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死刑制度についてひと言お願いします
3212
:
またたび
:2012/10/23(火) 10:36:23
>>3207
>では、この先核戦争にでもなったとして、人類は社会性を維持出来ると考えられるでしょうか?
漫画の北斗の拳や映画のマッドマックスみたいな世界は
今後人類が核戦争になってもやってこないでしょうけど(笑)
その通りで倫理的廃止論者さんのような方がそういった優しい意見をお持ちで
それを語っていられるのは、今の日本とその周辺の世界がいろいろ問題があって雲行きが怪しくなってきていても
なんだかんだで少なくともこれまでは平和で豊かで余裕のある世の中であったからだ、と思いますよ。
かつては国内外でもっと簡単に人間が人間を死刑にしていましたし、簡単に人を殺す人間が多かったのです。
戦争や飢饉で人が死ぬことも殺し合う事も珍しい光景ではありませんでした。
布団やベッドの上で天寿を全うして死ねる人間なんてそれこそ一握りという世の中がちょっと昔は当たり前の光景だったのです。
江戸時代の頃の日本なんかは、今じゃ考えられない事ですが窃盗を3回やっただけで死刑です。
当時の日本は頻繁に飢饉も起こり今よりもっと余裕のない世の中でしたから、いちいち犯罪者の面倒など寿命で死ぬまで見ていられない、というわけです。
だからもっと簡単に人間が人間を切り捨てていましたし、理由を付けては口減らしをしていました。
悪癖が直らない人間は、直る見込みに賭けてのんびりと更生を待つより早い段階でさっさと処分してしまえ、という事です。
その後日本社会において人権意識が高まってこうはならなくなっていったのは、
その後の日本社会が近代化にひとまずは成功して江戸時代より物理的には豊かな社会になっていったからです。
衣食足りて礼節を知るとは言いますが、勿論日本と世界が今よりもっと貧しくなっていけば
それこそ先進国とされていた社会でも死刑廃止論なんて言ってられなくなってしまう余裕のない一昔前の社会に逆戻りでしょう。
それと、その船長と航海士は当時の感覚でも罪に問われたのでしょう。
だって起訴されているのですから。
起訴されたという事は罪を問われたという事です。
その船長と航海士にどのような判決が降りたかは存じませんが、当時の人にもその船長と航海士の行動は賛否両論だったのだと思いますよ。
私も船長と航海士は食べなければ飢え死にしていた、という点は留意すべきだと思いますが
相手の同意を得ず説明をせず勝手に船員を共謀して殺害したというのは理由は何であれ立派な殺人であると思います。
しかし、それを自信満々で糾弾出来る人間は自分が同じ状況に立たされた時に
例え自分が飢え死にしても飢えに堪えて餓死を覚悟して受け入れられる、と自信を持って断言出来る清廉潔白な人くらいだと思います。
やむを得なかったとして彼らに同情し弁護する人達もいたでしょうが、同時に清廉潔白で正義感の強い人達に殺人は殺人であると指弾されたからやはり起訴になったのだと思いますよ。
>>3209
私は倫理的廃止論者さんのそういう躊躇いの感情や殺人への無条件の抵抗感は人間としては間違ってはいないとは思いますし
多数のために少数を殺すという思想を無条件で全肯定する事には私にも抵抗はありますが
しかしそれでも多数を犠牲にして生き残らせた少数に未来があるとは思えません。
それと、殺人が否定されたのは弱者を保護するためとか守るためとかいう事ではなく
純粋に社会の維持のためだ、と思います。
というより、先に強者・弱者といった対比があるというより
まず先に社会があり、その中で強者と弱者や多数派と少数派という対比や階層が自然発生的に生ずるものだと考えます。
例えば、ある一家の中に働ける人間と、事情があって働く事の出来ない人間とがいたとします。
働ける人間は自分が健康で働く事ができることで一家に収入をもたらし、働く事の出来ない家族を養っています。
働けない人間は、もし働く事の出来る家族の身に何かあった場合、結局自分も飢え死にしてしまうわけです。
だから、社会の中で弱い立場にいる人間を守るには強い立場にいる人間が頑張ってなんとかするしかないし、
強い立場の人間の身の安全や暮らしの保障が蔑ろにされると、結局はそれは弱い立場の人間にダメージとして巡って来る事にもなるわけです。
よって、殺人の否定と安全の保障に対象が弱いかどうかは関係がありません。
その対象が強者であろうと社会を支えている者の安全が脅かされれば全員が脅かされるのです。
多数を犠牲にして少数を生き残らせても、社会を支えていた多数が消えた事によって結局ダメージを被り、生命を脅かされるのはその後の少数なんです。
人口が一気に1億人消えるのと、2000万人消えるのとで
その後の社会のどちらがより大きな社会混乱を招き、破滅的な事態や治安の崩壊を招くか考えればわかると思います。
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