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ヒト起源について

1ミケ:2007/08/27(月) 10:42:35 ID:KO.P9.dA
第一掲示板での議論が立て込んできたので立てました
特に直立二足歩行の起源について話すスレッドです

2ミケ:2007/08/27(月) 11:24:11 ID:KO.P9.dA
先にレスするかまとめるかで迷ったけどレスしてすっきりしてからゆっくりまとめていこうとおもいました。
下記のレスは進化論と創造論についての第一掲示板において、
2007年7月から8月現在にかけて書き込んでいる雄さんへのレスです。

>雄さん
リンク先は読んでいただけましたか?できれば読んでからレスをいただきたいものです。
前適応は
ヒト二足歩行の【直接的要因】を説明しているのではなく、
ヒヒとヒトで何故一方が直立二足歩行に移行し、もう一方がしなかったか、
すなわちヒヒとヒトで何が違っていたかを説明しているのです。

重要:進化の方向性を決めるのは淘汰圧の方向だけではありません。

ヒトとヒヒとの違い前適応の有無
ヒトは直立二足歩行できる下地があったから直立二足歩行になった。
ヒヒは直立二足歩行できる下地がなかったから直立二足歩行になれなかった。
それだけしか言ってないわけ。

で、直立二足歩行の下地がある(類人猿)ところに
【直立二足歩行へ移行する淘汰圧(直接的要因)】がかかれば二足歩行にはなるだろうってことです。
下地がなければ(ヒヒ等、類人猿以外のサル)、どんな淘汰がかかろうとも直立二足歩行にはならないと期待されます。
系統的制約ってヤツです。

それで、雄さんがお気づきでないのが私にはちょっと残念でしたが
【前適応後の直立二足歩行へ移行する淘汰圧】としてアクア説を推すことさえできる。
ここでわたしが前適応を挙げたのは、
ヒヒ等のサルとヒトにおいて、『なぜヒトだけが』という疑問に答えたものであって、
『なぜ二足歩行したか』という疑問に答えるものではないことに注意してください。

【直接的要因】としてのアクア説については、前適応について説明する段において、
私は肯定も否定もしていないでしょう?
前適応はアクア説を棄却するものでもないし、支持するものでもない。
「アクア説でしか説明できない」とアクア説主張者が思い込んでいるものを一つ潰しているだけです。

※アクア説は説の中に前適応が含まれている。
(水への適応→間接的に直立二足歩行に適した形になる)
これは私の言ってる前適応(樹上への適応→間接的に直立二足歩行に適した形になる)と
構造的には同じだってことにまずは気付いてもらわないといけない。

私が科学的仮説としてアクア説を支持しないのは前適応がアクア説を棄却するからではありません。
以下ではアクア説の科学的仮説としての問題点を挙げていく予定です。

3ミケ:2007/08/27(月) 12:06:44 ID:???
とりあえず第一掲示板にて話題に上っているアクア説
Wikipedia
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%94%9F%E9%A1%9E%E4%BA%BA%E7%8C%BF%E8%AA%AC
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Aquatic_ape_hypothesis
反論などは上記ページにも併記されているので、重要なところもしくは触れられてないところを。

・化石がない。
最大のネックは、水棲を裏付ける化石がないこと。
恐竜でさえ、水底を歩いた足跡の化石が残っているのに、
水辺で暮らしていたという水棲の人類祖先の足跡がないのはおかしくなかろうか。

・重力への適応
S字型の背骨、アーチ型の足の甲などは、
直立二足歩行への適応のひとつだが、浮力がある状況でそれらが発達したのはおかしくないか?
それらが発達しなかったのなら、水から出たときは四足歩行に戻ればいいわけで、
あえて陸上でも二足歩行をする必要はないのではないか。

・祖先は地上性(非水棲)、人間も地上性、近縁種も地上性
化石が見つかってないことと同じ項にまとめてもよかったんだけど
進化学におけるオッカムの剃刀の使い方。
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/science/what-sci02.html
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/keitou/kiben03.html
↑を読んで、「お前のほうがアクア説より説明多いじゃんか」という反論をしたヒトはモグリ。

地上(祖先)___地上(ヒト)
      |__地上(チンプ)

(うまく描けてるかな?)これならどっちも、ずっと地上性だったと考えるのが最節約。
ここに、『シャングリラ』である水棲祖先種を入れなければならないのがアクア説。
地上(祖先)__未発見種(水棲)__地上(ヒト)
      |___________地上(チンプ)

ね、余計でしょう。
水棲の近縁類人猿が現在生き残ってるとかならまだ説得力はあるけど。
地上(祖先)__未発見種(水棲)__地上(ヒト)
      |         |_水棲
      |___________地上(チンプ)

4ミケ:2007/08/27(月) 14:36:07 ID:???
>>2
補足です。

>水辺で暮らしていたという水棲の人類祖先の足跡がないのはおかしくなかろうか。
正確には、水辺ではない場所からの足跡化石なら見つかっているようです。
ルーシーと同時代、350万年前ほどの火山灰の地層から
おそらくアウストラロピテクスアファレンシスのものと思われる足跡化石が見つかりました。
ラエトリと呼ばれる場所です。
これは水棲ではなかったと言っていいでしょう。

5ミケ:2007/08/27(月) 20:27:17 ID:???
ここまでの感想。

前適応については、何度も同じことを説明しているけど、
系統的制約――――
進化において生物が至る場所は最適解ではなく局所解であるという点
このあたりを理解してもらわないことには話が進まないだろう。
参考:歴史に由来する不完全性
ttp://members.jcom.home.ne.jp/natrom/panda.html
間に合わせの材料として、二足歩行に移行できるだけの体制がなければ
どんなに有利でも二足歩行に移行しない(類人猿以外のサル)。
サバンナに住む四足類人猿(二足歩行に前適応している)が存在していれば、
サバンナへの適応としての二足歩行説はあっさりと棄却されていたことだろう。
しかし二足歩行に前適応していないヒヒと比べることは
オランウータンにおいて直立二足歩行への前適応が認められた現在ではほとんど無意味。


あと話が進まないのは、
私の文章を読んでいないのもあるかもしれない。
>ヒトだけが慣れ親しんだ四足歩行を捨て、わざわざおぼつかないヨチヨチ歩きを選択する必然性が有りません。

上記文章についても、
おぼつかなくなんかなくて、
「ヒト以外の類人猿も普通に二足歩行に洗練してるよ」
「チンパンジーには、四足より二足歩行のほうがラクに移動できるやつもいるよ」
と何度も言ってるのにね。
(っていうかキッカケがそもそもそういうことを示す記事だったはず)

・人類とチンプの共通祖先は少なくともチンプと同程度に二足歩行に洗練していたと考えるのが最節約的。
・チンプは今でも、四足で歩くのと同程度に二足歩行に洗練している。
これが今までの観察・実験結果から言えること。
ここからストレートに導かれる結論は
「ヒト以外の類人猿(ヒトとチンプの共通祖先含む)でも、十分に二足歩行に習熟しており、
共通祖先の二足がおぼつかないヨチヨチ歩きなどというのは単なる思い込みである」

この結論を覆したいならそういうことを示す観察・実験結果を持ってくる必要があるのだが
それをせずに雄さんは(おそらくは思い込みで)上記のような主張を繰り返す。
これは、単に私の文章を拾い読みして、肝心な部分を読み飛ばしているか、
単なる思い込みからの主張とデータに裏打ちされた主張との重みの違いを理解していないか
のどちらかだと思われる。

前者だとすれば、私の文章の冗長性も原因かもしれないので対策を考えなければいけない。

6名無しさん:2007/08/28(火) 07:36:26 ID:ToCfhv1w
>リンク先は読んでいただけましたか?できれば読んでからレスをいただきたいものです。

読んでいません。
相当量のサイト記事を読ませ、しかもその趣旨を自分の意に沿う形で読み込むことを相手に要求し、それをもってレスをしろ、と言うのは傲慢だと思うし、自分の言葉で説明できない主張にコメントする価値も感じません。
尤も、私がミケさんに、「エレイン・モーガンの代表的な著作、三冊を全て読んでからレスをいただきたいものです」と要求し、ミケさんが応じると言うことなら話は別です。


何回か申し上げているように、進化人類学の専門家の中でもさまざまな立場、見解の相違が有るようです。ミケさんと私ごときが掲示板で結論を出せる問題ではなく、見解の相違は結局水掛け論になるでしょう。既にその様相を示してきました。

以下、私の個人的な考え、疑問と言うことでご理解下さい。

7:2007/08/28(火) 07:41:25 ID:ToCfhv1w
名前が反映されませんでした。
改めて書き込みます。管理人さん申し訳ありませんが、6番は削除願います。
それにしても、書き込み方「(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)」の使い方が分からないなあ。

>リンク先は読んでいただけましたか?できれば読んでからレスをいただきたいものです。

読んでいません。
相当量のサイト記事を読ませ、しかもその趣旨を自分の意に沿う形で読み込むことを相手に要求し、それをもってレスをしろ、と言うのは傲慢だと思うし、自分の言葉で説明できない主張にコメントする価値も感じません。
尤も、私がミケさんに、「エレイン・モーガンの代表的な著作、三冊を全て読んでからレスをいただきたいものです」と要求し、ミケさんが応じると言うことなら話は別です。


何回か申し上げているように、進化人類学の専門家の中でもさまざまな立場、見解の相違が有るようです。ミケさんと私ごときが掲示板で結論を出せる問題ではなく、見解の相違は結局水掛け論になるでしょう。既にその様相を示してきました。

以下、私の個人的な考え、疑問と言うことでご理解下さい。

8:2007/08/28(火) 07:42:02 ID:ToCfhv1w
前適応についての長い書き込み、ご苦労様でした。
しかし、やはり私には特に新味を感じません。8/1付け私の投稿で殆ど対応済みだと思っています。
今度は長い書き込みになっても構わない、とのことらしいですので、改めて転載してみます。

【前適応とオッカムの剃刀】

ミケさんからコメントを頂いています。反論も含めて、特に前適応について。

>>それから、これも繰り返しになりますが、それ程メリットのあることなら、常に飢餓と隣り合わせの野生のヒヒやパタスモンキーで、何故発達しなかったのか。

>彼らには前適応が起こらなかったからです。
彼らはブラキエーションを発達させませんでした。
そしておそらくは腕の関節の関係でしょう、手を補助的に使う二足歩行も発達しませんでした。

ホントですか?
チンプ、オランウータン系列の共通祖先は、樹上生活の中で前適応を発達させていた為、サバンナに出たヒトは直立二足歩行を、最初の一歩から省エネで歩き始めることが出来たのに、ヒヒやパタスモンキーなど、同じくサバンナに出たサル達の祖先は、森の中で樹上生活をしていたとき、揃いもそろって前適応を一切発達させず、その為サバンナと言う同じ環境で有りながら、ヒヒ達には直立二足歩行の萌芽さえ見られない!!!

俄かには信じられないことです。それほど前適応って、強力な切り札なんですか?

それにブラキエーションは、背骨に掛かる負荷が地上での直立姿勢と対極になり、前適応とはなりえない、と言う説も有ります。
しかし、まあいいです。ここではより基本的な考え方について、私の意見を述べてみます。

私は前回、「いくら前適応を発達させていたとしても、本行動そのものの必要性、移行への必然性が無いとき、前適応としての意味は全く成さない訳で、私としては前適応と本行動とを、同列に扱うことには反対です。」と書き込みました。

進化の基本的な要因は、「突然変異」と「自然選択」でしょう。
前適応に意義がないなどとは言いませんが、あくまでも副次的なものです。前適応が全くなくてもこの二つが揃えばその方向に進化が進むでしょう。

ヒトの祖先に、直立二足歩行を促す突然変異が有ったとしたら、それはヒヒやパタスモンキーその他サバンナに住む霊長類の祖先にも、おそらく同じ頻度で起こった筈だと私は考えます。突然変異はランダムだからです。
にも関わらず、ヒトとこれら近縁種の間で全く違った形質や行動が発達したとしたら、私は自然選択、つまり淘汰圧が違っていたと判断します。一言で言えばおかれた環境が違った、と見ます。

ある現象を説明するとき、なるべく基礎的、普遍的な要因で説明しようとするのが、「オッカムの剃刀」なんじゃないですか?
そして基礎的、普遍的な要因で解釈できるとき、わざわざ前適応なんて副次的な要因を持ち出さざるを得ない「反論」って、説得力に欠けるんじゃないですか?

しかも、その同じ前適応の成果で、「エネルギー効率の点で恩恵を受けるに充分なほど二足歩行に習熟している…」チンパンジーが、二足歩行に移行しない理由を、
>エネルギー効率の良さが(デメリットを覆すほど)有利にならない環境に暮らしているからだと説明できます。

…と、今度は環境に求めている。
副次的な要因で説明しようとすると、どうしても「ご都合主義」になりがちだと思う「今日この頃」です。

9:2007/08/28(火) 07:45:07 ID:ToCfhv1w
ミケさんは、
>ヒヒは直立二足歩行できる下地がなかったから直立二足歩行になれなかった。

と書かれています。「なれなかった」と。
つまりヒトと同じ淘汰圧下、本来直立二足歩行になるべきだったのだが、前適応が無かったが為に、四足に甘んじていると言う訳です。
私は、ヒヒは他の全てのサバンナ動物と同じく、サバンナと言う環境で直立二足歩行を発達させる必然性・必要(淘汰圧)が、全く無かったからだ、と理解します。

ミケさんは、ヒヒが直立二足歩行に「なれなかった」為に、過去から現在に渡って、不都合を来たしたで有ろう事柄を、幾つか挙げられますか?

実は、サバンナでも結構きれいな直立姿勢を示す動物はいます。
他でも有りません、パタスモンキーは危険察知の為、立ち上がって周囲を見渡すことはしばしばあります。
サル以外でも、プレーリードッグやミーアキャットなどがきれいな直立姿勢を取っているのを、映像や写真で見かけます。

ミケさんはサバンナ性サルたちは、前適応が無かった為直立二足歩行を発達させることができなかった。と述べていますが、必要が有れば(淘汰圧が掛かれば)少なくとも直立姿勢は取れるのです。さらに必要が有ればそこから一歩踏み出して歩行をすることに、骨格上何の障害も無かったでしょう。

直立はするが歩行はしない、と言うのは、遠くを見渡す為には直立以外に方法が無く、二足歩行が発達しなかったのは、四足歩行で何の不都合も無かったからです。つまり自然選択に則った行動様式が、そのまま発達したに過ぎません。

ミケさんは、プレーリードッグやミーアキャットの祖先種において、直立の前適応を発達させていたと主張されますか?

上の引用でも述べていますが、片方でヒヒなどはサバンナという(ヒトと同じ)環境下で、直立二足歩行が発達しなかった理由に前適応を上げ、片方で前適応の成果で二足歩行に習熟しているチンプが二足歩行に移行しない理由として環境(淘汰圧)を挙げている。
こんな論法が許されるのなら、どんなことでも好きなように説明可能です。

更に、ブラキエーションは重力的な負荷の点で、直立姿勢と対極になり、前適応になり得ない、と言う立場に私は賛成です。
それは直立姿勢によって起こされた椎間板ヘルニアによる腰痛治療に、牽引やぶら下がりなどが使われると言うことを見ても納得の行くことです。
なお、椎間板ヘルニアは、四足動物には無い筈です。これも直立二足歩行によってヒトが支払っているつけの一つです。

10:2007/08/28(火) 07:45:36 ID:ToCfhv1w
>・チンプは今でも、四足で歩くのと同程度に二足歩行に洗練している。

これは有る意味で当然です。チンプの生息場所は樹上と地上の両方です。
つまりどちらも妥協の産物だと言えるかも知れません。短時間ならどちらも使い分けるでしょう。
問題は、「もっぱら」直立二足歩行に特化したのは、ヒトだけだ、と言うことです。

ミケさんにお伺いします。
チンプを含むあらゆるサルたちの中で、只の一件でも良いですから、「お得意の」二足歩行に特化した個体の観察事例が有ったら教えて下さい。
或いは、60億の人類のうち、特別の障害が無く、もっぱら四足歩行に特化した個人の観察事例が、一件でも有ったら教えて下さい。


>ここからストレートに導かれる結論は
「ヒト以外の類人猿(ヒトとチンプの共通祖先含む)でも、十分に二足歩行に習熟しており、
共通祖先の二足がおぼつかないヨチヨチ歩きなどというのは単なる思い込みである」

ヒトを他のサルたちと区別する一番の指標は「直立二足歩行」です。
発見された化石に、その痕跡が認められればヒトに区分し、認められなければヒトには区分しません。

>ヒト以外の類人猿(ヒトとチンプの共通祖先含む)でも、十分に二足歩行に習熟しており、
と言う表現自体、ヒトの定義上論理矛盾です。

ルーシーの復元骨格の、コンピュータによる歩行シミュレーションを見たことが有ると思います。
ルーシーはアウストラロピテクス・アファレンシスに属し、ラミダスからでさえ130万年も歩行練習をして来た訳です。
トゥマイからすれば、400万年も練習を積み重ねています。

それでもルーシーの歩みはおぼつかなく、ヨチヨチ歩きです。
背は前傾し、膝は伸びきらず、左右に体を揺らし、そして足が大きい為丁度アクアダイビングの足ヒレをつけているかのような歩き方です。

700万年前とも言われるようになったヒトの分岐以前、その共通祖先が「十分に二足歩行に習熟しており」とするミケさんこそ、化石や観察事例に基づかない「単なる思い込み」ではないですか?

そうではないと仰るなら、個人サイトなどからの引用や、5匹のチンプの短時間の実験結果などでなく、実際に発見されている化石、或いは世界中の研究グループによる、それぞれ数千時間に渡る地道なフィールドワークで示されている観察事例から、只の一件でも良いです、ミケさんの主張を裏付ける根拠をお示し下さい。


アクア説に関わる、例えば「水辺での化石」などの件は又、改めて書き込ませて頂きます。

11AH1:2007/08/28(火) 11:29:36 ID:lWWemAT6
>ヒヒやパタスモンキーなど、同じくサバンナに出たサル達の祖先は、
森の中で樹上生活をしていたとき、揃いもそろって前適応を一切発達させず、
その為サバンナと言う同じ環境で有りながら、ヒヒ達には直立二足歩行の萌芽さえ見られない!!!

