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本迹に関して対話するスレッド

372:2008/12/23(火) 18:46:55 ID:gg7rZNmEO
対面に繋がらないと無意味なんでしょうか?
ネットは大半は匿名でどこの誰だかわからないけどは今まで仲良くやっていた皆さんとは無意味だったんでしょうか?
対面できないとアレ扱いになるのですか?
沖浦さんが正しいと思うのなら対面しなくても天城さんが用意した所でも沖浦さんの正義が証明されますよね
天城さんに失礼かもしれませんが、あちらに合わす沖浦さんの心の広さがあってもいいんでないかい?
事はネット上でのことですし先ずは天城さんと十分やりあったら良いのではないでしょうか?

元の楽しかった、勉強になる各板になるよう祈る毎日ですROM専門がちょっとでしゃばりすみませんでしたROMに戻ります

373沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/23(火) 20:46:58 ID:AJ3hr85o0
 仲良しクラブが何千人集まってもね、何一つなしとげられません。
 榊さん、貴方はそれをご存知ない、私は知っています。
 私はね、天城さんとネットで論争する事は無意味だと思っています。 
 私は創価の人間です。 
 戦場はね、現実の社会なんですよ。
 匿名で仲良くやっていくことに興味はありません。
 一緒に戦う人だけ来ればいいんですよ。
 所詮、生きることは戦いです。

374:2008/12/23(火) 21:21:32 ID:gg7rZNmEO
逃げてますね

375:2008/12/23(火) 21:23:46 ID:gg7rZNmEO
それと榊ではないです
鰰です

376:2008/12/23(火) 21:34:27 ID:GzTbFjgs0
横レスですが・・

駒さん、鰰さん
はじめまして

意見が対立している時の、ネットでの対話って難しいですよ。
穏やかに穏やかにと気をつけていても、言葉でしかやり取りできません。
その言葉も、どのような表情・声音で発せられているかも分からず、リアルとは全く違います。

ですから、どちらかが悪口雑言を一言でも発すれば、それでオワリですね。
そのつもりでなくても、相手が悪口雑言と受け止めれば、やはりそれでオワリです。

ましてや、それが最初から「法論」じみているとなれば、結果は見え見えでしょう。
穏やかにやる気なんぞ、はなからないわけですからね。
天城さんのこちらへの投稿(>>352を始めとする一連の投稿)を見れば
いかに侮蔑的・挑戦的であるか分かるでしょう?
こういう対話は、失敗するに決まってます。
そう思いませんか?

「逃げてる」とか非難するまえに、ネットの限界というものを知るべきです。
なんなら、貴方がたからも天城さんに、リアルでの対話をすすめられたらいかかですか?

377:2008/12/26(金) 16:11:38 ID:GzTbFjgs0
もくれんさんへの語りかけ

貴方との対話が、本論に入る前に終了されたのは残念でありました。
貴方がこのスレをロムしているかどうか分かりませんが、貴方が天城氏の論文を読むように勧められたうえで
私たちの対話が始まったので、いつかは彼の論文にも触れるはずでした。

彼の論文の目的は、「人本仏迹」論を邪説とするにあります。
そして、その批判論の前提には

<沖浦氏のいわゆる「人本仏迹論」を正すー5>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
戸田先生の講義を引用される形で、池田先生も、
「虚空会の儀式」=「御本尊」=「御本仏の生命」
と明確に講義されている。
一体どこに、「虚空会は迹。と明言されておられる」のだろうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とあるように、「虚空会は迹」の明言がないのにもかかわらず
沖浦さんの投稿の、(池田先生が)虚空会を迹と明言した、という点が批判されてます。
これが、天城氏の沖浦邪説論の根本・根底になっていたわけですね。

しかし、これは完全に天城氏の認識不足でした。

「御書の世界」2巻209頁
名誉会長『本迹に立て分ければ、根源の法である南無妙法蓮華経が「本」で虚空会は「迹」です。
     迹をもって本を顕すのです。』

と明確にあります。
したがって、彼の批判論は根本・根底から覆り、再検討されるべきでした。
にもかかわらず、いまだに邪説呼ばわりする貴方や彼の認識はいかがなものでしょう。
お互いに、『謙虚に思考する』、そういう姿勢を持ちたいものです。

378もくれん:2008/12/27(土) 11:14:23 ID:gO.Fk5NY0
>>377 梅さん、見ましたよ

>「御書の世界」2巻209頁
>名誉会長『本迹に立て分ければ、根源の法である南無妙法蓮華経が「本」で虚空会は「迹」です。
>     迹をもって本を顕すのです。』

迹をもって本を顕すのです・・と、明確に先生は言われてます。
本そのものです。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1225415423/356

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1225415423/357

この「やまいぬ」さんのレスの通りです。


「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と
唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」

日蓮大聖人と曼荼羅本尊と我ら衆生は、本来差別なく、あとは「信」の一字が
絶対必要なわけですね。
ですからあえて言えば、全部「本」ですね。
曼荼羅と衆生に「本・迹」関係は、絶対に成立しません。
正式な「本・迹」の使い方をすればですが、自己流の「本迹」使用に
ついては「言語道断」以外の言葉はありません。

自己流の「本迹」使用について、対話は無意味です。

上記の生死一大事血脈抄だけで、一発結論なんです、本来は。
本迹論議以前の話なんです、実は。

379:2008/12/27(土) 17:38:36 ID:GzTbFjgs0
もくれんさん

見てくれてありがとう。

あれから、何度も天城論を読んでいます。
すいぶんといい加減なところも気がつきました。
ともあれ、「虚空会は迹」は「明言」であったですね!
目下は、『迹をもって本を顕すのです』の部分を思索しています。
他の意見は参考にしますが、自分自身がどう理解するかが大切だと思っています。

>正式な「本・迹」の使い方をすればですが、自己流の「本迹」使用に
>ついては「言語道断」以外の言葉はありません。

「自己流」かどうかは一概に判断できません。
『迹をもって本を顕す』という表現自体が、本迹の使い方としては発展形ですからね。

380沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/28(日) 22:29:35 ID:AJ3hr85o0
 もくれんさん

 真面目に行動なさい。
 行動無き信は偽物です。

381沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/28(日) 22:43:00 ID:AJ3hr85o0
 迹を持って本を顕すとは、虚空の宝塔と言う迹の姿を借りて、衆生己心の妙法と言う本を顕しているのです。
 宝塔が説明ですね。
 己心の妙法が実態です。
 法華経全体で、お題目を顕しているでしょう。
 法華経と言う迹で、お題目と言う本を説明しているのです。
 レントゲン写真と言う迹で、骨の状態と言う本を顕して説明するでしょう。
 同じなんですよ。
 具謄本種です。

 もくれんさん、貴方この程度の事をご存じなくて御書を論じる。
 無理がありますね。
 貴方の教学ただの知識です。
 同苦の祈りが無いから、知恵にならないのです。
 お気の毒ですね。

382沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/29(月) 11:03:40 ID:AJ3hr85o0
 Fボーで、色々邪義が乱れ飛んでいますね。

 あの板いよいよ邪義板になってます。

383沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/30(火) 21:40:50 ID:AJ3hr85o0
 またまたFボーイへ理屈充満中ですね。
 アレね、教学を学問としてやっているんですよ。
 だから、書き込みに同苦の祈りが全くありません。
 自身の功徳の喜びもゼロです。
 宗門の三面記事と、他者への攻撃の羅列ですね。
 あの板の創価精神は、私が去った時に潰え去ったんです。
 今ね、残りかすなんですね。
 無残ですよね、現証は。

384沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2009/01/02(金) 11:57:22 ID:AJ3hr85o0
 小野さん、もくれんさん、恋さん、鯖さん、やまいぬさん、風凛さん、天城さん、たちは全て評論家ですね。
 教学も実践に裏打ちされてはいません。
 ただの知識でしかありません。
 知識だけの教学は仏法の評論です。
 何の意味も持ちません。
 迹の教学ですね。
 そして、あの方々は人生の体験と祈りを語りません。 
 行動しないのです。
 行者ではなく、信者なんですね。
 これは仏法者ではありません。
 少し真面目に行動すべき人達ですね。
 今、ネットで害毒を撒き散らしています。
 やめるべきですね。

385沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2009/01/05(月) 15:55:14 ID:AJ3hr85o0
 信心のやり方を、大聖人様がご指南されておられます。

