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エスペラントの思想と国家権力

872Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/09/15(月) 21:17:05
【外から見た北京五輪】「人権改善 誓約破った」米の対中認識 批判色強まる  
9月15日10時9分配信 産経新聞

 米国は北京五輪をどうみたのか−。スポーツの大祭典としての規模や秩序、盛り上がりへの前向きの評価がある一方、この国際行事の開催で中国の独裁体制の国際社会での異質性がいやというほど露呈されたという批判的な反応が、官民ともに一致したといえる。
 米国では北京五輪が閉幕した8月24日以来、よくも悪くも、その意味を論じる見解の表明は閉幕直後の2、3日を除いては驚くほど少ない。開催中は開会、閉会式の強烈な光景も含めて報道は洪水のようにあふれた。競泳の記録破りのマイケル・フェルプスやバスケットのスターのコービー・ブライアントら自国選手の大勝利は大々的に報じられ、もともとスポーツ好きで愛国志向の一般米国民を熱狂させた。他国の選手でも陸上短距離のジャマイカのウサイン・ボルトや競泳の北島康介の活躍は華々しく報じられ、米国民多数の熱い関心を集めた。
 だがスポーツ行事がいったん終わってみると、数日にして北京五輪関連の報道や論評はぱたりと消えた感じとなった。米国の官民一般の北京五輪への反応が当初から終盤まで、純粋なスポーツ面への関心以外は、きわめて抑制されたままだったことの表れだといえよう。
 ブッシュ政権自体は大統領が家族とともに開会式に出席したように、スポーツ面に関心を集中させ、背後であらわな中国政府の人権弾圧などはできるだけ拡大して提起しないことに努めるという姿勢をとった。しかしそのブッシュ政権を基本的には支持する共和党、保守派の多くは中国政府への非難を隠さない。
 ■「強烈な不正直さ」
 下院外交委員会の共和党側有力メンバーのクリス・スミス議員は「北京五輪は中国共産党政権の弾圧体質を期せずして十二分に露呈した」と語った。ワシントンの大手研究機関「ヘリテージ財団」の中国専門家ジョン・タシック研究員は「北京五輪のメッセージ=中国は自国が欲することを実行する」というタイトルの報告書を発表し、北京五輪の意味を総括した。
 同報告書は北京五輪が「過去70年で最も壮観なスポーツ祭典」であり、「中国のグローバル・パワーとしての登場の象徴」となったと特徴づけた。一方で、中国は壮大な五輪の外観を保とうとした際に、つい足を踏み外し、「強烈な不正直さ」をさらけ出したとして、(1)中国の女子体操選手たちの生年月日が操作された(2)漢民族の子供たちがチベットなど少数民族のふりをした(3)国歌を歌う子供をすりかえた−という実例を挙げた。
 タシック報告書はさらに深刻な特徴として「民間人の軽視」を挙げ、中国当局が五輪開催のために2001年からの7年間に北京市内の150万人を強制移住させ、地方からの「民工」400万人を北京へと動員し、五輪開催直前に大多数を退去させた−と指摘した。また北京での五輪用の水消費のために、東北部の住民用の水資源が大量に奪われたともいう。
 「人権」については「中国当局は北京五輪の開催の条件として人権状況の改善を誓約したが、その誓約を完全に破った」として、「政府に反対する自由、言論の自由、集会の自由、宗教の自由などに対する弾圧が逆に強まった」と述べた。実例の一端としては、インターネットの検閲と妨害の6例、外国メディアの取材に応じた中国人逮捕3件、直訴の許可を申請した中国人逮捕7件、民主主義活動家逮捕2件、キリスト教の中国人指導者逮捕3件などが指摘された。
 (下へ続く)

873Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/09/15(月) 21:17:30
(上から続く)
 ■今後も強まる非難
 その他の北京五輪終了後の反応も厳しい。
 「北京五輪は国内的、国際的に異常な統治をする国でも、その問題を隠して五輪を主催できるという実例を作ってしまった。ナチス・ドイツのような国でも諸外国からの訪問者たちの目から問題を隠して、五輪を開催できる、というわけだ」(ピッツバーグ・ポストガゼット紙社説)
 「現代の中国と戦前のナチス・ドイツとを同列には扱えないが、壮大な競技場の背後に隠された住民の不満、社会に偽りの仮面をかぶせての外国向けの提示などはぞっとさせられる」(ミシシッピ・サンヘラルド紙コラム)
 「北京五輪は中国当局の独裁主義の国際的な勝利かもしれないが、いまありがたいことは、12年のロンドン五輪は北京五輪にまったく似ないという見通しだろう。式典の演出も、花火の技術も、マスゲームの水準も、そして民主活動家の弾圧も、みな北京五輪とは異なるだろう」(ワシントン・ポスト紙社説)
 こうした総括的な批判に加えて、米国側には五輪開催中に北京の繁華街で、観光中の米国人が刺殺された事件への納得のできない思いがなお残っている。開会式翌日の8月9日、トッド・バックマン氏が殺された事件だが、自殺した中国人の犯人の実態も、事件当初の中国当局の対応も、ナゾのままだというのだ。だから「真実を封殺する絶対独裁国家のファシズム的なシステムでしか起きない事件」(フィラデルフィア・デーリーニューズ紙)という怒りがなお表明される。
 米国を拠点とする国際的な人権擁護団体からも北京五輪閉会後に抗議の声明が相次いだ。「アムネスティ・インターナショナル」は、中国政府と国際オリンピック委員会を「五輪開催のために人権弾圧を強め、黙認した」と非難した。「中国人権」も「北京五輪は人権弾圧により『オリンピックは正義と公正の象徴』という理念を破壊した」と抗議した。
 チベット人やウイグル人の人権擁護を訴える国際組織も、中国当局による北京五輪を理由とした弾圧や「殺戮(さつりく)」に抗議し、五輪後はそうした強硬措置がさらに厳しくなることへの懸念を表明する声明を出した。
 米国での北京五輪への事後の反応をみる限り、中国の構造的な独裁や弾圧への米側一般の非難の姿勢は、今後さらに強くなりそうだ。
 (ワシントン 古森義久)

874ladio:2008/09/15(月) 21:51:34
チベット自治区や新きょうウイグル自治区辺りの漢民族とチベット人、
ウイグル人を中心に、エスペラント化していく必要がありますね。
そうすれば、そこに今まで付き合いの無かったチベット人・ウイグル人と
漢民族の間に近所付き合いが生まれて、チベット人・ウイグル人を弾圧している
政府に対する反感がその地域全体で芽生えて状況は良くなるかも知れません。
近所付き合いが重要なのです。せっかくエスペラント主流派は中国と仲が良いのですから、
どんどん入り込んでいって、チベット・ウイグル両自治区と近隣漢民族のエスペラント化を
進めていけば良いと思います。
そうすれば、そこからどんどんエスペラントは広まっていくでしょう。

875KamelioJapana:2008/09/16(火) 06:40:28
以前から納得がいかなかったのですが、
>872
>873
の様なE文訳どころか、Eに直接関連するものでも無く、増して、解説も全く無い、特定のメディア媒体の直接的引用が、
かくも大量になされて良いのでしょうかね。

876Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/09/16(火) 21:09:06
>>875
わたしは掲示板の運営・利用・閲覧の妨げとなる行為はいていません。
"エスペラントの思想"の信奉者は言論規制をしたがるものなんですね。

>>874
中国の国内共通語はあくまで中国語です。エスペラントは対外的プロパガンダの道具として
共産党政府に奉仕させられているだけです。

877KamelioJapana:2008/09/17(水) 06:26:25
>876
粗、予想通りの回答でした。
了解しました。

878KamelioJapana:2008/09/17(水) 07:06:35
本の紹介です。
[朝日新聞に掲載]2008年8月10日

壊れゆくアメリカ [著]ジェイン・ジェイコブズ
* [評者]柄谷行人(評論家)

■集団的記憶喪失が文明を暗黒へと

 著者は1950年代に、ニューヨークのジャーナリストとして高速道路の建設や都市開発に反対する運動を
おこし、さらに60年代には、近代の都市計画を根本的に批判する理論家として注目を集めた。その核心は、
モダニズム以来の都市計画にある、ゾーニング(住宅地とオフィス街を分ける)というアイデアへの批判にある。
都市は、雑多なもの、古いものと新しいものが集中的に混在しているときにこそ、活発で魅力的なのだと、
著者は主張したのである。

 本書は2006年に亡くなった著者の遺作となったエッセー集である。著者が90歳に近づいて活発に考え、
かつ活動していたことを知って、私はあらためて感銘を受けた。本書には格別に新しい考えはない。
著者が50年間いい続けてきたことと同じだといってよい。しかし、同じでないのは、50年前と現在である。

 現在、多くの人々は昔の都市を覚えていない。たとえば、ロサンゼルスに、かつての東京と同様、路面電車が
街中を走っていたといっても、誰も信じないだろう。「モータリゼーション」が都市や都市の生活を根こそぎ
破壊したのに、もうそのことに気づくことさえできない。過去を覚えていないからだ。そのような集団的記憶喪失
が、各所におこっている。

 著者は、大学改革についても、都市計画と同じ問題を見いだしている。たとえばアメリカでは、大学教育を
より効率的にするために、ムダと見える学問、特に、人文学を切り捨ててきた。日本でもその真似(まね)
をしている。その結果、一昔前なら、誰でも知っているべきだった文学を、今、ほとんどの人が知らないし、
知らなくても平気である。

 本書の原題は「暗黒時代が近づいている」という意味であるが、暗黒時代とは、ローマ帝国が滅んだあとの
ゲルマン社会で、ローマの文化がすぐに忘却されてしまったことを指している。そのような事態が現在おこり
つつある、という著者の予感に、私は同意する。それをひきおこしているのは、いうまでもなく、グローバルな
資本主義である。

 Dark Age Ahead、中谷和男訳/Jane Jacobs 1916〜2006。
都市専門家として活躍。

879KamelioJapana:2008/09/17(水) 07:34:03
「週間金曜日」の記事からです。

■特集 自民崩壊
安倍晋三、福田康夫と首相が二代続けて無責任辞任した自民党は政党として末期的症状にある。
地方でも自民党離れの動きはこれまでになく顕著だ。われわれが気にかけるべきはこの数週間の
一政党の党首選び騒ぎではないだろう。自殺者や貧困層を増やし続ける政治体制を、このまま
続けるのか否かではないか。

総裁選は「麻生」でほぼ決まりへ
失政隠しの自民党サーカス (天城 慶)

総裁選メディア・ジャックに騙されるな
米国従属という政権連続放棄劇の本質 (小森 陽一)
突然の辞任劇によって、その狙いどおりメディアは自民党総裁選一色に塗りつぶされている。
しかし騙されてはいけない。二期連続の政権放棄劇の本質は、米国従属・軍事支援の行き詰まり
である。

“保守王国”愛媛の地盤変動
国会議員にそっぽ向く党県連と県庁 (伊田 浩之)
自民党の集票マシンが地方から壊れはじめた。地方議員をはじめ、各種業界団体に嫌気が差した
のだ。「地域の実情を知らない代議士はいらない」――代表的な保守王国、愛媛の実情を報告する。

福田康夫首相の“お膝元”群馬
盤石な保守地盤から噴き出す政権批判 (横田 一)
福田康夫現首相のほか中曽根・小渕・福田赳夫の各首相を群馬県は輩出。巨大公共工事の“恩恵” を
受けてきた。だが、「公共事業より医療や福祉の充実」を望む民意とずれ、保守的な地盤からも批判が
出始めている。

どちらに転んでも新自由主義親米政権
民自公大連立の危険性 (森田実インタビュー)
自民党崩壊の声が広がるが、「民主党になっても政治は変わらない」と、一貫して小泉政権に代表される
新自由主義路線を批判してきた政治評論家の森田実氏は指摘する。

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882KamelioJapana:2008/09/28(日) 10:42:10
小泉元総理を始めとする方々の「新自由主義路線の終焉」の始まりか?
Rilate al la eksigxo je la parlamentaneco de s-ro Koizumi, trovigxas multe da komentoj
pri liaj sintenado kaj politikaro; mi do ne auxdacas precipe mencii pri tio.
Sed cxe mia koro restis unu afero, kiun mi povus konstati kaj agnoski:
T.e. neniel temas pri tio, cxu estas bona aux ne la grandeco de iu ajn registaro,
sed esence pli grave temas pri tio, cxu ekzistas vere establita demokratio,
kiu antaux cxio konstante farendis kaj farendas fare de cxiu el popolamasanoj.
Sen suficxe granda kontrolpovo kontraux siaj registaro aux potencularo,
cxiuj popoloj kaj, interalie, pli malfortaj homoj sur la tuta terglobo neniam
povus gajni por si mem preferindajxojn de sia propra sxtato, kia ajn cxi tiu estas.

