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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

1012SAKURA & NANCY:2013/03/21(木) 23:05:26 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA・NANCY】で〜〜〜す。
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>>1000>>1003>>1004>>1005>>1006>>1010 の投稿の続きです。

■それでは神と霊魂と人間と †††『 因霊の世界 』††† 

――― 第 2 章 霊は生きている ―― 死からはじまる霊の生きざま ―― 
―†―【死の恐怖とはなにか? 】―†―  

 私たち人間は死に対して“必然の運命”と考えています。しかし若い時代は、とかくこれ
が知識としてわかっているだけで、本当に自分自身のこととして感じているとは思いません。
 
しかし、それが中年を過ぎると自分自身の切実な問題となります。そして晩年が近づき、
肉体的な故障が多くなると、いよいよ不安や恐怖心が深まってくるのです。

 なかには死に対して無関心をよそおい、『死なんか怖くない』などと強がりを言っている
人もいます。しかし、それも“安楽に死ねる”といった安心感からではなく、自分自身の精
いっぱいの知性で押さえているにすぎないのです。

 死がやがて自分自身のこととして感じた時、それを平然としていられるでしょうか?
 人間としての生きる自然のままの気持ちを失っていない人なら、誰しも同じように“一日
でも長く生きたい“と考えずにはいられないはずです。
 
こうしたところから、人間の宗教心が生まれ、“悟り”を求め、信仰を求める気持ちが芽
生えてくるのでしょう。そして“苦しい時の神頼み”をはじめ、神仏に帰依し、“悟り”を
求め、信仰を求めるようになります。これにより一切の宿業や因縁がとたんに断ち切れたり、
神仏にすべてを託しきることができたとしたら、人生これほど気楽な境涯はありません。

                     つづく


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