 『夫信心と申すは別にこれなく候、妻のをとこをおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く子の母にはなれざるが如くに、法華経釈迦多宝十方の諸仏菩薩諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり、しかのみならず正直捨方便不受余経一偈の経文を女のかがみをすてざるが如く男の刀をさすが如く、すこしもすつる心なく案じ給うべく候、あなかしこあなかしこ。』
 (妙一尼御前御返事)

 そしてその、信心の捉え方もご指南なされておられます。

 『然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり、』
 (生死一大事血脈抄)

 私共凡夫の命が、大聖人様と全く同じであると悟ってお題目を唱える信心に血脈が通う。
 このように仰せですね。
 これを素直に信じればいいのです。
 それを複雑に複雑にする事はいけません。
 そもそも大聖人様の仏法は肝心要を取り出したものです。
 それを複雑にする事はいけませんね。

386白麦 ◆Ec49GnoeJE:2009/01/07(水) 00:17:29 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ

私は、沖浦さんが『法華経の智慧』P173を引用されて言われている
「人本仏迹」は、【文底の立場から文上の仏を迹とする】場合は、
間違っていない、と認識しています。



私は、『法華経の智慧』P173の部分だけを引用し、
『「大聖人を迹仏」と言っているからおかしい』と
批判されている方は、誤認識している、と認識しています。


ある意味、文上は、
人のための法、あるいは仏で、
「人本法迹、あるいは仏迹」ですが

     文底は、

387白麦 ◆Ec49GnoeJE:2009/01/07(水) 00:19:26 ID:/.wVSr1g0
白麦は森野です。失礼しました。

388白麦 ◆Ec49GnoeJE:2009/01/07(水) 02:44:20 ID:/.wVSr1g0
訂正

ある意味、文上は、
人のための法、あるいは仏で、
「人本法迹、あるいは仏迹」ですが。から


ある意味、文底から見た文上の法、あるいは仏は、
人のための法、あるいは仏で、
「人本法迹、あるいは仏迹」ですが

389沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2009/01/07(水) 06:26:15 ID:AJ3hr85o0
白麦さん、おはようございます

 仏は、人間救済。のために出現いたします。
 学校の先生が、生徒の教育のために存在するのと同じです。
 一切法が仏法ですから、一切の世間の法も同様です。
 文低文上に関係なく、仏は人のための存在です。
 簡単明瞭な道理ですよ。
 仏の悟りは全て同じです。
 説く法は人の機根で変化いたします。
 人が中心の教えだからです。
 自分が本、仏は迹。
 仏全体が迹ですから、最高の御本仏様であられる大聖人様は、私の人生から見ればやはり迹のお立場です。
 これは、仏法が人のため。の道理から見て当然です。
 貴方の人生は貴方が本。
 他の全ては迹。
 私も大聖人様も、貴方の人生では迹ですね。
 所が、これを切り文して、私が蓮祖迹仏説を唱えた。と、言う愚か者が散見されます。
 ここまで文章の理解能力がないなら、教学なんか無理ですね。

390沖浦克治 ◆FjOpeTE2Ts:2009/01/19(月) 06:46:41 ID:AJ3hr85o0
 Fボー覗きました。
 マグマグさん、相変わらずの愚論ですね。
 あの方や他の付和雷同の方々、教学まったくしりません。
 御書講義集読んだことないでしょうね、あれじゃ。
 以前から講義の内容は二つに分かれていました。
 御書を教学ではこう読む。
 生命論にやくせば、こうである。
 この、生命論の部分が創価思想です。
 たとえば戒壇。
 生面論にやくせば、生命の活動の場が戒壇である。
 何度も書かれています。
 アレはまったく読んでませんね。
 いまだに宗門の寺教学です。
 アレじゃね〜〜。

391宿望:2009/01/19(月) 21:50:36 ID:cB49gTb20

マグマグ氏の愚論より、管理人様を「詐欺師」呼ばわりする、裏切りもののヤマイヌの方が問題でしょ。

何故管理人様はヤマイヌに甘いのですか?

人権侵害も甚だしいと思います。

392沖浦克治:2009/01/19(月) 21:59:39 ID:AJ3hr85o0
 詐欺師呼ばわりはいけませんね、宿坊さん。
 でもね、あの人を信用する人は皆無でしょう。 
 あの書き込みを見て、彼を信用する人はいないですよ。
 それと、すでに若鷹には名誉毀損でしかるべき措置をとると書き込んでいます。

 マグマグさんはね、いかにもまじめを装うから世間がだまされます。
 ですからこっちのほうが悪質なんです。
 魔は仏に似ると言いますから。

393沖浦克治:2009/01/19(月) 22:51:38 ID:AJ3hr85o0
 それとですね、宿坊さん
 やまいぬさんはね、人生に負けたんですよ。
 舞台志して挫折したんです。
 私はね、一度も挫折したことはありません。
 いくら時間がかかってもあきらめないのですよ、創価の人間ですからね。
 でも、彼はあきらめてしまった人です。
 私に何をやってもかなうはずがありません。 
 負けた人と負けなかった人間、差が歴然です。
 今ね、彼は舞台まったくできません。
 私はやり続けています。
 たもつことが肝心です。
 志を曲げたらそこでおしまい。
 これが彼の姿です。
 ですからね、すでに負けた人を責める必要はありません。
 宗門と同じです、捨てておいていいんですよ。

394宿望:2009/01/20(火) 22:18:27 ID:Dwr1y.WQ0

管理人様、しかし『やまいぬ。』の言動は明らかな背信行為・裏切り者でしょう。

管理人様が過去に散々褒めてきたことをたてに、あのような異常極まりない、とても常人とは思えない投稿文を創価の名で書いているわけです。

彼が信念を曲げ、人生に負けた人間であることは、あの恨み辛みに満ちた落ちぶれた人間しか書きようのない投稿文を見れば一目瞭然です。

挫折と敗北の連続だからこそ、あのようなさもしい人間性になるのだと理解できます。

あわせて創価の信仰の害毒が、彼の人間性に如実に現れているとも思います。

はっきり言って宗門の方がはるかにまともでしょう。私にはそう見えます。明らかに『やまいぬ。』<宗門です。

395沖浦克治:2009/01/20(火) 22:44:57 ID:AJ3hr85o0
 宿坊さん

 別に宗門だから、創価学会だから、天理教だからとかで、人の値打ちは変わりませんよ。
 同じ人間です。
 宗門でも立派な方は立派です。
 天理教でも優れた人は優れています。
 創価でもくずはくずです。
 一切無関係ですよ。
 ひとつ異なるのは、創価は貧困と病気から広まった宗教です。
 社会一般のレベルよりきわめて低いところがスタートでした。
 いまだに引きずっているのです。
 でもね、その最下層からの布教が創価の誇りです。

 やまいぬさんはね、その意味では創価の原点ですよ。
 いつか必ず立ち直りますよ。
 見ていましょうね。

396白麦 ◆Ec49GnoeJE:2009/01/20(火) 23:31:26 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ

沖浦さんは、
「自分が本、仏は迹。
 仏全体が迹ですから、最高の御本仏様であられる大聖人様は、
 私の人生から見ればやはり迹のお立場です。
 これは、仏法が人のため。の道理から見て当然です。
 貴方の人生は貴方が本。他の全ては迹。
 私も大聖人様も、貴方の人生では迹ですね」

と言われていますが、

私は、沖浦さんは「迹」を「〜の為のもの」という意味で
使われていると理解しました。

自分の為の他人
自分の為の大聖人

他人の為の自分
*大聖人の為の自分=仏の為の人=仏本人迹、と。


ここで、
私は、沖浦さんが言われている「人本仏迹」と、
*とは、矛盾すると思うのですが、いかがですか。

397沖浦克治:2009/01/21(水) 07:28:01 ID:AJ3hr85o0
 白麦さん

 今から仕事です。
 返事は後でいたします。

398沖浦克治:2009/01/21(水) 18:27:50 ID:AJ3hr85o0
 白麦さん

 目的が本ですね、手段がシャクです。
 手段にも、本来の目的に沿うものは手段の中で本。
 沿わない無駄なものはシャクです。

 難しく考える必要はありませんね。

399宿望:2009/01/21(水) 18:43:00 ID:0vc5q3ho0

しかし管理人様は心が広いというか、ヤマイヌには甘いというか、私には信じがたいですよ。

はっきり言いますが、あんな人間はいくら見守ったって期待はずれなだけですよ。

損しますよ!管理人様!

