とされる場合のみ対格に語尾 -n を付ける」と説明しても
> じゃあ必要っていつ?といわれるでしょう。

 このあたりは考え方の違いでしょうね。私としては「SVO語順が基本となるので、Vの後のOは
自動的に対格となる。それ以外の位置にある対格名詞は語尾 -n を添える事により明示する」で
充分に論理的かと思うのです。毎回対格語尾 -n を必要とする煩雑さと天秤に掛けてどちらを取る
かと問われれば、私なら「普段は省略」を取りたいです。

 ついでに申し添えますと、私がエスペラント改造案を作ったとすればそもそも対格を語尾で表わす
事自体をやめて「必要時のみ前置詞により明示」とした事でしょう。疑問詞や関係代名詞の語尾
くらいは多用される事もあり残したかもしれませんが。

>>11
> ロマンス語よりに語彙をしていったのは意義があったんでしょうかね?
> Kaj vi?をE vu?というのはフランス語の発音そのものです。
> 必要性はなかったように思います。

 とりたてて必要性がなかったというのは同感です。ただ、このあたりはイドを「エスペラント改造案」
として見るか「エスペラントを材料にして作った全くの別言語」として見るかのスタンスの違いで評価に
左右が出てくるのではないでしょうか。改造案として見れば必要の無い余分な改造に過ぎないでしょうが、
別言語としてみれば少なくとも別にマイナス要因ではないでしょう。

 エスペランティストが新たに学習し直すという事を念頭に置かず、最初からイドを学習する事のみを
前提とするのであれば、語彙をロマンス語由来にして統一感を出す事は別に悪い事ではないかと。

> 個人的にはエスペラントの徹底した有無を言わせぬ鉄則に魅力を感じます。
> そしてよりヨーロッパの自然言語に近いほうがいいと思えばInterlinguaを選んだほうがいいと思います。
> イドの存在意義って現在なんでしょうかね?

 中途半端だと言われれば、確かにそういった部分は多々ありますね。形容詞に a が付いたり付かな
かったりとかの部分はその通りだと思います。二重母音に w,y を使わなかったところも強いて言えば
マイナス要因と言えそうです。

 まぁだからといって、全体として見た限り悪くない線はいっているとは思うのですがね。エスペラントに
ついて疑問に思いがちである点の多くを改良してあるという事自体に違いはなさそうだという印象を
受けます。御指摘の通り、いささか勇み足かと思われる部分も確かにありましたが(笑)

13なつ:2007/12/25(火) 05:07:52
>>12槍騎兵さん
そういわれればtyo(テョ)とtio(ティオ)の音韻対立はないでしょうね。
ただしティオで代用可能というだけであり文法的には正しくはないでしょう。
エスペラントには音韻数が多いですよね。
例えばgxとjxの区別は日本人などはしているのでしょうか?
実際ajxoとagxoくらいでしょうか。
それについてはjのみにしたイドはいいですね。
lilioについてはまさにlilyoであるべきでしょうね。
>>私がエスペラント改造案を作ったとすればそもそも対格を語尾で表わす
>>事自体をやめて
同意。私も名詞と形容詞の格変化は不必要だと思う一人です。
ただし、あるならある、ないならないとはっきりしろと思うのです。
必要に応じて復活するのを、私は「対格の呪縛」から離れられなかったと表現します。
その対格の復活、語彙選択方法、名詞形容詞語尾をみると、やはり中途半端と思えます。
まあ、いい線かどうかは人によって違うと思います。私は不徹底で逆に改悪だと思うほうです。
そういうことからいっても、イドは決してエスペラントの不備欠点を直し
エスペラントよりも優れたものにしたとは個人的には思いません。
不徹底なイドをやるくらいならむしろ述べたInterlinguaをやったほうがいいでしょう。
Esperanto←Ido→Interlingua という図式でしょうか。
より人工的で欠点を指摘されることもあるが文法に例外を許さないEsか、
よりヨーロッパの自然言語的だが非欧人には学びにくいInterをとるか、
ということではないかと思います。
Idoは足して2で割り、いいのか、中途半端なのか議論が分かれるとは思います。

14KamelioJapana:2007/12/25(火) 07:11:09
Idoは改良には、殆ど値しません。

結論を大雑把に言うと、
Eの非ヨーロッパ語的要素を徹底して奪うものでした。しかも、ロマンス語により近くなり、
Idoは、Esperantidoではなく、Latinidoであると揶揄したくもなります。

先ず、最初に確認しておきたいのは、Eは欧州諸言語の単なる寄せ集めではなく、Zamenhofは、
それを整理し、簡素化する過程を通して最後には、それ自体、完全に独自の体系を持つ言語に
仕上げたということです。
Idoは、その名が示すように所詮Eの子供でしかなかった。しかも粗悪なサイボーグのように
継ぎ接ぎが多くなった分、不規則な部分も増えたと言えるでしょう。

ボーフロンや当時のフランスの言語学者はやはり、欧州文化中心主義から逃れられなかったと
言えます。
Zamenhofが非欧州言語(ヨーロッパの地においてはハンガリー語、フィンランド語、
ケルト語やバスク語等の少数民族言語、現在EU加盟の是非が問われているトルコ語等)を
学んだかどうかは分かりませんが、世界はあくまで自分達を中心に回っていると大多数の人々
が考えていた当時のヨーロッパにおいては、Zamenhofのideoアイデアは画期的なものでした。
形態素論的にも屈折語的要素が圧倒的な欧州言語から膠着語や孤立語的要素へのシフト。
ラテン文字の完全使用に縛られない独特なalfabeto。例、w, x, yを敢えて採用しなかった事等。
彼が、下手な言語学者であったよりも「当時の言語学」については素人であったことが、後から
見ると、幸いだったと言えます。

そして、
Idoの最大の弱点は、言語自体の良し悪しよりもFundamentoというideoからの逸脱により永遠と
続くかに見える改良に次ぐ改良という道に嵌ってしまったということです。
この掲示板では、余りにも当たり前すぎて論議が憚れるのか否かは分かりませんが、時間的
そして空間的にも言語のunueco統一性とstabileco安定性は、その使用者にとっては欠かせない
ものなのですね。特に他の諸民族語と比べて誕生間もないEにとって、その安定性の維持は
国際共通語を目指す人工言語にとってと言う以上にその言語の使用者にとっては死活問題なの
でした。
結局、Idoに移った人々の多くはE界に戻らざるを得なかったのです。「インテリのお遊びには、
正直、もう付き合えない」と言ったところが実用者の本音でしたでしょう。
idistojが安定性の重要さに気づいたかどうかは分かりませんが、改良が止まったのは、その
使用者数がEに比べて取るに足らないniveloレベルまで落ち込んでからでした。

Stabilecoの重要性は何も人工言語(計画言語)に限ったことではありません。
民族語や国家語等は、一定の書き言葉を正当化・標準化することでその安定性を保っています。
時には、権力者たちが彼らにとって必要と思われる言語を維持するために国語学者や国文学者を
動員したりすることも頻繁に行われてきました。
学校で学ばれる共通語や伝統文法などが彼らの手により再生産されるのでして、放って置くと
話し言葉(言語の土台であり本質的なもの)の影響で、例えば世代による分散化や地域による
分散化(dialektigxo)が生じてしまい、その統一性が時間的にも空間的にも急速に失われて
しまいます。
世界に冠たる大言語の英語にしても、英国や米国の涙ぐましい努力が有ってこそ、その安定性
が辛うじて保たれているのです。しかし、その代償としてニュージーランド英語や
スコットランド英語、さらにはインドの専らエリート間で使用されているインド英語等は、
世界共通語的視点からはまるで方言の様な扱いを甘んじて受けているように見えます。
少なくとも我々は、発音においては特にそうなのですが、英米語を模範とするよう学校教育では
強いられてきました。

このように民族語であっても文字文化を有するものは、総て計画言語に属していると言っても
過言ではありません。

その他、細かいことはお二人の議論が大変参考になります。私自身による細部に渡る検証ですが、
他の事柄にも返答をしなければならないので、機会を改めてと申しますか、E界のIdoに関する
検証は既に出尽くした感があります。
その多くはEで書かれたもので邦訳は、殆ど無いと思います。
私もこれから文献に再度当たってみて、この掲示板で紹介出来れば、と考えています。

15槍騎兵:2007/12/25(火) 18:51:02
>>14
 え〜、このスレッドはイドがエスペラントに比べて『言語として』優れているのか劣っているのかを
検証する目的で立てられたものですので、KamelioJapana様が仰られている事の大半は、それが
正しいか否かはさておいて、そもそもこのスレッドにはそぐわない話題ではないかと思うのですが…

 以下、イドとエスペラントの言語としての側面に対しての御意見と思われる部分に限定して返答させて
いただきます。

> 結論を大雑把に言うと、Eの非ヨーロッパ語的要素を徹底して奪うものでした。
> しかも、ロマンス語により近くなり、Idoは、Esperantidoではなく、Latinidoであると揶揄したくもなります。

 このスレッドの既出部分にも、ロマンス語に近づけるという目的の為だけに無意味な改造がなされて
いる事が示された部分があります。冠詞 la が周囲と融合する規則などは典型例であり、これなどは
私もボーフロンの勇み足でありエスペラント式に戻すべき部分であると考えております。

 ですが、KamelioJapana様は学習者にとって有害とならない改造を含め、ロマンス語的に変更された
部分全てがイドの欠点であるとされているように見受けられます。ですが、イドがエスペラントに比べ
ロマンス語に近づいた事それ自体は別に問題ではないのではないでしょうか。イド単体を言語として
見た場合に、例えば語彙がロマンス語に近付いた事が学習者や使用者に対して何らかの不都合を
もたらすようには思えないのですが。

> ラテン文字の完全使用に縛られない独特なalfabeto。例、w, x, yを敢えて採用しなかった事

 なぜその部分が評価に値するとお考えなのか、正直申し上げて分かりかねます。u^ 等の字上符
付き文字を採用するくらいならば最初から w を使っておけば良かったのではないかと、私などは
思ってしまうのですが。

16槍騎兵:2007/12/25(火) 19:07:52
>>13
> Idoは足して2で割り、いいのか、中途半端なのか議論が分かれるとは思います。

 現在のところ、私はまだ「総合的に見てイドの方がベターである」という印象ですね。但し、なつ様がこれまでに示された
部分の中で「これはボーフロンの勇み足だったな。エスペラント方式に戻すべきだ」と感じた部分も少なからずあります。
ただ、そういった部分を差し戻すだけで、少なくともエスペラントに比べればかなり良い線をいっているのではと感じて
おります。

 イドをさらに改造する事を考え出すと収集が付かなくなる恐れがありますのでそれは一旦置いておいて、とりあえずは
ボーフロンの勇み足だと思われる部分をエスペラント式に戻せば議論の叩き台としては充分であろうかと思われます。
つまり「エスペラント → イド → 叩き台言語」ではなくて「エスペラント → 叩き台言語 ← イド」とする形です。このスレッド
における既出の話題をまとめてみました。なお、「勇み足を引き戻す」という趣旨から外れた案であっても、既出のものは
3番として併記してあります。


アクセントと二重母音について
 1.このまま
 2.エスペラント式の位置にする
 3.ai,eu を ay,ew にする、ie,uo を ye,wo にするなどの綴り改変によって規則をシンプルにする

 私見 : 二重母音規則がそこまで面倒なものだとも思えませんし、1番で問題無いかと思われます。まぁ別に2番でも
構いません。綴りには表れませんし、どちらにせよ別に支障は無いでしょう。ちなみに3番も良い案だとは思うのですが、
逆の見方をすれば「音は i,u と違わないのにアクセント位置の為に y,w と綴りを分ける必要があるとは面倒だ」とも言える
わけで(これはエスペラントの複数語尾 -j に関しても同様の事が言えますが)かえって改悪だという意見が出る事も考え
られます。と言っても仮に oy 案を採用するとすれば逆に oi は全廃されるわけですので、実際にところは別に改悪でも
何でもないでしょうが。まぁ結局のところ、そもそも今更になってあえて綴りを変更する程の問題でもないのでは、という
気も致します。もし当時のボーフロンと話をする機会があったとすれば、3番を勧めていたでしょうが。

 あと、いささかこじつけめいて聞こえるかもしれませんが、むしろエスペラントの規則の方がイドよりも複雑だという主張を
する事も可能です。イドは仮に oi を oy にするにせよ、その際には全ての oi が oy に変わるわけです。変わらないにせよ、
必ず1音節と数えられた上 o の側にアクセントが来るわけです。そう考えればスッキリしています。一方エスペラントは現在
綴りの中に oi と oj の両方が存在します。音としては同じ「オイ」であるにも関わらず、アクセント位置を整える為に2通りの
綴りを使い分けねばならないわけです。そういった不規則性に比べれば、現在のイドの規則の方が余程シンプルだという
考え方だって成り立つでしょう。


 〜 後半に続く 〜

17槍騎兵:2007/12/25(火) 19:08:16
不定詞のアクセントについて
 1.このまま
 2.普通に「後ろから2番目」にする
 3.何らかの方法を用いて弁別と規則性を両立させる

