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短詩人/Hyperion

1:2003/08/16(土) 12:50:20
(無題)
むらくもの屋根にみえたる菖蒲かな
こうこうと滝壷さむし蛍交う
宵闇の白い乳房よささめきぬ
編集済

453秋魚:2013/10/12(土) 23:48:27
(無題)
>・・エジプト神話において、人間は肉体、バー(Ba)、カー(Ka・精霊)の3つの要素から成り立っていた。人が死ぬとバーは肉体から離れ冥界へ行くが、肉体がそのままであればカーがバーと肉体の仲立ちをしてアアルで再生できるとされた。そのため肉体の保存が必要となり、ミイラ作りが盛んに行われた。ちなみにバーは、人間の頭をした鷹の姿で現される。

>・・アアル(英: Aaru、Yaaru、 IaruまたはAalu)とは古代エジプト神話におけるアアルの野やエジプトの葦の原野とも言われる楽園のこと。これはヘリオポリス九柱神の一柱であるオシリスが支配する世界である。このことはナイル川デルタのカー(Ka・精霊)として説明される。

・・「葦の原野」・・トヨ葦原瑞穂の国。・・R

454秋魚:2013/10/19(土) 15:23:20
(無題)
・・台風一過。ipodとともにロングライドに出た。といっても、以前の古巣国立に向けてだが。吉野街道、青梅街道を避けて、側道を探していくのが此の頃の走り方だ。青梅から東青梅あたりまではいい道がある。川のある方へ大きな傾斜があるが、その中ほどの道は車も通らず実にいい。曲がりくねって坂もあるのも心地よい変化だ。繭蔵(レストラン)のあるあたりまでは楽しくいける。河辺あたり新奥多摩街道にでても側道を探した。小作、羽村あたりも裏道がある。すっかり秋になってあの猛暑も夢のようだ。ipodに流れる音楽はみな切なく聴けるのは何故だろう。タブララサとかチゴイネルワイゼンとか。そうでなくともホイトニーヒューストンとかセリーヌディオン、フィリパジョルダーノまですべて胸がきりきり心臓に来る。わたしも意外と先が無いのかもしれない。ひとつひとつ出来ることをやらねばならない。いつ大きなカタストロフが来るかしれたものではない。
・・福生の田村酒造の前を過ぎて多摩川の土手堤にでた。このサイクリングロードは昔よく来たものだ。この酒造の嘉泉はよくみやげにした。まあ美味な酒だ。この近辺で地酒のほんとうに美味なのはあきるの市の千代鶴だろう。青梅から滝山街道をゆき五日市線の秋川あたり川のすこし手前に中村酒造がある。もう三度寄って利き酒をし千代鶴を手に入れた。まったく宣伝をしないせいか酒造もひっそりしてる。・・この酒造の魅惑についてはまた後日。

・・毎度来ていつも同じ道というのはつまらない。立日橋を通過しこのあたり実は地勢がよくわからない。モノレールの橋があるはずだが。一度川原に下ってホームレスのテントがよくあったものだ。立川の市営グランドのわきを通って、かなりローカルな道を土手から離れて今回はずっと真っ直ぐ。なんだかだとヤクルトの中央研究所の新築現場にうつかった。ヤクルトはおそろしく成功した企業だ。発展途上の南米とかで爆発的なヒットをしたとか。この中央研究所が谷保にある。すこし坂をあがると城山という魑魅魍魎がいそうなところ。夏はまむしがでる。この城山、中世三田氏の住まいだという。青梅の軍畑はやはり中世青梅一帯の三田氏と八王子あたりの北条氏の戦いがあったという。まあそんな簡単な勢力図でもないだろう。青梅の由来は平将門で多摩川をくだって羽村あたりには阿蘇神社がありこれは将門を討った藤原秀郷ゆかりだという。将門はもう少し調査するべし。

・・引越し前本を引き取ってもらった古本屋に寄った。ここと中神の本屋さんにお世話になった。まあ本の事情は最悪でこちらもいい本をただ同然で投げたものだが。体を悪くしたそうだが、なんとか商売はやってる。商売にさえなれば本屋さんにはがんばってもらいたい。・・多摩川を下るロングライドも国立、府中あたりの温泉が目標でぐっとスケールダウンしたのはいたしかたない。夜暗くなっての帰路は避けようもないから、安全な方法を確保したい。今回めずらしく国立の駅から立川に出るのに道に迷った。線路沿いの道はない。おかしいのは自衛隊の基地があるあたりに来た。まったく不思議。出会う人に道をたずねてひたすら立川の駅をめざした。町で道に迷うのは恐くない。とんでもない方角にすすんでいたようだ。・・昭島の温泉に寄った。ここの岩盤浴は捨てがたい。アルカリ泉も魅惑だが滅茶混むのがやや難だ。もうずっと夜遅い。すこし混み具合も減ってゆっくり帰路は九時になった。

・・ここも拝島からの道がいつもわからない。16号から奥多摩街道にでるのがわかりやすいが、もっといい道があるはずだ。今回探索するはずがもう夜も遅い。あきらめて奥多摩街道に出ることにした。

・・昼は多摩川CR、夜は青梅線沿いの奥多摩街道というのなら定番のルートになる。横浜のみなとみらいに出たいがこれは要考慮。もうひとつ試みたいのが多摩川を遡っての奥多摩行。奥氷川神社ともえぎの湯がある。

455秋魚:2013/10/29(火) 02:21:42
(無題)
・・今日もipodriderに出る。羽村玉川の取水口あたりまで、このあたり何度か訪れたが川沿いにある阿蘇神社はいまだに謎だった。新奥多摩街道とその下の奥多摩街道さらに川べりまでの土地の起伏といいほんとにすばらしい。阿蘇神社の標識は見かけるがそれがいったいどこなのか、今日は絶対見つけてやる。だいたい関東の武蔵の国に阿蘇神社とはこれいかに。うさんくさい気がしないでもない。・・通りがかりのお年寄りに尋ねた。よく知ってるみたいだが、道を教えるのはあまりうまくない。ふにゃらふにゃら。そのあと何人かに尋ねてわかったが、もともと教えずらいところにある。・・玉川の取水口から青梅の方へもどる感じで川沿いだというからそういう道を探して進んだ。水上公園というような広い敷地もあり多摩川の向こう岸も緑豊かでよく見える。滝山街道を秋川へ向けて自転車を走らせたあたりだろう。このあたり向こうもこちらも絶景か。川沿いにずっといくとけっこう走ったが、阿蘇神社の南参道の鳥居があった。・・やった。だが、こんな川べりにあっていいのか。ずんずん参道を進んでいくと自転車は乗れないほどのぼこぼこ道でいけどもいけども本殿はあらわれない。鬱蒼とした木々がでもそれは桜らしく春になったらさぞかし妖艶な花道になりそうでぞくぞくする。犬を連れた奥さんが通りがかったのでまた尋ねてみる。もう少しいくと本殿がありますよ。あ、ありがとう。もう神社は無いのかと思いましたよ。よかった。また気を取り直していくと、あった。・・藤原秀郷がお手植えの椎の古木があるという。いや、風格がある。推古天皇の頃につくられたとか。その後平将門が改築し、藤原秀郷も手を入れた。こんな辺鄙なところになぜこんないわれの多い神社があるのか。今の建物は江戸時代のものでそれでもずっと古い風だ。椎の古木もどれがどれだか今日は神社を見つけただけで満足。日も落ちてきたので写真を一二枚とって引き上げることにした。

・・しかしこの東国になぜ阿蘇神社か、いまだにわからぬ。「・・祭神は、建磐龍命(たけいわたつのみこと)、阿蘇都媛命(あそつひめのみこと)、速瓶玉命(はやみかたまのみこと)で」・・この建磐龍命だけでも読み解くとおもしろいかも。・・速瓶玉命(はやみかたまのみこと)なら多摩川に関係あるか。う〜む

・・きょう再び羽村あたりを通ってipodriderにでる。Hayabusaを動かせておかないと落ち着かない。こんなブレのない自転車はじめてだ。近いうちダンプ街道を奥多摩にむかう。まったくひどい道らしい。ぐっと冷え込む季節になった。・・多摩川べりに出た。まむしが出るというCRだが、ついぞ見たことがないと思っていたらこんな季節はずれで蛇がいた。道のうえで身をくねらせていたから蛇だ。小さいやつだが色合いからしてまむしだろうか。実はわたしは本物のまむしを識別できない。過去にそれらしいのを見かけたことがあるが、○○に魅入られた××になりそうでさっと視線をそらすことが度々あった。赤っぽくて色の風合いだけは憶えている。でもヤマカガシもそんな感じだ。・・ネットのyutubeで蛇女の見世物動画を昨夜みた。きれいな子がきりりと化粧して蛇をあやつり頭から口に呑みこみ最後は噛み切って食べてしまう。ああ、おそろしい。ほんとの蛇だ。こういう見世物は昔からあった定番らしい。どうして女の子はああいう残酷なおぞましいことが出来るのだろう。ああ、こわい。・・蛇をやりすごしてもくもくとipodriderをやる。

・・陽がどんどん落ちて銀色のススキがよく映える。デジカメを落ちてゆく太陽にむけて撮った。逆光の写真というのはデジカメでよくとれる。太陽にむかえば蛇もついては来れまい。・・ロングライドに出ると引き返そうという気はさらさらなくなる。もう何が何でもいくところまでいく。・・というのでこの日も夜遅い帰り道になった。国立から立川へいともたやすい道のはずがまた道に迷った。迷うとは自分の居場所をすべてあきらめることだ。ここにしかいない。東西南北、前後左右の忘却。進んでるつもりが後退したりする。よくある雪中の進軍はこうやって墓穴にはいる。富士山の麓の樹海も同じだろう。方向をあきらめず進んでいても一度錯誤すればそれは致命的かもしれない。前回はどこかで一度方向を間違えた。これは気がついたら修正すればよい。今回はまちがえそうになって早めに道をたずねた。タクシーの女性ドライバーだったがさすがに地理はくわしい。磐石の教示で立川の駅にでた。・・それにしても昔住んでよく知悉した場所がこうもわからなくなって迷うのは不思議なことだ。たしかに土地も人もどんどん変っている。浦島太郎の小さな体験かも。

・・中神の本屋さんに寄る。ここの店主もなつかしい人だ。同年輩でひところ若い頃はヒッピーの先端を生きていた。わたしなど頭が下がる。なんとか古本屋で食っててほしい。ケイバ天皇賞は外したようだった。

・・帰路はかねてより探索しあぐねていた拝島から福生まで一番よい道をさがす。あ、温泉に寄った。ここは混むがいい温泉だ。・・拝島駅の北側にでた。前回まで南にでて16号に押し戻され奥多摩街道をとるのは、えらく遠回り。青梅に行く線路沿いの道がよさそうだが、実は無い。ここでまた道を尋ねる。その人が実にくわしい人だった。16号の側道をいけばよい。そのままいくと東福生にいってしまうが途中で左に折れれば牛浜方面へいく。青梅線にうつかるまで道があれば福生駅前につくだろう。・・果たしてその通りになった。東横インが見えてここまでくればあとは楽勝。先日アトリエノート通いで夜でも帰れる。

・・河辺駅まえのスーパーでパンを買って帰ったのが真夜中近かった。昭島ー福生は30分短縮でよい成果だった。

456秋魚:2013/11/02(土) 21:37:10
(無題)
・・くるおしい秋の日。ipodriderにでる。いきなりタブララサがかかる。多摩川を下ってばかりはよくない。上に行く。吉野街道のダンプを避ける方法を考えておかなければ。というより吉野街道を走らない道はないか。畑中からすぐ下って川沿いの道があった。とりあえず日向和田をめざす。あちこち柚子の黄色い実が目立ち始めている。本格的な紅葉はまだだろう。

・・先日は釜の淵公園の郷土博物館を訪ねた。ここも近いからついぞ訪れてなかったが、いってみると感動!宮崎家の古民家には案内人がいていろいろ解説してくれる。新町にあった吉野家もそうだが、青梅市はえらい。案内人を置いている。郷土館は青梅の歴史がよくわかるように充実している。布団の打ち直しをたのんだ店が職人風でていねいにふっくら仕上げてくれた。明治期から青梅の自慢は夜具地という宣伝がある。ほかに青梅縞の織物も特産だがこれは地味だ。戦時中は吉川英治、川合玉堂らが疎開してきてるが、柚木の山にB29が墜落したり日本機も飛龍とか墜落してエンジンが展示されてある。縄文時代の遺跡もあるし、神話のヤマトタケルも御嶽にやってきた。平将門も闊歩していたしなんかすごいところだ。・・この土地の人はまれに話をすることがあるが、みなていねいに話す。ひねたところは少しもない。自分のようにひねくれのかたまりには忸怩たるものある。・・釜の淵というのは、多摩川はここで大きくS字に蛇行する。川の流れは、かんぽの宿の切り立った岩壁に当たって曲がり、次に向かいの美術館の下の岩壁に当たって曲がる。その岩壁のみごとなこと。ここいらの地層の堅固なのがわかる。大地震が来ても山崩れは無いだろう。

・・きょうは上流をめざす。秋のうちに鳩の巣から奥多摩の氷川神社までいってみたい。とりあえず近辺を散策する。ぞくぞくするのは、羽村あたりの阿蘇神社を探した比ではない。吉野街道の下の道はいい道だ。万年橋から神代橋までにもうひとつ和田橋というのがある。こういろいろ道があるのに吉野街道しか走らなかったのはいかにも迂闊。秋冷えだからでもないだろう。ぞくぞくする。・・なるほどね。吉野街道をパスして日向和田に出られるな。仙人の家を訪ねたが留守のようだった。さらに川縁の道を石神の方にいく。この辺も未知の道だ。柚子がちょうど黄色く色ずく景色だ。また何か今度は細い橋があってそこも渡ると青梅街道がありその上が石神前の駅だ。この駅は無人駅の神さびたやはりぞくぞくする。駅前に桜の古木があってここも春はきれいというか神々しい気だ。田山花袋が明治期に訪れあたりは奇景で桃の花咲く里だという。ここの桜はぜひみたい。隣の石神神社は由緒がわからない。大きな公孫樹の木がある。・・ぞくぞくの連続できょうはもう引き上げたくなった。こわい。すぐ下の青梅街道を走ることにした。ところがさっそく大きなダンプがやってきて煽りはしないがまったくわがもの顔。やはり自転車にはいい道ではない。と思うまもなくサイクリストが3人すいすいと車道を走ってきた。こういう道の走り方もあるのだろう。今度の奥多摩行きでチャレンジしたい。

・・日向和田にでてまた川沿いの道で帰ることにした。そっくりそのまま同じ道にはならない。途中蕎麦やの老舗があってここもいつか入ってみたい。まだまだ未知の土地がぞくぞくと魅惑する。

457秋魚:2013/11/10(日) 01:50:56
(無題)
・・黄葉がはじまってる。青梅郷土館のある釜の淵公園のカツラはみごとな黄葉だ。イチョウのように黄色くなるが葉の形がハート形でゆかしい風だ。紅葉の赤い葉はまずウルシが早い。これはいつか福島の五色沼でみかけた。ウルシの木は自分はまだ見分けられない。

・・紅葉の盛りの頃に奥多摩のポタリングを思案している。少しずつ紅葉がすすむが外に出てないといつの間にか色づきがすすんでいたりする。先日福生のアトリエから見た基地内の木はかなりに色づいていた。ケヤキかな。これも識別できない。山の方が早いはずだが。・・うかうかしてられない。秋川の千代鶴の酒造を訪ねた。ここの酒は美味い。すこし呑んですぐもう一杯呑みたくなる。この味は不思議だ。こう書いただけでも味覚を思い出しすぐ試したくなる。いますこし味わった。・・お店のお嬢さんは利き酒はダメですという。自転車に乗ってきたのがばれてしまったから。絶対ダメ。前は知らなかったことにして飲ませてくれたのに。今回はガンとしてお断り。・・どうせ美味い酒だ。今度奥多摩にいくから「奥多摩」という特別純米にした。酒造の敷地にカキが鈴成り。これは庭のカキです。三つくれた。ありがとう。このカキも美味しかった。・・しかし不思議な味だ。

・・この酒造に行く道も吉野街道を避けていく道を探した。あるあるすこし入り組んでるがくにゃりくにゃりで何度も人に道を尋ね、ええこの土地の人はよく教えてくれる。自分は都会ずれか合理性ばかり追求する風でなんとも涙がでそうになる。・・しかしここもすばらしい道だ。

・・ipodriderで、今日は飯能のヤナイ氏のアトリエに向かった。例の青梅坂。これはそれほどだらだらではない。急なのを一気に上ればトンネルがありそこを越えればずっと下りになる。登るのはつらいが下りはぞくぞく事故のないよう気がひきしまる。・・連ちゃんの自転車はやはり少し重いか。竹林は黄葉はしないがそれでも秋の風だ。凛として気がひきしまる。・・紅葉はけっこう進んでいる。だがまだまだ。山王峠。かならずここに来る。がんばらずに自転車を引いたほうがいい。ここを越えれば直下降。入間川まで。

・・アトリエは盛況だった。

458秋魚:2013/11/21(木) 20:42:49
(無題)
・・琴の弦が秋の日に堪えかねて自ら音をかなでだす。という八木重吉の詩があったような。・・自分もついに懸案の奥多摩ロングライドにうってでた。多摩川の奥へいけばいくほど深くなる渓谷は途中まで何度か試みたが、まったく背筋がすーっと冷えて下半身が脱落するような恐怖がある。あるサイクリストはいともたやすく行ってしまうらしい。なにせ吉野街道、青梅街道ともダンプが多い。道がせまくなってダンプに煽られるのはやってられない。爆音をたてるバイクライダーもいる。郷土館の案内嬢に聞いたが、青梅街道のダンプは煽りはしないらしい。事故ったら彼らもおしまいだ。

・・予習したごとく、裏道を使って奥多摩橋のある二俣尾その先の軍畑までは散歩のごとくすばらしい自転車の走りだ。吉野街道はダンプ街道でいっさい避ける。御嶽までも歩道のある青梅街道はなんなくいける。・・紅葉はこれから一週間が盛りだろう。植林で常緑樹の多いここらの山は、ところどころ自然の植生のあるところは黄葉紅葉が盛んだ。柚子の多い土地だ。・・御嶽から川井まで道路もせまく意外と長い。ここらあたりから未知の道だ。車の用心ばかりで今はあまり記憶がない。紅葉がよくて景色のいいところで小休止。松乃温泉水香園の前もすばらしい紅葉だ。ここはいつか泊まってみたい。古里という駅がある。ここで吉野街道と青梅街道は合流する。昼の時間をねらったので思ったほどダンプは来ない。古里のすこし先で砕石工場があった。おおかたのダンプはここまでか。・・古里から鳩ノ巣まで。鳩ノ巣渓谷もたいへんな紅葉のメッカらしい。今回は割愛。ひたすら奥多摩の氷川神社をめざす。途中白丸ダムのあるあたり。ここらあたり渓谷の景色紅葉は色づきがよい。この辺の橋の名前も忘れたが、写真をいくつか撮った。トンネルがいくつかあるがすべて側道でいける。白丸まで来ると奥多摩新氷川トンネルも近い。入り口をすぐ左の側道にはいるとなんなくもえぎの湯がみえてきた。ここも今回の目玉。今は通過して奥多摩の駅をめざす。もう近い。駅の観光案内所に寄って奥氷川神社を教えてもらう。ついでに他の地図も手に入れる。こういうサービスは無料だが観光地ではできるだけお金は落とした方がいい。温泉で散財するのが自分の常だ。・・奥多摩氷川渓谷が紅葉のランキング一位と聞いたが、どこか。案内所で聞くべきだった。三本杉のある奥氷川神社は駅のすぐ近く。この杉はみごとだが、社はしょぼい。まあ御岳とはくらべられない。さあ、あとはもえぎの湯だ。すぐに温泉に向かった。・・温泉は一時半に着いた。奥多摩まで休み休みで2時間ほど。ノンストップなら家から90分といったところか。観光シーズンで温泉は登山客、ハイキング客で多い。けっこう建物も新しい。どんどん入場してはやく一風呂浴びねば気がすまない。せまいところがごったがえしている。温泉は透明泉で期待した以上。日本の最古層の地層の湯だそうだ。人が多いが温泉はそのほうがいいかも。レストランで自慢の焼き魚定食をとろうとしたらもう売り切れだった。仕方なく蕎麦にして今回はビールもパス。3時には帰路につきたい。柚子こんにゃくと蕎麦の実ふりかけを土産で買った。これは後に家で酒といっしょに試したが、とてもいい。蕎麦の実のふりかけは極妙の味だ。

・・帰路は、やはりダンプが気がかり。はじめての道はこわいものだ。行きはよいよいというが、帰路はまだいい。用心はしたい。

  *

・・いやはやともかくすごい。奥多摩は岩の奇景もさることながらヤマトタケルが訪れたのは、きっとかれも太古のフリーメイソンの一員だったのだろう。御嶽はそういうメイソンの聖所であとから来た奈良時代の行基なんかもメイソンの血筋にちがいない。岩蔵温泉や塩船観音など奥多摩の入り口でみなメイソンの記憶がある場所だ。・・羽村の阿蘇神社。「孝霊天皇9年6月、健磐龍命の子で、初代阿蘇国造に任じられた速瓶玉命(阿蘇都比古命)が、両親を祀ったのに始まると伝えられる。」これは熊本の阿蘇。なぜこんなところにあるのか。健磐龍命というのはいかにもメイソンの匂いがする。

・・タケルとは。健磐龍命のことではないか。子の速瓶玉命(はやみかたまのみこと)とは、多摩川のことではないか。

459秋魚:2013/11/25(月) 01:38:07
(無題)
・・おどろくべき日和。きょうはipodでハイキング。青梅丘陵コースを歩く。これは謎の道だ。多く語るものはない。

・・ひとつ、千手観音。

・・ふたつ、紅葉盛り。

460ねこ:2013/11/26(火) 11:26:22
明治・昭和・平成天皇即位は12月25日
明治・昭和・平成天皇即位は12月25日

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0203/35/241_1.html

天皇家はクリスマスを記念している可能性が高い。

明治天皇は1866年旧暦12月25日即位。
昭和天皇は1926年12月25日即位。
平成天皇は1988年ユリウス暦12月25日即位。

( http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0102/4/167.html )

461秋魚:2013/11/27(水) 21:49:35
(無題)
・・《有》は、今あたかも天地開闢の時の如く現有する。《有》は蛍光の如く光明して尽十方界に現有する。《有》は、熾烈に現有する《有》は、時じき天地の開闢する《有》の現有全機する《有》は、《有》の母國の空虚より一来する。天地の開闢は、空虚の《有》のまたたく全現しつつ、《有》は、《有》の現有する《有》を神妙に現成する。《有》は世界の辺際より歴来しつつ、《有》は、《有》の現有する《有》の妙技を尽十方に言葉する。天地開闢は、《有》の現有する《有》の物語りで有る。天地開闢は、有る時に突発する《有》の現有する《有》の出来事で有り、《有》と《時》との断層で有る。また《有》と《時》との断層によってあらわるる《有る時》で有る。
《有》は、《有》の現有する《有》は、言葉有りて天地の開闢する天と地との間の空虚に揺り動く。《有》は、空虚の有る《有》の現有する《有》の場所に方位する《有》は、正に一来現有する。《有》は、《有》の現有する《有》は、希薄なまでに豊饒な空虚ゆえ、天地の諸物の注げども満たず、酌めども竭きず有る。《有》は、自らの一来の由り来たる所を知らず有る。如今、《有》は、《有》の現有する《有》の空虚は、葆光開闢する。
 言葉は、《有》の現有する《有》のアプリオリの殺意で有る。・・

462秋魚:2013/11/28(木) 00:04:01
(無題)
・・まいった。まいった。ねこさんまいった。yuzuというネコは、最高に愛おしいネコだった。真冬の寒風吹きすさぶ夜にガラス戸にすり寄って来たっけ。アメリカンストームキャットのハーフ。・・その先は想い出すと胸が痛くなる。

・・紅葉盛り。ここも思い切り寒くなりそう。すこし厚着ででたが、日差しは暑い。バスに乗って、奥多摩源流の小菅村まで再チャレンジ。自転車ではない。奥多摩までは、確認。いつの頃からか木を切って植林は杉がほとんど。近代はまったく間抜けた植林をやった。ところどころ残る雑木林は赤黄もえぎと色づいて実にきれいだ。落葉樹はさほど多くはない。ずっと昔は一面紅葉黄葉がいっぱいだったろう。・・バス酔いをした。

・・奥多摩湖は九月のはじめに行ったときの方が印象は鮮烈。あの頃かなりの日照りだったから。奥多摩氷川渓谷までが黄葉紅葉は盛ん。それから小菅までは落葉期かも。日差しも悪くよい写真がとれない。車からの景色はろくなものでない。自転車に限る。

・・奥多摩から大菩薩峠を越えて塩山に入れるか。これは超こわい。

463秋魚:2013/12/10(火) 01:24:19
(無題)
・・めでたい。めでたい。IDEHDDケースが復旧してハードディスクが使えるようになった。ぷー太郎やっててコンピュータひとつ復旧できなかったら情けない。まったく44ピンの噛み合わせがぬるかった。まったく欠陥品かと思ったくらい。

464山田:2013/12/21(土) 20:17:12
(無題)
・・めでたい。めでたい。SATA接続ハードディスクの換装に成功した。80Gから250Gへ。しかもクローンディスクにも成功した。Windows7はこれから主流になるのでは。古いディスクから丸ごと新しいディスクにすべてのデータファイルを移した。パーテイションの新設はまだこわくてやらなかった。中古のノートパソコンはかなり快適になった。回転速度の7200なんぼとかいうやつだ。ファンはまわるが音は小さく静かになった。

465秋魚:2014/01/01(水) 21:49:02
(無題)
・・元旦の初乗りは、五日市阿伎留神社。日の出に沿った秋川街道はじつに嫌な道だ。歩道もなくて車が多い。だらだら長い坂がある。元旦なら道は透いてるだろう。・・正月晴れのipodriderにでた。ダンプは無いが普通車がひっきりなし。正月くらい家にいろよといいたくなるが、かくいう自分も外に出る。ipodの音楽で自転車乗りはすばらしい。まるで映画の中にいるようだ。流れる風景が音楽で脚色されるし乗り手のリズムもよくまわる。が、これはあぶなっかしいものらしい。よくクラクションを鳴らされた。ipodriderは酒飲み運転に近い。音楽にのめりこんで酔わないという覚悟でなら、ナイスといえる。・・この秋川街道はこわいので途中ipodを外した。

・・二度目の道で、こんなところに採石場があるのがわかった。いったいどんなすごい岩盤があるというのだ。石塵のような嫌な匂いがした。日の出にはゴミの焼却処理場もあるという。日ごろダンプが多いのがよくわかる。・・斎場や老人ホームばかりが目に付く。鬱陶しい道だ。・・坂をトップまで登りつめるとあとは下りになる。はやくぬけたい。・・つるつる温泉への曲がり角までくると武蔵五日市の駅には近い。・・駅前の交番で阿伎留神社への道を聞いた。若いおまわりさんが、うれしそうに地図をひらく。ほんとは地図がなくても知ってるのだろう。ただこれは確実な教え方だ。・・檜原街道をいってモリタ薬局のところで曲がるのですね。川っぺりにあるという。

・・阿伎留神社。アキル文字という神代文字があるという。・・秋留、秋流とか秋魚に近いものか。神輿は六角神輿という。正月なので獅子舞がでていた。・・餅を食べてってよ〜と言ってくれたが、プー太郎の甘え癖がつきそうでそそくさと歩いてまわった。あちこちいろんな小さな社があって神様の名も定かでない。キツネの神様がいたのは憶えている。・・人見知りせず地元の人と少しでも言葉を交わすべきだったか。

・・自転車で、秋川渓谷の瀬音の湯にむかった。何度か訪れているが、この近辺随一のアルカリ単純泉の名湯であろう。正月である程度混んでいるのは覚悟していたが、耐えられないというほどではない。都心の方では芋を洗うようだ。ここは選んで正解。ねらった客がほとんどだ。お湯は実にいい。ドライサウナに入って水風呂につかった。水が冷たく足がしびれてすぐに出た。並大抵ではない。先客のアンちゃんが傍でみてて「しびれるでしょう」と声をかけてきた。茶髪だがそう若いものでもない。きょうは朝一のバスで自分のお気に入りのハイキングをして最後にこの温泉に来たのだという。毎年正月の恒例だとか。いろいろめずらしい話をきく。雲取山にも登ったとか。おもしろい話をいっぱい聞けそうだったが、そうもしてられない。もう一風呂浴びてレストランに向かった。

・・中村酒造の柚子酒とヨモギ素麺をみやげで買った。道中の自転車はところどころ車の多いほかはきわめて爽快。帰りは、五日市街道で秋川までいきそこから滝山街道、吉野街道で帰る。大きく迂回する感じだが、日の出あたりの坂を回避できる。のんびり帰りたい。・・ほどなく秋川の駅前に来た。駅前通はかなり開けている。ここをずっといって毎回少しずつ新しい道をさがしていく。・・自転車は一度外に出ると野生がよみがえる。

466秋魚:2014/01/06(月) 01:43:55
(無題)
・・正月の第二弾。青梅街道まっしぐら。新宿、靖国通り神田、日本橋から隅田川畔に出る。深川芭蕉庵跡、水天宮。都心走破のロングライドも懸案の一つ。青梅街道まっしぐらというのが棘のように刺さっている。奥の細道の出発となった芭蕉庵もまた。こちらの出発は青梅多摩川の万年橋。同じ万年橋が深川にもあるという。かなり著名な橋だぜ。広重の絵にある。元旦に行こうとと思ったが、宿がとれなくて断念。五日市の阿伎留神社はよかった。これは誤算が正解。正月四日目は、青梅街道けっこう車が多い。帰省のもどりだろうか。道は簡単だが、車道はなかなか走れない。二車線あってもぎりぎり端に走ってくるやつがいる。側道という手もあるが、はじめは本道を見ておかねば。瑞穂近くまでは何度かいってるからこわくはない。福生の横田ベースが切れる手前あたりで青梅街道は、新青梅街道と旧道に分かれる。迷わず新青梅を直進する。横田ベースの敷地は広い。向こう側一帯が平野のごと開けてる。以前立川から東村山、武蔵村山、狭山、飯能へ向かった時、この新青梅街道も通った。すこし見覚えのあるあたりを行くとしょぼくれた川に出る。空堀川という。立川活断層沿いの残堀川と同じ系ではないか。これは・・このあたりから記憶もばらばら、久留米というあたりで街道を外れた。駅前からずっといくと団地の中に入って仕方なく犬を連れたおじさんに道をたずねる。あ、団地を突っ切れば街道にもどれるのですね。ありがとう。困ったときは見境無くたずねるも、あまり愛想のよくない人でした。・・ずっといくと田無神社とかあって興味をそそるがそこは通過。井草八幡とかもあってやはり通過。伏見稲荷というのは規模が大きそうで興味をそそるがここも通過。なんだかんだといって荻窪の駅前にでた。ここは何度も来た事がある。これから先はお手の物。

・・自転車の交通規制がきびしくなった。車道は絶対左側。ところどころ巡査が見張ってる。自転車に対する注意標識も多い。荻窪から新宿まで以前は長かった記憶があるが、今回はほどなく着いた。住友不動産の大きなビルがある。ハハ、履歴書はここで審査されたか。丁重に送り返されたが、嫌味はない。高いビルが多くなると駅のターミナルも近い。コーリアンタウンのようなところを通って靖国通りにはいる。その前にファーストフードの店で休みをとった。たどたどしい日本語でインドネシア人か。注文取りがきた。さすが新宿。若い女性客もいる。すっきりスタイルのしなやかな子が多い。いかにも新宿。流行のスマホに余念がない。

・・これから先九段下あたりまで車もすくなく散歩ロードといったところ。ただし靖国の前は参拝客でごったがえす。だれそれの靖国参拝は世界的に注目を浴びるものだが、そうでなくともここの人気は不思議なものだ。

・・青梅万年橋から新宿までおよそ4時間のライド。靖国から神保町まで人通りは多いが気が安まる。はじめて来たときは神保町から東京駅八重洲口にいくのさえ道に迷ったほどだ。東西南北の座標軸さえしっかり把握していればここは楽勝の地理だ。迷うというのはこの座標を失うことだ。方向が少しずつずれて東へ行ってるつもりが南だったり南へいってるつもりが東だったりなんかの拍子にまったく反対の方角にすすむなんてこともありうる。・・ともかく神田駅をめざす。そこを抜けると隅田川にぶつかるまで人形町とか日本橋とかあって浜町というところが水天宮仮宮のあるところ。壇ノ浦の戦いで海に沈んだ安徳天皇の近くの女官が福岡の久留米で隠居したのが本家の水天宮。どういうわけか江戸に分祀されて安産の神様だという。一度人にたずねて水天宮に着いた。やたらと参拝客がおおく安産祈願とは無縁な自分はここもさっさと退散した。

・・あとは隅田川まででて清洲橋をわたったあたりに芭蕉庵跡稲荷神社があるはず。実際はひとつ手前の新大橋というのを渡った。向こう岸を沿ってゆくと途中に芭蕉記念館がある。4時くらいに着いて運よく正月明けできょうは開館していた。二百円払って客もぽつぽつ。自転車のロングライドでこういう展示室は空気がわるく吐き気がしてきた。それでも芭蕉のことは面白くずっと見て廻った。芭蕉の旅の行程が地図で示されていたうち特におもしろいのは「野ざらし紀行」。江戸の大火のあとはじめて旅をする意識が生まれた。・・亡母の供養で伊賀に帰る。すんなり伊賀にいけばよいものを伊勢の西行庵をたずねたり吉野にいったり琵琶湖あたりにいったり大垣にも。故郷伊賀周辺はまあ四方八方歩きつくす。これはいったい何であろう。

・・旅先でほんとに自分で関心がもてる場所があるとほっとする。芭蕉の匂いがして隅田川もああうれしい。水の都というとびぬけたモダンの香りがする。・・萬年橋という浮世絵でみた。亀が吊らされて向こうに富士がみえる。いまは富士はみえそうもないが、風雅な庵に住んだものだ。奥の細道では最後に西行のいた二見浦に向かった。ここの夫婦岩は夏至の頃岩の間から日が昇り富士が見えるという。芭蕉はすべてを見ていたはずだ。・・日が落ちてきた。

・・清洲橋を渡ろうとして思いとどまり、萬年橋を渡りさらに岸沿いにすすんだ。次の橋、永代橋をみたかった。日本橋茅場町界隈から八重洲方面にむかう道だ。で、ずっといって思わず愕然。隅田川はここで二手にわかれる。中州のようなそこにあるのは夕日に浮かぶ摩天楼。なんてきれいなんだろう。先客がケイタイで写真をとっている。日常のごたごたとか生活の悩みとか一瞬吹き飛んでしまうほど。しかし日がどんどん落ちる。美しいものは一瞬という。そういう時の流れだ。自分も写真を場所を変え角度を変えいくつも撮った。暗くなって悲しくなる前に橋を渡って宿のあるセンターホテルへと向かった。

467秋魚:2014/01/25(土) 01:53:39
(無題)
・・DA VINCI CODEという映画をみた。フィクションという胡散臭さを嫌って小説も映画もこのところトンとご無沙汰していた。が、これはおもしろい。

・・根を詰めたことをつづけるのは、よくない。多摩川サイクリングロードをipodriderにでた。ここならipodで音楽を聴いているうちどんな遠くにもいける。目指すは多摩ニュータウン。もう親しいルートで2時間半のライドになるはず。立日橋のところでモノレール線といっしょに走ればよい。極楽湯温泉は東京でここしかない。ここは期待だ。音楽はほとんど入れ替えなし。2Gが容量でこれ以上は無理か。最近はyoutubeのダウンロードも試みた。うまくいったが、いろいろ問題が起きる。ひとつひとつ解決せねばならない。しかしコンピュータの仕掛けはどこもあの手この手で複雑なことをやるものだ。ぷー太郎をやってるうちにチャレンジしてみたい。・・「ロシアより愛をこめて」という007がお気に入り。いくつかyoutubeもあるうちダニエラビアンキがたくさん出てくるのが一番。歌はマットモンロー。主役はもちろんショーンコネリー。この頃ボンドガールといって新作のたびに起用される女優がいた。ビアンキ嬢はイタリア国籍だという。冷戦構造がまだくっきりしていた時代でイギリス諜報局のボンド氏の敵はロシアにあり。この頃はソ連邦だったが。ボンドガールは敵の女スパイの役がほとんど。ロシアという呼び名は悪くない。闘いながら愛欲で解放し勝利する筋書きだ。男も女も個人の才能がフルに発揮されるすばらしい映画だ。愛欲が抑圧されるいまの社会はどうもおもしろくない。

・・バンクーバー冬季オリンピック、アイススケートフィギュアで韓国のキムヨナがみせた007のSPは衝撃だった。フィギュアはペアとかもあるがいつも注目されるのは何故か男子女子のシングル。あのときのキムヨナのコーチはたしかカナダ人。同じコーチがいま羽生結弦について同じようにSPで華麗な技をみせている。「パリの散歩道」というヤツだが。・・フィギュアスケートはロシアにも伝統があって一昔前は強いアスリートがいた。いまでもままいるが。007みたいのは冗談でもやれないだろう。キムヨナの007はとりわけ深い意味がある。007自体が古くなってるということではない。

・・「パリの散歩道」。これはいける。おそらくDA VINCI CODEがパリを止揚した映画のモニュメントとして歴史に関わるのと同じく、「パリの散歩道」もフィギュアの歴史、しかもソチオリンピックで歴史的な大事件となるはずだ。単にフィギュアの歴史のことにとどまらない。「ここまでは言ってもいい。これ以上は言えない。」というヨブ記の教えはここにもある。

・・ipodrider温泉の帰りにnakagami書林に寄った。ここはいい。どん底の本屋さん。若い女の子が差し入れのビールを持ってきたりして。彼はいい。女の子も。・・DA VINCI CODEのDVDがあった。いくらかと聞いたら百円だという。ウソだろと思ったがすぐに買った。退散する理由にもなった。こういうどん底には長居したくないというのはままある。・・でもまた来ます。

・・夜道の自転車にも馴れた。

468秋魚:2014/01/30(木) 23:28:29
(無題)
・・昨年の6月13日頃クラッシュしたパソコンのハードディスク修復にチャレンジ。古いノートパソコンでHDDはパラレルIDEというやつ。一度60Gから120Gに換装した。今となっては遅れた容量だが60Gのがはじめにクラッシュした。必死に換装にチャレンジ。その120Gもクラッシュ。引越しの最中でこの時は以前の60Gを修復しこれをもどしてなんとかやってきた。基本的なところで錯誤がありやっと修復に再チャレンジ。・・まずIDEは古くなっているようだが、充分使えるものだ。ケースに入れてデータ救出とかここまではできた。チェックディスクをしてまた本機のパソコンにもどした。電源を入れるとやはり駄目ですね。ブルースクリーンが出てWINDOWSが立ち上がらない。F8のキーからセーフモードにすべき手順。ところがこれもうまくいかない。反応してるようだがセーフモード画面が立ち上がってこない。これはあとでわかったが、チェックディスクが自動で行われているためだった。即キーを打てばよかった。で、うれしいことにやっとセーフモード画面になった。・・はじめシステムの復元を試みたがエラーが出て失敗。これはHDDを取り出したとき別のパソコンで原因となったセキュリティソフトのファイルを削除した為であろう。システムの復元はクラッシュしたそのままの状態でやるべきだ。・・今回のクラッシュ、原因はわかっている。WINDOWSの更新ファイルが**のセキュリティソフトと干渉したためだ。ならばその更新ファイルを削除すればよいか。コントロルパネルを開いてそのファイルを探した。クラッシュした最後の日にち。あったこれに違いない。このファイル臭い。タスクバーで機能するものだ。まったくクサイがいまは保留。・・で、削除。すると今度はみごとにフル機能でWINDOWSが立ち上がった。やった!ああ、うれしい。めでたい!

