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本流対策室/2 板
679
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/04/20(金) 05:51:35 ID:sups7zdw
天地一切と和解せよ の 意味
ある日の講演で杉浦君は〃病気の非存在〃を説いて、結核菌など決して恐るるに足りないことを聴衆にわからせようとして、次のように言ったのである。
「すべての生物は、内に神の生命が宿り、神によって生かされているから、互に兄弟姉妹であって、バイキンといえども、吾々を、本来害するものではないのである。それなのに、かれ等を害するものであると恐怖して、敵として立向かうから、彼らは敵としてあらわれ、ついに吾々を害する病菌となってしまう。私などは結核菌とも和解していて、兄弟姉妹だと思うから少しも恐ろしくない。吾々の肺臓は左が二室、右が三室、合計五室もあるアパートみたいなものだ、だから私は結核菌よ、もう三室ぐらいは空き間があるから、君たち、来たかったら何時でも来て住みなさいと結核菌に呼びかけている」
私はそれを聴きながら、これは間違った考え方で、本人を呼んで訂正しなければ危険なことになると思った。
何故なら、天地一切のものと和解せよとは、味噌も糞も、〃そのあるべき場〃を混同して一緒クタにすることではないからである。
天地一切のものと和解するとは、あるべきものが、あるべき位置に配置され、互いに犯し合う事なく調和した姿で仲良く各自個性を発揮しながら、その個性が他から侵害されることなく、生かし合いの関係になる事なのである。
人間には人間の生きる〃場〃があり、結核菌には結核菌の生きる〃場〃がある。人間の生きる〃場〃に病菌の生きる〃場〃を与えることは、これは和解ではなくて侵害なのである。
私は杉浦君に、「結核菌に肺臓への侵入を招待するようなことを言ってはいけない。それは人体の拒絶反応を自己放棄することになるから」と注意しようと思ったが、演壇を降りた杉浦君は直ぐ次の講演場所へ駆けつけるために自動車に乗って姿を消した。
その後やや久しく逢う機会がなくて、その問題も私の意識の表面から忘れさられてしまっていた。ところがその後、杉浦君は結核菌が、彼自身が招待した通り、彼の肺臓の三分の二位の範囲に移転して住みつくことになり、重症の胸部疾患に罹って死んでしまったのであった。
『白鳩』誌 47年5月号より (某ブログより)
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