彼の行状については多くのコメントがありますので、私は敢えて言及しませんが、
一つだけハッキリと言えることがあるようです。
それは、事は大きい政府か否かの問題では決してなく、本質的により重要なのは
何にも増して国民各人により不断に成されなければならなかった、また成されなければ
ならない確固とした民主主義が存在するか否かです。
政府に対する十分な監査権限を持たなければ、世界の人民、取り分け,より弱い人々は、決して
己の国家(それがどの様なものであっても)からは自分たちにとってより好ましいものを得る
ことは出来ないと言うことですね。

883松戸彩苑:2008/09/28(日) 11:46:01
私はこんなことを書いたんですが、思想重視派の方のご意見をうかがいたいものですね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1189255086/49

884Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/09/28(日) 19:45:38
政府に対する十分な監査権限のレベルは中国と日本でどちらが高いですか。
これは量的比較ではなくて共産党独裁制と立憲民主主義の統治システムの
根本的相違の問題だと思いますが、"エスペラントの思想"の信奉者は
中国の民主化の主張を"日中友好"のために控えなければならないのですか?

885KamelioJapana:2008/09/28(日) 23:22:18
>883
仰ることは、よくわかります。
ただ、
誤解されているようですが、「思想重視派」と言う呼び方の是非は別としてE-istojの内で現実に
社会運動にkonstantoに参加している方たちは極少数でしょう。勿論、彼らの活動に対してsimpatio
をお持ちのE-istojは多いのですが、現実問題としてEと社会運動のどちらに於いても、それなりの
社会的知名度なり影響力をお持ちの方は更に少ないと言えます。
「天は人に二物を与えず」というますが、特にne-europanojである日本人の場合は、仮令、学生で
あっても学業の合い間を見てE学習をすることは、かなりの根気baza mens-energioの要る事ですし、
ましてや職に就いている方たち場合は、自分の本業以外に上記の両方に同時に関わることは時間的な
問題も含めて大変難しいことだと思います。

私の場合も下手をすると「虻蜂取らず」的な状況に為りかねない自分を如何処していったら良いのか、
常に苦心しております。

残念ながら、日本の現状は(世界のそれも似たようなものだと思いますが)、平和運動やInternacioな
運動とE運動は活動といった面では、思想的に大い通じるものを有しているにも拘らず、大勢としては
それぞれ独自の道を邁進している様に見えます。勿論、この言い方はE界に好意的に取られる言い方で
しょう。本当のところは社会派E-istojの片思い的状況と言った方が当を得ていると思います。
それでも、私は
憲法の平和理念を実現するためには、日本だけの一国平和主義では不可能であり、世界の人たちとの
草の根レベルの対話や交流が必要であると言うことと絡め、その手段としてEの普及が欠かせないと
言うことについて、これからも仲間の活動家に言及していくつもりです。特に若い活動家の中にはEの
存在すら知らなかったと言う方が圧倒的に多いですね。このような現状を先ず打破していく必要が
緊急課題として見えてきています。

従って、以前から、私が松戸さんに申しているように兎にも角にもE界の量的・質的拡大が何よりも
優先課題であらねばならないことは、言うまでもありませんね。勿論、娯楽でも何でも好いのですよ。
それから、仮令、用語の不備や混乱があっても、それはE界の拡大によって結果的に齎される
E-istojによるEの使用頻度が増えることにより、様々なこまかな問題が明確になり、その解決の
糸口が見えてくるものであると思います。

886松戸彩苑:2008/10/05(日) 10:57:45
>>885
返事が遅れてしまって済みません。

> それでも、私は憲法の平和理念を実現するためには、日本だけの一国平和主義では不
> 可能であり、世界の人たちとの草の根レベルの対話や交流が必要であると言うことと絡
> め、その手段としてEの普及が欠かせないと言うことについて、これからも仲間の活動家
> に言及していくつもりです。

ということですので、世間の革新派の人たちに働きかけていく気がおありだということは判
りました。

それは素晴らしいことだと思います。
しかし
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1189255086/48
で論じたんですが、現実はなかなか厳しいですからね。

887松戸彩苑:2008/10/05(日) 12:17:20
>>885

> それから、仮令、用語の不備や混乱があっても、それはE界の拡大によって結果的に齎
> される E-istoj によるEの使用頻度が増えることにより、様々なこまかな問題が明確にな
> り、その解決の糸口が見えてくるものであると思います。

と書いておられますけれども、そうしますと

  エスペラントは当分のあいだ、商業・学術・行政といった責任の重い分野では使えない。

ということになりませんかね?

たとえばエスペラント界には「エスペラントをEUの公用語として採用してもらうんだ」と主張し
ておられる方がいらっしゃいますが、KamelioJapana さんのおっしゃるやり方ですと、それも
当分はムリじゃないかという感じがしますね。

いくら何でも、EUで公用語として使ってもらって、問題が起きたときに、EUの職員や通訳に
対して「いや、使っているうちに解決の糸口が見えてくるんですよ」などと言うわけにはいか
ないと思うんですね。

月刊誌の「Monato」では政治や学術に関する記事が多数出ていますが、しかし、だからと
いって現在のエスペラントが実務に使えるという保証にはならないと思います。

だいたい私が指摘しているのは、専門用語ではなく「現代の文明社会に住んでいるふつう
の成人であれば誰でも知っているような語彙・表現」なんですよね。

そういうものでさえもハッキリしない場合があると言ってるわけなんですから、やはり悠長な
ことを言ってる場合ではないのではないかと思います。
---

それから私の考えでは、「エスペラントは使われているうちに自然に発展し、統一される」と
いうような考えがある限り、いくら実用されても、解決の糸口は見えてこないと思います。

こういう根本的に間違った考え方があるから、neologismo 問題などが必要以上に混乱する
のです。

民族語を見ても、標準語というのは「人為的」に作られて、政治的な力によって広められた
ものであって、自然に発展したり統一されたりはしていないわけです。

エスペラント界というのは、こんなことにも気づかないで「エスペラントは使われているうちに
自然に発展し、統一される」などということを本気で信じている人間ばかりなわけですが、こ
ういう間違った考えを信じている人間から成る社会において、語彙・表現の混乱を解決しな
ければならないということになると、たちまち修羅場になってしまうんですね。

つまり、実際には「エスペラントは使われているうちに自然に発展し、統一される」などという
のが間違いであって、こんな間違ったことを信じているからうまくいかないんですが、そうい
うふうには誰も考えていませんから、うまくいかない場合には「理論」のせいではなく「誰か」
のせいだということになってしまうわけです。

私の見るところでは、これまでにもこういうことは起こってきましたし、また、こういう考えを改
めなければ、今後もこういう悲惨なことになると思うんですね。

ですから、これまで「エスペラントは使われているうちに自然に発展し、統一される」なんての
は間違いだと連呼してきたわけです。

(終わり)

888松戸彩苑:2008/10/05(日) 17:19:58
>>886 に対する補足です。

これまでにも何度か書いたと思うんですが、世間の革新派の人たちにとっての最大の関心
事は、当然のことながら「社会問題」なんですね。

この人たちは、仕事や学業や家事のほかに、こういった活動にたずさわっているわけです
から、時間があまり無いわけです。

ですから、こういう人たちが、エスペラントのような、どこの国の言葉でもない、話者がどのく
らい居るんだかもよく判らないような言葉を勉強しようとは、なかなか思わないわけです。
---

エスペラント界には、思想を重視するがゆえにエスペラントを学んだという方がいらっしゃい
ますが、私の考えでは、そういう人たちというのは、たまたま「エスペラントは話者が少なす
ぎるんじゃないか」とか「そんなものを勉強するよりは、社会運動に専念したほうが良いんじ
ゃないか」などとは考えなかったという、ちょっと珍しい人たちなのではないでしょうか。

つまり、そういうことを考えなかったというのは「まったくの偶然」であって、ふつうは「話者の
数」だとか「なんの役に立つんだろうか」といったことを考えるものだと私は思うんですね。

ですから、思想重視派のエスペランティストの方々には「自分の体験は、ちょっと変わってい
るんだ」「一般的ではないんだ」ということを自覚していただきたいんですね。

おそらく今は、自分の体験というものを「ごく普通のもの」だと考えておられていて、だから
「エスペラントの思想を訴えることで世間の人たちから理解されるんだ」と考えておられるの
だと思うんですが、しかしそれははっきり違うと思いますね。
---

考えてみますと、世間の革新派の人たちに限らず、世間の圧倒的多数の人たちは、エスペ
ラントの話を聞きますと、必ずと言って良いほど「話者はどのくらい居るのか」と尋ねてきます。

で「100万人くらい」とか「数十万人」などと答えますと、相手は「ウ〜ン」などと唸ったりしま
す。
これはもちろん、話者の数に満足したり感動したりしているわけではなく、「少なすぎるよね」
という意味なんですね。

エスペラントがどんなに規則的に出来ていると言っても、何千もの単語を憶えなければなら
ないわけですから、こんなマイナーな言語を勉強しようという気には、なかなかならないわ
けです。

そもそも皆さんは、話者の数が100万人(あるいは、それ以下)という小言語(民族語)を勉
強したことがおありでしょうか?

ひょっとしたらアイヌ語を勉強したことがあるなんて人もいるかもしれませんが、そういう人も
少数派だろうと思いますし、会話ができるほど勉強したなんて人はほとんど居ないだろうと
思うんですね。

つまり、エスペランティストでさえも、話者の数が100万人以下の小言語なんて、なかなか
勉強する気にはならないということです。

で、自分たちにもなかなか出来ないようなことを他人に勧めても、なかなか受け入れてくれ
ないのは当然だろうなと思うわけなんですね。
---

ということで、エスペラントを「理論」によって広めようとした場合には、必ずこの「話者の数」
でつまづくことになるわけです。

このように考えますと絶望的にならざるを得ないわけなんですが、しかし「エスペラントを遊び
としてやるのなら面白そうだ」と考える人たちであれば、「話者の数」にはあまり厳しくないわ
けです。

こういう人たちというのは、めったにいない貴重な人材なわけですから、やはり仲間に入れ
て大事に育てていく必要があると思いますね。

あと、こういったことに関してここにも書いておきましたので、御一読を願います。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1199456754/259

ところで最後になりましたが、そうは言っても、世間の革新派の人たちのなかにも、たまには
「エスペラントをやっても良い」と考える人がいるかもしれませんので、そういう人を見つける
べく頑張ることには意味があると思います。

(終わり)

889KamelioJapana:2008/10/05(日) 17:41:59
松戸さん。
お久しぶりです。

>民族語を見ても、標準語というのは「人為的」に作られて、政治的な力によって広められた
ものであって、自然に発展したり統一されたりはしていないわけです。

その通りです。即ち、国家なり、その目的は別にして人為的に人々を纏めるべき意図なり必要性から
生じた組織体に「採用」された共通語(標準語)には、その後もはや純粋に自然言語と言えるものは
殆ど無いと言っても過言ではありません。広い意味では完全にそれらは人工言語でしょう。この事実は、
実は多くの人たちは理解していないのです。

特に、その組織体なりグループの統合性の強化を図るために組織内で権力を固めた人々(支配グループ)
は、本来言語の本質である比較的不規則性の少ない話し言葉を逆に必要以上に難しいものにしてしまう
傾向があるのですね。話し言葉と書き言葉の分離もそれを決定付ける最も大きな要素の一つでしょう。

何故、彼らがそうするのか、賢明な貴方様には、このスレッドの表題をヒントにしなくても私の言いたい
ことは既にお分かりと思いますので、長々と此処で書くつもりはありません。

この傾向は科学技術の発展とそれに鼓舞された資本主義生産の発展とともに、益々用語が専門化し、
「人為的」に作られて行くは、むしろ、不可欠なものとなりつつあります。
しかし、それ以前の過程で複雑(その文法の不規則性も含めて)にされた言語(標準語)は殆ど
手付かずのままです。そして、このことに疑問を呈すものは殆どおりません。

むしろ、国家による教育制度が難しい「標準語」をむしろ維持し、かつ、支えているのです。

890KamelioJapana:2008/10/05(日) 21:38:05

従って、世界のこのような「当たり前の」大勢が変わらない限り、仮令、E-istojが
幾ら頑張っても、世界の公的機関に受け入れられることは、ちょっとやそっとの先の
未来において見通すことは不可能に近いことでしょう。EUの公用語化にしても同じ
ことが言えます。

松戸さんがいう、所謂、語彙云々に関する問題より、即ちEやE運動の弱点云々以前の問題と
してこの世に横たわるモットモット大きな問題の解決策が見えてこない限り、Eの真の意味
での最終勝利は望めないということです。

