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本流対策室/2 板

633初心者:2012/04/10(火) 13:31:28 ID:CHQEsNKk
ルンルン様

ラカンの「現実界」と生長の家が説く実相世界はあきらかに異なっております。あくまでもこれはわたくしの予想でありますが、ラカンの「現実界」とは、Dブレーンによってつくられたホログラム映像が人間の感覚器官によって知覚されることであらわれてくる世界ではないかと、このように考えております(Dブレーンにつきましては、当掲示板にて概略を述べておりますので、ここでの説明は省略させていただきます)。

このあたり、わたくしもまったくの不勉強でありまして、「現実界」について詳細を述べることはできません。ただひとつだけ可能性としていえるのは、「現実界」は固体状の世界ではなく流体状の世界であろうということです。

私たちが住む「この世界」は「現実界の写しである」と考えられます。しかし、どのように見ようとも、「この世界」は固体状の世界であります。水や空気はともかく、建物や樹木が流れて見えるということはありません。それはいったいなぜなのでありましょう。答えは、「現実界」が言語によってピン止めされ固定されているから、ということになります。

流体的世界を人は言語によって固定している、ということです。このことを最初に考察したのは、おそらくは仏教中観派の龍樹であったはずです。龍樹は、「この世界」を言語によって虚構された世界と見なしていたとおもわれます。言語によって、世界をどのように虚構するかといえば、それが言語による流体的世界=現実界のピン止めであったわけです。

ソシュールの思想も龍樹の思想に近いものがあるとわたくしは考えておりますが、それよりもさらに重要であると考えるのが、物理学界の異端児的存在でもあるディヴィッド・ボームの流体哲学であると考えます。

ボームは、「この世界」を「流体的に運動する分割不可能な全体性」と見なしたがっていたようであります。なぜ見なしたがっていたのかといえば、それは物理学者というよりも哲学者としての抑えがたい衝動であったといえそうです。

「世界は流体でなければならない」。世界にたいして、物理学的にも哲学的にも深く考察したであろうディヴィッド・ボームは、たしかにこのように考えていたようであります。しかもその哲学をより明確に言語化するために、ボームは、流体的世界を記述するための特別な言語である「レオモード」の開発にさえ着手したともいわれています。世界は流体でなければならないと、ボームに右へならえのわたくしもまたこのように考えております。

人間の感覚器官によって知覚される、Dブレーンのホログラム映像もまた流体状の模様を描くはずだと、わたくしは素人ながらにイメージしております。ボームのいう「流体的世界」がこれと同一のものであるとは考えておりませんが、なんにしても人は、言語以前には流体的であった世界を言語によって固定化することで「この世界」をつくり出しているのは間違いないと考えております。

いうまでもないことですが、こうした「固定化」の作業は脳のなかでおこなわれております。「この世界が脳内現象である」というのは、以上のような根拠に基づく主張であります。


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