469秋魚:2014/02/26(水) 01:12:49
(無題)
・・雪になった。梅の開花の前に雪をみたかった。ここの山水の雪化粧は想像しても震えがくる。柚子の実がまだあちこち樹にある。黄金の雪と竹や樹木にかかる雪と渓流の淵にまで雪が蔽う。人家の屋根も蓑虫の巣のように雪を被る。初雪は家のベランダから墨絵のような景色だった。外に出ることもかなわぬ。朝になり光線の具合が雪を輝かせる。刻々千変万化する雪の絵だ。雪解けの音がジジと絶えずある。

・・残雪がきびしく自転車ものりにくい。多摩川のサイクリングロードは雪が多かろうと悩んだ。が、意を決してipodriderにでた。雪降りを都合にして部屋に篭もる日々が続いた。神経が過敏になって筋肉も萎える。ラジオや音楽ももう飽きてきた。ソチオリンピックで緊張している若者がいるのにこんなに老け込んでいてはよくない。青梅近辺はまだ積雪が残っているが、都心に向けてはだんだん雪もすくなくなる。懸念していた多摩サイは上々の走りになった。

・・なんだ多摩川堤はほとんど雪はない。マガモだろうか水鳥がいる。時折白鷺のようなスタイリッシュなのもいる。サギとツルの区別も覚束ない。ipodの音楽はひさしぶりだと新鮮に聴ける。府中の郷土公園あたりは梅の白い花が咲いている。梅はぽつりぽつり咲くのが風情がある。群れてわっと咲くのは媚がおおい。・・それなら桜がいい。

・・桜といえば、西行法師が旅にでるはじめは伏見墨染寺の桜の枝を折った。これを杖にして千葉の東金までやってきた。杖を地にさして根付いて桜の花が咲いたという。

 ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ

・・こうして桜の花ばかりを追って旅をしていた。昔はどうも好きになれなかった。花ばかりというのは。・・今はすこし理解する。

・・ところでネット検索していたら、おもしろいものにヒットした。「幽雅に咲かせ墨染の桜」という
動画ミュージックがある。

 西行寺幽々子というバーチャルシンガーの歌だ。

http://www.youtube.com/watch?v=acFwGdDybUo

http://www.youtube.com/watch?v=0WBgB6nA3PI

 これはピアノ曲だが、

http://www.youtube.com/watch?v=NlORz2R-Jpk

470秋魚:2014/03/22(土) 15:58:09
(無題)
・・山間は気温も低く花の開花も遅くなる。青梅から奥多摩まで雪が降ったらまず出歩けない。一月もたってもまだ山道には雪があるという。梅の公園の梅祭りも咲きそろわないうちからよく人が訪ねてきた。外人の多いこと。梅ウイルスの流行とかでここいら一帯ダメージが強い。古木がどんどん切られている。

・・花とか天気の具合はほどほどにして今回は山歩きに出ることにした。自転車で梅郷の知人宅までいきそこに置かさせてもらう。梅の公園の脇から日の出山に向かうハイキングコースがある。それほど知られていないがいい道のようだ。残雪があるのでアイゼンを使うようにと入口に注意書きがある。また夏に山奥で小熊が出没したとも。・・余り人と出会わない。道はしっかりしてる方だろう。最初の展望台は琴平神社。昔はここいらは養蚕の地だった。社には招き猫が多くある。蚕を食べる鼠をとる猫が神様だったか。ここでもけっこう見晴らしがきく。・・次に登っていくと三室山がある。ここはさらに見晴らしがきく。先客のハイカーがグループで昼食をとっている。お年寄りが多い。いろいろ山登りの話で盛り上がっている。おばさん連も多い。体力の限界を感じているとこういう山歩きをはじめるようだ。自分も事故でギプスをはめて歩けなかった時期があり、自由に歩けることのうれしいこと。リハビリでは杖突いて富士山に登ったものだ。三室山は岩があちこちあるほかは何もない。大きな岩がある。自分も水をとって休む。・・先客にこんにちわといって日の出山の道をたずねる。声のかすれた人が親切に道を教えてくれる。喉をやられてるようで余り話させても悪いみたい。ほどほどにしてお礼をいってまた出発。今回日出山までは必ず行ってそれから先の予定がない。

・・三室山は御諸山で武蔵のこんなところにあるのは余り知られていない。岩は自然石だがここは謎。道をいくとマウンテンバイクの若者が3人ザッザと音をあげて降りてくる。これも驚き。雲取山でダウンヒルの自転車遊びがあると聞いた。自分が歩いたところまず自転車は無理だろう。そう思っていたが彼らはやるのかもしれない。ガンバレ!と、応援した。

・・梅ノ木峠というところに出た。ここから日の出のつるつる温泉は近いらしい。三室山で話した人もつるつる温泉に寄るのをすすめていた。以前来たことがある。ここに寄るともどれなくなるか。こざっぱりした道を日の出山を目指した。ずっといって最後に急坂があり三室から一時間半で日の出の頂上に着いた。ここにはハイカーが大勢いた。若者もいるが白髪の人もいる。熊除けの鈴を鳴らしたりアイゼンをもったりみんなそれ相応の準備で来ている。・・破れかけた運動靴と拾った木の杖、小さなリュックで身軽を心がけたのは自分だ。晴れたが冷たい風が吹く。時折白い流れ雪もみた。・・日の出山まで二時間半。足が痛くなった。ここの展望は東西南北すべてきく。都心の方は新宿のビルやスカイツリーもみえる。西のほうは富士山はわからないが、大岳山はすこしとんがって見えた。すぐ手前に御岳山。神社の社もみえる。30分もあれば御嶽にいけるという。・・引き返してもどる気はなくなった。頂上でこちらもおにぎりの昼食をとった。

・・日の出山が目標でもうあとはゆとりになった。山道で雪はところどころにある。人も多い。みんなこんなにも気安く山に登るのか。というかけっこう準備しているようだ。自分のように思いつきで登るのは素人かもしれない。御嶽は案の定近かった。ケーブルカーの駅ですぐ下山と思ったが神社まで十分とかある。人もますます多くこのまま帰る手はない。神社に参拝することにした。足は痛い。杖突いて引きずるようだ。足が痛むのは登るより降るのがこたえる。御嶽神社ははたして感動。なんかすごい巨木がある。御嶽講というのがあるらしい。石碑が多くある。各地の庶民の信仰は生半可ではない。・・ここは太占という鹿骨をつかった占いを今でもやってるらしい。ヤマトタケルはオオカミに助けられた。犬神というのもあるか。ペットの犬を連れたお参りもあるようだ。

・・紅葉やという店で蕎麦とビールをとった。やっと少し落ち着く。さすがここの霊峰はすごい。外人も多い。みんな下のケーブルで来るのだろう。自転車で来てるものもいた。ずっと昔来たことがある。あわただしく展望してすぐ下山した記憶しかない。足は回復するどころかさらに痛みを増す。痛みは神経の問題だ。興奮しているうちは痛みはない。

・・下山はやはり歩くことにした。拾った杖はありがたかった。西行は桜の木の枝を杖にしたとか。自分の杖も桜かもしれない。多摩一帯は杉の木が林立している。これがあたりまえのようだがすべて植林したものだ。日の光をとろうと競って上に伸びる。杉はまっすぐに伸びる。しかしこれはもうあちこちで限界。下の方が堪えられないほどだ。・・あちこちで杉の木の伐採があるようだ。これは花粉症などうれしくない木だというので広葉樹とか多彩な木の森に変えようという最近の政策と思える。

・・実際杉の森は一つの美観だけでおもしろいものではない。これからの時代に期待する。御嶽の山の上まで自転車で登れるとみた。車の走る道もある。ここならクロスバイクでいけるか。すこし意欲がでたが、自分の自転車遠乗りの限界も感じはじめている。・・箱根の峠越えなど目論んでいたが、体力の限界が近い。筋力は退化して復旧がやっと。進化というのが無くなってきた。気は若いが。

・・右足と左足で関節部分が痛む。痛み方が違うのはよくわかる。左は昔事故で痛めた。右は正常だが
最近の不精で腰のヘルニアが少しでている。膝が曲がらなくなる。・・とはいえ、誤魔化しごまかしヘンパイ歩きのようで下山。長い道のりだったが行きも帰りも歩いたというのはうれしいことだ。ただし御岳の駅からは電車だった。

471秋魚:2014/04/03(木) 19:20:17
(無題)
・・桜の花ははやい。鬱を払いに羽村から多摩CRに出た。阿蘇神社の桜は二日前には二部咲きだったが、いまはどうか。福生の土手堤はもう満開に近く、人が大勢出ていた。平日なのにまあ奥方と子どもが多い。仕事無しの年金組も多い。天気も晴れて絶好の花見日和。やはり外にでるのが正解。・・頚骨の位置がすこしずれているのか気ままでいると頭痛がする。自転車に乗ることだ。日の出山まで歩いたおかげで足の筋肉は補強された。老化ではなく怠惰だっただけだ。・・Hayabusaは後輪のブレーキを少し調整した。すこぶる効きがよくなった。チェーンが心持ちゆるくなってるようだがこの調整は未知だ。だいぶ乗りこなしているがタイヤは磨耗がすくない。中国製なのにいい質だ。meridaのブランドの故か。台湾製は頑丈にできてるという話だった。・・自転車のライダーも多くでている。みんないい自転車に乗ってる。ヘルメットにぴったりとシャツ。ヘルメットは自分も事故を経験してるから考え物だ。それに保険も。・・身軽でいたいのは山々。

・・花祭り。

まずは、梅岩寺。枝垂れ桜。

・・阿蘇神社はもう一度来てみる。ここの桜は武士の花だ。


・・川の上流へ、石神前には田山花袋が来ている。ずっと昔だ。梅ではなく桃の花里だったという。

   *

・・小曽木街道を飯能へ向けて走る。途中の岩蔵温泉郷にはいつかゆっくり訪ねてみたい。ヤマトタケルが温泉につかった時武具を納めたという岩が今でもあるという。立川断層の露岩ということだが。いまは通過して入間の仏子に向かう。時折大型のダンプも来るが怖いというほどでもない。青梅から飯能へ岩淵というところはカタクリの群生地、その近く成木川の淵に岩井堂観音がある。川縁に大岩が切り立っておりその下の祠が岩井堂。昔ここの観音像が大水で流され成木川、入間川、隅田川へと流され、浅草浦の漁師の網にかかった。それが浅草寺の由来本尊となったという。推古天皇代のことである。いろいろ調べてみるとこの黄金の観音像の話はおもしろい。浅草寺では秘仏とされ誰も見たという話は聞かない。ほんとにあるのだろうか。・・にしてもこの観音堂。人っ子一人みあたらぬ。

・・仏子の手前に阿須というあたり入間川に沿って公園が開けている。桜が咲いている。ここに万葉の歌碑を見つけた。

 安受乃宇敝尓  古馬乎都奈伎弖
 あずのうへに   こまをつなぎて
 安夜抱可等  比等豆麻古呂乎  伊吉尓和我須流
 あやほかど   ひとづまころを   いきにわがする   (巻十四)

・・めまいのする自転車行になった。

・・阿須の山並みは花と黄芽新緑と杉と入り混じった景色。やはりここも武蔵野の広葉樹の森を取り戻そうとしている。

・・仏子のアミーゴでアートの展示があった。

472秋魚:2014/04/14(月) 01:33:43
(無題)
・・まったくいい季節。何をしたらよいのか焦燥にかられる。コンピュータの具合がとてもよい。クラウドコンピューティングなんかにもチャレンジしてみた。データ保存がこれで安全というのでもない。だいたい永久保存したいデータなんてあるのか。コンピュータはとりあえず脳の記憶装置だ。とりあえず。

・・去年の秋奥多摩にいった。奥氷川神社ともえぎの湯。途中鳩ノ巣渓谷とか白丸ダムとか。自分の自転車行では、冒険。だいたい谷が深い上に道路がこわい。車がびゅんびゅん。が、秋の紅葉は壮観だった。・・春の奥多摩にもう一回チャレンジした。例によって軍畑までは何度か来た。軍畑大橋の手前ですこしわくわく。谷が深い。ここから御岳までも歩道があってだいぶ馴れてきた。多摩の霊山は先日訪れたばかり。御岳から先川井の駅までが長い。道路も歩道が無くなる。車の暴走を防ぐためか交通安全のパトカーが出ていた。自転車乗りにはうれしいことだ。古里、鳩ノ巣まで緊張の連続。谷はますます深く、よく来たものだ。鳩ノ巣まで来るとあとは近い。白丸あたりは風光明媚。奥多摩に入る手前、数馬の切り通しという難所がある。いまはトンネルが出来てあるいは外の川に沿った迂回路がある。その手前は数馬峡橋。ここは川合玉堂が晩年をすごした絶賛の景。

「多摩川の楓渓は、ことにすぐれている・・・・渓もよければ谷の形もよい 水の岩にふれて瀬をなしているのも面白い 道は楓渓と相対して秋は美観である」 田山花袋

 山の上のはなれ小むらの名を聞かむやがてわが世をここにへぬべく  玉堂

・・別の画家の歌だが、

 ひとり来て生きるいのちを想ひたり紅葉のくらき山に向かひて  元宋

・・ここを過ぎてすぐもえぎの湯温泉に行く。

・・氷川までの最後のトンネル開通記念で温泉を掘った。それがもえぎの湯という。ハイキング客がよく寄るそうだ。前回はあふれんばかりの客。秋の盛りだった。早春のきょうは平日であまり混んでいない。狙いはよかった。・・新しい温泉の湯はいいものだ。ここも。メタほう酸フッ素泉というこの湯だけでも価値がある。奥多摩の古層は日本列島の最古層という。その湯とは驚き。

・・平日だがやはりサイクリストもポツポツ。みな自転車で手馴れたものだ。・・レストランで焼き魚定食をとった。ヤマメかイワナか日替わりというが、どちらかは不明。美味なり。

・・数馬の切り通し。奥多摩はここが一番のネックであろう。川合玉堂は戦火を避けて晩年は御岳に住んだ。71才。奥の白丸にも一年。・・この白丸のダムが出来る前の景観が随一という。その数馬峡。切り通しに寄ってみた。川に沿って岩山がありそこの断崖を切った道。トンネルもある。どの部分を切り通しというのか。トンネルの脇から岩山を登ってみた。白丸と氷川を結ぶ最大の難所道という。まず馬は通れない。落ち葉で足をすべらせたら谷底へ落ちる。この岩山の塊を向こうへ越えねばならない。道らしきところをいくと山の一段下の頂上らしきところに着いた。社もある。その先さらに急峻を登り天辺の向こうに下る道があるのだろうか。・・ここまで来て最後の登りは恐怖だった。すでに訳のわからぬ岩山の上で谷底がはるかに見えている。スイスアルプスのアイガー北壁といったところ。ここで大地震が来たらと思う。もう二度と来ることは無いと思うが、数馬の切り通しはこんなものだと了解してひきあげることにした。・・途中違う道をと選んだところいい道なのに行き止まりという。ここも崖に沿った怖い道だ。登りはいい。下りはバランスをとるのがむずかしい。足をすべらせそうなところがいっぱい。有名なところだが先日の岩井堂観音と同じく人影は無し。おおかたは下の車道トンネルの交通になっている。

・・数馬峡。ここいらが一番奥多摩らしいか。

473秋魚:2014/04/16(水) 14:33:25
(無題)
・・いったいヤマトタケルは青梅に来ているのだろうか?タケルは存在していないという話まである。いたたまれなくタケルの来歴をうたう岩蔵温泉郷を訪ねてみた。あちこち花は咲き乱れ野山の新緑は色とりどりに染まり自然の息吹の盛んな季節だ。青梅坂から小曽木街道の定番コース。時折の大型車がうるさいが爽快な道だ。30分もあれば着く。途中成木街道とかにぶつかるがこれもいつか名栗の方にも走ってみたい。大松閣、さわらびの湯まで○○キロとかある。

・・ほどなく岩蔵温泉郷に着いた。これくらいなら日帰り温泉もできる。ここも東京の奥座敷とかいって秘湯らしきが今はあまり訪れるものも少なくなった。天然のスパ銭が交通の便のよいところにあちこち出来ている。わざわざ高価な温泉宿をたずねる気もおこらなくなる。そう思うのは自分だがそこそこの温泉党の客がけっこういるようだ。・・ママダ屋という旅館はぜひ訪ねてみたい。

・・ママダ屋周辺を散策した。庭が美しく黒沢川を取り入れて自然がいっぱい。ヤマトタケルが負傷してたどり着いたこの温泉郷。ナトリウム単純泉だが湯治が効くという。タケルが鞍を岩にかけたという。その岩を探してみた。それが存在するというのはネットの記事でみた。黒沢川沿いは大きな岩は無い。奥多摩にあるような断崖もない。黒沢川は少し濁っているがこれは生活汚水か。・・地元の人に聞くしかない。最初のオバサンは愛想のいい人だがここらの者でないという。岩場はわからない。次に庭弄りのオジサンはあきらかにこの地の人。「オイワ」という処でしょう。そういうが四谷怪談を連想してちょっと困った。いえ男岩というそうです。向かいの小川をこえると女岩メイワがある。少し下って信号の手前を山の方へ200mほど登りなさい。自転車でもいけますよ。・・岩蔵の地名の由緒ある岩場が存在する。ネットでもほとんどここを目当てに訪れる人はいないらしい。町でも観光の名所としていない。・・実際登っていくと途中村社の御嶽神社、さらに墓場。なんとも人影も無い。岩井堂観音、数馬の切り通しと同じくまれな訪問客のみか。道も草に蔽われていた。・・あった!ここがタケルの休んだ岩場にちがいない。なんの標示もないが、この岩は立川活断層の露岩らしい。地層を斜めにボーリングして断層のズレを調査するスポットになってる。その表示がある。・・立川断層地震が近いうち起こるという昨今の騒ぎだった。この神聖な岩場をそんな調査の場所にしているのは奇妙な異和感がある。もうほとんど道はないが、さらに山に登る道が幽かにみえる。ここの岩場の上にいくらしい。自転車を止めてさらに這い登った。が、これは数馬の切り通しと同じ体験。登りはよいが降りは恐怖だった。上には小さな祠がひとつ。とってつけたようだ。登りましたよというので写真をとったらすぐに降りることにした。タケルが来たという神秘な場所で異様な霊感がただよう。降りる姿勢はみっともなくも安全第一でともかく下まで降りた。すると向かいの山の方にも道がみえる。ずっと上にも岩がみえる。これが女岩か。この際女岩にもいってみなくては。またまた急坂の道でほとんど道らしきもない。ここも這い登るようにしてアプローチを試みる。ようやく斜交いに岩を認めるところまできた。写真をとる。さらに上になにか見える。が道はもうほとんど見えない。女岩は尖った三角の岩だ。男岩は下の切り立った部分をみたが上の山を言うのかもしれない。・・ここのあたりもうまく整理がつかぬまま怖い霊気に圧されてすぐ下山。男岩よりさらに急な山道を死ぬほどの想いで降りた。・・いやーこわいこわい。これでは立川の大地震もあと数年のうちにきっと起こるのではないか。南海トラフとどっちが先か。

・・タケルはたしかにここに来ている。

474秋魚:2014/04/26(土) 01:33:45
(無題)
・・「善徳女王」は最終話。妖女ミシルが亡くなってから緊張の糸が切れた感じだが息子のピダムが後を継いだ。ネットで何度も繰り返しアップされるので三分の二ほど観ることができた。ミシルは美室という。三室山というのが青梅にもあった。御諸山、三輪山、甘南備山これらは同じものだ。ドラマでは神女といい源花というミシルだった。・・「善徳女王」の種本は、「花郎世記」で、「元々は日本の宮内庁書陵部に秘蔵されていたのを、朴昌和と言う人物が密かに書き写していたとされる筆写本が、1989年に見つかったものだそうだ。」・・脚本家は最近DVDで観たエイゼイシュタイン「イワン雷帝」もよく研究しているようだ。大業というイワン雷帝のロシア統一はトンマン、キムユシンの三韓統一であるし、王権の構造はおおまか似ている。・・「イワン雷帝」は傑作だ。いまのロシアのクリミア統合とかウクライナに対する姿勢はイワン雷帝当時とさほど違わない。登場人物の過度な衣裳が興味深いがさておき「善徳女王」は心理が錯綜して充分近代にも訴える。

「花郎世記」は偽書か否か自分には謎だが、朴昌和はポルノ小説など書いて生計をたてていたとか。

475秋魚:2014/05/12(月) 00:45:52
(無題)
・・入間川という狂言があるそうだ。黒いは白い。高いは低い。暑いは寒い。・・何でも反対にいう土地柄とか。アマノジャクという奴ではないか。実際の入間川は飯能あたりでみたがしょぼい川だった。青梅の成木川から入間川ずっといって川越まで流れ荒川に合流する。飯能より上流は名栗川ともいう。昔から氾濫する川で名を残す。

・・岩船観音堂のある歓喜寺から仏子を通って茶畑のある狭山豊水橋までやってきた。ipodのミュージックはしばしお預け。はじめてチャレンジする道はほんとにわくわくする。知ってる道ならどんなささいな障害も乗り越えていく自信がある。未知の道でもガラスの破片や釘など瞬間でかわして走るようになった。パンクは2年ほど無い。自損事故のようなのは一度ある。実際自転車はかなり危険だ。今回もあきらめて保険に入った。

・・豊水橋から入間川に沿って狭山川越CRというのがある。ここまで来れば道はいい。入間川も水と緑したたる麗しい川になる。ざっと調べておいた通り入間大橋まで進めばそこを渡り大宮までの道もざっとした一片の地図が便りだ。・・もう少しでも迷いそうな気になると傍にいる誰にでも道をきくようになった。土地のものではないのでわかりませんというのがけっこうある。たいていはこれが万全。・・ひさしぶりのロングライドで目眩がしてきた。

476秋魚:2014/05/12(月) 15:32:06
(無題)
・・入間川は上流の有馬ダムから川越で荒川に合流するまで河川敷が広くなる。合流手前付近では土手の内外で高低差があまりない。さほど高くない堤防が決壊すると川越の町は広く浸水し海のようになるだろう。鴨長明の発心集で描いた氾濫の有様はここらへんと思われる。町の高さと水面が同じなのだ。江戸の頃から西川材という材木を流して運んだそうだ。・・荒川はまだずっと未知。こちらが本流と思われる。その河川敷のひろいこと。入間大橋でサイクリングロードは終わるが中洲にはいりさらに荒川にかかる開平橋をわたる。この中洲の道にも車がどっと押し寄せる。入間大橋に来るまでにも川越橋、初雁橋、落合橋とかいくつか橋がありその交通量といったらすごい。いつか小川からの帰路にこの入間大橋をわたったが海の上をわたるようで大変な思いをした。

・・この橋をわたるとあとは大宮まで方角を便りにつき進む。途中何度か道をたずねた。さほど広くはないしあまりいい道ではない。S氏の情報では一時間で着くという。・・開平橋から荒川CRというのがあるそうでここからもうひとつ南へくだった橋までいきそこから大宮へむかうのがベストだったかもしれない。ところで大宮という市名はもう無いらしい。さいたま市というそうだ。何か味気ない。氷川神社は別格で大宮氷川で健在だが。・・かれこれ一時間で着いた。

・・平野のこんなだだ広いところに武蔵一ノ宮の名刹がある。筑波山と富士山を結ぶ直線上に位置する氷川神社。ヤマトタケルが来ているはずだが。荒川にやや近い。縄文の頃はアラハバキの縄張りだった。入間川、荒川という川の交通があった。もっともこの荒川は水路が変更されているらしいが。ずっとずっと昔はここいらも海だったはずだ。・・大宮に住まう旧知のS氏と連絡がとれた。しかし距離がある。4時間近くかかったか。・・駅の東口にでて氷川参道を本宮のほうへ進む。太鼓橋という橋があるからそこで待ち合わせましょう。そういうことだったがいざ歩いてみると太鼓橋なるものがみあたらぬ。近くの人に訊ねてもみな不思議そう。たいこ橋など知らぬという。・・えい、本宮のほうへ鳥居をくぐり、神社の敷地にはいった。するとあるある赤い欄干の橋が。これがたいこ橋か。・・あとでS氏がいうには名前は確信のないものだったという。でもそういうものかもしれぬ。

・・立派な木が立ち並ぶ。松とか、府中の大国魂神社にあるケヤキもあったかもしれぬがよく判別できぬ。庭が清楚でいい。本殿の前に神楽、演能の舞台のようなものがある。薪能でもやれそうだ。

・・さいたま市立博物館のパンフが手元にある。

「・・縄文時代は、約一万年続きます。前期(約6000年前ごろ)には、気候が温暖になり、海水面が上昇し、さいたま市域にまで海がいりこんでいました。」

・・

477秋魚:2014/05/17(土) 16:12:37
(無題)
・・自転車のライト電池が突然切れたりするので予備の単5を買いに出た。ダイソーで百円のがあるはず。単5の電池は需要がないためか置いてないところが多い。Hayabusaのキャッツアイはリサイクル品だが単5を使用。ブランドの品だが一昔前のもの。一度夜道で事故になったがライトの所為ではあるまい。これで充分間に合う。

・・二軒あるダイソーのうち青梅街道沿いの店をたずねた。あいにく置いてない。百円ショップも最近は値段違いのものを置く。SaintValというユーロワインが安価ででている。節約モードでこれを買った。これはあとで飲んだがとても美味い。イタリアとスペインのブレンド酒でどうかと思ったが、いける。ユーロ危機の底堅い味がする。ハハ

・・ママチャリの後輪ブレーキワイヤーまだいかれてないが、これの交換を試みた。以前から予備はもっていた。前輪のはリサイクル購入後すぐに取り換えた。ブレーキシューとか前輪のタイヤも悪くならないうちにチェンジした。自分の手がかかってるので捨てがたいものだ。・・後輪ブレーキワイヤー交換はきょう実は失敗した。最初のワイヤー止めのナットがどうしても外れない。潤滑油をかけてもダメ。けっこうな良品かもしれぬ。ぶち切れるまで使うとするか。あきらめた。

・・クロスバイクのワイヤーなんかも一年に一度交換すべきとあったが。こちらのチェンジは難しそう。ブレーキシューは一度交換した。パンク直しはゼロ。メリダの廉価サイクルだがよくできてる。

・・先日の大宮行に続けて、檜原村までいってみたい。そう思うが調べるとここはやや難関そう。クロスバイクでは無理という人もいる。

・・図書館で、カンパネラを11人で弾き比べてるCDと「世界最古の洞窟壁画」忘れられた夢の記憶というヴェルナーヘルツォーク作品DVDを借りてきた。この十年以上映像と音楽にはすっかりご無沙汰していたのでまったく新鮮。カンパネラは特に元気が出る。ピアノは実はつらいものがある。年いってのピアノは。ヴァイオリンのような弦がいい。・・このカンパネラは弦でも弾ける。これは元気がでる。
・・「世界最古の洞窟壁画」は考古学ドキュメンタリー。フランスオーリニャック地方にあるショーヴェ洞窟の壁画を探る。ヘルツォークはニュージャーマンシネマの旗手というがそういうものがあったか。並みのドキュメンタリーとは一風違う。クロスオンロードの優良ロマンといったところか。・・3万2千年前の旧石器人が描いた絵がみれる。それだけではない。この洞窟のすぐ近く30kmくらいのところにローヌ河畔の屈指の原子力発電所もあるという。原発の温水でワニが繁殖し異種のワニも生まれてくる。放射能の所為だ。・・なんかすごい映像だね。

・・檜原村にある数馬の湯。ここまで行ってみたいが。・・武蔵五日市の駅から秋川渓谷へのぼり瀬音の湯までは何度か訪ねた。細い道でときおり大きな車もくる。地図で調べたがこのもう4〜5倍の距離でずっと登り坂だという。大垂水峠の急スロープほどではないといえリタイヤするサイクリストもいる。帰りは下りで楽だよということもある。チャレンジするなら今しかないか。もう少し調べてみたい。

・・数馬の湯のまた先に蛇骨湯という秘湯もある。ただしここは大蛇が湯浴みしていたという伝承で気味が悪い。いい秘湯らしいが。・・さらにここらから奥多摩周遊道路という伝説的なCRがある。二輪車ライダーの最難関のコースだ。地図でみたらアップダウンとカーブが多い。事故が多発で二輪車は走行禁止になっているとも。・・ネットでみたらここをロードレーサーで走ったという人もいる。思い立ったらどんな難関もたちむかうらしい。すごいね。・・自分はここは無理でも数馬の湯あたりまでは走らねばなるまい。・・大垂水峠さえ二度越えた。

478秋魚:2014/05/20(火) 20:08:43
(無題)
・・朝早く出るつもりが寝坊して7時半になった。それでも自分は早い方。天気予報は今日一日はもちそう。考えていてもはじまらない。檜原街道数馬の湯にむかった。これ以上遅くなると朝の出勤の車がどどっと来るだろう。青梅から日の出、五日市までの秋川街道はすでに車がびゅんびゅん。いつ来てもいやな道だ。お先にどうぞを繰り返しながら長々と山越えの坂道をのぼる。自転車はほんとうは車道を自前の速度で走りきった方がよい。それは解るが変な事故はごめんだ。とりあえず無事に完走したい。日の出に入ってからの側道をひとつ見つけた。毎回新しい道を発見する。武蔵五日市の駅前には前回より10分は早く着けた。観光案内所はまだ開いてそうに無い。帰りに寄ってみよう。コンビニらしきもあまりない。用意したヘルシーバーひとつと水で昼までもつはず。・・ここからそろそろスロープがはじまる。瀬音の湯までは何度か来ている。渓谷沿いの道はそれほどいい道ではない。檜原街道の最初の印象は細くて車が多い。といっても先ほどの秋川街道と比べれば何でもない。気も楽になった。瀬音の湯の先は未知だった。ちょっと先にあるふるさと工房までもこわくていけなかった。すぐに着いた。ここも帰りに寄ろう。次の目標は檜原村役場。ここで道が分岐する。ネットの記事ではここまではなんでもないという。実際いくらかアップダウンがあったが何なく着いた。数馬の湯までずっと登りのスロープという話だったが、実際はアップダウンの繰り返しのように思えた。これも帰り解ったがやはり大方はアップばかりの道だった。帰りはダウンばかり。スロープの傾斜はさほどでないので足つき無しでもいけそう。ヒルクライムのダンシングは体重を乗せたこぎ方でエネルギーロスが少ない。歩くよりよいかも。ただしバランスが崩れるので車が多いところでは危ない。クロスバイクはギアを使ってもヒルクライムには向いてないか。ロードレーサーによく抜かされる。みんないい自転車に乗ってるなあ。自分も体の動くうちにドロップハンドルにチャレンジしたい。

・・たしかに長い。が、・・檜原街道恐れるにたらず。まだ先でこんなものでは無いだろう。車の量がぐっと少なくなった。こんないい道はないという気になった。実際青梅からの秋川街道をぬけて清清していた。・・次にまた道の分岐がある。上の原から来る道がぶつかる。奥多摩へいくのが檜原街道。後半分か。だいぶ近づいたあたりで長々とアップの坂道がつづく。・・檜原街道恐れるにたらず。いくつも修羅場を越えてきたからこれくらいなら自分もやれる。今日の完走は確信できる。絶対死なないだろう。

・・来る前にシェルタリングスカイというDVDの映画を見た。いい映画だ。

・・アフリカのサハラ砂漠。3人のアメリカ人の旅行客。50年代の話でアラブ圏の白人の旅行は冒険に近い。異文化との接触がもろにリスクとなる。・・原作はポールボールズ。映画では疫病でサハラの町で命を落とす。その妻のキットはなおも一人で旅を続けるが実の妻のジェーンがモデルか。いやしんどい映画だ。自分もアフリカを少し歩いたのでよくわかる。・・タンジール、モロッコは欧米不良文化人の溜り場だったらしい。

・・命あってのもの種。貨幣や文化の価値も無に同じ。・・というか、時の消費がしんどいテーマか。

・・檜原村の数馬の湯などサハラ砂漠と比べたら何でもない。ママチャリでも行ける。歩いてでも行けるが、時の消費はやはりリスクか。・・ロングライドに出ない時の消費もさらにリスクだろう。

・・数馬の湯には3時間弱で着いた。敷地内に四賢人の水という飲み場がある。自然水をすこし頂く。

・・檜原村という東京で唯一の村という。温泉はアルカリ性単純泉。フッ素が多いという。田舎でそんなに広くは無いがまあゆっくりできる。ネットでみた限りレストランはメニューは貧弱だったが実際はかなり充実している。舞茸天そばしかないと思ったほど。「おいねめし」という季節野菜の定食をたのんだ。うど、ふき、のらぼう、ふきのとう、とか地元の野菜山菜づくしが目に心地よい。とくに「おいねつるいも」というじゃがいもは特産という。それに定番のこんにゃく。奥多摩地区のこんにゃくはすてがたい。特に御嶽で食べたものはとりわけ美味だった。ここは野菜ひとつひとつ絶品の味がする。秋川渓谷もこれだけ奥にくると野菜は特別のようだ。自転車のヒルクライムの後でよい食事になった。もちろんビールも飲めた。

このすこし先に蛇の湯温泉とか兜家旅館とか伝説的なスポットがある。きょうは数馬の湯までクロスバイクでやってきた。これで引き上げになる。近くに龍神の滝というのがあるという。なんでもむじなが多くそのむじなを三頭山の龍が食べに来るそうだ。そこにいってみた。滝の名所がいくつかある。渓谷を下ってゆくと木橋があっていまにもくずれそう。その先に大きな滝ではないがマイナスイオンを撒き散らす小気味よい滝があった。街道から外れてやはり人はひとりもいない。・・ロングライドを思い立っただけでこんな深秘な場所に来れてしまうなんてほんとに驚きだ。・・こういうのは唯識で異熟というのだろう。

479秋魚:2014/05/24(土) 00:32:52
(無題)
・・先の「シェリタリングスカイ」に続き「アフリカの日々」という映画をみた。否「アフリカの日々」ではなく「愛と哀しみの果て」という題名の映画だ。Out of Afrikaが原題。デンマークの女流作家ディネーセンの小説による。どこまで自伝でフィクションかはわからぬがともかく実際アフリカで日々を過ごしたらしい。

・・こちらの関心はもっぱらアフリカによる。欧米人のアフリカでもちろん二つの映画は時代相も関わり方も異なる。ただし個のしっかりした女性の関わりは注視に値する。

・・今想い出したが、稲葉真弓は「愛と哀しみの果て」を早くに見て嬉しそうに私に語って聞かせたことがある。いつの頃か。私がサハラ砂漠にいく前か後か、たぶん前であったろう。ラブロマンスの題名の通俗なふうが自分にはどうも受け入れがたかった。どうせ現実のアフリカはどんな虚構の映画も無力だろう。小説家だけあってストーリーを話し始めたらくどい映画にも思えた。シドニーポラクの作品は映像美を歌う。その美しさにも打たれたようだ。キクユ族は半ば西欧人とコムニケートするがマサイ族はまるで異質。行進の仕方などよく映画で撮れたものだ。現地人を演技指導した気配はまるでない。・・シェルタリングスカイはまだやらせの感があり。・・まあ映像美をつくるのはこういうものに酔っていてはいけないのだろう。一方でフィクションとみれば徹底して芸術の美であらねばならない。

480秋魚:2014/06/12(木) 03:49:38
(無題)
・・仕事をひとつひとつ片付けたらいやな案件ばかりが残ってくる。レーザージェットプリンターのトナーが切れてきた。一息に無くなればいいものを徐々に薄くなるのは気がかりが続く。田舎にいるのでネットショップに頼るしかない。うまく探せばこれが一番いい買い物になる。純正品と再生品があって再生品の方が高いのは何故か。あと互換品というのがあって当たり外れがありそうだ。これは互換品だがきっと感動する。など宣伝文句にあった。・・けっきょく最安値のそれを注文してみた。amazonはいつも感動する。勿体をつけた配送日だったが、今回も完璧な梱包でとどいた。で、果たしてプリントはうまくいくのか。
「唐会要」という中国の文献をプリントしてみた。・・おおっ、鮮明な印字。視力が落ちているというか老眼でそれでもすばらしい印刷具合だというのがわかる。感動だ。・・まったく人はつまらぬことに感動するものだ。

・・雨ばかりの日がつづく。めずらしくうす曇りで晴れた。こんな日はポタリングに出ずにはいられない。ずっといって昭島あたりの寿司屋を考えたがきょうは拝島、福生の店を探した。牛浜から拝島は道が混んで迷いやすい。何度かいってもうお手の物。拝島駅は北口から南口に移るのが自転車はどうか。線路沿いにいったら公園があって道が無い。うーむ。ベンチに腰掛けている女生徒に声をかけてみた。駅の向こう側にいきたいのだけど。かわいい子だね。最初は緊張してかこわばった表情。話し始めると時々の笑顔がとてもいい。だいたいもう夕方になるのにうら若い女生徒がひとりでこんなところにいるのが不思議。声をかけたら変態と思われるかしら。若い子はいい。・・ややあって近くのトイレから男生徒があらわれた。なんだデートか。・・むこうは楽しそうだったが、邪魔しちゃわるい。ありがとうといって道をすすんだ。なんでこんなところにいるの?など訊いたがこれはヤボか禁句だろう。おじさんは変態かチカンになりかねない。ともかくわかい女生徒と話すなんて感動です。思春期の女の子の笑顔というのはほんとにひさしぶり。

