その苦労ができないのなら君らのやってることは思想論争だよ。言語活動ではない。
はっきり言っておく。エスペラントでは君らの望む夢は死ぬまで見れない。
古臭い思想に拘泥する人間は時間に葬られるだけだ。できもしないことを吹聴しながら自然の摂理に従うがいい。
DREAM ON! YOU DON'T HAVE A PRAYER!
エスペラントの言語学的不備として、やや顕著と思われるものに受動態があります。
受動態は「estas + 動詞-受動分詞-a」で表されます。
長いですね。
アルカでは「動詞 + yu」だけで簡単なのですが。
estasの部分で時制情報、受動分詞の部分でアスペクト情報を表します。
ただ、受動分詞部分は必然的にatならば現行、itならば完了、otならば将前という情報が含まれることになります。
つまり、muso estis mang^ataは、"rat was being eaten"(鼠は食べられていた)になってしまい、
アスペクト情報なしの"rat was eaten"(鼠は食べられた)を表すことは出来ません。
仮に、muso estis mang^ataは"rat was eaten"も含むとしても、それでは曖昧というものです。
アルカの場合、"rat was eaten"は"kamt xon-a yu"(鼠 食べた られ)、
"rat was being eaten"は"kamt xon-as yu"(鼠 食べていた られ)で簡単なのですが。
で、わたしはあなたとは逆方向で、活用自体不要論者です。
少なくとも増やす必要性は全くないと思います。
日本人の多くは英語学習時時制その他で苦労するのに、
いざ人工言語を考えるときっちり英語やそれ以上のものを考えてしまいがち
だと思うのです。
Mi ami lin.だけ言われたら間違いなくまさに現在のことでしょう。
あきらめるしかありません。
しかしAntauxe mi ami lin.なら以前のことであり、チャンスがあります。
私も人工言語をいくつか学びましたが、もしアルカがこういう方向であれば、
アルカ派になったと思います。
"tee, teo! kat, mon an onx-i ti. son an dal-a ti. tal tiz, an san-i tin ti. fak an na-a lik man u ra-i koa kiv an. son.... xa-al an"
違う、いいえ!まず、明らかに私はあなたに感謝します。だから私はあなたを助けました。でも今、私はあなたがとても好きです。さらに私は、誰も私を除いてここに住んでいないから寂しさを感じました。だから・・・・・私のところにいてください。
se mi estus estinta birdo, mi estus povinta fulugi al vi.
tia an et-ek kuto, an kern-elek al ti.
もし私が鳥であり終えるならば、私はあなたに飛ぶことが出来終える。
長いですね。しかも注意すべきなのはこれは時制でなくアスペクト。
I have get a pikachuu と同じように、「今、この瞬間にピカチュウをゲットすると言う動作を終えた」のかも知れません。
過去の動作かどうかははっきりしません。
それに、「仮定・将前相・過去時制」である「〜しようとしただろう」、
「仮定・完了相・未来時制」「〜し終えているだろう」は時制単独では表現できません。
たぶん、enをつかってやらないと無理なのだと思います。
se mi estus flugonta al vi en inteco. もし私が過去においてあなたに飛ぼうとするなら
tia an kern-ap al ti. もし私があなたに飛ぼうとしようとしたなら
se mi estus fluginta al vi en futuro. もし私が未来においてあなたに飛び終えるなら
tia an kern-ok al ti. もし私があなたに(未来において)飛び終えるのなら
se mi komencus flugi al vi en inteco. もし私が過去においてあなたに飛び始めるのならば
tia an kern-at al vi. もし私が(過去において)あなたに飛び始めるのならば