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ヒト起源について

1ミケ:2007/08/27(月) 10:42:35 ID:KO.P9.dA
第一掲示板での議論が立て込んできたので立てました
特に直立二足歩行の起源について話すスレッドです

29shinok30:2007/08/30(木) 06:54:46 ID:hGaYHI42
>サバンナ説信者の皆さん、って誰のことでしょうね。そんなにたくさんいたかな?

雄さんが考えているような「サバンナ説信者」は,ここにも第1掲示板にも,たぶん一人もいないんじゃないでしょうか?

30:2007/08/30(木) 07:35:12 ID:ToCfhv1w
RE NANさん

全体的なニュアンスとして、私もNANさんの見解に共通性を感じます。

私はやはり「人間」は特殊な動物だと思っています。

チンプ、ボノボとヒトは祖先を共有しています。そしてその共通祖先はゴリラとも祖先を共有しています。
注目すべきは、チンプ、ボノボから見て、種として一番近い親戚は、ゴリラやニホンザル等、他のどの「サル」でもなく、人間だと言うことです。
事実チンプとヒトは、99%近い遺伝子的な共通性を持っていると言われています。

本来はその近縁度を反映して、外見・行動様式などが、ヒトとチンプで最も似通っているべきですが、現実はヒトだけが、取り分け行動様式の点で飛びぬけて特殊です。

つまり、A と言う共通の祖先から A1、A2、A3 と言う順序で、種が分岐したことが分かっていたとして、A1とA3は比較的似ているのに、A2だけがとんでもなく違っていると言うことは、普通は有り得ない。この有り得ないことが人間とチンプ、ゴリラ、そして他の全てのサル達の間で起こっている事態です。

この特殊性がどこから来るのか?、つまり「人間とは何か?」と言うのが目下の私の大きな問題意識である訳です。
私はこの特殊性を作り出した要因を、「道具」と「言葉」だと思っています。
そしてそれを可能としたのが、他でもない「直立二足歩行」であった、と考えています。
この辺の事情は、ドシロートのバグ見解で恥ずかしいのですが、以下の拙サイトにまとめて有ります。

ttp://y-ok.com/appleclub/adam/contents2/contents_1.htm

直立二足歩行によって、歩行から開放された前肢(手)によって道具の使用・作成が可能になっただろうし、前肢にますますの道具使用の機会を振り分けることで、より前肢が歩行の用から遠ざかったのでしょう。
そのように相携えて、ヒトは直立二足歩行を洗練させて行ったのだと思います。

その点で、NANさんのご指摘には、いたく共感します。

ただ、「最初の一歩」のキッカケまで道具の使用・作成に負うのはやや無理があり、やはりそこには進化生物学的な要因をどうしても考えざるを得ない、と言うことで、私はその契機・メカニズムとしてアクア説に納得している次第です。

やはり直立二足歩行の契機を説明できない「人類起源説」は意味が無い、と言うのが私の思いです。

なお、近年の分子生物学の知見によって、アクア説の「物的証拠」が出た、とモーガンは述べています。私が読んでも結構説得力を感じるところです。
その辺を含め、モーガンの主張するアクア説のシナリオを、今度一回まとめてご紹介してみようと思っています。尤もモーガンの著作を読んで頂ければ、私の紹介など無用な訳ですが。

専門家でも立場や見解が異なる中、ここでもさまざまな主張が提示されています。
それで結構なんだと思います。進化生物学門外漢ながら、私も随分勉強になりました。

31名無しさん:2007/08/30(木) 09:13:34 ID:hGaYHI42
>なお、隣に居るのは、ヒト・チンプ共通祖先とされたプロコンスルです。
>今はプロコンスルと、ヒト・チンプ共通祖先の間に、サンブル・ホミノイドと言う祖先種を
>置くようですが、いずれにしても大差は無いでしょう。
>ミケさんは、この共通祖先の段階で既に「人類とチンプの共通祖先は少なくともチンプと
>同程度に二足歩行に洗練していたと考えるのが最節約的。」と述べておられます。

プロコンスルは約1800万年前
サンブル・ホミノイド改めSamburupithecus kipthalaniは約950万年前
時代が全然違う共通祖先を「いずれにしても大差は無い」というのは無茶
文脈から「ミケさんのいう共通祖先」は「ヒト・チンプの分岐直前の共通祖先」のことでしょう

最節約的に考えれば,「ヒト・チンプの分岐直前の共通祖先」は
『チンプと同程度には』二足歩行に洗練していたと思いますよ

もし,ヒト・チンプの共通祖先がチンプよりも二足歩行に洗練してなかったとすれば,
ヒトの系統とチンプの系統で独立に二足歩行が獲得されたことになりますが,
雄さんはチンプの二足歩行はヒトとは独立に獲得されたものだという考えなのですか?
ついでに,ゴリラの二足歩行やオランウータンの二足歩行はいつ獲得されたと思いますか?

32shinok30:2007/08/30(木) 09:15:12 ID:hGaYHI42
名前入れ忘れました
>>31はshinok30です

33地下に眠るM:2007/08/30(木) 10:08:33 ID:???
>進化の基本的な要因は、「突然変異」と「自然選択」でしょう。
>前適応に意義がないなどとは言いませんが、あくまでも副次的なものです。前適応が全くなくてもこの二つが揃えばその方向に進化が進むでしょう。
(No.8 雄)

前適応ちゅうのは、自然選択を無理なく説明するための概念ではにゃーのか?
淘汰圧さえあれば、前適応がなくてもある機能を持ちえるちゅうのは、そうとうに観念的ちゅうか目的論的な議論に思えますにゃ。自然選択=適応、ちゅうのは使い回しの歴史にゃんからなあ。

あと、AH1もいってたけど、単なる直立と直立二足歩行では要求される演算能力の桁が圧倒的に違うんでにゃーの?
「必要があれば直立する」はよくわかるんだけど、「必要があれば直立二足歩行する」はぜんぜんわかんにゃーです。
それってさ、「生物は必要があれば無から有を生み出す」といっているに等しいんだけどにゃー

34shinok30:2007/08/30(木) 10:27:39 ID:hGaYHI42
>つまり、A と言う共通の祖先から A1、A2、A3 と言う順序で、種が分岐したことが
>分かっていたとして、A1とA3は比較的似ているのに、
>A2だけがとんでもなく違っていると言うことは、普通は有り得ない。

ホッキョクグマはアラスカ南東部のヒグマと遺伝的に非常に近縁ですが,
ホッキョクグマの形態や生態はヒグマとは明らかに異なっています
集団の分岐の順序は形態的・生態的特徴の差異と一致するとは限りません

>意外な祖先を持つヒグマ/『NATIONAL GEOGRAPHIC』 1999年10月号(日経ナショナル・
>ジオグラフィック社)の自然通信に、「意外な祖先を持つヒグマ」というタイトルの記事が
>載っています。  アラスカ南東部のアドミラルティ島に生息するヒグマは、ホッキョクグマ
>との血のつながりが、他のヒグマよりはるかに深いそうです。ユーラシアと北米の熊約450頭
>の遺伝子を、ジェラルド・シールズ氏とアラスカ大学の研究チームが調べ、アドミラルティ島
>とその近辺に生息するヒグマは、4万年ほど前に同じ祖先から生まれているそうです。つまり、
>彼らは古代ヒグマの子孫だというのです。 
ttp://outback.cup.com/old_info.2.2.html

35AH1:2007/08/30(木) 14:49:11 ID:lWWemAT6
地下に眠るMさん
>「必要があれば直立する」はよくわかるんだけど、「必要があれば直立二足歩行する」はぜんぜんわかんにゃーです。

自分で振っておいてなんなんですが、「必要があれば直立二足歩行する」もあり得ないことじゃないと思いますよ。
ただ、何もない所から始めると試行回数が莫大になるので時間がかかる・・ひょっとしたらいつまでたってもできないかも・・
という違いでは?

雄さんの意見は「強力な淘汰圧にドライブされれば前適応など想定しなくても可能であり、その方が素直なアイディアだ」というものだと理解しているので、
要するに淘汰圧の強さと前適応の度合いがトレードオフになっている、という話でしょうね。

36PDX.:2007/08/30(木) 15:25:18 ID:NtVg0xZw
 ところで、ヒト化石が出ている地層の花粉とか種子とかの化石から、その地域が当時サバンナだったのかジャングルだったのか湖沼だったのかというのは決定されてないんでしょうかね?

37しろうと:2007/08/30(木) 17:05:25 ID:BPiKEwWk
>チンプ、ボノボとヒトは祖先を共有しています。

えー、何で分かるんですか?

38:2007/08/30(木) 17:26:46 ID:ToCfhv1w
RE shinok30さん

>プロコンスルは約1800万年前
サンブル・ホミノイド改めSamburupithecus kipthalaniは約950万年前
時代が全然違う共通祖先を「いずれにしても大差は無い」というのは無茶

本当ですか???
私は「大差は無いでしょう」と書いて有るのですが、無茶かどうか、思考実験をして見ましょう。

隣のプロコンスルを、私が間違って「隣に居るのは現生チンパンジーです」と紹介したとして、shinok30さんは、その「大差」を直ぐに見抜けますか?
ましてプロコンスルと同じ、森の住人であっただろうサンブルピテクスの、骨格を想像復元して隣において、その「大差」を、shinok30さんは即座に見抜ける自信が有りますか?

この時代の近縁霊長類、例えばナチョラピテクスなどの化石骨格を見ても、その差は私には全く分かりません。
そう言う意味で「大差はないでしょう」と書いたのですが、何か「無茶」なことでも有りますか?

そもそも、置かれた生息環境に依存する野生動物と、道具を使って環境を変え、環境依存からの脱却を果たした人間とでは、その変化のスピードがまるで違うんですよ。
「時代の違い」のタイムテーブルが、人間と野生生物ではまるで違う訳です。

人は例えばルーシーから、現在まで310万年の間にも、大きく変化しました。でもおそらくチンプは分岐以後700万年、基本的には「大差」の無い姿で経過していると思います。
今では違う種とされるボノボとの間に、歩行法の上で「大差」など殆ど見受けられませんしね。

こう言う問題は野生生物の状況を考えれば、直ぐに分かることだし、動物行動などを見る際、人間中心に考えるのは、気をつけなければならない落とし穴だと言うことは、よく言われることなんですけどね。

「『いずれにしても大差は無い』というのは無茶」とするshinok30さん、その無茶の根拠を、具体的な資料に基づいて私に納得させて下さい。


>最節約的に考えれば,「ヒト・チンプの分岐直前の共通祖先」は
『チンプと同程度には』二足歩行に洗練していたと思いますよ

本当ですか???
共通の祖先が暮らしていたのは一体どう言う環境だか、考えた上でのことですか?

950万年前のアフリカは、大地溝帯の活動が一部で始まったばかりの頃でしょう。
当然サバンナなど形成されず、密林に覆われていたことでしょう。
だからこそ440万年前と想定されるラミダスの化石でさえも、森林の痕跡を示すさまざまな化石と共に発掘されているのです。
ましてトゥマイにしてなお、です。サバンナの痕跡などまるで見当たりません。

専ら樹上生活に特化していただろう、共通祖先にあって、確かに樹上での対応は現生チンプより「洗練」されていたかも知れませんが、私には断じて「チンプと同程度に」二足歩行に洗練されていたとは思えません。
それが、あのプロコンスルの骨格じゃないですか。

最節約だかなんだか知りませんが、shinok30さんの、「思いますよ」の具体的根拠を、実際の化石なり、観察記録なりを示しながら、どうして思うのか、論証して下さい。


>ホッキョクグマの件。

ホッキョクグマの件は知りません。形態的・生態的差異は、置かれた環境によって違ってくるでしょうね。そう言うことは当然ありうることだと思いますが。

ただ「A2だけがとんでもなく違っている」と言うときの、人間と他のサル全てとの違いの度合いは、単に形態的・生態的差異の違いでは有りません。

shinok30さんは、アフリカやスマトラの密林に住むサルたちと、ニューヨークや丸の内の高層ビルで働く、ビジネスマンやOLを見て、単に形態的・生態的差異程度だと思いますか。
月に人を送り、太陽系の内奥まで窺おうとする人間と、単に形態的・生態的差異程度だと思いますか。

お願いします。生物学一般のお話をしているのでは有りません。話の流れから外れた、片言節句の解釈に、必要以上に拘らないで下さい。
何回も言っているように、個人的認識、見解の相違で結構です。一人で何人も相手をせざるを得ない立場もお考え下さい。
shinok30さんのお考えはお考えとして結構です。名指しをされると、いくら瑣末な問題でも無視はできません。

39:2007/08/30(木) 17:27:09 ID:ToCfhv1w
RE 地下に眠るM さん

>「必要があれば直立する」はよくわかるんだけど、「必要があれば直立二足歩行する」はぜんぜんわかんにゃーです。

ミーアキャットが必要に迫られて、きれいな直立姿勢をとるのは事実です。これは必要に迫られてです。
その際、若し二足で歩く必要(淘汰圧)に、死活的に迫られた場合、その直立姿勢から一歩踏み出して歩き出すのに、私は何の不自然も感じません。
それとも地下に眠るMさんは、立ちすくんだまま絶滅するのが自然だと仰るのでしょうか。

二足歩行に踏み出す際、その直立姿勢は二足歩行の前適応になっているでしょうね。ブラキエーションなどの、アヤシイ前適応と違って。

しかし残念ながら、ミーアキャットに二足歩行の必要性は全く有りません。それは他のサバンナ性動物全てに共通なように、四足歩行で何の問題もないからです。

ヒトだけが、サバンナに進出した時、わざわざそれまでの歩行方法を捨て、二足歩行を進化させたと言うのです。その明確な理由をいまだかってここで聞いた覚えが有りません。

その一番の中心テーマに触れぬまま、議論されるのはその周辺の、私からすると瑣末な問題ばかり。
地下に眠るMさんが、そうだと言う訳じゃ有りませんがね。


なお、これから月末、月始で、忙しくなります。
繰り返し述べているように専門家でさえ意見が分かれている問題で、後は「見解の相違」と言うことで、逐一のコメントは勘弁して頂きます。

40AH1:2007/08/30(木) 17:57:51 ID:lWWemAT6
横ですけど。

>>最節約的に考えれば,「ヒト・チンプの分岐直前の共通祖先」は
>>『チンプと同程度には』二足歩行に洗練していたと思いますよ

>本当ですか???
>共通の祖先が暮らしていたのは一体どう言う環境だか、考えた上でのことですか?

雄さんが言っているのは、「ヒトとチンパンジーは独立に二足歩行を進化させた」
ということですよ。チンパンジーの生息環境のどこに、下手すると二足のほうが経済的なほど、
二足歩行を進化させる淘汰圧があったんでしょう?

41ミケ:2007/08/30(木) 18:32:17 ID:???
>>39
>繰り返し述べているように専門家でさえ意見が分かれている問題で、後は「見解の相違」と言うことで、逐一のコメントは勘弁して頂きます。

え?
>>18-20でミケに質問に答えさせておいて、
ミケの質問(>>19)には答えないでドロップアウトする、
って読めますけど、まさか違うよね?
月末月始が過ぎれば質問には答えてもらえると受け取っていいんですよね?

42:2007/08/30(木) 19:21:37 ID:ToCfhv1w
RE AH1さん

食事の合間に、酒を飲みながら………。

>雄さんが言っているのは、「ヒトとチンパンジーは独立に二足歩行を進化させた」
ということですよ。

今はハッキリそう思っています。
だからこそのアクア説です。そのメカニズムの紹介は機会と時間を見て致します。

チンプらが時おり見せる直立二足歩行と、ヒトのそれとは、構造的に全く異なる、と言う専門家の見解も有ります。
そう言われれば、チンプやゴリラに腰痛や難産、静脈瘤、椎間板ヘルニアなど聞いたことが有りませんでしたね。

>チンパンジーの生息環境のどこに、下手すると二足のほうが経済的なほど、二足歩行を進化させる淘汰圧があったんでしょう?

私は単に、どちらも妥協の産物だ、と言っただけですが。
樹上と平地の両方を生息環境としている以上、当然のことだと思いますが、それが何か?

43:2007/08/30(木) 20:47:12 ID:ToCfhv1w
RE ミケさん

>え?
>>18-20でミケに質問に答えさせておいて、
ミケの質問(>>19)には答えないでドロップアウトする、
って読めますけど、まさか違うよね?
月末月始が過ぎれば質問には答えてもらえると受け取っていいんですよね?

既に述べている通り、殆ど水掛け論の様相で、今までの「長い長い」私の書き込みで対応できていると思っていますので、特に気にしていませんでした。

例えば、

>さて、それじゃ私の質問にも答えていただきましょうか。
1.直立二足歩行に「なれなかった」ヒヒについて、そのことによる不都合は何か?の質問の意図が分からないので、その辺について触れている投稿を教えてください。

ミケさんは「ヒヒは直立二足歩行できる下地がなかったから直立二足歩行になれなかった。」と、2で、書いていますよね。「なれなかった」と。

素直に読み取れば、「本来直立二足歩行になるべきだったのだが、(下地―ミケさんの言う前適応がなかった為)なれなかった」としか読めません。
だから、その、なれなかったことによる不都合は何か?と聞いたのですが、自分の書き込みに関わる事情さえ飲み込めないらしい。
その辺のミケさんの問題意識の軽さに、今ちょっとお付き合いしかねる。と言うことです。

或いは、
>仮に、「チンプも実はかつて常時直立二足歩行を獲得していたが、後に二次的に二足歩行を失っていた」なんてことが明らかになったらどうします?

こう言う「超越的理論」について、頭の中だけのおとぎ話、空想物語と言いたい訳です。
少しでも、化石や進化人類学の書籍をかじったものなら、絶対出てこない珍論です。
化石発見に至る底知れない苦労や、地道なフィールドワークに思いを致せば、怒りさえ感じる軽さです。

だからこれも………、
若し本当にミケさんの主張が正しければ、これはもう「アクア説」など、ハダシで逃げ出す程の、進化人類学上の革命的理論です。ミケさん、まあせいぜい頑張って下さい。

としか言いようがないのです。

逆に、繰り返し生存年代や、専門家の解説も含めて指摘している次の私の質問………、
>>ラミダスやトゥマイによって完全に破綻したサバンナ説の後、そもそもサバンナに進出したとするヒト(そしてヒトだけが)は、何故、サバンナで四足歩行を捨てなければならなかったのか?

については、

>知りません。現在では証拠不十分です。

と、にべもありません。
これでは、そもそも意見交換の意味さえ有りません。

私は、ミケさんと違って頭の中だけでなく、一応書籍などで、研究者の苦労の結果である「事実」に当たります。
だから結構、コメントに時間が掛かります。とてもミケさんの頭の中に迄、お付き合いは致しかねる、と言うのが今の感想です。

と言うことで、ミケさんとは「見解の相違」と言うことで良いんじゃないですか。


事実に基づいた、新しい論点が有りましたら、コメントさせて頂きます。

44shinok30:2007/08/30(木) 20:48:39 ID:hGaYHI42
>>38
>隣のプロコンスルを、私が間違って「隣に居るのは現生チンパンジーです」と紹介したとして、
>shinok30さんは、その「大差」を直ぐに見抜けますか?