481秋魚:2014/06/25(水) 02:16:15
(無題)
・・このところDVDを図書館から借りて映画づいている。雨ばかりよく降るというのもある。本を読みたいが視力がだいぶ落ちている。本は根気がつづかない。DVDはサポートの切れたXPでWinDVDというソフトを使うとおもしろく再生できる。目もあまり疲れない。映画というもの実はうんざりしていて観たいものではなかった。莫大な資本をかけて見え透いた作り物という気がした。フィクションを楽しむゆとりもない。とはいえ、このところDVDはジェームズボンドの007シリーズがおもしろい。・・昔観たものでは「ロシアより愛をこめて」というのがお気に入りだった。ボンドガールといって女スパイようなのが必ず登場する。ダニエラビアンキが絶演だった。007、実は「ロシアより愛をこめて」しか記憶にないものだった。ショーンコネリーのボンド役ははまり役。この俳優ここで終わってはいけないのは確かだ。

・・きょうはピアーズブロスナンのWORLD is not enoughというのを観た。世界を手に入れようとする女、驚くべきソフィーマルソーが演じている。「禁じられた遊び」の女の子だ。「世界はわたしのものよ」というに「世界は足りないものがある」というボンド。この二人愛欲の場面で生き延びる術を語り合う。女は逃げることという。ボンドは美しい女を愛することという。キザなものいいだがボンド氏の言葉は一貫している。

・・バイオレンスアクションが華々しくエスカレートしてゆくのは映画だから仕方ないのだろう。このへんが陳腐になったら客もあきがくる。ジェームズボンドは英国の女王陛下の諜報員。たったひとりで悪の組織の陰謀をことごとく叩き潰してゆく。おもしろいというか感心するのは、英国という国のしたたかさ。ボンドのアイデンティティは一貫しているが、シリーズをすすめるうちにこのアイデンティティを揺らがせるようなストーリーがよく出てくる。スパイでも二重スパイめいたものはよくある。三重スパイもあるか。あまり複雑にすると客も観ないだろう。

482秋魚:2014/06/28(土) 03:52:50
(無題)
・・田舎に越してきてあちこち蛍をみれる場所がある。そういえば蛍もひさしく見ていない。田んぼの稲作などで農薬を使うからタニシなど絶滅し蛍もいなくなるのだという。羽村の阿蘇神社まわりで蛍の養殖をやっているという。蛍をみにいく会とかチラシがあってその日も忘れていた。雨ばかり降る。・・たぶん今頃だろう。蛍をみれるのは。・・曇り空だが夕方6時を過ぎて自転車に乗った。かなりむずかしい道だが、何度かいって迷うことはない。まったく奥多摩街道から多摩川べりまでの段丘がうねって迷路のようだ。途中の八百屋でアメリカンチェリーとトマトを買った。サクランボも旬のうち一度は食してみたい。何事も旬を逃してはいけない。蛍もいまなら見れる。そう思った。

・・阿蘇神社は無人だった。お水取りの場所が妙になまめかしい。この参道の方に水路がある。春は桜が咲く。すこし歩いたがまだ日が落ちても明るいからか、蛍の気配はない。蛍は養殖しているという。看板があった。昨日の蛍発生は135匹など貼り紙がある。源氏蛍、平家蛍といるらしい。6月末が旬だから、きょうたくさん見れるはず。しかしいないなあ。浴衣すがたのご夫婦があらわれて蛍をみにきた。いないなあといってあきらめ帰っていった。せっかく来たから自分はがんばって残った。そのうち夕闇でなく黒雲だろう。雨になった。ぜったい蛍はでる。と、小川の川筋からすーっと光るものが。あ、蛍だ。一度二度光の糸をひいて消えてしまった。一匹だけだね。・・そのうち蛍観察員の人が車であらわれた。ここで蛍は見れるのですか?きのうはたくさんいたよ。もう少し暗くならないと。雨がひどい降りになってきた。雨が降ると蛍もダメらしい。成虫の蛍は3、4日の命だという。光って乱舞するのは生殖のためらしい。もう少しがんばっているとまた一筋光るものが。あ、蛍です。雨がひどい降りになりそうだ。二匹確認したところで帰宅することにした。こんな雨の中を自転車で進むのもひさしぶり。どこかレストランで休んでいこうか。傘差し運転でけっこう濡れたが、蛍が見れてよかった。

483秋魚:2014/07/10(木) 01:33:23
(無題)
・・郷境というか町の外れによく出かける。いいところだが藪の中というのは退屈だ。制御できない事件も起きるだろう。町外れ村外れを見てみたい。小曽木街道を外れまで成木川にうつかればもう先は飯能の埼玉になる。山王峠を越えると名栗川のある唐竹にでる。友人がいるので何度か越えた。

・・きょうはやはり蛍が見れるという成木川に向かった。青梅坂はよく来たものだ。ヒルクライムのずっと初級になるか。もっと若ければ三日に一度はチャレンジしたい。坂のトップはトンネルでこの上を青梅丘陵ハイキングコースの道があるはず。青梅は昔は養蚕と織物の町という。山奥の養蚕農家が品物を運んで峠越えをしたとか聞く。このトップからの下りは長い。自転車でもかなりなスピードだ。車もそこそこ。無茶はできない。・・例によって岩井堂のあるところ右折せずに少し直進すれば成木川。川に沿った道があるはず。橋を渡って川沿いの道に出た。庚申塚などある田舎道。・・こういうところに住んでる人もいるんだ。蛍のいる場所を聞くために土地の人に話しかけたりする。人見知りのゆとりもない。みんなありったけの知識で応えてくれる。どうしても困ったら、異国ではなりふり構わずだった。パリとか都会のど真ん中でよくやった。町外れの風景といっても必ず幾分かは都市の剛腕に侵食されている。廃車がそのままゴミで捨てられていたり。採石場があったりするのは論外だ。もろに山が消えたりする。・・成木川に沿っては無垢な自然がみえている。

・・いろいろまわったが蛍は見つからなかった。田んぼがあって出そうなところもあったが、陽が早い。ここが蛍見の場所ですよ、というところにもいったが、出るかどうか。一晩ねばれば一匹くらいは見られそう。帰りの道がこわくて引き上げることにした。

・・いつぞやは飯能の郷土館をたずねた。成木川、入間川を越えて飯能市街の外れにある。町境から入れば近い。以前は通りすぎただけ。縄文の頃からずっと飯能焼きの現在まで、このあたり渡来人の村が多いはず。隣の日高の高麗神社とかもっと多くを知りたかったが、入間川の西川材とか名栗の飯能一揆とかそれでも充実しているほうだろう。・・駿河台大学の学生が飯能焼きの歴史を特別展示。案内の学生とすこし話した。情報メディアのゼミ活動だという。いつの時代でも学生はいるものだね。浦島太郎かもしれない。

・・帰りに、青梅線沿い駅の裏手近くいくつか寺、神社がみえる。西分神社というのは、妙見さまを祀る。ネットでパワースポットとか紹介があった。・・たしかに異様な霊気。

・・狛犬が、異様に迫ってくる。

484秋魚:2014/07/24(木) 20:41:17
(無題)
・・梅雨は明けたらしい。多摩川の河原に出て水遊びでもするか。カヌーで遊ぶ人は多い。釣り人もちらほら。自然が多く子どもにはいいところだという。若いAさん夫婦は羨ましい限りだ。子育てが楽しそう。

・・きょうは日の出のつるつる温泉までポタリング。以前は福生の方から多摩川を渡って一直線にやってきた。温泉に近づくにつれアップの坂がこたえたものだ。最後は自転車をこぎきれず足をついて引いたものだ。湯質はアルカリ性単純泉。レストランはまあまあ。・・きょうは恐怖の秋川街道から茅窪というところで右折して平井川に沿っていく。昼前にでたのでダンプとか車の数もあまりないと踏んだが。でもやはりダンプはよく来る。歩道の無いせまい坂道がつづく。この坂さえ登れば下りは楽だ。以前みつけた側道も使ってカヤクボまで来た。この秋川街道の難所はあきらめだ。帰りはすこし遠回りで滝山街道を使うのみ。カヤクボからはずっといい道になる。すこし行くと白山神社参道という表示がある。こんなところに白山神社。よし寄っていこうとばかり道を折れたまではよかった。最初の鳥居があるところで自転車を止めて登り階段の道をいった。が、その長いこと長いこと。山の上のほうにいってもいっても一向に神社らしきものは見えてこない。性分で意地になっていくものだがさすが今回は途中であきらめた。こんな蛇でも出そうな道は退散。はやく温泉で休みたい。
平井川に沿った道。以前は大きな水鳥がいたっけ。車はずっと少ない。太平洋セメントの工場があってここまではダンプが時折やってくる。石灰を採っているのか。いいかげんやめてもらいたいが。そうもいかぬのだろう。・・つるつる温泉まであと二キロといってからが長い。アップが続く。ようやく駐車場がみえてきた。寸前でダウン。体調異変で水を飲む。パソコンばかり触って急に激しい運動をするとよくない。天気も光化学スモッグ状態だ。ともかく温泉へ。リフレッシュするに限る。・・カヤクボまで45分。カヤクボから温泉まで寄り道なければ45分。1時間半ならポタリングの部類だろう。

・・白岩の滝。つるつる温泉から1キロほど下って川に沿って折れる。さらに8百mほどいくと白岩の滝がある。雨乞いの滝という。どんな日照りの時もけして枯れないという。案内嬢に聞くと自転車でいけるという。ただし滝に近くいくには登り坂を歩かねばならない。雨乞いの祈りを今でも捧げるという。けっこうな滝だ。ぜひ寄ってみよう。このあたりの名所、ほとんど人が来ない。もの淋しい道になる。まれに山奥に人家があるが、生活を思ってみただけでめまいがする。・・一台車があって見物客がいたようだ。・・白岩の滝は二段になっており、上の滝は3m、下の滝は12m。だんだらの散歩道をのぼって上の滝までは急な坂道になる。このところ坂道ばかり登る。・・この滝は見映えがいい。何の権化か急にぽつりぽつり雨が降ってきた。滝を拝んだら雨になるという。偶然にしては出来たこと。やはりパワースポットの霊験ということだろう。しかし雨はいらない。・・写真を数枚とって帰路についた。

・・帰ってから体調の異変。やたらと水が飲みたくなる。これはよいことに違いない。帰路は滝山街道に出て遠回りだったが、あの秋川の山の坂道よりましであろう。万寿トンネルを越えて多摩川を見はらかすあたりまで来ればあとは楽勝。吉野街道の入り組んだ裏道はもうお手の物。千ケ瀬のスーパーに寄
って林檎の酎ハイと豆腐を買った。

・・夜、「タイタンの戦い」というDVDを観た。これは巨人族タイタンの話かと思いきやアンドロメダ姫を救うペルセウスの話だった。古いギリシャ神話の映画は特撮がすすんでいてあきないものだ。ハーデスが放つ怪獣クラーケンをいかに倒すか。メドゥーサの頭で眼を見させればどんな怪獣も石になる。ペルセウスは半神半人。生贄とされるアンドロメダ姫をペルセウスは救った。出雲でヤマタノオロチを殺してクシナダ姫を救うスサノオの神話によく似ている。メドゥーサというのも凄まじい女神だね。昔は絶世の美女だったとか。・・イオというペルセウスの守護神は救いだ。

485秋魚:2014/07/30(水) 14:59:38
(無題)
・・いや絶好の自転車日和。日帰りライドの限界に挑む。目指すは行田さきたま古墳群。荒川を行って熊谷の近くすこし行けば利根川にもでる。前回大宮氷川神社に行った時を参考に飯能、狭山の入間川CRにでて川越方面に向かう。終点の入間大橋にでる一つ前の釘無橋を渡り県道12号。これは川越の蔵のある通りの道だそうだ。これを北上し荒川にぶつかるまでここらあたりから未知のコース。川越から入間川を渡る橋はいずれも交通量が多い。落合橋から国道254をいくのも考えたが、この道は以前小川からの帰路でいろいろ懲りている。釘無橋を渡るのが最良か。

・・片道5時間はかかりそう。日帰りライドを思案して朝の6時少し前に家を出た。帰路はすべて田舎の道なので途中日が落ちたら万事休す。以前の小川からのライドは川越まで散々だった。朝早くでればゆとりもある。入間川のサイクリングロードに入れば川越までは楽勝。自転車は昨夜のうちに整備しておいた。栄養バーと水。この水は小さなペットボトルで用意したが、これはまったく不備不足なのが後でわかった。一度経験した道は安心できる。入間川CRの起点豊水橋まではなんなく来た。ここから先も初雁橋でサイドチェンジするのも前回の失敗で覚えたこと。釘無橋まで来て橋の下で涼んでいる人に道を尋ねた。・・すぐ上の釘無橋くらいはわかるらしいがずっといくと荒川にぶつかる話あたりから覚束ない。さらに行田までいくといったら雲の上の話のようだ。生活圏に密着した人は目先のことしか聞かない方がいい。しかし12号はいやな道だ。せまい上に大型車がのべつまくなしに来る。青梅の街道で馴れてはいたが見知らぬ道はこわいものがある。そんなに長い距離ではないから早く荒川にでてしまいたい。直進でいいのか二三度訊きながらついに太郎右衛門橋にやってきた。・・いや荒川の河川敷は広い。海のようなところを渡っている。・・渡ると桶川。昔の空軍飛行士養成学校跡がある。ちょっと寄っていくか。いやー太平洋戦争の記憶ですね。ここから特攻兵も鹿児島の知覧にいって巣立ったらしい。・・案内所のおじさんにまた道を訊いて荒川CRを行田へ向けて走った。

・・川沿いのCRをそのままいけば着くだろうくらいに思っていたが、大間違い。

・・荒川のこのあたり河川敷の広いこと。おまけに何本かの支流が合流しているから河川敷の地勢は複雑怪奇。農地利用の水田が多い。用水路沿いにサイクリングロードがある。本来の荒川CRではない左岸のCRはマイナーな為かほとんど通行者に出会わない。入間川CRでは本格的なサイクリストによく出会った。みんないい格好でいい自転車に乗ってる。趣味のレベルとしても自分は素人に近い。自転車でさきたま古墳風土記の丘に到達できればそれでいい。自転車はいいものに限るが何より体力の問題だ。真夏の日差しはじりじり焼きさす。道はいいし車とも出会わない。あまり快適すぎるのも不安になる。むっとする稲穂の匂い。一面の稲穂の風景も幼少の頃以来。農薬の匂いまでは嗅ぎ分けられない。ずっといくうち工事をやっているから通行止めとか本来のCRではいけないらしい。河川敷も迷路のような趣き。北鴻巣へ行くあたりで荒川のCRを離れる標識があるはずだが、もうだめ。糠田橋から川を離れて行田に向かうことにした。それでも鴻巣あたりまでは川に沿ってしかしこれが行き過ぎて風土記の丘には迷路の中になった。中学校の校庭で水を撒いていた先生に訊ねるとさすが先生よく知っていて教えるのがうまい。ここから見えるアプタというホームセンタを目指しなさい。そして武蔵水路をみつけていくとよい。お礼して、とはいうもののここからがまた迷路のつづき何度か人にたずねてやっと古墳のある公園に着いた。この先突き抜けていくと利根川があるらしい。

・・かれこれ4時間半。思ったより早く到着。史跡の博物館に向かう。学校の集団訪問もあって生徒がうじゃうじゃ。みんな真面目ですね。2百円払ってどんどん見て廻る。稲荷山古墳から1968年出土した
金錯銘鉄剣というのが実物の展示があって、感激。鉄の剣に金の象嵌文字が刻まれている。112文字しっかり読めるのは金の象嵌文字だからで鉄は錆びても金は錆が無いらしい。刀剣の錆び方も崩れるほどではない。文字が際立って読めるのは驚くばかり。江田船山古墳の鉄剣など銀の象嵌文字で銀も錆が来る。いくつかの文字は読解不能。金の象嵌とは考えたものだ。

・・公園の近くに古代蓮の開花がみられるところがある。ツタンカーメンの遺物からでたエンドウの種のように縄文の頃の遺物の蓮の種から発芽させて増やせたものだろう。公園の中にも蓮池がある。大輪の蓮の花がいくつか開いている。寄ることも考えたが自転車の乗りつかれ甚だしくモミの湯という温泉にて休憩することにした。さきたま古墳群といっても学究的な興味が第一というのではない。稲荷山古墳の実物をみて銘文の刻まれた鉄剣を見れるくらいでよい。ロングライドの自転車行は未知のコースでチャレンジだった。シェリタリングスカイなど異国、異民族を歩くリスクと比べればどうということもない。人生の時間はいつまでもあるように感じられるが、急に終止することが真実だ。・・温泉で思い切り体を休めるのは天の助け。・・東京から自転車で来ましたといったら案内嬢はびっくり。

・・九つくらいの大きな古墳がある。今は面影ないが周囲に30以上の小古墳があったという。丸墓山古墳というのがよくみえる。日本最大の円墳という。

・・隣にある前方後円墳が稲荷山古墳。前方の部分を発掘して鉄剣がでてきたから今の前方の形は復元してつくったものらしい。後円部分も発掘調査すればもっと何かでてくるか。この種の古墳は前方の部分しか遺物は納められていないのかよくわからない。ともかく68年に金錯銘鉄剣、画文帯環状乳神獣鏡が国宝として発掘された。銘文から辛亥の年は471年であろう。時のヤマトの大王はワカタケル、雄略天皇ではないか。この説が有力だ。・・周囲の古墳は他に二子山古墳は武蔵最大の前方後円墳。将軍山古墳は横穴式石室から馬冑や太刀など馬に乗っていた武人らしきが埋葬されていたようだ。韓半島南部の渡来人ぽいが、どうか。

・・この地域、荒川の河川敷が異様に広いのは昔から流れの筋を幾通りか替えたためであろうし、すぐ向こうの利根川はもっと雄大であろう。この二つの川に挟まれた土地というのがなんとも意味深く思われる。

486秋魚:2014/08/06(水) 20:58:53
(無題)
・・自転車乗りたちはあちこち繰り出している。自分も外に出て走ってみるとわかる。暑い夏場ははやい時間で出るに限る。6時に北秋川の払沢の滝を目指した。それにしても嫌な秋川街道。二度と走りたくないと思ったが結局ここを行かざるを得ない。早い時間でなるほど車の数はぐっと少ない。が、ダンプ屋さんは朝が早いらしい。けっこう続く。昼間よりはましでサイクリストもけっこう出会う。大きな坂を登ってしまえば下りは楽だ。途中側道も憶えたし武蔵五日市の駅前までは45分くらいで着いた。・・ここから檜原街道を瀬音の湯のある十里木まで途中道がせまくなってダンプが来るとこわいところがある。最初はここは二度と走りたくないと思った道だが。何度かトライするとうまくなる。甘く見ると事故になるから用心用心。自転車の緊張と集中の時間はすべてだ。

・・「千里に旅立て、路粮(みちかて)をつゝまず、三更月下無何(むか)に入る」と云けむ、むかしの人の杖にすがりて、貞享甲子秋八月、江上(かうしやう)の破屋(はをく)をいづる程、・・
・・芭蕉「野ざらし紀行」の出だし。荘子という人は千里の旅を計するに食料の確保で3ケ月かける。意外と現実的な荘子。芭蕉は気にしない。

・・意図した旅のはじめ。

野ざらしを心に風のしむ身哉

霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き

・・江戸深川の芭蕉庵からは、富士がよく見えた。東海道中もずっと富士が見えただろう。富士との別れ。これが最初の旅のモチーフか。亡母追悼で伊賀にもどる旅ということだが。

・・わたしのいる青梅から富士はよく見えない。が、河辺の温泉レストランからは夕焼け富士が見える。日の出山登山をした時も途中小さく見えるということだったが、この空気ではあるかなきか。甲州街道大垂水峠を越えたときもたしかに小さく見えた。まったく多摩のエリアは富士は小さい。・・国立の南武線からは冬場はよく大きく見えたものだ。

・・きょうは、滝。日本名選百の滝にはいるのは東京ではここだけ。払沢の滝。武蔵五日市から檜原街道を村役場のあるところまで、以前数馬の湯を訪ねたからなんなく来た。すぐ先の橘橋を渡って左折なら数馬方面、今回は右折。その先払沢の滝入口までは十分もかからなかった。

・・四段くらいになって流れる滝。垂直下降の一番上の滝まで15分ほど歩くという。カフェとかあって本格的な観光の名所のようだ。朝早すぎて余り人も来ていない。山道を登っていくと奥ツ城まで来たか。すでに人ひとり滝の飛沫を受けて瞑想にふける者がいる。身じろぎ一つなし。邪魔するのも悪いと思ったがこちらもやっとの思いで来たばかり。滝壺近くまでしゃしゃり出た。15、6Mはあろうか本格的な落下の滝だ。滝に打たれる修行というのもあるが、水源で水浴はならぬとお触書。あの滝の上はどうなっているのか湖とかあるわけでもなし。しかしまともな流水をみてこれでよし。昔日光の華厳の滝を観たときは涸れていてがっかりしたものだ。流水を慕う蝶などもいて写真をとろうとしたが、こちらと思えばまたあちらとシャッターチャンスを失った。あきらめ。

487秋魚:2014/08/15(金) 22:36:57
(無題)
・・思い立ったが吉日。お盆のさ中に何もしない手はない。自転車乗りのメッカ、正丸峠をめざした。ライダーが一度は到達したい場所。埼玉飯能と秩父の境にある峠だ。この峠の噂は幾度も聞いている。自転車とバイクこの二つのライダーの聖地に近い。坂のヒルクライムは初級程度だというが。東京の高尾を越えていく大垂水峠はまだ入門でヒルクライムのさわりだという。けっこうきつかったけども。クロスバイクで可能かどうか。自信がなかったが、ここはメッカだ。チャレンジせよということだった。

・・青梅多摩川の万年橋を6時に越えて青梅街道から小曽木にはいるいつもの青梅坂。ここは実にいい坂だ。ヒルクライムもこの程度なら楽勝だが今回は飯能にはいるまでもいくつかアップダウンを繰り返した。小曽木から成木街道にはいるのははじめてだった。吹上峠がありここもトンネルになっている。トンネルというのが自転車乗りにはもっとも嫌な走りだろう。特に車が来るときのエンジン音のけたたましい反響。トンネル全体が轟音に包まれてどこから車が来るのかわからないほどだ。前か後ろか。特に後ろがこわい。トンネルはなるべく早く抜けること。短いトンネルであることを祈る。

・・松ノ木トンネルを抜けてさらに坂を登るとまた小沢トンネルというのがある。成木から名栗に抜ける最後の峠だ。麓の蕎麦やさんの主人とは以前話をしたことがある。酒を飲むようと言ってくれたが閑がとれなかった。サイクリストが一人休んでいて平常のよう。きょうはそのまま通過。トンネルまでの坂は足つきになった。やや長いトンネル。先の出口が遠くにみえる。・・奥多摩の先に出口の見えないトンネルがいくつかある。これは恐怖だ。・・ここはまだいい。と思ったが、トンネルを出て下りの坂が実にいやな坂。いろは坂になってしかも急。下りでよかったが帰りはパスして入間川を下ることにした。

・・ここから入間川に沿って上る道は以前さわらびの湯あたりまで車で来た。自転車では初コースになる。かれこれ一時間になる。思ったよりペースが早い。車の数はさほどでなく朝まだ早いせいかそれでもライダーが3,4台グループで走ってきたり自転車も同じようにグループで来たりする。みな本格的な装備でヘルメットや水筒、自転車もロードレーサーのいいものに乗っている。サイクリング用のシャツは見映えがする。・・有間ダムとさわらびの湯への分岐道で休息。帰りにはここの温泉に寄ってみたい。いまは入間川に沿って直進。やや人家の多い名栗の街道をいけば山伏峠に着くだろう。傾斜はゆるい。楽勝と思ったが、急にスロープも急に道幅もせまくなってきた。前輪のギアを3にしてだいぶ楽になったが速度も落ちる。適当なところで休みを入れていつかは山伏峠に着くだろう。

・・ヒルクライムとバイクライダーが多いと覚悟していた。朝早いためかさほど多くはない。たしかに巡礼のようなライダーとサイクリストにはよく会う。こちらもお遍路の精神で進んだ。途中山肌が白くえぐれた場所がみえる。ここらあたりも石灰の採取場があるようだ。急坂というのでもない。まだかよ〜と思っていたら、とうとうやってきた。山伏峠。坂のトップで「山伏峠」と板があるだけだ。

・・山伏峠から少し下ってすぐ正丸峠にいく分岐道にでる。ややアップになるが先1、2キロほどで正丸峠に着くはずだ。ここまで来れば失敗はない。ずっと気が楽になった。水は前回小さなペットボトルで用意して失敗したから大きいのにしてよかった。食料よりも水。水のありがたさがわかる。あと一本の栄養バー。これも一本で充分。空腹で動けなくなるということは絶対ない。・・ほどなく正丸峠に着いた。

・・茶店があってまだ早いためか店は閉まっている。先客にバイクのあんちゃんが一人。記念写真をとっていた。あまりにひっそりだったので、ここが正丸峠ですか?あんちゃんに聞いてみた。余り話をしたがらない風だが「自分も初心者でここもはじめてです」という。向こう側から上ってきて道はよくないですよ。さいたま市から来たという。おたがい情報をだしあいバイクと自転車ではだいぶ中身が違うようだ。それでも話しに花が咲く。そうこうしているうちに次次と巡礼の自転車、バイクがやってくる。やはり聖地のようだ。天皇陛下と皇太子もここまで来たらしい。碑が立っている。・・店の板前さんも到着して開店となった。記念ステッカーというのが人気らしい。全国から目指してきて正丸のロゴ入りステッカーを買っていくという。住所と名前の名簿まである。ハハ、愉快だね。茶店では蕎麦を買った。・・さあさっきのあんちゃんともほどほどの話にして彼はうれしそうに先に峠を下りていった。自分も下山にはいった。

・・違うルートをも考えたが今日は同じ道で帰路をとる。3時間ほどで着いたのは意外。名栗へ入るまでに1時間。あとは安全でゆっくりきたから2時間。山伏峠の坂はきついが馴れればもう20分は短縮できそう。帰りの下りは楽だ。途中、星宮神社という天御中主命をまつる社を訪ねた。名栗村の守り神だという。左甚五郎のつくった獅子頭があったらしいが今は消失。端正ないい社だ。・・続いて鳥居観音。遠くから山の天辺に観音像がみえる。青梅の塩船観音と似ているが、広大な敷地にどこかの財閥の人が祈願したもので古くはないが活発な信仰をあつめているようだ。今回は山門までで入山はしない。

・・さわらびの湯をさがした。ここは以前友人の車できたことがある。入間川沿いの街道をそれて少しはいったところにあった。川でキャンプをしている親子連れがこぞって湯浴みに来ているのか駐車場の車も多く、ライダーたちも多く寄ってくる。大変な混みよう。お盆のさなかみな考えることは似ているかもしれない。巡礼と沐浴、湯浴み。世相がわかっておもしろい。・・怱々にして温泉をでると地元の物産店が一軒。みやげものの他わかめのおにぎりとビールを買ってこれで昼食。このおにぎりの実に美味いこと。さすがに田舎だ。

488秋魚:2014/08/30(土) 21:49:01
(無題)
・・自転車を整備した。ギアの仕組みが今ひとつわからない。前輪はともかく後輪のディレイラーは見た目も複雑だ。チェーンのかかりを内外にずらして移動する構造と思えるが、どうもね。前回ギアのかかりがよくなかったのは、調整不足。可動部にオイルをさして、軽快になった。kure556は自転車向きではないが、要所には使える。チェーンにたっぷり使って外れたこともあった。潤滑がききすぎるからそっと使用したい。ギアはほとんどシマノ。たしかによく出来ている。

・・雨降りの日が続いた。やっと晴れてもう九月。御嶽山のレンゲショウマも旬を過ぎたか。かねてより懸案の大岳山登山を試みた。1226mの山はここらで一番高い。ハイキングでなく登山になる。自転車で御嶽神社まであがり、そこから2時間ほどのハイキング登山になる。おおまかなプランを立てた。ケーブルのある道を自転車で登る。こんなのヒルクライムと呼べるのか。傾斜の角度は調べようもないがまず無理。自転車は引いて上がる。帰りはダウンヒルになる。

・・予定では朝6時に出発。寝過ごして8時過ぎになった。吉野街道が混むだろう。ここはダンプがひっきりなし。日向和田までは側道でいける。その先不安だったが、工事があったのか歩道がずっと出来ている。簪美術館のあたりは、以前は歩道が無かったはずだ。これはいい。ダンプも相変わらずだが歩道にあがればまず安全。御岳まではなんなく行ける。玉堂美術館を過ぎて左折してケーブル駅のところまで坂道がつづく。これぐらいは足つきは無いのだろうけど一部足つきになる。この辺でもう体調が異変を起こす。汗の出方が不快。この先長いのに続くのか。日常から離れて身体が新しい環境に馴れていないのだ。・・滝本ケーブル駅という。ここからが坂上りの本番。ネットで調べたが、御嶽神社からさらに大岳山まで自転車で上がる記事があった。神社まで上がるというのも大変な思いつきと思っていたが上には上がいる。それと比較するなら神社までは引く手はない。最初の見立てはかなり甘いものとわかった。

「・・山はいりぬるよりこのかたは、一人にあふ一人もなきなり。ただ山の活計の現成するのみなり。」(道元)

・・まったく。山は出かけてみなければわからない。事前にあれこれ気をもむのが無駄になる。体調の管理とはいっても出発前の身体はあてにならない。悪い汗を流していかにはやく馴致するか。水を飲みながらなんとか上のケーブル駅まで来た。神社は近い。自転車を置く場所を確保せねば。通りがかった民家の前に空き地があった。ちょうど出てきたおかみに駐輪の許可をもとめた。が、ダメ。くさることなくずんずんいくと。売店のあるところまで来た。「にいさん。寄ってコーヒーでもどうぞ」客引きのおかみが威勢よい。自転車のあずかりを頼んでコーヒーでもと思ったが、ここでヒマをつぶす訳には行かない。大岳山は鎖場のある登山になる。きっとして鳥居横の空き地に自転車を置いた。レンゲショウマはまだ見られるかも。が、神社にも寄らず一路大岳山に向かった。ケーブルで来た客など人は多い。平日で若い連中もいるのは、みんないろいろ事情があるのだろう。陽気な団体客もいる。・・自転車乗りの筋肉と登山歩行の筋肉では違うのだろう。歩行はたぶん水準がひくい。昔膝をケガしたというのもある。長尾平への分岐点にえらい登山家の碑があった。長谷川恒男という。

「・・登攀の前には、葛藤がある。なぜ悩むのか。それは行動を起こすことによって、『肉体』が滅びることを『精神』が恐れるからだ。『精神』とは、ヒトが人間であることを示す最後の砦なのだ。」

・・いい言葉だ。元気付けられて大岳山に向かった。

・・御嶽神社の奥の院は別にある。ここは寄らずに一路大岳山に向かう。ほんとの奥の院は大岳山だともいう。岩石園、綾広の滝とかにいくハイキングもある。こちらはひどく賑わっている。山にいく人けっこうなお年寄りが多い。平日だからというのもあるだろう。出会う人にこんにちわというが、中には挨拶もしたくないほどな形相の人もいる。山登りが必死なイベントなのだろう。自分も同じことだが。夫婦で歩いている人は絆が万全だ。お互い事故のないよう気遣いがみえる。・・大岳山は遠くから眺めると尖って見える。特徴のある山なのでよくわかる。アルプスのマッターホーン、アイガー北壁のように頂上の前に切り立った崖がある。頂上付近はほとんど岩場だ。鎖場の道がいくつかある。道がしっかりしているのでさほど怖くはないがそれでも下を覗くと切り立った崖だ。ここで大地震が来たら石の山でもどうか。鎖場ではないが這って登るところに来た。足場はある。自転車だったら担がねばなるまい。ロードレーサーの乗り手はいともたやすいというが。ロードバイクの乗り手を夢見ることもある。しかし今日は御嶽神社までがせいいっぱい。帰りのダウンヒルがイベントだ。

・・大岳神社のところまできた。ここの狛犬はかわいいものだ。ここらあたりまでなら自転車も来れそうだ。

・・頂上にはすでに人が数名。出会った人より多い。いくつか登るコースがある。ロードバイクの記事はここから奥多摩方面に抜けたという。奥多摩からあがってきた人と話をした。何度かここに来るという。奥多摩からなら3時間。御嶽からなら2時間。頂上はよく晴れれば富士山も見える。この日はあいにく山頂は雲が多く遠景はかすんでいた。

・・単独で歩いている人は、山登りをひそかな楽しみにしてるようだ。地図をもって山頂での昼食もちゃんと用意してくる。わたしなどは水とクッキーバー一本のみ。実際これしかないと思うとすべて貴重に思える。soyjoyというバーだが、これで充分。神社にもどったら売店で蕎麦とビールで休める。いやー岩がごつごついい山だ。お先にといって下山に入った。登ってくる人にも会う。怖い形相だ。若者はあまりいない。自分の山歩きは素人のそれだ。後から下山に入った人に追い越されてしまった。若くもないのに足が軽いのは馴れてるからだろう。女性にも会う。小学生の遠足の定番だとかネットにあったがそれはないんじゃないか。けっこうきつい。自転車で登るというのが、出来るか否かいつも考えていた。大嶽神社のあるところまで下り、またあの狛犬を拝んだ。

緯度経度, N 35° 45.913' E 139°7.825'.

