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選挙・議員関連情報スレ

3772名無しさん:2012/11/16(金) 16:43:30
三宅久之さん死去

3773名無しさん:2012/11/29(木) 11:21:08
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121121-00000092-mai-peo
<訃報>階正さん75歳=階猛前衆院議員の父
毎日新聞 11月21日(水)21時12分配信

 階正さん75歳(しな・ただし=階猛前衆院議員の父)20日死去。通夜は22日午後6時、盛岡市材木町5の1のエヴァホール材木町別館。葬儀は23日午後4時、同市志家町1の10のサンセール盛岡。自宅は岩手県雫石町下町東20の1。喪主は長男猛(たけし)さん。

3774名無しさん:2012/12/18(火) 23:43:35
<イノウエ議員死去>後継不在「痛手」 日本からも惜しむ声
毎日新聞 12月18日(火)22時8分配信

 ダニエル・イノウエ米上院議員の死去に、日本国内からも「日米関係にとって大事な人を失った」と惜しむ声が相次いだ。藤村修官房長官は18日午前の記者会見で、「在米日系人社会の結束を強化するなど、日系関係の発展に尽力され、その功績は言葉では言い尽くせない。ご遺族、米国政府、米国民の皆さまに心から哀悼の意を表したい」と語った。

 イノウエ氏は中国が台頭する中、日米同盟の重要性を訴えてきた。10月に来日した際には、野田佳彦首相と会談。首相が尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐり日米の連携強化を求めると、「日米関係は米国にとっても重要で、さらに強化するため全力を尽くしたい」と応じた。

 玄葉光一郎外相は会見で、「初めての日系議員で、50年以上にわたり日米関係の発展強化に力を尽くした」と指摘。前原誠司国家戦略担当相も「大事な方を失ったが、日米関係の重要さは変わらない。関係強化に努力した者として、さらに人間関係を太くして議員の労苦に報いたい」と語った。

 イノウエ氏が来日するたびに面会してきた河野洋平元衆院議長は「日米の議会交流を進めようと一緒に努力してきた。成果を得る前に亡くなり残念だ」と述べた。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題では、11年6月に来日した際の記者会見で、「(米国側の)堪忍袋の緒が切れることもある」と苦言を呈することもあった。

 外務省幹部は「大きな痛手だ。米国の知日派議員は少なくなっており、第2、第3のイノウエ議員を作らなければ」と沈痛な面持ちで語った。【吉永康朗】

3775名無しさん:2012/12/19(水) 04:25:05
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-00001564-yom-peo
中川露子さん(中川雅治自民党参院議員の母)が死去
読売新聞 12月19日(水)0時3分配信

 中川露子さん 87歳(なかがわ・つゆこ=中川雅治自民党参院議員の母)11日死去。告別式は20日午前10時、東京都品川区西五反田5の32の20桐ヶ谷斎場。喪主は長男、雅治(まさはる)氏。

3776名無しさん:2012/12/19(水) 18:13:31
<訃報>中内力さん81歳=元神戸経済同友会代表幹事
毎日新聞 12月19日(水)13時7分配信

 中内力さん81歳(なかうち・つとむ=元神戸経済同友会代表幹事、神戸ポートピアホテル元会長)15日、急性心不全のため死去。葬儀は近親者のみで営んだ。後日、お別れの会を開く予定。喪主は妻安子(やすこ)さん。

 ダイエー創業者の故中内功氏の末弟で、ダイエー専務や神戸ロータリークラブ会長などを歴任した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000044-mai-peo

3777名無しさん:2012/12/19(水) 20:08:55
http://www.chibanippo.co.jp/c/newspack/20121219/115192
自民、交付金145億円で首位 衆院選受け試算
2012年12月19日 18:08

 衆院選で圧勝した自民党の2013年の政党交付金が、12年から44億3600万円増え145億9千万円になることが19日、共同通信の試算で分かった。09年の政権交代直前の約157億円に近い水準まで戻る。民主党は、79億4500万円減の85億5800万円とほぼ半減。

 初めて対象になる日本維新の会は27億2500万円、日本未来の党は8億6500万円。

 公明党は25億6600万円、みんなの党17億9400万円、社民党5億4200万円、国民新党2億4600万円、新党改革1億2500万円。

 新党大地と新党日本は政党要件を失った。制度に反対している共産党は除いた。

3778名無しさん:2012/12/20(木) 00:37:34
維新に27億円、民主は半減 政党交付金で明暗(12/20 00:05)

衆院選で大敗した民主党が来年受け取る政党交付金は、今年の約半分となることが分かりました。

 衆院選の結果を受け、来年分の政党交付金の各党への配分額を試算しました。その結果、政党交付金の見込み額は、民主党が前回の約165億円から85億5800万円とほぼ半分になることが分かりました。一方、自民党は前回より40%以上増えて約146億円となる見通しです。また、日本維新の会には27億2500万円、未来の党には8億6500万円が初めて交付される見込みです。
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/221219064.html

3779名無しさん:2012/12/21(金) 03:34:41
http://www.asahi.com/obituaries/update/1221/TKY201212201027.html
2012年12月21日2時48分
元社会党衆院議員の中村茂さん死去

 中村茂さん(なかむら・しげる=元社会党衆院議員)が19日、心不全で死去、92歳。通夜は22日午後6時、葬儀は23日午後1時から長野県上田市上田2552の1の上田愛昇殿で。喪主は長男幸一さん。自宅は同市中央北1の8の8。

 1972年衆院選、旧長野2区で初当選。連続6期務め、党国会対策副委員長、党長野県本部委員長、社民党長野県連合顧問などを務めた。

3780名無しさん:2012/12/22(土) 19:32:35
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3781名無しさん:2012/12/28(金) 11:35:47
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121225-00001618-yom-peo
中尾辰義氏(元公明党参院議員)が死去
読売新聞 12月26日(水)0時36分配信

 中尾辰義氏 96歳(なかお・たつよし=元公明党参院議員)20日、肺がんで死去。告別式は近親者らで済ませた。喪主は長男、邦広(くにひろ)氏。

 1959年の参院選全国区で初当選、4期務めた。党参院国会対策委員長などを歴任した。

最終更新:12月26日(水)0時36分

3782名無しさん:2012/12/29(土) 22:40:07
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121229-00000562-san-pol
「自民党は圧勝しすぎ」引退の池坊氏 親しい安倍首相を心配
産経新聞 12月29日(土)22時5分配信

拡大写真
「民主党は人の機微を学びなさい」再起を促す池坊保子前衆院議員=東京・紀尾井町のホテルニューオータニ、「KATO’S DINING & BAR」(酒巻俊介撮影)(写真:産経新聞)
 平成24年の暮れを自民、公明両党のマンモス政権で迎えるなんて、誰が予想したでしょうか。「ちょっと勝ちすぎ」と警鐘を鳴らすのが、今回の衆院選で引退した公明党の池坊保子前衆院議員だ。与野党に幅広い人脈を持つ池坊さんは、親しい安倍晋三首相が国のかじ取りを急進的に変えることに強い危機感を覚える。他方、民主党が復活するキーワードは「人間の機微」と強調。華麗かつ壮絶な人生経験をもとに、政界の今後を占ってもらった。

 池坊さんと待ち合わせたのは、東京都千代田区のホテルニューオータニ内にある和食店「KATO’S DINING&BAR」。池坊さんご指定の個室からは、首都高越しに赤坂御所の深い森が見える。「この部屋が数々の政治ドラマの舞台になった」といい、平成14年には、ここで山崎拓自民党幹事長(当時)から「二女の美佳さんを衆院補選に出してほしい」と頼まれたこともあったという。

 料理は、ホテルの高級料亭「千羽鶴」と同じ厨房(ちゅうぼう)で作る本格派だ。早速先付けの「野菜煮浸し トマトジュレ」が運ばれてきた。レンコンやカボチャなど根野菜の煮浸しに、酸味の聞いたトマトのゼリーがアクセントを効かしている。

 「私は公明党の議員だったけど、唯一(支持母体の)創価学会員じゃなかったでしょ。新進党から移籍するときにバッシングも受けたけど、不思議と私に面と向かって批判する人はいなかった。自立性だけは人一倍強いのよ」

 池坊さんの父は元貴族院議員の梅溪通虎。久邇宮朝彦親王は曽祖父にあたり、母上は香淳皇后と従姉妹同士にあたられる。池田動物園園長で天皇陛下の姉、池田厚子さんの夫・池田隆政さんとも再姉妹。昭和38年に500年以上の歴史を持つ華道・池坊家に嫁ぎ、平成8年の衆院選で政界にやってきた。

 一見すると華やかな一族と経歴が目を引くが、僕が池坊さんに感じるのは、決して受け身体質ではなく、強くたくましく、かつしなやかに筋を通すイメージだ。新進党から移籍先に公明党を選んだのも、教育や子育て対策など、子どもへの福祉政策をライフワークとして取り組むためだったという。

3783名無しさん:2012/12/29(土) 22:41:21
「私の父は終戦で爵位も奪われ、財産も取られた。山ほどあった満州鉄道の株は紙くずになり、いわば価値観が根底から崩れたのよ。そこで育った私は、小さなころから、すべてを『本当か』と一歩引いてみながら生きてきた。東京から嫁いだ京都でも、イケズ(意地悪)にある意味鍛えられ、たくましくなったわ。自分で考え、選び、責任はすべて自分が引き受ける。自分で言うのもなんだけど、主体性はすごくあると思う」

 そういう視点からみると、今回の衆院選の結果はどう映りますか。自民、公明両党が3分の2以上の勢力確保と大勝し、民主党はわずか57議席に終わりました。

 「自民党が正直ここまで圧勝するとは思わなかったな。安倍さんとは親しく、彼は官房長官時代、多忙の合間を縫って私主催の会で講演してくださった。とても優しい方だけど、心配なのは今のテンションが高いことね」

 5年前の安倍内閣は「お友達人事」などの批判を受け、わずか1年で崩壊した。今回は閣内にベテラン勢を配置し、まずは安全運転に徹しているように思いますが…

 「私が一番恐れるのは、経済対策ね。安倍さんはデフレ脱却を最優先課題に掲げ、日本銀行に2%の物価上昇目標(インフレターゲット)を据えるよう求めている。だけど、インフレで物価が上がっても、ただちに皆さんのお給料は上がるかしら。日銀法改正もちらつかせながら、過度に干渉する姿勢も危うさを感じる。平成24年度の補正予算案も、規模は10兆円でしょ。来年度末までに使い切れなければなりませんが、余ってしまうのではないかしら」

 テーブルに「炙りふぐ細造り 鉄皮和」が運ばれてきた。ふぐは山口県下関産で、ぷりぷりの食感と香ばしさがたまらない。池坊さんはお酒を飲まないが、「どんどん飲みなさい」との言葉に甘え、水内は冷やの日本酒をオーダーした。

 「私は日本に2大政党制をちゃんと根付かせたいと思っているけど、これだけ衆院で自民党の力が強くなると、安倍さんは『なんでもできる』と錯覚を起こさないかしら。右傾化しすぎることも心配。日本の政治にはある程度、リベラル的な力も必要よ」

 ただ今回民主党はあまりに大敗しすぎ、今後も2大政党の一翼を担うか不透明なところもある。

 「野田佳彦前首相はよくやった。消費税増税は誰かが決断しなければならないから、野田さんは火中のクリを拾われたのだと思う。後世には必ず評価されるわ。民主党の一部議員で問題だったのは、『松下政経塾』的な育ち方ね。松下幸之助さんも草葉の陰で泣いていますよ。政治家は国民生活に大きな影響を与える法律を作るのだから、人の痛みや苦しみが理解できなければならない。でも、優秀な人にお小遣いをあげて純粋培養しても、なかなか人の心の機微はわからない。組織に所属し、不条理な上司に口惜しい思いをしたり、嫌な同僚に気を使いながら人間力を養うのよね。政治は原理・原則ではダメ。情愛や包容力のない政治家は不適格よ。野田さんは政経塾出身だけど、人の心に寄り添う繊細なところは持っていたわね」

3784名無しさん:2012/12/29(土) 22:42:20
政経塾といえば、前原誠司元外相はどうですか。京都出身ということもあり、池坊さんはかなり親しい関係と思いますが。

 「彼は本当にかわいがっている。頭の回転の速さはピカ一だし、正義感も強い。ただ、まだ彼はまだ若いのだから、焦ることはないのよ。以前、『オバマ氏は47歳で米大統領になった。僕も頑張らなきゃ』といわれたことがある。『まだあなたは若いじゃない』と返しても『そうはいかないんです』と。苦労して育ててくれたお母様に、早く晴れの姿を見せたいと思っているのかしら。私も子を持つ親として、気持ちはわからないでもない」

 池坊さんは、民主党全体へのアドバイスとして「自民党の長老がいかにして若手議員を育てているかを学んでほしい」と説く。

 「長老の方々には、人のかゆいところに手が届く気配りを持った方がたくさんいる。その姿勢を丹念に教えていますよ。二階俊博元経済産業相なんて大好き。道ばたで出会い、『先生、このみかんおいしいから半分食べな』って突然手渡されたりね。何気ないけど、こうした気配りが有権者の心をくみ取る基礎になる」

 池坊さんが、まろやかな「カニの豆乳グラタン仕立て」をゆっくり味わう。カニに湯葉とカニの出汁を合わせたソースを絡め、オーブンでふっくら焼き上げた逸品だ。室内にはBGMのクリスマスソングが小さく響く。

 「それにしても、民主党の議員は1人1人は優秀なのに、どうして組織になるとダメなのかしら。みんな自分が一番偉いと思っているのでしょう。野球は投手だけでなく、野手も含めた9人でやるの。投手しかいなければ、勝てないのは当たり前よ。この体質が変わらない限り、民主党は再生しない。『日本維新の会』なんてわけのわからないものじゃなく、2大政党制をしっかりさせるためにも民主党に生まれ変わってほしいわ」

 美佳さんは、来年夏の参院選京都選挙区で民主党から出馬する。「私が祖母から受け継いだ政治のDNAは、美佳に引き継いでほしい」という池坊さん。美佳さんの背中を押す姿からは「民主党に立ち直ってほしい」との思いがにじみ出る。

 師走の喧噪をよそに、ゆったり流れる個室の時間。池坊さんが、「私のふぐ雑炊は、卵を入れて、ご飯少なめのサラサラね」とオーダーした。

 今回躍進した日本維新の会はどう映りますか。

 「橋下徹代表代行が注目を集めたけど、彼の石原慎太郎代表に対する気持ちって、自分の父親に対する憧憬(どうけい)の部分が見え隠れする。あの人は強くてリードする『親父』像にあこがれているんじゃないかしら。でも、2大政党制の片方が民主か維新かわからなくなるとは思わなかった」

 御所の森は深い闇に包まれた。ふぐ雑炊が、日本酒で温まった胃にハラハラと落ちていく。池坊さんは、揺れ幅が大きい選挙結果が続く原因として、一面的になりがちな有権者の意識を指摘する。

 「私は野党になった3年半前、すごくガックリ来たの。あの冬柴鉄三元国土交通相が、なんであんな人形抱えた人に負けるのか。逆にいえば、その前の『郵政選挙』も恐ろしかった。『郵政改革は正しい。改革改革』って叫べば、変な人でもバッジを付けてね。政治家自身は改革したくないくせに、よ」

3785名無しさん:2012/12/29(土) 22:42:52
池坊さんは今年8月、英国を訪れ、留学中の13歳の孫娘から痛烈な言葉を聞いた。

 「彼女は『日本の政治は最低よ。みんなで足を引っ張り合って、できるものもできなくしている』というの。私が初当選した16年前とくらべ、日本の政治は確実に劣化したわ。今はみんながテレビにどう出るか競うのみ。自分の周囲しか見えないのよね。政治って誠実で、着実で、真摯(しんし)で、真面目で、地味なものと思うけど、今はこんな考えバカらしく思われるもんね」

 劣化を食い止める重責は民主党が担うとみている。

 「1党支配は政治を傲慢(ごうまん)にさせる。与党を脅かす緊張感を早く取り戻してほしい。そのためにも『政治は規律』と学ぶこと。かつ、人の生臭い生き方にも対応できるようにならないとね。言い方は気をつけなければならないけど、『必要悪』ってあるの。沖縄に米軍基地はない方がいいに決まっている。でも、基地がなければ日本国民全体の生活が脅かされるのよ。必要性をしっかり判断しつつ、沖縄の人々の心に寄り添えるのが政治じゃないの」

