したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

本流対策室/2 板

596「訊け」管理人:2012/04/05(木) 16:44:42 ID:???

 あっ!(笑)別に怒ってませんので念のため(笑)

597「訊け」管理人:2012/04/05(木) 16:47:05 ID:???

>>595

 おお・・それは読んだことがありました。ただこれは「新刊」ですよね?

 まあ無論、こんな推理は可能です。「新刊を出さない」=「『生命の實相』も
消す」・・・・

 再度読んでみます。情報提供をありがとうございました。

 こういうやり取りがしたいですね、ええ。

598下流のしんと:2012/04/05(木) 16:47:26 ID:aoKZiQIU
>谷口清超総裁の「僕もサインしようか」

 この報告書に対し、平成四年八月七日付で、黒河内潤生長の家理事長名で中島省治社長宛「谷口雅春先生の新刊書発刊の方針について」と題する文書が届けられた。以下全文を引用する。
「平成四年八月五日付にて報告された『平成四年七月十五目の取締役会における決定』を拝見しましたが、下記の点に疑義がありますのでお尋ねします。文書にての御回答をお願い致します。



Ⅰ                              記

 貴報告において、谷口雅春先生の新刊書を発刊しない理由として挙げている「(イ)両軸体制以前の会員・未会員未分化時代のお原稿が元になっていること」について

1  運動の観点から、対象を会員と未会員に分けて出版するという考え方は、あってよいと思います。しかし、“御教えを伝える(学ぶ)聖典”という観点に立てば、会員のみにしか通用しない、或いは未会員のみにしか通用しない真理の書などというものは現実にはあり得ません。

 一ロに未会員とこ言っても、その中には、“生長の家を全く知らない人”と、“組織の会員ではないが、生長の家には触れている人”とがあり、普及誌の読者の大半は後者に属します。谷口雅春先生のお原稿(又は御講話録音)は、後者のクラスに適したものが多いと思います。また、会員クラスにふさわしい内容のものもあると思います。従って、両軸体制に即した出版となし得るか否かは、編集次第にあると思いますが如何でしょうか。
 

2  会員・未会員未分化時代の谷口雅春先生のお原稿は不可と言う考え方を妥当とするならば、その考え方は当然既刊書にも及ぶと考えられますが、この点はどう考えているのでしょうか。
 


Ⅱ 「(ロ)著者の承認を経ない新刊が延々と発行され続ける矛盾」について

 一般社会においては、相続によって著作権を継承しても、それは単なる財産権の継承にすぎないものでしょう。しかし、谷口清超先生が谷口雅春先生から法燈を継承されたということは、著作権の相続は、即ち、財産権の相続のみならず、著作物の内容についても谷口雅春先生と同一のお立場に立たれたということではないでしょうか。従って、谷口清超先生の御指示あるいは御承認ある新刊を、「著者の承認を経ない新刊」と見ることは誤りであると思います。

Ⅲ 総裁先生と日本教文社の立場について

 貴社は、昭和九年十一月二十五日、谷口雅春先生によって貴社の前身である株式会社光明思想普及会が設立され、谷口雅春先生の御著書の出版を主軸として成長し、今日に到っていることは御存知の通りです。そして今日は、谷日清超先生が法燈を継承され、貴社の新刊及び重版に対しては、生長の家常任理事会に、その企画を審議せしめ、可否の承認を与えておられます。

 このような立場にある貴社として、取締役会において、いきなり、このような方針変更を決議されたことを遺憾に思います。

以上

599下流のしんと:2012/04/05(木) 16:52:18 ID:aoKZiQIU
あ、それと、、、
宮沢先生の本「愛と信仰の誓い」も読んでいませんね?
マーケティング不足だと・・・・ 
オあねさんもなにか重要なことを書かれていますよ。。。

600下流のしんと:2012/04/05(木) 16:54:54 ID:aoKZiQIU
全部を熟知した上で生長の家をどう生きるか?って
問題が神様から届いています。

だ〜〜〜^か〜〜〜〜らぁ}〜〜〜〜(^−^)

WEB誌友会やろーーーーーよーーーーーー!!! イェ〜〜〜〜〜!!!!

601初心者:2012/04/05(木) 16:59:52 ID:CHQEsNKk
展開が早いようですね。「初心者のいうことには納得できない」とのご発言がありましたので、とりあえず、言葉には意味がある、と考えておられる方々におたずねすることにいたします。

国家を意味するとされる「国」という言葉があります。この「国」という言葉にはどのような意味があるのでしょう。「国」という言葉以前に、クニの確固とした概念があって、この概念にたいして「国」という言葉があてがわれたということなのでしょうか。もしそうであれば、言葉以前のクニの概念とはどのようなものであったのか、それもあわせてご教示いただければありがたく存じます。

602下流のしんと:2012/04/05(木) 17:01:10 ID:aoKZiQIU
>司会はトキ理事長で行きましょう

トキ理事長は中心講師で難解箇所の講義をする人で、司会は調子良い訊け管理人が適当。(働けぇ〜〜!!)
下流のしんとは参加する人。 ここを見ている人の家族も見るなぁ。盛況になる。間違いない。

603ももんが:2012/04/05(木) 17:06:49 ID:XXCuaQns
>>602
Web誌友会、なんか、面白そう(^_^)

チョト賛成。o(^o^)o

でも、大丈夫なんか〜?

掲示板の中、怒りのアフガンに成りそうな、雰囲気だな。

604トキ:2012/04/05(木) 17:08:19 ID:l8JxT/gI
 責任は取れないけど、面白かったらやってみましょう。

605下流のしんと:2012/04/05(木) 17:23:23 ID:aoKZiQIU
初子って言うオッサンは黒カモでした。NO1板の初心者は総裁でした、今初心者は総裁ですか?

606下流のしんと:2012/04/05(木) 17:26:38 ID:aoKZiQIU
>責任は取れないけど、面白かったらやってみましょう。

トキ理事長、お許しを有難うございます!!
訊けさん、準備委員会やりますか?? どうやろうか?楽しみだジョー!!

607初心者:2012/04/05(木) 17:53:49 ID:CHQEsNKk
八咫烏様

以前の八咫烏様の書き込みで、わたくしだけでなく総裁先生までもが「結核菌」にたとえられたかのような表現がありましたが、真意はいかがなものでありましょう。読解力のとぼしいわたくしとしては、そのようにたとえられたとしかおもえないのでありますが、いかがなものでありましょう。

もしもそのようにたとえられたとしたならの話でありますが、この場合、結核菌にたとえられた総裁先生に問題があるのか、それともそれをやどしてしまった生長の家に問題があるのか、いったいどちらなのでございましょうか。

608八咫烏:2012/04/05(木) 22:01:21 ID:Uh6fUAok
初心者様

私が結核菌の例を挙げたのは、雅春先生のテープだったと思いますが、
結核菌と和解するというのは、結核菌を体内で養うこととは違うという、
あるべきものがあるべき一にあることが調和であるというお話を、単純に思い出したからですが、
今思うと、恰も総裁が結核菌のようなといっているかに受け取られかねないことに気づきました。
初心者様のことは関係ない気がしますが、総裁の人格を貶めるための引用ではありません。
そのように受け取られかねない書き込みをしたことは、深くおわび申し上げます。

とは言え、雅宣氏が総裁になられたことは間違っているというのは思います。
それが雅宣氏の問題か教団の問題かどちらであるかといえば、
先ず第一には教団の問題であると思います。

私はやはり、総裁は世襲ではおかしいと思います。宗教は個人の内なるものであり、
神と個人との関係であり、あるいは雅春先生の教えという意味では、師と弟子個人一人一人の
向きあいであり、それは一般の弟子であろうと、ご家族であろうと、基本的には同じではないかと思います。
総裁を二代目まで世襲にしたのはまだしも、それ以後は、世襲をやめて、システムを切り替えるべきであった
と思います。

現在、隆康氏の名前も出ているようですが、下流の人様と同じで、私も動画を見て、
かなり失望しました。隆康氏は、一講師ならばともかく、総裁には向いていないと思いました。
そしてまた、宗教組織にも、世襲制度は向いていないと思います。

609八咫烏:2012/04/05(木) 22:03:27 ID:Uh6fUAok
訂正します。
あるべき一 →あるべき位置

610八咫烏:2012/04/05(木) 22:36:15 ID:Uh6fUAok
初心者様

あなたは現象が脳内のものと仰る意味は、生長の家では、
実相といい、現象といい、そういう言葉を使い分けているが、実際には
そんなものは、信徒の頭の中にだけある言葉で、現実世界は、あくまで現実世界であり、
生長の家でいう現象と言うものではない、とおっしゃったのだと理解しました。
それで、現象は脳内だけにあるイメージではないとお答えしました。

現実と、現象は違うという可能性をどうやって排除したのかとお尋ねですが、
ただ信じたとしかお答えできないです。『生命の實相』を読んだのは、おそらく高1のとき
だった気がしますが、読んでいて、納得したとしか言えない気がします。
昔のことで、良くは覚えていません。

あなたは、このことを、言葉による魔術で、あたかも理解したかのような錯覚に陥っていると
言われるのでしょう。たしかにこれは頓得の悟りであり、あるいはそうかも知れませんが、
言葉の力で理解したものが正しいという可能性も、否定出来ないのではないでしょうか。

611志恩:2012/04/06(金) 06:49:03 ID:.QY5jUA6
八咫烏様の発言が、愛国「本流☆…」掲示板に掲載されてました。

 http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=415415&mode=res&log=305

612志恩:2012/04/06(金) 06:53:12 ID:.QY5jUA6
これも、

http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=415415&mode=res&log=303

613志恩:2012/04/06(金) 06:58:10 ID:.QY5jUA6
分りにくいところにかき込まれていたので、ここへも貼らせていただきます。
八咫烏様から トキ様宛

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/1011

616初心者:2012/04/06(金) 10:28:23 ID:CHQEsNKk
八咫烏様

生長の家でいう「現象世界」は脳内の現象であるということを、わたくしは強く確信しております。ラカンの用語でいえば、生長家が説く「現象世界」は、「想像界」と「象徴界」を言っているのであり、ラカンが実在の世界と想定しているであろう「現実界」とは大きく異なったものであるのは、あきらかであります。

「現実界」とはどのような世界でありましょうか。それはおそらく、差異だけが存在する世界であります。しかもその差異にしたところで、明確に区別できるものではなく、すべてが混然と一体化したなかに、おぼろげながらも「ちがい」が見てとれるといった程度の差異ではなかろうかと考えております。

「現象世界」があらわれる以前に存在する世界があるとすれば、それは差異だけが認識される世界ではなかろうかと考えます。生長の家では、このような世界についてはいっさい説かれておりません。説かれているのは、ラカンがいうところの「想像界」、「象徴界」で説明できる「現象世界」だけであるような気がしております。

この話、相当に深いところまで行けるような気がしております。人間は世界をどのようにして認識するのか。これが中心課題であろうかと存じます。この分野、わたくしはまったく不勉強でありますので、八咫烏様の読解力、理解力、表現力がぜひとも必要になってくるところではないかと考えます。とりあえずのところは、「現象世界は脳内の現象にはあらず」とされる見解についてお聞きしたいところであります。

617八咫烏:2012/04/06(金) 12:44:42 ID:Uh6fUAok
初心者様

いくら聞いても、ラカンなど読んだこともないし、理解が及びません。
私はそれほど優秀な人間ではなく、自分が読んだ生長の家関係の書籍の知識を組み立てて、
常にお答えしているのであり、また初心者様をなるべく理解しようと、
初心者様の投稿の中にある言葉などを検索して調べ、
それなりにある程度推測で理解したつもりになって、書き込んでいるのです。
だから、現象世界は、脳内の現象という言葉が、単なる架空の言葉であると言われるなら、
教えから、そうではなく五感の感じる世界は全て現象であるとしかお応えできませんが、
初心者様は何故、現実世界は存在すると考えておられるのでしょうか。前に言われたように、
人間が言葉を持つことによって、言葉の概念を思い浮かべたところから、現実世界が発生したと
ということでしょうか。初心者様の思索には、私の脳では限界があるようです。

