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創価学会の功罪を考える

1管理者:2002/03/08(金) 17:18

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/kouzai.htm


板東様、アネモネ様、いちりん様から、スレッドテーマの提案が有りました。突っ込んだ議論をよろしくお願い致します。

提案文は以下の通りです。

名前: 板東 投稿日: 2002/02/10(日) 21:25

要するに公明党が政権与党になっている点,マスコミを抑えてしまった点,有り余る財産で銀行を掌握してしまった点,また,金にモノを言わせて,嫌がらせ裁判をたくさん起こして反対勢力を弾圧している点,完全に日本を支配している,これは問題ではないんですか.

名前: アネモネ 投稿日: 2002/02/10(日) 21:34

思い切って、「創価学会の功罪を考える」(仮題)といったようなスレッドを立ち上げてみてはどうでしょうか。私も、宗門サイドの半ば偏重的なアナウンスではない正しい認識として、過去も含めた事実を知っておきたいです。

名前: いちりん 投稿日: 2002/02/10(日) 22:02

「創価学会の功罪を考える」っておもしろそうですね。きっと活発な論議になるとは思いますが、たぶん荒れる可能性もありましょうね。でも、やってみないとわからないか。

809管理者:2003/11/08(土) 23:54

同志の歌さん

「パクッた」という表現について

パクルとは、大辞林によれば、「商品や手形などを、だまし取る。盗む。」という意味です。それが事実と違っているなら、禁止事項の『「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。』に該当します。ただ、事実であれば、該当しないと考えます。この点、管理者はその真偽を確かめる資料を持ち合わせませんので、現時点では判断が不可能であると申し上げざるを得ません。同士の歌さんが、その資料をお持ちでしたら、開示賜りたく存じます。開示戴けた段階で判断させて頂きたいと存じます。それまでは保留とさせて頂きたいと存じます。

810Leo:2003/11/08(土) 23:56
犀角独歩さん、こんばんは。

だいぶスレが進んでしまったのですが、>>728 の愚鈍凡夫さんあてのレスで、
横レスになってしまいますが、気になりました点がございますので、お話し
したいと思います。

犀角独歩さん曰く:
「今後の方向性は、ここにおける現役創価学会員の発言、たとえばLibraさんなどを通じて見る限り、
 記号論的とも言うべき漫荼羅観に変遷していると思えます。つまり、書かれている相貌によって
 本尊たり得るというような解釈です。ただ、これまた暫定的な経過途上であると思えます。 」

Libraさんは、批判仏教や凡夫本仏論等等を吸収しつつそれらの問題点を超克し、宗祖本仏論の
否定をはじめ学会教義から独立した仏教理解をされていると思います。ですので、学会教学や
指導を採用する典型的な「現役創価学会員の発言」と捉えるのは難しいのではないかと思います。

学会教学を仮に「創価仏法」と名づけると、学会教学のテキストから確認できる「創価仏法」と
古い教学や指導を残していたり会員の独自の解釈が含まれる「俗・創価仏法」があると思います。
(Libraさんの仏教理解は「創価仏法」にも「俗・創価仏法」にも分類できないと思います)

811Leo:2003/11/09(日) 00:53
犀角独歩さん、>>810の続きです。

次に、すでにご存知の部分が多いかと思いますが、参考としまして、最近の
学会教学のテキストから確認できる「創価仏法」での、漫荼羅観を紹介したいと思います。

学会の会館に安置されている本尊や個人に授与される本尊が、下記教学の曼荼羅本尊と
イコールと捉えられてますが、下記教学の範囲内だけでも、「日寛上人書写の御本尊」が
「大聖人の曼荼羅本尊」とイコールであり得るか、「日蓮大聖人の生命(心、精神)」が
印刷(本尊として渡すだけ)によって全世界の会員に授与され得るものであるか疑問で
あるところです。

「<法本尊> 法本尊とは、事の一念三千である南無妙法蓮華経を顕した大聖人の曼荼羅本尊です。
この南無妙法蓮華経は三世の諸仏の能生の根源(あらゆる仏を成仏させる根源の法)であり、
一切衆生の成仏の種子、すなわち仏種です。」
(創価学会教学部編『教学の基礎 ◇仏法理解のために◇』聖教新聞社、2002年、p.58)

「<人本尊> 日蓮聖人は南無妙法蓮華経を「日蓮がたましいひ(魂)」であるといわれて
います。これは日蓮大聖人が法本尊である南無妙法蓮華経を自らの生命の根源として開覚・
修行し、末法の衆生のために曼荼羅本尊として顕されたということです。
すなわち日蓮大聖人の生命は法本尊の南無妙法蓮華経と一体です。」
(同上、p.59)

「「末法の法宝」とは御本仏・日蓮大聖人が御図顕された三大秘宝の御本尊を指します。
大聖人が顕わさえた曼荼羅御本尊は「日蓮がたましいうぃすみにそめながして・かきて候ぞ
信じさせ給え」(「経王殿御返事」、御書一一二四㌻)と仰せのように、一念三千の法を
体現された大聖人の御生命をそのまま顕わされた御本尊であり、南無妙法蓮華経を
末法弘通の法体として顕現された当体であるので末法の法宝となるのです。」
(同上、p.136)

「平成5年(1993年)には学会として、日寛上人書写の御本尊を御形木本尊として全世界の会員
に授与することを決定。宗門とは完全に決別し、大聖人直結の広布の教団として、世界宗教
への飛翔を進めていきました」
(同上、p.146)

812沖浦克治:2003/11/09(日) 06:02
 アネモネさん
 あなたは以前私に体験を話すようにとのレスをされました。
 私は体験を語りました。
 然るに
 『個人的にいえば、沖浦さんが努力をされて、名誉ある栄光を勝ち取られたことは、さぞかし誇らしかったことだろうと、心より賛嘆したいと思います。その言動力が、間違いなく創価学会の信心であったということも、まったく理解できます。しかし、それが創価学会の正義の証明になるというものなのかなあ?という素朴な疑問は否めませんね。
 との発言は矛盾をしておられます。
 私が創価学会員で無かったなら、世界で金メダルを取る事は絶対に不意可能だったでしょう。
 たゆまざる向上心を持ちつづけることは、創価学会で学んだ事です。
 私の体験に異を唱えるのであれば、あなたと関係の無いアスリートを引用するのではなく、あなた自身が何らかの方法で世界を取ってから、体験としてお話ください。
 以前N選手が拙宅にまいりました。
 彼も日本タイトルを持つトップリフターです。
 私の家の仏壇を見て『沖浦さんは創価学会ですか!』と言ったきり黙り込みました。
 数分そのままでしたが、『実は息子が創価学会に入会すると言い出し、家族で反対しているところでした。息子に入会を勧めます。』と言われました。
 私個人の体験が布教に結びついているのです。
 宗教の布教とはかくあるべきです。 
 自分は駄目であるがこの信心はすごい、等という意見はおおかしいと思います。
 信心が生活に顕れなければ何の値打ちもありません。
 あなたのご意見は、生活即信心とは言えないと思います。

813沖浦克治:2003/11/09(日) 06:19
 犀角独歩さん
>746、750、752のわたしの質問にお答えください。
創価学会の功績についてです。
どうぞ。

 この方面に付いてあまり知識がありません。
 男子部時代に原水爆反対の署名をした覚えがあります。
 1500万人(定かではありませんが)ほど集まったと聞きました。
 詳しくお知りになりたいのでしたら、創価学会の広報に問い合わせれば如何かと存じます。

814沖浦克治:2003/11/09(日) 06:27
 アネモネさん
>747>いっき‐とうせん【一騎当千】
一騎で千人の敵を相手にすることができるほど強いこと。一人(イチニン)当千。太平記二八「これら皆―の兵にて」(広辞苑第4版)深層心理というのは、言葉に出るものだなあと思いますね。千人の敵を相手にとは、いかにも猛々しいですが、その敵とは、恐らく私たちのことを意味する心理であり、私たちは今もなお見下されていることが、この言葉からうかがえますね。

 蓮祖門下ですから当然です。
 私は何処を切っても、創価学会員でありたいと願っております。
 
 『かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへおしかけここへおしよせ念仏真言禅律等の八宗十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返しせめをとしすれどもかたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。』( 如説修行抄)

 この御書を拝するたびに、武者ぶるいに似た感覚を覚えます。
 蓮祖門下ですので当然です。

815沖浦克治:2003/11/09(日) 06:36
 無徳 さん
 息子は真面目に信心をしております。
 めったな事では戦死しないでしょう。
 もし不幸にして戦死をすれば、宿命だと思います。
 無論のこと、父親として無事に帰っていと祈っております。
 しかし自らが決めた道です。
 息子は息子の人生です。
 変わってやる事は出来ません。
 父親として、立派に戦って死んで来いと、いう以外の言葉を思い付かないのです。
 私は蓮祖門下の末席を占める人間として、子供たちにイージーゴーイングを教えた事は一度もありません。
 戦場に行って逃げ回るような人間には、育てていないのです。
 臨終正念とは、そう言う人生の延長にあると信じております。

816沖浦克治:2003/11/09(日) 06:40
 愚鈍凡夫 さん
>小生は、常に一人で組織と闘ってきました。あなたには決して理解できないことです。
沖浦克治さんから小生宛レスの返答です。

 私もそうですよ。
 だから世界を目指したのです。
 タイトルを取って以来、組織を堂々と批判できるようになりました。
 これが自分の広宣流布への武器なのです。

817犀角独歩:2003/11/09(日) 06:54

Leoさん、おはようございます。

> Libraさん…学会教学や指導を採用する典型的な「現役創価学会員の発言」と
> 捉えるのは難しいのではないかと思います

Leoさんのご指摘は、わたしの

「現役創価学会員の発言、たとえばLibraさんなどを通じて見る限り、記号論的とも言うべき漫荼羅観に変遷している」

に対して仰る部分ですね。わたしはLibraさんを現役創価学会員の典型と見たわけではないのですが、そのような印象を与えてもおかしくない文章になっています。ご指摘のとおりで、この点は反省します。

提示いただいた学会の、現段階の漫荼羅本尊観指導、ご提示有り難うございました。参考になりました。

寛師が、「本門戒壇の本尊」を特定して説明する内容を「三大秘法の本尊」と言い換えて、自分たちが配布する寛師書写漫荼羅に当て嵌まるように書き換えてありますね。

寛師が「法本尊」というのは「本門戒壇の本尊」ですが、これを「事の一念三千の南無妙法蓮華経」と書き換えている点、また、寛師は「人本尊」を「日蓮大聖人」というのに、「日蓮大聖人の“生命”」と言い換えている点で、異なりますね。

寛師は『本尊抄文段下』で

「法即人の本尊とは一念三千即自受用身の蓮祖聖人これなり。当文及び本尊問答抄、当抄の下の文の「本門の本尊」、佐渡抄の「本門の本尊」の文は並びにこれ人即法の本尊なり。三大秘法抄、報恩抄等は法即人の本尊なり。

…“本門戒壇の本尊”は応にこれ総体の本尊なるべし。これ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。自余の本尊は応にこれ別体の本尊なるべし。これ則ち面々各々の本尊なるが故なり」

以上のように、明確に板漫荼羅(戒壇大御本尊)と他の本尊を分けています。この二つを同一に論じることを遮しています。学会の本尊観は寛師と異なっていますね。
寛師は、板漫荼羅のみを「一閻浮提の一切衆生の本尊」と断言しています。

参考になりました。有り難うございました。

818沖浦克治:2003/11/09(日) 06:58
 無徳 さん
>>私は私、戸田先生は戸田先生です。
 対等な関係です

>とは、恐れ入りました。
貴方は640でのアネモネさんへのレスにおいて、云々。

 私は心の底から戸田先生を尊敬申し上げます。
 テープを聞く度にその思いが強まります。
 私が入会間もないころ、先輩から頂いた青年訓・国士訓は衝撃でした。
 あの時読まなければ、違った人生になっていたでしょう。
 トレーニングで辛くてくじけそうな時、こんな苦労など戸田先生と比べればなんと言う事はない。と自分に言い聞かせて頑張れたのです。
 池田先生とは思った事がありません。
 無論のこと池田先生も尊敬いたしております。
 戸田先生は、私には特別なお人なのです。
 しかしやはり私は、戸田先生とは人間として対等であると信じております。
 故に一部分でも目標にして頑張ることができたのです。
 戸田先生の指導で、最も感銘を受けた部分を書いておきます。
 『私をよく世間の人が、あなたは会長だから如来様だろう、とか仏様だろうとか言われる。このときぐらい腹が立つことは無い。私は立派な凡夫だ。犬は犬の気持がわかる。人間だから人間の気持がわかるんだ。今後も決して会長を神格化してはいけない。』(趣意)
 私が戸田先生を世界一だと思うには、この指導の故です。
 法主が生身の釈迦、日蓮だとのたまうどこかの人と比較して見れば、明らかですね。

819沖浦克治:2003/11/09(日) 07:02
  犀角独歩さん
>> お分かりかな?

