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創価学会の功罪を考える
844
:
犀角独歩
:2003/11/10(月) 16:38
アネモネさん:
このような応答も「横レス」というのかわかりませんが、記述いただきましたわたしに係る部分に就き、少し書かせてください。
(>> 100%私の成功の体験は自慢話…攻撃)
> …人生の成功…信心…原動力…誰も否定しない
そうです。この部分を言っているわけではありません。
ここのところは、スレッドテーマから逸脱している。だから個人体験は「信心して良かった」のスレッドにでも投稿すればよいと促しているわけです。
> それが即その教団の正義というものの証明になるものではない…
同感です。
信仰を基盤に人生の成功を収めた人は信仰集団の数と同じだけあるでしょう。
それが自分たちの信仰における成功のみの喧伝は客観性を感じません。
社会心理学で言う「個人的リアリティ」は、あくまで主観に過ぎません。
(>>犀角独歩さんの過去レス…自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向)
> 今の時点ではそうでしょう。
この時点で言えば、相容れないわたしをいきなり「境涯が低い」「程度が低い」などと激しく責めてきたのは沖浦さんのほうです。この批判に甘んじる理由はわたしにはありません。
しかし、それ以前には他の方との激しい議論のなかで、証拠も提示せず、一方的に自己信念を押し付けるような横暴な態度に対しては断固たる態度を採ってきたのもまた事実です。ここで共通していることは相容れないわたしに対する人格攻撃と侮蔑、無礼があったことです。そもそも「脱会者」「退転者」などと侮蔑される謂われは微塵もありません。
> …かつての自分を見ている…反論の投稿
生まれながらの創価学会員であったわたしは、いわゆる体験談はいくらでも知っています。自分も個人的な体験は語りきれないほどあります。しかし、その実否を考え直してみる必要がある、それは脱会に至る極自然なプロセスです。その意味において、個人的な体験談を集団の功績としてしまうことを短絡であるとみます。
> 沖浦さんのことを、拒絶されてはいない
そうですね。誰人も拒絶しません。
ただ、わたしは特定集団の一方的な宣伝は拒絶します。
だいたい、それは掲示板のルールに違反しています。
ここでの特徴は、たとえば顕正会員が顕正会の問題点を提示して、会の是正を考えたり、富士門流の現行教義を富士門信徒の立場から考えるなど、自己の信念体系を自分の責任に基づいて考えてきたところに意義があります。
ですから、希望を述べれば、沖浦さんが国立戒壇、御肉牙、戸田本仏論、池田本仏論、戸田・池田血脈相承という学会内に胚胎した過ちを積極的に否定したように、その他、創価学会の問題点を洗い出し、より前進するための方途を考えるべく、このスレッドを応用されることです。
一つの事例として創価学会が沖浦さんが世界チャンピオンになるのに役立ったことはわかりました。しかし、それは一事例に過ぎません。何度となく繰り返すとおり、ここは創価学会の功罪を考えるスレッドですから、「沖浦さんの」体験ではなく、「創価学会の」功罪を論じようと繰り返してきたわけです。
この姿勢はスレッドテーマの尊重という当然の帰結です。
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