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創価学会の功罪を考える
839
:
アネモネ
:2003/11/10(月) 01:04
沖浦克治さん
>どうも皆様方は、どうあっても私を差別主義者の悪人にしたいように感じます。
誰も沖浦さんにレッテルを貼ろうという思いではありません。ただし、沖浦さんの言動に差別意識が感じ取られて、そのことが指摘されてしまうわけです。そして、そのことを「創価学会の罪過」として捉えて問題視してしおります。だからといって、沖浦さんのことを差別しているわけではありません。創価学会の組織の問題として考えています。
>私の謝罪以後のレスで、あなた方を馬鹿にしているところがありますか?
途中から謝罪はされて、かなり言葉は改められたようにも思われますが、しかしこれは、沖浦さんの内心のことですら、その後の投稿においても、その内心の心情が否応にも言葉の端々から感じとられたことは、どうしても否めませんでしたね。その点、沖浦さんは、正直な方ということなのかもしれません。
>私はアネモネさんに体験を話すように勧められた時、必ず揶揄をされると言いましたよ。
私もそのことはよく覚えております。一応、私のレスも以下、転載しておきます。
>>もしも、差し支えなければ、沖浦克治さん自身が体感された戸田さんから学んだことなど、ご自身の人生を通しての体験を、できれば具体的にこの場で語ってみられてはいかがでしょう。いわゆる座談会における体験発表ですね。もちろん、内容によっては突っ込みや反論はあるかもしれません。しかし、その中から創価学会の功罪の功の部分も見えてくるかもしれません。
私のほうからも、内容によっては、突っ込みや反論があるかもしれませんと書いてあります。また、創価学会の功徳の「功」の部分も見えてくるかもしれませんとも申し上げておりましたが、しかし結果的には、私の目からみると「罪」の部分が見えてしまった気がしますね。
ものの捉え方、見方は様々で、尺度や価値観が違えば、個人的には功徳と思えたことも、社会的みれば罪過と通じてしまうように捉えられる場合もあるものです。主観と客観の違いはここにあります。
そのようなことにも目を向けてきた掲示板ですから、創価学会での体験発表通り、満場の拍手喝采では終わらず、突っ込みや反論が出てくることは、この掲示板の趣旨からいって仕方のないことですね。
>皆様方、特に犀角独歩さんの書き込みからは、100%私の成功の体験は自慢話だ、と攻撃されると思っておりました。
そういうことではないのです。人生の成功のその影に、信心という原動力があったことは、誰も否定しないでしょう。だけど、だからといって、それが即その教団の正義というものの証明になるものではないということを、大局的にみて、もう一歩踏み込んで考えてみることはできませんか。そのことを議論として試みてきたのが、この掲示板の流れといえるのですが。
>犀角独歩さんの過去レスを読ませていただきましたが、自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向を感じます。
今の時点ではそうでしょう。だけど、かつて犀角独歩さんも、沖浦さんのように創価学会を誇りに思って信心活動をしていた時期があったわけですから、沖浦さんがここに書き連ねたられたことは、その心情はよく理解されていることと思います。もちろんこれは、ご本人に聞かなければ本当のところはわかりませんが、独歩さんだけではなく、創価学会に命懸けで人生を捧げてきた人は、この掲示板の参加者にたくさんいらっしゃることと思います。
ただし、それぞれ何か思うところがあって、脱会の道を選ぶに至っているのです。
その思うところが何なのか、なかなか言えなかったその思いというものを問題提起としてこの場に投稿し、議論を投げかけてきたのがこの掲示板なのです。そこにこの場の大きな意義がり、そこに賛同する人たちが集っているといえると思います。
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