>このような蔑む発言をおやめください。

 私は以後慎みますが、あなたの書き込みにも同類のご発言がしばしば見られます。
 あなたも謹んで下さいませ。

820沖浦克治:2003/11/09(日) 07:11
 愚鈍凡夫さん
>> 金を積んでも世界チャンピオンにはなれませんよ。

>誰とは言いませんが、金を積んで「ブリキの勲章」や「名誉ナントカ賞」をコレクションしている御仁を知っていますが。何か?

 これは池田先生のことでしょうね。
 種種ご意見がおありでしょうが、私の考えを述べえおきます。
 
 『よし!自分も創価学会員として必ず世間のトップとなり、名誉市民の一つでも取ろう!』
 
 このような人間(特に未来部)がたくさんでてこなければ世界広布などは、夢のまた夢でしかありません。

821犀角独歩:2003/11/09(日) 07:58

世界チャンピオン、世界のトップでないと世界広布にならないのであれば「民衆」仏法とは言えないのではないでしょうか。

また、世界チャンピオン、世界のトップになる話は「信心していて良かったと感じた時は、どんな時ですか?」のスレッドがあります。そちらで書かれたらどうでしょうか。

個人的に世界チャンピオンであろうと、沖浦さんの言葉を借りれば「ホームレスでも弁護士でも」、まるでその点は問題になりません。

「何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば『当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし』の道理なれば仏の如く互に敬うべし」

相手の成功・不成功、尊貴を選んで、法を聞く姿勢は、上述の「御書」からして、仏教の視点からすれば不純であるとするのが「蓮祖の門流」です。

なお、「当如敬仏」は申すまでもなく『妙法蓮華経勧発品』の文です。
蓮祖同様、法華経の精神を尊重してください。

> 法主が生身の釈迦、日蓮だとのたまうどこかの人

などと「どこかの人」の比較しながら、自説を正しいという論法は実に見苦しいですね。他者侮蔑・軽蔑を含んでいます。自分に「揶揄」を向けられることを拒みながら他人を揶揄するわけですか。

ただし、いわれる「持住本仏論」への疑義は、当板では大いに論じられてきたことでした。問題にされたければ、該当する他のスレッドでお書きになったほうがいいいでしょう、「創価学会の功罪」とは関係ありませんので。

ここは組織集団「創価学会の功罪を考える」スレッドです。
沖浦さんの功徳を考えるスレッドではありませんので、長々と世界チャンピオンになった話ばかりを書き連ねられると、テーマ議論が妨害されます。自粛を希望します。

822アネモネ:2003/11/09(日) 08:19
沖浦さん

>私が創価学会員で無かったなら、世界で金メダルを取る事は絶対に不意可能だったでしょう。

これはわかりますよ。原動力であっただろうと想像します。

>たゆまざる向上心を持ちつづけることは、創価学会で学んだ事です。

確かに向上心もお持ちでしょう。客観的にみて、創価学会に限らず、日蓮仏法のよいところは、上昇志向にあるということがいえると思います。
しかし、沖浦さんの書かれた内容からは、宗門が邪義であることを証明せんがためとありまして、それは単なる向上心だけではなく、憎悪の心も原動力にされているなと感じました。私は、失礼ながら、そういう心根が私の思想・信条からいって好きにはなれません。それは、宗教の目指す精神性からいって、そのような憎悪の心こそ克服しなければならないものと思うからです。

>私の体験に異を唱えるのであれば、あなたと関係の無いアスリートを引用するのではなく、あなた自身が何らかの方法で世界を取ってから、体験としてお話ください。

この考え方は根本的に間違っています。あなたが世界で創価学会の信心を原動力に金メダルをとったという体験に異を唱えているのではありません。名誉あることですが、だからといって、それが創価学会の正義の証明にはならないだろうということを言っているのです。正義を証明するというのならば、世界一になられたあなたが、どのような人間性を人々に示していくかにかかっているのではないでしょうか。この掲示板での言動もその一分に含まれます。宗門憎しをあらわすることが、正義だと思ったら大間違いです。
宗教の正義は、憎悪を克服したところにあるといえます。そうでなければ、平和思想には到底至らないでしょう。
それから、「あなた自身が何らかの方法で世界を取ってから…」ということですが、これは世界一という権威を盾にしたまさに権威主義的考え方といえ、宗門の権威主義と何ら変わりません。宗門の批判はできないでしょう。

>信心が生活に顕れなければ何の値打ちもありません。

信心が値打ちと捉えるところが、私とは感覚が違います。
信心は、心の問題です。生活に顕れるとすれば、心の持ちよう、心のあり方だと思いますね。少なくとも、憎悪の心を持っていては、どんなに良い生活でも心は荒廃しているといえます。

>あなたのご意見は、生活即信心とは言えないと思います。

生活即信心はわかりますが、生活の捉え方があなたとは違います。
そもそも、宗教に求める価値観が違うのです。
あなたの書き連ねる価値観は、創価学会によって培われた価値観だろうと思われます。その創価学会によって推奨されてきた価値観というものの功罪をここで批評しているといってもいいのです。
法華講のときでもそうでしたが、大半の信徒の方々のお話を聞いていると、地位や名誉や名声や財力や学歴…そういったことで人の評価を定めているわけです。そうなっていくことが、境涯(境界)を高めることだというのです。私は、宗教が目指す精神性からいって、この価値観は、正しいとはいえないと思っています。
心がどうあるかということにおける向上心が全く欠落している点を、問題視しています。そのことから起きている心の弊害が多いのではないかと思っているのです。
歪んだ価値観が、人格形成に多大な悪影響を及ぼすことがあります。
ですから、社会的影響の多大な創価学会の功罪を通して、そこで推進されている価値観を検証してみているのです。
そのためには、ご自分の教団を客観視することです。悪いところもあるはずです。それがわからない、もしくはあっても口に出来ないとすれば、そのことが既に、弊害であり罪過といえることなのです。そのようなことは間違いなく、そこに所属する人々の人格形成に影響を及ぼすことが考えられるのです。だからそこを検証しているのです。

823アネモネ:2003/11/09(日) 08:38
(つづき)
>>その敵とは、恐らく私たちのことを意味する心理であり、私たちは今もなお見下されていることが、この言葉からうかがえますね。
>蓮祖門下ですから当然です。

私たちをあなたが見下すことは、蓮祖門下であるから当然だということの明らかなる証拠を提示してください。

それからここでも私たちを見下していることを認めていらっしゃいますが、このような心持でいらっしゃるならば、他の参加者に不快感を与えるばかりで、議論の妨げとなります。掲示板の趣旨に反し、この気持ちに変わりはないのならば、何度も申し上げているように、この掲示板への参加はご遠慮願いたいです。

>この御書を拝するたびに、武者ぶるいに似た感覚を覚えます。
 蓮祖門下ですので当然です。

如説修行抄は、日蓮が書いた御書ではないかもしれません。
この掲示板における御書真偽問題の流れについては、認識されていらっしゃいますか?

824アネモネ:2003/11/09(日) 09:17
考えさせられることばかりです。
境涯(境界)が高まるということは、人を見下すようになることであり、創価学会ではそのような人間教育をしているものなのでしょうか。
そしてそれが日蓮仏教というものなのでしょうか。

825犀角独歩:2003/11/09(日) 09:51

アネモネさん:

「境涯が高まる」は日蓮仏教とは関係ありません。
「一流になる」にしてもそうです。両方とも学会の考えです。

このような考えは、入会していない人を「境涯が低い」と見下す差別生に基づくと取られますね。また、「一流・一流でない」という分別観は人間を尊卑、上下でみる差別生が既に胚胎していると、わたしには見えます。

もちろん、一流であることは否定されることではないと思います。
けれど、それは世間のことに属します。
一流への拘りから仏教を見れば、既に蓮師の教えに反します。
以下のような「御書」があります。

「名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり、嗚呼恥づべし恥づべし恐るべし恐るべし」

「一流などということは今生の飾りに過ぎない。自ら自惚れ偏って執着が強いのは、後生の枷(かせ)になるばかりである。ああ、恥じるべきである、恐れるべきである」ほどの意味となるでしょう。

ところで『如説修行抄』の真偽に触れられていますが、仰るとおり、真跡が残っていませんね。ただし、祖滅100年頃にまとめられたと思われる禄内に既に収録されていたようです。真跡主義からは採用はしませんが、名文ですね、たしかに。

この真偽は別として、もしこの御書を引用するのであれば、以下の部分を認めることになるでしょう。

「所詮仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり」

創価学会で言えば、「人」にはもちろん、戸田さん、池田さんも入るでしょう。
この明文は、日蓮文献主義が経(論・釈)で一貫している証左です。「人の言葉を用いてはいけない、仏の言葉である」というのが蓮祖門下不動の鉄則です。蓮祖門下を名乗るのであれば、厳守しなければならないでしょう。まして、この御書を引くのであれば、なおさらです。また、この御書には

「我等が本師釈迦如来」

と明言もされています。ところが日蓮本仏圏では御書中の「釈迦」は「日蓮」と読み替えて成り立ちます。これをわたしは蓮師の素意の改変と難じてきたわけです。

さて、教学的な話はさておきます。
アネモネさんの「常識」を、わたしは指示しますよ。

827問答迷人:2003/11/09(日) 10:06

沖浦克治さん
アネモネさん

横レス失礼します。

真蹟はありませんが、録内御書の十法界明因果抄に、摩訶止観の文が引用されています。

『第四に修羅道とは止観の一に云く「若し其の心念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視(みおろす)が如し而も外には仁義礼智信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり」文。』

この摩訶止観の文を基準とすれば、沖浦克治さんの仰っておられることは、僕には、修羅道の定義にぴったりと当て嵌まっているように読めてしまいます。僕の読み方が間違っているのでしようか。

828アネモネ:2003/11/09(日) 10:39
犀角独歩さん

私の素朴な疑問に、早速明快なレスありがとうございます。
大変勉強になりました。

>「境涯が高まる」は日蓮仏教とは関係ありません。
「一流になる」にしてもそうです。両方とも学会の考えです。

やはりそうですか。この考え方の根本はどこから始まっているのでしょう。
私は、この考え方の弊害、つまり人を蔑視する心ということによる罪過は大きいと思うのです。
創価学会のいう人間主義とは、このような価値観の人間教育を目指しているところなのでしょうか。

>『如説修行抄』…祖滅100年頃にまとめられたと思われる禄内に既に収録されていたようです。

ありがとうございます。勉強になりました。

>この明文は、日蓮文献主義が経(論・釈)で一貫している証左です。「人の言葉を用いてはいけない、仏の言葉である」というのが蓮祖門下不動の鉄則です。蓮祖門下を名乗るのであれば、厳守しなければならないでしょう。

これは大事なことですね。踏み外してはならないところでしょうね。
これを踏み外したところに、蓮祖直結もないものといっていいのではないでしょうか。

>「我等が本師釈迦如来」…と明言もされています。ところが日蓮本仏圏では御書中の「釈迦」は「日蓮」と読み替えて成り立ちます。これをわたしは蓮師の素意の改変と難じてきたわけです。

ここが日蓮本仏論で常に問題にしてきたところでしたね。日蓮を本仏とすることが、日蓮の考えであったか否か、そのことひとつで、御書や経文の解釈がでまるで違ってきますね。
創価学会の功罪を考える中でも、日蓮本仏論の影が落とされていることは、見過ごせないところのようですね。

>アネモネさんの「常識」を、わたしは指示しますよ。

ありがとうございます。

829アネモネ:2003/11/09(日) 10:39
827 問答迷人さん

浅学ながら、私にもそのように読めてしまいます。
誰しもそのような修羅道の心というのは持っているものですが、仏教を志すからには、そのような心を克服していくところに、その道が求められるものと思いますね。
それこそが、生活に顕れる心のありようという「結果」ではないかと思います。

830愚鈍凡夫:2003/11/09(日) 12:09

> 『よし!自分も創価学会員として必ず世間のトップとなり、名誉市民の一つでも取ろう!』

こういった考えを少年少女に刷り込むことは、「目標達成すれば、手段は正当化される」という発想を植え付ける危険性を孕んでいます。
これは、「如何なる手段を講じても、社会のトップになれ」という考えを正当化することでもあるでしょう。そして、人の犠牲(不幸)の上に自らの幸福を築くことを肯定するようなものです。
また、仏法とはほど遠い差別意識を植え付けることにもなるでしょう。
やがて、サバイバルゲームからドロップ・アウトした大多数を畜生道・修羅道まっしぐらの「危ない面々」に変えていくことになるのではないでしょうか。
まるで、現代社会の病巣を垣間見るような感じです。

「人のために、社会のために、何を成し得るか」
との発想ができる、想像力の豊かさを育成すべきではありませんか。

831犀角独歩:2003/11/09(日) 14:09

創価学会の功績を考えてみようと、やや蛮勇を起こし、本棚から少しばかり残っている古い学会書籍を引っ張り出してみました。「創価学会の功罪を考える」うえで、些少の資料を提供しようと思います。

