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死刑制度についてひと言お願いします

1boro:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。

3119無精髭:2012/05/25(金) 03:31:19
>そうであれば抑止力を維持するためには死にざまを変えるしかない

威嚇効果などという陳腐なものにこだわらなければならないのだとしても、執行方法を変える必要などなく、
単に現行の絞首刑を公開すればすむのでは? 

世間を騒がせるような事件が起こるたびに、死刑の適用範囲を拡大しようとの声がよく上がりますが、
死刑をより残酷なものにしようという話はあんまり聞かれませんよね。いや、ひょっとしたら私が知らないだけで、
そういうことが真面目に話し合われている場ってどこかにあるのかもしれませんけど。けれど、私の現状認識
からしますと、刑罰の残酷さを増す方向でその抑止力を促すことができないからこそ昨今の厳罰化は
進められているのであって、タマさんのように刑罰の残酷さを増すことについて何の懸念も感じて
いらっしゃらない方を見ると、SF的というよりスチームパンク的な雰囲気を感じ取ってしまいます。
私たちは文明の進歩を諦め、威嚇説とか心理強制説とかで残虐な刑罰の犯罪抑止効果を正当化していた
時代に戻った方がよいのでしょうか。

余談ですが、威嚇説や心理強制説がなぜ問題視され、死刑を正当化する理由から除外されてしまったのかは
個人的に気になりますので、後々片手間に考察したことを書きこむかも。

>もちろん公務員による拷問の禁止はあるが、上記のような完全自動式であれば問題は少ないと考える

憲法で禁止されているはずの残虐な刑罰が「完全自動式であれば問題は少ない」って、意味わかんないんですけど。

もしかして、死刑に関わる公務員って刑務官だけだと思ってます?
それ以外にも法務大臣を筆頭に、死刑執行手続きに関わる公務員はたくさんいまして、
そういう事務職の存在も考えたら完全自動式になんてできるわけがないです。

どうもタマさんは、死刑執行ボタンを押す行為は憲法36条の対象となりえても、死刑執行命令書に
サインする行為は埒外だと思ってるっぽい。思いっきり勘違いしてますよ。

もし死刑が残酷な刑罰であるとされ、廃止もされたとしたらどうなるか。死刑制度上の公務員による実務は
一切なくなるはずなので、刑務官のみならず法務大臣やその下の行政官や検察官の仕事はその分確実に減る
でしょう。制度を廃止したら多くの公務員に直接的な影響が出るということは、つまり制度を廃止する以前
にはその多くの公務員が問題の制度に関与していたということを意味するわけです。

あと、死刑の執行内容を残虐なものに変えるのはいったい誰なのでしょう? 公務員しか考えられないですよね。
したがって、残虐刑導入も「公務員による残虐な刑罰」に当たるとするのが妥当な解釈なのでは? 36条を確認
すれば分かりますが、別に執行(者)について限定して規定しているわけではありません。

>このような 内 容 のみを社会に知らせておけば、「道連れがほしい」なんてことで通り魔を起こすやつも減ると考える

なぜその執行改革案では処刑の様子が非公開ということがデフォになっているのですか?
死刑は恐ろしいものでなければならないというタマさんの言い分に従えば、執行方法を変えるにしろ、
公開処刑の方がタマさんが期待する抑止効果も大きいということになりはしませんか? 

現行の処刑方法である絞首刑を完全に公開する場合と、タマさんの考案された処刑方法を内容だけを知らせて
あとは完全に非公開にする場合とでは、前者の方が抑止力が強いのではないかと私は思うのですけど。

恐ろしいとか痛そうだとか惨たらしい(あるいは可哀そう)とかいった感情は、それが隠されていて伝聞でしか
知れない時よりも実際にそれを目撃した時のほうが激しく喚起されるものと思われますので。仮に前者が後者に
勝る点があるとすれば、不安や疑心暗鬼の度合い(予断の幅)くらいでしょう。

他にもこんな提案があるのですが、いかがでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20080302/p2

>正気を疑うくらい残酷に思えたでしょう?

そうですね。「タマさんの」正気を疑うくらい「タマさんが」残酷に思えました。


>>3105
>代替案

これ、死刑より残酷なんですか?

まあ娯楽がないのはつらいかも。

理想はノルウェーの刑務所ですねぇ。

>5億年ボタン

知りませんでした。面白いですね。教えていただきありがとうございます。

3120ufloat:2012/05/25(金) 06:23:05
>>3104
無精髭さんがすでに大方反論なさっていますが、夜に大体書き上げておいたのを消してしまうのも何なので、
ほぼそのままで(無精髭さんの書き込みがなかった段階で書いたものを)投稿します。重複ありましたら失礼。

>・現行犯やハッキリとした映像記録などで犯行が明らかでない限り、本人が犯行を認めない限りは刑の執行はされない
ということは、正直者は死刑、しかも時に拷問を伴う極めて残虐なものに処され、嘘つきはそれを免れるわけですか?
浮世どころか司法ですら「正直者がバカを見る」世の中はちょっとご遠慮したいのですが。
また、
>自らの命や家族の名誉がかかっている場で痴漢冤罪のような妥協はしないでしょう
はどう考えても希望的観測以外の何物でもないどころか、拘禁のやり方によっては新たな冤罪自白メーカーとなる可能性をはらんでいます
(後述。>>3105への返信部分を参照。逆に拘禁があまり辛くないものなら、わざわざ正直に自白して拷問されて処刑される人は相当な聖人ですね)。
さらに言えば、痴漢冤罪を見るまでもなく現行犯が犯人であるとは限りませんし、「犯行が明らか」の基準も不明瞭、しかも
>犯行が明らかでない限り、本人が犯行を認めない限りは
なのですから、下手をすると「自白は証拠の女王」の時代の再来すらあり得るのではないでしょうか。

>(故意や享楽的な大量殺人に適応「死刑になりたかった」などというバカを量産しないようにガスや傷などで数日かけてゆっくりと死ぬ刑を導入)
「享楽的」とのことですから、いわゆるシリアルキラーにも適用されるのでしょうか。
絶望の中で自暴自棄となり、街中で通り魔をやって逮捕される人間には拷問を適用する一方、
人殺しを楽しんでいる神出鬼没のシリアルキラーには適用しないとすれば、どう考えても妙な話ですから。
であれば前述の通り、これではいずれ無実の人間を拷問して殺すことになる可能性が高いと言わざるを得ません。
また、やはり前述の通り、正直に自白すれば拷問されて殺され、徹底的に嘘で塗り固めればそれを免れる制度には問題がありすぎます。
さらに、決定的証拠があれば拷問されて殺されるかもしれず、決定的証拠がなければそれはほぼ免れるのであれば、
目撃者など決定的な証言者となりかねない/決定的証拠を持った者が現れた場合、犯人がその人物の口を死に物狂いで封じようとする可能性すら考えられます。

3121ufloat:2012/05/25(金) 06:25:42
あるいは、秋葉原の事件のような通り魔的大量殺人にしか適用されないのであれば、いちいち「拷問されて死刑」などと考えるほどの
余裕すらなくなっている犯人への抑止効果はないでしょうし、考えて行動する犯人が相手であれば、
「より確実に大量殺人ができて、しかも自分も確実に捕まらずに死ぬ方法」が練られるに過ぎないのではないでしょうか。
例えば刃物を銃に持ち替えるだけでも、「成功」の可能性は上がりますよね。
また、現状における死刑目的の犯人の場合は、犯行を終えた後に捕まることが目的なのでそれでおしまいでしょうが、
死ぬ覚悟はあっても捕まって拷問死刑は避けたい犯人の場合は、捕まらないための方法や手段、武器を準備したり、
万一逮捕されそうになったら徹底的な抵抗を見せて被害を拡大したり、人質を取ってでも捕まるのを回避しようとしたり、
人質を取って立てこもり、警察が踏み込むと人質と被疑者の死体が発見された、ということも発生しかねない。
もちろん、この懸念は「拷問死刑を導入すれば死刑目的の犯罪は減る」論と同じく、ただの根拠なき妄想に過ぎませんが。
それと、この場合は通り魔的大量殺人とシリアルキラー(拷問死刑を適用する境界)をどう区別するのかも不明瞭です。
「死ぬ覚悟がほしい、または社会への復讐はしたいが、逮捕されて拷問死刑は回避したい」ような犯人が増えた場合、
放火して逃げたり、爆弾や毒物を使ったり、人目のないところで殺人を犯したりする可能性が考えられますが、
これらの犯人を捕まえたら拷問死刑にすべきでしょうか。するとしたら、これらには冤罪の可能性も付随してくるわけですが。
それとも、拷問死刑だとか何だとかを考える余裕がなくなった犯人による通り魔的殺人は拷問死刑にしても、
策を練り、火や爆弾や毒を仕掛けてとっとと逃げたり、こっそり人を襲って回ったりするこれらのケースなら、「犯行が明らかでない」から捕まえても死刑執行しませんか?
徹頭徹尾矛盾している気がするのですが。

ちなみにこの問題、「司法判断で拷問死刑にするかどうか決定できる」(が、明らかな証拠なしなら死刑執行しない)のであれば最も深刻になりそうです。
そうなると理論上どんな殺人犯にも拷問死刑の可能性があるわけで、仮にとある犯人が拷問死刑は絶対回避したいと考えたら、
明白な目撃者がいたり、現行犯逮捕されれば拷問死刑の恐れ。目撃者を殺したり、捕まえようとする者を返り討ちにして逃亡すれば、
「犯行が明らかでない」からそれは避けられるかもしれない。そうなれば、犯人にとって目撃者らは殺した方が利益が大きい
(ある程度の危険を冒したとしても、積極的に殺そうとする動機づけになる)ですね。
ついでにマスメディアで「被疑者死亡のまま書類送検」という言葉を見聞きする機会が増えそうですね。
もし私が被害者または遺族ならば、きっと犯人には罪は償ってほしいし、その口で動機などを明らかにしてほしいと望むと思いますが。

>このような 内 容 のみを社会に知らせておけば
「内容のみ」?実際にはこんな運用は全く/それほどしないけど、そういう運用をしていることにしておく、ということですか?
仮にそうなら、ただでさえ密室性が指摘されている死刑をますます密室化しても、何も良いことはないと思いますが。
最悪の場合、犯人がありもしない拷問死刑におびえて死に物狂いで目撃者を殺したり抵抗したりすることだってあり得ますよね。

3122ufloat:2012/05/25(金) 06:29:57
>もちろん公務員による拷問の禁止はあるが、上記のような完全自動式であれば問題は少ないと考える
憲法三十六条のことかと思いますが。
「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」
自動式であれば残虐な刑罰が「問題は少ない」など冗談にしてもあんまりですし、そんな珍解釈は見たことがありません。
大体その理屈で言えば、完全自動式の装置を作って人を殺しても罪に問われないことになります。
「公務員が直接手を下さないからいいじゃん」などというのは、はっきり言って条文の悪用以外の何物でもない。
何のために「絶対にこれを禁ずる」とまで書かれているのでしょうか。
某百科事典であれば、「法律家ごっこ」と言われている場面です。

>>3105
正直、一体何を目的にした代替案なのかがさっぱり分からないのですが。
「死刑は冤罪の恐れがある。だから賛成できない」
「じゃあ、処刑しない代わりに死刑相当囚には毎日凄惨な拷問を与え、殺さないというのは?
それなら仮に冤罪が判明しても、死んではいないから出てくることができるし、名誉回復もできる」
自ら「死刑より残酷になりそう」と書いておられる以上、ご提案はこういうことですよね。
こんなものに同意する人が多いとは思えないというか、冤罪問題の本質が完全に抜け落ちているというか、
やはり悪い冗談にしか見えないのですが。
また、死刑廃止の際にその「死刑より残酷」な禁固を代替刑とするだけなら「論外」の一言で済みますが、
もし>>3104の案と同時にこれを適用するのならますます最悪です。
誰かを「死刑より残酷になりそう」な状況に置けば、少なくない人が「死刑の方がマシだ」と望む可能性があることは、
ご自分で「死刑より残酷になりそう」と書いているからにはお分かりでしょうから、
もはや犯人だろうが冤罪の人だろうがお構いなしに、受刑者に「自白」をさせたいのだとしか思えません。

3123ufloat:2012/05/25(金) 06:51:12
以下余談。
個人的に思うのですが、このテの主張はもはや死刑存廃問題とは独立して扱った方がよさそうですね。
そもそもこのテの主張、かの誰かサンですら「チンピラ存置派」とおっしゃる(>>2615)ようなモノで、
少なくとも、この言い分が死刑存置派の主流とは思えませんし、同意する存置派が大多数とも思えない。
であるならば、

A.死刑囚は拷問にして死刑。代替刑は死なないけど非人道的。非人道性志向。
B.死刑を存続するしないにかかわらず、必要のない非人道性は回避・軽減しようと努力する。

この両者の対立と考えた方が無難ではないでしょうか。死刑とは別個の議論として。
そして、ただ死刑存置派という理由だけでAに組み込まれる、あるいはAと自動的に共闘することは妥当ではない、と思います。

3124紫煙狼:2012/05/25(金) 13:35:26
>>3104
>冤罪は廃止しえない、人間が絡む以上絶対にエラーは起こる(中略)
>そうであればエラーを受容できる形にするしかない
「冤罪が廃絶しえないのあれば、冤罪を受容できる形にするしかない」と
言っているのであれば、方向性は2通り考えられます。
ひとつは「自分が冤罪になっても仕方がないと受け入れる思想教育」
もうひとつは「罪に問われても特段の不利益を受けない社会制度」
でも、両方とも理想からは遠ざかる結果に終わりそうです。

>考える時間が十分にあり、自らの命や家族の名誉が(中略)
>弁護士が望めば精神科への受診や投薬を行ってもいいでしょう
そこに「人間が絡む以上絶対にエラーは起こ」り得るのですよね?