・・下山はほんとは突き抜けて奥多摩に出るべきだった。同じところをもどるというのはおもしろくない。今回は御嶽神社に自転車を置いてある。長いスロープの参道をダウンヒルするのがイベントの面目だった。もどらねばならない。時々ほんとに年を重ねた人が登ってくる。それはよくわかる。途中ロックガーデン、綾広の滝へ向かう岐路にでた。ここに寄り道する。ここいらはハイキング客が多い。若い女の子も楽しそうに歩いている。めずらしくかわいい子が来た。こんにちわ。いい声だ。・・沢があって下っていくと巨岩の下を一筋の滝が落ちている。これが綾広の滝。すずしい水だ。そのすぐ隣にお浜の桂というのがある。なんでも大菩薩峠に出てくるヒロインお浜に因んだものらしい。この桂の木実は30年以上前に見たことがある。御嶽から下って沢まで降りた。ひどく下って失敗した。どん底で出会ったのがお浜の桂。机龍之介もここを通ったと思えば救われる。この桂の木、昔よりたしかに巨木になっていた。葉がこきざみに揺れるのをずっと記憶していたが。・・ロックガーデンはもう少し先だが今日はここで引き返した。

・・茶店のある通りまでもどった。自転車が無事置かれてあるのを確認し、紅葉屋という蕎麦やを探した。前回ここの蕎麦は美味だった。かわいい注文とりの子がいた。半年も前のこと。・・残念。お休みらしい。売店はふつうやすまないものだが。・・仕方なくもう一軒、朝呼び込みのおかみの店に入った。

>・・経ヶ岬(きょうがみさき)は、京都府京丹後市丹後町袖志に属し、日本海(若狭湾西部)に面する岬。・・京都府及び近畿地方の最北端。丹後天橋立大江山国定公園に含まれる。北緯35度46分45.47秒東経135度13分24.92秒

>・・丹後半島北端をなす岬の周囲は安山岩からなる柱状節理の発達した海食崖になっている[1]。名前の由来は『宮津府志』によると、岬を取り巻く柱状節理が経巻を立てたように見えることによるとされている

>・・もんじゅは、福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉である。北緯35度44分24秒 東経135度59分16秒

489秋魚:2014/09/01(月) 23:57:01
・・
・・稲葉真弓へ

https://img.shitaraba.net/migrate1/8014.shugyo/0000489_2.jpg

490秋魚:2014/09/21(日) 01:42:03
(無題)
・・自転車修行も佳境に入った。のんびりしてると次から次へと友人が逝去する。命あるうちに道を究めねばと。奥多摩の深秘にチャレンジしたい。御岳から大岳山登山。御岳まではもうほとんど庭に近い。川合玉堂のいた鳩ノ巣、白丸もそろそろ見慣れた風景に。奥多摩駅からいくつか道が別れる。このあたりが未知だが。日原街道をずっといって鍾乳洞の暗部までというのも魅力だ。川を遡って奥多摩湖、さらに源流の村丹波山ののめこい温泉までいってみたい。きょうは奥多摩の駅から奥多摩湖に向けて「むかし道」コースを選んだ。
・・もうひとつの源流の村小菅村の温泉にはバスで二度訪れた。その時の道のなんと恐ろしいこと。川に沿って湖に沿ってトンネルがいくつもある。道も細く車も多い。自分のような素人ライダーには大冒険になる。

・・朝早くのつもりが寝過ごして出発は9時過ぎになった。例によって軍畑までは裏道を通る。御岳までは青梅街道も歩道を備えたよい道だ。御岳から川井までけっこう長い。車はダンプのほかに軽の車でも爆走するのはやっかいだ。それに大きな音をたててライダーの群れも来る。古里、鳩ノ巣とここいらもいつかゆっくり散策したい。白丸のダムには魚道というのを見学できる。この日は閉まっていたが。トンネルがいくつかあるが奥多摩までは側道もあって怖くはない。奥多摩の駅までは、なんなく来れた。観光案内所で「むかし道」の情報を求めたら九月一杯通行止めという。雪害で傷んだ道を修繕しているという。紅葉の名所で十月以降が観光の本番になる。奥多摩駅から奥多摩湖まで「むかし道」を歩くと4時間ほどかかるという。自転車で行きたいというと、一部山の中は通れない。本道にでて中山トンネルを走らねばならぬ。このトンネルはやや長く登り坂だという。案内嬢もあまりすすめない風だ。・・そのずっと先丹波山村まで行きたいというと、アップの道でさらに眉をひそめた。次回のために丹波山村と日原鍾乳洞のパンフをもらって、今回は青梅街道を湖にむけて行ける所まで行こうと出発。やはり道が細くなる。トンネルを二つ抜けたあたり側道があり交通整備のおじさんがいる。工事で通れませんよ。でも途中までは大丈夫。トンネルの道はつまらないしここから本道を外れた。いい道でこれがむかしの青梅街道、むかし道らしい。渓谷沿いに人もいない。惣岳渓谷というところに来た。「・・太古以来の大洪水と、1742年、1907年に奥多摩一帯を襲った大水害によって、多摩川南岸しだくら谷より押し出した巨岩怪岩が多数。「惣岳の荒」と呼ばれ、静かな森と荒々しい渓谷のコントラストが・・」
・・昔は材木を流す筏下りがあってここらが一番の難所とか。しだくら橋という吊橋もあり、少し渡りかけた怖くて進めない。谷の深さと巨岩怪岩が驚異。

・・こんな山奥の水害。たぶん豪雨によって土砂の部分が流され岩がくずれず残った。その岩の形が奇岩のままの景勝となっているのだろう。自転車の遠乗り。目の前の現実。ぞっとするところまで来たらそこが今日の折り返し地点。目的はほぼ完了となる。これが労働の勝利。帰り道はいつもうれしい。

・・先ほどのトンネルの道にはもどらず帰りはさらに「むかし道」をたどった。入口で全面通行止めの看板があってほぼ無人だが、ぽつりぽつり歩く人に会う。・・白髭神社がここにもある。この神社飯能の方にもいくつも見かけた。石とか岩にゆかりがあるという。せり出し切り立った岩の陰に社がみえる。絶壁にかかったようにいったいどんな功徳ご利益があるのか。気が動顛して何も確かめられないまま写真をとって怱々に退散した。

・・道中、里の方では朝顔がきれいで谷奥ではコスモスがきれい。コスモスのこれはというような咲き誇ったものがあった。写真を撮ろうか撮るまいか道路に下車するのがめんどうで遂に通過してしまった。まだいいのがあるだろうと思ったが、その先それに優るものはなかった。脳裏にしっかり焼きついている。周りの空気とか一期一会の花だからもう同じ花を見ることはないだろう。そうやって印象を残すのも一興か。

・・ 辛崎の松は小町が身の朧

びわ湖畔で詠んだ芭蕉の句。「辛崎の松は花より朧にて」で知られる名句だが、小町という正体不明の美女佳人はびわ湖に化身する。風景のいい山水は奥多摩にもある。不遇の山水と田山花袋はいっていた。たしかにここは奥が暗い。はいっていくには少しの勇気がいる。

491秋魚:2014/10/03(金) 22:20:32
(無題)
・・未知の土地にいくには勇気が要る。旅客機ではじめてパリに行った時の感動はもう二度とない。空港からタクシーに乗って下手なフランス語で話しかけた。運転手はなぜ話しかけるという。深い意図は無い。一言二言はいいだろう。

・・奥多摩にも未知の土地がある。当たり前だが丹波山村まで自転車でいきたい。奥に行けばいくほど道細くサイクリストには余りいい道ではない。先日むかし道を訪ねた時はバイクライダーが4〜5台で編隊を組んで走ってきたりする。大型車もくる。何よりもトンネル。逃げ場がないから怖い。オートバイが爆音をあげて走るとトンネル内に大反響しておそろしいこと限りない。奥多摩のトンネルは歩道も無く車の来ない間に通り抜けるに限る。すこし長いとやはり前か後ろか爆音を聞くことになる。・・自転車で行く前に下調べ。温泉の送迎バスで小菅村にまずいくことにした。

・・この送迎バスこれまでに2回利用させてもらった。最初はもう何がなんだか。奥多摩湖の小河内ダムを見ただけで感動だった。奥多摩湖は人造湖だ。湖底に沈んだ村もある。深い峡谷から一転、竜の姿態で奥多摩湖になる。湖に沿ってまた細い道。トンネルがいくつもある。青梅街道奥多摩駅までは4つあるトンネルもほとんど側道で迂回できる。新白丸トンネルはやや長いがもえぎの湯への道で迂回。ここまでは何度かきた。問題は奥多摩駅から奥多摩湖まで。むかし道というハイキング道路は自転車では一部利用になる。すべて青梅街道だと8つのトンネルがある。前回は2つ目の白髭トンネルを抜けてむかし道に入った。このトンネルもけっこうきつい。ここでむかし道をいくと4つトンネルを迂回できる。最後は山道になりまた街道へでなければならぬ。そして恐怖の中山トンネル。このトンネルの視察が主なる仕事だった。

・・小河内ダムに出る前に2つ長いトンネルがある。長いといっても1キロはない。出口もみえる。ただ狭い上に傾斜がある。一つは中山トンネル。出口がみえぬという情報だったが、よく見える。傾斜も急というほどでもない。歩道がなく有るか無きかの白線があるのみ。自動車バイクの来ないうちに出来るだけ早く抜けるのが最良。この日はハイキング客が数名トンネル内を歩いていた。ここを抜けてさらに大麦代トンネルというやや長いトンネルがある。ネットの情報では、ここはサイクリスト誰もが嫌がるトンネル。トンネル手前を左折してダム沿いの道をとれば回避できる。難関は中山トンネルのみにしたい。むかし道を使うと多摩湖畔まではなんとか出れそうだ。・・バスの運転手に今度自転車で来たいといったら、アブナイヨ無理といった。これは奥多摩の観光案内所でも言われたことだ。

・・ダムの公園で休憩して、ここから細長い湖に沿って青梅街道がある。カーブが多く入り組んでトンネルも5つくらいはあるが、長くは無い。道がせまいのが気がかり。実際走るとなったら黙々と走るのみ。途中鶴の湯温泉郷というのがある。ダムが出来る前は老舗だった。ダムで沈んであとで温泉を再度汲み上げたものらしい。景色がよすぎて道路ばかりが危うい。・・深山橋というところに来た。この橋を渡れば小菅川に沿って小菅方面へ、橋を渡らず直進すれば丹波川となり丹波村にいく。ずっと迂回して進めば柳沢峠にでてここはヒルクライムの上級。さらに下って甲州市にはいる。自分のクロスバイクでは無理だろう。スロープも急になるが、丹波山村まではいきたい。・・きょうは深山橋を渡って小菅村に向かった。

・・送迎バスは9人ほどの客だった。中に3人ほど台湾人らしき客がいる。一人の男性が盛んにデジカメの画像を動かせながら隣の女性に話している。デジカメのメーカーは分からぬがかなりいい色を出す。飛行機から撮ったと思われる富士山の画像がみえた。かれらツーリストであろう。・・こんなマイナーな田舎の温泉の送迎バスをよくぞ調べたものだ。たしかに台湾人。

・・カトリーヌドヌーブの映画「シェルブールの雨傘」「インドシナ」を観た。この女優、同時代のフランスを代表する女優なのがわかる。「シェルブールの雨傘」ではヒロインはジュヌビエーブ17歳にはじまる。ドヌーブも確かに若い。1957年とかそこいらで、わたしのお姉さんの世代の青春だ。片田舎の雨傘や。初恋の純粋な恋愛はまずうまくいかない。そういう理由がよくわかる。徴兵制がフランスにはある。アメリカのプレスリーなんかも徴兵で2年は海軍にいた。アルジェリアに出る恋人のフランソワ。この2年間の別離だけで充分人生の道が示される。ミュージカルだがしんどい映画だ。・・「インドシナ」の映画はもう後年のドヌーブ。できあがった大人の美貌はさすがというか。舞台が東南アジア、植民地時代のベトナムゆえにもっと哀切な人生が描かれる。これもしんどい映画だ。

492秋魚:2014/10/14(火) 01:13:52
(無題)
・・愛のメモリー。映画のタイトルにでもなりそうな自転車の乗り方を試みる。メモリーが濃密である場所というのがある。自分の生まれた家と土地はメモリーに満ちている。母親のいる場所も。家族というメモリーは誰もが知っている。・・今回はそういうものでなく個人的な新しいメモリーを探索する。

・・多摩川の万年橋から青梅街道、青梅坂から小曽木街道にはいり、ずっと黒沢川、成木川を越え山王峠を越えて飯能にぬける道は、もうお手の物。唐竹にて柳井嗣雄アトリエ開放展を観覧する。

・・入間川

493秋魚:2014/11/06(木) 23:39:59
(無題)
・・この二三日急に冷え込んできた。紅葉が一気にすすみそう。もう一週遅らせば奥多摩も盛りの紅葉になるだろう。ま、盛りというのも飽きが来る。今ぞとばかり自転車を走らせた。・・道筋は充分下調べをしておいたし、自転車もブレーキなどよく調整しておいた。遠乗りをしばらくしていない。もうどこにもいけないかと精神が縮むが自ら鼓舞して出かけるのが常だった。大多摩湯めぐりスタンプラリーに乗って奥多摩六つの温泉のうち五つはすでに廻っている。檜原村数馬の湯、秋川渓谷瀬音の湯、日の出つるつる温泉、奥多摩もえぎの湯、多摩源流小菅の湯。・・そして残るひとつがもう一つの源流の村、丹波山村のめこい湯。この日はここにチャレンジ。

・・「井月句集」岩波文庫で出ている。図書館から借りてきたが、新しく入手せねばなるまい。放浪俳人、奇人で名高い。30代後半、信州の伊那谷に突如あらわれたという。今いうホームレスの先駆けか。すごい学識と句作、書の才がある。

・・思い巡らすことが多い。

・・自転車遠乗りと温泉に限る。多摩川万年橋から上流に沿って奥多摩湖まで、そこから丹波川の源流に遡る。青梅街道を大菩薩ルートで山梨北都留郡に入る。丹波山のめこい湯がいい湯という。・・軍畑まではお手の物。裏道は車もなく静かなあきない道だ。紅葉はまだはやい。軍畑から御岳、駅のある奥多摩までもこれは街道を走らねばならぬ。車多くこわい道だがこれもだいぶ馴れてきた。朝6時半に出発。

・・奥多摩駅のあるところまで、ここいらは氷川という。氷川渓谷。氷川神社もある。ここの三本杉は名高い。なぜここが氷川なんだ。きっとおもしろい消息があるにちがいない。ここから以前来たトンネル多い街道とむかし道を選んでなんとか小河内ダムのある奥多摩湖までいかねばならない。最初二つのトンネルは越えねばならぬ。水滴したたるいやなトンネル。車の来ないのを見計らってえいやと進む。二つ目の白鬚トンネルを抜ければとても静かなむかし道がある。ここまでは以前も来た。・・一度来た道は楽なものだ。惣岳渓谷とかやはり景色はいい。朝はやい為か歩行者はいない。ずっといくとむかし道は途切れまた青梅街道に出る。ここで難関の中山トンネル。ここも予習しておいてよかった。やや長いが車さえ来なければこなせるはず。さきほどの白鬚トンネルとどっこいどっこい。うまく抜けた。次の大麦代トンネルも長いが、ここは迂回できる。もう小河内ダムは近い。・・むかし道の紅葉がけっこう決まっている。

・・やあダムに着いた。ひとつ達成。すこし水を飲み、ぶらりとする。これから先は細長い湖岸に沿って街道をくねくね進む。鶴の湯温泉郷といって日帰り温泉もあるらしい。道が細いが車さえ気をつければむしろ快適なサイクリング。景色もよいが、自転車を走らせるのに集中し写真もとりづらい。一度トンネルを出たところで停止し写真をとっていたら次々と車が来てしかもカーブの場所だ。逃げ場もなくあぶない思いをした。なんとか端の深山橋までいく。ここが分かれ目。左に折れれば小菅村、奥多摩周遊道路。右に行けばめざす丹波山村だ。川はそれぞれ小菅川、丹波川となる。

・・深山橋から源流の道へ、ここからがほんとに未知の道。大菩薩ルートというが。ともかく青梅街道ずっといけば丹波山村道の駅を通って柳沢峠、塩山にでるはず。最初は竜の尻尾のような湖に沿った感じだったが、やがて少しずつスロープの角度が増してきた。湖はいつしか川になりずっと眼下に見下ろす渓谷となる。街道の車はぐっと減り、自転車はほどよいヒルクライムの闘いのみ。あわてることもなく足着きもしこれで今日のロングライドは勝ちとみた。・・それにしてもすごい渓谷。むかし道のあたりも目を瞠るものがあったが、ここも紅葉がすすんでいる分絶景の感あり。これほど奥に入ると針葉樹の植林はなされてないのか広葉樹林の山肌はとりどりの紅葉がすばらしい。眺めている五分十分の間にも色彩は変化してる様。・・それにしても丹波山村はまだかなあ。ずいぶんと登って来たが。秘境のキャンプ場という看板がありそのちょっと先が温泉のある丹波のようだ。

・・井月は芭蕉にのめりこんだな。優秀な長岡藩の武士である克三が何ゆえ刀と弓を捨て脱藩と放浪の道を選んだか。放浪以前のことはあまりわかっていない。「野ざらし紀行」「奥の細道」を踏破した形跡がある。最初の大きな動機は「野ざらしの旅」ではないか。芭蕉庵炎上と亡母追善ということなら、たしかに長岡藩は幕末に灰燼に帰すがそれは放浪より後のこと。母親はどうだ。明治元年頃に喪に服するための帰郷があったという。7才の時高田藩榊原家の三男克三が長岡藩井上進之丞の家に養子でむかえられた。養母と実母がいるはずだ。

494秋魚:2014/11/13(木) 22:33:14
(無題)
・・はるばる来たものだ。ここがもうひとつの源流の村丹波山村。左手に見える山々は入っていけるのか。大菩薩嶺はもっと奥だろう。青梅街道もここまで来るともう青梅でないような。平日でライダーは何人か見かけたが意外とサイクリストは出会わない。道の駅丹波山はけっこうな村だ。なにせ温泉がある。この先まだ道がつづく。もうこれ以上は行く気がしない。ほんとに山奥だ。よく来たものだ。村の物産店もある。車とバイクライダーはずっと多い。彼ら柳沢峠までいくのだろうな。きっと。奥多摩湖の外れからこの丹波山村まで、これは抜けている。途中であきらめるなどないことだ。柳沢峠までいけばさらに感慨もひとしおだろう。ここまででいい。今日は。

・・のめこいの湯。たしかに透明でぬるぬるとのめこい。上質な単純硫黄アルアリ泉というのがわかる。湯温ハ44度とかけっこう高い。この硫黄くささはほんのり。本格的な硫黄泉でないのがいい。もっとゆっくりしたかったが、レストランで食事して引き上げにかかった。田舎にしては豊富なメニュー。このところ蕎麦とビールが定番になった。

495秋魚:2014/12/03(水) 00:06:19
(無題)
・・広葉樹の森林はいま最高に色づいている。杉林が大方の山山もこの色彩の変化で植生のあり方がわかる。亡母の納骨で留守にしていた奥多摩の散策をふと思いついた。木曾ではない青梅の御岳山にもう一度サイクリングでアタックすることにした。前回は大岳山をめざしたが、今回は御岳神社の奥の院に行ってみよう。奥の院は少し離れた別の山だ。遠くから見るときれいなピラミッドの尖った山に見える。ここを訪れない手は無い。

・・二日ばかり雨の日がつづき紅葉はもう末期症状。自転車を整備した。ブレーキの効きをよくし音鳴きも微妙に抑えた。・・やっと晴れたのを幸い朝起きを整えて8時に出発。軍畑あたりまでは優に裏道でいける。途中すばらしい紅葉のスポットがあった。紅葉は赤から黄へと変化する。この変化の途中がほんとうは最高にあわれで美しい。今がその時だった。

・・まったく井月には驚かされる。自然居士とかいって長岡には葬られているが、もとよりここに彼の骨はない。伊那谷に小さな美しい墓があるという。山頭火が苦労して訪れたその墓だ。やっとたどり着いて墓に酒をかけたという。・・「井月全集」を読む。よい本だった。今までに読んでゐなければならない本だった、井月の墓は好きだ、書はほんとうにうまい。・・

・・一度憶えた道はほんとうに気楽だ。自転車を気づかって走れる。自転車の整備もうまくなったものだ。ギアチェンもスムーズにいく。ただ吉野街道はダンプが多い。油断していつどんな事故に会うかもわからない。ipodはつけられない。・・前回と同じ。吉野街道を外れてからスロープアップがきつくなる。水なども小さいペットボトルで来たがこれは失敗。夏ほどではないが喉がかわく。ケーブルのある滝本駅まで長いがなんとか堪えた。・・人は夏場ほどではない。ぐっと少ないがそれでもハイキング客はバスでどっと来る。自転車で参道をあがるのは自分くらいなもの。若い連中ならやるだろうが季節はずれの平日はお年寄りのハイカーが多い。・・あとで頂上にいってわかったが、台湾人だか香港人だか集団でやってくる。言葉がわからない。どうも台湾ぽいが。・・例によってトイレの近くに格好の自転車置き場がある。ほんとは違うのだろうけどここは安全。自転車乗りなど自分しかいない。2時間で着いた。売店はみな閉まっている。・・で、どんどん長尾平、大岳山、奥の院の方へ歩く。天狗の腰掛け杉が目印。そこからいよいよ奥の院へ入る。未知の道。ひとつは未踏の冒険がないとわくわくもない。と途中で出会った人が熊の噂をしてくる。熊でも出るんですか?そうこの先で出たらしいですよ。・・もう冬場だから大丈夫でしょう。ハハそれもおもしろい。看板があって11月はじめ月ノ輪熊の親子連れが何度も目撃されたとある。・・むむ笑い事ではない。熊鈴など用意はないし。

・・ところでこの道。ほとんど正体がない。折から落ち葉がいっぱい。今日は風が強い。杉の根が道の踏み石のようでずっといくと岩が多くここいらも奇岩の名所があるという。それに岩場鎖場もある。もう頂上に近いところはかなり切り立っている。さすが。・・橘姫をまつった祠がぽつんとある。あとはほんとうに山伏の歩く一本道のよう、といっても道らしい道はどんどん見えなくなっていく。ここが道だろうというので、ある場所は這っていったり、やっと奥の院らしき祠の下にでた。男具那の祠とかいう。ヤマトタケルのことだ。シンプルな造りでこれはいい。感動!

・・きょうは全国的に空っ風吹くという。山頂近くは木の葉吹雪の舞だ。道を隠して滑るからあぶない。さすが奥の院。そう簡単には近寄れない。月の輪熊には会えなかったが、さもありなん。彼らも巡礼であろう。頂上の風はとくべつ強い。鍋割山、大岳山とつづけて歩く三人組がいた。若い娘さんもいてやはり若いというのはいいものだね。まだまだいろいろチャレンジできる。

・・下山。途中この石は何か線刻があるようにも見える。

・・駒鳥売店でまたビールを飲むことにした。ピークを見極めたから酒に限る。しかし肌寒い。人はあまりいない。それでも団体で来てるのは外人ぽい。あとは引退した年寄りが体力試しで来てもいるようだ。石碑がいくつもある。おもしろいのは普通の私人が大層な費用をかけて碑をつくっている。自分の墓より永続性があるだろうか。・・雨あがりの晴天の日というので、駒鳥売店の見晴らしは抜群だった。関東平野が一望の下、はるかの山並みまで見える。北に雪をかぶった山は日光男体山、東に双頭の山は筑波山。こんな見晴らしよいのはめずらしいという。日光は江戸の鬼門、筑波はヤマトタケル以来御岳に縁がある。筑波ネの道。

496秋魚:2014/12/07(日) 01:28:23
(無題)
・・しかし参った。整備もゆきとどいて自転車は申し分なく快調とみえた。とりわけブレーキの調節はうまくなった。・・チェーンの緩みは仕方ないか。ギアの掛かりに影響しそう。ハヤブサも少し年を食った。が、まだまだ健在そのもの。ようやく自分の体になじんできている。・・これなら井月の墓参で伊那まで行けるか。が、

・・五日市瀬音の湯から帰り道。多摩川のみえる滝山街道。いきなりパーンと音がした。すさまじい。何事か?・・すこし行くと前輪のタイヤが空気漏れ。や、パンクか。・・なにか針のささった感じもない。・・この道を下り切って吉野街道にでればたしか自転車やがあったはず。パンク修理道具一式もってはいるが、冬の戸外で首尾よくやれる自信もなし。ここは自転車やさんに持ち込むことに。・・自転車だと楽にいけるのにパンクで歩くのは悲惨だね。・・しかし不思議なパンク。あとで調べてわかったのだが、これはバーストという破裂パンクだった。どうも空気圧過剰が悪かったようだ。

・・てくてくやっとのことで自転車やに着いた。と思いきやすばらしいスポーツサイクルの専門店。中にいたおじさん、いきなり修理はできません。うちで買った自転車しかみないそうだ。昼飯も食べずやっている。申し訳ないけど。・・頼んだがダメ。とはいうもののこれくらいの修理はみな自分でやるものらしい。自転車乗りの常識だったかも。あきらめてとりあえず空気をいれてみた。すぐには抜けない。ケイタイ空気入れがはじめて役に立った。家に帰るまで3度ほど空気を入れてなんとか家までもどった。

・・これはひさしぶりにパンク直しのいい機会。まだ前輪でよかった。

・・バーストと気づくまで時間がかかった。まず前輪を外してチューブ交換にかかる。ひさしく前輪も外していない。Vブレーキを解除してクイックレリーズをゆるめる。右左どちらかを時計反対まわりにまわすのが忘れている。適当にまわして車輪は外れる。これも後で分かったことだがレリーズを2度回したなら同じようにもどさないと前輪のセンターがずれる。これは重要。・・さらにレバーを使ってタイヤを外しチューブを取り出さねばならない。タイヤは片側だけ外せばチューブは取り出せる。こういうささいな手順が馴れてない。何度か失敗しながら上達するしかない。タイヤ外しのレバーの使い方もいまひとつうまくない。外すのはいいが、ほんとうに油断がならないのはチューブの装填だ。ねじれがないように空気をすこし入れて取り付ける。以前ママチャリのパンクはかなりいい加減にやった。リムにチューブがからんでいたり。・・あれこれ苦労してなんとか新しいチューブで復旧させる。パンクのチューブはパッチを貼って再度使用可能なようにする。が、これもパンクの穴の位置がむずかしい。ほんとに小さな穴があいていた。これはバーストとは違う。

・・親兄弟と同じで使いなれた自転車もいつまで丈夫かなどもわからない。絶対の信頼を置いてた自転車だが。パンクほどでうろたえてはいけない。実際ロードレーサーなどパンクバーストの記事はよくみる。応急処理の仕方もある。私のバースト、チューブに針刺しのパンクがあり空気圧が過剰になっていたためすぐ近くのタイヤ本体を直撃したか。裂けはさほどではない。溝にそって1cmほど。タイヤの内側をみても穴はなし。繊維状の膜を透過して一気に空気噴出したか。外側には繊維状のものが少し露出していた。最初はただのゴミかと思ったほど。やはり、バースト・・

・・しかし、この日はこれがハプニングではない。これぐらいのパンクはいつでも起こりうる。自分が怠惰なだけだ。・・おもしろいのは帰りに寄った五日市郷土館。このあたり大昔のゾウやウミユリ、サンゴの化石がとれる。ずっと昔は海だった。そんな昔のことではない。鎌倉から江戸の時代、伊奈石という石をとる石工がいた。郷土館の庭に置かれてある。信州伊那谷の石工がここいらで切り出した石だという。江戸城などもこの石を運んだとか。・・伊那谷をさすらった俳人井月は越後からたしかに江戸に出ている。昌平坂学問所に通ったかどうかはわからぬ。「野ざらし紀行」「奥の細道」の起点となった江戸はなんとしても出てみなければならない。痕跡がないが、江戸のどこにいたのか。深川の芭蕉庵には訪れてはいただろう。思うに一時期人目にふれぬ土地を選んだのではないか。芭蕉が芭蕉庵炎上ののち甲州の都留に身を潜めたようにおそらく江戸の西方、日野など甲州街道沿いは近藤勇、土方歳三など新撰組が幅を利かせていたはずだから、そこではない。多摩川を遡って青梅というのもどんなものか。多摩川を外れた秋川、五日市が格好の居場所ではなかったか。伊奈という土地がある。千代鶴の中村酒造も秋川だ。後年、伊那に三十年さすらうのはここの伊奈石工のネットワークに乗ったのではなかろうか。五日市と伊那。・・井月の匂い。

・・自分で修理した自転車を試し乗り。チューブ交換と前輪の着脱。復旧の時車輪がセンターに来るようにレバーのもどしは注意がいる。裂けたタイヤは裏にクリアファイルをあてた。外の裂け目にはボンドを塗りこんだ。これしきでタイヤ交換はない。しかし細部で調節がむずかしい。修理しておかしなことにならなえればよい。・・試し乗りは昭島のはま寿司まで。これは成功だった。

・・パンクチューブにパッチを貼ったがどうも空気が抜ける。穴の位置を間違えたか。そうではなく糊づけが甘く隙間から空気漏れするようだった。すこし剥がしてもう一度糊をつける。こんなやり方はないが空気漏れが止まればよい。これはなんとかうまくいった。・・自転車やに頼まずに自分でやってだいぶ勉強になった。しかしパンク修理もむずかしいものだ。

497秋魚:2014/12/30(火) 01:04:56
(無題)
・・自転車の遠乗りもパンク経験のあとでは恐くなった。クロスバイクに続いてママチャリもパンクになった。修理備品を使っていい勉強をした。備品もこのまま未使用だと劣化するばかりかと思われ漸く役に立つ時が来た。穴をふさいでその後空気漏れがないからなんとか成功した。クロスバイクはチューブ交換して、穴の開いた方はパッチ貼りして今度は予備にまわす。遠乗りはチューブ交換だけでいけるが、自分はまだうまくない。冬場の山の中とかならやってられない。しかし自分でやるしかないだろう。後輪とかパンクしたらかなりめんどうだ。夜間の遠乗りとかは考え物だ。

・・そうはいうものの修理調整した具合をみるために調布仙川までライドを試みる。アートイベントの案内があった。クリストファー遥盟尺八+木村由ダンスといういずれも初見。青梅から国立まで多摩川CRを走ってそこから谷保天満宮あたり甲州街道にはいる。この道はあまりよくない。側道というのもあまりない。とはいえ走り慣れた道だ。ただし仙川は遠い。かつて一度走ったことがある。・・途中まで自転車、半分は電車というのも考えたが、めんどうこのうえない。一直線でライドする。冬場だし体力もどうか。

・・多摩川の土提など快適であちこち護岸工事がすすんでる。町を洪水から守るためにとかいうが、これって上流がダムとか決壊するとかいうのか。奥多摩のダムのコンクリートなども何十年もたてば劣化するだろうしああいうのはどうやって補強するのだろう。永久に固いわけでもあるまい。・・谷保まで2時間、あと仙川まで90分でいけるだろう。途中府中の熊野神社に遭遇。古い古墳がある。全国でもめずらしい上円下方墳といい全体が敷石で蔽われている。それを復元して考古博物館もある。おもわぬ風景で立ち寄ってみた。・・円墳、方墳、前方後円墳にはじまり前方後方墳、双方中円墳、帆立貝式前方後円墳、双円墳、八角形墳とつづき、終末期にあらわれる上円下方墳は7世紀頃のもの。府中に国府が置かれる直前のもののようだ。ガラス玉、鞘尻金具、環金具、釘が出土され、鞘尻金具には七曜文が刻まれていた。

・・七曜文は、陰陽五行思想の木火土金水と日月の七曜を表した古代中国の考えをもとにしてできた文様。六角形とその中心にも見える。

498秋魚:2015/01/02(金) 20:09:17
(無題)
・・寒波襲来。自転車のライドは呼吸器系と脚力のピストン運動は万全だが、どうにも活動しない部分もある。外気に当たる顔や手などは恐ろしく冷たくなる。過度にライドすると手足が自分のもののようで無い様になる。凍傷というところまではいかない。これは年齢のためもあるかもしれない。脳はしっかりしている。末端に血が通わなくなるか。

499秋魚:2015/02/10(火) 01:15:40
(無題)
・・青梅にある二つの芭蕉塚。ひとつは、瀑布山常保寺。もうひとつは、塩船観音寺の裏手にある真浄寺。中継となる二つのパワースポットには最近気がついたばかりだ。

・・まず、瀑布山常保寺。畑中ー大柳を結ぶ万年橋を越えて青梅美術館の斜向かいにある臨済宗建長寺派の寺。十一世住職は小蓑庵支兀。(1738−1811)




玉川
467 夕士峰も朝不尽も見てさらし搗

武の玉川に遊て
113 徐に柳のかぜや小鮎くみ


歳旦
朝霞未だ立あえぬ不盡が根に匂ひそめたる初旭影かな
「不盡」を「駒」と書けるもあり よし貞

述懐
今は世に拾ふ人なき落栗のくちはてよとや雨のふるらん
よし貞

塩原梅関方へ入籍して
落栗の座を定めるや窪たまり


旅人の我も数なり花ざかり    井月
旅人と我名よばれん初しぐれ   芭蕉

この花と時雨をいっしょにした、「花しぐれ」は花盛りの頃さーっと冷たい雨がやってくるという春の季語だそうです。「しぐれ桜」というのは、イメージの類似で「枝垂れ桜」のことのようです。

さくら花梢のしづくおつるより幾世しぐれの名にやふりけむ

従一位資枝

真浄寺は、先日の東青梅から30分ほど西北に歩いた山の辺にあります。塩船観音寺の裏あたりですか。

日野資枝の歌は、花の梢よりしづくがぽたりと落ちるという、エロチックな瞬時のイメージを、「幾世しぐれ」という時の襲(かさね)に昇華したよい歌と思えます。
芭蕉百年忌(1793年)の頃には、石碑はできていた様ですから、井月が江戸にいた頃は、翁塚に詣でる折、この歌もみたのではないかと。

500秋魚:2015/02/24(火) 01:34:35
(無題)
・・あきるのの武蔵五日市。ここにも翁塚がある。むろん芭蕉塚だ。多摩の地にある古い翁塚は三つある。青梅に二つ。五日市に一つ。芭蕉の供養塔だから俳句の刻まれてないものもある。いわゆる句碑とは区別される。芭蕉がそこに立ち寄ったというのでもない。芭蕉の正風を慕うものが一心に碑を建てた。芭蕉の命日などはここに集ったはずだ。五日市のものは開光院という臨済の寺にある。
・・この日は思い立ったが吉日、冬ばれの日、五日市まで自転車を走らせた。例によって、吉野街道から日の出に抜ける山沿いの道は、なんとも殺伐として、自動車が我が物顔にやってくる。ダンプが来るとまず接触がこわい。停止しては、何度も車の群れをやりすごす。おまけに、だんだらのひどい長い坂道になっている。明星大学などもあるが、砕石場、老人ホーム、斎場、スクラップ処理場とか、気の重くなる街道だ。いつもここは走りたくないと思うが、隣町の温泉にいくためにはいた仕方ない道だ。何度か走ってすこしは馴れてきたか。土曜日の昼前をねらう。食事時で車もすこし少なめだ。サイクリストにはぽちぽち出会う。みんないい自転車に乗っていい格好でいるな。けっこうな年寄りも多いが、だんぜん若者はさっそうとして同じサイクリストとして出会うのはほんとに嬉しいものだ。・・上りのスロープは最近無理しないことにしている。足つきでいく。が、今回冬場でしばらく家で垂れ込めたりすると、体調が狂う。気は元気だが、体が外気や運動になじまない。思い切り一汗かくといいのだが、なかなかですね。年のせいかも。集団でハイキングの人たちもいる。街道を外れてまたハイキングの道があるらしい。

翁 塚  武州玉河里五日市村   山市亭梅志建之

玉川塚  武州多磨郡青梅瀧之岡   小簑菴連中建

芭蕉翁霊塚  武藏國杣保内谷村真浄寺門前ニ時雨櫻二樹有リ日野故一位殿御歌有
???????????? ○其櫻ノ陰ニ芭蕉塚ヲ立依之時雨塚ト云又百年忌ニ此塚築故号百年塚

??????????  時雨菴嘯谷 并燕巣連中

・・瀬音の湯。五日市の駅まで来てしまえば、あとはお手の物。檜原街道はさほどこわくはない。最初はひどくいやな街道に思えたものだが。たしかに道ほそく大型車も時折やってくる。こちらの山道にも馴れたものだ。が、油断はならない。温泉までは、慎重に。
・・いつ来ても、ここの泉質は抜群。アルカリ性単純泉。ペーハーも最上位。いま日本の温泉は大流行ですね。大江戸温泉物語が、外国のファンドに買収されるとか。極楽湯が上海に進出。二号店もでき、これからどんどんチェーンを展開するそうだ。評判はきわめて良好。中国人とくいのパクリもうまくいかないでしょう。温泉は。

・・さて、開光院。臨済宗建長寺派の寺院。駅からほど遠からぬ金比羅山の麓にある。檜原街道を外れ五日市郷土館の横をとおり、一度人に尋ねたが、見晴らしのいい高台にあった。あるある山門の前の広場に翁塚の石碑がある。立派なもので石の種はよくわからぬが、翁塚の文字はしっかり彫られている。寛政年間(1789年〜)の建造ではないかというが、意外と石も新しく見えるのは、昭和に入って再建されたのかもしれない。芭蕉百年忌(1794年)が、最初の建立というのがありえそうだ。山市亭梅志は小石川白山の俳人玄武坊に師事したという。この玄武坊は、芭蕉の門人各務支考の弟子という。深川臨川寺に石碑を建てた。ここと京都の双林寺がつながっているようだ。

・・山市亭梅志は、酒屋を営んでいた。1828年文政11年に没しているから、井月が江戸に出た頃は、会うことはなかっただろう。しかし酒屋は息子が継いでいたであろうし、俳句も詠んでいたかもしれぬ。開光寺の住職さんにも訪ねたかもしれぬ。井月はここにも必ずやってきているはずだ。

501秋魚:2015/03/21(土) 02:52:13
(無題)
・・玉川というのは、全国にいくつもあるらしい。六玉川といえばその代表六つの玉川。武玉川というなら、武蔵の玉川で今の多摩川になる。
・・芭蕉の幻住庵に入った頃の門弟で、各務支考という者がいる。江戸の臨川寺というお寺に墨直しの碑というものがあり、この碑は支考の弟子玄武坊と申す者が建てたものだが、碑文は、京都の双林寺にある芭蕉碑を写したものだ。で、その芭蕉碑は支考が建てその文も支考のものだ。双林寺の碑もなにやら墨直しの秘儀がなされていたらしい。墨直しとは、石に彫られた文字にたぶん一年ごとに墨を入れなおすことのようだ。
・・碑文自体とても興味深いものだが、因みに、双林寺の碑文にあって臨川寺の碑文に欠落している部分を抜書きしてみる。

>・・

あづさ弓 武さしの国の 名にしあふ 世に墨染の 先にたつ

人にあらずに ありし世の 言の葉はみな 声ありて その玉川の

みなかみの 水のこころぞ 汲てしる 六すじ五すじ たてよこに

流れてすえば ふか川や この世を露の おきてねて その陰たのむ

その葉だに いつ秋風の やぶりけむ その名ばかりに とささをきぬ

春をかがみの 人も見ぬ 身を難波津の 花とさく はなの鏡に

夢ぞ覚(さめ)ぬる


・・<裏面>

 維石不言(このいしいわず)  謎文以伝(なぞぶんもってつたふ


・・武さしの国の芭蕉庵をいうから、臨川寺にはこの文を省いたのだろうか。支考は、謎文以伝(なぞぶんもってつたふ)とは、謎かけするほど深川芭蕉庵に入れ込んでいたのだろうか。世に墨染の 先にたつ 人にあらずに とは、墨染とはよくいったものだ。墨田川、の川の墨流れ、碑の墨直し、庵の住み直し、すみ吉という信仰まである。・・玉川の玉は、天の安の河の玉ふぶき?本来は単独の玉ではあるまい。玉響の玉流れ、川なのか?・・六すじ五すじ たてよこに ・・これを条理というのだろう。

・・芭蕉庵の隣する隅田川。これを上流にたどれば荒川、入間川、支流を西にたどりさらに遡れば、成木川にはいるともう青梅になる。・成木川の水源がわかれて多摩川にもそそげば、隅田川と多摩川は水脈を同じくするはずだ。が、成木川の水源は飯能に近い黒山にある。入間川と多摩川は分水嶺でへだてられている。・・成木川を支流をみつけてさらに追う。・・黒沢川、北小曽木川。・・この黒沢川こそ多摩川にもっとも近い。岩蔵温泉郷を通る川だ。ヤマトタケルの湯浴みした水は、たしかに隅田川までとどいたにちがいない。・・北小曽木川。これは未知の川。これを追うと青梅丘陵のもっとも奥の雷電山に水源があるという。この山こそ入間川、多摩川の分水嶺か。

502秋魚:2015/03/25(水) 21:51:52
(無題)
・・わが祖父の彫り遺した聖徳太子の木像。子どもの頃から見ているが、祖父の死に目は見ていない。無名の彫刻家と伝えられたが、その輪郭すらもつかめない。親が子どもに語り伝える意志もゆとりもなかったか。遺品がいくつかある。聖徳太子の木像。大黒様の木像。これは大きなものがひとつと細かい18の木像がある。ほかにも日本刀とか彫金の作品も見た覚えがあるが、もう手元にはない。

・・この中で、入神の気品をもっているのは、太子像。なぜならお触書がすごい。

 皇太子之御尊体用材千三百年前ノ建築古材 御台八百六七十年前之古材也

・・太子の千三百年祭にあわせて金堂のお手直しがあった。大正十年に古材を施与され、大正十三年には開眼供養を奉られた。大正十二年(1922年)が太子千三百年祭であろう。

503秋魚:2015/03/29(日) 00:47:35
(無題)
・・昔の記憶を探ると、まあ、浦島さんですね。一息に爺さんになるような。だれもが自分の玉手箱を持っているに違いない。・・さてさて自分の玉手箱はまだ隠されている。

・・北小曽木川の水源は雷電山にあるという。青梅丘陵ハイキングコースの西端にこの山は位置する。494m

・・きょうは、ここ目標で、徒歩ハイキングにでた。体のリズムがいまひとつ。温かになってきたし、こういうときは山歩きに限る。朝早くでるつもりが、睡眠のとり方に失敗して、昼近くになってしまった。体調をくずすよりは、ましであろう。・・自転車で、日向和田の駅まで。この道もほんとに楽になった。庭のようなものだ。駅に自転車を置いて、サジ氏から聞いていたように、青梅街道を二百mほど直進。右手に折れて踏み切りをわたりすこしいって畑に水をまいてる人にたずねた。もう少しですよ。といって、今度は小さな階段道がある。青梅丘陵ハイキングコースへ。・・去年は青梅駅の近くから日向和田まで歩いたから、今年はそのつづきになる。丘陵の尾根つたいにあるこの道に出るまで、急傾斜をのぼらねばならない。出る前の装備はやはり失敗。まだ山の中は寒かろうと思ってマフラーとかセーターとか厚着をした。坂道をのぼって体力はまあまあこれくらいは堪えられる。冬場のあいだ部屋にいること多いとどうも妄想のとりこになるようだ。ちょっとした自転車乗りでは、チェンジがない。・・山歩きはいい。この目論見だけは当たった。・・しかしすぐに暑くなった。マフラーもセーターも外すはめになる。ハイカーによく会う。もうすぐトレイルランのコースになってるからか、歩いてなく走ってる人が多い。さすが人気のハイキングコース。こういうのも思い立ってやってくるまで、気が重いのは自分の性分かもしれぬ。特に山歩きは一大決心に近い。が、歩いてみると実際おどろきありのいいものだよ。

・・山歩きは、言葉をわすれる。出会う人には、こんにちわ、が礼儀。しかし言葉ほど無用のものはない。水と栄養バーだけは、よかった。出かける前は、水なども邪魔な気がしたが、これは大変な間違い。どれほど貴重か。水は。

・・大きな木がある。町ではあまり見ない。葉の形状をさぐるが、かなり上のほうだ。常緑樹。杉、檜ではない、柘植か。・・わからない。

・・このハイキングコース、市民に親しまれているという。なぜか見ているだけで、実際チャレンジするのは、気遅れる。入口というのもいくつかある。青梅坂のあたりから登ろうとしたが、ここにはないらしい。宮ノ平、日向和田、石神前、この駅の近くから入口の道がある。チャレンジしてみれば簡単至極。森林浴の中にはいって、空気も一変。・・みなハイキングのいい格好をしている。やはり自分はシロウトか。靴はスニーカーの底が擦り切れつつあるヤツ。履きつぶすつもりで使った。一度とがった石を踏んで痛かったが、大丈夫、最後まで持った。服装が失敗ですね。ジャンパーはもっと薄くてよかった。・・ともかく一度尾根沿いのコースに出れば、左右の傾斜と景色をみながら、木々の道を歩けばいい。まったく別世界。

・・辛垣山というのがあり、この山頂に戦国末期、三田氏の城があったという。八王子の北条氏に攻められて、天然の要崖に立て篭もった。しかしこんな山まで戦場になったというのは、どうもうなづけない。領地の分捕り合戦は深秘の森をも蹂躙するか。もっと昔平安末期の頃、平将門はやはりこの山中をうろうろ徘徊したというから、また、ヤマトタケルも歩いている。・・ここから奥多摩は渓谷がどんどん深くなる。列島の地層の最も古いものは、ここにもあって、その上で湧き出る水は、温泉にもなる。岩盤がしっかりしてるから、地震はこわくない。・・ただ、石灰をとったり、チャートの山を砕いて石を取るのが、悪い習慣。明治以降東京の近代化は、ここいらの山をつぶしながらの都市つくりだろうか。・・右に展望がひらけて成木町から飯能、入間、ずっと関東平野が見はらかせ、雨上がりのよい日には、日光男体山もみえるという。もっと手前には、山肌を白く見せた、砕石場があるから、あまりいい気分でもない。

504秋魚:2015/04/02(木) 02:30:28
(無題)
・・旅をしなくなってひさしい。というか、かなりせまい地域でさすらいは続けている。大きな旅はないが、小さな旅は茶飯だ。それも蟻の散歩のような。・・だが、蟻は散歩なんてするのかな?