『会長講演集』第5巻(昭和37年1月29日初版/創価学会)にこんな一章があります。

『世襲制は邪宗教の姿』
「先日、ある学者がきて「創価学会は世襲制はありませんね』という話が出ました。封建制度の残骸の一つに世襲制度という制度が現存しております。他の団体はいざ知らず、宗教界にあって、教団の世界にあって、世襲制度ということは、もっとも誤った、いやしい姿であります。霊友会しかり、天理教も世襲制度であり、PL教団も、立正佼成会も、ぜんぶ世襲制度であります。
 代々の財産をそのまま受け継いで、金もうけをしようという、その縮図であるし、その一端だけをみても、彼らに真の仏法は、真の宗教はなく、『邪宗教である』と断言できると私は思うのです。
 日蓮正宗は、そして、創価学会は、永久に世襲制度はありません。あくまでも、師弟の相対のうえで立って、もっともすぐれた弟子が創価学会の代々を継いでいくことになっておりますから、そのつもりでおっていただきたいと思います」(P20)

「世襲制度は邪宗教」、果たして、池田さん没後、創価学会がかつての池田さんが宣言する如き「邪宗教」になるかどうか、その後を見守りたいと思います。

833沖浦克治:2003/11/09(日) 21:51
 どうも皆様方は、どうあっても私を差別主義者の悪人にしたいように感じます。
 私の謝罪以後のレスで、あなた方を馬鹿にしているところがありますか?
 体験の裏づけが無ければ、民衆は信用しないでしょう。
 私はアネモネさんに体験を話すように勧められた時、必ず揶揄をされると言いましたよ。
 皆様方、特に犀角独歩さんの書き込みからは、100%私の成功の体験は自慢話だ、と攻撃されると思っておりました。
 犀角独歩さんの過去レスを読ませていただきましたが、自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向を感じます。
 私は体験主義者です。
 自らの功徳の体験と、向上の見られない信心等には、何の値打ちも無いと信じております。
 何故皆様方は、自らの功徳の体験を通して蓮祖の法を語れないのか、と疑問に思います。
 創価学会の功の部分は、私のような社会から見放された人間に生きる勇気と希望を与え、見事に蘇生をさせた所にあります。
 私の周りには、同じような体験を持つ人々が何十人といます。
 異口同音に自分が今日あるのは創価学会のおかげ、と感謝をしております。
 この事実を、皆様方はなんと見られるのでしょう。
 少なからず残念に思います。

834犀角独歩:2003/11/09(日) 22:59

沖浦さん:

> …自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向を感じます。

これはご自身のことではないでしょうか。

> 何故皆様方は、自らの功徳の体験を通して蓮祖の法を語れないのか、
> と疑問に思います。

この理由は至って簡単です。
たとえば、このスレッドは組織集団創価学会の功罪を語るスレッドであるように、それぞれのテーマに沿って議論を進めているからです。組織集団を論じるところで、個人の体験を語ることは場違いだからでしょう。

> 創価学会の功の部分は、私のような社会から見放された人間に生きる勇気と
> 希望を与え、見事に蘇生をさせた所にあります。

わたしは創価学会から見放された4桁にも上る方々の立ち直りに関与してきました。

> この事実を、皆様方はなんと見られるのでしょう。

そうです。ですから、このわたしの体験を沖浦さんはなんと見られましたか。
「退転した人間には興味がない」と見放しただけでした。
ですから、

>  少なからず残念に思います。

という沖浦さんとは反対の意味で、そのように沖浦さんが“臭い部分を見ようとしない”姿勢を残念に思うわけです。

835犀角独歩:2003/11/09(日) 23:09

重ねて沖浦さん:

わたし達“退会者”のことを、ハッサン師はご自分のことを含めて以下のように記してくれています。

「自分が学んだことや、知りあって好きになった人々をすべて受け入れ、それを統合して、新しい自意識を作る必要があった。古い自意識を統合して新しい目標をつくることで、元メンバーたちはとても強くなる。彼らは勝ち残り組なのだ。彼らは苦難と虐待に耐え、情報と自己反省で敵を克服することができたのである」

836沖浦克治:2003/11/10(月) 00:01
>ハッサン師

 このお方はどのような人ですか?

837沖浦克治:2003/11/10(月) 00:02
『よし!自分も創価学会員として必ず世間のトップとなり、名誉市民の一つでも取ろう!』

 刷り込みなどではありませんよ。
 自然な意志です。

838MILD SEVEN:2003/11/10(月) 00:59

<<<創価学会 問題>>> 再び。

<池田大作大先生 発言>

「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためなら皆な謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」 (扶養研修所での指導)

「アッ、クリントン元気かしら、ああっ、そう、あのよーにね、口をうまくね、うんと、うんと人を誤魔化してね、あのー、あのー警察につかまんないように、ンフフフ、まあーいいや、ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。指導してください。口をうまく、口下手なんて言うのはね、時を遅れています。クリントンは口がうまかったんだから。」(ロサンゼルスアメリカSGI&関西合同総会)

「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ!」

「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」

         ・・・・・・・・・・・・

まったくの新興宗教 創価学会・池田教。
池田氏・創価の体質はこんなところです。
人権侵害・名誉毀損は当たり前でしょう。
下品な事は相手にしない事です。
永続的一貫性無き宗教は危険です。
カルト体質の集団の呪文は呪われていると考えるのは当然です。
むやみに他宗を批判する前に、自分達の信心を再検討するべきです。

自由の砦によれば。
フランスではすでに、国会が創価学会を「危険なカルト教団」と認定している。とあります。
・・・・・・・「最近、同様の事件に対し、二件の判決が下りた。その二件とも、創価学会をカルトだと認定しました。
 裁判で信者(学会員)は負けました。裁判官は、子供に学会の呪文を唱えさせることは精神錯乱を引き起こすので危険だ、と認め、子供を学会の修行から遠ざける判決を下した」 と説明を加えました。

下記参照
http://www.toride.org/

私は基本的に他人の信じる道を侮辱したりしません。
世の中迫害よりも営業でしょう!
私が創価に求めているのは、悔い改めと改善です。

・・・・・・・・・・・

<獣・666>は比喩「ヨハネの黙示録」

<おろち> も比喩。

日蓮氏の立正安国論でも・・・。
・・・「国土乱れん時は先ず<鬼神>乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る。・・・。
歴史は繰り返す。
・・・・・・自界叛逆の難・・・・・・・。
上記は何でしょう? 単純に考えれば、宗門・僧侶への反逆行為!?
やはり、池田創価でしょう!
創価は僧侶を認めない・侮辱する存在。
普通の仏教界も知っています。
しかも、他宗を裏切った者達による、元の宗門への反逆活動・策略は言わずと知れた事。

平和な民主主義国家・日本。
水面下では・・・。
陰の独裁者がいる{危険な全体主義}カルト国家日本・・・これは、避けたい事です。

しかし、現実にカルト組織は存在します。
しかも、これは霊的な問題でもあります。
世界は研究しています。

カルトからの解放教育は、緊急避難的問題です。
解放出来なければ、将来のエネルギー「石油」危機や、欧米・アジア諸国等から相手にされなくなる危険もあります。
それだけではありません。
残された時間は・・・。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

839アネモネ:2003/11/10(月) 01:04
沖浦克治さん

>どうも皆様方は、どうあっても私を差別主義者の悪人にしたいように感じます。

誰も沖浦さんにレッテルを貼ろうという思いではありません。ただし、沖浦さんの言動に差別意識が感じ取られて、そのことが指摘されてしまうわけです。そして、そのことを「創価学会の罪過」として捉えて問題視してしおります。だからといって、沖浦さんのことを差別しているわけではありません。創価学会の組織の問題として考えています。

>私の謝罪以後のレスで、あなた方を馬鹿にしているところがありますか?

途中から謝罪はされて、かなり言葉は改められたようにも思われますが、しかしこれは、沖浦さんの内心のことですら、その後の投稿においても、その内心の心情が否応にも言葉の端々から感じとられたことは、どうしても否めませんでしたね。その点、沖浦さんは、正直な方ということなのかもしれません。

>私はアネモネさんに体験を話すように勧められた時、必ず揶揄をされると言いましたよ。

私もそのことはよく覚えております。一応、私のレスも以下、転載しておきます。

>>もしも、差し支えなければ、沖浦克治さん自身が体感された戸田さんから学んだことなど、ご自身の人生を通しての体験を、できれば具体的にこの場で語ってみられてはいかがでしょう。いわゆる座談会における体験発表ですね。もちろん、内容によっては突っ込みや反論はあるかもしれません。しかし、その中から創価学会の功罪の功の部分も見えてくるかもしれません。

私のほうからも、内容によっては、突っ込みや反論があるかもしれませんと書いてあります。また、創価学会の功徳の「功」の部分も見えてくるかもしれませんとも申し上げておりましたが、しかし結果的には、私の目からみると「罪」の部分が見えてしまった気がしますね。
ものの捉え方、見方は様々で、尺度や価値観が違えば、個人的には功徳と思えたことも、社会的みれば罪過と通じてしまうように捉えられる場合もあるものです。主観と客観の違いはここにあります。
そのようなことにも目を向けてきた掲示板ですから、創価学会での体験発表通り、満場の拍手喝采では終わらず、突っ込みや反論が出てくることは、この掲示板の趣旨からいって仕方のないことですね。

>皆様方、特に犀角独歩さんの書き込みからは、100%私の成功の体験は自慢話だ、と攻撃されると思っておりました。

そういうことではないのです。人生の成功のその影に、信心という原動力があったことは、誰も否定しないでしょう。だけど、だからといって、それが即その教団の正義というものの証明になるものではないということを、大局的にみて、もう一歩踏み込んで考えてみることはできませんか。そのことを議論として試みてきたのが、この掲示板の流れといえるのですが。

>犀角独歩さんの過去レスを読ませていただきましたが、自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向を感じます。

今の時点ではそうでしょう。だけど、かつて犀角独歩さんも、沖浦さんのように創価学会を誇りに思って信心活動をしていた時期があったわけですから、沖浦さんがここに書き連ねたられたことは、その心情はよく理解されていることと思います。もちろんこれは、ご本人に聞かなければ本当のところはわかりませんが、独歩さんだけではなく、創価学会に命懸けで人生を捧げてきた人は、この掲示板の参加者にたくさんいらっしゃることと思います。
ただし、それぞれ何か思うところがあって、脱会の道を選ぶに至っているのです。
その思うところが何なのか、なかなか言えなかったその思いというものを問題提起としてこの場に投稿し、議論を投げかけてきたのがこの掲示板なのです。そこにこの場の大きな意義がり、そこに賛同する人たちが集っているといえると思います。

840アネモネ:2003/11/10(月) 01:05
(つづき)
>自らの功徳の体験と、向上の見られない信心等には、何の値打ちも無いと信じております。

仰りたいことはわかります。ですが、ここでは、もう一歩進んで考えてみてほしいのです。
功徳とは何か、向上とは何かです。そのような根本的なところを、このスレッドでは考えてきているのです。

>何故皆様方は、自らの功徳の体験を通して蓮祖の法を語れないのか、と疑問に思います。

誰しも語れないわけではありません。それぞれに相応の体験はあるでしょう。しかし、真の日蓮仏法に照らして、本当の功徳とは何かということからここでは考え直してきているのです。

そもそも功徳とは、「積功累徳」ということで、徳が授かることではなく、徳を積むことのはずですね。功徳ということも、自分がどのような徳を積んだのかという話でなければならないわけです。
さらにもっと根本的なことも議論してきています。それは蓮祖の仏法とは、何であったのか、もしくは蓮祖が求めた仏法とは何であったのかといった、本当に根本的なところからの検証再考の議論なのです。
ですから、たとえば「創価学会は正義だ」といった、結論ありきから始める議論ではないのです。むしろ、「創価学会は本当に正義なのか?」という疑問から始める議論といってもいいかもしれません。
しかし、創価学会を絶対的に誇りに思う沖浦さんにとっては、そのような問題提起から始まる議論が、相容れず馴染まれないのだと思います。
しかしそれは、それでいいのです。ただ同じ問題意識を持つ者同士が集って、気持ちよく議論をすればいいことですね。そのようないわば同じ土俵に立てないうちは、議論にならないということだと思います。

>創価学会の功の部分は、私のような社会から見放された人間に生きる勇気と希望を与え、見事に蘇生をさせた所にあります。

個人的に沖浦さんのことを存じ上げているわけではありませんが、客観的にみて、このような社会的功績は確かにあっただろうと私は思っております。
ただ、それだけでは最高の教えだといえるものではありません。なぜならば、社会から見放された人を救ったはずの教団が、今度は、教団に属さない人々や、教団から離れる人々のことを蔑む心を育んでいることが見えてきているからです。そこを罪過として捉え、いかにして克服していくかということが、今後の課題といえるのではないでしょうか。
このことは、謝罪までされた沖浦さん自身の実際の投稿で明らかになったことともいえますね。

>私の周りには、同じような体験を持つ人々が何十人といます。
異口同音に自分が今日あるのは創価学会のおかげ、と感謝をしております。

ここに参加されている方々だって、同じような体験を持っていらっしゃることでしょう。それを、創価学会のお陰と思っているか、日蓮仏法のお陰と思っているか、もしくはもっと別のことを考えているか、創価学会=日蓮仏法とならなくなってしまった人もいるわけですから、それは人それぞれかもしれません。
だけど、日蓮聖人への思いは変らないのです。だからこそ、このような形で、ここに参加して日蓮仏法に触れているのです。その点での日蓮聖人への思いは、富士門流という枠組みにおいて、ここでは皆、心は同じだと思いますよ。

>この事実を、皆様方はなんと見られるのでしょう。
 少なからず残念に思います。

それが、信教の自由というものですね。自由に信教の道を選んだ結果が、この掲示板の形に表れていると思います。

841アネモネ:2003/11/10(月) 01:30
沖浦克治さん

補足です。
>犀角独歩さんの過去レスを読ませていただきましたが、自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向を感じます。

自分と相容れないのではなくて、きっと、かつての自分を見ているような思いで、反論の投稿をなさっているのかもしれません。
沖浦さんは、独歩さんとの対話を最初からずっと拒絶されておられたようでしたが、一方の独歩さんは、言葉は痛切ながら、ここに至っても、沖浦さんにレスを向けています。
考えてもみて下さい、沖浦さんのことを、拒絶されてはいないという見方もできるかと思いますよ。

842犀角独歩:2003/11/10(月) 10:09

> 836 沖浦克治さん

>> ハッサン師
> このお方はどのような人ですか?