樹上生活に徹底して適応している連中・・たとえばテングザルやホエザルなんかですが、
あいつらはブラキエーション無しで器用に生活してますよ。
一方でテナガザルはブラキエーションの達人です。
樹上生活と言ってもロコモーションの様式は一つではない、というのは、そんなに不思議に思わないですが。

同様にヒヒやパタスモンキーは地上でも四足歩行でなんとかしちゃった連中である、というのも、
それほど突飛な解釈だとは思わないです。

仮にブラキエーションや「つかまり歩き」が直立二足歩行に重要だったとして、ですがね。

12PDX.:2007/08/28(火) 11:48:32 ID:NtVg0xZw
 アクア説の話題が出ているので。
 以前第一掲示板で?アクア説を批判したとき、私は体脂肪の件についてコメントしました。

・ヒトが他の類人猿に比べて皮下脂肪が多いのは水中生活への適応ではなく、農耕や牧畜といった文明を手にしたことで食料の安定供給が可能となり、栄養過剰で肥満しているからである。
・ゴリラやオランウータンも飼育下では肥満します。野生の個体に比べて、同じ身長でも1.5〜2倍くらいまで体重が増加しうるそうです。動物園では健康管理のために栄養制限をしますが、サーカスや見世物小屋では大きいほうが好まれるため栄養過剰にされる傾向があるそうです。
・チンパンジーは飼育下でも肥満しないという話もあります。(ヒトだけが特異なのではなくチンパンジーだけが特異?)

あと体毛についていうと、多くの海獣(セイウチ、アシカ、アザラシ等)は体毛を持っており、水中生活に適応して体毛を失ったのはクジラ類・海牛類くらいではないでしょうかね?
ラッコなどは体毛に空気を含ませることで保温と浮力の確保を行っており、体毛を積極的に利用しているともいえます。まぁこれはラッコの体脂肪が少ないせいでもありますが。

13ミケ:2007/08/28(火) 14:06:07 ID:???
>背は前傾し、膝は伸びきらず、左右に体を揺らし、そして足が大きい為丁度アクアダイビングの足ヒレをつけているかのような歩き方です。
ダウト。
いい加減思い込みで発言すのは勘弁してください。
ってか、いつの時代の認識ですか。
ツッコミを入れる私がソースを引っ張ってこなきゃいけないんですから。
ルーシーに関するWikipediaの記述をごらんください。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC_%28%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AD%E3%83%94%E3%83%86%E3%82%AF%E3%82%B9%29
ただ貼っても読んでいただけないようなので引用・説明します。
まあホントは最初からそうするのがマナーではあったんですが、
あなたの知的好奇心を買いかぶりすぎていたようです。
自分に都合の悪いことは普通は知りたくないですもんね。

>ルーシーの最も印象的な特質のひとつは、外反足である。このことは、彼女が普通に二足歩行をしていたことを示している。
>彼女の大腿骨は骨頭が小さく、骨頚が短い。それらは原始的な特徴ではあるのだが、一方で大転子は(大腿骨頭より高位にならず)明らかに短くなり、現生人類に近づいている。
>彼女の大腿骨の長さに比べた上腕骨の長さの比は84.6%である。現代人の71.8%、一般的なチンパンジーの97.8%に比べると、アファール猿人の腕が短くなり始めているか、足が長くなり始めているか、あるいはその両方が同時進行しているかのいずれかを意味している。ルーシーには、別の二足歩行の指標といえる腰椎の前弯も見られる。

さて、あなたの
>まず背は曲がり、、、の部分
ここの発言の根拠は?思い込みでしょう?
Wikipediaの記述を見てみましょう。

>ルーシーには、別の二足歩行の指標といえる腰椎の前弯も見られる。
これはまた別のリンクにつながっていますが
横から見ると脊柱がS字型に湾曲している状態のことです。
先のレスでも触れたとおり、これは重力を分散ための適応であると同時に直立時にバランスをとるためのものとされています。
チンプにはありません。
これがあるということは、ルーシーが姿勢良く歩いていたことを示しています。
チンプのように背を曲げて歩いていたというのは、思い込み以外の何者でもないのではありませんか?

>膝は伸びきらず、左右に体を揺らし、
これはどうでしょう?
情報ソースがあるなら掲示願います。本でもいいですよ(できればページ指定はお願いしたい)。
やっぱり思い込みだと思いますけど、一応こちらでも調べてみました。
Wikipediaの上のほうにもこう記述があります。
>それらを接合して復元した膝関節は、明らかに直立歩行するヒトのものであることを示していた。

チンプのような膝を曲げた歩行の場合、膝関節で直立二足歩行に適応していたと結論付けることはできないはず。
でもこれだけじゃ弱いので他のHPも当たってみました。(もういちいち論文引いてらんない)
東大総合博物館のページ
ttp://www.um.u-tokyo.ac.jp/museum/ouroboros/04_01/kokkaku.html
>特に骨盤と下肢の構造は腰と足(脚)を伸ばして我々のように歩いていたことを示している。

まあこんなとこです。

ついでに老婆心ながらご忠告させていただきます。
>ヒトを他のサルたちと区別する一番の指標は「直立二足歩行」です。
>発見された化石に、その痕跡が認められればヒトに区分し、認められなければヒトには区分しません。

定義ってのは話を進める上で重要な「ラベル」でしかありません。
実際、化石人類の資料に乏しかった過去と現在でヒトの定義は変わってきていますし、
「種」というものさえ厳密には定義できないことが明らかになっています。
化石証拠が整ってくれば、どんどん中間的な存在が出てくるでしょう。
突然ヒト祖先が二足歩行になったり、突然鳥の祖先が翼を生やしたりしないと思われる以上、
その定義ではやがて困ったり戸惑ったりすることになるでしょう。
いや、別にその定義が問題なのではありません。
生物学とはそういうものなんだ、ってことを頭に置いておいてください。

【次回予告】
>700万年前とも言われるようになったヒトの分岐以前、その共通祖先が「十分に二足歩行に習熟しており」とするミケさんこそ、化石や観察事例に基づかない「単なる思い込み」ではないですか?

これについては『そう考えるのが最節約』と言ったはずですね?
どういう意味かはまた追々説明いたしましょう。
私が紹介したHPを読んでもらえれば一発だったんですけどね。

14地下に眠るM:2007/08/28(火) 23:46:51 ID:???
よし、ここではアクア説擁護の立場でがんばるのだにゃ。玉砕は♂のロマンにゃんね

・賢い動物というとチンプとイルカ。ニンゲンは両者よりも賢いので、水棲のサルとしていいとこどりしているというのが進化論的に妥当な推論。
・僕は木登りより泳ぎが得意

このあたりがアクア説最大の論拠にゃんね、あぼーん

15:2007/08/29(水) 06:55:33 ID:ToCfhv1w
表の掲示板で、約1名、トンデモのわからずやがダダを捏ねていますが、ここでも具体的に提起した質問には一切答えず新味の無い書き込みが続いています。
それに表では、奇妙な連合軍が形成されつつ有るようです。傷の舐めあいとは言いたくありませんが、事実を根拠とせず、思惑を優先したこう言う現象は、あまりみっともいいものだとは思えませんね。

以下、どうなりました?

○ミケさんが「前適応が無かった為」とした、パタスモンキーやプレーリードッグ、ミーアキャットの、きれいな直立姿勢の件。

○直立二足歩行に「なれなかった」ヒヒについて、そのことによる不都合は何か?

○ヒヒなどについては「同じ環境下」だが、「前適応」が無かった為、直立二足歩行に移行できなかった。
チンプは「前適応」で充分可能だったが「環境」が違ったので移行しなかった。
……とする、ご都合主義(ダブスタとも言う)の件。

○ブラキエーションは前適応にはなりえないのではないか、と言う件。

○「ヒト以外の類人猿(ヒトとチンプの共通祖先含む)でも、十分に二足歩行に習熟しており、」と言う表現自体、ヒトの定義上論理矛盾です。……と言う指摘。

○現生サル類での、直立二足歩行の観察例。人類における四足歩行の観察例

○ラミダスやトゥマイによって完全に破綻したサバンナ説の後、そもそもサバンナに進出したとするヒト(そしてヒトだけが)は、何故、サバンナで四足歩行を捨てなければならなかったのか?

等など。
これらに全く頬かむりしたまま、「あなたの知的好奇心を買いかぶりすぎていたようです。自分に都合の悪いことは普通は知りたくないですもんね。」などと、皮肉った積りになっても、あまり説得力は有りません。

と言うことで、特にコメントする必要を認めませんが、とりあえずルーシーの画像を用意しました。
ttp://y-ok.com/appleclub/adam/contents2/luci.htm

出典は……、
NHKサイエンス スペシャル‐5 「生命 40億年はるかな旅-ヒトがサルと別れた日」
…のスキャン画像。

>>背は前傾し、膝は伸びきらず、左右に体を揺らし、そして足が大きい為丁度アクアダイビングの足ヒレをつけているかのような歩き方です。

……が特に間違っているとは思えませんが、その辺は見る人の判断にお任せします。
特に注目すべきは、オロリンやトゥマイから歩き始めたとして、人類史の半分経過した状態だと言うことです。

なお、隣に居るのは、ヒト・チンプ共通祖先とされたプロコンスルです。
今はプロコンスルと、ヒト・チンプ共通祖先の間に、サンブル・ホミノイドと言う祖先種を置くようですが、いずれにしても大差は無いでしょう。

ミケさんは、この共通祖先の段階で既に「人類とチンプの共通祖先は少なくともチンプと同程度に二足歩行に洗練していたと考えるのが最節約的。」と述べておられます。

若し本当にミケさんの主張が正しければ、これはもう「アクア説」など、ハダシで逃げ出す程の、進化人類学上の革命的理論です。
ミケさん、まあせいぜい頑張って下さい。

16tema:2007/08/29(水) 08:11:00 ID:Z7hQl9cM
>玉砕は♂のロマンにゃんね

それは玉砕でなく自爆?

17AH1:2007/08/29(水) 11:28:34 ID:65b4VZNc
樹上でも地上でも霊長類のロコモーションは一つではなく、
それぞれの種がいずれも繁栄している・・
という点は、いかが御考えになります?
この点から「同じ草原環境に進出しながらロコモーションが違うのはおかしい!」
という雄さんの指摘は、必ずしも正しくないと考えるのですが。

また「直立」と「直立二足歩行」が異なることは、ASIMOの開発で世界が驚いたことからも
想像できます。実際、直立したまま動的二足歩行を行う生物は少ないですから
見張るために直立姿勢をとる・・すなわち視点を上げるという行動はサバナでは一般的です。
御指摘のミーアキャットなどはもちろん、ゴアナもイタチもやります。
(ゴアナは威嚇ディスプレイかもしれませんが)
しかしながら、そのまま歩いてしまう生物が他にいないという点から、
ヒトにはなんらかの前適応があっただろう、と考えますし、
その後の進化を促した理由が「地上を歩かざるを得なかったから」であったとしても
それほど突飛であるとは考えないのですが。

正直に言って現時点ではヒトの分岐した時期も場所もまだ推測の段階であり、
その時点の古環境は二重に推測を重ねざるを得ないわけで、
サバナ仮説が葬られたかどうか、断定するには足りないのではないか、
というのが私の意見です。

18ミケ:2007/08/29(水) 13:37:31 ID:???
質問をまとめてくださってありがとうございます。
目の着いたところから逐一コメントなりツッコミなりしていこうと思っていたので
そちらが優先順位を設けてくれたのはこちらとしては非常に助かります。
それに応えて丁寧に答えるので超絶長いです。ご了承ください。
まずは前半。

○ミケさんが「前適応が無かった為」とした、パタスモンキーやプレーリードッグ、ミーアキャットの、きれいな直立姿勢の件。

第一掲示板でのGBさんのコメントを引用します。
>繰り返しますが、他のサルたちはヒトとは異なるそれぞれの「歴史」に基づく方法で適応し、生き延びたのでしょう。「見張り」動作なども含めて。

上記を踏まえれば簡単なことです。
パタスモンキーやプレーリードッグ、ミーアキャットはは本当のヨチヨチ歩きしかできないから二足歩行に移行することはなかった。
ヒト・チンプの共通祖先は、二足歩行と四足歩行が同程度にできていたと考えるのが最節約的(もっと後で詳述します)なので二足歩行に移行する余地があった。
ここまで書いて自分で思いました。
>>17でAH1さんの言ってることのほうが分かりやすい。。。orz


○直立二足歩行に「なれなかった」ヒヒについて、そのことによる不都合は何か?

質問の意図がよく分かりません。
いつの投稿に含まれているか教えていただければ、前後の文脈から適切な答えかたができると思います。


○ヒヒなどについては「同じ環境下」だが、「前適応」が無かった為、直立二足歩行に移行できなかった。
チンプは「前適応」で充分可能だったが「環境」が違ったので移行しなかった。
……とする、ご都合主義(ダブスタとも言う)の件。

そもそも私は
ヒヒとヒト祖先が同じ環境だったかどうかにもあなたと同じように疑問を持ってはいます(後段のサバンナ説どうこうのところを参照)。
ただ、あなたの質問にあわせているのでこういう言い方にならざるを得ないんことをまずご了承ください。
説明長くなるから省きたかったけど、後段でも私がサバンナ説支持と勘違いしてるっぽいから

チンプはヒトにより近い親戚で、ヒヒは遠い親戚です。
チンプは体の構造がヒトに近いけれど、ヒヒは遠い。
先にも述べたように、進化を考える上では系統的制約というのがとても重要でして、
親戚関係の遠いもの同士を比較する場合と近いもの同士を比較する場合とでは話が変わってきます。

体の構造が近い種類どうしにおいては、
同じ環境に置かれれば似た変化を示すことが期待されるのに対し、
体の構造が遠い種類どうしにおいては、
同じ環境に置かれても異なる変化を起こす可能性がある。

したがって体の近い構造のもの同士が異なる進化をしたのなら
それは原因を環境(淘汰圧の方向)に求めるべきなのに対し、
体の構造が異なるもの同士の場合は環境かもしれないし、体の構造による制約(系統的制約)かもしれない。
ヒトとヒヒの場合は環境は分からないけれど、系統的制約が大きかった(仮に環境が同じだったとしても同じ結果になっただろう)という意味で前適応でしょう、と答えたのです。

いいですか?科学においては条件を揃えて比較するのが常識です。
チンプ・ヒヒ・ヒトでは条件がバラバラなので一度に比較はできません。
それぞれの違う点を述べただけでご都合主義だダブスタだと言われては科学的比較なんてできませんがな。


○ブラキエーションは前適応にはなりえないのではないか、と言う件。

これについてはちょっと話が一人歩きしてますね。
私の投稿を読み返してみてください。ブラキエーションが全てだとは言ってないでしょう。
全部がブラキエーションで揃う必要などないんですよ。
そんなこといったらそれこそ
「目のような複雑な器官が一度にできたのは考えられない」
「ミイデラゴミムシのガス噴射装置は、必要なものが一度に揃わなければいけない」
なんていう主張と一緒になってしまいませんか?

背骨が重力を支える方向は逆ですが、内臓にかかる重力の方向は同じ。腹側への方向だったのが足側になります。
でもそれより私が注目しているのは、肩の関節。
肩の自由度が増したなら、今度は「腕を補助的に使った樹上での二足歩行」が可能になる。
まあこれについては私の個人的推測であり、裏づける(もしくは否定する)資料を探すのがめんどくさかったのでアレ以上言いませんでしたが。

19ミケ:2007/08/29(水) 13:40:51 ID:???
○「ヒト以外の類人猿(ヒトとチンプの共通祖先含む)でも、十分に二足歩行に習熟しており、」と言う表現自体、ヒトの定義上論理矛盾です。……と言う指摘。
可能である、というのと常時行っていた、という違いでしょう。「今のところは」ね。

答えは以上ですが、まあ>>13の忠告をもう一回読んでみてもらいたいものです。
分類上の定義にこだわるのは科学ではありませんよ。
定義なんて所詮はラベルなんですからM幡さんみたいになっちゃいますよ(分かる人にしか分からないネタでした、失礼)。
ある世代から突然立ち上がったのではない以上、どうやったって中間段階というものはいずれ見つかってきます。
たとえば鳥などが面白い例です。
最終的に分岐学的には鳥類の定義とは
「現生の鳥と始祖鳥の直近の共通祖先から生じた全ての系統」
となっています。
翼やら羽毛やら竜骨突起を各系統で独立に得たり二次的に失ったりでその辺の定義が使えなくなったからです。
仮に、「チンプも実はかつて常時直立二足歩行を獲得していたが、後に二次的に二足歩行を失っていた」なんてことが明らかになったらどうします?
考えもしませんでしたか?
しかし今後そういう二次的に二足歩行を失った化石人類が出てこないとも限らないんですよ?


○現生サル類での、直立二足歩行の観察例。人類における四足歩行の観察例
画像です。
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0b/Orangutan.jpg
あとはボノボ。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%8E%E3%83%9C
>チンパンジーよりも直立二足歩行が得意で、食物を運ぶときなどに数十メートル二足で歩くことがある。
ついでにボノボは、アクア説の拠り所の一つである「正常位の性行動」を潰してくれていますね。

人類における四足歩行は必要ないんじゃないですか?
人類は両方できる状態から二足歩行に特化したわけですから。
そのような観察事例が必要な理由をまとめてください。


○ラミダスやトゥマイによって完全に破綻したサバンナ説の後、そもそもサバンナに進出したとするヒト(そしてヒトだけが)は、何故、サバンナで四足歩行を捨てなければならなかったのか?

