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選挙・議員関連情報スレ
3866
:
名無しさん
:2013/10/11(金) 23:39:11
http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=29652
社会 : 真面目な人柄「創平さ」 業績たたえる声相次ぐ
更新:2013-10-11 6:00
7日に肺炎のため85歳で死去した元衆院議員の宮下創平さんは、厚生大臣や環境庁長官、防衛庁長官などを歴任し国政に尽くした一方、権兵衛トンネルをはじめとする社会資本整備など、地元の発展にも貢献した。真面目な人柄で「創平さ」の愛称でも親しまれた大物政治家の訃報が伝えられた10日、地元の関係者からは故人の業績をたたえる声や、別れを惜しむ声が相次いだ。
8期24年の議員活動で地域に浸透し、存在感は群を抜いていた。伊那市の白鳥孝市長は「国政・市政発展のため永年尽くされたことは広くわれわれの知るところ。権兵衛トンネルや三遠南信自動車道の開通促進、リニア中央新幹線開発促進に大変精力的にご尽力いただいた。尊敬の念と感謝の意を捧(ささ)げます」とのコメントを出した。
伊那市選出県議で伊那商工会議所会頭の向山公人さんは、三峰川総合開発や産業振興などへの尽力に感謝。県議会土木住宅委員長として権兵衛トンネル開通式で一緒にテープカットに臨んだことを思い出に挙げ「長きにわたりご苦労いただいた。お疲れさまでした」と述べた。
前伊那市長の小坂樫男さんは、老朽化と赤字の課題を抱えた市営伊那中央総合病院を、伊那中央行政組合立の伊那中央病院として移転・新築する際に「大変力を借りた」とし、「戦前戦後の大変な時期を乗り越えてこられた苦労人。柔和な表情が印象的だが、仕事に関してはきっちりしていて、時に厳しい助言もいただいた。伊那谷の一つの大きな時代が終わったと感じている」としのんだ。
伊那市選出の木下茂人県議は「中学生のころに初めて出会ったことが一番の思い出」と回顧。教師をしていた創平さんの兄と2人で東京へ出向いた際、東大生だった創平さんの下宿に泊めてもらったといい、「東大構内で開かれた音楽祭にも連れて行ってもらい、初めてN響を鑑賞させてもらった。当時から人と深くお付き合いし、お世話をされる方だった」と振り返った。
小学校時代の同級生、佐藤八十一さん(85)=伊那市長谷杉島=は「机を並べ消しゴムを貸し借りした仲。政治家になってもいつも笑顔で温かく迎えてくれ、常にふるさとを第一に考えてくれた。誇らしい仲間。本当に惜しい」と悔やんだ。
長男で衆院議員の一郎さんは、国連平和維持活動(PKO)法案に基づく初の自衛隊カンボジア派遣や介護保険制度導入への取り組みを振り返り「時代の転機に携わり、充実した政治家人生を送れたと思う。体調を崩してからも最後まで私の心配や期待をしてくれていた。国やふるさとの発展に力を尽くす親父の姿を見て出馬を決めた当時の決意を新たにし、思いをしっかり受け継ぎたい」と話した。
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