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Ido(イド語)は言語的に優れているか?

28KamelioJapana:2007/12/28(金) 19:59:24
>内輪・対外とわず、人工言語の成長の歴史としてみる場合、1873年から入れるのが妥当です。
1887年に突然現れたわけではありませんから。

現Eのタタキ台となった1887年の案は内輪に対しても世間に対しても初めて出されたものです。
Zamenhofが独自で翻訳や作詩を通して自己の案を改良してきたのでした。Zamenhofが恐れたのは

初めて1873年に言語案を友人たちと祝ったのでしたが、その後モスクワ大の医学生となった彼は
一定期間、人工言語について考えることをしない、と彼の父に約束しています。しかも、
在学中に彼の父がZamenhofの考案した言語案を焼却してしまったことは余りにも有名な話です。
その後、彼は自分が人工言語の創作に携わっていることは殆ど自分だけの秘密でありました。
そして、内輪が知ったのはZamenhofの殆ど結婚前のことでした。すなわち、彼の婚約者とEの
公刊に資金を提供してくれた彼の後の義父となる人でした。

>そして、『エスペラントの基礎』で変化が停止したのは、1905年。

1887年以来殆ど変化しなかったと言った方が正解です。
Zamenhofは有力(優秀という意味では必ずしもない。)な改良案に対して1905年の
第一回E世界大会で、『エスペラントの基礎』が採択されるまで2度も改良案の採択を
E使用者に諮ったが2度とも大衆討議と採決により否決されています。

>変化が停止するまで実に32年にわたる試行錯誤の歴史があったわけです。

これは、下記のIdoに言及している内容と合わせて考えれば完全に誤りだと言えますね。

>それに比べて、イドが誕生したのは1907年。変化の停止は1920年代。
つまり長くて20年ぐらいの期間があったということです。

Idoが誕生した1907年はEが公にされた1887年と比較すべきです。
そして、Idoの「長くて20年ぐらいの期間」は、その使用者に言語の安定性に関して
不安を与えるには、十分長い期間でした。

>つまり、発表後の変更の多さというのは、運動としての手法のうまさの問題であって、
人工言語としての作りこみの問題と関係がないと考えています。

そうです。大衆が使用するコミュニケーションのための言語とは、無縁の存在でしょうね。
Idoとは、絶えざる試行錯誤の結果、その出来不出来は別として、大衆が信頼を置いて使う
言語とはかけ離れてしまい、一部の言語学者と人工言語愛好者という、云わば、インテリの
お遊びのための言語になってしまっていたということでしょうか。


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