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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  3

998義春:2011/09/06(火) 09:31:53 ID:SjZg29/2
>>996
ブログ管理人さあ
先ず、迅速なご対面感謝申しあげます!
って…焦って逆になってしまって、
申し訳ありません!(AA略

999元本部職員:2011/09/06(火) 11:21:05 ID:???
「訊け」管理人さま

 写真の件、ご配慮していただき安心しました。
師匠にお伝えしておきます。
 それから「靖国見真会」参加者さんは・・・肥後モッコス(笑)
ケンカするつもりではなくモッコスなんですよ。まっすぐないい男です。
モッコリじゃないですから。

 ただ・・・トキさんの事をもしかして「磯部」と勘違いしているのかも
しれません。わたしなんか不急教会のw田原くんかと思っていたんですよ。
すると、この前知り合いに「あの人はもう亡くなりましたよ」と聞いて
ビックリ。辻さんも、田原さんも、小林さんも・・・みんな若くして苦悩して
亡くなったんですね。 先日は知り合いの教化部長がノイローゼになって故郷に
帰ったと聞きましたよ。  こんな事があって良いんだろうかと思います。

1000トキ:2011/09/06(火) 12:08:59 ID:87j8qz7A
>>991

「靖国見真会」参加者様

 ご投稿、ありがとうごいました。また、お返事が遅れて申し訳ありませんでした。
大先輩の「喝」に、恐れおののき、布団をかぶってワナワナと震えておりました。(笑)
順番から言えば「分派は親殺しと同じ大罪」と言われた神奈川教区の堀先生に先に
反論をすべきかと思うのですが、ご指名なので、申し上げます。

 さて、ご投稿を拝見し、頭によぎったのは、さきの戦争の直前の論争です。確か、東条英機
首相だったと思いますが、
「このままではじり貧になる」と言って戦争を主張する統帥部に対して、岡田啓介大将が、
「じり貧と避けんとして、ドカ貧になるなかれ」と言った話を思い出しました。
 「靖国見真会」参加者様の「論理」を否定するつもりはないです。
ただ、教区の「感性」からはずれているのです。
 確かに、今の生長の家教団は、毎年、信徒が減少しております。それを否定するつもりは
ないです。だからと言って、分裂という事になれば、信徒への衝撃は計り知れないものがあり
ます。信徒は劇的に減少するでしょう。
 そういう事態は、現場の人間から見たら、大迷惑だ、という話なのです。

 ここで、断っておきますが、私は、谷口雅宣先生の無条件援護派ではありません。
その点は堀先生や本部の人間で、ブログで「総裁万歳」を書いている人達とは違います。
(彼らが本心か、仕事上で仕方なしに書いているのか、私は知りませんが)

彼が組織指導をした10年間は、「生長の家の失われた10年」でした。信仰指導も組織指導も
失敗の連続で、生長の家の組織運動を大幅に後退させ、信徒の士気を低めた点に反論するつもり
は全くありません。彼が谷口雅春先生をないがしろにしてきた点も同意します。(ただ、全て
の責任を谷口雅宣総裁だけに押し付けるのも賛成は出来ませんが)

 また、その責任を追求すべきだ、という声も理解できます。

 ただ、「責任」の内容をどう考えるべきか。「辞めろ」という声は存在します。しかし、
「辞めればいいのか?」というのが私の考えです。
 社会通念で言えば、何か失敗をした場合、その場から逃げるのではなく、その損失補填をするなり
原状回復をするなりした上で、辞めるのが常識です。例えば、他人の物を汚したら掃除なり修理なり
をした上で謝るのが筋です。同じ様に、彼の指導が間違ったのなら、彼が責任をもって生長の家を
正しい方向へ戻し、教団内部の和解を実現し、教勢を戻した上で、次の総裁にバトンタッチするのが
「責任」を果たした、というのが私の主張です。辞める、というのは無責任である、と考えます。

 ある意味では、本流復活派の方々よりも、現在の総裁に酷な事を言っていると思っています。
ご本人も辞めれるものなら、辞めたいかもしれません。しかし、そこをあえて「和解」を唱える
小生は、本流復活派よりも残酷な事を言っていると思います。

 あと、人間の性格は変わらない、という発想は、賛成できません。私達は、人間は変わる、という
前提で人類光明化運動をしております。親不孝ものが親孝行に、不良が優等生に、共産主義者が
愛国者に変化する例は、生長の家では枚挙にいとまがないです。それを否定したら、運動は成り立たない
でしょう。

 大先輩に失礼な事を申しましたが、「和解」は「総裁万歳」ではない点をご説明申し上げたく、
投稿をしました。走り書きですが、お許し下さい。

合掌 ありがとうございます

1001「訊け」管理人:2011/09/06(火) 12:15:03 ID:???
>「靖国見真会」参加者さま

 おはん!?肥後モンかぁ!
 鎮台兵も元気じゃ(笑)チャストー!