618春らんまん:2012/04/06(金) 20:54:55 ID:Jxt285tw
八咫烏さま

御誠意あふれる御投稿、感激しながら拝読させていだいております。


しかしながら、初心者様(多分、総裁)に憑依した悪霊は、非常に厚く、
古参信徒の諸先輩方は、諦めております。


私は、"こういう方が三代目になったのも、意味がある"と感じておりますので、
組織の瓦解の為にお出ましになった方、とあまり嫌悪感なく、感じています。

全てのものに、無意味なことは無いように、
この方が三代目になられたことは、神意なんだろうと思っておりますし、
この方が、御教えによって最終的には救われる事を祈念してやみません。


お力を、抜いて、お仕事等に障害がないよう、今後も引き続いて本流の礎となって下さることを、切望してやみません。


感謝再拝

619八咫烏:2012/04/07(土) 00:26:11 ID:Uh6fUAok
春らんまん様

大変思いやりあるご意見をいただき有り難うございます。

私も多分ほぼ春らんまん様と同じように感じています。

私も今の教団の現状は、やはり瓦解すべきものが瓦解するための過程であり、
必ずより素晴らしい物が生まれるためには必要な時期なのだと思います。

私はもともと組織嫌いの人間で、
かつては青年会での愛国運動自体は嫌いではありませんでしたが、
同時に組織へのなんとなき嫌悪感もあって、どこか微妙に違和感も感じていました。
組織というものが持つ宿命なのかとも感じたりしました。

講師の話にも感動し、組織の上部の方や仲間たちの
教えを実践する心情も何も間違ってはいないように思えるのに、
組織運動に、なんとなく空回りしているような違和感も覚えるのでした。

またある人々に恰も左翼の活動家のような雰囲気を感じる時がありました。
それは勧誘をオルグといっていたり、
左翼の言葉も使われていたりする部分もありましたから、
そのような言葉が使われている事自体
きっと微かに類似のものがあったのではないかと思うのです。

もちろん左翼とはぜんぜん違うものであり、どちらかと言えば、
維新の志士に似ているのでしょうが、ほんのかすかにある人々に
それを感じただけなのですが。


今は、しかし青年会の頃の思い出は懐かしく、いとおしくさえあります。
そのころ反発を感じた人々も(これは私のとって、すぐ上の人であり、
中央の人ではありません。)その後は非常に穏やかな愛深い方と
なられていると聞きます。
私も今はただ尊敬の念しかありません。反発を感じたといっても、喧嘩をしたわけでもなく
私のほうが一方的にやめてしまっただけで、単に私の信仰の低さ故でしたから。

私の感じた違和感は、おそらくトキ様の感じられたものとよく似たものだったかも知れません。
私は、離れていたために、思い出として昇華してしまいましたが、
ずっと現場の組織におられ、またそのような活動の仲間としてではなく部外者として
見ておられたこともあり、嫌悪感がそのまま残っておられるのではないかと拝察します。

私は生長の家は、教えとしては間違ってはいなくても、組織としてきっと
正すべき部分も出てきており、新しい組織理念が天降るべき時機にあるのでは
と思います。だから、現在の状況は、春らんまん様と同じくきっと良くなる過程であると
信じてはいますが、雅春先生のご著書や録画録音といったものの保存のみが心配です。


初心者様が、生長の家の思想ではなく他の哲学を研究され、
そちらの理論のほうが、より完全であるかのごとくに思おうとされ、
雅春先生の思想に別の思想で、勝利感を味わおうとされる心理は、
悲しく感じられます。春らんまん様と同じく、本当にそのような苦痛の
中から早く出てきていただきたいと思います。

しかし、おっしゃるように、いくら議論しても、議論で納得できるものではなく、
掲示板上のやり取りで、心が開くこともなく、これは無意味なことかも知れないと
思います。このくらいにしておこうかと思っています。多くの方が、初心者様の
あるいは総裁先生の實相を礼拝しておられると思うので、また人間神の子の實相を
くらますことはできませんから、必ずいつか實相が顕現、
というかすで實相しかないのですから、
私たちの信仰が深化した暁には、その実相を
目のあたりに見ることができることでしょう。

620ルンルン:2012/04/07(土) 00:51:16 ID:vsZYH/3w
初心者様
616のあなたの文章を読んで。
今、インターネットでラカンを検索して調べてみました。
が、例えばラカンのいう「現実世界」なるものがどういうことを指してるのかさえも
全くわかりませんでした。アホなので(まあ説明も書いてなかったし)

インターネットで分からなかったので、あなたにお聞きします。

>>生長の家でいう「現象世界」は脳内の現象であるということを、わたくしは強く確信しております

て、書いてますね。で、一つ目の質問ですが、

「脳内の現象」ってどういう意味なんですか?

あなたの言い回しから察すると、
生長の家で説く「現象世界」イコール「心の影」という説はちょっと違うんじゃあないか。
現象世界は(ラカンのいうように)脳内の現象だぞ。
と、いうような感じですよね。
で、こころの影と脳内の現象とはどうちがうのですか?

それからラカンのいう「現実世界」の意味を教えて欲しいです。

>>生長家が説く「現象世界」は、「想像界」と「象徴界」を言っているのであり、ラカンが実在の世界と想定しているであろう「現実界」とは大きく異なったものであるのはあきらかであります。

うえのあなたの文から察するとラカンの現実界とは生長の家でいう実相の世界の事ですかね?

>>「現実界」とはどのような世界でありましょう。それはおそらく、差異だけが存在する世界であります。
しかもその差異にしたところで、明確に区別できるものではなく、すべてが混然と一体化したなかに、おぼろげながらも「ちがい」が見てとれるといった程度の差異ではなかろうかと考えております

上の内容は分かりません。なんじゃこりゃ。(ラカンのいう現実世界が生長の家でいう実相の世界として)実相世界がこんな変てこりんな世界なら、えらいこっちゃ。ですよ。

>>生長の家では、このような世界についてはいっさい説かれておりません。説かれているのは、ラカンがいうところの「想像界」、「象徴界」で説明できる「現象世界」だけであるような気がしております。

(ラカンの言う現実世界が生長の家で説く実相世界としてですが)説かれてるじゃあないですか!
実相世界はどんな世界がこれでもかこれでもかと言うほど説かれているじゃあないですか!
しかし、あなただって生長の家の本をたくさん読んでらっしゃるでしょうから、そのあなたが
「このような世界については一切説かれてない」と、言うからには
ラカンの現実界とは生長の家の実相の世界とは違うということになりますよね?

621初心者:2012/04/07(土) 09:55:55 ID:CHQEsNKk
ルンルン様

ご質問いただきありがとうございます。とりあえず、根本的な疑問からはじめます。この疑問は、こちらの掲示板が開設された当初から問いかけてきた疑問です。宇宙とは何か。これがその問いかけです。

わたくしの理解では、宇宙の年齢は137億年です。そして、宇宙の果てから地球に光がとどくまでの時間も137億年であると考えられているはずです。「光年」は距離の単位ではありませんが、便宜上これを距離の単位と考えて、宇宙の大きさを137億光年と呼ぶことにします。すると、現在の宇宙の年齢は137億年で、その大きさの半径は137億光年ということになるはずです。

おそらく100億年後には、宇宙の年齢は237億年になるはずです。そして宇宙の大きさも237億光年になるはずです(間違っていれば、ご教示いただきますことを希望いたします)。

この推測が正しいとすれば、なぜこうも数字が一致するのかということが、根本的な疑問として出てまいります。わたくしの理解力や想像力では、この問題は解決不能でありますから、当然のことながら、これはいまだ解明できていない疑問であります。さしあたっての結論は、このような奇妙な一致はあり得ない話なので、この宇宙は見せかけの宇宙でしかない、ということになります。たとえ1メートル先の風景であっても、これもまた見せかけの宇宙の一部でしかないということになります。

宇宙が見せかけの宇宙であるとすれば、「現象なし」であるのは当然のことです。そもそも見せかけの宇宙とは存在するはずのない宇宙であるということですから、これを「現象なし」と説いてみたところで、新しいことはなにも説いていないに等しいということです。

説くべきものがあるとすれば、それは見せかけの宇宙ではなく、真に存在すると予想される宇宙であるはずです。生長の家は、こうした見せかけの宇宙を「現象世界」とし、それは実在ではないと説いているようにおもわれます。このことにいったいどのような意味があるのかとおもわないではおれません。

真に存在すると予想される宇宙、これは見せかけの宇宙ではなく本物の宇宙という意味にもなりますが、説くべきものがあるとすれば、この本物の宇宙についてであると考えます。ひと言つけくわえますなら、真に存在すると予想される宇宙と、生長の家で説かれている実相世界は、その性質からしてまったくの別物であるとおもわれます。

生長の家は、実相世界の対立概念として見せかけの宇宙を置いています。これはあまりフェアな態度ではないと考えます。真の実力者は、見せかけの宇宙ではなく、真に存在すると考えられる本物の宇宙です。実相世界は、真の実力者である本物の宇宙にたいして、その優位性をどこまで示すことができるのか。興味があるのはこのことです。

622ルンルン:2012/04/07(土) 15:35:07 ID:vsZYH/3w
>>621
初心者様
早速お答えいただいてありがとうございまする。

>宇宙が見せかけの宇宙であるとすれば、「現象なし」であるのは当然のことです。そもそも見せかけの宇宙とは存在するはずのない宇宙であるということですから、これを「現象なし」と説いてみたところで、新しいことはなにも説いていないに等しいということです
エーッ、なんだ じゃあ生長の家でいう「現象無し」と、ラカンのいう「脳内現象」は一緒なんですね。
でもあなたは、生長の家の現象無しの説とラカンの説が違うような書き方してたんじゃなかったっけ?ハテ?
いつのまにか 論点が(生長の家の現象無しの説が)新しいか、新しくないかにすり変わってますよー)
しかし、あなたの文は矛盾が一杯ありますよね。
>>(生長の家が)現象無しと説いてみたところで新しいことは何も説いてない。」
この言い方はラカン(他の思想家でもいいですけど)は、とうの昔に現象無し位は知ってるんだよ。
と受け取れますで。
なのに、次の文では
「(生長の家は)こうした見せかけの宇宙を「現象世界」とし、それは実在ではないと説いているようにおもわれます。このことにいったいどのような意味があるのかとおもわないではおれません。
と、一転して「現象無し」の説は生長の家だけの説になって,そしてその説を否定してますし。どうなってんの?

さて気を取り直して、もう一度同じ文をはりつけさせてもらいますが
>>見せかけの宇宙を「現象世界」とし、それは実在ではないと説いているようにおもわれます。このことにいったいどのような意味があるのかとおもわないではおれません。
おいおい、大っきい意味ありますよー。ほんとに生長の家の本をよんでますか?「現象無し」が生長の家の大きな特徴じゃないですか?
「この世界はこころの影」なんて説を説いてる団体やそんな内容の本は腐るほどあります。しかし、その心の影である現象を「無し」とはっきり教えてくれてるのは
生長の家だけですよ。
谷口雅春先生の生命の実相から抜粋します。
{生長の家はかく実相皆善のみを強調して「現象は無なり」と現象的不幸一切を空じ去る。さればこそ現実を征服する現実的威力を発揮するのである。
生長の家の家の思想がかく素晴らしい現実世界の支配力を有してるのは主として「現象無し」とスカッと断ち切り実相独在を明快に斬然と主張しているからである。}
今たまたま横にあった生命の実相27巻の128頁を抜粋しましたが谷口雅春先生の御本全般にわたって書かれてますよ。

>>説くべきものがあるとすれば、この本物の宇宙についてであると考えます。
だから散々説いてますって。本、読んでみ。

>>真に存在すると予想される宇宙と、生長の家で説かれている実相世界は、その性質からしてまったくの別物であるとおもわれます。

どんな性質やねん?生長の家でも本当にある世界を実相世界と定義してますねん。
最も、あなたのいう本当の世界が「差異だけが存在するという訳の分らん世界」みたいですし。なら生長の家で説く実相世界と違ってもいいや。
いや、むしろ違ってほしい。

>>生長の家は、実相世界の対立概念として見せかけの宇宙を置いています。これはあまりフェアな態度ではないと考えます。
?なにそれ?