 まだまだ池坊さんは意気軒高。若手政治家を鍛える大仕事も残っているように思いますが・・現役引退に未練はありませんでしたか。

 「本当はね、3年半前に野党に転落したとき、転機かなって思ったの。フルタイムで働くのもいやになっていたし、選挙応援で何度も同じ話をするのも負担になっていた。第一、いい天気の日に、あんな国会の暗い委員会でつまらない人の話なんか聞きたくないでしょうが!」

 池坊さんは21日、自身の半生を描いた「華の血族」(新潮社)を出版。心身に気力はまだ満ちあふれている。若手議員を叱咤する姿が永田町から消えるのはなんとも惜しい。

 【KATO’S DINING&BAR】東京都千代田区紀尾井町4ー1 ホテルニューオータニ・ガーデンコート ロビィ階 電話は03ー3221ー2857。営業時間はランチ・午前11時半〜午後2時、ティータイム・午後2時〜午後5時、ディナータイム・午後5時〜午後8時半、バータイム午後5時〜午後10時(ラストオーダーは午後9時半)。

3786名無しさん:2013/01/01(火) 17:36:35
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%CC%A6%C7%AF&k=201212/2012122900124
野田毅、岡田氏ら65人=巳年に「復活と再生」誓う−政界年男年女

 2013年、巳(み)年生まれの国会議員は、自民党の野田毅税制調査会長、民主党の岡田克也前副総理ら65人を数える。蛇は脱皮することから「復活と再生」を連想させるといわれる。夏には安倍政権や各党の命運が懸かる参院選を控えており、それぞれ新年に向けて飛躍を誓った。
 最年長組は72歳となる1941年生まれで、自民党の野田氏、民主党の横路孝弘前衆院議長、江田五月元参院議長ら7人。野田氏は「社会保障と税の一体改革を仕上げるためにも、自民党は参院選で勝利し、責任を持ってやっていく」と決意を示す。
 同じく41年生まれの自民党の衛藤征士郎前衆院副議長は「衆参共に安倍内閣を支える政権基盤の確立を願っている」と語り、川口順子元外相は「日本は世界第3の経済国。世界の安定的な発展と平和のために貢献したい」と抱負を述べた。
 衆院選で歴史的大敗を喫した民主党は、党再生が最大の課題。横路氏は「あと10年ぐらいは政治活動を頑張りたい。来年は自民との対立軸を打ち出し、党再生の第一歩を踏み出したい」と意気込む。江田氏も「(新年は)国会に出て36年目。これでピリオドというわけにはいかない」と語る。
 還暦を迎える53年組は18人。岡田氏は「政権交代がきちんとできる一方の柱として民主党がある。党を立て直していくことが、日本の民主主義にとって必要だ」と決意を新たにする。東日本大震災の被災地選出の黄川田徹前復興担当副大臣は「真の復興元年の年にしたい」と力を込めた。
 最年少は36歳になる77年生まれで、みんなの党の井出庸生衆院議員ら5人。(2012/12/29-14:04)

3787名無しさん:2013/01/01(火) 17:37:48
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2013010100081
ベアテ・シロタ・ゴードンさん死去=日本国憲法起草に従事

ベアテ・シロタ・ゴードンさん=2010年5月、ロサンゼルス

 【ニューヨーク時事】第2次大戦後、日本国憲法の男女平等に関する条項を起草したことで知られる米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんが12月30日、膵臓(すいぞう)がんのためニューヨークの自宅で死去した。89歳だった。関係者が31日、明らかにした。
 ゴードンさんは22歳の時、連合国軍総司令部(GHQ)のスタッフとして憲法案起草に従事。両性の平等を規定した24条など、人権に関わる条項を担当したほか、草案の翻訳作業にも通訳として加わった。
 1923年、オーストリア生まれ。著名なピアニストだった父レオ・シロタさんが当時の東京音楽学校(現東京芸術大学)で教職に就いたため、少女時代の10年間を日本で過ごした。 (2013/01/01-11:09)

3788名無しさん:2013/01/03(木) 09:53:32
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121229-00000354-yom-pol
安倍政権の閣僚ら、政治資金から不適切支出続々
読売新聞 2012年12月29日(土)11時35分配信

 安倍政権を支える閣僚や自民党幹部らが、自身が入会するライオンズクラブ(LC)の会費や慶弔費を、政治資金から支出していたことが、政治資金収支報告書から分かった。

 各議員は、会費を返金するなどの対応を取ったという。

 甘利明経済再生相の資金管理団体「甘山会」は2005〜11年、甘利氏と秘書が入会する地元LCの会費計約190万円を支出した。過去にも政治団体がLCの会費を支払ったケースはあるが、LCは政治活動を持ち込まないことがルールとされており、議員個人として参加したことになるため、政治資金から会費を支出することは「公私混同」にあたると指摘されてきた。甘利事務所は「政治活動はしていないが、過去の会費は本人が返金する」とした。石破茂幹事長の政治団体「石破しげる後援会」も10〜11年、LCの会費計約37万円を支出。石破事務所は「政治活動の一環と疑いを持たれることがあり得る」とし、石破氏が同後援会に返金したという。

 衛藤晟一首相補佐官の政党支部「自由民主党東京都参議院比例区第78支部」と資金管理団体「新世紀政策研究会」は09年、「香典」「結婚式祝儀」「お祝い」などの名目で11人7団体に計67万円を支出した。選挙区内の個人や団体に寄付を禁止した公職選挙法に抵触する可能性がある。衛藤氏の政策秘書は「常識の範囲内と思っていたが、税理士と相談し、10年以降の支出はやめた」としている。

 また、木村太郎首相補佐官の政治団体「木村太郎後援会連合会」も09〜11年、選挙区内の13人に香典計約27万円を支出。読売新聞の指摘を受け、木村氏本人が相当額を同会に返金した。稲田朋美行政改革相の政党支部「自由民主党福井県第1選挙区支部」も09〜10年「香典」「お祝い」「祝儀」として、自身の選挙区の3人に計8万円を支出。稲田事務所は「調査する」としている。

最終更新:2012年12月29日(土)11時35分

3789名無しさん:2013/01/13(日) 10:15:04
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130108-00001627-yom-peo
水田清子さん(水田三喜男元蔵相の妻、城西大名誉理事長)が死去
読売新聞 1月9日(水)0時23分配信

 水田清子さん 100歳(みずた・せいこ=水田三喜男元蔵相の妻、城西大名誉理事長)4日、老衰で死去。密葬は近親者で済ませた。大学葬は17日午後1時、東京都文京区大塚5の40の1護国寺。葬儀委員長は長岡実同大理事。喪主は長男、博久氏。

最終更新:1月9日(水)0時23分

3790名無しさん:2013/01/13(日) 10:16:39
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130110-00001674-yom-peo
山田英介氏(元衆院議員)が死去
読売新聞 1月11日(金)0時6分配信

 山田英介氏 67歳(やまだ・えいすけ=元衆院議員)昨年11月25日、S状結腸がんで死去。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻、礼子(れいこ)さん。

 1979年に衆院旧埼玉4区で公明党から出馬し初当選。計5期務めた。94年の新進党結党に加わった。

最終更新:1月11日(金)0時6分

3791名無しさん:2013/01/13(日) 20:54:26
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130113-00000596-yom-pol
瓦力・元防衛庁長官が死去、75歳
読売新聞 1月13日(日)20時32分配信

 元自民党衆院議員の瓦力氏が13日、肺炎で死去。

 75歳。告別式は近親者のみで行い、23日午前11時、石川県七尾市本府中町ヲ38の七尾サンライフプラザでお別れ会が開かれる。

 1972年に衆院初当選、竹下内閣で防衛庁長官を務めたが、88年の潜水艦「なだしお」衝突事故で引責辞任した。衆院当選12回。第2次橋本改造内閣では建設相を務めたほか、小渕新連立内閣、森内閣でも防衛庁長官に就いた。

最終更新:1月13日(日)20時32分

3792旧ホントは社民支持@鹿児島市:2013/01/15(火) 21:11:53
清水澄子さん死去(元社民党参院議員)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2013011500750
 清水 澄子さん(しみず・すみこ=元社民党参院議員)14日午後0時37分、肺がんのためさいたま市内の病院で死去、84歳。福井県出身。葬儀は19日午前10時からさいたま市大宮区天沼町2の580のシルバー葬祭センターで、近親者のみで執り行う。喪主は夫茂夫(しげお)氏。
 89年参院選比例代表で旧社会党から立候補し初当選。当選2回。経済企画政務次官、社民党副党首を歴任した。(2013/01/15-18:12)

3793名無しさん:2013/01/22(火) 10:57:11
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130121-00001629-yom-peo
佐藤泰三氏(元自民党参院議員)が死去
読売新聞 1月22日(火)0時22分配信

 佐藤泰三氏 88歳(さとう・たいぞう=元自民党参院議員)21日、腎不全で死去。告別式は27日午前10時、埼玉県川口市芝5の16の30さがみ典礼芝葬斎センター。喪主は妻、孝子(たかこ)さん。1992年の参院埼玉補選で初当選し、当選3回。国土交通副大臣などを務めた。

最終更新:1月22日(火)0時22分

3794名無しさん:2013/01/23(水) 13:04:28
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130122-00001705-yom-peo
野々山一三氏(元社会党参院議員)が死去
読売新聞 1月23日(水)0時22分配信

 野々山一三氏 89歳(ののやま・いちぞう=元社会党参院議員)19日死去。告別式は24日午前11時、愛知県刈谷市東新町3の211イズモ葬祭セレモニーホール刈谷貴賓館。喪主は次男、孝也(たかや)氏。

 1962年の参院選全国区で初当選し、2期務めた。

最終更新:1月23日(水)0時22分

3795名無しさん:2013/01/23(水) 13:05:17
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130122-00000061-mai-peo
<訃報>貴志八郎さん82歳=元社会党衆院議員
毎日新聞 1月22日(火)19時9分配信

 貴志八郎さん82歳(きし・はちろう=元社会党衆院議員)21日、肺がんのため死去。通夜は23日午後7時、葬儀は24日午後1時、和歌山市吹上2の3の36の吹上ホール。喪主は長男啓一(けいいち)さん。

 90年、衆院旧和歌山1区で初当選し、1期務めた。

最終更新:1月22日(火)19時9分

3796名無しさん:2013/01/23(水) 13:06:36
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130123-00000161-mailo-l30
貴志八郎さん死去:元社会党衆院議員、「庶民の視点」惜しむ声 /和歌山
毎日新聞 1月23日(水)12時58分配信

 県選出の元社会党衆院議員で、県議や和歌山市議も務めた貴志八郎(きし・はちろう)さん(82)が21日、肺がんのため亡くなった。通夜は23日午後7時、葬儀は24日午後1時、和歌山市吹上2の3の36の吹上ホールで営まれる。自宅は和歌山市橋丁7。喪主は長男で同市議の啓一(けいいち)さん(56)。

 同市出身。1959年に同市議選に初当選して2期務め、67年に県議選に同市選挙区から初当選して6期務めた。その後、90年の衆院選に当時の和歌山1区から立候補して初当選、1期務めた。一貫して同党の議員として活動。86年に藍綬褒章、07年に旭日中綬章を受章した。
 啓一さんによると、議場では「庶民の視点」を大切に裏金や談合を追及する一方で、30代から糖尿病を患って闘病。6年前に肺がんが見つかり、2年前に再発して抗がん剤治療を続けていた。啓一さんは「政治家として信念を曲げなかったおやじは自分の原点」と話した。
 「貴志八(きしはち)さん」の愛称で親しまれた貴志さん。紀の国医療生協の設立を縁に約30年の付き合いという泉南生協(オレンジコープ)の笠原優理事長(62)は「糖尿病と闘いながら選挙を戦っていたが、苦しい時も前向きだった」と振り返る。今月28日に和歌山市弘西にオープンする同生協のサービス付き高齢者向け住宅「おひさま」の建設にも支援を惜しまず、開所式では乾杯の音頭を取る予定だった。「年賀状には『必ず行くから待っててくれ』と書かれていた」と惜しんだ。【中村好見、新土居仁昌】

1月23日朝刊

3797名無しさん:2013/01/24(木) 21:17:18
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130123-00001556-yom-peo
佐藤剛男氏(元自民党衆院議員)が死去
読売新聞 1月24日(木)0時26分配信

 佐藤剛男氏 75歳(さとう・たつお=元自民党衆院議員)23日、肺炎で死去。告別式は28日午後2時、福島市黒岩堂ノ後(どうのしろ)35たまのや黒岩斎苑中央ホール。喪主は長女の夫、雅裕(まさひろ)氏。

 1993年に衆院旧福島1区で初当選し5期務めた。内閣府副大臣や首相補佐官などを歴任した。

最終更新:1月24日(木)0時26分

3798名無しさん:2013/01/24(木) 21:18:54
http://www.minpo.jp/news/detail/201301246213
佐藤剛男元衆院議員死去 当選5回 内閣府、法務副大臣歴任 75歳

 内閣府、法務の両副大臣を務めた元衆院議員佐藤剛男(さとう・たつお)氏は23日午前5時55分、肺炎のため福島市の病院で死去した。75歳。自宅は福島市上野寺字竹ノ内76。通夜は27日午後5時から、告別式は28日午後2時からともに市内黒岩のたまのや黒岩斎苑中央ホールで。喪主は福島市選出の県議で長男の雅裕(まさひろ)氏。(21面に追悼記事)
 福島市出身。東京都立日比谷高、東京大法学部卒。同大在学中に司法試験に合格した。昭和36年、旧通産省に入省し、中小企業庁総務課長、同小規模企業部長などを歴任した。平成5年の衆院選で旧本県1区に自民党公認で立候補し、初当選を飾った。小選挙区制導入後は本県1区で連続3回当選。17年の衆院選では比例東北に立候補し、5選を果たした。郵政政務次官、衆院内閣委員長なども務め21年に政界を引退した。
 内閣府副大臣兼首相補佐官として北海道を襲った十勝沖地震をはじめとする災害からの復旧事業を推進、法務副大臣として裁判員制度の円滑なスタートに力を尽くした。通産官僚出身の経歴を生かし、福島市の福島西工業団地への企業誘致を進めたほか、常磐自動車道や東北中央道、福島西道路の整備促進にも努めた。21年秋の叙勲で旭日大綬章を受章した。
 東洋大名誉教授岡本磐男氏の妻千枝子さんの弟。

( 2013/01/24 09:34 カテゴリー:主要 )

3799名無しさん:2013/02/05(火) 10:30:05
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130204-00001647-yom-peo
竹本哲子さん(随筆家、故竹本孫一・民社党政審会長の妻)が死去
読売新聞 2月5日(火)0時20分配信

 竹本哲子さん 101歳(たけもと・てつこ=随筆家、故竹本孫一・民社党政審会長の妻)心不全で1日死去。告別式は3日済ませた。「誰も書けなかった選挙裏方30年」など著書多数。郷里宮崎県内の社会福祉法人・石井記念友愛社顧問。宮崎市内、正幸会文庫に竹本哲子展示室。源氏物語研究家としても知られた。

最終更新:2月5日(火)0時20分

3800名無しさん:2013/02/05(火) 21:21:08
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130201-00001792-yom-peo
エドワード・コッチ氏(元米ニューヨーク市長)が死去
読売新聞 2月2日(土)0時4分配信

 エドワード・コッチ氏 88歳(元米ニューヨーク市長)米メディアによると1日、ニューヨーク市内の病院でうっ血性心不全のため死去。1969年から連邦下院議員を4期務めた後、77年に同市長選に当選。市経済を立て直し、89年まで3期務めたが、犯罪対策などが後手に回り、4選を阻まれた。自伝がミュージカル化されたほか、引退後は民主党でありながら、2004年の大統領選で共和党のブッシュ大統領を支持するなど度々話題を集めた。(ニューヨーク)

最終更新:2月2日(土)0時4分

3801名無しさん:2013/02/06(水) 23:08:22
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130206-00000501-sspa-soci
“タダの人”以下(?)に成り下がった落選議員の今昔 有馬晴海氏
週刊SPA! 2月6日(水)14時0分配信
★「タダの人」になった元国会議員のその後

 「今回、落選した議員のなかには、そもそも政治家としての資質があったかどうか疑わしい人も多い」と政治評論家の有馬晴海氏は嘆く。

 「先日の衆院選後、民主党で落選者を集めての懇談会が行われ、その場で、今後の生活や活動資金への不安を落選者が党幹部に訴えました。『早く次期衆院選の公認候補に決定してくれないと困る』と7月の参院選の手伝いを引き換えに党からの支援を迫っていました。そこに政治家としての理念や哲学は感じられませんよね」

 「神風」によって当選し、その後落選した人たちは国会議員をカネを稼ぐ職業とでも考えているのか。

 「1期務めたくらいで国に貢献したとでも思っているのでしょうか。そんなこともわからずに、さもしい発言をすること自体ただの数合わせ要員だったことの証左になる」

 大勝に伴い、大量に誕生した1年生議員はむしろラッキーだ。

 「一方で『公認』があれば、所属や選挙区を替えながら立候補する候補も増えました。今回、日本維新の会から出馬した宇佐美登氏などは、新党さきがけから衆院選→民主党から衆院選→無所属で大田区長選→平沼グループで衆院選と渡り歩き、今回も落選しています」

 選挙は一生を懸けた大博打。それだけの覚悟がある人が当選するのは、有権者も案外ちゃんと見ているのではないか。一方、政界から消えていった元議員は?