チンパンジーを始めとする現生類人猿には,樹上ぶら下がり行動(ブランキエーション)に対する適応
(長い腕,幅広い胸郭,背側に位置する肩甲骨,やや上をむいた肩甲骨関節窩,球状の上腕骨頭,
 糸巻き状の上腕骨滑車,縮小した尺骨肘頭,ふくらんだ球状の上腕骨小頭,丸い橈骨骨頭,
 手首の尺骨の茎状突起が縮小して手根骨とのあいだに軟骨性の関節円板を介することによる手首関節の可動性を増大,
 膝関節おける幅広い膝蓋骨や大腿骨顆などの特徴)が見られますが,
プロコンスルはそのような特徴を持たない原始的な「樹上四足歩行者」であり,その違いは明らかでしょう

>現生の類人猿は多かれ少なかれ樹上からのぶらさがり型の運動・姿勢様式に適応しているが,
>Proconsul にはそのような特徴は見られず,むしろ現在の新世界ザルの一部に見られるような特殊
>化の程度が低い樹上性四足歩行者であったと考えられる。一応,原始的な類人猿とされることが多
>いが(Conroy, 1990, 1997; Fleagle, 1999),現生の旧世界ザルと類人猿が分岐する以前に位置する
>原始的狭鼻猿とする意見もある(Harrison, 1987)。
ttp://www.geog.or.jp/journal/back/pdf111-6/p798-815L.pdf

>お願いします。生物学一般のお話をしているのでは有りません

いや,『普通は有り得ない』と,生物学一般の話をしたのは雄さんのほうですよ
>>30
>つまり、A と言う共通の祖先から A1、A2、A3 と言う順序で、種が分岐したことが
>分かっていたとして、A1とA3は比較的似ているのに、
>A2だけがとんでもなく違っていると言うことは、普通は有り得ない。

ハクジラの一部(ミリンコヴィッチらによれば,マッコウクジラに近縁なグループ)からヒゲクジラが進化し,
食肉目の一部(クマ類に近縁グループ)から鰭脚類が進化したように,
『A1、A2、A3 と言う順序で、種が分岐して』いても,
『A1とA3は比較的似ているのに、A2だけがとんでもなく違っている』ことは普通にあり得ます

>shinok30さんは、アフリカやスマトラの密林に住むサルたちと、ニューヨークや丸の内の
>高層ビルで働く、ビジネスマンやOLを見て、単に形態的・生態的差異程度だと思いますか。

そもそも「高層ビルで働く、ビジネスマンやOL」は,
「生物としてのヒト」の典型例として適切だとは思えません
アフリカやスマトラの密林に住むサルたちと比較するなら,
アフリカやスマトラの狩猟採集民としてのヒトの方が適切でしょう

「生物としてのヒト」とチンプとの形態的・生態的な違いは
クマ類と鰭脚類の差異よりも小さいでしょう

45ミケ:2007/08/31(金) 02:55:13 ID:???
>>43
あらあら、こちらはわざわざ、
今までの長い長いレスの中で対応できているものを、
あえてあなたに分かりやすいように答える工夫をしてあげたのに
そちらはそういった苦労は回避するわけですね。
自分の説明が悪いかもしれないとか、資料が足りないかもしれないとか思わないんですね。
著書を読んでいただければ、などといいながら、
著書のタイトルも論文のタイトルも紹介してないのもいただけません。

>私は、ミケさんと違って頭の中だけでなく、一応書籍などで、研究者の苦労の結果である「事実」に当たります。
>だから結構、コメントに時間が掛かります。

すごい言いがかりですね。
各論が私の頭の中だけではないことを示すためにいくつもHPを紹介したのに、
読まなかったのはあなたなんですよ?(>>7
私の論が私の頭の中だけのものかどうか、あなたは確認できたはずなのにしなかった。

あー、オマケ。書籍が悪いとはいいませんけど、
本って査読ないので、基本的に言ったもん勝ちなのですよね。
特に「考え」の部分。
研究者の苦労の結果で、かつ科学的成果であるものは、査読のある学術雑誌に論文として掲載されています。
科学的議論を望むのならば、論文に直接当たることをオススメしますよ。
私が>>3で紹介した英語版Wikipediaには、アクア説に触れた論文が紹介されていますよ。
そのあたりの記事および文献を読めば、アクア説がどのような扱いを受けているか分かるでしょう。

46ミケ:2007/08/31(金) 03:43:07 ID:???
>1.直立二足歩行に「なれなかった」ヒヒについて、そのことによる不都合は何か?の質問の意図が分からないので、その辺について触れている投稿を教えてください。
>ミケさんは「ヒヒは直立二足歩行できる下地がなかったから直立二足歩行になれなかった。」と、2で、書いていますよね。「なれなかった」と。
>素直に読み取れば、「本来直立二足歩行になるべきだったのだが、(下地―ミケさんの言う前適応がなかった為)なれなかった」としか読めません。
>だから、その、なれなかったことによる不都合は何か?と聞いたのですが、自分の書き込みに関わる事情さえ飲み込めないらしい。
>その辺のミケさんの問題意識の軽さに、今ちょっとお付き合いしかねる。と言うことです。

あー、はいはい、>>2に対するレスで>>9のときに言ってたんですね。
それは単にコストと利益のトレードオフでしょう。
「Aのほうが絶対的に不都合だからAからBに移行する」
などという単純明快な進化はほとんど起こりません。
「AよりもBのほうがコストが低い」等、相対的な理由によって起こるんですよ。
だからこそ進化は「間に合わせ」であり、最適解ではなく局所解なのです。
ヒヒにおいては二足歩行のメリットよりも二足歩行へ移行するコストのほうが高かったために二足歩行になれなかった。
したがって、四足歩行が不都合だったと仮定する必要がありません。

47ミケ:2007/08/31(金) 03:43:35 ID:???

>或いは、
>>仮に、「チンプも実はかつて常時直立二足歩行を獲得していたが、後に二次的に二足歩行を失っていた」なんてことが明らかになったらどうします?
>こう言う「超越的理論」について、頭の中だけのおとぎ話、空想物語と言いたい訳です。
>少しでも、化石や進化人類学の書籍をかじったものなら、絶対出てこない珍論です。
>化石発見に至る底知れない苦労や、地道なフィールドワークに思いを致せば、怒りさえ感じる軽さです。

オイオイ……。それはただの喩えですよ?
私自身がそんな論を主張しているとでも思ったんですか?
あなたが、必要以上に「二足歩行するのがヒト」という定義にこだわっているのを見て
生物分類上の定義・基準とは変わりうるものであり、
定義にとらわれすぎるのは危険であると忠告したんです。

今はヒト祖先系統とそれ以外の系統を区別するのに
「直立二足歩行が一番使える」からそう定義しているだけのことであり、
その定義はのちのち(鳥の定義のように)覆る可能性もある。

だからこそ、「定義と矛盾するから間違いだ」という考えは危険なのです。
定義と矛盾するような事実が出てきた場合に、
頬かむりをして見なかったことにしてしまうかもしれない。

生物学を学んでいく上で、いや、科学ならなんでもそうです。
定義というのは単なる「名前」に他ならない。
定義に矛盾するから間違いだ、というのが通用するのはせいぜい数学くらい。
定義と現象に矛盾があったら、それは定義の設定か運用のしかたがマズイってことです。
今回の場合なら、「直立二足歩行を常時行う」と「直立二足歩行が可能」とを混同した、定義の運用ミス。

しかし問題なのは運用ミスしたことではありません。
あなたは、ヒトの定義と矛盾するからといって、現象のほうを否定しようとしましたね?
「チンプが二足歩行できるとしたら、チンプはヒトになってしまう。したがってチンプは二足歩行できない」と。
定義(しかも運用法を間違っている)なんぞのために現実から目を背けようとしたのですよ、あなたは。

それがあなたにとっても良くないと思ったから、わざわざ文を割いて忠告したのですよ。
「直立二足歩行するのがヒト系統」という定義だって、こういう事実があれば覆るでしょ。
だから定義を絶対視して現象を否定するのはダメだよ、という意味でね。

48:2007/08/31(金) 07:19:51 ID:ToCfhv1w
RE ミケさんへ

繰り返しますね。

事実に基づいた、新しい論点が有りましたら、コメントさせて頂きます。


それからこれはおまけ

>あー、オマケ。書籍が悪いとはいいませんけど、
本って査読ないので、基本的に言ったもん勝ちなのですよね。
特に「考え」の部分。

そうなんでしょうね。
でも、頭の中だけの空想物語よりいいと思っています。例えば………、

>仮に、「チンプも実はかつて常時直立二足歩行を獲得していたが、後に二次的に二足歩行を失っていた」なんてことが明らかになったらどうします?

こんなおとぎ話よりはね。


>オイオイ……。それはただの喩えですよ?
私自身がそんな論を主張しているとでも思ったんですか?

そう思っていました。
私に揶揄されたから「喩え」だなどと言い直しにかかっていますが、効き目が有ればそのまま通していただろうと………。
ご都合主義者には良く見られる風景ですから。
そうでなく若し喩えだとしたら、それはそれでこんな時、「化石発見に至る底知れない苦労や、地道なフィールドワークに思いを致せば、怒りさえ感じる軽さです」。

そう言う人に、定義についての講釈を伺っても、あまり説得力を感じません。
定義に限らず、概念、言葉一般にはそれが形成されるまでに多くの内容が吟味されています。
定義を学ぶことは、その内容を学ぶことなんですね。定義をあやふやにする態度も、私からすればあまり感心しません。

勿論科学的定義も、当然変遷することは有り得ますよ。それはそれに含まれる内容(内包)が変わったときです。

例えば光は、最初「光線」でした。ニュートンによる粒子説の内容を反映した概念です。
しかしその後、特にヤングの二重スリット実験によって、波として考えないと説明がつかない現象がハッキリし、おそらくマクスウェルの方程式とも関連して「電磁波」になりました(電磁波は、可視光線だけの概念でなく、もっと広い内包に至りますが)。

今ではアインシュタインの光電効果などから、光線も復活し、電磁波と両方が使い分けられるようになっています。

「ヒト」の定義・概念も、今後の知見によってより豊かな内容を含むようになるでしょう。
しかし少なくとも現在、直立二足歩行という内包抜きにヒトを語ることは出来ません。

その意味から言って、喩え話にしても………、
「チンプも実はかつて常時直立二足歩行を獲得していたが、後に二次的に二足歩行を失っていた」……なんて表現が、どう言うことか、お分かりになりますよね。

もう、本当に終わりにしませんか?
ミケさんのお説はお説で、結構ですから。

49ミケ:2007/08/31(金) 11:17:06 ID:???
>私に揶揄されたから「喩え」だなどと言い直しにかかっていますが、効き目が有ればそのまま通していただろうと………。

結局具体的な反論も、文矛盾点を指摘できないで苦し紛れに「言い直しだ」などと言いがかりをつけれられるのは心外ですね。
ご都合主義とのたまうからには、
>>19の本文と、>>47の解説を比較した上で、矛盾点を指摘すべきではないですか?
(そもそも>>19で【仮に】って言ってるでしょうに)

その上、
>しかし問題なのは運用ミスしたことではありません。
>あなたは、ヒトの定義と矛盾するからといって、現象のほうを否定しようとしましたね?
>「チンプが二足歩行できるとしたら、チンプはヒトになってしまう。したがってチンプは二足歩行できない」と。
>定義(しかも運用法を間違っている)なんぞのために現実から目を背けようとしたのですよ、あなたは。

これについて何の弁解もないのはいただけません。

>しかし少なくとも現在、直立二足歩行という内包抜きにヒトを語ることは出来ません。
で、あなたはその【直立二足歩行を常時する】というのを、【直立二足歩行可能】と取り違え、
『チンプが直立二足歩行可能ならヒト定義と矛盾する、したがってチンプは直立二足歩行不可能だ』
というアクロバティックなで事実を無視した結論を導こうとした、
という私の解釈に間違いありませんか?
間違いがあるなら弁解をお願いします。


ついでに、ここを去るのなら、私含め掲示板の数名を、
サバンナ説支持者と勘違いした上で「サバンナ説信者」と揶揄した問題についてもケリをつけていって欲しいものですね。

もう一つ、あなたは
>地道なフィールドワークを思えば怒りさえ感じる
等々とおっしゃいますが、
多くの学者がフィールドワークに加えて地道な実験や検証作業をし、
さらにそれを、別の学者が間違いがないかチェックする、
こうして論文ができて学界の方向がきまっていく。
そしてアクア説はそうした学界の中で、主流には受け入れられていない。
(Wikipediaより:>The AAH has been poorly received in mainstream paleoanthropology (Lowenstein & Zihlman 1980, Langdon 1997)


アクア説が主流に受け入れられていないのは、有効な証拠がないからであり、
地道なフィールドワークや実験・観察を積み重ねた結果、
主流な学者達はアクア説がなくても説現状を明できると判断しているからです。

こうした過程を無視して、
テレビの復元画像を見ただけで過去の本物を見たような気になり、
思い込みでサルは二足歩行できないと言ってみたりしながら
徒に証拠もない主流でもないアクア説を持ち上げることは、
私からすれば主流の学者達の地道な研究活動(二足歩行コストの実験も含め)を思えば怒りさえ感じます。

著書より論文のほうが、、、という指摘に「そうなんでしょうね」と答えるなら
あなたよりはマシとかくだらない自己満足に浸っていないで、
論文を読んだり探したりの訓練をするほうがあなたには先決なのではないですか?
さらにその前にあなたの場合は、進化学の考え方や方法論の基礎を積んだほうが良い気もしますね。

50ミケ:2007/08/31(金) 11:28:40 ID:???
まとめておきます。

1.雄さんは私含め掲示板の数名を、サバンナ説支持者と勘違いした上で「サバンナ説信者」と揶揄しましたが、これについて何か言うことはありませんか?

2.雄さんは、『チンプが直立二足歩行可能ならヒト定義と矛盾する、したがってチンプは直立二足歩行不可能だ』
という方法でチンプは直立二足歩行できないという結論を導こうとしていたようですが間違いありませんか?

3.地道なフィールドワーク云々と言いますが、それは主流派(アクア説以外)の学者たちも同じことです。
 3−a)アクア説が学界で主流でないのは知っていましたか?
 3−b)学界で主流となっていないアクア説をことさら持ち上げるのは、アクア説を支持しない多くの学者の研究努力を無視することになりませんか?

51AH1:2007/08/31(金) 11:29:17 ID:lWWemAT6
>だからこそのアクア説です。そのメカニズムの紹介は機会と時間を見て致します。

アクア説については否定はしませんし、可能性はあるし面白くもあるが、現時点で積極的に支持する証拠はないと判断しています。
(この説が正しいことは、もし正しければうまく説明ができるということ自体が保証している・・というのはちょっと弱い)

>そう言われれば、チンプやゴリラに腰痛や難産、静脈瘤、椎間板ヘルニアなど聞いたことが有りませんでしたね。

それが質的なものか量的なものか、という判断は難しいと思います。

>>チンパンジーの生息環境のどこに、下手すると二足のほうが経済的なほど、二足歩行を進化させる淘汰圧があったんでしょう?
>私は単に、どちらも妥協の産物だ、と言っただけですが。
>樹上と平地の両方を生息環境としている以上、当然のことだと思いますが、それが何か?

要するに私は雄さん程には「地上でのロコモーションはヒヒと同じ方式しかあり得ない」と信じることができない、という事であり、
「最節約的に考えるなら二足歩行が独立に進化したと考える理由は特にないのではないか」という事です。
ニホンザルは地上と樹上の両方に適応しているのに、なぜナックルウォークをせず、ブラキエーションせず、二足歩行も(イモを抱えて歩くことは稀にあるが)しないのでしょうね。
その辺がすっきりしない、ということです。

基本的に雄さんが最後に書かれていた「専門家の間でも意見が割れており」という見解には、それが「決定的な証拠はどの説も持っていないようだ」という意味であれば同意します。サバナ仮説にしたところで、平地で二足歩行することにどんなメリットがあったか、その点の意見も様々ですから。
投稿を繰り返したのは、最初に雄さんが「サバンナ仮説は終った」と仰りたいようだったので「それはまだ早いんじゃ?」と思ったこと、
また、説明される中で披露された雄さんの進化理論の理解に違和感があったためです。

52AH1:2007/08/31(金) 11:33:28 ID:lWWemAT6
51の補足

「決定的な証拠はどの説も持っていないようだ」ですが、現時点で主流となっている学説が
「とりあえず、平地に出て来た類人猿なんだろう」であることは承知しています。
(ミケさんに叱られそうだから)

53PDX.:2007/08/31(金) 12:15:32 ID:NtVg0xZw
>チンパンジーの難産

 何を持って「難産」と定義するか次第かもしれませんが、とりあえず Google で「チンパンジー 難産」で検索してHITした中で面白そうな記事を。

人間の分娩は難産が多いのか?
ttp://ameblo.jp/nlcblog/entry-10032587859.html
ttp://ameblo.jp/nlcblog/entry-10032786774.html
 産婦人科医の方のブログ。
 ニホンザルとチンパンジーとヒトの分娩を比較して、チンパンジーはニホンザルより難産だと表現しています。

>まとめ。

>チンパンジーは胎児の頭部がニホンザルよりも
>相対的に大きくなり難産になり、
>直立歩行が増え骨盤が上下に圧縮され難産になる。


>ヒトの骨盤とその入口部。

>これらのことから、チンパンジーの場合、
>確実に分娩所要時間の延長が見られ、
>ある意味では人間に近い、いわゆる難産になってきている。


 飼育下の個体ではなく、野生状態のサルやチンパンジーの観察を行い、妊娠したメスがどのくらいの時間をかけて分娩するのか、死産の確率や、メスが死んでしまう確率も求めないといけないのではないか?とか思いますけど、参考程度にはなると思います。

 腰痛とかはそもそも、ゴリラやチンパンジーの行動から彼らが腰の痛みを覚えていることを判定しないといけないから大変そうだなぁ(笑)
 椎間板ヘルニアについては、ゴリラやチンパンジーではなくてダックスフンドの記事が多数HITしました。

54shinok30:2007/09/01(土) 04:56:56 ID:n54teYTI
>>49
>著書より論文のほうが、、、という指摘に「そうなんでしょうね」と答えるなら
>あなたよりはマシとかくだらない自己満足に浸っていないで、
>論文を読んだり探したりの訓練をするほうがあなたには先決なのではないですか?
>さらにその前にあなたの場合は、進化学の考え方や方法論の基礎を積んだほうが良い気もしますね。

雄さんは,行動様式や骨格について,プロコンスルと現生チンプで「大差ない」「区別できない」人ですからね
(要するに,「ヒトとヒト以外のサル」という区分なんでしょう)
行動様式の進化について語る以前に,行動様式の分類や認識があやしいということです

雄さんの考えるヒトとチンパンジーの共通祖先はどんなものなのでしょう
1.プロコンスルのような樹上四足歩行者
2.現生チンプのように樹上ぶら下がり行動に適応しているが,現生チンプと違って二足歩行はまったく行わない
(たぶん,雄さんは1と2の区別ができないでしょうが)
普通に事実(現生チンプとヒトの行動様式と骨格)に即して考えれば,分岐直前の共通祖先は
3.樹上ぶら下がり行動に適応し,現生チンプと同程度には二足歩行も行っていた
でしょうし,それを否定する証拠は現時点では特にないんですけどね

しかし,樹上ぶら下がり行動に関しては(私がなんども主張しているように)化石の証拠から,
少なくともテナガザルの系統とゴリラ・ヒト・チンプの系統とオランウータンの系統で独立に進化したらしいですし,
もし,樹上ぶら下がり行動が二足歩行の前適応であるなら,
ゴリラ・ヒト・チンプの二足歩行とオランウータンの二足歩行は独立かもしれません

また,二足歩行の前適応としては,樹上ぶら下がり行動の他に,
垂直木登り行動やナックル歩行を重視する説もあり,
特に類人猿の多くで見られるクモザル型の垂直木登り行動の後肢の筋の使い方が
ヒトの垂直二足歩行と共通点が多いという研究もあります
>木登り運動と直立二足歩行の進化
ttp://inago.hus.osaka-u.ac.jp/images/kiyou/29/29-05_hira.pdf
プロコンスルの木登りは,その骨格からみて,
おそらく(クモザル型よりも前肢の力を多く使う)ニホンザル型の木登りだったと推測されますが,
ヒトとチンプの分岐直前には,少なくとも現生チンプ程度にはクモザル型に進化し,
それが直立二足歩行の前適応となったと推測するのはそれほど無理なことではないでしょう

55:2007/09/01(土) 15:48:16 ID:ToCfhv1w
>雄さんは,行動様式や骨格について,プロコンスルと現生チンプで「大差ない」「区別できない」人ですからね

shinok30さんは、他人にアレコレ言う前に、先ず自分の宿題を済ませる必要が有るんじゃないですか。
元々この問題は、現生チンプなどでなく、プロコンスルとサンブルピテクスの違いの問題だったんですよ。それもあなたが私に持ち込んできたクレームです。

>プロコンスルは約1800万年前
サンブル・ホミノイド改めSamburupithecus kipthalaniは約950万年前
時代が全然違う共通祖先を「いずれにしても大差は無い」というのは無茶(31)

元々私は断定でなく推測として、プロコンスルとサンブルピテクスの間に「いずれにしても大差は無いでしょう。」と書いているのを(15)、shinok30さんは「いずれにしても大差は無い」と書き換えた上で、「無茶」と切り捨てているのです。


そのくせ44でも今回(54)でも、自分で持ち込んできたサンブルピテクスについて、一切ホッカムリじゃないですか?
都合の悪いことはスルーですか?