「ご存じないですか? 驚きです」と言っても揶揄ではありません。
「そうだろう」と思っただけですが。

Steve Alan Hassan
http://www.freedomofmind.com/

霊感商法、違法伝導訴訟、青春を返せ裁判の統一協会
地下鉄サリン事件のオウム真理教
詐欺の法の花三法行
ミイラ事件のライフスペース 等その他多数
一連のカルトを違法たることを証明する基礎理論を提供したカウンセラーです。

主著『マインド・コントロールの恐怖』
(恒友社発行/著者 スーティーブン・ハッサン /訳:浅見定雄)
以下のページに目次が載っています。

http://hanbai.com/lib/book/mind_cont.html

843犀角独歩:2003/11/10(月) 10:53

また、自己レスですが

> 一連のカルトを違法たることを証明

というより、
メンバーの心理状態が破壊的カルト・マインド・コントロールという第三者による心理操作された状態にあることを社会心理学を応用して証明することによって、グループの違法たることを証明
としたほうが、より正確かもしれません。

844犀角独歩:2003/11/10(月) 16:38

アネモネさん:

このような応答も「横レス」というのかわかりませんが、記述いただきましたわたしに係る部分に就き、少し書かせてください。

(>> 100%私の成功の体験は自慢話…攻撃)
> …人生の成功…信心…原動力…誰も否定しない

そうです。この部分を言っているわけではありません。
ここのところは、スレッドテーマから逸脱している。だから個人体験は「信心して良かった」のスレッドにでも投稿すればよいと促しているわけです。

> それが即その教団の正義というものの証明になるものではない…

同感です。
信仰を基盤に人生の成功を収めた人は信仰集団の数と同じだけあるでしょう。
それが自分たちの信仰における成功のみの喧伝は客観性を感じません。
社会心理学で言う「個人的リアリティ」は、あくまで主観に過ぎません。

(>>犀角独歩さんの過去レス…自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向)
> 今の時点ではそうでしょう。

この時点で言えば、相容れないわたしをいきなり「境涯が低い」「程度が低い」などと激しく責めてきたのは沖浦さんのほうです。この批判に甘んじる理由はわたしにはありません。

しかし、それ以前には他の方との激しい議論のなかで、証拠も提示せず、一方的に自己信念を押し付けるような横暴な態度に対しては断固たる態度を採ってきたのもまた事実です。ここで共通していることは相容れないわたしに対する人格攻撃と侮蔑、無礼があったことです。そもそも「脱会者」「退転者」などと侮蔑される謂われは微塵もありません。

> …かつての自分を見ている…反論の投稿

生まれながらの創価学会員であったわたしは、いわゆる体験談はいくらでも知っています。自分も個人的な体験は語りきれないほどあります。しかし、その実否を考え直してみる必要がある、それは脱会に至る極自然なプロセスです。その意味において、個人的な体験談を集団の功績としてしまうことを短絡であるとみます。

> 沖浦さんのことを、拒絶されてはいない

そうですね。誰人も拒絶しません。
ただ、わたしは特定集団の一方的な宣伝は拒絶します。
だいたい、それは掲示板のルールに違反しています。

ここでの特徴は、たとえば顕正会員が顕正会の問題点を提示して、会の是正を考えたり、富士門流の現行教義を富士門信徒の立場から考えるなど、自己の信念体系を自分の責任に基づいて考えてきたところに意義があります。

ですから、希望を述べれば、沖浦さんが国立戒壇、御肉牙、戸田本仏論、池田本仏論、戸田・池田血脈相承という学会内に胚胎した過ちを積極的に否定したように、その他、創価学会の問題点を洗い出し、より前進するための方途を考えるべく、このスレッドを応用されることです。

一つの事例として創価学会が沖浦さんが世界チャンピオンになるのに役立ったことはわかりました。しかし、それは一事例に過ぎません。何度となく繰り返すとおり、ここは創価学会の功罪を考えるスレッドですから、「沖浦さんの」体験ではなく、「創価学会の」功罪を論じようと繰り返してきたわけです。
この姿勢はスレッドテーマの尊重という当然の帰結です。

845犀角独歩:2003/11/10(月) 16:38

―844からつづく―

> 犀角独歩…脱会の道を選ぶ…なかなか言えなかった…問題提起

そのとおりです。沖浦さんが反省・謝罪した点ですが、「心の底より見下す」ことをしたのは何も沖浦さん一人ではありません。多くの創価学会員から脱会前後、実にひどい目に遭わされた経験があります。しかし、先にも提示したハッサン師の言葉のとおり、「苦難と虐待に耐え、情報と自己反省で敵を克服」し生き残ってきたわけです。

ここでいう「敵」とは何であるのか。それは脱会者を憎悪し、あるいは無視して非人道的に扱う態度と行動です。わたし達のことを沖浦さんが「退会者」と言い換えた。この点をわたしは評価します。しかし、それ以前に書いていたとおり「退転者」という汚名で侮辱されてきたわけです。それ以前でも、集団で悪者扱いをされ、「裏切り者」「恩知らず」と組織を挙げて人間性を貶められてきたわけです。それにも関わらず、現役学会員にはまったく罪の意識というものがない。反省もないわけです。それでも、10月18日以降の投稿で「心の底から見下し」「退転した制裁を受けるのは自業自得」だと下沖浦さんがわずかでもその姿勢を改めたことは評価できるところはあります。しかし、まだ我々の苦しみ・痛みの本質が理解されていないと残念に思うわけです。

我々脱会被害者は、学会の罪過を言おうものであれば、人格攻撃をされ、その口を封じられるという発言それ自体のを弾圧を受けてきたわけです。ようやくとこの掲示板に辿り着き、思いの丈を吐露し始めれば、またもや創価学会(員)による妨害です。自由に意見を述べることはさせないわけです。

ここは創価学会の掲示板ではありません。
原則的に自分たちの経験、蒐集した資料から学会問題を考えることは自由です。
むしろ、それを封殺する一方的な布教活動こそ、否定されなければなりません。

反面、わたしは沖浦さんの言論を封じているのではなく、証拠を示さず、一方的な布教を行う点に異議を唱えているわけです。ここが「相容れない相手」にあったときの対処の、沖浦さんとわたしの相違点です。

> 「創価学会は正義だ」といった、結論ありきから始める議論

この点が最も重要な点ですね。
結論に「到るため」の議論の場が、ここであるとわたしも思います。
ですから、このスレッド「創価学会の功罪を考える」の結論が、もしかしたら、「創価学会はすばらしい」という結論を導き出すことになるかも知れません。その点はまさに未知数そのものです。また、むしろ、そのような万人が認める創価学会の功績を披露できるのはわたしたち脱会被害者であるというより、沖浦さんのような現役会員でしょう。ですから、大いに集団組織創価学会の功績を披露するように促しているわけです。なぜ、なさらないのか不思議で仕方ありません。

いずれにしても、罪過を述べるのも、組織集団・指導者の功績を述べるのも、何ら妨害されることなく、冷静な議論を希望します。その場合、議論の健全さ、正当性を決めるのは、やはり、挙証責任を果たすことに尽きるとわたしは思うわけです。

マイルド・セブンさんが、種々、創価学会、または池田さんに係る問題点をネットから抽出しては紹介してくれます。なかなか参考になります。これは罪過面の提示です。

同じように沖浦さんも創価学会の功績面を提示されればよろしいのではないでしょうか。「個人的な功徳」はよくわかりました。今度は集団・組織・指導者の功績をご披露くだされば、比較対照の資糧とできます。

ただ、そこで提示される資糧の適否、実否は重要な点ですから、資糧吟味の段階で十分に質問をさせていただき、その適正を判断したいと思います。

このようにわたしは考えています。
スレッドの提案者であるアネモネさん、どうでしょうか。

846沖浦克治:2003/11/10(月) 17:54
 あらゆる宗教は個人の体験から始まっています。
 キリスト教はキリストの個人的な行動から、仏教も釈迦の個人的な悟りから、蓮祖の個人的な行動から日蓮系が発生いたしました。
 それずれの宗教を広めた原動力も、信者の個人的な体験に基ずく個人的な行動によるものです。
 創価学会の功罪を考えるにあたり、個人の体験は避けて通れません。
 創価学会は個人の集団であり、その功績は個人に行為の積み重ねなのです。
 皆様方のご主張のように、個人の体験を重要視出来ないのであれば、創価学会の真実の姿など見えるはずもありません。
 宗教とは、純粋に個人的体験から出発しているのです。
 個人をはなれて評価などは不可能でしょう。
 
 PS
 ハッサン師なる人物が、蓮祖と並ぶべき人物であるとは思えませんが、もしそうであればどなたか証拠をお示しください。
 私にはハッサン師が、沖浦克治になんら影響をおよばせないと感じます。
 現段階で個人的には、弁護士でもホームレスでもハッサン師でも、といったところです。
 サイババ師も、同類かも知れませんね。

847:2003/11/10(月) 18:24
沖浦さんはこの掲示板で、最終的にどのような結論をめざしておいでですか?
1対7程相手の討論で「私は勝った」「反創価をやり込めた」ですか?

ハッサン師が蓮祖と並ぶべき人物などと、どなたも言われておりません。

848沖浦克治:2003/11/10(月) 19:12
 路さん
 最終的な結論はそれぞれの個人が出すべきです。
 私は私の立場で資料を提供しているにすぎません。
 7対Ⅰでも1000対1でも私のスタンスは変わりません。
 勝ち負けは、どちらが人生で成功をおさめ、蓮祖の法の正義なることを証明できるか、にかかっています。
 簡単に言えば、どちらが世間で一流になるかです。
 これ以外に証明のしようはありません。
 自分は駄目だが蓮祖は正しい、などは馬鹿げています。
 この掲示板に参加されている皆様方も、自らの体験で蓮祖の正義を語らねば世間は信用をしないでしょう。
 世間から離れて仏法はありません。
 世間の人々の中で、自らの体験に基づき蓮祖の法の正しさを証明できなければ、無力な人間です。
 ハッサン師については、あなたのご意見を支持致します。

849ガンコ:2003/11/10(月) 19:39

相変わらずですねえ、沖浦さん

質問があります。
息子さんのことに触れられていましたが、けっこう迷惑しているんじゃないですか?
ちゃんと許可をもらってるんですかね。

850:2003/11/10(月) 19:44
「自分は駄目」と人が言うとき、そこに「謙遜」の意味があることも
あります。「世間で一流」に人格のすばらしさも加えてください。

蓮祖の法の正義を語るとは、折伏するということですか?
私は、犀角独歩さんが過去にいわれた
「菩薩の生き方を教えたのが法華経」という捉え方がいちばんしっくり
します。 仏法の正しさの証明方法は、ひとそれぞれだと思います。
信仰を「何のために持つか?」というのも、それぞれです。
お互いに相手を自分色に染めることは、大変難しい。

851アネモネ:2003/11/10(月) 20:25
>息子さんのことに触れられていましたが、けっこう迷惑しているんじゃないですか?
ちゃんと許可をもらってるんですかね。

そうそう、私もそう思って気にしていました。血のつながった親子といえでも、人格は別の個人なわけですから、たとえ親でも、ご子息の名前や年齢・職業といった個人情報を本人の許可なく公開することは、人権侵害にも抵触しますし、ここの以下の禁止事項にも反しますね。