Eが、最終的に認知されない根本の理由は、社会(政治至経済)の構造問題であると私は
これまで、ずうっと言い続けてきましたが、その考えは変わりません。

時間が無いので、答えになっていないままで申し訳ないのですが、、復の機会に書かせて
貰いますが、一つだけ、私の質問に未だに答えていただいていないことがありますので、
改めてお聞きしたいと思います。
それは、松戸さんが相変わらずお使いになる、

「エスペラントは使われているうちに自然に発展し、統一される」

という、言葉の出所です。是非教えてください。
ついでに、この言葉の前後がどういうものであるかも知りたいです。

さらに言うと、この言葉の引用が何処からかは分かりませんが、今のE界の多くの方がこの
言葉通りに「自然に」事が運ぶと考えていたらまことにナイーブで、おめでたい事ですね。

でも、皆がそういう風に考えていると本当に信じている「松戸さんの方がおめでたい方」か、
でなければ、意図的にこの短絡的表現の引用を、貴方なりが意図する目的とのために使って
いるとしか思えないのですが、如何ですか。

此処に言う、「自然」と言う言葉の意味するものは、もっと遥かには奥深く複雑なもので、
この語の一義である響き通りの単純な過程ではないという考えに至る事は何方にとっても
決してそれ程難しい事では無いと思いますが。。。

卑近な一例を挙げますと我々は母語を「自然に」覚えたと言う意味を篤と考えてみてください。

891KamelioJapana:2008/10/07(火) 18:37:46
>おそらく今は、自分の体験というものを「ごく普通のもの」だと考えておられていて

これも松戸さんの思い込みの一つだと私は、思っていますよ。

少なくとも、私に関しては、社会運動とEとの両方とに、今よりも金は無いけど、時間だけは多少あった、
学生時代という、所謂、古き良き時代環境の中において巡り合った数少ない幸せ者だと思っております。

特に、現在のネット時代になってからは、特に云える事ですが、英語のみに偏らない世界各地の情報が
得られることでより客観的な情報分析や判断が可能になりましたね。

そうでなかったら、問題の本質を世界的視点で捉えることは、からり難しいことであったに違いありません。

892松戸彩苑:2008/10/12(日) 09:29:10
返事が遅くなってすいません。
初めに >>890 の後半部分に対してお答えします。

たしかに私は以前「エスペラントは使われているうちに自然に発展し、統一される」という言
葉はザメンホフのものだと書きました。
ザメンホフが初期に書いたもののなかに、こういう趣旨のものがあったと思いましたので、
そう書いたのですが、しかし今のところ見つかっておりません。
(あんまり探してないってこともあるんですが)
ですから「これがザメンホフの言葉である」という部分は撤回させていただきます。

しかし、これがたとえザメンホフの言葉ではないにしても「エスペラントは使われているうち
に自然に発展し、統一される」ということを現在のエスペランティストが信じているのであれ
ば、やはりこの言葉は正しいということになると思うんですね。

考えてみれば、もしも「エスペラントは使われているうちに自然に発展し、統一される」という
ことを信じない人たちばかりなのであれば、私が主張しているような「日常生活に関する語
彙・表現の不足・混乱を、意識的に解決していくべきだ」といった話は、すんなりと受け入れ
られるはずではないでしょうか。

「使われていくうちに自然に発展して、同時に統一もされるなんてことは絶対に無いんだか
ら、意識的に整備していくしかないよね」というふうに考えるはずだと思うんですが、でも現
実にはそうなっていないわけですね。

私の目から見ますと、>>885 の最後に書いてある

> それから、仮令、用語の不備や混乱があっても、それはE界の拡大によって結果的に齎
> される E-istoj によるEの使用頻度が増えることにより、様々なこまかな問題が明確にな
> り、その解決の糸口が見えてくるものであると思います。

というのは「使われれば解決する」といった考え方の延長線上にあるもののようにしか思え
ないんですが、違いますでしょうか?

893松戸彩苑:2008/10/12(日) 10:58:28
>>890 の前半に

> Eが、最終的に認知されない根本の理由は、社会(政治至経済)の構造問題であると私
> はこれまで、ずうっと言い続けてきましたが、その考えは変わりません。

とありますが、これについて私の考えたことを述べてみましょうか。

(1) 「社会の構造」に問題があるというのが正しいとしても、これを我々の手で変えるとい
    うのはきわめて困難である。

    社会を変えようなどと頑張ってるうちに「英語を頂点とした多言語主義」や「翻訳機械・
    電子辞書の発達・普及」などが飛躍的に進んでしまったならば、エスペラントの出る場
    面は完全に無くなってしまうのではなかろうか。

(2) 現在の日本や欧米の共産主義&社会民主主義政党のほとんどは、エスペラントのた
    めに積極的に行動しようとはしていない。
    エスペラントのために実際に行動を起こしてくれたのは、イタリアの Transnacia Radi-
    kala Partio くらいのものである。

    また私の見るところでは、先進国の革新派の人たちも結局は「英語を頂点とした多言
    語主義」を支持しているように思われる。
    これは言うまでもなく、エスペラント運動にとっては脅威である。

(3) 現実の社会を見てみると、国際化が進み、人・物・情報が世界中を行きかうようにな
    っている。
    具体的に言えば、日本にも世界中から外国の人がたくさんやって来るようになったと
    いうことである。
    このような「現実」に対して、日本社会も徐々に対応を進めている。

    市民行政の場においては英語だけではなく、中国語・韓国語・ポルトガル語なども使
    われるようになっている。
    もちろん、これで問題が完全に払拭されたわけではないが、すでにこういったものが
    日本社会に根付いたとは言えるだろう。
    また、日本語の教材が豊富になったことと、日本滞在歴の長い人たちが増えたという
    ことなどがあったからだと思うのだが、日本語が堪能な外国人も増えている。

    西欧においては、この手のサービスが日本以上に進んでいるようである。
    とくに北欧などは至れり尽くせりであるらしいのだが、しかし皮肉なことに、この手のサ
    ービスが進めば進むほど、エスペラントが活躍できる可能性のある場面が無くなって
    いくのである。

    こういった事例をつうじて私が言いたいのは「結局、人数が増えないと、世間は対応し
    てくれない」「人数が増えれば、世間も対応してくれる」ということである。

    数年前にロンドンに行ったのだが、地下鉄の自動券売機は英語だけではなくドイツ語・
    フランス語・スペイン語・イタリア語・日本語の表示画面に切り替えることができるように
    なっていた。

    また、これはどこかで読んだだけであって実際に見たわけではないのだが、アメリカの
    西海岸の銀行だと、スペイン語や中国語の表示画面のあるATMがあるという。

    このように、英語の牙城であるところのイギリスやアメリカにおいてさえも、外国人が増
    えれば、それなりに対応するのである。

    ということで、エスペラントにしても、話者が増えれば社会も対応してくれるだろうと思う
    のである。

    話者を増やすということをせず、スローガンを連呼するだけであれば、国際化が進めば
    進むほど「英語を頂点とした多言語主義」だけが進み、エスペラントは置いてきぼりにな
    るだけだと思います。

(終わり)

894松戸彩苑:2008/10/12(日) 11:10:07
最近私はこういう文章を up しました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1199456754/261-265
「言語学者がエスペラントを支持しない理由」と「田中克彦氏がエスペラントを応援しようと
思うようになった理由」についての考察です。

もうちょっと推敲してから up すれば良かったと思ってるんですが、でもまぁ言わんとしてい
ることはお判りいただけるのではないかと思います。

895ベダウリンデ:2008/10/12(日) 15:04:17
松戸さんはさー、自分でカキコしたら、アゲた方がいいと思う。
ただでさえ活気の無い掲示板なんだから。。。
活気あるように見せかけるのも「貢献」ですよ

896<削除しました>:<削除しました>
<削除しました>

897KamelioJapana:2008/10/21(火) 19:12:39
>「日常生活に関する語彙・表現の不足・混乱を、意識的に解決していくべきだ」

当たり前のことです。言語としてのEとの発展は一つの例外規則を除いては、全く民族語と同じ発展過程を
辿るとしたザメンホフの見解は至極当然のことだし、実際にEの今に至る歴史はそうでした。

松戸様の勘違いは、百歩譲って「エスペラントは使われているうちに自然に発展し、統一される」と云う、
言及を何処かで読まれたにしても、それを文字通り、あたかもある種の自然現象の様に「ひとりでにper si mem」
の様に解されてはいないでしょうか。

人と人同士のkomunikoが在って成立する言語であるなら、必ず個々人の努力がその進化には介在します。
その事は、文学作品から日常会話に至まで、その影響力の大小の違いはあるにせよE120年の歴史が織り成す
様々な試行錯誤の努力の蓄積を見れば一目瞭然です。

今現在もそれぞれのE-istoがEで新たな文章を書いたり、発話したり、即ちEで他のE-isto(j)に発信する
事がEの発展に、従って貴方の仰る問題の解決に寄与しているのです。勿論、Eのniveloの高い人たちは、
そのことに関する意識的な取り組みも行っています。

しかし、殆どのE使用者が母語学習後の第二言語としてそれを獲得せねばならない事と自分の母語以外の
人との交流を旨とする本質的に非日常性という国際補助語としてのこれまでの「避けられない」宿命かつ属性が、
貴方がご指摘の問題解決の過程を難しくしているのです。

逆に言うと、私がこれまで云ってきたようにE使用者がEを用いる場面が拡大される事が、換言すると、
「日常生活に関する語彙・表現の不足・混乱を、意識」するほどにE界の量的かつ質的発展が先ず重要だと思うの
です。

私が、松戸さんと異なるところは、これまで何度も云いましたが「日常生活に関する語彙・表現の不足・混乱」
がE界の拡大を阻害しているのではないと言うことです。

898KamelioJapana:2008/10/21(火) 19:47:43
>「社会の構造」に問題があるというのが正しいとしても、これを我々の手で変えるとい
うのはきわめて困難である

「我々」の意味の具体的明示が成されておりませんが、人類と解するなら、極めて困難にも
関わらず、やらねばならないし、これまでやってきたことですね。他の誰がやるというので
しょうか。また現にやってきたのでしょうか。
宇宙人か神様にでも期待せよ、とでも言うのでしょうか。

我々がやることには変わりありませんね。勿論、最終的解決には時間がかかるし、
完全な解決などありえません。
人類(homo racia)出現からこれまでの約20万年の流れからいうと、個人としての「我々」が生存する
時間はほんの一瞬でしかありません。
それを考えると殆どの人が現時点での状況を鑑みて悲観的になるのは、無理の無いことです。

あなたの言う(1)や(2)のことについても同じことが言えます。

ただ、私も10年前までは予測も出来なかったことがインターネットの普及で可能になりつつ
あることはEにとっては大きな朗報となるでしょう。
松戸さんがご指摘のE界における最優先課題の解決への促進にも寄与となることも大いに期待できます。

899Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/10/21(火) 20:55:27
KamelioJapanaさん、お久しぶりですね。お元気そうで何よりです。
>>897でおっしゃってることはわたしもほぼ同意見です。
>>899でおっしゃてることのうち「ただ、私も10年前までは予測も出来なかったことがインターネットの普及で可能になりつつ
あることはEにとっては大きな朗報となるでしょう。」は全面的に賛成です。

900松戸彩苑:2008/10/26(日) 12:12:36
ザメンホフが「エスペラントは使っているうちに自然に発展する」と言ったという話ですが、
これの出典が見つかりましたので報告させていただきます。

それは、1888年に出版された『Aldono al la “Dua Libro de l’ Lingvo Internacia.”』のなか
にありました。

最初は、一部分だけを引用しようと思ったんですが、しかしそれが難しいということと、また
前後の文章がたいへんに興味深い内容であったということがありましたので、前後の文章
もぜんぶ引用することにしました。

私が利用したのは『unua etapo de esperanto』188〜195ページ(pvz 88-04)です。

なお、この引用文に対する考察は、後日あらためて書くことにします。
---

【第1段落】

4) La vortaro, kiu estas aldonita al mia unua broŝuro, estas ne plena, kaj la leganto ne
miru, se li multajn vortojn en ĝi ne trovas.
4) 私の最初の小冊子についている辞書は小さなものですから、収録されていない単語が
たくさんあったとしても驚かないでいただきたい。

Sed mi ne havis la intencon eldoni autore plenan vortaron kaj krei laŭ mia persona plaĉo
la tutan lingvon de l’ kapo ĝis la piedoj.
しかし私には、独断で大辞典を出版しようとか、私の個人的な好みにまかせて言葉全体
を頭から足まで作ってしまおうとかいった意図はありませんでした。