知りません。現在では証拠不十分です。
そもそもサバンナに出た後で四足歩行を失ったのか、出る前に失っていたのかも分からないし、
私はその点に言及したこともありませんよ。
ただ、エネルギー節約に役立った、というのは良い仮説だと考えています。
これについてはトレードオフ関係の理論と、進化の数学的モデルに関する背景がないと説明しにくいので、もし興味があれば説明ということで。


プロコンスルその他に関してはまた後でレスしますね。
写真やらテレビやらが根拠で、論文や文献に頼ったものでないことが分かれば私としては充分ではありますが、
そのへんを人様に分かり易く説法を垂れるとなるとまだまだ長くなりますので。

>若し本当にミケさんの主張が正しければ、これはもう「アクア説」など、ハダシで逃げ出す程の、進化人類学上の革命的理論です。

いやいや、ちょっとちょっと……。
Wikipediaの水生類人猿説の項を引用します。
>古人類学においては主流の説ではない。
>The AAH has been poorly received in mainstream paleoanthropology (Lowenstein & Zihlman 1980, Langdon 1997)
裸足で逃げ出すのは、まずは堂々と立ちふさがってからだと思う。

さて、それじゃ私の質問にも答えていただきましょうか。
1.直立二足歩行に「なれなかった」ヒヒについて、そのことによる不都合は何か?の質問の意図が分からないので、その辺について触れている投稿を教えてください。

2.私(ミケ)がサバンナ説支持者だと思っていましたか?
(実際は単にアクア説でしか説明できないと吹聴されていることを、
それなしでも説明可能であることを示しているだけでしたが、
誤解があったなら以降はそういう認識でお願いしますね)

3.化石や分子やフィールドワークの示す観察事実が、「人類の祖先が水棲だった」と語ったことがありましたか?
(ないならオッカムの剃刀で切り落とされます)

※最節約に関すること、プロコンスルに関することはまた後でレスします。気長に待っていてください。

20ミケ:2007/08/29(水) 13:46:12 ID:???
○「ヒト以外の類人猿(ヒトとチンプの共通祖先含む)でも、十分に二足歩行に習熟しており、」と言う表現自体、ヒトの定義上論理矛盾です。……と言う指摘。

について補足。
たとえば「ある種」を定義したとして、
その種をよくみたら実はよく似た二つの種から構成されていた
なんてよくある話で。
今はヒト祖先系統とそれ以外の系統を区別するのに
「直立二足歩行が一番使える」からそう定義しているだけのこと。
分類における定義を絶対と信じ込んでしまうのは危険ですよ。

M幡云々は忘れてください。清書する際の消し忘れです。

21:2007/08/29(水) 18:30:19 ID:ToCfhv1w
パタスモンキー、ミーアキャットなどが直立するのは、捕食者をいち早く見つける為、遠くを見渡すには、直立以外の方法が無く、つまりそこに死活的な淘汰圧が働いたからです。

淘汰圧があれば、種や属を超えて同じ行動が発達する例であり、そこに前適応の有無など、現実に殆ど関係有りません。

直立はするが、二足歩行はしないのは、二足歩行への淘汰圧がが全く働かなかったからです。彼らには二足歩行をする必要が全く無いからです。

危険を察知した彼らは、あるものは大急ぎで巣穴にもぐりこみ、あるものは木にかけ登り、又有るものは全力で走り去る。
そして当然ながら、パタスモンキーのようなサバンナ類人猿にとって、全力で走るとは、四本の足全てを使って走ることです。

そこに何の不思議も有りません。

本来、サバンナと直立二足歩行との間に、必然的な関係など一切ないのですよ。
他のサバンナ性サルたちと同じく、ヒトの祖先がサバンナに進出した(取り残された)として、それまで慣れ親しんでいる四足歩行を捨て、わざわざ一から二足歩行の練習をする必要など、本来全く無かったのです。

ヒトは現実に直立二足歩行をしている。
そして最初、ヒトの起源説としてサバンナが想定された。

だから否応無しに、その二つを関連付けて説明することを求められたに過ぎません。
その説明付けが、今この掲示板で戦わされているさまざまな、そして苦しい議論です。

ここで言われていることは「前適応のおかげで、サバンナに進出したときスムーズに直立二足歩行が『できた』」とか、「共通祖先の段階で既に直立二足歩行に習熟していたから、そのままサバンナで直立二足歩行が『できた』」と言ったような、「できた」論ばかりです。

できる、できないは、前適応の有る無しに殆ど関係なく、そこに死活的淘汰圧が働けば、否応なく「できる」ようになるでしょう。


ドーキンスが「難題が突きつけられる」と言い、提唱者のイブ・コバンさえも、とうに見放したイーストサイドストーリー(サバンナ説)に、けなげにもしがみついている「サバンナ説」信者の皆さん………、
できる、できないではなく、「何故ヒトだけがサバンナで直立二足歩行を選ばなければ成らなかったか?」「何故慣れ親しんだ四足歩行を捨てなければならなかったか?」「サバンナで、ヒトだけに掛かった淘汰圧はなんだったのか?」、是非私に分かりやすく教えて下さい。

22:2007/08/29(水) 18:33:12 ID:ToCfhv1w
訂正

パタスモンキーのようなサバンナ類人猿
→パタスモンキーのようなサバンナ性サル

23AH1:2007/08/29(水) 18:59:37 ID:lWWemAT6
別にヒトが二足歩行を進化させたのがサバナであってもなくても良いのですが、
チンパンジーを含む類人猿がある程度まで二足歩行を行うということは、
類人猿というグループの中で二足歩行が祖先形質である・・つまり
類人猿の中で、どこかの時点で進化した形質であると考えるのが普通なのでは?
つまりヒトが分岐する以前から、ということです。
私の知る限り、地上を突進する必要のある類人猿はいません。大形のゴリラはさすがに地上性ですが、
あそこまで大きければほとんど敵もいませんし。
だから、平地で敵を発見した大形類人猿がどう行動すれば良いか、・・つまり
「四つ足で走るのが全て」かどうか、断言する自信は私にはありません。
またロコモーションが「敵から逃げること」だけではないだろう、という点も、頭に浮かびます。

ヒトがその二足歩行を極めて洗練された形で実行しているのは確かなんですが、
現時点で(ヒトの分岐の時代も、場所もまだ未確定であり、ということは環境も未確定)
サバナ説があり得ない、とまでは言えないのでは?
というのが私の意見です。

またアクア説について言えば、湖でも良いという仮説の提唱により最初よりは適応範囲が広がりましたが、
やはりいまだに「水の中なら説明しやすいんじゃね?」という解釈以上の証拠が何もありません。
これがネックですね。

(雄さんの最初の意見がすでにわかりづらくなって来てるんですが)

24しろうと:2007/08/29(水) 19:30:56 ID:BPiKEwWk
本当に人間は昔四足で歩いていたんですか?何で判るんですか?

25GB:2007/08/29(水) 21:13:15 ID:???
古典的な理屈をひとつ。

「手と腕を自由にして両足でしっかり立つことが人間の利点だとすれば…その祖先にとっても、
二足歩行の傾向を強めることが利益にならなかったはずはない。」
(チャールズ・ダーウィン『人間の由来』)

空いた両手で武器を握りしめ(これは樹上の祖先由来でお手のもの)、武器を振り回して猛獣から身を守ったり、
狩りをすることは、逃げ足に劣るヒトの祖先としては死活問題ではなかったか、と。
少なくとも、本格的にサバンナに進出した(らしい)ホモ属以降では有効なんではないですかね。

これも一種の間に合わせなのかも。言いたいことが伝わるかどうかわかりませんが。

26GB:2007/08/29(水) 21:23:31 ID:???
>>24
平地で暮らし始めた時点では、不十分ながら二足歩行だったと思ってます、私は。

27NAN:2007/08/30(木) 00:22:28 ID:???
議論そのものの「対立軸」に絡む気はありませんが、少しばかり私の「考えるところ」について。

まず、ヒトおよびいく種類かの類人猿が二足歩行をする点についてですが、私の想像では「二足歩行にメリット」があったからではなく、両手が使えることにこそメリットがあり、その最大の恩恵とは「体軸を利用したバランスと直立二足歩行(走行)」なのではないか、と考えています。

次に、以前は私も熱心にアクア説を支持しましたが…この説を知るにつれ、現状のアクア説には科学的根拠(主に物証)が足りなすぎること、現在あるカタチのアクア説にはさまざまな尾ひれがあり過ぎることなどから、「今あるカタチのアクア説」に科学的信憑性が薄いことは了解しています。

一方で、人類起源→水棲類人猿説がアイディアとしてなにがしかの「可能性」を持つであろうことについては未だに「捨てきれない」ところです。これはAH1さんが指摘する「水の中なら説明しやすいんじゃね?」という着想に惹かれているだけのことなのであしからず(笑。

話を戻して「なぜ直立二足歩行なのか?」という点について”考察”すると、機動性においてなにか優れているというほどのことはなく、むしろさまざまなジャイロを発達させないと「よちよち歩き」さえ出来ない二足歩行を発達させるだけの原初的理由が見当たりません。ではなにが最大のメリットなのだろう?と考え始めると「やっぱ両手をぶん回しながら道具を持って動けることじゃん!」となるのが私の考えです。

この考えを推し進めると、ヒトがこれだけ直立二足歩行を洗練させた要因は、直立二足歩行そのものの要請ではなく、両腕を移動目的以外の用途に洗練させる方向の淘汰圧によって付随的に直立二足歩行が発達したのではないだろうか?と思えます。これは系統的制約を含めて、目立つところでは肩甲骨および肩関節、さらには骨盤、股関節、膝関節の直立二足歩行に対する適応的可能性などが合致しないと「発達させたくても不可能」な要求です。

ヒヒが直立二足歩行をしないのは、その必要性のあるなしよりも、系統的(根本的な設計の相違)制約に阻まれて直立二足歩行を発達させようがないからであり、別にそんなことしなくてもきちんとしたニッチを得ているのだから「どうでもいい」ってことではないでしょうかね。同様にチンプには「機会として」ヒト程度の直立二足歩行を獲得する下地(系統的制約)を持っているけれど、それを発達させなければならない要求がなかった。ただそれだけのことでしょう。

最後に「環境」というか淘汰圧についてですが、類人猿のような群れ生活を営むサルの場合、最も大きな淘汰圧は「同属による淘汰(競争・支配)圧」であるだろうことが、なんだかおざなりになっている印象です。

28ミケ:2007/08/30(木) 02:11:58 ID:???
>>21を読んで、
私の投稿は「まだ」読んでないか、
あるいは>>21の投稿は私宛ではないと感じました。

読んでもらえるとは思いますが、一応念のため。
>>18でも>>19でも言いましたけど私はサバンナ説を支持しているわけではありません。
もう一度、七月末からの私の投稿を最初から読み返しても、
私がサバンナ説なるものを支持していたわけではないことを確認してもらえると思います。
サバンナ説信者の皆さん、って誰のことでしょうね。そんなにたくさんいたかな?

29shinok30:2007/08/30(木) 06:54:46 ID:hGaYHI42
>サバンナ説信者の皆さん、って誰のことでしょうね。そんなにたくさんいたかな?

雄さんが考えているような「サバンナ説信者」は,ここにも第1掲示板にも,たぶん一人もいないんじゃないでしょうか?

30:2007/08/30(木) 07:35:12 ID:ToCfhv1w
RE NANさん

全体的なニュアンスとして、私もNANさんの見解に共通性を感じます。

私はやはり「人間」は特殊な動物だと思っています。

チンプ、ボノボとヒトは祖先を共有しています。そしてその共通祖先はゴリラとも祖先を共有しています。
注目すべきは、チンプ、ボノボから見て、種として一番近い親戚は、ゴリラやニホンザル等、他のどの「サル」でもなく、人間だと言うことです。
事実チンプとヒトは、99%近い遺伝子的な共通性を持っていると言われています。

本来はその近縁度を反映して、外見・行動様式などが、ヒトとチンプで最も似通っているべきですが、現実はヒトだけが、取り分け行動様式の点で飛びぬけて特殊です。

つまり、A と言う共通の祖先から A1、A2、A3 と言う順序で、種が分岐したことが分かっていたとして、A1とA3は比較的似ているのに、A2だけがとんでもなく違っていると言うことは、普通は有り得ない。この有り得ないことが人間とチンプ、ゴリラ、そして他の全てのサル達の間で起こっている事態です。

この特殊性がどこから来るのか?、つまり「人間とは何か?」と言うのが目下の私の大きな問題意識である訳です。
私はこの特殊性を作り出した要因を、「道具」と「言葉」だと思っています。
そしてそれを可能としたのが、他でもない「直立二足歩行」であった、と考えています。
この辺の事情は、ドシロートのバグ見解で恥ずかしいのですが、以下の拙サイトにまとめて有ります。

ttp://y-ok.com/appleclub/adam/contents2/contents_1.htm

直立二足歩行によって、歩行から開放された前肢(手)によって道具の使用・作成が可能になっただろうし、前肢にますますの道具使用の機会を振り分けることで、より前肢が歩行の用から遠ざかったのでしょう。
そのように相携えて、ヒトは直立二足歩行を洗練させて行ったのだと思います。

その点で、NANさんのご指摘には、いたく共感します。

ただ、「最初の一歩」のキッカケまで道具の使用・作成に負うのはやや無理があり、やはりそこには進化生物学的な要因をどうしても考えざるを得ない、と言うことで、私はその契機・メカニズムとしてアクア説に納得している次第です。

やはり直立二足歩行の契機を説明できない「人類起源説」は意味が無い、と言うのが私の思いです。

なお、近年の分子生物学の知見によって、アクア説の「物的証拠」が出た、とモーガンは述べています。私が読んでも結構説得力を感じるところです。
その辺を含め、モーガンの主張するアクア説のシナリオを、今度一回まとめてご紹介してみようと思っています。尤もモーガンの著作を読んで頂ければ、私の紹介など無用な訳ですが。

専門家でも立場や見解が異なる中、ここでもさまざまな主張が提示されています。
それで結構なんだと思います。進化生物学門外漢ながら、私も随分勉強になりました。

31名無しさん:2007/08/30(木) 09:13:34 ID:hGaYHI42
>なお、隣に居るのは、ヒト・チンプ共通祖先とされたプロコンスルです。
>今はプロコンスルと、ヒト・チンプ共通祖先の間に、サンブル・ホミノイドと言う祖先種を
>置くようですが、いずれにしても大差は無いでしょう。
>ミケさんは、この共通祖先の段階で既に「人類とチンプの共通祖先は少なくともチンプと
>同程度に二足歩行に洗練していたと考えるのが最節約的。」と述べておられます。

プロコンスルは約1800万年前
サンブル・ホミノイド改めSamburupithecus kipthalaniは約950万年前
時代が全然違う共通祖先を「いずれにしても大差は無い」というのは無茶
文脈から「ミケさんのいう共通祖先」は「ヒト・チンプの分岐直前の共通祖先」のことでしょう

最節約的に考えれば,「ヒト・チンプの分岐直前の共通祖先」は
『チンプと同程度には』二足歩行に洗練していたと思いますよ

もし,ヒト・チンプの共通祖先がチンプよりも二足歩行に洗練してなかったとすれば,
ヒトの系統とチンプの系統で独立に二足歩行が獲得されたことになりますが,
雄さんはチンプの二足歩行はヒトとは独立に獲得されたものだという考えなのですか?
ついでに,ゴリラの二足歩行やオランウータンの二足歩行はいつ獲得されたと思いますか?

32shinok30:2007/08/30(木) 09:15:12 ID:hGaYHI42
名前入れ忘れました
>>31はshinok30です

33地下に眠るM:2007/08/30(木) 10:08:33 ID:???
>進化の基本的な要因は、「突然変異」と「自然選択」でしょう。
>前適応に意義がないなどとは言いませんが、あくまでも副次的なものです。前適応が全くなくてもこの二つが揃えばその方向に進化が進むでしょう。
(No.8 雄)

前適応ちゅうのは、自然選択を無理なく説明するための概念ではにゃーのか?
淘汰圧さえあれば、前適応がなくてもある機能を持ちえるちゅうのは、そうとうに観念的ちゅうか目的論的な議論に思えますにゃ。自然選択=適応、ちゅうのは使い回しの歴史にゃんからなあ。

あと、AH1もいってたけど、単なる直立と直立二足歩行では要求される演算能力の桁が圧倒的に違うんでにゃーの?
「必要があれば直立する」はよくわかるんだけど、「必要があれば直立二足歩行する」はぜんぜんわかんにゃーです。
それってさ、「生物は必要があれば無から有を生み出す」といっているに等しいんだけどにゃー

34shinok30:2007/08/30(木) 10:27:39 ID:hGaYHI42
>つまり、A と言う共通の祖先から A1、A2、A3 と言う順序で、種が分岐したことが
>分かっていたとして、A1とA3は比較的似ているのに、
>A2だけがとんでもなく違っていると言うことは、普通は有り得ない。

ホッキョクグマはアラスカ南東部のヒグマと遺伝的に非常に近縁ですが,
ホッキョクグマの形態や生態はヒグマとは明らかに異なっています
集団の分岐の順序は形態的・生態的特徴の差異と一致するとは限りません

>意外な祖先を持つヒグマ/『NATIONAL GEOGRAPHIC』 1999年10月号(日経ナショナル・
>ジオグラフィック社)の自然通信に、「意外な祖先を持つヒグマ」というタイトルの記事が
>載っています。  アラスカ南東部のアドミラルティ島に生息するヒグマは、ホッキョクグマ
>との血のつながりが、他のヒグマよりはるかに深いそうです。ユーラシアと北米の熊約450頭
>の遺伝子を、ジェラルド・シールズ氏とアラスカ大学の研究チームが調べ、アドミラルティ島
>とその近辺に生息するヒグマは、4万年ほど前に同じ祖先から生まれているそうです。つまり、
>彼らは古代ヒグマの子孫だというのです。 
ttp://outback.cup.com/old_info.2.2.html

35AH1:2007/08/30(木) 14:49:11 ID:lWWemAT6
地下に眠るMさん
>「必要があれば直立する」はよくわかるんだけど、「必要があれば直立二足歩行する」はぜんぜんわかんにゃーです。

自分で振っておいてなんなんですが、「必要があれば直立二足歩行する」もあり得ないことじゃないと思いますよ。
ただ、何もない所から始めると試行回数が莫大になるので時間がかかる・・ひょっとしたらいつまでたってもできないかも・・
という違いでは?