2 他人の個人情報(実名、住所、年齢、電話番号、メールアドレス、家族構成、勤務先情報、等)を、掲示板で公開してはならない(ペンネーム、ハンドルネームと実名を特定させるような書き込みを含みます)。但し、以下の一から五については、この限りではないが、これらの個人情報の公開に当たっては、充分個人の人権に配慮し、節度を持って行うこと。

852アネモネ:2003/11/10(月) 20:29
路さん

はじめまして。

>850
私も同様に思います。

853アネモネ:2003/11/10(月) 21:38
845〜846
犀角独歩さん

>だから個人体験は「信心して良かった」のスレッドにでも投稿すればよいと促しているわけです。

そうですね。この点は、私にも大変な落度があったと思っています。実際に、沖浦さんに自己体験を語ることを勧めたのは、他でもない私でした。このような混乱を招いた原因は、無知な私にもあったものと、反省しているところでもあります。

このようなネットの場ではありますが、直接現役の創価学会の方と対話を試みたのははじめてでしたが、私の正直な感想としては、自分と自分の教団を客観視する意識というものが見受けられない。何度も書いたことですが、その罪過というものを感じました。
信仰というのは、自己陶酔の作用というのは大きいですね。それがプラスに働いて、何かの原動力になることは多いと思いますが、マイナスの作用、つまり弊害も大きいと思います。それは、社会性の欠如、エスカレートすれば、社会的孤立というものを招きやすものではないかと懸念されますね。

>社会心理学で言う「個人的リアリティ」は、あくまで主観に過ぎません。

本当にその通りだと思います。またそれは、そのまま信仰の落とし穴でもあるだろうと思いました。

>「境涯が低い」「程度が低い」などと激しく責めてきたのは沖浦さんのほうです。この批判に甘んじる理由はわたしにはありません。

当然のことと思います。傍で見ていても、決して快いものではありませんでした。
しかし、素朴な疑問ですが、いつも他者に対してあのような心持でいるということなのでしょうか。もしもそうだとすれば、社会適応そのものが危ぶまれるものではないかと思います。信仰が受け入れられないのではなく、そこで培われた人格が社会から受け入れられるものではないでしょう。集団的孤立とでもいえばいいでしょうか。なにかそのようなものを感じます。人間主義といい、庶民の立場といい、民衆の立場などと訴えながら、実際に社会における円滑な人間関係は困難なのではないかと思いますね。ここで起きたような摩擦は、決して珍しいことではないのではないでしょうか。

>他の方との激しい議論のなかで、証拠も提示せず、一方的に自己信念を押し付けるような横暴な態度

裏付けの示せない自己信念の断言は、単なる一方的な押し付けであり、とうてい議論にはなりません。時間とエネルギーが消耗するだけですね。

>自分も個人的な体験は語りきれないほどあります。しかし、その実否を考え直してみる必要がある、

私にはたいした体験がそもそもありませんので、だいたいの体験談は疑ってかかりますね。不思議だの奇跡だのといわれても、ほとんどピンときません。むしろ、私はかれこれ約三年前になろうとしていますが、この掲示板にたどりついた偶然のほうが、よほど奇跡に思えるくらいです。
だいたい、個人の信仰的体験談は、他の宗教団体でも同じような成功話や奇跡話が腐るほど語られています。となると、それだけでは正邪の証明には全くならないと思います。
ですから、私は、その人の思想性や人間性、そして人格や人柄、そういったところを見ようとしてしまいます。それにしても、そこを見る私に、真価をキャッチするだけの感性や感覚が備わっていないと、その判断もわかるものではありません。やはり、仏教でいうところの八正道が求められるところだなあと思いますね。

854アネモネ:2003/11/10(月) 21:39
(つづき)
>ここでの特徴は、たとえば顕正会員が顕正会の問題点を提示して、会の是正を考えたり、富士門流の現行教義を富士門信徒の立場から考えるなど、自己の信念体系を自分の責任に基づいて考えてきたところに意義があります。

仰るとおりですね。富士門信徒の掲示板という、大きな枠組みの中での集いであるということ。まずここに大きな意義があるということに、今回、改めて気がつきました。
私は幸運にも、ほぼ掲示板が立ち上がった当初から参加させて頂いておりますが、立ち上がった当初は、まだ議論そのものが混沌とした状態であり、試行錯誤だったと振り返ります。しかし長く議論を重ねてきた結果、今日のような秩序の形になってきました。それが、この度、ルールの追加でかなり整備されたのではないかと思いますね。
窮屈になったと感じるかもしれませんが、それはそれだけ責任をもった投稿が求められるという当然の帰結だろうなと思います。

>希望を述べれば、沖浦さんが国立戒壇、御肉牙、戸田本仏論、池田本仏論、戸田・池田血脈相承という学会内に胚胎した過ちを積極的に否定したように、その他、創価学会の問題点を洗い出し、より前進するための方途を考えるべく、このスレッドを応用されることです。

そうですね。創価学会の抱える問題で、この掲示板で最も議論すべき問題の場面は多々ありました。ところが、そのような大変重要な問題について、交わされたというか、結果的に掘り下げた議論には至らなかったところ、やはり創価学会という組織を個人的立場でしか捉えられていない、要するに、客観視できないという問題点を見た気がします。

>多くの創価学会員から脱会前後、実にひどい目に遭わされた経験があります。

脱会を考えている方も、そのような前例を知ると、実際のためらってしまうでしょうね。

>それ以前でも、集団で悪者扱いをされ、「裏切り者」「恩知らず」と組織を挙げて人間性を貶められてきたわけです。

創価学会は、ひとつのコミュニティの場でしょうから、そこで特殊な価値観を指導されれば、否応なしに組織内だけの偏狭な人間関係しかなくなってしまうのではないかと思うんですね。しかし、それがどうしても脱会したいということになると、外界での人間関係が希薄なだけに、飛び出せば、相当な孤独感にさいなまれることが考えられますね。そのうえ、組織のメンバーから侮辱や汚名を浴びせられては、誰しもノイローゼになってしまうと思います。また、そのような不安から逃れるために、組織をサーフィンしてしまう人も多いというのも納得しますね。
やはり、これは大変大きな社会問題だと思います。

>我々脱会被害者は、学会の罪過を言おうものであれば、人格攻撃をされ、その口を封じられるという発言それ自体のを弾圧を受けてきたわけです。ようやくとこの掲示板に辿り着き、思いの丈を吐露し始めれば、またもや創価学会(員)による妨害です。自由に意見を述べることはさせないわけです。

やはり、言論妨害、言論弾圧の体質は、今も個々の学会員に受け継がれているものだろうと思いましたね。

>原則的に自分たちの経験、蒐集した資料から学会問題を考えることは自由です。
むしろ、それを封殺する一方的な布教活動こそ、否定されなければなりません。

そうなんですね。私たちの言論の自由は、私たちで守らなければならないものだと、私も強い気持ちを持ちました。

855アネモネ:2003/11/10(月) 21:40
(つづき)
>反面、わたしは沖浦さんの言論を封じているのではなく、証拠を示さず、一方的な布教を行う点に異議を唱えているわけです。

もっともなことだと思います。

>また、むしろ、そのような万人が認める創価学会の功績を披露できるのはわたしたち脱会被害者であるというより、沖浦さんのような現役会員でしょう。ですから、大いに集団組織創価学会の功績を披露するように促しているわけです。なぜ、なさらないのか不思議で仕方ありません。

その通りですね。一般的国民感覚からいっても、創価学会という宗教組織の名前は知っていても、その組織がどのような社会貢献をしているのかということについては、ほとんどわからない人が多いと思います。何をしているのかわからない巨大組織でありながら、政界には進出し、方や教団トップは世界の要人たちと会って握手を交わしてもいる。ところが国内的には、強引で迷惑な勧誘活動をする教団というイメージが強いですから、なんだか怪しげだなと思う人も多くいるわけです。
ですから本当ならばこうした場においてレスをする以上、現役信徒はその訝しく思う疑問に対して説明責任があると思いますね。当然、個人的な信仰体験は、その説明にはなり得ません。また、それしか語れないとすれば、自分の教団が何をしているのかわからないという場合も有り得、それはある意味で別の危険性を孕んでいるとも思います。
例が不適切かもしれませんが、オウム信徒の大半は、まさか自分の教団がサリンを撒いていたなどとは、まるで思ってもみなかった、恐らく知らなかったのではないでしょうか。それと同じことが起きるとも限りません。それは学会に限ったことではなく、宗教や信仰とは、熱狂的になる要素があるわけですから、そのような社会的危険性を孕んでいるということを、認識しておくべきだと思いますね。
そのためにも、常に自分と自分の教団を社会的に客観視するということを、忘れてはならないと思いますね。

>マイルド・セブンさんが、種々、創価学会、または池田さんに係る問題点をネットから抽出しては紹介してくれます。なかなか参考になります。これは罪過面の提示です。

私も同様に思っております。

>同じように沖浦さんも創価学会の功績面を提示されればよろしいのではないでしょうか。「個人的な功徳」はよくわかりました。今度は集団・組織・指導者の功績をご披露くだされば、比較対照の資糧とできます。

まったくこれも同様に思います。

>スレッドの提案者であるアネモネさん、どうでしょうか。

2年前に立てたスレッドですが、思わぬ展開でレスが増えました。
しかし、一番の問題は、このようなスレッドにおける罪過の投稿に対して、現役信徒から投稿そりものが非常識だとするクレームが出るということ、そもそもその体質こそ大きな問題だと思います。pundarikaでも議論をしたいと思っていたことですが、批判を許さない体質、さらには批判を妨害・弾圧するという体質が、今もなお信徒に受け継がれていると思われるところ、これが創価学会の最も大きな罪過ではないだろうかと思います。

856沖浦克治:2003/11/10(月) 22:07
 ガンコさん
 あなたはご子息に一々許可を得られるのですか?
 私の家ではそのような習慣がありません。

857沖浦克治:2003/11/10(月) 22:17
 ガンコさん
 あなたはご子息に一々許可を得られるのですか?
 私の家ではそのような習慣がありません。

858沖浦克治:2003/11/10(月) 22:29
 皆様が全体の立場から、創価学会の功罪を検討される事はご自由です。
 同様に私が個人の立場から、創価学会の功罪を述べる事も全く自由です。
 立場の相違を認めるべきです。
 私は全体主義者ではありません。
 個人主義者です。
 この立場で論じます。 
 ついでですが、ハッサン師などは歯牙にもかけたくありません。
 もちろん皆様方が、ハッサン師を敬い尊敬する事はご自由です。
 私はそのような人物に影響されたくは無いのです。
 これも双方全くの自由でしょうね。
 要するにあなた方は立場の違う人間を認めず、私は認めると言う事です。

859沖浦克治:2003/11/10(月) 22:32
 創価学会を退会した人に、創価学会の正しい評価が出来るとは思えません。
 創価学会は日々進歩をしております。
 外からでは現在の姿は、理解が不可能でしょうね。
 外からの論表は、推測にすぎないと思いますよ。

860沖浦克治:2003/11/10(月) 22:40
 創価学会は、皆さんが好むと好まざるとには無関係に、大きな影響をあなた方に及ばしているのでしょうね。
 だからこそ創価学会の功罪を考えるとのスレッドに、これだけ多くの意見が寄せられるのでしょう。
 私はこの事実を、創価学会員として誇りに感じます。
 今後創価学会は急速に発展をするでしょう。
 この10年が本当に楽しみです。
 すでに今回の総選挙でこの傾向が如実に顕れています。
 創価学会が、本当に民衆に害毒を及ぼす存在であったならば、こんな傾向は出てはこないでしょう。
 皆様方には、この事実を冷静に見つめられることを期待いたします。

861Leo:2003/11/10(月) 23:25
学会では下記のような指導を行っています。下記指導は青年に希望を持たせようとするのはわからないでも
ないですが(また創価仏法の付嘱ともとれなくない)、しかし批判精神なく悪しき精神(攻撃精神だけ)で
下記指導を鵜呑みにしてしまったらどのような人間になってしまうでしょうか。そのような状態は果たして
名誉会長の望むこと(素晴らしき弟子)なのでしょうか。はて、さて。

「 君の、あなたの勝利こそ私の希望
 [名誉会長] 私は私の誓いとして、戸田先生から教えていただいた「人間革命」の道を、まっしぐらに
 生きてきた、そして、すべて誓いは果たした。私は勝ちました。勝つことです。勝つことが人間革命
 であり、広宣流布です。
  私は、今目先のことなど、眼中にない。迫害も非難も恐れない。ただ百年後、二百年後のことを
 考えている。万年先のことを考えて、手を打っている。
  古来、素晴らしき弟子を誕生させたかどうかによって師匠の偉大さがきまると、言われてきた。
  私は、さまざまな、いわれなき中傷・批判をされてきたが、そんなことは問題にしていない。
 仏法の法理に照らして、やむを得ないことだからです。そして私の訓育した弟子が、どのように地域
 で世界で社会で活躍し、貢献し、その名が輝いていくかによって、私の勝敗が決まるということを
 本然的に知っているからです。」
(『池田名誉会長の青春対話⑤完―21世紀の主役に語る―』 聖教新聞社、1997年、pp.110-111)