 私見 : この問題は一筋縄では解決し辛いですね。一旦保留とさせていただきます。本来ならば3番を推したいところでは
ありますが、それを始めてしまうと「勇み足を引き戻す」という本来の趣旨から外れ収集がつかなくなる恐れがあります。
ですが1番も2番も良しとはし辛いんですよねぇ、現状では。

冠詞 la の融合について
 1.このまま
 2.規則を撤廃し、律儀に la a-, a la, de la とする

 私見 : この改造にはとりたててメリットらしきものは感じられませんし、ややこしいだけかと思われます。2番に一票です。

複数冠詞 le について
 1.このまま
 2.規則を撤廃し、単純に le を la にする
 3.規則を撤廃し、le+形容詞 ⇒ la+形容詞+複数代名詞 などとする

 私見 : これは la の融合とは違ってちゃんとメリットがあるんですよね、一応。ですがやはり2番ですかね。そもそも何を
省略したかがはっきりしている文脈だからこそ名詞を省略するんでしょうから、3番のようにまでして複数を示さなくとも
la+形容詞 だけで問題無さそうですし。

対格語尾 -n について
 1.このまま
 2.エスペラントのように毎回つける
 3.語尾 -n 自体を撤廃し、必要時のみ前置詞で示す

 私見 : 個人的には3番を推したいところではあるのですが、別に現状のままでも不都合は無いですし、ここは1番ということで。

形容詞語尾 -a について
 1.このまま
 2.律儀に毎回 -a を付ける
 3.いっそのこと毎回付けない

 私見 : シンプルにいくならやはり2番がお勧めでしょうね。1番であれ3番であれ、別段大した問題でもなさそうかとは思われますが。

語彙について
 1.このまま
 2.新たなロマンス語系の語彙を排除して、エスペラントの語彙に戻す

 私見 : 1番に一票です。あえて必要の無い改造だったという点は同感ですが、裏を返せば今更あえて戻す程の事でもないでしょう。
どちらがどちらの派生だとかそういった途中経過は一旦忘れてそれぞれの完成形のみを眺めた場合、強いて言えばイド語彙の方が
統一感があって良さそうな気が致します。

18槍騎兵:2007/12/25(火) 19:16:07
>>13 補足
> ただしティオで代用可能というだけであり文法的には正しくはないでしょう。

 確かにそうです。でも別に構わないのではないでしょうか? 要は会話が通じるかどうかですから。

> 例えばgxとjxの区別は日本人などはしているのでしょうか?
> 実際ajxoとagxoくらいでしょうか。

 これははっきりと「区別していない」と断言して差し支え無かろうかと思われます。

> 同意。私も名詞と形容詞の格変化は不必要だと思う一人です。
> ただし、あるならある、ないならないとはっきりしろと思うのです。

 なるほど。なつ様も私もほとんど同じ考えを持ちつつ、イドの改造案に対しての印象が全く異なるという点は
おもしろいですね。私はむしろ「イドにも不満が無いわけではないが、それでもエスペラントに比べればかなり
前進している」と考えて評価しているわけですから。

19KamelioJapana:2007/12/26(水) 21:33:03
時間が無いので、kelkfraza komento。

>『言語として』優れているのか劣っているのかを検証する目的で立てられたものです

私は、この「言語的に」として優れているのかどうか、という問題設定がそもそも誤解を生む
ものであると感じております。

正確なタイトルは「人工言語の・・・・・は習得し易いという点については優れているか?」
とすべきです。
「言語として優れているかどうか」では、例えば、完成度の高い人工言語に比べ不規則性
の大きい民族語は総て「言語」として劣っているという解釈(誤解であるが)も可能だからです。
もし、「言語として」という問題設定では言語における通時性diakronecoも生きた言語の
一アスペクトとして重要な要素になりえるからです。

20槍騎兵:2007/12/26(水) 21:56:55
>>19
 なるほど、確かにその通りです。国際補助語志向の人工言語と自然言語とを学習難度等において比べる事
自体が無意味な事であるという前提が頭にありましたもので今までスレッドタイトルを疑問に思う事は無かった
のですが、そのあたりをはっきりとさせておかないと、エスペラントとイドをどういう観点で比較する為のスレッド
なのかを勘違いされるのは仕方無い事であるかもしれません。

「このスレッドの目的は、エスペラントとイドを『初学者にとっての学習難易度や実用上の便利さ』等の観点から
比較検証する事である」

としておけば簡潔に目的を示せますかねぇ。あと、追加として

「なお、このスレッドでは巷によく見られる『エスペラントはイドその他の人工言語に比べ、通時性という面において
はるかに優れている。これこそが国際補助語志向の人工言語にとって最も重要な点である』という主張が妥当な
ものであるか否かについては取り扱わない」

という但し書きも念の為に添えておいた方が良いかもしれません。



 ところで話は変わるのですが、イドにおける形容詞語尾の脱落についていささか疑問に思った点があります。
語尾が脱落する事により当然「後ろから2番目の母音」も変わるわけですが、アクセントの位置もそれに伴い
変化するのでしょうか?

 例えば、イドの形容詞 speciala は語尾 -a を略さずにそのままの綴りであれば「スペツィアーラ」と読んで、
語尾 -a を略して special という綴りになれば「スペーツィアル」と読むのでしょうか?
それとも語尾 -a を略すか否かに関わらず「スペツィアール」「スペツィアーラ」となるのでしょうか?

 一応自分でも調べてはみたのですが、英語サイトを通読する気力を搾り出す事が出来ずに挫折いたしました。
お忙しいところを恐縮ではありますが、ご教示いただければ幸いです。

21なつ:2007/12/27(木) 07:34:45
K-jさん
よろずにて
>>かの掲示板に参加している私もesperantujoでは殆ど解決済みの疑問や問題が
>>まことしやかに語られたり、我々の視点では、言葉は悪いですが、
>>程度の低い論議が延々となされていることには我慢がなりません。

他スレはじめ会話に加わっておられるので、この書き込みの意味がよくわかりませんでした。
解決済みであるのなら、「それは〜〜ということで解決済みですよ」で終わりと思うのですが。
今度からは、はっきりとしたそういう言葉、お願いしますね。議論せずにすむのにこしたことはないと思いますから。
で、それは、このスレに対してもおっしゃったんでしょうか?
私は、他スレでJ-Kさんや槍騎兵さんとお話して、少しでもお役に立てれればと思ったのです。
はじめはJ-Kさんにお願いしたかったんですが、される様子もないので、半人前の私が批判覚悟でこのスレを作りました。
それについてはセレン氏に賛成です。私は、エスペラントに少しでも貢献できれば、動きたいと思います。
ただし、現在万年初心者に陥っているため、歯がゆい思いです。
そういう人たちを上から座って眺めている感が非常におありです。よろしくお願いします。

で、このスレは、あなたにも別スレでお話したと思うのですが、イドの文法等を宣伝しているものは日本語で存在しますが、
あくまでそれはイド側からの宣伝でしかありません。日本語で書いてあるエスペラント側、あるいは外からの目線での主張が少しでもあればと思うのです。
中身はどうでもよく、議論の場、発表の場があればいいと思うのです。いままでのエスペランティストはそれについて作ってきませんでしたから。
それをご存知だと思ったのですが、「エスペラントは日本の現憲法のごとく普遍だからすばらしい」
という書き込みにはがっかり致しました。会話をお忘れなら、少なくとも>>1は読んでほしかった。
で、今回は、タイトルのだめだしをされるにいたりました。おすすめは、
「人工言語のイドは習得し易いという点についてはエスペラントよりも優れているか?」
と実に長いタイトルにすべきという意見。
たしかにスレタイはもう少し推敲すべきでしたが、
「習得しやすい点について」というのは、まだいささか突っ込まれる余地はありそうですが。
例えば、「イドはエスのように文法が普遍ではないから習得しにくい。そもそもフンダメントとは、、、、」
と、あなたの残念なはじめの書き込みのごとき意見も考えられます。
どんなスレタイも誤解は生みやすい。
しかしこれからは少なくとも>>1を読んだり、会話の流れを読んでほしいものです。

22なつ:2007/12/27(木) 07:53:16
槍騎兵さん。
はい、同意見だがイドについての文法や語彙などの感想は違いますね。
そういうことが一番いいことだと思います。
あなたがいろいろ考察したものも、いろいろな人がいろんな意見をだし合うでしょうね。

aが省略するかしないかでアクセントが変わるのは、考えにくいので、
エスペラントの詩文のoの省略と同じでアクセントは変わらないんじゃないでしょうか。
何度かいいますが、おそらくInterlinguaをお気に召されるんじゃないかと思います。
いかがでしょうか?Interlinguaを知れば、Idoは不徹底だという思いが強くなり、
ギリセーフからギリアウトになるかもしれませんよ。

23Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2007/12/27(木) 14:02:25
イドが変化しまくりだから駄目で、エスペラントは変化しないから良いというのは根拠のない話であり、
エスペラントも相当変化していました。
エスペラントが作り始められたのは、1873年(ザメンホフ当時14歳)で、ほぼ完成したのが1978年(当時19歳)だったようです。
ほぼ完成といっても当時の文章を見ると動詞活用・代名詞・対格格変化・基本語幹は現在とはかけ離れたものでした。
1887年(当時28歳)の"Lingvo Internacia"、いわゆる第一書のエスペラントも、現在のものと比べるとスペルが違っていたり、
語の意味が異なっていたり、相関詞の形状が異なっていたりしていました。
そして、『エスペラントの基礎』で変化が停止したのは、1905年。
変化が停止するまで実に32年にわたる試行錯誤の歴史があったわけです。

それに比べて、イドが誕生したのは1907年。変化の停止は1920年代。つまり長くて20年ぐらいの期間があったということです。
つまり人工言語というのは、使い込んで、様々な表現に対応する程度に調整するのに、数十年かかるものであり、
エスペラントもイドもそういう調整過程を同じく経てきたものなので、
エスペラントは通時性に優れ、イドはそうでないという主張は、妥当でないと思います。

プラ-エスペラント http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9-%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88
Unua Libro http://ja.wikipedia.org/wiki/Unua_Libro
エスペラントの基礎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9F%BA%E7%A4%8E
イド語 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%89%E8%AA%9E

24槍騎兵:2007/12/27(木) 18:54:13
>>22
 インターリングアのサイトを探してみましたが、日本語でめぼしいものは見付かりませんでした。
どこかお勧めのサイトはありませんでしょうか?

 もっとも、ウィキペディアからの情報だけでも意図的に不規則さを残した言語だという事は見て
とれますね。動詞の活用を抜き出してみましたが、どう見てもわざと不規則にしたとしか思えない
仕上がりです。その気になればもう少し規則的に出来たであろう事が素人目にも一目瞭然です。

 原形      -ar    -er    -ir
 現在・命令形 -a     -e     -i
 現在分詞   -ante   -ente   -iente
 過去形     -ava    -eva   -iva
 過去分詞   -ate    -ite     -ite
 未来形     -ara    -era    -ira
 条件形     -area  -erea   -irea

 汎ヨーロッパ言語という視点からすれば、この方が「自然」に見えて良いのでしょうね。一種の
簡易ラテン語として、本格的に古典ラテン語を学ぶ為の足がかりとしては悪くなさそうです。ただ、
国際補助語志向の言語として見れば、当然「もう少しシンプルにして欲しい」とヨーロッパ以外の
出身者は思いそうですが。

 私個人の感想としては、やはり無駄に自然志向過ぎるように感じられます。もっとも、これは
あくまでも国際補助語志向の人工言語として評価した場合の話ですので、上でも述べたように
別の側面から見れば面白い言語であるとは思いますが。

25なつ:2007/12/28(金) 03:59:23
>>24 槍騎兵さん
そうですか。。。総じて日本人は人工言語に関心がないようです。
英語だと例えばIdo系は無数にあります。ノシロ語なんてのが、
たびたび日本では話に上りますが、あんな駄作の言語がよく
日本では話されるなと、笑止です。まあ私見ですが。

で、動詞が3種類あるのはまさにラテン語の感じですね。
採用語彙の言語の中にロマンス語の仏、伊、西(または葡)あるからですね。
多数決ならラテン語よりになるのは必然でしょう。
動詞は自然言語にあわせ3種類が完全に規則的に活用すると思えば許容なんじゃないかなと思うんですけどね。
それが嫌なら語尾が自然言語のように不規則なことも反対なんでしょうね?
たまにEs(Idoも)は統一的語尾が批判されるそうですが、特にヨーロッパ人から。
でも非ヨーロッパ人にとっては品詞が一目瞭然でわかりやすいので私は好きです。
Interlinguaまでいっちゃうと私は英語でいいやって思うんですが、
Interlinguaについて同意見ということか、、、、。
じゃあ、違うのはIdoについて合格ラインの上か下かのみ違う。。。
面白いもんんです。