現生チンプを引き合いに出したのは、一つの思考実験として私が持ち出しただけです。

shinok30さんが31で述べているように、1800万年前のプロコンスルと現生チンプの違いを、ネットででも検索すれば、それは当然幾つかでてくるでしょう。
しかし普通の人が見て、直ぐそこにどれ程の「大差」を見出すか、私は多いに疑問ですが、shinok30さんはその、チンプとの「大差」とやらを44で並べ立てた上で………、

>プロコンスルはそのような特徴を持たない原始的な「樹上四足歩行者」であり,その違いは明らかでしょう

…と続けておられます。
サンブルピテクスも、原始的な樹上四足歩行者ですよ。あなたが挙げられたプロコンスルと同じくね。
shinok30さんは自分で持ち込んできた、サンブルピテクスについて、一切触れることが出来ないか、或いは肝心な点に目をつむるという、不可解な「行動様式」を取っているにも関わらず、

>雄さんは,行動様式や骨格について,プロコンスルと現生チンプで「大差ない」「区別できない」人ですからね

等と、内容を捻じ曲げて揶揄した積りになっている。
他人への批判は先ず、自分のお尻を拭いてからのことだと思うのですが、如何ですか?

私は環境に依存している野生動物は、その環境に大きな変化が無い限り、形質上の変化は非常に緩慢だと思っています。プロコンスルとサンブルピテクスの間にも、少なくとも歩行方法において「大差」は無いだろう、と今でも思っています。

尤も、サンブルピテクスの段階で、自然環境の大きな変動が有り、突如平地に下りて、二足歩行の練習を始めたとする新説(珍説)を、shinok30さんが提唱するということなら又話は違ってきますけどね。
その頃は未だ、アフリカにサバンナや、サバンナ・森林モザイク状態は形成されていなかった筈ですが。

プロコンスルの骨格から予測して、そしてshinok30さん自身認めているように、専ら樹上生活に特化していたプロコンスルやサンブルピテクスが、樹上と平地の両方に適応してきたチンプと比較して、若しかしたら樹上での対応は現生チンプより洗練されていたかも知れませんが、平地での二足歩行に関して、チンプと同程度洗練されていたとは、私には決して思えません。

56:2007/09/01(土) 15:51:11 ID:ToCfhv1w
>雄さんの考えるヒトとチンパンジーの共通祖先はどんなものなのでしょう

私は前適応や萌芽的な二足歩行を全然認めないと言うことでは有りません。
ブラキーションは、おそらく前適応とはなり得ないと思いますが、枝から枝へ飛び移って移動することが困難な大型類人猿において、木から木への移動に際しての木登り・降りの行動は前適応となり得ただろうし、木から木への一時的な平地の移動に二足歩行が使われたのかも知れない、と言う説があることも承知しています。
萌芽的な二足歩行を発展させていた、とすることに何の不自然さも感じません。

しかし、そう言う色々な状況が考えられるとして、それらは全て「だからヒトは、サバンナで、或いは樹上生活のときから、二足歩行に適応『できた』」と言うことを説明する為の議論ですよね。
ミケさんの論調は全てそうです。

私の問題意識は「出来たか、出来なかったか」でなく、「そもそも何故ヒトは、そしてヒトだけが直立二足歩行を発達させなければならなかったか、何故四足歩行を捨てなければならなかったか」です。

そしてこの問題についての明確な回答を、この板でどなたからも伺った記憶が有りません。
只一つ「それは省エネの為だ」と言う程度です。
省エネ説については既に反論済みです。


木登りなどの前適応が有れば、直立二足歩行に移行する「必要」が出来たとき、多少は役に立つでしょう。でもその必要が無いとき、前適応に全く意味は有りません。

パタスモンキー、ミーアキャット、プレーリードッグ、それにAH1さんによればゴアナやイタチもだとのことですが、必要に迫られれば、種や属を超えてキレイな直立姿勢を示します。
これらの祖先に直立姿勢への、どう言った前適応が有ったのでしょうか?
ミケさんの仰るように、サバンナに出る前の共通祖先の段階で、直立姿勢に有る程度「洗練」していたのでしょうか?

共通祖先の段階で、サバンナであれ、樹上であれ、或いは密林や水辺であれ、萌芽的に直立二足歩行を発達させただろうことを、全て否定するものでは有りませんが、その中で直立二足歩行に特化したのはヒトだけです。

私はミケさんに、地球上のあらゆサルたちの中で、只の1件でも良いから、常時直立二足歩行に特化したという観察例、或いは逆に60億の人間の中で只の1件でも良いから、ハイハイのまま四足歩行で通したという例が有るか、と2回も聞きました。

でてきたのが、これです。
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0b/Orangutan.jpg
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%8E%E3%83%9C

チンプやボノボが時折直立して二足歩行することくらい、私の書き込みでも何回も出ています。
要するにこんなものしか出せない訳です。
問題は時折二足歩行をする動物は結構有るのに、その中で応急的以上に直立二足歩行に「特化」したのは、ヒトだけだと言う事実です。
何故ヒトは、他の類人猿と同じようにナックル歩行程度で納まらなかったのですか?
或いは何故そもそも、サルたちの楽園である森林を捨てなければならなかったのですか?

サバンナは、まあ言わば草原です。草食動物でない祖先たちがサバンナで生きてゆくには、その草食動物の狩りをしなければなりません。或いは獰猛な捕食者から逃げなければなりません。
草食動物にしても、チーターやライオンなどの捕食者にしても、例外なく四足歩行の達人たちです。

チーターやライオンでさえ、狩りが常に成功するとは限りませんが、そんな中にヨチヨチ歩きのヒトが出て行ったら、絶好のカモになったと思わないのですか?
狩りが成功することなど、絶対に有り得ないと思わないのですか?
どうしてそれまで慣れ親しんだ四足歩行を捨ててまで、二足歩行で追いかけたり、逃げたりしなければならなかったんですか?

私はそんなことをしていたら、二足歩行に習熟する前に、全て餓死をするか食われて絶滅するだろうと思いますが、私のこの考えが「無茶」ですか?

57:2007/09/01(土) 15:51:37 ID:ToCfhv1w
皆さんは「サバンナ説」とラベリングされるのには抵抗が有るようです。
しかし、アクア説、サバンナ説(サバンナ・森林モザイク説を含む)以外に、系統だって提唱された説が有ったら聞かせて下さい?
そもそもアフリカの地質学的な歴史からして、他にそんなには「人類起源説」は有り得ないのですよ。有ると仰るなら聞かせて下さい。

アフリカにサバンナが広がる前の時代に生きていたとされる、ラミダス化石(440万年前)が発見されたころから、そもそもヒトの起源としてサバンナ説はその根拠を失ったと言えます。
イーストサイドでもない、チャドで発見されたトゥマイの発見で、起源説としてのイーストサイドストーリーは、完全にその基礎が崩壊しています。
提唱者のイブ・コパン自身、既に自説を撤回しています。

サバンナに限らず、木の上であれ、森林の中の平地であれ、どこであれ、他の動物は四足で何の不自由なく暮らしています。
私はミケさんの「ヒヒは直立二足歩行できる下地がなかったから直立二足歩行になれなかった。」とする書き込みに対し、「じゃあ、それによる不都合は何だ?」と聞きましたが、答えを頂けませんでした。
要するに、四足歩行である為に不自由なことなど、何も挙げられないのですよ。

しかし、現実にヒトは直立二足歩行を発達させた。

私はミケさんに対し、「混乱している」私に、その直立二足歩行に至る契機とその経過についての、混乱の無い、オッカムの剃刀の効いたシナリオを示してくれるよう、繰り返しお願いしてきましたが、今までに明確なお返事を頂いていません。

>雄さんは,行動様式や骨格について,プロコンスルと現生チンプで「大差ない」「区別できない」人

…とするshinok30さんでも構いません。
「行動様式の分類や認識があやしい」私に是非………、

何故ヒトは楽園の森を捨て、サバンナに出なければならなかったか?
森の中で二足歩行を発達させたとするなら、どう言う隔離が有ったのか?
森の中であれ、サバンナであれ、ヒトはそもそも何故直立二足歩行などと言う、奇妙なロコモーション様式を選択しなければならなかったのか?

「分類や認識があやしい」私に、是非分かりやすく教えて下さい。
繰り返し述べているように、納得できれば直ぐに、ミケ教でもshinok教でも、即座に宗旨替えをいたしますから。

その問題意識の前には、そもそも私にとって、共通祖先がチンプと同程度に二足歩行に洗練していようが、前適応が有ろうが無かろうが、クモザルがどうの、大した問題ではないのです。言わば瑣末な問題なのですよ。

サバンナ説、森林モザイク説、何でもいいです。どこで進化したとしてもいいですが、兎も角直立二足歩行の契機を説明できないアレコレの「説」に、人類起源を語る資格は有りません。

直立二足歩行に適応「出来た、出来ない」論は、もう結構です。私を非難するのもどうぞご自由に。
しかし、是非「何故、ヒトだけが直立二足歩行に進んだか、進む必要が有ったのか」その説明をお願いします。
立場は、サバンナ説であれモザイク説であれ、砂漠説であれなんでも構いません。


その説明として「アクア説」を一寸まとめようと思いましたが、又、こんなことで前に進みません。その件はなるべく近いうちに。

58:2007/09/01(土) 18:10:44 ID:ToCfhv1w
そうそう、一つ確認して置きます。

プロコンスルとサンブルピテクスの、歩行様式について「大差はないでしょう」とする私の推測書き込みに「無茶だ」と仰るshinok30さん、教えてください。

若し、そこに「大差」が有ったのなら、サンブルピテクスの化石を発見した、石田英実、現京都大学教授は、発見した時点で即座にその大差を見抜き、今までにない種だと判断できた筈ですが、それはどう言う大差によるものですか?

そして本当に、それ程簡単に同定できたのですか?

59しろうと:2007/09/01(土) 19:33:08 ID:BPiKEwWk
その昔サルが立って2本足で歩いたら人間になってしまったんですか?
いったい何匹のサルが歩いたんですか?オスもメスも同時にですか?

60shinok30:2007/09/01(土) 20:06:55 ID:mfBEj/cI
>>55
>サンブルピテクスも、原始的な樹上四足歩行者ですよ。あなたが挙げられたプロコンスルと同じくね。

石田とピクフォードが記載したSamburupithecus kiptalamiは左上顎骨の化石ですよ
これを「原始的な樹上四足歩行者」であるとする根拠は何ですか?

>>58
>プロコンスルとサンブルピテクスの、歩行様式について「大差はないでしょう」とする
>私の推測書き込みに「無茶だ」と仰るshinok30さん、教えてください。

>若し、そこに「大差」が有ったのなら、サンブルピテクスの化石を発見した、石田英実、現京都大学教授は、
>発見した時点で即座にその大差を見抜き、今までにない種だと判断できた筈ですが、それはどう言う大差によるものですか?

サンブルピテクスの分類学的位置が定まらなかったのは,前述のように化石が一部分しかなかったからです
そして,それは現在もまだ議論中です

>サンブルピテクス(950万年前、ケニア)
> 1982年9月、石田英實率いる大阪大学東アフリカ調査隊は、ケニアのサンブルヒルズに露出する
>ナムルングレ累層から、大型ヒト上科の左上顎骨(サンブル・ホミノイド)の化石を発見した。放射
>年代測定・フィッショントラック等から950万年前と年代測定されている。この化石は1984年に予
>備的な記載がなされて以来、ずっとそのままだった。この辺りの事情は立花隆のベストセラー『サル
>学の現在』に詳しい。1997年、石田とピクフォードはこの化石を新属新種Samburupithecus kiptalami
>サンブルピテクス・キプタラミとして記載した。大きなサイズ(ゴリラのメス位)、やや弓形に曲がった
>口蓋、鋭く縁取られた鼻縁、低い位置から起こる頬骨の基部(強い突顎度)、真っ直ぐな頬歯列(U字形の
>歯列)などの特徴を持つ。1998年、ピクフォードと石田は、他の現生・化石ヒト上科との比較から、サン
>ブルピテクスはアフリカ類人猿−ヒトクレードに属し、少なくともケニアピテクスよりも後に分岐したと
>する論文を書いた。それ以上詳しい系統位置は不明とし、1)ヒトと他のアフリカ類人猿が分かれる前に分岐、
>2)分かれた後のアフリカ類人猿の側、3)分かれた後のヒト科の側、の3つの可能性を示した。歯のエナメル
>質が厚い、大臼歯で第三大臼歯が最大である、口蓋が類人猿よりも深い、等の特徴はプラエアントロプス
>等の初期ヒト科に似ている。
ttp://www.geocities.jp/yiu_ma/callianopsis/paleoanthropology.html

サンブルピテクスは発見された年代(950万年前)からヒトとチンプやゴリラの分岐に近いところから発見された化石であり,
その分類学的位置が分岐前であれ,ヒト側であれ,チンプ・ゴリラ側であれ,
ヒトとチンプの分岐よりもかなり古い時代(約1800万年前)から発見されたプロコンスルとは意味が異なりますよ
プロコンスルはミケさんの言う「ヒトとチンプの共通祖先」(ヒトとチンプの分岐直前の共通祖先)である可能性は少ないですが,
サンブルピテクスはヒトとチンプの分岐直前の共通祖先に近い可能性があります
だからこそ,「時代が全然違う共通祖先を『いずれにしても大差は無い』というのは無茶」と書いたのですよ
何が「無茶」と言われたのか全然理解できていないから,
「現生チンプとプロコンスルの「大差」を直ぐに見抜けますか?」と思考実験(?)して恥の上塗りをしたり,
顎の骨しか見つかっていないサンブルピテクスを「原始的な樹上四足歩行者です」と根拠なく断定したりしてしまうんですよ

61NAN:2007/09/01(土) 23:00:45 ID:???
すでに終わりかかっている風情も感じますが、せっかくレスをいただいたので再び。

>>本来はその近縁度を反映して、外見・行動様式などが、ヒトとチンプで最も似通っているべきですが、現実はヒトだけが、取り分け行動様式の点で飛びぬけて特殊です。

同意しかねます。
なにかの行動・生態を「特殊だ」というとき、それがどのような意味において特殊であるのか、私たちは(それが科学的論考であるなら)常に熟慮しなければならない、と思います。確かにヒトは特殊です。しかし、まったく同じようにチンプもゴリラもミツバチも特殊だ、と私は思います。

>>私はこの特殊性を作り出した要因を、「道具」と「言葉」だと思っています。
そしてそれを可能としたのが、他でもない「直立二足歩行」であった、と考えています。

道具については同意します。
しかし、「言葉」についてはどうであろう、と私は首を傾げます。
なるほどヒトの使う言葉は高度に複雑化しており、これはほかのどんな動物よりも「面倒」なものだろう、と私も思います。しかしヒトは、言葉を生得的に得るものではありません。もちろん、それはほかの「言語的コミュニケーション」を行う動物たちにも云えることでしょう。言葉は、学習があってはじめて習得できるものです。
言葉をつかう動物はかなり限られますが、イルカや一部の鳥も言語的なコミュニケーションを行っている、といわれています。

それでは、ほかの動物たちも使う「言語的コミュニケーション」に比較して、ヒトが著しく言葉を発達させた要因はなんだろうか?と考えるとき、それはおそらく「記録性」にほかならないだろう、と私は考えています。そしてそれは、まさに「道具の発達・伝承」と密接に絡むのではないだろうか?と思うのです。

元来、道具には記録性が備わっています。たとえば箱を見れば、その箱がどのように組み立てられたかという過程を見ることができます。縄を見れば、その縄が糸の拠り合わせであることが分かります。棍棒に石を蔓で縛り付けた道具も、やはりその工程が見て取れます。私はこれら道具が持つ記録性の中に、具象から抽象への変換や「記号化」の糸口を見つけることができるように思えます。

究極を云ってしまうと、道具はすべて記号であり、なにかを象徴し記号化され記録しています。音声やボディランゲージのような一時的なものではなく、尿などのマーキングに近いのかも知れません。このように「ことば」は道具の一種ですので、道具と言葉を分けて考える必要性を私はあまり感じないのです。

先にも述べたように、私は「両腕を移動手段から独立させたこと」が主であり「二足歩行」は従である、と考えています。進化生物学的に考えるならば、両腕および指の機能を高度化させる方向の淘汰圧によって、ヒトは直立二足歩行を副次的に得たのではないか?と思うのです。

62:2007/09/02(日) 02:26:39 ID:ToCfhv1w
RE NANさん

人間をどう見るか?と言う問題は、哲学に関わる大きな問題で、さまざまな立場が有り得ますね。
NANさんの見解はそれとして大いに尊重し、参考にさせて頂きます。

私はやはり、人間は(個々の生物が、それぞれに特殊と言う範囲を超えて)、特殊な存在だと言う立場です。

【道具】

道具を使う動物は結構観察されています。或いは道具を作るケースさえ観察されています。
そこには人間の道具との共通性とともに、やはり大きな質的な差を感じます。

人間にとって道具の持つ意味は、私は二つ有ると思っています。

1、道具を作ることを通して、意識を鍛え脳を増大させた

道具を作ると言うことは、仮にそれがどれ程幼稚なものであれ、それを使うことを予想し、その目的に適うように目の前の材料を加工する、と言うことを意味します。
目の前に飛び出してきた獲物を、反射的に捕らえると言った目先の具体的な現象を「感覚」するだけでなく、将来使うであろう時のことが予想出来なくてはなりません。つまりは抽象的な「認識活動」が不可欠です。

或いは、石を割って石器を作ると言う行為は、目の前に有る材料としての石が、石器にとって必要な、「硬い」と言う、既に存在している性質を認識する能力が当然必要です。
同時にそれだけでなく、「尖った形」と言う、未だそこに存在していない性質までも認識する能力が必要です。

目の前の、今現在、直接的に感覚出来ることを脳に反映するだけでなく、将来の予想される出来事、目の前に未だ存在していない要素までも反映する能力。道具を作り、使うことを通じて、幾世代もの時を経て次第に人間の意識が、つまりは脳が鍛えられて来たのだと思っています。

又道具を作り、使うと言うことは手先の器用を促します、それは又、おそらくその働きを司っている中枢神経・脳の発達を促すことになったでしょうね。
道具は人間が作るものですが、同時に道具が人間をつくったとさえ言えるのではないか。

つまりは、最初に頭が良かったから道具を作ることが出来たのではなく、道具を作る過程で抽象的思考、理性的段階の認識に至る道が開けていった。そう言う認識です。
化石が示す、脳容量の増加過程と出土する石器の進化(オルドワンなど)も、それを裏付けていると思っています。

63:2007/09/02(日) 02:27:12 ID:ToCfhv1w
2、道具を使って自然に働きかける道に踏み出した意味

道具は身体器官の延長・代用だと言えるでしょう。

※、道具をさらに二つに分けて、マニュファクチャまでの、狭い意味での、手の延長としての「道具」(例えば、金づち、斧、ヤットコなど)と、産業革命以降の、手の代用としての「機械」に分けて考える場合も有ります。