(許容範囲のギャグでごわす?無視してくいやんせw)

1002「訊け」管理人:2011/09/06(火) 12:21:20 ID:???
(×)チャストー!
(○)チェストー!!!!!

 まあ、どうでも良い訂正でありました(笑)

1003役行者:2011/09/06(火) 12:42:26 ID:U7/DuCVI

 >初心者様

 >>979
から、

 現生長の家は、対立を軸としたロゴスの可能性が高い現実を、しっかりと受け止めるところから始めないとならない!ことは理解できました。

 >>988

>強迫反復。これがキーワードと考えます。外部からですので実態はわかりません。ですが、理解に一歩近づいたと考えております。<


 対立している現状を受け止めると、対局するロゴスとロゴスが争っていることになります。何により、裏付けられたロゴスなのか、まず、理解する必要性があるような気がします。それは、強迫的反復によるもの、とか、グローバリズムによるもの・・・などなど・・・


 どちらにしても、 「国家」、「聖地」、「エコロジー」もっと根元的に、「谷口雅春先生」、この言葉こそ、ソフィア的言葉による中身ある定義付けをする必要性があるのかも知れません。
 これらの言葉の重みを深く認識し、暴走(ロゴス化)させるのでなく、正しきシニフィエ(真実、実体)をベースに、しっかりと話し合うときが来ておりますし、話し合わなければ和解の望みも絶たれてしまうものと思われます。
 やっぱり、ここ、生長の家は、政治とは違うので、妥協でなく、理解と共感のうえ、是非、和解により解決したいものと、密かに望んでいます。

1004山ちゃん1952:2011/09/06(火) 12:51:49 ID:VYuJjPQo
トキ様
「靖国見真会」参加者様の横レスですが、
 
>あと、人間の性格は変わらない、という発想は、賛成できません。私達は、人間
は変わる、という前提で人類光明化運動をしております。親不孝ものが親孝行に、
不良が優等生に、共産主義者が愛国者に変化する例は、生長の家では枚挙にいとま
がないです。それを否定したら、運動は成り立たないでしょう。<

その通りですね。
だが少し考えて下さい。祈りには叶う祈りとそうでない祈りがあるとも教えられました。
そこが重要な「祈り」なのです。私のような物欲ばかりの人間ではなかなか「叶えられ
ません」宝くじ当たって欲しいとか、可愛い子としゃべりたいとか。そういう事は
全く祈りは叶えられません。それは何故か、ご存知でありましょう。
私欲があり物欲があり禁欲があり、こんなの全然駄目ですよ。何年も祈っているのです
が、やはりいけません。私は自覚しているのでいいのですが。

それでは何故「祈り」が利かれないか分かっていると思います。それは本気で祈って
いないのです。
本当に祈れば叶います。その真剣さが無いからなのです。周りもそうですが、本人が
「何で悪いの」と思っています。昔から言う「性根」が腐っている。(厳しい言い方
で失礼)そうでないと、何回もいうように兄弟に対して裁判を起したり、
自分に歯向かうものは厳しい処分に着したりしません。
そうした「裸の王様」であるから無理ですし、言うことも聞きません。
若い世代であれば、紆余曲折しながら反省もしますが、ここまで行くと「我」が
大きすぎます。
祈りの利かれない筆頭のような人です。
私は生長の家を知っているが故に難しいと感じます、それは「我」であり「慾」で
あり、何故そんなこと分からないのか。とする変な自身が総裁にあります。
だから、「こんなこと知っている」だけど話は出来ないという人程、難しい。
実際話せない内容かもしれませんが、「貴方は知らないけど、私は知っています」
というような類はどうしても本気で討論できません。

自分から真剣に立ち向かう人程「打ち解けて」「和解」「病気が癒され」「恋愛成就」
します。「恋愛成就」は余計でしたね。

そうなんです『神』は真剣を要求します。そうでなければ成就いたしません。
その真剣度があるかどうかで決まります。多分総裁は裁判で敗退して、少しは目覚めて
欲しいものです。

1005山ちゃん1952:2011/09/06(火) 12:55:41 ID:VYuJjPQo
「訊け」管理人様

以前に「天皇とは何か」という質問をスレッドの『天皇絶対論とその影響』で書かれていました
、その回答になればいいのですが、「山ちゃん1952」のブログに記載しておきました、
よかったら参考にして下さい。
天皇論の著作100冊程読まれたのですね、素晴らしいです。

1006うのはな:2011/09/06(火) 12:59:15 ID:iM0b0bt6

朝から靖国参加者さんと訊け管理人さんがごちゃごちゃと言い出してて、
和解でも分裂でもなんでもなるようになったらいいだけだと思いますが、
何をああだこうだっていわなくちゃならないんでしょう。
二人とも九州でも四国でもどこかへ行ってもらいたいです。