・・パリには長くいっていない。もう行くことはないかも。かわりにパリが舞台の映画をみている。もろPARISという題の映画と「パリは霧にぬれて」という映画。「巴里のアメリカ人」なんてのもおもしろかったが。・・「パリは霧にぬれて」はルネクレマン監督で米女優フェイダナウェイがヒロインで出演。なんとも演歌な邦題だが、DEADLY TRAPが英語の題、la maison sous les abres(木々の中の家)がフランス語の題。フェイダナウェイといえば、わが青春の頃「俺たちに明日はない」が鮮烈だった。原題は「ボニー&クライド」。過激な女優にあこがれたものだ。「タワーリングインフェルノ」「チャイナタウン」・・それほど追っかけをやった訳ではない。「チャイナタウン」はパリで観たか。・・今回の「パリは霧にぬれて」はDVDで観たが、なんとアメリカ人が夫婦子ども連れでパリに逃れてくる。だから、英語が主体ではないか。ルネクレマンがフェイダナウェイをパリに呼んで選んだということだろう。女優のそのままの性格で監督は選ぶものらしい。「チャイナタウン」はポランスキーだったと思うが、やはりしんどい環境に女優をひきずりこんでいる。ひきずりこむではなく、deplacementという配置替え、ずらしか。思い切り転移でしょう。この「パリは霧にぬれて」もそういうdeplacement、転移が読み取れる。地がフランスで図が英語圏。人物は多少神経症をわずらっている。子どもはバイリンガルを試されるゆえ余計神経過敏でしょうね。「禁じられた遊び」のさすがルネクレマン。子どもの描き方はうまい。

・・女優はいいかげん自分の演技を出し尽くすというまでがんばるものではないか。フェイダナウェイの追っかけは今はあまりやりたくない。学生の頃はメリルストリープを少し追っていた。彼女ももうあまり思い出せない。思い出したくもないか。・・今でも衝撃で残っているのは「タクシードライバー」と「羊たちの沈黙」のジョディフォスター。「ハンニバル」まで。この三本で、追っかけの秘密がわかりそう。・・あとはハンニバル以上になれないので追っかけは停止です。

・・ところでPARISという映画はどんなものかも調べてないが、ナイスだった。パリという都市の中で生きるということ。たぶん個人の人格なんてのもあまり意味がない。男女の恋愛の希求なんかもみんなよくわかっている。思うようにいかない分、自由にひらけたものがある。心臓病であす命がないとしても、パリはいい町かもしれない。理解する人ひとりはいる。暮らしつらそうではあるが。でもこれは現代に一番近いパリですね。・・自転車が流行ってるはずだが。

505秋魚:2015/04/02(木) 20:41:51
(無題)
・・花の季節。かねてより時雨桜の咲く真浄寺を訪ねる。東青梅成木街道入口から途中右に一本ずれていく。これを真直ぐいっても塩船の方にはいかない。もう一度右に折れる道をとるべきだった。そこをスルーしてさらにいくと小曽木街道にでてしまう。このまま岩蔵までいくとかなりな大回り。すこし手前の道で霞丘陵の山を越える道を選んだ。土地の人に道を聞くと、自転車でいけないことはないが、ちょっとした難路になるという。いけないことはないに、勇気を得て、そのまま山越えにいどんだ。いま来た道をひきかえすのも癪だった。時間はたっぷりある。が、これは大変な道になった。

・・すぐに舗装のない山道になる。自転車はひいて歩く。徒歩で行くハイキングコースだという。丘陵上部にゴルフ場があってその中を突っ切っていくらしい。ともかく最初の山を登りきることだ。花の咲く道を行く。・・十分くらいの登りならたいしたことはない。今までどれくらいの難路を走ったことか。・・この山越え最終的に失敗したのであるが、上のほうにいっていくつかの分岐道に間違いがあった。道をたずねる人もいない。ほんとにハイキングコースなのかと危ぶむ。たしかにゴルフ場の空き地にはでた。そこから下りになるという。ずっといくと舗装の道にでるが、ここを右にとっておそらく失敗。いくつかほとんど人をみないが工事現場のようなもの。この辺では砕石場しか思い当たらない。・・ずっといってやはり駄目ですね。もとの小曽木へ向かう道にでてしまった。なんとしても山越えをというごり押しはせず、また土地の人に道を聞いて、一端町の方へもどり塩船への走りを選んだ。この辺は何度か来ているので迷うことはない。らくらくと塩船、その向こうの谷野のお寺に向かった。

・・しぐれ桜のこの寺が、どんなに重いかは、これからの課題。真言宗豊山派。青梅の常保寺の臨済宗建長寺派とは一線を画す。われわれ一般からみると同じお寺だが宗派の違いは、各和尚にとって神経質なものらしい。その寺の門をくぐったら他宗の話はしないことだ。さて、桜の花はあちこち咲いている。いぜん寄ったときより、華やかさを増して、しかし清楚な風は、変わらない。ひととおり周って、今回は、住職さんを訪ねた。常保寺、五日市の開光院でも住職さんにお会いできている。突然失礼なことだが、インタフォンを押した。静かな住まいで、特に行事がなければよく話し相手になってくれる。いろいろ調べものをしています。江戸時代の浄月和尚のこと、しぐれ桜のこと。・・でてきた和尚はわかい副住職さんということだった。世代交代でこのお寺のこと古い歴史とかあまりしらないという。古文書もあって、今にも崩れそうな本。まだ整理できてません。ようやっと、資料をまとめて冊子をつくろうかというところ。・・つくりかけの資料はありませんか?どんなものでも。・・おたがいツギハギだらけの情報でそれでも向学心だけは旺盛で意気投合。なんとも涙、なみだの訪問になった。

506秋魚:2015/04/03(金) 23:59:36
(無題)
・・命みじかし、恋せよ乙女

・・さくら さくら  ・・幽雅に咲かせ 墨染の

507秋魚:2015/04/04(土) 23:39:06
(無題)
>・・圓生の「お血脈」は実に面白かった。マクラに弁慶の叡山修行があり、続いてお釈迦さまの話がある。天竺から閻浮檀金という一寸八分の仏体が来日。それを仏敵、守屋大臣が
難波・堀江の池(後に阿弥陀池と呼ばれる)へ捨ててしまう。その後、本多善光がこのみ仏を信州へお連れする。こうして善光寺が出来る。善光寺には、「お血脈の御印」というものがある。これをいただくと、どんな悪人でも罪障消滅して極楽往生ができるという。方々から悪人が集まってこの御印をいただいたため、どんどん極楽へ行く。地獄へ行くものがなくなったので、閻魔大王は困り、会議の末、「お血脈の御印」を盗ませることにあいなった。人選にかかり、熊坂長範、袴垂保輔から鼠小僧にまで候補にあがったが、結局石川五右衛門が選ばれて善光寺へ参って、首尾よく「お血脈の御印」を盗みだした。そこで南禅寺楼門よろしく、「ありがてえ、かたじけねえ、まんまと善光寺の奥殿へしのび入り、奪えとったるお血脈の御印、これせえあれば大願成就」とかたじけなしとの科白と芝居掛った大見えを切って捧いたら、そのまま極楽へと行っちまった・・。

・・カツゾーは、江戸で寄席にも通っていた。噺家が落語をすらすら語れるように、彼も、幻住庵の記をすらすら語るすべを覚えた。

・・「お血脈」は、なぜか強くカツゾーの心を揺さぶった。善光寺というものを、強く意識しはじめたのは、この時かもしれない。

508秋魚:2015/04/07(火) 18:17:25
(無題)
・・自転車に空気をいれたら、前輪の一部が膨れてきた。昨年末バーストしたタイヤの修繕が失敗してるのがわかった。チューブは交換すればよい。タイヤのバースト部分はクリアファイルを切って両面テープで裏から貼り付ける。これが最良の方法。・・手元にあった両面テープで張ってみたが、どうもうまく張り付かない。それでも強引に当てた修繕だったが、ファイルが滑ってキズを塞がなかったようだ。あれから何度か遠乗りもしたが、よくパンクせずもったものだ。・・再修繕しなければならない。タイヤ外しもまだ馴れていない。今度は強力な両面テープを買って用意した。このテープ選びも迷いに迷った。ゴムには着かないものが多い。木、ガラス、プラスチックに有効というのを選んだ。タイヤをどう捉えたらよいのか。表はゴムだが裏は布状のゴムか(?)布に有効というのもあったが。・・前輪を外し、キズのある部分あたりだけチューブを引き出した。タイヤのリムからの外し方は今回スムーズにいった。やはりクリアファイルがずれていましたね。これではダメです。このファイルはそのまま再利用。実際両面テープを使うと、やけに分厚い。これがまた心配の種になった。ともかく、装着しチューブとタイヤをもとにもどし空気を入れてみた。お、今度はいいか。タイヤの脹らみは消えた。

・・仏子アミーゴのアート祭りにでかけた。
小曽木街道から、県道は165かな?ここに折れてまっすぐ。すぐに岩井堂観音がある。成木川と入間川の合流する淵あたり。切り立った岩場。ここの大きな岩の上からは、富士が見えるという。いつもまったく人影がない。ここの観音像はなんと継体天皇の時に奉られたらしい。一度川淵まで下りたが、湧き水のある沢とか、竜宮の洞があるとか、ともかく深秘このうえない。こわいくらいだ。・・さてここを過ぎて、安須。万葉の東歌があった。駿河台大学がこんなところにあって、川までの敷地が桜満開の公園になっている。ここも過ぎて、仏子は近い。車はさほど多くはないが、スピードははやい。後ろからくるのには気をつけねば。・・しかし馴れた物だ。修羅場をいくつくぐってきたか。

・・会場は、近くの子ども連れがいっぱい。個々の子どもを見ると、贔屓しそうで、何人かまとめてみる。あるいは、大人を見る。若い人もいますね。女性は若いとみな美人にみえる。若くなくても写真にとると美人にみえる。・・桜の木の下で、野外演奏会があった。フルート、チェロ、キーボード。プロの方たちのようで、大サービス。・・moon riverなんて、どうも定番のようです。さくら、さくら、とか。思い切り音階を高めるのは、演歌のこぶしの様で、音楽のことはよくわからないけど、なぜかせつなくなるのは、どこにいても変わらない。ただの抑揚の問題かしら?・・永遠の、なんとか。

509秋魚:2015/04/12(日) 16:01:08
(無題)
・・春なのに雪が降ったり、花冷えの日がつづく。きょうは晴れるでしょう。高尾まで自転車を走らせ、多摩森林科学園を訪ねることにした。250種、1500本の桜の木があるという。ソメイヨシノはもう散っているだろう。これからの桜もあるだろう。

・・高尾まで一度試みている。あまり走りたくない道だ。戦国時代青梅の三田氏が八王子の北条氏に攻め込まれたという街道だ。秋川にでるに何度か走っている。千代鶴の酒蔵がある。この滝山街道をどこまでもいけばいいものと記憶違いしていた。秋川を渡り、サマーランドが見える。戸吹トンネルを抜けて最初の十字路で右折が正解だったが、迂闊にも直進してしまった。前回の記憶とどうもおかしい。・・あるていど進んでついに人に道を尋ねた。困った時は見境なくヘルプする。実はひそかに人相はたしかめている。若い女性にたずねたがよく知りませんということだった。次に、家の前で車の手入れしてた人。おじさんで恐そうだったが、尋ねてみると、懇切丁寧な応対だった。まあ、地理をよく知ってる人ですね。同じ道をもどるの癪だからちょいと遠回りだがここを右折、右折を繰り返し、高尾街道にでる道をとった。滝山街道では、約十キロほど余計になるそうだ。道自体はわるくない。もうひとつ秋川街道にぶつかる。この街道をつかう手もあるのか。ともかく高尾街道にでることだ。何回か人にたずねてやっと街道にでた。ここまで来ればあとは直進するのみ。景色も見覚えがある。・・道を間違えたが、二度目はほんとに楽だ。・・JR高尾の駅に着く前に、森林科学園の入口にぶつかった。ハイキング姿の人が行列で歩いている。駐車場は無いということだったが、駐輪場はわずかにある。朝八時にでて二時間ほどで着いた。自転車バーストの再修理して試し乗りというのもあった。実はこれは完璧だった。あれくらいのバーストでタイヤ交換はないだろう。高尾までももう恐くない。自転車を置いて入園チケットを買った。4百yen。

・・多摩森林科学園。桜保存林だけで8ヘクタールあるという。ほかにいろいろ樹木が。昆虫、野鳥、動物もいる。めずらしい木があって今回は眺めるだけ。桜も250種あっても、照合はほどほどに。頭を疲れさせたくなかった。桜が、わっと咲くの、実はあまり好きでない。花の出会いが陳腐だ。思わぬ出会いというのがいつもいい。人もだが。・・ともかくこの桜園は多くの人とまわることにした。みないいカメラをもっている。ゆったりと。わたしは少しせっかちに。皆弁当持参。さらっとまわって、京王高尾の駅までいくことにした。

・・実は、きょうは、気分がいい。井月編「俳諧三部集」という本が手に入った。「越後獅子」「家づと集」「余波の水くき」。こういっても知らない人がほとんどだろう。こういうのライフワークというのでしょうね。涙がでる。

・・京王高尾山口。休日だけあって、人の出が多い。森林園は、お年寄りが多かった。歩くのかなり大変なはずだが。でも、あれくらい歩けなくてはね。・・高尾山は、どうだろう。ミシュランの評価で星三つとか。外人がけっこう出てる。よく地方から東京に出てる人で、高尾山も登ったことない人いるが、どうでしょう。富士山に登らなくても、高尾山くらいは登るものだと思うが。高尾の横、甲州街道をいくサイクリストが多い。国立にいた時はここをめざして自分も何度かきた。神奈川にぬける大垂水峠というのがある。相模湖にでて藤野、上の原、猿橋、大月。・・都留にゆくのが目標だった。ヒルクライムは初級らしかった。青梅から高尾にきて、大垂水峠を越える気はあまりしない。まあ、高尾には楽勝で来れそうですね。・・紅葉やという蕎麦屋にはいって、天ぷら蕎麦とビールをとった。いやー、人が多い。

510秋魚:2015/04/13(月) 20:44:11
(無題)
・・「越後獅子」にのる江戸の俳人。何人かは調べがつく。日本橋とか江戸街中で職を得ているものが多い。井月が江戸にでてるとして、芭蕉ゆかりの場所はすべて訪ねているだろう。芭蕉庵周辺、臨川寺はきっとだが、痕跡はない。江戸の周辺から顔をだしてるものと意気投合すればそのものの家にも訪ねただろう。将軍様のいる江戸城とか長岡藩の武家屋敷とか顔はだしていてもおそらく無縁と決めただろう。
・・それにしても、関為山とは。桜井梅室の門人という。梅室もあちこち漂流する俳人だ。
芭蕉百年忌というのは1794年。この年各地で記念すべき集いがあった。井月はまだ生まれていない。百五十年忌はどうか。1844年。井月22歳

>・・西馬が、高崎清水寺の石段下に「芭蕉句碑」を建てた天保十三年(1842)という年には、大きな意味があったようです。

同じ年に、芭蕉の生まれ故郷・伊賀上野の「愛染院」(遍光山願成寺)では、盛大な芭蕉追善供養が行われています。

翌年の天保十四年(1843)には、芭蕉が眠る江州粟津の「義仲寺」(ぎちゅうじ)で、芭蕉の百五十年忌という大イベントが予定されていました。

・・高尾の帰りに千代鶴の酒蔵に寄った。上撰辛口を一本買った。インド産ピクルスの壜詰めが安く出ていた。酒を飲みつつこのピクルス、チリ入りとあってつんと来る。美味い。・・千代鶴は普通上撰がいつも美味い。

・・芭蕉百年忌は、あちこちである。まさにモニュメント。

511秋魚:2015/04/16(木) 20:01:32
(無題)
・・両国の回向院には訪ねたことがある。鼠小僧次郎吉の墓があるという。天下の大罪人など捕らえられたら首を切ってさらし首というのがよくある。その後はどうなるのかおそらく墓などはつくってもらえまい。この回向院は一風変わった気がある。時代がすすんで犬とか猫とかペットが大もてだ。人間の性格の悪さがはびこるからか、口の聞けないペットにこの上ない心情を抱くような人が増える。で、その愛犬、愛猫が死んでしまうと、わがはらからわが子のように死を供養する。そういうペットのお墓、供養塔がたくさんあるお寺?

>・・回向院では朝・夕の勤行において、明暦大火等の無縁供養をはじめ、ありとあらゆる
生命の供養をしています。

・・ありとあらゆる生命の供養ということらしい。

・・回向院において、善光寺出開帳というのが江戸の頃よりよく執り行われた。

・・幕末期の一連の大地震の勃発をみてみる。wikiより。


安政以前
1847年5月8日(弘化4年3月24日)- 善光寺地震。
1853年3月11日(嘉永6年2月2日)- 小田原地震。
1853年7月8日(嘉永6年6月3日)- ペリー来航。浦賀沖。
1853年8月22日(嘉永6年7月18日)- プチャーチン来航。長崎。

安政年間
1854年3月31日(嘉永7年3月3日)- 日米和親条約締結。
1854年5月2日(嘉永7年4月6日)- 京都大火。禁裏より出火、炎上。
1854年5月17日-(嘉永7年4月21日-)- 下田了仙寺対談。ペリーと幕府側との通貨交換率の交渉。
1854年7月9日(嘉永7年6月15日)- 伊賀上野地震。
1854年12月23日(嘉永7年11月4日)- 安政東海地震(巨大地震)。津波でディアナ号遭難。
1854年12月24日(嘉永7年11月5日)- 安政南海地震(巨大地震)。
1854年12月26日(嘉永7年11月7日)- 豊予海峡地震。

1855年1月15日(安政元年11月27日)- 安政に改元。曳航中ディアナ号座礁。4日後に沈没。
1855年2月7日(安政元年12月21日)- 日露和親条約締結。
1855年3月18日(安政2年2月1日)- 飛騨地震。
1855年9月13日(安政2年8月3日)- 陸前で地震。
1855年11月7日(安政2年9月28日)- 遠州灘で地震。東海地震の最大余震。
1855年11月11日(安政2年10月2日)- 安政江戸地震。藤田東湖・戸田蓬軒圧死。
1856年8月21日(安政3年7月21日)- ハリス下田に総領事として着任。
1856年8月23日(安政3年7月23日)- 安政八戸沖地震(巨大地震)
1856年10月7日(安政3年9月9日)- 下田御用所にてハリスと幕府側との通貨交換率の交渉。
1856年11月4日(安政3年10月7日)- 江戸で地震。
1857年7月14日(安政4年閏5月23日)- 駿河で地震。
1857年10月12日(安政4年8月25日)- 伊予・安芸で地震(芸予地震[28])。
1857年12月20日(安政4年11月5日)- 吉田松陰が松下村塾を引き継ぐ。
1858年4月9日(安政5年2月26日)- 飛越地震。
1858年7月8日(安政5年5月28日)- 八戸沖で地震。
1858年7月29日(安政5年6月19日)- 日米修好通商条約締結。続いて蘭、露、英、仏と五カ国条約。
1858年10月11日-(安政5年9月5日-)- 安政の大獄が始まる。
1859年1月5日(安政5年12月2日)- 石見で地震。
1859年7月1日(安政6年6月2日)- 横浜港・函館港・長崎港開港。幕末の通貨問題。
1859年10月4日(安政6年9月9日)- 石見で地震。
1860年3月24日(安政7年3月3日)- 桜田門外の変。井伊直弼が暗殺される。


・・これで、井月の居場所をさぐるも一興か。

512秋魚:2015/04/18(土) 18:34:11
(無題)
・・もうひとつの秘境、奥多摩日原街道奥にある鍾乳洞まで遠乗りにでた。はじめて奥多摩に来た時、御岳より先、鳩ノ巣とか白丸とか奥多摩駅までも、とても自転車はむつかしい気がしたものだ。何故って、道が細い上に大型車がよく来る。おまけにライダーが群れをなして登ってくる。休日は観光ドライブで車がびゅんびゅん。そうそう通い道はやりたくない。・・その先は別天地の秘境ではある。

・・御岳から川井まで、歩道がなく、車、ライダーがまとめて来たときは、一時停止してやりすごす戦術にした。信号待ちで、一群されば次の一群までは道路は空になる。何度走っても、白丸、奥多摩駅までは、気を抜けない。休日、朝八時から九時までは、まったくせわしない。奥多摩の天気よい休日はどんなものか、興味本位もあった。・・なんとか一時間30分ほどで奥多摩駅に着いた。昔と比べると、一時間は短縮された。・・問題は、はじめてたどる日原街道。日原川という川沿いの道になる。が、多くの車は青梅街道をそのまま直進、湖の方へといく。日原街道は、細くはなるが急に空き空きの道になる。登り道だが、スロープはゆるい。景色もいいし、これは正解。いいポタリングになった。青梅街道の分岐点からおよそ12kmもいけば、鍾乳洞までいけるだろう。結果的に、時間も一時間ちょっとで到達できた。日原トンネルという暗くて細くて長いトンネルが難関と聞いていた。1017mくらい。これは実際2車線で歩道もあった。これなら楽勝。サイクリストの中では秘境でむずかしい道と聞いてはいたが、どうということはない。人気がなくて車も人も少なくていい。

・・この奥、やはり昔から石灰をとったり、チャートを砕いたり、山をつぶしてる景がよく見られる。都心に住んでるとまったくわからない。コンクリートジャングルなどというのが、流行ったときもあった。いったい石灰はある種海の化石だが、どこから採って来るのか。都市つくりは止むことがない。山をつぶしているとは思わなかった。山のひとつやふたつという考えもあるだろう。しかし現場を実際見てみるとなんともおぞましいというか、これから向かう鍾乳洞などは、天然の石灰の秘蹟で、こればかりはさすがに保存しているけれど、どうもちぐはぐな景観はいなめない。

・・さて、せっかく来たので、鍾乳洞を見ていくことにした。要するに、洞窟ですね。すぐ近くの神社は、一石山神社という。ここらの守り神か。開創は、文武天皇時の役の行者(小角)。空海なんかもここに篭もって学問をしたというが、ほんとかしら。

・・やはり、人気があるのか、外人などもいて人がだんだん増えてきた。入口を入ると、気温がぐっと冷えて凍えそう。体を動かせて、どんどん進めば体はなんとか熱くなる。頭をあげると打つかりそうで大きな洞にでるまでトンネルをゆくよう。地獄谷というのもある。三途の河だとか。・・これは胎内くぐりではないか。水琴窟というのもある。これはどこかの温泉にもあって、湯につかりながら音色を楽しんだこともあって、気に入っている。・・迷宮。クレタにあるラビリンスもこのようか。外にでたくなった。

・・行きはアップのスロープでけっこう疲れたが、帰りは楽だ。これなら40分くらいで奥多摩駅までもどれそう。はじめ予想したより遙かに快適なサイクリングになった。もえぎの湯によってそれこそ瞑想でもしてみたい。いやビールを飲みたい。・・この先の雲取山にいつか登ってみたい。駅の案内所で情報をもらうことにした。雲取は日帰りはどうか。バスの運行を教えてくれたが、麓までは自転車ですね。自転車+徒歩。これが一番のエコライフ。

・・もえぎの湯。12時についてしまった。二時以降になるとハイカーがぐっと多くなるという。ここもあたりで、やや透いている。・・ここの温泉、とても気に入ってる。忘れた頃に来ると、感動もひとしお。

513秋魚:2015/04/19(日) 19:19:05
(無題)
常盤

・・(義経)都を落ちたのちの文治2年(1186年)6月6日、常盤は京都の一条河崎観音堂(京の東北、鴨川西岸の感応寺)の辺りで義経の妹と共に鎌倉方に捕らわれている。
・・
・・常盤について、その後の詳細は不明である。侍女と共に義経を追いかけたという伝承もあり、常盤の墓とされるものは岐阜県関ケ原町、群馬県前橋市、鹿児島県郡山町(現鹿児島市)、埼玉県飯能市と各所にある。さらに、飯能市に隣接する東京都青梅市成木の最奥部、常盤の地には常盤が人目を避けて一時隠れ住まわされたという伝承があり、地名は常盤御前に因むと伝えられる。

・・隅田川をたどって入間川、成木川をずっと遡ると、青梅と飯能の境になる。水源は黒山にある。成木川というのはいくども辿っているが、渓流のこころよい川だ。入間川に合流するあたり、岩井堂観音のたたずまいはうれしいもの。昔ここの観音像が隅田川の浅草寺に流れている。・・黒山というのは、未知だ。軍畑から、鎌倉街道というのがあって、小沢峠を越えて名栗の方へと道がある。この小沢峠の上が黒山らしい。やたらとアップダウンがあって、最初はただの田舎道かとみえたが、そうでもないらしい。小沢トンネルの手前で、道が分岐、そこにちょうどお蕎麦やさんがある。以前来た時はここによってあいにく休みであったが、いろいろ話を聞けた。分岐の左の道をいくと、成木川沿いだが、ずっと黒山に向かうらしい。・・これが常盤林道という。義経の母常盤御前が、一時、住まわれた土地という。これは知らなかった。なつかしい隠れ里。・・

・・ところで、「常盤屋之句合」という芭蕉の俳文がある。常盤屋というのは、八百屋のことらしいが。杉風の序に、

「・・鯛のなる木の櫻咲いて、鮒は紅葉をあらそふといへども、青物の青々と四時全き常盤の陰に、ひとり其味の浅く水くさきを愛す。」

・・野菜讃ということらしい。

 おもしろいので、第一番を載せてみる。

 第一番

 左勝
 草すでに八百屋の軒に芳し

 右
 今引も小松がはらのはたな哉

・・左の芳草、八百屋の軒に梅をあらそひ、鶯菜にも初音まちたる心地するに、はた野の原の若菜にすがりて、子の日の松を引添たるもめでたく侍れども、先八百屋の草のかうばしきに心とゞまり侍る。
仍以左為勝。

 * 小松引は、正月初の子の日に、野に出て小松を引き千代を祝った古俗。
 * 若菜 正月初の子の日に、縁起を祝って食膳に上せる菜。春の七種の類。

・・勝とした左が、必ずしも優秀というわけではない。右の今あっての左のすでに。


・・常盤が、成木川の水源近く隠れ住んだというのは、想像するに、もっともらしく思える。

「・・蘭は深山幽谷に自生し、趣が有ることから幽谷佳人と名づけられたそうです。」


・・第十一番

 左持
 女とや茄子。はがくれに打かたぶける姿

 右
 山賤の垣ほのさゝげともよめるや

・・己が葉がくれに、打かたぶける茄子の君、むらさき式部が娘にや。わかむらさきのゆかりにや。いか成るものゝ妻となり、いづれの人のよめとやならん、なつかし。右の句も又、山賤の垣ほにはへる青さゝげ人はくれども言伝もなしとよめるは、古今集寵どのゝ下女のよみたるうた成べし。いづれかおかしく、いづれか哀ふかゝらん。

514秋魚:2015/04/22(水) 19:37:59
(無題)
「天和2年(1682年)の12月28日、駒込の大円寺を火元とする大火が発生し、火は折からの北風にあおられ深川まで燃え広がった。」

「深川の草庵急火にかこまれ、潮にひたり、苫をかづきて、煙のうちに生きのびけん、これぞ玉の緒のはかなき初めなり」

「八百屋お七(やおやおしち、寛文8年(1668年)? -天和3年3月28日(1683年4月24日)、生年・命日に関して諸説ある)は、江戸時代前期、江戸本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる少女である。」

・・井原西鶴『好色五人女』巻四「恋草からげし八百屋物語」[編集]

・・井原西鶴『好色五人女』はお七の事件のわずか3年後に出版され、自ら積極的に恋愛行動に移る町娘という、それまでの日本文学史上画期的な女性像を描き、お七の原典として名高い。

・・(あらすじ)師走28日の江戸の火事で本郷の八百屋八兵衛の一家は焼けだされ、駒込吉祥寺に避難する。避難生活の中で寺小姓小野川吉三郎の指に刺さったとげを抜いてやったことが縁で、お七と吉三郎はお互いを意識するが、時節を得ずに時間がたっていく。正月15日、寺の僧達が葬いに出かけて寺の人数が少なくなる。折りしも雷がなり、女たちは恐れるが、寺の人数が少なくなった今夜が吉三郎の部屋に忍び込む機会だと思ったお七は他人に構われたくないゆえに強がりを言い他の女たちに憎まれる。その夜、お七は吉三郎の部屋をこっそり訪れる。訳知りの下女に吉三郎の部屋を教えてもらい、吉三郎の部屋にいた小坊主を物をくれてやるからとなだめすかして、やっとお七は吉三郎と2人きりになる。ふたりは『吉三郎せつなく「わたくしは十六になります」といえば、お七「わたくしも十六になります」といえば、吉三郎かさねて「長老様が怖や」という。「おれも長老様は怖し」という。』という西鶴が「なんとも此恋はじめもどかし」というように十六歳の恋らしい初々しい契りだった。翌朝吉三郎といるところを母に見つかり引き立てられる。八百屋の新宅が完成しお七一家は本郷に帰る。ふたりは会えなくなるが、ある雪の日、吉三郎は松露・土筆売りに変装して八百屋を訪ね、雪の為帰れなくなったと土間に泊まる。折りしも親戚の子の誕生の知らせで両親が出かける。両親が出かけた後でお七は土間で寝ている松露・土筆売りが実は吉三郎だと気が付いて部屋に上げ、存分に語ろうとするが、そこに親が帰宅。吉三郎を自分の部屋に隠し、隣室に寝る両親に気がつかれないようにお七の部屋でふたりは筆談で恋を語る。こののちになかなか会えぬ吉三郎の事を思いつめたお七は、家が火事になればまた吉三郎がいる寺にいけると思い火付けをするが[注 6]、近所の人がすぐに気が付き、ぼやで消し止められる。その場にいたお七は問い詰められて自白し捕縛され、市中引き回しの上火あぶりになる。吉三郎はこのとき病の床にありお七の出来事を知らない。お七の死後100日に吉三郎は起きれるようになり、真新しい卒塔婆にお七の名を見つけて悲しみ自害しようとするが、お七の両親や人々に説得されて吉三郎は出家し、お七の霊を供養する[17]。

515秋魚:2015/04/25(土) 16:56:40
(無題)
・・きょうは晴れてはいるが曇りがち。野山の情報は待っていても何もない。街中から外れて藤橋、霞川、岩蔵街道、薬王寺。青梅の東北東はとても落ち着いている。ママチャリで出かけた。近場なのでipodriderを決め込んだ。藤橋という地名は品がある。御岳ののめこんこんにゃくの女店主が藤橋に住んでいると聞いたばかり。美人だそうだ。ここのさしみこんにゃくは絶品である。ほんとに。御岳にいったらぜひ買うとよい。・・霞丘陵の手前の平地をぬうように流れる霞川。これに沿って自転車の走れる道がある。線路や街道沿いの街並を外れると、急にひろびろした田園風景が広がる。ここを流れる霞川を知ったのもつい先日。水くきの匂いがする。途中カメラをかまえて人が二三。カワセミがでるという。じっと待つのだそうだ。カモとか鯉とかもゆったり。ここをすぎて岩蔵街道をこえ、山の端に向かえば、躑躅の咲く薬王寺は近い。ここらは散歩にでるだけでも気分がいい。
・・参道の下で、無人の野菜売り場があった。じゃがいも、さといも、ネギ、こまつな、エシャレット、あと鉢植えの観葉植物とかすべて百円。・・ちらっと寄って帰りに買うことにした。

・・群雲がときおり通り過ぎ、ぱらぱら雨がきた。天気雨は狐の嫁入りというのだそうだ。薬王寺は青梅の外れにあって、人はさほど多くはない。開創は法相宗の僧で、奈良から聖徳太子お手つくりの薬師菩薩像を運んだという。いまは、真言宗豊山派のお寺。鐘つき堂の門があってめずらしい。・・いやー、ちょうどいい花盛り。来て見なければわからない。日差しの加減が不安定だが、こういうやや曇りの花見も趣がある。

516秋魚:2015/04/26(日) 20:19:39
(無題)
・・きょうはすごかった。感動の一日。わたしのいる青梅から隣の飯能には何度か入った。飯能の田舎の人は、見知らぬ人でも会うとこんにちわと言う。友達も住んでるし心もなごむ。いいところだが、きょうはこの先の秩父へ入るのを試みた。以前いった正丸峠は飯能と秩父の境になる。多くのライダーの目標とされる峠だ。峠で会った人と話したが、入間から来たとか、自分の知らない土地の人と話すとそれだけで感動したものだった。・・例によって小曽木街道から美杉台へ向かい、その先は西武線飯能駅になる。時間がかかるのを見越して6時半に家をでた。一時間くらいで飯能駅についた。電車に乗るわけでなくこの駅は目標ではない。秩父へ入る道をだれかに聞こうと思った。交番もないし朝まだはやい。客待ちのタクシーの運転手に声をかけた。道路のことはよく知ってるはず。わざわざ車から降りてきてまあ親切なこと。ほんとにわかりやすく答えてくれた。299をとって秩父まで、50キロはあるよ。ということだった。アップダウンもきびしいといった。ここでは聞き損ねたが、山がある。この山越えをトンネルを使うか、正丸峠に迂回するか。これが問題だった。正丸トンネルは約2キロあって自転車歩行者には危険というのを聞いていた。

・・自転車のツーリング。自動車、鉄道とかの旅というのとちょっと違うのは、目的地までのプロセスがまったく出来事多く、感動多く、うまいひとなら一篇の小説を書けるでしょう。ロードムーヴィーというのもありうる。ただし、他人はおもしろくもないでしょうね。・・今回の目標は、この正丸トンネルと秩父黒谷の和銅遺跡が本命だった。

・・飯能の美杉台について。実はおもしろい話があったのですが、スルーしてしまいました。美杉台を通過するに、川をふたつ越えます。ひとつ目は成木川、ふたつ目は入間川。・・成木川のなんて美しい川なのでしょう。ほんとに美しい。(最初の感動)・・美杉台については、帰路交番の巡査に聞いた笑い話です。訴訟があるやも知れず割愛。

・・それより、正丸トンネル。飯能から吾野を通って正丸の駅まで、けっこうな距離です。爺さんばあさんにも聞きましたが、たまたま出会った巡査に聞くと、トンネルはもともと自転車が通るようには作ってないとのこと。秩父にゆくには、峠に一度上り、そこを下るとトンネルの向こうに着きます。標識でも、危険と書いてある。・・けっきょくこれでびびって、峠上りをすることにしました。

・・時間とエネルギーの節約でトンネルを選ぶのを、はじめは考えていました。トンネル手前から正丸峠頂上を目指す道、未経験です。よいチャンスかと。上のほうで猿とか鹿とか出会う話も聞いてますから。登りはじめたらそれほど急ではありません。いろはのだんだらですね。4キロほどあって、ただし半分は足着きになりました。猿とか鹿とかは出会いませんでしたが、なんとか頂上へ。・・大変でしたが、次の下りはほんとに楽ちんでした。これもけっこう長い距離で、帰りはどうするか、最後まで悩みの種になりました。(帰路はけっきょくトンネル通過を決意!)