 「杉村太蔵氏のように、タレントになれるのは稀。ほかに元民主党の山村健氏のように1期で出馬を断念して『まち起こしプロデューサー』としてイベントコンサルという違う道で頑張っている人もいます。学歴詐称問題で議員辞職した元民主党の古賀潤一郎氏はその後ダーツバーを経営していたようですが、連絡を取ろうとしても無理でした。政治とは無関係で生きていく選択をしたのでしょう。自民党では、経費の不正計上などを指摘された『ばんそうこう』大臣の赤城徳彦・元農水相も今どうしているのか情報はまったく入ってきません。まあ、江戸時代から続く名家の生まれですから、生活はどうにかなるんでしょうが」

 そうした議員を誕生させてしまう現在の選挙制度にこそ問題が。

 「小選挙区制では、政権与党への批判が『風』となって選挙を支配する傾向がある。中選挙区制に戻し、さらに複数候補者に投票できる連記性にすれば、死に票も少なくある程度民意が反映された候補者が選出されやすくなる。政党より政治家の資質で選ぶから、政治家も努力のしようもある」

 ■有馬晴海氏 ’58年、長崎県生まれ。政治評論家として、政治家の懐に飛び込むなど永田町の情報収集力に定評がある。政治研究会「隗始塾」を主宰するなど、政策研究にも積極的に取り組む

3802チバQ:2013/02/08(金) 00:55:35
http://nikkan-spa.jp/370235
「バッジはなくても政治はできる」意外と明るい落選議員の弁
2013.01.28 雑学先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、当人たちは今、何を見据えているのか

◆真に今、逆境にある“元先生”たちは何を思うか?
(’12年落選⇒党代表代行を務めつつ再起を目指す・松木謙公氏)




松木謙公氏
 先の選挙戦では、民主党の候補者だけでなく、民主党を離党した政治家たちの苦闘も目立った。

 北海道12区で落選した、松木謙公氏もそのひとりだ。’11年の菅内閣の不信任案に同党の議員仲間の説得を振り切り、目を真っ赤にしながら賛成票を投じた場面を覚えている読者もいるだろう。結果、民主党を除籍処分になり、今回は新党大地から立候補するも、無念の落選となった。しかし、取材に現れた松木氏は定番のオホーツクブルーのスーツを身にまとい、表情も思いのほか明るい。

「実はヒゲも伸び放題だったんだけど、妻に『取材なんだからキレイにして行きなさい』と言われて今日、剃ってきたんだよ」と笑う。実は松木氏、選挙から10日以上がたったこの取材の直前まで、地元を行脚していたという。

「北海道12区は日本一広大な選挙区です。後援会や事務所の職員など、たくさんの方の力を借りなければ、選挙を戦うことすらできませんでしたから」

 国会議員一人あたりにかかるコストを計算すると、歳費の2200万円のほか、各種手当や公設秘書の公費などを含め、年間で平均7000万円が支給される。秘書や事務職員への給料もここから捻出される。

「私自身は、会社役員(建設・教育業界紙)としての収入もあるので、自分の食いぶち程度ならなんとかなります。しかし携わってくれた方にも当然、自分の生活がある。落選後は北見をはじめ、北海道内に7か所あった事務所のスタッフの次のアテを後援者など周囲に聞きまわり、頼み込む毎日でした」

 落選して議員バッジは失ったが、政治家としての活動は現在も続いている。年明けも4日から、地元への挨拶回りをスタートさせた。

「選挙に負けたのは悔しいし、反省もしなくてはいけないが、国会議員でなくなっても、政治家として活動できなくなるわけではない。極端に言えば議決権がなくなっただけ。国を、そして地元北海道をどうするか考え、理念を伝えることはできるでしょうし、地元の懸案の解決もこれまでの人間関係でできることはたくさんあります」

 現在は一人の政治家として、そして新党大地の代表代行として、今年行われる参議院選挙に向けての準備に追われる毎日だという。

「私自身が参議院選挙に出馬するかどうかも含め、現時点では白紙の状態です。他党との連携も現時点では何も決まっていません。現状の政党政治は、党の決めた事項に対して逆らうことができない。同じ議会政治でもアメリカでは、共和党と民主党が一緒に法案を作ることも……。民主党が大勝した前回、自民党が圧勝した今回の選挙を受けて『極端すぎる』と選挙制度に対する批判もありますが、党議拘束でがんじがらめになっている議決権の運用を変えれば、日本の政治はよりよくなると考えています」

【松木謙公氏】
’59年、北海道生まれ。’03年以来、衆議院議員を3期10年務めてきたが、先の衆院選において落選。現在は「新党大地」の代表代行として、党の運営に携わっている

3803チバQ:2013/02/08(金) 00:55:57
“ポリティカルフリーター”のよこくめ前議員、短期バイトも辞さず
2013.02.01 雑学先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、当人たちは今、何を見据えているのか

◆「議員は落選してナンボ」と強気の“浪人のプロ”
(’12年落選⇒ポリティカルフリーターとして活動・よこくめ勝仁氏)




よこくめ勝仁氏
「正々堂々と戦っての落選。後悔はありません」

 無所属で先の衆院選に出馬、菅直人前首相らと戦い自民党候補者に敗れたよこくめ勝仁氏。背水の陣を敷いた背景には、前々回の衆院選で比例復活での当選後、菅内閣不信任決議案に賛成し、党を離れた「不義理」にあった。

「ほかの政党に鞍替えするなど、今回の選挙で生き残る方法はあったでしょうが、信念を曲げることはしたくなかった。まだ自分の理想と力が釣り合わない状態ですが、無所属で活動を続け、選挙を戦うなかで、『一人でもできること』が多くある一方で、『数が必要な場面もあること』も体で理解できたのは、大きな財産になりました」

 今回の選挙では後ろ盾のないなかで約4万票を集め、敵対陣営からも予想外の健闘を讃えられた。

「落選後も辻立ちを続けるなかで、多くの励ましの声をいただきました。負けはしましたが、地道に続けてきたことが、実を結びつつあると実感できた選挙でしたね。毎日約50kmを自転車で走り続けて体はボロボロなんですが(笑)」


真冬も毎日50kmの自転車移動を続けて手はしもやけでボロボロに
 今後は政治家、文化人、弁護士と三足の草鞋の「ポリティカルフリーター」(よこくめ氏の造語)として活動していく。

「文化人としては講演活動やテレビへのコメント出演のほか、クイズ番組などにも挑戦したいですね。講演では全国各地を回って、地域の現状を学ぶなど、さまざまなかたちで見聞を広められたらと」

 一方で落選後には1000万円の借金が残り、無所属のため党からの資金援助なども一切ない。「短期バイトもやぶさかではない」と話すほど財政面は厳しい。

「でも私は受験浪人、司法浪人のほか、『あいのり』でフラれて恋愛浪人もしている“浪人のプロ”です(笑)。過去を忘れ、ゼロからのスタートと考えれば、何も苦しくありません。また『落選を題材に本を書こう』など、失敗をプラスに捉え、成功者にはできないことにも挑戦したいと思います」

 一方で障害福祉等のNPO法人を立ち上げる準備も行い、地域に密着した政治活動も続けていく。

「落選して“タダの人”になるような人は、本来政治家になるべきではない。『よこくめは落選してもあれだけできるんだ』と感心されるような活動をして、議員バッジをまた手にしたい。『あのとき落選してよかった』と思えるような期間にしたいです。『1回生の仕事は2回生になることだ』という議員によく知られた言葉がありますが、私の生き方で『議員は落選を経験してナンボだ』という新しい言葉を作れたらいいなと思います」

【よこくめ勝仁氏】
’81年、愛知県生まれ。東京大学法学部卒業後、司法試験に合格。’09年の衆院選で初当選を果たす。テレビ番組『あいのり』では“総理”の愛称で呼ばれた http://www.lespros.co.jp/

3804チバQ:2013/02/08(金) 00:56:14
杉村太蔵氏「手元に残るお金は議員時代の数倍」
2013.02.03 雑学先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、実際に落選し、バラエティ番組等で活躍するタダの人の成功パターン(?)ともいえる杉村太蔵氏に今の心境を聞いた

◆国会議員⇒タダの人の成功パターン? その秘訣を語る




杉村太蔵氏
 ’05年に“小泉チルドレン”として衆院選に比例で当選し、数々の迷言で話題になった杉村太蔵氏。政界を去った後は、バラエティ番組に出演、「薄口政治評論家」というキャッチのもと精力的に活動している。現在の生活は、「テレビや雑誌などメディアでの活動」が2〜3割、「講演活動」が2〜3割、残り半分ほどが「ベンチャー企業の支援やニート・フリーターの就職支援」。メディア活動のマネジメントなどはすべて本人が行う。

 ちなみに、政界に戻る予定は「ないけれど、わかりませんよ」。

「よく聞かれる質問なんですけど、転職した後に、以前勤めていた会社に戻るか聞かれても答えようがないですよね。それと同じです。今の仕事が大切です」

 とはいえ、不安はないのか。

「将来の不安などは何もないです。『タレント』とか『政治評論家』とかの肩書も、自分で言ったことは一度もない。ただの個人事業主ですよ。よく『忙しいんじゃないか』と聞かれますが、議員時代に比べたら大したことない。好きな株も買えるし、海外旅行も行けるし、今のほうがいろんな面ではるかにラクです」

 ほう。ぶっちゃけ、収入面は?

「手元に残るお金は、議員時代に比べたら何倍も今のほうがいいですよ。多額の議員報酬をもらっても選挙にも多額の費用がかかる。出ていくものが多いから、意外とお金は貯まらないものなんですよ」

 もともと、タレント志望でもなければ、バラティに出るなんてまったく思っていなかったという杉村氏。『サンデー・ジャポン』に声をかけられ、「記念に一度」と出演したところ、そこからテレビのオファーがたくさん来るようになったそうだ。

「人の評価ってわからないですよね。やりたいことと、周りがやってほしいことって違うものですね」

「薄口評論家」というのも、絶妙な隙間産業で、上手な手法だが。

「それも爆笑問題の太田光さんが名づけてくれたこと。最初はムッとしたんですが、つまりは『わかりやすい』ことだと言い聞かせ、今ではありがたく思っています」

【杉村太蔵氏】
’79年、北海道生まれ。筑波大学中退後、派遣社員、証券会社を経て、’05年総選挙で最年少当選。現在は、『サンデー・ジャポン』や『ナニコレ珍百景』などに出演

3805チバQ:2013/02/08(金) 00:56:32
田中美絵子前議員、収入ゼロでも「タレント転身はない」と断言
2013.02.05 雑学先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、当人たちは今、何を見据えているのか

◆メディアの報じたタレント化の噂は一蹴。政治活動一本
(’12年落選⇒4年後の衆議院議員を目指す・田中美絵子氏)




田中美絵子氏
 ’09年の衆議院選で「小沢ガールズ」の一人として初当選した後、昨年6月に週刊誌でスキャンダルが報じられるなど、何かと話題となった田中美絵子氏。今回の選挙では石川2区から東京15区へ国替えして出馬するも、落選。取材日はちょうど事務所の引っ越し作業中で、室内には段ボールが山積み。今回の選挙について、田中氏は語る。

「大変逆風の厳しい選挙だったと思います。国替えは突然でしたので、実質3週間程度と、時間もありませんでした。そういった意味では確かに出遅れたところはあります。でも、敗因はすべて私の力不足です」

「民主党政権になっても何も変わっていない」「誰がやっても同じ」などの世間の声は強かったが……。

「民主党では社会保障を充実させ、温かい福祉国家を目指してきました。子ども政策や子育て支援、格差の是正、憲法論議もしてきました。でも、そういったことの広報活動がうまくいっていなかった部分はあると思います」

 落選直後は、各所に挨拶回りのほか、引っ越し作業に追われ、この日でスタッフも全員退職。翌日からはひとりで政治活動を再スタートさせる。収入は基本的にゼロで、貯金を取り崩して活動することになるという。田中氏といえば、フリーライターとして活動したり、小誌でもおなじみリリー・フランキー氏の主演映画での体当たり演技などの経歴もあり、一部では「タレントへ」という情報も出ているが……。

「まったくないです。参院選出馬もありません。今は、4年後の衆院選しか考えていません」と、政治活動一本で行く覚悟だ。

「私はむしろ挫折だらけの人間です。人生の中で、挫折を経験することは多いと思うんです。特に私たちの世代は、転職したらもう二度と正社員に戻れないという世代。でも、そういった人たちが再チャレンジできる環境をつくっていきたい。私自身がチャレンジし続けるということも、そういったメッセージに繋がると思っています」

【田中美絵子氏】
’75年、石川県生まれ。民主党所属の前衆議院議員。女性の病気の対策などに取り組んできた。帝京女子短期大学卒業、明治大学政治経済学部卒業、明治大学大学院政治学修士

3806チバQ:2013/02/08(金) 00:56:56
春香クリスティーン、落選議員の“引越し見学”でビックリ
2013.02.05 未分類◆政治家のパーソナリティに注目すると面白くなります




春香クリスティーンさん
「落選した議員さんって、もっと落ち込んでいるのかと思ってたんですけど、引っ越しのときに会いに行っても嫌な顔ひとつしないのがビックリでした」と語るのは、“国会議員の追っかけ” や “「政治家カルタ」づくり”を趣味とする人気タレントの春香クリスティーンさん。議員は落選後3日以内に議員会館を出ていかなければいけないのだが、その引っ越しの見学に行ったそうだ。そもそも政治家に興味を持ったきっかけは?

「日本の特に若い人は、政治の話を全然しないんです。それが不思議で自分で見てみようと思って国会議事堂に通い始めたんです」

 春香さんが興味を持ったのは、「政治家のパーソナルな部分」だ。

「たとえば、岡田克也さんは常に真面目なのに、カエルの置物収集が趣味だったり、自民党の平将明さんはガンダム好きだったり、大島理森さんは『となりのトトロ』のネコバスに似ていると言われていて、送られてきたぬいぐるみを部屋に飾っていたことがあったり。国を動かしている人たちでも、意外と身近な面があるんだと思うと面白いですよね」

 ほかに、「谷垣禎一さんはいつもプロポリスのど飴を持ち歩いている」「柿沢未途さんは辛いものが大好きで、事務所の近くの中華屋で『柿沢さんスペシャル』という辛い麺を食べている」などなど……。

 今回落選して気になった人は?