総じてやっぱりあなたの文は理解不可能です。アホなわたしにはあなたはカシコすぎてね。
あなたは、生長の家の説に納得されてないんですね。

八咫烏様 
619の文章を読む前に620を書きこんでしまいました。その流れでこの文も書いてます。

623初心者:2012/04/07(土) 17:50:19 ID:CHQEsNKk
ルンルン様

あなたは大変に頭のよい方でありますね。批判はごもっともという気がいたします。

わたくしの言いたいことを要約いたします。この宇宙は見せかけの宇宙であるとわたくしは考えておりますので、これにたいして「現象なし」といってみたところでさして意味があるとはおもえない、「現象なし」というのであれば、真に存在すると予想される宇宙、これはつまり今この瞬間に存在する宇宙であり、物理的におそらくは説明可能な宇宙であるとおもいますが、この宇宙にたいして「現象なし」を説くことができなければ「現象あり」ということにもなりかねない、ということであります。

見せかけの宇宙ではなく、今この瞬間に存在する可能性のある宇宙にたいしての考察を深め、その宇宙にたいして「現象なし」を説明するか、あるいはその宇宙が実相と等しきものであるかを説明するのが、「実相独在」を説く生長の家の務めであると考えます。

何度も述べておりますように、わたくしは理解力がはなはだとぼしいものでありますから、少しずつ話を進めてゆければと考えております。相手の矛盾点を突くということよりも、何が言いたいのかを理解していただくという方向へ力をそそいでいただければありがたく存じます。

624トキ:2012/04/07(土) 18:51:20 ID:9ZDFEabE
>>623

初心者様

 乱入をお許し下さい。ネイティブ・アメリカンつまりアメリカのインディアンによれば、この世界は何度目かの世界だそうです。

 ところが、最近の「インフレーション宇宙論」によれば、この宇宙は過去、何度か存在した可能性もあるし、宇宙がいくつも存在し
ているとか、宇宙が分裂する話まで飛び出しております。

 この説が正しいとなると、宇宙を作り出す力というのは、とてつもない存在だという事ができます。

 我々は、この世界とか宇宙が一つであり、唯一絶対と思い込んでいますが、創造者から見たら、いくつかの宇宙のうちの一つにすぎ
ないのです。これは参ります。こういう話は大きすぎて、私のような頭の悪い人間にはお手上げですが、興味はひきます。

625八咫烏:2012/04/07(土) 22:40:31 ID:Uh6fUAok
ルンルン様

流れに乗って、どんどんお書きください。
私のコメントなど気にせず、このままお進みいただけたら
嬉しいです。私は、ラカンを検索し、反論しようかとも思いましたが、
なんか虚しくて、それに少しつかれた気分でもありましたから、
あのように書きましたが、あなたのコメントを見て、
これは素晴らしい方が参戦されたと思いました。
そして期待通りの反論をされているのを見て、実に嬉しく思います。

私は少し実生活でも少し疲れた部分があり、またこちらの反論にも疲れたので、
この板を離れようかと思っていたのですが、あなたのコメントを見てもうすこし
様子をみようという気がしています。
応援しております。

626ルンルン:2012/04/08(日) 00:49:29 ID:vsZYH/3w
八咫烏様
わたしは学がないのであなた様のような文はかけませんが
そんな風に言っていただいてありがとうございます。
私はこれだけ書くのにもう疲れてしまいましたので
これから書く文章は、めちゃめちゃになりそうです。
PS.
あなたの文章はすごく好きです。

627志恩:2012/04/08(日) 01:01:46 ID:.QY5jUA6
ルンルン様

はじめまして。私もルンルン様は、謙虚でいらっしゃるけれど、とても頭のいいお方だなぁと
感心しています。初心者様をお相手に、すごくポイントついた質問されてますもの。
大したお方です。

ルンルンさま、いらしてくださって、とてもうれしく存じています。
これからもよろしくおねがいします。

628初心者:2012/04/08(日) 10:04:59 ID:CHQEsNKk
トキ様

トキ様のいわれるように、宇宙のインフレーションは、ビッグバン以前にすでにあったという説があるようです。こちらのほうのインフレーションはケタ違いのスケールで、一瞬にしてわたしたちが住む宇宙よりもはるかに大きな宇宙が誕生したという話です。

この宇宙は一瞬にして膨張しただけでなく、無数の、というよりも無限といっていい数の宇宙を生み出したと言います。その中の一つが、わたしたちが住む宇宙です。

それぞれの宇宙では、物理定数が異なっているだけでなく、物理法則さえもが異なっていると考えられているようです。わたしたちが住む宇宙は、物理定数や物理法則が、生命が誕生するのにちょうどよい値であったということです。

本物の宇宙は、いったいどこにあるのでしょう。それはどのような姿形をしているのでしょう。以前こちらで書いたことがありますが、北米インディアンやオーストラリアの原住民たちのあいだで語られているというドリーミングやドリームタイムこそが本物の宇宙なのではないかとわたくしは想像しております。

629トキ:2012/04/08(日) 10:40:37 ID:uaviqVEQ
初心者 様

 宇宙論は面白いです。以前は、ビッグバンで大騒ぎをしていたのですが、今や、それを超える理論が出てきたのです。
科学の進歩で、今後、インフレーション理論を超える理論が登場するでしょう。

 昔の欧州で、哲学者が「二重真理説」というものを唱えていたそうです。科学の真理も宗教の真理も、それぞれ真理だ、と
いう内容みたいです。おそらく、遠い未来では、その真理は一つに交わるとは思いますが、ただ、おそらく、我々が生きている間に科学
という手段で“真理”が分かる時代は来ないと思います。

 そう考えると、今の時代に生きている我々が、宇宙を感じるのは、瞑想という手段かと思います。
ドリーミングもそうですが、座禅でも、神想観でも、大切な手段かと思う次第であります。

630下流のしんと:2012/04/08(日) 23:53:18 ID:WmbFDQVc
>立ち上がれ 気高く舞え 天命(さだめ)を受けた戦士よ

千の覚悟 身にまとい 君よ 雄々しく 羽ばたけ



闇の時代を告げる 鐘が遠く鳴り響く

戦う友よ 今 君は 死も恐れず

瓦礫の街を染めて 沈む夕日は紅

愛する地球(ほし)の未来を守るため

おお 神の刃は 人類(ひと)の愛

祈りを 込めて つらめけ

立ち上がれ 気高く舞え 天命(さだめ)を受けた戦士よ

明日の平和への 礎となれ

熱くなれ 大きく咲れ 天に捧げし命よ

弱き者の盾となれ そして 世界を 導け



きらめく星の海に 浮かぶ おまえの面影

二度と逢えない愛ゆえに なお いとしい

背中合わせの世界 重ね合えない現実

涙とともに捨て去れ なにもかも

さぁ 振り返らずに 風になれ

痛みを越えて 駆け出せ!!

立ち上がれ 気高く舞え 天命(さだめ)を受けた戦士よ

たとえ傷ついて 力尽きても

赤く燃え 見事に散って 星になった命よ

時を越え その名前を 胸に刻もう Just Forever



立ち上がれ 気高く舞え 天命(さだめ)を受けた戦士よ

たとえ傷ついて 力尽きても

熱くなれ 大きく咲れ 天に捧げし命よ

明日の平和への 礎となれ

赤く燃え 見事に散って 星になった命よ

時を越え その名前を 胸に刻もう Just Forever

631初心者:2012/04/09(月) 15:02:33 ID:CHQEsNKk
トキ様

ビッグバン以前の大インフレーションで無限の数の宇宙が誕生した現象をマルチバースと呼ぶことにいたします。マルチバースで誕生した宇宙の多くは、素粒子さえも存在し得ないようなカラッポの宇宙であったり、星や星雲はおろか、素粒子が集まって原子や分子を構成することさえもできないような粗悪な宇宙であったと考えられているようです。そのなかに、10の数百乗分の一といってもいいほどの、きわめて低い確率で生命の誕生を可能とするような優秀な宇宙が混ざっていた、ということがいえるような気がいたします。

マルチバースを信じるなら、神はひとつの優秀な宇宙を誕生させるために、10の数百乗個といってもいいような粗悪な宇宙をおこしらえになったということがいえるでありましょう。さらにそれぞれの宇宙は、最近とみに有力視されるようになった多世界解釈によって、ひとつの宇宙が無限の数に分岐していっているということが取りざたされるようにもなってまいりました。

マルチバースや多世界解釈が真実であれば、神の戦略は「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」であったということになります。無限の数の銃弾を撃ち込んで、そのなかの1発でも当たればよしとする戦略を神は採用されたということです。

いったいいかなる理由でこのような戦略を採用されたのか、それを説明するのが、この掲示板が開設された当初に、役行者様に追及されながらわたくしが主張してまいりました、あの「ピンポーン」現象であったのであります。

記憶しておいでの方がおられるかどうか、それは定かではありませんが、あの「ピンポーン」現象説が神のマルチバース戦略を見事に説明していたということは、わたくしの強く自負するところであります。

マルチバースはなんのためであったかといえば、それこそが実相世界を創造するための神の戦略であったということです。神は実相世界を最初に創造されたのではなく、実相世界を創造するためにマルチバース戦略を採用されたということを、わたくしは、当掲示板が開設された当初に、役行者様に追及され、訊け様に批判されながらも主張し続けたのであります。

いま仮に実相世界が存在するとしても、マルチバース戦略が功を奏して実相世界が首尾よく創造されたとすれば、実相世界は当然のことに時空を超越した存在でありますから、未来に完成するはずの実相世界が過去にさかのぼって現在に顕現したとしてもなんら不思議なことではない、ということで説明が可能です。

このあたりのことをわたくしは、生長の家の考え方とは大きく異なっているということで述べたことがあります。生長の家では、マルチバースや多世界解釈はどのように説明されているのでありましょうか。この問題は、現時点ではソシュールやラカンとは切り離して考えたいとおもいます。

632トキ:2012/04/09(月) 19:19:07 ID:C4DhgVhE
 うろ覚えですが、ネイティブアメリカンの神話に、神が宇宙を何度も作った話が出てきます。
せっかく世界を作ったが、その住人が神の意思にそわない行動を繰り返したので、そのたびに
大洪水を起こして世界を洗い流し、新しい世界を作ったと言います。今度の世界で7回目(?)
だったと記憶していますが、この世界を作った時も、「また、8度目の世界を作る事になるだろう」
と神がつぶやいた、と本で読んだ事があります。

 さて、これは私の勝手な解釈ですが、生長の家でいう実相世界というのは、ビッグバンを引き
起こすもとのPowerだと解釈をしております。それと、マルチバースというか、世界が実はいくつ
もある、という事は、かなり現象という理解を容易にするものかと感じております。仮に、宇宙
なり世界が、ただ一つのものならば、神を宇宙を一つ作るだけの力しかない存在という理解もあり
えます。しかし、宇宙すら自由自在に操作でき、場合によってはリセットすら可能だとしたら、
そのPowerは想像を絶するものだと思います。そのPowerこそが、実相世界と称するものかもしれ
ないと思います。

 神が何故、宇宙を何度も作ったのか? 動機はわかりません。ただ、我々にとってはかけがえ
のない宇宙であり、世界ですが、神にとっては、現れの一つであり、いつか消滅する存在である
のは確かのようです。

633初心者:2012/04/10(火) 13:31:28 ID:CHQEsNKk
ルンルン様

ラカンの「現実界」と生長の家が説く実相世界はあきらかに異なっております。あくまでもこれはわたくしの予想でありますが、ラカンの「現実界」とは、Dブレーンによってつくられたホログラム映像が人間の感覚器官によって知覚されることであらわれてくる世界ではないかと、このように考えております(Dブレーンにつきましては、当掲示板にて概略を述べておりますので、ここでの説明は省略させていただきます)。

このあたり、わたくしもまったくの不勉強でありまして、「現実界」について詳細を述べることはできません。ただひとつだけ可能性としていえるのは、「現実界」は固体状の世界ではなく流体状の世界であろうということです。

私たちが住む「この世界」は「現実界の写しである」と考えられます。しかし、どのように見ようとも、「この世界」は固体状の世界であります。水や空気はともかく、建物や樹木が流れて見えるということはありません。それはいったいなぜなのでありましょう。答えは、「現実界」が言語によってピン止めされ固定されているから、ということになります。

流体的世界を人は言語によって固定している、ということです。このことを最初に考察したのは、おそらくは仏教中観派の龍樹であったはずです。龍樹は、「この世界」を言語によって虚構された世界と見なしていたとおもわれます。言語によって、世界をどのように虚構するかといえば、それが言語による流体的世界=現実界のピン止めであったわけです。