1007「訊け」管理人:2011/09/06(火) 13:12:28 ID:???
>山ちゃん1952さま

 拝読中です、プリントアウトさせて頂きました。これから社外に出ますが
持っていこうと思います。まあしかし・・・あんな昔に投稿したテーマです
がご回答くださり感謝です。ありがとうございました。

>うのはなさま

 ああ・・・おなごン衆に叱らるっとが、一番堪えるってごわす。
すんもはんじゃしたなあ・・・・・ちなみにオイはもう、九州に、
おいもんで(笑)許してくいやんせ。

1008義春:2011/09/06(火) 14:44:55 ID:SjZg29/2
>>988
初心者さま
お手伝い出来まして嬉しゅう御座います。

申し訳ありませんが…この頃、
気候の変動で風邪を拗らせたりして
本格的に体調を崩しておりまして、
何とか復調する様に少し休まさせて頂きたく想います。
ROMは欠かさずしておりますので、
ご用の時は、仰って下さいませ。

1009うのはな:2011/09/06(火) 15:53:27 ID:iM0b0bt6

> 元本部職員さま

 靖国見真会参加者さんが朝から叱咤激励するみたいに和解とか共闘だとか
教団は愛国聖典を出さないとかなんとかいい、女子青年は今の教団は生長の家
じゃないとか親に文句をいったとか見ましたが、雅宣氏が「愛国を使わない」
とかいう条件で本部に来たのはいつごろの話なんですか?

1010トキ:2011/09/06(火) 16:46:22 ID:87j8qz7A
>>999

元本部職員様

 ご投稿、ありがとうございました。えー、「磯辺」さんですか?
それは面白いです。

 「ばれたら仕方がない。オレはマサノブの手先の磯辺だ!。」

とか投稿しようか・・・・と思ったのですが、本気にする人がでる
危険性があるので、あきらめました。今度、HNを変える機会があれば
イソベというHNに変えようかな。

 でも、確かに沢山の方が亡くなられましたね。田原さんなんか、教文社
で頑張っておられましたが、気さくないい人でしたね。本当に元本部職員様
の言われる通りだと思います。

 実は、私も、昔は本部に行く機会がない訳でもなかったのですが、私
のような人間が本部に行ってはいけない、と思い、その場で断りました。
 しかし、本部に行った人は、苦労されているみたいです。自分の良心と
信仰に反する内容の話をしなければいけないのですから、これは健康に良く
ないと思います。

 そう考えると、あの時、私は安全な選択をしたのだなあ、と思ってしまい
ます(笑)。

 今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1011トキ:2011/09/06(火) 16:47:35 ID:87j8qz7A
すみません、「イソベ」さんの名前でしたが、ひょっとしたら、「磯部」だったかもしれません。
間違っていた場合は、お詫びして訂正をさせていただきます。

合掌 ありがとうございます

1012「訊け」管理人:2011/09/06(火) 18:33:30 ID:???
>山ちゃん1952さま

同氏ブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/tecnopla/

 いやー、知らないことばかりでしたので、歓喜しております。ありがとう
ございます。愚生は毎月ひとつ「テーマ」を決めまして、本業以外の勉強
をするようにしています。でもここ五年くらいは雅春先生ばかり勉強しており
まして、「天皇論」関連で読書したのは・・・(雅春先生以外では)葦津珍彦
先生と鈴木邦男さんくらいでしょうかね。あっ、反天皇本を厚めに拝読してま
すね(バランスを取る意味で・・・『天皇のロザリオ』『天皇の金塊』『天皇
財閥』は、反天皇本の中ではおもしろかったですね。)

 まあしかし、その勉強テーマでは天皇論、疎遠になってはおりますが・・・
もう少し生長の家を学びたいと思っています。また、雅春先生史観で疑問があり
ました際には、問い合わせをさせてください。どうぞ、よろしくお願い致します。

1013「訊け」管理人:2011/09/06(火) 18:42:27 ID:???
>>山ちゃん1952さま

 ひとつだけ、云い忘れていたことがありました。

 雅春先生の『生命の實相』ですけど、これは立派な「天皇論」だとも
思っています。
 雅春先生云われるところの「實相」とか「藭」とか「佛」とか・・・それ
らの言葉を全てスメラミコトに脳内変換して拝読すればこれ、立派な天皇論
本であるのではなかろうかと。

1014初心者:2011/09/06(火) 20:31:16 ID:4IaAZAME
>>1003
役行者様

>対立している現状を受け止めると、対局するロゴスとロゴスが争っていることになります。何により、裏付けられたロゴスなのか、まず、理解する必要性があるような気がします。それは、強迫的反復によるもの、とか、グローバリズムによるもの・・・などなど・・・