Ĉar unue ― la kreado de tute plena vortaro estas laboro ne ebla por unu homo, ĉar la
nombro de l’ vortoj en lingvo de l’ homoj estas senfina, kaj se kun ĉiu vorto oni devus
atendi, ĝis mi ĝin kreos, tiam la lingvo neniam estus finita kaj ĉiam estus en dependo de
mia persono;
というのも第一に、人間の言葉に含まれる単語の数にはキリが無いので、すべての単語
を一人の人間が作るというのは不可能でありますし、もしも私が単語を作りだすまで他の
人は待っていなければならないという事になれば、この言葉は決して完成しないでしょうし、
またこれでは、いつまでたっても私に依存したままだという事になるからです。

due ― en tia grava afero, kiel lingvo tutmonda, la persona juĝo kaj decidoj de unu homo
devas havi rolon eble plej malgrandan, ĉar unu homo sur ĉiu paŝo eraras.
第二に、たった一人の人間による個人的な判断や決定というのはしょっちゅう間違えるもの
ですから、全世界的な言葉というような重要な仕事においては、こういったものは出来るだ
け避けるべきだからです。

Unu homo tie povas esti iniciatoro sed ne kreanto.
このような仕事においては、一人の人間は「創始者」ではありえますが「すべてを決定する
人」ではありえないのです。

Lingvo tutmonda devas esti pretigata paŝo post paŝo, per la kunigita laborado de la tuta
civilizita mondo.
全世界的な言葉というのは、文明社会全体が力を合わせて、少しずつ作っていくべきなの
です。

Por ke la lingvo povu regule, unuforme kaj unuvoje progresadi malgraŭ la disĵetita laboro
de malsamaj personoj en malsamaj lokoj de la tuta mondo, oni devis krei komunan funda-
menton, sur kiu ĉiuj povus labori.
世界中の異なる場所に住む異なる人たちがバラバラに仕事をするのにも関わらず、この言
葉が規則的かつ統一的に、分裂することなく発展することが出来るようにするために、すべ
ての人が仕事をする際の基準となる「共通の基礎」を作らねばなりませんでした。

Tia komuna fundamento por la “Lingvo Internacia” devas esti mia unua broŝuro (“Lin-
gvo Internacia. Antaŭparolo kaj plena lernolibro”), kiu havas en si la tutan gramatikon de
la lingvo kaj sufiĉe grandan nombron da vortoj.
「国際語」におけるこのような共通の基礎は、私の最初の小冊子(『国際語 ― まえがきと
全教程』)であり、このなかに、この言葉の文法のすべてと、充分な数の単語が収められて
います。

901松戸彩苑:2008/10/26(日) 12:16:13
>>900 の続き)

Tio ĉi estas la unua kaj la lasta persona vorto en la afero de l’ lingvo internacia.
これが、この国際語の仕事における最初で最後の個人的な言葉です。

Ĉio cetera devas esti kreata de la homa societo kaj de la vivo, tiel kiel ni vidas en ĉiu el
la vivantaj lingvoj.
これ以外のすべては、生きている言葉(=民族語)において見られるように、人間社会と生
活によって作られるべきなのです。

Ĉiu, kiu ellernis la diritan “fundamenton”, povas kuraĝe diri, ke li konas la lingvon inter-
nacian tute, ke li konas ĝin ne malpli bone ol la aŭtoro aŭ ol iu alia.
先述の「基礎」を習得した人は全員「自分は国際語について完全に知っている」「自分はこ
の言葉を、この言葉の創始者や他の誰にも引けをとらないくらい知っている」と堂々と言う
ことが出来るのです。

Ĉar en ĉio, kio en la dirita broŝuro ne estas trovata, kompetenta devas esti de nun ne
la aŭtoro aŭ ia alia persono, ― la solaj kompetentaj nun devas esti talento, logiko, kaj la
leĝoj kreitaj de la plej granda parto de la verkantoj kaj parolantoj.
というのも、先述の小冊子に書いていない事柄すべてに対して権限をもつべきなのは、こ
れからは創始者や他の個人ではなく、才能や、論理性や、この言葉を書いたり話したりす
る人たちの大多数によって作られた決まりだけであるべきだからです。

【第2段落】

Se ia vorto ne estas trovata en la vortaro, kiun mi eldonis, kaj oni ĝin ne povas fari
mem laŭ la reguloj de la internacia vortfarado, nek anstataŭigi per alia esprimo, ― tiam
ĉiu povas krei tiun vorton laŭ lia persona plaĉo;
もしも、ある単語が私の出版した辞書のなかに無く、しかも自力で既存の語根を組み合わ
せて造語することも出来ないし、他の表現でおき換えることも出来ないという場合には、す
べての人は自分の個人的な好みにしたがって新しい語根を導入することが出来ます。

tiel ankaŭ se naskiĝus ia demando stilistika aŭ eĉ gramatika, ne decidita klare en mia
unua broŝuro, ― ĉiu povas ĝin decidi laŭ sia juĝo;
これと同じように、もしも文体や文法に関する問題が発生して、それが私の最初の小冊子
においては明確に決められていない場合には、すべての人は自らの判断にしたがってそ
れを決めることが出来ます。

kaj se vi volas scii, ĉu vi bone decidis tiun demandon, turnu vin ne al mi, sed rigardu,
kiel tiun demandon decidas la plejmulto de l’ verkantoj.
また、あなたが「この問題を自分はうまく解決したのかどうか」を知りたいのであれば、私
のほうを向くのではなく、この言葉で文章を書く人の大多数がどのようにしているかを見て
ください。

Ĉiu vorto, ĉiu formo, kiu ne estas rekte kontraŭ la jam kreita gramatiko kaj vortaro, aŭ
kontraŭ la logiko aŭ la leĝoj enkondukitaj de la plejmulto de l’ uzantoj, ― estas tute
bona, tute egale ĉu ĝi plaĉos al mi persone aŭ ne.
すでに作られた文法や語彙に直接的に反しておらず、また論理性や、この言葉の使用者
の大多数によって導入された決まりにも反していないすべての単語や様式は、それが私
個人の気に入るか否かに関係なく、すべて良いものとされます。

La verkoj, kiujn mi eldonos persone, ne devas havi pli da kompetenteco, ol la verkoj de
ĉiu alia.
私が個人的に出版する著作が、他の人たちの著作よりも権限をもっている、などという事
はありません。

Kaj poste, kiam la lingvo sufiĉe fortiĝos kaj ĝia literaturo sufiĉe vastiĝos, tiam ankaŭ tio,
kio estas en mia unua broŝuro, devos perdi ĉian signifon, kaj sole kompetentaj tiam
devos esti la leĝoj ellaboritaj de la plejmulto.
そして、この言葉が充分に強くなって、この言葉による文献が充分に増えたならば、私の
最初の小冊子に書かれたこともすべての意味を失うべきでありますし、そしてその時には、
大多数によって作りだされた決まりだけが権限をもつべきなのです。

902松戸彩苑:2008/10/26(日) 12:19:53
>>901 の続き)

Per unu vorto ― la lingvo internacia devas vivi, kreski kaj progresi laŭ la samaj leĝoj,
laŭ kiaj estis ellaborataj ĉiuj vivaj lingvoj, kaj tiu formo, kiun mi donis al ĝi, tiu gramatiko
kaj vortaro, kiujn mi prezentis, devas esti sole fundamento, sur kiu estos ellaborata la
efektiva lingvo internacia de l’ estonteco.
ひとことで言えば、この国際語は、すべての生きている言葉が作りあげられたのと同じ法
則にしたがって生きたり育ったり進歩したりすべきなのです。そして私がこれに与えた様式
や、私が示した文法や語彙は、未来の本当の国際語が作りあげられるための単なる基礎
であるべきなのです。

【第3段落】

Se mi senigas min nun je ĉiaj personaj privilegioj, kaj fordonas ilin tute al la publiko, mi
ĝin faras ne pro malvera modesteco, sed ĉar mi havas la profundan kredon, ke tion pos-
tulas la interesoj de la afero, kiu alie ne povus regule kaj rapide vastiĝi kaj ĉiam estus
en dependo de unu persono kun liaj eraroj.
もしも私が今すべての個人的な特権を自分から無くし、それらをすべて世間に譲ったとして
も、私がそうするのは偽りの謙虚さによるものではありません。「この仕事がこうすることを
要求するのだ。こうしないと規則正しく急速に広まらないだろうし、いつまでたっても一人の
人間に依存したままになるし、間違いも直らない」と私は強く信じるからであります。

Nur viva kunkursa laboro, ĉe kia ĉio pli bona iom post iom elpuŝas la malpli bonan,
― povas doni efektive bonan kaj vivipovantan lingvon internacian.
すべてのより良いものが良くないものを少しずつ押し出していくというような、活気のある競
争のある仕事のみが、本当に素晴らしくて生命力のある国際語をもたらすことが出来るの
です。

【第4段落】

Multaj kredeble timos, ke danke tiun vastan liberecon la lingvo internacia baldaŭ disfalos
en multaj malsamaj lingvoj.
おそらく多くの人たちは「この国際語は、あまりにも大きな自由が与えられているせいで、
すぐに多数の異なった言葉に分裂してしまうだろう」と恐れることでしょう。

Sed kiu konas iom la historion de la lingvoj, tiu komprenos, ke tiu timo estas tute sen-
fonda, ĉar ni ĉiuj laboros sur unu fundamento, kaj tiu fundamento, enhavante la tutan
gramatikon kaj la pli grandan parton de l’ vortoj, kiuj en la parolado estas renkontataj la
plej ofte, havos en la lingvo internacia tian saman signifon, kiun en ĉiu lingvo havis tiu
lingva materialo, kiu estis en ĝi en la komenco de regula skriba literaturo:
しかし言葉の歴史について多少なりとも知っている人であれば、この恐れはまったく根拠
が無いと判断することでしょう。というのは、我々はみな、すべての文法規則と、もっとも使
用頻度の高い単語の過半数を含んでいる一つの基礎のうえで働くことになるわけですが、
この基礎が、この国際語においては、民族語において統一された文章語が書かれるよう
になるときに存在していた言語的な材料がもっていたのと同じ意味をもつことになるわけ
です。

estis preta gramatiko, estis granda kolekto da vortoj, sed multaj vortoj ankoraŭ malestis.
(民族語において統一された文章語が書かれるようになるときには)文法規則があって、
数多くの単語もあったのですが、しかし多くの語がまだ不足していたわけです。

Tiuj ĉi vortoj estis kreataj unu post unu, laŭ la kreskanta bezono, kaj malgraŭ ke ili estis
kreataj dise de malsamaj personoj, sen ia kondukanto aŭ leĝdonanto, la lingvo ne sole
ne disdividiĝis, sed kontraŭe, ĝi ĉiam pli unuformiĝis, la dialektoj kaj provincialismoj iom
post iom perdiĝis antaŭ la fortiĝanta komuna literatura lingvo.
これらの(不足していた)単語は、必要になるにしたがって一つずつ作られていきました。こ
れらの単語は、指導者も立法者もいない状態で、さまざまな人たちによってバラバラに作ら
れたにも関わらず、言葉が分裂しなかっただけではなく、むしろ反対にますます統一されて
ゆき、共通の文章語が確立されるにつれて方言は少しずつ無くなっていきました。

903松戸彩苑:2008/10/26(日) 12:24:08
>>902 の続き)

Ke mia unua broŝuro prezentas fundamenton sufiĉe fortan, kaj ke la fundamenta vort-
aro enhavas nombron da vortoj sufiĉan kaj tiel grandan, ke se oni volas, oni povas eĉ
tute libere esprimi siajn pensojn sen ia kreado de novaj vortoj, ― montras la fakto, ke
en la tuta “Dua Libro” vi ne re[n]kontas eĉ unu nove kreitan vorton ! (vi renkontos
tie, vere, multajn vortojn, kiujn vi ne trovas en la fundamenta vortaro, sed tio ĉi estas
vortoj ne nove kreitaj, sed nur tiaj, kiujn mi danke la gramatikon (C.7.) ne bezonis presi
en la vortaro).
私の最初の小冊子が充分にしっかりした基礎を提示していること、そして基礎的な辞書に
かなり多くの単語が含まれているので、新しい単語を導入しなくても言いたいことを自由に
表現することさえ出来るということ ― こういったことを、たった一つの新語さえも『第二書』
には導入せずに済んだという事実が示しているのです!(実際には、基礎的な辞書に収
録されていない単語がたくさんあるのですが、しかしこれらは新たに導入されたのではなく、
ただ単に「多くの欧米語において使われているような国際的な単語は、語形をエスペラント
化して使うことが出来る」という規則のおかげで、基礎的な辞書のなかに印刷する必要が
無かったものなのでした)