結局、タマさんは冤罪という問題自体には最初からサジを投げていて、
「そんな議論は無意味ですよ、それより大事な話をしましょうね」と
話題を転換して「死刑の方法に強弱をつけましょう?」と言うわけですね。

でも、どちらにしても「冤罪は廃止しえない」とお考えなのであれば、
「冤罪が発生しているもの」として考えていただきたいと思います。
つまり、タマさんが考える一番きっつい処刑方法で冤罪被害者が処刑される。
それも想定したうえで「受容できる形に」と言う論法なら、
「言っている言葉は分かりますが、仰る意味が分かりません。」

3125ufloat:2012/05/25(金) 21:39:38
そうそう、冤罪と言えば

>>3107
>無期懲役冤罪の人は死刑じゃなくて良かったネ
実はある意味、その通りだと思うのですよね。
もちろん「良かった」わけはありませんが。

死刑と終身刑のうちどちらが有効なのか、あるいはどちらも同等程度の効果なのか。
これはなかなか難しい問題ですが、ここではとりあえず同等であると仮定しましょう。
そして、仮に両者が同等であるなら、万が一冤罪が発生した際に冤罪被害者のダメージが
より少なくなる方を選ぶという発想は、決して奇妙なものではないと思います。

もちろん、これは死刑と終身刑に限った問題ではありません。
例えば海外では最高刑を懲役25年程度に設定している国もありますが、
もし終身刑と懲役25年では差がないと明らかになれば、それは当然
冤罪被害者のダメージがより少なくなる懲役25年を選択する余地はあります。
そして未来、人間や犯罪に関する研究が飛躍的に進み、最高刑が懲役1年でも
懲役25年と同等の効果が得られるようになったなら、冤罪被害者のダメージが
より少なくなる懲役1年を選択することも、やぶさかではありません。
ま、その前に冤罪がなくなっていたら最高なのですが。

「死刑じゃなくて良かったネ」?「良」くはないにせよ、そうかもしれませんね。
足利事件が死刑であったなら、執行に至っていなかった保証はない。
であれば、死刑じゃなくて「良」くはないが、まだ「マシ」かもしれない。
できるだけ社会の安定を保ちつつ、冤罪被害者にとって可能な限り「マシ」な刑罰を
考えようとする行為は、全く自然なものです。

薬品にたとえれば、ある患者が薬を飲んでいる。しかしその薬は副作用の強さが指摘されている。
その場合、「作用が同等で副作用が軽減される、こちらの薬に変えてみてはどうだろう」
という意見が出ることはおかしくないどころか、自明とさえいえる。
そして、それに対する一般的な反論は
「いや、その薬では〜という理由で今の薬の代替はできない」
「代替の検討はいいが、薬を変えると何が起こるか分からないから慎重にいこう」
などでしょうか。いずれも死刑存廃問題では実際に見る反論ですし、妥当な反論です。
が、しかし。
「薬というものには必ず副作用がある。副作用があるのがダメとかいうのなら
この世に存在する薬全部をなくしてしまえ!」
これに至っては話にならないどころか、一歩間違うとコントです。

この例で考えると、
>>3108
>その一例「冤罪が理由で死刑に反対するということは〜
「この薬は副作用がより強いので、現状での使用には反対する」と主張しつつ、
薬の副作用を緩和する研究も進めることは、おかしくないどころか真面目な行為ですね。
むしろ、「副作用が強いからその薬は使うなと言いながら、その薬の副作用を
緩和する研究をするのはおかしい」と主張する意見の方が相当奇妙に感じます。

3126雄峰:2012/05/27(日) 15:25:46
だからさ、凶悪犯一人を養っていくために1円支払うぐらいなら、
凶悪犯一人を殺すために1000円支払う事を厭わないのが
普通の感覚だと思うよ?

3127無精髭:2012/05/27(日) 19:05:44
>>3126
「普通の感覚」という言葉の意味が判然としませんが、ご指摘が
太宰メソッドに当たらないと好意的に解釈した上で、「普通の感覚」
について「ほぼ全ての国民が個人単位で持つ共通的価値観」だと
仮定して考えてみました。

結論としては、私は雄峰さんのご意見には賛同しかねます。

いや、個人的な感覚からそう思っているのではなくて、一応
世論調査を踏まえた上での意見です。以下根拠を示します。

平成21年に行われた死刑に関する世論調査(該当者数1944人)によりますと、
存廃の賛否に関する三択では以下の通りの結果が出ましたが

 「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」・・・5.7%
 「わからない・一概に言えない」・・・8.6%
 「場合によっては死刑もやむを得ない」・・・85.6%

上の存置派(85.6%→1665人)に対して「将来も死刑存置か」と
問うてみたところ、以下の通りの結果が出ました。

 「将来も死刑を廃止しない」・・・60.8%
 「わからない」・・・5.0%
 「状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよい」・・・34.2%

こうしてみますと、雄峰さんが>>3071でお示しいただいたことが
必ずしも現状に即していないのがお分かりになりませんか? 

雄峰さんが想定されているであろう、「いかなる状況下でも『死刑以外に
選択肢は無い』と考える存置派」が世論調査上国民全体を占める割合は、
実際には約5割に留まっています。この程度では「普通の感覚」をそこに
仮託するのは厳しいでしょう(「約5割」は「ほぼ全て」を意味しませんので)。

対して、「状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよい」という
存置派に廃止派を加えた数は全体の約3割です。言い換えれば「殺さずに
済むなら殺したくないと考える人」は決して少なくないのです。

ましてや、存廃について「わからない・一概に言えない」と回答した人々や
将来も死刑存置かという質問に「わからない」と答えた人々にとって

>凶悪犯一人を養っていくために1円支払うぐらいなら、
>凶悪犯一人を殺すために1000円支払う事を厭わない

と感じることが普通であるとは、現時点では誰も断言できないことのはずです。
だいいち、先のアンケートでは死刑コストについては一切触れられておりません。

ただ、雄峰さんの例で行きますと、死刑囚に総額10兆円以上はつぎ込んでいる
計算になるかと思われますので、そうなってくると他の歳出との比較関係上、
廃止はやむをえない、でなければ少なくとも廃止を前提に熟議すべし、となるのが
国家運営のあり方としては普通だと思われるのですけど、いかがでしょう。

もしそういう国家方針にすら逆らう国民感覚が普通なのだとしても、それは
国民自らが財政破綻を企図しているに等しいので、政治家が国民をどう説得
できるかに懸かっているのではないかと。

いずれにせよ感覚を問題の中心にすえてしまうと往々にして議論にならないですね。

3128無精髭:2012/05/28(月) 00:37:48
先回のレスにも誤記がありました(恥

>こうしてみますと、雄峰さんが>>3071でお示しいただいたことが

慣れない敬語は使うもんじゃないですね...。


ところで話は変わりますが、死刑廃止派に向かって

 「タクマみたいなやつも死刑にしないんだな?」

とか、

 「何百人何千人殺そうが処刑されない国にしようって腹なんだな?」

とかいった非難を放つ人がいますが、あれってどうなんでしょうねえ?
廃止派側の返しは無論、

 「死刑廃止論ってそういうものですから(キリッ」

しかありえませんよねえ。そんなの死刑廃止論を少し勉強すれば
わかることで、わざわざ議論で相手に聞くことじゃないですよねえ。
んなことを聞くのは自分の無知とか不明を晒しているだけですよねえ。

でも、驚いたことというか困ったことに、廃止派にもその点を勘違い
している人がいるみたいなんですよねえ。

 ttp://twilog.org/tweets.cgi?id=motoken_tw&word=%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%BB%83%E6%AD%A2

そうなのです。廃止派になるための敷居はスゴ〜〜ぉぉおおっっく高いのです。

老婆心ながら忠告しますと、なにがなんでも死刑にしたいおーって思ってる人は
廃止派と接触しようなんて時間の無駄ですからやめたほうがいいですよ。

早い話、存廃議論というのはいわば、

「死刑にせずに済むなら死刑にしないと考える人」と「絶対に死刑にしないと決めている人」

がお互いを理解しあう場ですから。そこに「なにがなんでも死刑にしようぜ派の人」
の居場所はないです(実際、ここが存廃議論の場であるかどうかは別として)。

ちなみに、死刑廃止派と死刑慎重派は議論できそうだけど、
死刑推進派と議論できそうな人はいないんじゃないですかね。

推進派は廃止派を邪魔者としか思っていないでしょうし、廃止派は推進派の考えを議論対象
(存置の論理:コンスタティブ)としてではなく救済対象(犯罪被害の叫び:パフォーマティブ)
として見ていますしね(これがまた推進派を苛立たせる要因なのかもしれませんけどねえ)。
 ttp://togetter.com/li/183517

以下、死刑推進派の存置論(といっても犯罪被害者遺族によるものばかりですが)。

 ttp://shuchi.php.co.jp/article/555
 ttp://www.moj.go.jp/content/000056302.pdf
 ttp://www.navs.jp/nl/nl_42/nl_42_02.pdf

 岡村顧問が「死刑執行命令権を法相から検事総長に移す」ことを提案した論文
 ttp://www.navs.jp/2011-10-14t.jpg

 ※ところで、リンク先で名前が挙がっている佐々木和子さんの死刑存置論ないし死刑廃止反対論
   ttp://www.sasaki-law.com/memberof/concern7.htm
  の中の「廃止国における現場射殺(=簡易死刑執行)多発説」ですが、
  廃止派・存置派の論客から相当手厳しく批判されています。
   ttp://togetter.com/li/90275
   ttp://togetter.com/li/124877

あすの会や岡村氏に対する疑義や批判も
 ttp://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/7138434.html
 ttp://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/7320875.html
 ttp://togetter.com/li/105062
 ttp://togetter.com/li/105867

以上読んできますと、どうも推進派内には慎重派の居場所はないみたいですが、
それよりも私が気になったのは、法務大臣の執行権限(義務?)に関する箇所かな。
これについては次回書きます(冤罪死刑に関することは後回しになるかも)。

3129雄峰:2012/05/28(月) 09:45:41
 ゴキブリの出る部屋を家賃月30000円で借りるより、ゴキブリの出ない部屋を
月31000円で借りるでしょ?不動産屋に「ゴキブリは居ますけど、借主には
一切迷惑かけませんから」と言われてもねぇ。
 世論調査して言っているわけではないから絶対と言う自信はないですけど、
コスト比で「死刑を廃止した方が安価である」ことが分かっても、
よほど差額が大きくなければ死刑を選択するだろう人々は少なくないはずですよ。
 死刑のコストだって、執行するまでの時間を短くすれば今よりは下がるんじゃない?
再審請求していようが無視して、確定後半年以内に執行していれば下がるでしょ。
それに、死刑の犯罪抑止効果を信じて疑わない人々が納得して死刑を廃止するには
抱き合わせで新しい制度を導入なければならないでしょ?その部分のコストを足したら、
仮に死刑を残すより安価に収まるとしても、コスト差は一層縮まるよ。
 だから、死刑にすれば安上がりって勘違いを指摘するのは大事だけれど、
それが存置派の気持ちを揺るがすかって意味では疑問。

 タマみたいに残虐な刑罰導入のためにコスト増大することを厭わない人もいるでしょ?

3130無精髭:2012/05/29(火) 00:44:14
>>3129
>コスト比で「死刑を廃止した方が安価である」ことが分かっても、
>よほど差額が大きくなければ死刑を選択するだろう人々は少なくないはずですよ。

>だから、死刑にすれば安上がりって勘違いを指摘するのは大事だけれど、
>それが存置派の気持ちを揺るがすかって意味では疑問。

概ね同意です。その点については、>>3115でお書きしたとおりです。

遠回しな表現で分かりにくかったかもしれませんが、私は死刑存廃をコスト問題に
回収しようという意見には基本的に反対しておりますし、大抵の人たちもきっと
そんなことで死刑の是非を決めようとは考えていないだろうと踏んでおりました。

しかし、だからといって「コストで決めようとするのはヤメロ」なんていう資格は
誰にもないですし(言論圧殺になりますから)、実際のところコストを論点に
死刑の是非を決めることにどれほどの人が反対しているのかデータがない以上、
それが誰にとっても無駄であると決まったわけでもないので、一応まじめに
付き合わにゃならんな、と変な気を起こした次第です。まあ、かなりの部分は
余計だったかもしれません。

ところで雄峰さんから見て、にch炭さんはどのような存在なのでしょうか?
本心では凶悪犯なんかゴミかゴキブリみたいに穢れているから一刻も早く
この世から抹殺したくて仕方がないと思ってるのだけど、かといってそれを
そのまま口に出したら人間性が疑われちゃうなどと気後れを起こしたために、
「税金がぁー」とか「他に救える命がぁー」とか適当に聞こえの良いことを
言ってごまかしている、逆にそれが見栄も外聞もなく強弁を張っているように
見えてしまうところが大変見苦しい、そんな存置派の一人であるとの評価でしょうか?

一体にch炭さんに対してどんな評価がふさわしいかについて、私にはさして関心
がありません。しかし、べネフィットやらメリットやらを論拠にしているのが
誰の目からみても明白な以上は、その論旨に沿わない批判を向けるのは論点ずらし
になりかねません。

あるいは、私が行ったようなトリビアリズムの色濃い批判でも、コストを理由に
死刑に賛成する人に対しては意味があるのではないでしょうか。

にch炭さんも>>3093

>私が死刑存置派である理由は死刑存置のほうがメリットが大きいと思うからです
>なので死刑廃止のほうがメリットが大きいとわかれば死刑廃止派になります

と仰っていることですし、これが嘘であるとは証明不可能なので。

注意していただきたいのは、私は、にch炭さんの気持ちを揺るがすために
一連の批判を書いたわけではありません。そんなことには何の意味も
ないでしょう。というのも、にch炭さんのことを標準的な存置派だとは
全く思っていなかったので(それについても一連のレスにてやや婉曲に言及しました)。
にch炭さんへの批判が、よもや雄峰さんがイメージされているような存置派全体にも
当てはまるなどとは夢にも考えておりませんでした。にch炭さんが私の批判を
読んで意見を変えようが変えまいが、そんなことはどうだっていいのです。

また、どう見てもにch炭さんの廃止派批判は正当なものではありませんでしたので、
それについてはかなり厳しく指摘したつもりです。ハッキリ言って相手を・議論を・
存廃問題を舐め過ぎだと思います。

3131無精髭:2012/05/29(火) 00:53:24
雄峰さんは>>3102で書かれているような評価を下すことでご満足なのでしょう。
しかし、>>3037でも申し上げたように、私には、ネットでの匿名人物、あるいは
議論相手に対して雄峰さんが考えているように考える傾向がありません。雄峰さんと
私とでは、存廃問題に対するスタンスばかりか、議論に対する価値観や論述スタイル、
はては事実の捉え方や倫理観まで異なるようです。ちなみに、紫煙狼さんについての
評価にもだいぶ齟齬があるようです。

>死刑のコストだって、執行するまでの時間を短くすれば今よりは下がるんじゃない?
>再審請求していようが無視して、確定後半年以内に執行していれば下がるでしょ。

そういう意見は>>3128で書きました「死刑推進派」に他なりません(ちなみに世論調査で
5割いるとされた「将来も死刑を廃止しない」派にも、現状維持派とか穏健派とか、もしくは
タマさんのような改革派などが混在していると思われますので、死刑推進派の実数はおそらく
もう少し少ないかと)。そのように理想の高い人を説得することはできないでしょう。

もうすこし現実レベルの方に話を落としますと、死刑のコストで主に問題視されるのは、
判決から執行までの費用ではなく、それ以前の(再審を含む)訴訟費用の部分でして、
しかも日本の場合はその点について一切ヒミツなので何ともいえない、というのが実状かと。
が、仮に仰るような運用にした場合、その反動で司法側で死刑判決を出すのにより慎重に
なるかもしれず、その結果裁判が長引くことなどで訴訟コストが今よりかかるかも
しれませんし、もしかしたら死刑判決が減った分無期懲役判決が増えて行刑コストが
著しく下がるかもしれません。ただ、それを現在の死刑コストと比較するのは、はっきりした
ことが何も分かっていない現状では、しょせん妄想の域を出ないと思います。

>タマみたいに残虐な刑罰導入のためにコスト増大することを厭わない人もいるでしょ?

