[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
死刑制度についてひと言お願いします
3125
:
ufloat
:2012/05/25(金) 21:39:38
そうそう、冤罪と言えば
>>3107
>無期懲役冤罪の人は死刑じゃなくて良かったネ
実はある意味、その通りだと思うのですよね。
もちろん「良かった」わけはありませんが。
死刑と終身刑のうちどちらが有効なのか、あるいはどちらも同等程度の効果なのか。
これはなかなか難しい問題ですが、ここではとりあえず同等であると仮定しましょう。
そして、仮に両者が同等であるなら、万が一冤罪が発生した際に冤罪被害者のダメージが
より少なくなる方を選ぶという発想は、決して奇妙なものではないと思います。
もちろん、これは死刑と終身刑に限った問題ではありません。
例えば海外では最高刑を懲役25年程度に設定している国もありますが、
もし終身刑と懲役25年では差がないと明らかになれば、それは当然
冤罪被害者のダメージがより少なくなる懲役25年を選択する余地はあります。
そして未来、人間や犯罪に関する研究が飛躍的に進み、最高刑が懲役1年でも
懲役25年と同等の効果が得られるようになったなら、冤罪被害者のダメージが
より少なくなる懲役1年を選択することも、やぶさかではありません。
ま、その前に冤罪がなくなっていたら最高なのですが。
「死刑じゃなくて良かったネ」?「良」くはないにせよ、そうかもしれませんね。
足利事件が死刑であったなら、執行に至っていなかった保証はない。
であれば、死刑じゃなくて「良」くはないが、まだ「マシ」かもしれない。
できるだけ社会の安定を保ちつつ、冤罪被害者にとって可能な限り「マシ」な刑罰を
考えようとする行為は、全く自然なものです。
薬品にたとえれば、ある患者が薬を飲んでいる。しかしその薬は副作用の強さが指摘されている。
その場合、「作用が同等で副作用が軽減される、こちらの薬に変えてみてはどうだろう」
という意見が出ることはおかしくないどころか、自明とさえいえる。
そして、それに対する一般的な反論は
「いや、その薬では〜という理由で今の薬の代替はできない」
「代替の検討はいいが、薬を変えると何が起こるか分からないから慎重にいこう」
などでしょうか。いずれも死刑存廃問題では実際に見る反論ですし、妥当な反論です。
が、しかし。
「薬というものには必ず副作用がある。副作用があるのがダメとかいうのなら
この世に存在する薬全部をなくしてしまえ!」
これに至っては話にならないどころか、一歩間違うとコントです。
この例で考えると、
>>3108
>その一例「冤罪が理由で死刑に反対するということは〜
「この薬は副作用がより強いので、現状での使用には反対する」と主張しつつ、
薬の副作用を緩和する研究も進めることは、おかしくないどころか真面目な行為ですね。
むしろ、「副作用が強いからその薬は使うなと言いながら、その薬の副作用を
緩和する研究をするのはおかしい」と主張する意見の方が相当奇妙に感じます。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板