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創価学会の功罪を考える
822
:
アネモネ
:2003/11/09(日) 08:19
沖浦さん
>私が創価学会員で無かったなら、世界で金メダルを取る事は絶対に不意可能だったでしょう。
これはわかりますよ。原動力であっただろうと想像します。
>たゆまざる向上心を持ちつづけることは、創価学会で学んだ事です。
確かに向上心もお持ちでしょう。客観的にみて、創価学会に限らず、日蓮仏法のよいところは、上昇志向にあるということがいえると思います。
しかし、沖浦さんの書かれた内容からは、宗門が邪義であることを証明せんがためとありまして、それは単なる向上心だけではなく、憎悪の心も原動力にされているなと感じました。私は、失礼ながら、そういう心根が私の思想・信条からいって好きにはなれません。それは、宗教の目指す精神性からいって、そのような憎悪の心こそ克服しなければならないものと思うからです。
>私の体験に異を唱えるのであれば、あなたと関係の無いアスリートを引用するのではなく、あなた自身が何らかの方法で世界を取ってから、体験としてお話ください。
この考え方は根本的に間違っています。あなたが世界で創価学会の信心を原動力に金メダルをとったという体験に異を唱えているのではありません。名誉あることですが、だからといって、それが創価学会の正義の証明にはならないだろうということを言っているのです。正義を証明するというのならば、世界一になられたあなたが、どのような人間性を人々に示していくかにかかっているのではないでしょうか。この掲示板での言動もその一分に含まれます。宗門憎しをあらわすることが、正義だと思ったら大間違いです。
宗教の正義は、憎悪を克服したところにあるといえます。そうでなければ、平和思想には到底至らないでしょう。
それから、「あなた自身が何らかの方法で世界を取ってから…」ということですが、これは世界一という権威を盾にしたまさに権威主義的考え方といえ、宗門の権威主義と何ら変わりません。宗門の批判はできないでしょう。
>信心が生活に顕れなければ何の値打ちもありません。
信心が値打ちと捉えるところが、私とは感覚が違います。
信心は、心の問題です。生活に顕れるとすれば、心の持ちよう、心のあり方だと思いますね。少なくとも、憎悪の心を持っていては、どんなに良い生活でも心は荒廃しているといえます。
>あなたのご意見は、生活即信心とは言えないと思います。
生活即信心はわかりますが、生活の捉え方があなたとは違います。
そもそも、宗教に求める価値観が違うのです。
あなたの書き連ねる価値観は、創価学会によって培われた価値観だろうと思われます。その創価学会によって推奨されてきた価値観というものの功罪をここで批評しているといってもいいのです。
法華講のときでもそうでしたが、大半の信徒の方々のお話を聞いていると、地位や名誉や名声や財力や学歴…そういったことで人の評価を定めているわけです。そうなっていくことが、境涯(境界)を高めることだというのです。私は、宗教が目指す精神性からいって、この価値観は、正しいとはいえないと思っています。
心がどうあるかということにおける向上心が全く欠落している点を、問題視しています。そのことから起きている心の弊害が多いのではないかと思っているのです。
歪んだ価値観が、人格形成に多大な悪影響を及ぼすことがあります。
ですから、社会的影響の多大な創価学会の功罪を通して、そこで推進されている価値観を検証してみているのです。
そのためには、ご自分の教団を客観視することです。悪いところもあるはずです。それがわからない、もしくはあっても口に出来ないとすれば、そのことが既に、弊害であり罪過といえることなのです。そのようなことは間違いなく、そこに所属する人々の人格形成に影響を及ぼすことが考えられるのです。だからそこを検証しているのです。
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