雄さんの意見は「強力な淘汰圧にドライブされれば前適応など想定しなくても可能であり、その方が素直なアイディアだ」というものだと理解しているので、
要するに淘汰圧の強さと前適応の度合いがトレードオフになっている、という話でしょうね。

36PDX.:2007/08/30(木) 15:25:18 ID:NtVg0xZw
 ところで、ヒト化石が出ている地層の花粉とか種子とかの化石から、その地域が当時サバンナだったのかジャングルだったのか湖沼だったのかというのは決定されてないんでしょうかね?

37しろうと:2007/08/30(木) 17:05:25 ID:BPiKEwWk
>チンプ、ボノボとヒトは祖先を共有しています。

えー、何で分かるんですか?

38:2007/08/30(木) 17:26:46 ID:ToCfhv1w
RE shinok30さん

>プロコンスルは約1800万年前
サンブル・ホミノイド改めSamburupithecus kipthalaniは約950万年前
時代が全然違う共通祖先を「いずれにしても大差は無い」というのは無茶

本当ですか???
私は「大差は無いでしょう」と書いて有るのですが、無茶かどうか、思考実験をして見ましょう。

隣のプロコンスルを、私が間違って「隣に居るのは現生チンパンジーです」と紹介したとして、shinok30さんは、その「大差」を直ぐに見抜けますか?
ましてプロコンスルと同じ、森の住人であっただろうサンブルピテクスの、骨格を想像復元して隣において、その「大差」を、shinok30さんは即座に見抜ける自信が有りますか?

この時代の近縁霊長類、例えばナチョラピテクスなどの化石骨格を見ても、その差は私には全く分かりません。
そう言う意味で「大差はないでしょう」と書いたのですが、何か「無茶」なことでも有りますか?

そもそも、置かれた生息環境に依存する野生動物と、道具を使って環境を変え、環境依存からの脱却を果たした人間とでは、その変化のスピードがまるで違うんですよ。
「時代の違い」のタイムテーブルが、人間と野生生物ではまるで違う訳です。

人は例えばルーシーから、現在まで310万年の間にも、大きく変化しました。でもおそらくチンプは分岐以後700万年、基本的には「大差」の無い姿で経過していると思います。
今では違う種とされるボノボとの間に、歩行法の上で「大差」など殆ど見受けられませんしね。

こう言う問題は野生生物の状況を考えれば、直ぐに分かることだし、動物行動などを見る際、人間中心に考えるのは、気をつけなければならない落とし穴だと言うことは、よく言われることなんですけどね。

「『いずれにしても大差は無い』というのは無茶」とするshinok30さん、その無茶の根拠を、具体的な資料に基づいて私に納得させて下さい。


>最節約的に考えれば,「ヒト・チンプの分岐直前の共通祖先」は
『チンプと同程度には』二足歩行に洗練していたと思いますよ

本当ですか???
共通の祖先が暮らしていたのは一体どう言う環境だか、考えた上でのことですか?

950万年前のアフリカは、大地溝帯の活動が一部で始まったばかりの頃でしょう。
当然サバンナなど形成されず、密林に覆われていたことでしょう。
だからこそ440万年前と想定されるラミダスの化石でさえも、森林の痕跡を示すさまざまな化石と共に発掘されているのです。
ましてトゥマイにしてなお、です。サバンナの痕跡などまるで見当たりません。

専ら樹上生活に特化していただろう、共通祖先にあって、確かに樹上での対応は現生チンプより「洗練」されていたかも知れませんが、私には断じて「チンプと同程度に」二足歩行に洗練されていたとは思えません。
それが、あのプロコンスルの骨格じゃないですか。

最節約だかなんだか知りませんが、shinok30さんの、「思いますよ」の具体的根拠を、実際の化石なり、観察記録なりを示しながら、どうして思うのか、論証して下さい。


>ホッキョクグマの件。

ホッキョクグマの件は知りません。形態的・生態的差異は、置かれた環境によって違ってくるでしょうね。そう言うことは当然ありうることだと思いますが。

ただ「A2だけがとんでもなく違っている」と言うときの、人間と他のサル全てとの違いの度合いは、単に形態的・生態的差異の違いでは有りません。

shinok30さんは、アフリカやスマトラの密林に住むサルたちと、ニューヨークや丸の内の高層ビルで働く、ビジネスマンやOLを見て、単に形態的・生態的差異程度だと思いますか。
月に人を送り、太陽系の内奥まで窺おうとする人間と、単に形態的・生態的差異程度だと思いますか。

お願いします。生物学一般のお話をしているのでは有りません。話の流れから外れた、片言節句の解釈に、必要以上に拘らないで下さい。
何回も言っているように、個人的認識、見解の相違で結構です。一人で何人も相手をせざるを得ない立場もお考え下さい。
shinok30さんのお考えはお考えとして結構です。名指しをされると、いくら瑣末な問題でも無視はできません。

39:2007/08/30(木) 17:27:09 ID:ToCfhv1w
RE 地下に眠るM さん

>「必要があれば直立する」はよくわかるんだけど、「必要があれば直立二足歩行する」はぜんぜんわかんにゃーです。

ミーアキャットが必要に迫られて、きれいな直立姿勢をとるのは事実です。これは必要に迫られてです。
その際、若し二足で歩く必要(淘汰圧)に、死活的に迫られた場合、その直立姿勢から一歩踏み出して歩き出すのに、私は何の不自然も感じません。
それとも地下に眠るMさんは、立ちすくんだまま絶滅するのが自然だと仰るのでしょうか。

二足歩行に踏み出す際、その直立姿勢は二足歩行の前適応になっているでしょうね。ブラキエーションなどの、アヤシイ前適応と違って。

しかし残念ながら、ミーアキャットに二足歩行の必要性は全く有りません。それは他のサバンナ性動物全てに共通なように、四足歩行で何の問題もないからです。

ヒトだけが、サバンナに進出した時、わざわざそれまでの歩行方法を捨て、二足歩行を進化させたと言うのです。その明確な理由をいまだかってここで聞いた覚えが有りません。

その一番の中心テーマに触れぬまま、議論されるのはその周辺の、私からすると瑣末な問題ばかり。
地下に眠るMさんが、そうだと言う訳じゃ有りませんがね。


なお、これから月末、月始で、忙しくなります。
繰り返し述べているように専門家でさえ意見が分かれている問題で、後は「見解の相違」と言うことで、逐一のコメントは勘弁して頂きます。

40AH1:2007/08/30(木) 17:57:51 ID:lWWemAT6
横ですけど。

>>最節約的に考えれば,「ヒト・チンプの分岐直前の共通祖先」は
>>『チンプと同程度には』二足歩行に洗練していたと思いますよ

>本当ですか???
>共通の祖先が暮らしていたのは一体どう言う環境だか、考えた上でのことですか?

雄さんが言っているのは、「ヒトとチンパンジーは独立に二足歩行を進化させた」
ということですよ。チンパンジーの生息環境のどこに、下手すると二足のほうが経済的なほど、
二足歩行を進化させる淘汰圧があったんでしょう?

41ミケ:2007/08/30(木) 18:32:17 ID:???
>>39
>繰り返し述べているように専門家でさえ意見が分かれている問題で、後は「見解の相違」と言うことで、逐一のコメントは勘弁して頂きます。

え?
>>18-20でミケに質問に答えさせておいて、
ミケの質問(>>19)には答えないでドロップアウトする、
って読めますけど、まさか違うよね?
月末月始が過ぎれば質問には答えてもらえると受け取っていいんですよね?

42:2007/08/30(木) 19:21:37 ID:ToCfhv1w
RE AH1さん

食事の合間に、酒を飲みながら………。

>雄さんが言っているのは、「ヒトとチンパンジーは独立に二足歩行を進化させた」
ということですよ。

今はハッキリそう思っています。
だからこそのアクア説です。そのメカニズムの紹介は機会と時間を見て致します。

チンプらが時おり見せる直立二足歩行と、ヒトのそれとは、構造的に全く異なる、と言う専門家の見解も有ります。
そう言われれば、チンプやゴリラに腰痛や難産、静脈瘤、椎間板ヘルニアなど聞いたことが有りませんでしたね。

>チンパンジーの生息環境のどこに、下手すると二足のほうが経済的なほど、二足歩行を進化させる淘汰圧があったんでしょう?

私は単に、どちらも妥協の産物だ、と言っただけですが。
樹上と平地の両方を生息環境としている以上、当然のことだと思いますが、それが何か?

43:2007/08/30(木) 20:47:12 ID:ToCfhv1w
RE ミケさん

>え?
>>18-20でミケに質問に答えさせておいて、
ミケの質問(>>19)には答えないでドロップアウトする、
って読めますけど、まさか違うよね?
月末月始が過ぎれば質問には答えてもらえると受け取っていいんですよね?

既に述べている通り、殆ど水掛け論の様相で、今までの「長い長い」私の書き込みで対応できていると思っていますので、特に気にしていませんでした。

例えば、

>さて、それじゃ私の質問にも答えていただきましょうか。
1.直立二足歩行に「なれなかった」ヒヒについて、そのことによる不都合は何か?の質問の意図が分からないので、その辺について触れている投稿を教えてください。

ミケさんは「ヒヒは直立二足歩行できる下地がなかったから直立二足歩行になれなかった。」と、2で、書いていますよね。「なれなかった」と。

素直に読み取れば、「本来直立二足歩行になるべきだったのだが、(下地―ミケさんの言う前適応がなかった為)なれなかった」としか読めません。
だから、その、なれなかったことによる不都合は何か?と聞いたのですが、自分の書き込みに関わる事情さえ飲み込めないらしい。
その辺のミケさんの問題意識の軽さに、今ちょっとお付き合いしかねる。と言うことです。

或いは、
>仮に、「チンプも実はかつて常時直立二足歩行を獲得していたが、後に二次的に二足歩行を失っていた」なんてことが明らかになったらどうします?

こう言う「超越的理論」について、頭の中だけのおとぎ話、空想物語と言いたい訳です。
少しでも、化石や進化人類学の書籍をかじったものなら、絶対出てこない珍論です。
化石発見に至る底知れない苦労や、地道なフィールドワークに思いを致せば、怒りさえ感じる軽さです。

だからこれも………、
若し本当にミケさんの主張が正しければ、これはもう「アクア説」など、ハダシで逃げ出す程の、進化人類学上の革命的理論です。ミケさん、まあせいぜい頑張って下さい。

としか言いようがないのです。

逆に、繰り返し生存年代や、専門家の解説も含めて指摘している次の私の質問………、
>>ラミダスやトゥマイによって完全に破綻したサバンナ説の後、そもそもサバンナに進出したとするヒト(そしてヒトだけが)は、何故、サバンナで四足歩行を捨てなければならなかったのか?

については、

>知りません。現在では証拠不十分です。

と、にべもありません。
これでは、そもそも意見交換の意味さえ有りません。

私は、ミケさんと違って頭の中だけでなく、一応書籍などで、研究者の苦労の結果である「事実」に当たります。
だから結構、コメントに時間が掛かります。とてもミケさんの頭の中に迄、お付き合いは致しかねる、と言うのが今の感想です。

と言うことで、ミケさんとは「見解の相違」と言うことで良いんじゃないですか。


事実に基づいた、新しい論点が有りましたら、コメントさせて頂きます。

44shinok30:2007/08/30(木) 20:48:39 ID:hGaYHI42
>>38
>隣のプロコンスルを、私が間違って「隣に居るのは現生チンパンジーです」と紹介したとして、
>shinok30さんは、その「大差」を直ぐに見抜けますか?

チンパンジーを始めとする現生類人猿には,樹上ぶら下がり行動(ブランキエーション)に対する適応
(長い腕,幅広い胸郭,背側に位置する肩甲骨,やや上をむいた肩甲骨関節窩,球状の上腕骨頭,
 糸巻き状の上腕骨滑車,縮小した尺骨肘頭,ふくらんだ球状の上腕骨小頭,丸い橈骨骨頭,
 手首の尺骨の茎状突起が縮小して手根骨とのあいだに軟骨性の関節円板を介することによる手首関節の可動性を増大,
 膝関節おける幅広い膝蓋骨や大腿骨顆などの特徴)が見られますが,
プロコンスルはそのような特徴を持たない原始的な「樹上四足歩行者」であり,その違いは明らかでしょう

>現生の類人猿は多かれ少なかれ樹上からのぶらさがり型の運動・姿勢様式に適応しているが,
>Proconsul にはそのような特徴は見られず,むしろ現在の新世界ザルの一部に見られるような特殊
>化の程度が低い樹上性四足歩行者であったと考えられる。一応,原始的な類人猿とされることが多
>いが(Conroy, 1990, 1997; Fleagle, 1999),現生の旧世界ザルと類人猿が分岐する以前に位置する
>原始的狭鼻猿とする意見もある(Harrison, 1987)。
ttp://www.geog.or.jp/journal/back/pdf111-6/p798-815L.pdf

>お願いします。生物学一般のお話をしているのでは有りません

いや,『普通は有り得ない』と,生物学一般の話をしたのは雄さんのほうですよ
>>30
>つまり、A と言う共通の祖先から A1、A2、A3 と言う順序で、種が分岐したことが
>分かっていたとして、A1とA3は比較的似ているのに、
>A2だけがとんでもなく違っていると言うことは、普通は有り得ない。

ハクジラの一部(ミリンコヴィッチらによれば,マッコウクジラに近縁なグループ)からヒゲクジラが進化し,
食肉目の一部(クマ類に近縁グループ)から鰭脚類が進化したように,
『A1、A2、A3 と言う順序で、種が分岐して』いても,
『A1とA3は比較的似ているのに、A2だけがとんでもなく違っている』ことは普通にあり得ます

>shinok30さんは、アフリカやスマトラの密林に住むサルたちと、ニューヨークや丸の内の
>高層ビルで働く、ビジネスマンやOLを見て、単に形態的・生態的差異程度だと思いますか。

そもそも「高層ビルで働く、ビジネスマンやOL」は,
「生物としてのヒト」の典型例として適切だとは思えません
アフリカやスマトラの密林に住むサルたちと比較するなら,
アフリカやスマトラの狩猟採集民としてのヒトの方が適切でしょう

「生物としてのヒト」とチンプとの形態的・生態的な違いは
クマ類と鰭脚類の差異よりも小さいでしょう

45ミケ:2007/08/31(金) 02:55:13 ID:???
>>43
あらあら、こちらはわざわざ、
今までの長い長いレスの中で対応できているものを、
あえてあなたに分かりやすいように答える工夫をしてあげたのに
そちらはそういった苦労は回避するわけですね。
自分の説明が悪いかもしれないとか、資料が足りないかもしれないとか思わないんですね。
著書を読んでいただければ、などといいながら、
著書のタイトルも論文のタイトルも紹介してないのもいただけません。

>私は、ミケさんと違って頭の中だけでなく、一応書籍などで、研究者の苦労の結果である「事実」に当たります。
>だから結構、コメントに時間が掛かります。

すごい言いがかりですね。
各論が私の頭の中だけではないことを示すためにいくつもHPを紹介したのに、
読まなかったのはあなたなんですよ?(>>7
私の論が私の頭の中だけのものかどうか、あなたは確認できたはずなのにしなかった。

あー、オマケ。書籍が悪いとはいいませんけど、
本って査読ないので、基本的に言ったもん勝ちなのですよね。
特に「考え」の部分。
研究者の苦労の結果で、かつ科学的成果であるものは、査読のある学術雑誌に論文として掲載されています。
科学的議論を望むのならば、論文に直接当たることをオススメしますよ。
私が>>3で紹介した英語版Wikipediaには、アクア説に触れた論文が紹介されていますよ。
そのあたりの記事および文献を読めば、アクア説がどのような扱いを受けているか分かるでしょう。

46ミケ:2007/08/31(金) 03:43:07 ID:???
>1.直立二足歩行に「なれなかった」ヒヒについて、そのことによる不都合は何か?の質問の意図が分からないので、その辺について触れている投稿を教えてください。
>ミケさんは「ヒヒは直立二足歩行できる下地がなかったから直立二足歩行になれなかった。」と、2で、書いていますよね。「なれなかった」と。
>素直に読み取れば、「本来直立二足歩行になるべきだったのだが、(下地―ミケさんの言う前適応がなかった為)なれなかった」としか読めません。
>だから、その、なれなかったことによる不都合は何か?と聞いたのですが、自分の書き込みに関わる事情さえ飲み込めないらしい。
>その辺のミケさんの問題意識の軽さに、今ちょっとお付き合いしかねる。と言うことです。

あー、はいはい、>>2に対するレスで>>9のときに言ってたんですね。
それは単にコストと利益のトレードオフでしょう。
「Aのほうが絶対的に不都合だからAからBに移行する」
などという単純明快な進化はほとんど起こりません。
「AよりもBのほうがコストが低い」等、相対的な理由によって起こるんですよ。
だからこそ進化は「間に合わせ」であり、最適解ではなく局所解なのです。
ヒヒにおいては二足歩行のメリットよりも二足歩行へ移行するコストのほうが高かったために二足歩行になれなかった。
したがって、四足歩行が不都合だったと仮定する必要がありません。

47ミケ:2007/08/31(金) 03:43:35 ID:???