身体器官と比較した場合の道具の特質は、その発展が遺伝子DNAの変異に依存せず、社会的な知識や技術の集積によって、急速に限りなく発達させることが出来る点です。

恐竜の前足が羽根に変化し始祖鳥になるまでに、何万年或いは何十万年掛かったか、正確なところは承知していませんが、羽根の代用としての航空機は、ライト兄弟の初飛行から僅か100年位しかたっていないにもかかわらず、今や月に人間を送り、太陽系の最外部を覗うまでになっています。

生物学的には、ヒトとチンプの遺伝子的差異は1%とも1.6%とも言われていますが、その遺伝子的差異を乗り越えてのこの違いが、道具による(身体器官の)発達だと、私は認識しているところです。

そう言う意味で私は、やはり人間は特殊な、つまりは社会的な存在ではないか?、と言う立場です。
その社会に、生物学的な法則を機械的に持ち込んで解釈しようとするのが、「社会ダーウィニズム」であろうと思う訳です。


道具は全て記号であり、記録性を持つと言うNANさんのご指摘は、新鮮な見解として受け止めました。今まで問題意識に無かったことです。
見解の相違は有っても、こう言う議論は有意義だし、楽しいですね。

64:2007/09/02(日) 02:27:57 ID:ToCfhv1w
【言葉】

言葉については、地下に眠るM氏もおそらく一家言お持ちで有ろうと思いますが………、

道具と同じく「コトバ」を使う動物も又多く観察されています。
イルカ、クジラ、或いは多くのサルたち。
ある観察によれば、ニホンザルにも30くらいの「コトバ」が有るそうですね。
しかしこれら動物の「コトバ」と比べ、人間のそれはやはり質的に異なるもののようです。

動物のコトバは危険通報や求愛など、本能的な行動(今生物学では、本能と言う言い方はしないらしいのですが、便宜上)と密着していて、そうでない後天的に獲得した知識、例えば幸島のサルのイモ洗いなどは、コトバでなく身振りで伝達されるそうです。

人間の言葉の特質として、2つ挙げられるようですね。

1、分節(文節では有りません)

人間の言葉は、それを構成する単語に分けられます。さらに単語は、それを構成する音に分けられます。
これを人間の言語の「二重分節」と言うそうなのですが、要するに限られた要素(音で言えば100前後、単語なら数万)の組み合わせで、無限の意味内容を、将来に渡っても表すことが可能だと言うことです。

動物のコトバには分節が無いそうです。
確かに二十種、或いは三十種類の、異なる鳴き声を使い分けることが出来ます。しかしその鳴き声は、それに対応したそれぞれ特定な、一つの意味内容しか表すことしか出来ず、それを組み合わせて使うと言うことはできません。
つまり、30種類の鳴き声のバリエーションが有ったとしたら、伝える意味内容も又30種類に制約される、と言うことです。

近年の、スー・サベージ・ランボー博士の有名な研究、天才ボノボのカンジ、パンバニーシャ、或いは京都大学霊長類研究所、松沢博士の、アイ、アユムなどのチンプに於ける、キーボードを使っての言語訓練で、この同胞たちが分節を獲得してゆく過程が見られます。
同時に、下でも触れますが、抽象的思考も獲得してゆくようです。
非常に興味深いものとして、TVの特集番組を見た次第です。

65:2007/09/02(日) 02:28:30 ID:ToCfhv1w
2、恣意性

人間の音声言語に特有な性質として、恣意性が挙げられます。任意性と言っても良いでしょう。
つまり「単語」と「音」には、それをあらわす事柄との間に何の必然的な結びつきが無いと言うことです。
だから、樹木のことを、日本では「キ」、イギリスでは「トゥリー」、フランスでは「アルブル」と言うようなことが有り得る訳です。

それに対し動物のコトバは、本能に直結したものである以上恣意性を持たず、その鳴き声(コトバ)は、それを表す内容と本来的に直結しています。
敵に対峙した時の鳴き声は甲高く、ボスに恭順の意を表す場合には低く柔らかいものになるでしょう。
そう言う意味で、群れを超えて、いや種まで超えて共通だと言えるかも知れません。

言葉を未だ知らない赤ん坊の泣き声で、何を言いたいかある程度判るのも、その泣き声に恣意性が無い為です。
ペットを飼っている人は、日常的にペットとの意思疎通を感じていることでしょう。

対象と直結していることは、動物の鳴き声が、情報を伝える機能と言う点で優れていると言えます。上述したように、そのコトバを知らない人間にさえ、ある程度は伝わる訳ですから。
しかしこの、恣意性の無さは、動物に抽象的思考を与えるのを妨げます。

言語の研究としては、幼児の言語獲得の過程、及び未開部族の言語がよく対象とされるのですが、ある未開種族のことばには「足」と言う単一の語が無くて、その代わり「人間の足」、「犬の足」、「カラスの足」などを表す、それぞれ別の語があるということです。
例えばの話ですが、人間の足を「アポ」、犬の足を「メトカ」、カラスの足を「クン」と呼ぶ、と言うようなことです。
つまり、我々の言語からすれば、恣意性の不完全さが見られる訳です。

確かに人間と犬とカラスでは、足の形は随分違っています。感覚内容に応じて、それを表す言葉を使い分けることは、感覚対象に忠実であるという点で、未開種族のことばの方が優れていると言えます。

だが、このようなことばの具体性は、逆に抽象的思考の未発達に照応するものです。
形にとらわれず(つまり感覚内容に密着せず)、それが動物の身体の中でどのような部分であるか、と言うことの共通性に注目することが出来れば「足」と言う単一の語が生まれる筈であり、今日の文化的諸民族のことばは全てこのような、具体的・個別性から一般的共通性へという発達の道をたどって形成されて来たものと考えられます。

つまり、「足」のような単純な語の中にも、過去の人類が行ってきた思考の発達の成果が内臓されている訳です。
我々が、ムカデのあの爪のような形のものを見て(感覚して)、「足」と言う「ことば」を媒介としてとらえている時に、そこには既に過去の人類が行った抽象的思考の成果が入り込んで来ているのであって、ただの感性的認識ではないと言うことなのでしょう。


この辺は書き始めると長くなりますので省略します。若し宜しかったら、拙サイトをご覧いただければ幸いです。
ttp://y-ok.com/appleclub/adam/contents2/contents_6.htm

恣意性なくして概念の形成は有り得なかったし、ひいては概念的思考、抽象的思考は有り得なかったと認識しています。
やはり、道具と言葉は、ヒトを人間にした二本柱だというのが、私の立場です。

66匿名希?望:2007/09/02(日) 02:50:53 ID:TmrVynh.
単にアクア説を支持する立場で話をするなら、雄さんの論法はサバンナ説を否定するのと同様の理由でより強くアクア説を否定します。
海棲もしくは淡水棲哺乳類で陸上での活動で積極的に二足歩行を採用した生物はいません。
必要性にもっとも重点を置けば半水中生活には二足歩行に移行する理由がないのです。
ヒヒがサバンナで二足歩行に移行しないのと同様です。
進化の歴史を必然だけで説明しようとするのは「偶然で人間のような存在が生まれる訳が無い」という創造論者に良く見られる人間中心主義の裏返しでしかありません。
実際の進化の道筋にはヒトに至る必然の階梯など無いのです。

67shinok30:2007/09/02(日) 07:40:57 ID:mfBEj/cI
>>65
>言語の研究としては、幼児の言語獲得の過程、及び未開部族の言語がよく対象とされるのですが、
>ある未開種族のことばには「足」と言う単一の語が無くて、その代わり「人間の足」、「犬の足」、
>「カラスの足」などを表す、それぞれ別の語があるということです。
> 例えばの話ですが、人間の足を「アポ」、犬の足を「メトカ」、カラスの足を「クン」と呼ぶ、
>と言うようなことです。
>つまり、我々の言語からすれば、恣意性の不完全さが見られる訳です。

>確かに人間と犬とカラスでは、足の形は随分違っています。感覚内容に応じて、それを表す言葉を
>使い分けることは、感覚対象に忠実であるという点で、未開種族のことばの方が優れていると言え
>ます。

>だが、このようなことばの具体性は、逆に抽象的思考の未発達に照応するものです。
>形にとらわれず(つまり感覚内容に密着せず)、それが動物の身体の中でどのような部分であるか、
>と言うことの共通性に注目することが出来れば「足」と言う単一の語が生まれる筈であり、今日の文化
>的諸民族のことばは全てこのような、具体的・個別性から一般的共通性へという発達の道をたどって
>形成されて来たものと考えられます。

英語には「ゆび」を表す単一の語がなく,
手の指は"finger"(通常は親指は"thumb"と呼んで区別する),
足の指は"toe"ですが,英語は日本語と比べて,
「恣意性の不完全さが見られ」「感覚対象に忠実で」,
具体的だが「逆に抽象的思考」が「未発達」な「未開部族の言語」なのですか?

68shinok30:2007/09/02(日) 18:33:56 ID:mfBEj/cI
また,日本語の「あし」という語も感覚的,具体的,個別的であり,
(雄さんのいう)抽象的思考による恣意性という点では不完全ですね

イヌの前肢が「あし」であるのに対して,
人間の前肢は「て」「うで」,
ニワトリやコウモリの前肢は「つばさ」「はね」,
クジラやサカナのそれは「ひれ」と呼んでおり,
日本語にはこれらを表す単一の語がありません

これは動物ごとで異なる前肢の形の違いという感覚内容に忠実ではありますが,
「これらが相同な器官であり本質的に同じものである」という一般化がされていないということです

69NAN:2007/09/02(日) 19:03:11 ID:???
>私はやはり、人間は(個々の生物が、それぞれに特殊と言う範囲を超えて)、特殊な存在だと言う立場です。

ひとつ聞かせてください。
上記は、『ニンゲンは特別な存在だ』という主張でしょうか。

さて、『道具論』について私は雄さんとそれほど隔たりのある考えをしていません。瑣末な点はあるにせよ、おおむね理解できますし、同意しても構わない雰囲気です。
しかし一方、『言語論』については、かなり私と雄さんには隔たりがあるようです。これが言語学そのものについての認識でしたら、隔たりがあってもかまいませんが、今回は「ジンルイ進化」についての議論であって、言語学についての議論ではありません。

たくさんレスをいただきましたが、雄さんの主張はそれが「ヒトは特別である」とか「言葉と道具は違うものだ」という主張を補強するものではなく、却って首を傾げさせるポイントを増やしてしまった、と見えるからです。では、どこがどのように「首を傾げる」のか、少し指摘いたします。

かつてグールドがカンブリア大爆発について主張した運・不運説などに対して、ドーキンスはその著書の中で
 →『すでに進化的な段階を経た生物と、それ以前の生物を直接比較しても、相違点が多数あるのは当然だ。』
という旨の批判を行いました。私は、今回雄さんが展開した主張についても同じ(ような)指摘をします。

私は、すでに「言語学」という学問体系さえできているほどに歴史を持ち、発達したコトバと他の動物の言語的コミュニケーションを比較しているのではありません。あくまで原初的な言語と道具について考察し、これらを分けて考える必然性があるのかどうか、道具はともかく、言葉を獲得することが「直立二足歩行の獲得」を説明する上での論拠となり得るのかどうか?について考えてみたのです。

現在ある人間の言葉が、動物のそれと「質的に異なる」のは当然のことです。それは道具にも云えることですから。
そこで私は、ニンゲンの言葉が横方向に情報伝達するだけではなく、さまざまな方法で「記録化」され「記号化」され時間軸で云う「縦方向」に向かって情報劣化を防ぎながら伝達可能なものであることに気付きましたが、実はそれは「ある程度加工を経た道具の特性」とまったく同一なのではないか?と思い至ったのです。

象徴や記号に恣意性が伴うのは当然のことです。しかしそれは、原初の、つまり直立二足歩行をはじめたかどうかギリギリ分からないくらいの「共通祖先」まで遡って、ほかの動物と比較して明らかに高度な言語を使いこなしていたのかどうか?という論考や証拠がなければ、これをもって「直立二足歩行と言語の関係」を主張されても、納得できる展開にはならないでしょう。

70GB:2007/09/02(日) 19:18:25 ID:???
>>68
>これは動物ごとで異なる前肢の形の違いという感覚内容に忠実ではありますが,
「これらが相同な器官であり本質的に同じものである」という一般化がされていないということです

いや、それはちょっとズレる。自然言語は歴史的な世界認識のツールであって、文化。
そういう一般化が必要になれば、それを表し得る言葉を借用するなり作り出すなりして
対応してきたわけで(だから科学用語があるわけだし)。

71名無しさん:2007/09/02(日) 20:53:15 ID:mfBEj/cI
>>70
>いや、それはちょっとズレる。自然言語は歴史的な世界認識のツールであって、文化。
>そういう一般化が必要になれば、それを表し得る言葉を借用するなり作り出すなりして
>対応してきたわけで(だから科学用語があるわけだし)。

それはもちろんその通りですね
私が言いたかったのは
>「足」と言う単一の語が無くて、その代わり「人間の足」、「犬の足」、
>「カラスの足」などを表す、それぞれ別の語がある
言語があったとしても,それは恣意性が不十分なのではなく,
その言語を持つ文化が「人間の足」「犬の足」「カラスの足」を別のものとして認識する必要があり,
同一性を認識する歴史を持たなかったことに基因するということです

言語には常に抽象化が必要です
足の形は左右で異なり,個体差もあり,成長によって形態は変化していくので,
厳密には全ての「あし」の形や大きさは異なっています
それを「あし」という語で表した段階で抽象化されているんですね
そして,その抽象化された「あし」という語が示す範囲は,
その言語の「歴史的な世界認識」によって決定されていますよね

日本語の「あし」という語が示す範囲も文化依存的なものであって,
>形にとらわれず(つまり感覚内容に密着せず)、それが動物の身体の中でどのような部分であるか、
>と言うことの共通性に注目することが出来れば「足」と言う単一の語が生まれる筈であり、
という雄さんの認識は日本語による母語干渉であるといって良いでしょう

仮に,左右の足を表す語が異なる言語があったとしても,それは抽象化が不十分なのではなく,
その文化が左右の足を別のものとして認識する必要性と歴史を持っているからだということです
日本語の「あし」がヒトの前肢を示さず,英語の"finger"が足の指を示さないのと同じですね

72GB:2007/09/02(日) 22:02:13 ID:???
>>71
誤読しました。すみません。

73shinok30:2007/09/02(日) 22:09:37 ID:mfBEj/cI
また,名前入れ忘れました
>>71は shinok30です

74ミケ:2007/09/02(日) 23:37:36 ID:???
しばらく忙しくなるので参加できませんけど、

>四足歩行である為に不自由なことなど、何も挙げられないのですよ。
(不自由が無かったので変化しなかった)

との答えを聞いた時点で(いや、もっと前で十分か)ここの皆さんにはもう“見えた”かと思います。

不自由なままでもとりあえず適応する、というのと、
不自由がないなら変化しない、というのはまるで別の話。
それ以前にこの言動には、進化を「向上」と受け取っている匂いさえ嗅ぎ取れます。
進化は最終的に必ず最適解に達する、という考えから抜け出せていないのですね。

時間を見つつちきちんとしたレスを返していく予定ですが、
本格的に書き込めるのは10月以降となりそうで、その頃にはもう雄さんが引き上げてそうで残念ですね。
とりあえずヒヒとヒトのロコモーションを比較することが
オットセイとヒトのロコモーションを比較するくらいナンセンスだってことは
もう雄さん以外には十分ご理解いただけていると思いますが、
「なぜ(どうやって)二足になったのか、アクア説サバンナ説以外を示してみろ」というリクエストには
少々時間をおいてでも答えておきたいところです。

というわけで二足歩行進化への仮説として学界の現状を把握できそうな論文を探してみました。
中身しっかり読んだわけじゃないですが、タイトルとジャーナルで(笑)。

論文タイトル:Origin of human bipedalism as an adaptation for locomotion on flexible branches
著者:Thorpe SKS, Holder RL, Crompton RH
雑誌:SCIENCE 316 (5829):1328-1331

論文タイトル:A juvenile early hominin skeleton from Dikika, Ethiopia
著者:Alemseged Z, Spoor F, Kimbel WH, ほか
雑誌:NATURE 443 (7109): 296-301

論文タイトル:Endurance running and the evolution of Homo
著者:Bramble DM, Lieberman DE
雑誌:NATURE 432 (7015): 345-352 NOV 18 2004

以上のものは本文は購入してないと読めないと思いますが
アブストラクトと引用文献くらいはネットからタダで探せるはず。
ざっと流し読みしただけですが、open environment、savannah、forest(trees)、
あとenergeticallyってのも見た気がする。
一方、aquatic(水棲)という言葉は一度も出てきていません。

時間ができたときにカンタンに紹介できたらなぁと思っていますが、
気の短いかたには自分で探すのをオススメします。
引用文献から孫引きとかすればタダで読める文献も探せるかも。

もちろんこちらのほうでも、アクア説のいう分子からの物的証拠というのを気長に待っています。
たぶんBaboon Markerの話が出てくるだろうけど、あれをヒヒ抗体って訳すのは普通に誤訳だと思う。
この掲示板には医師のかたも多いみたいなので確実に誰かからツッコミが入る気はしてます。

75fukken:2007/09/03(月) 06:06:07 ID:w7V4p70Y
雄さんのサイト拝見しました。

社会ダーウィニズム批判と銘打ち

>地球上にひとたび生物が生まれると、それから後は進化論で良く知られるよう に、下等の種から高等の種への進化が次々に起こり、ついにはある種の類人猿から人間への進化が行われました。
>これは同時に、サルの集団が人間の社会になったことを、すなわち生物的運動形態から社会的運動形態への移行が行われた事を意味します。
ttp://y-ok.com/appleclub/adam/contents2/contents_9.htm

と述べたことに矛盾は感じませんか。

76:2007/09/03(月) 07:24:09 ID:ToCfhv1w
RE ミケさん

>不自由なままでもとりあえず適応する、というのと、
不自由がないなら変化しない、というのはまるで別の話。

ですから、ヒヒが四足である為に「不自由なままでもとりあえず適応」している事実を、根拠付けてくれ、と言っているに過ぎません。
その事実を挙げられずに、「不自由がないなら変化しない、というのはまるで別の話」等と主張されても、私にはぜんぜん”見えません”。

進化論の一般論を講じている訳ではありません。進化学会の専門家も見ておられるであろうこの板で、そんなおこがましい議論をするつもり等、毛頭有りません。
そう言うことは別なスレッドを建てて、心行くまでおやり下さい。

>とりあえずヒヒとヒトのロコモーションを比較することが
オットセイとヒトのロコモーションを比較するくらいナンセンスだってことは
もう雄さん以外には十分ご理解いただけていると思いますが、

これも元々、ロコモーションの一般的比較論をやっていた訳では有りません。ここでも話のすり替えです。

ヒヒの例は、サバンナに進出した霊長類はヒトだけではない。ヒヒもパタスモンキーも、サバンナモンキーも居る。
直立二足歩行が、ミケさんの言うようにそれ程「省エネ」であるなら、或いは他の理由でもいいが、それ程メリットがあるというなら、何故これらもそうしないのか?
と言う、私の質問にミケさんは、2で、

>重要:進化の方向性を決めるのは淘汰圧の方向だけではありません。
ヒトとヒヒとの違い前適応の有無
ヒトは直立二足歩行できる下地があったから直立二足歩行になった。
ヒヒは直立二足歩行できる下地がなかったから直立二足歩行になれなかった。
それだけしか言ってないわけ。

と返して来ている。
私はヒヒが二足に移行しないのは、他の全てのサバンナ性動物と同じく、四足歩行で何の「不自由」も無かったからだと見ているけれども、ヒトと環境(淘汰圧)が同じで有りながら、前適応の有無でヒヒが直立二足歩行に「なれなかった」とするミケさんに、なれなかった為の不自由さ、デメリットを挙げてくれ、と聞くのは当然のことじゃないですか。

続けてミケさんは次のように述べている。

>で、直立二足歩行の下地がある(類人猿)ところに
【直立二足歩行へ移行する淘汰圧(直接的要因)】がかかれば二足歩行にはなるだろうってことです。
下地がなければ(ヒヒ等、類人猿以外のサル)、どんな淘汰がかかろうとも直立二足歩行にはならないと期待されます。
系統的制約ってヤツです。