「横粂勝仁さん。落選スピーチを聞きにいったんですけど、明るく前向きで驚きました。激戦区の東京18区で戦いにいって、たくさん票も取ったので、次回有力ですよね」

 春香さんがそこまで政治家の人間性に興味を持つのはなぜか。

「脱原発が原発推進になったり、増税を進めていたのが、取りやめになったり、党が代わるだけですべてが変わるのは不思議ですし、不安ですよね。だからこそ、『この人ならやってくれそう』と政党ではなく個人を見たいんです」

【春香クリスティーンさん】
’92年、スイス生まれ。父は日本人、母はスイス人。日本に興味を持ち単身来日。『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系列)にレギュラー出演中

3807チバQ:2013/02/08(金) 00:57:21
元大臣が「借金整理ひとすじ」の弁護士になるまで
2013.02.05 未分類先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、政界とは別の道を選んだあの先生たちの今を追った

◆かの自治大臣が一般市民の債務整理を手がけている
(’01年落選⇒弁護士活動に専念・白川勝彦氏)




白川勝彦氏
「現在の国会議員に、政治哲学のある政治家などいません。法案採決時の数合わせ議員が9割以上でしょう」と嘆くのは、’79〜’00年にかけて自民党で6期衆議院議員を務め、自治大臣や国家公安委員長などを歴任した白川勝彦氏。だが、’01年に衆院選落選後、債務整理を専門とする一弁護士に。

「私が初出馬した当時は自民党公認候補でも、党からの活動費なんてもらえなかった(笑)。活動費目当ての候補者ばかりでは政治哲学を持った政治家など育ちません」

 白川氏が国会議員だった当時は、歳費などの報酬のほか、年間2億円近くを献金で集めていたという。

「最近の政治家はカネが集まらないと言うけど、政治がわからないバカにカネを出す人などいません」

 白川氏は議員になった後、’90年と’01年の2回落選を経験した。

「当時は命がけの選挙戦で支持を得ることができず、『なんで俺が落ちて、あいつが……』と嘆きながら残務整理をしていたね。『死んで終わりの戦国武将のほうがまだマシ』と思うほどでした」と笑う。

 さらに国家公安委員長まで務めたのに、落選後の’04年と’06年には、渋谷の路上で職質を受けるという憂き目に。

「笑い話だけど、信条とする『自由主義』から逸脱した、不当な職質がショックでブログに書いたら、思いのほか反響が大きかったね」

 ’08年からは弁護士活動に専念。

「今はブログなどを通じて、永田町の外から、『自由主義』を発信しようと考えています。議員という議決権のある立場でなくとも政治活動はできますから」

【白川勝彦氏】
’45年、新潟県生まれ。’79年の初当選から’90年まで、そして’93年から’01年まで衆議院議員を務め、自治大臣や国家公安委員長などを歴任。現在は弁護士として活動中

3808チバQ:2013/02/08(金) 00:57:41
長島一由前議員、リクルート系企業への転職に「らしいな」の声
2013.02.05 未分類先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、当人たちは今、何を見据えているのか

◆特異なキャリアで民間へ転職
(’12年引退⇒民間のシンクタンクに転身・長島一由氏)




長島一由氏
 衆院選を控えた昨年11月に選挙への不出馬と、民間シンクタンクへの転身を表明した長島一由氏。その決断は臨時国会前に、民主党幹事長へ伝達済みだったという。

「逗子市長時代に特区として申請した年金時効の延長や、事業仕分けを通じた税金の節減など、任期中に自らの使命を果たし、道筋をつけられた場合は、1期で辞めてもいいと考えて仕事をしてきました。また転職先のシンクタンクも、実は’09年衆院選の出馬前に一度入社が決まっていた会社なんです」

 民主党への逆風と引退の関連は「そんなに短絡的でない」と話す。

「政治家だけが世の中を動かしているわけではないし、政治色がないほうができることもある。自分は常に『別の可能性』を考えて動くタイプで、ウィンドサーフィンでは全日本選手権1位となり五輪出場も目指したことも。その後テレビ局の報道記者、逗子市長、大学教員など、特異なキャリアを歩んできた。今回の引退も『らしいな』という声が多かったですね」

 転職後も、実務として行政のマネジメントを行った経験や、人事運用、行政の仕組みに関する知識を生かした仕事をしたいという。

「特に生き方、働き方、学び方の分野で、研究発表や政策提言を行い世の役に立てたらと思います」

 職を替えながらも“やりたいこと”へと向かい続ける秘訣は「職業選択の幅を広げること」だそう。

「私は就職後も複数の大学院で研究を重ねて、職業の選択肢も増やしてきた。『ほかの仕事でも食べられる』という自信があったからこそ、思い切って国政にも挑戦できました。チャレンジしたい人こそ“保険”を持つべきなんですよ」

【長島一由氏】
’67年、神奈川県生まれ。フジテレビ報道記者、逗子市長などを経て、’09年の衆院選で初当選。先の衆院選には出馬せず、リクルートワークス研究所の主幹研究員に転身

3809名無しさん:2013/02/12(火) 11:44:51
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130211-00000567-yom-pol
鳩山由紀夫元首相の母、安子さん死去
読売新聞 2月11日(月)23時13分配信

 鳩山由紀夫元首相の母、鳩山安子(はとやま・やすこ)さんが、11日午後9時15分、多臓器不全のため、都内の病院で死去した。

 90歳だった。葬儀・告別式は未定。

 安子さんは、ブリヂストン創業者の故石橋正二郎氏の長女で、初代自民党総裁だった鳩山一郎元首相の長男・威一郎元外相の妻。1996年に旧民主党を結成するなど「政権交代」を掲げた長男の由紀夫氏と、自民党政権で総務相を務めた次男の邦夫氏の政治活動を、物心両面から支えた。

 大量の同社株を保有し、2009年に由紀夫氏の元公設秘書が在宅起訴された偽装献金問題では、02年頃から09年5月まで毎月1500万円を由紀夫氏に提供していた。

最終更新:2月12日(火)11時8分

3810名無しさん:2013/02/12(火) 11:49:00
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130212-00000039-spnannex-soci
巨額資産保有…政界の“ゴッドマザー”鳩山安子さん死去
スポニチアネックス 2月12日(火)7時2分配信

 鳩山由紀夫元首相の母、鳩山安子(はとやま・やすこ)さんが11日午後9時15分、多臓器不全のため都内の病院で死去した。90歳。福岡県出身。葬儀・告別式は未定。ブリヂストン創業者の長女で、同社株を含む巨額資産を保有し、政界の“ゴッドマザー”と呼ばれた。

 鳩山威一郎元外相の妻で、長男、由紀夫元首相と、次男、邦夫元総務相を育てた安子さんが安らかに息をひきとった。晩年は都内の医療機関付属の施設で療養していた。

 1男4女に恵まれたブリヂストン創業者の故石橋正二郎氏の長女。初代自民党総裁の鳩山一郎元首相の長男、威一郎元外相と1942年に結婚した際には、政界と財界を結ぶセレブ婚として大きな話題となった。

 安子さんは相続で石橋家から100億円超、鳩山家から約150億円を受け継いだと取りざたされるなど、巨額の資産を保有。ブリヂストンの株式からの年間配当だけでも億単位(円)といわれ、由紀夫、邦夫両氏の政治活動を物心ともに支え続けてきた。

 1996年、両氏に「兄弟新党」旗揚げを促し、民主党の前身となる旧民主党の結成につながった。

 2009年に由紀夫氏の元公設秘書が在宅起訴された偽装献金問題では、安子さんが毎月1500万円を7、8年間、由紀夫氏に提供していたことが判明。検察側が読み上げた安子さんの上申書は「立場上、いろいろとお金がかかるだろう、いくらあっても足らないくらいだろうと思って用立てた。(由紀夫氏は)知らないはずだ」とした。

 由紀夫、邦夫両氏の11年分の所得報告書などによると、安子さんは両氏にそれぞれ約42億円相当の現金や株、不動産を贈与している。

 孫で邦夫氏の長男、太郎氏も東京都議を務めたことがあり、バラエティー番組にも出演している。

3811名無しさん:2013/02/12(火) 11:53:51
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130212-00000035-sph-soci
鳩山兄弟の母「ゴッドマザー」安子さん死去
スポーツ報知 2月12日(火)7時4分配信

 鳩山由紀夫元首相、邦夫元総務相の母、鳩山安子(はとやま・やすこ)さんが11日午後9時15分、多臓器不全のため都内の病院で死去した。90歳。福岡県久留米市出身。葬儀・告別式は未定。

 安子さんは初代自民党総裁、鳩山一郎元首相の長男・威一郎元外相の妻でブリヂストン創業者の故・石橋正二郎氏の長女。女子学習院高等科卒業後、1942年11月に4歳年上の威一郎氏と結婚。47年2月11日に由紀夫氏、48年9月13日に邦夫氏を出産した。多忙な威一郎氏に代わり、2人を東大に進学させるなど教育熱心だった。ブリヂストン株を含む巨額の資産を保有し、兄弟の政治活動を物心両面で支え「ゴッドマザー」の異名を取った。

 96年、両氏に「兄弟新党」旗揚げを促し、民主党の前身となる旧民主党の結成につながった。2009年に由紀夫氏が首相になった際、元公設秘書が在宅起訴される偽装献金問題が発覚。安子さんが毎月1500万円を7〜8年間、総額12億6000万円を由紀夫氏に提供していたことが判明した。

 検察側が読み上げた安子さんの上申書では「立場上、いろいろとお金がかかるだろう、いくらあっても足らないくらいだろうと思って用立てた。(由紀夫氏は)知らないはずだ」とした。由紀夫、邦夫両氏の11年分の所得報告書などによると、安子さんは両氏にそれぞれ約42億円相当の現金や株、不動産を贈与している。

3812名無しさん:2013/02/12(火) 11:54:53
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130212-00000544-san-pol
邦夫氏、兄と路線違い「余計な心配かけた」 鳩山安子さん死去
産経新聞 2月12日(火)10時48分配信

改装された鳩山邸で記念撮影する、左から鳩山由紀夫氏、母の鳩山安子氏、鳩山邦夫氏(写真:産経新聞)

 11日に亡くなった鳩山安子さんの次男で、自民党の邦夫元総務相は12日午前、兄の由紀夫元首相と自民、民主両党で分かれて活動したことについてに「兄弟が一緒に政治行動をとっていなかったことで母に余計な心配をかけた」と振り返った。都内の自宅前で記者団に語った。

 安子さんが亡くなったとき、兄弟らで看取ったという邦夫氏は「忙しくて月に1度ぐらいしか家で顔を会わせないような父親(故威一郎元外相)だったから、完全にお袋に育てられたのが私だ。90歳で天寿を全うした。ありがとうの一言だ」と故人をしのんだ。

 安子さんが正当な手続きを経ずに由紀夫氏らへ多額の政治資金を献金していたことには「『自分で心配していろいろやってしまったことが、こういうふうになってつらい』と姉に言っていた」と語った。

3813名無しさん:2013/02/12(火) 11:55:38
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130212-00000263-yom-pol
由紀夫氏憔悴「母いなければ、民主なかった」
読売新聞 2月12日(火)11時24分配信

母安子さんの死去を受けて記者団の取材に応じる鳩山元首相(12日午前9時、東京都大田区で)=高田育昌撮影

 鳩山由紀夫元首相は12日午前、母安子さんの死去について、「母がいなければ民主党はできなかった。民主党が存在していなければ政権交代もなかった。感謝の言葉しかない」と語った。都内の自宅前で記者団の取材に応じた。由紀夫氏は目を赤くし、憔悴(しょうすい)した様子だった。

 由紀夫氏は、「政治家を辞めて、これから親孝行できるかなと思っていただけに残念です。表には決して出ない女性だったが、陰でしっかり、我々兄弟や夫(威一郎氏)を支えてくれた」とも述べた。

 2日ほど前に安子さんと面会した際には、言葉をうまく発することができない状態だったという。

 また、弟の鳩山邦夫・元総務相は12日午前、都内で記者団に「ゴッドマザーとよく(言われたが)、そういうタイプではなく、心配ばかりする人だった。母親としたら、兄弟が一緒に政治行動をとっていれば楽だったかもしれない」と語った。

3814名無しさん:2013/02/13(水) 10:43:09
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130212-00001420-yom-peo
桜井郁三氏(元自民党衆院議員)が死去
読売新聞 2月13日(水)0時19分配信

 桜井郁三氏 68歳(さくらい・いくぞう=元自民党衆院議員)10日、多臓器不全で死去。告別式は18日午前11時、神奈川県藤沢市大庭3761藤沢市斎場。喪主は妻、敦子(あつこ)さん。

 1996年に衆院神奈川12区で初当選し、3期務めた。環境副大臣や総務政務官を歴任した。

最終更新:2月13日(水)0時19分

3815名無しさん:2013/02/15(金) 09:23:14
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130215-00000013-mai-peo
<訃報>東条由布子さん73歳=東条英機元首相の孫
毎日新聞 2月15日(金)2時30分配信

東条由布子さん=2001年8月、佐々木順一撮影

 東条由布子さん73歳(とうじょう・ゆうこ<本名・岩浪淑枝=いわなみ・よしえ>東条英機元首相の孫、NPO法人理事長)13日、間質性肺炎のため死去。通夜は19日午後6時、葬儀は20日午前11時、東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場。喪主は夫弘康(ひろやす)さん。

 保守派の論客として知られ、著書に「大東亜戦争の真実」など。

3816アーバン:2013/02/15(金) 18:50:27
http://www.sanspo.com/geino/news/20130215/sot13021505020000-n1.html
2013.2.15 05:00

「保守の論客」東條由布子さん死去


 東條英機元首相の孫、東條由布子(とうじょう・ゆうこ)=本名・岩浪淑枝(いわなみ・よしえ)=さんが13日、間質性肺炎のため、都内の病院で死去した。73歳。通夜は19日午後6時、葬儀・告別式は20日午前11時、ともに東京都渋谷区西原2の42の1、代々幡斎場で。喪主は夫、岩浪弘康(ひろやす)氏。

 東條元首相の長男、英隆氏の長女で、1男3女をもうけた。保守の論客として知られ、先の大戦後の戦勝国による極東国際軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けた東條元首相らいわゆる「A級戦犯」の靖国神社分祀論には否定的な立場で発言してきた。NPO法人「環境保全機構」理事長を務めていたが、昨年秋から体調を崩していた。

3817名無しさん:2013/03/05(火) 15:52:03
test

3818名無しさん:2013/03/27(水) 10:21:15
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130325-00001695-yom-peo
中島武敏氏(元共産党衆院議員)が死去
読売新聞 3月26日(火)0時30分配信

 中島武敏氏 84歳(なかじま・たけとし=元共産党衆院議員)21日、肺がんで死去。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻、千鶴(ちづる)さん。1972年衆院選で旧東京9区で初当選し、7期務めた。

3819名無しさん:2013/03/27(水) 10:29:42
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130323-00000004-mai-peo
<訃報>寺西学さん77歳=元自民党愛知県連会長
毎日新聞 3月23日(土)1時37分配信

 寺西学さん77歳(てらにし・がく=元自民党愛知県連会長)22日、心筋梗塞(こうそく)のため死去。葬儀の日取りは未定。大村秀章・愛知県知事が葬儀委員長を務める。

 71年の愛知県議選で初当選し連続当選10回、02年に議長。自民党県連では幹事長などを歴任、11年に会長を務めた。県政界の実力者として知られ、県議時代は党県議団の最大派閥「寺子舎(てらこや)の会」を率いた。

3820名無しさん:2013/03/27(水) 10:31:38
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20130324/CK2013032402000041.html
元県議・寺西学さん死去に悼む声相次ぐ
2013年3月24日

神田知事(当時)に自民の政策提言を手渡す寺西学さん(左)=2006年7月、名古屋市中区の県公館で

 二十二日に七十七歳で亡くなった元県議の寺西学(てらにし・がく)さんは、議長や自民党県連会長などの要職を歴任。愛知自民の重鎮として県政に影響力を発揮した。中部国際空港開港や愛知万博など県の大型事業の推進を後押しし、他党との連携にも腐心した。訃報に接した歴代知事や各党関係者から悼む声が相次いだ。
 寺西さんは名古屋市中村区出身。二〇一一年四月に引退するまで、県議生活は十期四十年に及んだ。
 一九八三年から四期十六年にわたって知事を務めた鈴木礼治さん(84)は「万博など、県が一丸となって動くときに助けていただいた。政治的勘の鋭い方でした」と振り返った。
 鈴木さんの後を継ぎ、九九年から三期知事を務めた神田真秋さん(61)も「寺西さんは国に太いパイプがあった。万博、空港など国の力が必要なときに支えてくれた」と語った。
 自民党県議団で寺西さんを慕うグループは「寺子屋」と呼ばれた。県政の中心だった党県議団のなかでも、存在感を発揮した。
 党県連会長の藤川政人参院議員(52)も県議時代は「寺子屋」の一人。「県議になって初めて、支持者らに報告会を開いた時に、ゲストとして来ていただいた。万博の会場変更などの難問にも当たり、実行力があった」と話す。前議長の岩村進次県議(58)も「若い議員をしかっても、あとで別の人間にフォローさせる優しさがあった」と人柄をしのんだ。
 寺西さんは二〇〇〇年総選挙の際に県連幹事長として、公明などとの選挙協力を取り仕切った。一部選挙区の候補擁立を公明に譲り、自民支持層から反発を受ける役回りだったが、公明の信頼を得た。公明党県本部代表の荒木清寛参院議員(56)は「自公協力のかなめだった。情に厚く、信頼関係を大事してくれた」と悼んだ。
 民主党県議団は神田知事時代、自民などと「与党会派」として県政を支えたことがある。県連幹事長の黒川節男県議(65)は「寺西さんは、気さくに他党の人間とも酒が飲める人。気遣いができるから、議会をうまくまとめられた」と話した。