要は、タマさんみたいな方がどれくらいいるか、ですね。廃止派より少ないかもしれませんし。

3132無精髭:2012/05/29(火) 01:08:20
ちなみに、懲役囚のコストについてはこれがすごく参考になりました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1122710291
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1454578839
案外安いでしょ?


さて、余計なことをしゃべったついでに個人的なことも少し話しますか。

私が存廃議論をするのは自分のためなんです。断じて人のためではない。

存置派だろうが廃止派だろうが、相手の信念まで変える気にはならんですね。
ハッキリ言って、この手の説得はめんどくさいに尽きる。

私が相手に求めるものがあるとすれば、それは結論の変化ではないんです。
同じ結論でも構わないからもっと熟慮してほしいんです。
簡単に殺すとか言わないでほしいんですね。

私が相手に求めるのは熟慮した上での決断です。それさえあればいい。

3133無精髭:2012/05/29(火) 01:26:09
今回書いたことをわかりやすくまとめます。


雄峰さんが言いたいことっていうのはたぶん二つあって、

一つは

代替刑は税金の無駄無駄無駄ァァァッーーーってしつこく言ってくる存置派に向かって、
いやぁ死刑のコストとそんな変わんないですよー、とか、運用次第では死刑よりも安上がりですよー、
とかバカ正直に反論しても、実はその存置派は先の理由とは別の理由で死刑を存置すべきだと
考えているから意味がないよね?

って話でしょう。

いや、私は上記のような存置派を説得したり論破したりしたかったわけではなくて、廃止派とか、
死刑存廃に興味はないが税金の使われ方には大いに関心がある人を説得するにはそんな杜撰な
やり方では無理だよ、ってことを言いたかったんですね。

あと一つは

雄峰さんがイメージされているような存置派が主流だとして、それを説得しないことには
廃止は無理だよね?

ということかと思うのですが、この問題は難しいですねぇ。

雄峰さんは勘違いしてますよー、あなたの思ってるような存置派はほんの一部で、
ほとんどの存置派は廃止論にも理解を示すことができる人たちですよー、
ってことをできるかぎりたくさんの実例を挙げ、充分な説得力を以って論じられたら、
雄峰さんの疑問は退けられるかと思われますが、とても難しいことですね。

あるいは雄峰さんの認識が真実だとすれば、もうどうしたらいいのか皆目見当もつきません。

ただし、たとえ廃止への道に「主流存置派」の説得という壁が立ち塞がっているのだとしても、
死刑存廃問題を考える上で(存廃議論を行う中で)、ただただその多数派を説得するためだけに
リソースを割くっていうのもどうかなって気がします。

一方で、データ上でいうと先の存置派の半分くらいの人数ですけど、話の分かる存置派って確実に
いますからね。廃止派にしてみれば、そういう人たちを相手に議論するほうが有益なのかもしれません。

死刑廃止については主流存置派の合意を得なければ無理でしょうけど、代替案を成立させるのは
別に立場を超えてでもできることですし、必ずしも国民の5割を超えなければならないわけでは
ないです。廃止派としては、推進派の要求に無理に従うよりも、慎重派と関係を強めたり議論を
重ねたりすることを優先すべきなのかも。

3134紫煙狼:2012/05/29(火) 01:38:40
雄峰さんは「凶悪犯を死刑にするためなら1000円出すのも惜しくない」の
ようなことを言いましたよね?これはあくまで例え話だったとしても、
「処罰のための増税は受け入れる」という意味で捉えさせてもらいます。

でも、それを被害者や遺族の救済のために使ったほうが良くないですか?

なのに、どうもタマさんや雄峰さんの気持ちは加害者処罰のほうに向いている。
これは何故なのか、って考えました。そして、実際は違うかもしれないけれど、
私なりに考えた結論は、タマさんも雄峰さんも、被害者や遺族の気持ちを考えて
処罰を求めているわけではない、って事です。

では、誰の気持ちを代弁しているのですか?
誰の変わりに怒りを覚えているのですか?

そこを教えていただきたいと切に願います。

3135無精髭:2012/05/30(水) 02:00:26
>>3131

>(上略)もしかしたら死刑判決が減った分無期懲役判決が増えて行刑コストが/著しく下がるかもしれません。

と書きましたが、「上がる」としたほうが(文の流れから見ても)分かりやすかったかも。ただ、その後のレスで
紹介した懲役刑のコストを念頭に置いておりましたから、期待値もこめて、著しく下がるんじゃね? と書いて
みました。しかし、下がるかどうかはともかくとして、死刑囚なんて刑事施設収容者全体の0.2%弱しかいません
から、その大半が無期懲役囚になる可能性を鑑みても、大きな影響はないと考えるのが妥当ですね。「著しく」
なんていうのはさすがに言いすぎでしたね。申し訳ありませんでした。

無期懲役求刑の裁判の方が死刑求刑のそれよりコストが低いだろうということをも考慮した場合、無期判決の
増加で(行刑コストではなく)訴訟コストが下がるのはまあご納得いただけるのではないかと。しかし
行刑コストを比較するとなれば、先回私が不用意に書いたような結果が出るとは一概に言えないですね。
現在の判決後における死刑運用と無期懲役運用とでは期間が長くなるにつれてその差は小さくなっていく
でしょうし、ある時点で死刑のコストが無期懲役のコストを上回る可能性が高いかと思われますので。
とはいえ無期懲役囚とは違い、判決から執行までの死刑囚の生活にかかる費用については何度も言うように
憶測でしか語れませんので、どちらの行刑コストが高いかについても決定的なことは何も言えないという
ことに変わりはありませんが。

ちなみにこういう記事を見つけましたが、
http://blog.goo.ne.jp/koyakikaku/e/e32f7411e31cdaf4aa30a3c27fd7f857
今では厳罰化によって死刑の行刑コストが下がっていないだろうことは
厳罰化後の死刑確定と執行の推移を見ても明らかではないでしょうか。
2003年末の厳罰化以来、死刑確定数が執行数を上回った年は2008年だけです。
未決囚の増加は顕著ですが執行はなかなか追いつかない、というのが現状でしょう。

3136無精髭:2012/05/30(水) 02:03:45
シェンさんのレスで、そもそも今回の議論の発端となったテーマは
「加害者の被害者に対する償い」だったことに気がついた...。

タマさんや雄峰さん宛てにレスを書いているときは意識していなかったのですが、
にch炭さんを批判するのにあれこれ考えているときには「失業者とかホームレスより
被害者とか遺族を救おうという発想が出てくるのが自然じゃないか」とも思いました。

もしにch炭さんがそういう提案をしていたら、中嶋博行氏の提案
http://takapan.nobody.jp/hon/h_tumitobatu.html
http://www.wafu.ne.jp/~windtown/books/b040925.html
をぶつけて相対化してみようと考えていました。

ただ、紫煙狼さんがすでに>>3056-3059を書かれていた後では、中嶋博行氏の提案を
紹介したところでほとんど意味がなかったかもしれません。

さて、シェンさんが疑いの視線を向けている雄峰さんの言動についてですが、加害者処罰の
ための増税を厭わないと仰っているだけで、被害者(遺族)救済のための増税を厭わない
とは一言も仰っていないので、シェンさんに対しては「とうぜん被害者や遺族のための
増税もすべきだと思うよ?」と反論なさって終わりなのかも知れません。もしそう来られた
際には、無論シェンさんとしては、「いや、加害者処罰の増税分も被害者(遺族)救済に
回すべきじゃないですか?」と仰りたいところでしょうけど。

あと、先に触れたように直近のやり取りにおいて刑罰と償いを分けるとの話の流れがあったので、
タマさんはともかく、雄峰さんが償いについて言及されなかったのはいたしかたなかったのかなとも。
ただ、雄峰さんからの応答がない時点でいちいち口を挟むべきことではないかもしれませんが、
雄峰さんと数度やりとりして見えてきたのは、どうやら雄峰さんには、被害者や遺族を含む
一般市民は、甚大な被害をもたらした犯罪者に対し厳罰(加害者の死)を望むのが当たり前
というかなり強力な前提があるらしいということです。代弁しているというよりも常識を
説いているという自覚が強いのではあるまいかと。

私は、死刑存置派にも様々なグラデーションがあるのと同様、犯罪被害者や遺族にも色んな
人がいるでしょうし、犯罪被害にも様々なケースがあると考えますから、雄峰さんのように、
自分はこうだ、大半の人はこうだ、(例外的な事例についても)こういうふうに考えるのが
普通だ、という観点から物事を効率よく評価し処理していくのはどうも肌に合いません。

また、私はシェンさんとは違い、雄峰さんが結局のところ誰の・どんな特定の集団の主張
なり感情なりを代弁しているのか、そもそも代弁なんてしているか、には興味がありません。

ですが、雄峰さんが真面目で正直な方であるとの印象は受けましたので、こちらも
礼を尽くすなり真剣に助言するなりの行為を怠ってはならないでしょう。なので、何度も
繰り返しますけど、雄峰さんのような存置派が自らの理想を実現したいのであれば、
廃止派や慎重派とやり取りするよりも、もう少しご自身と考えや立場が近い存置派と
やり取りするほうが実利的かと思います。

3137無精髭:2012/05/30(水) 02:34:46
そういえば、新美南吉の「ごんぎつね」の話が出てましたけど、
対抗して(?)宮沢賢治の「ツェねずみ」なんてどうですかね?
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1949_18526.html

いや、冗談のつもりはなくて、以下の記事を読んだからなんですけど。
http://unkar.org/r/newsplus/1199160252
言葉が出ません。

償いについては今のところこういう方向で制度づくりを目指すのが順当ではないかと思ってます。
http://www.news30over.com/archives/2572335.html
まあ、考えとか配慮の足りない人が多いようで落胆頻りですが。
でも、良心的な意見やちゃんと制度の意義を理解したコメもあって
救われる気持ちもします。

3138無精髭:2012/05/31(木) 08:12:35
>>3135未決囚

裁判中、あるいは判決が確定していない者の他に、判決を受けてから
刑が執行されるまでの期間拘禁されている者も含んだ、広く多様な
意味を表す総称だと誤解しておりました。どこかでそのように使われて
いたのを記憶していたのですが、後者の意味に限定するなら「未執行者」
「(死刑)確定囚」あるいは単に「死刑囚」とすべきでした。ちなみに
前者の意味をもつ呼称には「未決死刑囚」「死刑未決囚」「死刑判決
未決囚」などがあり、特にこれと定まっているわけではないようですね。

3139雄峰:2012/05/31(木) 23:26:20
おれ自身は、聞く耳があると言いつつ、聞く姿勢が出来ていない
にch炭やタマと話すより、無精髭さんや紫煙狼さんと話すほうが
何倍も分かり合えるって感触を持っていました。

おれの立ち位置は結構紫煙狼さんに近いと勝手に思っていて、おれも
死刑存置をまじめに考えるほど、多くの死刑存置論者のいい加減さが
ハナにつくというか、口先だけの存置論にイラついています。

このまま死刑を存置するにしても、慎重に適応すべきなのは大前提で
みだりに適応範囲を広げたり、より残虐な方向へもっていくのは
バカの考えることだと思います。だから、死刑制度を真剣に考えて
結論が廃止だった人たちには「もっと考えろ」と求めておきながら
自分は判で押したようなテンプレートをくりかえすだけでいっぱしの
廃止論者を気取っているヤツが多すぎます。

毎日のように新しい観点からの死刑廃止論者が生まれているのに、
大昔からずっとお題目を繰り返すだけで何の進化も無い存置論?
存置論者は廃止論者を論破した気分になって調子こいているけど、
でも実際は論破できていなくて、耳を貸していないだけじゃないか。
ってか論破って考え方じたいが題意にそぐわない。

でも、おれはやっぱり存置論者で、紫煙狼さんの言う諸問題を
解決してなお、残すべきだと思っています。次に書き込むときは
おれの考える「残す理由」を書きます。

3140紫煙狼:2012/06/06(水) 00:13:48
>>3139
急がなくても構いません。
続きの投稿を楽しみにお待ちしております。

3141トリム:2012/06/07(木) 22:08:53
私は死刑はあって当然だと思いますけどね〜。
普通に考えて、被害者にとって凶悪犯罪の加害者は殺しても殺したりないほど憎いし、出所したらまた犯罪を起こすかもしれないと思うと、とても外に出す気にはなりません。
死刑廃止派の人は家族や自分がもの凄い残虐な方法で殺されたりしても、相手を生かして許せるだけの広い心をお持ちなのかしらと純粋に不思議に思います。

3142紫煙狼:2012/06/08(金) 13:35:56
>>3141
>被害者にとって凶悪犯罪の加害者は殺しても殺したりないほど憎いし、
被害者や遺族の被害感情「殺しても殺したりない」のために
死刑を残すとすれば、被害者や遺族が「殺してくれて好都合」と
思っている場合はどうしましょう?

少なくとも、国家が国民の名の下で死刑を執行するのであれば、
それは「極めて一部の人々の感情」のために行う物であっては
いけないのではないでしょうか?

>出所したらまた犯罪を起こすかもしれない
死刑にせずとも「出所させない」という選択肢は残されませんか?

>死刑廃止派の人は家族や自分がもの凄い残虐な方法で殺されたりしても、
>相手を生かして許せるだけの広い心をお持ちなのかしら
私個人の感情で話をすれば「絶対に許さない」と思いますよ。
広い心だなんてとんでもない。むしろ、とてつもなく狭い心なので、
犯人がどのような償いをしようと、犯人が残虐な方法で処刑されようと、
絶対に許さないし、これっぽっちも気持ちにケリはつきません。

逆に…。

死刑存置派の人は家族や自分がもの凄い残虐な方法で殺されたりしても、
相手が死刑になるなら許せるだけの広い心をお持ちなのかしらと純粋に
不思議に思います。


感情面を優先して死刑の要不要を論じるのは危険です。

3143紫煙狼:2012/06/08(金) 14:11:02
あくまで個人的な感情の話ですが、私にはとても憎んでいる人が居ます。

今、私が呼吸している空気の中に、そいつの呼気が数兆・数千兆分の1でも
含まれているのなら、むしろ、窒息死も辞さない、というほど憎い相手です。
思い出すのも虫唾が走る、できる事なら、宇宙の遠くに隔離して欲しいほどの
憎い相手です。

でも、私がそいつを憎んでいる、ということと、そいつの命を奪う事が許されるか、
ということは全く別次元の話です。「国家がそいつを処刑してくれる」または、
「私がそいつを殺しても情状酌量される」のに必要なのは「私がどんなにそいつを
憎んでいて恨んでいるか」という事実より「そいつが何をやったか」です。
(まるっきり、逆恨みって場合も考えられますからね?)