わたしがいっておきたいのは、「物自体」、「自然自体」は人間の手のとどかない
ところにあり、制御できるようなシロモノではないはずだ、ということなのです。

制御できないはずの「自然自体」を制御できると思わせるのがロゴスです。
その意味で、ロゴスはつねに破綻しているともいえます。ロゴスの破綻を否認
しようとすれば、それが神経症ということになるはずです。

ロゴスにはなんの裏づけもないはずです。それは思い込みであるはずです。
強迫的反復によって、裏づけのないロゴスを再生産しながら、しかもそれは、
ロゴスの破綻を否認するための反復症状ともなるのです。

ロゴスを破綻させないために反復行動をくり返しているとすれば、これが神経症
です。神経症者は、ロゴスを破綻させないために強迫的な反復をつづけるしかあり
ません。

エコロジーとリビドー経済を核として運営されているようにも想像される、現教団の
エコ活動は神経症であると予測されます。そして、エコ活動に反対することに異常な
関心を示す人たちが、その反復行動をやめられないとすれば、それもまた、ロゴスの
破綻を否認するための神経症であると予測できますね。

異論はあると思いますが、これはあくまでも予測であります。

1015初心者:2011/09/06(火) 20:33:54 ID:4IaAZAME
>>1008
義春さん

今回はたいへんにお世話になりました。おかげである程度までの予測を立てることは
できましたが、ここからが胸突き八丁ですね。先行きの展開は、まったく予想できません。

しばらくは、体調の回復だけを考えてください。わたくしはとりあえず勉強することに
いたします。

1016うのはな:2011/09/06(火) 20:39:15 ID:iM0b0bt6
>>999
 
> 先日は知り合いの教化部長がノイローゼになって故郷に帰ったと聞きましたよ。
こんな事があって良いんだろうかと思います。

 いいと思いますよ。どうせ残ってても、谷口雅春先生を信じてないだとか、
強姦されてもわからない今の白鳩だとか、お花畑脳だとか、なんだかんだ
バカにされたりするだけでしょう。
組織にちょっとでも関係すると、どこかの部長さんや誰かが過労で倒れた
とか聞くと同情心を持ったりしがちだが、世間では過労死するのは過労死するぐらい
働くほうも悪いという図式になったりする。
ノイローゼでもなんでもやめたらいいとおもいますよ。

1017うのはな:2011/09/06(火) 21:46:19 ID:iM0b0bt6

BGM 微笑がえし  歌 キャンディーズ

> おかしくって 涙が出そう♪

 朝から叱咤激励されるのがいやだから、さっきやっと学ぶのユーチューブ
 見たけど、、、貴康先生、陰でこっそり甘い物召し上がってるのとちがいますの
 (笑)

 対照的にあかり姫は痩せたみたいだ。

1018役行者:2011/09/06(火) 22:49:33 ID:TBPU0SCM

 >初心者様

 異論どころか、圧巻です!!

 実質、実体と離れた言葉・・・ロゴス


 そのロゴスの強迫的反復が文明を築いてきた。そして、現代
、エコロジーとリビドー経済の複合体がロゴスとして、現代文明に襲いかかり、今や、地球は神経症にかかっている。その地球自体の叫びに耳を傾けないと地球は滅びる・・・ 

 
 >現教団の エコ活動は神経症であると予測されます。そし て、エコ活動に反対することに異常な 関心を示す人たちが、その反復行動をやめられないとすれば、それもまた、ロゴスの破綻を否認するための神経症である。

 そのもの自体に耳を傾けよ!とのことですね。
 しかし、20年間、生長の家から離れていた初心者様!!
 心から、感謝いたします。本当のことを述べて下りまして・・・これぞ、一番恐ろしい教団批判です。真摯に受け止めさせていただきます。ありがとうございました。私ももっと、もっと、学んでいきます。

1019義春:2011/09/06(火) 23:09:21 ID:iu5Ar./Q
初心者さま
お言葉有り難う御座います。
あまり医療の手を借りたくないのですが、元気が無いのも少々耐え難く、
今日は点滴を受けてきました。
おかげで、だいぶ回復致しました。
ですが、用心をしようと思います。

ただ、これだけはなぜか内なる声が書きたいと申しますか…
天から文章が降ってきたというか、なぜか良く分かりませんが、書かせて頂きます。
それで、昨日の事なのですが、ウトウトとテレビのニュースを観ていました。
円高についてのニュースが流れてきました。

そうすると、昭和天皇の御言葉を思い出したのです。
「円高というからには日本が強いのじゃないのか?」
…と。

えっ!?と思いました。

それで、はたっと気がついたのです。
これは富の収奪じゃないのか?
ロゴスの暴走、ロゴスが他者を飲み込んでいく…
そう感じたのです。

本来、経済も自然であろうとする筈なのですが、
金融工学という名の元に、自然である世界をロゴスで制御しようとする。

…そして、金融という分野で、金やどころか、
全ての物質をコントロールし、
そして人類をもコントロールしてしまい、
でも、結局そんなものは、数字だけの見せ掛けの実体の無いものなので、
幾ら煌びやかに見せても、コントロールしようも無いのだから、
気がついたら、全てなくなってしまって地球自体をも再起不能にまで
追い込んでしまっていくように感じました。
でも、この流れが止まってしまえば、全て破綻して、
自分達のしてきた事がかえってきて破綻してしまうから、
強迫観念で絶対に止めないようにしようとする!
それが、この地球の叫びである異常気象なのではないのか!?