400日々朗らか(大勝利):2009/01/21(水) 19:18:44 ID:8FNX.yWoO
【キリ番】を頂きマースo(^-^)o!。

”キューキュー”を見ると、捕りたくなっちゃって(^_^;)。


誰か、『ナイスキャッチ♪』とツッコミ言ってくれると嬉しいのですが(^_^;)♪。

アハハ♪。

401沖浦克治:2009/01/21(水) 20:07:02 ID:AJ3hr85o0
 宿坊さん

 仏の呼び名に、能忍と言うものがありますよ。
 よく忍ぶ。
 それとですね、彼がいるから私の正が証明されているのです。
 言い方はよくないですが、あほな方がいるから賢い人がいるでしょう。
 同じですよ。

402日々朗らか(大勝利):2009/01/21(水) 20:39:59 ID:8FNX.yWoO
>>401
そうです。

ナナジュウさんがいるから、オレが居る。
ほととぎす君が居るから、オレが居る。


ようするに、【オレが居るから、二人が居る。】みたいな(^_^;)。


そういうもんですよネ。

(興味のある方は、沖板ワンッ!へ(へへへへ笑)♪)

403camel:2009/01/21(水) 21:34:14 ID:UC7L/QMAO
ナイスキャッチ。

404白麦 ◆Ec49GnoeJE:2009/01/22(木) 02:40:46 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ

沖浦さんの「目的が本で手段が迹」は、
「人が目的で仏が手段」と言うことでしょうか。






私は、大聖人の仏法は、
『「目的A(成仏=人、広宣流布) 即 
  手段(御本尊を信じての自行化他の唱題)」』である、
と認識しています。

『』は因果倶時

自行化他の唱題により平和・教育・文化の向上へとつながっていく。




私は、「人の為の仏」の「人」は「因果倶時の人」、
「仏」は「脱益の仏」、と認識しています。

405日々朗らか(大勝利):2009/01/22(木) 05:45:50 ID:8FNX.yWoO
皆さん(^0^)/!おはようございますm(__)m(^0^)/!

今日の新聞掲載の先生の講義を学びましょうo(^-^)o!
いやあ、すごかったですよ!

さあ!無事故決意で一日を出発です!。頑張りましょう!。

406日々朗らか(大勝利):2009/01/22(木) 05:59:02 ID:8FNX.yWoO
『凡夫こそが仏』。

との講義です。

407沖浦克治:2009/01/22(木) 07:09:59 ID:AJ3hr85o0
 白麦さん、おはようございます

 仏法、特に大聖人様の方、分けても創価思想には他の宗教と異なる大きな特徴があります。
 教学ではそれを、一大事。と名づけています。

 一大事とは、凡夫がそのままで仏の当体だ。と言うことです。
 人が人として生まれるように、同じく人はそのまま仏なんです。
 こういうとまた愚かな人たちが、本来仏なら仏道修行の必要がない。などと必ず愚論を述べます。
 人として生まれて何もしなくて人として成長は不可能です。
 教育が必要です。
 あらゆる人としての修行は不可欠です。
 私たちもそうやって人として成長ができたでしょう。
 もし育ち行く時、修行が無ければ人としての成長は不可能です。
 同じなんですよ。
 その修行を即と言います。

 九界即仏界ですね。

408沖浦克治:2009/01/22(木) 07:25:58 ID:AJ3hr85o0
 日々朗らか(大勝利)さん、おはようございます

 帰宅してから新聞を読みます。

409沖浦克治:2009/01/22(木) 17:49:34 ID:AJ3hr85o0

 日々さん、新聞読みました。
 あの講義はね、昭和52年にほとんど同じ内容でなされ、小冊子になって出ました。
 生死一大事血脈抄講義とほぼ同時でした。
 その時、私は、仏がシャク、人が本だとわかりました。
 その二年後、先生は裏切りにあわれ、勇退と言う活動停止処分をお受けになられたんです。 
 私はそのときに決めたんです。
 この、仏がシャク、衆生が本こそが先生のご遺言だ、誰がなんと言っても大声で語り続けよう。
 已来、どこでも、誰にでも、どの席でも語り続けています。
 おかげで組織では嫌われました。
 でもね、私、弟子の端くれです。
 除名になるとわかっていても言い続けます。
 師匠が世界広布のため、一切を投げ捨てて宣言された言葉です。
 仏はシャク、人は本。
 地獄に落ちたら鬼に語ります。
 絶対に言い続けると決めたんです。

 ほぼ同じ時期に、池田先生が観心本尊抄を引用し話された事がありました。

 『観心とは我が己心の仏界を観じる、すなわち信心です。
 私共凡夫が成仏するためには信心をする、信心には本尊がいりますね。
 その信心のための本尊ですよ。本尊のための信心じゃないよ。
 その信心のための本尊を、五の五百歳に始めておいたよ。
 こう読むんです。
 だから大聖人様はありがたいんです。
 凡夫が信心するための本尊なんです。
 私共が主体なんです。』(趣意)

 明快なんですよ。
 それを戒壇様本懐論に毒されて、読めない。
 これだけの話ですよ。

 今、先生が明確にご宣言なされました。
 うれしいですよ。
 非難されても言い続けた甲斐がありました。
 これでも、宗門未練の不覚悟会員は、いいや、アレは文上だ、文底では仏が本だ。って、言いますよ。
 能乱ですからね。
 あの人たちはね。

 小野さん、もくれんさん、天城さん、やまいぬさん、マグマグさん、その他の師敵対の人達。
 今日の先生の単純明快なご指導、なんと読むのでしょう?
 言い訳難癖がどう展開するか?
 見ていましょうね。

410白麦 ◆Ec49GnoeJE:2009/01/22(木) 18:26:04 ID:/.wVSr1g0


沖浦さんへ



   

   

   文底では、

   大聖人が本仏で、大聖人に連なる学会の人たちが仏です。

   「仏はシャク、人は本」の「仏」は文上の仏です。











411沖浦克治:2009/01/22(木) 18:32:29 ID:AJ3hr85o0
 貴方のFボーでの先日の書き込みですね、マグマグさん。

>貧乏人と病人から出発した学会の草創精神は現代に継承されながらも、その時代はとっくの昔に終った。池田先生は福運論、境涯論で大きく我々を指導される。それぞれが信心、学会活動によって獲得した福運こそが功徳であり、永劫の未来に最良の因として残せる財産である。
 〜引用終わり〜

 現代に継承??
 いいえ、創価誇りの原点だと先生が仰せです。
 貴方ね、師敵対です。
 お寺戻りなさい。
 創価には相容れませんね、貴方の考えは。

412沖浦克治:2009/01/22(木) 19:19:57 ID:AJ3hr85o0
 白麦さん

 貴方がそう信じられることはご自由です。  
 ですが、私は貴方の信念より池田先生の講義を信じます。

413タカ:2009/01/22(木) 21:21:01 ID:qIvXPkFI0
沖浦さん、昨日から投稿しましたがメッセージは届きましたでしょうか?

414沖浦克治:2009/01/22(木) 21:30:34 ID:AJ3hr85o0
 タカさん、自己紹介スレッドに投稿なさいましたか?