Oni devas memori, ke ĉiu lingvo servas por esprimi niajn pensojn, sed ne por senpense
traduki el aliaj lingvoj;
すべての言語は言いたいことを表現するためのものですが、しかし、よく考えもせずに他の
言語から直訳するためのものではないということを忘れないでいただきたい。

oni devas tial peni esprimadi siajn pensojn per la jam estantaj vortoj kaj kreadi novajn
vortojn nur tie, kie ĝi estas efektive necesa, ― kaj tiam la vortoj nove kreataj estos
nur malofte disĵetitaj inter la multo da vortoj jam konataj kaj povos facile aliĝi al la
lingvo kaj riĉigi ĝin ne perdigante ĝian unuformecon.
ですから、言いたいことを表現する際には、すでに存在している単語を利用して表現する
よう努めるべきであって、新語を導入するのは本当に必要なときに限るべきであります。
こうして新たに導入された単語は、すでに定着している大量の単語のなかにごく稀にばら
まかれて、この言葉にかんたんに加わることが出来、そして言語的な統一を失うことなく
言葉を豊かにすることが出来るのです。

【第5段落】

Tiel, danke la unu gramatikon kaj la unu formon de la plej granda parto de l’ vortoj, la
lingvo internacia havos jam de l’ komenco unu formon ĉe ĉiuj uzantaj ĝin.
このように文法と多くの単語が統一されているおかげで、この国際語はすでに最初から、
これを使うすべての人たちにおいて統一が保たれることになるのです。

Nur tiuj vortoj, kiuj en la fundamenta vortaro ne estas trovataj, en la unua tempo estos
malegale kreataj de malsamaj aŭtoroj.
ただ、基礎的な辞書に含まれていない単語だけは、最初のうちは人によって語形がマチマ
チになることでしょう。

Sed ĉar unue tiaj vortoj estos renkontataj nur disĵetite inter la multo da vortoj jam kon-
stantaj, kaj due la nombro de tiaj malegale sonantaj vortoj ankoraŭ pli malgrandiĝos danke
la komunan fonton, el kiu la aŭtoroj prenados la novajn vortojn (la plej gravaj eŭropaj
lingvoj), ― tial tiuj “novaj” vortoj prezentos nenion alian ol provincialismojn de la unu
lingvo internacia.
しかし第一に、このような単語は、すでに確立した多くの単語のあいだにパラパラと現われ
るだけですし、第二に、こういった単語はいくつかの主要なヨーロッパ語という共通の源泉
から採られるわけですから、語形の異なるものの数はさらに少なくなるでしょう。ですから、
これらの「新しい」単語というのは、一つの国際語における方言形に他ならないわけです。

Tiaj provincialismoj estis en granda nombro en ĉia alia lingvo, kaj kun la vastiĝado de la
skribata literaturo ili komencis perdiĝi.
これらの方言形は、他のどんな言葉にも多数ありましたし、文章語が普及するとそれらは
無くなっていきました。

904松戸彩苑:2008/10/26(日) 12:27:43
>>903 の続き)

Tio sama estos ankaŭ en la lingvo internacia, sed ĉar la lingvo internacia pli dependos
de la volo de l’ homoj, ol de aliaj kondiĉoj, ― tiu proceso de unuformiĝado iros en ĝi
multe pli rapide.
私たちの国際語にもこれと同じことが起きるでしょう。しかし私たちの国際語においては、
他のどんな条件よりも人間の意志というものに依存することになりますので、この統一の
プロセスはより急速に進むことでしょう。

La vortoj kreitaj malfeliĉe baldaŭ perdiĝos, kaj la vortoj feliĉe kreitaj restos kaj eniros en
la lingvon;
出来のよくない新語はすぐに無くなっていき、出来のいいものは残って定着するでしょう。

la vortoj egale feliĉe kreitaj sed malegale sonantaj ― kelkan tempon batalos inter si kiel
sinonimoj, sed jam post mallonga tempo ni vidos, ke unu el tiuj formoj estas uzata pli
ofte kaj de pli granda parto de verkantoj, ol ĉiuj aliaj formoj, ― kaj baldaŭ la unua formo
elpuŝos ĉiujn ceterajn formojn, kiuj post kelka tempo simple mortos de neuzado.
出来のよしあしに差が無い場合は、しばらくのあいだは同義語として互いに争うことになる
でしょうが、しかし少したてば、そのなかの一つが他のものよりも頻繁に、より多くの人たち
に使われるのを見ることになるでしょう。そしてやがて前者がそれ以外のものを押し出して
いき、押し出されたほうはそのうちに使われなくなって死語になるでしょう。

Tiel ju pli energie vastiĝos kaj riĉiĝos la literaturo de la lingvo internacia, des pli baldaŭ
ni havos unuforman pli malpli plenan vortaron.
ということで、この国際語の文献の増えかたが速まれば速まるほど、統一された豊富な語
彙をより早くもつことが出来るのです。

【第6段落】

Tiuj, kiuj volas labori super la lingvo internacia, skribi verkojn en tiu lingvo etc. ― povas
nun diri kuraĝe, ke ili havas en la manoj plenan vortaron, ĉar povante ĉian ankoraŭ ne
kreitan vorton krei laŭ ilia plaĉo, anstataŭ atendi, ĝis mi ĝin kreos, ili povas nun esprimi
en la lingvo internacia ĉion, kion ili volas.
私たちの国際語の仕事をやりたい、この言葉で作品を書きたい…などといったことを欲する
人たちは、自分は手のなかに完全な語彙をもっているのだと、いま堂々と言うことが出来る
のです。というのも、まだ作られていないどんな単語でも、私が作りだすまで待つのではな
く、自分の好みにしたがって作ることが出来ますから、言いたいことすべてをこの国際語で
表現することが出来るという事になるからです。

Tio ĉi estus ne ebla en la okazo, se mi volus mem eldoni plenajn vortarojn:
もしも私が大辞典を自力で出版しようなどと思っていたら、こういうことは不可能だったでし
ょう。

ĉar kiom ajn mi laborus, ĉiam danke la senfineco de la homa vortaro restus ankoraŭ
multego da vortoj ne kreitaj, kaj tiuj, kiuj devus ilin uzi, ne scius kion fari, ĉar krei ilin
mem estus ne permesita.
というのも、人間の語彙というものにはキリがありませんから、いくら私が働いたとしても作
ることのできない単語がたくさん残ることになるでしょう。そして、そういう単語を(私以外の
人が)作ることを許していないのですから、そういう単語を使わなければならない人たちは
どうすればいいか判らなくなるでしょう。

【第7段落】

Sed nun restas unu ŝajne tre grava demando:
しかし、一見するととても重要に思われる問題がまだ一つ残っています。

se mi skribas al iu en la lingvo internacia kaj mi devis kelkajn vortojn krei mem, sed mi
volas havi la certon, ke la adresito tute bone, vere kaj klare komprenos la vortojn, kiujn
mi kreis, ― kion mi tiam devas fari ?
もしも私が誰かにこの国際語で文章を書いたとき、いくつかの単語を自力で作らなければ
ならなくなったりするわけですが、しかし自分の作った単語を相手がちゃんと理解してくれ
るという確信が欲しいわけです。こういう場合、私はどうすれば良いのでしょうか?

905松戸彩苑:2008/10/26(日) 12:31:28
>>904 の続き)

La respondo estas tre simpla:
答えはとても簡単です。

fari tion saman, kio estas farata ĉe la uzado de ĉia alia lingvo, se ia por ni necesa vorto
en tiu lingvo aŭ tute ankoraŭ ne ekzistas, aŭ ne estas ankoraŭ de ĉiuj egale uzata aŭ
konata, ― t.e. apud la vorto nove kreita meti en kuneteniloj (….) la tradukon de tiu
vorto en ia alia lingvo, en kiu tiu vorto jam ekzistas.
これまでに存在していなかった新語や、あるいは完全に定着したとは言えないような新語
を使わなければならない場合に、他のすべての言語において行なわれているのと同じこと
をすれば良いのです。要するに、この新語の横に、他の言語による訳語をカッコのなかに
入れて添えるのです。

Kiun lingvon vi uzos por tiu celo, estas por la afero tute egala, se vi nur pensas, ke tiu
lingvo estas komprenebla por via adresito, aŭ ke li havas sub la mano aŭ facile povas
havi vortaron de tiu lingvo.
こういう目的のために使う言葉は何語が良いかということになりますが、少し考えてみれば、
相手が理解できるか、あるいは相手が辞書をかんたんに入手することのできる言語であれ
ば何語でも良いということが判ります。

Sed estus dezirate, ke ĉiuj amikoj de la lingvo internacia uzu en tiaj okazoj unu lingvon,
kaj por tio mi proponas la lingvon francan, ĉar tiu ĉi lingvo en nia tempo en multaj sferoj
ankoraŭ havas la rolon de lingvo internacia.
しかしこういう場合には、この国際語を使うすべての人が一つの言葉を使うことが望ましい
でしょう。私はフランス語を提案します。というのも、この言葉は今なお多くの分野において
国際語として使われているからです。

Sed tute ne estas postulata, ke vi aŭ via adresito sciu la lingvon francan, ĉar la vorto
devas esti elskribata el la franca vortaro sen ia ŝanĝo, en tiu formo, en kiu ĝi estas
trovata en la vortaro;
とはいっても、あなたや、あなたの相手がフランス語を知っていなければならないというわけ
ではありません。この訳語はフランス語の辞書からまったく手を加えずに、辞書に載ってい
る語形そのままを抜き書きするだけだからです。

estas nur necese, ke la skribanto kaj la ricevanto havu sub la mano francan vortaron
(se ili ne pli volas uzi alian lingvon).
書く人も、受け取る人も、フランス語の辞書を用意しておくだけで良いのです(彼らが他の
言葉を使いたいと思わなければの話ですが)。

【第8段落】

Multaj kredeble estos malkontentaj, ke mi ne volas eldoni persone plenan aŭtoritatan
vortaron, kiun ĉiuj devus obei.
おそらく、すべての人が従わなければならないような権威のある大辞典を、私が個人的に
出版する気が無いことに御不満を抱かれる方が多いことでしょう。

La amaso amas, ke oni donu al ĝi leĝojn, ke oni donu al ĝi ne bonan, sed jam tute pret-
an, ― kaj la vojon, kiun mi proponas, multaj nomos tro malrapida.
大衆というのは、自分じしんに規則が与えられることが好きです。そしてその規則というの
は、すぐに使えるものであれば良くないものでも構わないのです。また、私が提案した方法
を見て、多くの人は「あまりにも時間がかかりすぎる」と言うことでしょう。

Se mi ne eldonas mem vortarojn pli plenajn, sed lasas ilian kreadon al la publiko, mi ĝin
faras ne pro maldiligento:
より大きな辞書を私みずからが出版せずに、語彙の発展を世間にまかせたのは、私が怠
けているからではありません。

906松戸彩苑:2008/10/26(日) 12:33:16
>>905 の続き)

sufiĉe plena vortaro jam estas preta ĉe mi, kaj mi povus eldoni ĝin eĉ tuj, kaj se ĝi eĉ
ne estus preta, la leganto komprenos, ke ĝi estas tute ne malfacila por mi krei ĉiutage
certan nombron da vortoj kaj eldonadi paŝo post paŝo vortarojn ĉiam pli plenajn.
私のところでは、すでにかなり大きな辞書が出来上がっており、出そうと思えばすぐにでも
出すことが出来るのです。また、たとえこれが出来ていなかったとしても、毎日一定の数の
単語を作ることや、少しずつより大きな辞書を何冊も出していくことは私にとってはまったく
難しいことではないということを読者の方は理解することになるでしょう。

Por mi persone estus kompreneble multe pli oportuna teni la sorton de l’ lingvo inter-
nacia en miaj manoj.
私個人のことだけを考えれば、この国際語の運命を自分の手中に収めておいたほうが、
当然、都合がずっと良かったのです。

Tial, mi esperas, la leganto komprenos, ke kreinte la fundamenton de l’ lingvo, mi nun
deprenas de mi tutan aŭtoritaton nur tial, ke mi profunde kredas, ke tion postulas la
interesoj de l’ afero.
ですから、この言葉の基礎を作ったあとで、いま私がすべての権限を放棄するのは、ひと
えに私が「この仕事のためには、こうしなければならないのだ」と固く信じているからだと
いうことを読者の方が理解してくださるだろうと思います。

La tempo, mi esperas, montros, ke mi ne eraris.
私は間違っていなかったということを時間が証明してくれることを期待しております。

Sed se la estonteco eĉ montros, ke mi eraris kaj ke plena vortaro devas esti kreata de
unu persono, la leganto ne forgesu ke mi ja povas ĝin fari ankaŭ poste !
しかしもしも将来において、私が間違っていて一個人が大辞典を出さなければならないと
いうことが判ったとしても、私はそのときにそうすることだって出来るのだということを忘れ
ないでいただきたい。

Sed mi faros ĝin nur tiam, se la tempo montros, ke ĝi estas efektive necesa.
でも、私がそうするのは、それが本当に必要だということが判ってからのことです。

Nun mi laborados, mi skribados verkojn, mi kreadas vortojn, ― sed ĉion kiel privata amiko
de l’ lingvo internacia, kaj ĉiu alia povas ĝin fari kun la egala kompetenteco.
これから私は仕事をつづけ、本を書き、単語を作りつづけていきますが、しかしあくまでも、
この国際語の支持者の一人としてであります。他のすべての人たちは、まったく同じ権限で
仕事をすることが出来るのです。

(終わり)

907Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/10/26(日) 21:24:39
ageでやりなさいよ。

908Bonsano:2008/11/06(木) 10:12:19
感激故の再々登場です。
オバマさんの勝利で私は流れる涙を殆ど抑えられませんでした。
こういうことが歴史において度々起こるものなのですね。
米国で起こった事が、エスペラントの事業についても例外でない事を確信いたしましょう。
Mi apenaŭ povis deteni mian ploron pro la venko de s-ro Obama.
Tia afero okazas de tempo al tempo en la historio. ĉu ne?
Ni estu certa, ke nia afero povos nepre sekvi la okazintaĵon en Usono.