ミケさんの「期待」を裏切って、パタスモンキー、ミーアキャット、プレーリードッグなど、種を超えてキレイな直立姿勢を示す動物は多く居る。
私はこれらの動物が直立姿勢を取るのは、「下地」の有無などではなく、共通して同じ淘汰圧、つまり遠くを見渡す為には立ち上がる以外に方法がなく、直立する必要に死活的に迫られた為だと思っている。そして二足歩行に移行しないのは、その必要が無いからだと思っている。

でもミケさんの説によると、これらの動物は不可欠な「下地」が有ったから、そこに淘汰圧が掛かって、直立姿勢が取れたと言うことになる。
だったら、これら三種(或いはもっと多く)の動物に、下地(前適応)が有ったことを教えて欲しい、と言っても、これも無回答。

ヒヒはヒトと同じく、直立二足歩行のメリットを受けられる環境に有りながら、前適応がなかった為、直立二足歩行に「なれなかった」。
チンパンジーは、前適応の成果で、充分直立二足歩行できる下地が有ったのに、その環境でなかったために、直立二足歩行になっていない、と言う。

私はあまり進化論的だとは思えないんだが。

77:2007/09/03(月) 07:25:07 ID:ToCfhv1w
何より、

プロコンスルにしてもサンブルピテクスにしても、樹上で四足ですばしこく動き回っていたと思う。時に枝の上で二足歩行を見せることも有ったかも知れない。
しかし、森の中であれ、サバンナであれ、専ら二足歩行に切り替える必要がどこに有ったのだろう。
それも、たった一種、ヒトだけが。

私の一番の問題意識はここにあると、繰り返し述べているし、その点で納得できるお説を賜れば、直ぐにでもミケ教に宗旨替えする、と言っているのだが、ミケさんからは一度も答えを頂いていない。

【アクア説に関して】
直立二足歩行の契機を説明できない「人類起源説」に意味は無い、と言う立場から私は議論をしている訳ですが、私自身としては、その契機としてアクア説に納得していると言うことです。
モーガンが主張しているそのシナリオの紹介が遅れていますが、ヒヒ抗体というのは、その中での言わば物的証拠みたいなものです。

若し、ミケさんに限らず、医師であれ誰であれ、その件に付いて「ツッコミ」的解説をして頂けるのであれば喜んでお伺いしたい。
それによって、間違いであることが納得できれば、改めるに何のはばかりも有りません。

78:2007/09/03(月) 08:12:04 ID:ToCfhv1w
RE fukkenさん

>雄さんのサイト拝見しました。

お恥ずかしい限りです。

>社会ダーウィニズム批判と銘打ち

>地球上にひとたび生物が生まれると、それから後は進化論で良く知られるよう に、下等の種から高等の種への進化が次々に起こり、ついにはある種の類人猿から人間への進化が行われました。
>これは同時に、サルの集団が人間の社会になったことを、すなわち生物的運動形態から社会的運動形態への移行が行われた事を意味します。
ttp://y-ok.com/appleclub/adam/contents2/contents_9.htm

と述べたことに矛盾は感じませんか。

感じません。
人間は生物であることは当然として、社会的な存在だと言う理解です。つまりその点で特殊だと。
生物としての側面以上に、社会的な仕組みによる制約に、多く依存していると思っています。

例えば端的に言って、同じヒトでありながら、北朝鮮に住んでいる人と、日本に住んでいる人では行動様式や考え方が大きく違っています。おそらく死亡率なんかも違っているでしょう。
これはその人の生物学的な違いから来るものではなく、社会的な事情です。

生物での適応度は、大雑把に言って、残した子供の数で計られる訳ですが、そう言う基準で人間の「適応度」が論じられることも有りません。
ビル・ゲイツが何人子供が有るか、ニュースで話題になったことを知りません。
封建社会と資本主義の今とでは、同じヒトでありながら、行動様式や価値観が全く異なります。

つまり社会には、生物の法則とは異なる社会の法則がある、と言うのが私の理解です。
勿論、ヒトとして生物である以上、代謝、繁殖など生物の法則も当然貫いているけれども、まあ全体としては背景、基礎的な位置づけだと思ってますけど。

その「社会」に、適者適存、優勝劣敗などと、生物学の法則を機械的に、或いは捻じ曲げて適応し、解釈、或いは合理化しようと言うのが「社会ダーウィニズム」であって、本来違う法則下にあるものだ、と言うのが私の考えです。

只、あれは個人サイトです。
あれをもって、他に、例えばこの板でことを構えようと言うことでは全く有りません。間違いも多々有るでしょう。
批判に耳をふさぐと言うことではありませんが、何しろここだけでも手イッパイで、逐一のご指摘には対応しかねるときも有ります。
出来れば、ここでの私の主張の範囲内で、反論なり何なりお願いしたいところです。


なお、「言葉」に関するコメントは後ほど。
私も、忙しくなってきましたので。

79地下に眠るM:2007/09/03(月) 10:20:55 ID:cizMQ0FI
>AH1

>>「必要があれば直立する」はよくわかるんだけど、「必要があれば直立二足歩行する」はぜんぜんわかんにゃーです。

>自分で振っておいてなんなんですが、「必要があれば直立二足歩行する」もあり得ないことじゃないと思いますよ。
ただ、何もない所から始めると試行回数が莫大になるので時間がかかる・・ひょっとしたらいつまでたってもできないかも・・
という違いでは?

ちょい省略しすぎたかにゃ?
一応、ジンルイの祖先の話という文脈上の前提があるので、「世代交代に10年弱かかる生物においてせいぜい100万年単位のスパンでは、「必要があれば直立する」はよくわかるんだけど、「必要があれば直立二足歩行する」はぜんぜんわかんにゃーです。」と読んでいただけるとありがたいですにゃー。

80地下に眠るM:2007/09/03(月) 10:52:43 ID:cizMQ0FI
なんか雄にスルーされたようなので(33)を再掲ね

**************************
>進化の基本的な要因は、「突然変異」と「自然選択」でしょう。
>前適応に意義がないなどとは言いませんが、あくまでも副次的なものです。前適応が全くなくてもこの二つが揃えばその方向に進化が進むでしょう。
(No.8 雄)

前適応ちゅうのは、自然選択を無理なく説明するための概念ではにゃーのか?
淘汰圧さえあれば、前適応がなくてもある機能を持ちえるちゅうのは、そうとうに観念的ちゅうか目的論的な議論に思えますにゃ。自然選択=適応、ちゅうのは使い回しの歴史にゃんからなあ。
******************************

ちゅうわけで、雄はやっぱり前適応を理解してにゃーと思うんだけど。

では遅くなったけど(39)にレス

>ミーアキャットが必要に迫られて、きれいな直立姿勢をとるのは事実です。これは必要に迫られてです。
>その際、若し二足で歩く必要(淘汰圧)に、死活的に迫られた場合、その直立姿勢から一歩踏み出して歩き出すのに、私は何の不自然も感じません。
>それとも地下に眠るMさんは、立ちすくんだまま絶滅するのが自然だと仰るのでしょうか。

ミーアキャットに二足歩行をするための前適応がなければ、立ちすくんだまま絶滅するのが当然でしょうにゃ。
チミのいっているのはウルトラ観念論にゃんな。
「信じていれば、夢は必ずかないますよ」;進化論バージョン、とでもいえばいいのかにゃ?
チミの観念論をはっきりとさせるために、チミの書いた文章をちょいいじってみよう。

>ミーアキャットが必要に迫られて、きれいな直立姿勢をとるのは事実です。これは必要に迫られてです。
>その際、若し【空を飛ぶ】必要(淘汰圧)に、死活的に迫られた場合、その直立姿勢から一歩踏み出して歩き出すのに、私は何の不自然も感じません。
>それとも地下に眠るMさんは、立ちすくんだまま絶滅するのが自然だと仰るのでしょうか。
>【飛行】に踏み出す際、その直立姿勢は【飛行】の前適応になっているでしょうね。

どんなに空を飛ぶことについての淘汰圧がかかろうが、空を飛べなければ絶滅するしかないという状況に徐々になっていったとしても、ミーアキャットも馬も鹿も100万年単位では飛ぶことは絶対にありえにゃーだろう。「立ちすくんだまま絶滅するのが自然だと」断言しますにゃ。


>ヒトだけが、サバンナに進出した時、わざわざそれまでの歩行方法を捨て、二足歩行を進化させたと言うのです。その明確な理由をいまだかってここで聞いた覚えが有りません。

このあたりが、前適応という基本概念も相手の言うこともチミがまったく理解してにゃーと思える点ね。
「わざわざそれまでの歩行方法を捨て」ってナニ?
ミケはニンゲンとチンプの共通祖先が二足歩行にある程度習熟していたと書いてるだろ? 前適応という概念を理解していれば、それがわかるだろ?
専門家でも意見が分かれるとかいう逃げをうつ前に、基本的な概念を押さえてほしいものですにゃ。前適応は、自然淘汰を現実的かつ具体的に説明するための必須アイテムなんだにゃ。
このアイテムがにゃーと
「信じていれば夢は必ずかないます」;進化論バージョン、になっちゃうのよ。


>その一番の中心テーマに触れぬまま、議論されるのはその周辺の、私からすると瑣末な問題ばかり。

一番の中心テーマは、チミの観念論だと思うにゃ。


>なお、これから月末、月始で、忙しくなります。

ま、ゆっくりね。

81地下に眠るM:2007/09/03(月) 11:41:24 ID:cizMQ0FI
言葉について、ちょっとだけ突っ込んでおきますにゃ。
誰に対してというわけでもなくつれづれと。

シニフィアンとシニフィエ(音声・文字と対象物)の関係の恣意性は当然のことですにゃ。
問題は、連続的な「現実」をどうやって言葉で切断しているかに注目しにゃーと言葉の話はできにゃーところにある。
例えば、虹は日本では7色だけど英米では6色、ホメロスによれば虹は3色ですにゃ。もちろん現実の虹は連続的に色が変化していてその色数は無限といっていいにゃんね。日本には出世魚なんてものがあるけど、ベドウィンではラクダの年齢に応じて5つくらいの一次名詞があるみたいだしにゃ。

ニンゲンは文化によって適応しているという「文化妄想装置論」によれば、連続する現実を分節するという「妄想」は文化による適応の一種であるといえるわけで、「未開部族」の言語が「未発達」などということには決してならにゃーですね。レヴィ・ストロースも「未開=未発達」はダメだよーん、といっているにゃんが。

あと、シニフィアンとシニフィエの対応は確かに恣意的だろうけど、ニンゲンの言語獲得能力は先天的で特殊だという話はあるにゃんな。これはチョムスキーの普遍文法だにゃ。
ユングによれば元型イメージはジンルイ普遍となるしにゃ。フレーム問題とか考えると、言語というのは単純な記号操作ちゅうよりシンボル操作ではにゃーかと思うにゃ。

とにかく、ニンゲンに先天的な言語獲得能力があること自体はほぼ間違いにゃーと思うので、それがいつごろ獲得されたのかはオモチロイ話題だと思うけどにゃ。
完全に近い骨格化石がたくさん見つかれば、これも相当程度わかるんだろうけどにゃ。オモチロイが妄想が幅をきかせてしまう分野でもありますにゃ。

82AH1:2007/09/03(月) 12:05:20 ID:lWWemAT6
>「世代交代に10年弱かかる生物においてせいぜい100万年単位のスパンでは、

はいはい、納得です。
所用時間に関する部分を読み損ねた上にその部分を勝手に自分で説明しちゃってたようで失礼しました。

83:2007/09/03(月) 21:07:53 ID:ToCfhv1w
RE 地下に眠るMさん

「アクア説支持者は、自分を特殊だと思っている論」の時もそうだったんですが、私は地下に眠るM さんの発想がサッパリ分かりません。

>>その際、若し二足で歩く必要(淘汰圧)に、死活的に迫られた場合、その直立姿勢から一歩踏み出して歩き出すのに、私は何の不自然も感じません。

>>二足歩行に踏み出す際、その直立姿勢は二足歩行の前適応になっているでしょうね。ブラキエーションなどの、アヤシイ前適応と違って。

これがどうして………、

>【飛行】に踏み出す際、その直立姿勢は【飛行】の前適応になっているでしょうね。

…こんなことになるのか。
直立姿勢が、空を飛ぶ為の前適応になるなんて、空想だにしませんでした。
だからどうしたら地下に眠るMさんがこんな発想になるのか、私にはどのように観念を働かせても理解できません。
アクア説の時と同じく、勝手に観念的に敵の姿を捏造した上で揶揄・攻撃する。一瞬ブッシュを思い出しましたね。

地下に眠るM さんにお聞きします。
あなたは二足歩行をするに先立って、先ず直立しませんか? そこに何か不自然が有りますか?

私は、直立姿勢と直立二足歩行の関係は、ごく自然なものとして理解できますが、そこにどうして「飛行」が入り込んでくるのか、どうしたらそんな発想が出てくるのか、現実的な私には、どうしても理解できません。

>どんなに空を飛ぶことについての淘汰圧がかかろうが、空を飛べなければ絶滅するしかないという状況に徐々になっていったとしても、ミーアキャットも馬も鹿も100万年単位では飛ぶことは絶対にありえにゃーだろう。「立ちすくんだまま絶滅するのが自然だと」断言しますにゃ。

誰も言っていないことを、勝手に観念的に創造して、その仮想敵を「論破」したつもりになって「断言」されても、私には「何のおはなし?」なんですけど。


私はミケさんのように、以下のような頭の中だけの、観念論的空想物語は言っていません。

>仮に、「チンプも実はかつて常時直立二足歩行を獲得していたが、後に二次的に二足歩行を失っていた」なんてことが明らかになったらどうします?(19)

パタスモンキー、ミーアキャット、プレーリードッグなどの、キレイな直立姿勢は、私が「観念的に」論じるまでも無く、実際に見られる現実です。
そしてそれは、立ち上がって遠くを見渡すと言う、共通な必要性に迫られてのことです。
そんなことは彼らの行動を、(地下に眠るMさんのように、観念的・恣意的にでなく)素直に見ていれば、子供でも簡単に理解できることです。

それらの動物に共通して、直立姿勢への前適応が有ったかどうか、それは知りません。私にとっては副次的なことに過ぎないからです。

前適応が不可欠だとする、ミケさんにこれら種を超えての、どう言う前適応が有ったかどうか教えて欲しい、と言っているのですが、未だその回答をもらっていません。
私を観念的だとする、地下に眠るM さんでもかまいませんよ。

現に直立姿勢を取っているこれらの動物にとって、その直立姿勢は二足歩行に移行する際の前適応になり得るでしょう。
つまり、地下に眠るM さんの主張に従っても、直立姿勢から直立二足歩行に移行することはぜんぜん無理でも、観念的でも有りません。
空を飛ぶ為の前適応になる、なんて発想は観念論の最たるものだと思いますけどね。

彼らが直立姿勢から二足歩行に踏み出さないのは、そこに四足を捨てて二足に移行しなければならない、必要(淘汰圧)が無いだけです。前適応の有る無しでは有りません。
直立姿勢で敵を察知したら、慣れ親しんだ四足で全力逃走する。そこに何の不自然も有りません。
パタスモンキーもミーアキャットも、プレーリードッグも、それで特に絶滅も無くサバンナに適応しています。

この、子供でも分かる現実が、どうして観念論になるのか?
空想力(想像力じゃないですよ)の足らない私には、本当に分からないのですよ。


>言葉について、ちょっとだけ突っ込んでおきますにゃ。

ハイハイ、有難うございます。

私は64で、「言葉については、地下に眠るM氏もおそらく一家言お持ちで有ろうと思いますが」として、見解の違いは別として、その内容にある程度の期待を持っていたのですが………。

「アクア説=特殊」に続く、今回の「飛行」で、少しばかりゲンナリしました。
いつか、暇が有った時、読んでみます。


そろそろ、撤収の時期のようですね。
普通の討論も出来なくなってきたようだし。まあ、気が向いたら、「宿題」だけはまとめてみるかも知れません。

皆さん、ご指導有難うございました。

84fukken:2007/09/03(月) 23:02:29 ID:w7V4p70Y
雄さんはご自身のサイトの中で「人間はこれ以上の生物としての進化はしないだろう」と結んでいます。
つまり、「生物は下等の種から高等の種へ進化し、仕舞いに人間という特別な形で帰結する」
って認識なのですよね。それが雄さんの進化論。
でも、一般にはそれは「社会ダーウィニズム」と呼ばれる考え方なのではないでしょうか。

85名無しさん:2007/09/03(月) 23:47:48 ID:AOLa7fSo
>直立姿勢から直立二足歩行に移行することはぜんぜん無理でも、観念的でも有りません。
どうしてそこまで断言できるんだろうか。頭の中だけの、観念論的空想物語に聞こえる。
「観念的に」論じるしかない、実際に見られない現実、の筈だけど。

86NAN:2007/09/04(火) 02:23:30 ID:wbgAGabs
…本論には突っ込み入れたくなかった(面倒臭いので)のですが、さすがにちょいと…こりゃぁどうよ?と思うもので。
#ちなみにナニが面倒か、というと(科学的議論における)ジンルイ進化にはあまり興味がないのに、
#ソースを提示したり根拠をきちんと積み上げるサイドワークが面倒なの。

で、なにが「どうよ?」と思うのか…
>直立姿勢が、空を飛ぶ為の前適応になるなんて、空想だにしませんでした。
↑だけど、ひょっとして本当に読解力がないのかな?

雄さんはこう主張しました。
『(ミーアキャットなどが)若し二足で歩く必要(淘汰圧)に、死活的に迫られた場合、その直立姿勢から一歩踏み出して歩き出すのに、私は何の不自然も感じません。』

上記は「前適応などというアドホックがなくても突然変異と自然淘汰だけで進化は説明できる。前適応などというのはレアケースであり、進化の大半はそんなものを必要としない」という主張の比喩として雄さんが持ち出した主張でしょう?
しかし一方、(私を含め)ほかの参加者は(もちろん直接には地下猫氏が)「前適応をアドホック扱いにして進化を説明することなんかできないじゃん!」と反論している。その「比喩」として、
『前適応を無視して構わないなら、淘汰圧さえあればミーアキャットがいきなり飛行することだって出来ることになる』
と、(地下猫氏が)返しているんだよね。本当に分からない?

直立姿勢とそれに付随する前適応(よちよちながらも2足で歩くとか)があるならば、二足歩行を必至とする淘汰圧によって「二足歩行の適応度」が上昇し、より上手に二足歩行する個体が繁栄していく「傾向」にはなるだろうけれど、もしそれがない(直立姿勢はできても、それ以上の応用は一切ない)のであれば、ミーアキャットは突っ立ったまま絶滅するだろう、と云うこと。

ところが一方では…

>私は、直立姿勢と直立二足歩行の関係は、ごく自然なものとして理解できますが、そこにどうして「飛行」が入り込んでくるのか、どうしたらそんな発想が出てくるのか、現実的な私には、どうしても理解できません。

と、述べている。これって「直立姿勢が直立二足歩行の前適応である」ことを主張してるじゃん。つまり、直立二足歩行にはその前段階としての「ただ真っ直ぐ立つ形質」があっただろうし、ただ真っ直ぐ立つためにはそれを将来可能にするその他の形質が存在していたことを示唆している、そう思うんだけど違うのかな?