つまり、死刑制度を肯定するにしても、それは被害感情に根差す理由を主に据えて
考えるべきではないのです。「許せる・許せない」の問題ではなく、
「社会のために必要不可欠か・否か」と考えて「死刑以外に手段がない」場合にのみ
「やむを得ず」選択されるものでなければならない、そう思います。

3144無精髭:2012/06/11(月) 02:41:47
自己レス>>3135
>現在の判決後における死刑運用と無期懲役運用とでは期間が長くなるにつれてその差は小さくなっていく
>でしょうし、ある時点で死刑のコストが無期懲役のコストを上回る可能性が高いかと思われますので。

 現在の判決後における死刑運用と無期懲役運用とでは[後者の]期間が長くなるにつれてその差は
 小さくなっていくでしょうし、ある時点で“無期懲役のコストが死刑のコストを”上回る可能性が高い

とでも書くべきでした。なんかこれよりもずっと複雑なことを書こうとして失敗した感じです。
たとえば以下のようなパラメータをぶち込んでみようとしたり。

・判決から執行までのコストと一生涯続くコスト(仮釈放中の保護観察のコスト、他にも生活保護を支給する可能性等を含む)
・死刑判決が減った分、無期懲役判決が増えるとした場合の行刑コストへの影響
・死刑コスト単体(部分)と無期刑コスト単体(部分)の比較
・死刑コスト全体と無期刑コスト全体の比較
・無期刑の方が安くても長引けば無期刑の方が高くなる可能性(算術級数的なコスト増加)
・実は最初は死刑の方が安いが長引けば死刑の方が高くなる可能性(幾何級数的なコスト増加)
 etc.

実際は頭の中で観念を弄り回していただけでしたけど。

3145無精髭:2012/06/11(月) 02:43:48
このスレでも何度か話題に上っている、死刑執行命令書に署名しようとしない
法務大臣の問題について、これから書きます。

シェンさんも過去に何度も取り上げていらっしゃいますが、一応復習も兼ねて
事実確認からさせていただきますね。

法務大臣が死刑執行命令を下さないのは法律違反だ、と巷ではよく言われているようですが。

 http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2007/10/post_7718.html
 http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/c21720af15d8c4a02611ff9b538c30b1
 http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-625.html

要は、刑訴法475条2項は判例や法務省の見解からいって訓示規定にすぎないから法務大臣が
死刑執行命令を下さないとしても法的に何ら問題はない、ということです。

なるほど。でも、まだ納得できません。「少なくとも職務怠慢とか職務不履行とかには
当たるんでない?」という疑問が出てきますよね。

 http://d.hatena.ne.jp/snowdrop386/20080622/p2

行政は司法から刑事的措置に対する許可、言い換えるとその正当化根拠をもらうために訴訟を起こす、
そういう決まりがあるだけなんですね。

ところで、冤罪は司法の問題であって死刑存廃に絡めるのはおかしい、という意見がありますが、
上記の考えを当てはめれば、行政府にとっては司法府は単に自分たちが行うことの言い訳を考えて
くれるだけの存在でしかないですから、せいぜい司法府に期待できるのは誤って無実の人を有罪に
して死刑判決を下さないように努めてもらうことくらいでしょう。間違って無実の人を死刑囚として
拘留し執行しちゃうリスク管理まで司法府に丸投げしようなんて趣旨の発言をすることのほうが、
行政府の失態・怠慢を許すことに繋がるかと思われます。冤罪問題全体を司法の責任に帰するなんて
いくらなんでも無責任すぎます(苦笑)。

さて、話を元に戻す前にもう一つだけ重要なことを。

死刑存廃問題について考えたい・議論したいといっても何の知識もないのにできるわけがありません
(いや、できると思うのは勝手なのですが、ただ、それに付き合わされる人には少なからず迷惑が
かかるでしょうから、少しは自分で調べたり考えたりしたほうがよいです)。

死刑議論ってどんなもんだろ? とネットをちょっとでも散策すれば、存置派を名乗る人たちと
廃止派を名乗る人たちが実に賑やかにやり取りしているのを簡単に見つけることができるでしょう。
しかし、それを見て、あぁ廃止論(存置論)ってこんななんだ、などと悟ってはいけません。
廃止論を知らず、その本質が何たるかを少しも理解していない自称廃止派、廃止派批判をして
存置論を説いた気になっている自称存置派、死刑存置の主体が自分たち国民ではなく国家であるのを
まるで分かってなく、その国家について実にお粗末な理解しかしていない(上で挙げた、日本は
民主主義だー、という類)自称廃止派と自称存置派、こういう輩の話にいくら耳を傾けても
得られるものはほとんどありません。

とはいえ、死刑存廃に関する言説はネット上にいくらでも転がっていますが、なかなかよいものが
見つからないので、えてして安直なものをつまみぐいして中途半端に知識を固めていく、という
ことになることが多いのかもしれません。

3146無精髭:2012/06/11(月) 02:48:53
法務大臣の件について私が色々調べた限りでは、以下の二つのブログで示されている見解が
大変参考になりました。

 http://lucius.exblog.jp/3713988/
 http://lucius.exblog.jp/3783677/

上記によれば、法務大臣は法務行政を執行する行政機関であると同時に、内閣の一員として法務省所管の
法令を立案する役割を持つし、裁量権も認められている、と。

公職者が個人的な思想、信条、宗教観を職務上の義務に優先させることは許されないのは確かなのですが、
死刑を廃止または停止するための立法権の行使と、それを実現するまでの間、裁量で執行を一時差し控える
といった行政権の行使を兼ねている場合に限り、法務大臣が死刑執行命令書に署名しないというのは
充分裁量権の範囲内にあると解釈できるとのことであって、そういうケースにまで職務怠慢だの不履行だの
といった批判を向けるのは不当であるという説ですね。

また、死刑廃止論者であれば死刑を廃止するために具体的な努力をすべきであって、それができなければ
辞任すべきである、と。

あと総理大臣の立場にある者としては、廃止論者を法務大臣として任命する以上、死刑執行はありえない
ということを心得ておくべきかと思うのですが、たとえ廃止論者でも法務大臣として任命された以上は
職務を果たすべきなどといった、ある意味で「甘い」認識に立っているのであれば、そういう点での自らの非は
さっさと認め、死刑執行命令書にサインしない者をとっとと罷免して、自らの任命責任について釈明なり何なりを
すべきでしょう。

ちなみにこのブログには死刑存廃議論のやり方についてやさしく解説している記事もあり、
そういうところも気に入っています。ただ惜しむらくは五年以上更新されていません。

次に挙げるのは死刑廃止論者の言説。

 http://blog.goo.ne.jp/kobashm/e/b396a8203eafd2386171fa84029a8dc9

上記と同様、法務大臣が個人的な信条から死刑執行を命じないことには職務上問題があるということを
概ね認めつつも(執行命令を出さないのであればなぜ出さないのかについて説明責任を負うべきである
としつつも)、憲法19条の思想・良心の自由は公職者であっても保障されるべきであろうし(ただし、
国務大臣のような政治職に伴う説明責任の存在によって、思想・良心の自由に含まれる「沈黙の自由」は
一定の制約を受けてもおかしくないのだそうですが)、また死刑執行命令は法務大臣の数ある職務の一つにすぎず・
しかも例外的な職務といえることから、自らの私的信条に反する職務を拒否したとしても、法務大臣としての
適格性までが損なわれることはない、とします。

ちなみにこの死刑廃止論者のブログは、私が知る限りネット上の死刑廃止派関連のもののうち最良のものだと
思います。死刑廃止論について体系的に勉強したければウィキペディアやアムネスティなどよりも先に
このブログを読むべきです。特に「死刑廃止への招待」と「犯罪と非処罰」の連載が必読。
 
 http://blog.goo.ne.jp/kobashm

3147無精髭:2012/06/11(月) 02:55:03
私見では、法務大臣の役割について議論する先に死刑存廃が見えてくることはなさそうです。

たとえば刑訴法475条2項を削除するだけだったら廃止派にとってはむしろ好都合ではないかと。
執行命令を出すのを渋る法務大臣に対して文句を言ってた人々にとっては論拠がなくなっちゃう
わけですから、早い話、法務大臣のプレッシャーが解消されますよね。一方で推進派にしてみれば、
どうせ削除するなら475条全文削除したいんじゃないですかね。それさえなければ同法472条が
死刑についても適用されることになるでしょうから(上で挙げたあすの会の主張がこれで実現する
ことになります)。

ただどちらも法務大臣問題、刑訴法問題について新たな規定を設けたり法改正で対処しようという気は
おそらくないのでしょう。死刑廃止を国家主導で行うにしても(というか、日本の場合は国家主導*でしか
ありえないと思いますが)、たぶんフランスのように実現する見込みは薄いかと。

 *正確に言えば国家主導ですらありえないかも。外圧の影響で国家が死刑廃止を
 主導するのではなく、外圧を原因に国家が死刑を廃止しそうなので。

ですから私は、法務大臣の件を死刑存廃問題に紐付けて論じるのには反対、というか
全くの無駄だと思っています。少なくとも廃止派がやるべきことではないです。

この件をきっかけに国民が死刑存廃に関心を持つんじゃないか、だからこの件を取り上げるのは
死刑存廃問題を考える上でも意味があるんじゃないか、といわれそうですが、私としてはそんな
時代はもう終わりましたと強く訴えたいですね。だって、ほとんどの国民は法務大臣の個人性と
未執行死刑囚が溜まっていることの関係くらい、もう知ってますし。なのに、国民の死刑への
問題意識や関心は深化しているとはいえません。いつまで経っても国内の議論は現状のままで
時間だけが無為に過ぎているのです。死刑が執行されるたびに存廃議論が再燃する*、それには
意義があるのでは? といわれそうですが、言うまでもなくそういうこととは別のことを
私は主張しています。

 *http://togetter.com/li/280630

もう少し続けたいので視点を変えてみましょう。

・死刑判決は増えている
・廃止派は減っている
・そもそも再審請求中執行しないのは単なる慣例*
・法務省は慣例であることすら公式には否定しているらしい*

 *再審請求中は死刑執行せず? 小川法相、対象者選定で異例の発言 
  http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120406/trl12040615190004-n1.htm

・死刑推進のための条件はそろっている
・しかし死刑執行数は伸びない

となれば、もはや死刑推進派はおそらく何十年も前からしてきたように、
死刑がなかなか執行されないのを法務大臣一人のせいや廃止派・反対派
(による抗議や圧力)のせいにすることはできないはずです。

廃止派が弱体化・弱小化し、法務大臣にも執行義務などないということが明らかである以上、
厳罰化の波に乗って死刑推進を目指す途上で、執行命令を出さない法務大臣を批判したり、
逆にバンバン執行する法務大臣に抗議する廃止派を論破しようとしたりするのはもはや戦略的に
おかしいわけで、いつまでも同じことを繰り返している当の存置派が自ら死刑執行の遅延化を
防ぐために動くべきでしょう。自分たちの思い通りにいかないからといって、それを廃止派や
反対派のせいにすることはできません。

この国、特に政界でトップがコロコロと替わるのは法務大臣の場合でも例外ではありません。
なので、新しく就任した人にしてみれば、死刑執行に関しても前の大臣のやり残した仕事を
引き継ぐことにもなるわけで、「『最終チェックお願いします!』とかみんなに詰め寄られても
自分の就任前のことだから知らんがな」とか突っ撥ねることもできないのは辛そうだなーと。
就任前にはほぼ出来上がっていた仕事のほんの軽い仕上げ程度のことしかできず、「自分の
就任中の出来事じゃないから」という理由で死刑執行手続きを一からやり直させたりだとか、
いつまでも執行されない(執行手続きの進まない?)死刑囚に対しては恩赦を検討する閣議を
開くように働きかけるとかできない、というかやりにくい空気があるのは何なの? という
感想を懐きます。どうも他のことでは法務大臣の足を引っ張るような状況があるのが否定できない
のに、死刑執行命令の件にだけ法務大臣の背中を押すような空気が濃厚なのは納得いきません。

3148無精髭:2012/06/24(日) 00:20:07
法相の「背中を押す」というより「尻を叩く」といったほうが正解でしたな。

さて、ご存知でない方はいらっしゃらないと思いますが、死刑執行について新たに公開された
以下の情報について言及しておいた方が、これまでの流れにも適するでしょうし、問題をより
深く理解する上でもよいかも知れませんね。

 死刑執行:決裁は2ルート 手続きの詳細判明 
 http://mainichi.jp/select/news/20120601k0000m010122000c.html
 毎日新聞 2012年06月01日 01時26分(最終更新 06月01日 08時16分)

 死刑執行文書開示:死刑順序 基準は闇
 http://mainichi.jp/select/news/20120601k0000m010137000c.html
 毎日新聞 2012年06月01日 02時50分(最終更新 06月01日 08時21分)

死刑執行起案書の決裁手続きについて従来の説明では法務省刑事局から同省矯正局へ、そして保護局へという流れがある
とされてきましたが、実際はそのように一本化されてはいない、みたいですね。

決裁ラインは二つあるそうで、

・「死刑事件審査結果」という文書が刑事局を経て法務大臣官房へと移されるルートと、

・「死刑執行について」という文書が矯正・保護局内で回されていくルート

がある、とのこと。

関与していたのは、矯正・保護局ルートでは

・矯正局長、矯正局総務課長、成人矯正課長、保護局長、保護局総務課長、保護局恩赦管理官の6人で、いずれも押印

刑事局ルートでは

・法相、副法相が署名、事務次官、官房長、秘書課長、刑事局長、刑事局総務課長の5人が押印

意外だったのは、上記二つの文書の手続き後に作成される死刑執行命令書についてで、実際法相は署名も押印も
しておらず、秘書課長の指示を受けた部下が大臣の公印を押していたにすぎないという事実です。記事を読む限り、
命令書に法相が署名しなきゃいけないなんて定めは刑訴法にないから大丈夫、というのが法務省の言い分らしいですが、
これまでメディアは誤報を伝えていたことになりますし、国民はそれを信じるしかなかったわけで、国民の間で誤解が
蔓延していたことについて当然国は把握していたでしょうから、その点どのように考えていたのかについて納得のいく
説明をすべきでしょうし、もし単にこれまで事態を放置していたのだとすればその責任は重いといわざるをえません。

以上のほかにも分かったことはいくつかありました。

・死刑確定からその判決を出した裁判所に該当する検察庁の長が法相に上申書を提出するまでの過程は、刑訴法475条2項で定められた期間内に収まっているそう(だから何? という感じ)

・上述の起案書、審査文書、決裁文書に加え、死刑執行命令書とこれに対して検察庁が送り返す受領書の日付はすべて同日

・死刑執行は刑訴法476条にある通り5日以内に行われている模様

さて、死刑執行手続きのプロセス全体の中でえらく時間がかかっている部分はあえて指摘するまでもないことですが、

・法務省刑事局が上申した検察庁から取り寄せた膨大な資料を総務課でチェック&刑事局付きの検事が審査する段階

ということで決まりでしょう。今回の公開ではこの部分は全て黒塗りでした。

前の書き込みの繰り返しになりますが、今回の公開以後は、正当な理由もなさそうなのになかなか死刑が執行されない
ケースについて責任追及をしようとする場合、法務大臣ひとりの個人的な判断やら怠慢やらを槍玉に挙げるのはもはや
お門違いだということを国民はしっかりと認識したほうがよいのではないでしょうか。責任追及の対象として選ぶべきなのは、
そんな非効率な制度を一向に改善せずいまだ充分に公開すらしない法務省という組織であるべきでしょう。

