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選挙・議員関連情報スレ
3855
:
名無しさん
:2013/07/25(木) 18:06:10
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tottori/news/20130725-OYT8T00017.htm
西尾元知事死去 智頭急行開業に尽力 関係者、功績しのぶ
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知事退任で、県庁を後にする西尾さん。県政に多くの功績を残した(1999年4月9日)
元県知事の西尾邑次さん(92)が亡くなったことが伝わった24日、関係者は、温厚で細やかな気遣いができ、県政に功績を残した故人を惜しんだ。
西尾さんは戦後間もない1947年に県職員となり、企画部長や総務部長、副知事を歴任。83年の知事就任後、妻木晩田遺跡保存(99年)や智頭急行開業(94年)を決断。「わかとり国体」(85年)や「山陰夢みなと博」(97年)を成功させた。
西尾さんは86年から約13年間、知事の職と共に智頭急行の初代社長を務めた。社長退任後もOB会では社員一人ひとりに笑顔で声をかけたという。同社の米原隆生・総務企画課長(47)は、「西尾さんのおかげで今の智頭急行がある。ずっと気にかけて下さった。寂しい限りです」と悲しんだ。
知事退任直前の99年には、ゴルフ場開発が予定されていた国内最大級の弥生時代の集落跡「妻木晩田遺跡」(156ヘクタール)を買収、全面保存すると決断した。遺跡が公開され、保存の声が高まって2年後のスピード決着。一帯は県のむきばんだ史跡公園として整備された。市民団体「むきばんだ応援団」の坂田友宏団長(78)は「リゾート開発という県の方針の中での英断だった。遺跡が今もあるのは西尾さんが決断してくれたから。感謝の言葉しか見当たらない」と話した。
平井知事は「鳥取県に輝きをもたらそうと一生をささげられたことに心より感謝申し上げます。気配りにあふれたお人柄を忍び、県民とともに哀悼の誠をささげます」とコメント。
石田耕太郎・倉吉市長は県庁入りした頃、西尾さんは副知事を務めていた。「とてもまじめな方と感じた。県が沖縄県や南方の洋上で行う戦没者の慰霊行事には都合のつく限り出席されていたのが印象に残っている。ご自身も戦争を体験され、戦没者への思い入れが強かったのでは」と振り返った。
旧建設省(現国土交通省)の官僚だった竹内功・鳥取市長は95年4月から98年5月まで県に出向し、企画部長として西尾県政を支えた。「環日本海交流の推進や鳥取環境大開学など、県政を導かれた卓越した手腕と功績に心より感謝と敬意を表します」とコメントした。
(2013年7月25日 読売新聞)
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