26なつ:2007/12/28(金) 05:01:22
>>23
数字のマジック(トリック?)ですね。
Z氏が学生時代に同級生に話したごく内輪だけの言語をいれてどうする?
それを日々改良して作り上げて出版発表したのがEsperantoのいわゆるウヌア・リブロ。
1887年7月ロシア版です。その同1887年内にポーランド語、ドイツ語、フランス語、英語で発表され、
その間にだけ、文法的には相関詞ianがiamになっただけ。
語彙は綴り方、意味が少し変わったものが数語あるだけ。
(つまり例えばフランス語で学んだ人は変わっていることすら気づいていない。)
以後特に文法は全く変わることはなく1905第1回世界大会からは変更禁止が宣言とされました。
対して、イドは1920年代まで「イディスト(イド語使用者)は発表後も文法規則をよく変えていった。」(wikiより)
まったく違います。ミイラとりが、、でしょうか?
ただし、これはあなたへの反論であって、私は文法変更絶対禁止には反対です。

27Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2007/12/28(金) 13:30:02
>同級生に話したごく内輪だけの言語をいれてどうする?
プラ-エスペラントを読んでないのでしょうか。
内輪・対外とわず、人工言語の成長の歴史としてみる場合、1873年から入れるのが妥当です。
1887年に突然現れたわけではありませんから。

つまり、発表後の変更の多さというのは、運動としての手法のうまさの問題であって、
人工言語としての作りこみの問題と関係がないと考えています。

28KamelioJapana:2007/12/28(金) 19:59:24
>内輪・対外とわず、人工言語の成長の歴史としてみる場合、1873年から入れるのが妥当です。
1887年に突然現れたわけではありませんから。

現Eのタタキ台となった1887年の案は内輪に対しても世間に対しても初めて出されたものです。
Zamenhofが独自で翻訳や作詩を通して自己の案を改良してきたのでした。Zamenhofが恐れたのは

初めて1873年に言語案を友人たちと祝ったのでしたが、その後モスクワ大の医学生となった彼は
一定期間、人工言語について考えることをしない、と彼の父に約束しています。しかも、
在学中に彼の父がZamenhofの考案した言語案を焼却してしまったことは余りにも有名な話です。
その後、彼は自分が人工言語の創作に携わっていることは殆ど自分だけの秘密でありました。
そして、内輪が知ったのはZamenhofの殆ど結婚前のことでした。すなわち、彼の婚約者とEの
公刊に資金を提供してくれた彼の後の義父となる人でした。

>そして、『エスペラントの基礎』で変化が停止したのは、1905年。

1887年以来殆ど変化しなかったと言った方が正解です。
Zamenhofは有力(優秀という意味では必ずしもない。)な改良案に対して1905年の
第一回E世界大会で、『エスペラントの基礎』が採択されるまで2度も改良案の採択を
E使用者に諮ったが2度とも大衆討議と採決により否決されています。

>変化が停止するまで実に32年にわたる試行錯誤の歴史があったわけです。

これは、下記のIdoに言及している内容と合わせて考えれば完全に誤りだと言えますね。

>それに比べて、イドが誕生したのは1907年。変化の停止は1920年代。
つまり長くて20年ぐらいの期間があったということです。

Idoが誕生した1907年はEが公にされた1887年と比較すべきです。
そして、Idoの「長くて20年ぐらいの期間」は、その使用者に言語の安定性に関して
不安を与えるには、十分長い期間でした。

>つまり、発表後の変更の多さというのは、運動としての手法のうまさの問題であって、
人工言語としての作りこみの問題と関係がないと考えています。

そうです。大衆が使用するコミュニケーションのための言語とは、無縁の存在でしょうね。
Idoとは、絶えざる試行錯誤の結果、その出来不出来は別として、大衆が信頼を置いて使う
言語とはかけ離れてしまい、一部の言語学者と人工言語愛好者という、云わば、インテリの
お遊びのための言語になってしまっていたということでしょうか。

29KamelioJapana:2007/12/28(金) 20:57:25
なお、Eの進化は、変化でも良いですが、Fundamento de Esperantoが採択された後の
100年間の方が、期間が長かった所為と使用者が増えた所為で、その前の期間と比べて
ある意味ではそれが大きかったと言っても過言ではありません。

勿論Fundamentoの土台を踏み外すことは、勿論、論外でありましたが、それでもE独自の
文章スタイルの追求や発音しにくい単語の表舞台からの退場とかが数多くありましたことは、
E学習者なら何方でも触れられることだと思います。

h^ino > c^ino h^oro > koruso しかし、h^oleroはそのまま。

kamelio japana > japana kamelioと形容詞が名詞の前に来ることが一般的になる。

それから、皆様もご存知の例は、国名を表す-i-という接尾辞ですね。勿論-uj-というのも
ありますが、民族国家と称するものも実は少数民族を内包する他民族国家であるというのが
今日の常識でありますが、そのため、入れものを表す-uj-ではしっくりいかないということで
多くの人が現在では国名には-i-を使用しています。

実は、この接尾辞の公式採用はFundamentoに抵触するものなのですね。
しかし、実際には現在では公認同様の状況ですね。
Japanujo > Japanio
この事が分かっていて、あえて、Japanujoを使用することも可能です。それは、それとして
意志伝達の手段としてEという言語が多様性に富む言語の一つの証となる訳ですから。
従って、仮令、Fundamentoに抵触するものであっても大衆が長い間その使用を広く認める
ようになれば、準公認用法、または、語法となるわけです。

しかし、一般的にはFundamentoという大枠があるからこそ、各人が様々なEの運用スタイル
にも安心して挑戦で出来るものなのですね。そして使用者の大多数が合理的と認めなければ、
それは、それまでということなんです。

30KamelioJapana:2007/12/28(金) 21:47:53
日本語版でのIdoがEより優れているという紹介例でも、実はそうではないという
見方も出来るというものが結構あるんですね。

例えば、発音例でu^の代わりにwをjの代わりにyといった文字の採用もそうですね。
Zamenhofも当初はwやyの使用を考えていたようです。
でも、止めたのにはそれなりの意味があるからです。

実は、Eのu^の音は皆様ご存知のことと思いますが、u の音と等価なのですね。
どこかの参考書に u の発音は日本語よりも口を丸く窄めてとか(これは正しい)、u^ の
発音はさらに、口を窄めてとありましたが、誤りですね。
jの音も i から。実際の発音上で口の形から比較するとは等価といえないものも(母音扱いの i は
口を左右に広げて発音することが要求される。特にアクセントがある場合は自然にそうなる。)
理論的には i という音価の母音を子音扱いとしたのが j であるのということで、i と様相が異なる
yを採用することには躊躇われたものと私には思われます。

それは、語彙の多くは学習者の便宜を図ってラテン語族やゲルマン語族等から拝借したものが
多いのですが、基本構成部の単語はなるべく音節の短い単語を善しとしたので、アクセントの
位置の固定という大原則もあって、多くのラテン系言語の様に母音との位置関係で i 、u が
子音の様に扱われることを避けると同時にu^ とj子音の音が u と i の母音がベースに
なっていることを学習者に知らしめたかったのでしょう。

この事を念頭に置かないで音と文字の関係を教える人もいるものと思われます。

31なつ:2007/12/28(金) 22:24:44
>>27
>>人工言語の成長の歴史としてみる場合、1873年から入れるのが妥当です。
ええ、そうですね。
熟成させてEsは1887年公に発表された。1888年以降文法的に変更はないといっていい。
それに対してイドは、公に発表したのち、文法的に変更を重ねていった。
それで、なにか?
ちなみにアルカは今、プラですかね?それともあなたが芸術言語から宣伝言語に変えて、
Idoにさせていってる?

32KamelioJapana:2007/12/28(金) 22:25:27
先の説明の後半部は、おかしな文章でした。

具体例で言うと、例えばアイヌを表すE用語として
aino と ajnuo がありますが(前者が優勢)、どちらも二音節です。
ところが、ラテン系言語ではainoという表記の発音はEのajnoと、粗、同じ音を表します。
Eのainoと同じ音を表記するにはai′noの様にiの文字にアクセント符号を置かなければ
なりませんね。
Camelliaという語の発話音はEではkameljaと表記するわけです。

iとjの別々の文字の採用は非欧州言語圏にも広がり新たな単語の採用に際しても、
Eの許容度の可能性を広げるものでありましょう。

尚、前にも述べましたが、わざわざwやyの使用は欧米式アルファベットに拘り
過ぎる所以でしょう。勿論、英語の広範な影響もあると思います。
キーに関する問題も技術的進歩が解決してくれます。それにローマ字の
アルファベットを採用している言語では字上符を使わない言語というのは、実は、
ほんの少数に過ぎないのです。

それから、余談ですが、
例えば、イタリア語で io (私は)の発音はEの jo ではなくて、ィオという感じですね。

33KamelioJapana:2007/12/28(金) 22:35:30
も一つの余談ですが、国際発音記号表記では、[y]ではなくて[j]の表記が子音字[イ]の音価を表しますね。

34なつ:2007/12/29(土) 01:25:41
K−Jさん
別に、強いてそのような
あなたのおっしゃる
>>程度の低い
(よろずより)
ことを、教えてやっているという口ぶりで話されなくてもいいですよ。
逆にあなたのレベルが問われますよ。
ここはあなたが普段接している北海道の中高卒の有閑マダムの脳みそ保有者とは違いますよ。

35KamelioJapana:2007/12/29(土) 06:57:33
>ここはあなたが普段接している北海道の中高卒の有閑マダムの脳みそ保有者とは違いますよ。

あなたも、やはり唯のインテリの遊び人のようですね。
少なくともあなたは中高卒の有閑マダムの脳みその保持者を差別しておられる。
まあ、そんな差別主義者の方にZamenhofの理想など説いてもしょうが無いですがね。

あくまで私個人の考えですが貴方にはEを勉強して頂かなくても結構ですね。
どうせ、基底性格がナットランですからEの習得も無理でしょうがね。

36KamelioJapana:2007/12/29(土) 07:01:24
>>30
の補足。念のため。
例えば、民族語は規則の制約が非常に少ない人工言語に比べ総て劣っているのでしょうか。
現代社会に通用する民族語に関する限り言語として劣ってるなどと云うことは言えませんね。
皆様もお分かりかと思いますが、民族語はアプリオリにDNA生物である人間の遺伝子が作り出すcerbo脳の
機能によって規制されて働く人類固有の思考伝達・処理体系の形式と生理学的機能(発声器官の構造)
とに規定されて進化したきたものですね。

換言すると、突き詰めれば人間の脳や生理学的構造とマッチしないものが、仮令、文明によって上から
強制されたとしても、そういった言語は存続できなかった(むしろ、流産に終わった)ということですね。

それに対して人工言語は違います。

例えば、数学や論理学を応用してより短く、簡潔な「言語」を作ることが出来ます。コンピューターなどの
プログラム言語はアルカ記号のようにたった一つの最小の演算子が異なれば明確な意味の違いがでてきますね。
それは、ハード的には最小の電圧をかけることによる電流の流れの変化を機械が感知出来るためです。
しかし、人間が実際において使用できる言語かどうかとは全く別問題です。

人間の使用に耐える言語というのは上記に述べたとおり、自ずと制約があるものなのです。
例えば、よく挙げられるSVOやSOVという語順を「標準的語順」として使用しているものが
自然言語(民族語)では最も広くみられること。

発音しにくい子音や子音同士の区別は言語の持つ、というより人間の生理機能の持つ。省エネ化傾向により
次第に排除されていったこと等。(Eもそういった点では既にその長い言語史を通じて自然言語の仲間入りを
果たしたものといって良いのではないかなと思います。)

37seren:2007/12/29(土) 08:56:30
>プログラム言語はアルカ記号のようにたった一つの最小の演算子が異なれば明確な意味の違いがでてきますね。

引き合いに出すなら、誤解なく引用してほしいものだ。
最小対語の起きない語形もアルカには多くある。
逆に日本語にも英語にも最小対語はプログラム言語と同じく存在する。
言語学の話を持ち出したのは前進だが、裏を取りなさいよ。

38Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2007/12/29(土) 09:11:06
>>28
>初めて1873年に言語案を友人たちと祝ったのでしたが、その後モスクワ大の医学生となった彼は
>一定期間、人工言語について考えることをしない、と彼の父に約束しています。しかも、
>在学中に彼の父がZamenhofの考案した言語案を焼却してしまったことは余りにも有名な話です。
>その後、彼は自分が人工言語の創作に携わっていることは殆ど自分だけの秘密でありました。
>そして、内輪が知ったのはZamenhofの殆ど結婚前のことでした。すなわち、彼の婚約者とEの
>公刊に資金を提供してくれた彼の後の義父となる人でした。

年号は1878年のような。しかも、モスクワから帰ってから普通に父親と交渉してエスペラントづくりを再開したり、アレックス氏とかテオ氏とか家族とか普通に秘密にしていなかったような。

> ちなみにアルカは今、プラですかね?
初代アルカから入れれば27年目でも、2000年以前の古アルカと2001年以降の関係は、
ラテン語とエスペラントぐらいの断絶がありますので事実上今年で6年目。
語彙数がそろそろ13000ですが、まだまだ調整中というのは仕方ない話です。