…そんな事がふと降ってきたのです。
如何でしょうか?

1020義春:2011/09/06(火) 23:11:39 ID:iu5Ar./Q
少し訂正します。

>強迫観念で絶対に止めないようにしようとする!
>それが、この地球の叫びである異常気象なのではないのか!?

1行目と2行目の間に
それに対する地球の反応が
を入ります。

1021義春:2011/09/06(火) 23:21:56 ID:iu5Ar./Q
(もう少し続きます)
そして、このロゴスの暴走の何が恐ろしいかと申しますと、
ロゴスは「世界の構造」を見せ掛けは
矛盾の無いように作り上げることなのです。
そう、「世界の構造」自体を提示して、
そして、巧妙にロゴスに敵するものを
「世界の敵」として、まるで悪魔の様に祭り上げて
「世界」から排除して、いつの間にか「世界」を作り変えてしまう。
それがロゴスというものの恐ろしさに感じたのです。

長くなってしまって、申し訳ありません。
こんな事を、昨日・今日と感じました。

1022義春@完全回復:2011/09/07(水) 00:05:21 ID:SjZg29/2
何故か全く分かりませんが、
先程の文章を一気に書き上げた後、
完全に体調が回復してしまっているのですが…
熱っぽさとかダルさとか…完全に無くなってしまいました(汗)

1023役行者:2011/09/07(水) 08:45:03 ID:EXvQ1aGs

>元本部職員様
>「靖国見真会」参加者様

>山ちゃん1952様

(宛名は昇順ですσ(^_^;)

 合掌 ありがとうございます。

 両巨頭のお出まし!お待ちしておりました。お会いしたことのないのに・・・なんか、文章の背後に言いしれぬ迫力を感じまして、思わず、このような言い回しになってしまいました。

 はじめまして、役行者といいます。ときどき、こちらの掲示板には顔を出しております。ご存じかと思いますが、お見知りおきを!!

 なお、山ちゃん1952様もご迷惑と存じますがご一緒に、お聞き願えれば幸いです。

 我々、和解派にとりまして、両巨頭のような方々がこの掲示板へ足を運んで下さる喜びは、他にかえることのできない程の喜びでございます。(ちょっと、大袈裟かもしれません(^_^)ノ)

 早速ですが、質問に入ります。

 >「訊け」管理人さんは、『古事記と日本国の世界的使命』が世に出たことをそれなりに評価して下さっているのでしょうか?

(1)出すべきでなかった(教団側の立場です)
(2)出したこと事態は良かった(ただし、『神道篇』を全て出していただきたかった)

(2)の立場であれば、「光明思想社」への更なる「要望」でありますから、「和解」への道は可能であると考えたわけです。
「和解」どころか、却って「共闘」できるとすら思うのです。<


 との投稿なのですが、訊け管理人様は、どちらか一方に和解することはないのではないか?とその心を慮ってみて、勝手に憶測しております。
 たぶん、純粋に生長の家を愛している方々双方の和解を望んでおられるのではないでしょうか?
 純粋に生長の家を愛し、信仰してこられた方々の・・・
 信仰歴5年目の訊け管理人さんはまだ、たぶん、本流掲示板の中の、純粋な生長の家の方と、少なくとも純粋な生長の家でない方との区別がつかないのではないかと思います。ですから、「靖国見真会」参加者様を対本流掲示板の代表と思い、語ってしまったところがあるかと存じます。今は、たぶん気づいているかと存じます・・・「靖国見真会」参加者様は純粋な生長の家の方だと!!(失礼な言い方、申し訳ありません)


 だから、トキ様や訊け管理人様は、元教団を糾すことや、光明思想社の出版物の改竄など一連のことをたぶん、あまり問題にしていないかと存じます。
 問題にしたき点は、ユダヤ商人の如きグループがその争いを利用して、漁夫の利をねらっている可能性に対して!ではないでしょうか?そのようなことは決してないと仰ると思うのですが、もし、なくても、可能性はありますし、争いそのことが疲弊を余儀なくさせることは間違いなきことでしょう。生長の家を一筋にやってこられた方々に取りまして、果たして何の得になりますでしょうか。
 何度も申し上げますが、この国家の危機に本当に生長の家を信仰し、世界人類のために、愛行せんとする方々で力を合わせ、もう一度集い、再建する必要性があるのではないかと存じます。