862沖浦克治:2003/11/10(月) 23:44
>下記指導を鵜呑みにしてしまったらどのような人間になってしまうでしょうか。そのような状態は果たして
名誉会長の望むこと(素晴らしき弟子)なのでしょうか。はて、さて。

 それぞれがそれぞれの判断をするでしょう。
 あなたの口出しは意味をなさないかと思います。
 創価学会の未来部員にとって、所詮は第三者の批評でしかありません。
 私にとってのハッサン師のご意見と同様です。
 もちろんご意見をお述べになられる事はご自由です。

863沖浦克治:2003/11/11(火) 00:19
 犀角独歩さん

>退会者を見放す、云々

 退会された方の人生に興味が無い事は事実です。
 しかし見放す事とは違います。
 私は退会も入会も、本人の権利と責任で行なうべきだと考えているのです。
 お好きになさればいいと思います。
 あなたに創価学会に対するご理解を期待いたしませんし、私に創価学会に対する否定を期待しても無理と言うものでしょう。
 私は創価学会と池田先生が大好きですし、あなたは大嫌いなのでしょう。
 それだけの事です。

864沖浦克治:2003/11/11(火) 00:25


>そうです。ですから、このわたしの体験を沖浦さんはなんと見られましたか。
退転した人間には興味がない」と見放しただけでした。
 
 あなたの体験が事実かどうか、私には判断すべきデーターがありません。
 私を納得させたければ、具体的な事実関係をお出しください。
 時・所・関連する人物の実名・等です
 お出しいただければ私なりに調査を致します。
 それまでは信じる事などは不可能です。
 あなたが言い出したことです。
 あなたに立証責任があるでしょう。
 またあなたは、1000人に及ぶ退会者の人生相談をしているとの事ですが、この件も実名と具体的な事実の証明をなされら無ければ、タダの噂話に過ぎないと思います。
 この件の具体的な立証を期待いたします。
 被害にあった人物を万人が特定できる事と、その人物が事実として被害を受けた事の具体的な証拠が必要です。
 当然、時・所・関連する人物の証明等が必要となります。
 これも不可能であれば、ただのよた話にすぎません。
 まぎれも無い事実以外には、私は興味を持たないのです。
 事実と確定でき無い事項に論表を加える事は愚かでしょうね。
 私はそう言う人間なのです。
 これも全くの自由意志と考えます。

865沖浦克治:2003/11/11(火) 00:30
 犀角独歩さん

 以上の事項に関して、具体的に証明できなければこの掲示板の趣旨に基づき、以後はこれらの件に付いての発言は慎んでください。
 挙証主義とはそう言うことを言うのです。
 くれぐれもお願いいたします。

866Leo:2003/11/11(火) 00:41
学会は300年後まで予定をたてているのである。

第2の「7つの鐘」
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2009/other6.html
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2009/other7.htm

「②第2の「7つの鐘」2001年から2050年 21世紀の前半の50年
「アジアをはじめ世界の平和の基盤をつくってまいりたい」 」

「アジアをはじめ世界の平和の基盤」をつくるためには戦争容認・支援が
必要なのだろうか、解せないところである。それとも第2の「7つの鐘」は反故に
なったのであろうか。

「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」(『人間革命』冒頭)

「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、
根本の第一歩であらねばならない」(『新・人間革命』冒頭)

この変化が気になるところである。戦争の否定から平和の肯定へ、平和のためには
戦争容認・支援が必要といったところか。

867沖浦克治:2003/11/11(火) 00:50
 アネモネさん、ガンコさん 

>そうそう、私もそう思って気にしていました。血のつながった親子といえでも、人格は別の個人なわけですから、たとえ親でも、ご子息の名前や年齢・職業といった個人情報を本人の許可なく公開することは、人権侵害にも抵触しますし、ここの以下の禁止事項にも反しますね。

 法律も原則として家族の中に立ち入らない、との法解釈が、現代の日本では定着をしております。
 私と息子との関係に立ち入られる事は迷惑でしかありません。
 そんなに気になるのでしたら、ご自分のご家族と、充分に遣り合ってください。

868犀角独歩:2003/11/11(火) 01:09

沖浦さん:

わたしに挙証義務を迫る前に

> 私の周りには、同じような体験を持つ人々が何十人といます

この実名と体験を挙げてください。
しかし、この実名と体験を挙げることがプライバシーの侵害にならないのでしょうか。
あなたはそう考えるが故にわたしに相談を寄せた方々の名を公開しろというわけでしょう。

どうぞ、では、まず、何十人の名前を挙げてください。
人に言う前に実行ですね。

869犀角独歩:2003/11/11(火) 01:14

沖浦さん:

創価学会の功績を具体的に挙げてください。

871沖浦克治:2003/11/11(火) 01:27
>沖浦さん:

>創価学会の功績を具体的に挙げてください。

 すでに体験を通じてあげております。
 これが私のスタンスです。

872沖浦克治:2003/11/11(火) 01:29
 少し集中力に欠けてきました。
 誤字脱字をお詫びいたします。
 これでやすみます。
 おやすみなさいませ。

873みかん:2003/11/11(火) 01:30
>>870 管理人さま

関係ない第三者の本名が、無断で掲載されているようですので、削除してください。ルール違反です。


> 2 他人の個人情報(実名、住所、年齢、電話番号、メールアドレス、家族構成、勤務先情報、等)を、掲示板で公開してはならない(ペンネーム、ハンドルネームと実名を特定させるような書き込みを含みます)。但し、以下の一から五については、この限りではないが、これらの個人情報の公開に当たっては、充分個人の人権に配慮し、節度を持って行うこと。

  一、紙名、年月日を明記した上で、個人情報が含まれる新聞記事を転載すること。
  二、情報源を明記した上での、公人認定されている方の個人情報を紹介すること。
  三、情報源を明記した上での、公人に準ずる人(会の代表者幹部など)の個人情報を紹介すること。
  四、故人であって、歴史上の人物として定着している人の、個人情報を紹介すること。
  五、本人の依頼による場合。

874アネモネ:2003/11/11(火) 01:31
沖浦さん

>法律も原則として家族の中に立ち入らない、との法解釈が、現代の日本では定着をしております。

人権侵害となれば、この範疇ではありません。

>私と息子との関係に立ち入られる事は迷惑でしかありません。

あなたのプライバシーには、何の興味もありません。ただし、あなたは自分の子供の人権を侵害をしている恐れがあることは、そのようなことが、この掲示板で行われては、迷惑ですから、忠告させて頂きます。以後、お気をつけ下さい。

875アネモネ:2003/11/11(火) 01:34
沖浦さん
つづきです

>私を納得させたければ、具体的な事実関係をお出しください。
 時・所・関連する人物の実名・等です
 お出しいただければ私なりに調査を致します。
 それまでは信じる事などは不可能です。

このような個人的なことを、公のネット交流の場、しかもHNという匿名の場で要求することは、非常識です。人権侵害も甚だしいです。
「私なりに調査をする」とありますが、これではまるで恫喝です。だいたい個人のことを、あなたが勝手に調査する権利はないでしょう。

>あなたが言い出したことです。
 あなたに立証責任があるでしょう。

あなたは、議論における挙証義務について、何もわかっていらっしゃらない。個人の体験について、挙証義務が求められていては、この場で体験を発表する人はみんな、その個人が特定されてしまいます。このような匿名参加の掲示板では、個人が特定されないよう人権を配慮し、個人情報の強要は認められないはずです。あまりにも人権意識に欠けていらっしゃいるのではないでしょうか。

>またあなたは、1000人に及ぶ退会者の人生相談をしているとの事ですが、この件も実名と具体的な事実の証明をなされら無ければ、タダの噂話に過ぎないと思います。
当然、時・所・関連する人物の証明等が必要となります。
これも不可能であれば、ただのよた話にすぎません。

これも、個人情報の特定を強要する、不適切な発言です。

876アネモネ:2003/11/11(火) 01:38
本当に第三者の名前を公表されたのですか。私にはとても信じられません。

管理者様

私からも870>の削除を求めます。

877無徳:2003/11/11(火) 01:47
沖浦さん

貴方に同情したい気持ちもあります。

大勢の人から集中攻撃に遭っているような被害者意識もおありかも知れません。

しかし、貴方の発言内容は殆ど滅茶苦茶と言って良い程ひどいものですよ、

もういいかげん発言を控えられる事を進言します。

878福田里敏:2003/11/11(火) 01:49
沖浦さん
これは、いけません。
管理人様
即、削除を、お願いいたします。

879沖浦克治:2003/11/11(火) 02:19
 管理人さま
 これは私と犀角独歩さんとの問題です。
 私は、挑戦されて逃げるようなことは絶対にいたしません。
 第三者の名前の削除には応じます。
 私個々人の連絡先は決して削除しないで下さい。
 私はHNの影に隠れて他者を攻撃するような人物を許せないのです。
 そもそも挙証責任とは、この人たちが言い始めた事です。
 自分の意見に責任を持つ事は当然ではありませんか。
 犀角独歩さんは、自分が創価学会により大きな被害を受け、自分の周りにも多くの被害者がおり相談を受けている、との発言をされました。
 その上で『そうです。ですから、このわたしの体験を沖浦さんはなんと見られましたか。退転した人間には興味がない」と見放しただけでした。』との発言を私にされました。
 お答えする際、事実関係の明示を求める事は当然でしょう。
 問いかけた以上は、自らの挙証責任を全うすべきです。
 この体験が、一般論としてどなたかに向けられていなければ何の問題もありません。
 然しながら、氏は自らの体験に対する私の反応を非難されておられます。
 私が事実関係を確認することは当然です。
 然るに私の当然の問いかけに、氏は私に一般論としてあげた数十人の実名の開示を求めました。
 私はこれに答えたまでです。
 無論の事この法的責任は、一切私に存在いたします。
 当掲示板のルールの基づき、人名を管理人様が削除される事に反対いは致しません。
 但し、私の連絡先等はこのままにしておいてください。
 私はこの際、犀角独歩さんとはっきり白黒をつけたいのです。
 掲示板ではご迷惑でしょうから、当事者間で解決を致します。
 双方が自らの実在と身分等を開示すべき時です。
 以上ご明察下さいませ。

880みかん:2003/11/11(火) 02:31
>>879
あなたが沖浦克治さん本人であることは証明できません。
あなたが実在する沖浦克治さんに悪意を持つ人で、
「沖浦克治」という本名風のハンドルを使って書き込んでいる
という可能性だって否定できません。

ですから、連絡先を削除するなということには無理があると思います。

沖浦克治でグーグル検索すれば、住所も電話番号も、趣味も職場もわかって
しまいます。しかしその沖浦克治さん本人が、いまここに書き込んでいる
HN「沖浦克治」と同一人物だとは誰にも証明できません。

ですので、連絡先などは、削除せざるを得ないと思いますが。


なお、したらば掲示板の仕様の問題として、ひとつの発言のなかの一部を
削除して一部を残すことは、できません。

881沖浦克治:2003/11/11(火) 02:45
 みかんさん
 わかりました。
 それならば削除をして頂いて結構です。
 私の名前でインターネットで検索してください。
 私の関係がヒットします。
 みかんさん、私が本人かどうかお疑いならば電話かメールで確かめられますよ。
 いつでも歓迎いたします。

882アネモネ:2003/11/11(火) 03:07
沖浦さん
外野から横レス申し訳ありませんが…一言

>それでは私からまいります。…さあ、あなたの番です。

正常な判断力が消耗されておられたことと思いますが。
しかし、創価学会とは、人間主義といって、平たくいえば、人間を大事にしている教団のはずが、なのにどうして、一人の人間である個人の人権を侵害してまで、その正義を証明しようとするのでしょう。
人間を大事にする為の正義といっているのに、人間の人権を差し置いてまで正義を証明しようとすることはおかしいです。
人間を粗末にしてまで、正義を証明する必要があるのでしょうか。そこまでの使命感を、創価学会員は担わされているものなのでしょうか。
人間主義といいながら、人権よりも大事な正義があるとすれば、まさに本末転倒というのではないでしょうか。

私はあなたの参加を見合わせてもらうように管理者さんに2度も提案いたしました。
これは決して、あなたを拒絶しているということではないのです。
ただ、住む世界があまりにも違い過ぎる。価値観も尺度も違い過ぎるのです。議論の土俵が違うのです。
信教の自由は、信じる自由もあれば、信じない自由もあるのですから、お互いがお互いを尊重する最大の最善方法は、それぞれが、それぞれに合った適切な議論の場を選ぶということしかないと思うのです。