87NAN:2007/09/04(火) 02:45:35 ID:wbgAGabs
終焉を迎えそうな議論?はともかく、私にしては珍しくジンルイ進化を再び(年に一度くらいは考えるか?)考えていて、ちょいと面白そうなソースを見つけました。
ttp://www7.plala.or.jp/machikun/essayt.htm
↑は、ヒトの手というか「指」の機能についてお医者さんが書いたエッセイ。
ここでは親指の「拇指対立(対向ともいう)機能」について触れているのですが、私のSFトンデモ仮説を補強してくれるような気がするので紹介します。

一連の議論を読んでいて思ったこと、それは「なぜヒトは直立二足歩行を始めたか?」なんだけれど、直立二足歩行という形質が直接的にエコロジーだとか優位だとは、あまり思えません。なにかほかの主要な原因があるのではないか?と考えました。そこで、先に主張したように「それは主に両腕を自由に扱うため」であって、両腕を自由にしたければ歩行の方は後足で行ったほうが都合が良いのでそうなった、と考えています。

で、なるほど「道具」と「言語」ねぇ…と思考するうち、言語(シンボル・サイン・記号)の発達には、指の機能向上が不可欠だったのではないか?と思ったのです。(もしかしてとっくに提唱されているのかな?なぜなら指の高度な機能がなかったら、筆記(筆は使わなくても指で土に何かを描くだけでも)を発達させることができなかっただろう、と思うからです。

88地下に眠るM:2007/09/04(火) 13:26:12 ID:cizMQ0FI
ありゃりゃー
「一番の中心テーマに触れぬまま、議論されるのはその周辺の、私からすると瑣末な問題ばかり。」
だとか大見えを切っておいて、ちょっと撫でられたらいきなり遁走ですかああそうですか。

では、まず、我らが雄クンがスルーしたところをしつこく再掲
**************************
>進化の基本的な要因は、「突然変異」と「自然選択」でしょう。
>前適応に意義がないなどとは言いませんが、あくまでも副次的なものです。前適応が全くなくてもこの二つが揃えばその方向に進化が進むでしょう。
(No.8 雄)

前適応ちゅうのは、自然選択を無理なく説明するための概念ではにゃーのか?
淘汰圧さえあれば、前適応がなくてもある機能を持ちえるちゅうのは、そうとうに観念的ちゅうか目的論的な議論に思えますにゃ。自然選択=適応、ちゅうのは使い回しの歴史にゃんからなあ。
ここまで(33)

>ヒトだけが、サバンナに進出した時、わざわざそれまでの歩行方法を捨て、二足歩行を進化させたと言うのです。その明確な理由をいまだかってここで聞いた覚えが有りません。

このあたりが、前適応という基本概念も相手の言うこともチミがまったく理解してにゃーと思える点ね。
「わざわざそれまでの歩行方法を捨て」ってナニ?
ミケはニンゲンとチンプの共通祖先が二足歩行にある程度習熟していたと書いてるだろ? 前適応という概念を理解していれば、それがわかるだろ?
専門家でも意見が分かれるとかいう逃げをうつ前に、基本的な概念を押さえてほしいものですにゃ。前適応は、自然淘汰を現実的かつ具体的に説明するための必須アイテムなんだにゃ。
このアイテムがにゃーと
「信じていれば夢は必ずかないます」;進化論バージョン、になっちゃうのよ。
ここまで(80)
******************************

以上からわかることは、雄クンは前適応という概念を理解していにゃー。
よって、自然淘汰の理解が極めて観念的になっちまっているわけだにゃ。
まあ、他の発言を見ていても、ニンゲンを特別視する目的論的(=観念論的)進化論観の持ち主であることはよくわかるけどにゃ。

89地下に眠るM:2007/09/04(火) 13:27:03 ID:cizMQ0FI
では、逐語的に潰してあげよう


>直立姿勢が、空を飛ぶ為の前適応になるなんて、空想だにしませんでした。
>だからどうしたら地下に眠るMさんがこんな発想になるのか、私にはどのように観念を働かせても理解できません。

陸上生活に適応した脊椎動物は、両生類・爬虫類・鳥類・ほ乳類。すべて、前肢と後肢をもつ生き物だにゃ。これらが飛行するとなると、基本的には前肢を活用するしかにゃーわけだ(※)。つまり、飛ぶためには後肢で立つ必要が絶対的にあるだろ? こんなこともわかんにゃーのかね?
つまり、
前適応なしに淘汰圧だけで二足歩行が可能であり、直立がその前提となるというのなら
前適応なしに淘汰圧だけで飛行が可能であり、直立がその前提となるといっても同じことだろ?
(※)シュテンプケは「鼻行類」を創造したけど、「耳飛類」なんかもありえるのではにゃーかと。とりあえずダンボと妖鳥シレーヌ。

>地下に眠るM さんにお聞きします。
>あなたは二足歩行をするに先立って、先ず直立しませんか? そこに何か不自然が有りますか?

雄クンに聞いてみよう。
鳥類は飛行するに先立って、先ず直立しにゃーかね? そこに何か不自然が有るかい?


>>どんなに空を飛ぶことについての淘汰圧がかかろうが、空を飛べなければ絶滅するしかないという状況に徐々になっていったとしても、ミーアキャットも馬も鹿も100万年単位では飛ぶことは絶対にありえにゃーだろう。「立ちすくんだまま絶滅するのが自然だと」断言しますにゃ。

>誰も言っていないことを、勝手に観念的に創造して、その仮想敵を「論破」したつもりになって「断言」されても、私には「何のおはなし?」なんですけど。

チミは自分の言っていることがわかってにゃーんだね。NANの指摘とかぶるけど。

>進化の基本的な要因は、「突然変異」と「自然選択」でしょう。
>前適応に意義がないなどとは言いませんが、あくまでも副次的なものです。前適応が全くなくてもこの二つが揃えばその方向に進化が進むでしょう。

と(8)でいっているにゃ。こちらが突っ込んでも訂正してにゃーよな。前適応なしで適応するとチミは断言し、突っ込まれても訂正してにゃーわけよ(まあ、ここを訂正すると基本的概念を理解してなかったことを認めなければならなくなるわけだけどにゃ。偉そうにしていた身には辛いだろね)。
それならば、空を飛ぶことの淘汰圧がかかれば、どんな生物だって空を飛ぶことになるだろ? 僕はチミのいっていることを正しく理解した上で、チミの言う通りならこうなるよ、と教えてあげているんだぜ。でな、チミの進化論観は、かいつまんでいうと「必要に迫られれば生物は何でもできる」ちゅうことなわけ。「信じていれば夢は必ずかないます」とかいうスピリチュアル馬鹿と同じなんだにゃ。スピリチュアル進化論と名付けてあげよう(げらげら

90地下に眠るM:2007/09/04(火) 13:27:42 ID:cizMQ0FI
>私はミケさんのように、以下のような頭の中だけの、観念論的空想物語は言っていません。

>>仮に、「チンプも実はかつて常時直立二足歩行を獲得していたが、後に二次的に二足歩行を失っていた」なんてことが明らかになったらどうします?(19)

・・・あんのー
ミケは明らかに仮定の話をしているだろ? チミの脳内では、論敵が仮定すると「観念的空想物語」になんの?
そもそも、ニンゲンとチンプの共通祖先がある程度熟達した二足歩行をしていたという、ミケの提示した重要な論点をスルーしつづけているのはチミの方なんだにゃ。証拠付で提示された論点をスルーしておいて、その論点に基づいた仮定の話をしたら「観念的空想物語」呼ばわりかい?


>パタスモンキー、ミーアキャット、プレーリードッグなどの、キレイな直立姿勢は、>私が「観念的に」論じるまでも無く、実際に見られる現実です。
>そしてそれは、立ち上がって遠くを見渡すと言う、共通な必要性に迫られてのことです。
>そんなことは彼らの行動を、(地下に眠るMさんのように、観念的・恣意的にでなく)素直に見ていれば、子供でも簡単に理解できることです。

犬だって芸を仕込めばチンチン(後肢での直立)をするんだけどにゃー。直立二足歩行だってやるさ。餌を欲しいという必要に迫られれば馬だって後肢で立ち上がる。そんなことは誰だってわかってんの。
チミのいっていることは、直立と直立二足歩行を単純につなげちゃってるところなの。せいぜい100万年程度のスパンで、犬や馬が直立二足歩行に習熟した体型をもつ生物になるなんてことありえるわけにゃーだろ? ミーアキャットが飛ぶのと同じくらいありえにゃーんだよ。チミのいっているのは、必要に迫られれば100万年程度のスパンでも犬や馬は直立二足歩行をするし、ミーアキャットは空を飛び、ジンルイは再び鰓を獲得するといっているのと同じことなのよ。


>前適応が不可欠だとする、ミケさんにこれら種を超えての、どう言う前適応が有ったかどうか教えて欲しい、と言っているのですが、未だその回答をもらっていません。

自分で調べろよにゃ(うんざり)。検索って知ってるよね?

>彼らが直立姿勢から二足歩行に踏み出さないのは、そこに四足を捨てて二足に移行しなければならない、必要(淘汰圧)が無いだけです。前適応の有る無しでは有りません。

つまり、必要性があればミーアキャットも空を飛べるんだよね?
逃げずに答えろよ。


>「アクア説=特殊」に続く、今回の「飛行」で、少しばかりゲンナリしました。

「アクア説=特殊」については、思っていたトオリでしたにゃ。fukkenによると、「雄さんはご自身のサイトの中で「人間はこれ以上の生物としての進化はしないだろう」と結んでいます。」とのことで、科学としての進化論をまったく理解してにゃー上に、ニンゲンを特別視していることは明々白々だからにゃー。

91しろうと:2007/09/04(火) 19:53:52 ID:BPiKEwWk
だから、動物が人間になったんじゃないんだよ。動物は動物、人間は人間です。
人間は最初から2本足で歩く生き物として神によって創造されたんです。

92:2007/09/05(水) 07:25:52 ID:ToCfhv1w
>「一番の中心テーマに触れぬまま、議論されるのはその周辺の、私からすると瑣末な問題ばかり。」
だとか大見えを切っておいて、ちょっと撫でられたらいきなり遁走ですかああそうですか。

そう言う意味で「収束宣言」を出した訳では有りません。私からすれば既に水掛け論のような感じに受け止められ、「そろそろかな」と思ったからのことです。

「終息宣言」をしたにも関わらず、今回又書き込みをしたのは、NANさん、地下に眠るMさんらのご指摘を受け、改めて「若しかしたら、前適応に関する私の理解が間違っていたのでは?」との思いに至り、だとすればこのまま、頬かむりで遁走する訳には行かないだろう、何らかのけじめが必要であろう、と思ったからのことです。

私は「前適応」については次のように考えておりました。
今回特に、ヒトの直立二足歩行に関して、ブラキエーションが中心問題になった、と言うことも有りますが、要するに、或る進化的行動(今回の場合、直立二足歩行)が発達するに先立ち、別の目的で発達させていた「行動とそれに伴う形質の変化」(例えば今回の場合、ブラキエーション)程度の理解でした。要するに行動が念頭にありました。
その「プレ行動」が有れば、確かに進化を促進することにはなるが、仮にその「プレ行動」を発展させていなくても、淘汰圧が働けばその方向に進化は進む、と。

しかし、どうも「前適応」とは、もう少し幅広い概念、と言うか、形質を差すもののようですね。
「前適応が無くても、淘汰圧が働けばその方向に進化が進む」と言う私の主張は、ナンセンスな言い方だったのかも知れません。

急遽ネットやらで見ているだけなので、未だ充分な理解に至っては居ませんが、いずれにしても不確かな知識を元に、失礼な論難を繰り返した皆さんに、特に、ミケさん、地下に眠るMさんには、深くお詫びします。

前適応についての理解が不確かであったことについては、率直に認め、お詫びをしますが、ただ、ヒトの直立二足歩行にあたって、前適応がその前提として有ることを認めるにしても、あまり事情を左右する要件になるものでは無いだろう、と言う、従来の考えに変わりは有りません。

93:2007/09/05(水) 07:26:32 ID:ToCfhv1w
【目的論、人間の進化について】

>「アクア説=特殊」については、思っていたトオリでしたにゃ。fukkenによると、「雄さんはご自身のサイトの中で「人間はこれ以上の生物としての進化はしないだろう」と結んでいます。」とのことで、科学としての進化論をまったく理解してにゃー上に、ニンゲンを特別視していることは明々白々だからにゃー。

これは、fukkenさんへの回答にもなることでしょうが、確かに私は、人間は「社会的な存在」だと言う点で、他の動物と違う特殊な存在だと言う考えです。
でもそれは、進化の頂点だとか、目的論とかとは、話が違います。

人間を他の動物と切り離して特別化してしまうと、それは確かに人間の神聖化に繋がります。
逆に、人間を単に動物の延長とだけ考えてしまうと、人間の社会もアリの群れも、その差は程度問題と言うことになってしまい、結局人間の社会に、本来は生物進化の法則である、「適者生存」「淘汰」「優勝劣敗」「生存競争」と言うような考えが、機械的に持ち込まれ、合理化される危険が有ると思う訳です。それが社会ダーウィニズムと言うことでしょう。

だから私は、生物一般との「連続」と、人間だけの「飛躍」を認め立場です。
当然人によって見解の相違が有ることは充分承知しているし、他人に押し付けるつもりも有りませんが、そこに「神聖で特殊な存在」とかと言う発想は有りません。


>>人間はこれ以上の生物としての進化はしないだろう

これは私の単なる「空想物語」による予想に過ぎない訳ですが、その真偽はともかくとして、そこに目的論や、究極の存在、等という発想はここでも全く有りません。

先ず何より、自然選択が普通に働くだろうかって疑問が有ります。
個人ごとに、足が速い・遅いと言う変異が有ったとして(実際にある訳ですが)、自動車や飛行機を使えばその「生物的な」差は、殆ど意味が無くなります。
足の遅い形質が自然選択によって淘汰されるなんてことが、人間ではあまりなさそうに思えるのです。

或いは医学の進歩で、本来なら存続が許されなかったような「劣勢遺伝子」も、遺伝子プールに残り続けることも有り得ると思います。それはそれでとても良いことですが、これも「生物進化」と言う点からは、どうなのか?

そもそも人間と言う種において、どんな意味でも「隔離」が有り得るのか?、って疑問が有ります。
そんな中で、種分化を伴う進化が起こり得るものでしょうか。

あまり「進化論」立ち入って、又ボロでも出してもなんですからこの辺にしますが、単なる酒飲み話の空想物語として、次のようなことを考えたことは有ります。

医学の進歩で、かっては考えられなかった超未熟児でも、特に問題なく育つケースが増えているようです。
今でもヒトは、頭の大きさと産道との関係で、10ヶ月くらいの生理的早産で生まれてきているのだそうですが、もっと脳を増大させた胎児と、それに合わせてもっと早く「早産」するメス、それを支える医学の進歩の組み合わせで、人間はより、頭のいい方向に「進化」するのでは?、と………。
しかしやはりそこにも、隔離の問題が障害になるかな?と、思ったりもしたところです。


と言うことで、私の「知ったかぶり」による論難で、気分を害された方に、深くお詫びをすると共に、誤解を受けていると思われる問題についての釈明をさせて頂きました。
今後もよろしくご指導、お願いします。

94e10go:2007/09/05(水) 13:25:34 ID:5/V6R9W6
皆さん、お久しぶりです。

2足歩行の『前適応』が取り沙汰されており、「『前適応』は重要だよ」と指摘されている方もますが、私もそう思います。
『前適応』のある・なし・程度が如何に重要か、私の知っている範囲で説明してみます。

最初に、『前適応』のある・なしの例で説明します。
「へび」は淘汰圧がかかっても、2足歩行をすることはないでしょう。『前適応』がない(足がない)ですから。
「トカゲ」ならどうでしょう。
淘汰圧がかかると、2足歩行をする可能性があります。何故なら、『前適応』がある(足がある)から。

つぎに、『前適応』の程度の差によるものについて説明します。
その前に、2足歩行の可能な例を上げます。

「ニホンザル」の中には、直立2足歩行ができるものもいます。
日光猿軍団や猿回しのサルが直立2足歩行で歩いているのや、高崎山のサルが両手に芋を持って直立2足歩行で歩くのをテレビで放映されていましたね。
「レッサーパンダ」の「風太」は直立姿勢で有名ですが、「レッサーパンダ」が2足歩行する事は、動物園の飼育係には普通に知られている事です。
他にも、熊系には直立姿勢も2足歩行もできる者がいます。
「犬」も2足歩行ができます。

この動物達の共通点は、木登りができる点です。そして、木登りの得意な動物ほど、2足歩行が得意です。
「ニホンザル」≦「レッサーパンダ」<「熊」<「犬」と、こんな所ですか。
木登りが2足歩行の『前適応』を高めたのは間違いないでしょう。
下のURLを見れば解りますが、「チンパンジー」の木登りと直立2足歩行には「中殿筋」が重要なかかわりを持っています。
ttp://www.wink.ac/~ogaoga/seimei8.html
<注>上のURLでは、「チンパンジー」の例で説明されていますが、「中殿筋」については、木登りをする他の動物も同じでしょう。
「中殿筋」の発達程度が『前適応』の程度と考えられます。
「犬」は2足歩行ができますが、「ニホンザル」ほど得意ではありません。
「ニホンザル」の『前適応』の程度より、「犬」の『前適応』があまり進んでいないからと考えられます。
(猫も2足歩行できる。と思うけど、家には6匹いるけど...見た事ない。胴の長さがネックか?)これは余談です(笑)

「ミーアキャット」や「プレーリードッグ」が、直立姿勢は取れても2足歩行しないのは、『前適応』の程度によるものと考えれば納得できますね。

「トカゲ」が2足歩行できるのか?と疑問の方は、「エリマキトカゲ」を調べてみてください。

95shinok30:2007/09/06(木) 05:38:43 ID:csWbHXtE
>>94
>この動物達の共通点は、木登りができる点です。そして、木登りの得意な動物ほど、2足歩行が得意です。
>「ニホンザル」≦「レッサーパンダ」<「熊」<「犬」と、こんな所ですか。
>木登りが2足歩行の『前適応』を高めたのは間違いないでしょう。
>下のURLを見れば解りますが、「チンパンジー」の木登りと直立2足歩行には「中殿筋」が重要なかかわりを持っています。
>ttp://www.wink.ac/~ogaoga/seimei8.html
><注>上のURLでは、「チンパンジー」の例で説明されていますが、「中殿筋」については、木登りをする他の動物も同じでしょう。

>>54 で私が紹介したリンク先の論文によれば,
チンパンジーなどにみられる「クモザル型垂直木登り」は,
「ニホンザル型垂直木登り」よりも後肢優位であり,直立二足歩行に必要な筋群を多く使っているようですね

>木登り運動と直立二足歩行の進化

>クモザルの木登りはニホンザルのものに比べ、後肢により多く依存しており(前. 後肢の機能分化が進み)、
>体幹が直立に近く、下肢の関節が伸展しており、股関節伸展筋群、 膝関節伸展筋群といった直立に重要
>な筋および腓腹筋やヒラメ筋(足関節底屈筋)といった直立歩行時の蹴り出しに重要な筋を強く用いる
>という特徴を持っていた(図. 4)。クモザルは木登り時のエネルギー効率でニホンザルに優ることも報告された。
ttp://inago.hus.osaka-u.ac.jp/images/kiyou/29/29-05_hira.pdf

96shinok30:2007/09/06(木) 05:43:48 ID:csWbHXtE
>>77
>何より、プロコンスルにしてもサンブルピテクスにしても、
>樹上で四足ですばしこく動き回っていたと思う。

サンブルピテクスがプロコンスルのような原始的な樹上四足歩行者であることを示す証拠はないし,
時代も分類学上の位置も異なるプロコンスルと一緒にするのは無茶だと言ったよね

サンブルピテクスの分類学上の位置は未確定だけど,
ピクフォードと石田はその形態から,少なくともケニアピテクスよりも後に分岐したと推定している
また,約1000万年前のゴリラの祖先の化石が見つかっているんだから,
950万年前という年代は少なくともヒトとゴリラの分岐後の時代だよ

