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選挙・議員関連情報スレ
3835
:
名無しさん
:2013/05/08(水) 19:03:22
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/463937.html
卓上四季
五十嵐広三さん
戦時中、東条英機首相は視察先のごみ箱を開けて見るのを習わしにしていたそうだ。敗戦2年前の旭川来訪でもごみを調べ、「食べられる物を捨てている。暮らしにまだ余裕がある」と語った
▼新聞で発言を知った旭川商業学校5年のコーゾー少年は、友人らと宿泊先の旅館に面会を求めに行った。「そんなことはない。みんな苦労しながら頑張っているんだ」と反論せずにいられなかった
▼もちろん会えるはずもない。駅前交番に引き渡され、油を絞られた。87歳で他界した五十嵐広三さんの若き日のエピソード。思想・言論統制が苛烈を極めた時代。いまでは想像できないほど勇気のいる行動だったろう▼絵を描くのが好きな少年は小学校の代用教員になった後、第7師団で爆薬を背負って戦車に体当たりする訓練を受けながら敗戦を迎えた。戦後は社会主義運動を通じて政治の世界にかかわっていく
▼「『おざなり』のない人」。同じ旭川の作家、故・三浦綾子さんは五十嵐さんをそう評していた。老人にも幼子(おさなご)にも、男にも女にも、「その場のがれの、まごころのこもらぬ、いいかげんな」言葉は使わないと
▼出馬を迷う故・萱野茂さんの背中を押して、アイヌ民族初の国会議員誕生につなげたのも、サハリン残留韓国・朝鮮人の帰国に尽くしたのも、少年時代から失わずにいた正義感とまごころがあったからこそだろう。
2013・5・8
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