 自己紹介が終わるまで貴方のスレッドは強制下げにしておりますし、コメントはいたしかねます。

415タカ:2009/01/22(木) 21:44:21 ID:qIvXPkFI0
はじめまして、高井義晴と申します。
信心を始めて10年になります。
拠点は千葉になります。
宜しくお願い致します。

416沖浦克治:2009/01/22(木) 21:45:03 ID:AJ3hr85o0
 師敵対の愚人の言い訳が目に浮かびますね。

 先生は、ここで言う凡夫とは、大聖人御自身の御事です。と言われている。
 俺達衆生のことじゃない。
 程度の愚論は吐くでしょうね。

 その後で先生は、戸田先生の

 『成仏とは、仏になる、仏になろうとすることではない。
大聖人の凡夫即極、諸法実相のお言葉を、素直に信じ奉って、この身このままが、永遠の昔より未来に向かって仏であると覚悟することである。』

 との御金言を引用され、この凡夫とは私どもの事なんだ。とあかされておられます。
 とうとう、師敵対の輩の邪義、人シャク仏本論には、先生がとどめを刺されましたね。

417白麦 ◆Ec49GnoeJE:2009/01/22(木) 23:00:11 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ

先生は、ここで言う凡夫とは、大聖人御自身の御事です。と言われています。
そして、「成仏とは、大聖人の凡夫即極、諸法実相のお言葉を、素直に信じ奉って、
この身このままが、永遠の昔より未来に向かって仏であると覚悟することである」と。
私たちも、大聖人の仏法を信じて仏界を開く事が出来る、ということです。




大聖人も、
大聖人の仏法を信じている私たちも、
本来仏界を具えている全ての人も

     

       本     であり、



文上のきらびやかな仏様が


      
       迹     です。



    「私は、先生の言われている通りに信じます。」

















418沖浦克治:2009/01/23(金) 06:59:51 ID:AJ3hr85o0
 白麦さん、おはようございます

 先生はね、以前、本因本果について以下のようにご指導です。

 『大聖人様の仏法は本因妙です。
 釈迦は本因、大聖人様は本果でいらっしゃる。
 しかし、大聖人様の仏法で見た場合、大聖人と日興上人、大聖人様は本果でいらしゃる。
 日興上人は本因です。
 師匠が本果、弟子が本因。
 私は本果です、諸君たちは本因である。
 そして君たちが人を育てる時、君たちが本果になる、育てられる人が本因です。
 こうして、仏法っ本果本因、本因本果永久に続いて行くのです。
 だから仏法には独裁がありません。』(趣意)

 『下種十妙実体の本迹 日蓮は本因妙を本と為し、余を迹と為すなり、是れ真実の本因本果の法門なり。』
 (百六箇抄)

 本因が肝心です。
 私どもは本因。
 ですから私どもが本です。

419沖浦克治:2009/01/23(金) 07:01:56 ID:AJ3hr85o0
 418記入ミスです。

>釈迦は本因、大聖人様は本果でいらっしゃる。
 を、
 釈迦は本果、大聖人様は本因でいらっしゃる。
 に、訂正いたします

420沖浦克治:2009/01/23(金) 07:21:46 ID:AJ3hr85o0
 若鷹に今書き込んでおきました。
 創価を見失った、創価はぐれ人が大騒ぎしていましたね。
 師匠に弓引いて平気なんですね、あの人たち。

 まじめに教学学んだ方がいいですよ。
 すでに創価の人じゃないですね、命が。
 創価の信心から離れて仏果は得られませんよ。

 先生が新聞で仰せでしょう。 

 『釈迦は人間として法を説いた。
 だが、後世の人が自分たちを権威付けるために、色相荘厳にして神格化してしまった。』(趣意です、新聞取ってますね?読めますか??)

 大聖人さまを特別にして色相荘厳にし、神格化して権威で持って民衆を欺いたものが宗門です。
 貴方方同じことやってますよ。

 大聖人様はお一人の人間。
 私どもの人間。
 一切差別は無いのですよ。
 創価思想とはね、宗教が神仏を祭り上げ、権力と聖職者が結託して民衆を搾取する社会を革命する思想です。 
 人が本なんですよ。
 神仏はシャクです。

 覚えておきましょうね、日蓮正宗未練の皆様方。

421一壮年:2009/01/23(金) 07:35:11 ID:QOd0sUq6O
沖浦さん、昨日の新聞読みました。権威の為の宗教ではなく民衆の為の仏法なんだって事がよく理解出来ました。
日蓮正宗の御戒壇様が本懐じゃないですよね。勿論、御戒壇様を偽物とはいいません。
宗門が証明するのが筋なのでしょうが、やらないでしょうね。

422沖浦克治:2009/01/23(金) 07:41:01 ID:AJ3hr85o0
 一壮年さん、おはようございます

 戒壇様は本物のご本尊様です。 
 貴方や私の自宅のご本尊様とまったく同じお力を立派にお持ちです。
 ですが、戒壇様だけが本物で後コピーだと言ったことが寛師の間違いです。
 ご本尊様を色相荘厳にしてしまいました。 
 大聖人様は一度もおっしゃいません。
 道具だから上手にお使いなさい。と、仰せです。

 『つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし、日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ、』
 (経王殿御返事)

423あきら:2009/01/23(金) 12:22:02 ID:Haq9JdLU0
いわゆる、大切なもの、必要なもの、重要なものを履き違えることで
本迹に迷う結果となるんですね。
世の中に置かれた状況、環境によってはお金こそ重要なものに
見えてしまうことだってあります。
しかし、お金など使ってしまうことにより
跡形もなくなってしまいます。

大聖人は大慈大悲を持ってご本尊をご図顕あそばれました。
「大慈大悲」の意味を履き違え、混乱を起こしている方がいらっしゃる様です。

末法万年の先には、たとえコンクリートや鉄でしたためられた
ご本尊であっても、その形は失われてしまいます。
どんなものでもいつか陽子は崩壊し、消滅するんですよね。

まして木にしたためられ、たとえ彫られていたにしても
それはむなしく消滅していきます。
末法万年とはそうしたスケールである以上、
あくまでも道具であると思いますね。
仏法は魔法ではありませんから。

大聖人の仏法は、世の中の常識や法に背くものではない点から
考察しても、「人が本」以外に考えられません。

ご本尊に大慈大悲があるのではなく、
ご図顕あそばれた大聖人に大慈大悲が備わっているのです。

424白麦 ◆Ec49GnoeJE:2009/01/24(土) 00:19:31 ID:/.wVSr1g0


沖浦さんへ


大聖人の文底下種益の本因妙の仏法とは、

御本尊(境妙)を
信じて(智妙)
題目を唱え(行妙)
名字の凡身(位妙)を改めず即身成仏することです。


『下種十妙実体の本迹 日蓮は本因妙を本と為し、余を迹と為すなり
、是れ真実の本因本果の法門なり。』
 (百六箇抄)

「本因妙を本」とは、上記のことを本とする、ということです。





「凡夫即極の仏法」を教えて下さったのが御本仏である大聖人です。

そして、因果倶時の曼荼羅の御本尊は、大聖人の生命です。

そして、「大聖人を信じてお題目を唱えて即身成仏」(因果倶時)=
    「師弟不二」(因果倶時)です。


私たちの生命は尊極です。
そして、私たちの仏界は、大聖人の仏法を信じ行じることで開かれます。






聖教新聞1月8日付け。先生の講義「御書と師弟」に

「大聖人の仏法」は、弟子は因、師匠は果であり、「師弟不二」と言われています。

「師弟不二」の一念を因として、とも言われています。

また、仏法も人生も、成長の最高の「因」となるのが「師匠」の存在、と。




師弟不二、因果倶時不思議の一法の曼荼羅の御本尊です。



「法華経の智慧」には、

久遠の本仏()は、因果倶時の仏()である、と言われています。

菩薩(因)仏(果)であると。

大聖人は「人」であり、「御本仏」なのです、と。





鄯・鄴

425沖浦克治:2009/01/24(土) 05:42:45 ID:AJ3hr85o0
 白麦 さん

 私と貴方は意見が異なります。
 別にすり合わせることはないでしょうね。
 私は人が本だと仰せの池田先生を信じる立場です。
 貴方は漫荼羅が本で人に勝るとお考えのようですね。
 いずれにせよ、漫荼羅にお題目を唱え、創価を世間に宣揚するなら同じ結果です。
 目くじら立てるほどのことじゃありませんね。

426白麦 ◆Ec49GnoeJE:2009/01/24(土) 23:58:47 ID:/.wVSr1g0


沖浦さんへ


>私は人が本だと仰せの池田先生を信じる立場です。

>貴方は漫荼羅が本で人に勝るとお考えのようですね.。





私は、文上の迹仏に対して、人を本と仰せの池田先生を信じます。

私は「曼荼羅の御本尊と人」の関係は、

    
    御本尊(境妙)を
    信じて(智妙)
    題目を唱え(行妙)
    名字の凡身(位妙)を改めず即身成仏する、と言う


「境智冥合」をする関係である、と認識しています。





そして、私は、
本尊を相対した(比べた)場合は、



  下種文底仏法の大聖人の曼荼羅の御本尊が「本」 であり、
  脱益文上仏法の釈迦仏像や阿弥陀の仏像本尊は「迹」 である



  下種文底仏法の大聖人の曼荼羅の御本尊が「本」 であり、
  例えば、沖浦宗の沖浦と言う人本尊は「迹」 である、



と認識しています。

427白麦 ◆Ec49GnoeJE:2009/01/25(日) 00:07:20 ID:/.wVSr1g0
訂正

例えば、沖浦宗の沖浦と言う人本尊は「迹」 である


から、


例えば、沖浦宗の{沖浦}と言う人本尊は「迹」 である

428沖浦克治:2009/01/25(日) 06:02:17 ID:AJ3hr85o0
 白麦さん、おはようございます

 認識は結構ですよ。
 でも、間違っていますね。
 先ず、認識より信ですね。
 そして信よりおきる行です。
 信行を進める学です。
 信行学の順番です。
 ところが貴方はその三つのどれでもない、認識が最初に来ます。
 仏法の考え方じゃないんですよ。