ちなみに、この段階で冤罪が疑われる場合死刑執行が回避されることがあるようですが、だからといって恩赦の対象に
なるわけでもないようです。というか、一番最近に恩赦になったのは1975年の特別減刑が一件だけで、これ以降恩赦が
行われたことは一度もなく、いったい法務省内部、あるいはその所管の施設で恩赦制度がどのように運用され、具体的に
恩赦出願がどのように取り扱われているのかはまったくの不明です。これについても情報公開が必要ですね。

3149無精髭:2012/06/24(日) 01:31:52
1975年に個別恩赦で無期刑に減刑されたのは石井健治郎元死刑囚です。
あの有名な福岡事件の実行犯ですね。
http://fukuokajiken.komusou.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/福岡事件
http://yabusaka.moo.jp/hukuokagosatu.htm
http://homepage3.nifty.com/tetuh/103.html

3171ポン:2012/08/16(木) 20:20:16
殺人犯は大量生産されてる人間の中の不良品。
不良品は処分するのが一番ローコスト。

勿論冤罪は無いという前提ですがね。

3172雄峰:2012/09/27(木) 09:32:05
>>3171
こういう話もあるね。
http://gigazine.net/news/20120924-5-reasons-you-should-fix-your-gadgets/

3175boro:2012/10/14(日) 18:13:50
紫煙狼さんへ。

>>3143

>あくまで個人的な感情の話ですが、私にはとても憎んでいる人が居ます。

↑前から気になっていたのですが、もしよければさしつかえない範囲で
どうして憎むようになったのか教えてください。無理にとは言いません。

では。

3176紫煙狼:2012/10/15(月) 09:51:37
>>3175
えー?憎んでいる人、いっぱいいますよぉ。
私は恨みがましくて人を許すことのできない性分ですから。

でも、極めて強烈に憎んでいる相手の事なら
>>2266-2267
あたりかなぁ。

3177boro:2012/10/15(月) 20:46:31
紫煙狼さんへ。

>>2266-2267

これ、ちょっとさらっと読めないと思って
読むのを途中でやめた投稿でした。
後でじっくり読むつもりでそのままにしていました。
で、さっきじっくり読んでちょっと落ち込みました。
紫煙狼さんにとっては辛い経験ですね。。。
そういう話だったとは知らず、
思い出させてしまったようで申し訳ないです。。。

3178紫煙狼:2012/10/15(月) 23:32:25
>>
あ、どうぞ、お気になさらずに(笑)

なにしろ氷山の一角ですから。恨んでいる人、他にもいっぱいいますよぉ(笑)
あるていど共感していただけるような恨みから、逆恨みまで、不自由しません。
(だいたい、オンナがらみなんですけどね(笑))

3179boro:2012/10/16(火) 08:07:38
>>3178

>なにしろ氷山の一角ですから。恨んでいる人、他にもいっぱいいますよぉ(笑)

「氷山」という漢字を見て「永山(則夫)」と読んでしまう。ヤバイ。。。

>あるていど共感していただけるような恨みから、逆恨みまで、不自由しません。
(だいたい、オンナがらみなんですけどね(笑))

「不自由」「オンナ」という言葉から

「オンナには不自由しない」という結論を導き出しました(笑

紫煙狼さんって、もてるんですね。。。

まっ、恨むような人ができてしまうのは残念ですけど

暇なときにでもその「恨み話」のひとつ書いていただければ幸いです(半笑

3180紫煙狼:2012/10/16(火) 09:23:25
>>3179
オンナに不自由しちょるから恨み言が増えるんじゃい ┌(`Д´)ノ)゚∀゚ )

3181減二:2012/10/18(木) 16:56:19
横レス失礼致します。
防ぎようがなかったのか。
どちらにしても、他者を傷つけることは許しがたい行為で、
我々は、どんなにひどい事を言われようが、なされようが、
我慢して生きているのです。
その我慢が出来なければ、犯罪者になるかもしれません。
悔しいから次世代に用意していると考えれば、「選んでいる問題」
が少しは理解できると思います。
置かれる場所、社会的地位、生まれた子の将来の生き方まで決められてしまう状況が、
犯罪者になる人物、どのように犯罪を犯すかまで決められていたとしたら、
(犯罪を犯すように、地域、社会、人間に洗脳されていたとしたら)
法的に裁かれたとしても、犯人を責める事はできません。
より良く、一人の為にという考えや行動が現実の社会に言ってはいるけれど
理解できないから、
多くの犯罪が起こるし、人を抑制する為に戦争が起こるとは思いたくないですが、
種の保存のため人口を抑制しなければならないから、
或いは戦う目的で人類が生存しているんでしょうね。
犯罪と同様ですが、なぜか解決ができないと思います。
強姦しても女性は恥ずかしくて、めったに警察に届けないとの事。
目には目を歯には歯を、いくら判断が付かなかったとはいえ、
同じで良いのではないでしょうか。
被害者にどんなに残酷なことをしても、優遇されて丁重に弔ってもらえるそうです。

3182雄峰:2012/10/18(木) 17:19:24
>>3181
文章が支離滅裂で意味がわからない。
病状がまた悪化したんですか?
ちゃんと薬は飲んでいますか?

3183減二:2012/10/18(木) 18:08:05
>>3182
二種類の意見を同時に書いてしまったのでわからなかったと思います。

私の意見、>>3181は、要約すれば、様々な事情があっても、
もし、普通に生活をしている人が突発的に犯罪者によって、
被害を受けた場合には犯罪者は処罰されるのが当然の事だという意見です。

3184雄峰:2012/10/19(金) 00:15:23
>>3183
あなたは、ジャイアンみたいな人ですね。

ここはジャイアンリサイタルの会場ではありません。

3185減二:2012/10/19(金) 17:55:58
>>3184
私は、朝日を読んでいます。
読売もいいけれど、ジャイアンツではないです。
新聞にはいえないこと、書けない事があるようで、
裕福層、低価格者層といった格差以前に、個々の様々な感情から、
選んでいる問題が発生していると思います。
紙面が明るく楽しい情報であれば良いと思いますが、
事件がなぜ載るのか(事件のほうが人々の関心が高く、
売り上げが上がるからでしょうかね、たぶんそういうことだと思いますよ)
人類が、不幸を要求する限り、ジァイアンは増えるでしょう。
ってか、ジァイアン犯罪者じゃないし。

3186紫煙狼:2012/10/20(土) 02:17:56
>>3185
「選んでいる問題」に関してはスレッドを分けた方が良いと思います。

減二さんの「選んでいる問題」は、世の中のありとあらゆる犯罪や事故は、
人々が抗うことのできない強大で邪悪な力が働いていて、その力が前もって
決めたストーリーに従って実行される…という話ですよね?

であれば、それは、犯罪に関する総論であって、各論ではないはずです。
今すでに用意されているスレッドは全て各論ですから、各論の中で総論を
語るのではなく、総論の中で各論を語るべきです。

3187またたび:2012/10/20(土) 08:25:18
減二さんはなんていうか、病院に行かれた方が良いかと…(もう通われてるのかも知れませんが)
失礼ですけど、まともに会話が通じないタイプの方に見えますね
>>3181で長々と書かれた事の結論が>>3183なら、
遠回しな書き方でいろいろな方向に脱線してる割には
誰にでも解ってるようなここにわざわざ改めて書くような事でもない当たり前でごく単純な結論ですし、
御自身の社会に対するストレスが溜まりすぎて相当頭が混乱して参ってしまっているだけで、
死刑制度や犯罪者に対する罰則の是非や被疑者側の人権問題について大して意見を考えているわけではないように映るのですが
減二さんに必要なのは、社会の歪みに対してあれこれ考える前にまず御自身のカウンセリングかと

3188減二:2012/10/20(土) 21:44:08
>>3186 <<3187
ご指摘ありがとうございます。
「選んでいる問題」は死刑制度とは確かに直接的には関係がありません。
精神科の医師に「選んでいる問題」の文面を送ったのですが、
回答が得られず、
(精神科の医師は患者に対して聞くだけで、
意見を述べてはならないとのルールがあるようで)
行っても2、3分の診療で終わってしまいます。
その為、無限回廊に来ています。
もしかしたら、死刑とうに導くような犯罪が防げれば、
良いのではないかと思っています。
ですが、犯罪者の心理よりも、犯罪に導くように仕向ける勢力が、
犯罪者本人が言葉にするのを困難にしており、巧妙に犯罪者を発生させる為、
弁護ができない、法的拘束によって、
収監及び刑罰を与えられている情況ではないかと推察します。

後、私がこの問題にこだわるのは、地域その他学校等で、先生等から言われた為で、
個人的にはこの問題に固執したくないです。
もし、スレッドを立てたとして、害になる可能性もありますし、今のところ停滞気味です。

3189紫煙狼:2012/10/20(土) 23:09:04
>>3188
減二さんご自身の御都合だけで考えずに、他の利用者の事も考えてください。
物事を相談するには適した相手と適した場所があります。

精神科のお医者さんは、犯罪などの専門家ではありませんから「選んでいる問題」に
ついての知識も経験も乏しく、減二さんが満足するような回答は得られないでしょう。

例えば、仕事を忘れてお酒に浸りたい気分で飲み屋に来ている弁護士さんに
法律相談をしても、その弁護士さんにも、周りの他のお客さんたちにもご迷惑を
おかけしてしまいますよね?このように、聞く相手が正しいとしても、聞く場所を
間違えてしまうと、やはり満足したり納得できるような回答は得られないでしょう。

つまり、適した相手に、適した場所で相談しないと、満足いく結果には繋がりません。

ですから、まずは適した場所としてスレッドを立てるべきだし、スレッドを立てるのが害に
なる可能性があるからと言って、関係のないスレッドの中で相談してもよい理由には
なりません。

この掲示板で「選んでいる問題」を口にするなら、最低限スレッドを分ける。

スレッドを分けないのであれば、この掲示板では「選んでいる問題」を話題にしない。
その程度の線引きだけはしっかりしていただかないと、減二さんに悪意がなくても、
結果的に皆さんに迷惑をかけてしまう事になりますよ?

3190またたび:2012/10/20(土) 23:13:11
>>3188

>減二さんへ

精神科の先生からの回答が得られないのは、
多分、そのお医者さんにもあなたが何を言ってるのか、何を訴えたいのか
言ってる事と言いたい事がよく解らないのと、日頃からそういう理解不能な人の相手をし慣れていて
まともに取り合うだけ無駄だ、とすっかり割り切られているからだと思います。

その問題とやらに固執したくないのであれば、気になさらないでさっさと頭から忘れられた方があなたの精神衛生のためだと思います。

3191減二:2012/10/21(日) 00:36:41
過去の教師が、外部で起こっている事を私にのみに言ってくる問題で、
例えば、40人生徒がいるとして、
「他の人には言っていません」といって私だけを注視し、
選んでいる問題を訴えている問題についてはどうするか。

>>3190
精神科医が最上位ですか。
精神科医が間違っていたらどのように致しますか。
精神科医ではなくその学術を学んだ者が、
もし、学んだその人は良くても、学術自体が間違っていたとしたら、
意味を成さなく、利益に追随した医療になってしまうでしょう。

==boroさんの読者に宛てて==
怨みに加えて、利益の問題も関連していると思います。
生きていく根底として考えれば、この問題は複雑です。
普通に生活をしている人もいれば、犯罪者になったり被害者になったり、
主婦の会話で「事件怖いですね」と言う声を何度も聞いています。
単純明快で誰もが楽しい生活なんて、夢のまた夢かも知れません。
戦争で命を奪われている国もあり、
メディアでは「無意味な死」といわれる事があるようですが、
「こいつはこのように悪い事をしたから死刑だ。」
だから「この死は意味がある」という解釈では、
次世代に対して解決が付かないように思います。

誤読を恐れて追記ですが、犯罪がなくなって欲しいということです。

3192紫煙狼:2012/10/21(日) 01:34:44
>>3191
>過去の教師が、外部で起こっている事を私にのみに言ってくる問題で、
>例えば、40人生徒がいるとして、
>「他の人には言っていません」といって私だけを注視し、
>選んでいる問題を訴えている問題についてはどうするか。

その話題が、どのような形で死刑制度と絡むのでしょう?

>犯罪がなくなって欲しいということです。

死刑制度を残すにしても、無くすにしても、犯罪は無くなってほしいですよね?
ですから、その話題を、死刑制度問題のスレッドに持ち込む理由が分かりません。
まして、精神科医とか精神医療の在り方なんて、このスレッドに関係ないでしょう?

もう少し、読者の都合を考えてスレッドわけの線引きをしていただかなければ、
減二さんのおっしゃることが素晴らしい事、大切なことだったとしても、
誰ひとり、その話題に深くかかわる事ができません。

話題ごとにスレッドを立てるのは、多くの人々の要求によって生まれた
掲示板におけるマナーなのですから、マナーは守っていただきたいと思います。
マナーを守らないのも、法律を守らないのも、決まりを守らないという点では同じですよ。

3193紫煙狼:2012/10/21(日) 01:57:01
利用者・閲覧者の皆様へ

減二さんの投稿について、皆様それぞれ思うところがあると思います。
私も多くの方から、お叱りを含む多数のメールを頂いておりますが…。

私もあくまで皆様と同じ利用者の一人であって、管理権限や決定権を持っているわけではありません。
減二さんへも、利用者の一人という立場で、スレッド分けなどのお願いはしていますが、
強制できる権限やアクセス禁止などの実行力を持っているわけではありません。

それに、減二さんだって「より良い社会」「より良い世の中」を願って投稿しているのは
明らかなのですから、いわば、皆さんと同じ志を持つ仲間の一人です。
それを前提にしてなお目に余る部分に関しては、boroさんに直接ご意見ください。

私には、皆様の期待にお応えできるような力はありません。


>>3190
もし、減二さんが、またたびさんのおっしゃるように精神または思考に何らかの問題を
抱えていらっしゃるとすれば、またたびさんがそれを理路整然と追及なさっても、
減二さんには全く伝わらず、拒否されるだけの公算が大きいと思います。

減二さんの自己実現の場所が、この掲示板をおいて他にないというのですから、
アクセス禁止にできない以上、せめて利用者の皆さんと減二さんが共存できる方法を
模索する方向でご協力願います。

3194またたび:2012/10/21(日) 07:32:13
>>3193
>紫煙狼さん

失礼しました。
大人げなかったかも知れませんね。
あと、減二さんが精神科に通院されてる方だというのは単に私の勘だけや憶測ではなく
減二さんご本人のおっしゃる事を妄想ではないと仮定して鵜呑みにすれば事実かと。>>3188

>精神科の医師に「選んでいる問題」の文面を送ったのですが、
>回答が得られず、
>(精神科の医師は患者に対して聞くだけで、
>意見を述べてはならないとのルールがあるようで)
>行っても2、3分の診療で終わってしまいます。

なので確かに生真面目に返すだけ無駄、この減二さんのかかりつけのお医者様の対応を見習うべきなのかもしれませんね。
ネットを見てて思うのですが、減二さんのような方って意外なほど世の中に多く溢れていて
しかも減二さんのように毎日掲示板にアクセスして書き込んだり
人によっては自分のサイトを運営していろいろ奇抜な情報を発信してらっしゃる方も多いんですよね。
ネットは現実社会と違って基本的には壁や鍵のついた出入り口などは無いことが多く
どんな方でも出入り自由ですから、減二さんのような方との共存とコミュニケーションの問題というのは
確かに難しく感じます。

3195減二:2012/10/21(日) 19:54:58
>>3192
>その話題が、どのような形で死刑制度と絡むのでしょう?