>或いは、
>>仮に、「チンプも実はかつて常時直立二足歩行を獲得していたが、後に二次的に二足歩行を失っていた」なんてことが明らかになったらどうします?
>こう言う「超越的理論」について、頭の中だけのおとぎ話、空想物語と言いたい訳です。
>少しでも、化石や進化人類学の書籍をかじったものなら、絶対出てこない珍論です。
>化石発見に至る底知れない苦労や、地道なフィールドワークに思いを致せば、怒りさえ感じる軽さです。

オイオイ……。それはただの喩えですよ?
私自身がそんな論を主張しているとでも思ったんですか?
あなたが、必要以上に「二足歩行するのがヒト」という定義にこだわっているのを見て
生物分類上の定義・基準とは変わりうるものであり、
定義にとらわれすぎるのは危険であると忠告したんです。

今はヒト祖先系統とそれ以外の系統を区別するのに
「直立二足歩行が一番使える」からそう定義しているだけのことであり、
その定義はのちのち(鳥の定義のように)覆る可能性もある。

だからこそ、「定義と矛盾するから間違いだ」という考えは危険なのです。
定義と矛盾するような事実が出てきた場合に、
頬かむりをして見なかったことにしてしまうかもしれない。

生物学を学んでいく上で、いや、科学ならなんでもそうです。
定義というのは単なる「名前」に他ならない。
定義に矛盾するから間違いだ、というのが通用するのはせいぜい数学くらい。
定義と現象に矛盾があったら、それは定義の設定か運用のしかたがマズイってことです。
今回の場合なら、「直立二足歩行を常時行う」と「直立二足歩行が可能」とを混同した、定義の運用ミス。

しかし問題なのは運用ミスしたことではありません。
あなたは、ヒトの定義と矛盾するからといって、現象のほうを否定しようとしましたね?
「チンプが二足歩行できるとしたら、チンプはヒトになってしまう。したがってチンプは二足歩行できない」と。
定義(しかも運用法を間違っている)なんぞのために現実から目を背けようとしたのですよ、あなたは。

それがあなたにとっても良くないと思ったから、わざわざ文を割いて忠告したのですよ。
「直立二足歩行するのがヒト系統」という定義だって、こういう事実があれば覆るでしょ。
だから定義を絶対視して現象を否定するのはダメだよ、という意味でね。

48:2007/08/31(金) 07:19:51 ID:ToCfhv1w
RE ミケさんへ

繰り返しますね。

事実に基づいた、新しい論点が有りましたら、コメントさせて頂きます。


それからこれはおまけ

>あー、オマケ。書籍が悪いとはいいませんけど、
本って査読ないので、基本的に言ったもん勝ちなのですよね。
特に「考え」の部分。

そうなんでしょうね。
でも、頭の中だけの空想物語よりいいと思っています。例えば………、

>仮に、「チンプも実はかつて常時直立二足歩行を獲得していたが、後に二次的に二足歩行を失っていた」なんてことが明らかになったらどうします?

こんなおとぎ話よりはね。


>オイオイ……。それはただの喩えですよ?
私自身がそんな論を主張しているとでも思ったんですか?

そう思っていました。
私に揶揄されたから「喩え」だなどと言い直しにかかっていますが、効き目が有ればそのまま通していただろうと………。
ご都合主義者には良く見られる風景ですから。
そうでなく若し喩えだとしたら、それはそれでこんな時、「化石発見に至る底知れない苦労や、地道なフィールドワークに思いを致せば、怒りさえ感じる軽さです」。

そう言う人に、定義についての講釈を伺っても、あまり説得力を感じません。
定義に限らず、概念、言葉一般にはそれが形成されるまでに多くの内容が吟味されています。
定義を学ぶことは、その内容を学ぶことなんですね。定義をあやふやにする態度も、私からすればあまり感心しません。

勿論科学的定義も、当然変遷することは有り得ますよ。それはそれに含まれる内容(内包)が変わったときです。

例えば光は、最初「光線」でした。ニュートンによる粒子説の内容を反映した概念です。
しかしその後、特にヤングの二重スリット実験によって、波として考えないと説明がつかない現象がハッキリし、おそらくマクスウェルの方程式とも関連して「電磁波」になりました(電磁波は、可視光線だけの概念でなく、もっと広い内包に至りますが)。

今ではアインシュタインの光電効果などから、光線も復活し、電磁波と両方が使い分けられるようになっています。

「ヒト」の定義・概念も、今後の知見によってより豊かな内容を含むようになるでしょう。
しかし少なくとも現在、直立二足歩行という内包抜きにヒトを語ることは出来ません。

その意味から言って、喩え話にしても………、
「チンプも実はかつて常時直立二足歩行を獲得していたが、後に二次的に二足歩行を失っていた」……なんて表現が、どう言うことか、お分かりになりますよね。

もう、本当に終わりにしませんか?
ミケさんのお説はお説で、結構ですから。

49ミケ:2007/08/31(金) 11:17:06 ID:???
>私に揶揄されたから「喩え」だなどと言い直しにかかっていますが、効き目が有ればそのまま通していただろうと………。

結局具体的な反論も、文矛盾点を指摘できないで苦し紛れに「言い直しだ」などと言いがかりをつけれられるのは心外ですね。
ご都合主義とのたまうからには、
>>19の本文と、>>47の解説を比較した上で、矛盾点を指摘すべきではないですか?
(そもそも>>19で【仮に】って言ってるでしょうに)

その上、
>しかし問題なのは運用ミスしたことではありません。
>あなたは、ヒトの定義と矛盾するからといって、現象のほうを否定しようとしましたね?
>「チンプが二足歩行できるとしたら、チンプはヒトになってしまう。したがってチンプは二足歩行できない」と。
>定義(しかも運用法を間違っている)なんぞのために現実から目を背けようとしたのですよ、あなたは。

これについて何の弁解もないのはいただけません。

>しかし少なくとも現在、直立二足歩行という内包抜きにヒトを語ることは出来ません。
で、あなたはその【直立二足歩行を常時する】というのを、【直立二足歩行可能】と取り違え、
『チンプが直立二足歩行可能ならヒト定義と矛盾する、したがってチンプは直立二足歩行不可能だ』
というアクロバティックなで事実を無視した結論を導こうとした、
という私の解釈に間違いありませんか?
間違いがあるなら弁解をお願いします。


ついでに、ここを去るのなら、私含め掲示板の数名を、
サバンナ説支持者と勘違いした上で「サバンナ説信者」と揶揄した問題についてもケリをつけていって欲しいものですね。

もう一つ、あなたは
>地道なフィールドワークを思えば怒りさえ感じる
等々とおっしゃいますが、
多くの学者がフィールドワークに加えて地道な実験や検証作業をし、
さらにそれを、別の学者が間違いがないかチェックする、
こうして論文ができて学界の方向がきまっていく。
そしてアクア説はそうした学界の中で、主流には受け入れられていない。
(Wikipediaより:>The AAH has been poorly received in mainstream paleoanthropology (Lowenstein & Zihlman 1980, Langdon 1997)


アクア説が主流に受け入れられていないのは、有効な証拠がないからであり、
地道なフィールドワークや実験・観察を積み重ねた結果、
主流な学者達はアクア説がなくても説現状を明できると判断しているからです。

こうした過程を無視して、
テレビの復元画像を見ただけで過去の本物を見たような気になり、
思い込みでサルは二足歩行できないと言ってみたりしながら
徒に証拠もない主流でもないアクア説を持ち上げることは、
私からすれば主流の学者達の地道な研究活動(二足歩行コストの実験も含め)を思えば怒りさえ感じます。

著書より論文のほうが、、、という指摘に「そうなんでしょうね」と答えるなら
あなたよりはマシとかくだらない自己満足に浸っていないで、
論文を読んだり探したりの訓練をするほうがあなたには先決なのではないですか?
さらにその前にあなたの場合は、進化学の考え方や方法論の基礎を積んだほうが良い気もしますね。

50ミケ:2007/08/31(金) 11:28:40 ID:???
まとめておきます。

1.雄さんは私含め掲示板の数名を、サバンナ説支持者と勘違いした上で「サバンナ説信者」と揶揄しましたが、これについて何か言うことはありませんか?

2.雄さんは、『チンプが直立二足歩行可能ならヒト定義と矛盾する、したがってチンプは直立二足歩行不可能だ』
という方法でチンプは直立二足歩行できないという結論を導こうとしていたようですが間違いありませんか?

3.地道なフィールドワーク云々と言いますが、それは主流派(アクア説以外)の学者たちも同じことです。
 3−a)アクア説が学界で主流でないのは知っていましたか?
 3−b)学界で主流となっていないアクア説をことさら持ち上げるのは、アクア説を支持しない多くの学者の研究努力を無視することになりませんか?

51AH1:2007/08/31(金) 11:29:17 ID:lWWemAT6
>だからこそのアクア説です。そのメカニズムの紹介は機会と時間を見て致します。

アクア説については否定はしませんし、可能性はあるし面白くもあるが、現時点で積極的に支持する証拠はないと判断しています。
(この説が正しいことは、もし正しければうまく説明ができるということ自体が保証している・・というのはちょっと弱い)

>そう言われれば、チンプやゴリラに腰痛や難産、静脈瘤、椎間板ヘルニアなど聞いたことが有りませんでしたね。

それが質的なものか量的なものか、という判断は難しいと思います。

>>チンパンジーの生息環境のどこに、下手すると二足のほうが経済的なほど、二足歩行を進化させる淘汰圧があったんでしょう?
>私は単に、どちらも妥協の産物だ、と言っただけですが。
>樹上と平地の両方を生息環境としている以上、当然のことだと思いますが、それが何か?

要するに私は雄さん程には「地上でのロコモーションはヒヒと同じ方式しかあり得ない」と信じることができない、という事であり、
「最節約的に考えるなら二足歩行が独立に進化したと考える理由は特にないのではないか」という事です。
ニホンザルは地上と樹上の両方に適応しているのに、なぜナックルウォークをせず、ブラキエーションせず、二足歩行も(イモを抱えて歩くことは稀にあるが)しないのでしょうね。
その辺がすっきりしない、ということです。

基本的に雄さんが最後に書かれていた「専門家の間でも意見が割れており」という見解には、それが「決定的な証拠はどの説も持っていないようだ」という意味であれば同意します。サバナ仮説にしたところで、平地で二足歩行することにどんなメリットがあったか、その点の意見も様々ですから。
投稿を繰り返したのは、最初に雄さんが「サバンナ仮説は終った」と仰りたいようだったので「それはまだ早いんじゃ?」と思ったこと、
また、説明される中で披露された雄さんの進化理論の理解に違和感があったためです。

52AH1:2007/08/31(金) 11:33:28 ID:lWWemAT6
51の補足

「決定的な証拠はどの説も持っていないようだ」ですが、現時点で主流となっている学説が
「とりあえず、平地に出て来た類人猿なんだろう」であることは承知しています。
(ミケさんに叱られそうだから)

53PDX.:2007/08/31(金) 12:15:32 ID:NtVg0xZw
>チンパンジーの難産

 何を持って「難産」と定義するか次第かもしれませんが、とりあえず Google で「チンパンジー 難産」で検索してHITした中で面白そうな記事を。

人間の分娩は難産が多いのか?
ttp://ameblo.jp/nlcblog/entry-10032587859.html
ttp://ameblo.jp/nlcblog/entry-10032786774.html
 産婦人科医の方のブログ。
 ニホンザルとチンパンジーとヒトの分娩を比較して、チンパンジーはニホンザルより難産だと表現しています。

>まとめ。

>チンパンジーは胎児の頭部がニホンザルよりも
>相対的に大きくなり難産になり、
>直立歩行が増え骨盤が上下に圧縮され難産になる。


>ヒトの骨盤とその入口部。

>これらのことから、チンパンジーの場合、
>確実に分娩所要時間の延長が見られ、
>ある意味では人間に近い、いわゆる難産になってきている。


 飼育下の個体ではなく、野生状態のサルやチンパンジーの観察を行い、妊娠したメスがどのくらいの時間をかけて分娩するのか、死産の確率や、メスが死んでしまう確率も求めないといけないのではないか?とか思いますけど、参考程度にはなると思います。

 腰痛とかはそもそも、ゴリラやチンパンジーの行動から彼らが腰の痛みを覚えていることを判定しないといけないから大変そうだなぁ(笑)
 椎間板ヘルニアについては、ゴリラやチンパンジーではなくてダックスフンドの記事が多数HITしました。

54shinok30:2007/09/01(土) 04:56:56 ID:n54teYTI
>>49
>著書より論文のほうが、、、という指摘に「そうなんでしょうね」と答えるなら
>あなたよりはマシとかくだらない自己満足に浸っていないで、
>論文を読んだり探したりの訓練をするほうがあなたには先決なのではないですか?
>さらにその前にあなたの場合は、進化学の考え方や方法論の基礎を積んだほうが良い気もしますね。

雄さんは,行動様式や骨格について,プロコンスルと現生チンプで「大差ない」「区別できない」人ですからね
(要するに,「ヒトとヒト以外のサル」という区分なんでしょう)
行動様式の進化について語る以前に,行動様式の分類や認識があやしいということです

雄さんの考えるヒトとチンパンジーの共通祖先はどんなものなのでしょう
1.プロコンスルのような樹上四足歩行者
2.現生チンプのように樹上ぶら下がり行動に適応しているが,現生チンプと違って二足歩行はまったく行わない
(たぶん,雄さんは1と2の区別ができないでしょうが)
普通に事実(現生チンプとヒトの行動様式と骨格)に即して考えれば,分岐直前の共通祖先は
3.樹上ぶら下がり行動に適応し,現生チンプと同程度には二足歩行も行っていた
でしょうし,それを否定する証拠は現時点では特にないんですけどね

しかし,樹上ぶら下がり行動に関しては(私がなんども主張しているように)化石の証拠から,
少なくともテナガザルの系統とゴリラ・ヒト・チンプの系統とオランウータンの系統で独立に進化したらしいですし,
もし,樹上ぶら下がり行動が二足歩行の前適応であるなら,
ゴリラ・ヒト・チンプの二足歩行とオランウータンの二足歩行は独立かもしれません

また,二足歩行の前適応としては,樹上ぶら下がり行動の他に,
垂直木登り行動やナックル歩行を重視する説もあり,
特に類人猿の多くで見られるクモザル型の垂直木登り行動の後肢の筋の使い方が
ヒトの垂直二足歩行と共通点が多いという研究もあります
>木登り運動と直立二足歩行の進化
ttp://inago.hus.osaka-u.ac.jp/images/kiyou/29/29-05_hira.pdf
プロコンスルの木登りは,その骨格からみて,
おそらく(クモザル型よりも前肢の力を多く使う)ニホンザル型の木登りだったと推測されますが,
ヒトとチンプの分岐直前には,少なくとも現生チンプ程度にはクモザル型に進化し,
それが直立二足歩行の前適応となったと推測するのはそれほど無理なことではないでしょう

55:2007/09/01(土) 15:48:16 ID:ToCfhv1w
>雄さんは,行動様式や骨格について,プロコンスルと現生チンプで「大差ない」「区別できない」人ですからね

shinok30さんは、他人にアレコレ言う前に、先ず自分の宿題を済ませる必要が有るんじゃないですか。
元々この問題は、現生チンプなどでなく、プロコンスルとサンブルピテクスの違いの問題だったんですよ。それもあなたが私に持ち込んできたクレームです。

>プロコンスルは約1800万年前
サンブル・ホミノイド改めSamburupithecus kipthalaniは約950万年前
時代が全然違う共通祖先を「いずれにしても大差は無い」というのは無茶(31)

元々私は断定でなく推測として、プロコンスルとサンブルピテクスの間に「いずれにしても大差は無いでしょう。」と書いているのを(15)、shinok30さんは「いずれにしても大差は無い」と書き換えた上で、「無茶」と切り捨てているのです。


そのくせ44でも今回(54)でも、自分で持ち込んできたサンブルピテクスについて、一切ホッカムリじゃないですか?
都合の悪いことはスルーですか?

現生チンプを引き合いに出したのは、一つの思考実験として私が持ち出しただけです。

shinok30さんが31で述べているように、1800万年前のプロコンスルと現生チンプの違いを、ネットででも検索すれば、それは当然幾つかでてくるでしょう。
しかし普通の人が見て、直ぐそこにどれ程の「大差」を見出すか、私は多いに疑問ですが、shinok30さんはその、チンプとの「大差」とやらを44で並べ立てた上で………、

>プロコンスルはそのような特徴を持たない原始的な「樹上四足歩行者」であり,その違いは明らかでしょう

…と続けておられます。
サンブルピテクスも、原始的な樹上四足歩行者ですよ。あなたが挙げられたプロコンスルと同じくね。
shinok30さんは自分で持ち込んできた、サンブルピテクスについて、一切触れることが出来ないか、或いは肝心な点に目をつむるという、不可解な「行動様式」を取っているにも関わらず、

>雄さんは,行動様式や骨格について,プロコンスルと現生チンプで「大差ない」「区別できない」人ですからね

等と、内容を捻じ曲げて揶揄した積りになっている。
他人への批判は先ず、自分のお尻を拭いてからのことだと思うのですが、如何ですか?