ソシュールの思想も龍樹の思想に近いものがあるとわたくしは考えておりますが、それよりもさらに重要であると考えるのが、物理学界の異端児的存在でもあるディヴィッド・ボームの流体哲学であると考えます。

ボームは、「この世界」を「流体的に運動する分割不可能な全体性」と見なしたがっていたようであります。なぜ見なしたがっていたのかといえば、それは物理学者というよりも哲学者としての抑えがたい衝動であったといえそうです。

「世界は流体でなければならない」。世界にたいして、物理学的にも哲学的にも深く考察したであろうディヴィッド・ボームは、たしかにこのように考えていたようであります。しかもその哲学をより明確に言語化するために、ボームは、流体的世界を記述するための特別な言語である「レオモード」の開発にさえ着手したともいわれています。世界は流体でなければならないと、ボームに右へならえのわたくしもまたこのように考えております。

人間の感覚器官によって知覚される、Dブレーンのホログラム映像もまた流体状の模様を描くはずだと、わたくしは素人ながらにイメージしております。ボームのいう「流体的世界」がこれと同一のものであるとは考えておりませんが、なんにしても人は、言語以前には流体的であった世界を言語によって固定化することで「この世界」をつくり出しているのは間違いないと考えております。

いうまでもないことですが、こうした「固定化」の作業は脳のなかでおこなわれております。「この世界が脳内現象である」というのは、以上のような根拠に基づく主張であります。

634さくら:2012/04/10(火) 22:36:13 ID:hbAkGzg6
初心者さま

こんにちは。横レス失礼いたします。

現実が、言語により秩序化されるというのは、
脳科学の世界でも言われてることに繋がるようですが、
言語の性質を考えると、より複雑なものがありますね。

つまり、人間が認識したもので世界をつくっているという点は、納得できますが、
言語が、現実界をピン留めする仕組みというのは、とても興味深いです。

実際は、「リアル」な現実界、(それは、初心者さまが言われるような流体的世界…これは、芸術や宗教の世界で色々現されていることが、ありますね〜、)完全な認識は、言語を習得した人間には、あるいは、言語での認識では、不可能ということですね。

この様な認識の原理は、脳内の出来事としてだけで、片付けられない、なにか…世界の仕組みに繋がることと関係しそうな気がしてきます、

宇宙の創造される途中の姿が撮影された映像(ネイチャー誌に掲載されたそうですが、どんな具合にとったのか知りません、)
は、人間の脳の形にそっくりのようです。
八咫烏様とのやりとりで、双対性についての言及があったようですが(なんのことかは、理解はしてませんけど、)
脳と宇宙とは、何かこの双対性の関係があるのかなと、思わされます。
初心者さまが言われる、ポログラムの原理からも、人間の脳に、宇宙の情報がうつられているとの説明もつくような気がしますね。

人間と宇宙が双対性の関係にあるなら、科学の探求をしていくと、宗教で人間の魂の探求した真理が、繋がっていくなど、
全体と個の関係や、物質と霊性の関係など…何かつながると面白いですね。

わたしは、文系人間で、科学なんてこんなことを妄想、するくらいなんですが、
興味惹かれるお話、です。

635あさひ:2012/04/11(水) 06:55:17 ID:/3nxKE2Q
初心者様

>本物の宇宙は、いったいどこにあるのでしょう。それはどのような姿形をしているのでしょう。以前こちらで書いたことがありますが、北米インディアンやオーストラリアの原住民たちのあいだで語られているというドリーミングやドリームタイムこそが本物の宇宙なのではないかとわたくしは想像しております。


初心者様のお考えに興味を持ちました。

636金木犀:2012/04/11(水) 11:49:56 ID:y/Po8pPE
初心者様

聖典引用板に谷口清超先生の御文章を転写しました。
その中に体験談も書いてありますが、実相と、現象が影であることが
わかりやすく説いてあると思ったので、書き写しました。
あなたは、実相も、現象も、生長の家の脳内の言葉である
とおっしゃったので、その反論になればと思ったのですが。
一度読んでいただけませんか。

637志恩:2012/04/11(水) 15:11:21 ID:.QY5jUA6
初心者様に読んでいただきたくて、金木犀様が,謹写されたそうです。

聖典引用板に載りましたが。
飛び飛びになってしまって、読みずらくなっておりますので、

①〜⑤を,下記に順番に、貼らしていただきます。

 「矛盾の解決」
谷口清超先生 「生長の家」誌 昭和58年


http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/351

638志恩:2012/04/11(水) 15:13:10 ID:.QY5jUA6


 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/352

639志恩:2012/04/11(水) 15:14:46 ID:.QY5jUA6


http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/353

640志恩:2012/04/11(水) 15:15:52 ID:.QY5jUA6

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/357

641志恩:2012/04/11(水) 15:17:18 ID:.QY5jUA6


http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/359

                                    以上

642初心者:2012/04/11(水) 15:42:58 ID:CHQEsNKk
さくら様

わたくしも、「脳」という言葉をいともたやすく使っておりますが、これが一筋縄でいく代物でないのはたしかなことであります。以前、こちらの掲示板で、1970年あたりに、カール・プリブラムという脳科学者が提唱した「脳のホログラフィー理論」について述べたことがあります。宇宙がホログラムであれば、脳もまたホログラムであるのはあきらかであります。

ホログラムの特徴は、部分に全体の情報がたたみ込まれているということです。ホログラムの一部分を切り取っても、その断片から全体の映像を再生できるというのが、このあたりの事情を物語っています。

脳がホログラムの断片であるにしても、この断片には宇宙のすべての情報がたたみ込まれている可能性があります。これを、数学的な概念である双対性で説明できるのかどうか、それは定かでありませんが、宇宙で起きるすべての出来事は脳の内部でも起きている可能性があるでありましょうし、逆にいえば、脳の内部で起きる出来事は、全宇宙においてもおなじ出来事が起きている可能性がないとはいえないでありましょう(ことがあまりにも複雑なだけに、断言はできません)。

ただ、脳を考えるにあたって、さらに重要とおもえることがあるような気がいたします。脳はたしかにホログラムの断片であるのかもしれませんが、この断片はホログラムを見たり、それについて考えたりすることできる断片なのです。これは異常なことだとわたくしにはおもえます。簡単にいえば、ホログラムはホログラム自身を見ている(あるいは見ようとしている)、宇宙は自分で自分のことを考えている(あるいは考えようとしている)と、わたくしにはおもえるのです。

わたくしの自己流の考えでは、脳は脳の内部にホログラム映像に似たものをこしらえています。それはどこまで似ているのか、たしかなことはわかりませんが、それでも脳は、感覚器官や言語の働きをもちいて(これは失敗の可能性がありますが)、ホログラム映像とよく似たイメージを脳内にこしらえてそれを見ているということがいえる気がいたします。

自分で自分を見たり考えたりできるという仕組みがあるとすれば、それはどのような仕方で成り立つのでありましょうか。これらの仕組みについて、自己反射や自己反映といった言葉で説明されることがありますが、それはどうやら数学的に記述されるのみで、通常の言語による説明は簡単ではないようです。大学数学の落ちこぼれであるわたくしとしては、通常の言語による説明におおいに期待するところであります。このような次第でありますので、現時点では、このことにかんして多くを語ることはできません。

643初心者:2012/04/11(水) 15:49:14 ID:CHQEsNKk
あさひ様

本物の宇宙を想定しないがきり、わたくしが述べておりますことには
意味がないような気がいたしております。関心をもっていただいて
感謝いたしております。

644初心者:2012/04/11(水) 22:20:48 ID:CHQEsNKk
金木犀様

聖典の引用を読ませていただきました。わたくしの考えるところを述べさせていただくことにいたします。

カミナリはなぜとがった物体や金属製の物体に落ちることができるのか、これがわたくしには謎でありました。じっさいにとがった物体や金属製の物体に落ちるのか、それは定かではありませんが、多くのビルに避雷針が設置されていることをおもえば、カミナリがそういった物体をめがけて落ちようとする可能性はたしかにあるという気がいたします。

ずっと以前のことですが、樹木に落ちたカミナリが、樹木から数メートル離れた金属めがけて、幹の中間あたりで急角度にコースを変える映像をテレビで見たような気がいたします。カミナリは数千メートルの上空から落ちるものとおもわれますが、このような高さから避雷針を見分けているとはおもえません。テレビの映像からイメージいたしますのは、カミナリはそうとうに低空まで落ちたあたりで、避雷針めがけてコースを変えるのではないか、ということであります。

落雷は一瞬の出来事だろうとおもいます。そうした瞬時ともいえる短時間のあいだに、なぜカミナリは、離れた場所にあるとがった物体や金属製の物体の在り処を見つけてその方向にコースを変えることができるのでありましょう。これが謎でありました。カミナリを引き寄せる「場」のようなものがあるのかと考えてみたこともあります。しかし、そうした「場」があるにしても、それを説明するのは容易なことにはおもえませんでした。

ここにひとつの考え方があります。それは、1個のカミナリが、ひとつの場所ではなく、ありとあらゆる場所に落ちているとする考え方です。こうした考え方にもとづけば、1個のカミナリが、ガラス窓であれ、通りの落ち葉であれ、駐車中のクルマであれ、ありとあらゆる場所に同時並行的に落ちていることになるのでありますが、それらのカミナリがこの世に現象化されることはほとんどなく、とがった金属製の物体に落ちるカミナリだけが、なぜか多くの場合に現象化されるのであります。それはなぜかといえば、カミナリが金属製の物体をめがけるコースをたどる確率が、窓ガラスや通りの落ち葉や駐車中のクルマをめがけるコースをたどる確率にくらべて異様に高いから、ということであります。

1個のカミナリが、実際にはあちらにもこちらにも落ちているのでありますが、わたしたちが体験できるのは、そのなかで確率的にもっとも起きやすいひとつのケースであるのがほとんどであります。カミナリがとがった物体や金属製の物体に落ちやすくおもえるのは、考えられるありとあらゆるコースのなかでそのコースをたどるケースがなぜかもっとも現象化しやすいから、というのがその理由になります。

落雷の謎は、このように考えることでひとまず解消いたしましたが、こうした多世界解釈的ともいえる考え方は、落雷の謎を解消するためだけのものではありません。落雷現象だけでなく、この世のあらゆる出来事に同様の考え方をあてはめることができるはずであります。いうまでもなく、奇跡的な体験の背後にも、数多くの奇跡的とはいえない平凡な体験が同時並行的に起きているということであります。

      つづく

645初心者:2012/04/11(水) 22:24:07 ID:CHQEsNKk
金木犀様が引用されました体現談はたしかに貴重な体験でありますが、同時並行的に起きるありとあらゆる出来事のなかで、病気の治癒といった体験の起きる確率がもっとも高かったがゆえに、紹介されましたような奇跡的治癒がこの世に現象化したということがいえるのではないでしょうか。

具体的にいえば、ひとりの人物が、奇跡的に病気が治癒した人生と、あいもかわらず病気が治癒しない人生と、あるいはほかのいつくもの人生を同時並行的に生きている可能性があるということでありますが、これらの人生のなかで、なんらかの理由によって病気が治癒する人生をその人はこの世で生きる確率が高かったために、そのような人生がこの世的な現象としてあらわれてきたということであります。

ここで問題とすべきは、なぜ奇跡的治癒の確率がもっとも高かったのか、ということだけではありません。問題にすべきことはほかにもあります。それは、病気が奇跡的に治癒したにしても、それは単に、病気の奇跡的治癒がこの世に現象化したというだけであって、この世に現象化されていないところでは、あいもかわらず病気が治癒しない人生を、あるいはそれとはまったく無関係の人生を、その人は生きている可能性があるということなのであります。

真理とは、はたして何なのでありましょう。奇跡の起きることが真理と何か関係しているのでありましょうか。いくらかは関係しているともおもえますが、しかしそれがすべてではないようにもおもわれます。

わたくしにとっての真理とは、現象化したひとつの出来事の背後にひそむ、ありとあらゆる出来事を合計した「全体」であります。この世的に現象化した、病気が奇跡的に治癒した出来事だけでなく、この世的には現象化したとはいえない、ほかのすべての出来事、それはつまり病気が治癒しなかった出来事さえもひっくるめた「全体」こそが、わたくしにとっての真理となるのであります。