これは、私の意見ではありませんが、事件の起こる成り立ちには、怨み等があり、
その事を先生方が言っていました。司法制度はその延長線上にあり、
成り立ちが、理由であれば、司法で裁く事は結論であり、そして結果であり、
理由(選んでいる理由)を無視したのでは、解決ができないと思っています。

>精神科医とか精神医療の在り方なんて、このスレッドに関係ないでしょう?

上記に関しては、
>>3187
の記述に返答したもので、私も、精神医療と犯罪者の精神鑑定を行う以外は、
死刑制度は関係ないと思います。

追記。
これ以上質問をされると、私がまた来てしまいますので、
来られたくない方は、質問をお控えくださいますようお願い致します。

3196倫理的廃止論者:2012/10/22(月) 00:33:48
初めて書き込みさせて頂きます。

このスレットの人がこの問題についてどのように考えるのか
意見を拝聴さえてもらえればと思い書き込みさせて頂きます。

法、時代を超越した問題としてどのようにお考えになるでしょうか?

問い

過去から続く生命があり、
殺害を起こした者を死刑にすべきならば、
時代の勝者が生み残した子孫は存在しえないという事になってしまうのではないのか?
故にその子孫である我々も未来の為に死刑をしていけないのではないか?

3197またたび:2012/10/22(月) 09:23:42
>>3196
何を持って死刑囚を『時代の勝者』とするのか、あなたのおっしゃっている時代の勝者とやらの定義が不明瞭です。
自然界と遺伝子は弱肉強食であり、動物や人間は他者を殺して現在まで子孫を残し生き残ってきた者が優秀、
すなわち、現代において他者を殺した殺人者は遺伝的勝者であり、優秀な遺伝子である、という意味なんでしょうか?

残念ながら大部分の殺人犯・死刑囚は社会的敗者であり、弱者であると思います。
キツい言い方ですが、あなたが遺伝学上の見地から殺人者を優秀と認めて残そうというお考えなのであれば、それは大きな間違いだ、と言わざるを得ません。
遺伝子のみで人間を判断する冷たい考えで死刑囚や殺人者を鑑定した場合、残念ながら大半は先天的・遺伝的に問題のある人ばかりです。

今某市長の某週刊誌の記事で世の中が揺れている時にこんなことを言うのもなんですし、決して自分は某市長に遺伝的問題があるなどとは思いませんが
実際に反社会的事件を起こしてしまった人には近親者に明らかに遺伝的問題が有る者(犯歴のある人間や精神障害者、薄弱者、自殺者などが血縁者に多いケース)
また本人自身にも幼少期から虚言癖や覗き癖、盗癖や痴漢癖等が存在したりするケースがかなりあるのも事実です。
boroさんが今までお書きになった事件の詳細にも、小平義雄のようなケースが典型例としてあります。
優性論や差別を助長する意図はありませんが、そういったケースが現実に存在しているのもまた事実です。

こういった人達が子孫を残せるのは、近代においてこういった人達にも人権が認められるようになり
生活保護などの社会保障が存在し、生きやすくなっているからに他なりません。
昔はそういう人達は物乞いなどをしたり、盗みをしたり、同様の傾向を持った人同士の共同体社会に隔離され監督されたり、あるいは近隣の人の情けによって生かされていました。
要するに、今も昔も社会で問題なくやっている人達の税金や施しによって、社会生活に何らかの問題や支障のある人が守られているだけです。

死刑を廃止して死刑囚を生かし終生面倒を見る、というのはこの弱者への救済と社会保障の究極にしか過ぎません。
ある意味究極の生活保護ですよね、正常な社会復帰が見込めなくなった人を隔離して一生養うという選択ですから。
死刑囚を生かす事において、社会に対するリターンやメリットという物はほとんどありません。
死刑囚が自らの犯行において与えてしまった社会へのマイナス、ダメージと養ってもらい続けるためのコストに対して
生かす事でメリットやプラスになって帰って来る事などはほとんどないのです。
(強いて言うなら、冤罪による誤った死刑執行の可能性を0%に出来る、という事くらいです)

死刑廃止というのは、メリットがない事を承知した上で生かそう、為そうという志だという事を民意が納得しなければなし得ません。
要するに、根源は理屈や合理性ではなく、結局は復讐心とは真逆の同情心的感情論や
司法による合法的殺人、つまり社会が処刑を認める事に対する一般的な人間の持つ抵抗感くらいの理由でしかないのです。
死刑廃止はこの『情けの感情』が死刑を認める冷徹な合理に対して民意として世論の大勢を占めなければ実現しません。
が、今後はそのような事はあり得ないと思います。
裁判員制度導入(復活)で一般市民にも人間が人間を裁く事の難しさや抵抗感が芽生えたのと同時に、
一方で逆に感情論的に被害者の救済や被害者側の人権の重視、被告に対する怒りの感情をより身近に意識するようになった人間が増え
依然保守的で死刑廃止や減刑に慎重な人間が増え、結局バランスがとれてますから。

3198雄峰:2012/10/22(月) 13:23:22
>>3197
またたびさんは、もともと生活保護に反対なのですか?
囚人を市民が養う、という方法のほかに
食い扶持ぐらい囚人に稼がせる、という発想があってもよいと思うが?

3199またたび:2012/10/22(月) 18:41:00
>>3198
私自身は生活保護制度に対して反対でも賛成でもないです。
現行の制度にはいろいろな穴と問題が有り、見直されるべきだとは思いますが
制度そのものを廃止にすべきだ、とは思いません。
また、私一人や少数が反対した所で
それこそ死刑制度と同じで自然発生的に同様の社会保障は必ず生じる物だと思います。
かつては生活保護という社会保障制度などなくても、自発的に生活能力の低い人間に施しをする人間がいたのです。
勿論今もそうした人達はいます。だからこそ、社会の中で制度化しようという動きが自然に生じるわけです。
人間の歴史から、犯罪が決して無くならないのと同じです。
同様に死刑や刑罰も並行して存在し続けて来たというわけです。
人為的、思想的な決定で死刑をこの世から完全に消滅させ封印する事などは、まず不可能でしょう。
もちろん現実に死刑を廃止している国も存在していますが、
一度廃止したからといってそれが必ず永久の物である、とは限りません。
一度は死刑を廃止したものの、やはり時とともに民意が自然に変化したり、時代の流れで必要に迫られて死刑制度が後から復活する事なども充分あり得るわけです。
その都度是非を巡る議論になっていく物だと考えます。
(脱線ですけどこれは今の日本にとっての平和憲法と9条改正論にも言えると思います)

食い扶持を囚人に稼がせる、というのも
所内労働は現実に課せられていますが、所詮刑務所内で出来る労働など
産業としてどうしても限界も限度もあります。
受刑囚が自分たちの労働でだけの稼ぎで刑務所を維持して、安全に循環させていく事などおよそ不可能でしょう。
彼らが住んでいる施設は一般人が暮らすアパートやマンションなどより遥かにお金がかかる施設です。
彼らに自分たちの労働のみで刑務所を安全に維持出来るほどの稼ぎを出させるには
それこそ土木工事現場で人足としてタダ同然の低賃金で長時間労働に従事させる、とか
同じくタダ同然で遠洋漁業船の乗組員にする、とかフル稼働で働かせなければなりませんが
それを刑務所内の労働と同じく逃亡や反抗の恐れなく、一般社会に危害を加えられる危険性を100%排除して安全性を確保したうえで
受刑囚の労働力で刑務所を自活運営させられる利益を出させる事など、まず不可能です。
彼らに安全に労働させるために、国はさらに警備にお金を使ってしまい、結局利益など出ず、無意味だからです。(また、当然社会の理解も得られないでしょう)

3200倫理的廃止論者:2012/10/22(月) 19:02:48
>>3197
つまり、加害者が子供を残していた場合、その者は遺伝的に問題があるので社会的敗者であるという事で宜しいですか?
少なくともそういう偏見があると。

殺人を犯し、死刑になった者がいたとします。
当然前者と後者には家族もいて、子供もいたとします。
被害者家族が署名でもあつめ、無期であるものが死刑になったとでもしましょう。

第三者的立場で考えた場合、
先にやったか後にやったかの違いであり、双方にあまり違いが無いように思います。

被害者家族は民意を味方に回し、失った者は大きいと思いますが、民意にある程度守られながら暮らして行けるようにも思います。

ですが、加害者家族は、恐らく住む場所も追われ、職にも付けないかもしれません。

自分が殺した訳でもないのにですよ?

私がもし加害者の子供であったなら、それこそ復讐をしてしまうかもしれません。

この復讐はどこまで続くのでしょうか?

被害者家族の心情は分かります。
ですが、それは報復と大して変わらないように思います。

私はどんな場合においても、殺人は殺人であり、決して許される事があってはならないように思います。

3201またたび:2012/10/22(月) 20:10:01
>>3200
誤解しないで欲しいのは、
私は遺伝子と社会的敗者であるかどうかは必ずしもイコールだとは思ってないという事です。
私が社会的敗者であり、弱者である者が大部分である、と言ったのは遺伝子的兆候の有無にかかわらず
あくまで『実際に死刑になるような重大犯罪を犯した人の大部分』ということです。
その中に遺伝的に異常が認められたり、幼少期から生来の犯罪傾向(盗癖や虚言癖、怠け癖、性的異常性など)が認められる人間が多いのも事実、という事です。

先に差別や優性論を助長する物ではない、と言いましたし
あなたが先に遺伝子の話を意図がよくわからなかったのですが持ち出していたので、
あくまで『遺伝子のみで冷たく考えたら』殺人犯には遺伝的兆候から生来の異常が認められているケースも多い、ということを言ったのです。
勿論、そういった人間が親族や結婚相手にいようが、本人自身が何もしていなくて社会的に何も問題を起こしてないのなら
差別を受ける謂れはありませんし、差別するべきではない、と思います。

そして犯罪加害者の家族が受ける試練は加害者が死刑だろうと無期刑だろうとどちらにせよ同じ事です。
無期刑の殺人者であれば被害者の家族から何も思われず、死刑だと恨まれるのでしょうか?違います。
犯罪加害者の家族が受ける苦しみは加害者が死刑になっても、無期刑になっても同じ事です。
それは死刑の是非の問題とは全く別の問題です。
仮に死刑を廃止して終身刑にしたって同じ事でしょう。
死刑のない世の中でも被害者遺族が死刑の復活を求めて行動するだけかもしれません。
そしてそれを止める権利も批判する権利も誰にもないでしょう、個人として同調するかどうかは別としても。

そして、
>私はどんな場合においても、殺人は殺人であり、決して許される事があってはならないように思います。

あなた自身がこうおっしゃられている通り、
仮に加害者にどんな情状酌量や経緯があっても『殺人は殺人であり、決して許される事があってはならないように思う』
正義感の強い人が世の中には多いのです。犯罪をする人が絶えない一方で。

だからこそ、死刑廃止論と死刑肯定論には必ずお互いの正義の矛盾が生じてぶつかり合う物だし
どちらか一方のみを絶対に正しい事にして、片方を完全に消し去る事は不可能なのです。
あなたが御自分で殺人はどんな場面においても決して許されないと語った正義感は、
死刑に対しても確かに適用されるし、しかし一方で元を正せば最初に殺人を犯した加害者の殺人犯自身に対しても向けられるべき言葉なのですから。

その場合、あなたの『どんな場面においても殺人は決して許される事があってはならない』と語った正義と倫理は、
加害者のした殺人に対しても向けらねばならない、御自身の死刑廃止の主張とは矛盾した問題を抱えたものになるわけです。
『決して許される事があってはならない』事をした相手を、許されないとしながらどこまで許すのか、という矛盾が生じてしまうわけですから。
死刑を殺人の否定の見地から加害者がどんなに非道でも100%認められないのであれば、同時に加害者がした殺人もどんな事情があっても100%認められなくなるわけです。
だからこそ、許してはならない殺人犯を死刑にするのか、しないのか、死刑肯定も廃止も間違ってはいないからこそ両者が納得するその着地点が難しく、
また結局は両意見を徹底的に衝突させた先の折り合いで決着させるしかないのです。

3202紫煙狼:2012/10/22(月) 22:30:03
>>3196
倫理的廃止論者さんには文学的表現を排して、誤読の無い表現に力を入れて頂きたい。

>過去から続く生命があり、
「太古の昔、人類が生まれてから現代まで」と言う意味ですか?

>殺害を起こした者を死刑にすべきならば、
>時代の勝者が生み残した子孫は存在しえない
殺害を起こした者が時代の勝者なのですか?

>我々も未来の為に死刑をしていけない
殺人者が時代の勝者である、という前提に於いて「時代の勝者」の
子孫を残すために死刑をしてはいけない、ということですか?

仮に上の解釈が正しかったとすれば、むしろ死刑は肯定されるべきです。

人類に於いて「強者なら何をしても許された」のは、最初のほんの少しの期間です。
太古の昔、人類が個々単独で生き延びるにはあまりに外敵が多すぎました。
ですから、ほどなくして、弱者が力を合わせるという社会が形成されます。

生き延びるために集団となったのですから、集団を破綻させる者は排除されます。
必ずしも命を奪われるという形ではなかったにせよ、集団から追い出された者は
伴侶を娶る事が出来るでもなく、外敵と一人で戦って勝ち続けるわけもなく、
頭を下げて他の集団に加わるか、野垂れ死にとなるか、どちらかしかありません。

従って、最終的に残された「時代の勝者の子孫」とは「社会性のある者の子孫」であり、
「社会のルールを守る者の子孫」となりますから、この論理展開から
>未来の為に死刑をしていけない
という結論を導き出すのは斬新で目新しいけれど論理が飛躍しすぎていて非常に困難です。
むしろ「未来の為に死刑を増やして悪い芽を次世代に残さない」という結論の方が妥当です。

つまり、法、時代、文法、論理展開を超越して、無茶苦茶でごじゃりますがな。

3203紫煙狼:2012/10/22(月) 22:44:33
>>3200
>先にやったか後にやったかの違いであり、双方にあまり違いが無いように思います。
ズボンを下げて便座に腰をかけてからウンコするのと
ウンコしてから、ズボンを下げて便座に腰をかけるのでは、
先にやったか後にやったかの違いですが、社会的には大違いです。

上げ足を取っているのではなく、物事の順番・手続きは非常に重要です。
殺人を犯し受刑するのは、非合法な手段を使ったからです。
署名活動を繰り広げるのは非合法ではありません。
その結果、無期である者が死刑になっても、そこに違法性はありません。

>加害者家族は、恐らく住む場所も追われ、職にも付けないかもしれません。
身内から犯罪者が出たところで、犯罪に加担していない者は法的に裁かれる事は
ありません。加害者の身内が何らかの迫害を受けるとすれば、それはあくまで
社会の民意の低さ故であって、法的制度の問題ではありません。

>私がもし加害者の子供であったなら、それこそ復讐をしてしまうかもしれません。
それは恨むべき相手を勘違いなさっているのではないでしょうか?