沖浦さんには沖浦さんに合った議論の場があるはずです。私は、その場でどんな議論が行われていようとも、それがどんなに私の意見に反することであっても、その言論の場を、私の一方的な意見で乱したり妨害したり、かく乱したりといったことはしません。
そのようにして議論の場を尊重するものです。
ですから、私たちの議論の場も、どうか、そっとしておいて下さい。
そうすることで、お互いの言論の自由がお互いに尊重され、守られるのではありませんか。
創価学会信徒を対象に開いている掲示板はいくらでもありますね。そのように、自分に水の合う場所で発言に精進されることが、お互いの精神衛生上から考えても、最善策ではないでしょうか。

>私はこの際、犀角独歩さんとはっきり白黒をつけたいのです。
掲示板ではご迷惑でしょうから、当事者間で解決を致します。

上記の私の発言とは異なりますが、この掲示板がもとで始まったことですから、この掲示板のルールにのっとり、この掲示板で公明正大に公開でおやりになったほうがいいと思います。私としては、ルールに違反しない限り、何も迷惑なことではないと思います。

883アネモネ:2003/11/11(火) 03:11
↑発言が矛盾して恐縮ですが、やるというのであれば…と解釈してください。基本的には、沖浦さんは、ご自分に合った掲示板で発言されることが望ましいだろうと思っております。

884犀角独歩:2003/11/11(火) 04:15

沖浦さん

> 870

これが何十人ですか。18人です。十数名では何十人になっていません。
また、この18人が実在の人物である証拠が示されていません。

しかしながら、あなたは挙証義務以前に実名・住所・電話番号など個人情報をここに書き連ねることがプライバシー侵害という違法行為に抵触することが意識されていません。このような行為はそもそも当板のルールにも違反します。そのような人権侵害をわたしに請求すること自体、違法です。また、それを名前を書き連ねると言うだけでもやってみせること自体、創価学会(員)沖浦さんの罪過を証明する以外の何ものでもありません。
ここは創価学会の功罪を考えているのです。
沖浦さんの罪過をやってみせる必要はありません。

> 871

あなた=創価学会ではありません。
ですから、あなたの体験は創価学会の功罪とは関係ありません。
それとも、あなたが創価学会なのでしょうか。

もう一度繰り返します。
ここは創価学会の功罪を考えるスレッドです。
沖浦さんのためのスレッドではありません。
私物化するのはおやめください。

885犀角独歩:2003/11/11(火) 04:20

858 沖浦さん:

あなたはハッサン師を否定するわけですね。
そのような態度に出たのは、統一協会、オウム真理教などのカルトがそうでした。
あなたが破壊的カルトと、同様の立場を採ることをしっかりと確認しました。

886犀角独歩:2003/11/11(火) 04:33

親と子供は生まれた時点から独立した人権を有しています。
子供は親の所有物ではありません。

子供の人権は親であっても侵害することは違法です。
自分の子供であるという理由をもってしても、その名前を公開することは明らかにプライバシーの侵害、人権侵害です。

このような人権感覚の欠如が、わたし自身に相談を寄せた方の実名公開を迫る非常識な発言に繋がっているのでしょう。

わたしには、わたしを信頼して相談を寄せてくださった方々のプライバシーを守る厳正な義務があります。人権侵害を犯す煽動にわたしは断じて応じません。

ましてや、脱会被害者を「心から見下す」と宣言した人間に、どうして、創価学会から被害を受けたと訴える人のプライバシーを公開することができるでしょうか。

挙証責任という文献的理論的な証拠提示を、個人の人権侵害に置き換え、さらに人権侵害を強要してそれをできないならば発言を控えろと迫るというレトリックをもって、わたしに強要することは、当板のルールに違反するばかりか、法治国家日本の人道主義、基本的人権を侵害する違法・非法行為であることを申し添えます。

係る非人道主義者、人権侵害者の即時退出を管理者さんに求めるものです。

887犀角独歩:2003/11/11(火) 04:42

−追−

860 沖浦さん:

> 今回の総選挙でこの傾向が如実に顕れています。

創価学会と公明党は政教分離の関係にあるのではありませんでしたか。
となれば、公明党の得票と創価学会の功罪とどのような関係にあるというのでしょうか。
この発言は創価学会・公明党は政教一致にあることを認めた発言と読めます。

888犀角独歩:2003/11/11(火) 04:42

853〜855 アネモネさん:

当然のことですが、同様のお考えであることを嬉しく存じます。
有り難うございました。

889犀角独歩:2003/11/11(火) 04:45

888に「当然のこと」と記したのは、「常識的に考えて当然のこと」という意味です。
言葉足らずでした。補わせていただきます。

890犀角独歩:2003/11/11(火) 05:04

読み落としていましたので、以下レスします。

沖浦さんが、879に

> 私と犀角独歩さんとの問題
> 犀角独歩さんとはっきり白黒をつけたい
> …当事者間で解決…双方が自らの実在と身分等を開示

わたしに何ら相談もなく、「双方」などとコンセンサスがあるごとく記したうえで、わたしの実在・身分の開示を迫るこの在り方に抗議します。

わたしは、差別主義を露わにし、脱会者を敵視し、何をしでかすかわからない相手に対し、ましてや、公開の場で個人情報を開示するつもりは毛頭ありません。
また、その開示の拒否をもって勝敗を喫する如き煽動にも乗りません。

なにより、ここでの議論は創価学会の功罪を考えるという組織集団についての議論の場です。

沖浦さんとわたし犀角独歩の問題は存在しません。

以上のような発言は、沖浦さんが創価学会の功罪を考えるという組織集団をテーマにするこの場を借りて、脱会者であるわたしを個人攻撃する底意を鮮明にしたものであると判断します。

わたしは係る煽動、また個人攻撃に一切応じる気はありません。
また、応じないことをもって、一方的な勝利宣言をされたところで、それは意味をなさないことを先に申しておきます。

891犀角独歩:2003/11/11(火) 05:29

もう一言。沖浦さん:

> 具体的に証明できなければ…発言は慎んでください。
> 挙証主義とはそう言うことを言うのです。

865に以上のように記しています。
では、反詰しますが、あなたは537に

> 創価学会には800万人程度残っています

と明言しています。864では

> 時・所・関連する人物の証明等が必要

と記しています。
では、上述800万人の創価学会員が残っていることをご自身の言葉に従って証明して見せてください。

そして、「具体的に証明できなければ…発言は慎んでください。挙証主義とはそう言うことを言うのです」というご自身の言葉に従ってください。

892犀角独歩:2003/11/11(火) 05:33

路さん:

はじめまして。
長らくロムをいただいていたご様子。
痛み入ります。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

893管理者:2003/11/11(火) 06:49

沖浦克治さん

あなたの870レスは当掲示板の、下記の禁止事項に違反していますので削除いたします。

【禁止事項】
2 他人の個人情報(実名、住所、年齢、電話番号、メールアドレス、家族構成、勤務先情報、等)を、掲示板で公開してはならない(ペンネーム、ハンドルネームと実名を特定させるような書き込みを含みます)。但し、以下の一から五については、この限りではないが、これらの個人情報の公開に当たっては、充分個人の人権に配慮し、節度を持って行うこと。

894管理者:2003/11/11(火) 07:10

沖浦克治さん

870レスが、当掲示板のルールに違反していることは、先刻ご承知の事と存じます。然るに、どのような経緯があるにせよ、お守り戴けなかったこと、大変残念です。

先般、管理者は、沖浦克治さんに対して、ルールをお守り戴きたいとお願い致しました。管理者のお願いに対して、沖浦克治さんは、その時、当掲示板のルールに従うことを約束されました。然るに、数日もたたない間に、再度、ルールに違反されました。

大変残念ですが、管理者としては、沖浦克治さんに対して、本日以降の、当掲示板への参加をお断りするしかありません。ご賢察の程、宜しくお願いいたします。

895沖浦克治:2003/11/11(火) 07:35
 管理人様、皆様方
 ご参加の皆様方の益々のご繁栄と、福運の興隆を祈念いたしております。
 お世話になりました。

896◎◇の壁::5963:2003/11/11(火) 11:02
 深夜から早朝まで、ご苦労様でした。 No.887,890,891での御返論は「実にお見事!!」で、サスガ、だと実感致しました。

897犀角独歩:2003/11/11(火) 11:40

896 ◎◇の壁::5963さん:

ご感想、有り難く頂戴いたしました。
お読みいただきましたことを感謝申し上げます。

898:2003/11/11(火) 15:50
ガンコさん
アネモネさん
犀角独歩さん

こんにちは。

これからもまたロムさせていただきます。

899ガンコ:2003/11/11(火) 16:38

どんどん投稿してください。

900犀角独歩:2003/11/11(火) 16:48

866 Leoさん:

「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」(『人間革命』冒頭)

「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない…」(『新・人間革命』冒頭)

この書き換え、意識していませんでした。
この発言、たしかにイラク問題に対する「武力対応も必要」という池田さんの発言、「利敵行為発言」をした冬柴公明幹事長の言動とぴたりと一致し、緊張感が走りました。

901犀角独歩:2003/11/11(火) 21:48

『(池田)会長講演集』第3巻(昭和36年11月5日初版発行/発行所 宗教法人創価学会)をめくっていたら、以下のような記述が、

『賢者は喜び愚者は退く』
「われわれの青年部長が青年部を代表して、戒壇建立の第一歩として、参議院議員に当選したことを一同心から喜ぼうではありませんか。そして願わくは、この三障四魔、三類の強敵を、勇ましく、会長先生の弟子らしく戦って、、獅子王の子供らしく戦って、二陣、三陣、四陣、五陣と、諸君がつづいているくださらんことを心から切望するしだいなのでございます。
(当時参謀室長)/昭和31年7月17日/男子部幹部会/豊島公会堂」(P55)

『戒壇建立の第一歩に難あり』
「ここに戒壇建立の第一歩の大法戦が終わった。
(当時参謀室長)/昭和31年7月24日/本部幹部会/豊島公会堂」(P57)

『追撃の手をゆるめるな!』
「(戸田)会長先生の死を知りまして、ただ呆然としたものでございます。…ただ、ひとつ創価学会の目的である国立戒壇の建立、不開門(あかずのもん)を開いて、このように戦ってまいりましたという、ご報告をするという以外に、なにもないと思うのでございます。
(当時参謀室長)/昭和33年4月3日/本部幹部会/豊島公会堂」(P273)

『信心は実行なり』
「仏さまは、ウソをつかないとわたしは信じます。また、会長先生もウソをつきません。仏様です。
…信心は実行です。信心とは実行だ。若いものは、あくまでも希望をもって、勇気をもっておおれ自身の宿命転換に、強く、そして雄々しく、自分にムチ打っていきなさい。
 そして、広宣流布まで、あと20年、そのときに、それはもう、ハイヤーものれるでしょうし、3万円か、5万円ぐらいの洋服も着られるだろうし、ポケットのなかには、いつも5万円か、10万円ある。それまでは、ぜんぶ人に貸してあると思いなさい。20年間の定期預金してあるんだと。
 そういう気持ちで、青年らしく、男らしく、信心していきなさい。それで、ひとりも退転してはいけない。青年部はぜんぶ、広宣流布まで、私のあとをついてきなさい。
(当時参謀室長)/昭和33年9月14日/名古屋男子18部隊会」(P317)

『民衆の総意で戒壇建立』「
「国立戒壇の建立は日蓮正宗の願望であり、また(戸田)会長先生の、創価学会の目的でございます。国立戒壇といえば、一般の人々は、国家の特権や国家の圧力をもって歓談を建立するように考えがちでございますが、会長先生は、後楽園の総会の席上において『日本国民のひとりひとりが大御本尊様の功徳を納得して、初めて広宣流布ができるのである」といわれました。すなわち、日蓮大聖人様の仏法、大御本尊様の工藤が前民衆にいきわたって、その世論として国立の戒壇ができるということを知らせていかなければならないと思うのです。
 国立戒壇建立ということを考えると、即座に一般の人々は日蓮正宗を国教にするのではないのか、創価学会の目的は、政界にたくさんの政治家を出して、、日蓮正宗を国教にするのだとみられてまいりました。そのとき会長先生は『まったく、そんな意図はない』と仰せられました。(参−注1)創価学会の戦いは、あくまで日本の国の幸せと、東洋、世界の、人類の救済しかない。国立戒壇ということに対して、あくまで、日蓮大聖人様の至上命令であるが、大聖人様も国教にするとはおおせになっていらっしゃらないと思いますし、会長先生もそんな意図はないとおっしゃっている。
 これをしみじみ考えたときに、国立戒壇ができ上がっても、その国立戒壇は日本一国のものではない。大聖人様の仏法は一閻浮提の大御本尊様である。全世界にわたっての宗教であります。日本の国立戒壇の建立ということは、全世界の国立戒壇に通じていくと、わたしは信じるものでございます。そうした場合に、日本の国で日蓮正宗を国教にしてしまったならば、はたして、朝鮮や、中国が用いるかどうか、ヨーロッパの民衆が用いるかどうか…
(当時参謀室長)/昭和33年12月7日/第7回男子部総会/両国日本大学講堂/参観人員30,000名」(P339)


