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創価学会の功罪を考える
817
:
犀角独歩
:2003/11/09(日) 06:54
Leoさん、おはようございます。
> Libraさん…学会教学や指導を採用する典型的な「現役創価学会員の発言」と
> 捉えるのは難しいのではないかと思います
Leoさんのご指摘は、わたしの
「現役創価学会員の発言、たとえばLibraさんなどを通じて見る限り、記号論的とも言うべき漫荼羅観に変遷している」
に対して仰る部分ですね。わたしはLibraさんを現役創価学会員の典型と見たわけではないのですが、そのような印象を与えてもおかしくない文章になっています。ご指摘のとおりで、この点は反省します。
提示いただいた学会の、現段階の漫荼羅本尊観指導、ご提示有り難うございました。参考になりました。
寛師が、「本門戒壇の本尊」を特定して説明する内容を「三大秘法の本尊」と言い換えて、自分たちが配布する寛師書写漫荼羅に当て嵌まるように書き換えてありますね。
寛師が「法本尊」というのは「本門戒壇の本尊」ですが、これを「事の一念三千の南無妙法蓮華経」と書き換えている点、また、寛師は「人本尊」を「日蓮大聖人」というのに、「日蓮大聖人の“生命”」と言い換えている点で、異なりますね。
寛師は『本尊抄文段下』で
「法即人の本尊とは一念三千即自受用身の蓮祖聖人これなり。当文及び本尊問答抄、当抄の下の文の「本門の本尊」、佐渡抄の「本門の本尊」の文は並びにこれ人即法の本尊なり。三大秘法抄、報恩抄等は法即人の本尊なり。
…“本門戒壇の本尊”は応にこれ総体の本尊なるべし。これ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。自余の本尊は応にこれ別体の本尊なるべし。これ則ち面々各々の本尊なるが故なり」
以上のように、明確に板漫荼羅(戒壇大御本尊)と他の本尊を分けています。この二つを同一に論じることを遮しています。学会の本尊観は寛師と異なっていますね。
寛師は、板漫荼羅のみを「一閻浮提の一切衆生の本尊」と断言しています。
参考になりました。有り難うございました。
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