>それは報復と大して変わらないように思います。
報復がなぜいけないのか?という説明を省いてしまっているので、敢えて伺います。
「報復のどこがいけない」のですか?

>どんな場合においても、殺人は殺人であり、決して許される事があってはならない
世の中には明らかに許されるべきではない殺人があるように、許さざるを得ない殺人が存在します。
問題は、死刑制度と言う形で犯罪者の命を奪う事が「許さざるを得ない殺人」に当たるかどうかです。

3204紫煙狼:2012/10/22(月) 23:31:37
>>3197
またたびさんって人は、文章も分かりやすいし非常に論理的で、読んでいて安心できますねぇ。
廃止派の私から見て非常に残念なのは「でも、それって不可能でしょ?」で終わらせているところでしょうか。

>死刑囚を生かす事において、社会に対するリターンやメリットという物はほとんどありません。
>死刑囚が自らの犯行において与えてしまった社会へのマイナス、ダメージと養ってもらい続けるためのコストに対して
>生かす事でメリットやプラスになって帰って来る事などはほとんどないのです。
では、逆に、メリットやプラスになって帰ってくるなら、喜んで死刑廃止に賛成していただけますか?
「囚人に必要な費用を稼がせる」ことも決して簡単ではありません。それは仰るとおりです。画期的アイデアや方法が
ない今現在では不可能ですが、それが可能になれば喜んで死刑廃止に賛成していただけますか?

私はそういうコストや細々とした問題というのも、その気になれば解決できる日が来てもおかしくないと思うのです。
そして、その手の諸問題をそぎ取って、最後に残るのは一体何なのでしょう。(私は感情の問題だと思います。)

では、受刑囚が社会に貢献して、社会もそのメリットを享受できる状態、冤罪などの問題もクリアされていて、
受刑囚を生かし続けても、殺しても、それほど大きな問題にはならないような状態が実現されたとき、
「被害者や被害者家族の感情を慰撫するために受刑囚を殺す」ということが許されるべきか否か。
こればかりは人類が感情と言うモノを失わない限り、最後まで残る問題であり、究極の問いだと思います。

今は、諸問題が多く山積みの状態ですから、即、死刑を廃止するというのは馬鹿げています。
しかし、死刑を存続させているから、諸問題を解決させようという動きが活発ではないのも事実です。

死刑と言う制度に問題を感じていない者、死刑制度に賛成している者が、なぜ死刑を廃止するために必要な
諸問題を解決する方向で動くでしょう?結果的に「そんなに言うなら、何か良いアイデアでも出してみろ」と
死刑廃止論者にまる投げ状態です。かと言って、死刑廃止論者は死刑廃止論者で「死刑は悪だ」と繰り返す
ばかりで、やはり廃止に向けて必要ないくつもの諸問題を解決させようという動きにはなっていません。

これでは、解決できるモノも解決できるわけがない。

そうではないのです。今は必要なのだから死刑があっても良い。今は死刑がなければ不安な人が多いのだから、
死刑を廃止するべきではない。今はね。

でも、だからと言って、現状のまま、いつまでも死刑を残しておくべきものなのか考えるべきです。
諸問題をそぎ落として、最後に残るだろう問題を考えて、未来にあるべき姿を考える。
そして、そのあるべき姿に近づくために、今何をするべきか、どうして行くべきか考えなければ、
何も変わらない。そう思うのです。

3205紫煙狼:2012/10/22(月) 23:32:07
今は夢想家の妄想と言われても仕方ないほど、諸問題が山積みです。それは私も認めます。
そして、私は別に画期的なアイデアを思いつくほど頭脳明晰なわけでもありません。
むしろ、死刑廃止を実現するために必要なアイデアの持ち主は、またたびさんかもしれない。
今、死刑賛成論者である皆さんの方が、そういうアイデアを生み出す力があるのかもしれない。

これはね、私は非常に残念です。


なぜなら、人と人が互いに信頼し合って、互いに助け合う世の中、犯罪に泣かされる者の少ない未来、
犯罪が起きにくい世の中、人が人を殺さなくて済む世の中、人が人に殺されなくて済む世の中、
犯罪に怯えなくて済む世の中は、死刑賛成論者も死刑廃止論者も同じく目指す未来だと思うからです。

おなじ未来を見据えているのに、同じ未来を望んでいるのに、協力できない。こんな悲劇はないでしょう?
平和で安全な世の中を望む者同士が、些細な方法論の違いで手を結べないなんて馬鹿げています。

だから「死刑の恐怖のみが人を人たらしめる」と信じて疑わない人を除いて、コストやら何やらを
理由に死刑に賛成している人は、ぜひ、頭の体操とでも思って「死刑を廃止する効果的な方法」を
考えてみてほしいのです。もしかすると「死刑に値するような犯罪を犯す者が現れない世の中」の方が
先に実現するかもしれませんが、別に困りはしません。平和な世の中になるのなら良いではありませんか。


地球の裏側に居る人と、ほぼ、ライブタイムで会話するなんて「妄想もいいとこ」とか、
鉄の塊が空を飛ぶなんて「馬鹿げている、あり得ない」とか、人類が月に行くとか、
大昔の人は笑い飛ばしていました。「不可能でしょ?」って。

でも、それを夢見て、成し遂げようとした人が居るから、今の人類の繁栄はあるのです。
意外と「不可能でしょ?」と笑い飛ばしていた人の研究が、実現に役立ったりしています。
夢は諦めたら終わりです。今の延長線上に未来を夢見るのではなく、夢の未来を妄想して、
そこを目指して今を変えていく。そういう方法だってあるはずです。

「無理だ」の前に「そのためには」です。

3206紫煙狼:2012/10/22(月) 23:57:09
関係各位

>>3203に関してですが、非常に下品な表現で申し訳ございません。
なにしろ、良い例が思いつかなかったのと、少々我慢していたので、
気が付くと、あんな事になってしまいましたが、順番通りに危機は脱しました。

>先にやったか後にやったかの違いであり、双方にあまり違いが無いように思います。
警察官が逃亡しようとする犯罪者に「止まらないと撃つぞ!」と警告してから発砲するのと、
発砲して犯罪者の心臓を打ち抜いてから「止まらないと撃つぞ!」と警告するのでは、
先にやったか後にやったかの違いですが、新聞の見出しは大違いです。

くらいに置き換えてお読みください。m(_ _)m

3207倫理的廃止論者:2012/10/23(火) 00:10:59
では、この先核戦争にでもなったとして、人類は社会性を維持出来ると考えられるでしょうか?

Ex. ミニョネット号事件(1884年7月)
  船長、航海士、給仕、見習いの4人が遭難
  →食料が尽きる/見習い船員が衰弱
  →船長と航海士は1人を食料にしようと考える *1
  →くじ引き案に給仕は反対(見習いは蚊帳の外)*2,,3
  →船長と航海士が見習いを殺害 *1
  →3人は遺体を食べ24日目に救出された
  →船長と航海士は起訴された

船長と航海士は道徳的に許されるか?

今いる人間が自分の身の安全の為に、やれ経費がかかり過ぎるから死刑にしてしまえ。

これってどうなの?
と思う訳です。

生きるためのその行為は船長、航海士に通ずるものがあるように思えてなりません。

なぜ、そのものを処刑しなければならないのか?
処刑する権利など人類にあるのだろうか?

3208紫煙狼:2012/10/23(火) 00:55:17
>>3207
>船長と航海士は道徳的に許されるか?
では、道徳などのために全員が飢え死にするのが正解ですか?
その場で見ていたわけではないのでわかりませんが、誰かが衰弱死するのを待っている間に、
全員が衰弱して、結局、最初の衰弱死者が出た時には、それを食べる体力が残されている
者は一人も居ないかもしれません。

>今いる人間が自分の身の安全の為に、
自分が生き残るために必要不可欠なら、相手が動物であれ植物であれ人間であれ、
命を奪わざるを得ないのは明白です。逆に伺いますが、倫理的廃止論者さんは、
今までに一度たりとも、生き物の命を奪った事はないのですか?

もちろん
>経費がかかり過ぎるから死刑にしてしまえ。
というのは私も賛同しかねます。

いわゆる思考実験の一つですが、

倫理的廃止論者さんの目の前に一つのボタンがあります。
このボタンを押せば、5人が死んで、10人が助かります。
押さなければ、10人が死んで、5人が助かります。
全員を助ける方法はありません。さて、道徳的に何が正解ですか?

今、目の前で、テロリストが機関銃を手に、渋谷センター街のど真ん中で、
何千人と居る周囲の者たちを射殺しようとしている。そしてなぜか、貴方の手には
一丁の拳銃が握られている。貴方がテロリストを撃てば、何千人の周囲の者が助かる。
貴方がテロリストを撃たなければ、貴方を含め、何名の死者が出るか想像もつかない。
貴方は、テロリストに怪我を負わせつつ殺さないなんて腕前は持っていない。
さて、道徳的に何が正解ですか?

現代医学では治すことはおろか、苦痛を取り除くことすらできないような怪我や病気に苦しみ、
「お願いだ!いっそ殺してくれ!ひと思いに楽にしてくれ!」と泣き叫びながら懇願する者を、
何時間、何十時間、何日、何週間、何カ月も苦しませ続けるのが貴方の倫理ですか?

だとしたら、そんな倫理はクソくらえ。そんな盲目的「殺すなかれ」主義は、
「何人殺しても全然おっけー^^」と同じくらい、非倫理的ですよ。

3209倫理的廃止論者:2012/10/23(火) 01:46:30
私なら、ボタンは恐らく押さないでしょうし、どんなに泣け叫んだとしても自然死を考えると思います。

なぜなら、それは殺人行為に匹敵するからです。

例え片方に100万の命がかかっていたとしてもです。

多数が助かる為に少数を犠牲にできるのであれば、最後にどこに収束していくのでしょう?

そんな事が可能ならば、5人を助ける為に1人から臓器を取り出して救わなければなりません。

そこでもし、最後に生き残ったのが、同性どうしであったのならば、人類は確実に滅亡してしまいます。

まぁ、生きている者に生きている権限を与えたとしても、同じでしょうが…

弱い者を守る為に殺人が否定されたのに、数の暴力によってそれは支配されるべきものではないと考えます。

3210またたび:2012/10/23(火) 09:14:40
>>3204
読み難い長文だったのに、お褒めいただいてありがとうございます。
私も紫煙狼さんのように死刑に反対なさる方の御意見もわかるし
全否定する気はありません。
先に述べた通り、死刑反対論というのは犯罪と死刑の存在とともに
永久に存在し続け議論されていく事だと思います。
ただ、私が個人的に死刑廃止に対して慎重に考えてしまうのは
ある理由があるからです。

よくスプリーキラーに『死刑になりたかった』と犯行の動機を述べる者がいますよね。
あれは一種の自殺であり、自分で自分を殺す勇気が無いから
他人を殺し、他人に殺してもらおうという最悪なものなわけですが
死刑が廃止される事によって、そういった身勝手な犯行へのハードルがより下がる事への懸念があるのです。

つまり、自殺する勇気のない者が他人に息の根を止めてもらうためにするのが
スプリーキラーの一種の典型であるなら、ではどんなに人を殺しても
絶対に自分は死刑になる事はなく、一生生命の安全と衣食住だけは保障されるとしたら、どうでしょうか?
私はもし日本で既に死刑が廃止されていたとしたら、池田小事件の宅間守のような数々のスプリーキラーたちの犯行の動機も
こう変化していたんじゃないか、と思うんです。

『誰でもいいから殺して、刑務所に入りたかった』

刑というものの本質は受刑者のためにあるのではなくて
塀の外側にいる人間、つまり第三者の社会の安全の確保のためにあると私は思うのです。
第三者である社会と、事件の当事者である被害者の遺族感情、このどちらが優先されるべきかは難しい所ですが
第三者(社会)の安全、被害者の事件と遺族の意思、加害者の人権、
この三つの内なら優先度が最も低くあるべきなのは加害者の人権だと私は思います。
加害者は先に被害者の人権を侵害してしまっているのですから、人権問題を最優先に尊重すればこそ、加害者の人権のみを重視して最優先する事は矛盾があるのです。
では、そもそも被害者が加害者から受けた人権侵害はどうなのか、という事になってしまいますから。
そこで重要になって来るのが第三者、つまり社会にとっての選択だと思うのです。

私が死刑囚を生かしておいても社会が死刑囚から受けたマイナスに対してリターンは少ない、といったのは
事件の当事者ではない第三者の社会、つまり私のような立場の人間から見て
どの選択が最も得で、且つもっとも自分たちの社会の安全に繋がるか、という選択が大事だと考えからです。
最近よく猛暑で山の食料が減ってお腹をすかせた痩せたクマが山を降りてきて
不幸にも猟友会によって射殺されてしまう、というニュースがありますよね。
あれは気の毒で出来ればクマを助けてあげたいし撃ち殺すのは残酷だ、とも思えますし
人間による環境破壊がそもそもの原因だとか取り組んで解決していかなければならない問題がいろいろありますが
それでもお腹を空かせた飢えたクマが市街地や保育施設の中にまで入り込んでうろついていたら
当面の最優先されるべき事は人間の安全の確保であり、人身がクマの生命より優先されてしまうのは現実的な判断なわけです。
人間が人間の生命を何を置いても最優先で守るのが人間社会の成り立ちで、そこを守らなくなったら社会の意味がありませんから。

殺人犯は同じ人間であり、罪のない飢えたクマと同じにするのは両方にとって問題があるかもしれませんが
社会に対する問題としては同じ物だと思います。
つまり野に放たれた場合、人に危害を及ぼす猛獣であり危険な野獣である、という点では。
そして生存権を奪うのは可哀相だし人権侵害だから殺すのは止めて檻の中で飼っておこう、
という考えがあるのもわかります。
しかしクマと違って知恵の働く人間の場合は、檻に入れてもらうためにわざとそれをする、
終身刑になるために人を殺す、という思考を持った人間が
100%現れないとも言い切れないのが一つの問題であると思います。
その場合、死刑を廃止にした事で、社会に危険をもたらす可能性が生じるのです。
社会の安全と加害者の人権、この二つを量りにかけた場合、優先事項は社会の安全の維持の方であると私は思います。
そして、死刑の是非について考えたり、社会の諸問題に対し取り組みが出来るのも、
クマが餓えずに暮らせる環境を再生される問題に取り組めるのも、まず先に社会の安全が確保されていなければ出来ない事です。
なので、当事者間の感情論を抜きにしても私は第三者の立場から死刑廃止に慎重になってしまうのです。

3211雄峰:2012/10/23(火) 10:12:48
>>3209
俺も質問していいだろうか?