>>36
もしや「イカ」と「息」と「行く」と「池」と「囲碁」の区別がつかないのでは?
最小対数でも十分に意味の違いは判別可能です。

39槍騎兵:2007/12/29(土) 09:51:05
 少し目を離した隙に、本来はこのスレッドにそぐわないはずの話題で賑わってますねぇ…
いや、スレッドの持ち主であるなつ様を差し置いて私が文句を言うような話でもありませんし、
個人的には別に構わないんですが。


>>25
 このあたりで改めて、私のスタンス確認しておきましょうかね。

人工言語の国際補助語志向について : もし実現するのであれば良い事だと思う。程度の差こそ
あれ、少なくとも英語に比べれば初学者は大分楽になるはず。でも多分実現は無理だろうな…

エスペランティスト保守派について : 国際補助語として採用される為には安定感こそが最も重要
であるのでみだりに改造等を論じるべきではない、というのも一つの考え方ではある。少なくとも
首尾一貫はしている。それの是非についてどうこう言うつもりは無い。保守派と改造派のどちらが
正しいのかは、結局のところ結論が出てみなければ分からないだろう。

エスペラント改造派について : どうせ改造するのであれば、エスペラントではなくてイドを叩き台に
議論した方が話が早いのではなかろうか? 巷でエスペラントの欠点とされている部分の大半は
既にイドで解決されているような印象を受ける。

 <以下、このスレッドによりもたらされた追加部分>

 確かにイドにはボーフロンの勇み足とでも言うか、むしろ改悪ではないかと見られる部分もある。
 しかし、それらの大半は単純にエスペラント時代に差し戻すだけで解決出来る問題であるので、
 議論の叩き台としてはとりたてて欠点と言う程の事ではないだろう。


> で、動詞が3種類あるのはまさにラテン語の感じですね。
> 動詞は自然言語にあわせ3種類が完全に規則的に活用すると思えば許容なんじゃないかなと
> 思うんですけどね。

 例えば下記のようにしてしまえば、母音までを語幹と考えて差し支え無くなり、単純に1種類に
なります。もし汎ヨーロッパ言語を目指すというのであれば我々がどうこう言う事も無い話ですが、
国際補助語を目指す場合は当然、アジア人やアフリカ人から「どうせならもう少しシンプルにして
欲しかった」と思われる事は容易に想像出来るでしょう。

 原形      -ar    -er    -ir
 現在・命令形 -a     -e     -i
 現在分詞   -ante   -ente   -inte
 過去形     -ava    -eva   -iva
 過去分詞   -ate    -ete    -ite
 未来形     -ara    -era    -ira
 条件形     -area  -erea   -irea

> それが嫌なら語尾が自然言語のように不規則なことも反対なんでしょうね?
> たまにEs(Idoも)は統一的語尾が批判されるそうですが、特にヨーロッパ人から。

 本来、私は品詞語尾の統一自体に違和感を持っております。このスレッドの趣旨がエスペラント
とイドの比較ですので、両者に共通した特徴に対してまで意見を述べる事はありませんでしたが。

 ただ、品詞語尾に対する違和感と意図的に残された不規則さとを天秤にかけてどちらを優先する
かと問われれば、国際補助語を目指す事を前提とする以上は不規則さの排除を第一にするべきで
ないかと考えます。ですので、インターリングアに比べればエスペラントやイドの方がベターなのでは
ないかと思っております。

 理想を言えば、語尾に判断を頼る必要の無い規則的言語が個人的には望ましいのですがね(笑)

> じゃあ、違うのはIdoについて合格ラインの上か下かのみ違う。。。 面白いもんんです。

 なつ様が「中途半端だ。どうせならこうしておけばよかったのに。むしろ改悪ではないか」と思われる
部分の大半が、私にとっては「中途半端だ。どうせならこうしておけばよかったのに。だがエスペラント
に比べれば改善はされているな」と見えるわけですね。確かに面白いものです。

 ですが、ある意味では中々に良い組み合わせかもしれませんね。こういう事は結局のところ、参加者
の間で白黒を付けたところでどうなるような問題でもないわけでして、スレッドを見た方がどう感じるか、
が問題なわけですから。である以上、異なる意見の持ち主間でスムーズに話が進んでいるというのは
かなり理想的に近い展開ではないかと。

40KamelioJapana:2007/12/29(土) 18:52:11
>>年号は1878年のような。しかも、モスクワから帰ってから普通に父親と交渉してエスペラントづくりを
再開したり、アレックス氏とかテオ氏とか家族とか普通に秘密にしていなかったような。

だから、あなたのこれまで展開していた説が正しいと証明されたのですか。
首尾一貫しない言動をいつまで続けるのですかね。
以前にあなたの書いていたことを思い出してください。まだボケるのには私より遥かに
早いと思いますが。。。
失礼。ボケでなくてトボケでしたか。

>>「イカ」と「息」と「行く」と「池」と「囲碁」の区別。

あなた、言語学の音韻論を勉強しなおしたら好いんじゃないですか。

i-ka, i-ki, i-ku, i-ke, i-go,
と言うのは音節単位で違うんですよ。

それとも、あなたは、
ka, ki, ku, ke, go や ak, ik, uk, ek, og の違いと
例えば、語尾が次の音で終わる
ab, ac, ad, af, ag, ah 等の違いの意味が理解できないのかな。

アルカではセレン氏からお墨付きをもらっているあなたがねぇ。
これも、また、トボケ、でしょうかね。

41KamelioJapana:2007/12/29(土) 19:57:38
Kakisさん。これは、私見ですけどね。上のことと関連して、ちょっとEには旗色が悪くなる
事実ですが。。。

皆様がEについて欠陥を色々と言う割には、次の事実には気付いていないのでしょうか。
あれ程「日常用語の混乱」に言及される松戸さんも、ひょっとして気付いていないのかどうか、
分かりませんが、所謂、数字を表す、
ses, sep の音の問題はいつも言語学者から槍玉に挙がっていますね。

私の個人的好みとしては、ses の代わりに取り合えず sis にした方が良いと考えているの
ですが。。。
Eでは一字一音の対応で、それぞれの文字が表す音価の環境による変化は原則では、認められない。
例えば、langustoイセエビ lan-gusto羊毛の好み
これは、lano-gustoとすれば問題解決。

ただし、s, p の子音で文を締めくくる際、この語の場合は、それぞれ単独では伝達における情報の
正確性を担保できないからと言って、s、p の音価を変えたり、その前の e という母音の音価を
変えたりは、ましてや、s, p 後に曖昧母音を付け加えたりは、Eではできないのですね。

Kiom da jaroj vi havas laux (via) agxo? Mi havas ses (jarojn). / Mi havas sep (jarojn).
Kiom da gramoj gxi pezas? Ses. / Sep.

実際には、s, p, の後に場面により、どこかの言語の様にシュワーちゃん(軽い母音)を入れる様です。
これもFundamentoから多少の逸脱の良い?例ですね。

42seren:2007/12/30(日) 00:52:29
やっぱヴァールに似てるなぁ。なるほど、一事が万事だ。
たまに人が間違えると鬼の首とったような態度で、自分のことは棚上げしてたもんな。
で、実際こういう奴に限って、口ほどにもなく的外れだったりする。実際ここでもそうだ。

最小対立に関しては、音素が1つ異なって意味の異なるという、音韻論上の概念のことだ。
烏賊は/ika/、息は/iki/。/a/と/i/の対立により、最小対立が成立している。従って――

>i-ka, i-ki, i-ku, i-ke, i-go,
>と言うのは音節単位で違うんですよ。

―― そ も そ も 音 節 は 最 小 対 立 と は 無 関 係 な 概 念 な ん だ け ど 、い っ た い 何 を 指 摘 し て い る の?

言語学の経験者からすれば、なぜ「音節」という言葉がここで登場するのか、分からんね。
君が餅屋じゃないことはバレているから、殊勝そうにしてなさいよ。君はまだ人の揚げ足取れるレベルじゃない。

明日あたり、図書館でも行って言語学大辞典でminimal pairでも調べてくることを勧める。

43KamelioJapana:2007/12/30(日) 05:55:59
>>42
「serenさんよ。当然KYの君が私に侘びの言葉をいれる、などと言う事は万が一にも
期待できないようなので、相手にしていなかったが、
君に今回きりだけ相手になってあげる。

私は、言語学のプロではないし、特に最近は忙しくてその手の本も読む暇はない。

音節が最小単位だなんて、私が何処で言ったっけ。

そのくらい少し音韻論をかじった人なら四六時中私の言動に目を凝らしている君に
言われなくても、分かっているから、心配せんでええわ。

私が論じているのは発話における minimuma distingilo の事を問題にしているの
ではない事を優秀な君には分かることだろうが。

それとも、重々、承知でやっている君もトバケの達人かよ。
いい加減顔出すのはやめろ。ここはにいても身内以外誰も君も相手なんかしないよ。
するとしたら、私の揚げ足取りのために君がアルカのiniciatojの一人だという
ドウシヨウモナイ事実を、所謂、虎、でなかった君の威を借りるときだけだろうよ。
いい加減で引っ込んでいろ。君も何回かそのことを示唆しただろうが。決断力のない
やつだな。
それよりか自分と自分の奥さんや子供の将来を現実に足をつけてとくと考えろ。」

と私は言いたいです。

44Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/12/30(日) 07:26:43
殺伐としたやりとりがとても楽しいです。KamelioJapanaさんにはエスペラント界
を代表してもっと口汚く頑張っていただきたいです。

45君の頭に乾杯:2007/12/30(日) 07:30:02
Kamelio Yapana 通称 KY

46なつ:2007/12/30(日) 07:50:02
>>35K-Jさん
面白い、興味深いレスです。
>>あなたも、やはり唯のインテリの遊び人のようですね
お墨付き、ありがとうございます。
>>中高卒の有閑マダムの脳みその保持者を差別しておられる
差別をしていると思うことこそ差別意識があるということですね。
逆もまた真なりです。あなたの潜在意識が垣間見られました。
そして実際そういう人たちと接していることを否定されていないことも面白い。
Z氏の理想?
ユダヤ国家建設とそのときのユダヤ共通言語でしょうか。
彼の本当の理想くらいあなたならご存知でしょう。まあそれは有閑マダムごときには隠されてるでしょうが。
思想的に偏重されているあなたとは違うということですね。
私は例えば強盗も盗人も共通語として話すことが真の共通語だと思います。
思考、思想が違うやつは学ばなくていいという共通語ですか?まさに思想偏重です。

47なつ:2007/12/30(日) 08:23:13
>>41K-Jさん
また、低レベルのことだが教えてやっているといった感じですね。
そんなことくらい知ってますって、だから。
議題提示はいいことですが、その口ぶりが恥ずかしい。
「お前たちに教えてやろう。オーストラリアの首都はシドニーじゃなくてキャンベラってとこなんだぞ」
と同じくらいの恥ずかしい口ぶりです。
実際、数字が大事な放送なんかはsisと便宜上言っていることもありますね。
しかし、sesとsepは本当に区別しにくい。
友人のベトナム人はカナで書くと両方とも「セッ」なので本当に聞きにくい。
中国の表記やhxがkに変わったことを考えるとsisにしてもいいのでは、とも思うのですが。
sesをsisにするのは宣言に抵触するんですかね?
ちなみにイドではsisですから、あなたもそれについてはイディストですね。
あと代名詞の問題もありますね。
mi,ni,vi,li,sxi,gxi,ci,ri

48Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2007/12/30(日) 09:08:12
>>40
実際、深刻な記憶障害があるので。10レス前は覚えてないタイプです。
あと、英検3級・言語学専門外のリアル低脳タイプで言語学的にも語学的にも素養のない人ですが、
そういう人でも、20過ぎてから覚えられるというのは、アルカはよくできた言語ですね。

なるほど、I set that とI said thatは区別が難しいタイプですか。
開音節構造の場合、日本人は音をかな文字で認識しているからほぼ間違えませんが、閉音節はそうではないですね。
あと、laughとloveの違いが微妙だと思ったり・・・・・。韓国語も英語も欠陥言語ですね。その理論では。
特に韓国語は閉子音がほとんど口構えだけで聞こえませんし。
それでも普通に通じているから、実際の運用では文脈その他で結構何とかなります。
また、アルカの場合pap(厚い)は「パッp」のように高音で短く、
pab(馬)は、「パーp」のように低音で長く発音するので、文脈以外でも以外に判別できるようです。

pab xon-e zem pap
馬 食う 草 厚

また、名詞はそこそこ強く、形容詞・副詞は弱く発音するので、そのあたりでも分かるようです。
もちろん、文字では分かりやすいですが。

49Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2007/12/30(日) 09:10:21
ses sepは変えたほうが意味は取りやすそうですね。
特に軍隊では。
数詞というと、英語ではラテン数とゲルマン数、日本では漢数詞(いち、に、さん)と和数詞(ひと、ふた、み)がありますが、
エスペラントでは、命数法を見る限り、ラテンとギリシャがあるようです。
アルカでは、現代様式と古アルカがあります。
やはり、2つぐらい体系があったほうがいろいろ使い勝手がいいようです。