私は環境に依存している野生動物は、その環境に大きな変化が無い限り、形質上の変化は非常に緩慢だと思っています。プロコンスルとサンブルピテクスの間にも、少なくとも歩行方法において「大差」は無いだろう、と今でも思っています。

尤も、サンブルピテクスの段階で、自然環境の大きな変動が有り、突如平地に下りて、二足歩行の練習を始めたとする新説(珍説)を、shinok30さんが提唱するということなら又話は違ってきますけどね。
その頃は未だ、アフリカにサバンナや、サバンナ・森林モザイク状態は形成されていなかった筈ですが。

プロコンスルの骨格から予測して、そしてshinok30さん自身認めているように、専ら樹上生活に特化していたプロコンスルやサンブルピテクスが、樹上と平地の両方に適応してきたチンプと比較して、若しかしたら樹上での対応は現生チンプより洗練されていたかも知れませんが、平地での二足歩行に関して、チンプと同程度洗練されていたとは、私には決して思えません。

56:2007/09/01(土) 15:51:11 ID:ToCfhv1w
>雄さんの考えるヒトとチンパンジーの共通祖先はどんなものなのでしょう

私は前適応や萌芽的な二足歩行を全然認めないと言うことでは有りません。
ブラキーションは、おそらく前適応とはなり得ないと思いますが、枝から枝へ飛び移って移動することが困難な大型類人猿において、木から木への移動に際しての木登り・降りの行動は前適応となり得ただろうし、木から木への一時的な平地の移動に二足歩行が使われたのかも知れない、と言う説があることも承知しています。
萌芽的な二足歩行を発展させていた、とすることに何の不自然さも感じません。

しかし、そう言う色々な状況が考えられるとして、それらは全て「だからヒトは、サバンナで、或いは樹上生活のときから、二足歩行に適応『できた』」と言うことを説明する為の議論ですよね。
ミケさんの論調は全てそうです。

私の問題意識は「出来たか、出来なかったか」でなく、「そもそも何故ヒトは、そしてヒトだけが直立二足歩行を発達させなければならなかったか、何故四足歩行を捨てなければならなかったか」です。

そしてこの問題についての明確な回答を、この板でどなたからも伺った記憶が有りません。
只一つ「それは省エネの為だ」と言う程度です。
省エネ説については既に反論済みです。


木登りなどの前適応が有れば、直立二足歩行に移行する「必要」が出来たとき、多少は役に立つでしょう。でもその必要が無いとき、前適応に全く意味は有りません。

パタスモンキー、ミーアキャット、プレーリードッグ、それにAH1さんによればゴアナやイタチもだとのことですが、必要に迫られれば、種や属を超えてキレイな直立姿勢を示します。
これらの祖先に直立姿勢への、どう言った前適応が有ったのでしょうか?
ミケさんの仰るように、サバンナに出る前の共通祖先の段階で、直立姿勢に有る程度「洗練」していたのでしょうか?

共通祖先の段階で、サバンナであれ、樹上であれ、或いは密林や水辺であれ、萌芽的に直立二足歩行を発達させただろうことを、全て否定するものでは有りませんが、その中で直立二足歩行に特化したのはヒトだけです。

私はミケさんに、地球上のあらゆサルたちの中で、只の1件でも良いから、常時直立二足歩行に特化したという観察例、或いは逆に60億の人間の中で只の1件でも良いから、ハイハイのまま四足歩行で通したという例が有るか、と2回も聞きました。

でてきたのが、これです。
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0b/Orangutan.jpg
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%8E%E3%83%9C

チンプやボノボが時折直立して二足歩行することくらい、私の書き込みでも何回も出ています。
要するにこんなものしか出せない訳です。
問題は時折二足歩行をする動物は結構有るのに、その中で応急的以上に直立二足歩行に「特化」したのは、ヒトだけだと言う事実です。
何故ヒトは、他の類人猿と同じようにナックル歩行程度で納まらなかったのですか?
或いは何故そもそも、サルたちの楽園である森林を捨てなければならなかったのですか?

サバンナは、まあ言わば草原です。草食動物でない祖先たちがサバンナで生きてゆくには、その草食動物の狩りをしなければなりません。或いは獰猛な捕食者から逃げなければなりません。
草食動物にしても、チーターやライオンなどの捕食者にしても、例外なく四足歩行の達人たちです。

チーターやライオンでさえ、狩りが常に成功するとは限りませんが、そんな中にヨチヨチ歩きのヒトが出て行ったら、絶好のカモになったと思わないのですか?
狩りが成功することなど、絶対に有り得ないと思わないのですか?
どうしてそれまで慣れ親しんだ四足歩行を捨ててまで、二足歩行で追いかけたり、逃げたりしなければならなかったんですか?

私はそんなことをしていたら、二足歩行に習熟する前に、全て餓死をするか食われて絶滅するだろうと思いますが、私のこの考えが「無茶」ですか?

57:2007/09/01(土) 15:51:37 ID:ToCfhv1w
皆さんは「サバンナ説」とラベリングされるのには抵抗が有るようです。
しかし、アクア説、サバンナ説(サバンナ・森林モザイク説を含む)以外に、系統だって提唱された説が有ったら聞かせて下さい?
そもそもアフリカの地質学的な歴史からして、他にそんなには「人類起源説」は有り得ないのですよ。有ると仰るなら聞かせて下さい。

アフリカにサバンナが広がる前の時代に生きていたとされる、ラミダス化石(440万年前)が発見されたころから、そもそもヒトの起源としてサバンナ説はその根拠を失ったと言えます。
イーストサイドでもない、チャドで発見されたトゥマイの発見で、起源説としてのイーストサイドストーリーは、完全にその基礎が崩壊しています。
提唱者のイブ・コパン自身、既に自説を撤回しています。

サバンナに限らず、木の上であれ、森林の中の平地であれ、どこであれ、他の動物は四足で何の不自由なく暮らしています。
私はミケさんの「ヒヒは直立二足歩行できる下地がなかったから直立二足歩行になれなかった。」とする書き込みに対し、「じゃあ、それによる不都合は何だ?」と聞きましたが、答えを頂けませんでした。
要するに、四足歩行である為に不自由なことなど、何も挙げられないのですよ。

しかし、現実にヒトは直立二足歩行を発達させた。

私はミケさんに対し、「混乱している」私に、その直立二足歩行に至る契機とその経過についての、混乱の無い、オッカムの剃刀の効いたシナリオを示してくれるよう、繰り返しお願いしてきましたが、今までに明確なお返事を頂いていません。

>雄さんは,行動様式や骨格について,プロコンスルと現生チンプで「大差ない」「区別できない」人

…とするshinok30さんでも構いません。
「行動様式の分類や認識があやしい」私に是非………、

何故ヒトは楽園の森を捨て、サバンナに出なければならなかったか?
森の中で二足歩行を発達させたとするなら、どう言う隔離が有ったのか?
森の中であれ、サバンナであれ、ヒトはそもそも何故直立二足歩行などと言う、奇妙なロコモーション様式を選択しなければならなかったのか?

「分類や認識があやしい」私に、是非分かりやすく教えて下さい。
繰り返し述べているように、納得できれば直ぐに、ミケ教でもshinok教でも、即座に宗旨替えをいたしますから。

その問題意識の前には、そもそも私にとって、共通祖先がチンプと同程度に二足歩行に洗練していようが、前適応が有ろうが無かろうが、クモザルがどうの、大した問題ではないのです。言わば瑣末な問題なのですよ。

サバンナ説、森林モザイク説、何でもいいです。どこで進化したとしてもいいですが、兎も角直立二足歩行の契機を説明できないアレコレの「説」に、人類起源を語る資格は有りません。

直立二足歩行に適応「出来た、出来ない」論は、もう結構です。私を非難するのもどうぞご自由に。
しかし、是非「何故、ヒトだけが直立二足歩行に進んだか、進む必要が有ったのか」その説明をお願いします。
立場は、サバンナ説であれモザイク説であれ、砂漠説であれなんでも構いません。


その説明として「アクア説」を一寸まとめようと思いましたが、又、こんなことで前に進みません。その件はなるべく近いうちに。

58:2007/09/01(土) 18:10:44 ID:ToCfhv1w
そうそう、一つ確認して置きます。

プロコンスルとサンブルピテクスの、歩行様式について「大差はないでしょう」とする私の推測書き込みに「無茶だ」と仰るshinok30さん、教えてください。

若し、そこに「大差」が有ったのなら、サンブルピテクスの化石を発見した、石田英実、現京都大学教授は、発見した時点で即座にその大差を見抜き、今までにない種だと判断できた筈ですが、それはどう言う大差によるものですか?

そして本当に、それ程簡単に同定できたのですか?

59しろうと:2007/09/01(土) 19:33:08 ID:BPiKEwWk
その昔サルが立って2本足で歩いたら人間になってしまったんですか?
いったい何匹のサルが歩いたんですか?オスもメスも同時にですか?

60shinok30:2007/09/01(土) 20:06:55 ID:mfBEj/cI
>>55
>サンブルピテクスも、原始的な樹上四足歩行者ですよ。あなたが挙げられたプロコンスルと同じくね。

石田とピクフォードが記載したSamburupithecus kiptalamiは左上顎骨の化石ですよ
これを「原始的な樹上四足歩行者」であるとする根拠は何ですか?

>>58
>プロコンスルとサンブルピテクスの、歩行様式について「大差はないでしょう」とする
>私の推測書き込みに「無茶だ」と仰るshinok30さん、教えてください。

>若し、そこに「大差」が有ったのなら、サンブルピテクスの化石を発見した、石田英実、現京都大学教授は、
>発見した時点で即座にその大差を見抜き、今までにない種だと判断できた筈ですが、それはどう言う大差によるものですか?

サンブルピテクスの分類学的位置が定まらなかったのは,前述のように化石が一部分しかなかったからです
そして,それは現在もまだ議論中です

>サンブルピテクス(950万年前、ケニア)
> 1982年9月、石田英實率いる大阪大学東アフリカ調査隊は、ケニアのサンブルヒルズに露出する
>ナムルングレ累層から、大型ヒト上科の左上顎骨(サンブル・ホミノイド)の化石を発見した。放射
>年代測定・フィッショントラック等から950万年前と年代測定されている。この化石は1984年に予
>備的な記載がなされて以来、ずっとそのままだった。この辺りの事情は立花隆のベストセラー『サル
>学の現在』に詳しい。1997年、石田とピクフォードはこの化石を新属新種Samburupithecus kiptalami
>サンブルピテクス・キプタラミとして記載した。大きなサイズ(ゴリラのメス位)、やや弓形に曲がった
>口蓋、鋭く縁取られた鼻縁、低い位置から起こる頬骨の基部(強い突顎度)、真っ直ぐな頬歯列(U字形の
>歯列)などの特徴を持つ。1998年、ピクフォードと石田は、他の現生・化石ヒト上科との比較から、サン
>ブルピテクスはアフリカ類人猿−ヒトクレードに属し、少なくともケニアピテクスよりも後に分岐したと
>する論文を書いた。それ以上詳しい系統位置は不明とし、1)ヒトと他のアフリカ類人猿が分かれる前に分岐、
>2)分かれた後のアフリカ類人猿の側、3)分かれた後のヒト科の側、の3つの可能性を示した。歯のエナメル
>質が厚い、大臼歯で第三大臼歯が最大である、口蓋が類人猿よりも深い、等の特徴はプラエアントロプス
>等の初期ヒト科に似ている。
ttp://www.geocities.jp/yiu_ma/callianopsis/paleoanthropology.html

サンブルピテクスは発見された年代(950万年前)からヒトとチンプやゴリラの分岐に近いところから発見された化石であり,
その分類学的位置が分岐前であれ,ヒト側であれ,チンプ・ゴリラ側であれ,
ヒトとチンプの分岐よりもかなり古い時代(約1800万年前)から発見されたプロコンスルとは意味が異なりますよ
プロコンスルはミケさんの言う「ヒトとチンプの共通祖先」(ヒトとチンプの分岐直前の共通祖先)である可能性は少ないですが,
サンブルピテクスはヒトとチンプの分岐直前の共通祖先に近い可能性があります
だからこそ,「時代が全然違う共通祖先を『いずれにしても大差は無い』というのは無茶」と書いたのですよ
何が「無茶」と言われたのか全然理解できていないから,
「現生チンプとプロコンスルの「大差」を直ぐに見抜けますか?」と思考実験(?)して恥の上塗りをしたり,
顎の骨しか見つかっていないサンブルピテクスを「原始的な樹上四足歩行者です」と根拠なく断定したりしてしまうんですよ

61NAN:2007/09/01(土) 23:00:45 ID:???
すでに終わりかかっている風情も感じますが、せっかくレスをいただいたので再び。

>>本来はその近縁度を反映して、外見・行動様式などが、ヒトとチンプで最も似通っているべきですが、現実はヒトだけが、取り分け行動様式の点で飛びぬけて特殊です。

同意しかねます。
なにかの行動・生態を「特殊だ」というとき、それがどのような意味において特殊であるのか、私たちは(それが科学的論考であるなら)常に熟慮しなければならない、と思います。確かにヒトは特殊です。しかし、まったく同じようにチンプもゴリラもミツバチも特殊だ、と私は思います。

>>私はこの特殊性を作り出した要因を、「道具」と「言葉」だと思っています。
そしてそれを可能としたのが、他でもない「直立二足歩行」であった、と考えています。

道具については同意します。
しかし、「言葉」についてはどうであろう、と私は首を傾げます。
なるほどヒトの使う言葉は高度に複雑化しており、これはほかのどんな動物よりも「面倒」なものだろう、と私も思います。しかしヒトは、言葉を生得的に得るものではありません。もちろん、それはほかの「言語的コミュニケーション」を行う動物たちにも云えることでしょう。言葉は、学習があってはじめて習得できるものです。
言葉をつかう動物はかなり限られますが、イルカや一部の鳥も言語的なコミュニケーションを行っている、といわれています。

それでは、ほかの動物たちも使う「言語的コミュニケーション」に比較して、ヒトが著しく言葉を発達させた要因はなんだろうか?と考えるとき、それはおそらく「記録性」にほかならないだろう、と私は考えています。そしてそれは、まさに「道具の発達・伝承」と密接に絡むのではないだろうか?と思うのです。

元来、道具には記録性が備わっています。たとえば箱を見れば、その箱がどのように組み立てられたかという過程を見ることができます。縄を見れば、その縄が糸の拠り合わせであることが分かります。棍棒に石を蔓で縛り付けた道具も、やはりその工程が見て取れます。私はこれら道具が持つ記録性の中に、具象から抽象への変換や「記号化」の糸口を見つけることができるように思えます。

究極を云ってしまうと、道具はすべて記号であり、なにかを象徴し記号化され記録しています。音声やボディランゲージのような一時的なものではなく、尿などのマーキングに近いのかも知れません。このように「ことば」は道具の一種ですので、道具と言葉を分けて考える必要性を私はあまり感じないのです。

先にも述べたように、私は「両腕を移動手段から独立させたこと」が主であり「二足歩行」は従である、と考えています。進化生物学的に考えるならば、両腕および指の機能を高度化させる方向の淘汰圧によって、ヒトは直立二足歩行を副次的に得たのではないか?と思うのです。

62:2007/09/02(日) 02:26:39 ID:ToCfhv1w
RE NANさん

人間をどう見るか?と言う問題は、哲学に関わる大きな問題で、さまざまな立場が有り得ますね。
NANさんの見解はそれとして大いに尊重し、参考にさせて頂きます。

私はやはり、人間は(個々の生物が、それぞれに特殊と言う範囲を超えて)、特殊な存在だと言う立場です。

【道具】

道具を使う動物は結構観察されています。或いは道具を作るケースさえ観察されています。
そこには人間の道具との共通性とともに、やはり大きな質的な差を感じます。

人間にとって道具の持つ意味は、私は二つ有ると思っています。

1、道具を作ることを通して、意識を鍛え脳を増大させた

道具を作ると言うことは、仮にそれがどれ程幼稚なものであれ、それを使うことを予想し、その目的に適うように目の前の材料を加工する、と言うことを意味します。
目の前に飛び出してきた獲物を、反射的に捕らえると言った目先の具体的な現象を「感覚」するだけでなく、将来使うであろう時のことが予想出来なくてはなりません。つまりは抽象的な「認識活動」が不可欠です。

或いは、石を割って石器を作ると言う行為は、目の前に有る材料としての石が、石器にとって必要な、「硬い」と言う、既に存在している性質を認識する能力が当然必要です。
同時にそれだけでなく、「尖った形」と言う、未だそこに存在していない性質までも認識する能力が必要です。

目の前の、今現在、直接的に感覚出来ることを脳に反映するだけでなく、将来の予想される出来事、目の前に未だ存在していない要素までも反映する能力。道具を作り、使うことを通じて、幾世代もの時を経て次第に人間の意識が、つまりは脳が鍛えられて来たのだと思っています。

又道具を作り、使うと言うことは手先の器用を促します、それは又、おそらくその働きを司っている中枢神経・脳の発達を促すことになったでしょうね。
道具は人間が作るものですが、同時に道具が人間をつくったとさえ言えるのではないか。

つまりは、最初に頭が良かったから道具を作ることが出来たのではなく、道具を作る過程で抽象的思考、理性的段階の認識に至る道が開けていった。そう言う認識です。
化石が示す、脳容量の増加過程と出土する石器の進化(オルドワンなど)も、それを裏付けていると思っています。

63:2007/09/02(日) 02:27:12 ID:ToCfhv1w
2、道具を使って自然に働きかける道に踏み出した意味

道具は身体器官の延長・代用だと言えるでしょう。

※、道具をさらに二つに分けて、マニュファクチャまでの、狭い意味での、手の延長としての「道具」(例えば、金づち、斧、ヤットコなど)と、産業革命以降の、手の代用としての「機械」に分けて考える場合も有ります。

身体器官と比較した場合の道具の特質は、その発展が遺伝子DNAの変異に依存せず、社会的な知識や技術の集積によって、急速に限りなく発達させることが出来る点です。

恐竜の前足が羽根に変化し始祖鳥になるまでに、何万年或いは何十万年掛かったか、正確なところは承知していませんが、羽根の代用としての航空機は、ライト兄弟の初飛行から僅か100年位しかたっていないにもかかわらず、今や月に人間を送り、太陽系の最外部を覗うまでになっています。

生物学的には、ヒトとチンプの遺伝子的差異は1%とも1.6%とも言われていますが、その遺伝子的差異を乗り越えてのこの違いが、道具による(身体器官の)発達だと、私は認識しているところです。

そう言う意味で私は、やはり人間は特殊な、つまりは社会的な存在ではないか?、と言う立場です。
その社会に、生物学的な法則を機械的に持ち込んで解釈しようとするのが、「社会ダーウィニズム」であろうと思う訳です。