サンブルピテクスの分類学上の位置として可能性があるのはA〜Dだけど,
(ヒト・チンプの分岐が950万年前以降の場合(2)は,A,B,B’)   
(1)           (2)
ゴリラ  ヒト チンプ     ゴリラ ヒト  チンプ
 │   │   │      │   │   │
 │   │   │      │   └┬──┘
 │ B D   C A    │ B  B’   A
 │ │ └┬──┘ │    │ │  │    │
 │ ├──┘    │    │ ├──┘    │
 └┬┘       │    └┬┘       │
  ├────────┘     ├────────┘   
  ├ケニアピテクス       ├ケニアピテクス
  ├プロコンスル        ├プロコンスル
  │              │
原始的な樹上四足歩行者である可能性が高いのはA(ケニアピテクス直後に分岐)だけでしょ
B,B’,Cであれば,樹上腕渡り行動に適応し,二足歩行にも現生チンプ程度には適応していた可能性が高いし,
Dであれば直立二足歩行に適応していた可能性もある
石田らが書いているように,歯のエナメル質が厚さなどの初期ヒト科に似た形態的な特徴は
Dの可能性を示唆しているしね

どちらにしても,950万年前という年代の化石はヒトと類人猿の進化を推定する上で非常に重要で,
プロコンスルと現生チンプの違いも認識できないような粗雑な見方で
「プロコンスルもサンブルピテクスも大差ない」なんて切り捨てるのは,
無茶だと言ってるんだよ

この時代の重要性を認識しているからこそ,石田らは発掘を続けている
>サンプルピテクス属の発見者でもある石田英実・京都大学教授は「新しい系統
>図はあくまで議論のたたき台。900万〜500万年前の化石がもっと見つからないと、
> はっきりしたことはいえない」と話す。
ttp://www.esri.jp/~nobu/asia/shiryou/sankou/304hominido.htm
>京都大学と島根大学,地元ケニアの共同調査チームが2005年2月に発見した
>約1000万年前の大型類人猿の化石で,右の下顎骨と大臼歯3本などを含んでいる。
>現生類人猿と人類の共通祖先と考えられる特徴を備えているという。

>現生の類人猿に似た特徴
>新たな証拠を求めていたアフリカ起源説派にとって,今回のナカリ化石は待望の発見だ。
>ナカリ化石を観察し,CT撮影による分析も行った京都大学理学研究科の中務真人(なか
>つかさ・まさと)助教授によると,大臼歯はメスのゴリラと同程度の大きさで,サンブル
>ピテクスとは違って特殊化した特徴は見られない。3本の大臼歯のすり減り方が大きい
>ことから,堅果類か,繊維質の多い植物を食べていたとみられる。
>現生のアフリカ類人猿にはない特徴もあったが,総合的に見ると現代の大型類人猿に似て
>おり,アフリカ類人猿と人類の共通の祖先と考えられるという。
ttp://www.nikkei-bookdirect.com/science/topics/bn0602_1.html

だいたい,アクア説でも水棲のヒト祖先が見つかるとすれば,この時代じゃないか?
雄さんのような見方だとアクア説の証拠も見のがす可能性が高いよ

あと,アクア説においても水棲になる前のチンプとの共通祖先の形質は非常に重要で,
決して「些末な問題」ではないよ
仮に水棲になる前の共通祖先がプロコンスルような原始的な樹上四足歩行者であった場合,
ヒトの形質の中で懸垂運動への適応の結果として説明されている形質
(広い胸郭,側方を向く肩関節,短い体幹)まで,
水棲への適応で説明しないといけなくなる上,
それがチンプの樹上適応と類似していることも偶然の一致とみなすことになりますよ

97e10go:2007/09/06(木) 18:54:25 ID:5/V6R9W6
shinok30さん、私の発言に反応していただきありがとうございます。

shinok30さんの紹介されている論文の方が、木登りと2足歩行の前適応の関係を詳しく説明されていますね。
木登りでも特に垂直登りが2足歩行に大きく寄与するすると言う事ですね
>>94で、
>木登りの得意な動物ほど、2足歩行が得意です。
と、書きましたが、
「木登りのスタイルによって2足歩行の適応度が変わる」
と書いた方が良いようですね。
そう言えば、人間は垂直登りが得意ですね。
ハシゴ登りは得意だし、ロッククライミングをする哺乳類は人間だけじゃないでしょうか。

所で、ここでの議論をROMして疑問に思ったのですが、人類の祖先はどの時点で2足歩行を獲得したと言えるのでしょうか。
2足歩行ができるようになった時点か、2足歩行をロコモーションの主体にした時点か。
細かく言えば、チンパンジー程度に(またはそれよりは)2足歩行も可能になった時点か、ロコモーションが直立2足歩行を主体にした時点か。
そもそも、この定義は決まっているんでしょうか?

もっとも、定義が決まっていなくてもここでの議論に支障がないなら、どうでも良いことですが。

98:2008/01/04(金) 06:54:50 ID:QpQGFxc6
昨日(1月3日)16時50分からののNHK番組、「大自然スペシャル―シリーズ赤道・アフリカ」で、興味深い映像を見ることが出来ました。

赤道直下のアフリカ西の果て(カメルーン、或いは赤道ギニア辺りか?)、海岸に熱帯雨林が迫り、森や湿地や草地が点在しているところでのシーンです。
ここでの湿地を「バイ」と呼ぶのだそうですが、このバイに生える草は普通の草地に無い栄養素を含んでいて、様々な動物が集まって来るようです。

この辺に生息している西ローランドゴリラも、通常は木の上を活動領域にしているのだが、時にこの草を求めて、他の動物同様バイに集まる訳です。
西ローランドゴリラは、ここで信じられない行動を取ります。NHKのナレーションを、そのまま紹介しましょう。


「一頭が水の中に入って行きます。なんと直立で歩いています。水の浮力を借りて重い体を、真っ直ぐに、しっかりと支えています。
同じアフリカで人類の祖先は初めて二足歩行をするようになりました。それはこうした状況で生まれたのではないか、そんな想像さえ抱かせる光景です」

モーガンの主張そのままのナレーションです。
実際に映像では、水の中できれいな直立姿勢を示し、二足で歩行しています。


元々はサバンナ説・イーストサイドストーリー説の信奉者であった私が、アクア説に宗旨替えしたのは、「ルーシー」以来新たに発見される、より古い年代のヒト化石によって示される事実に、イーストサイドストーリーが耐えられないと言う、言わば消極的・消去法的な理由からでした。
提唱者であったイヴ・コバンも(多分同じ理由で)、既に自説を撤回しています。

しかし、このような生々しい映像を見る時、単に他説への批判に留まらない、具体的な説得力をアクア説に感じざるを得ません。

水を怖がらず、それと共に直立二足歩行に一定程度習熟しているサルの例として、モーガンはテングザルを挙げています。
しかしヒトにより近いゴリラが、水の中でここまでのキレイな直立歩行姿勢を見せている実映像は、モーガンにより強い確信を持たせるだろうなと、思いながら見たことでした。

99PDX.:2008/01/04(金) 18:40:29 ID:???
>>98
 結局霊長類にとって普遍的な行動であって、ヒト固有の行動ではないという結論になったりして。

100:2008/01/05(土) 09:31:10 ID:QpQGFxc6
>結局霊長類にとって普遍的な行動であって、ヒト固有の行動ではないという結論になったりして。


そう言う面は多いに有ると思います。

○応急的に直立二足歩行をする例は、霊長類で幾つも観察されています。
○道具の使用だけでなく作製まで、その観察例は他の動物で結構有ります。
○ニホンザルは30種類くらいの鳴き声(音声言語)で、コミュニケーションを取っているそうです。これは他の霊長類、クジラ、イルカ、など多くの動物にも広く見られます。
○チンプやボノボに見られる「群れ」は、おそらくヒトとの共通祖先にも当然見られたことでしょう。

だから共通祖先から分岐した時、そう言う「普遍的な行動」をリソースとして、ヒトがその後の進化の土台とし得たことは当然のことだと思います。
そしてそれらの「普遍的な行動」は、他の霊長類と同じく、進化生物学的な適応以上のものではなかったでしょう、ヒトの出発点においても。


しかしその後………、

○直立二足歩行に特化した種は人間だけです。
○遺伝子変異を伴う形質変化に依存せず、道具の進化によってその行動様式を急速に、劇的に変え、地球の運命さえ左右するまでになったのは人間だけです。
○人間の言語は、他の動物の「音声言語(鳴き声)」とは、質的に異なるほどに進化して、人間に抽象的思考、概念を与えています。
○チンプやボノボの群れ、アリやミツバチの「昆虫社会」と、人間社会は質的に異なります。他の動物の群れや「社会」は、端折って言えば遺伝子に依存した状態で留まっていますが、人間の社会はそのレベルから脱しています。


霊長類や生物一般との普遍性と共に、人間固有な行動との関係を考えたい、と言うのが私の問題意識です。言葉を変えれば「連続と飛躍」です。

101PDX.:2008/01/07(月) 10:12:10 ID:???
>地球の運命さえ左右するまでになったのは人間だけ

 生物による地球の歴史上最大の「環境破壊」は光合成生物による「有毒な」酸素ガスの増大ではないかとw
 まぁ、あれは「遺伝子変異を伴う形質変化」ですので雄さんの定義からは外れるので問題ないでしょうけど。

102:2008/01/08(火) 07:17:43 ID:QpQGFxc6
>生物による地球の歴史上最大の「環境破壊」は光合成生物による「有毒な」酸素ガスの増大ではないかとw
 まぁ、あれは「遺伝子変異を伴う形質変化」ですので雄さんの定義からは外れるので問題ないでしょうけど。


…ですね。
現代文明を支えている鉄は全て、その「生物による地球の歴史上最大の『環境破壊』」による副産物ですが、その営為は「遺伝子変異を伴う形質変化」に依存し、そこに意図された目的は無く、一つの特徴としてえらく時間がかかることでしょう。

道具は身体器官の延長・代用ですが遺伝子の変異に依存しません。社会の知識の集積によって急速に発展させることが出来ます。
前にも書きましたが、ある種の恐竜が前肢を羽根に「進化」させて空を飛ぶまでに、何万年掛かったか、私は承知していませんが、ライト兄弟が初飛行に成功してから100年程で、人間は太陽系の外側を覗うまでにその「翼」を進化させています。

チンプやボノボなど他の類人猿とヒトとの遺伝子的差異が、1パーセントとか1.6パーセントとか取りざたされています。生物としては本来殆ど差の無い両者の間の、誰が見ても直ぐ分かる行動様式のこの質的な差は、主に道具に有ると思っています。

そしてその道具の基礎は、直立二足歩行に有ったのだと。

103ミケ:2008/01/08(火) 16:51:48 ID:???
アクア説を取り扱う学術論文はほとんどないし
アクア説を支持するための証拠も見つかっていない。

特に【水辺・水中を歩いていたなら湖底の足跡の化石が多く残るはず】だが
最古の人類の足跡は火山灰についていた(水中ではなく陸上を歩いていた)

「アクア説は現状では科学者に相手にされていない」
「アクア説は科学的に支持される仮説ではない」
少なくとも現状では、ね
それを理解したうえでそれでも支持する(信じる)のなら構わないです。

それと、人類史の仮説は
イーストサイドストーリーとアクア説の二択ではないことにご注意
進化論を否定しても聖書が正しいといえるわけでないのと同じく、
イーストサイドストーリーを否定されたからといってアクア説が正しくなるわけではありません。

104:2008/01/09(水) 06:45:43 ID:QpQGFxc6
>「アクア説は現状では科学者に相手にされていない」
「アクア説は科学的に支持される仮説ではない」
少なくとも現状では、ね
それを理解したうえでそれでも支持する(信じる)のなら構わないです。


最近の情報、論調に接していますか?

元々或る仮説が正しいかどうかは多数決で決まる訳ではないし、私にとっての関心ごとは「直立二足歩行の契機」であって、いくつか或る仮説の中で、私にとって生き残っているのが「アクア説」だと言うに過ぎません。

No-98で紹介したNHK番組の西ローランドゴリラの例もそうですが、今、人類の誕生と水辺を関連付けて説明している例は幾らでも有りますよ。特に「アクア説」と銘うってはいませんが。

ネイチャーは、サイエンスやナショナルジオグラフィックなどと並んで、この分野で最も権威のある雑誌だと思いますが(ミケさんの言われる、掲載論文の査読も極めて厳しい)、この2005年4月7日号の表紙は、復元されたサヘラントロプス・チャデンシス(トゥーマイ)の頭が、ボツワナのデルタ湿地、オカバンゴを見下ろしている構図で飾られています。

元々トゥーマイの、700万年前と言う棲息年代の推定自体、同時に発見された水棲動物の指標化石によるもので、発見者のミシェル・ブルネ自身、最初のヒトはこう言った水辺で誕生したと考えています。ネイチャーの表紙はそれを反映したものでしょう。

アルデピテクス・ラミダスやカダッパの化石も、水草や湿潤な森林を示す状況の中で発見されています。
オロリン・ツゲネンシスも同様であり、アウストラロピテクス・アナメンシスもカナポイの、溢れ出るほどの水際の帯状森林に暮らしていたと見られています。

1990年代から相次いで発見された上記化石群の知見を踏まえての、最近の論文なり書籍なりを見て頂ければ、私の言っていることが、あながち検討外れでもないことがご理解頂けるでしょう。

105:2008/01/09(水) 06:46:17 ID:QpQGFxc6
>最古の人類の足跡は火山灰についていた(水中ではなく陸上を歩いていた)

メアリー・リーキーが発見したラエトリの、アウストラロピテクス・アファレンシスの足跡化石は、おそらく世界で最も貴重で有名な足跡でしょう。ドン・ジョハンソンが1974年に発見した同種の全身化石ルーシーと並んで、ヒトの直立二足歩行を最初に決定付けたものです。
特にチンプと同程度の脳容量だと推測されるアファレンシスによるこの足跡は、「ヒトは脳容量の増大に先立って先ず直立二足歩行を獲得した」ことを明らかにした点で、人類史を見直す程の意義が有ったと思われます。

そしてミケさんの仰るように、確かにこのアファレンシスは長い間「最古の人類(ルーシーは318万年前と言われる)」の地位を保っていました。
しかし、1992年、諏訪元、ティム・ホワイト等のラミダス発見以来、上記したような更に古い人骨化石の発見が相次いでいます。トゥーマイからすれば、アファレンシスでさえ中間地点です。

「最初のヒト」が、例えば今の100倍も広かったチャド湖で直立二足歩行を獲得し、その後水が引けた後でも、おそらく道具を使ったり作製したりと言うことを主な理由として、引き続き二足歩行を維持・洗練させてゆくその過程で、ラエトリの火山灰の上にアファレンシスの家族が足跡を残したとしても、少しも不思議ではありません。


>特に【水辺・水中を歩いていたなら湖底の足跡の化石が多く残るはず】だが

本当にそう思われますか?
上記NHK番組の中でも触れていますが水の中は浮力が働きます。それが直立姿勢への移行を無理なく説明する根拠になっているのですが、恐竜はいざ知らず、ヒトの体重で湖底に足跡が多く残るとは、私には到底考えられません。
仮に残ったとしても歩く後から水で崩れてゆくでしょう。それは湖底でなく水際でも同じことです。海水浴に行った際のご自分の足跡の運命を考えれば、お分かりになるでしょう。
更に化石になるにはその上に土砂が堆積することが必要です。

ラエトリの足跡が化石として奇跡的に残ったのは、火山灰が降り注いだ後雨が降り、粘土状になっていたからです。そして足跡が残った直後に又火山灰が降り注いだ為だと見られています。

アクア説批判は多いに結構だとして、「科学的に支持されない」根拠としては些か苦しいと思われますが。

106:2008/01/09(水) 06:46:48 ID:QpQGFxc6
>それと、人類史の仮説はイーストサイドストーリーとアクア説の二択ではないことにご注意

一番良いのはミケさんが、アクア説でもなくイーストサイドストーリーでもない、仮説を挙げて頂くことだと思います。
冒頭述べたように、私は何でもいいのです。「直立二足歩行」を無理なく説明して頂ければ。

ただ私が承知しているのは、「サバンナ説」、それを洗練した形での「イーストサイドストーリー」、「サバンナ・森林モザイク説」、そして「アクア説」しか有りません。
その他に考えられるのは「樹上説」程度でしょうか。
アフリカの地質学的環境・歴史を考えると、それ以外の「説」が私にも思い浮かばないのです。

イーストサイドストーリーは完全に破綻しています。
サバンナ・モザイク説は地理的・生殖隔離と言う点で難が有ります。
樹上説(が有ったとして)は、そもそも分岐する為の淘汰圧の説明が出来ません。

是非説得力のある説をお聞かせ下さい。

107名無しさん:2008/01/09(水) 10:04:42 ID:???
まずは種分化に淘汰は不可欠ではありません。
地理的隔離は必要となる場合が多いですが、
それでも山脈や海のような大きな隔離が必要なわけではありません。
輪状種というのをご存知ですか?

「種分化するためには、淘汰圧が絶対に違わなければいけない」
「種分化するためには、海や山脈で隔てられなければいけない」
というのは雄さんの先入観と勉強不足からくる大きな誤解です。
種分化・Speciationなどで検索をかけて、調べてみるといいでしょう。

>上記NHK番組の中でも触れていますが水の中は浮力が働きます。
それでもサバンナよりはずっと足跡が残りやすいですよ?
それともう一つ、
水の中で(足跡が付かないくらい)浮力が働くということは、
重力に対する適応は必要ないということになりますね?
これが何を意味するか考えてみてください。

さて、最新の仮説云々についてですが、
2005年よりも新しい、2007年の論文(エネルギー節約)が、
そもそも今回の議論の発端だったわけですが?
ついでに、二足歩行に関するレビューを読んでいる最中で、
あなたが収束宣言を出して引っ込んでしまわれたので読むのをやめてしまいましたが、
また始めるというのならまた読むのを再開して概略を説明してもいいですよ?

それから、水辺で生活してる
というのとアクア説はまた別物ですからね。
アクア説は二足歩行に至るメカニズムに関するストーリーでしょう?
毛とか鼻とか云々言ってることから、
水辺での生活ではなくて水棲を前提にしているはずでは?

108名無しさん:2008/01/09(水) 10:05:06 ID:???
>>107はミケです。

109ミケ:2008/01/09(水) 10:52:12 ID:???
取り急ぎ。
2005年4月7日ネイチャーの論文、要約だけ確認しました
ttp://www.nature.com/nature/journal/v434/n7034/abs/nature03392_ja.html
分類学・形態学的な記載に過ぎず、
生態がどうこうとか水辺の生活がどうこうという話ではありません。
植物という単語すら出てきません。

110AH1:2008/01/09(水) 11:24:27 ID:fKqeZx4M
チンパンジーとボノボ、ローランドゴリラとマウンテンゴリラだって、
それほど強力な障壁に隔離されているわけではないですからねえ。
過去に起こった隔離(地理的・生態的)を考えるのはなかなか難しいと思います。

111PDX.:2008/01/09(水) 12:10:04 ID:???
 海底を這いまわったゴカイのような生き物の痕跡化石があるくらいだから、ヒトの先祖が水中で直立歩行してたとしても後は残る可能性はあるんじゃないだろうか。
 足が海底についてなくて立ち泳ぎしていたら足跡なんてないでしょうけど。

112AH1:2008/01/09(水) 12:16:21 ID:fKqeZx4M
浅瀬を立って歩けば足跡は確実に残るでしょうね。
ただ、浅瀬の面積が狭くて残りにくいand/or発見しにくいとか、撹乱を受けやすくて足跡が消えるとか、
そういう問題はありそうな。

今回の例は「類人猿って水が嫌いなんじゃないの?」という疑問に対する反例にはなると思いますが、
一方で「ヒトだけが」という特殊性も失われるような気がしたり、しなかったり。

113:2008/01/10(木) 07:23:59 ID:QpQGFxc6
ミケさんの書き込みを読んでいると、「アクア説は科学的に支持される仮説ではない」とか「先入観と勉強不足からくる大きな誤解です」とか、そんなレッテル張りばっか。
勉強不足には間違いないので別に構わないのですが、繰り返し述べているように私が聞きたいのは、「科学的で先入観に囚われない、勉強の行き届いた」ミケさんご自身の主張なんですけどね。

………と言うことでお伺いします。

>種分化するためには、淘汰圧が絶対に違わなければいけない」
「種分化するためには、海や山脈で隔てられなければいけない」
というのは雄さんの先入観と勉強不足からくる大きな誤解です。
>………輪状種というのをご存知ですか?