順 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
古 yum fua you vio von txo avo zam hen lon tou
新 u ko ta vi va li ki no te lo too

50seren:2007/12/30(日) 10:22:33
亀さん、よほど悔しかったのね(^-^;

俺が言いたいのは、最小対立の説明ではどの道音節なんて単語が登場する余地はないのだから、音節なんて引き合いに出してる時点で物事を知らないんだなと分かってしまうということだよ。俺たちから見ればアチャーなわけで。
別に的外れでも一々突っ込まないけど、今回突っ込まれたのは、さんざ他人の揚げ足取ったわりに自分がよく分かってないからだよ。
言語学に歩み寄ったことは評価に値するからさ、正攻法で頑張ろうよ。そしたら周囲はもっと真面目に相手してくれると思うし。

51KamelioJapana:2007/12/31(月) 13:33:06
>Z氏の理想?
>ユダヤ国家建設とそのときのユダヤ共通言語でしょうか。
>彼の本当の理想くらいあなたならご存知でしょう。まあそれは有閑マダムごときには隠されてるでしょうが。
>思想的に偏重されているあなたとは違うということですね。

私が云うZamenhofの理想とは彼が晩年に到達したものを示しています。E界でも勿論そうです。
それから、
あなたが、一貫性には欠けながらも私に向かって言うところの「思想的偏重」が何を示しているのか
いっこうに明らかではありません。前にも言ったように、私の「思想的偏重」に対してあなたが
正当であると考える一般的思想か平均的思想かは、分かりませんが貴方の見解表明を首を長くして
待っているのですがねぇ。出ないと、反論の仕様がないのです。

>私は例えば強盗も盗人も共通語として話すことが真の共通語だと思います。
思考、思想が違うやつは学ばなくていいという共通語ですか?まさに思想偏重です。

なつさんへでしたかな、Eを学ぶ資格がないというような無礼なことを私が申し上げたのは。。。
それで、もし、頭に来ているのでしたらお許し願いたい。前にも述べましたが私が
切れやすい性格者であることはネットへの書き込みを通して始めて自覚したことの一つで
あります。
しかし、
もとより、あらゆる差別について私は地上から葬ることを目標に運動してきたし、
現在もしている人間ですから貴方が上記で述べたようなことは私の真意を曲解しているもの
と反論させていただきます。
私の政治的見解とは正反対とも言えるesperoさんともEの世界大会では今年も昨年も同席して
おります。

52KamelioJapana:2007/12/31(月) 14:28:27
>sesをsisにするのは宣言に抵触するんですかね?

残念ながら抵触します。
しかし、本質的に宣言を支えているのは、厳密には歴史における諸「権威」もさることながら、
komencanto以上のE使用者、またはE界の「権力」的構造といえるでしょう。

従って、ses を sis に変えるような、あからさまな逸脱はしないまでも、語尾の子音を極度に
強調したり、曖昧母音を付加するような小さな逸脱を行ったりする事は、これからもE界の
力関係が民主的に反映される限り、常に小さいながらも改良(そう云わない人も、勿論居ります。)
の流れがいつの間にか本流となるようなことが十分起こりうるのです。

前にも述べましたが国家を意味する -i- という接尾辞の広く一般的使用はFundamentoからの
逸脱(膠着語方式をEの造語法原理としているので相関詞以外、接辞は品詞語尾の付加により
それ自体独立した単語を形成できる。)にも拘らず広く支持者を獲得しております。

>ちなみにイドではsisですから、あなたもそれについてはイディストですね。

idistoの定義の問題でいうと、上記の言い方は正確性を欠くと思いますが、sis の採用は
Ido の数少ない利点の一つですね。

>あと代名詞の問題もありますね。
mi,ni,vi,li,sxi,gxi,ci,ri

確かにマイナーな問題として存在します。しかし、ses とsep の問題と比べれば、
Fundamento に抵触しない形で解決可能な問題です。

ちなみに、ri-ismoに私が難色を示す一つの理由として ri という発音の問題があります。
日本人その他rとlを区別するのが得手でない母語者が多数存在する事実をその提唱者は
念頭に置いていなかったのでしょうか。。。

53KamelioJapana:2007/12/31(月) 14:58:26
>>48
>>49

民族語の中にも情報を正確に伝えるには不備と思われるものがそれぞれに幾つかは
あるものですね。
開音節で終わることの少ない英語や仏語なんかは、それを補うために語の子音母音連結が
盛んに行われるし、独語の様な子音でおわる事が非常に多いゲルマン語系では、所謂、
glota halto の様なものが発話での語意の正確な伝達を極力カヴァーする必要に迫られた
ために出てきたのかもしれませんね。
その副産物として、巻き舌振動の[r]が喉ひこのアール[R]に省エネ化の原理で変化して
しまいましたが。。。

でも、Eの様に一字一音という原理に縛られないだけに、話し言葉における自然語の進化は
むしろ人工言語であるEよりも速いと云えるでしょう。

54なつ:2007/12/31(月) 15:05:12
>>51
詭弁ですね。
晩年到達したもの?え?
現在根拠がないとされている少年期の逸話を話し、
現在根拠がないとされている青年期の逸話を話し、
その後は中抜きをして最晩年の神輿にのったときの綺麗ごとばかりを強調。
Homaranismoは思想にあわせた表面的な説明にとどめる。
こういうことをされてるでしょ?
まあ有閑マダムの何割がシオニズムという言葉をしっているか知らないが。

55なつ:2007/12/31(月) 15:45:50
>>52
そうですか、残念ですね.HxがKになったものは抵触していないように思えるのですが。

>>自分たちの母語に「l」と「r」の音の区別がないために、これらをうまく区別できないliistoとriistoが
>>互いに誤解してしまうといった対話も作れないことはないが、現実にそうなる危険は少ない。
>>例えばドイツ語の代名詞「sie」などは、「s^i」か「ili{彼等}」か「vi{あなた、あなたがた}(格式ばったとき)」のどれかを意味するというのに、
>>そのことで混乱することはめったにない。
ということらしいですが、知っててなおRiを採用するのはいかにもヨーロッパ人、という感じですね。
実際「Mi estas liisto.」と「 Mi estas riisto.」は、両方とも「私はリイストです」となるという事実があるんですけどね。
それは韓国語でもそうですし。
じゃあイドはというと、彼(il)、彼女(el)、その人(lu)と一見riismoととれる。
でもEsのRiismoは彼、彼女の語自体否定するので違うといえます。

56KamelioJapana:2008/01/01(火) 09:49:55
皆様。
明けましておめでとうございます。ご健康で素敵な新年をお迎えすることを願っています。
今年もウッカリ人様を傷つける様な勇み足的書き込みをするものと思いますが。。。
Antau^ pardonon! 前もってお許し願います。どうか、お手わらやかに。

>>54
貴方の言っていることが良く分かりませんが。。。

特に、以下の発言を続けられることは

>>まあ有閑マダムの何割がシオニズムという言葉をしっているか知らないが・・・

「有閑マダム」に該当すると思われる人はもとより北海道のエスペランティストの方たちをも侮辱する
ものとも取られかねないので、貴方の現在と後々のご活躍のためには撤回したほうが云いと思いますが。。。



ここはあなたが普段接している北海道の中高卒の有閑マダムの脳みそ保有者とは違いますよ。

57KamelioJapana:2008/01/01(火) 09:56:50
スイマセン。
上記の書き込みで

「ここはあなたが普段接している北海道の中高卒の有閑マダムの脳みそ保有者とは違いますよ。」

という なつ様の発言の引用の前に、そのことを示す >> のマークを付ける事を忘れました。

新年早々スイマセン。

58なつ:2008/01/01(火) 10:06:58
>>56
へええ
北海道のエスペランティストは私の言っていることに自分が該当すると思うということですね?
私はそういう人もいるということであって、そこには10%なのか90%なのか該当者を述べませんでしたが、
あなたの口ぶりでは私が話した内容は99%に該当するということなのかな?
恐ろしいことです。
でもまあ、大丈夫ですよ。有閑マダムが、「私のことを馬鹿にするのか!」
といってきたら「いいえ、、、あなたは、お忙しく、日々努力をなさってらっしゃるし、考え方もしっかりしていらっしゃる。
ぜんぜん、あなたには該当しませんよ」って言えばいいのだから。
そういうものでしょ?
でもまあ、あなたの所在地(ですよね?)のことを言ったまでであり、どこでも同じです。
シャッター商店街の暇な店主たちの井戸端会議の延長です。
教える側は、Z氏について例の中抜き教示をする。
全国的なものです。

59なつ:2008/01/01(火) 11:04:02
普通名詞語尾について
まず、エスペラントは語尾はすべてo。複数形はすべてjをつけて、ojになります。
イドは語尾はすべてo。複数形はoをiに変えます。
イドはイタリア語の男性名詞的になりました。
ある説ではZ氏も宣言後、このほうが良かったかなあと思ったといわれています。
またある説では発表前にsをつけることを考えたとき動詞語尾も変える必要があるとさとりやめたともいわれる。
どっちが優劣かはいえないでしょう。たとえばエス型の英語が優れているとか、いいやイド型のイタリア語が優れているとか、っていう話になるので。
個人的には、イド型ははじめのころ頭の中でoをiにチェンジしなければならないのに対し、
エス型はただjを付け足せばいいので、こちらのほうが好きです。あくまでも好き嫌いの話になりますね、これは。
また、jではなくほかの子音だったら対格nがついたときjよりも私は発音しにくくなるのでjがやはりいいですね。
なんでjなんだ?という意見もたまにあるようですが。。。。

ちなみにインターリングアでは、
1母音にはs、2子音にはes、3cにはhes(例:rocはroches)をつける。
4isで終わるものはesに変える(genesisはgeneses)。
5他言語からの借用語はその言語に従う。(英testはtests、独liedはliedern)

60なつ:2008/01/01(火) 11:53:08
>>41
エスペラント改造論の既に初めのほう(2006年)で
松戸さんはsesとsep、その他まぎらわしい語について言及されております。
ちなみにsepはhepかepならどうだろうと言われています。

>>事実ですが。。。
>>皆様がEについて欠陥を色々と言う割には、次の事実には気付いていない
>>あれ程「日常用語の混乱」に言及される松戸さんも、ひょっとして気付いていないのかどうか。

あさっての方向からの上から目線、いつもありがとうございます。

61KamelioJapana:2008/01/01(火) 20:18:54
>>58
ほほう。非論理的で感情的反論ですね。
貴方の議論には、根拠も示すことなく人の言葉を勝手に曲解し、その曲解した観念に基づいて反論している
ものがあります。

>>「ここはあなたが普段接している北海道の中高卒の有閑マダムの脳みそ保有者とは違いますよ。」

私は、貴方のEのレベルは問わないにしても、日本語については対等の立場で指摘させて頂きますよ。

「貴方が普段接している」というのは連体修飾語句ですよね。
となると、私は、貴方の予想と違って「北海道の中高卒の有閑マダム」に該当する人とは、昨今の
お付き合いは、残念ながら皆無です。とすると貴方の論証のための前提に挙げた仮説自体が崩れてしまい
ますが。。。

そうすると、
そのことの裏づけが無く、敢えて「普段接している中卒の有閑マダム」という表現を使ったとするならば、
その比喩は私に対するレッテル張りになるわけですね。

この時点で次の幾つかの解釈が可能です。
1、ここでの論争の前後関係のコンテクストからは、「北海道の中高卒の有閑マダムの脳みそ保有者」では
少なくとも、ここに参加している貴方の脳みそには及びでないことが示唆されます。

2、「普段接している」という修飾語から、私が日頃の接している「少なからずの方」が、ここに参加している
貴方のレベルには及びも着かないことを示唆していますね。

3、>有閑マダムが、「私のことを馬鹿にするのか!」
この貴方の言及から、「有閑マダム」という語がそのコノテーションには人を侮蔑するものがある事を
貴方は自覚しておられる。

4、このことから、私はさておき、「私の普段接している」人たちを貴方が馬鹿にしていると取られても
仕方がない言動である。

5、また、私が普段接している方をエスペランティストと非エスペランティストとに分けましょう。
そうすると、私が、普段接している非エスペランティストの方とは、これまで論争になってきた
テーマでは話すことがマズありませんから、私が貴方が言うところの「普段接している」人びとに
北海道のエスペランティストを含めて解釈してもかまわないでしょう。
北海道に「有閑マダム」のエスペランティストがいたとしたら明らかに貴方は差別的言動をしたことになります。

それとも、論理的に混乱した下記の言質の前段のような言い訳を、北海道のエスペランティストの面前で
するのでしょうか。

>そういうものでしょ?