道具は全て記号であり、記録性を持つと言うNANさんのご指摘は、新鮮な見解として受け止めました。今まで問題意識に無かったことです。
見解の相違は有っても、こう言う議論は有意義だし、楽しいですね。

64:2007/09/02(日) 02:27:57 ID:ToCfhv1w
【言葉】

言葉については、地下に眠るM氏もおそらく一家言お持ちで有ろうと思いますが………、

道具と同じく「コトバ」を使う動物も又多く観察されています。
イルカ、クジラ、或いは多くのサルたち。
ある観察によれば、ニホンザルにも30くらいの「コトバ」が有るそうですね。
しかしこれら動物の「コトバ」と比べ、人間のそれはやはり質的に異なるもののようです。

動物のコトバは危険通報や求愛など、本能的な行動(今生物学では、本能と言う言い方はしないらしいのですが、便宜上)と密着していて、そうでない後天的に獲得した知識、例えば幸島のサルのイモ洗いなどは、コトバでなく身振りで伝達されるそうです。

人間の言葉の特質として、2つ挙げられるようですね。

1、分節(文節では有りません)

人間の言葉は、それを構成する単語に分けられます。さらに単語は、それを構成する音に分けられます。
これを人間の言語の「二重分節」と言うそうなのですが、要するに限られた要素(音で言えば100前後、単語なら数万)の組み合わせで、無限の意味内容を、将来に渡っても表すことが可能だと言うことです。

動物のコトバには分節が無いそうです。
確かに二十種、或いは三十種類の、異なる鳴き声を使い分けることが出来ます。しかしその鳴き声は、それに対応したそれぞれ特定な、一つの意味内容しか表すことしか出来ず、それを組み合わせて使うと言うことはできません。
つまり、30種類の鳴き声のバリエーションが有ったとしたら、伝える意味内容も又30種類に制約される、と言うことです。

近年の、スー・サベージ・ランボー博士の有名な研究、天才ボノボのカンジ、パンバニーシャ、或いは京都大学霊長類研究所、松沢博士の、アイ、アユムなどのチンプに於ける、キーボードを使っての言語訓練で、この同胞たちが分節を獲得してゆく過程が見られます。
同時に、下でも触れますが、抽象的思考も獲得してゆくようです。
非常に興味深いものとして、TVの特集番組を見た次第です。

65:2007/09/02(日) 02:28:30 ID:ToCfhv1w
2、恣意性

人間の音声言語に特有な性質として、恣意性が挙げられます。任意性と言っても良いでしょう。
つまり「単語」と「音」には、それをあらわす事柄との間に何の必然的な結びつきが無いと言うことです。
だから、樹木のことを、日本では「キ」、イギリスでは「トゥリー」、フランスでは「アルブル」と言うようなことが有り得る訳です。

それに対し動物のコトバは、本能に直結したものである以上恣意性を持たず、その鳴き声(コトバ)は、それを表す内容と本来的に直結しています。
敵に対峙した時の鳴き声は甲高く、ボスに恭順の意を表す場合には低く柔らかいものになるでしょう。
そう言う意味で、群れを超えて、いや種まで超えて共通だと言えるかも知れません。

言葉を未だ知らない赤ん坊の泣き声で、何を言いたいかある程度判るのも、その泣き声に恣意性が無い為です。
ペットを飼っている人は、日常的にペットとの意思疎通を感じていることでしょう。

対象と直結していることは、動物の鳴き声が、情報を伝える機能と言う点で優れていると言えます。上述したように、そのコトバを知らない人間にさえ、ある程度は伝わる訳ですから。
しかしこの、恣意性の無さは、動物に抽象的思考を与えるのを妨げます。

言語の研究としては、幼児の言語獲得の過程、及び未開部族の言語がよく対象とされるのですが、ある未開種族のことばには「足」と言う単一の語が無くて、その代わり「人間の足」、「犬の足」、「カラスの足」などを表す、それぞれ別の語があるということです。
例えばの話ですが、人間の足を「アポ」、犬の足を「メトカ」、カラスの足を「クン」と呼ぶ、と言うようなことです。
つまり、我々の言語からすれば、恣意性の不完全さが見られる訳です。

確かに人間と犬とカラスでは、足の形は随分違っています。感覚内容に応じて、それを表す言葉を使い分けることは、感覚対象に忠実であるという点で、未開種族のことばの方が優れていると言えます。

だが、このようなことばの具体性は、逆に抽象的思考の未発達に照応するものです。
形にとらわれず(つまり感覚内容に密着せず)、それが動物の身体の中でどのような部分であるか、と言うことの共通性に注目することが出来れば「足」と言う単一の語が生まれる筈であり、今日の文化的諸民族のことばは全てこのような、具体的・個別性から一般的共通性へという発達の道をたどって形成されて来たものと考えられます。

つまり、「足」のような単純な語の中にも、過去の人類が行ってきた思考の発達の成果が内臓されている訳です。
我々が、ムカデのあの爪のような形のものを見て(感覚して)、「足」と言う「ことば」を媒介としてとらえている時に、そこには既に過去の人類が行った抽象的思考の成果が入り込んで来ているのであって、ただの感性的認識ではないと言うことなのでしょう。


この辺は書き始めると長くなりますので省略します。若し宜しかったら、拙サイトをご覧いただければ幸いです。
ttp://y-ok.com/appleclub/adam/contents2/contents_6.htm

恣意性なくして概念の形成は有り得なかったし、ひいては概念的思考、抽象的思考は有り得なかったと認識しています。
やはり、道具と言葉は、ヒトを人間にした二本柱だというのが、私の立場です。

66匿名希?望:2007/09/02(日) 02:50:53 ID:TmrVynh.
単にアクア説を支持する立場で話をするなら、雄さんの論法はサバンナ説を否定するのと同様の理由でより強くアクア説を否定します。
海棲もしくは淡水棲哺乳類で陸上での活動で積極的に二足歩行を採用した生物はいません。
必要性にもっとも重点を置けば半水中生活には二足歩行に移行する理由がないのです。
ヒヒがサバンナで二足歩行に移行しないのと同様です。
進化の歴史を必然だけで説明しようとするのは「偶然で人間のような存在が生まれる訳が無い」という創造論者に良く見られる人間中心主義の裏返しでしかありません。
実際の進化の道筋にはヒトに至る必然の階梯など無いのです。

67shinok30:2007/09/02(日) 07:40:57 ID:mfBEj/cI
>>65
>言語の研究としては、幼児の言語獲得の過程、及び未開部族の言語がよく対象とされるのですが、
>ある未開種族のことばには「足」と言う単一の語が無くて、その代わり「人間の足」、「犬の足」、
>「カラスの足」などを表す、それぞれ別の語があるということです。
> 例えばの話ですが、人間の足を「アポ」、犬の足を「メトカ」、カラスの足を「クン」と呼ぶ、
>と言うようなことです。
>つまり、我々の言語からすれば、恣意性の不完全さが見られる訳です。

>確かに人間と犬とカラスでは、足の形は随分違っています。感覚内容に応じて、それを表す言葉を
>使い分けることは、感覚対象に忠実であるという点で、未開種族のことばの方が優れていると言え
>ます。

>だが、このようなことばの具体性は、逆に抽象的思考の未発達に照応するものです。
>形にとらわれず(つまり感覚内容に密着せず)、それが動物の身体の中でどのような部分であるか、
>と言うことの共通性に注目することが出来れば「足」と言う単一の語が生まれる筈であり、今日の文化
>的諸民族のことばは全てこのような、具体的・個別性から一般的共通性へという発達の道をたどって
>形成されて来たものと考えられます。

英語には「ゆび」を表す単一の語がなく,
手の指は"finger"(通常は親指は"thumb"と呼んで区別する),
足の指は"toe"ですが,英語は日本語と比べて,
「恣意性の不完全さが見られ」「感覚対象に忠実で」,
具体的だが「逆に抽象的思考」が「未発達」な「未開部族の言語」なのですか?

68shinok30:2007/09/02(日) 18:33:56 ID:mfBEj/cI
また,日本語の「あし」という語も感覚的,具体的,個別的であり,
(雄さんのいう)抽象的思考による恣意性という点では不完全ですね

イヌの前肢が「あし」であるのに対して,
人間の前肢は「て」「うで」,
ニワトリやコウモリの前肢は「つばさ」「はね」,
クジラやサカナのそれは「ひれ」と呼んでおり,
日本語にはこれらを表す単一の語がありません

これは動物ごとで異なる前肢の形の違いという感覚内容に忠実ではありますが,
「これらが相同な器官であり本質的に同じものである」という一般化がされていないということです

69NAN:2007/09/02(日) 19:03:11 ID:???
>私はやはり、人間は(個々の生物が、それぞれに特殊と言う範囲を超えて)、特殊な存在だと言う立場です。

ひとつ聞かせてください。
上記は、『ニンゲンは特別な存在だ』という主張でしょうか。

さて、『道具論』について私は雄さんとそれほど隔たりのある考えをしていません。瑣末な点はあるにせよ、おおむね理解できますし、同意しても構わない雰囲気です。
しかし一方、『言語論』については、かなり私と雄さんには隔たりがあるようです。これが言語学そのものについての認識でしたら、隔たりがあってもかまいませんが、今回は「ジンルイ進化」についての議論であって、言語学についての議論ではありません。

たくさんレスをいただきましたが、雄さんの主張はそれが「ヒトは特別である」とか「言葉と道具は違うものだ」という主張を補強するものではなく、却って首を傾げさせるポイントを増やしてしまった、と見えるからです。では、どこがどのように「首を傾げる」のか、少し指摘いたします。

かつてグールドがカンブリア大爆発について主張した運・不運説などに対して、ドーキンスはその著書の中で
 →『すでに進化的な段階を経た生物と、それ以前の生物を直接比較しても、相違点が多数あるのは当然だ。』
という旨の批判を行いました。私は、今回雄さんが展開した主張についても同じ(ような)指摘をします。

私は、すでに「言語学」という学問体系さえできているほどに歴史を持ち、発達したコトバと他の動物の言語的コミュニケーションを比較しているのではありません。あくまで原初的な言語と道具について考察し、これらを分けて考える必然性があるのかどうか、道具はともかく、言葉を獲得することが「直立二足歩行の獲得」を説明する上での論拠となり得るのかどうか?について考えてみたのです。

現在ある人間の言葉が、動物のそれと「質的に異なる」のは当然のことです。それは道具にも云えることですから。
そこで私は、ニンゲンの言葉が横方向に情報伝達するだけではなく、さまざまな方法で「記録化」され「記号化」され時間軸で云う「縦方向」に向かって情報劣化を防ぎながら伝達可能なものであることに気付きましたが、実はそれは「ある程度加工を経た道具の特性」とまったく同一なのではないか?と思い至ったのです。

象徴や記号に恣意性が伴うのは当然のことです。しかしそれは、原初の、つまり直立二足歩行をはじめたかどうかギリギリ分からないくらいの「共通祖先」まで遡って、ほかの動物と比較して明らかに高度な言語を使いこなしていたのかどうか?という論考や証拠がなければ、これをもって「直立二足歩行と言語の関係」を主張されても、納得できる展開にはならないでしょう。

70GB:2007/09/02(日) 19:18:25 ID:???
>>68
>これは動物ごとで異なる前肢の形の違いという感覚内容に忠実ではありますが,
「これらが相同な器官であり本質的に同じものである」という一般化がされていないということです

いや、それはちょっとズレる。自然言語は歴史的な世界認識のツールであって、文化。
そういう一般化が必要になれば、それを表し得る言葉を借用するなり作り出すなりして
対応してきたわけで(だから科学用語があるわけだし)。

71名無しさん:2007/09/02(日) 20:53:15 ID:mfBEj/cI
>>70
>いや、それはちょっとズレる。自然言語は歴史的な世界認識のツールであって、文化。
>そういう一般化が必要になれば、それを表し得る言葉を借用するなり作り出すなりして
>対応してきたわけで(だから科学用語があるわけだし)。

それはもちろんその通りですね
私が言いたかったのは
>「足」と言う単一の語が無くて、その代わり「人間の足」、「犬の足」、
>「カラスの足」などを表す、それぞれ別の語がある
言語があったとしても,それは恣意性が不十分なのではなく,
その言語を持つ文化が「人間の足」「犬の足」「カラスの足」を別のものとして認識する必要があり,
同一性を認識する歴史を持たなかったことに基因するということです

言語には常に抽象化が必要です
足の形は左右で異なり,個体差もあり,成長によって形態は変化していくので,
厳密には全ての「あし」の形や大きさは異なっています
それを「あし」という語で表した段階で抽象化されているんですね
そして,その抽象化された「あし」という語が示す範囲は,
その言語の「歴史的な世界認識」によって決定されていますよね

日本語の「あし」という語が示す範囲も文化依存的なものであって,
>形にとらわれず(つまり感覚内容に密着せず)、それが動物の身体の中でどのような部分であるか、
>と言うことの共通性に注目することが出来れば「足」と言う単一の語が生まれる筈であり、
という雄さんの認識は日本語による母語干渉であるといって良いでしょう

仮に,左右の足を表す語が異なる言語があったとしても,それは抽象化が不十分なのではなく,
その文化が左右の足を別のものとして認識する必要性と歴史を持っているからだということです
日本語の「あし」がヒトの前肢を示さず,英語の"finger"が足の指を示さないのと同じですね

72GB:2007/09/02(日) 22:02:13 ID:???
>>71
誤読しました。すみません。

73shinok30:2007/09/02(日) 22:09:37 ID:mfBEj/cI
また,名前入れ忘れました
>>71は shinok30です

74ミケ:2007/09/02(日) 23:37:36 ID:???
しばらく忙しくなるので参加できませんけど、

>四足歩行である為に不自由なことなど、何も挙げられないのですよ。
(不自由が無かったので変化しなかった)

との答えを聞いた時点で(いや、もっと前で十分か)ここの皆さんにはもう“見えた”かと思います。

不自由なままでもとりあえず適応する、というのと、
不自由がないなら変化しない、というのはまるで別の話。
それ以前にこの言動には、進化を「向上」と受け取っている匂いさえ嗅ぎ取れます。
進化は最終的に必ず最適解に達する、という考えから抜け出せていないのですね。

時間を見つつちきちんとしたレスを返していく予定ですが、
本格的に書き込めるのは10月以降となりそうで、その頃にはもう雄さんが引き上げてそうで残念ですね。
とりあえずヒヒとヒトのロコモーションを比較することが
オットセイとヒトのロコモーションを比較するくらいナンセンスだってことは
もう雄さん以外には十分ご理解いただけていると思いますが、
「なぜ(どうやって)二足になったのか、アクア説サバンナ説以外を示してみろ」というリクエストには
少々時間をおいてでも答えておきたいところです。

というわけで二足歩行進化への仮説として学界の現状を把握できそうな論文を探してみました。
中身しっかり読んだわけじゃないですが、タイトルとジャーナルで(笑)。

論文タイトル:Origin of human bipedalism as an adaptation for locomotion on flexible branches
著者:Thorpe SKS, Holder RL, Crompton RH
雑誌:SCIENCE 316 (5829):1328-1331

論文タイトル:A juvenile early hominin skeleton from Dikika, Ethiopia
著者:Alemseged Z, Spoor F, Kimbel WH, ほか
雑誌:NATURE 443 (7109): 296-301

論文タイトル:Endurance running and the evolution of Homo
著者:Bramble DM, Lieberman DE
雑誌:NATURE 432 (7015): 345-352 NOV 18 2004

以上のものは本文は購入してないと読めないと思いますが
アブストラクトと引用文献くらいはネットからタダで探せるはず。
ざっと流し読みしただけですが、open environment、savannah、forest(trees)、
あとenergeticallyってのも見た気がする。
一方、aquatic(水棲)という言葉は一度も出てきていません。

時間ができたときにカンタンに紹介できたらなぁと思っていますが、
気の短いかたには自分で探すのをオススメします。
引用文献から孫引きとかすればタダで読める文献も探せるかも。

もちろんこちらのほうでも、アクア説のいう分子からの物的証拠というのを気長に待っています。
たぶんBaboon Markerの話が出てくるだろうけど、あれをヒヒ抗体って訳すのは普通に誤訳だと思う。
この掲示板には医師のかたも多いみたいなので確実に誰かからツッコミが入る気はしてます。

75fukken:2007/09/03(月) 06:06:07 ID:w7V4p70Y
雄さんのサイト拝見しました。

社会ダーウィニズム批判と銘打ち

>地球上にひとたび生物が生まれると、それから後は進化論で良く知られるよう に、下等の種から高等の種への進化が次々に起こり、ついにはある種の類人猿から人間への進化が行われました。
>これは同時に、サルの集団が人間の社会になったことを、すなわち生物的運動形態から社会的運動形態への移行が行われた事を意味します。
ttp://y-ok.com/appleclub/adam/contents2/contents_9.htm

と述べたことに矛盾は感じませんか。

76:2007/09/03(月) 07:24:09 ID:ToCfhv1w
RE ミケさん

>不自由なままでもとりあえず適応する、というのと、
不自由がないなら変化しない、というのはまるで別の話。

ですから、ヒヒが四足である為に「不自由なままでもとりあえず適応」している事実を、根拠付けてくれ、と言っているに過ぎません。
その事実を挙げられずに、「不自由がないなら変化しない、というのはまるで別の話」等と主張されても、私にはぜんぜん”見えません”。

進化論の一般論を講じている訳ではありません。進化学会の専門家も見ておられるであろうこの板で、そんなおこがましい議論をするつもり等、毛頭有りません。
そう言うことは別なスレッドを建てて、心行くまでおやり下さい。

>とりあえずヒヒとヒトのロコモーションを比較することが
オットセイとヒトのロコモーションを比較するくらいナンセンスだってことは
もう雄さん以外には十分ご理解いただけていると思いますが、

