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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2
949
:
SAKURA & NANCY
:2013/02/26(火) 21:08:54 ID:1Xv3bE6g
トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA・NANCY】で〜〜〜す。
>>926
>>927
>>931
>>935
>>936
>>938
>>939
>>942
>>943
>>948
の投稿の続きです…。
■それでは神と霊魂と人間と †††『 因霊の世界 』†††
――― 第 5 章 お岩霊神 むかしは妖怪、いまは霊神 ―――
―†―【 私も“お岩さま”に助けられたひとり 】―†― ――(その2)――
■ちょうど、その日は九月十五日(祭日)でしたので、秩父へ直通運転している電車は超満
員でした。その電車に乗って、秩父まで行きましたが、疲れはてて、しばらく、駅の待合室
の椅子に平沢先生ともども、すわりこんでしまう有様でした。
それから三十分ぐらいたって、ようやく秩父神社(妙見さま)の境内にたどりつきました。
十歩ぐらい歩いたでしょうか。平沢先生が急に左側の方へ引きずられるように歩き出しまし
た。平沢先生も驚いたらしく「誰だ、わたしを引っぱるのは?」と言いながら、引っぱられ
るままにどんどん左の方へ歩いていかれました。私も、気味が悪いなあと思いながら、後を
ついていくと、そこには“柞稲荷”がありました。
そして、平沢先生に、お稲荷さんが乗り移ってしまったらしく、ゆっくりとしゃべりはじ
めました。
「力がたりない、力がたりない」といいます。私は“力がたりない”という先生の声が、少
しシャクにさわって「力がたりないから、ここまで、お参りに来たのですよ」と腹立ちまぎ
れに答え、「ですから、そんなことを言わずに力を与えてください」と話しかけました。
すると「ご先祖に対して力がたりない。近くにあるぞ、近くにあるぞ」と言い、先生の声
はプッと断ち切れてしまいました。
私は何のことやら、さっぱりわからず“先祖に対して力がたりない”というのは、多少の
見覚えはありましたが、“近くにある”というのは、さっぱり意味がわかりませんでした。
とにかく“先祖に対しての力不足”というのは、たぶん、次のようなことだろうと思います。
私の先祖代々の菩提は、浄土真宗ですから、総本山は、京都の西本願寺になります。とこ
ろが、私は、日蓮宗の信徒ですから、先祖代々とは、かなり縁遠くなってしまいました。し
かし、それだからといって、先祖を粗末にしてはいませんでしたが、前にも、のべておりま
すように、宗旨宗派によって、菩薩が違ってしまいますから、先祖霊は、成仏の境涯にいる
とはいえません。
こういうことは、たびたび、指摘されておりましたので、すぐ、わかりましたが、“近く
にある“とは、どういうことなのか一向にわかりません。けれども、先祖が成仏の境涯にい
ないということで、近々、総本山である京都の西本願寺に参拝しようとは思っていましたの
で、そのことではないかなあ、などと、その場はすませました。
ところが、そうではなかったのです。「近くにある」という意味は「西本願寺は京都まで
行かなくとも近くの築地にあるではないか」と教えていたのでした。
そうすると、私の病気は、先祖霊にたのまないと治らないということになりますし、また、
先祖霊の誰かが、“私にすがりついている”ことになり、それを供養しないと“病気は治らな
い“という意味になります。私も、まったく思いあたらないわけではありません。
「そうだったのか?きっと、あのばさんに違いない。寒いから綿入れ半天をくれといわれ
たから、半天も送ったのに、お酒も飲ませているではないか。まったく、何が不足で、私を
病気にするのだろうか、やはり仏供養に欠けているのだろうか?」それにしても、それが、
わかっただけでもよかったと思い、何回もお詫びをして帰ってきました。
つづく
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