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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

1010SAKURA & NANCY:2013/03/18(月) 22:33:41 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA・NANCY】で〜〜〜す。
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>>1000>>1003>>1004>>1005>>1006 の投稿の続きです。

■それでは神と霊魂と人間と †††『 因霊の世界 』††† 

――― 第 2 章 霊は生きている ―― 死からはじまる霊の生きざま ―― 
―†―【人間の死について 】―†―  

 死というのは生物にとって一つの宿命であって、生から死への道は、誰もが逃れることは
できません。誰もが死に追いつめられ、死に直面することは、別に不思議なことではなく、
生あるものの必然の運命であるのです。

 しかし、ただ人間は、それぞれ”死”にいたるまでのあいだ、その人の生活や信念、また
はその人の観念によって、いろいろの考え方や感じ方の違いはあるでしょう。しかし”死に
たくはない”という気持ちは誰しも同じです。その気持ちが人間の”死”に対しての恐怖心
となり、不安になってしまうのです。

 考えてみれば、人間は死んでしまうと、”天に召される”とか”神のご加護をいただける”
とかいう言葉を口にしますが、”死”の瞬間は、そうした概念的意味ではないにちがいあり
ません。人間のあらゆる現世的欲望が消え去った時であり、いいかえると現世的人間とし
ての最高の価値が失なわれた時でもあるのです。

 そして、その失なわれた身体から、”霊”だけが残って、やがて。それが”地獄極楽”をさ
まようわけです。しかしそれは霊界の話であって、”死”はあるいは人間の最高の境地なの
かも知れません。

 その証拠には、死んだ人の顔というものは、死の直前までさんざん苦しみ抜いていた様相
が、死とともにすっかりぬぐい去られ、一片の陰影すら残らないではありませんか。

 人間の苦労があればあるほど、生きている限りにみにくい欲念が残されてるものです。こう
考えて見ると、死は哀れな人間の宿業をすっかり消してくれる天国の世界への入口なのでし
ょうか。

                         つづく


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