少なくともわたくしには、たとえそれが奇跡的な出来事であったとしても、それの起きる確率が高かったがゆえに現象化された出来事だけをもって真理と見なそうという考えはありません。可能なあらゆる出来事を合計した「全体」以外に真理はないものと考えます。

「全体」として何が起きているのか、これを問題にしたいと考えております。カミナリはたしかにひとつのコースだけをたどってとがった金属製の物体に落ちたかのように見えておりますが、同時にそれ以外の無数のコースをたどっているともいえます。ただひとつのコースをたどり、この世に現象化したカミナリだけがカミナリのすべてではないと考えます。首尾よく現象化して金属製の物体に落雷できたカミナリと、ありとあらゆるコースをたどり、この世的には現象化したとはいえないほかのすべてのカミナリを合計したものが、カミナリの「全体」であり真の姿であるということを、わたくしはここで述べたいのであります。

これと同様に、ひとつの場所で奇跡が起きたとしても、「全体」からすれば、それは、同時並行的に起きている数多くの出来事のほんのひとつの出来事であるようにおもわれます。奇跡的体験もそうでない体験も、全部トータルで合算して何が起きているのか、真理を問うのであれば、問題とすべきはこのことであると考えます。

ひと言だけ結論めいたことをいわせていただければ、実相というものがあるとすれば、それは多世界ともいえる空間で同時並行的に生起する、奇跡的体験もそうでない体験もすべてひっくるめた、想像を絶する世界であるに違いないということであります(わたくしが主張する「ピンポーン」現象がこれとはいくらか対立する考え方である可能性は認めます)。

問題となっております「脳内の現象」につきましては、またいずれ書かせていただければと考えております。あいもかわらず理解しがたい文面になりましたことをお詫びいたします。

646金木犀:2012/04/12(木) 00:10:52 ID:y/Po8pPE
初心者様

雷を不思議に思われた感性は素晴らしいですね。
私は雷に関しては、雷が尖ったものに落ちると言うよりも、
雷は最短距離を選ぶからだと思います。
私の想像では、雷は空中の気体のような希薄な成分の中で固体として、
雷が走るべき最短のものを目指すのだと思いますが、何故最短を見分けることが
出来るのかが不思議に思ったのですが、しかし、おそらく空中に既に、
電子というか、電気の拡散状態があって、最短の物へと、
一瞬に凝縮するのではないかと思います。
最短の物へと凝縮し、そこへ雷が通電していくことになるのは、
その雷がたまたま現象化したのではなく、これは必然であると思います。

多元宇宙論は、私には真理であるとは思えません。

同じように、私は、奇跡も実は法則によって、当たり前に起るのであり、
その法則を知らないために、人々は奇跡と呼ぶだけだと思います。

647初心者:2012/04/12(木) 12:49:14 ID:CHQEsNKk
金木犀様

粒子や波動が最短距離あるいは最短時間で空間を移動しようとする現象は「最小作用の法則」と呼ばれているようであります。金木犀様がおっしゃっておられるように、落雷は「最小作用の法則」にしたがって起きるものとおもわれます。

最小作用の経路分析を行ったのが、ノーベル物理学者のリチャード・ファインマンのようでありますが、むろん詳細は存じておりません。ですが、ファインマンの計算式をもちいますと、非常に正確に「最小作用の法則」にしたがった粒子や波動の経路を予測できるようであります。

「最小作用の法則」としては、光の屈折がもっとも知られているかと存じます。素人ながら勝手に判断させていただきますれば、1個の光子はあらゆる経路を通ってレンズを通過しているはずでありますが、こうした経路のなかで現象としてあらわれるのは1経路だけのようであり、これが屈折と呼ばれる現象の正体のようであります。おそらくは、カミナリも同様の経過をたどって現象化するものとおもわれます。

ファインマンの計算式は、素人には理解不能でありますが、計算式の概略を伝え聞くところによれば、光はやはりあらゆる経路を通過していると考えるべきではないかと、このようにおもう次第であります。

以上で述べましたことは素人の判断ですので、実際とは異なっている場合もあるかと存じます。その場合は、主張を訂正するにやぶさかではありません。なお、ファインマンの計算式と多世界解釈との関係につきましては、現在のところ何も申し上げることはできません。

648志恩:2012/04/12(木) 14:38:11 ID:.QY5jUA6

初心者様と金木犀様が「雷」について話されていましたが、
私は、賢くないので、科学的なことはわかりませんから、お二人の高度な話の間には、入れませんが、
「雷」について調べていましたら、

《「雷」なんでもサイト》というのを見つけました。

そこには目からウロコのようなことが、いろいろ書いてあり、自分一人で喜んでいては,悪いかなと思いましたので
下に貼らせていただきます。

そこの情報によりますと、落雷のときは、雷にも、リーダーがいて、それが、子分の雷を引き連れて、落ちて来るそうです。
例えれば、スナフキン君が、訊け君を後ろに引き連れて、賑やかなBGMを打つ鳴らしながら、俊足で落ちて来るようなものです。

それで、初心者様がいわれるように、尖った物体や金属性の物体になぜ落ちるかは、私には、まだよくわかりませんが。
ここによりますと、手に棒状のものを持っていると危ないそうですよ。金属とか木製とかにかかわらず、棒状の所が,落ち易い所だそうです。
街中では、傘ですね。そして、できればとにかく、建物の中に入る方が、身の安全だそうです。

庶民的な話で恐縮ですが、
私の子供時代は、お金持ちで、ネガラクモンのタイプの人の多くが虫歯は勿論、虫歯でない歯も抜いてまで「金歯」にするのが流行っていました。
893が、体に入れ墨を彫るように。

当時、雷は、金属を狙うというので、金歯は、子供たちのヘソの次に、雷に狙われるといわれていました。ですから、金歯の人は、雷がごろごろしてくると、
笑う事や口を開ける事さえ、できなかったのです。

ちなみに、うちの近所に,前歯を全部「金歯」にしている金持ちのおじさんがいました。(決して、私の父ではない)そのおじさんは、不摂生のためか、目の周りが
黒くて、その上 金歯ときていますから、われわれ子供たちは、そのおじさんのことを「金歯のお獅子(おしし)」と陰で言っており、雷がなる度に、おじさんの金歯のことを
気にかけていた事が、思い出されます。


 http://www.kaminari-nandemo.com/name/tabemono/

649初心者:2012/04/12(木) 14:38:28 ID:CHQEsNKk
世間では、量子コンピューターの実現の可能性が取りざたされているようであります。わたくしの記憶では、量子コンピューターの可能性に最初に言及したのはファインマンであったとおもいますが、理論化を最初に成し遂げたのは、多世界解釈の推進者であるデイヴィッド・ドイチであったかとおもいます。

ドイチは、量子コンピューターの理論を、多世界の存在を前提に構築したとも聞いております。1台の量子コンピューターが、理論的には、全宇宙に存在可能な通常型のコンピューターに匹敵する能力を持つと考えられているのは、量子コンピューターが無限ともいえる多世界において作動可能だからではないでしょうか。

この世界でしか作動できない通常型のコンピューターにたいして、多世界で作動できる量子コンピューターの優位性はたしかにあるとおもいます。ただその優位性は、いまのところ素因数分解だけに限定されているとも聞いております。量子コンピューターの実現の可能性すらまだはっきりしていない段階で多世界に言及するのは時期尚早であるのかもしれませんが、多世界の存在の可能性を否定することは、もはやわたくしには不可能といえる状況であります。

650志恩:2012/04/12(木) 15:13:19 ID:.QY5jUA6

  〜落雷でパソコンが死んだ〜
つぎに「雷」といえば

私は、いま私が使っている1つ前のPCが、数年前、落雷により死にました。
丁度、買物に行ってるときに、すごい雷が鳴って、うちの近くに落雷したのが、遠くから見ました。

そのとき、うっかり、パソコンの電源を切って来なかったことが頭に浮かんで、ドキドキしながら、家に帰り、
PCを開こうとしたら、うんともすんとも言わなくて、やられた〜〜(##)と、がっくり。

なにもかも、全て、アドレス記録も、失いました。

うちのすぐ近くに東電の高圧線の鉄塔があるのですが、そこからうちへ雷が伝わって来たかのかしらと、考えていると、次の朝、
東電の人が、高圧線の鉄塔の点検に来ているのが、眺めているとき来たので、走って行って聞いてみましたら、その東電の人は、
正直な人で「そうだと思います」と言いました。

「たぶん、鉄塔の”地下部分をずっと伝わって”、お宅のPCを,雷が壊したんだと思います」と、言ってくれたので,私は
「それでは、東電は、私の壊れたPCの弁償をしてくれるのですか?」と問いました、すると、その人は、早速その場で上の人に、携帯電話をかけて
聞いてくれました。

結局は、弁償は、無しになりましたけどね。
「壊したのは、東電ではなく、雷さんですので」が弁償しない理由でした。私も、納得。

で、新しいPCを自分で買い、safety power tapにして、それからは、私も、気をつけるようになりました。なにごとも、油断をしてはなりませんね。
幸い、壊れたのは、PCだけでしたが。

嫌なことは、さっさと忘れるという生長の家の教えのお陰で、楽天的に考えられるので、たすかっております。

PCは、夏、雷が多いですから、お互い、気をつけましょう。

651金木犀:2012/04/12(木) 20:40:52 ID:y/Po8pPE
志恩様

雷の話大変面白い話ですね。
って、志恩様のPCが壊れたのが面白いなんていうつもりはないですが。
その東電の人、弁償出来るかどうか、上の人に電話をかけるなんて、
中々対応が上手い気がします。
きっとその人も心の中では無理に違いないと思ったと思う
のですが、敢て自分の判断を言わずに、電話で聞くなんて、そこが立派ですね。

ところで、こういう気象現象というのは、
霊界にのみ生息する生き物が司っているそうですね。
龍だとかが。龍の他に何がいたか覚えてないですけど。
天狗もでしたっけ。
でも天狗は高僧の霊が少し高慢になってしまったものとか
いう話でしたから、霊界の生物というのとは違うかもしれません。

652金木犀:2012/04/12(木) 20:55:49 ID:y/Po8pPE
初心者様

私はその宇宙論はさっぱりわかりませんが、私の云う多元宇宙は、まだ初期の不確定性原理の
時に現れた、パラレルワールドの多元宇宙のことで、あなたの云う現象化するとかいう話が、
ちょっとそれに似て感じられたので、そのように言ったのですが、どうも関係なかった気がします。
トキ様と話されていたマルチバース?ですか、そういうのを否定する意味ではないです。
でも確かめようもないことですから、トキ様が言われたように、瞑想でしか、一般の私たちが宇宙を
感じる方法はないのではないでしょうか。

ところで、私が聖典板に書いたものに関してですが、谷口清超先生の書かれたテーマは
矛盾の解決ということなのですが。私はそのテーマに沿った感想をお聞きしたかった
のですが。奇跡的治癒が起こったかどうかより、心の法則から始まるこの文章のテーマを
即ち清超先生の意図をお汲み取りいただいた感想をお聞きしたかったです。

653神の子さん:2012/04/12(木) 23:36:44 ID:vsZYH/3w
初心者様
633を読みました。色々教えて下さって有難うございます。
分からない単語や分からない名前がいっぱいでてきたので、インターネットで調べながら何回も何回も読みました。
そして返事を書きましたが、何回も書いては消して という繰り返しで今日にいたってます。

そのうちにさくら様やあさひ様等があなたの書き込み(リアル世界が流体状である等の説)に興味をもたれ色々書き込んでおられましたね。
ですが、私は正直に書かせてもらいますが
実在世界が「流体的」なんていわれても、その世界は「差異のない世界」だといわれても、
そして影の世界が「流体的あった世界を言語によって固定した事によって固体状の世界となった」
といわれても、訳がわからないのです。やっぱりあほですね。
でもね、こんな私でも雅春先生が書き残してくれた
現象無し、実相独在(実相は無限の智恵、調和、歓喜、生命等)
は理解できるんです。

あなたの説を読んでもちっとも感動しないんです。
流動状なんて読んでも全然幸せじゃあないのです。
でもね、、生長の家の本を読めば
「ああ、自分は神の子なのか。ああよかった。有り難い。」
とおもえるのです。よくこの教えに出会えたもんだ。なんてラッキー。幸せ。
と思えるのです。
(ほんとこんな風に思える本に出会ったのは生まれて初めてです。)

最も恥ずかしながらまだ知識で把握しているだけです。知識のみで把握していても真理の周りを堂々巡りしてるだけなので、がんばって生きてる間には直接把握したいと思ってるんですけど。
なかなか難しいですね。でも生きてる間に悟るのが無理なら死んでからもがんばろう
って思ってます。その位の価値のある説ですね。私にとっては。

失礼ですがあなたは本当に流動状なんて信じてるんですか?
あなたは生長の家の本をたくさん読んでおられますよね?生命の実相を読んでなおかつ谷口先生の説の方が劣る、或いは間違ってると
本当に想われてるのですか?それが私には信じられないのです。

あなたは絶対体験したそうですが  では流体状と一体になったとい事ですか?そんなのと一体になって法悦なんてあるんですか?