また、

>>902

にトキ様が記載されましたように、


 >教団内部でも、分派の存在を認識しても、ここまで大きな問題になっているとは誰も思わないのであります。
 それは、生命の実相も甘露の法雨もまだ原宿教団側にあり、それが総裁の権威の裏付けになっているからです。

 ところが、生長の家が裁判に負けてしまい、生命の実相と甘露の法雨が教団から消えると、さすがに信徒も黙っては居ません。誰かが、「総裁は信徒が半分になっても、自分の思う通りにする」とか投稿をされていましたが、こうなると半分どころか三分の一になります。おまけに分派に生命の実相と甘露の法雨が移るとなると、信徒の相当数が分派にいきます。もし、谷口家の誰かが分派側について、新総裁として「正当派」はこちらだ、と宣言をしたら、分派のほうが「原宿教団」よりも信徒が多い
という現象が起こります。そのうち、教区や道場が、包括関係を解消する、つまり独立を宣言して、分派についたら、本部が何を言おうが、原宿教団は倒産状態になります。<


 このような視点が、教区からみた見解かと存じます。一部かもしれませんが・・・

       次に続きます。

1024役行者:2011/09/07(水) 08:55:16 ID:EXvQ1aGs
>>1023
に続きます。

 このような問題を解決するためには、


 >「和解」がなるには、谷口雅宣総裁こそが鍵である、そうは思われませんか?



 そのとおりでございましょう。ですから、



 初心者様にも申し上げましたが、 「国家」、「聖地」、「エコロジー」もっと根元的に、「谷口雅春先生」、これらの言葉に定義付けをする必要性があるのかも知れません。また、「兄弟」という言葉をテーマにするのも良いかも知れません。というのも、日本史上では、源頼朝対義経という、国家を二分する兄弟の争いもあるのです。

 これらの言葉の重みを深く認識し、言葉だけを暴走させるのでなく、正しき真実、実体をベースに、しっかりと話し合うときかと存じております。話し合わなければ和解の望みも絶たれてしまうものと思われます。
 やっぱり、ここ、生長の家は、政治とは違うので、妥協でなく、理解と共感のうえ、是非、和解による解決が肝要かと存じております。


また、
>>820  役行者のコメント。

>生長の家を愛する皆々様へ
もご参考にお願い申し上げます。

そして、

 >>825 において 「訊け」管理人様が私のコメントを応援してくださいました。一部、紹介します。

 >「国家」、「政治」、「天皇」、「聖地」、「侵略」などの言葉に中身ある定義付けをする必要性を感じます。

に対して、

 >まったく定義せずに暴走する・・・・これはホント、いい歳した大人がやっているとすれば恥ずかしいことですよね。そういえば・・・
 経営の講演会なんかでは、優秀な演者ほど言葉の定義に時間を割きます。
この前なんかは「経営戦略」なんて言葉の定義に20分、その演者は時間を使いましたけど、これ、正統ですよ。なんせ実験してみたら、そのセミナーに参加していた経営者の定義が皆、違っていたんですよね。

 みんなが脳内で「違うイメージで」聞く「経営戦略」論・・・こんなもんに
意味はないのですから、まあ、語義説明に20分使ったこの演者は素晴らしかった
ですね。

 
 まあそりゃ、過去の経緯から見れば対話・・・困難を極めますよきっと。
でも「困難だから」な理由で対話をしないとなればそれ、御教えに適うことになりますかね?


 と信仰5歳児(笑)の訊け管理人様が応援してくれたのです。争いをもってきたのはどちらだとの、言い分はわかるのですが、ここはひとつ、穏便に和解の方向での解決法を模索・検討していただけたらと、願う次第でござます。


 以上が私の和解論です。
 大先輩に、生意気にも、持論を語ってしまった失礼をお許しください!!

1025「靖国見真会」参加者:2011/09/07(水) 09:47:40 ID:FP5gECQk

すみません。
返事をすぐにでもさしあげなければと思いつつ、いろいろと処理しなければならない用事がありまして、今になってしまいました。

「訊け」管理人さんとのやりとりで、こちらもいい勉強をさせていただきました。
宮崎弁で確か、「てげてげ」というのがありますよね。
「体外」という意味でしたか、そろそろここいらで、「てげてげでいいっちゃわー」にしたいと思います。
よろしくお願いします。

まず、「訊け」管理人さんが、『古事記と日本国の世界的使命』が出たこと事態は評価していただいているとのこと、安心しました。
そうでなくっちゃ、と思います。

だって、「原宿教団」は体制派なんですからね。
普通は、「体制派」が攻撃されるものですよ。
何で、その矛先がこっちにくるの、そう言いたくもなりますよ。

こちらは、その「体制派」があまりにも、谷口雅春先生の「教え」に対して、絶版等、ひどい仕打ちをするというので、もはや我慢も限界、と起ち上がったくちなんですからね。

それはそれとして、今回の貴殿との「やりとり」を、私の印象として整理しておきます。
あくまでも「印象」ですからね。
細かい事実関係の違いがあったとしても、突っ込まないください(笑)。