 それと、沖浦教と言うものはありませんよ。

430白麦 ◆Ec49GnoeJE:2009/01/26(月) 02:01:51 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ


私は、
大聖人・創価の三人の先生を信じ、
大聖人・創価の三人の先生が言われていること「A」を「A」と認識し、
「A」を信じます。

そして、「A」を信じ、
「A」を実践すれば、利美善の価値を生む、と信じます。


私は、
大聖人・創価の三人の先生のことや、
大聖人・創価の三人の先生が言われていること「A]や
「A」を実践して体験したことを、自分の力に随って、
一文一句でも語り伝えていきます。


私は、
大聖人・創価の三人の先生のことや、
大聖人・創価の三人の先生が言われていること「A]を
信行を強くするため学びます。



私は、曼荼羅の御本尊を大聖人の生命と信じ、
自行化他のお題目を唱え、広宣流布の実践をし、
大聖人の仏法・御書を学びます。


私は、
創価の三人の先生の指導を信じ、学び、
平和・文化・教育向上の実践をし、
地域、職場の人間関係において、
創価の人間として信頼を勝ち得て、実証を示し
和楽の家庭を築きゆき、
悔いない人生を送ります。


私は、
大聖人・創価の三人の先生が言われていること「A」を「B」と認識していることが分かれば、
大聖人・創価の三人の先生が言われていることは「A」である、と改めます。



牧口先生は、「認識せずして評価するなかれ」と言われています。



「喩えば」です。
沖浦さんが、私に、
「漫荼羅が本で人に勝るとお考えのようですね」と推察されていたので、
喩えを用いれば分かりやすくなる、と思いましたので。

改めます、
下種文底仏法の大聖人の曼荼羅の御本尊が「本」 であり
日顕宗の教祖である、日顕人本尊は「「迹」」 である、と認識し、そう信じます

注)日顕さん自身「自分が本で大聖人は迹」と言われている、とのことより、
「自分が人本尊である」と宣言されている、との意から。

あくまでも、喩えです。{(迹)にもならない}



私は「曼荼羅の御本尊と人」の関係は、
    
    御本尊(境妙)を
    信じて(智妙)
    題目を唱え(行妙)
    名字の凡身(位妙)を改めず即身成仏する、と言う

「境智冥合」をする関係である、と認識し、そう信じています。




私は、
沖浦さんの掲示板に来られる方々、
見ておられる方々の
大聖人の仏法の信行学の
より一層の向上を祈っています。







鄯・鄴

431沖浦克治:2009/03/17(火) 06:24:09 ID:AJ3hr85o0
 そろそろ真面目な話題をいたしましょう。

 『実相と云うは妙法蓮華経の異名なり諸法は妙法蓮華経と云う事なり、地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり、』
 (諸法実相抄)

 実相と言うのは妙法です。
 諸法が妙法だと言うことです。 
 諸法とは世間一切の法社会活動、生命の動き、あらゆる現象です。
 それがそのまま妙法なんだよ、どこか遠いところに極楽のような理想社会があるんじゃないよ。
 このようにご指南ですね。

 地獄は地獄のまま、妙法蓮華経の当体なんだ。
 仏は仏の姿、凡夫は凡夫の姿、そのままで妙法の当体だよ。
 仏法を修行する事で何か違った存在になる事ではないのですよ。
 貴方方はそのままの姿が元々の仏様なんですよ。
 あらゆる物の本質が妙法蓮華経で差別はないんだよ。

 このように仰せですね。
 俺は創価学会員で池田先生の弟子だから偉いんだ。
 これはこの御文から間違いです。
 一切衆生が仏様です。
 他者を誹謗中傷することはこの御文に背く謗法です。

432沖浦克治:2009/03/20(金) 21:41:39 ID:AJ3hr85o0
 昨日の岩隈投手の快投、素晴らしかったですね。

 と、感動するのが迹。
 では自分はどうやって岩隈投手のように勝利して、世間に創価を示すのか?
 こう悩んで祈り行動する事が本。

 ネッ、簡単でしょう。

433沖浦克治:2009/03/20(金) 21:51:59 ID:AJ3hr85o0
 そう言う自分自身に向上への祈りと行動の無い人は、どのような高邁な法を聞いても、どんなに素晴らしい体験に接しても、いくら渾身の指導を受けても、所詮人事で終わる人生です。
 仏法は行です。
 行とは事実の実証ですよ。
 事実の実証への祈りと行動にかける人は、創価の人生は生きられません。
 ネットは、ほとんどが書き込みだけの世界です。
 行動を起こせないネット。
 一凶です。

434沖浦克治:2009/03/21(土) 07:31:10 ID:AJ3hr85o0
 物凄く簡単なんです。

 先生がご指導をされる。
 聞いた自分がその指導でどう行動するか?
 その行動の部分だけが本につながります。
 本は、創価を保った人間の人生における成功です。
 先生がこう言われた、ああ言われた。
 これは、理です。
 事じゃありません。
 事は行動です。
 それによる結果です。
 それ以外仏法の証明はありません。

 『日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず、』
 (三三蔵祈雨事)

 創価を保って功徳の体験を積む勝利の人生か?
 道を外れて功徳が語れない負けの人生か?

 どちらの人生を歩むか?
 その人の信心の厚薄によります。
 ですから、一切仏法は自己責任です。
 他者を非難中傷して創価の正義は語れません。 
 それは不可能なんですよ。
 池田先生のお振る舞いが証拠です。
 者共進め。
 じゃ無いんです。
 者共続け!
 これが正義の証明です。
 ネットで大言壮語しても、実生活で創価の勝利を功徳の姿で語れない人は、仏法者じゃないんです。
 ある掲示板での書き込みです。

>何故沖浦克治が、こうもわざとらしく「功徳」「功徳」と連呼するか?――それしか書けないからです。(^o^)

 功徳が語れないなら創価の意味はありません。
 この人は創価ではないですね。
 外道です。
 お気の毒です。

435沖浦克治:2009/03/21(土) 19:06:50 ID:AJ3hr85o0
 岩隈選手が大活躍した!

 池田先生がまた勲章をいただいた!

 それを聞き、自分はその様に創価の名前をたかめるか?
 これが本です。
 聞いて喜んでいる部分は理で迹です。
 自分が行動できるか否か。
 ネットで教学論じても、行動して社会で勝利の実証を示せない人は、迹です。
 無意味ですね。
 創価じゃないからですよ。

436京都乃鬼:2009/03/22(日) 15:52:50 ID:bLRjw1dY0
岩隈選手は大活躍した!
しかし・・・

沖浦克治さんは何回も、大事なスキーの大会で旗門不通過でした。

これは無意味ですかね。
順位さえ付かない「行動」は。
アナタの論ならば・・・創価じゃないからですか?(鬼クスクス)

437沖浦克治:2009/03/22(日) 16:47:12 ID:AJ3hr85o0
 京都の鬼さん

 私はね、たいしたレーサーじゃないですよ。
 でもね、全日本マスターズ選手権では二年連続入賞しております。
 マスターズ仲間ではトップレーサーとして認知されているんですよ。
 順位さえ付かないレース。
 敗北ですね。
 でもね、ある球聖と呼ばれた野球選手が引退の時に言った言葉です。

 私は数々の賞をもらった。
 だが誇りはそれではない。
 数限りないスランプに落ち、その度にそこから這い上がったことだ。

 わかりますか?
 世間の超一流は心に創価を保っているんですよ。
 自然にそうなるんです。
 いけないのは貴方のように他人の失敗を喜びあげつらう事なんですよ。
 創価の信心ではないですね。

438沖浦克治:2009/03/22(日) 16:54:58 ID:AJ3hr85o0
 京都さん

 私の旗門不通過を喜んでいる貴方は迹。

 よしチャンスが来た、今のうちに自分が何かで勝って私以上にアスリートをして有名になってやる。と、貴方が思い行動に移せば本。

 覚えておきましょうね。

439京都乃鬼:2009/03/22(日) 17:06:08 ID:bLRjw1dY0
ワシがキミの旗門不通過を喜んでいる?
そう捉えるキミの境涯が低い、ということや。

沖浦クン。
負けた言い訳はエエんや。
まずは旗門を通過した「実証」を示してから御託をのべなさい。
それが沖浦教の教えではなかったのか?