私は谷口雅春先生の説を真理だと信じてるんです。

654ルンルン:2012/04/13(金) 00:22:53 ID:vsZYH/3w
すみません。
653は神の子さんとなってるけど
ルンルンです。

神の子さんすみません。
なんで神の子さんになったのか、パソコンに詳しくないのでわかりません。
??

655初心者:2012/04/13(金) 09:58:28 ID:CHQEsNKk
金木犀様

わたくしは、反・生長の家の立場からこちらで書かせていただいておりますが、わたくしにたいする反論、といっても表だった反論ではなく、潜在的な反論でありますが、その潜在的な反論でもっとも多いとおもわれるのが、「生命の實相を読んでじっさいに奇跡が起きているではないか」といった反論ではないかと、このように勝手に推測しつづけてまいりました。

金木犀様の引用されたご文章にもそういった体験が書かれていましたものですから、これを機会に、その潜在的な反論を封じ込める挙に出ようと、身のほどを省みることなく、このように考えて件の書き込みをいたした次第であります。とりあえずのところは、反論を封じ込めるための言論を展開しているつもりでありますので、痛烈な批判はまぬかれぬものと覚悟いたしております。

ところで、「矛盾を解決する」ということがテーマであったようですが、これには気づくことができませんでした。

わたくしは、スラヴォイ・ジジェクの信奉者でありますが、そのジジェクが「矛盾はあらゆる同一性の内的条件である」ということをいっております。簡単にいえば、敵対者や反対者がいるからこそ一致団結できる、ということでもあるのでしょうか。

ジジェクを信じるわたくしには、矛盾は解決するものではなく抱え込むものだ、とする考え方があります。ラカンが説く「現実界」は矛盾の宝庫のようでもあります。しかも矛盾のあるがゆえに「現実界は尊い」とも考えられているようであります。

これにしたいして、矛盾のないのが「想像界」であります。「想像界」は想像的世界でありますので、なんでも思いどおりになるがゆえに矛盾のない世界ともいえるのであります。「矛盾のない世界」を生長の家が説いているとすれば、わたくし的には、その位置づけは「想像界」ということになります(おそらくそうではないとおもいますが)。

「矛盾は抱え込むべきものだ」と考えるわたくしとしては、矛盾のない「想像界」で楽に生きることよりも、矛盾多き「現実界」でもだえ苦しむことのほうに、どうしても価値を置きたい気持ちになってしまうのであります。

ところで、多世界解釈ですが、これは不確定性原理の初期のころというよりも、それよりいくらか遅れてあらわれた考え方であります。量子力学の世界では、コペンハーゲン解釈が長く「標準解釈」とされてきましたが、ここ最近は、コペンハーゲン解釈の評価は低下の一途をたどり、それに代わって、多世界解釈が「標準解釈」の地位を占めるようになってきていると、このように聞いております。

量子力学には8つの解釈が可能とされているようであります。どの解釈を支持するかは研究者の自由でありますが、支持の態度表明をしている研究者は半数にも満たないとおもわれます。態度表明をした科学者のうち、おそらく8割程度は多世界解釈を支持している模様です。

アーノルド、ミンデルは、かつてはコペンハーゲン解釈、パイロット波解釈、多世界解釈の3つの解釈を併用しておりましたが、いよいよ多世界解釈1本にしぼったのではないかとおもわせるような書籍を出版するにいたっております。登場から半世紀以上を経て、多世界解釈の時代がいよいよやってきたのではないかと、このように判断せざるを得ない状況であります。

656金木犀:2012/04/13(金) 12:10:06 ID:y/Po8pPE
初心者様

私はあなたの信奉する哲学者の矛盾論を聞きたいのではなく、谷口清超先生の
文章の感想が聞きたいのです。
本当に読まれたのでしょうか。
もっと文章の具体的な、ナマの感想、血の通った感想が聞きたかったのですが、
あなたが、ジジェイクとかラカンの話以外は興味が無いのなら、
何のために生長の家の掲示板に来られているのでしょうか。

657初心者:2012/04/13(金) 12:43:54 ID:CHQEsNKk
金木犀様

これは矯正手段であると、何度も述べたはずでありますが。

658初心者:2012/04/13(金) 12:51:18 ID:CHQEsNKk
ルンルン様

インターネットで検索しながら、何度も読んでいただいたということで恐縮いたしております。ルンルン様の几帳面なご性格が伝わってくる思いであります。

こちらで書いておりますことは、ずいぶん以前にも、当掲示板で何度か書いたような気がいたしております。そのころは、可能なかぎり用語の説明をいたしたつもりでありますが、おなじことをくり返すのは面倒ということで、ついつい説明なしにもちいてしまうことになります。このあたりの事情は、どうかお察しいただきますようお願いいたします。

ところで流体的世界でありますが、これはわたくしの基本となる考え方であります。ルンルン様は「法悦」という言葉を使っておられますが、流体的世界は、法悦どころではなく、それは狂気の世界であります。それを見たものは気が狂ってしまう。おそらく、ユングやラカンは、このように考えて、それぞれの心理分析理論のある部分を構築したものとおもわれます。

空海が、流体土木のすぐれた知識を持っていたのは、容易に狂気へといたる流体的世界を制御するすべを空海は心得ていたからだ、と言った人がいました。こうした見方は、制御できるすべを持たないものが流体的世界に接すれば、正常な精神状態を維持するのは難しくなる、ということを指し示しているようにもおもわれます。

ラカンが、「無意識は言語のように構造化されている」と述べたのは、「無意識は、言語をもちいることで、人の意識が流体的世界とじかに接触することを防いでいる」ということを言いたかったのではないかと、わたくしはこのように考えます。

ユングにしても似たようなことを考えていたはずであります。狂気へといたった人は真理に接触してしまった人だと、このように考えていた形跡があるようにおもいます。ユングにとっての心理治療とは、狂気へといたった人が、それでも真理と接触し続けられるように応援する行為ではなかったかと、このように考えたりもいたします。

けっして感動的な話を書こうとしているわけではありません。ジジェクのいう「共生を学ぶべき堪えがたい真理」とは何か、力不足の感はいなめませんが、これについて書ければと考えております。

659志恩:2012/04/13(金) 23:26:43 ID:.QY5jUA6
愛国「本流☆…復活」掲示板に掲載されていました。
投稿者:総本山元職員
 
  ”人間は罪人である「これが今の教え」”

  宇治に「自然災害物故者慰霊塔」建立


 http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=415415&mode=res&log=311

660トキ:2012/04/16(月) 20:26:17 ID:E3xGDCqI
 本流掲示板に、

>>“濡れ衣”で辞めさせられる…? (8227)
>>日時:2012年04月11日 (水) 07時32分
>>名前:「靖国見真会」参加者

という投稿がありました。

 ところで、最近、他の教区ですが、類似の事案があったと聞きました。教区の役員の中には、自分が気に入らない人を役職に付かないようにするために
特定の人物について「学ぶ会」とか、分派との関係を申し立てる人がいるみたいです。もちろん、その人は、そのような事実はないそうです。

 こういう話は、寂しいです。

 少し、みんな、頭に血が上っているみたいですから、冷静になる必要はあると思いますね。

661あさひ:2012/04/17(火) 00:32:26 ID:/3nxKE2Q
初心者様におたずね

ユングやラカンのことを書いておられます。ユングもラカンも素晴らしい方と尊敬しています。もちろん、彼らもフロイトの無意識の概念も認識しつつ、独自の視点に至った方と思います。
初心者様はトランスパーソナル心理学についてはどんな視点をおもちなのでしょうか。おたずねいたします。無意識は本人の意識とは別のルートで自己に迫り、自己実現しようとするため、狂気にもなるのだと思いますが。

662初心者:2012/04/17(火) 12:38:17 ID:CHQEsNKk
あさひ様

トランスパーソナル心理学が、心理学上の特定の分野を指し示す言葉であるのかどうか、わたくしは存じませんので、「トランスパーソナルともいえる超個的な傾向をもった思考の総称」という意味でこの言葉をもちいることにいたましす。

「トランスパーソナル心理学」という言葉で思いだしますのは、ユングの「集合的無意識」、ルーパート・シェルドレイクの「形態共鳴理論」、カール・プリブラムの「脳のホログラフィー理論」、ケン・ウイルバーの「意識のスペクトル」といったところでありましょうか(「意識のスペクトル」は、はるか昔のことではありますが、理解できずに挫折した経験があります)。

東西の叡智をより集め、個の限界を超えようとするトランスパーソナルな思考は、たしかに一考に値するものでありました。しかし、けっきょくのところそれは、大きな潮流をつかむことはできなかったと、このように認識しております。

無意識は、自己実現のために自己にせまるとする考え方は、ユングの考え方に近いような気がいたします。狂気をたんに否定的に捉えるのではなく肯定的にも捉えたい。こうした立場から、狂気の問題にアブローチできればよいのですが、なかなかに甘い世界ではないというのが実情のようであります。

663あさひ:2012/04/17(火) 17:25:08 ID:/3nxKE2Q
初心者様

ご回答有難うございました。
かって、修士論文のまとめの時、トランスパーソナル心理学など、ある意味で新しい視点、潮流かなとかんじました。

ユングの視点、仏教の唯識の視点、ケン・ウイルバーの視点など、底の方で共通しているのではと感じました。

宗教、心理学 科学は互いに共通の土壌で話し合えるのではないかと感じました。

初心者様はどう感じられますか?

どうも有難うございました。

664「訊け」管理人:2012/04/19(木) 07:18:20 ID:???

 こんにちは。凍らせたペットボトルを見て「この氷、どうやって入れたんだ?」と質問したガッツ石松を敬愛する、「訊け」管理人です。あっ、ここは冗談が通じない「本流対策室」でした。・・・(中略)・・・さっそく本題へ。

 本流掲示板にこのような投稿文がございました。

●“批判する”なら、同時に“改善案を陳べる”べき
日時:2012年04月19日 (木) 00時12分
名前:日本人
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2002

以下引用させて頂きます。

――――――――――――――――――――――――――――――――
どなた様も、何に於ても“批判する”なら、同時に“改善案を
陳べる”べきだと思います。
――――――――――――――――――――――――――――――――

 「完全チェスト!!」であります。もう、言うまでもない話でありましょう。

――――――――――――――――――――――――――――――――
そうしないと、せっかく高邁な理想を掲げて開設したこのサイトも、あぁこれが
“黄泉の国”かと言われそうなマズイ雰囲気になって来ています。
始めて訪れた人から聞きましたが、ちょっと覘いて逃げ帰った
そうです。
――――――――――――――――――――――――――――――――

 ようやく同掲示板にも、この種の話が掲載されるようになりましたね。「遅いぜ」が率直な感想ですがこれ、もう「本当にそう」ですよ。
 初めてあの掲示板、訪問したとき吃驚しましたもの。それにそういう人が「大半である」・・・・・これは事実です。仲間うちだけで話を掲載し合っておりますと、この辺の消息が不明になるのかもしれません。ですがこの、「日本人」さまご投稿内容は、大半の者の偽らざる本音だと思います。

――――――――――――――――――――――――――――――――
「言上げ主義」は、大和民族の得意とするところではないと思います。
逆に「宣り直し」“善き言葉を以て宣言し直す”ことこそ、和を尊ぶ日本人の美徳
だと信じています。

是非、発展的に運営されることを望みます。
「雅春先生が創始された生長の家」が本流となることを心から祈念しています。
――――――――――――――――――――――――――――――――

 これぞ愚生が把握したところの雅春先生です。愛国書を読めば「もう、その通り」(あらためて言う必要もないくらいに)ですよね。完全チェストであります。

追伸

 じゃあ同掲示板への改善案、これを提示しましょう・・・(中略)・・・やはり不調和になりましょうか?私がそんなこと書くと(笑)やめておきます。

665ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/04/19(木) 07:40:15 ID:4ids/Zls

「「 本流と名乗る団塊爺ぃのボケ日記 」」  と 

書いていたよ、いつまでも、前進しないから!!