・・ずっといって、芦が久保というところに出て人も車もたくさんでした。果樹園があるらしい。その程度で人が集まるものかと思いましたが、なんと、観光案内所がある!今回はほとんど調べがなかったため、オアシスへ向かう心境でした。すると期待したとおり、大変意気のいいお姉さんがまったく親切いっぱいに教えてくれ、ガイドブックもらえました。案内所のちょっと出たところにバイクを横においてまたえらく美貌でかっこいいお姉さんが、ジュースを飲んでました。女性のバイクライダー時々見ます。ひとりで走ってるのはあまりみません。あんまり格好いいので、どこから来たの?入間です。稲葉真弓にちょっと似てました。あの人も昔バイクに乗ってた様です。わたしは青梅です。外れの今井とか金子とかいきますよ。すこし接点がありましたが、チャリダーとつるむ訳にはいかないでしょう。じゃーね、といって別れましたが、写真を一枚撮らせてもらうべきでしたね。ほんと格好いいお姉さん。

・・このお姉さんから正丸トンネルの情報すこしもらっていました。自転車で通る人もいるとか。これが最後の勇気になりましたが。・・いまは和銅遺跡にむかいます。案内所のお姉さんに聞いたとおり、299を直進し秩父の駅に出る前に県道を右折、そのまま20分ほど直進。いいかげん黒谷の遺跡が近いとは思ったがまだなかなかです。たまらず自動車修理工場らしきで尋ねてみることに。小暗い中で作業をしてるおじさん(若い人ではない)、仕事中でわるいとは思ったが声をかけると、にこにこ出てきて事務所に来なさい。紙に書いてあげます。・・こっちもあまりヒマがないけど、話を聞かざるを得ません。・・で、温泉と遺跡までの地図を書いてくれました。実はこの地図だいぶ間違いが多かったのです。・・ともかく、涙がでるほどお礼をいって、黒谷にむかいました。交通量も多くあまりいい道ではありません。秩父は芝桜が盛りとか、花見客がたくさんでした。

・・和銅遺跡の入口に聖神社があります。このところ神社に寄ること多く、必ず賽銭と願い事をしています。この願い事いつも同じですけど、通じているかな。・・

ここから遺跡、708年に天然のあかがねが発見され、奈良の朝廷に献上されたという、露天掘り跡に向かう道は、なつかしいいつか来た道のよう。

・・羊太夫というのは、この地から奈良まであかがねを運んだ人をいうようです。高崎の多胡碑にある羊というのは、この羊太夫のことかもしれません。

「・・上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新しい郡を作り、羊に支配を任せる。」

・・もう12時をまわってる。朝出発してから6時間は自転車に。正丸峠の登りは予定外だった。黒谷の和銅遺跡でも、露天掘りまでは坂道をだいぶ歩いた。街道は、ライダーがめちゃ多い。休日でマイカーの出も多い。いったい埼玉の街道は車が多いので有名だ。水は、やはり貴重だった。クッキーバー一本で食は充分。ただ、油切れですね。いいかげん温泉で休みたくなった。

・・和どうの湯。旅館だが日帰りができるというのでチェックしていた。遺跡からすこし街道をバック、道路向こうにあった。温泉は鉱泉という。おしゃれな旅館のようで、放浪者のようないでたちで、すこし気が引けたが、それは何でもないのはわかっていた。・・見知らぬ土地では、いっさい客人でとおるはず。・・食事はとれないが、温泉はどうぞ。受付お嬢は新米らしいも美形で愛想がいい。うれしくなった。・・支払いを済ませて湯にむかう。昼過ぎで宿の客はほとんどいない。一般客も自分だけ。まったく貸切り湯になった。・・鉱泉というのは、ぬるみもなく表面上は白湯とかわらない。ここは薬師の湯というふれこみだ。この温泉効果は、実は、帰宅してはじめてすばらしいのがわかった。・・ともかくうれしい休息になった。

・・帰りの受付でお礼をいい、さらに食事どころの情報と、飯能へ帰るほかの道はないかと尋ねた。けっきょく寄居からかなり大回りになり299しかないということでした。・・蕎麦とビールをとりたくて、街道を物色しながらいくと、すぐ近くに和どう蕎麦というのがある。もうここに決めて店にはいると、客がいっぱい。注文取りの女性が座敷を案内してくれた。おおかた、車できていてビールの注文は
あまりないのか、お車ですかと聞かれることが多いのに、OKでした。自転車ですが徒歩同然ですから。ここの配膳嬢はなんか注文はぜんぶ暗記、ひとりで全部やってるから、働き者ですね。忙しすぎて愛想がないと思いきや、遅くなってすみませんね。と大きな愛想の声でした。もう○十年若かったら嫁にしたい感じでしたね。

・・さて、いよいよ帰路。足が回らないというのでもない。ただ峠のヒルクライムは、どうか。ともかく299で正丸トンネルの入口までは行かねば。・・武甲山というごつごつした兜のような山が正面にみえる。ときおりライダーの一群が爆音をあげて通り過ぎる。緊張の連続でこういうのもなつかしい風景。峠に向かう道は、ややアップ。・・そうこうしてるうち、トンネル前に着きました。もう決めていてそのままトンネルに直行。車道の端にすこし段差をつけて猫のひたいほどの歩道(?)がある。ここを通るしかない。転落をおそれて足つきでゆくと2キロは長い。かえって危険。綱渡り、薄氷をふむ思いで、自転車を走らせた。車はひっきりなし、よろけて転落はまず命取り。最高に緊張です。途中水で濡れてぬかるみのあるところも。一時停止。・・半分以上すすんでやっと出口の明りがみえてきた。あとすこし、あぶないあぶない、あとすこし、叫びながら、進んだ。 やっと、抜けた。

517秋魚:2015/04/30(木) 19:30:25
(無題)
・・1793年、芭蕉翁百回忌。全国で華々しく営まれた中でも、本丸は、義仲寺であろう。五升庵蝶夢がしきった。

・・
1786 天明6年、『芭蕉翁俳諧集』(蝶夢編)刊。
1788 天明8年2月26日、木姿を伴い中山道を江戸に下る。重厚とともに江戸に滞在。『富士美行脚』
   同年4月9日から加舎白雄は海晏寺で芭蕉百回忌繰上げ法要を行い、蝶夢も法要に参加。
1791 寛政3年梅人『続深川集』刊。蝶夢序。
   同年粟津文庫創設。
1792 寛政4年、『芭蕉翁絵詞伝』完成。
1793 寛政5年、芭蕉百回忌法要を営む。
1794 寛政6年、五升庵の号を瓦全に譲る。
1796 寛政7年12月24日、64歳で没。

・・晩年の十年、芭蕉百回忌に向けた生涯の仕事だとわかる。

・・カツゾーの放浪の地平。蕉翁の旅の軌跡を追う。これは弟子のだれかれもやるし、もっとも通俗な想像力だろう。というか、想像がまったくはたらかない時、せっぱつまった時に選択する道だろう。最初の出奔はおそらく越後から山形の方へ向かった。奥の細道を逆コースで歩いた。象潟にもいってるはずです。昔の光景をとどめていなくてもいいのです。たぶん、足早に。東北を大きく迂回して江戸に入った。東北を歩いた痕跡は無くてもいいのです。

・・蕉翁のモニュメントがもっとも見えやすいのは、芭蕉百回忌(1793年)。これはまったく辺鄙な場所でも案内があれば向かったと思います。特に江戸滞在中は。でも、江戸で何をしていたのでしょうね。

・・俳諧三部集「越後獅子」に載る江戸の俳人たち。・・卓郎、不染、春湖、為山、氷壷、見外・・
カツゾーの江戸の消息は、必ずしもこれらの俳人に会うためではなかったはず。正風が第一義。芭蕉のモニュメントには、まず一度は参学しているだろう。・・深川芭蕉庵、臨川寺・・回向院はどうでしょう。これはカツゾー固有の思惑とは思いますが。


貞享四卯の年、春も彌生の空長閑に、うち霞みたる夕暮ならし

 花の雲鐘は上野か浅草か

 観音のいらかみやりつ花の雲

「かねは上野か浅艸か」と聞えし前の年の春吟也。尤(もつとも)病起の眺望成べし。一聯二句の格也。句ヲ呼テ句とす。『末若葉』(其角編)



・・「鐘は上野か浅草か」とは「上野東叡山寛永寺の鐘か、浅草浅草寺の鐘か。」ということなら、たぶん寛永寺、浅草寺の方にも足を伸ばしただろう。・・「花の雲、雲の花」という入間ことばを知っていたら、隅田川もずっと遡ったと思われます。入間川の方へ。

・・ 「毘沙門堂の花盛、四天王の榮花もこれにはいかでまさるべき。うへなる黒谷、下河原、むかし遍昭僧正のうき世をいとひし花頂山、わしのみやまの花の色、枯にし鶴の林まで、思ひられてあはれ也。」 『俳諧一葉集』


 観音の甍見やりつはなの雲

   【元慶寺】
京都市山科(やましな)区北花山河原町にある天台宗の寺。山号は華頂山。陽成天皇の出産に際して、貞観11年(869)遍昭が開創。後年、藤原兼家らの策謀によって、花山天皇はこの寺で出家した。花山寺。がんぎょうじ。

・・貞観11年(869)。陸奥海溝地震。大津波があり、先年の東日本陸奥沖地震にもっとも似たものです。
 「遍昭僧正のうき世をいとひし」に注目。 遍昭、良岑宗貞といいます。         

518秋魚:2015/05/02(土) 19:08:22
(無題)
「 俳聖芭蕉翁の百五十回の遠忌に當れるにあひて、惺庵西馬(せいあん・さいば)兼て追福を営むに社盟数十輩と議り、清水寺内に地を卜して一塚を築り、碑面篆額の贈號は故二條公の粟津の霊室に賜ふ處なり。
今四山これに筆を採、また高韻を書る者は菱湖に聞、清水寺は上毛第一観音の霊場にて洛の清水に景趣等しきと云。
句も亦彼を取てこゝに移す相當れる成べし。
予、この道に遊ふの因を以て一條の来由を祭主の為にしるす。
維時天保十三年龍集壬寅三月 五品多々良大内瀾長」

富処西馬

文化5年(1808年)、高崎田町に生まれる。

 天保4年(1833年)、西馬と号す。

・・

天保13年(1842年)3月、清水寺に芭蕉の句碑を建立。

 観音の甍みやりつはなの雲

・・一年早いが芭蕉翁百五十回忌ということです。

1843年 高崎大火にて母没す。
1844年 奥州行脚に旅立つ。


安政5年(1858年)8月15日、没。51歳。


久米逸淵 > 川村碩布(六気老人。長翠、巣兆、道彦、保吉、春鴻、葛三、虎杖とともに加舎白雄八弟の一人。) >  加舎白雄(1738-1791)「 加舎白雄は与謝蕪村とならび称される江戸中期の俳人、文学史上“天明中興の五傑”に数えられている。」・・明和2年(1765年)、銚子滞在中鳥明に師事

・・松露庵烏明 白井鳥酔門。

「 天明8年(1788年)3月28日、蝶夢は再び烏明を訪ねた。

廿八日、雨天。向井氏の宅に重厚入道おはしますにかたらひ、松露庵を訪ひ、其由師旅館に遊ぶ。」


『富士美行脚』

五升庵蝶夢(1732−1796)  井上井月(1822−1887 )

519秋魚:2015/05/31(日) 08:14:52
(無題)
・・お七みたいのは、バカだバカだとみなになじられてけっきょく罰をうけるのでしょうね。わたしはとってもシンパですが(笑)

・・さて、きょうもよい天気!高水三山にハイキングに出ました。先日いった雷電山は青梅丘陵ハイキングコースの西端。そこから最寄は軍畑駅です。おなじ軍畑から高水三山へ登山道がひらけてます。ここらまで来ると駅に駐輪場がない。前に来た時密かに自転車置き場を見ておきました。駅の手前に小さな踏切があってそのすぐ横の空き地は柚子の木が一本。公園の様でもありますが、だれかの私有地のようでもあります。ここはどうでしょう。・・このあたりまでもう庭のようです。ママチャリでOK。・・海禅寺に寄りました。きのう薬王寺はもう盛りをすぎてまた来年ということでしたが、ここは山の辺だからか、まだ五分咲き程度。咲き様もちょっと違います。・・同じところ二度も三度も来るものでないかもしれません。一期一会といいますから。
・・自転車を置こうと思った空き地、先客のご婦人がひとり水を飲みながら休んでいました。黙って自転車を置くのも失礼と思い、声をかけて話をしました。なんでも千葉の方から友だちと待ち合わせて来るつもりが、相手が電車一本遅れたようです。遠いとこから来ているのですね。高水山はけっこうな登山らしいですよ。自分も未経験なので、ただ聞いていました。・・その後登り始めてわかったのですが、大変な人気の山歩きのようです。登山客がいっぱい。しかも、ほんとに小さな子どもも歩いてる。山の中で何人か5、6才の女の子も見かけました。高水三山は、高水山、岩茸石山、惣岳山の三つを言います。いつだかの皇太子殿下も登ったとか。トレイルランのコースにもなってます。きょうは五月の休日、天気もいいし、みな思うところは同じでしょうか。ほっとします。・・自転車で使う筋肉と山登りで使う筋肉、違うでしょう。自転車でハードに走っていても、山登りが楽にはなりません。・・しかし、今回意外とアップの登りに強いのがわかりました。ぴょんぴょんと跳ねたくなる時もあり。ダメなのは呼吸器系です。気管支が弱いのか変な咳が出ます。杉の木があいかわらず多いのですが、杉が花粉症の大原因というの、ウソだと思います。すこし花粉症の気味が、杉の森にはいるとかえってすーすー通って楽になります。思うにあれは都会の自動車の排気ガスが原因だと思います。・・森林浴といいますから、渓流や滝などあるとマイナスイオンが発生して、たいへん空気の健康はいいと聞いています。

・・さて、高水山の途中までは渓流といっしょでした。そのうちに登りのきついところが続き、おばさん方には応えるのか、時々グチらしきも聞こえてきます。小さい子でもう歩きたくなさそうな子もいました。まだまだ先は長いです。黙々と登るしかありません。・・高水山の頂上手前に常福寺というお寺があります。やっとここまで来ると、門の額文字があり趣のあるよい字でしたが、なんと、それはあの浄月律師のものでした。江戸期、真浄寺の和尚です。きのう訪ねて牡丹の写真をいただいたばかりでした。

 天人も雲ふみ外す花王かな   井月

・・自分の瞑想とは、この一句にはじまり、この一句に回帰しますが、瞑想の想念はことばにしないがいいです。・・ひたすら山を登るのみですから、いまは

・・山を登り始めて分かったのですが、みな靴に服装にまったく登山の準備で来ています。クマが出るという噂もあり、鈴を鳴らして歩く人もいます。それにアイゼン。・・いい装備です。
・・自分は甘く見た訳ではなく、なるべく軽くしたい一念から、小型のリュックひとつ。水とクッキーバー一本。服装は普段着のひと昔前のもの。Tシャツで汗をとりたい。厚着をすると、失敗しそうで、ジャンパーを外せるように。だいぶダサク見えそう。靴は重要ですが、履きつぶすつもりで軽いスニーカー。この靴のおかげで何度かすべりころげそうになりました。みないい登山靴で来ています。高水三山はハイキングではなく、登山だと友人もいってました。・・あとひとつ平衡感覚が、問題でした。自転車でバランスをとるのは馴れています。山道で一二度ひどくよろけたものです。これは酒をのむのが災いしたか。いざというところでは反射神経には自信があります。

・・高水山から岩茸石山というところまで来ました。かわった名前ですね。なんと読むか今でもわかりません。いわたけいしやま、かな?ここは眺めがとてもいいです。・・御岳方面から来た人と軍畑から来た人が山の頂上でもいっしょになります。道中ひとと話すことがあってもむずかしい議論はやめたがいいですね。だれもしていませんけど。・・たまたま休憩中に隣した学生風の人とすこし言葉をかわしました。千葉の人で、ほぼ同郷の人でした。市川の人です。すっかりなつかしくなって、少々たちいった話もしたくなりました。・・ひとつつよく言ったのは、あの土地はつまらないということ。つまらないという内容を説明すると重くなるのでやめました。けど彼も納得していたようです。(アノ土地ハ下手スルト女ノ子ガ自殺シマス)

・・さて、もうひとつ惣岳山に向かいます。この山あまり期待しません。帰路に立ち寄る山くらいな感じでした。どこだか忘れましたが、岩ごつごつあぶない道がいくつかありました。

・・いいとこ眺めたら、もう、下山したくなりました。下りの道ってけっこう嫌なものです。靴がすべりやすくてね。筋肉と骨格にブレーキかけながら、バランスを保ち続けるの、疲れます。御岳に降りて、ビール飲んで休みたいところ。帰路安心してどすんとヘマするの何度かあります。・・あの正丸トンネル思えば、おおかたこわいものありません。これだけ人が多いと、群集の人でしょうね。

・・御岳の駅の近くに出ました。玉川やという手打ち蕎麦やがいいと、聞いてました。で、看板たよりに、店に入りました。下から入ってお二階へどうぞ。で、びっくり。人が行列なして待っている。二十人くらいはいそう。席をもらってる人も、あまり食べてる人はみあたらない。列の一番後ろの人に、これって待ち客ですか?そうです。・・で、笑って、あきらめることにしました。やれやれ。

・・駅にむかっていくと小さな軽食喫茶がありました。人がいないのを幸いここに飛び込みました。おにぎりセットと缶ビールを注文しました。窓際の席から、街道が眺めます。おにぎりは、酒かすとユズを使って、よい味です。ほかにおしんこと緑茶もつきます。上品にまとめてますね。・・そうこうしてお客さんも入ってきました。


 はるたつや新年古き米五升   芭蕉

・・五升庵蝶夢という俳僧がいます。芭蕉の句から「五升」をいただいたそうです。古米の話を雅号にするのは、よくわかりませんでした。・・山登りをして、麓でおにぎりを食べたら、ひらめいて「五升」のこと、理解されました。お愛想しながら、自分も蝶夢さながらかと、・・

520秋魚:2015/05/05(火) 17:50:40
(無題)
・・都留谷村には、自転車でいかねばなるまい。ちと遠い〜なあ。日帰りは無理。高尾までなら90分で出られそう。駅で自転車をたたんで最寄駅まで輪行というのはどうだろう。大月からのルートはあるのか。都留にいったら河口湖は近いのではないか?・・待てよ。輪行なら日帰りもできる。

芭蕉百回忌は、都留でもあった。

円通院境内に芭蕉の句碑がある。

  旅人と我名よはれんはつ時雨  芭蕉

10月12日 嵐雪三世居二代六花庵建立

・・ここは、カツゾーは必ず訪ねたはず。


 青梅の谷野真浄寺はどうだろう。句は刻まれてないが、やはり百年忌。


さくら花梢のしづくおつるより幾世しぐれの名にやふりけむ

                   日野資枝

・・しぐれ桜に自分をみたのは、この真浄寺。


・・

・・いずれにせよ、輪行は憶えねばならない。重い腰をあげるか。


   *

・・善光寺。

ここの本尊も秘仏だそうだ。ただ三尊像らしき、・・釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊かも。

・・善光寺でいま開帳されるのは、前立阿弥陀三尊像。中央に阿弥陀如来、両側に観音、勢至の両菩薩。これを一光三尊仏という。

・・物部守屋が難波の海にすてた三尊像。本田善光がひろいあげて、長野にもち来たらした。最古の本当の本尊だそうです。

・・浅草寺の秘仏本尊は、一寸八分の黄金の観音像。成木川の岩井堂から流れてきたという。

521秋魚:2015/05/06(水) 16:41:15
(無題)
まり様

・・きょうも自転車日和。ここの面白さは並大抵ではない。成木川上流と常盤の地に向かった。街道を外れて多摩川に沿った道をいくつか走り、軍畑あたりまでは庭同然。二三日前に来たばかりだが、新鮮な空気は変わらない。軍畑からアップする坂道をのぼり、最初はほんとに地獄のように感じたものだが、アップがあればダウンもある。あまり苦しくはない。堪えられるという気概があればいい。・・鎌倉街道という、どこが鎌倉かい!それほど田舎だ。スクラップ回収場などあって世の果ての道だ。斎場、老人ホームはさすがにない。・・松ノ木トンネルを越え、小沢峠にむかう手前に成木川にうつかる。ここの分岐を左にいけば常盤林道、右なら小沢トンネルがあって名栗にはいる。きょうはこの分岐にある蕎麦やをたずねた。一年くらい前に訪ねたことがあるのです。店主と話して、もっと早く訪れるべきでした。さすが、忘れてますね。・・実は、常盤が目標です。義経の母堂の香りを追いかけたのです。きょうは。・・成木川の上流というのが、なんともうれしい。

・・ほんとに、うれしい。ここはサイクリストたちの準メッカ。プロの競輪の選手なんかも練習に来ているようだ。ほんとに田舎だと思っているのは、自分だけかもしれない。蕎麦やさんの前にひとりサイクリストが休憩中。つれづれに話しかける。名栗のダムまで行ってきたとか。小沢峠の坂道は大変だったでしょう。下りは楽ですが。・・左の道を知ってますか?いえ、行ってません。いまお蕎麦を注文してるところです。え、それから手打ちでは、時間かかりますね。わたしは黒山の麓まで行くつもり。常盤林道を。では、帰ってくるまでに、お蕎麦を注文しておきましょう。

・・店の主人に会うと、すっかり忘れていますね。ごめんなさい。こっちは来づらいです。常盤を嗅ぎに来ました。・・思うに、常盤がここに流れてきた頃は、もう大変なオバサンだったでしょう。清盛に義経の命乞いをして、一度自分を捨てた。・・その後一度だれかに嫁いだでしょう。京の河崎観音堂で捕らわれたあとも、たぶん、拘束はなかったはず。・・

・・で、お蕎麦を注文して、帰りに寄ります。左手の道。最初は、ほんとにのんびり山里のよう。いつも不思議に思うのは、人が住んでるのかいないのか、とても静かです。成木川に沿って、道はつづきます。もっと下流の美杉台あたりでひどく感動したのが、はずかしく思えるくらい、静かな渓流です。常盤が住んだのは、どのあたりかと思い巡らしながら進みました。サイクリストが来るべきヒルクライムのレースに向けて何人か練習にきているみたいですね。よく出会います。・・先日登った高水山の表参道はすぐ先にありました。皇太子、雅子さまのご成婚一周年くらいに高水山に登られたようで、お蕎麦屋さんにその時の写真が飾られていました。若々しくてお二人ともたいへんすがすがしいです。よくこの山に来られましたね。軍畑からのは裏参道、多摩川からになりますが、ここからだと成木川を見ながらの登山です。このプランニングすばらしいです。途中、岩井堂観音にも立ち寄ったらいうことありません。・・

・・ほんとにアップの坂道。何台もサイクリストがやってくる。こちらは景色をみながらで足つきが多い。・・と、脚立にすわってじっとカメラを据えて見守る人がいる。渓流の上へ。これは、例によってカワセミの飛翔を捉えたいのでしょう。通りがかりで、声をかけてきたのはその人の方。歩いてきたのはアンタだけだよ。自転車に乗らずにきたのを、笑われたようだ。ここはみなヒルクライムの練習道路ということらしい。かれらはそれだが、自分は違う。観光のお散歩ですよ。すこしバカ話をして、騒ぐとカワセミはまったく現れそうに無い。では、いきます。・・その後も坂道はつづく。景色はまったくいい。この道の最終ゴール地点に着くころ、一人のサイクリストが上がってきた。えらい、足つきなしで来た。湧水の水のみ場があって、でも顔と手だけを洗った。かれも一休みして帰路についた途端、バッキと音がした。自転車にアクシデントのよう。・・近寄って聞くと、ディレーラーの付け根が折れたということです。めったにないという。自転車のことは相当詳しそう。でも、最悪という。下りだから下までは大丈夫でしょう。ブレーキもOK。30キロほど来たという。・・何の助けにもならないので、お気をつけてというほかはなかった。・・しかし、あんなトラブルもあるのか。

・・黒山の登山口を探した。それらしい道がある。なんかケモノミチだなあ。きょうは登らず。下に下りてお蕎麦を食べたくなった。くだりはけっこうな距離だが、はやい、はやい、あっというまに着いた。井戸口というお蕎麦やさんです。注文してあったので、自慢の蕎麦すぐにもいただけるとか。ビールはありますか。はい。ママさんがいろいろやってくれます。ビールがうまい。蕎麦とビール。そのうち、マスターと世間話を。青梅の人で、地元よく知ってます。とくに石灰の採取場とか砕石場とか、お酒が好きで、めずらしいものたくさんあります。・・沖縄のアワモリついでくれました。青梅有数の政治家もここに立ち寄るとか、こんなど田舎にね。それより、山をひとつもってるようで、そこの巨樹とか竹林とか山菜とかいろいろ話がいっぱいあるようでした。樹の写真をさがしてましたが、みつからない。山をもってるなんて、ロマンですね。

522秋魚:2015/05/09(土) 20:02:58
(無題)
 まだ月は十三七つ梅の花

・・自転車のたたみ方、思案にふける。どうしても袋に収めねば。まだその袋も用意してない。簡単そうでなんかやっかい。前輪の着脱は何度か試みた。ギアチェーンのある後輪は一度試行しただけ。前回のパンク修理も幸か不幸か前輪のトラブルだった。後輪は・・思案してばかりもいられないが。日がたつごとに疎くなる。自転車をバラバラにして再度組み立てるというのが臆病になってる。

・・ところで、井月全集掉尾を飾る芥川龍之介の文は、繰り返し読まれているだろう。「・・天明の遺音は既に絶え、明治の新調は未起らなかつた時代は、彼にも薫習を及ぼしたのである。」このくだり、「薫習」という言葉がいつもひっかかっていた。手元の辞書では「・・香気が衣服に移りしみこんで、ついにはその衣服自身が香気を出すに至るように、体や言葉、心のはたらきが心に残す影響作用をいう。」
・・自分は春一番に咲く梅の花の香のようなものと認識していたが、習気の負の側面をみれば、井月の晩年は放浪乞食よろしく時代の香気(?)に染まっていただろうか。

・・十三七つという数え方、すてきですね。十三夜七つ刻らしいです。秩父で会った蕎麦やの娘さんのようです。

   *

・・「カリフォルニア」という映画は、おもしろい。あのトランボ脱走の動機は、八百屋お七と同じでしょう。・・おもしろい。

523秋魚:2015/05/11(月) 01:03:13
(無題)
・・自転車専門店をまわった。大手の店はほどよく客もいれば店員はよく話をしてくれる。この地域ではそんなにいい店はない。以前の住まいなら、Y'sroadとかNarushimafriendとか超ブランドのお店も近かった。実際四方八方に開けたよいところだった。・・パーツを取り寄せるならネットショップが一番か。輪行袋はネットで買うだろう。すこしでも知識を得るために、いくつか店をたずねた。自転車の売り場でいる店員は、やっぱりその道のプロまでいかなくても相当に乗りこなして来ている。いろいろ話し込んでいるうち相手も自分の経験談を軸にして話し出す。・・きょうはだいぶ勉強になった。

・・「梅の花」連吟をすこし、

折人も思案顔なく梅の枝         有隣
振袖の花盗人や楳屋敷          井月
夜の梅を盗みにくるや闇の内        隣
宵闇や梅が香通ふ風よわし         月
よい梅と誉れば月もさしかゝり       隣
野の梅や誉る替りに折て行         月

・・

・・芥川龍之介の名で憶い出したが、かれの文学思念の本領は、花盗人ではなかったか。芥川が登場する伊勢物語六段。

「昔おとこありけり。女のえうまじかりけるを、としをへてよばひわたりける
を、からうじてぬすみいでゝ、いとくらきにきけり。あくた河といふかはをゐ
ていきければ、くさのうへにをきたりけるつゆを、かれはなにぞとなむ・・

 しらたまかなにぞと人のとひし時つゆとこたへてきえなましものを

・・この女は二条の后だそうだ、藤原高子。

「・・彼の遍昭が連ねし。花の散り積る芥川を打ち渡り。思ひ知らずも迷ひ行く。かづける衣
は紅葉襲。緋の袴踏みしだき。誘ひ出づるやまめ男。紫の。一本ゆひの藤袴。・・」

・・雲林院にも現れる、その先が武蔵野だったと記憶するが、・・ヴァージョンによっては、信濃路だったりする。


 いずれも井月の通った道だ。

524秋魚:2015/05/12(火) 13:54:41
(無題)
・・天気くずれそう。台風来てる。あの妖精のような人すてきですね(笑)

・・田舎の信濃川、上流は千曲川になります。豊後の三浦安貞は、日に三度、先祖の墓参りを欠かさなかった。父がそういって、わが家もそのような家訓でしたが、封建性の暗さでほとんど省みられませんでした。千葉で生まれましたから、長岡は二度訪れただけ、ほとんど無知です。母は雪がいやで上京したといいます。

・・うっかりしてました。上州(群馬)から越後(長岡)にはいるに、鉄道で清水トンネルをくぐっていましたが、昔はそんなトンネル無かったのですね。トンネルの上は谷川岳でとても急峻な山といいます。ほどよい峠道すらなかったのではないか。カツゾーの江戸の頃は、高崎から碓氷峠を越えて、上田や小諸、長野に入り、そこから北越に向かったのだと思います(まあ逆のコースですが)。千曲川、信濃川沿いに道があったのか。まったく見当もつきません。・・碓氷峠が最大の難所といいます。ヤマトタケルはここを通っています。芭蕉も、更科紀行で姨捨の月をみてから、ここを通って江戸に入ってます。ただこのあたり記録が無い。長岡から江戸に向かうに、どうしても長野経由になったのではないか。・・因みに信濃川、千曲川の源流は、甲武信ヶ岳に向ってるそうです。山梨、埼玉、長野三県の境にある2475mの山です。いったことはありません。

・・だいたい信濃路というのもどういう道かわかっていません。検索すると料理屋のチェーンの名前だったりして。・・めげずに検索。「大和路、信濃路」という堀辰雄の小品がみつかりました。ぽつりぽつり読んでる最中ですが、大和路の方で、法隆寺訪問についておもしろい記事がありました。金堂壁画の模写が行われていたようです。

「・・十月二十三日、法隆寺に向う車窓で
 きのうは朝から一しょう懸命になって、新規に小説の構想を立ててみたが、どうしても駄目だ。きょうは一つ、すべての局面転換のため、最後のとっておきにしていた法隆寺へ往って、こないだホテルで一しょに話した画家のSさんに壁画の模写をしているところでも見せてもらって、大いに自分を発奮させ、それから夢殿(ゆめどの)の門のまえにある、あの虚子の「斑鳩(いかるが)物語」に出てくる、古い、なつかしい宿屋に上がって、そこで半日ほど小説を考えてくるつもりだ。
十月二十四日、夕方
 きのう、あれから法隆寺へいって、一時間ばかり壁画を模写している画家たちの仕事を見せて貰いながら過ごした。これまでにも何度かこの壁画を見にきたが、いつも金堂のなかが暗い上に、もう何処もかも痛いたしいほど剥落(はくらく)しているので、殆ど何も分からず、ただ「かべのゑのほとけのくにもあれにけるかも」などという歌がおのずから口ずさまれてくるばかりだった。――それがこんど、金堂(こんどう)の中にはいってみると、それぞれの足場の上で仕事をしている十人ばかりの画家たちの背ごしに、四方の壁に四仏浄土を描いた壁画の隅々までが蛍光灯のあかるい光のなかに鮮やかに浮かび上がっている。それが一層そのひどい剥落のあとをまざまざと見せてはいるが、そこに浮かび出てきた色調の美しいといったらない。画面全体にほのかに漂っている透明な空色が、どの仏たちのまわりにも、なんともいえず愉(たの)しげな雰囲気をかもし出している。そうしてその仏たちのお貌だの、宝冠だの、天衣(てんね)だのは、まだところどころの陰などに、目のさめるほど鮮やかな紅だの、緑だの、黄だの、紫だのを残している。西域あたりの画風らしい天衣などの緑いろの凹凸のぐあいも言いしれず美しい。東の隅の小壁に描かれた菩薩(ぼさつ)の、手にしている蓮華(れんげ)に見入っていると、それがなんだか薔薇(ばら)の花かなんぞのような、幻覚さえおこって来そうになるほどだ。
 僕は模写の仕事の邪魔をしないように、できるだけ小さくなって四壁の絵を一つ一つ見てまわっていたが、とうとうしまいに僕もSさんの櫓(やぐら)の上にあがりこんで、いま描いている部分をちかぢかと見せて貰った。そこなどは色もすっかり剥(は)げている上、大きな亀裂が稲妻形にできている部分で、そういうところもそっくりその儘(まま)に模写しているのだ。なにしろ、こんな狭苦しい櫓の上で、絵道具のいっぱい散らばった中に、身じろぎもならず坐ったぎり、一日じゅう仕事をして、一寸平方位の模写しかできないそうだ。どうかすると何んにもない傷痕ばかりを描いているうちに一と月ぐらいはいつのまにか立ってしまうこともあるという。――そんな話を僕にしながら、その間も絶えずSさんは絵筆を動かしている。僕はSさんの仕事の邪魔をするのを怖れ、お礼をいって、ひとりで櫓を下りてゆきながら、いまにも此の世から消えてゆこうとしている古代の痕をこうやって必死になってその儘に残そうとしている人たちの仕事に切ないほどの感動をおぼえた。……」

・・この画家のSさんというのは、秋田在住の仏画師鈴木空如さんかと思ったが、たぶん違うでしょう。空如さんは「明治40年(1907年)から昭和7年(1932年)にかけて法隆寺に数十回出向き、金堂外陣(げじん)の土壁に描かれた十二面の壁画を独力で模写した。」とあるように、独力の作業でした。堀辰雄の訪問は、昭和18年すこし以前、複数の人たちの模写作業のようです。

・・昭和24年(1949)には、例の金堂火災が起きています。この文は、この火災事故が起きる前の壁画模写の風景です。

・・鈴木空如さんの独力の壁画模写も味があります。・・大正十二年頃第一回目の模写を終えたのは、太子千三百年祭の時。ちょうどその時の金堂古材から、祖父が聖徳太子像を彫り起こしたといいます。同じ裏日本の雪国にいて二人は交流があったと、母から聞いていますが、確かめようもないことです。

525秋魚:2015/05/12(火) 22:19:05
(無題)
・・弓が浜

・・もう記憶の像でしかないが、夏の光を追っていた。二度訪れたことがある。
そんなに大きな浜べではない。メルヘンチックな香りで、風、波のやさしい寄せ。たぶん夜、月が浮かんだら、最高にロマンチックでしょう。

・・小さな女の子を連れた若い母親が多かったような。母親もまだ若い娘のようでした。時代でしょうか。そういうファッションがあったようです。

・・あいにく。わたしが訪れた時は、風つよく勢いのある波がざざーっと入ってきて、遊泳禁止になってました。・・その名のとおり、弧をえがいた美しい浜べです。ただ強い波がくると砂を巻き上げて、とても水浴はできません。波打ち際のほんの戯れ遊びを、子どもがしてました。・・人が多く、すぐにあきらめました。

・・伊豆の半島めぐりをしていたのです。


・・かがみ浜

・・もうすこし先にゆくと、この浜があります。ここは岩で守られたもっと小さな浜べです。ほんの手前にまた小さな砂浜もあります。外海にさらされて、時おり白刃をたてて大きな波が打ち寄せますが、奥の砂浜に着くまでに、小さくなだめられます。岩がごつごつありますから。・・水はとてもきれいです。・・波と遊ぶなら、楽しいです。

・・なぜか人はほかに二三いただけでした。

 この小さな夢のような浜べは、尾道の詩人が教えたところです。


・・弓ヶ浜

・・二度目の訪れは、海の家の一日アルバイトでした。
・・もうあまり覚えていません。夏の光にうとくなっていた頃でした。

526秋魚:2015/05/13(水) 22:54:13
(無題)
・・ネットでこれはいいと物色した輪行袋。欠品とかある。たて続けに欠品、品切れというの、やはりみな考えてるのは同じようなことか。チャリダーの夢は輪行でステップアップする。・・もう何十年前になるのか支笏湖のユースに女子のチャリダーが二人来ていた。大学のクラブの先輩後輩だという。彼女らヘルメットして服装もそういう決まったスタイルで北海道まではやはり輪行ということだった。東京の学生だという。・・こういうプランニングいとも容易に実行するのに、ほとほと感心したものだった。

・・火山峠。ひやまとうげ。

 この辺の地図を描いているが、まだまだです。きょう読んだ本では、火山の部落というのがあるらしい。ここにカツゾーのお弟子さんがよく集ったという。その先十キロほど山の中には、四徳という土地。ここにもよく足を運んだ。いい温泉もあるらしい。

・・この火山峠です。幻視されるのは、


 自転車でいってみたい。

・・アプローチの道、いろいろあります。

 山頭火は、二度試みた。往くのはどこも一度きり。二度往くなら何度でも往く。そういってます。・・もう一度、というのが、深く聞こえませんか?