1)ヒトとチンプ・ボノボの分岐はその「輪状種」だったと言うことですか? そうだとしたらその出典を示して、単なるミケさんの「先入観から来る誤解」でないことを証明して下さい。
若しそうでないと言われるなら、何故そんな余計な話を殊更ここに持ち出して、それでなくてもややこしい二人のやり取りを、更にわざわざややこしくしなければならないか、ご説明下さい。

2)それからこちらがメインなのですが、淘汰圧が違わず(例えば同じ森林環境が続いている状況で)、隔離も無く、チンプ・ボノボとヒトが分岐したとして、そのメカニズムを「科学的」に、具体的に教えて下さい。

114:2008/01/10(木) 07:27:31 ID:QpQGFxc6
>>上記NHK番組の中でも触れていますが水の中は浮力が働きます。

>それでもサバンナよりはずっと足跡が残りやすいですよ?


私はミケさんの「特に【水辺・水中を歩いていたなら湖底の足跡の化石が多く残るはず】だが」に反論しただけです。

残るかどうか?、と言う話になれば絶対に残らないとは言い切れないでしょうね。現にラエトリでは残った訳ですから。
それにどう言う条件が重なったのか非常に興味が有りますが、ゴカイの痕跡化石まである、と言うことですからね。

ただ今後若し、万が一他に発見されることが有るとしても、それは湖底ではなく次もやはり陸上でしょう。サバンナにも湿地は有るだろうし、森の中にも有るでしょうから。

それでも実際には、唯一発見されているのが偶然な条件に恵まれたラエトリなのであって、それだけ奇跡的な現象が、水の中の湖底で残るとは到底考えられない、と言うのが私の見解でした。
つまり湖底の足跡化石が残っていないことをもって、アクア説の反論にはなりませんよ、と言いたかっただけです。

それにミケさんは「足跡化石」について、物凄く簡単に考えていませんか?
ラエトリの化石は、ヒトの歩行の決定的な証拠となり、「頭が先か足が先か」の決着を付けるほどの大発見でした(尤も発見者であるメアリー・リーキーの夫で、リーキー一家の長、ルイスは最後まで「頭が先」に固執していたようですが)。
歩行と言うことに関しては骨盤や大腿骨の化石以上に直接的な証拠であり、多くの情報を与えてくれるでしょう。

例えばラミダスは、主に歯と顎骨が中心で、大腿骨や骨盤の化石は発見されていない筈です。
トゥーマイは頭骨だけです。
それでも古人類学者はその情報からヒトだと同定し、直立二足歩行に歩き始めていたと推定するだけの大発見になる訳です。

そんな時代の「湖底の足跡の化石が多く残」っていたとしたら、進化人類学全体が仰天して、狂喜乱舞する事態になることでしょう。それは別に湖底でなくとも同じことです。
今までに発掘されたどの化石さえもしのぐ程の大発見になるかも知れません。

ミケさん、一度トライして見たら如何ですか。
一夜で世界中から公演の依頼が殺到しますよ。

115PDX.:2008/01/10(木) 12:22:04 ID:???
 湖底の足跡化石が発見されたら一番喜ぶのはアクア説の支持者だろうし、アクア説を支持する研究者がいればそれを求めての発掘調査くらいしていてもよさそうですがどうなんでしょうね。

116:2008/01/10(木) 20:27:10 ID:QpQGFxc6
>湖底の足跡化石が発見されたら一番喜ぶのはアクア説の支持者だろうし、

多分そう言うレベルの問題じゃないと思うんですよ。
No-114でも書きましたが、ヒトが分岐した頃の歩行様式を直接見せてくれる足跡化石が出てきたら、これはもう「アクア説」「サバンナ説」の縄張りを云々するような、ケチな問題じゃなくなってくるでしょうね。

ただ実際問題として、骨や歯が土砂の中で化石として残るのと違い、同じ土砂に残された痕跡形状がそのまま保存されて化石化するのとでは、可能性の問題としてまるで違うのだと思います。
化石化するには、多くの場合その上に土砂の堆積が必要になる訳ですが、それはそのまま足跡の痕跡を消すことに繋がります。
探して見つかるとか、そう言うものでは無いんでしょうね。

恐竜はあの体重で、おそらく多くの足跡を残した筈ですが、発見された足跡化石は恐竜本体の化石より多分遥かに少ないんじゃないでしょうか。


ことのついでに………、
「アクア説を示す、水辺環境での棲息を証明する化石の証拠が少ない、或いは無い」と言う批判に対して述べておきます。

実は水辺での環境を反映した化石は幾らでも有るのです。と言うか、ある意味でこれは当然のことなのですね。
上記したように化石は多くの場合、堆積岩・堆積層の中で発見されます。
例えばサバンナで死んだ動物がいたとして、肉は食い荒らされ微生物に分解され、骨は直射日光と夜の寒気でボロボロになり、踏み荒らされ、化石に残ることは先ず無いでしょう。

しかし、たまたま洪水があってこの遺骸が川や海に運ばれて土砂に埋まったら、若しかしたら化石として残るかも知れません。
この化石は、川や海の環境を反映した状況の中で発見されるでしょう。しかしだからと言って、この動物が川や海で暮らしていたことにはなりません。
化石ハンターは常にこう言った「タフォノミック・バイアス」に気を付けるよう教育されるそうです。

ですから水辺環境を示す状況で発見される化石は幾らでも有るし、それが普通だと言えます。
そのことをもって、アクア説の証明にならない、と言うだけの話なんでしょうね。

117カクレクマノミ:2008/01/10(木) 21:49:14 ID:nWqwz./A
ゴリラの例を懐疑的に見れば、
「水中の資源を水中での二足歩行により採取していても、必ずしも地上での二足歩行には直結しない」
ことを示しているとも言えます。ゴリラは水中で二足歩行をしていても、上陸すれば主に四足で歩行しているわけですから。

118:2008/01/11(金) 07:14:23 ID:QpQGFxc6
>「水中の資源を水中での二足歩行により採取していても、必ずしも地上での二足歩行には直結しない」

勿論そうです。
私も(おそらくNHKも)この例が、いつかゴリラも二足歩行に向かう過程を示している、とか、そんな捉え方をしている訳では毛頭有りません。

ヒトの直立二足歩行は解剖学の専門家によると、設計ミスとしか言えないような、奇妙で有り得ないな姿勢らしいですね。
ヒトは今でも(700万年練習してきているのに)、腰痛や痔、ヘルニア、メスの難産、立眩みや静脈瘤など、そのつけを払い続けています。その弊害は本来直立二足歩行に移行した直後ほど激しかった筈です。

このつけを支払ってなおメリットとなる適応的な条件は何だったか、と言うことで今まで多くの仮説が提起されて来た訳です。ここでもそれを巡ってのやり取りが有りました。ミケさんがNo-107で予告編として述べておられる「省エネ説」もその一つです。

モーガンは直立二足歩行が適応的となる環境として、水の中を挙げました。
呼吸の為顔を水から出しておくには、直立姿勢しかありません。言わば否応無しの直接的・死活的な適応です。
そして直立姿勢をとることによる上記のつけは、水の中なら浮力の為殆ど弊害となりません。

体重の重い西ローランドゴリラがバイの水草を採る為に、水の浮力の助けを借りてキレイな直立姿勢を見せ二足で歩くシーンは、若しかしたらかってヒトの祖先が辿って来たかも知れない、直立二足歩行と言う特異なロコモーション様式を獲得した契機と、私には重なって見えた、と言うことです。
つまりモーガンの主張が、文字通り絵に描いたように目の前に展開していた、と言うことでしょうか。

カクレクマノミさんが仰るように、西ローランドゴリラは水から上がれば四足に戻るし、彼らにとってはそれが依然としてメインのロコモーション様式でしょう。
しかし仮にここでねぐらへの退路が絶たれたとしたらどうでしょうか。

これは半分私の考えですが、アクア説の都合の良いところは、水は上記のように直接的な淘汰圧として働くと同時に、隔離の機能も果たすと言うことです。
チャド湖でもどこでも、アフリカ特有の激しい地殻変動によって、たまたま低い島状に取り残された一群が(私の考えでは近親交配が弊害とならない程度の個体数)、水草なり魚や貝なりを採る為、否応無しに水に適応しつつ直立二足歩行を獲得して、その後水が引けるに伴い拡散して行った。
その際、少ない個体数は何らかのボトルネック効果を果たしたかも知れない。
適応できなかった個体は子供を残すことなく死んでいった。

勿論これは全くの脳内モデルに過ぎません。異論・反論が有ることは充分承知しています。
ただトゥーマイが若し直立二足歩行をしていたとしたら(大喉頭口の位置と角度は、それを強く示唆している)、ヒトはチンプなどと分岐して殆ど間を置かずにそれを獲得したことになります。そこに待ったなしの死活的淘汰圧が働いた、とでも考えないと、私にはなかなか納得できないものが有ります。

以前、これもNHKですが、周防猿回しの会での猿の直立訓練を見たことがあります。
驚いたことに訓練するに従って、湾曲していた背骨がS字状に変わって行き、キレイな直立姿勢を保つようになりました。一代のそれも比較的僅かな期間で、骨格までも変わってしまうんですね。

ヒトの祖先も生きるか死ぬかの水の中で、比較的短期間に直立二足歩行に習熟して行ったのではないか、西ローランドゴリラを見ながら、改めてそんな風に感じたことでした。

119PDX.:2008/01/11(金) 09:29:08 ID:???
 アシカとかセイウチとかは水中生活に適応しているけど直立歩行の道は選ばなかったみたいですけどね。
 イルカやクジラのように完全に水中生活になったわけではなくて、出産などのために陸上にあがらざるをえない、半水中生活ですが。

 もちろんアシカやセイウチ、あとアザラシなんかが水中で立ち泳ぎのような姿勢を見せることがありますが、それ以上に身体を横にして泳ぎながら顔を水面に出していますし。
 波打ち際でも四足のままですし。

 以前アクア説を主張している人のページでペンギンを水中生活者の直立の例としてあげているのを見たことがあったけど、鳥類はもともと二足なんだから違うんじゃないかなぁと思ったり。
 それにペンギンも水中や波打ち際では身体を横にしているので、浅瀬で水中で直立して顔だけ出す、なんて姿勢はあまりとっていなかったり。

120AH1:2008/01/11(金) 11:36:32 ID:fKqeZx4M
>雄さん
恐竜の体重は必ずしも重くはないですよ。ドロマエオサウルス類(ヴェロキラプトルの仲間)のように軽量だったと思われる恐竜の足跡化石も残っています。重い方が足跡が残り易いと思いますが、大形で重い動物は個体数も少なくなります。
恐らく、足跡がはっきり残る状況というのが湿地や川辺に限られており、それが破壊されないまま埋められる状況がさらに限られているが故に、「どこに誰の足跡化石が残るか」は偶然に左右される場合が多いのではないでしょうか。1億年あまりに渡って栄えた恐竜類全てと、ほんの一時期、少数が存在した人類の祖先とでは、のべ個体数自体が全然違うでしょうから、どこにどんな状況の足跡が残っているかはほとんど「神のみぞ知る」ではないかと思います。

>PDX.さん
ペンギンだけでなく、ウやウミガラスなんかもかなり直立に近い姿勢を取りますから、遊泳性の鳥に共通してるんじゃないでしょうか。恐らく脚の位置が体の後端に近い(ペンギンではほぼ後端)ため、直立しないと重心が足の上に落ちないのが理由だと思います。翼(フラッパー)で泳ぐペンギンの脚が後端についているのはどういう理由なのか知りませんけれど、舵として使っているのか、抵抗の問題か・・・

121PDX.:2008/01/11(金) 12:05:49 ID:???
To AH1さん

 ペンギンの骨格を見ると、脚は膝を90度曲げているんですよね。
 人間で言うと「空気椅子」のポーズ?
 脚をまっすぐ下に伸ばしていないので、そもそもあれを直立姿勢と呼ぶのかどうかは言葉の定義の問題かもしれません。
 とりあえず骨盤→背骨→頭骨は垂直になっていますが。
 エンペラーペンギンなどのような南極大陸のブリザードの中で越冬する種の場合、体温を逃がさないように密集するときにあの直立姿勢が有効なのかもしれませんが、それでは温帯性・熱帯性のペンギンでの説明はできないんですよね。

122e10go:2008/01/11(金) 12:44:27 ID:5/V6R9W6
アクア説の欠点に、陸上より水中の方が立って歩きにくい点も挙げられるでしょうね。

水の抵抗は凄いからね。少しの距離なら歩けるけど、長い距離になると泳いだ方が楽だけどねえ。
首まで浸かれば、歩くのが非常に困難になるしね。浮かんでた方が楽だよ。

123AH1:2008/01/11(金) 13:01:29 ID:fKqeZx4M
>PDX.さん
膝を曲げているのは鳥の系統的な制約だと思います。どの鳥も大腿が胴体にほとんど固定されて、自由に動くのは膝から下ですから。
ハトやカラスのような普通の鳥でも、大腿は翼の下あたりに向かって伸びています。飛ぶためには重心位置が翼の中程(空力中心付近)に来ていないと困りますので、大腿を固定することで可動部分としての脚の付け根を二次的に翼の下付近まで移動させ、飛行姿勢と着地姿勢のズレを小さくしているのではないかと。
ツバメのように脚の短い鳥は電線に足をひっかけるようにして体を立てて止まりますが、恐らく地上歩行を諦めて足を短縮(軽量化)した結果だと思います。

124PDX.:2008/01/11(金) 15:34:14 ID:???
To AH1さん

 ええ、鳥類の系統的な制約であることは間違いないでしょう。
 問題はあの姿勢を直立二足歩行と呼ぶのかどうか?という点と、もう一つはペンギンが直立するのはあくまで陸上での歩行時であり、水中で泳ぐときはもちろん体を横にしているという点です。
 波打ち際のような浅瀬に入るとき、足が水につくような浅さでも既に体を横にして移動する姿を水族館などでよく見ています。
 ペンギンの場合は水中で「立って」水面の上の果実などを食べているわけではありませんし、アクア説で言うような水中での直立姿勢の例にはならないと思うんですよね。
 アクア説支持者の方がペンギンを例に出すのは不適切なんじゃないかと。
(注:雄さんは例として出していないことは承知しております。あくまで他の方のページなどで見かけたものですから引き合いに出しています)

125AH1:2008/01/11(金) 18:07:50 ID:fKqeZx4M
>PDX.さん
水中姿勢については仰る通りかと思います。ペンギンの姿勢はあくまで、「この足でどうやって陸上を歩くか」を解決するための方便かと。
泳ぐなら飛ぶ時と同様、頭を前にした方が抵抗が少ないですから。
直立二足は・・・まあ、定義というか言葉の問題でしょうね。
あれを直立二足と呼ぶと「直立二足歩行する動物はヒトとペンギンと、ウミガラス類もそれに近いが・・」
と非常に歯切れ悪くなりますから。

126:2008/01/12(土) 04:17:40 ID:QpQGFxc6
RE PDXさん
>アシカとかセイウチとかは水中生活に適応しているけど直立歩行の道は選ばなかったみたいですけどね。

人間は現に今、直立二足歩行をしています。その現実を踏まえて振り返って見たとき、若しかしたらその契機は水の中に有ったのではないか、或いはサバンナか、森の中か、と言う話しをしている訳ですね。
話しの出発点を水中生活から始めて、アシカやセイウチにまで広げている訳では有りません。

アシカもセイウチもヒトも、それぞれ考えられない程の偶然の事情が有って現在に至っている訳で、ヒトも水に隔離されたままだったら、また違った道を歩いていたでしょう。その辺は紙一重です。
確率計算をし始めたら、宇宙も地球も、人間を含めて全ての現生生物も有り得ないと言う結果になりそうです。その辺を創造論者やインテリジェント・デザイン論者は突いてくる訳ですね。

でも現実に人間は存在し、生物は現在の多様性を持っています。アシカ、セイウチもそう言う多様性の問題に過ぎないのだと思います。いや、ヒトの直立二足歩行が奇妙すぎると言うべきか。


RE AH1さん
>恐竜の体重は必ずしも重くはないですよ。ドロマエオサウルス類(ヴェロキラプトルの仲間)のように軽量だったと思われる恐竜の足跡化石も残っています。
>恐らく、足跡がはっきり残る状況というのが湿地や川辺に限られており、それが破壊されないまま埋められる状況がさらに限られているが故に、「どこに誰の足跡化石が残るか」は偶然に左右される場合が多いのではないでしょうか。

No-105、116を読んで頂ければ分かりますが、元々私の主張も「足跡化石は考えられない程の偶然のなせる結果で、湖底に発見されないからと言ってアクア説の否定にはならない」と言うことを、ラエトリの例など引きながらミケさんへの反論として述べたものです。
小型恐竜であれ大型恐竜であれ、その足跡化石はおそらく本体化石よりも遥かに少ないだろう、と言う予想をその補強としました(詳しいことは承知していませんが)。

上記のPDXさんへのコメントと同じことですが、現実に残っているものの事情を辿ることは出来るかもしれませんが、おそらくそれぞれが個別的に偶然の結果であって、ゴカイの痕跡化石やドロマエオサウルスの足跡化石が残っていたからと言って、大型恐竜のそれがより多く残っている筈だなどと主張しているものでは有りません。


RE e10goさん
>水の抵抗は凄いからね。少しの距離なら歩けるけど、長い距離になると泳いだ方が楽だけどねえ。首まで浸かれば、歩くのが非常に困難になるしね。浮かんでた方が楽だよ。

ただ現実に、西ローランドゴリラは水の中で歩いていましたね。


【鳥の二足歩行】

ヒトの定義の先ず第一は(聖書などを別として)「直立二足歩行」です。
直立二足歩行によって前肢が歩行から解放され、それによってヒトは道具の作製・使用の道を可能にしたからです。今や人間はダヴィンチや伊藤若冲の絵筆を操る手、村治佳織のギターを弾きこなす手、1000分の1ミリの歪を感知する職人の手を持つに至っています。

或いは多様な音声の可能性(アクア説の場合、この原因説明が異なりますが)、重くなった脳を支えるなど、直立二足歩行無しに人間化は有り得なかったと言えます。
そう言う意味合いでこの「ヒト起源」トピでも中心テーマとして取り上げられている訳ですよね。

この全体の枠から切り離して、鳥やらなにやらの直立姿勢や二足歩行と比較しても、あまり意味の無い議論になると思います。

127e10go:2008/01/12(土) 13:16:01 ID:5/V6R9W6
ゴリラが水の中に入れば、背骨にかかる力が減るから、水の中なら陸上よりも立って歩くのは楽でしょうね。
でも、ゴリラでも二足歩行の練習になるほど長くは歩けないでしょう。

水中での二足歩行の練習が直立二足歩行の手助けになるには、骨格と筋肉を直立二足歩行向きに変化させる淘汰圧がかかる必要があります。
でも、背骨には逆の淘汰圧になりますね。
水の中で背骨にかかる力が減れば、背骨が弱くなります。足の筋肉は強くなるでしょうが、背骨が弱くなるのは現在の進化の結果に反しますよね。

一方、陸上で二足歩行の練習の練習を行なうなら、背骨も筋肉も鍛える事ができますね。

128:2008/01/12(土) 13:43:43 ID:QpQGFxc6
RE e10goさん

いや勿論様々な見解が有ると思います。どう言う要素にどう言う優先順位を付けるかにも拠りますしね。
私は別に「正しさを独占」する積もりは有りません。色々な見解を伺って参考にしたり、自分なりの反論を考えるのは「利口になる」為の材料になると思っています。

ただそれにしても同意できない点が有ります。

>一方、陸上で二足歩行の練習の練習を行なうなら、背骨も筋肉も鍛える事ができますね。

練習?
進化の過程に目的は無く、将来の得べかりし利益の為、現在練習に励むと言う考えは否定されています。
現在の行為そのものが適応的でないと、自然選択はその行動を拾ってくれない訳ですが、どうお考えで?


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