注1)「富士山に国立戒壇を設け、日蓮正宗を国教にすることだ。そのためには20年後には国会議員の過半数を占めなければならない」(『聖教新聞』昭30・4・17)と発言していたことを、わずか3年後には以上のように覆された。

902犀角独歩:2003/11/12(水) 16:42

ようやくと半月振りに静寂を取り戻しましたので、また、ゆっくりと議論が進むことを期待しています。

くどい繰り返しですが、是非とも「創価学会の功績」について、どなたか投稿いただきたくお願い申し上げます。

903無徳:2003/11/12(水) 19:52
そうですね、創価学会の功績を語る為には沖浦さんでは有りませんが、個人的体験
を度外視しては語れないのも事実と思います。

例えば私事ですが、長野県の片田舎から上京して小さなクリーニング店に丁稚奉公
しました。

そのクリーニング店の店主が創価学会員でしたので、いやおうなく座談会に誘われ
そこで必然的に折伏を受けたわけですが、世間で言われているほど私に対しては強
引な折伏では有りませんでした。

その座談会に集う人々は、全く元気で会話も活気に満ちていました。
昭和39年頃でしたから日本もこれから経済の高度経長期に向かう前夜と言えまし
ょう。

しかし、決してそこに集った人々は豊かそうではなく、学歴的にも高い人とは見え
ませんでしたが、それでも明日への希望を感じさせる本当に明るい集いであった事
は事実です。

会話の内容も決して高度なものではありませんでしたが、とにかく創価学会はすば
らしい仲間たちと池田先生と言う優れた指導者を先頭に、日蓮大聖人の仏法によっ
て、大勢の人が沢山の功徳を受けて宿命転換しているとして体験談を沢山聞かされ
ました。

また、折伏教典や御書を読んでも創価学会に入会しようとの決心はなかなかつきま
せんでしたが、いわゆる庶民大衆と言える人々がこれほど元気で、時には公明党の
前身である公明政治連盟を通じての政治参加も果たし、王仏冥合によって日本を根
本的に変革しようと意気込んでいる事に正直に言って驚きました。

私と言えば小学校5・6年の時に見た確か「学習年鑑」とか言う雑誌の中で東京に
水素爆弾が落ちたらどこまでが壊滅するかと言った事を図入りで説明してあり。

ちょうど私が住んでいた長野県の立科町あたりも、水素爆弾によって殆ど壊滅状態
になる事が描かれていて衝撃を受けました。

なぜか、私は小学生ながら人間はやがて必ず戦争を繰り返すのではないかと思って
いましたので、あの学習年鑑の内容には驚いてしまって、その後は勉強する気力を
失ってしまいました。

中学・高校と出るには出ましたが悪戯と喧嘩とスポーツに明け暮れる毎日で、殆ど
教科書を自宅で開いた事が無いほど勉強嫌いになってしまいました。

そんな私がその後創価学会に自ら進んで入会し、積極的に学会活動をする中で日蓮
仏法はもちろんの事、折伏を通じて多くの人々と会話するなかで、哲学や現代思想
さらには科学や生命論といった様々な事を学ざるをえない局面に立たされ、初めて
学問の必要性に目覚めました。

このように、私事では有りますが創価学会による折伏活動が私のような無名の人間
(今もそのままですが)にも学問をする事の必要性を教えてくれたり、公明党を通
じて政治に対しての関心を高めてくれた事実は紛れもありません。

個人的体験ですが私は多くの人々が感じる創価学会のプラス面つまり、「功」の面
ではないかと思われます。

しかし、私にとって創価学会体験はどちらかと言えば苦々しい事柄に満ち満ちてい
たと言えます。だからこそこうして脱会し創価学会に対し批判的な立場にあるわけ
です。

904ワラシナ:2003/11/12(水) 21:03
「創価学会の功績」について。

1、実績なら一杯書けるが「功績」は、そこから絞り込まれた、人に対する物の見方捉え方についての或る、体感的な斬新さを提供したことに有った、と思う。
その自らの革新性及び由来を学会員自身が明示的に自覚出来得ていた点が強みで、それが布教力の増幅を支えていた、と考えられる。
どうして、功績の有り様を、今のように人間観のレベルまで下がった地点から指摘できるかといえば、彼ら自身がそれを「学会人」なるトータル的な単語で表現していた事、で言えると思うから。その魅力の内どこまでが、大石寺信仰の根っこに由来しているものなのか、見極めが難しいが、

2、少なくとも、その指導法の内無理がない部分(無理に布教成果実績に短絡させないようにした)においては、彼らは「自然な動機付け」に優れていた。だから彼らは口癖のように「(人を)育てる、育てる、手塩にかけて育てた」と言っていた。

3、例えば、その具体例として「座談会」なる布教法は、そのオリジナルは学会以外にあったのかもしれないが、その活用法をみれば、その意義付けに於いて彼らはそこに「或る斬新さ」を見出していたと思う。これがあったからこそ一時期教団外世間を一歩先取りしたような着想が可能だったのである。
彼らは、「座談会」を「社交性に富んだ布教上の新技術」として戦略化して把握していたと思う。
この「社交性に富んだ」というところに未来的価値の大きさを見つけたところが功績と思う。

905妙薬:2003/11/12(水) 21:29
 無徳さん、こんばんわ。
 私も同様の原体験を持っています。入会時期も同じなので、懐かしさすら感じてしまいます。ある意味で良き時代だったのかも知れませんね。私は10代で結核におかされ、清瀬市の国立療養所に入院しました。高校卒業直前だったこともあり、病状を告知された時のショックはそれは大きなものでした。そんな時、折伏をされてすがるような気持で入会したものです。そして、1年半にわたる闘病生活。夜9時に消燈すると、ベットに横たわって何もすることはありません。しかも、寝てばかりいる生活の為、眠むることはとても大変なのです。そこは25人の大部屋でしたので、寝ながらとりとめもない会話が始めるのが常でした。
 ある時、最少年の私が御本尊を安置して拝んでいることが話題にのぼりました。24人の大人からの攻撃の始まりです。全く教学力のなかった私は、毎日、毎日、反発しては言い負かされていました。そんなある日、別の病棟にいた助教授の女子部と出会いました。そして、少しずつ勉強しては夜の「座談会」で発表していく日々が続いたのです。
 やがて、私は退院の日を迎えました。その時、なんと24人中13人が入会していたのです。私は貴重な青春時代に病魔におかされ、世法的には挫折しましたが、入院中の体験は大きく自分を変えていたのです。変毒為薬でしょうか。
 それから40年、様々な変遷がありました。しかし、私の原点として今も(あの体験には)感謝しています。私が知るだけでも、似たような体験は数多くあります。脱会の難しさの一つには、こうしたそれぞれの原体験にあるのでしょうね。
 無徳さんに触発されて、セピア色化した「創価の功績」を書いてしまいました。

906MILD SEVEN:2003/11/13(木) 01:19

最近、感じる事 

<<<世界中のキリスト教と普通の仏教界は池田創価に絶対反対!>>>

この運動は広がります。広めます。

正統派 対 カルト の陣営に分かれます。

正統派も、裏のプロも・・・解って来た。
新しい秩序の構築は進んでいます。

         ・・・・・・・・・

カルト指導者のあり方は変です。
真理の護りあれば、最前線で苦労はすれど安心していられます。

古い言い方での<王>は、皆を守る者であって、隠れたり守られたりする者では無いと思います。常に最前線がポジションです。
それが正統派。私はそう思います。
それでこそ平等。

          ・・・・・・・・

安全な道は厳しい。
でも平安。
これが真の仕事の報酬?、そして・・・。
悔いの無い人生。

          ・・・・・・・・・

真か偽の問題は単純です。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

907犀角独歩:2003/11/14(金) 09:17

無徳さん:
ワラシナさん:
妙薬さん:

創価学会の功罪を考える、この問に対して、個人の信仰体験が筆頭に出てくるのが創価学会の特徴なのかも知れませんね。特に御三人方とも、日蓮本仏論者である点で一致しているのは偶然なのか?、やや興味がわきました。

さて、わたしが創価学会の功績を考えるという点について、組織と対社会の関係で見たいというのは、「宣伝に偽りありではないのか」という観点です。「平和楽土の建設」「日本の広宣流布」「東洋広布」「世界広布」を進めている。「広宣流布の上げ潮」「世界平和に貢献している」などなど、数々の“宣伝文句”で、この会内にいると、池田さんが世界の指導者であり、創価学会は世界平和のために驀進して、日本の広宣流布を具体的に推進している、そのような実感を覚えるようになります。

ところが、一歩、外に出てみると、池田さんも創価学会も公明党との政教一致としか見えない癒着以外には社会との接点が感じられません。池田さんは世界各国から勲章やら、名誉博士号、名誉市民、名誉議長だなんだとたくさんもらっていますが日本では何ももらっていません。広宣流布はまるで進んでいないし、世界平和の貢献もないわけです。あるのは“お題目”ばかりで内実が伴わないわけです。内実が伴わず、「世界平和に貢献している」と言うこと、それをわたしは「嘘」であると言っているわけです。

しかし、学会員は創価学会が世界平和に貢献していると信じて疑わないわけです。ですから、「証拠を挙げてください」と言ったのがわたしの質問です。ところが、そこで言われるのは個人の体験の範囲で、会組織の功績は何も語られない。会組織が会員に生きる力と勇気を与えた、それはけっこうなことですが、しかし、それは会内における話です。平和活動というのは具体的には会外へ向けてのことでしょう。

では、改めて創価学会に何ら対社会的な功績はないのか?と問えば、わたしが現役の会員であれば、

「池田先生は、公明党を創立者で、日本の政治のキャスティングボードを握るまでに育てた指導者である。また、創価学園をはじめ、創価大学を創立者で、日本のみならず、世界の教育に貢献している。東洋学術研究所(東洋哲学研究所)を創立して仏教研究に貢献している。民音を創立して、日本の芸術の啓蒙に貢献している」など、そんなことを言ったと思います。

公明党を創立し、日本の政治に多大な影響を与えているのは事実です。しかし、これは政教分離の原則から言えば、既に創価学会の手を離れているわけです。公明党が何をやろうと公明党の功罪となります。創価学園・創価大は池田翼賛が強く、一般人は敬遠されながら、それでも創価教学をひっくり返す『法華経』(岩波新書)を書いた菅野師がいたり、かつては『佛教入門』(中公新書)を書いた岩本裕師も名誉教授で籍を置いていたこともあったわけです。まだしかし、教育界に影響を与えるレベルには至っておらず、むしろ、池田翼賛者教育の範疇ではないのかと見えます。

908犀角独歩:2003/11/14(金) 09:18

―907からつづく―


東洋哲学研究所はそれでも仏教研究者には「おいしい」存在のようで、あの季刊誌への掲載は“得点”になるとのこと、また、原稿料も他と比べて高いということでした。また、ここで取り上げられるところは、創立当時から、創価教学とはかけ離れた学的水準をもっていたわけで、評価できるところはあると思います。

民音はどうか。わたしがいた頃は、8・30運動(8時半までに終了する打ち出し)で、座談会が題目三唱をもっていったん、終了すると、「書籍担当者から連絡があります」ということで、本が販売され、ついで「民音担当者から連絡があります」ということで、民音パンフレットが配布され、そこでチケットが販売されたわけです。

芸能人にとって、芸術部を擁し、民音をもつ創価学会は足を向けて寝られない存在のようで、学会員であることで芸術部員になれ、民音のバックアップで興業がなりたつ、芸術部員、いわゆる学会芸能人がいるわけです。これが「日本の芸術文化に貢献しているか」と問われれば、「どうかな」と私は言いたいですが、動く金・動く人も大きいので、芸能人、芸術家には有り難い存在という範疇なのだろうと思えます。

まあ、しかし、わたしが思いつく、創価学会の功績はここまでで、最も重要な彼らがいう「広宣流布」「平和活動」「世界平和の貢献」という部分では、どうなのか、この点を確認したかったわけです。もし、実際行動がなく、「お題目だけ」であれば、看板に偽りあり、かけ声だけの煽動であるということになるわけです。

この段階で、わたしは、以上の重要点における創価学会の功績は何ら思いつかないと言ったわけです。池田さんが世界の識者にあって、名誉名誉を集めるのはそれを勝手ですが、では、それが具体的にどのように平和に役立っているのか、また、会員レベルではどのような具体的な活動をしているのか、その点を俎上に上げたいわけです。

これはしかし、単に「創価学会は張り子の虎」と貶したいということではなくて、7兆円資産を有し、今後、日本社会から消えることはないと思われる創価学会に、平和のための具体的行動に人と金を使う時代に入って欲しいという気持ちもあるからです。

戦後、60年、日本社会で不動の地位を得るに至った創価学会は会内的には十分に潤い、何百万人か満足のいく会活動をしているようです。しかし、それがまるで日本社会には還元されていないと見えます。

この点についても、是非ご賢察を投稿いただきたいと思います。


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