>倫理的廃止論者さんの目の前に一つのボタンがあります。
>このボタンを押せば、0人が死んで、10人が助かります。
>押さなければ、10人が死んで、0人が助かります。
>さて、道徳的に何が正解ですか?

この状態なら、ボタンを押さない事が殺人行為に匹敵しないか?


つまり、紫煙狼の出した問題は、ボタンを押しても押さなくても、
殺人行為に匹敵する。ボタンを押さない、何もしないから殺人に
加担していないとは言わせない。倫理的廃止論者は、ボタンを
押さないという方法で10人を殺した。倫理的殺人者なんだ。

「ボタンを押していない」つまり「自分は何もしていない」だから
結果は「自然の成り行き」であって「自分のせいではない」という
のは倫理でも何でもなくて倫理的廃止論者さんの自己満足だ。
いや、自己欺瞞だね。

>倫理的廃止論者さんの目の前に一つのボタンがあります。
>このボタンを押せば、貴方の宿敵1人が死んで、貴方の親族10人が助かります。
>押さなければ、貴方の親族10人が死んで、貴方の宿敵1人が助かります。
>さて、道徳的に何が正解ですか?

俺なら宿敵10人が助かって親族1人が死ぬとしてもボタンを押す。
感情を超越して「被害を最小限度に抑える」のが最も重要だからね。

自分が手を汚しさえしなければ、被害が拡大することも厭わない。
君の倫理は、その程度だ。

3212またたび:2012/10/23(火) 10:36:23
>>3207
>では、この先核戦争にでもなったとして、人類は社会性を維持出来ると考えられるでしょうか?

漫画の北斗の拳や映画のマッドマックスみたいな世界は
今後人類が核戦争になってもやってこないでしょうけど(笑)
その通りで倫理的廃止論者さんのような方がそういった優しい意見をお持ちで
それを語っていられるのは、今の日本とその周辺の世界がいろいろ問題があって雲行きが怪しくなってきていても
なんだかんだで少なくともこれまでは平和で豊かで余裕のある世の中であったからだ、と思いますよ。
かつては国内外でもっと簡単に人間が人間を死刑にしていましたし、簡単に人を殺す人間が多かったのです。
戦争や飢饉で人が死ぬことも殺し合う事も珍しい光景ではありませんでした。
布団やベッドの上で天寿を全うして死ねる人間なんてそれこそ一握りという世の中がちょっと昔は当たり前の光景だったのです。
江戸時代の頃の日本なんかは、今じゃ考えられない事ですが窃盗を3回やっただけで死刑です。
当時の日本は頻繁に飢饉も起こり今よりもっと余裕のない世の中でしたから、いちいち犯罪者の面倒など寿命で死ぬまで見ていられない、というわけです。
だからもっと簡単に人間が人間を切り捨てていましたし、理由を付けては口減らしをしていました。
悪癖が直らない人間は、直る見込みに賭けてのんびりと更生を待つより早い段階でさっさと処分してしまえ、という事です。
その後日本社会において人権意識が高まってこうはならなくなっていったのは、
その後の日本社会が近代化にひとまずは成功して江戸時代より物理的には豊かな社会になっていったからです。
衣食足りて礼節を知るとは言いますが、勿論日本と世界が今よりもっと貧しくなっていけば
それこそ先進国とされていた社会でも死刑廃止論なんて言ってられなくなってしまう余裕のない一昔前の社会に逆戻りでしょう。

それと、その船長と航海士は当時の感覚でも罪に問われたのでしょう。
だって起訴されているのですから。
起訴されたという事は罪を問われたという事です。
その船長と航海士にどのような判決が降りたかは存じませんが、当時の人にもその船長と航海士の行動は賛否両論だったのだと思いますよ。
私も船長と航海士は食べなければ飢え死にしていた、という点は留意すべきだと思いますが
相手の同意を得ず説明をせず勝手に船員を共謀して殺害したというのは理由は何であれ立派な殺人であると思います。
しかし、それを自信満々で糾弾出来る人間は自分が同じ状況に立たされた時に
例え自分が飢え死にしても飢えに堪えて餓死を覚悟して受け入れられる、と自信を持って断言出来る清廉潔白な人くらいだと思います。
やむを得なかったとして彼らに同情し弁護する人達もいたでしょうが、同時に清廉潔白で正義感の強い人達に殺人は殺人であると指弾されたからやはり起訴になったのだと思いますよ。

>>3209
私は倫理的廃止論者さんのそういう躊躇いの感情や殺人への無条件の抵抗感は人間としては間違ってはいないとは思いますし
多数のために少数を殺すという思想を無条件で全肯定する事には私にも抵抗はありますが
しかしそれでも多数を犠牲にして生き残らせた少数に未来があるとは思えません。

それと、殺人が否定されたのは弱者を保護するためとか守るためとかいう事ではなく
純粋に社会の維持のためだ、と思います。
というより、先に強者・弱者といった対比があるというより
まず先に社会があり、その中で強者と弱者や多数派と少数派という対比や階層が自然発生的に生ずるものだと考えます。
例えば、ある一家の中に働ける人間と、事情があって働く事の出来ない人間とがいたとします。
働ける人間は自分が健康で働く事ができることで一家に収入をもたらし、働く事の出来ない家族を養っています。
働けない人間は、もし働く事の出来る家族の身に何かあった場合、結局自分も飢え死にしてしまうわけです。
だから、社会の中で弱い立場にいる人間を守るには強い立場にいる人間が頑張ってなんとかするしかないし、
強い立場の人間の身の安全や暮らしの保障が蔑ろにされると、結局はそれは弱い立場の人間にダメージとして巡って来る事にもなるわけです。
よって、殺人の否定と安全の保障に対象が弱いかどうかは関係がありません。
その対象が強者であろうと社会を支えている者の安全が脅かされれば全員が脅かされるのです。
多数を犠牲にして少数を生き残らせても、社会を支えていた多数が消えた事によって結局ダメージを被り、生命を脅かされるのはその後の少数なんです。
人口が一気に1億人消えるのと、2000万人消えるのとで
その後の社会のどちらがより大きな社会混乱を招き、破滅的な事態や治安の崩壊を招くか考えればわかると思います。

3213倫理的廃止論者:2012/10/23(火) 18:45:17
>>3211(倫理的に言うとして)
では貴方は内臓を取り出し、5人の命を救わなければならないでしょう。
多数が助かるのに何かをするという事はそういう事ではないのでしょうか?
そしてそれは、少数という数になった瞬間に矛先が貴方に向かいます。
そんな所に人権など存在するのでしょうか?

>>3212
まず先に社会があり…(以下略)

確かに知識として教わった事はその通りです。そう仮定した方が社会(多数)にとって都合がいいですからね。
ですが、人が人と交わらなければ、そこには社会は存在しえないと思います。
先に社会ありきではなく、先に人ありきというのが私の現在までの答えです。
生命に値段などつけるべきではないと思いますし、社会と生命を天秤にかけても生命の方が重いと考えます。

その社会より重い生命を殺した事による罰はいかなるものかも想像がつきません。
ですが、罰を受ける側もまたその社会より重い生命を所持していると考えます。
(だからといって反社会的行動をして社会を壊そうとは思いませんが)

民主主義の現在では功利主義的発想になるのも已むをえません。
ですが、そこには欠点もあると言う事は熟知しておく必要があると思います。

3214またたび:2012/10/23(火) 20:16:48
>>3213
う〜ん、何か話が通じてないですね。
私がまず先に社会がありその中で人間の強弱が発生するだけ、といったのは
別に社会が人間の生命より優先されるだとかそういう意味ではなく、あなたの弱い者のために殺人は否定されたとの意見に対して
そうじゃあなく、殺人から守られなければならないのは社会の中の立場の強弱に関わらず
金持ちも貧乏人も権力者も労働者も大人も子供も年寄りも健康な人もそうでない人も等しく全員ですよ、ってことを伝えたかっただけなのですが。

そして、その社会そのものの安全を蔑ろにすれば
結果社会の中の全員が平等に危険に晒され、社会は不安定になり、治安が悪化し、
経済力や社会的立場の強弱に関係なく全員の生活と安全が脅かされ皆がダメージを受ける、ってことを言っただけです。
社会ってのは別の返信レスで書きましたが人間の生命や生活を保障するためにあるわけです。
個人の命が重いのは確かですが、社会はその個人の生命の集合体です。
社会と生命を天秤にかける、とお書きになられてますがその天秤にかけてる社会には生命や生きている人間が全く居ない無機物や機械の塊なわけではなく
社会もまた人間の生命の塊です。
人の命は何よりも重いとお考えなら、社会はその人の命の塊であり人の命を守るための物であるので
秤にかけられるような物でもないし、かけてもどっちが重いかなんて決められないはずです。
個人の命を社会が蔑ろにするというのは本末転倒ですが、
個人の命のために社会全体が危険に晒される選択をしたら、結局その個人も危険に晒されてしまう、ってことを言っただけです。
だからカルネアデスの舟板とかトロッコ問題ってのは禅問答と同じで絶対に片方が正しいという答えが無いように出来てる命題ですし、
読み違いでなければ紫煙狼さんが出した思考実験の一問目はそういう物だと思います。
多分勘違いされてると思うんですが私は大のために小を殺す事が100%絶対の正解だとは思ってはいません。
ただ、小のために大を殺す事も不正解だよって言ってるだけです。

3215倫理的廃止論者:2012/10/23(火) 20:49:31
>>3214
そうですね、生命もその社会も無限の可能性を秘めています。
優越など付けられるはずがありません。

でも、貴方は1億と2000万の命であれば、1億の命を助けるべきだと思っているようです。

私はそこが釈然としないのです。

生命が無限
その社会は無限の集合体である。

ここで考えてもらいたいのは、無限がいくつ集まろうが無限ではないのか?という事です。
(数学者ではないので、これが正しいかは知りませんが…)

つまり、2000万が10億に増える事も否定できないという事です。
逆に1億が1000万に減ってしまう事も否定できません。

これを考慮した場合、ある特定の段階で1億を選択する理由にはないのではないかという事です。

3216またたび:2012/10/23(火) 22:30:46
>>3215
なんかもう、死刑制度に関する話と全然ズレて行っちゃってますが
何回も言ってるように私はどっちの選択が絶対の正解かとかはそもそもないし
どちらの選択にもそれぞれの問題がある、
裏を返せば2000万人のために一億人を犠牲にする事も全く正しくないし意味はないよ、それはそれでやっぱり不正解だよ、
ってことを申し上げてるだけです。

2000万人がいつか一億に増えるから今の一億人を2000万人のために殺していい、というのがあなたのお考えであれば
それはそれで大量殺人肯定の思想になっちゃってますよ、ということ。
それじゃ殺人を否定してたはずのミイラ取りのあなたがいつのまにかミイラになっちゃってるでしょ。
次いでに、現実的に考えたらそのあとどっちがより大変になるかってことでもあるし、
一億人の人間が保たせてた分の穴が開いた社会に放り出された2000万人は
本来回っていたはずの秩序、治安が崩壊した社会に突如放り出されて結局地獄と弱肉強食を味わう事にもなります。
あなたが言う弱者とやらを救ったつもりのはずが、結局それは弱者の救済にはなってないんですよ。
社会がもっと人権意識の低かった、弱肉強食の余裕のない時代に一気に逆戻りするってだけで。
(そもそも何を基準に弱者強者にこだわってるのかよく解りませんが、要するに無条件で多人数=強、少人数=弱ってことなのか?何か多数決で嫌な思い出もされたのですかね?)
全く現実的な選択ではないってことです。

3217倫理的廃止論者:2012/10/23(火) 23:06:12
ボタンを押すという殺人行為をしたのは誰でしょう?

無論見殺しも正しいとは思いませんが、殺人ではありません。

押した事によって罪に問われる事があっても、押さなかった事に悔いは残っても罪には問われないと思います。

トロッコの問題で人がレバーを引くか、突き落とすかという問題で
(矛盾なく議論するには)貴方は突き落とすという選択を選ばなければならないはずです。

そこには(狭義の)正義の為の殺人が存在します。

私は殺人を犯してまで救うべき命が存在するとは思いませんし、人肉を食らおうとも思いません。

3218紫煙狼:2012/10/24(水) 00:23:05
私が倫理的廃止論者さんに考えをうかがった思考実験は、ボタンを押したところで、
ボタンを押さなかったところで、殺人行為である事に差はありません。

雄峰さんのように信念を持ってボタンを押すのも正解だし、倫理的廃止論者さんの
ようにボタンを押さないのも正解です。逆に、雄峰さんも間違いなら、倫理的廃止論
者さんも間違いです。ハッキリしているのは、どちらも正義足りえないという事です。

現実にそのような選択を迫られるような状況が実社会で発生したとして、
どちらの選択をしても罪に問われ、どちらの選択をしても無罪となるでしょう。
過去には炭鉱火災などの事故で、ほぼ同様の選択をせまられた実例があります。
その選択をしなければならない立場に自分が居たら…?正直、想像しただけで
ゾッとします。

ところで、倫理的廃止論者さんからは「渋谷センター街」の例に関しては
お答えを頂いていませんが、こちらもお答え願えないでしょうか?
と、いうのも、両方のお答えをうかがわなければ倫理的廃止論者さんの倫理が
わからないのです。ぜひお答えいただきたいと思います。


現状、ある程度全貌が見えてきたのは、倫理的廃止論者さんは、
「自分が直接手を下す」という後味の悪ささえ感じないで済むのなら、多くの人が
死んでゆくのを見殺しにするという殺人行為には積極的に加担できる。
「多数を活かすために少数を殺す事に人権が存在しうるか」と問いかけつつ、
実のところ、集団としての社会はもとより、個としての人も、さして重要視していない。
死刑廃止の主張も人権や慈悲の心に根差すものではなく、数の暴力の対極を行く
数のマジックが原点で、過去から続く生命として人類の種の保存だけが最重要らしい。

特に興味を掻き立てられるのは、倫理とは「社会のために個はどうあるべきか」という
論理学ですよね?そして、論理学とは物事に筋道をつけて誰の目からも矛盾がないように
説明つける学問です。従って、論理家の文章と言うのは決して誤読が起きないように
解釈の余地を与えない文章でなければならないし、論理展開に問題がある倫理は
既に倫理足りえず、極論、曖昧な文章しか書けない者には曖昧な倫理しか宿りえない
ハズなのですが、倫理的廃止論者さんはその辺り無頓着ですね。なぜでしょう?
(当然、意図的にそうなさっているのでしょうが、その意図は見えません。)
いずれにせよ、まだまだ謎多きお方ですね。非常に興味があります。


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