そもそも、事の発端は、「訊け」管理人さんが光明思想社の『古事記と日本国の世界的使命』が「削除」して出されているということを言われたことに私が「カチン」ときたことにあります。
それで、私はどこを「削除」しているか、示せ、と言ったわけです。

1026「靖国見真会」参加者:2011/09/07(水) 09:48:47 ID:FP5gECQk

貴殿とのやりとりの中で、『古事記と日本国の世界的使命』とは何か、ということが問題になったと受け止めました。
で、私は光明思想社に問い合わせて、このように書いたのです。

――――――――――――――――――――――――――――
そもそも『古事記と日本国の世界的使命』の初出は「古事記講
義」として『生長の家』に連載されました。
その連載されたものが一つの完結したものとして、『驀進日本
の心と力』の「第三篇」として所収されます。
更に、それが、『生命の實相』の編纂の中で、『生命の實相』
第十六巻「神道篇 日本国の世界的使命」の「第一章」として
入るわけです。
確かに、「第一章」とはなっていますが、元々は「一つの完結
したものである」ということで、これを「光明思想社」は『古
事記と日本国の世界的使命』として発刊したわけです。
もとより、「第一章」の谷口雅春先生のご文章は、一切、「削
除」などはしておりません。
――――――――――――――――――――――――――――

ところが、それを受けて、「訊け」管理人さんは、こうまとめられましたね。

〉解りやすくまとめますと、ポイントは・・・

●『生命の實相』16巻には元々、「第一章」(つまり『古事記と〜』に該
当する箇所)しか収録されていなかった。

このまとめ方がそもそもおかしいのです。
私はそんなことは一切、言っておりません。
私の書いたものを普通に受け止めれば、「復興G」様のようになると思うので、それを引用させていただきます。

〉光明思想社――「第一章」(つまり『古事記と〜』に該当する箇所)しか収録されていなかった、というのは、別のご著書『驀進日本の心と力』の「第三篇」なのですね。
なかなかややこしいですね。

それで、光明思想社としては、
もともと『生長の家』に連載されたものが、一つの完結したものとして、『驀進日本の心と力』に収録されたという経緯があるから、この『古事記と日本国の世界的使命』は一つの完結した著述作品である。それについては一部削除などしていないから問題はない、と主張されているようです。
以上、引用終わり。

1027「靖国見真会」参加者:2011/09/07(水) 09:49:51 ID:FP5gECQk

「訊け」管理人さん、

●『生命の實相』16巻には元々、「第一章」(つまり『古事記と〜』に該
当する箇所)しか収録されていなかった。

そうではないんです。
まず、『古事記と日本国の世界的使命』のご文章は、『生長の家』に連載された古事記講義がもとになっています。
それを一つのものにして、まず『驀進日本の心と力』の「第三篇」に入るのです。
で、その「第三篇」がそっくり、『生命の實相』16巻の「第一章」に入って、それから第二章から第八章までが編まれて、『生命の實相』16巻が発刊されたというわけです。

本部は、「この神道篇から第一章のみを切り離して単行本として」『古事記と日本国の世界的使命』を発刊したことを問題にしたわけですね。

「切り離し」たことをもって、「訊け」管理人さんは「削除」と言っているのだということが私なりにようやく理解できました。
しかし、これをもって「削除」というでしょうか?
「削除」と言われたら、普通は『古事記と日本国の世界的使命』という本は、谷口雅春先生のご文章をどこか「削除」して出していると、普通はそう受け止めるのではないですか?
そう受け止めたお前が悪い、と言われたら、返す言葉もございませんが…。

最後に、これだけは言っておきます。

「切り離し」をもって、「復興G」様、そして「本部見解」も「著作権法に定める同一性保持権を侵害している」と言われます。
当然、それは裁判でも争われたわけでしょう。
結果として、第一審では、光明思想社が勝訴したわけです。
ですから、『古事記と日本国の世界的使命』を未だ買い求めることができるわけです。
負けていたら、それは「回収」されなくてはならなかったのですからね。
「訊け」管理人さんが、『古事記と日本国の世界的使命』が世に出て良かったと言われるのであれば、11月30日の第二審でも、光明思想社が勝ちますように、お祈りいただければ幸いです。

1028「靖国見真会」参加者:2011/09/07(水) 10:57:11 ID:FP5gECQk

「役行者」様、「両巨頭」のお出ましとか言っていただき、恐縮しております。
元本部講師様はともかく、私はその名に値する者ではありません。
ただ、谷口雅宣総裁がやってきたこと、やっていることは、谷口雅春先生の「教え」「思想」の破壊以外の何物でもない、それに対する「怒り」「悲しみ」だけは人後に落ちないつもりでおります。