909丹花:2008/11/06(木) 19:42:27
私もそう思います。願い、努力していたら、奇跡が起こるような気がしてきました。

910Bon:2008/11/07(金) 09:31:12
丹花さん。早速の応答、ありがとうございます。

>Ni estu certa・・・・

Ni estu certaj・・・・
の誤りでしたね。ごめんなさい。

911KamelioJapana:2008/11/20(木) 09:16:34
>Mi apenaŭ povis deteni mian ploron pro la venko de s-ro Obama.

日本でも早く衆院選挙を実施すべきでしょうね。
でないと、多くの国民の間にやり場の無い閉塞感が充満し、先日のテロの様なことが今後も
起こりかねない。
テロの顕在化は民主制度の形骸化と理性主義の後退とが始まっている兆候の現れであり、人類が
これまで築き上げてきた人道主義と民主主義の崩壊に繋がる恐れがあります。
左右を問わずテロ行為は国家権力の暴力装置を強化するとともに、それらが、政治の前面に
出てくる契機ともなります。

戦前に無知な国粋主義的将校が主導して、世直しと称して(彼らの少なからずの者が貧農の出で、
その心情は解らぬでもないが)天皇を前面に押し立てて(天皇の権威を過信した、とんだ勘違い)
2.26事件を起こした結果が、結局、一部独占資本(財閥)と一部国家官僚(特に軍部)の
政治的主導権の確立へと繋がったのは、よく知られている事実ですね。

日本の支配層の一部の言動から判断すると、同じ様な道を歩みかなねない危うさがこの国には
あるような気がしてなりません。

政権維持のために国民にばら撒く金があるなら、差別的な後期(高貴の間違い?)高齢者医療制度
を即刻廃止し、プレカリアートの不安を解消し、社会のsafety-netを少しでもマシなものにする
ために使うべきでしょう。

912KamelioJapana:2008/11/28(金) 06:13:12
米国やEUでは、イラク戦争開始にまつわるブッシュや先の政府首脳たちの発言が様々な調査委員会等で
審議され問題とされつつありますが、日本では一向にその様な動きはない。

このこと一つを採っても、日本国民は政府に嘗められて続けてきているのでしょうね。
麻生政権の反人民的開き直りを許さず、少しでも早く民意を問う総選挙を実施すべきでしょう。

913エスペロ:2008/11/28(金) 06:57:57
Manifestaciantoj de Tajlando protestas kontraŭ Somchai-reĝimo hisante
kaj svingante propran naci-flagon...mi esperas ke ankaŭ tiuj japanaj
aktivos kontraŭ Aso-reĝimo,kiu malamikus je popolo, svingante Hinomaru...
タイのデモ隊は、自国国旗を掲揚しながら、ソムチャイ政権に抗議しています・・・
日本のデモ隊も、日の丸を振りながら、反人民的な麻生政権に抗議することを
期待します・・・

914KamelioJapana:2008/11/28(金) 18:57:14
>913

国際連盟の誕生から1930年でしたかなロンドンの世界軍縮会議等に至までの間に侵略戦争は
もはや許されないという国際的な合意形成の中で、KYの日本軍国主義が東南アジアの戦線で
皇軍の先頭に錦の御旗として掲げたのが、今も残る「日の丸」でした。
当時、むしろ日の丸は東南アジアの諸国民のみならず無益な犠牲を自国民にも強いた反人民的
な象徴以外の何者でもなかったのです。その「日の丸を振りながら、反人民的」なものに抗議
をすること程滑稽な事はありません。
そう云えば、言論の自由の封鎖を狙うかのように装甲車の様な物騒な乗り物を所構わず走らせて
騒音公害を撒き散らしている連中が日の丸を掲げていましたがね。。。

タイ国旗が象徴する一つのタイ王室はこれまでも軍事クーデターの収拾に当たったりして広く
国民の民主主義的要求に耳を傾ける等、タイ国民から圧倒的に慕われ尊敬を受けています。
日本とは国旗が依って立つ基盤が全く違うのです。

エスペロさんのこのような主張も意図的に事情をよく知らない読者を惑わす手合いのものです。

915エスペロ:2008/11/28(金) 21:06:14
Naci-flagoj de Ĉinio,Usono,Francio,Britio,ktp...estas hisataj de respektivaj
nacioj...tiuj naci-flagoj estas imunaj je sang-odoraj historioj...?
中国、米国、フランス、英国などの国旗はそれぞれの国民により掲揚されています・・・
これらの国旗は血なまぐさい歴史と関係ないのでしょうか・・・?

Tristas ke iuj homoj prefere ne respektus propran naci-flagon en Japanio...
日本で一部の人々が自国国旗を尊重しようとしないのは哀しいことです・・・

916KamelioJapana:2008/11/30(日) 06:37:03
>915

何度も申し上げたでしょうが。。。
「日の丸」を見て昔の悪夢が甦る人たちが未だ東アジアに多く存在している現状があるし、
その「日の丸」の下で行った蛮行をその被害者やその家族の気持ちを逆撫でするような
形で思い起こさせる言動が日本政府(それを許した国民にも責任がある)の要人から口から
出て来るのが後を断たないことに問題があるのですよ。
せめて「日の丸」の下に日本政府が平和憲法を掲げて戦争の被害に遭ったアジア人民に
新たなる平和愛好国家としての日本を印象付ける努力をしてきたなら事情は違ったものに
なっていたかも知れないのにね。。。

欧米の国旗と違い「日の丸」に纏わる苦い思いでは、未だ風化していないのですよ。

917KamelioJapana:2008/11/30(日) 06:40:48
>口から

口をついて

に訂正します。

ああ、それにしても何度も同じことを言わせないでほしい。エスペロさん。

918エスペロ:2008/11/30(日) 07:16:16
En Orienta Azio,t.e.Ĉinio kaj Koreio,triste videblas iuj,kiuj rememoras pasintan koŝmaron vidante Hinomaru...tio,tamen,estas kaŭzata
de kontraŭjapana eduko en tiuj landoj...plejparto da 'brutalaj agoj fare de Japana
Imperia Armeo' nun montriĝas fikcia kaj fabela...
東アジア、つまり、中国や韓国で、日の丸を見て過去の悪夢を思い出す人々がいるのは
哀しいことです・・・しかし、これは彼の国における反日教育の結果です・・・
「日本軍による蛮行」の大部分が今や虚構であると判明しています・・・

919KamelioJapana:2008/12/01(月) 14:12:05
>「日本軍による蛮行」の大部分が今や虚構であると判明しています・・・

貴方の信念としか言い様がありませんね。
少し、譲って次の様に仰ってみたら如何ですかね。

「日本軍による蛮行」の一部分が虚構であると判明しています・・・

フランキー堺主演のあの傑作映画が皆の共感を得たように戦争自体に、仮令、勝者の方が
理に適っていたとしても、勝者側にも大きな誤りを犯したり、その誤り等も含めて大きな
傷を負わせるものなのですね。
東西冷戦終結もそうでした。西側はその勝利のお陰で資本主義市場経済に対する過信と
福祉国家理念からの大きな後退とが余儀なくされたのです。
特にアメリカは「レーガン革命」からレッセ・フェ−ル(lasu farigxi)的資本主義の
呪縛から抜け出せない状況が今の国際金融危機に対しても続き、1930年代初頭の様な
危機に対する素早い対応を実行することにフレーキがかかっています。

920エスペロ:2008/12/01(月) 15:26:50
Ekzemple,'Nanjing Incidento',kiu tipas 'brutalan agon fare de Japana Imperia Armeo',
estas kontrolata dume de pluraj jaroj de kelkaj historiistoj,kiuj nun
klare negas t.e.'Masakron de Nanjing'...
例えば、「日本軍による蛮行」の典型である「南京事件」は、何人かの歴史家が多年にわたり
検証しています。これらの歴史家たちは所謂「南京虐殺」を明瞭に否定しています・・・

921KamelioJapana:2008/12/02(火) 19:28:02
>例えば、「日本軍による蛮行」の典型である「南京事件」は、何人かの歴史家が多年にわたり
検証しています。これらの歴史家たちは所謂「南京虐殺」を明瞭に否定しています・・・

まだ、そういうことを仰っている。いつも貴方に対する同じ言葉ですが、「信念」としか言い様が
無いですね。
極少ない資料を素に、新自由主義史観の信奉者がそれに纏わる主張を流行させるのに成功したことは
間違いないでしょう。彼らの真の目的は歴史の真実をとことん探求するというより、戦後の、所謂、
彼らの唱えるところの「自虐史観からの脱却」を第一義としていたのですから。。。

このことは、彼らの一部も認めているところですね。だから、どの程度戦前の教育の様に彼らが想定
する国家的指導理念に基づくものを入れるかとこれまで確立された世界の主流である歴史観との妥協、
又は両立を図るかで世論形成の仕方について、内部論議が絶えなかったのです。何度か離合集散しま
したよね。

前にも、私が述べましたように旧ナチスのゲッペルス宣伝相の様に「嘘も百篇言えば真実になる」と
云う事でしょう。勿論、被害者としての中韓にも誇張があることは確かですが、このことに関しては
「新自由主義史観」的運動が現れる以前の世界の主流歴史観を原点から裏付ける資料の方が圧倒的に
多い事実には変わりません。

今、更迭後、スポットライトを浴びている田母神氏が彼の願望に基づく意図的な
プロパガンダでは無く、自分の語ることが歴史の真実であると本当に思って入るの
だとしたら、滑稽なことですが、それだけ日本社会の多くの領域では浸透していた
という裏づけになり私としては本当に恐ろしく感じます。

922エスペロ:2008/12/02(火) 20:28:27
Mia kara Kamelio Japana,mi petas vin montri historiajn dokumentojn,
se vi pretendas pri eventuala 'Masakro de Nanjing'...
Kamelio Japana様、「南京虐殺」があったと主張されるのなら、歴史資料を
お示しください・・・

Mi mem tralegas kelkajn priajn librojn de s-roj Higashinakano Shudo kaj
Tomizawa Shigenobu kaj mi spektis ankaŭ kinon 'Vero de Nanjing'...
私自身は、東中野修道氏と冨澤繁信氏の本を数冊読みましたし、また、映画「南京の
真実」も見ました・・・

923エスペロ:2008/12/03(水) 12:16:54
Japanaj soldatoj estis decaj kaj ĝentilaj en Ĉinio,kaj estis amataj
de popolo...faktoj,pri kiuj Asahi kaj ties adeptoj neniom deziras
informi...
日本兵は、中国で礼儀正しく、人々から愛されていた・・・朝日やその信奉者が
決して伝えようとしない事実・・・
          ↓
http://photo.jijisama.org/china.html

924KamelioJapana:2008/12/03(水) 19:06:14
エスペロさんの信仰には、何を申しても無駄でしょう。
が、
この掲示板をご覧になる方の為以下のサイトを推薦いたします。

http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/FrontPage

925エスペロ:2008/12/03(水) 19:11:49
Prof.Kitamura Minoru kontrolas fikciecon de 'Masakro de Nanjing'...
北村稔教授が「南京虐殺」の虚構性を検証しています・・・
         ↓
http://www.history.gr.jp/~nanking/books_sapio02227.html

