Kelke da serpentoj manghas kelke da bufoj.
こういう言い方はむしろ日本人の方が馴染み易いかもしれないですね。
kelke(幾つか)には相応しい日本語が無いのでmulteに変えれば、
「へびいーっぱい、かえるいーっぱい、たべたよ」的な。
kelkaj serpentojだとニュアンスが違うんですよね?(まとまり感がない)
ニュアンスの差を出すために、苦肉の策で考え出した言い方って感じがします。
ニュアンスは違うけど、英語のsame of the 〜に近い言い回しにも思えます。
same なんて形容詞なのに、こう書くと名詞扱いみたいですから。
言語なんてどれも、結構無理して、はったりでできているのかも。