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創価学会の功罪を考える

828アネモネ:2003/11/09(日) 10:39
犀角独歩さん

私の素朴な疑問に、早速明快なレスありがとうございます。
大変勉強になりました。

>「境涯が高まる」は日蓮仏教とは関係ありません。
「一流になる」にしてもそうです。両方とも学会の考えです。

やはりそうですか。この考え方の根本はどこから始まっているのでしょう。
私は、この考え方の弊害、つまり人を蔑視する心ということによる罪過は大きいと思うのです。
創価学会のいう人間主義とは、このような価値観の人間教育を目指しているところなのでしょうか。

>『如説修行抄』…祖滅100年頃にまとめられたと思われる禄内に既に収録されていたようです。

ありがとうございます。勉強になりました。

>この明文は、日蓮文献主義が経(論・釈)で一貫している証左です。「人の言葉を用いてはいけない、仏の言葉である」というのが蓮祖門下不動の鉄則です。蓮祖門下を名乗るのであれば、厳守しなければならないでしょう。

これは大事なことですね。踏み外してはならないところでしょうね。
これを踏み外したところに、蓮祖直結もないものといっていいのではないでしょうか。

>「我等が本師釈迦如来」…と明言もされています。ところが日蓮本仏圏では御書中の「釈迦」は「日蓮」と読み替えて成り立ちます。これをわたしは蓮師の素意の改変と難じてきたわけです。

ここが日蓮本仏論で常に問題にしてきたところでしたね。日蓮を本仏とすることが、日蓮の考えであったか否か、そのことひとつで、御書や経文の解釈がでまるで違ってきますね。
創価学会の功罪を考える中でも、日蓮本仏論の影が落とされていることは、見過ごせないところのようですね。

>アネモネさんの「常識」を、わたしは指示しますよ。

ありがとうございます。


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