 (内田康、後藤孝好、吉光慶太)

3821名無しさん:2013/03/31(日) 22:46:14
tt

3822とはずがたり:2013/04/14(日) 16:20:10

憎まれてたんですねぇ。。

サッチャー氏死去祝い集会 反対派、国葬級葬儀に抗議
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130414/erp13041412070001-n1.htm
2013.4.14 12:06

サッチャー氏の死去を祝う集会で、骸骨のようなサッチャー氏の人形を掲げる集会参加者ら=13日、ロンドンのトラファルガー広場(共同)

 サッチャー元英首相の大規模な葬儀が17日に行われるのを前に、反サッチャー派の労働組合などが13日、ロンドン中心部のトラファルガー広場で「パーティー」と称して、サッチャー氏の死去を祝う集会を開いた。

 参加者は多額の公費を費やして行われる国葬並みの葬儀に抗議。一部の参加者が警官隊と小競り合いになり、逮捕者が出た。ただ、参加者は数百人にとどまった。

 集会は「サッチャー氏が死去した後の最初の土曜日に開く」として、活動家らによって数十年前から予定されていた。参加者らは「マギー(サッチャー氏の呼称)は死んだ!」などと連呼し、骸骨のようなサッチャー氏の大きな人形を掲げた。

 労働組合員のポール・カラナンさん(26)は「政治家や富裕層はサッチャー氏を称賛しているが、労働者や若者はサッチャー氏の政治によって今も苦しんでいる」と訴えた。(共同)

「オズの魔法使」挿入歌、人気急上昇の訳は…
2013年4月13日(土)13:00
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1205738962/333

3823名無しさん:2013/04/15(月) 00:04:18
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130414-00000658-yom-pol
元厚相・下条進一郎氏が死去
読売新聞 4月14日(日)21時27分配信

 元自民党参院議員で元厚相の下条進一郎氏が14日、東京都内で老衰のため死去した。

 93歳だった。

 葬儀は近親者のみで行う。その後、お別れ会を開くという。

 下条氏は1977年、参院長野選挙区で初当選。第2次海部改造内閣で厚相を務めた。95年の参院選で落選し、無所属で立候補した98年も当選はならず、政界を引退した。次男・みつ氏は、前民主党衆院議員。

3824名無しさん:2013/04/19(金) 22:30:07
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130415-00000528-yom-peo
下条進一郎氏(元厚相)が死去
読売新聞 4月15日(月)14時32分配信

 下条進一郎氏 93歳(しもじょう・しんいちろう=元厚相)14日、老衰で死去。葬儀は近親者で行い、その後お別れ会を開く。

 1977年に参院長野選挙区で初当選し、3回当選。第2次海部改造内閣で厚相を務めた。父は第2次吉田内閣で文相を務めた康麿(やすまろ)氏、次男・みつ氏は前民主党衆院議員。

3825名無しさん:2013/04/24(水) 07:50:36
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130424-00000019-yom-peo
田畑金光氏(元民社党衆院議員)が死去
読売新聞 4月24日(水)0時17分配信

 田畑金光氏 99歳(たばた・かねみつ=元民社党衆院議員)22日、敗血症で死去。告別式は26日午前11時、福島県いわき市勿来町大高中郡(なかごおり)123の4セレモニーアルコ会館勿来。自宅は同市勿来町関田和久80。喪主は長男、弘之氏。

 1953年参院選で福島選挙区から右派社会党で初当選。2期務めた後、67年衆院選旧福島3区から民社党で初当選し、2期務めた。

3826名無しさん:2013/04/24(水) 07:52:45
http://www.asahi.com/obituaries/update/0423/TKY201304230392.html
元民社党衆院議員の田畑金光さん死去

 田畑金光さん(たばた・かねみつ=元民社党衆院議員、元福島県いわき市長)が22日、敗血症で死去、99歳。通夜は25日午後6時、葬儀は26日午前11時からいわき市勿来町大高中郡123の4のセレモニーアルコ会館勿来で。喪主は長男弘之さん。

 1953年、参院福島選挙区で社会党から初当選し、当選2回。その後、民社党に移り、67年には衆院にくら替えし、当選2回。74年からいわき市長を3期務めた。

3827名無しさん:2013/04/24(水) 22:15:11
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130424/stt13042412120003-n1.htm
前参院議員の今野東氏が死去 野田内閣で復興副大臣 
2013.4.24 12:11

 今野東氏(こんの・あずま、本名・今野東吾=こんの・とうご=前参院議員、前民主党宮城県連代表)が24日、特発性間質肺炎のため死去、65歳。葬儀・告別式の日取りは未定。

 平成12年の衆院選で宮城1区から出馬し初当選。2期目に、選挙違反事件の連座制適用をめぐる判決を受けて辞職した。その後、参院選比例区で初当選し、24年には野田内閣で復興副大臣に就任。同年12月の衆院選で宮城2区からくら替え出馬したが、落選した。

3828名無しさん:2013/05/02(木) 16:52:44
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130501-00000113-mai-peo
<訃報>柴田睦夫さん84歳=元共産党衆院議員
毎日新聞 5月1日(水)23時21分配信

 柴田睦夫さん84歳(しばた・むつお=元共産党衆院議員)4月26日、急性硬膜下血腫のため死去。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長男泰弘(やすひろ)さん。

 1972〜90年の間に5期、千葉県で初の共産党衆院議員を務めた。

3829名無しさん:2013/05/03(金) 12:08:10
電車でってことは新幹線じゃなくて在来線での話だね
京都〜名古屋は1日で移動可能
京都〜名古屋 運賃:2,520円

京都駅12時発を例に

京都12:00 →新快速・近江塩津行き→ 米原12:53
米原12:59 →普通・大垣行き → 大垣13:32
大垣13:41 →新快速・豊橋行き → 名古屋14:13

京都駅から名古屋駅まで行くにはまず京都駅の2番のりばに行きましょう。
来る電車は普通電車と新快速電車だけど、乗り換えをなるべく無くしたいなら、
普通電車なら米原行き、新快速電車なら、長浜、近江塩津、敦賀行きを選ぶこと。
ここで1つ注意したいのは経由で琵琶湖線経由と湖西線経由があって湖西線経由だと
乗り換え駅の米原を通らないので注意。

米原駅には6番のりばに到着するので階段等で7、8番のりばへ移動。
日中は大垣行きばかりなので大垣行きに乗りましょう。
終点大垣駅で乗り換えれば名古屋へ着きます。

3830名無しさん:2013/05/06(月) 14:11:21

高市早苗・自民政調会長の父・大休氏が死去

読売新聞 5月5日(日)20時47分配信



 高市大休氏 79歳(たかいち・だいきゅう=高市早苗自民党政調会長の父)5日死去。

 告別式は8日午後1時、奈良市秋篠町1180の43セレミューズ秋篠。喪主は長男、知嗣(ともつぐ)氏。
.
最終更新:5月5日(日)20時47分

3831名無しさん:2013/05/07(火) 22:19:38
http://dot.asahi.com/wa/2013041800002.html
衝撃! 約300の地方自治体で消えていた選挙記録
(更新 2013/4/18 07:30)

 首長選や議員選の記録が役所から消えた――。こんな事実を、学習院大学の福元健太郎教授(41、政治学方法論)が“発見”した。

 きっかけは、2003年の統一地方選。統一選は1947年に始まったが、03年時点では市町村議会で5割、首長に至っては2割程度しか“統一”されなかった。そこで、統一選から外れた理由を調べるため、08年から調査を姶めたという。ところが、想像以上に作業は難航した。福元教授がその理由を語る。

「総務省に確認すると『自治体選挙の記録は各自治体が保存しているからわからない』と言われたのです。次に各都道府県の選挙管理委員会に問い合わせましたが、把握しているのは鹿児島県など一部でした」

 それならと、各市町村選管に直接問い合わせた。約1700の市町村のうち、調査対象は1千ほど。結果、約100の自治体が「当時の選挙記録がなくてわからない」と回答したという。その約100の自治体には合併を経たところもあるため、最終的にわからなかったのは200から300の旧自治体となる。

 福元教授が調査で感じたのは、町の土台であるはずの選挙記録を、きちんと保存しようという自治体と、そうでない自治体の熱意の差だったという。

「ほとんどの自治体は町史や人事台帳などのコピーを送ってくれました。辞めた職員や、町の古老のような人を訪ねて調べてくれたところもありました。一方、『わからない』と回答してきたところは、合併によってかつての市役所や町役場が支所となり、合併前を知る職員も少なくなって、資料がどこに保管されているか把握していないのでしょう。中には『そんな過去のもの』というような態度をとる自治体もありました」

 火事や洪水で記録が失われていたケースもあったという。戦後に実施されたすべての自治体の選挙記録を調べれば、さらに「消えた数」が増える可能性は高い。福元教授は言う。

「選挙記録がなければ、これまでの首長や議会が選挙で正当に選ばれた保証はない。各自治体は平成の大合併を経験した職員が現役のうちに、きちんと資料を保有しておくべきです」

 国の公文書について、11年度に紛失や誤廃棄など不適切な管理が181件あった、と2月に判明。職員6人が免職などの懲戒処分を受けた。「公の記録」をどう扱うか、改めて問われている。

※週刊朝日 2013年4月26日号

3832アーバン:2013/05/08(水) 02:24:32
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130507-OYT1T00441.htm?from=ylist
村山内閣で官房長官…五十嵐広三氏が死去

 元官房長官の五十嵐いがらし広三こうぞう氏が7日、肺炎で死去。87歳。近く、近親者で密葬を行う。




 1963年から北海道旭川市長を3期務めた。80年、当時の北海道2区で旧社会党から衆院議員に初当選。5期務めた。93年8月に細川内閣で建設相、94年6月の村山内閣で官房長官を歴任。阪神大震災や地下鉄サリン事件の対応にあたった。96年に政界を引退した。

(2013年5月7日13時19分 読売新聞)

3833アーバン:2013/05/08(水) 02:26:31
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/463785.html
市民の視点忘れず 「買物公園」生みの親 五十嵐広三さん(05/07 16:30)

 官房長官や旭川市長を務めた五十嵐広三さんが、7日亡くなり、道内の関係者から惜しむ声が相次いだ。「市民」や「地方」の視点を忘れず、温厚な人柄と、リベラルな政策で、党派を超えて慕われた政治家だった。

 五十嵐さんと40年以上の付き合いがある旭川市の優佳良織工芸館館長、木内和博さん(67)は「突然で驚いた。入院をしていることもあったけど元気だと聞いていた。まさかこんなことになるとは」と、声を詰まらせた。

 旭川市長時代には日本初の恒久的な歩行者天国「平和通買物公園」をオープンさせるなど実績を目の当たりにしたという。「旭川の街がどんどん変わっていくのを実感した。市民参加の街づくりを実践していた人だった」と振り返った。<北海道新聞5月7日夕刊掲載>

3834アーバン:2013/05/08(水) 02:29:15
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013050700707
「五十嵐氏、難局で努力」=菅官房長官

 菅義偉官房長官は7日午後の記者会見で、同日死去した五十嵐広三元官房長官について「地方の市長を経験して国会に出て来たということで、私も非常に親しみのある政治家の一人だ」と振り返った。「阪神・淡路大震災や(地下鉄)サリン事件が起きた時の官房長官だから、大変な中で難局を乗り越えるために努力した方だと思っている」とも述べた。 (2013/05/07-17:56)

3835名無しさん:2013/05/08(水) 19:03:22
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/463937.html
卓上四季

五十嵐広三さん

戦時中、東条英機首相は視察先のごみ箱を開けて見るのを習わしにしていたそうだ。敗戦2年前の旭川来訪でもごみを調べ、「食べられる物を捨てている。暮らしにまだ余裕がある」と語った
▼新聞で発言を知った旭川商業学校5年のコーゾー少年は、友人らと宿泊先の旅館に面会を求めに行った。「そんなことはない。みんな苦労しながら頑張っているんだ」と反論せずにいられなかった
▼もちろん会えるはずもない。駅前交番に引き渡され、油を絞られた。87歳で他界した五十嵐広三さんの若き日のエピソード。思想・言論統制が苛烈を極めた時代。いまでは想像できないほど勇気のいる行動だったろう▼絵を描くのが好きな少年は小学校の代用教員になった後、第7師団で爆薬を背負って戦車に体当たりする訓練を受けながら敗戦を迎えた。戦後は社会主義運動を通じて政治の世界にかかわっていく
▼「『おざなり』のない人」。同じ旭川の作家、故・三浦綾子さんは五十嵐さんをそう評していた。老人にも幼子(おさなご)にも、男にも女にも、「その場のがれの、まごころのこもらぬ、いいかげんな」言葉は使わないと
▼出馬を迷う故・萱野茂さんの背中を押して、アイヌ民族初の国会議員誕生につなげたのも、サハリン残留韓国・朝鮮人の帰国に尽くしたのも、少年時代から失わずにいた正義感とまごころがあったからこそだろう。
2013・5・8

3836名無しさん:2013/05/19(日) 16:57:51
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-19_49427
元平良市長の下地米一さん死去

下地米一さん
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社会
2013年5月19日 12時08分
(4時間48分前に更新)

 旧平良市(現宮古島市)の市長を1986年から2期務めた下地米一(しもじ・よねいち)氏が17日夜、心筋梗塞のため宮古島市内の自宅で死去した。91歳。旧平良市出身。告別式は21日午後3時から5時、宮古島市平良下里1254の大米建設宮古本店で。喪主は妻節子(せつこ)さん。下地氏は大米建設の創業者で現会長。社長で県建設業協会会長の米蔵氏、政党そうぞう代表の幹郎氏の父。

3837名無しさん:2013/05/20(月) 10:54:23
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130520-00000240-yom-peo
北川石松氏(元環境庁長官)が死去
読売新聞 5月20日(月)9時37分配信

 北川石松氏 94歳(きたがわ・いしまつ=元環境庁長官)19日、老衰で死去。告別式は未定。

 大阪府議を経て、1976年に衆院旧大阪7区で自民党から初当選。連続6期務めた。90年の第2次海部内閣で環境庁長官。建設の是非が問題となった長良川河口堰(ぜき)を環境庁長官として初めて視察し、自然環境への影響について追加的な調査検討を求める異例の見解を発表した。96年に政界を引退した。

最終更新:5月20日(月)9時37分

3838名無しさん:2013/05/27(月) 15:38:06
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130527-00000116-mailo-l35
藤谷・民主参院議員:引退後も「平和貢献続ける」 /山口
毎日新聞 5月27日(月)12時34分配信

 平和の尊さを国会の場で唱えてきた民主党の藤谷光信参院議員(76)=比例=が26日、今夏の参院選出馬をしない意向を明らかにした。岩国駅前空襲など、戦争の悲惨さを身をもって体験した世代の国会議員がまた一人、政治の場を去る。

 藤谷氏は1945年8月14日にあった岩国駅前空襲や、原爆の被害を受けた広島の惨禍を目の当たりにし、国会議員になってからも、これらの体験を基に平和の大切さを訴えていた。
 広島への原爆投下の時は8歳の時。授業中に教室がピンクのまぶしい光に覆われ、直後に激しい揺れに襲われてしゃがみ込み、担任が必死に黒板を手で押さえていた姿を覚えているという。2カ月後、親戚の見舞いのため、焼け野原と化した広島市に入った。「広島は原爆投下まではおしゃれな街だったのに……」
 初当選は第1次安倍晋三政権。引退も安倍政権(第2次)となりそうだ。不思議な偶然だが、戦後生まれの安倍首相の政治姿勢には疑問を感じているという。「太平洋戦争に突き進んだ反省に目を向けず、経済人など一部の声しか聞いていない」。また、次期参院選の争点に掲げられるとみられる国防軍創設や改憲については不安があるという。戦時中、市民が逃げ込んでいた防空壕(ごう)に後から入って来て「奥に入れろ」と人を押しのけていったり、言うことを聞かない女性を殴る軍人の姿が記憶に残っているからだ。「軍人は外国と戦う前に、自国民を規制する考えしかなかった」
 引退の理由に「年齢」を挙げる藤谷氏だが、引退後は僧侶として幼稚園教育を通じ、平和や次世代への貢献を続けたいという。【吉川雄策】
〔山口版〕
5月27日朝刊