・・

527秋魚:2015/05/15(金) 01:48:28
(無題)
・・あの橋のたもとで〜そういうメロドラマが幼年期をすくいあげてた世代は赤トンボのように川辺の空地に羽根を休めに降りてくるのだろうか。人と話すことが多い。
・・たぶん「大菩薩峠」の映画のイメジだと思うが、数馬の切通しという奥多摩の難所がある。ここに今はトンネルがあって思慮無く越えることができるその昔道を旅路の娘が一人杖をつきながら登ってゆく。途中足をすべらせて木の茂みへ転落するのをフラッシュバックすることがある。

528秋魚:2015/05/17(日) 17:14:31
(無題)
・・クロスバイク。後輪の着脱を試みた。輪行のガイドによると最低十回は予行していた方がよいとある。パンクした時も車輪外しは必須になる。

・・その前にスタンドとペダルの取り外しを試みた。スタンドは三つネジを緩めれば外せそう。しかしカチンカチンに固まっていてびくともしない。CRCという潤滑油を注いで半日たったらネジは緩んだ。これは何とかなる。・・次にペダル外しにかかった。15mmのペダルレンチを使う。工具箱にあるのはツメが折れて破損している。専門工具は高価なので百円ショップで新しいのを入手。が、これがまったくダメ。工具が悪いのでなくネジがカチンカチンでCRCを注いでもびくともしない。使い方もまずいのだろう。輪行でペダル装填のままなんとかやれるのではないか。とりあえずあきらめ。

・・後輪の外しにかかった。チェーンに触れると手が汚れるという。Vブレーキの解除。この解除はいいが、作業を終えてもとに復旧させた時ブレーキの接触に不具合が起こった。実際輪行した場合、解体−組立て、解体−組立ての作業を2回しなければならない。そのたびに微妙な調整をすることになる。調整用の工具を携行する必要がある。やはり簡単にはいかない。・・クイックレリーズの爪を起こすと車輪は容易に外れる。チェーンを外して、スプロケットというギアの歯の塊はホイールに付属。問題はディレーラー。ここはデリケートでここをガードするにエンド金具を用いる。この備品はいま注文中。袋も注文中だが、さてうまく袋に収まるかどうか。

・・きょうのところは組立て復旧に手間取ったがなんとか成功した。試運転もしてみたが異常なし。気がついたこと、リアの七段ギア、アウターの7番目は無効だった。6番目で止まっている。これはギアディレーラーの調節が不充分なのかもしれないが、普段ほとんど使用していない。お店で購入したとき店員に調整してもらったままだ。・・ギアの調節というのがディレーラーで出来るらしい。取説を読んでここもマスターしてみたい。

529秋魚:2015/05/18(月) 18:11:23
(無題)
@高野長英

>・・天保10年(1839年)、蛮社の獄が勃発。長英も幕政批判のかどで捕らえられ(奉行所に自ら出頭した説もある)、永牢の判決が下って伝馬町牢屋敷に収監。

>・・弘化元年(1844年)6月30日、牢屋敷の火災に乗じて脱獄。この火災は、長英が牢で働いていた非人栄蔵をそそのかして放火させたとの説が有力である。

>・・天保十五年五月十日(1844年6月25日)水戸藩の藤田東湖に日記によりますと、「暁七ツ時大城奥より出火御本丸不残御焼失」となります。火は「朝五時頃鎮火」とありますので、4時間ほど燃えていたようです。まだ暗い午前四時の火事です、消火活動も十分ではなく、江戸城本丸は全焼、たくさんの人が亡くなり、多くの財宝が灰塵に帰しました。

@藤田東湖

>・・弘化元年(1844年)5月に斉昭が隠居謹慎処分を受けると共に失脚し、小石川藩邸(上屋敷)に幽閉され、同年9月には禄を剥奪される。翌弘化2年(1845年)2月に幽閉のまま小梅藩邸(下屋敷)に移る。この幽閉・蟄居中に『弘道館記述義』『常陸帯』『回天詩史』など多くの著作が書かれた。理念や覚悟を述べるとともに、全体をとおして現状に対する悲憤を漂わせており、幕末の志士たちに深い影響を与えることとなった。


@富処西馬

>・・「 俳聖芭蕉翁の百五十回の遠忌に當れるにあひて、惺庵西馬(せいあん・さいば)兼て追福を営むに社盟数十輩と議り、清水寺内に地を卜して一塚を築り、碑面篆額の贈號は故二條公の粟津の霊室に賜ふ處なり。
今四山これに筆を採、また高韻を書る者は菱湖に聞、清水寺は上毛第一観音の霊場にて洛の清水に景趣等しきと云。
句も亦彼を取てこゝに移す相當れる成べし。
予、この道に遊ふの因を以て一條の来由を祭主の為にしるす。
維時天保十三年龍集壬寅三月 五品多々良大内瀾長」

富処西馬

文化5年(1808年)、高崎田町に生まれる。

 天保4年(1833年)、西馬と号す。

・・

天保13年(1842年)3月、清水寺に芭蕉の句碑を建立。

 観音の甍みやりつはなの雲

・・一年早いが芭蕉翁百五十回忌ということです。

1843年 高崎大火にて母没す。
1844年 奥州行脚に旅立つ。


安政5年(1858年)8月15日、没。51歳。

530秋魚:2015/05/19(火) 11:46:10
(無題)
・・府中熊野神社にある上円下方墳はめずらしいものだが、もうひとつ三鷹天文台の近くに見られるという。この熊野神社の前の甲州街道は新宿までつながる。調布あたりで武蔵野湧水の野川が横切って流れる。湧水近辺から先土器、縄文の遺跡がよく発掘されている。旧石器の見られるところは、水源が近い。多摩川の流れは大昔から何度かスジを変えている。野川のように水源の湧水が大昔からその場所を変えていなければ、その近くに遺跡もよく見られるだろう。たぶん野川も水源はともかくその流れは幾スジも変化しているだろう。・・大地震などあり地殻の変動があれば、湧水が枯れたり、また別の水が湧き出したりするだろう。

・・野川の水源は国分寺の日立製作所研究所の敷地にある。仮にも湧水であるので水は透き通っている。これに沿って三鷹、調布から深大寺の側を通って多摩川に注ぎ込む。湧水の川を保護するために生活汚水は流さないようになっているはずだ。武蔵野で湧水があるのは、地層のずれ、断層のみられるところだ。国分寺崖線、青柳段丘とか国立の方でもいくつか湧水は見られた。・・調布深大寺にも湧水があるという。

・・野川は、三鷹にある野川公園の中を流れる。その公園の外れあたりに近藤勇の生家があった。あと近くにあった大きな霊園はなんといったか、太宰治の墓があるという。U君が墓参りをしたといっていた。・・三島由紀夫もそうここの多磨霊園というのだそうです。あ、三島はそうです、府中の多磨霊園。・・太宰治は三鷹禅林寺です。森鴎外といっしょです。いずれもU君から聞いた話だ。・・三島の金閣寺など読み返してみたいと思っていた。・・太宰は玉川上水でよく心中をしたようだが、あれしきの川でたやすく死ねるものだろうか。相方の女だけ死んで自分は生きながらえたなど笑えない話が多い。

・・入水心中というのが、そもそもまったく花のないものになっている。入水死というの、死後の自分を想像したら、女子はとくに望まないでしょう。後先のことは考えないというのが自死の決意としたら、むしろ記憶、痕跡の抹消方法をとるか。・・込んだ話になりそう。

・・江戸幕末の頃、わが家系にもゆうという女子の哀しい入水話がある。

531秋魚:2015/05/20(水) 21:46:44
(無題)
新編武蔵風土記稿による龍巌寺の縁起

(原宿村)龍岩寺
禅宗臨済派古碧山と號す、多磨郡由井領山田村廣園寺末、本尊釈迦、脇士文殊、普賢を安す、相傳ふ、境内昔は名主半右衛門か屋敷にて鎮守弁天社あり、側に小庵を建て喚室と云僧をして住せしめしか、慶長七年遂に宅を捨て寺とす、依て喚室を開山とすと寺傳にいへり、鐘銘に掾は、御入国以前よりの寺なりと載す、何れか是なるや喚室は元和八年十一月二十四日寂す。
辨天社。地主の神なり。
天満宮。往古は木立像なりしと、今木札に神號を記し、裏に来由を載す、其略に源義家此所にて出陣の連句を催し、社前に納む、依て句寄の天神と號すと。稲荷を合祀せり。
日吉山王社。是も神號を記せし木札の裏に、往古は當村千駄谷村境榎樹の下に勧請ありしを、寛永中当寺第三世明叟の時ここに移すと云。
圓座松。砌下にあり、囲み四尺許、根上一尺許を隔て四方へ蟠延す、大さ東西七間餘、南北六間半、其状圓坐を敷たる如くなれは此名あり、初栽せしより凡九十年に及ふと云ふ、
鐘楼。元禄十一年鋳造の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より


>・・春もやゝけしき調ふ月と梅

元禄6年(1693年)春の句。出典は『続猿蓑』(沾圃編)。

上部が欠落している。

 龍巖寺の周辺に近衛歩兵第四聯隊の兵舎があったので、龍巖寺は戦災に遭ったそうだ。

寛政5年(1793年)正月、建立。脇田赤峰(1751年〜1834年)書。

『諸国翁墳記』に「翁 塚 江戸青山原宿龍巖寺ニアリ 二世冬英・五陵建」とある。



青山原宿竜巖寺 境内ニ在

[梅月]墳

春もやゝけしき調ふ月と梅

寛政五癸丑年正月建之 兌堂冬英 旬樹五陵

此寺を俗に松の寺と云


『広茗荷集』

532秋魚:2015/05/21(木) 01:15:20
(無題)
・・うっかりしていたことが多い。芭蕉の門弟に天野桃隣というものがいる。伊賀上野の人で芭蕉の甥とも従弟ともいわれ、芭蕉が大坂で没した時、桃隣は深川の芭蕉庵を預かっていた。

>・・伊賀上野の人。本名勘兵衛。通称藤太夫。太白堂。

天野藤太夫。太白堂・呉竹軒、後ハ桃翁ト云。本土伊賀上野、翁古朋友也。神田ニ居ス。享保四己亥十二月九日八十二歿。浅草光明寺葬。 『蕉門諸生全伝』(遠藤曰人稿)


・・元禄4年(1691年)9月22日、芭蕉は江戸へ旅立つ。

 同年閏10月23日、芭蕉は新城在住の太田白雪に案内され、鳳来寺山に登山した。天野桃隣・各務支考、白雪の子桃先・桃後らがこれに従った。

・・うっかりしていたのは、この鳳来寺山。大宝2年(702年)、利修仙人が開山したと伝える。

・・元禄4年(1691年)9月22日、芭蕉は膳所義仲寺を後にして江戸へ旅立つ。途中で鳳来寺に立ち寄った。

・・石段――その古風なのがよろしい――何千段、老杉しんしんと並び立つてゐる、水音が絶えない、霧、折からの鐘声もありがたかつた。

本堂前の広場でおべんたうをひらいて一杯いただいた。『旅日記』


山頭火も来ている。

「・・参道の石段の数が1,425段あり、徳川家光によって建てられた仁王門は国の重要文化財である[1]。また、愛知県の県鳥であるコノハズク(仏法僧)の寺としても有名である。」

・・1425段の石段というのは、すごい。

「・・新城に住む弟子太田白雪の家に泊まった芭蕉は、弟子たちを連れて鳳来寺へ参詣に来ました。急な坂道の途中で足を休め

木枯しに岩吹きとがる杉間かな

という句をよみました。現在、山道の石段を100段ほど上った左側に、この木枯しの句碑が立てられています。

 たいへん寒い日だったので冷えたためか、芭蕉は持病がひどくなり、頂上まで登らずに引き返し、表参道にあった家根屋という宿屋に泊りました。この宿で芭蕉は

夜着一つ祈り出して旅寝かな

・・たいへんな石段だったようです。・・芭蕉はさいごまで登りきらなかったかもです。

 (1691)同年10月29日、芭蕉は3年ぶりで江戸に到着。桃隣は芭蕉に同伴して、初めて江戸に移住した。

 されば師が東行の袂にすがり、はじめて富士の高きを驚き、むさしの広きをうかゞふ。

『陸奥鵆』

 霜月はしめ粟津より東武に歸菴。(桃隣同行)。神も旅寝の吟此時なり。

・・はじめて富士の高きを驚き、むさしの広きをうかゞふ。

この桃隣の、感想です。おもしろいのは。富士と武蔵野。

「・・元禄7年(1694年)5月11日、芭蕉は江戸を発って上方へ最後の旅する。

五月十一日江府そこそこにいとまごひして、川がやどせし京橋の家に腰かけ、いさとよふる里かへりの道づれせんなと、つねよりむつましくさそひたまへとも、一日二日さはり有とてやみぬ。名残惜げに見えてたちまとひ給。弟子ども追々にかけつけて、品川の驛にしたひなく

   麥の穂を便につかむわかれかな   翁

箱根の關越て

   目にかゝる時やことさら五月富士


『芭蕉翁行状記』(路通編)

・・この句が、芭蕉の旅で最後の記憶の富士であっただろう。


 箱根宿は東海道五十三次10番目の宿場。

 くもり空で、とても富士など見えないと思っていた所、山を越える頃ふとその雲が切れて、実に目にもおざやかに富士の姿が現れた。

 その山容の美しさ、このように予期もしない時にふと目に入った時こそ、殊更に美しく感じられるよ富士の峰は、という句である。

533秋魚:2015/05/21(木) 20:32:15
(無題)
・・五月晴がもうすこし続きそう。マンションの管理人さんのおかげで自転車右ペダルが外れそう。ネジが動いた。・・左は逆ネジですね。なんて固いのでしょう。いいですよ。とりあえず。裏山の枝の伐採と草刈はボランチアでやらせてください。蛇が出そうですね。薮蚊がこわいです。強力な毒蚊もいるようですから。大丈夫、やらせてください。

・・今日はいい道ですが、二時間半ほど走ります。多摩川のサイクリングロードを下って、多摩丘陵の中まで走ります。多摩川は護岸工事がすすんでいます。鬱蒼としたところかなり整備されています。基本は洪水を防ぐためらしいですが。・・一度自転車を解体して再組立てさせたものの試しのり。ブレーキが心配でした。まあなんとかです。もうすぐ輪行袋が届きますから、それから小さくチャレンジです。

・・先日コゲラが木を叩いていた公園のバラが、今はきれいです。

・・平日なのに、やはり人気のサイクリングロード。サイクリストによく出会います。集団で移動するサイクリストたちもいて。装備が完全そう。みんなそれぞれサイクリングの理由があるのですが、出先で話すことあっても、まず理由を言い合うことはありません。まったくヤボに属することです。・・いつかの秩父で会ったカッコいいお姉さんとか(バイクライダーでしたが)雑談でそれとなく理由が察せられることもあります。素敵なお姉さんでしたから、ほんのり想像されるだけでいいでしょう。・・自分の自転車乗りはたぶんだれもわからないでしょう(笑)

・・どんな時でも、ソウルメイトがいるかいないか、それが大切です。

・・多摩川をくだって、モノレールの走る橋は立日橋でしょうか。自転車もここで岸を変えます。そこからやはり川沿いのたいへん爽快な道で石田橋の袂まで、ここは以前の住まいから庭の出口のようでした。日野のここらに土方歳三が生まれています。モノレールを浅川の新井橋のほうへ途中忌野清志郎の通った日野高校がある。・・高幡不動駅から多摩動物公園にむけていく間に、在日アジア外国人のための語学学校らしきがあって、いつも特別活気ある若者たちが自転車で押し寄せます。信号待ちで彼らの言葉を聞くと、まあ何語ですか、識別はできません。かれら若者の輝き方、日本の若者とちょっと違ってます。傍でみている限り、ノスタルジックな香りです。

534秋魚:2015/05/23(土) 14:34:06
(無題)
・・自転車の解体−組立てに再チャレンジ。エンド金具と袋が届いた。エンド金具はメーカーはほとんどオーストリチのものだけ。これを使ってもディレーラーを完全に保護するのむずかしいようなことネットのコメント多い。それに袋は、収納がいかにも困難な記事も多い。クロスバイクは後発の流行であまり輪行向きではないともいう。ともかく最低限電車に持ち運べる状態まではチャレンジしたい。JRの規則が厳しくなって、完全に袋に収納されないものは受け付けられない旨の情報もある。下手な解体−組立てで破損が起きるのがこわい。予行はやはり十回はやった方がよさそう。

・・今回はまずフロント、リアのVブレーキの解除。自転車をさかさまにしてサドルとハンドルで支える。クイックレリーズを緩めてまず前輪。次に後輪。・・あとでわかったことだが、車輪のセンターがずれるとブレーキのシューの位置が狂う。これはすべてクイックレリーズの調節でうまくいく。後輪のチェーンの外し方、組み込みかた、繰り返しやるとうまくなりそう。

・・チェーンの位置をギアのアウターへ置くのは、前回学んだとおり。ただしエンド金具でチェーンを引っ掛けて固定する方法がある。今回これを試みたが、その為に一度ギアをインナーへ移す必要がある。とりあえずリアだけ。・・これでエンド金具を固定。レリーズで堅く締めないとたやすく位置がずれる。スタンドも外す。次にホイールをフレームの脇に固定する。これが実は一番よくわからない。自転車本体の形がどうなってるのか。目の前にあっても知恵の輪のようで把握できない。要は袋に入るようにホイールを固定するわけだ。なんとか形をつくってみる。今回失敗したのは、スプロケットの位置。位置取りわるく振動を与えるとフレームがキズつきそう。これは左右を変えれば解決しそう。次回の課題です。二本のベルトで固定。もう一本は自前のヒモで固定。いかにも自信の無い装填だ。

・・さていよいよ袋に収める。結論からいうと、失敗。やり方もまずいのだろうけど、フォークとハンドルの部分がどうしても完全に収まらない。下方にたるみがあるので、もうすこし詰められそうだが、無理して収めると袋が破けるのではないか。・・次回からは、最善を試みてフォークは外に出したままなんとか乗車してみたい。駅員も客が多くなければ細かくいわないでしょう。知人の外人は八高線で袋にも入れず看視付きで乗車したこともあったという。・・甘いか?

・・あと肩にかけるショルダーバンドの取り付けも、わからないまま、これも次回の課題。

・・このあとの組立て復旧。袋から出し、エンド金具を外し、ホイールを取り付ける。細かい点多々むずかしいことがあったが、なんとか復旧。・・半日かかっている。これでは一日二回の解体−組立て、解体−組立てはやってられない。もうしばらく予行をつづけねばです。

535秋魚:2015/05/25(月) 00:10:50
(無題)
・・都留に流れる川は、桂川といいいます。水源は山中湖。

>・・「都留」は都留郡の郡名に由来し、「都留」は都留市の位置する桂川(相模川)流域の地域が富士山の裾野を蔓のように延びており、その様子から「連葛」「豆留」(いずれも「つる」)とよばれていたことに由来するとされている。

・・この桂川が魅惑です。一度大月の方へ流れ、相模湖、津久井湖のダムを経て相模川となって下るのだそうです。先年、藤野から入ってやまなみ温泉を訪ねた時、桂川の流入する相模湖、津久井湖はよく見てきました。さらに先年、厚木の方から大山詣での時、相模川の下流は海のようでした。・・桂川は、ずっと上流ですね。

・・都留市内からは、富士はほぼ見えにくいそうです。芭蕉のいた谷村からは、富士は見えたのだろうか。一度訪ねてみないとわかりませんね。

・・都留市から富士吉田へ向う途中の西桂町というところまで来れば、富士もきれいに見えるとのこと。

「・・桂川や柄杓川流域に先史時代からの遺跡がみられ、湧水の湧く三つ峠遺跡は県内最高所の遺跡として知られる。また、御坂層からは第三紀中新世の化石が見つかっており、当時は海に面した入り江であったことを窺わせている。水が綺麗なところにしか生えないバイカモが自生している。」


・・芭蕉「月待ちの湯」という日帰り温泉から、二十六夜山を登山ハイキングすれば、富士見のスポットは多くあるという。・・やみつきになりそう。

536秋魚:2015/05/26(火) 00:30:10
(無題)
・・自転車の左ペダルが動いた。CRCをネジの隙間にまんべんなく注いで数分後レンチで試みたらすんなり動いた。さすがCRC。前回効き目がなかったのはCRCの注ぎ方が悪かったのだろう。右ペダルもトライ。CRCならレンチが効く。・・これでひとつ自転車工学が進歩した。しかしドン臭いことやってますね。自転車の解体−組立てもさらに試みたがだいぶ上達したか。ショルダーベルトの設置だけがまだ習得してない。もう二三回ですね。

・・最近自分のゆくところクロスバイクで走ってる人あまりいません。ロードバイクの本格派がほとんど。ですからいつも後ろから追い越されること多しです。・・以前ママチャリで宮沢湖まで出かけたことありましたが、かなり無謀でした。自転車自体が途中で分解するのではないかとたえず気になっていて、おまけにパンクの可能性も高かった。ロードバイクの人に道を尋ねたら、女性でしたが「その自転車でいくの?」と憐憫のまなざしを受けたものでした。クロスバイクはその後数乗りこなして今では自分の身体ほど身についています。ロードバイクに乗ったらどうか。このところ想像すること多し。長距離の輪行ならロードが軽快そうです。

・・きょうは裏山の草刈をした。山は他の人の所有だが、庭のように使用してもよいとのこと。桃、梅、桜、金柑など、こちらの趣味ある人が植えていて、初夏には鶯がよく鳴きに来る。山の奥は檜、杉、左手は道路にかけて竹の林がある。この中も鶯が飛び交っている。今どき朝はいろんな鳥の声で眼が覚める。ホトトギスが鳴いてるはずだが、自分は識別できない。俳句でホトトギスはよく詠まれている。俳句詠みでホトトギスも知らないのは、トホホです。山の近くに住むようになって、なんとかホトトギスくらい見究めたいものです。

・・草刈は、きょうはお遊び程度。竹の子が出てきたというので、それをいただこうかと思った。竹にもいろいろあって、孟宗竹のものが有名。お店で売られているのは孟宗でしょう。・・食べられない竹の子もあるのかなと思い調べたらおおかた食用になるとのこと。ただ竹の子は灰汁ぬきがたいへん。以前義姉の田舎から立派なのをいただいたが、灰汁抜きも知らず笑われたものだ。米ぬかを使うのだそうです。竹の子のアクは採り立てならさほどでなく日がたつと強くなるらしい。今回の竹はなんでしょう。孟宗ではありません。竹薮というほどやや細い竹であまり風情はありません。でもともかく竹の子。そのまま伸びても邪魔になるだけだというので数本折り取って来ました。・・草刈は利鎌をつかって、これもトホホのショックだったのは、野草の名前ドクダミ以外ほとんど識別できなかったこと。草むらにカマを入れると、ときどき思わぬ葉枝の反発を受け顔や眼に当たりそうになったり。なんか得たいの知れない虫がいて急に手足の肌がかゆくなったりします。蛇もどこかにいるはずです。広い敷地でほかにおもしろい植物もありそうで、すこしわくわく。・・この建物の管理理事になったので山の手入れも自由にやってくださいということでした。

537秋魚:2015/05/26(火) 22:52:26
(無題)
・・自転車の専門用語の使い方間違ってました。ギアの位置をあらわすアウター、インナーはフロントギアにのみ使い、後輪のリアギアにはトップ(ハイ)、ロウを使うそうです。アウタートップは一番重く、インナーロウは一番軽いギアになります。輪行の時はアウタートップで車輪を外しますが、単に後輪を外す場合インナートップでやるといいます。素人にはすこし難解な話になります。

・・きょうも解体−組立ての後、試験乗り。多摩川サイクリングロードで稲城まで走りました。注油すると解体作業で手が汚れるのでしばらく注油してません。ディレーラのごみなど除去したのでかえって走りは軽快になったよう。ギアチェンも特に問題なし。輪行は袋に収めて電車で移動する間が勝負。けっこうな荷物です。

・・サイクリングの帰りに立川のナルシマフレンドに寄ってみました。もともと競輪の選手が引退してはじめたお店のようなこと聞いてましたが、ずいぶんとブランド化して立派になったものです。数年前ウィンドウにはGiantが並んでましたが、数ヶ月前はブリジストンのAnchor、今日お店でみたら、まったく得体の知れない高価なものばかり。店員にBianchiやGiantは置いてないのかと聞いたら、Bianchiは扱いなし、Giantは取り寄せになるという。ナルシマでBianchi、Giantは買うなというようでした。・・しかし20万から5、60万のもの。100万くらいのもありますが、買う人いるんですね。わたしなどお話にならない感じでした。ただ輪行袋の宣伝はありました。これはどこにでもあるやつです。輪行自体流行のようです。よくわかります。わたしは運べればいいというので、ネットで最安値のものを入手。たぶんこれでいけるでしょう。自転車はもちょっといいのが欲しいですね。

・・スポーツサイクルの構造はとてもシンプルです。無駄がほぼゼロという創作の歴史を感じます。ブランド品は各パーツの質のよさにあらわれます。高い買い物をする時は、そのお店でケアを保証してるとこ多いです。・・この道にはまってる人多そうです。

・・もう夜中になってます。またホトトギスがぴーひょろろ鳴いてます。ようやく鳴き声は覚えましたが、すがた形は見ていません。

・・ベルツ博士という名前からするとドイツ人かな。この人が東京大学の医学部を創ったような記事がありました。日本人の女子をもらって最初のジャパノローグみたいな人。第一の功績が温泉療法といってました。ベルツ水というのは化粧水です。草津の温泉を大きく評価していたそうです。

「・・ベルツ博士は荒井花子と結婚し、明治11年頃より草津温泉を訪れるようになる。温泉の成分を分析し、正しい入浴法を指導すると共に「草津は高原の保養地に最も適している。草津には優れた温泉のほか、最良の空気と理想的な飲料水がある。こんな土地がもしヨーロッパにあったらどんなににぎわうだろうか。」と賞賛し、私費を投じて6千坪の土地を購入し温泉を引きクアハウスを建てて公開した。世界無比の高原温泉であることを世界に紹介し、日本の草津を世界水準に引き上げてくれました。 」

・・ドイツには、たしかバーデンバーデンに温泉があるはずです。しかし、この草津温泉の手放しの称賛は注目です。

・・先日わたしが訪れた和どうの湯は、鉱泉ですが、すばらしい湯でした。どうすばらしいかというと、表面上はなんの変化もないのです。・・家に帰って顔を洗ったら、もうぬるぬるになりました。融けてしまったかと思ったほど。・・正丸トンネルという修羅を通ってあぶら汗だったかもしれませんが。

538秋魚:2015/05/28(木) 00:53:31
(無題)
・・深夜の0時半頃にきまってホトトギスの鳴く声が聞こえる。鶯などは求愛のためにホーホケキョと鳴くと聞くが、かの鳥はどうか。

・・このところ瞑想もしくは瞑想力について思い巡らすことがある。

梵志ということばがある。バラモンの僧のことだ。

539秋魚:2015/05/28(木) 21:58:20
(無題)
・・また輪行の予行。今回はスピードアップして最終の運べる状態まで。完全収納とショルダーベルトを取り付ける。このベルトは支えで車体の一番安定した重心を手で握って運ぶのがよさそう。ホイールをフレームにしっかり固定することが肝心。

「・・私は大地の清新な芳香、そして私は火の熱さ、私は生きとし生けるものの生命、そして私は苦行者の苦行。」

・・ヴェーダンタが私という時は、注意ですね。

「・・ブラフマーの昼が始まると、全生物は姿を現し、ブラフマーの夜が来ると彼らは再びその姿を消す。」
「・・何度も何度もブラフマーの夜が明ける度、全生物は現れ出て、ブラフマーの夜が訪れる度、彼らは絶望的に消滅する。」

「・・究極的には、ブラフマーの寿命が尽きると、彼らはすべて消滅し、無限といってよい程長い年月を未顕現の状態で過す。そしてまた、ブラフマーが再び生まれて次の周期が始まると、彼らはまた姿を現す。」

・・物質世界の罠のことらしいですが。

「・・だがこの顕現、未顕現の現象を超えて、別の永遠な非顕現自然が実在する。それは至上至高にして不滅。この世界のすべてが消滅してもそのまま残る。」


・・こういうところへ突き進むお姉さんって、カッコいいですね。

540秋魚:2015/05/31(日) 00:20:21
(無題)
・・解体−組立て後の試し乗り。きょうは都心に向った。去年の暮れに仙川まで行ったのを復習し、そこから先は未知のライドになる。例によって多摩川サイクリングロードは完全無欠で国立府中までゆける。かつての庭だ。フロントブレーキが少し鳴くようになったのは、調整で消せる。いまのブレーキ幅を維持しないと解体−組立てがスムーズにいかない。鳴かせておくか。この府中あたりからの甲州街道がかなりやっかい。車道はこわくて走れない。旧甲州街道などの側道も一部使えるが、明大前あたりの井の頭通りに折れるまで一本道。今回は新宿に向わず渋谷をめざした。井の頭通りは三鷹の五日市街道からわかれ吉祥寺を通って渋谷に伸びる道だ。都心は例によってざっと調べただけ。渋谷周辺の芭蕉句碑を洗っておいた。

?金王八幡宮 渋谷3-5-12 しばらくハ花のうへなる月夜かな
?宮益御嶽神社 渋谷1-12-16 眼にかゝる時や殊更さ月不二
?龍巌寺 神宮前2-3-8  春もやゝけしき調ふ月と梅

・・井の頭道路を代々木公園の前で折れて渋谷駅をめざした。何度か人に道を尋ねたが、渋谷中心に向うに方向を失った。人が多く繰り出すところがハチ公のいる駅だろう。しかし迷い込んだのはホテルなどある妖しい通り。朝の清掃をしている妖しいメークのお姉さんに道を尋ねるわけにもゆかずなんとか人ごみを追って道玄坂をくだった。駅前に交番がポツンとあって客対応の巡査が十人くらいたむろしていた。

・・三つの訪問地のうち最初の一つがわかれば、他の二つは容易に到達できる。若い巡査に金王八幡を尋ねた。てきぱきと教えてくれたが最初にすすむ道をとりちがえたため青山通りには一向に神社らしきはない。ちがってるなというので、今度は青学の守衛さんに尋ねた。なるほどもうひとつ向こうの道ですね。しかし自転車が乗れないくらいの人ごみです。

・・ところで、

?しばらくハ 1817年。「文化14年、太白堂門人山奴社中建立。」太白堂は天野桃隣の号。

?眼にかゝる 1825年。同宮益町御嶽山中ニ在 富士墳(宮益坂は別名「富士見坂」とも言われた。)「文化八年五月栗菴宇橋社中建之」

?春もやゝ 1793年。「翁塚 江戸青山原宿龍巖寺ニアリ 二世冬英・五陵建」

・・芭蕉句碑の建立はかくのごときで、寺社の由緒起源はさらに古く衆民の信仰のもとはこちらにある。

・・金王八幡宮は、渋谷を代表する神宮とある。源頼朝が植えたという金王桜は一重と八重の桜を同じ木に咲かすというめずらしいもの。頼朝が平氏との闘いで参篭した神宮で、渋谷金王丸は忠節な武将。義経追討の命を受け、館に討ち入ったが、そこで落命している。

「寛治6年(1092年)、渋谷氏の祖河崎土佐守基家創始。元渋谷八幡宮と称したが、金王丸の名声に因み、後に金王八幡宮と称される。金王丸は17才の時源義朝に従って保元の乱に参加して大功を建てた。」

 金王丸は、もともと源義朝の俊英な部下であったというが、渋谷氏というのは桓武平氏の血の流れを継いでいる。・・先日訪ねた秩父の妙見山というところに日月二つの旗を納めた八幡宮を開き、この月の旗をいまの渋谷金王八幡に移して神宮を開いた。渋谷氏は関東に下った高望王の流れをくむ平氏の末裔だが、源氏にたくみに使われている歴史がある。・・秩父の妙見山は武甲山ではないかともいうが、渋谷の本家は八幡と妙見の秩父というのは、一驚だった。

・・立ち寄った金王八幡宮は、ちょうど結婚式のさなかで、笙、篳篥などの音曲が聞こえてくる。


 宮益御嶽神社は、一度駅にもどって青山通りに向うと左手にすぐに見つけられた。宮益坂はいまは都会のビルで埋まっているが、昔は富士見の坂だという。・・青梅にもある御嶽神社の由緒は古いものだが、ここの御嶽神社は元亀年間に勧請したものという。

都神社名鑑による渋谷御嶽神社の由緒によれば、

「大和国吉野郡金峯神社分祭の社にして、日本式尊を奉祭する。創立は元亀元年(一五七〇)にして寛永年間(一六二四−四四)再建すという。明治三年四月十七日かしこくも明治天皇駒場野練兵場において、我が国最初の観兵式統覧のため行幸のさい、御往復とも御召替のため御小休所となったところである。当時その筋より白木鳥居と駒寄を寄進される。・・」

・・社殿前にあるのは、あうんの狛犬ではなくオオカミであるのは、いかにも青梅の御嶽神社の大口真神を勧請してるふうだが、大和国吉野郡金峯神社分祭の社というのは、新政府の格式の作り方か。明治天皇の足跡も高く清めたいもの。

 眼にかゝる時や殊更さ月不二

・・ここは江戸時代に流行した富士講のパワースポットとしておおいに信仰されていたと思われる。

 三つ目の龍巌寺は、神社でなく臨済の禅寺。「檀信徒以外の出入をお断り申す」とある。理由を言って芭蕉の句碑だけは見させていただくことができた。

 春もやゝけしき調ふ月と梅

・・ここの注目すべきは、その建立年1793年。芭蕉百回忌である。「寛政5年(1793年)正月、建立。脇田赤峰(1751年〜1834年)書。」とあり、この脇田赤峰は著名な能筆家。井月はここにも必ず立ち寄っているはず。

・・神社の前の坂道は、勢揃い坂という。「この道は鎌倉街道であり、平安時代後期の武将で、八幡太郎の通称で知られる源義家が、奥州征伐(後三年の役、永保3年・1083)に向うときに、ここで軍勢を揃えて出陣して行ったといわれ、この名が残っている」

 源義家が奥州へ向ったというのは、奥の細道の志向と重ならないこともないが、こういう石碑の建立というのは、意味づけを深読みしない方がよさそうだ。


・・さて、この日は若者の街原宿界隈をすこしポタリングして、飯田橋の神楽坂エスパスという画廊へ向った。渋谷の寺社まわりで地理不案内と人ごみで思わぬ時を使った。友人の水彩画個展へ訪ねたかった。神宮外苑のあたりから信濃町、四谷見附、外堀通りをそのままいけば飯田橋までゆける。また道をまちがえて新宿通りを皇居の方へ進んでしまった。ここはいつか来た道。また巡査に聞いて、硯友社跡のあるあたりから駅の裏にでた。あとは葉書の案内で神楽坂をのぼり、なんとか画廊にたどりついた。

知ってる人がいると、ホッとする。佐治恭太郎さん。日曜画家です。仕事が忙しいのによく作りましたね。頭が下がる。・・さわやかなよい絵です。

きょうは日帰りで、帰り夜になると、自転車もこわい道になる。しばらくいてお暇しようと思ったら、おもしろい友人がこれからどんどん来るから会っていてくれとか、しきりに引き止める。たぶん帰り5時間はかかる。国立あたりからの夜道は馴れてはいる。まあ4時までが限度かな。神楽坂界隈も散歩したら楽しそう。・・なんでも唯識思想の専門家とその周辺の人(チャイニーズ)が来るのだという。青学、成城大、信州大でそれぞれ教授だとか。おもしろいのは、奥さんが信州大の教授で、それなら今度伊那に行く予定がある。信州大は伊那だったはず。娘さんが美人でモデルだという。その娘さんもこれから来るという。佐治さんのまわりとてもそんな人脈想像できないので眉唾ではあったが、日本の唯識の第一人者は横山先生といってその方もきょう見える予定だったとか。ともかくチャイニーズの美人モデルに会ってみてとかに釣られて、すこし長居をしてしまった。・・けっきょく他の友人がどんどん現れておもしろいことになったが、美人さんたちはそんな早く来ないでしょう。・・自転車乗りのが大切でやっと暇乞いして画廊をでた。

・・帰りは、市ヶ谷から新宿に向う靖国通りをゆきそのまま青梅街道。これ一本で青梅までゆける。・・しかし、この道つまらない。途中五日市街道にはいるのを選んだ。あまりはやくはいると迷路に落ち込んだのはいつかの体験。井の頭通りを逆行して甲州街道まで出たものだった。じっと我慢で荻窪まで、ここは駅前にでる。さらにいって三鷹のあたり、玉川上水に沿った道が五日市街道。車線も広くよい道だが、信号待ちがたくさんあってしかも長い時間待たされる。これをパスして内側に折れたが結局出口は遠く、押し戻されてまた五日市街道へ。途中交番で尋ねると、このまま五日市街道で拝島までいくしかない。横田基地のわきを通ります。この道ははじめてなので興味もあってここをひたすら進む。もう七時をすぎて暗いです。都会だからまだいい。いつか埼玉の田舎で夜道を走ったら真っ暗でどうなることかと思ったものだ。拝島ちかく横田の基地の照明がみえる。きれいなので写真を撮りたかったがあきらめる。拝島にでれば、16号とぶつかり入り組んだ交差点。ここからJRの線路沿いに福生に向うのは何度か試みてお手の物。夜道でもこわくはない。

・・剥き身の腕が日を浴びて焼けて、ひりひりする。草刈でとったドクダミをつけた湯を浴びた。薬効でひりひりは治まったようだ。

541秋魚:2015/06/02(火) 21:41:24
(無題)
・・予行ばかりやってもいられない。今日は念願の輪行をやってみた。滝山街道、高尾街道でJR高尾の駅へ。90分でいけると思ったが100分かかった。さて、駅の近くで自転車を解体せねば。観光の駅で手頃な場所がない。すこし離れているがロータリーから駅沿いの小道にはいるところにちょうどよい空き場所がある。家のベランダでやるのと趣き違ってうまくいくかどうか。ショルダーベルトの取り付けがやはりもたついてこれは結局使用しない飾りになった。フォークが一本どうしても収まらない。これでもって駅まで運び、切符を買って普通の改札は通れない。駅員さんにいって入場口を開けてもらう。荷物をみても何もお咎めなし。やや重いがこれは許容範囲。なんとか電車に乗り込んだ。先頭車両で荷物優先の場所選び。座る場所もみつけて隣した奥さんと四方山話になる。自転車の相当な乗り手にみられたが、まだ素人です。自転車の解体は最近はじめたばかり。BSでチャリダーの番組みがあるとか一般的話題でも話がつづく。この奥さんはマウンテンバイクを乗ってたが今は飾ってあるだけとか。健康によいので自分の乗り方でやるのがよいとかいってるうち、大月の駅に着きました。奥さんは勝沼のワイナリーに行くそうです。

・・大月の駅を出てここは観光案内所があります。ここも組立ての手頃な場所を見つけてすぐ組立てにはいる。解体より組立てが容易です。運んでる間にどこも破損がなければいいです。ブレーキが一番気になる。ギアの位置も正常にもどして、これで都留までいけそう。案内所で大月、都留、猿橋のガイドをしてもらい、都留には391の国道一本ということでした。これが実はひどい道でした。正丸トンネル内と似たような歩道があってダンプは来るしいやひどい道です。

・・都留では、円通院というお寺、桃林庵という芭蕉仮寓の庵。それにすこし離れた月待ちの湯という温泉。ここが目標でした。大月から小一時間で都留市中心部にはいれます。赤坂という手前の町でまだ雪化粧の残る富士が見えてきました。写真を撮ろう撮ろうと思って進むうち都留市街にはいると急に富士は姿を消しました。

・・都留には、観光案内所がありません。大月でいただいた地図を一二度参照しましたが、だいたいの見当をつけてすすんでから土地の人に道を尋ねるというのが一番いいようです。ささいな事でも土地の人と言葉を交わすのは、うれしいことです。都留の中央山沿いの円通院はすぐにわかりました。芭蕉が谷村仮寓中世話になった高山麋塒(びじ)の家の菩提寺にもなってますが、ここは蕉翁百年忌建立の句碑があります。私的には、この百年忌の興味であちこち周っています。