そうワシはキミに問うているんや。
「順位さえ付かない行動は無意味」(沖浦趣意)

話をそらすなよな!

440東空:2009/04/20(月) 21:42:55 ID:ZPjW1MZ.0
沖浦克治さん、こんばんは。
本迹に関する沖浦さんの書き込みが、気になりました。

よくあるたとえに、水面に映る月(迹門)と空の月(本門)ですが、(水面に映る月は仮の姿ですね)

一つの事象や事柄に対して、本質を探り(はたして、どちらが本物の月か?)明確にするために「本」と「迹」に立て分けるのに
用いるのが妥当と思います。

レストランでウィンドウケースに、見本として陳列されている作り物「蝋細工?」の食品(迹)があります
店に入り注文すると、調理された食べ物(本)が出てきます。
これが「本によって迹をたれ、迹によって本を顕す」ということになります。

>>19 人が本。 仏が迹。*
と、本迹の関係にあるわけではないと思います。
沖浦さんは、本迹の使い方に誤りがあると思います。

441東空:2009/04/20(月) 21:48:38 ID:ZPjW1MZ.0
続きです
>>7 沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/11(火) 20:57:18 ID:AJ3hr85o0
>梅さん

 >本迹と、勝劣を同じで論じると駄目なんです。
 >勝劣はある意味では絶対的な優劣なんです。
 >本迹は現実主義なんです。

新・人間革命の8巻(宝剣の章)に先生の本迹に関するご指導が載っています。

★引用〜「百六箇抄」の最後の付文である「立つ浪・吹く風・万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり」
(御書P869)の個所では、伸一はこう語った。
「立つ波、吹く風、いっさいの現象について、本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。
つまり、私たちの人生にも、生活にも全部、「本迹」がある。それを、きちっと見極め、
立て分けていかねばならない。〜★引用ここまで

御書および先生の指導と、沖浦さんの発言には、このような違いが見られます。
訂正されたほうが、よろしいかと存じます。

442沖浦克治:2009/04/21(火) 04:56:26 ID:AJ3hr85o0
東空 さん

 訂正いたしません。
 但し、貴方が本迹を私と異なる捉え方をされても、気にはいたしません。

443沖浦克治:2009/04/21(火) 05:48:59 ID:AJ3hr85o0
 本迹もそうですが、一番いけないのは、御書を拝して、

 この御文は絶対にこう言う意味だ!

 この断定なんですね。
 これはダメなんです。
 こうも拝せるのではないか。
 これが正しい学び方ですし、読み方です。
 人間革命の中で戸田先生が御書の拝し方で仰せです。

 眺め人たちはここがわからない。
 人間革命眺めるだけ、御書眺めるだけ。

 本迹の御文があります。

 『迹門方便品は一念三千二乗作仏を説いて爾前二種の失一つを脱れたり、しかりといえどもいまだ発迹顕本せざればまことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず、水中の月を見るがごとし根なし草の波の上に浮べるににたり、』
 (開目抄上)

 これを衣文として、本は月そのもの、迹は水に映った月。
 このようにたとえますね。
 では、これはそのまま勝劣か?
 少し違います。
 水に映る月を水に映るものとして認識し、楽しんで観賞するなら、本物の月と勝劣はないですね。
 この場合の勝劣は、どちらの水面がよりよく月を美しく映すか?
 映る月同士の比較対照です。

 本迹を勝劣だと決め付けると間違います。
 
 私は本迹を、利か不利かで捉えます。
 牧口先生の価値論の、利・美・善のうちの、利の部分が最も本迹に近い考えだと思います。
 但し、これは私の意見です。
 他の方が違う考えをお持ちになられる事はご自由です。

444東空:2009/04/21(火) 09:52:52 ID:yI7NZLNw0
沖浦さん、おはようございます

>>443 >本迹もそうですが、一番いけないのは、御書を拝して、
   >この御文は絶対にこう言う意味だ!
  >この断定なんですね。
  >これはダメなんです。

しかしながら、沖浦さんは>>7にて
>本迹と、勝劣を同じで論じると駄目なんです。
と、断定されています。そして
>勝劣はある意味では絶対的な優劣なんです。
と記されていますが、

宗教批判の原理の、本迹相対は、法華経の本門と迹門のことで、比較相対して、
本門が優れる「勝劣」ですね。

「迹門」はインドで仏となった釈迦が、理論上の実相観を述べたもので、理論上の問題を取り扱ったもの、事実上の問題を取り扱っていません。
「本門」は釈迦が永遠の生命観に立って宇宙および、生命の実相を述べたものです。

>>441に引用した先生のご指導も「断定だからダメなんです」と仰られるのでしょうか?

>>443
>水に映る月を水に映るものとして認識し、楽しんで観賞するなら、本物の月と勝劣はないですね。

観賞するという視点においては、水月のほうが美しくみえる場合があるでしょうね。

445雨煽り:2009/04/21(火) 23:18:37 ID:NjA8zkPc0
東空さん

法華経の本門と迹門は、「本門」と「迹門」を「相対」して勝劣がありますから
言われている通りです。が、それは釈迦の「法華経」の「本迹相対」です。
宗教批判として「相対」した、理論立てをすれば勝劣がある。と言うことです。

「相対」等しない、理論立てはできますか?

では、大聖人の「妙法蓮華経」ではどうでしょうかね?

「本迹」とは本門と迹門だけの事ではありませんのはご存知でしたか?

「理と事」及び「理と智」についてもご存知でしょうか?

質問だらけになりました事をお詫び致します。すいません。

446東空:2009/04/22(水) 14:10:20 ID:BWA6azKU0
>>445 雨煽りさんへ

>「相対」等しない、理論立てはできますか?
>では、大聖人の「妙法蓮華経」ではどうでしょうかね?
・妙法蓮華経こそ“本仏”それに対して、釈迦・多宝の二仏は“用の仏”“迹仏”であると仰せられるのであります。「諸法実相抄:池田会長講義」

>「本迹」とは本門と迹門だけの事ではありませんのはご存知でしたか?
・「発迹顕本」仏が垂迹(仮の姿)を開いて本地(本来の境地)を顕すことです。「迹」とは、影、跡の意味です。「御書の世界:第2巻」

>「理と事」及び「理と智」についてもご存知でしょうか?
・「智如如真実の道に乗じて妙覚究竟の理智法界と冥合したる時理を如と名く智は来なり。」 P0409
 
★1質問です。沖浦さんの言われる:人が本。 仏が迹。:という説を、雨煽りさんは同調できますか?
同調できるのでしたら、文証、理証で示してください。文証は文献上の証拠です。理証は文証があるとして、
その文証が科学と矛盾せず、かつ理論としてあらゆる人が納得できるかどうかが重要です。

★2質問です。>>445 「法華経の本門と迹門は、「本門」と「迹門」を「相対」して勝劣がありますから
言われている通りです。が、それは釈迦の「法華経」の「本迹相対」です。宗教批判として「相対」した、理論立てをすれば勝劣がある。と言うことです。」

と、雨煽りさんは述べられておりますが、雨煽りさんの発言は「勝劣」を用いるのは、
釈迦の「法華経」の「本迹相対」だけに限る、というように見受けられますが、それですと
私が>>441に引用した文
〜引用:伸一はこう語った。「立つ波、吹く風、いっさいの現象について、本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。:〜引用ここまで

この引用で示した先生の、ご指導は間違いだと仰るのでしょうか?そしてその根拠は何でしょうか?

447ソウイチ:2009/04/22(水) 14:34:42 ID:qZp.bdpw0
東空さんはモヤシさんですか?