3839名無しさん:2013/05/27(月) 15:43:14
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130526-00000026-mai-peo
<訃報>高橋清孝さん92歳=元自民党参院議員
毎日新聞 5月26日(日)20時37分配信

 高橋清孝さん92歳(たかはし・きよたか=元自民党参院議員、元科学技術政務次官)24日、肺炎のため死去。通夜は27日午後6時半、岩手県花巻市北笹間17の105の自宅。葬儀は6月3日午後1時、同市野田335のJAいわて花巻総合営農指導拠点センター。喪主は長男清道(きよみち)さん。

最終更新:5月26日(日)20時37分

3840名無しさん:2013/05/27(月) 15:47:29
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130525-00000232-yom-peo
小池勇二郎氏(小池百合子自民党衆院議員の父)が死去
読売新聞 5月25日(土)8時46分配信

 小池勇二郎氏 90歳(こいけ・ゆうじろう=小池百合子自民党衆院議員の父)24日、死去。葬儀は近親者で行う。後日、偲(しの)ぶ会を開催する予定。喪主は長男、勇(いさむ)氏。

3841名無しさん:2013/06/07(金) 13:31:28
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130606-00000863-yom-peo
近藤忠孝氏(元共産党参院議員、弁護士)が死去
読売新聞 6月6日(木)15時12分配信

 近藤忠孝氏 81歳(こんどう・ちゅうこう=元共産党参院議員、弁護士)5日、肝硬変で死去。告別式は8日午後1時30分、京都市南区西九条池ノ内町60公益社南ブライトホール。喪主は長男、公人(きみひと)氏。

 弁護士としてイタイイタイ病弁護団に加わった。1974年、参院選全国区で初当選し、3期務めた。

3842名無しさん:2013/06/07(金) 13:32:17
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130606-00000039-mai-peo
<訃報>近藤忠孝さん81歳元イタイイタイ病弁護団長
毎日新聞 6月6日(木)14時8分配信

近藤忠孝さん=京都市下京区で2007年12月4日、森園道子撮影

 元イタイイタイ病弁護団長で、元共産党参院議員の近藤忠孝(こんどう・ちゅうこう)さんが5日、肝硬変のため京都府長岡京市の病院で死去した。81歳。通夜は7日午後7時、葬儀は8日午後1時半、京都市南区西九条池ノ内町60の公益社南ブライトホール。喪主は長男公人(きみひと)さん。

 東京都出身。富山県のイタイイタイ病訴訟では「裁判で勝利するためには被害者のいる現地で活動することがどうしても必要」として、一家で東京から富山へ移住した。全国公害弁護団連絡会議の初代幹事長などを経て、1974年から参院議員を3期務めた。議員引退後は京都弁護士会に所属し活動していた。

 富山市で2008年にあった提訴40周年の集いでは「中国などでは今、40年前の富山と同じことが起きている。世界の公害をなくす努力をすることが、私たち全員の責務」と訴えた。

3843旧ホントは社民支持@鹿児島市:2013/06/07(金) 23:15:56
ミッテランの片腕も逝ってしまったか。

モーロワ元仏首相死去
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013060700971
 ピエール・モーロワ氏(元フランス首相)7日、パリ郊外の病院で死去。84歳。12年4月に肺のがん性腫瘍の手術を受けた後、13年6月に再び入院していた。
 北部カルティニ生まれ。高校教師時代から社会主義運動に参加し、70年代初めには後に大統領となるミッテラン第1書記(党首)に次ぐ社会党内の実力者となる。73年から下院議員とリール市長、ミッテラン政権下の81〜84年に首相を務め、週39時間労働制や、年金受給開始の目安となる法定退職年齢の60歳への引き下げを進めた。(2013/06/07-20:39)

3844名無しさん:2013/07/06(土) 14:27:21
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130703-00000228-yom-peo
上坂昇氏(元社会党衆院議員)が死去
読売新聞 7月3日(水)9時4分配信

 上坂昇氏 94歳(こうさか・のぼる=元社会党衆院議員)2日、肺炎で死去。告別式は8日午前11時、福島県いわき市小島町3の2の2せきのホール。自宅は同市若葉台2の26の8。喪主は妻、泰子(やすこ)さん。

 1972年衆院選に旧福島3区から社会党で初当選し、6期務めた。

3845名無しさん:2013/07/06(土) 14:28:32
http://www.minpo.jp/news/detail/201307039399
上坂昇元衆院議員死去 社会党で6期17年務める いわき

 元社会党衆院議員の上坂昇(こうさか・のぼる)氏は2日午前3時9分、肺炎のためいわき市の病院で死去した。94歳。自宅はいわき市若葉台2ノ26ノ8。通夜は7日午後6時から、告別式は8日午前11時からともに市内小島町のせきのホールで。喪主は妻泰子(やすこ)さん。(20面に追悼記事)
 いわき市出身。旧制磐城中(現磐城高)、早稲田大政経学部卒。旧平市議2期、県議2期を経て昭和47年の衆院選旧本県3区に社会党から立候補して初当選した。衆院議員を6期17年務め、衆院石炭特別委員長、党国会対策副委員長、党中小企業局長などを歴任した。
 戦後の護憲・民主主義運動に尽くしたほか、中小企業振興などにも力を注いだ。平成元年の叙勲で勲二等旭日重光章を受章した。

( 2013/07/03 09:39 カテゴリー:主要 )

3846名無しさん:2013/07/06(土) 14:31:27
http://www.hibinoshinbun.com/files/68/kousaka.html
日々の新聞 第68号 江戸時代のいわき

安藤家家臣の子孫で、元衆議院議員の上坂昇さん(87)が、司馬遼太郎の『この国のかたち』を読んでいた時だった。近江の「上坂氏」のことにふれているところがあった。それまで「東北に住んでいるから蝦夷の子孫」と、自分のことを思っていた。何となく上坂姓のルーツを調べたくなり、以後、滋賀県を何度か訪ねた。

 滋賀県長浜市。上坂神社、上坂城跡、それに東上坂町、西上坂町というのもあった。関西の上坂姓はかみさか、うえさかが多い。近江の上坂はこうさかが正しい読み方なのだという。
 上坂さんの本籍は平揚土五、平一小がある場所。先祖は安藤家の家臣で、安藤家6代の信成の入封とともに磐城平に移り住んだ。曾祖父にあたる助太夫は安藤家12代の信勇の時代、城代を命じられ、藩主の留守中、代わって城を守り、藩の一切の政務を担当した。そして、戊辰戦争を迎えた。
 10代藩主の信正は老中職を辞めた後、老中在任中に不正があったという理由で隠居謹慎を申し渡され、11代の信民に家督を譲ったが、さらに領地二万石を取り上げられ、無期限の謹慎を言い渡された。謹慎が解ける間に信民は亡くなり、内藤家から養子に来た信勇が藩主に就いた。
 戊辰戦争の藩の態度を決める議論がされたころ、恭順派の儒学者真木光と抗戦派の家老上坂助太夫の2派にわかれた。その時、信勇は美濃加納の領地にいた。助太夫は藩主の意志に反し、信正を担いで旗揚げをし、総監を務めた。そして激しい攻撃を受けて落城した。
 敗れた安藤家は陸中磐井藩への移封を命じられたが、信勇が忠誠を誓って嘆願し、移封は取り消され、そのまま磐城平藩で生活した。廃藩置県で平県知事になったが、その後、福島県が誕生し、学習院で書道教授をした。 
 上坂さんは小川町で生まれ。父親は次男で、運送業を営んでいた。戊辰戦争後、先祖は傘張りなどをしながら苦しい生活をしたという。いま、上坂さんは安藤家の縁の人たちの集まり「平安会」の会長をしている。


平安会
 
  家臣など安藤家の縁の人たちの集まり「平安会」は110年前に発足した。戊辰戦争で亡くなった西軍の兵士はすぐに弔うことができたが、負け組は弔うことさえ許されなかった。そのうちに、仙台などあちこちから亡骸を良善寺に集め、供養している。にらまれることは避け、目立つことはしないできたという。
 安藤家の最後の将軍、信勇の子どもか孫にあたる、信篤は磐城中学(現磐城高校)で学んだ。かなり優秀で、将来が期待された。「学費を支援してほしい」という呼びかけで、協力したこともある。信篤は八高(名古屋高校)に入学したが、八高時代に結核で亡くなってしまった。

3847名無しさん:2013/07/16(火) 15:09:47
http://www.asahi.com/obituaries/update/0714/TKY201307140070.html
元社会党衆院議員の戸田菊雄さん死去

 戸田菊雄さん(とだ・きくお=元社会党衆院議員)が13日、肺炎で死去、89歳。通夜は16日午後6時、葬儀は17日午後1時から仙台市青葉区木町通2の2の13の斎苑(さいえん)で。喪主は長女の夫、大山邦彦さん。連絡先は社民党宮城県連合(022・223・3081)。

 1965年、宮城県選挙区で参院議員に初当選。2期務めた後、80年に旧宮城1区で衆院議員に当選し、4期務めた。党大蔵部会長や国対副委員長などを歴任した。

3848名無しさん:2013/07/16(火) 16:22:27
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/07/20130715t13015.htm
元衆院議員、旧社会党宮城委員長の戸田菊雄氏死去

 元衆院議員で旧社会党宮城県本部委員長を務めた戸田菊雄(とだ・きくお)氏が13日午後10時23分、肺炎のため仙台市青葉区上杉1丁目13の17の自宅で死去した。89歳。いわき市出身。葬儀・告別式は17日午後1時から、仙台市青葉区木町通2の2の13、斎苑で。喪主は長女の夫大山邦彦(おおやま・くにひこ)氏。
 仙台鉄道教習所卒。国労仙台地方本部委員長、宮城県労評議長を経て1965年、旧社会党宮城県本部委員長に就任。同年の参院選旧宮城地方区に党公認で立候補して初当選し、連続2期務めた。その後衆院に転じ、80年衆院選の旧宮城1区で初当選し当選4回。
 旧社会党県本部委員長は94年に退任するまで29年間務め、県内の革新勢力をリードした。96年の社民党結成以来、県連顧問を務め、後進を支えた。

◎革新勢力の指導者/穏やかな人柄惜しむ声

 旧社会党の衆院議員、参院議員を務めた戸田菊雄さん(89)が13日夜、亡くなった。労働者の地位向上に尽力し、長年にわたって宮城県内の革新勢力のリーダー的存在だった。後輩の社民党県連幹部や親交のあった人から悼む声が相次いだ。
 社民党県連顧問の菅野哲雄元衆院議員(64)は「4年ほど前にメーデー集会で会ったのが最後になった。国政の場で活躍する姿は雲の上の存在だった。社会党県本部の指導的立場として、党員を引っ張ってもらった」としのんだ。
 社民党県連の岩渕義教代表(64)は「国の財政問題に詳しく、後輩の自分たちにかみ砕いて教えてくれた。とても穏やかな人だった」と懐かしんだ。
 戸田さんは亡くなるまで社民党県連顧問を務めた。岩渕代表は「戸田さんたちが大きくした党を、小さくしてしまった。もっと助言をもらいたかった」と悔しさをにじませた。
 戸田さんは労働運動から政治の世界に入った。後任の県労評議長を務めた仙台市太白区の社会福祉法人理事長高橋治さん(84)は、戸田さんが「ささいな考え方の違いで分裂してはいけない。目的が同じなら団結すべきだ」と、よく話していたことを覚えている。
 高橋さんは「野党がバラバラになっている今の政治状況を見ると、戸田さんの言葉の大切さを痛感する」と語った。

2013年07月15日月曜日

3849名無しさん:2013/07/18(木) 16:42:51
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130718/waf13071807010003-n1.htm
「天下一品」創業者が元衆院議員を提訴した「理由」…米進出?LED事業?双方の主張噛み合わぬ“不可解”
2013.7.18 07:00 (1/3ページ)[westセレクト]

人気ラーメン店の創業者と元国会議員によるLED事業への出資を巡る争いが京都地裁で行われている。異色対決の行く着く先は…

 こってりスープで知られる京都発祥のラーメン店「天下一品」。屋台から全国展開を果たすまで事業を育てあげた創業者が、公明党の元衆院議員を相手取り、LED事業に絡む出資金5千万円の返還を求める訴訟を京都地裁に起こした。人気ラーメンチェーンの社長がなぜ「LED」だったのか。背景には、米国進出を目指す天下一品の戦略があったという。これに対し、元衆院議員は5千万円の送金があったことは認めたものの、「寄付金は(創業者の)たっての依頼であり、勧誘したものではない」と主張。「断じて不法行為はしていない」と全面対決の構えをみせている。

元政務官の勧誘

 独特のこってりスープで、京都のみならず全国のラーメンファンの間では、その存在を知らない人はいないラーメンチェーン「天下一品」。その創業者、木村勉社長(78)が訴えたのは、公明党の元衆院議員、山名靖英氏(69)と山名氏が代表取締役を務める会社など2社だ。

 山名氏は元京都府議で、平成5(1993)〜17(2005)年には衆院議員を3期務め、総務大臣政務官なども歴任した。木村社長とは衆院議員時代に知り合い、政界引退後も交流を続けていたという。

 訴状によると、山名氏が木村社長に「LED事業」に絡む寄付を持ちかけたのは20年11月ごろのことだとされる。

 山名氏は、米国の企業や大学と共同で、より省エネルギーで発光効率の高い発光ダイオード(LED)を開発する「日米共同LEDプロジェクト」事業を紹介し、木村社長を理事に推薦するとした。

 弁護人によると、勧誘に使われた資料には、著名な大学を出たとする日米の研究者の顔写真入りのプロフィルや、プロジェクト発足パーティーの写真などが記載されていた。

 山名氏は「理事になれば米国の有力企業や大学との窓口になり、広大な利益を有することになる」と誘ったという。

3850名無しさん:2013/07/18(木) 16:43:32
木村社長が興味を示すと、「理事になるには最終的には米国側の関係機関の審査が必要。私どもの推薦ということで決定すると思うが、当然、無料ではない」と寄付金を求め、その代わりに寄付金に見合ったプロジェクト会社の株を割り当てる、と説明したとしている。

米国進出の夢

 木村社長が、畑違いのLED事業に関心持ったのは「天下一品グループの米国での事業展開に役立つ」と考えたからだという。

 木村氏は21年6月、寄付金2千万円を支払った。

 山名氏はさらに同8月、今度は同プロジェクトの総代理店として契約し、「将来保有する次世代LED製品の日本国内における輸入元の権利」を取得するよう勧めた。

 対価として、今度は総額1億円を3回分割で支払うよう求めた。木村社長は、契約調印は保留しながらも初回分の3千万円の送金を社員に指示した。

 同9月、木村社長は弁護士とともに山名氏を訪ね、勧誘内容について、根拠となる資料の開示や総代理店の権利の中身の説明などを求めた。

 しかし、山名氏の説明に納得できず、「総代理店契約はしない」と通告、それまでに支払った出資金5千万円についても返還を求めた。

 訴状では、当時、山名氏は白紙撤回に応じるとし、出資金もすべて返還すると口頭で約束したとしているが、山名氏側はこれを全面否定している。

舞台は法廷へ

 弁護人によると、山名氏は、北海道釧路市の男性にも同様の勧誘をしており、「一手販売権」という総代理店とほとんど同内容の権利を与えるとして、20年7月までに1億円の支払いを受けていたことが、22年9月になって判明したという。

 木村社長側は「この『一手販売権』と、木村社長に取得させようとした『総代理店としての権利』とは、内容は明らかに抵触するものであり、両立しえない」と主張。

3851名無しさん:2013/07/18(木) 16:44:05
「かつて国会議員であった信用とその人脈を利用して行った資金集めの行為。実現不能の権利を設定させる契約の申し入れ行為であり、不法行為となる」と指摘した。

 木村社長は今年4月、5千万円の返還を求め、提訴。代理人によると、警視庁や京都府警にもすでに、被害について相談したとしている。

 産経新聞の取材に山名氏は「弁護士と打ち合わせをしているのでコメントは差し控える」としていたが、6月22日、報道各社宛に「私は断じて不法行為はしておりません。今後、法廷で明らかにしてまいります」とするコメントをファクスで送信した。

 7月10日、京都地裁で口頭弁論が開かれ、山名氏側は答弁書で、木村社長から計5千万円の送金があったことは認めたものの、「寄付金は木村社長たっての依頼であり、勧誘したものではない」と主張。請求棄却を求め、全面的に争う姿勢をみせた。