926エスペロ:2008/12/03(水) 19:32:25
Mia kara Kamelio Japana,lasu min klare pretendi: escepte de Japanio
normalas ke oni emus kasxi propran brutalan agon en pasinteco...
Kamelio Japana様、はっきり申し上げましょう・・・日本以外では、過去の自国の
蛮行は隠すのが普通ですよ・・・

En Japanio,tamen,iuj emus elknedi 'brutalan agadon' fare de propra lando
,kaj malhonori propran pasintecon en la nomo de 'pacismo'...
しかし、日本では、一部の人々が自国による「蛮行」を捏造し、「平和主義」の名の
下で、自国の過去を貶めようとしています・・・

Jen Socia Morbo...
社会病理です・・・

927KamelioJapana:2008/12/03(水) 19:39:30
>926

前後の二つの文章の論点には矛盾がありますよ。

「他の国」の様に蛮行があったとしても隠すべきだと言いたいのでしょうか。

928エスペロ:2008/12/03(水) 20:26:02
Mi ja komprenas ke ĉinoj,koreoj,ktp. riproĉus kaj kondamnus Japanion prie
de ties pasinteco elknedante 'barbaraĵojn' fare de Japanio...
中国人や韓国人などが、日本による「蛮行」を捏造して、日本の過去を非難し
断罪するのはまだ分かります・・・

Sed ege eksterordinaras ke iuj japanoj ĉefrolus koncerne malhonorigon
de propra lando...jen Socia Morbo...
しかし、一部の日本人が主役となって自国を貶めていることは極めて異常です・・・
まさに社会病理です・・・

929KamelioJapana:2008/12/03(水) 21:28:40
>928

貴方が「自国が間違っていなかったと思いたい」お気持ちは分かります。今更、その事を
変えることはこれまでの自分の人生観(世界観を含めて)を否定することにもなり、精神的
ダメージは相当大きいものになるでしょうから。

しかし、私の意見としては、これまでも色々述べてきた様に自国の過去の誤りは率直に
認め反省し、被害を受けた他国に己の非礼を誠意をもって詫びることで真の友好の基礎が
確立され、更にその事が隣人国民との協力と連体をより強固にする事につながり、結果と
して日本の安全が一層堅固になると言うものです。

それこそ、未来の日本の平和と繁栄を願う真の愛国者(私はhomaranoで、ideologoという
意味での愛国主義者では無いですが)のとる道ではないでしょうか。

930エスペロ:2008/12/04(木) 05:43:56
La de vi primenciataj 'kulpo','miso','eraro',ktp. koncerne pasintan
Japanion nun montriĝas fikciaj kaj febelaj unu post alia,mia kara
Kamelio Japana...
Kamelio japana様の言われる日本の過去の「誤り」「過ち」は、次々と
虚構であると判明しています・・・

Mi estas certa ke vera amikeco inter Japanio kaj ties najbaroj ekektus kiam
ili ekagnoskus sian eraron kaj mison de propraj histori-konscioj...
日本とその隣国との友好は、彼らがその歴史認識の誤りを認めるときに
始まると思います・・・

931エスペロ:2008/12/06(土) 08:26:55
>エスペロさんの信仰には、...
>貴方の信念としか言い様がありませんね...

Tiuj esprimoj implicas ke mia kara Kamelio Japana estas perfekte konvertita
je 'War Guilt Information Program',kiun insinuis Usona Okupacia Armeo
al Japana popolo...
これらのお言葉は、Kamelio Japana様が米占領軍により日本国民に注入されたウオー・ギルト・
インフォメイション・プログラム(戦争の罪科を日本人に植えつける洗脳工作)に
完全に洗脳されてしまったことを示唆します・・・

Mia kara Kamelio Japana deziras apelacii,mi divenas,jene...?
Iuj,kiuj ne denuncus nek akuzus Japanion prie de ties pasinteco,ne indus esti nomata E-isto...
Kamelio Japana様は以下のようにおっしゃりたいのでしょうか・・・?
過去の日本を断罪し非難しない者は、エスペランチストの名に値しない・・・?

932KamelioJapana:2008/12/09(火) 19:08:06
日本の新自由主義史観もさることながら、サッチャー・レーガン革命から「復活」した新保守主義も
どうやら退転の時が来たようです。

やはり、理論云々による説得より現実の生活困窮状態の方が、政治至社会構造を考察するうえで、
我々人民大衆にとっては最良の教師になるのですね。残念ですが。。。

Eが必要とされる、お尻に火の付く状況とは、なんでしょうかね〜。考えさせられますね。

兎にも角にも、今は派遣労働者の方と連帯して戦って行きたいと思います。

933なつ:2008/12/09(火) 19:39:56
と、北海道エスペラント連盟作文指導者が申しております。

934エスペロ:2008/12/10(水) 09:24:05
Diferenco inter Japanio kaj Usono...
日米のちがい・・・

La 8an de Decembro krasxis bomb-aviadilo de Usona Mar-armeo en logxkvartalon
de San Diego. Estis mortigitaj 3 logxantoj,sed elfugxis kaj savigxis ties piloto...
12月8日、サンデイエゴの住宅地に米海軍の爆撃機が墜落し、住民3人が死亡した。
しかし、パイロットは脱出し無事でした。

Tiu cxi akcidento rememorigas min pri krasx-akcidento fare de bomb-aviadilo de
Aera Defendo-Korpuso en riverujon Iruma,Satama en la jaro 1999.
この事故で思い出すのは、1999年埼玉県入間川の河川敷で起きた航空自衛隊爆撃機の
墜落事故です。

Ties 2 pilotoj estis mortigitaj kiam ili klopodis vivriske eviti krasxon
en logxkvartalon...
二人のパイロットは、住宅地への墜落を必死に避けようとして、死亡しました・・・

Tie videblas virto de japanaoj,kiuj riskas sian vivon por savi aliulojn je
vivo...
ここに顕われているのは、自分の命をかけても他者の命を救おうとする日本人の
美徳です・・・

935KamelioJapana:2008/12/10(水) 18:52:48
>934

これは日米の差かどうかは、検証するための事例が少ないので、一概に一般化は出来ない
でしょうね。単に個人差の表れかも知れません。

極少数の人の行為を引き合いに出して、彼らの属する母集団を同じものだと決め付ける
のは非常に危険なことです。

936エスペロ:2008/12/10(水) 22:15:54
Mia kara Kamelio Japana,via mencio pria ja estas supozata...
Kamelio Japana様のお言葉は想像していたとおりです・・・

Tiuspecaj precedencoj tre raras...malfacilas gxneraligo...
この種の事例は稀です・・・一般化はむずかしいです・・・

Mi dubas cxu vi la samon deklamus ankau okaze de eventuala inverso...?
逆の場合だったとしても、同じことを言われるのでしょうか・・・?

Mi 100% komprenas vian psikan rezonon: prefere malhonori Japanion au
gxin preterfavori...
お気持ちは私には100%分かります・・・日本を貶めたい、或いは日本を
よく言いたくないという・・・

937なつ:2008/12/11(木) 01:25:39
だって北海道エスペラント連盟作文指導者だもの(みつを)

938KamelioJapana:2008/12/11(木) 06:21:16
>逆の場合だったとしても、同じことを言われるのでしょうか・・・?

当然でしょう。それにこの件に関する情報も未だ多くは伝わってきていない状況ですので、
早計な判断は控えるべきです。

>この種の事例は稀です・・・一般化はむずかしいです・・・

これは、貴方自身が考えている事ですか。そうであるなら、貴方がその前の>934で導いた
「日本人の美徳」という見解は何だったのでしょうか。

>お気持ちは私には100%分かります・・・日本を貶めたい、或いは日本を
よく言いたくないという・・・日本を貶めたい、或いは日本をよく言いたくないという・・・

貴方のその独善的で根拠が全く無い発言には、怒りを覚えます。
私に、例によって「反日」というレッテルを張り、自分こそ愛国者だと主張したいのでしょう。
レトリックを弄した不誠実な対応は、貴方の論理展開?の常套手段ですが、前にも申し上げました様に
このような言動を今後も続けられるなら、もう貴方とのUK等での復縁は無いことは勿論、お会いした時
も、きっちり私の思いをお伝えすることになるでしょう。
貴方が、次回のUKに参加されるかどうかは分かりませんが。。。

939エスペロ:2008/12/11(木) 08:01:37
Mi esploris similajn krasx-akcidentojn fare de Usonaj milit-aviadiloj
en Japanio pere de Vikipedio...
ウイキペデイアで日本での米軍機による同様な墜落事故を調べました・・・

La 5an de Aprilo,1964,en Machida krasxis milit-aviadilo de Usona Mar-Armeo...
Estis mortigitaj 4 logxantoj,piloto savita...
La 27an de Septembro,1977,en Yokohama krasxis Uson-Armea aviadilo...
Estis mortigitaj 2 junaj fratoj,piloto savita...
1964年4月5日、町田市で米海軍機が墜落、住民4人が死亡、パイロットは
無事でした・・・
1977年9月27日、横浜市で米軍機が墜落、幼い兄弟2人が死亡、パイロットは
無事でした・・・

Mi ne konas krasx-akcidentojn fare de milit-avidiloj de Aera Defendo-Korpuso,
kie mortigitaj estis logxantoj...
航空自衛隊機による墜落事故で、住民が死亡した事故は知りません・・・

940Bonsano:2008/12/11(木) 11:49:43
やはり、米軍が日本国民を守っているいるのかどうか疑問ですね。

941エスペロ:2008/12/11(木) 12:47:38
Jes,Japanan Nacion devu protekti Japana 'Trupo'...
そう、日本国民は日本「軍」が守るべきです・・・

En Cxinio,Usono,Rusio,ktp.respektivajn naciojn protektas propraj
armeoj...
中国、米国、ロシアなどでは、それぞれの国民は自国の軍隊が守っています・・・

En Japanio,tamen,Defendo-Korpuso ne eblas elmontri sian kapablon pro Artikolo 9 de
la Konstitucio...tial Japanio ne povas ne fidi kaj sin apogi al Usona Trupo...
しかし、日本では自衛隊は憲法9条のために実力を発揮出来ません・・・だから、
日本は米軍を頼りにするしかありません・・・

Por esti vera sendenpenda sxtato,Japanio reformu Artikolon 9,havu 'Nacian
Armeon' por protekti sian popolon,kaj foririgi Usonan Trupon...
真の独立国になるためには、日本は9条を改正し、自国民保護のための「国軍」をもち、
米軍にお引取りしてもらうべきです・・・

942KamelioJapana:2008/12/11(木) 20:00:43
自衛隊は、実体は世界でも最高性能兵器を持つ列記とした軍隊ですね。
貴方の様な考え方では、それらの国と対等に渡り会おうとするなら、結局、核武装まで
行かないと軍事力では戦争抑止効果を発揮することはできませんよ。

米・中・ロ等の軍事大国こそ軍縮をやるべきで、彼らの真似をすることは、今日、核兵器の
拡散が止まらない事実が示すように、日本がその傾向を益々後押しするものとなり世界の破滅に
貢献するだけです。

現在核兵器を有する国連常任理事国の政策による、これまでの世界運営では一向に平和が確立
されなかったではありませんか。

実力を発揮出来ない?どういうことですかね。今の自衛隊は立派に専守防衛に
徹しようとしていますよ。
憲法9条を変えて他国に出かけてまで戦争をしようと言うことですかね。

943なつ:2008/12/12(金) 00:49:36
と、共産主義者がいってます

944ame:2008/12/15(月) 21:15:10
>憲法9条を変えて他国に出かけて戦争をしよう

積極的ではないにせよ、そういうことでしょうね。
問題は、「戦争が絶対的に悪と言い切れるかどうか」です。

無論、誰しもその直接的な被害を被ることを望みませんから、戦争ができるならば避けた方がよい事態であることに違いはありません。
しかし、避けた方がよい事態であることが、道徳的に絶対悪であるわけではありません。

「状況によっては戦争はやむを得ない」ので
他国に出かけて戦争、という事態もあり得ます。

というわけで、私は9条の改正に賛成、日本は自衛隊を明確な軍と規定すべきと考えます。

945ame:2008/12/15(月) 21:39:50
私の意見は、ここまではおおむね保守派の論旨と同じです。
が、「戦争は状況によってはやむを得ず」だとしても、やはり戦争なんてない方がいい。
戦争撲滅のため、世界が一つになるべきであると私は感じます。

しかしこの意見は、コスモポリタニズム的な発想でもありません。
「戦争は絶対悪だ。絶対にしてはいけない」と主張するためには、戦争を絶対的な悪として道徳的に規定する秩序がなければならないと考えます。
道徳などというものはそもそも、ある共同体の共通利益を確保するために作られたもので、それは非常に脆く壊れやすいものではあるけれど、それが立てられるには一定の動機と目的があるわけです。