448東空:2009/04/22(水) 14:58:11 ID:BWA6azKU0
>>447 ソウイチさんへ
モヤシさん、という方は、このスレッドに書き込みされている「もやしの旦那」さんのことでしょうか
いいえ、違います。
掲示板管理者の方に、アクセス地域やホストをお尋ねになられれば、別人ということがわかります

449備前:2009/04/22(水) 16:12:06 ID:CTtMwhXY0
 >>446
   初めまして、東空さん

せっかくの雨煽り氏との討論に水を差す様で悪いのですが

少々お尋ねいたします。

 >〜引用:伸一はこう語った。「立つ波、吹く風、いっさいの現象に
 >ついて、本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。:
 >〜引用ここまで

ここでは「本迹、勝劣」であって「本迹勝劣」ではありませんよね

「本迹」と「勝劣」の間にある「、」は、いかなる意味を持つもなのでしょうか?

私は、単に読みやすいようにと使用されたものではないと思います。

重箱の隅を突く様で申し訳ありませんが(^^; 、その辺りいかがお考えでしょうか?

450東空:2009/04/22(水) 17:46:40 ID:pqsJ0MTI0
>>449 備前さん、はじめまして

>「本迹」と「勝劣」の間にある「、」は、いかなる意味を持つもなのでしょうか?


「、」は(読点)とうてん  「・」は(中点)なかてん

文の中で、語句の切れ目や、自然の息継ぎで間を取る場合などに使用する符号 、(読点)で

文の中で、語と語の区切りを明らかにするために使用する符号は ・(中点)です。

例>美・利・善

「新・人間革命」の文中においても、語と語の区切りを要する場合 ・(中点)が随所に用いられています。


>私は、単に読みやすいようにと使用されたものではないと思います。

「・」(中点)が使用されれば、そうかもしれません。

451日々朗らか(大勝利):2009/04/22(水) 19:42:59 ID:8FNX.yWoO
『、』は区切り。
『・』は同一(一体)。

を意味すると私は思います。

452ソウイチ:2009/04/22(水) 22:18:46 ID:qZp.bdpw0
東空さん。
もやしさんは以前引越しすると書きました。
ホストもアクセス地域も変わります。
東なんとかさんも多くのアドレスを持っていました。
貴方が最初に登場したときから疑いを持っていました。
もやしさんも最初沖浦さんの味方で登場し敵になりました。
貴方にも全く同じものを感じます。
今後の書き込みを注目しております。

453雨煽り:2009/04/23(木) 00:23:56 ID:NjA8zkPc0
東空さん

>>446 のレスを見る限りでは、
私との会話が成り立っていませんが…

「理論立て」並びに「立て分け」が出来無い。もしくは、知らない。
と、解釈して宜しいのでしょうか?

私の勘違いでしたらお詫び致します。

454東空:2009/04/23(木) 00:43:38 ID:pqsJ0MTI0
>>452 ソウイチさん
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1218983234/114
5月から区営住宅の公募が行われます、それに当選しなければ、私は引越しが出来ません

私に対する疑いや感じ方は貴方の自由です。最初はこの掲示板の「貴方の夢を語るスレッドですよ」に惹かれました。
それで書き込みに参加したのですが、「本迹に関して対話するスレッド」での沖浦さんの主張には納得がいかない、という事です。

455東空:2009/04/23(木) 00:49:49 ID:pqsJ0MTI0
>>453 雨煽りさん
寝ますので、また今度です、おやすみなさい。

456ソウイチ:2009/04/23(木) 07:21:54 ID:qZp.bdpw0
東空さん、5月の都営住宅は言い訳にならないでしょう。
もやしさんが引越しをするといったのは一年も前です。
都営住宅の5月はおかしいです。
あちらこちらの掲示板に貴方の意見が貼られて沖浦さん攻撃の材料になっています。
もやしさんとそっくりです。
本迹がわからないなら違う聞き方をするはずです。
ものすごく怪しいと思います。

457備前:2009/04/23(木) 10:30:31 ID:CTtMwhXY0
 >>450
   おはようございます、東空さん

その様に割り切った使い方ばかりではないと思いますが

 >ついて、本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。:

私は、「本迹や勝劣を立て分けていきなさいという御文です。:」と

捉えておりますが

貴兄は、「本迹の勝劣を立て分けていきなさいという御文です。:」と

捉えてみえられるのでしょうか?

458東空:2009/04/23(木) 10:32:31 ID:GRLqWMfk0
>>456 ソウイチさん

>都営住宅の5月はおかしいです。
私は「区営住宅」と言っています。

>もやしさんとそっくりです。
今、もやしさんが参加している掲示板に、私が書き込みをすれば、アクセスとホストの違いが明確にわかる事です
今は、もやしさんは、どこの掲示板に参加されているのでしょうか?

459東空:2009/04/23(木) 10:42:07 ID:GRLqWMfk0
>>453 雨煽りさん おはようございます
>>446で回答がひとつ抜けていましたね、申し訳ありません

>「相対」等しない、理論立てはできますか?
* 人が本。 仏が迹。*という「相対」はしません。本迹相対は「一つの事象や事柄」を立て分けることにあります

例:人が本。鏡に映したその人の姿は迹。 「人」を「立て分けて」いるので「相対」になります

例:人が本。鏡が迹。 これだけでは二つの異なるものを並べただけで「相対」しません。

本迹相対の立て分けは、どちらが優れているかの「勝劣」またどちらが「尊い」かですね。

>>457
>貴兄は、「本迹の勝劣を立て分けていきなさいという御文です。:」と捉えてみえられるのでしょうか?
そうです。宗教批判の原理の、本迹相対でも同じ事です

雨煽りさんへ質問した>>446 の回答をお待ちしております。

460日々朗らか(大勝利):2009/04/23(木) 11:40:36 ID:8FNX.yWoO
>>456
ソウイチさん。そのようなツッコミは、【今の所】不要かと思いますよ。
東空は東空さん。

それで言いのではないでしょうか。
いかなる人でもまず目の前の人(モニターの向こう側の)を信じる。
これがネットでの大前提です。

議論も盛り上がってきているようですし……。

461備前:2009/04/23(木) 12:55:02 ID:CTtMwhXY0
 >>459
   こんにちは

 >>貴兄は、「本迹の勝劣を立て分けていきなさいという御文です。:」と捉えてみえられるのでしょうか?
 >そうです。宗教批判の原理の、本迹相対でも同じ事です

なるほど、私と貴兄に捉え方に相違がある訳ですね

ならば、貴兄の >>441 の発言での

 >御書および先生の指導と、沖浦さんの発言には、このような違いが見られます。
 >訂正されたほうが、よろしいかと存じます。

この部分は訂正された方が良いのではないでしょうか

 それに「本迹」に配するのは別に法華経二十八品だけだではありませんよ

「本:日蓮仏法・迹:釈尊仏法」に配される時もありますし

何処の掲示板で読んだかは、忘れたのですが先生の指導(?)で

「学生は勉強している時が本、遊んでいる時が迹」と云われていると

何方かが書き込まれていたと記憶しております。

462東空:2009/04/23(木) 17:18:16 ID:QvnWkSMU0
>>461 備前さん こんばんは

>それに「本迹」に配するのは別に法華経二十八品だけだではありませんよ

>>441 で池田先生の指導を引用して載せています
★引用〜私たちの人生にも、生活にも全部、「本迹」がある。それを、きちっと見極め、
立て分けていかねばならない。〜★引用ここまで
このように、先生のご指導は「法華経二十八品だけ」ではありません。


>私と貴兄に捉え方に相違がある訳ですね
>ならば、貴兄の >>441 の発言での
>>御書および先生の指導と、沖浦さんの発言には、このような違いが見られます。
>>訂正されたほうが、よろしいかと存じます。
>この部分は訂正された方が良いのではないでしょうか

あなたと私に、本迹の捉え方に相違があるから、訂正された方が良い、
というだけの発言では、何の説得力もありません。

備前さん、* 人が本。 仏が迹。*という捉え方はなぜ正しいのでしょう?
文証(文献上の証拠)と、理証(あらゆる人が納得できる理論)で説明して下さい。

納得がいきましたら訂正いたします。

463雨煽り:2009/04/23(木) 22:12:58 ID:NjA8zkPc0
東空さん

あのぅ…引用貼り付けの後に何か言葉(説明とか)を入れてもらわないと、
その貼り付けだけでは東空さんの言われたい事を判断できませんので、会話が成り立たないと申しました。

「相対」等しない立て分けも理論立てできる。ということでよろしいですか?