これも元々、ロコモーションの一般的比較論をやっていた訳では有りません。ここでも話のすり替えです。

ヒヒの例は、サバンナに進出した霊長類はヒトだけではない。ヒヒもパタスモンキーも、サバンナモンキーも居る。
直立二足歩行が、ミケさんの言うようにそれ程「省エネ」であるなら、或いは他の理由でもいいが、それ程メリットがあるというなら、何故これらもそうしないのか?
と言う、私の質問にミケさんは、2で、

>重要:進化の方向性を決めるのは淘汰圧の方向だけではありません。
ヒトとヒヒとの違い前適応の有無
ヒトは直立二足歩行できる下地があったから直立二足歩行になった。
ヒヒは直立二足歩行できる下地がなかったから直立二足歩行になれなかった。
それだけしか言ってないわけ。

と返して来ている。
私はヒヒが二足に移行しないのは、他の全てのサバンナ性動物と同じく、四足歩行で何の「不自由」も無かったからだと見ているけれども、ヒトと環境(淘汰圧)が同じで有りながら、前適応の有無でヒヒが直立二足歩行に「なれなかった」とするミケさんに、なれなかった為の不自由さ、デメリットを挙げてくれ、と聞くのは当然のことじゃないですか。

続けてミケさんは次のように述べている。

>で、直立二足歩行の下地がある(類人猿)ところに
【直立二足歩行へ移行する淘汰圧(直接的要因)】がかかれば二足歩行にはなるだろうってことです。
下地がなければ(ヒヒ等、類人猿以外のサル)、どんな淘汰がかかろうとも直立二足歩行にはならないと期待されます。
系統的制約ってヤツです。

ミケさんの「期待」を裏切って、パタスモンキー、ミーアキャット、プレーリードッグなど、種を超えてキレイな直立姿勢を示す動物は多く居る。
私はこれらの動物が直立姿勢を取るのは、「下地」の有無などではなく、共通して同じ淘汰圧、つまり遠くを見渡す為には立ち上がる以外に方法がなく、直立する必要に死活的に迫られた為だと思っている。そして二足歩行に移行しないのは、その必要が無いからだと思っている。

でもミケさんの説によると、これらの動物は不可欠な「下地」が有ったから、そこに淘汰圧が掛かって、直立姿勢が取れたと言うことになる。
だったら、これら三種(或いはもっと多く)の動物に、下地(前適応)が有ったことを教えて欲しい、と言っても、これも無回答。

ヒヒはヒトと同じく、直立二足歩行のメリットを受けられる環境に有りながら、前適応がなかった為、直立二足歩行に「なれなかった」。
チンパンジーは、前適応の成果で、充分直立二足歩行できる下地が有ったのに、その環境でなかったために、直立二足歩行になっていない、と言う。

私はあまり進化論的だとは思えないんだが。

77:2007/09/03(月) 07:25:07 ID:ToCfhv1w
何より、

プロコンスルにしてもサンブルピテクスにしても、樹上で四足ですばしこく動き回っていたと思う。時に枝の上で二足歩行を見せることも有ったかも知れない。
しかし、森の中であれ、サバンナであれ、専ら二足歩行に切り替える必要がどこに有ったのだろう。
それも、たった一種、ヒトだけが。

私の一番の問題意識はここにあると、繰り返し述べているし、その点で納得できるお説を賜れば、直ぐにでもミケ教に宗旨替えする、と言っているのだが、ミケさんからは一度も答えを頂いていない。

【アクア説に関して】
直立二足歩行の契機を説明できない「人類起源説」に意味は無い、と言う立場から私は議論をしている訳ですが、私自身としては、その契機としてアクア説に納得していると言うことです。
モーガンが主張しているそのシナリオの紹介が遅れていますが、ヒヒ抗体というのは、その中での言わば物的証拠みたいなものです。

若し、ミケさんに限らず、医師であれ誰であれ、その件に付いて「ツッコミ」的解説をして頂けるのであれば喜んでお伺いしたい。
それによって、間違いであることが納得できれば、改めるに何のはばかりも有りません。

78:2007/09/03(月) 08:12:04 ID:ToCfhv1w
RE fukkenさん

>雄さんのサイト拝見しました。

お恥ずかしい限りです。

>社会ダーウィニズム批判と銘打ち

>地球上にひとたび生物が生まれると、それから後は進化論で良く知られるよう に、下等の種から高等の種への進化が次々に起こり、ついにはある種の類人猿から人間への進化が行われました。
>これは同時に、サルの集団が人間の社会になったことを、すなわち生物的運動形態から社会的運動形態への移行が行われた事を意味します。
ttp://y-ok.com/appleclub/adam/contents2/contents_9.htm

と述べたことに矛盾は感じませんか。

感じません。
人間は生物であることは当然として、社会的な存在だと言う理解です。つまりその点で特殊だと。
生物としての側面以上に、社会的な仕組みによる制約に、多く依存していると思っています。

例えば端的に言って、同じヒトでありながら、北朝鮮に住んでいる人と、日本に住んでいる人では行動様式や考え方が大きく違っています。おそらく死亡率なんかも違っているでしょう。
これはその人の生物学的な違いから来るものではなく、社会的な事情です。

生物での適応度は、大雑把に言って、残した子供の数で計られる訳ですが、そう言う基準で人間の「適応度」が論じられることも有りません。
ビル・ゲイツが何人子供が有るか、ニュースで話題になったことを知りません。
封建社会と資本主義の今とでは、同じヒトでありながら、行動様式や価値観が全く異なります。

つまり社会には、生物の法則とは異なる社会の法則がある、と言うのが私の理解です。
勿論、ヒトとして生物である以上、代謝、繁殖など生物の法則も当然貫いているけれども、まあ全体としては背景、基礎的な位置づけだと思ってますけど。

その「社会」に、適者適存、優勝劣敗などと、生物学の法則を機械的に、或いは捻じ曲げて適応し、解釈、或いは合理化しようと言うのが「社会ダーウィニズム」であって、本来違う法則下にあるものだ、と言うのが私の考えです。

只、あれは個人サイトです。
あれをもって、他に、例えばこの板でことを構えようと言うことでは全く有りません。間違いも多々有るでしょう。
批判に耳をふさぐと言うことではありませんが、何しろここだけでも手イッパイで、逐一のご指摘には対応しかねるときも有ります。
出来れば、ここでの私の主張の範囲内で、反論なり何なりお願いしたいところです。


なお、「言葉」に関するコメントは後ほど。
私も、忙しくなってきましたので。

79地下に眠るM:2007/09/03(月) 10:20:55 ID:cizMQ0FI
>AH1

>>「必要があれば直立する」はよくわかるんだけど、「必要があれば直立二足歩行する」はぜんぜんわかんにゃーです。

>自分で振っておいてなんなんですが、「必要があれば直立二足歩行する」もあり得ないことじゃないと思いますよ。
ただ、何もない所から始めると試行回数が莫大になるので時間がかかる・・ひょっとしたらいつまでたってもできないかも・・
という違いでは?

ちょい省略しすぎたかにゃ?
一応、ジンルイの祖先の話という文脈上の前提があるので、「世代交代に10年弱かかる生物においてせいぜい100万年単位のスパンでは、「必要があれば直立する」はよくわかるんだけど、「必要があれば直立二足歩行する」はぜんぜんわかんにゃーです。」と読んでいただけるとありがたいですにゃー。

80地下に眠るM:2007/09/03(月) 10:52:43 ID:cizMQ0FI
なんか雄にスルーされたようなので(33)を再掲ね

**************************
>進化の基本的な要因は、「突然変異」と「自然選択」でしょう。
>前適応に意義がないなどとは言いませんが、あくまでも副次的なものです。前適応が全くなくてもこの二つが揃えばその方向に進化が進むでしょう。
(No.8 雄)

前適応ちゅうのは、自然選択を無理なく説明するための概念ではにゃーのか?
淘汰圧さえあれば、前適応がなくてもある機能を持ちえるちゅうのは、そうとうに観念的ちゅうか目的論的な議論に思えますにゃ。自然選択=適応、ちゅうのは使い回しの歴史にゃんからなあ。
******************************

ちゅうわけで、雄はやっぱり前適応を理解してにゃーと思うんだけど。

では遅くなったけど(39)にレス

>ミーアキャットが必要に迫られて、きれいな直立姿勢をとるのは事実です。これは必要に迫られてです。
>その際、若し二足で歩く必要(淘汰圧)に、死活的に迫られた場合、その直立姿勢から一歩踏み出して歩き出すのに、私は何の不自然も感じません。
>それとも地下に眠るMさんは、立ちすくんだまま絶滅するのが自然だと仰るのでしょうか。

ミーアキャットに二足歩行をするための前適応がなければ、立ちすくんだまま絶滅するのが当然でしょうにゃ。
チミのいっているのはウルトラ観念論にゃんな。
「信じていれば、夢は必ずかないますよ」;進化論バージョン、とでもいえばいいのかにゃ?
チミの観念論をはっきりとさせるために、チミの書いた文章をちょいいじってみよう。

>ミーアキャットが必要に迫られて、きれいな直立姿勢をとるのは事実です。これは必要に迫られてです。
>その際、若し【空を飛ぶ】必要(淘汰圧)に、死活的に迫られた場合、その直立姿勢から一歩踏み出して歩き出すのに、私は何の不自然も感じません。
>それとも地下に眠るMさんは、立ちすくんだまま絶滅するのが自然だと仰るのでしょうか。
>【飛行】に踏み出す際、その直立姿勢は【飛行】の前適応になっているでしょうね。

どんなに空を飛ぶことについての淘汰圧がかかろうが、空を飛べなければ絶滅するしかないという状況に徐々になっていったとしても、ミーアキャットも馬も鹿も100万年単位では飛ぶことは絶対にありえにゃーだろう。「立ちすくんだまま絶滅するのが自然だと」断言しますにゃ。


>ヒトだけが、サバンナに進出した時、わざわざそれまでの歩行方法を捨て、二足歩行を進化させたと言うのです。その明確な理由をいまだかってここで聞いた覚えが有りません。

このあたりが、前適応という基本概念も相手の言うこともチミがまったく理解してにゃーと思える点ね。
「わざわざそれまでの歩行方法を捨て」ってナニ?
ミケはニンゲンとチンプの共通祖先が二足歩行にある程度習熟していたと書いてるだろ? 前適応という概念を理解していれば、それがわかるだろ?
専門家でも意見が分かれるとかいう逃げをうつ前に、基本的な概念を押さえてほしいものですにゃ。前適応は、自然淘汰を現実的かつ具体的に説明するための必須アイテムなんだにゃ。
このアイテムがにゃーと
「信じていれば夢は必ずかないます」;進化論バージョン、になっちゃうのよ。


>その一番の中心テーマに触れぬまま、議論されるのはその周辺の、私からすると瑣末な問題ばかり。

一番の中心テーマは、チミの観念論だと思うにゃ。


>なお、これから月末、月始で、忙しくなります。

ま、ゆっくりね。

81地下に眠るM:2007/09/03(月) 11:41:24 ID:cizMQ0FI
言葉について、ちょっとだけ突っ込んでおきますにゃ。
誰に対してというわけでもなくつれづれと。

シニフィアンとシニフィエ(音声・文字と対象物)の関係の恣意性は当然のことですにゃ。
問題は、連続的な「現実」をどうやって言葉で切断しているかに注目しにゃーと言葉の話はできにゃーところにある。
例えば、虹は日本では7色だけど英米では6色、ホメロスによれば虹は3色ですにゃ。もちろん現実の虹は連続的に色が変化していてその色数は無限といっていいにゃんね。日本には出世魚なんてものがあるけど、ベドウィンではラクダの年齢に応じて5つくらいの一次名詞があるみたいだしにゃ。

ニンゲンは文化によって適応しているという「文化妄想装置論」によれば、連続する現実を分節するという「妄想」は文化による適応の一種であるといえるわけで、「未開部族」の言語が「未発達」などということには決してならにゃーですね。レヴィ・ストロースも「未開=未発達」はダメだよーん、といっているにゃんが。

あと、シニフィアンとシニフィエの対応は確かに恣意的だろうけど、ニンゲンの言語獲得能力は先天的で特殊だという話はあるにゃんな。これはチョムスキーの普遍文法だにゃ。
ユングによれば元型イメージはジンルイ普遍となるしにゃ。フレーム問題とか考えると、言語というのは単純な記号操作ちゅうよりシンボル操作ではにゃーかと思うにゃ。

とにかく、ニンゲンに先天的な言語獲得能力があること自体はほぼ間違いにゃーと思うので、それがいつごろ獲得されたのかはオモチロイ話題だと思うけどにゃ。
完全に近い骨格化石がたくさん見つかれば、これも相当程度わかるんだろうけどにゃ。オモチロイが妄想が幅をきかせてしまう分野でもありますにゃ。

82AH1:2007/09/03(月) 12:05:20 ID:lWWemAT6
>「世代交代に10年弱かかる生物においてせいぜい100万年単位のスパンでは、

はいはい、納得です。
所用時間に関する部分を読み損ねた上にその部分を勝手に自分で説明しちゃってたようで失礼しました。

83:2007/09/03(月) 21:07:53 ID:ToCfhv1w
RE 地下に眠るMさん

「アクア説支持者は、自分を特殊だと思っている論」の時もそうだったんですが、私は地下に眠るM さんの発想がサッパリ分かりません。

>>その際、若し二足で歩く必要(淘汰圧)に、死活的に迫られた場合、その直立姿勢から一歩踏み出して歩き出すのに、私は何の不自然も感じません。

>>二足歩行に踏み出す際、その直立姿勢は二足歩行の前適応になっているでしょうね。ブラキエーションなどの、アヤシイ前適応と違って。

これがどうして………、

>【飛行】に踏み出す際、その直立姿勢は【飛行】の前適応になっているでしょうね。

…こんなことになるのか。
直立姿勢が、空を飛ぶ為の前適応になるなんて、空想だにしませんでした。
だからどうしたら地下に眠るMさんがこんな発想になるのか、私にはどのように観念を働かせても理解できません。
アクア説の時と同じく、勝手に観念的に敵の姿を捏造した上で揶揄・攻撃する。一瞬ブッシュを思い出しましたね。

地下に眠るM さんにお聞きします。
あなたは二足歩行をするに先立って、先ず直立しませんか? そこに何か不自然が有りますか?

私は、直立姿勢と直立二足歩行の関係は、ごく自然なものとして理解できますが、そこにどうして「飛行」が入り込んでくるのか、どうしたらそんな発想が出てくるのか、現実的な私には、どうしても理解できません。

>どんなに空を飛ぶことについての淘汰圧がかかろうが、空を飛べなければ絶滅するしかないという状況に徐々になっていったとしても、ミーアキャットも馬も鹿も100万年単位では飛ぶことは絶対にありえにゃーだろう。「立ちすくんだまま絶滅するのが自然だと」断言しますにゃ。

誰も言っていないことを、勝手に観念的に創造して、その仮想敵を「論破」したつもりになって「断言」されても、私には「何のおはなし?」なんですけど。


私はミケさんのように、以下のような頭の中だけの、観念論的空想物語は言っていません。

>仮に、「チンプも実はかつて常時直立二足歩行を獲得していたが、後に二次的に二足歩行を失っていた」なんてことが明らかになったらどうします?(19)

パタスモンキー、ミーアキャット、プレーリードッグなどの、キレイな直立姿勢は、私が「観念的に」論じるまでも無く、実際に見られる現実です。
そしてそれは、立ち上がって遠くを見渡すと言う、共通な必要性に迫られてのことです。
そんなことは彼らの行動を、(地下に眠るMさんのように、観念的・恣意的にでなく)素直に見ていれば、子供でも簡単に理解できることです。

それらの動物に共通して、直立姿勢への前適応が有ったかどうか、それは知りません。私にとっては副次的なことに過ぎないからです。

前適応が不可欠だとする、ミケさんにこれら種を超えての、どう言う前適応が有ったかどうか教えて欲しい、と言っているのですが、未だその回答をもらっていません。
私を観念的だとする、地下に眠るM さんでもかまいませんよ。

現に直立姿勢を取っているこれらの動物にとって、その直立姿勢は二足歩行に移行する際の前適応になり得るでしょう。
つまり、地下に眠るM さんの主張に従っても、直立姿勢から直立二足歩行に移行することはぜんぜん無理でも、観念的でも有りません。
空を飛ぶ為の前適応になる、なんて発想は観念論の最たるものだと思いますけどね。

彼らが直立姿勢から二足歩行に踏み出さないのは、そこに四足を捨てて二足に移行しなければならない、必要(淘汰圧)が無いだけです。前適応の有る無しでは有りません。
直立姿勢で敵を察知したら、慣れ親しんだ四足で全力逃走する。そこに何の不自然も有りません。
パタスモンキーもミーアキャットも、プレーリードッグも、それで特に絶滅も無くサバンナに適応しています。

この、子供でも分かる現実が、どうして観念論になるのか?
空想力(想像力じゃないですよ)の足らない私には、本当に分からないのですよ。


>言葉について、ちょっとだけ突っ込んでおきますにゃ。

ハイハイ、有難うございます。

私は64で、「言葉については、地下に眠るM氏もおそらく一家言お持ちで有ろうと思いますが」として、見解の違いは別として、その内容にある程度の期待を持っていたのですが………。

「アクア説=特殊」に続く、今回の「飛行」で、少しばかりゲンナリしました。
いつか、暇が有った時、読んでみます。


そろそろ、撤収の時期のようですね。
普通の討論も出来なくなってきたようだし。まあ、気が向いたら、「宿題」だけはまとめてみるかも知れません。

皆さん、ご指導有難うございました。

84fukken:2007/09/03(月) 23:02:29 ID:w7V4p70Y
雄さんはご自身のサイトの中で「人間はこれ以上の生物としての進化はしないだろう」と結んでいます。
つまり、「生物は下等の種から高等の種へ進化し、仕舞いに人間という特別な形で帰結する」
って認識なのですよね。それが雄さんの進化論。
でも、一般にはそれは「社会ダーウィニズム」と呼ばれる考え方なのではないでしょうか。


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