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創価学会の功罪を考える

904ワラシナ:2003/11/12(水) 21:03
「創価学会の功績」について。

1、実績なら一杯書けるが「功績」は、そこから絞り込まれた、人に対する物の見方捉え方についての或る、体感的な斬新さを提供したことに有った、と思う。
その自らの革新性及び由来を学会員自身が明示的に自覚出来得ていた点が強みで、それが布教力の増幅を支えていた、と考えられる。
どうして、功績の有り様を、今のように人間観のレベルまで下がった地点から指摘できるかといえば、彼ら自身がそれを「学会人」なるトータル的な単語で表現していた事、で言えると思うから。その魅力の内どこまでが、大石寺信仰の根っこに由来しているものなのか、見極めが難しいが、

2、少なくとも、その指導法の内無理がない部分(無理に布教成果実績に短絡させないようにした)においては、彼らは「自然な動機付け」に優れていた。だから彼らは口癖のように「(人を)育てる、育てる、手塩にかけて育てた」と言っていた。

3、例えば、その具体例として「座談会」なる布教法は、そのオリジナルは学会以外にあったのかもしれないが、その活用法をみれば、その意義付けに於いて彼らはそこに「或る斬新さ」を見出していたと思う。これがあったからこそ一時期教団外世間を一歩先取りしたような着想が可能だったのである。
彼らは、「座談会」を「社交性に富んだ布教上の新技術」として戦略化して把握していたと思う。
この「社交性に富んだ」というところに未来的価値の大きさを見つけたところが功績と思う。


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