WEB誌友会で刺激された爺も多少いるのであろう。。。。

666トキ:2012/04/19(木) 21:54:10 ID:MJuLsJpg
 現役の信徒さんは、本流掲示板を見て引いてしまうようです。別にマサノブ総裁を援護する気持ちはないけど、
あそこまで書くのはやり過ぎだろう、というのが傾向です。この感想は普通だと思います。とにかく、理論的と
いうか教義の面から見ても、現実という観点から見ても、和解するしか道はない、と主張しているのですが、ど
うも本流掲示版の先達からは、傍論というか、暴論の扱いを受けております。ただ、こう書いても、神奈川教区の
H講師と違い、「今の教え」は支持しないと個人的には思っています。

 ところで、本流掲示板には、小生の事を、「どこかの掲示板で「和解、和解」ばかり唱えられ、一向に和解案を
提示されない大物?もいらっしゃいます。」という投稿もありましたが、これには抗議の上、以下のように訂正を
要求したいと思います。

 「どこかの掲示板で「和解、和解」ばかり唱えられ、一向に和解案を提示されない”小物”もいらっしゃいます。」と
ご訂正をお願いします。。

 ただ、具体的な和解案というか、今後の教団の方針は、やはり「吉田國太郎」時代の再来だと勝手に思って
います。昔、硫黄島の零戦の話を書きましたが、最新式の零戦が使い物にならなくて、中古の零戦が大活躍をし
た、という話です。それは、理論的には最新式の零戦は優れていたが、パイロットが使いこなせなかったのが
原因だ、という事でした。

 百万運動にしても、今の教えにしても、間違ってはいません。例えば、百万運動当時の指導者は、有名大学の
出身者ばかりでした。今の教えを提唱した谷口雅宣先生もコロンビア大学大学院の卒業です。しかし、百万運動に
しても、今の教えにしても、一部の頭の良い人だけが使いこなせる内容です。いくら大学進学率が上がったとい
っても、難しい理屈を喜ぶ人は少ないです。

 そもそも、生長の家の信徒が何を期待しているか、と言うと、谷口雅春先生がお説き下さった真理を学びたい、と
いうことです。だとすれば、生長の家の信徒が集まる団体である教団は、まず、真理の勉強から始めるべきだと
思います。そして、生長の家の運動が、生長の家の信仰を広める事が目的ですから、先ずは、生長の家の信仰を広める
事から始めるべきだと思います。

 それ以上の難しい事を偉い人が言い出すから、信徒が右往左往するのです。

 単純に真理の勉強に徹する事。それ以上の事をしたい人には、オプションというか、外郭団体や任意団体での活動を
保証する事。しかし、それを強要しない事。それが、将来の生長の家のあるべき姿だと勝手に思っています。

667ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/04/19(木) 22:05:39 ID:zw6UXZRk
トキさんWEB誌友会4月28日(土)よる9時30分からです。

訊けさんが看板をかけています。

よろしくお願いします。

668「訊け」管理人:2012/04/19(木) 22:18:34 ID:???

>トキ理事長

 
 簡潔に書きます。「和解和解と」言っているのは誰でしょう?そういう話です(笑)

 本流掲示板の方々(一部)はいつも、こうおっしゃっておられますよね。そしてつづけて「トキ」と、たまに私を批判されておられます。でもよ――く考えてもらいたいのですが、この「和解和解」ですが、頑なにご主張あそばされておられるのはどなた様でありましょう?それはトキさんですか?そして部外者のキャバクラ野郎でしょうか?
 和解を主張しているのが上記のごとき、怪しい勢力ならば耳を貸す必要はないでしょう。でもこれ、真剣に考えて頂きたいのですが、いったいどなた様のご主張でありましょうか。

 どなた様のご主張なのか、この「和解和解」とは・・・・これ、谷口雅春先生では、ございませんか?間違っていたらご指摘くださいませ。どうぞよろしくお願い致します。



669SAKURA:2012/04/19(木) 22:50:03 ID:FEa/NNlc
>>666 拝読いたしまして…

今までの私自身『真理とは?』この根本が?自分自身の“心”にどれだけしっかりと、
“理解”出来ていたのでしょうか?
常に「現象=現実」…願いが叶ったとその瞬間だけで終わっていた様な錯覚に、
陥っていました事に、ある時気付く事が出来ました。
■「現総裁雅宣先生の著書…17年ぐらい前の書物…」既に説かれていた事に…
私自身は、当時?理解力“ゼロ人間”であった事に、深く反省しきりです。

下記に“一部抜粋致しました文章”が印象的です…。
>ただ、具体的な和解案というか、今後の教団の方針は、やはり「吉田國太郎」
時代の再来だと勝手に思っています。昔、硫黄島の零戦の話を書きましたが、
最新式の零戦が使い物にならなくて、中古の零戦が大活躍をした、という話です。
それは、理論的には最新式の零戦は優れていたが、パイロットが使いこなせなかった
のが原因だ、という事でした。

百万運動にしても、今の教えにしても、間違ってはいません。例えば、
百万運動当時の指導者は、有名大学の出身者ばかりでした。今の教えを提唱した
谷口雅宣先生もコロンビア大学大学院の卒業です。しかし、百万運動にしても、
今の教えにしても、一部の頭の良い人だけが使いこなせる内容です。
いくら大学進学率が上がったといっても、難しい理屈を喜ぶ人は少ないです。<

■やはり、人類の救済は【真理…】を解く…この“種”を一人一人の“心…”に、
種を蒔き、発芽出来ます様な“システム”必要です〜かしら〜〜ン?
そのシステムが「生長の家…組織体制」の必要かと改めて思います。
従いまして、今回の「お互いの争論」もう少し歩みよって“理解し合う…相互関係”を、
作って頂きたいものと、深く切望するものです。

それにしても…【心で作る世界…谷口雅宣先生著】私なりに…解釈しながら、
周りの方々に「生命の実相」ともども“御教え”を、お伝えしてまいりたい所存です。
とても“貴重な意見”拝読させて頂きまして感謝申し上げます…。
                            再合掌

670ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/04/19(木) 23:10:52 ID:wR5umxuU
訊け様へ

>688 満塁ホーム ラーーーン!!  チェスト!! 

完全同意!! 訊けさん純潔! ホレテマウやろーー(チョット古い)

これからも、訊けさんを応援するぞーーーーー!(って迷惑がられてるの知っているけど・・・)

671志恩:2012/04/19(木) 23:16:00 ID:.QY5jUA6
トキさま・訊けさま、ユタカさま

 を「和解やたがらす」ではなく「和解三羽がらす」とお呼びします。

672うのはな:2012/04/19(木) 23:17:10 ID:El6gIMAw
アホカ??

673「訊け」管理人:2012/04/19(木) 23:20:55 ID:???

 谷口雅春先生を加え、「和解カルテット」とお呼びくださいませ。


 拜

674志恩:2012/04/19(木) 23:31:49 ID:.QY5jUA6
谷口雅宣先生を加え、でしょう。

675志恩:2012/04/19(木) 23:33:01 ID:.QY5jUA6
和解されるのは、谷口雅宣先生。

676ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/04/19(木) 23:47:57 ID:wR5umxuU
すみません、雅宣先生が入るなら

ユタカはチョーハイスピードで逃げます。

まだ、総裁を拝むのは遠くからで。雅宣先生につい最近一瞬間だけ感謝できたのですが、まだ、近寄りたくない。

一緒のグループにするんじゃね〜〜〜〜!!

677志恩:2012/04/20(金) 00:18:09 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

逃げないでよ。和解和解と連呼すれども、だれも「和解の鈴」を総裁の首につけられる勇気のある
人間がいないの。訊け君に,前、たのんだんだけどなぁ、ユタカ様、つけてきて〜〜〜ぇ

678SAKURA:2012/04/20(金) 04:36:19 ID:arwC7XBk

>>669の続きです…。

「生命の実相」より一部抜粋
■わたしはこれをこう考える──と言うときわたしは一つの立場に立つ。一つの
立場に立つかぎり、「彼はこう考える」立場を許してやらねばならぬ。球体の眼球を
有するわれわれは、青空は球状であって宇宙も球状であると考える。
球体の眼球を有するわれわれがもし三角ガラスの眼をもった人種に強いるならば
まちがいである。     <つづく>

679ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/04/20(金) 05:51:35 ID:sups7zdw
天地一切と和解せよ の 意味

ある日の講演で杉浦君は〃病気の非存在〃を説いて、結核菌など決して恐るるに足りないことを聴衆にわからせようとして、次のように言ったのである。

  「すべての生物は、内に神の生命が宿り、神によって生かされているから、互に兄弟姉妹であって、バイキンといえども、吾々を、本来害するものではないのである。それなのに、かれ等を害するものであると恐怖して、敵として立向かうから、彼らは敵としてあらわれ、ついに吾々を害する病菌となってしまう。私などは結核菌とも和解していて、兄弟姉妹だと思うから少しも恐ろしくない。吾々の肺臓は左が二室、右が三室、合計五室もあるアパートみたいなものだ、だから私は結核菌よ、もう三室ぐらいは空き間があるから、君たち、来たかったら何時でも来て住みなさいと結核菌に呼びかけている」




  私はそれを聴きながら、これは間違った考え方で、本人を呼んで訂正しなければ危険なことになると思った。

  何故なら、天地一切のものと和解せよとは、味噌も糞も、〃そのあるべき場〃を混同して一緒クタにすることではないからである。

  天地一切のものと和解するとは、あるべきものが、あるべき位置に配置され、互いに犯し合う事なく調和した姿で仲良く各自個性を発揮しながら、その個性が他から侵害されることなく、生かし合いの関係になる事なのである。

  人間には人間の生きる〃場〃があり、結核菌には結核菌の生きる〃場〃がある。人間の生きる〃場〃に病菌の生きる〃場〃を与えることは、これは和解ではなくて侵害なのである。




  私は杉浦君に、「結核菌に肺臓への侵入を招待するようなことを言ってはいけない。それは人体の拒絶反応を自己放棄することになるから」と注意しようと思ったが、演壇を降りた杉浦君は直ぐ次の講演場所へ駆けつけるために自動車に乗って姿を消した。

  その後やや久しく逢う機会がなくて、その問題も私の意識の表面から忘れさられてしまっていた。ところがその後、杉浦君は結核菌が、彼自身が招待した通り、彼の肺臓の三分の二位の範囲に移転して住みつくことになり、重症の胸部疾患に罹って死んでしまったのであった。
 

           『白鳩』誌 47年5月号より (某ブログより)

680志恩:2012/04/20(金) 05:54:22 ID:.QY5jUA6
トキさま

昨日、普及誌の「白鳩誌」NO。26が、届いたのですが、

裏表紙の本の広告のところをみて、私は、唖然としましたよ。

たった【2冊】の著書が、デカデカと著書の写真入りで載ってたんです。

何と,今回は、裏表紙を上下二つにわけて、


★ 上半分に、谷口雅宣先生の【脱原発の本】(脱原発。ー宗教家が”脱原発”を決めた理由)

★ 下半分に、谷口純子先生の【ノーミートの弁当の本】


この2冊。。今までは、だいたい6冊。上半分に3冊。下半分に3冊の広告が、載ってましたのに。

雅春先生・清超先生のご著書とかご講話のCDとかも載ってましたのに、

今回は、他は、吹っ飛ばして、雅宣総裁ご夫婦の本のみ、独占で載ってたんです。

やりすぎでは、ないでしょうか。

これを見て私は、ご夫婦二人の生長の家になってしまった印象を受けました。

トキさまも訊けさまも【和解和解】と相変わらず申されてますが、雅春先生の遺言だからだと相変わらずですが、

果たして、ご本人の総裁先生は、「社会事業団」に対する和解のお気持ちは、あると本気で思っていらっしゃるのですか?

681ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/04/20(金) 05:56:53 ID:sups7zdw
意識的に悪意をもって迫って来るものは、
  無邪気に昂奮して腹立てて迫って来る者よりは、非常に扱いにくいのである。

  こういう人に論争は無用である。
  真理を与えても、いたずらに真理を侮辱するばかりである。

  しかしながら、どんな人間にも〃神性(仏性)〃は宿っているのである。
  〃人間〃対〃人間〃で相手を善導することはできなくとも、
  神なら善導できるのである。

  神に祈って、瞑想の中に彼を、
  神の慈悲の掌中をあずけるがよいのである。
  そして、あとは忘れてしまうがよい。

  〃忘れる〃とは、
  その相手に自分の〃心の紐〃をつけないことである。

  自分の〃心の紐〃をつけている限りは、
  神に全然まかせたのではないから、
  充分、神が働けない訳である。

           『理想世界』誌 47年新年号(某ブログより)

682ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/04/20(金) 05:58:59 ID:sups7zdw
 
肉眼にて見れば、依然として物質の世界のように見えてあれども、それがそのままに天國浄土に変貌するなり。

  今まで仲の悪い家族、憎みあっておった家族は忽ち眼前より消滅し、三十二相を備えたる佛菩薩充満し、天華さん天華さんと降る如き世界に変貌するなり。これを称して「生れ更る」と云うなり。

  「人はや老いぬればいかで母の胎に入りて生れ更ることを得んや」とニコデモは云う。ニコデモは唯物論者なり。唯物論者には復活も生れ更りもないのである。



  すべて我々の見ている世界は、自分の心の見る世界なり。
  唯物論者の心には、それだけの世界しか見えざるなり。紅緑色盲には紅緑の色彩は見えぬなり。自分が仏になって見れば見られる世界が悉く仏の世界に変貌すれども、仏にならぬ人には此の世界は穢土である。

  自分が仏になれば、戀すれどもそれが其の侭、天国浄土の姿なり。自分が仏にならねば戀はただ煩悩なり。肉慾の化身なり。赤い眼鏡を掛けて見れば赤く見えるべし。青い眼鏡を掛けて見れば青く見えるべし。その人人の力量なり。人を審判くべからず。


  みづから仏になるときこの世界は真清浄、無垢の天国浄土なり。煩悩と見ゆるの其の侭菩提〈さとり〉なり。住む世界悉く美しく厳飾せられたる佛の浄土なり。

  先ず自分自身が生れ変ることが必要なり。されど赦す罪もなしと知ることこそ最後究極のさとりなり。



                           昭和23年6月

683ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/04/20(金) 06:02:32 ID:sups7zdw
トーキング1004に8カラス様が良い事を言われています

>>トキ様の立場で見て、教団内での組織のゆるみ、そんなものが出始め、
それらへ総裁が危機感を抱かれたというのは、あるいはそうだったのかも知れません。
しかし、色々な話を聞くと、あまりに度が過ぎる横暴ではないかと思います。
そこには総裁という方は本当に宗教家だろうかと疑う気持ちが起き、
また雅春先生の教えを本当に理解されているのかという疑惑も湧きます。
とても生長の家を学んだことのある人の言動とは思えないものがあります。

これを、組織論だけの問題であるかの如く、あるいは、総裁にも問題があるが
根本的には組織論であるとするのは、やはり無理があるのではないでしょうか。
これほどに実相哲学に、その言動が一致しなさすぎでは、
そもそも総裁の資格があったのかと疑わざるを得ません。

また和解のことを繰返しますが、私は和解とはその人の内面の問題であると思いますから、
社会事業団の方たちは、きっと一部の方は雅宣氏の実相を祈っておられると信じます。
そして、それこそが和解であると思います。
それは外から見たら、裁判を起こしていたとしても、
雅宣氏の実相を祈り、あるいは観世音菩薩として礼拝されている方もいるのではと
想像します。

本流の動画を見ましたが、国弘講師は社会事業団であずかっている子供たちに、
お父さんお母さんにありがとうと心に唱えるように教えていると言われました。
この子供たちは、皆親を恨んでいる子がほとんどだといいます。
その子たちを説得して、ダマされたと思って言ってごらんと、実行させ、
そのうちに言っているだけでも、言葉の力で、実際に心がほどけて、
段々感謝ができるようになるそうです。
そうして子供たちが変わっていくと言われました。
これが行の力だと思いますが、そういう指導をされている方たちが、
雅宣氏を単に憎んで裁判を起こしているとは思えません。

そして、裁判はこれはまた別の問題で、雅春先生の聖典を守るという
使命感から来ることだと思います。
雅宣氏の実相を祈りながらも、聖典を守らねばならないとする神意は
絶対だという信念のもとにやられているのだと思います。
諸葛孔明が泣いて馬謖を切ったように、やるべきことをやらねばならない
という気持ちであると思います。

だからこそ、裁判では勝訴できたのではないでしょうか。
心で、和解しているから結果が出たのではないでしょうか。


相手の実相を見ることが出来ればそれが和解であり、
たとえ雅宣氏が現象面で変化がないとしても、それは雅宣氏自身の
過去の業の集積や、機縁の熟し方で、
必ずしも変わるかどうかは決まっていないと思います。

雅春先生も相手を祝福して、その念を相手が受け取らなかったら、
受け取らないプレゼントが送り主に戻ってくるように、
祝福した本人のもとに、祝福の念は帰ってくると言われました。
だから社会事業団が勝訴し、さらに公益法人に
認定されたのではないでしょうか。

和解とは相手の実相を礼拝することであり、必ずしも握手し、
合意すると言うことではないと思います。

また、相手の実相を礼拝し、人間は皆神の子だと思っても、
なお敵軍の戦艦に体当りして、散って行った特攻隊のように、
守るべきものは守るのが、大義であると思います。
特攻隊の方が、具体的に人間神の子と思っておられたかどうかはわかりませんが、
少なくとも、彼らは、敵を憎んでいかれたのではない事は確かだと思います。

684ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/04/20(金) 06:10:50 ID:sups7zdw
重要箇所

また和解のことを繰返しますが、私は和解とはその人の内面の問題であると思いますから、
社会事業団の方たちは、きっと一部の方は雅宣氏の実相を祈っておられると信じます。
そして、それこそが和解であると思います。
それは外から見たら、裁判を起こしていたとしても、
雅宣氏の実相を祈り、あるいは観世音菩薩として礼拝されている方もいるのではと
想像します。

本流の動画を見ましたが、国弘講師は社会事業団であずかっている子供たちに、
お父さんお母さんにありがとうと心に唱えるように教えていると言われました。
この子供たちは、皆親を恨んでいる子がほとんどだといいます。
その子たちを説得して、ダマされたと思って言ってごらんと、実行させ、
そのうちに言っているだけでも、言葉の力で、実際に心がほどけて、
段々感謝ができるようになるそうです。
そうして子供たちが変わっていくと言われました。
これが行の力だと思いますが、そういう指導をされている方たちが、
雅宣氏を単に憎んで裁判を起こしているとは思えません。

そして、裁判はこれはまた別の問題で、雅春先生の聖典を守るという
使命感から来ることだと思います。
雅宣氏の実相を祈りながらも、聖典を守らねばならないとする神意は
絶対だという信念のもとにやられているのだと思います。
諸葛孔明が泣いて馬謖を切ったように、やるべきことをやらねばならない
という気持ちであると思います。

だからこそ、裁判では勝訴できたのではないでしょうか。
心で、和解しているから結果が出たのではないでしょうか。





相手の実相を見ることが出来ればそれが和解であり、
たとえ雅宣氏が現象面で変化がないとしても、それは雅宣氏自身の
過去の業の集積や、機縁の熟し方で、
必ずしも変わるかどうかは決まっていないと思います。

雅春先生も相手を祝福して、その念を相手が受け取らなかったら、
受け取らないプレゼントが送り主に戻ってくるように、
祝福した本人のもとに、祝福の念は帰ってくると言われました。
だから社会事業団が勝訴し、さらに公益法人に
認定されたのではないでしょうか。

和解とは相手の実相を礼拝することであり、必ずしも握手し、
合意すると言うことではないと思います。

また、相手の実相を礼拝し、人間は皆神の子だと思っても、
なお敵軍の戦艦に体当りして、散って行った特攻隊のように、
守るべきものは守るのが、大義であると思います。

685志恩:2012/04/20(金) 07:16:18 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

金木犀様(8カラス様)の「和解」についての、ご文章を載せてくださって、
その上、ご親切にポイントまで要約して載せてくださって、「和解」についてを、
再認識することが出来ました。

ユタカ様、ありがとうございます。
金木犀様の文を、読ませていただきましたら、心に響き、目頭が熱くなりました。

それにしても、金木犀様は、ピシっと、よくこれだけ「的を射た」しかも、だれにでも理解しやすい
論文を、表現できますね。

朝から、ホットレモンティを戴いた感じです、心が癒されました。♫

感謝 礼拝

686志恩:2012/04/20(金) 07:35:59 ID:.QY5jUA6
ユタカ様の
トーキングスティックボード板の 1312 を
見落としていました。「的を得る」「的を射る」について。

それによりますと、的(まと)の黒い中心に的中した表現の場合は、「射た」でなく「得た」で、
いいそうです。

で、685の志恩の文中「的を射た」を→「的を得た」に訂正します。

687ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/04/20(金) 07:38:51 ID:sups7zdw
志恩さん

ーーーー時間割表ーーーー

1時限  国語

トーキングボード >1312・1314  をご覧下さい。

688志恩:2012/04/20(金) 08:01:22 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

ちがった!?落第点もらっちゃった(笑)あたしの知能指数ばれたか! 私、今、見直しに行って来たところです。
あさから、頭の糸、こんがらがるなぁ。

イートーマキマキ イートーマキマキ

トーキングスティックボード
1311の、美しい言葉COM.での先生によると、本当は「射た」だが「得た」でも、よいと思う。

しかし、1312,1314のユタカ様、調査の結果によると、日本語は、どちらでもいいというもんじゃない。
正鵠を射たばあい、
的であるから「射た」である。

であるから表現が、ピッタシカンカンの場合、「的を得た」でなく「的を射た」という表現が、正解なのである。

あってる?

689志恩:2012/04/20(金) 08:10:50 ID:.QY5jUA6
ユタカ様の1312の説明を貼ります。(トーキングスティックボード)

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/1312

690志恩:2012/04/20(金) 08:15:54 ID:.QY5jUA6
なんか、わりぃけど、説明が、あたしの頭だと、わかりずらいと思うのですが、、、

691志恩:2012/04/20(金) 08:19:05 ID:.QY5jUA6
金木犀様は

「的を射た」「的を得た」について、どのように思っていらっしゃいますか?
 日本語の表現は、難しいですね。

692如月:2012/04/20(金) 08:44:24 ID:ki/haAjk
すみません志恩さま
巻き込んでしまいました。

私も、わからなくなってきました。

もう、漢字で表現するのをやめて 的を L でもいいかなというくらいわからなくなりました。

ちょっと今から出ますので、またあとで。

693志恩:2012/04/20(金) 08:58:04 ID:.QY5jUA6
そうですね。

「 的を L 」、いいかも。(笑)

694うのはな:2012/04/20(金) 09:53:56 ID:El6gIMAw
名前:「訊け」管理人 投稿日: 2012/04/20(金) 09:11:37 ID:???
<第二回  W E B 誌 友 会>

●日時:4月28日(土)21:30〜
●テキスト:『生命の實相』第一巻 「七つの光明宣言」
●場所:「部室2」板
●前夜祭期間:4月19日〜27日
(前夜祭期間は該当箇所に関する話題を、どしどしお寄せください。多少の脱線もありです)

695金木犀:2012/04/20(金) 10:33:30 ID:zilIu2tA
志恩様

私は、元々の使い方をできるだけ使いたいです。
だから、現在はどちらでもいいとされているものも、
できれば、元の使い方が失われないように、本来の使い方をしたいと
思います。
だから、的を射る、という表現を私は使います。
また正鵠を得る、という表現を使います。
知らない言葉はうっかり間違って使うこともあるでしょうが、
知っていれば、出来るだか本来の使い方をしたいし、
その言葉の由来、発生を尊重したいですね。

実は私もレスを見て、的を得ると書いてあるのが気にはなったのですが、
指摘するのもなんだか細かすぎかとも思って。
如月様が指摘して下さってよかったと思います。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板