貴方の認識はそういうものなんですね。

>>60
そうですか。松戸さんは既に指摘しておりましたか。
松戸さんには、大変失礼しました。
なつさんの指摘に感謝します。

62なつ:2008/01/02(水) 03:57:03
>>61
K-Jさん
もうやめたいものですね。レベルが低すぎることでお互い何日かかっているのか。
私は「差別的、侮蔑的発言はしないし、していない」とは一切言っていないのです。
「差別はしない」という表面的スタンスなのはあなたなの方です。根本的に読み誤っています。
>>「北海道の中高卒の有閑マダム」に該当する人とは、昨今の
>>お付き合いは、残念ながら皆無です。
初めからそういえばいいのです。否定すればいいのです。
それですむかもしれないことを「差別だ!侮辱だ!」と。
話をこじれさせる要素をお持ちですね。
なぜ否定しなかったのか、そして、なぜ「差別的発言だ!」となったのか、、、
あなたとは根本的に異質なので理解できませんが、
できないままで結構です。

63KamelioJapana:2008/01/02(水) 18:49:16
>>62
お止めになるなら結構です。
貴方が、論理的思考の欠如した方だということは、もう十分、分かりましたので。。。

ところで、貴方は、いっこうに私が「偏向」、そして、今回の「根本的に異質」ですか、
そのレッテル張りの理由の説明を相変わらず避けております。

速いところ、説明して頂けないでしょうか、また屁理屈をこねて逃げるおつもりなので
しょうか。
なお、私事のため、一月6日の朝まで失礼いたしますので、それまでに書き込んで頂けれは
幸いです。

64Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2008/01/02(水) 20:50:54
koa et slei konat mex-e cekan il slei alt eyo.
vinsa sle an na.
dina nifa e mirs et ven rak a.
yqp, an in-ax ovnxak e liva.

65なつ:2008/01/03(木) 09:07:32
>>63
「論理的思考の欠如」ではなくて、思考方法があなたとは根本的に異質なのです。
そして、あなたはそれに加えて、読解力がないということと、知ったかぶりの自慢屋でボロが結構出るというのが特徴ですね。
思想的偏重の話になると、また話がこじれるので絶対説明はしませんよ。あなたへの単なる揶揄だとでもお考えください。
屁理屈なんていいませんよ、逃げます、面倒くさい。

66KamelioJapana:2008/01/07(月) 07:41:32
>>65
>思考方法があなたとは根本的に異質

で、「根本的に異質な」貴方の方が正常だと云いたいのですね。

相対的視点のない観念論的二者択一思考だとしか言い様が無いですね。
同じ日本語を用いて話しているのですからね。
問題なのは、論理的に通じ合わないとしたら、貴方が論議に用いる語と私が用いる語が
用語の定義のところでかみ合っていないとか、どちらかが論証の際の論理の展開がおかしい、
とか、という表現をするべきです。

そもそも、何の説明もなく、「偏向・偏重」というその用語を確りと定義することなく
語自体のコンテクストが曖昧で、場合によってはそのコノテーションが他人に「バイアス」
を引き起こしかねない用語を貴方が最初に使ったことがボタンの掛け違いでしたね。

>読解力がないということと、知ったかぶりの自慢屋でボロが結構出るというのが特徴ですね。

それは、貴方のことでしょう。自分のことは棚に上げて他人を攻撃するためにはあらゆる言葉を
その意味する内容を深く考えることなく乱用する。

>思想的偏重の話になると、また話がこじれるので絶対説明はしませんよ。あなたへの単なる揶揄だとでも
お考えください。屁理屈なんていいませんよ、逃げます、面倒くさい。

ああ、呆れたご返事だこと。貴方は思想偏重という語に関しては全く説明しようとしない。
ああ、そうか。私に言わせると偏重しているのは貴方の方ですね。論理性の欠如を自ら露呈したようですね。

>面倒くさい?

ああ、貴方、貴方、貴方、貴方〜!
何たる不実な言い草。私は、貴方が何ら答えになっていないこれまでの様な人を侮辱した「言質を
取り続ける貴方」でいる限り、貴方の用いる「正当な思考法」の流儀をも利用させて頂いて、
貴方が確りした説明をされるまで、徹底して貴方を追求いたします。

67Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2008/01/08(火) 20:41:04
as-al vao, as-al vao.
vol nams e lanaeld it ma ae vao.
yqp, an ixt-ax me melidia.
tatespon tan koa tan iv-e ladet aa.
mirs-al akn e pa/pi os tal sod e eld.
dina, an in-a xil os kof em mirs-e fi kon lanaeld na.
an es-i raan e koa axt-if kon lanaeld vao a.
aa, do axt-ux kon lanaeld man hac e lanaeld et ma cek tot piakap xa.
saia man lanaeld et lidleld en lad-e yu sa galtatoo sal a.
til passo ol yol-e x.
alfi, man yolan e lanaeld it di olta ea san-e eld tu.
an na-i nil al toz e lanaeld.

陰口とか秘密日記を書きたいインナーな人にとって、エスペラントよりもセキュリティーは万全だなぁ。
しかも、そこそこ覚えやすく使いやすいと。
10代ぐらいの色恋沙汰やドロドロの人間関係に苦しむ少年少女に受けそうな予感。

68なつ:2008/01/12(土) 12:03:53
>>66
k-jさん
久しぶりです。

>>で、「根本的に異質な」貴方の方が正常だと云いたいのですね。
>>相対的視点のない観念論的二者択一思考だとしか言い様が無いですね。

はあ?別に

で、偏重についてですが、別に定義しませんよ。そういってるでしょ?
あなたへの揶揄でしかありませんから。
私が偏重していようがいまいが別にいいでしょ?

>>自分のことは棚に上げて他人を攻撃するためにはあらゆる言葉を
>>その意味する内容を深く考えることなく乱用する
こういう理由で、私は、あなたと同じように知ったかぶりの自慢屋ですか?
根拠がよくわからん。

「貴方」ってリピート? 気持ち悪い。ホモですか?
まずしゃべりかたが思想偏重した人特有で気持ち悪いですね

69KamelioJapana:2008/01/13(日) 08:43:18
下記はIdoに関する日本語サイトからの一部を引用したものです。

「エスペラントでは男性名詞から女性名詞を作りますので、男性中心主義です。
例えばpiloto、amiko、dentisto、kuzo、kato等は総て男性であり、これに女性語尾の
inを付けて女性を作ります。即ち女性語尾inの無い名詞は男性である訳です。」

http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/5864/

これは誤解を生む表現ですね。というかこれを書いた当人が誤解しているのかも知れません。

先ず、名詞語尾 -o ですが、これは「単に名詞を表す」意味以外はありません。
語意の根本は語尾を除いた語根にあります。kat/o > kat猫なるkonceptoであって雄猫では
ありません。
端的な例は ino と言う語です。ino > in/o
語尾 -o が付いたからと男性にはなりません。

例えば、例に挙げられた単語を見ていけば

1.kato
ですが、これは必ずしも雄猫を意味していませんね。
katinoで初めて雌猫の意味が付加されます。
敢えて、雄猫といいたい場合は雄を表す公式な接尾辞はありませんがら、malina kato,
とか、vir-katoのように言います。

次に

2.piloto, dentisto
ですが、これも kato ほど明確ではないですが、必ずしも男性を表すものではありません。
ジェンダーの区別がある言語圏の方たちは、職業柄男性が圧倒的に多数派ですから、
piloto、pilotinoをするのが通常ですが、例えば印欧語族に属するにも拘わらず名詞語尾に
ジェンダーの区別のない英語圏の人は、

Ŝi estas piloto.という言い方をよくします。

piloto よりも女性の進出が多い dentisto なら、なおさら

Ŝi estas dentisto. という表現が多くなると思います。
特に
Ŝi estas pianisto. という表現は英語圏では多数派になりつつあります。
尤も、pianiste と言うのはラテン語圏では女性名詞だと記憶が私にはありますが。。。
似たものとして、ano(= membro) が典型例です。

次に

3.amiko
の場合は、ハッキリ男性という定義があります。
が、例えば、

Ŝi estas mia amiko.といった場合 ŝi と li を取り違えたというより amiko は女性で
あると通常にエスペランチストなら捕るでしょう。
我々、日本人、それからFeministoは特にこういう言い方をしてもかまわないと思います。
私が好んで聞いているRadio Polonjaはポ−ランド語の影響を強く受けている所為かどうか
は分かりませんが、特に男女の区別をハッキリさせる傾向にあります。
Idoのように明確にヨーロッパ語を自認するものと異なり、我々エスペランチストがそれに
習わなくてはならない謂れは無いのですね。
NPIVにも amiko には通性の定義があります。
似たものとして、ulo

最後に
4、kuzo
は、明確に男性を示す単語といえます。
これは patro, frato, sinjoro等も同じです。
私としては、この問題に関しては単に初心者が学びやすいようにという配慮から
接尾辞 -ino が導入されたものと思いますが、日本語の片「親」にあたる表現がないのと
(両親は gepatroj)、初級者以上のレベルになるとpatrino、fratino、sinjorino等に
違和感を感じられる方もおられると思います。
でも、これは将来、あくまで esperantujo(エスペラント界)が決める問題でしょう。

前にも述べましたが、Idoはむしろ多くの印欧語にあるジェンダーの問題にむしろ拘り
(-o 通性、 ulo 男性、 ino 女性)、Esperantoにあるジェンダーフリー的の進化の可能性に
むしろ水を注ぐものであると私には思われるのですが。。。

70KamelioJapana:2008/01/13(日) 21:21:18
>>69の補足ですが、
Idoはその基本構造において(名詞語尾 -o そのものに中性または通性の意味を与えたこと)
ジェンダーに拘ってしまい、その良かれと思った「改良」が将来的には「国際語」としてその
学習面においては足かせになるかもしれない、(勿論、欧州以外にその拡大を目指せば、
という条件でですが。)
というような私見を述べました。

この事に付随してIdoの複数語尾 -i にも同じ様なことが言えると思います。
この複数語尾の「お蔭」で名詞語尾 -o で終わる名詞は必ず単数を意味するもの
に限定されました。
ある意味では、この名詞語尾の対立的区別は前述のジェンダーよりも更に大きな問題を
残す可能性がありますね。

ところでIdoの発音をEで詳しく説明しているサイトが下記にあります。参考になさって
ください。

http://edisudo.planetaclix.pt/kuzo.htm

71ベダウリンデ:2008/01/17(木) 09:59:21
エスペラントの名詞の性については、ずっと前から思ってた事があるので、書かせて下さいね。(レベルは低いですが)
私は、男女のペアーを表す語って、語感的にもペア感があるほうが、男女対等で仲良し、って感じでかわいらしくて、好きです。
日本語なら、おとこ&おんな(古語ではもっとペア感があるけど、現代語でもまあまあ)、ちち&はは、じじ&ばば、おとー&おかー、むすめ&むすこ、あに&あね、等々
英語だと、manとwomanという長さ的なアンバランス感が気持ち悪い。しかもmanは人間一般も指す(英語だけじゃないけど)という、意味的にもアンバランスで。
father とmotherはいいけど、sonとdaughterとか、ペア感まるで無し。
エスペラントもpatroとpatrino、filoとfilino。語根は一緒で仲いいけど、長さ的なアンバランスが嫌です。
セニョール、セニョーラみたいに、母音一個追加ならまだいいけど、2文字追加は、すごく長くなった感じがします。

イドのサイト見たんですけど、イドではpatroは父または母、patruloで父、patrinoで母、なんですね。
性別不問の中性的表現もあるし、男女で別れた時のアンバランス感も無く、仲良く対等、に近づいた感じがします。
そこは単純にいいな、と思います。
だからと言って、「エスペラントじゃなくてイドやろう」とは思わないんですが、
イドとエスペラントを比較して、ここはいいね、とか言い合うのもいいんじゃないでしょうか?