釈迦の法華経ではなく、大聖人の妙法蓮華経に限定して説明致します。
私達にとっては大聖人の仏法こそが、その全ての筈ですからね。

迹門理の一念三千・迹門不変真如の理
本門事の一念三千・本門随縁真如の智
「理と事」「理と智」の立て分けですが、ここには勝劣や優劣はありません。
と、一応述べておきます。
厳密に言うと、勝劣はあるのですよ。しかし、立て分けによって変わってしまうので無いと言う事にしておきます。

事は本門、理は迹門ですね。事と智は同義です。
五重玄はご存知ですか?
「体」で述べますと、御本尊のことですね。
「宇宙根源の法・久遠元初の南無妙法蓮華経」が不変真如です。つまり迹門です。
大聖人の『たましいをすみにそめながして』の漫荼羅本尊が随縁真如です。本門です。

「用」で述べますと、衆生を成仏させる働き、功能です。
衆生が主体で、衆生から見て、御本尊が理になります。不変真如で迹門になります。
御本尊に自行化他の題目を唱えて成仏する当体、衆生が随縁真如です。事の一念三千です。本門です。

御本尊が立て分けによって、「本」になったり「迹」になったりします。衆生も同じです。
本迹に実質的な勝劣があると思いますか? 立て分けだけの問題でしかないと思われます。

巷で行われている論争は、立て分けの違う事を同じに論じているだけでしょう。
私の考えは、「どっちが本でもどっちが迹でも、どっちでもいい。どっちにしたって私達の信心が変わる訳ではありませんからね。」
と言う事です。
ただし、間違っていない義を間違ってると言う事は謗法ではないですかね。

最後になりましたが、文証をのせておきます。
日蓮大聖人御書講義 第七巻
当体義抄301ページ
『また、御本尊とわれわれとの関係として不変真如、随縁真如を論ずれば、先の真諦と俗諦の説明と同じになる。すなわち、大御本尊それ自体は「是の法法位に住した」お姿であり、不変真如の理である。それを、さらに御本尊を根底に信心を開き、人々の生活の上に、現実に智慧となり、大生命力となって涌現してくることを「世間の相常住」というのである。』
分り難いかもしれませんが、書籍をお持ちでしたら、前ページから読んでみて下さいね。

464ソウイチ:2009/04/24(金) 08:18:31 ID:qZp.bdpw0
東空さんと日々朗らか(大勝利)さん。
わかりました。
ロムに戻ります。
おかしくなったら又書きます。

465日々朗らか(大勝利):2009/04/24(金) 15:14:04 ID:8FNX.yWoO
>>464
ソウイチさん。見守ってください。
おかしくなったら、飛び込んで来てください。

466東空:2009/04/24(金) 17:02:27 ID:HGHiETdc0
>>463
雨煽りさん

>あのぅ…引用貼り付けの後に何か言葉(説明とか)を入れてもらわないと
>東空さんの言われたい事を判断できませんので

私の言葉は、先生の指導に同調すると言う事です。同調しているのですから、私見をはさむ余地はありません。
あえて言いますと「この引用文に私は同調しております」でしょうね。

>「相対」等しない立て分けも理論立てできる。ということでよろしいですか?

>>445では >「相対」等しない、理論立てはできますか?
と質問されています。「立て分け」という言葉はありません。
「本迹相対せずに立て分けができるという理論は成り立つか?」という意味の質問なのでしょうか??
それなら、一つの事象を立て分けて相対するので、立て分けなければ相対しようがないので理論立ては出来きないでしょう

簡単に言えば、事は行為で、理は言葉でしょう。

五重玄は二種有ります。・仏意の五重玄 ・機情の五重玄

>最後になりましたが、文証をのせておきます。
*人が本  仏が迹* という「人と仏」の本迹相対としての、立て分けの説明にはなっていませんね。
「帰というは迹門不変真如の理に帰するなり、命とは、本門随縁真如の智に命(もとづ)くなり、帰命とは南無妙法蓮華経是なり」(御書P708)

最後になりましたが御書の御文です
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。」(御書P760)

467東空:2009/04/25(土) 01:12:38 ID:vv8c7urA0
>>http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1225794198/641
日々朗らか(大勝利)さん

>そもそも『仏本人迹論』を唱える日顕宗の【対義する語】として出た言葉だと思いますね。

創価学会版の御書にあります


下種寂照・実事・体用無上の本迹
「生仏一如の事の上の本覚の寂照なり人は迹・仏は本なり云云。」(御書P867)

下種十界互具の本迹
「唱え奉る妙法・仏界は本・唱うる我等九界は迹なり、妙覚より理即の凡夫までなり、実の十界互具の勝劣とは是なり。」(同P868)

「自分自身が妙法の当体」は正しいです。だからこそ、わかりにくいのです。
「本迹相対」は理解しにくいと思います。五重の相対で言えば「同じ釈迦の法華経の中での相対」だからでしょうね。

*人が本 仏が迹* は、御本尊、軽視の愚を犯すことです。 


「法に依つて人に依らざれ義に依つて語に依らざれ知に依つて識に依らざれ了義経に依つて不了義経に依らざれ」(同P544)

(創価学会教学部の解説です)「仏の説いた経文によるべきであって、人師・論師によってはならない。常住不変の仏の実義に
よるべきであって、人師・論師の言葉によってはならない。
仏の智慧によるべきであって、人師・論師等の浅識(浅い知識)によってはならない。了義経(仏の真実の教え)に
よるべきであって、不了義経(方便の教え)によって法を説いてはならない」(涅槃経)

468東空:2009/04/25(土) 01:30:55 ID:vv8c7urA0
まことに勝手ながら、この掲示板から撤退させていただきます。
短い間でしたが、ありがとうございました

469日々朗らか(大勝利):2009/04/25(土) 04:29:38 ID:8FNX.yWoO
東空さん。
続けてください。
『本迹、勝劣』『本迹・勝劣』、学ばせてください。

せっかく有意義な議論ができているなあ。と思っておりました。
雨煽りさんも寂しがると思います。
また機会があれば、宜しくお願いいたしますm(__)m。

470雨煽り:2009/04/25(土) 08:07:07 ID:NjA8zkPc0
東空さん

なぜ撤退されるのですか?
まぁご自由ですが…


理解されたくなければされないのは結構ですが
理解された方が良いと思いますよ。
観念の遊戯では無く現実なのですからね。
『はたらかさず・つくろわず・もとの儘』なのです。元初から永劫までね。
拘る理由が何かありますかね。
本迹未分なものを、あえて本迹に立て分けた理論立てを
「どっちが本だ、どっちが迹だ」なんて、さも、重大そうに論議している。
その実は「衆生(自分?)から見て」「仏から見て」「信仰の姿勢」等を
混同しての議論しているだけのことではないでしょうか。
各々の論それ自体は間違ってはいませんが、間違いではないことを間違いだという事が間違いです。
中道ですからね。全て必要だと思われます。

日蓮大聖人を御本仏として信仰しているのですから、法華経や釈迦仏法がどうであれ
大聖人の言われた儘を信じますし、
同じように、学会員なのですから創価学会や池田先生の指導を信じます。
それが道理なのではないでしょうか。

>「相対」等しない理論立てはできますか?

は、私からの単なる質問ですが

>「相対」等しない立て分けも理論立てできる。ということでよろしいですか?

は、東空さんのレスを読んで私が思ったことです。
言葉は似ているが意味は違います。間にレスの存在がありますからね。

東空さんの言われる「同調」も、私の考えるものとは違っていると感じます。
極端に自分の言葉が少ない東空さんのレスを私が解釈をすると、
東空さんの真意とは違って来ると思います。

故に、会話は成り立たない。と言う事です。

結局東空さんの真意が私には解りませんでしたが、
お元気で…

471雨煽り:2009/04/25(土) 08:24:06 ID:NjA8zkPc0
坊主の説法を思い出しました。

「欝頭羅弗とはならじ。これをよく考えてもらいたい。」

よく考えてもらいたいって…おぃおぃお前が教えてくれるんじゃないのかぃ…
って、余談でした。m(__)m


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