 出資金の返還についての約束も「木村社長の理事就任は内定しており、返還義務はなく、白紙撤回に同意した事実はない。(出資金を)返還できる立場にもないため、そのような約束をするはずがない」と主張。

 山名氏側が北海道釧路市の男性に持ちかけた「一手販売権」が、木村社長に持ちかけた「総代理店契約」と両立しえない、との訴えに対しては「一手販売権は中国で製造された製品の販売権とその2次加工製造権で、総代理店契約は米国で製造された製品の販売権であるから、両立しうる内容で、不法行為は成立しない」と反論している。

 名物ラーメン店の創業者と元国会議員。異色の出資を巡る争いの決着は、法廷に委ねられた。

3852名無しさん:2013/07/21(日) 08:41:08
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130721-00000002-jij-n_ame
ヘレン・トーマスさん死去=歴代大統領担当の名物記者―米
時事通信 7月21日(日)0時24分配信

 【ワシントン時事】米メディアによると、1960年代のケネディ大統領以降の歴代大統領を取材し、ホワイトハウスの名物記者として知られたヘレン・トーマスさんが20日、首都ワシントンの自宅で死去した。92歳だった。
 ケンタッキー州でレバノン系移民の両親の下に生まれた。1943年にUPI通信に入社。60年11月のケネディ大統領当選からホワイトハウスを担当し、歴代大統領や報道官に鋭い質問を浴びせてきた。
 2000年にコラムニストとなった後も、ホワイトハウスの会見室最前列中央の「指定席」を与えられていた。しかし10年6月、ユダヤ人はパレスチナを去るべきだとの失言で引退に追い込まれた。

3853名無しさん:2013/07/25(木) 14:17:51
http://www.asahi.com/obituaries/update/0724/OSK201307240038.html
元鳥取県知事、西尾邑次さん死去
 西尾邑次さん(にしお・ゆうじ=元鳥取県知事)が23日、肺炎で死去、92歳。葬儀は25日午後3時から鳥取市服部15の3のメモワール・イナバで。喪主は長男慎一さん。

 県総務部長、副知事を経て、1983年に初当選。99年まで4期務めた。鳥取県や兵庫県など沿線自治体が出資した第三セクター「智頭急行」の初代社長も務めた。

3854名無しさん:2013/07/25(木) 18:04:25
西尾邑次元知事死去:温厚堅実、愛され 県政界中心に惜しむ声 /鳥取
毎日新聞 2013年07月25日 地方版

 1999年まで4期16年にわたって、県政のかじ取り役を務めた西尾邑次(ゆうじ)元知事(92)が23日夜、肺炎のため死去した。5月下旬に脳梗塞(こうそく)で倒れ、まひが残った右手足などのリハビリ生活を送っていた。県政界を中心に惜しむ声が相次いだ。【加藤結花、川瀬慎一朗】

 旧東長田村(現南部町)出身の西尾さんは1947年、県職員に採用された。企画部長や総務部長、副知事を歴任し、83年の知事選で初当選。長く県政を引っ張った。

 在任中の85年には「わかとり国体」を開催。97年に境港市で開催した「山陰・夢みなと博覧会」では、180万人以上の来場者を集めた。「ジゲおこし」と称した県民による地域活性化運動を提唱したほか、94年に鳥取、韓国、中国、ロシアの4地域の自治体が参加したサミットを開催するなど環日本海交流の推進にも尽力した。

 西尾さんの訃報を受け、平井伸治知事は「巨星を失った深い悲しみを覚えます。わかとり国体、山陰・夢みなと博覧会、中山間地対策などをはじめ、鳥取県に輝きをもたらそうと一生をささげられたことに心より感謝申しあげます」との談話を発表した。

 97、98年度の2年間、秘書課長としてほぼ毎日、顔を合わせて仕事をしていた鳥取大の法橋誠副学長(59)は「本当に残念で言葉もない」と惜しんだ。「徳のある方で、人付き合いを大切にしており、県職員からの人望も厚かった」と西尾さんを回顧。一方で「普段は温厚だったが、県民の利益ではなく、立場で物を言うような人間や発言に対しては厳しい面も見せた」と回想した。

 ◇悲願の国体実現

 「県民の悲願だった国体の実施に向けて、県と県議会が力を合わせて進めた。当時、非常に盛り上がったのを覚えている」

 1985年に県内で開かれた「わかとり国体」を、山口享県議は懐かしそうに振り返った。「国体は大きな費用がかかる一大事業だったが、体育施設の整備は将来の投資にもなると議会も了承した。実際、布勢の競技場など、多くの施設が今も県内のスポーツ環境の整備に一役買っている」と評価。「西尾さんは派手ではなかったが、温厚堅実な人柄で多くの人に愛された。そういう穏やかな人柄もあり、国体や山陰・夢みなと博覧会など大きな事業を成し遂げることができたのだと思う」と語った。

 元県職員で国体事務局長を務めた山住省二さん(86)=鳥取市用瀬町=は、突然の訃報に「非常に温厚で優しく、親しみの持てる人だった。惜しい人を亡くした」と肩を落とした。

 「おまえにまかせるけ」。山住さんは西尾さんから直接、事務局長の重責を託された。「とにかく知事就任後、初めての大仕事で、何が何でも成功させようと一生懸命だった」と当時を振り返る。鳥取は雨が多いため、西尾さんは天気を心配していたが、奇跡的に秋季大会期間中一度も雨は降らなかった。

 大会前は県選手団の合宿所などに西尾さんが直接出向き、「頼んだぞ」などと熱心に激励。人口最少県だけに優勝できるか危ぶまれたが、県選手団は見事に優勝した。現在のJR鳥取駅から県庁まで若桜街道を選手らとともにオープンカーでパレードし、「(西尾)知事は涙を流して喜んでいました」。閉会式では、県出身の作曲家、岡野貞一の「ふるさと」を県外にも知ってもらおうと、西尾さんの提案で選手の退場時の行進曲として子どもたちが合唱した。

 開会式では、婦人会のメンバーが傘踊りを披露。今でも当時の出演者の一部が毎夏、「鳥取しゃんしゃん祭」に参加しており、西尾さんも毎年激励に来ていたという。同祭は来年で50年。「50周年までは続けて応援したい」と話していた矢先での急死だった。

3855名無しさん:2013/07/25(木) 18:06:10
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tottori/news/20130725-OYT8T00017.htm
西尾元知事死去 智頭急行開業に尽力 関係者、功績しのぶ
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知事退任で、県庁を後にする西尾さん。県政に多くの功績を残した(1999年4月9日)
 元県知事の西尾邑次さん(92)が亡くなったことが伝わった24日、関係者は、温厚で細やかな気遣いができ、県政に功績を残した故人を惜しんだ。

 西尾さんは戦後間もない1947年に県職員となり、企画部長や総務部長、副知事を歴任。83年の知事就任後、妻木晩田遺跡保存(99年)や智頭急行開業(94年)を決断。「わかとり国体」(85年)や「山陰夢みなと博」(97年)を成功させた。

 西尾さんは86年から約13年間、知事の職と共に智頭急行の初代社長を務めた。社長退任後もOB会では社員一人ひとりに笑顔で声をかけたという。同社の米原隆生・総務企画課長(47)は、「西尾さんのおかげで今の智頭急行がある。ずっと気にかけて下さった。寂しい限りです」と悲しんだ。

 知事退任直前の99年には、ゴルフ場開発が予定されていた国内最大級の弥生時代の集落跡「妻木晩田遺跡」(156ヘクタール)を買収、全面保存すると決断した。遺跡が公開され、保存の声が高まって2年後のスピード決着。一帯は県のむきばんだ史跡公園として整備された。市民団体「むきばんだ応援団」の坂田友宏団長(78)は「リゾート開発という県の方針の中での英断だった。遺跡が今もあるのは西尾さんが決断してくれたから。感謝の言葉しか見当たらない」と話した。

 平井知事は「鳥取県に輝きをもたらそうと一生をささげられたことに心より感謝申し上げます。気配りにあふれたお人柄を忍び、県民とともに哀悼の誠をささげます」とコメント。

 石田耕太郎・倉吉市長は県庁入りした頃、西尾さんは副知事を務めていた。「とてもまじめな方と感じた。県が沖縄県や南方の洋上で行う戦没者の慰霊行事には都合のつく限り出席されていたのが印象に残っている。ご自身も戦争を体験され、戦没者への思い入れが強かったのでは」と振り返った。

 旧建設省(現国土交通省)の官僚だった竹内功・鳥取市長は95年4月から98年5月まで県に出向し、企画部長として西尾県政を支えた。「環日本海交流の推進や鳥取環境大開学など、県政を導かれた卓越した手腕と功績に心より感謝と敬意を表します」とコメントした。

(2013年7月25日 読売新聞)

3856ロックフェラー帝国の陰謀-見えざる世界政府:2013/07/26(金) 22:57:57
東京地検特捜部は、アメリカの犬。
大衆は、ロックフェラーが死んでも、謀略は全て消え去ったと勘違いしないように。その上がいる。
その他関連:自民党、森喜朗、官僚、CIA

3857東京地検特捜部は、日本国内操縦売国エージェント!!:2013/07/28(日) 20:20:24
東京地検特捜部は、日本国内操作売国エージェント!!
国民は騙されるな!!
工作員による、撹乱文・撹乱サイトに注意!!

3858自民党・森喜朗・CIAは、昔から結託している!!:2013/07/28(日) 20:25:06
自民党・森喜朗・CIAは、昔から結託している!!
東京地検特捜部は、日本国内操縦売国エージェント!!
国民は騙されるな!!
工作員による、撹乱文・撹乱サイトに注意!!

3859名無しさん:2013/07/31(水) 15:39:14
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130731-OYT1T00463.htm
自民党の中村博彦・参院議員が死去

 自民党の中村博彦(なかむら・ひろひこ)参院議員が31日午前0時30分、多臓器不全のため名古屋市内の病院で死去した。

 70歳だった。告別式の日程は未定。

 中村氏は徳島県出身で、徳島県議などを経て、2004年の参院比例選で自民党から初当選し、現在2期目。福田、麻生両内閣では総務政務官を務めた。

(2013年7月31日11時08分 読売新聞)

3860名無しさん:2013/07/31(水) 15:40:30
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130731/elc13073110550000-n1.htm
堀内恒夫巨人前監督が繰り上げ当選 中村博彦参院議員死去に伴い
2013.7.31 10:55 [自民党]

 自民党の中村博彦参院議員(比例代表)が31日未明、名古屋市内の病院で多臓器不全のため死去した。70歳。中村氏の事務所が明らかにした。これによりプロ野球巨人前監督の堀内恒夫氏(65)が繰り上げ当選する。

 中村氏は2004年、参院選比例代表で初当選し、2期目。総務政務官や党副幹事長を歴任した。

 堀内氏は巨人のエースとして活躍した。

3861名無しさん:2013/08/01(木) 14:43:29
http://cgi.daily-tohoku.co.jp/cgi-bin/news/2013/08/01/new1308010902.htm
元参院副議長の松尾官平氏が死去(2013/08/01 09:13)
政界引退を表明する松尾官平氏=1998年6月16日、参院副議長室

 1980年から参院議員を通算4期務めた元参院副議長の松尾官平(まつお・かんぺい)氏が30日午前7時46分、心原性脳塞栓(そくせん)症のため、東京都内の病院で死去した。86歳。三戸町出身。自宅は三戸町八日町12。葬儀・告別式は8月10日午前11時から三戸町川守田元木平8の1、アップルドームで。喪主は長男で青森県議の和彦(かずひこ)氏。
 盛岡農林専門学校(現・岩手大)卒、中央大中退。63年の県議選で初当選し、副議長などを歴任した。5期目途中の80年6月、寺下岩蔵参院議員の死去に伴う青森選挙区補選に自民党公認で出馬し初当選。89年に落選したが、91年の補選で返り咲き、通算4期、16年10カ月務めた。
 沖縄開発政務次官、労働政務次官、参院環境特別委員長を経て、95年8月、第22代参院副議長に就任。青森県出身の衆参両院正副議長は、49年から53年まで参院議長を務めた故佐藤尚武氏以来。
 93年、小沢一郎氏や羽田孜氏らと共に自民党を離党し新生党に参加。94年の新進党結成に関わり、政界再編の激動期を体験した。参院の院内会派である新緑風会、平成会の会長も務めた。
 新進党解党に伴い、98年の参院選に出馬せず政界を引退。同年、勲一等瑞宝章を受章。99年に三戸町名誉町民となった。
 中小企業の振興にも尽力し、三戸町商工会長を46年間、県商工会連合会長を73年から24年間務めた。全国商工会連合会相談役、全国労働保険事務組合連合会長、県出稼者団体連合会長などを歴任した。(松本正人)

【写真説明】
政界引退を表明する松尾官平氏=1998年6月16日、参院副議長室

3862名無しさん:2013/08/08(木) 12:58:41
「理念なきネット選挙」 試される政治との距離感
ブロガー 藤代 裕之
(1/3ページ)2013/8/8 7:00
 「低調だった」「期待はずれ」という論調で振り返られている初のネット選挙だが、もしソーシャルメディアを利用して政党や候補者と有権者が政策論争を繰り広げるネット選挙が社会に浸透したらどうなるのだろうか。

■政治の話は人間関係を壊す

 「政治や宗教の話は人間関係を壊す」「ソーシャルメディアが選挙の話一色になるのは気持ち悪い」―。7月27日に行われた情報ネットワーク法学会の研究会「ソーシャルメディア社会における情報流通と制度設計」で出た意見だ。

情報ネットワーク法学会の研究会で、ネット選挙活動について議論する参加者
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情報ネットワーク法学会の研究会で、ネット選挙活動について議論する参加者
 研究会は、ソーシャルメディアの普及によって、「誰もが情報発信者」となった社会の将来像とあるべき制度設計を考えるもので、メンバーは研究者やジャーナリストらで構成されている。筆者は敬和学園大学の一戸信哉准教授とともに主査を務めている。

 NTTコミュニケーション科学基礎研究所の木村昭悟氏は、「友だちのタイムラインでそういうのが流れるのは本当にいいのか。政治に興味がないとかではなく、自分の生活を脅かしかねない。結構危うい」と、ネットでの議論は建設的にならないこと、政治や宗教の話題は人間関係を壊す微妙な問題であると指摘した。

 確かに、終盤にネット上で激戦となった参院選東京選挙区の山本太郎陣営と鈴木寛陣営の対決の余波は、筆者のフェイスブックやツイッターのタイムラインにも及んだ。鈴木氏を支持する書き込みがある一方で、どちらの候補も応援することもできない、と表明する人も見られた。

 選挙では、ソーシャルメディアが、どの政党や政策を支持するのか、反対するのかといった思想の踏み絵になっている。選挙戦が過熱すればするほど対立は熱を帯び、旗幟(きし)を鮮明にすることを迫られる。そうすると、選挙から距離を置こうとする人が出るのも自然なことで、政治スタンスを知られたくないという人もいるはずだ。

■政治的匿名性が脅かされ始めている

 データ解析を行っているユーザーローカルの調査によれば、政党別のソーシャルメディアアカウントのファン数を調査したところ、選挙関連の報道で取り上げられることが多いフェイスブックやツイッターではなくラインが最も多かった。自民党では、ツイッターのフォロワーが6万4千に対して、ラインは9万4千。ツイッターのほうが多いのはみんなの党だけで、他の党はすべてラインが上回っている。いいね!を押したり、フォローしたりすると、周囲に分かってしまうが、ラインの場合は、どの政党の情報を見ているか他のユーザーには分からない。この政治的匿名性がライン利用を押し上げている可能性もある。

3863名無しさん:2013/08/08(木) 12:59:22
 木村氏は「地方だと、周りに住んでいる人は誰を支持するという空気が分かる。リアルでは当たり前のように起きているのが、ソーシャルに顕在化してきただけ。今回、参院選のような全国区で、しかも選挙区が広いところからスタートできたのは色々な意味でよかった」と分析した。

 地方新聞の記者経験からすると、この指摘は合意できるところが多い。わずか数票で当落が決まる町村議会などでは、徹底的な票読みが行われる。それを支えるのは地域の濃厚なコミュニケーションだ。一方、ネットは匿名性が特徴だったが、フェイスブックの登場で実名化が進む。ツイッターも普段の書き込みから人物が推測される可能性がある。リアルがネットを侵食している。