然るに現在の国際社会には、「戦争は悪いことだ」と規定する秩序がない。
国際連合はあるけれども、この機関は「悪いこと」をした国家を超越的に制裁する術を持っていません。

一般に「犯罪は悪」です。国家という秩序がそれを許さず、国家が犯罪をした者を制裁できるからこそ、犯罪は悪であると言い切れるのです。
したがって、「戦争が悪」と言い切るためには、それを許さない秩序が存在し、それをした国家に制裁を加えうる超越的な「世界政府」なるものが必要です。

いったい何十年何百年経つかわかりませんけども、人類や国家が一つのきちんとした秩序を形成したときに初めて、戦争が許されないものとなることでしょう。

946エスペロ:2008/12/16(火) 10:35:43
Neniuj favoras militon aŭ batalon...japanaj najbaruloj,tamen,ne nepre
amikas je Japanio...Ĉinio kaj ambaŭ Koreoj...ili ripetas riproĉi kaj
damni Japanion prie de ties pasinteco kaj ankaŭ estanteco...ili posedas
relative gigantan militforton je propraj nacipotencoj kaj trudas militservon al siaj junuloj...
戦争が好きな人は誰もいません・・・しかし、日本の隣国は必ずしもわが国に友好的ではありません。
中国も韓国も北朝鮮も・・・これらの国々は日本をその過去及び現在について非難・断罪を繰り返しています・・・
これらの国々はそれぞれの国力に比し巨大な軍事力を保有し、自国の青年たちに兵役を強いています。

Ene de tia cirkonstanco,nur Japanio eblas resti sen-armita,kiel asertas iuj
japanaj maldekstruloj inkluzive de iuj Esp-istoj(Rondo Ken)...?
Mi konsentas kun mia kara ame pri modifo de Artikolo 9,kaj kvalifiki
Defendo-Korpuson je posteno de 'Nacia Armeo'...
このような状況の中で、ロンド・ケンなど一部のエスぺランチストを日本の一部の
左翼が主張するように、日本だけが丸腰のままでいいのでしょうか・・・?
ame様に賛成します・・・日本は9条を改正し自衛隊を「国軍」に改組すべきだと
思います・・・

947Bonsano:2008/12/18(木) 13:03:27
>日本だけが丸腰のままでいいのでしょうか・・・?

日本は、丸腰ではありません。それどころか強力な軍隊を持った国家です。
それは、歴代保守政権が憲法の平和理念に基づく多角的な国際平和外交を新たな世界
秩序を作るべく強力な意志を持って世界の舞台において率先して実践してこなかった
負の遺産としてあります。

従って、日本国憲法の平和理念の実現もその現実を前提条件とするとこらから出発する
ことになります。

憲法の前文にあるように正義と信頼に基づく国際秩序の形成に率先して取り組まなければ
前世紀までのように国際紛争を解決するための手段の行使として多大の人的犠牲を齎した
にも拘わらず人類文明が生き残って来たような事は恐らく今世紀以降では不可能に近い
事となるでしょう。

元より以前にも書いた様に、この世には絶対に安全だと言う防衛手段は存在しません。
全て、相対的なものです。非武装への歩みもそうです。問題は人民の犠牲が最も少なく
かつ人道主義手段を用いた問題解決を常に絶対常識とする世界秩序へとたどる道に誰が
自ら率先してその一歩を踏み出すかが問題なのです。

948エスペロ:2008/12/18(木) 13:35:01
Jes,vi pravas...mia kara Bonsano,Japanio NE restas sen-armita...
memkompreneblas Japanio estas armita pere de Defendo-Korpuso inter
ne-amikaj najbaruloj,kiuj pretas kondamni,riproĉi,ĉantaĝi Japanion pro
falsa preteksto...ekz.vizito de Yasukuni fare de ministroj...
そうですね、Bondsano様、日本は丸腰ではありません・・・日本が非友好的な隣国の中にあって
自衛隊で武装しているのは当然のことです・・・それらの隣国は機会があれば日本を非難し、いいがかりを
つけてきます・・・例えば、閣僚による靖国参拝など・・・

Mi opinias ke oni modifu ne nur Artikolon 9,sed ankaŭ ties preamblon:
Justeco kaj Fido de nacioj...?
私は、9条だけでなく、前文をも改正しなければいけないと思います:
・・・諸国民の正義と信頼・・・?

Oni ne eblas fidi tian preamblon...vidu Nordan Koreion,kiu forkondukis
multajn civiluojn...
こんな前文は信頼出来ません・・・多くの民間人を拉致した北朝鮮を見てください・・・

949KamelioJapana:2008/12/21(日) 22:56:13
>1 にあるこのスレの「序文」は少し時代遅れ(ほんの2年前なのですが)となったので
新しいスレをKia-kablo-estu?氏の了解を取ってから起こそうと思っています。

それにしても歴代保守政権の無策無能故にいかに多くの人たちが、使い捨てのように、
これからも職を奪われ続けるのか。。。新年をhejmecoに送る事が出来るのか。。。

950KamelioJapana:2008/12/21(日) 22:58:58
訂正。
>Kia-kablo-estu?

Kia-kablo-mi-estu

失礼しました。

951KamelioJapana:2009/01/11(日) 10:28:12
管理人さんの立場を代弁させていただきますが、掲示板の投稿者がauxtomatoのホスト規制に
引っかかることは過去の投稿の仕方に問題があったと言う可能性が高いのですよ。

この掲示板では、その発言に使用する言葉が余程酷いものでない限り、しかも管理人さんが、
何の警告も無しに投稿者を遮断することは有り得ませんから、管理人さんには何ら責任は無い
のす。

此処の投稿者で書き込めなくなった方の総てが該当するかは分かりませんが、例えば、複数の
ハンドルネームを使う等々とか、何らかの問題行為、又はサーヴァー(最近は人手が入らない
コンピューター)に疑念を持たれる行為があったということを示しているものと思われます。

従って、もし管理人さんが、全ホスト規制を解除するとなるとこのサイトを有害なものから守る
ためには、それ相応の労力又は金銭の負担を覚悟しなければならないのです。

952やぱーの@管理人:2009/01/12(月) 23:01:19
KamelioJapana 様

ご理解いただき、ありがとうございます。

まったく、その通りです。

953KamelioJapana:2009/01/15(木) 22:20:17
>952

お元気そうで何よりでした。

954やぱーの@管理人:2009/01/15(木) 23:12:02
>953

ありがとうございます。

956KamelioJapana:2009/01/30(金) 08:41:25
EU議会議員のリュドミラ・ノヴァックさんが彼女の「EsperantoをEUの共通補助語へ」
という提案に対して自身のホームページで賛成投票を呼びかけています。

http://www.ljudmilanovak.org/modules.php?op=modload&name=News&file=article&sid
=496&mode=thread&order=0&thold=0

上記のページをクリックして、現れたページの下の方の英文「Please vote out poll
by clicking here.」 の「here」をクリックすると投票ページにいきます。
賛成の方は最上部の「yes」の左にチェックを入れて、下の「vote」をクリックすると
投票完了です。

957KamelioJapana:2009/01/30(金) 08:47:12
すいません。上記のretejoのアドレスを分割してしまいました。
下のアドレスから入ってください。そうすると英文が現れます。

http://www.ljudmilanovak.org/modules.php?op=modload&name=News&file=article&sid=496&mode=thread&order=0&thold=0

958なつ:2009/01/31(土) 10:34:53
>>956
どうして英文なんでしょうか?

959KamelioJapana:2009/02/01(日) 11:59:10
>958

事情を知らないほかの方には説明する必要があると思いますが、「Eに縁もゆかりも無い貴方が単にE運動に
ケチ付けの為に此処に書き込むこと」が的外れでなければ、遠の昔にその辺の事情はお分かりのはずですね。

御自身の頭でその問題について、再度、篤とお考えになることを切にお願いしておきます。

960なつ:2009/02/01(日) 14:54:11
>>Eに縁もゆかりも無い貴方が単にE運動に
>>ケチ付けの為に此処に書き込むこと

縁もゆかりもない?なんで?論証をお願いします。
しないのならエスペランティストたる僕に対する誹謗中傷であります。
管理人様、論証しないと判断されましたら、警告をお願いします。

さて考えろと言われましても、1・2歳程度の頭でですかね?
その頭で考え付く程度のものということですかね?

961KamelioJapana:2009/02/01(日) 15:59:07
>縁もゆかりもない?なんで?論証をお願いします。

ほう、貴方が私にそんなことを仰るとは?
笑っちゃいますね。
論証などと言う言葉には「縁もゆかりも無い貴方」だと思ってましたが。

962なつ:2009/02/01(日) 19:08:51
>>961
はい。左翼者であるあなたの真似をしてみました。
そして、論証する気がしないのなら、
単なる誹謗中傷ですので
管理人様、警告してください。

963KamelioJapana:2009/02/01(日) 20:42:19
>962
此処は何でも掲示板ですけから、
貴方が、如何書き込もうとも構いませんが、御自身に対する恥の上塗り行為はお止めになった方が
宜しいかなとも思いますが。。。
この掲示板には、貴方自身の過去の言動が記録されているのですからね。よくお読みになったら論証
と言う言葉が貴方には無縁だということが分かりそうなものですがね。

それとも、削除しますか。

964なつ:2009/02/01(日) 20:54:00
>>963
はい。僕はあなたについて論証はしません。
無縁ですからね(笑)
これは、あなたが僕について論証するか、いなかです。
そして論証しないのなら、誹謗中傷ですので、
管理人様警告をお願いします。

965KamelioJapana:2009/02/01(日) 21:09:36
>964

自己中心的、開き直りの典型ですな。。。
自分一人では何も出来ない卑怯者ですね。
恥の上塗りの良い例を、復、記しましたね。

966なつ:2009/02/03(火) 19:00:04
>>965
ええっと、あなたの僕に対するものは、
自己中心的、一人では何も出来ない、卑怯者、恥の上塗り

ということですね。
完全に誹謗中傷ですね。
左翼者は誹謗中傷が好きなんでしょうか?

管理人さま、警告のほど、よろしくお願いします。

967KamelioJapana:2009/02/04(水) 19:59:42
>966

貴方は、誹謗中傷が成立する条件がお分かりで無いようで、私なりの解釈で申し訳ないのですが、
その条件の一つを挙げておきましょう。
例えば、私が指摘した

>自己中心的、一人では何も出来ない、卑怯者、恥の上塗り

この程度の批判用語が問題となる場合は、換言すると「名誉毀損」が成立するには、これらの言葉が
用いられる根拠の有無が問われるわけですね。
貴方がこの掲示板に登場以降、私と貴方とが絡むこの掲示板における「対話」から判断すると上述の
「雑言」が妥当と判断される確立の方が高いですね。貴方には残念なことかも知れませんが。

つまり、このような悪口雑言のやり取りにも構成上の論理性が要求されるのですよ。

私が、警告を受けるなら、貴方はもう遠くの昔にこの掲示板には書き込めなくなっているでしょう。
それが分からないのか、やはり自己中心的にしか考えられないのか、何れにせよ、甘っちょろい方ですね。

968やぱーの@管理人:2009/02/04(水) 23:36:00

管理人としては、ノータッチとします。

969なつ:2009/02/06(金) 20:45:21
>>967
誹謗中傷と名誉毀損は別概念ですけど、なにか?
同概念として換言し話してるので、全文章が陳腐です。
論理武装しているあなたらしくない。まるでぼくのようですよ。

どうせなら、日韓共催声明の草案を考え提案なさったらどうでしょうか?

970KamelioJapana:2009/02/07(土) 08:09:35
>まるでぼくのようですよ。

お気づきになられたようですね。
論理を欠いた貴方のレベルに合わせているのです。

このやり方も「長く広い」意味で論理性を必要とするのですよ。

971なつ:2009/02/07(土) 09:19:55
>>970
それはないでしょう。
ぼくは「誹謗中傷」されたと言ってるわけで、それを
「換言すれば名誉毀損」というのは論理を欠いた言い方ではなく、
概念の違いを知らなかったのが原因ですよ(笑)

さらに
>>「対話」から判断すると上述の
>>「雑言」が妥当と判断される確立の方が高い
ここがあなたの言う僕のレベルに落としたとされる論拠のない判断なのかな(笑)

ほかの場所では人を批判する事柄を自分自らで用い、その時は都合よくレベルを下げたという。
また、論理論理といいながら、感情的になってあとで自戒したりもする。
一本スジが通ってなくフラフラしてその手法は気持ちが悪いです。
左翼者はみんなそうなんですか?


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