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創価学会の功罪を考える
812
:
沖浦克治
:2003/11/09(日) 06:02
アネモネさん
あなたは以前私に体験を話すようにとのレスをされました。
私は体験を語りました。
然るに
『個人的にいえば、沖浦さんが努力をされて、名誉ある栄光を勝ち取られたことは、さぞかし誇らしかったことだろうと、心より賛嘆したいと思います。その言動力が、間違いなく創価学会の信心であったということも、まったく理解できます。しかし、それが創価学会の正義の証明になるというものなのかなあ?という素朴な疑問は否めませんね。
との発言は矛盾をしておられます。
私が創価学会員で無かったなら、世界で金メダルを取る事は絶対に不意可能だったでしょう。
たゆまざる向上心を持ちつづけることは、創価学会で学んだ事です。
私の体験に異を唱えるのであれば、あなたと関係の無いアスリートを引用するのではなく、あなた自身が何らかの方法で世界を取ってから、体験としてお話ください。
以前N選手が拙宅にまいりました。
彼も日本タイトルを持つトップリフターです。
私の家の仏壇を見て『沖浦さんは創価学会ですか!』と言ったきり黙り込みました。
数分そのままでしたが、『実は息子が創価学会に入会すると言い出し、家族で反対しているところでした。息子に入会を勧めます。』と言われました。
私個人の体験が布教に結びついているのです。
宗教の布教とはかくあるべきです。
自分は駄目であるがこの信心はすごい、等という意見はおおかしいと思います。
信心が生活に顕れなければ何の値打ちもありません。
あなたのご意見は、生活即信心とは言えないと思います。
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