あと、現代人の目から見ると、男女の別が必要な語は、性別を示す「男・女」と
年齢別に区別した男女「少年・少女など」と、家族関係の用語だけですよね。
職業・肩書きおよび動物を、男女・オスメスで区別する必要は全く無いですよね。
日本語ではそういう区別はないから、原始の日本人は、そんなの根本は一緒じゃないかって気づいてた気がして、賢いなって思う。
名詞を男女で区別する言語はヨーロッパ語以外にもあるけど、それはそれで、古代人にとっては、自然界に男女の別があることはすごい驚異だったんだろうな、と思う。

エスペラントでもわざわざ細かくinoつける風習は早く無くなってほしいものですね。
必要ならば「男先生」「女先生」とか接尾語か接頭語つけられればいいけど
女性は接尾語、男性は接頭語となると、気持ち悪いですね。

72Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2008/01/17(木) 11:12:08
>>71
アルカは最終母音が母音交替してペアを表すのでそういう感性の人にはお勧め。
大体a⇔i o⇔e u(中間)
または、1.a 2.i 3.o 4.e u(中間)のパターンで。

男女fun 女fan 男 fin
祖父母 ifu 祖母 ifo 祖父 ife
伯父伯母叔父叔母 tatu 伯母叔母 tato 伯父叔父 tate
両親 lau 母 lao 父 lae
子供 miu 娘 mio 息子 mie
兄弟姉妹 etu 姉 eta 妹 eti 兄 eto 弟 ete 姉妹fanetu 兄弟finetu
従兄弟 safu 女の従兄弟 safa 男の従兄弟 safi
孫 hanu 孫娘 hana 孫息子 hani

年齢 胎児 0~1 2~5 6~9 10~14 15~19 20~29 30~39 40~49 50~59 60~
女性 nane nana tina fian laz mana naat tona saaz endi enda
男性 nane nani tini fiin liz mani nait toni saiz ende endo
男女 nane nanu tinu fiun luz manu naut tonu sauz endu? endu?

http://www33.atwiki.jp/kakis

73seren:2008/01/17(木) 23:29:14
どっこい最近自分ではn対よりエスのmal-のような手法の方が実用しやすく優れている気がしてならないのだわw

74ベダウリンデ:2008/01/24(木) 18:02:37
エスペラントの良い点もあげた方がいいですよね、宣伝のためにも。
私は、mal-は好きなんです。
最初は「おおきい、ちいさい」「ふとい、ほそい」みたいに、反対語の形容詞も語感が対の方がいいんじゃないか、
と思っていたのですが、入門時はmalに本当に助けられました。
他の言語をかじった時、名詞や動詞に比べると形容詞は全然覚えられなかった。
なんでだろ、と思うけど、その苦労を知ればこそ、mal-のありがたみが分かります。
初心者ではmal-で、上級になったら別の用語で、という区別は嫌です。
エスペラントは文法さえ分かれば、初心者でも辞書を引き引き中級向け以上の文章が読めます。
そこにmal-でない上級単語が出てくれば、やっぱり覚えないといけない。
初心者だからとお子様向けの童話しか読めなかったら、大人はつまらないけど、
エスペラントはそうじゃないから面白いので。
oldaとか使ってるの見ると、いらっとくる。「辞書に載ってない!?何!?とあせるけど、
よく考えたらオールドかよ」と。
その他の事でもエスペラントの文法はけっこう気に入ってます。

75松戸彩苑:2008/01/24(木) 22:12:37
>>74
たしかに憶える際には、mal- というのは便利なんですよね。

しかし例えば、飛行機のパイロットと航空管制官とのあいだで話をするときにエスペラント
を使うことになれば

・ 「右」が dekstra で、「左」が mal-dekstra
・ 「上へ」が supren で、「下へ」が mal-supren

と言うことになるわけですが、ちょっと危ないと思いませんかね?
少なくとも私は、乗りたくありません。

これは要するに、mal- の有無だけで正反対の意味になるわけですから、何らかの理由で
mal- が聞き取れないとエライことになるわけですね。

書いたものを読む場合には問題ないんですが、上記のように、あんまり良くない条件下で
話をする場合には、mal- を使った単語が多いと、誤解される危険があります。

これは飛行機に限らず、一般人でも、雑踏のなかで話をしたり、携帯電話で話をしたりす
る場合にも、同じことが言えると思うんですね。

ですから私は、使用頻度の高い語については、mal- つきの語形と並行して mal- なしの
固有の語根があったほうが良いんじゃないかと思っています。

たしかに「辞書で調べても出ていない」ことがあるわけですが、だったら辞書や教科書に載
せれば良いんですよね。

76松戸彩苑:2008/01/24(木) 22:30:41
現在のエスペラントでは「冷蔵庫」のことを frid-ujo と言っていますが、この frida というの
は mal-varma のことですから、新語根に反対する人は fridujo ではなく mal-varm-ujo と
言うべきなんですよね。

77KamelioJapana:2008/01/25(金) 08:48:56
La vorto, 'frida' sence ne tute egalas al 'malvarma'.
Cetere, la vorto, 'malvarmujo' povus havigi al si diversajn sinifojn depende
kazoj, en kiuj oni trovigxas. Bv. diveni.

感じとしては frida は malvarma よりは冷たく malvarmege よりは暖かい nuanco ですね。

>これは要するに、mal- の有無だけで正反対の意味になるわけですから、何らかの理由で
mal- が聞き取れないとエライことになるわけですね。

従って、会話では場合により mal に akcento が移る場合が多々ありますね。
これも広い意味で Fundamento からの逸脱の一例ですね。

ただ、エライ事にはならないでしょう。
便利なことに、mala, male, malen だけを使うことも出来ます。
また、そのように生死に関わるような必要な場面には、非mal語が採用されるでしょう。
例えば、dekstra <> liva のような。。。

実用される頻度が増えれば、言葉というものは必要に応じて改良されるものですね。
必要が無ければ mal- で十分だと思います。

78ベダウリンデ:2008/01/25(金) 09:45:11
うーん、確かに言えてますね。現実の場面で使う場合を考えるとかなり不便ですね。
例えば、ダンスや体操でも「右、左、前、後」という時、左も後もmalでは困るし、フルバージョンでは長すぎる。
さっと一言で言いたい。球技だって仲間に指示する時とか必要でしょう。
エスペランチストはスポーツしない、と誰かが書いてたように思いますが、
今のところ新語が無い=困ってないってことは、ほんとにスポーツしない人達なんだろうな。
例えば「大会」なんかでもスポーツコーナーがあれば楽しそうだけど、きっと無いんだろうなー。

79ベダウリンデ:2008/01/25(金) 16:57:16
言語&分野で分類した巨大リンク集みたいなのを見た時があります。
エスペラント->スポーツの項目にはビツィクラード=サイクリングしか無かったんですよね〜。
こいつらビツィクラードしかやらないのか、と思った。
確かに、争わないし、環境にも優しいから平和主義者らしいんだけど、カタヨリすぎ!!
カタヨった人間集団だから、必要な言葉も限られてしまうんだろうな。

80松戸彩苑:2008/01/26(土) 02:03:01
>>77
> 感じとしては frida は malvarma よりは冷たく malvarmege よりは暖かい nuanco ですね。

frida にそんなニュアンスがありましたっけ?
旧版のPIVでもNPIVでも frida の項には malvarma としか書いてないんですが。

81松戸彩苑:2008/01/26(土) 11:38:41
そういえば varma で思い出したことがありますので、varma について話をしようと思います。
---

エス日辞書で varma を引いてみると「暖かい、熱い、暑い」と書いてあります。

一見するとこれでまったく問題ないように思えますが、しかし、よく考えてみると、この語根
の語源であるドイツ語の warm や英語の warm には「暖かい」の意味しかなく、「熱い・暑
い」はドイツ語では hei&szlig;、英語では hot と言うんですよね。

ということで、どうしてエスペラントでは、ドイツ語や英語などとは違って「暖かい」と「熱い・
暑い」とを区別せずに両方とも varma というのか、という疑問が出てくるわけですね。
---

「Universala Vortaro」の eg の項を見てみますと、英語・ドイツ語・ロシア語・ポーランド語
の部分に varm' - varmeg' というのが載ってるんですね。
この部分だけ抜き書きしますと

英 varm' (warm) - varmeg' (hot)
独 varm' (warm) - varmeg' (heiss)
露 varm' (теплый) - varmeg' (горячiй)
ポ varm' (ciepły) - varmeg' (gorący)

というふうになります。

ところが、フランス語の項にだけは varm' - varmeg' が載っていません。
フランス語の項にあるのは pord' - pordeg' と pet' - peteg' だけです。

これはどうしてかといいますと、じつはフランス語では chaud という単語で「暖かい」と「熱
い・暑い」の両方を表わすことが多いんですね。
厳密に言えば、ほかにも単語はあるんですけど、英語・ドイツ語・ロシア語・ポーランド語・
日本語のように「暖かい」と「熱い・暑い」をきっちり区別するということは無いみたいなんで
すね。

このほかにも、スペイン語(caliente)やイタリア語(caldo)などでも「暖かい」と「熱い・暑い」
を一つの単語で表わすことが多いようですね。
こんな表現のしかたで不都合は無いんだろうかと私なんかは不思議に思うんですが、これ
らの言葉では、どうもそういう事になってるらしいのです。
---

ザメンホフはロシア語やポーランド語を母語としている人でしたので、彼は間違いなく「暖か
い」と「熱い・暑い」とを区別していたはずです。
ザメンホフはイディッシュ語も日常的に使っていたわけなんですが、イディッシュ語におい
ても「暖かい(warem)」と「熱い・暑い(heis)」とを区別するらしいです。

そういった事が「Universala Vortaro」の eg の項に反映されているとしか考えられないわけ
ですが、不幸なことに、この varma と varmega の区別のことが varma の項ではなく eg
のところに書いてあって目立たなかったということと、フランスのエスペランティストの執筆し
た辞書・教科書・文章の影響力が強かったということから、忘れ去られてしまったのでしょう。

そして、フランス式の「暖かい」と「熱い・暑い」とを明確に区別しない表現法がいつしか標準
的とされるようになってしまったんじゃないかと、私は想像するんですね。

『エスペラント日本語辞典』の varma の項のなかに

  (注意)日本語の「熱い・暑い」はたいていの場合 varma でよく、必ずしも varmega と訳
  す必要はない: Estas tre 〜e hodiaŭ. 今日はとても暑い

と書いてあるんですが、しかし tre varme は「とても暖かい」という意味であると考えることも
出来るんですね。
「とても暖かい」と「暑い」は、日本語では違うものです。
(英語・ドイツ語・ロシア語・ポーランド語などでどうなってるかは知りませんが)

また、『エスペラント日本語辞典』の varma の項のなかには

  Estas 〜e hodiaŭ. 今日は暖かい

というのも載ってるんですが、これだって「今日は暑い」である可能性もありうるんですね。

ということで、こういった混乱を無くすためにも、ザメンホフ式の「暖かい = varma」「熱い・暑
い = varmega」というのを復活させたほうが良いんじゃないかと私は考えています。

(終わり)

82Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/01/26(土) 21:41:10
Reta Vortaroではvarma/varmegaはこうなってます。
http://www.reta-vortaro.de/revo/art/varm.html

83Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/01/26(土) 21:42:13
fridaは
http://www.reta-vortaro.de/revo/art/frid.html

84KamelioJapana:2008/01/27(日) 17:16:20
私も試しにFridaを辞書であたってみましたが、確かにFrida=Malvarmaと書いてあるのが
殆どでした。先に私が述べたのは私の実用経験からの感触です。

似たように詩語から広く一般的に使われるようになったものとして、特に日本の
エスペランチストにはお馴染みのFriskaというものがありますね。

これも感触的にはMalvarmetaよりは涼しくMalvarmaよりも暖かいといった感じです。
この様に、あるNeologismoが人気を得る背景には既成のMal-語では、単に長くなると
言った以上にNuancoの足らざるところを補うという動因が大きいのではないかと
思います。初心者には、とりあえず、如何でも良い事かもしれませんね。。。

それからFridujoはむしろ楽様の紹介サイトにもありましたが、むしろFridi
「冷却する」という動詞的な要素が絡んで作られたものではないかと思います。

私が以前にも何所かで述べましたが、大小に至る言語コミュニティ−毎に使われる
単語のコノテーションはその存在の数と同じように違います。
増しては、語根そのものが本来的に形容詞的であるもの、例えばBonaやBelaの様な
単純なものでも主観的要素が大いに入ってこざるを得ないものではそれらのMal-語を
厳密に定義するのは難しいでしょう。
尤も日常会話で不便を感じたことは未だありませんが。。。
日本国内とて南北に広いお国柄ですから、私の住んでいる北国の暑いという感覚と
真夏に35度以上にもなる地域に住んでいる方とのそれは物理的には違ったものに
なるに違いありません。

85ベダウリンデ:2008/01/29(火) 08:53:10
私が持ってる初心者用の本にも、後ろの方見たら、
frida=malvarma
friska=malvarmeta と載ってました。
こういう書き方だと、mal語の代わりに、これらの語を使ってもいい、という風に受け取れますが、どうなのでしょう?