 ネット選挙の成功事例として紹介されることの多いオバマ米大統領もリアルに踏み込んでいる。オバマ陣営はネット上にある個人データを分析し、戸別訪問や電話につなげて支持を広げていった。ネット選挙は、ネットだけで行われていても威力はないが、リアルと結びつけば大きな力を発揮する可能性がある。

 匿名性の高い都市社会では、政治信条や主義を表明せずに暮らすことができるが、ソーシャルメディアによって濃厚なコミュニケーションが作られるようになり、ネット選挙解禁が進むことで、政治的匿名性が脅かされ始めている。このような変化を受け入れる準備ができているとは言いがたい。フェイスブックには政治観を書き込む欄があるが、それほど利用されていない。まだまだ、政治的な態度表明はリスクが大きいのが現実だ。

■選挙終了で握手できるのか

 人気グループEXILE(エグザイル)のメンバーがネットで候補者を応援したとしてNHKは出演している番組の放送を急きょ取りやめた。一方で、赤旗で共産党を応援した女優はそのまま放送され、判断が分かれている。このニュースで起きたのはメディアの中立性に関する議論だが、政治的な態度表明のリスクととらえることもできる。

 リスクは、何も人気アーティストやタレントだけにかかわるものではない。業界や企業ぐるみで政党や候補者を支持することもある。社員が別の候補への支持をソーシャルメディアで表明することができるのかという問題がある。ソーシャルメディアはログを残す。過去に特定の政党や政策アジェンダへの反応や書き込みが解析され、政治スタンスが明らかになり、知らぬ間に不利な立場に追い込まれているかもしれない。

3864名無しさん:2013/08/08(木) 13:00:11
 弁護士ドットコム編集長の亀松太郎氏は「ネットは匿名で発信できるのはいいこと。リアルに原発反対と言いにくいけど、ネットで匿名なら発信できる。リアルで人に言いづらい時に発信できる」と政治的匿名性を維持する仕組みの重要性を指摘した。一方、情報政策に詳しい国立情報学研究所特任研究員の生貝直人氏は「選挙が終わったらちゃんと握手する新しい規範を作る必要がある」と述べた。

 選挙では誰に投票したか分からない秘密投票が最後の砦(とりで)となっている。ネット選挙運動の解禁から、ネット投票の解禁に進んだ場合、必ずログが残ってしまうことになる。ハッキングや内部からの漏洩(ろうえい)により、投票すら「可視化」されてしまうこともあり得る。

 その一方で、「隠蔽」もありえる。ソーシャルメディアの登場でネット上の情報は増え続けており、まとめサイト、ニュースアプリといったミドルメディアの登場は、一定の編集判断やアルゴリズムによって情報をフィルタリングしている。政治に関して議論したくない、情報がほしくないという人に関連情報を出さないことも可能であるし、特定の政党や候補に親和的な情報ばかりを表示することも可能だ。

 ソーシャルメディアで触れる情報が、どのような技術や方針によって表示されているか理解しているユーザーは少ない。アルゴリズムの特性はおろか、アルゴリズムが存在していることを公表していない企業もある。選挙情報が飛び交っているように見えても、知らず知らずのうちに接触する情報をプラットフォームにコントロールされてしまう危険性もまた、考えなければならない。

■むしろ民主主義が後退する

 気鋭の社会学者西田亮介立命館大学特別招聘准教授は「理念なきネット選挙の解禁」と言う。民主主義の理想を実現するために、どうすればインターネットとかソーシャルメディアを使えるのかという議論が必要だったはずだ。だが、ネットでの議論が果てしなく続き、人間関係が壊れるとすれば、なるべく政治的な議論を避けようとする、ソーシャルメディアのログが政治的匿名性を脅かし、つながる友人たちからの圧力による自主規制が意見表明を阻むとすれば、むしろ民主主義が後退してしまうことになりかねない。

藤代裕之(ふじしろ・ひろゆき)
ジャーナリスト・ブロガー。1973年徳島県生まれ、立教大学21世紀社会デザイン研究科修了。徳島新聞記者などを経て、ネット企業で新サービス立ち上げや研究開発支援を行う。法政大学社会学部准教授。2004年からブログ「ガ島通信」(http://d.hatena.ne.jp/gatonews/)を執筆、日本のアルファブロガーの1人として知られる。

3865とはずがたり:2013/09/12(木) 08:06:19

なんと。。

結婚:自民の世耕弘成さんと民主の林久美子さん
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/politics/20130911k0000e010176000c.html?fr=rk
毎日新聞2013年9月11日(水)12:45

 自民党参院議員の世耕弘成官房副長官(50)=和歌山選挙区=と民主党の林久美子参院議員(41)=滋賀選挙区=が結婚していたことが11日分かった。両氏が両党幹部らに報告した。今月2日に婚姻届を提出したという。世耕氏は安倍晋三首相の側近として知られ、与野党を超えた国会議員同士の結婚は異例。

 関係者によると、両氏は昨秋ごろに超党派で法案作成に取り組んだことをきっかけに意気投合。両氏とも所属政党を変える意向はないという。

 所属政党が異なる国会議員同士の結婚は、1949年の当時の園田直、松谷天光光両衆院議員や、2001年の保守党の鶴保庸介参院議員と自民党衆院議員の野田聖子総務会長の例などがある。

3866名無しさん:2013/10/11(金) 23:39:11
http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=29652
社会 : 真面目な人柄「創平さ」 業績たたえる声相次ぐ
更新:2013-10-11 6:00

 7日に肺炎のため85歳で死去した元衆院議員の宮下創平さんは、厚生大臣や環境庁長官、防衛庁長官などを歴任し国政に尽くした一方、権兵衛トンネルをはじめとする社会資本整備など、地元の発展にも貢献した。真面目な人柄で「創平さ」の愛称でも親しまれた大物政治家の訃報が伝えられた10日、地元の関係者からは故人の業績をたたえる声や、別れを惜しむ声が相次いだ。

 8期24年の議員活動で地域に浸透し、存在感は群を抜いていた。伊那市の白鳥孝市長は「国政・市政発展のため永年尽くされたことは広くわれわれの知るところ。権兵衛トンネルや三遠南信自動車道の開通促進、リニア中央新幹線開発促進に大変精力的にご尽力いただいた。尊敬の念と感謝の意を捧(ささ)げます」とのコメントを出した。

 伊那市選出県議で伊那商工会議所会頭の向山公人さんは、三峰川総合開発や産業振興などへの尽力に感謝。県議会土木住宅委員長として権兵衛トンネル開通式で一緒にテープカットに臨んだことを思い出に挙げ「長きにわたりご苦労いただいた。お疲れさまでした」と述べた。

 前伊那市長の小坂樫男さんは、老朽化と赤字の課題を抱えた市営伊那中央総合病院を、伊那中央行政組合立の伊那中央病院として移転・新築する際に「大変力を借りた」とし、「戦前戦後の大変な時期を乗り越えてこられた苦労人。柔和な表情が印象的だが、仕事に関してはきっちりしていて、時に厳しい助言もいただいた。伊那谷の一つの大きな時代が終わったと感じている」としのんだ。

 伊那市選出の木下茂人県議は「中学生のころに初めて出会ったことが一番の思い出」と回顧。教師をしていた創平さんの兄と2人で東京へ出向いた際、東大生だった創平さんの下宿に泊めてもらったといい、「東大構内で開かれた音楽祭にも連れて行ってもらい、初めてN響を鑑賞させてもらった。当時から人と深くお付き合いし、お世話をされる方だった」と振り返った。

 小学校時代の同級生、佐藤八十一さん(85)=伊那市長谷杉島=は「机を並べ消しゴムを貸し借りした仲。政治家になってもいつも笑顔で温かく迎えてくれ、常にふるさとを第一に考えてくれた。誇らしい仲間。本当に惜しい」と悔やんだ。

 長男で衆院議員の一郎さんは、国連平和維持活動(PKO)法案に基づく初の自衛隊カンボジア派遣や介護保険制度導入への取り組みを振り返り「時代の転機に携わり、充実した政治家人生を送れたと思う。体調を崩してからも最後まで私の心配や期待をしてくれていた。国やふるさとの発展に力を尽くす親父の姿を見て出馬を決めた当時の決意を新たにし、思いをしっかり受け継ぎたい」と話した。

3867名無しさん:2013/10/11(金) 23:40:43
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20131011/CK2013101102000025.html
「伊那谷に恩恵」感謝の声 宮下創平さん死去
2013年10月11日

衆院選に初当選した長男宮下一郎さん(左)と握手を交わす宮下創平さん=2003年11月、伊那市で
写真

 長年にわたって衆議院議員を務めた宮下創平さんが八十五歳で他界したのを受け、地元の伊那市内では、各方面の関係者が生前を振り返り、哀悼の意を表した。
 「偉ぶるところがなかったな」。宮下さんの出身地の同市長谷地区。八十代の男性は農作業の手を休め、ほぼ同年代の宮下さんの姿を思い出し、視線を上げた。「面倒見が良かった。道路整備など伊那谷のために力を入れてくれた」と、しみじみ語った。
 長男で衆院議員宮下一郎さんの後援会の小坂樫男会長も「私が伊那市長の時代、伊那中央病院(旧伊那中央総合病院)の移転・新築を、国に働き掛けてくれた。地域全体が恩恵を受けた」と、宮下さんの功績に感謝。現病院スタートから来年で十年。「節目まで元気でいてくれたら」と惜しんだ。
 市内の六十代男性は、若いころ、宮下さんの支援活動に参加した。政策通、財務通と言われた宮下さんが「どの蛇口にホースをつなげば水が出るかを知っているんだ」と話していたのが、印象的だったという。
 白鳥孝伊那市長は「権兵衛トンネル、三遠南信自動車道、リニア中央新幹線の開通促進に精力的に尽力いただいた。尊敬の念と感謝の意をささげる」とコメントした。
   ◇
 宮下一郎後援会伊那本部事務所によると、十四日午後一時から伊那市のグレース虹のホール伊那である宮下創平さんの告別式では、市役所東の市職員駐車場、JA上伊那本所、グレース虹のホール高遠−を駐車場として使える。
 告別式の会場まで、駐車場からシャトルバスが出る。
 (近藤隆尚)

3868名無しさん:2013/10/11(金) 23:42:39
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/news/20131010-OYT8T01153.htm
宮下元厚相死去 真面目で実直、惜しむ声

政策通として知られ、自民党税調の幹部としても活躍した宮下創平氏(2000年8月29日、衆院第一議員会館で)

 元衆院議員で厚生相や防衛長官などを歴任した宮下創平さん(85)が死去した。政策通で、伊那谷と木曽谷を結ぶ権兵衛トンネルの建設など伊那谷の社会資本整備にも尽力。県内からは、真面目で実直な人柄を惜しむ声が相次いだ。

 「訃報を聞き、言葉もありません」――。前伊那市長の小坂樫男さん(78)はしみじみと語った。1996年に市長に就任した小坂さんは、老朽化した伊那中央病院の移転新築に取り組んだ。病院は赤字続きで、旧自治省は金融公庫の融資などに難色を示したが、「宮下さんがその必要性を旧自治省に説き、事業を始めることができた」と振り返る。

 宮下さんが生まれた旧長谷村(現・伊那市)で助役を務めた中山晶計さん(71)は、「長谷のことをいつも気に掛けてくれていた。偉ぶるところがなく、みんなが愛した人だった」と人柄を惜しんだ。

 政界引退後は、大鹿歌舞伎などをテーマにした映画製作を支援する団体の会長も務めるなど、文化事業にも協力。宮下さんはカンパを募るため地元企業などを精力的に回っていたといい、映画監督の後藤俊夫さん(74)(飯島町)は「惜しい人を亡くした」と話す。

 党分裂による細川政権樹立、自社さ政権へと、自民党を取り巻く環境が激動する中で、政策発信に力を入れることで党再生に寄与した宮下さん。自民党県連の吉田博美会長は「自民党が難しいかじ取りを迫られていた時代に、県連の立て直しに強力なリーダーシップを発揮された姿は今でも印象に残っている」とコメントを発表した。

 阿部知事は「実直で温厚。懐の深い方だった。偉大な方を失った」と哀悼の意を示した。

(2013年10月11日 読売新聞)

3869チバQ:2013/10/14(月) 19:15:24
http://www.asahi.com/politics/update/1014/TKY201310140054.html
2013年10月14日19時6分
「介護施設を選挙事務所に」巧みな戦術、徳島に「王国」

 9月19日、東京都港区のホテルの大広間。今年の夏に亡くなった、ある国会議員の「惜別の会」が盛大に開かれた。衆参両院議長や閣僚ら多くの議員が出席し、実行委員長を務めた森喜朗元首相は「行動が制度を変えるという言葉だけで生き抜いてきた」と故人の「行動力」をたたえた。

 故人の名は中村博彦氏(享年70)。徳島県出身の自民党参院議員。2004年初当選し、2期目の今年7月末、帰らぬ人になった。

 中村氏は徳島県で多くの介護施設を自ら運営する一方、特別養護老人ホームなどの施設が会員の「全国老人福祉施設協議会(老施協)」で会長を09年まで10年務めた「ドン」だった。

 安倍政権が「成長産業」と位置づける介護業界はいまや利用者、職員含め数百万人がかかわる大市場だ。政治家には「有力な大票田」(政党幹部)という。

 老施協が今年5月、「新成長産業としての介護」をテーマに開いた会合には、野田毅・介護福祉議員連盟会長ら約90人の国会議員や業界関係者数百人が集まり、「介護と政治」の結びつきが強まっていることを印象づけた。田村憲久・厚生労働相が「特養ホームは高齢化社会で重要な資産」とあいさつすると、中村氏も「2025年までにさらに100万人の介護人材確保が必要」と訴えた。

 急伸する市場の利権に着目する「介護族」のなかでも、中村氏は自民党の介護議連(200人)事務局を仕切り、老施協会長として議員のパーティー券代を老施協の政治団体に買わせるなど業界をフル活用しようとした。日本医師会のような強大な「政治力」を獲得するのがねらいだった。

3870名無しさん:2013/10/17(木) 21:36:58
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20131017-OYT1T00731.htm
建設相・厚生相歴任、小沢辰男元衆院議員が死去

 建設相や厚生相を務めた元衆院議員の小沢辰男(おざわ・たつお)氏が13日、老衰のため死去した。96歳だった。


 お別れの会を12月3日午後2時、新潟市中央区万代5の11の20ANAクラウンプラザホテル新潟で開く。喪主は長女、瓔子(えいこ)さん。

 新潟市出身。1960年の衆院選で旧新潟1区から自民党公認で初当選。以後13回連続で当選した。田中角栄元首相の側近として知られ、74年、第2次田中改造内閣で建設相に就任。以後、環境庁長官、厚相を歴任した。93年に同党を離党、新生党、新進党と移り、98年に発足した改革クラブの代表を務めた。2000年に引退した。

(2013年10月17日19時33分 読売新聞)

3871名無しさん:2013/11/06(水) 13:52:49
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/news/20131105-OYT8T01240.htm
他人批判しない精神 中島元衆院議員死去

宮沢改造内閣で科学技術庁長官に任命され、首相官邸で記者会見する中島元衆院議員(1992年12月11日)

 科学技術庁長官を務めた元衆院議員の中島衛さん(77)が5日死去した。突然の訃報に、県内では惜しむ声が相次いで上がった。

 中島さんは飯田市生まれで、父は元衆院議員の故・厳氏。大学卒業後に厳氏が経営する信南交通に入社し、飯田青年会議所理事長を経て、1976年衆院選に旧長野3区から無所属で出馬して初当選。自民党などで計6期を務め、92年の宮沢改造内閣で科学技術庁長官として初入閣した。

 中島さんの元秘書で自民党県連会長を務める吉田博美参院議員(64)は「私の政治家としての人生の井戸を掘ってくださった方。他人を批判しないという精神を先生から教えていただいた」とコメントを出し、中央道の園原インターチェンジ(阿智村)の整備などに尽力した功績を振り返った。

 中島さんは93年、羽田孜元首相(78)に同調して自民党を離党して、新生党や新進党の結成に参加。現在の区割りとなった96年の衆院選で長野5区から新進党公認で出馬したが落選、2000年に政界を引退した。

 民主党県連代表の北沢俊美参院議員(75)は「政権交代可能な政治改革をするために羽田先生と行動を共にした尊敬する同志、先輩。衆院長野5区の大黒柱として党県連を支えていただいたことに衷心より敬意を表します」とコメントした。

(2013年11月6日 読売新聞)


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