 旅人と我名よはれんはつ時雨  芭蕉

10月12日 嵐雪三世居二代六花庵建立

・・もともと谷村で詠まれた句ではありませんが、芭蕉が旅をつよく意識した土地で、句碑をつくる意味は深いでしょう。渋谷の龍巌寺百年忌碑には、井月はただに寄ったとしても、こちら円通院の句碑は這ってでも訪ねているでしょう。井月「越後獅子」に載る東都の俳人小林見外は猿橋の生まれです。江戸で知り合ったと思われますが、ほど近い都留谷村の話はおおく語られたと想像されます。・・この円通院をもうすこし先にすすむと、桃林庵という芭蕉仮寓の庵(再建されたもの)が見られます。・・富士の話が立ち消えてしまいましたが、ずっといつも富士をさがしていました。この桃林庵から富士はまったく見えません。この周辺からでも何か向いに山があり、そこに隠れているような、ともかくまったく富士は見えません。・・いま輪行から帰って、谷村における芭蕉と富士ということで、たぶんだれも述べておられないと思われる、重大なことに気がついています。・・それについてもうすこしここらをポタリングしないとなんとも言えませんが。

・・それで次に戸沢というもっと山よりにある月待ちの湯という温泉に向いました。

この月待ちの湯というのがお笑い話になります。「・・陰暦正月と7月の二十六日の夜半に、月の出るのを待って拝むことを二十六夜待といい・・」この信仰のある二十六夜山という山が近くにあります。

・・今回の輪行、平日でしたが、実は道中自分以外志を同じくするものひとりも出会わなかったのです。高尾の駅でも出会わなかったし、大月の駅でも出会わない。391の国道でもです。また、月待ちの湯は都留市中心から5kmほど山間にはいったところです。その街道そんなわるい道ではありません。でも、サイクリストは出会いません。・・それでは、と思いつつ、月待ちの湯は想像とちがい遠いのなんの、しかも道がわかりにくい。3,4度人に尋ねました。温泉に近づくと、道の傾斜もきつくなりしかしこれくらいは何でもありません。想像とちがいかなり山奥の村に来た感じでしたが、やっと温泉にたどりつきました。・・お笑い話というのは、失礼な話ですが、遠来の客自分だけではなかったか、老人クラブの寄り合いみたいで、とても楽しかったです。・・温泉自体はアルカリ泉の上等のもの。このへんの地層、4つのプレートが犇いていてその間隙から湯が湧き出るということです。近くの二十六夜山トレッキングがおもしろそうで、ここを起点に道があるとか。フロントで尋ねたら、案内のパンフいただけました。都留市中心で見えなかった富士見のスポットがあるとのこと。

・・輪行先で温泉にはいるのは、テルマエロマエのタイムスリップと似ています。こういうのも幻術のひとつ。地元の人たちの楽しみを崩さないうちに帰路につくことにしました。

・・お笑いというのは、このあとの自分のお話です。温泉に来るまで苦労でしたが、帰路よく覚えていなく道をまちがえてしまいました。郊外では富士もみえます。右折してどんどん進めば富士を背にして大月の駅に向うはずでした。そのつもりが、なんと眼前に雪肌らの富士がみえる!もしや、反対方向にすすんでいるのでは?人通りもほとんどない街道でした。むこうの方から、やっと歩く老人と付き添いの娘さんらしきが。迷路にはいって一大事。走りよってここはどこかと尋ねました。藁にもすがる思いでしたが、娘さんのたいへん落ち着いたやさしい対応でした。引き返して左折しなければなりません。前に富士があるから前進すれば富士吉田ですか?いえ、やはり大月にでます。ただ峠越えで駅ではなくとんでもないところだそうです。ことばのひとつひとつがやさしく正確なふうでした。・・涙はでませんでしたが、ご老人と娘さんにたくさんお礼をいって、ひきかえすことにしました。道をまちがえておもしろかったこと。途中桂川の橋をわたりました。今回富士のほかにこの桂川も見たく思ってました。このあたり田んぼの畦など勢いのある透明な水が走っています。桂川も透き通った清烈な流れです。桂川をみるのをほとんど忘れていました。道をまちがえたおかげで桂川をおがめました。

・・月待ちの湯、すこし甘く見てましたね。輪行サイクリングはすべて自己責任。迷路にはまるのも自分の責任です。帰りは、もう一度自転車の解体−組立てをする仕事あります。大月の観光案内所で隣の猿橋を見てそこから電車に乗るとよいとか聞いていました。猿橋は桂川にかかる日本三奇橋のひとつといわれます。それで大月の駅には寄らず、国道20号(甲州街道)を上ってひとつ先の猿橋まで自転車を走らせました。それが、です。高尾から猿橋、大月まで自転車で来るとしたら大垂水峠をこえておそらくずっとこの20号しか道はないのではないか。以前藤野という駅まではやって来たことあります。この20号もこわい道です。途中トンネルもあるようですし。大月から猿橋へひと走りしましたが、もう途中でやめたくなりました。車がびゅんびゅん。大型車も来ます。側道もありそうにない。あともどりが出来ずなんとか車をやりすごしながら猿橋駅の前まで来ました。コンビニでジュースを買って店員に猿橋はどこか?聞きますと、もう二三km先とのこと。ここであきらめるのも癪だったので危険な20号をさらに進みました。で、ありました。・・観光名物らしく集団の客がガイドとともにもう見物の最中でした。人ごみもあの殺伐な20号よりは救われます。奇橋といって、なんとなく猿の橋なのはおもしろいです。それにその下の桂川の渓谷はぞっとするほど深い。桂川の流れの頼もしさはよかったけれど、20号の殺伐さは、今回とても気になりました。

・・輪行の自転車解体−組立ては一日一回というのが本当はよいのかもしれません。猿橋の駅で二度目の解体にとりかかりました。車輪を外す前にギアの位置をアウタートップにするのを忘れてしまい、そのまま外しました。チェーンがたるんで外れそう。なんとか張りをつくりましたが、もしチェーンが外れたら、自分はもとにもどせるだろうか?ディレーラ部分のチェーンのかかりは今でもよくわかっていません。変なトラブルなしに、きょうはもう帰りたい一心になりました。

542秋魚:2015/06/05(金) 01:58:48
(無題)
暖簾に春風たちぬ駿河町  五渡

(*駿河町  町名の由来は江戸城の向こうに駿河の富士山を望むことから。ここからの富士山の眺望は江戸一と言われていた。)

井月編「家づと集」諸州の項に載る句。この五渡とは誰だろう。

 五渡という雅号の俳人 武州妻沼の人。薬種商大和屋の主人として三代まで五渡を名乗る。

・・おそらく井月の会った五渡は三代目であろう。武州と上州でなされた芭蕉百五十回忌の俳諧連歌興行に名を連ねている。


三代五渡

薬種商大和屋の主人。通称定次郎。越鳥、後五渡の号を継ぐ。有磯庵。

 天保12年(1841年)4月12日、深谷市中瀬の吉祥寺で祖翁百五十回忌追福脇起俳諧之連歌興行。

三代五渡の句

俤やますます白き苔の花  『蝉塚集』

耻かしや花に来てさへ寐わすれし 『花の雲』



* 『蝉塚集』 斎藤南々の芭蕉句碑建立記念句集。田川鳳朗序、久米逸淵跋。

 天保12年(1841年)4月12日、俳諧連句興行。5月、芭蕉百五十回忌に芭蕉の句碑建立。


* 『花の雲』(富処西馬)

富処西馬の芭蕉句碑建立記念句集。田川鳳朗序、久米逸淵跋。

 天保13年(1842年)春、富処西馬は高崎市の清水寺に芭蕉の句碑を建立。
茲に亦上毛高崎の府、惺菴西馬ありて祭をまうく、其礼や厚々淳々、地を卜して恩報の碑を築き、払子を振て霊弔をさしまねく、同志雲の如く集り、香名しくれて叢根林葉をそゝく、風吟夕ニ一集札をなすといふ、こゝにおいてか一条をもとむ、よつて鳳朗腐毫を採て是か為に記誌す

    天保十三歳季春日

      天保壬寅三月二十八日於上毛清水寺興行
      一百五十回忌追福正式俳諧百韻

観音の甍みやりつ花の雲   祖翁

残るかたなき春の日のかけ    西馬


碑前手向

はせを忌のひとふしなれや花のかけ
   碩布

めくりあひむかしのけふの花の雲
   逸渕

花に只手を合はせたるはかりなり
  信濃 葛古

けふの我こゝろを啼や呼子鳥
  武蔵 寄三

面影にたつや霞のかれ尾花
   青荷


行春やこゝろを洗ふ椎の露
   上毛 竹煙



      百五十年同昔日
      紅々緑々祖翁真

柳さへ花さへさそふ供養かな
   西馬


ある事のなくて過たし花に風
  武蔵 南々

耻かしや花に来てさへ寐わすれし
   五渡

寐ところのかはるも嬉しはるの宵
   市月



   春之部


恵方ハと問婆とひとひよしの山
   鳳郎

目に見えて寒たけ立し柳かな
   見外


   夏之部


      卯 月


鳴といふ木につひきかすほとゝきす
   江戸 松什

散を見てからすの逃る牡丹かな
   万古



   秋之部


朝かほにあらく当るや稲の風
  京 梅室

一口に三夜をほめけり盆の月
   而后



   冬之部


      神無月

はいはいと出るや小春の鱗雲
   江戸 護物



  *

@巻 菱湖(まき りょうこ、安永6年(1777年) - 天保14年4月7日(1843年5月6日))は、江戸時代後期の書家。越後国巻(現在の新潟市西蒲区)に生まれる。姓は池田、後に巻を名襲名。名は大任、

・・明治政府及び宮内庁の官用文字・欽定文字は御家流から菱湖流に改められ、菱湖の門下生は1万人を超えたと伝えられている。


「芭蕉花の雲句碑(高崎清水寺) ・・碑面の句は当代第一級の書家であった越後出身の巻菱湖が筆をとり、碑背の文を常陸国牛久藩主の大内蘭長が書いたもの」

  *

@桜井梅室  明和6年(1769)生〜嘉永5年10月1日(新暦1852年11月12日)歿
 名は能充。俳号は初め雪雄、素信又は素心、後に梅室と改め通称とした。方圓斎、陸々等の別号がある。金沢の人、父祖代々加賀藩の刀研師で、桜井新九郎の子。
 16歳にして俳諧に志し、槐庵馬来・高桑闌更に師事した。文化4年、家職を弟子に譲り、京に上って俳諧をもって世に知られるに至った。文政から天保にかけては江戸にて活躍。江戸滞留10余年の後、金沢に帰省したが、再び京に上り、嘉永4年には、二条家から花の下宗匠の許しを得た。俳名もいよいよ高く「天保の三大家」と称された。


天保14年(1843年)、芭蕉百五十回忌に比良城林曹社中は太融寺に芭蕉句碑を建立。梅室筆。

 しら菊の目に立て見る塵もなし

天保14年(1843年)閏9月、大津市の幻住庵跡に芭蕉句碑を建立。梅室筆。

 先たのむ椎の樹もあり夏木立

・・各地に芭蕉句碑を建立しているが、天保14年芭蕉百五十回忌には、二箇所に建立。天保12年(1841年)には、武州深谷市吉祥寺での芭蕉百五十回忌俳諧連句興行、天保13年(1842年)には、上州高崎の清水寺の俳諧連句興行にそれぞれ出句している。


・・神出鬼没だが、いずれも蕉翁百五十回忌。

543秋魚:2015/06/07(日) 22:00:07
(無題)
・・入梅まじか。晴れたので、きょうは飯能の美術家柳井嗣雄さんと藤浪お嬢を案内して岩井堂観音にでかけた。岩井堂は元浅草観音として有名だが、近頃は訪問者は皆無に近い。成木川に沿った街道の青梅と飯能の端境に位置し、河岸にそそりたつ岩壁の中にあるこの岩井堂は、車で訪れるには駐車する場所もなく周囲はまったくの自然に囲まれて人の訪問を拒否してるかのよう。自分は以前一度訪ねていて、川淵で上下に緊密に篭められた祈祷空間をうれしく思っていた。・・継体大王の頃、行脚の僧が一寸八分の黄金の仏像を岩の祠に祀った。ある日洪水でその仏像が成木川に流され、それから百年ほどの間に、入間川ずっと下流の隅田川まで流され、漁師の網にかかって日の目をみた。それが浅草寺本尊の観音様になったということです。

・・唐竹の柳井さんのアトリエから車で向った。山王峠をこえ小曽木街道にはいる交差点を左折しまもなく岩淵の岩井堂がある。案の定駐車がむずかしい。ああでもないこうでもないやって少し離れた写真館の主人の許しで庭に車を置かさせてもらった。

・・ここは登山ハイキングというほどではないが、切り立った崖を川縁まで下りる参道、そこから細い鎖道に沿ってすすみ大きな岩の裏側にまわるふうだ。以前来た時はさらに川べりまで降りる道があったと記憶していたが、工事で変改されたよう。すこしいくと本堂らしきに着いた。岩の祠に首の無い石像がいくつも並んでいてやや不気味。川べりまで降りると、湧水のある竜宮の空間があると、ものの記事にはある。けっきょくその存在の有無はわからぬまま。自分としては物足りなかった。・・その本堂からさらに上にすすむ岩の階段道があってずっといくと赤い巨岩の天辺までいける。細いけわしい道で、草木に蔽われていても岩肌の部分が清潔なので安心できる。頂上付近には、とても強い香りの花がある。藤浪さんのいうにはジャスミンだという。すぐ真下は草木に隠れた深い谷だ。木々の緑の上に出たよう。冬など見晴らしのよい日には雪の富士山をみることもできるという。この地域で富士をみれるというのはめずらしいことだ。

・・この大きな赤い岩は何なのでしょう。地震があっても崩れそうにない。頂上は小さな空間だが、居心地はいい。三人でお茶とカリントウをいただいてしばらく休んだ。

・・岩井堂を訪れる人は皆無というのは、すこし誇張した言い方だ。ネットで調べてもいくつか興趣深く踏み込んだサイトもある。折に触れ訪ねる人はままいるはずだ。ただわたしらが訪れる時はほぼ無人と思ってまちがいない。・・ずっとくだってサンバ祭りなどで賑わう浅草寺にいってみればわかる。絶えぬ人の参詣でいつも満ち溢れている。いまはいろいろ錯綜した寺社がたちならび本尊が何であるか気に留める人もすくないのではないか。よし気に留めたとしてもここの観音像は絶対秘仏となっている。

・・岩井堂観音はもともと岩の祠に安置されていた。古来の場所はわからないが、今はそれらしきには何体かの石仏が置かれている。ただしおおよそ首がない。これは、明治期になって行われた廃仏毀釈の運動によるものだろうか。修復されたものもひとつふたつみえる。が、こんな訪問のすくないところではむしろ石仏破壊の傷跡をそのまま残した方が歴史の真実がわかるというものだ。この首無しの石仏群は、けっきょく無視されている元浅草の観音像の現在にすぎない。首を切ったのは明治の新政府とばかり理解するものではない。

・・いずれにしても岩井堂は、今でも成木川の淵で亡霊然としてたたずんでいる。

544秋魚:2015/06/10(水) 16:16:24
(無題)
・・先日成木川の上流まで常盤の面影を訪ねたが、ほとんど伝説くらいの思い入れだった。
地元だったので一驚し、この辺鄙な田舎にかの常盤御前が住まいしたなどにわかに信じがたかった。時代なのかこういう古いものを追う人も少なくなっているせいか土地の人もほとんど気にかけていない。牛若の母堂、それでも一部で熱心な追っかけやってる人いるはずと思い、ネットで探したらやはり存在してました。・・すぐ隣の飯能にはよく赴きます。この飯能に常盤伝説があるというの頭に残っていて、こちらで探していたのです。まだ訪ねてはいませんが天覧山、多峯主山の峠道を歩いて陸奥の義経を追いかけようとしたらしい。常盤の墓があるという言い伝えは何ヶ所かあって、飯能もそのひとつ。常盤塚があるのかないのか自分もこんど追っかけをやってみたい。有名な常盤の墓は関が原にあるそうだ。牛若が鞍馬山をでて東国に向ったとき常盤も追いかけたが、賊に襲われて関ヶ原で落命したという。こんな早い時期に常盤は亡くなってませんから、関が原のお話は作り事ですね。

・・野ざらしの旅で芭蕉が常盤の塚にあい句を詠んでます。

 義朝の心に似たりあきの風

常盤の死は今でも謎です。京の一条河崎観音堂で捕らえられたあと(1186年)鎌倉に護送されたかは不明だが、やはり東国にくだってきているのではないか?・・青梅の成木川上流の常盤林道付近に隠れ住んだという話は、飯能の山歩きの話とあわせて真実味が増してきた。青梅の成木の隠れ里は、たいへんな田舎の印象があったが、これはたぶん違っている。鎌倉街道と呼ばれるものがすぐ近くにあり、これは大山詣での道ともいわれ、また高水山という霊山の表参道にも目と鼻の先。この高水山には頼朝の忠臣畠山重忠が帰依していたというから、もしや重忠の保護下にあったやもしれぬ。

・・常盤の追いかけ人は、実際、成木林道のかたわらに常盤の館の名残、石垣のあるのを確認したという。ここから飯能へは、たぶん脱出逃亡の道行きということもあろうかと。

 『常盤林道を上ると、途中の杉林に舘舎(御殿)蹟と称し、石垣の跡が残っているやゝ平坦な所がある。ここに源義経の母常盤御前が住んでいたといわれている。常盤御前は、源氏の棟梁源義朝が京の帝に仕える千人の侍女の中から選んだ絶世の美女、後に頼朝が鎌倉幕府を興し京都から常盤御前を呼び寄せたとき、人目を避けて一時この地に住まわせたと言い伝えられている。今でも地元の人はこの山を御殿と呼び、常盤の地名もここから来たと思われる』    〜常盤むかし話懇談会〜

・・おそらくこういう言い伝えが、妥当な話であろう。そんな館跡まで本当に残っているとは思ってもみなかった。・・常盤が京の清盛の前に出頭したのは、捕らわれの母と三人の子の命を救うためだった。大河ドラマもひさしくみていない。このシーンはみなどう作るのだろう。・・常盤の生涯の節目節目がいろいろ想像のはたらくドラマにみえる。ただし、常盤の晩年は藪の中、闇の中にその香りをほのかに残すのみ。

545秋魚:2015/06/11(木) 21:25:24
(無題)
甲斐の山中(家)に立ち寄りて、

 行駒の麦に慰むやどり哉

・・芭蕉「野ざらしの旅」の末の帰路、江戸にはいる一歩手前、甲斐の山中(家)は都留の谷村か、勝沼の万福寺か。

・・万福寺には、駒塚という馬蹄石がある。

>・・昭和33年(1958)刊、勝沼町誌刊行委員会編「勝沼町誌」
p1237〜38 万福寺の項によれば、

* 馬蹄石
 駒塚ともいう長さ二間広さ九尺石の面は平らにして馬の蹄の跡四個を留む。伝説によると聖徳太子甲斐の驪駒に乗り富士山、駒ヶ岳に登り還りてこの石に駐したりと。

・・芭蕉は万福寺に寄ってこの馬蹄石をみたという着想から、ここに句碑が建てられ「駒塚集」という句集が編まれた。

三車上人という万福寺の和尚が編んだものだが、成立は寛政五年(1793年)芭蕉百回忌に合わせたものかといわれる。ただし「行駒の麦に慰むやどり哉」の句碑は、蝶夢が「富士美行脚」の旅で万福寺に立ち寄った時すでにこの句碑をみているので、1788年より以前のこと。あるいは「富士美行脚」の脚色で1788年に句碑を見たことにしたのかもしれぬが。


・・序文が高桑闌更、跋文が井上重厚。蝶夢門と闌更門の競合ともみれる。



若葉して御めの雫ぬぐはばや


・・芭蕉が奈良の唐招提寺に訪れた際、鑑真和尚の坐像を拝みて詠んだ句。元禄元年(1688年)。

・・芭蕉は、聖徳太子をどう捉えていたのだろうか?百年忌に甲斐で編まれた「こまづか集」をみているうち、ふと気になった。源平の合戦で運命を翻弄されたものたちに多く手向けの句を寄せている芭蕉だが、鬼神を語らず、太子については何も句を残していないとみた。聖徳太子については、今でもその聖人についてのイメージや実在性について疑義をはさまれること多く、ほんとうの顔はわかっていない。奈良に訪れて法隆寺にも寄ったのは推察されるにしても、句を残すことはなかった。・・唐招提寺に寄ったのは、たしか、鑑真和尚を詠んだ句が残っている。

・・「こまづか集」の騒ぎに比して、この一句。


・・御めの雫は、涙ではないだろう。・・あるいは涙かもしれぬ。


 行駒の麦に慰む・・若葉かな (へんな俳句)


   *

・・自転車の調整で、また前輪のタイヤ外しを試みた。バーストした部分、あれからだいぶ乗り回しているが、すこし不安になった。傷を負った部分、必ずもとに復旧するというのではない。身体なども古傷は後年になってぶりかえしてくる。・・前輪を車体から外すのは容易になった。タイヤをリムから外すのはまだ馴れていない。・・なんとか開けてみる。やはり変な圧がかかっているのか、クリアファイルの傷口の上は両面テープの接着剤が溶けてしまってた。その分ファイルが脹らんで凹みをつくっていた。チューブもすこし変色。やはり応急処置の限界か。チューブは穴あきがないがパンク修理用のパッチを貼ってもとにもどした。・・タイヤ交換を視野にいれねば。

・・次の輪行は、高崎までの片道輪行(帰り)をプランしている。

546秋魚:2015/06/13(土) 01:25:16
(無題)
 五味可都里

本名は五味宗蔵。加藤暁台、高桑闌更に学ぶ。別号、葛履。葛里。蕪庵。雪亭。

甲州藤田


可都里
   五味宗蔵


『諸郡銘録』
 寛保3年(1743年)、中巨摩郡藤田に生まれる。

 明和7年(1770年)11月、高桑闌更に入門。

 天明2年(1782年)4月10日から22日まで五味可都里が信州諏訪・佐久及び上州妙義・榛名を旅する。『諏訪道之記』

・・


 天明8年(1788年)秋、闌更を藤田村に迎えて歌仙を巻く。『農おとこ』(可都里編)刊。闌更序。


@ 『農おとこ』

・・農男とは、麦刈の頃、富士山に残った雪が、笠をかぶり鍬を持った男のように見えることをいい、この時期田植えをすることが習わしであるという。

不尽のねや皐月定る雪をとこ
??可都里



 雨ぬれをとめ野は田うゑ笠
?? 闌更







   歌僊



夕暮や真白きうへに天つ不尽
??闌更



 あしがらごえもいのちなりけり
?? 可都里







ほとゝぎす朝寝の里に田長よぶ
?? 可都里



杜鵑まつたのしさの更わたり
?? 作良



   おなじこゝろを



鳥総たてし明るき山にほとゝぎす
   京  闌更



千鳥啼や川下の月京に入
   差出  石牙



箒木にあやまく庭のへだてかな
?? 如毛



   姨捨山にて



名月や千曲の夜霧越の雲
   信濃  伯先



きりぎりす鳴や小藪のかいまがり
   上毛  似鳩



降雪や陽さかむなるおこし炭
?? 鷺白



木瓜咲や木履をはいて遊び行
?? 丈水



朝戸出や露になれたる丸天窓
   嵯峨  重厚



   よし野にて



花の雪梢は花にわかぬかな
   播磨  青蘿



   歌僊



貫之の燧さげつゝなつの月
??可都里



 舳さき涼しさなみの浮鯛
?? 闌更

547秋魚:2015/06/14(日) 22:20:36
(無題)
・・飯能の奥に廃屋があって自由に使ってよろしい。という話があった。近くに住んでる友人が、美術家ですが、乗り気になってその家敷地を整備しはじめた。強く誘われたわけではないが、一日草刈など手伝いにでかけた。・・このところ体調と自転車の整備で余念無く半分は調整のつもりで自転車を走らせた。

・・この自転車何年目になるのだろう。普通はこれまでの走った総距離を目安に使うらしい。素人サイクリストの自分はむろんそんなことを気にかけず乗り回してきた。一応のブランド品で、使い込んでも狂いがでてくるということはなく、日を追って身体になじんでくるのはうれしかった。ただやはり部分的な劣化はどこかで起きる。タイヤはまだまだ使えそうだが、半年ほど前バーストした前輪は補修したとはいえそろそろ限界かというところ。・・新しい替えタイヤを注文して入手した。

・・もうしばらく空気圧を加減しながら乗ってみる。青梅坂から小曽木街道へ、途中緑の木の中でホトトギスの声を聞き分けたのは、最近の成果。うれしかった。昼過ぎに友人の家に着いた。どんな集まりかも想像してなかったので、すこし面食らう。新しい人に出会うと自己紹介とかしどろもどろで重くなる。なるべくこういう会には参加しないようにしていた。人見知りだと人はいう。

・・なんかすばらしい奥様たちがいらしてて、食事中とか。わたしはお茶でけっこうでしたが、いろいろお裾分けにあずかった。年季のはいった奥様たちは、みな料理上手で、ささいな集まりではありましたが、最後まで手作りのデザートとかお菓子とかこんなことは滅多になくそれだけで自律神経に狂いが来てしまった。・・こういうときは廃屋の整備をおもいきり手伝うにかぎる。きょうは庭の雑草、植木の刈り込みが主なる仕事。しかしけっこうなものです。葛のつる、アケビの蔓などからまり鬱蒼とした庭はジャングルの様。気持ちが先になって挑んでも体調はついていかない。安い靴をはいていたのでバラの棘でも貫通して痛みをおぼえた。参加しているご婦人たちが勇猛果敢なのでしり込みするわけにもいかずなんとかがんばった。実は、体調がすごくわるかった。ひけ間際さいごの一時間でようやくなじんで来たのがわかった。・・家でパソコンの相手ばかりしているとこうなるのでしょう。

・・ウグイスは自宅の前でもよく鳴くけれど、ここはもっとすばらしい音色で鳴いた。信じがたいほど鮮明だ。参加していたご婦人の家ではカッコウがよく鳴くという。カッコウは飛びながら鳴くのだという。その飛びかたも波打つように飛んで、尾が長いとか。

548秋魚:2015/06/16(火) 01:15:02
(無題)
・・お岩、お露までこの世とつながる江戸の時代はインターネットよりおもしろいかも。芭蕉翁のつながり世界どこまでみえるか、このところの興味である。

  1793年 芭蕉百年忌・百五十年祭
  1843年 芭蕉百五十年忌・二百年祭

・・1793年の近傍は、天明期大飢饉、大火災。後桜町上皇、光格天皇の時代です。

>・・東北地方は1770年代から悪天候や冷害により農作物の収穫が激減しており、すでに農村部を中心に疲弊していた状況にあった。こうした中、天明3年3月12日(1783年4月13日)には岩木山が、7月6日(8月3日)には浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせた。火山の噴火は、それによる直接的な被害にとどまらず、日射量低下による冷害傾向をももたらすこととなり、農作物には壊滅的な被害が生じた。このため、翌年から深刻な飢饉状態となった。

>・・幕藩体制の確立とともに各地で新田開発、耕地灌漑を目指した事業が行われた。しかし行き過ぎた開発は労働力不足を招き、強引に治水した河川が耕作地に近接しすぎることで、洪水を頻発させ生産量の低下を起こす原因にもなった。さらに当時は、田沼意次時代で重商主義政策が打ち出され「商業的農業の公認による年貢増徴策」へと転換され、地方の諸藩は藩財政逼迫の折に、稲作の行き過ぎた奨励(結果的に冷害に脆弱であった)や、備蓄米を払底し江戸への廻米に向けるなどの失政が重なった。大凶作の一方で米価の上昇に歯止めが掛からず、結果的に飢饉が全国規模に拡大することとなった。

>・・異常気象の原因は諸説あり完全に解明されていない。有力な説は、火山噴出物による日傘効果で1783年6月3日 アイスランドのラキ火山(Lakagígar)の巨大噴火(ラカギガル割れ目噴火)と、同じくアイスランドのグリムスヴォトン火山(Grímsvötn)の1783年から1785年にかけての噴火である。これらの噴火は1回の噴出量が桁違いに大きく、膨大な量の火山ガスが放出された。成層圏まで上昇した塵は地球の北半分を覆い、地上に達する日射量を減少させ、北半球に低温化・冷害を生起し、天明の飢饉のほかフランス革命の遠因となったといわれている。また、天明3年3月12日(1783年4月13日)には岩木山が噴火、浅間山の天明大噴火は8月5日から始まり、降灰は関東平野や東北地方で始まっていた飢饉に拍車をかけ悪化させた[6]。なお、ピナツボ火山噴火の経験から、巨大火山噴火の影響は10年程度続いたと考えられる。 しかし、異常気象による不作は1782年から続いており、1783年6月の浅間山とラキの噴火だけでは1783年の飢饉の原因を説明できていない。

>・・信州善光寺大勧進表大門の手前にある放生池は、時の第79世貫主・等順大僧正が天明の大飢饉において、善光寺貯蔵の米麦を放出して民衆を飢餓から救済、等順の恩に感謝した人々が集まり掘った池と伝えられている[7][8]。

>・・御所千度参り(ごしょせんどまいり)は、天明7年6月7日 (1787年7月21日)に発生した、京都御所の周囲を多数の人々が廻り、千度参りをした事件。

この御所千度参りは、天明7年6月7日頃から始まった。初めは数人だったが、その数は段々増えて行き、6月10日には3万人に達し、6月18日頃には7万人に達したという。御所千度参りに集まった人々は、京都やその周辺のみならず、河内や近江、大坂などから来た者もいたという。

京都は人であふれ、後桜町上皇からは3万個のリンゴ(日本で古くから栽培されている、和りんご)が配られた。他にも、有栖川宮や一条家などでは茶が、九条家や鷹司家からは握り飯が配られた。

この事態を憂慮した光格天皇が京都所司代を通じて江戸幕府に飢饉に苦しむ民衆救済を要求する。これは、禁中並公家諸法度に対する明白な違反行為であった。そのため、天皇の叔父でもある関白鷹司輔平も厳罰を覚悟して同様の申し入れを行った。これに対して幕府は米1,500俵を京都市民への放出を決定、法度違反に関しては事態の深刻さから天皇や関白が行動を起こしたのももっともな事であるとして不問とした。

549秋魚:2015/06/17(水) 17:34:44
(無題)
・・補修調整した自転車でまた多摩川サイクリングロードを走った。昔目標とされたサイクリングロードはいまや試行ロード。これに馴れすぎると悪路が走れなくなる。前回都留大月の国道を走ったとき、立ち往生したサイクリストをみて車はあわてたに違いない。ママチャリ感覚で走ってるサイクリストに事故をおこすのは自動車のドライバーも嫌であろう。これは道端で車を見ていればわかる。・・まれにだがアオリのドライバーもいる。遭遇しないのを祈るのみ。

・・カーレースなどでよくトラブルで中断するのは、たぶん設計創作の微妙な誤差が原因であろう。各パーツ機能の限界までチャレンジして結果を出そうとするのがカーレースの目標だ。すべてのパーツが同じ限界機能でつながっているわけではない。全体の限界の近傍では限界機能をこえたものもあらわれる。・・あまり競って無理をしないに限る。

・・とはいえ、自転車はよく整備した方がよい。無精者の自分は最低限の整備にやっと気づいた程度です。

・・高崎まで80キロはあるな。見立て狂いは茶飯であるのは、これまでの経験だ。

550秋魚:2015/06/17(水) 20:38:52
(無題)
・・高崎清水寺観音。想い出多し。キズ多し。

「・・高崎観音山の東腹にある曹洞宗の寺院で、古くから養蚕の仏様として近郷の信仰を集めています。大同3年( 808)に、坂上田村麿が東国平定の際に戦死した将兵の冥福を祈り、京都の清水寺から勧請して建てたと伝えられています。本尊は千手観音で、近隣丘陵地の名称「観音山」の基となるものです。」

・・「せいすいじ」と読むそうだ。要は、坂上田村麿つながりでしょう。

「・・後に征夷大将軍となり、東国の蝦夷平定を命じられた田村麻呂は、若武者と老僧(観音の使者である毘沙門天と地蔵菩薩の化身)の加勢を得て戦いに勝利し、無事に都に帰ることができた。」

・・『枕草子』は「さわがしきもの」の例として清水観音の縁日を挙げ、『源氏物語』「夕顔」の巻や『今昔物語集』にも清水観音への言及があるなど、平安時代中期には観音霊場として著名であったことがわかる


 観音の甍ミやりつはなの雲

 高崎市指定重要文化財である。

「芭蕉花の雲句碑

 この句碑は、江戸時代末期の上州随一の俳人であった高崎田町生まれの富所(志倉)西馬が、芭蕉俳諧の流れをくむ者として、上州内外の俳人と共同で芭蕉百五十年遠忌の前年にあたる天保13年(1842年)春に建立したものである。この時、記念の大俳句会も開催している。」


・・近傍が、天保の大飢饉。

「・・天保の大飢饉(てんぽうのだいききん)は、江戸時代後期の1833年(天保4年)に始まり、1835年から1837年にかけて最大規模化した飢饉である。1839年(天保10年)まで続いた。1836年(天保7年)までと定義する説もある。」


「・・ 主な原因は洪水や冷害であった。東北地方(陸奥国と出羽国)の被害が最も大きく、特に仙台藩の場合は盛んに新田開発を行い、実高で100万石を超える石高を有していたが、米作に偏った政策を行っていたため被害が甚大であった。

各地で餓死者を多数出し、徳川幕府は救済のため、江戸では市中21ヶ所に御救小屋(5800人収容)を設置したが、救済者は70万人を超えた。米価急騰も引き起こしたため、各地で百姓一揆や打ちこわしが頻発し、天保7年6月に幕府直轄領である甲斐国一国規模の百姓一揆となった天保騒動や、天保8年2月に大坂で起こった大塩平八郎の乱の原因にもなった。特に大阪では毎日約150人-200人を超える餓死者を出していたという。」

* 天保騒動(てんぽうそうどう)は、江戸時代後期の天保7年(1836年)8月に甲斐国で起こった百姓一揆。甲斐東部の郡内地方(都留郡)から発生し、国中地方へ波及し一国規模の騒動となった。別称に郡内騒動、甲斐一国騒動、甲州騒動。


 ・・天保7年8月17日(1836年9月27日)夜半、谷村では下谷村近郷百姓による米穀商居宅への打ちこわしが発生し、騒動の発端となった。谷村には石和代官所の出張陣屋である谷村代官所が諸愛しているが、元締手代山内左内は不在で、石和陣屋から加判手代松岡啓次が出張し、関係者の処罰と村々への取締を行い収拾される。

・・一方、谷村での打ちこわしと同時に都留郡下和田村(大月市七保町下和田)の武七(治左衛門)、同郡犬目村(上野原市犬目)の兵助は同郡鳥沢村(大月市)で合流すると、米価引き下げを求めた強訴を計画し一揆勢の頭取となった。」

・・都留谷村、大月あたり、百五十回忌は凶兆になるわな。

  *

?江戸文化との交流(多摩人:小林天淵の例)
1848年(弘化4年)夏、江戸の町学者で『江戸繁盛記』の著者・寺門静軒は、武州多摩郡青梅村の小林天淵を尋ね、青梅の里に遊んだ。
小林天淵は、生粋の多摩人で青梅仲町の生まれで、生家は酒商で名主も兼ね、若い時には家業に励みその後江戸に出て絵を谷文晁に、狂歌を大田南畝に学び、江戸文化人との交友が広かった。
寺門静軒が天淵を尋ねた時は52歳、天淵は70歳で、天淵は老後家塾を開き、集まった郷党の人の数は600人の多きにのぼるという。



・・強力な先達のつながりが得られた。邁進するのみ。

551秋魚:2015/06/18(木) 20:20:41
(無題)
天明の六俳客?? ・・無爲庵樗良、暮雨庵暁臺、夜半亭蕪村(谷口蕪村)、春秋庵白雄、雪中庵蓼太、南無庵蘭更である。

天明中興の五傑 ・・ 人各々好む所あり。蕪村の雄放、暁台の剛健、蘭更の艶冶、白雄の老蒼、蓼太の富麗等、

天保の三大家  成田蒼虬、桜井梅室、田川鳳朗

552秋魚:2015/06/19(金) 01:42:41
(無題)
「・・宝暦事件 ほうれきじけん

1758年(宝暦8)に京都で朝権回復を志す尊王論者の少壮公卿(くぎょう)らと竹内式部(たけのうちしきぶ)が処罰された事件。儒者、神道者の竹内式部は崎門(きもん)学派、垂加神道(すいかしんとう)に基づいて『日本書紀』『保建(ほうけん)大記』『靖献遺言(せいけんいげん)』などを家塾で講義した。そのなかで武家に政権を奪われた朝家の政権回復の心構えを説く一方、激しく将軍を誹謗(ひぼう)した。現状に不満をもつ門弟の徳大寺公城(きみき)、正親町三条公積(おおぎまちさんじょうきんつむ)、烏丸光胤(からすまるみつたね)、西洞院時名(にしのとういんときな)などの公卿は師の説に深く感銘した。彼らは君徳涵養(かんよう)のため若い桃園(ももぞの)天皇に式部の学説にのっとった『日本書紀』を進講した。しかし事が朝廷と幕府との関係悪化に発展するのを恐れた前関白一条道香(みちか)らは、天皇の嫡母青綺門院(せいきもんいん)を動かして、徳大寺らの官を停(と)め永蟄居(えいちっきょ)など処罰して天皇の周囲から排除した(宝暦8年7月)。一方、式部については、京都所司代松平輝高に連絡して幕府にゆだね、翌59年5月京都町奉行(ぶぎょう)は式部を重追放に処した。式部は京を追われ伊勢(いせ)国(三重県)宇治山田へ退去した。[山田忠雄]

・・この烏丸光胤(からすまるみつたね)は烏丸光栄を養子で継いだ人です。竹内式部の門弟には日野資枝もいますが、烏丸光栄の末子で日野家に養子で入りました。竹内式部を追い詰めるため日野資枝の裏切りがあったそうです。

・・烏丸家の文学と日野家の儒学を統合してあらわれたのが日野資枝。子の日野資矩とともに後桜町天皇に和歌をもって仕えたとのこと。


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