日常生活で使う場面を想像すると(私自身は一生無いと思うけど)mal語は不便ですよね。
例えば、不意に冷たいものが触れた時「つめた!」という。
この時言いたいのは「冷たい」という皮膚感触そのものであって、「あたたかくない」「あたたかさがない」という語感の語だと、ちょっと違和感がある。
こういう時「frida!]って言えたら、いいと思う。
frida、friskaには微妙なヌアンツォがある、というご指摘もありましたが、
「冷たい!」みたいな感覚的な表現は、単純に「冷たい」と言いたいので、
何々と何々の中間の微妙なニュアンス云々、と言ってしまうと、単純には使えないです。

日常シーンを考えると、「非マル語」の導入は遅かれ早かれ必要かと思いますね。
その意味では、そういう語を早めに取り入れたイド語に軍配があがりそうです。
私個人としては、文章で読むだけだから、mal語は単純明快で好きです。
一切の情感を抜きに、ただ温度の上下関係だけをもとに、(mal)varm(et/eg)aと表現する冷徹さ(?)って結構捨てがたいかも。
ただ、人によっては初心者でもmal語に違和感を感じる人がいるかもしれないですね。
たまたまLernu!の掲示板見てたら、夏に始めたばかりの初心者がpokaという語を使っていて、
他の人が「pokaはイド語でmalmultaだよ」って書いてた。

86ベダウリンデ:2008/01/30(水) 09:04:11
これは私の想像なんですが、エスペラント界でも非公式の場では、
すでに「非マル語」がしばしば使われているのではないか、と思います。
たとえビツィクラードしかやんない人であっても(だからこそ?)、寒い、涼しいとかいう体感語は
無機的なマル語ではなく、情感のこもった用語を使いたいと思う。
friskaと言えば情感が入るから、人によってはmalvarmetaより爽やか感を感じて、微妙なヌアンツォと思うのかもしれないけど、
結局はマル語が嫌で、非マル語を使っているのと全く変わらないと思う。
もしくは、非マル語を使うことに抵抗があるから、微妙なヌアンツォと言い訳して、自分を許してるとか。
ウサギを羽と数えて、肉じゃないよといいながら食べてるのと同じ感じで。

おそらく左livaもすでに使われてると思いますね。
サイクリングで先頭を行く人が分かれ道で「どっち!?」と聞いて、後ろの人が「左!左!」と言う場面とか。
方向用語には情感が入り様ないから、言い訳はできないと思う。

問題は、エスペランチストも非マル語を使いたいと思ってるのに、
それがなかなか公式の場で認められない=辞書に載らない、ということです。
なぜ載せないのか。
フンダメントに抵触することに遠慮して、決断できないのか。
今までフンダメントと守り抜くことでイド語に勝ったと自認しているので、今さら壊すのが怖いのか。
それともイド語の後塵を拝する=イド語に負けを認めることが屈辱なのか。
何にせよ、ちょっとは殻をやぶってあげないと、エスペランチスト自体が可哀そうに思えてくる。
(エスペランチスト自身が混乱して可哀そうだから早く整備を、という意見では、松戸さんと同じになっちゃいました。)

87ベダウリンデ:2008/02/01(金) 11:06:56
色々言いつつも、イド語よりエスペラントを応援したいと思ってます。
で、対格のn、私はこれも好きなんです。
イド語では付けたり付けなかったりできると、このスレで説明がありましたが、
そんな中途半端ではなく、付けるなら100パーセント付けうよ、という意見に賛成です。
大体他人の書いた文は日本語でさえ読みにくい。
n無くても文脈で分かるだろうと当人は思っていても、その分読み手に負担がかかるでしょう。

で、なぜnが好きかと言うと、これも初心者らしい思い込みなんですが、
エスペラントやる前から、他動詞自動詞の別、とか、SVO型SOV型などの分類法、能格型なるものの存在など、
人間にとって、「目的格」って特別なんだなーと思っていたので、
エスペラントが対格を特別扱いしているのを知り「なるほど」と思ったのです。

でも、何を対格扱い(日本語で言うと〜を)にするかは、言語によってまちまちですよね。
エスペラントでも「私に尋ねた」はdemandis minとdemandis al miと、どちらも言うみたいだし、
これって、母語の関連で自分に馴染みやすい方どちらでも使っていい、ってことなのかな?
テキトーと言えばテキトーな所もあるな、と思っています。
時間や方向などの用法もあるから、「格」というより、便利用語みたいなもの?

あと、面白いと思ったのは、エクジスタンタン、コンシストンタンなど、変な語感の語。
一般の人向けに説明すると、語根ekzist、konsistに分詞のant、ont、さらに形容詞の対格でan。(名詞だったら最後はトン)
ニュース文とかお堅い文なのに、トンタンだのタントンだの、耳を疑った。
初心者から見ると珍しくて面白い点はたくさんある。

88KamelioJapana:2008/02/02(土) 07:48:31
>「格」というより、便利用語みたいなもの?

面白い例えですね。正にその通りです。

89KamelioJapana:2008/02/02(土) 08:19:43
下記はIdoに関する日本語サイトからの一部を引用したものです。

エスペラント語では、スラブ語の影響の下に非論理的な言い方が是とされます。
Kelke da serpentoj manghas kun granda apetito kelke da bufoj.

そもそも言語学を少しでも齧った方ならば、それぞれの言語にはそれぞれ独特の文法理論
があることは、分かるはずですが。。。
すなわちスラブ諸言語には、その言語なりの文法があり、西欧に広く流布していた文法理論を
そのまま当て嵌めることは、どだい無理なことなのです。
スラブ諸言語にはそれら独自の文法理論や解釈があります。それは日本語や中国語にも同様に
当てはまることです。例えば、日本語では「主語」と言う文法用語より「主題」という方が
より相応しいとか、連体・連用修飾語なども同じ理屈です。

それはさて置き上記のエス文ですが実際問題として、この文を一定の理由があってワザと
使う方がいるかも知れませんが、それでもEの基本文型である語順は原則的に印欧型の「SVO」
ですね。脈絡無しでは、よほどひねくれた方で無い限り「ヒキガエルが蛇を食う」とは取ら
ないでしょうね。

また、意味を明確にするためには、少しニュアンスが違っても、普通は次の言い方をするでしょう。

Kelkaj serpentoj kun granda apetito mangxas kelkajn bufojn.

または、次の言い方をしても多分Fundamentoには抵触しませんがね。

Kelko da serpentoj・・・・kelkon da・・・・・.

90松戸彩苑:2008/02/02(土) 16:02:46
1月27日(日曜日)の夕方にPCの調子が悪くなったので修理に出してまして、1週間お休
みしてたんですが、とりあえずPCが帰ってきましたので、ようやく書き込めるようになりまし
た。
---

ところで frida ですけど、『Plena Vortaro de Esperanto』(PV)の1953年に出た補遺のな
かにも収録されてますね。
ここには fridujo が副見出し語として載っています。

私は「日常生活に関する語彙・表現をつくるのに役に立つような新語根もある」と考えてお
り、そしてその一例が frida、fridujo であると言いたいんですね。

それから、>>85 で言及されている poka なんかも、もっと使われても良いと思うんですけ
どね。
---

そういえば思い出したんですが、エスペラントの最初期においては

  「現在」 estanteco、「過去」 estinteco、「未来」 estonteco

って言ってたんですよね。
1905年に発表された『Fundamento de Esperanto』の序文の冒頭にも

  Por ke lingvo internacia povu bone kaj regule progresadi kaj por ke ĝi havu plenan
  certecon, ke ĝi neniam disfalos kaj ia facilanima paŝo de ĝiaj amikoj estontaj ne
  detruos la laborojn de ĝiaj amikoj estintaj, (後略)

と書いてありますね。

でも、さすがに現在では zamanhofa Esperanto を支持する人たちでも、こんな言い方はし
ませんよね。
今は

  「現在」 nuntempo、「過去」 pasinteco、「未来」 estonteco

が普通ですね。

で、もちろんこれでも良いんですが、しかし私は paseo (過去)、futuro (未来) という語根
をもっと普通に使っても良いんじゃないかと思っています。

pase-ete 「ちょっと前に」とか futur-ete 「近い将来」なんて言い方もできると思うのです。

91ベダウリンデ:2008/02/03(日) 16:18:22
n対格は語順が自由にできるのがいい。
世界の言語はSVO型だけじゃないのでザメンホフ氏が気を利かせてくれたのだと思ってました。
最初、語順に慣れないうちは、英語のSVO固定型の方が論理的で分かりやすいように思ったけど、
慣れると楽しいです。文頭がn対格だと「エスペラント〜」って感じで好き。
ただ問題は、人名などoで終わってない固有名詞は対格でもnを付けられないので、
それだけはn無しで文脈から判断しなければならない。やっぱり結局イド語と同じ?

Kelke da 〜 など、副詞なのに主語や目的語になるのは、私も初めは抵抗あったけど、
今はまぁいいか、と思えます。
「お互い」のunu aliajも微妙。文字通り英語のeach other 、one anotherのつもりだと思いますが、
いかにもテキトーに作った感じ。人工語だから行き当たりばったりの所もあるんだろう、思ってます。

92ベダウリンデ:2008/02/03(日) 16:51:26
新語根については、「新」かどうかは分からないですが、複雑で長い語根は沢山ありますよね。
例えばkonservativ=保守的。konservで「保存する」って意味なのに、なぜか敢えて長い一つの語根にしてる。
どうせいっぱい難しい語があるんだから、冷たい、涼しい、左、少ない、とかいう基本単語が少し位増えても大差ないよ、と思います。

造語法による単語も好きは好きです。futbaloと言えばサッカーだけど、piedpilkoと言うと蹴球。
pasinteco、 estontecoと言い方はいかにも古臭いですが、そのかび臭い感じが捨てがたい。

93松戸彩苑:2008/02/03(日) 17:23:24
>>91
エスペラントに対格があるのは、ザメンホフの母語であるロシア語やポーランド語なんかの
影響だと思いますね。

彼は、出来るかぎり文法を簡単にしようとしたわけですが、母語であるこれらの言語に慣れ
親しんでいたので、対格の無いフランス語に習熟していたにも関わらず、対格を捨てること
が出来なかったんだろうと、私は推測してるんですが。

94KamelioJapana:2008/02/04(月) 09:09:32
対格 -n は E に馴染めば馴染むほど味わい深いものになって来ます。
Zamenhofが対格を捨てなかったのは、正解だと私は思っています。

むしろ欧州諸言語に影響された結果、余りにも多すぎる -io で終わる言い方が
将来において短く出来ないものかと思います。

95ベダウリンデ:2008/02/04(月) 15:03:42
Kelke da serpentoj manghas kelke da bufoj.
こういう言い方はむしろ日本人の方が馴染み易いかもしれないですね。
kelke(幾つか)には相応しい日本語が無いのでmulteに変えれば、
「へびいーっぱい、かえるいーっぱい、たべたよ」的な。
kelkaj serpentojだとニュアンスが違うんですよね?(まとまり感がない)
ニュアンスの差を出すために、苦肉の策で考え出した言い方って感じがします。
ニュアンスは違うけど、英語のsame of the 〜に近い言い回しにも思えます。
same なんて形容詞なのに、こう書くと名詞扱いみたいですから。
言語なんてどれも、結構無理して、はったりでできているのかも。

対格を文頭に出せるのも、日本人向きかもしれない。
「その手紙、私がもらったんだよ」とか

96ベダウリンデ:2008/02/04(月) 15:08:44
same じゃなくてsome、でしたね。
音のまま書くなんて、エスペラントの影響?
sukcesis成功するも最初はどうしてもサクセシスって読んでしまったけど、
最近ようやく、スクツェスィスと読めるようになった。

97KamelioJapana:2008/02/05(火) 05:35:22
>96
英語の不可解な綴りには、私も当初悩まされましたね。
というのは、どうやら私どもが、小学5・6年生の時でしたか、ローマ字で書かれたテキストを
国語のそれとは別個に使っていた最後の学年のようでした。

その代わり、お蔭様といえるのか、Eを始めた時は綴りと発音との関係には違和感がありません
でした。

98ベダウリンデ:2008/02/05(火) 09:28:14
>余りにも多すぎる -io で終わる言い方
ほんとですね。辞書をちょっと見ても沢山ある。
英語の-tion、-sion や -yで終わる単語が全部-ioになってる印象。
てゆうか、英単語を丸のまま一つの語根にしちゃってる、という印象。(元々はラテン語???)
私は反英語主義者じゃないし、むしろ英単語と共通してた方が一石二鳥でありがたいと思っているんですが
こんな私でも「エスペラントよ、それでいいのか」と思います。安易すぎる。
上級語こそ、造語法で作れ、と言いたい。(造語法だと短くなるどころか長くなるけど)
日常語では英単語系のほうが実用向きだと思います。
necesejoは「お手洗い」という感じで奥ゆかしくて好きですが、
世界中で通用する言い方はトイレtualetoですよね。

99ベダウリンデ:2008/02/06(水) 09:17:49
私は独学の初心者だから、誰ともエスペラントの話はできません。
で、こんな所で独り言(先輩方にとっては既出の話)言ってる訳ですが・・・

エスペラントなんてヨーロッパ語なんだから、-ioで終わる言葉が多いのは当然なのでしょうね?
宗教religioもヨーロッパ語なら大体religion、 religiaだし。
それから、日本人がエスペラントで「非論理的」と感じる点、
それもヨーロッパ語が有する非論理的表現を引き継いでるだけなんでしょうね?
例えば、「最初に」la unua は、いきなり定冠詞と形容詞が突如文中に出て来る。
知らないと、このunuaは何にかかってるの?と思うけど、意味的には副詞なんですよね。
英語だって文中にいきなりfirstと出てくれば副詞扱い。ただの序数詞、形容詞のくせに。
エスペラントだと、語の形で品詞がばればれだけど、
英語だと「この場合は副詞ですから」と言われて、無理やり納得させられてるだけ。
あと、エスペラントは「人工語だから論理的です」などど言われるから、
論理的に理解しようとして、結果「論理的じゃないじゃーん」ってことになる。

イドではこういったヨーロッパ的非論理的表現を改善してるのかな?

それから、初心者の人も、疑問に思ってる点を気楽に書くといいですよ。
誰かがヒントをくれるかもしれないし、書くことで自分なりにもよく考える。
この掲示板一見怖そうだけど、それほど恐れるに足らず、です。

100りょほう:2008/02/06(水) 23:44:29
>>99
>例えば、「最初に」la unua は、いきなり定冠詞と形容詞が突如文中に出て来る。

「最初に」は"unue"
"(la) unua"は「1番目に」
です。


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