「和解」派の方々に伺いたいのは、何のために「和解」するのですか?、ということです。
ここで、「和解」しないのでは谷口雅春先生が悲しまれるでしょ、それを言っちゃ、おしまいですからね。

だって、それを最も忌み嫌ったのは、谷口雅宣総裁なんですから。
谷口雅宣総裁がかつて、勝手に自分の論の都合のいいように谷口雅春先生を持ち出すな、こう言ったことを今でもはっきりと覚えています。
それはそうでしょう、谷口雅宣総裁にしてみたら、谷口雅春先生の逆鱗に触れるようなことをやっているという自覚は、当然、あるでしょうからね。
「谷口雅春先生が悲しまれるでしょ」
それを言われたら、その矛先はまず谷口雅宣総裁が受けなければなりません。
だから、谷口雅宣総裁はこの言葉を非常に嫌がっているのです。
私は、一貫して、谷口雅宣総裁は「確信犯」だと思っております。

そうとでも考えなければ、谷口雅春先生の愛国書を絶版にしたり、谷口雅春先生を慕う者を「原理主義者」だとして追放したり、総本山があるのに「森のオフィス」をつくって本部移転を企てたりなど、とてもではありませんが、普通の神経ではできっこありません。
よくもまあ、ここまで谷口雅春先生の「教え」「思想」を解体できるものだと「唖然」としております。
まさしく、驚くべき人ですよ、谷口雅宣総裁という人は。

1029「靖国見真会」参加者:2011/09/07(水) 10:58:20 ID:FP5gECQk

「和解」派の人を見ていて、思うのは、そもそも前提が違うということです。
谷口雅宣総裁の「今の教え」はそもそも「生長の家の教え」ではないのです。
「生長の家の教え」というよりは、谷口雅春先生の「教え」ではない、と言ったがいいでしょうか。
人類にとっての福音は、谷口雅春先生の「教え」しかない、というのが私の立場です。
その立場からしたら、「和解」はあり得ないのです。
谷口雅宣総裁が「今の教え」を撤回して、谷口雅春先生の「教え」を復活させる、それしか「和解」の道はないのです。

絶版処分を解除する。
人類光明化・日本国実相顕現運動に戻す。
「原理主義者」のレッテル貼りしたことを謝る。
きょうだいを教団に戻す。
本部移転を中止する等々。

こんなことを谷口雅宣総裁が呑むと思いますか?
常識で考えても、絶対にのみはしません。
だから、「和解」の道はないのです。

1030「靖国見真会」参加者:2011/09/07(水) 10:59:40 ID:FP5gECQk

それでも、「和解」せよ、という立場は、唯一、「役行者」様のこれに尽きるでしょうね。

〉問題にしたき点は、ユダヤ商人の如きグループがその争いを利用して、漁夫の利をねらっている可能性に対して!ではないでしょうか?そのようなことは決してないと仰ると思うのですが、もし、なくても、可能性はありますし、争いそのことが疲弊を余儀なくさせることは間違いなきことでしょう。生長の家を一筋にやってこられた方々に取りまして、果たして何の得になりますでしょうか。

結局、「教団の組織維持」のために、ということですよね。
谷口雅宣総裁が勝手に組織をガタガタにしておいて、このままでは組織が持たないから、だから「和解」せよなんて、ムシがいいとは思いませんか?
何度でもいいます。
誰が、こんなにしてしまったんですか?
「生長の家を一筋にやってこられた方々」が悩む原因は誰がつくったんですか?

「和解」派の最大の弱点をいいましょうか?
それは谷口雅宣総裁に誰も「和解」勧告ができないことです。
谷口雅宣総裁のブログの内容を見て、「和解」できる可能性があると思いますか?

それから、最後に、これを付け加えておきます。
大東亜戦争を「侵略戦争」だとし、民主党を支持する「生長の家教団」なんか、むしろ、そんな組織なら、維持しないほうがいいと思いますよ。
谷口雅春先生の「思想」とは違う「生長の家教団」ならば、どんどん衰退していってほしいとすら思います。

当然、その間隙を縫って「漁夫の利」を狙う団体があるでしょうね。
だから、私は変な団体に狙われないように、「谷口雅春先生を学ぶ会」に所属しておりますが、そこを「生長の家を一筋にやってこられた方々」の受け皿にしていきたいと思っているのです。
「谷口雅春先生を学ぶ会」はダライラマの「亡命政府」の如きものと思っています。
「和解」派の口車に乗せられて安易にそれに乗っかったら、それは「和解」という名の「大妥協」に終わる。
谷口雅春先生の「霊的な高み」が著しく毀損せしめられる。
そんな「大妥協」を強いられるぐらいならば、「亡命政府」をつくって、谷口雅春先生の「教え」を純粋に護る道を歩みたい。
そこから、10年先、20年先に、必ずや本当の「生長の家」が蘇ると信じたい。
そこに賭けたいと思うのです。
現象の「教団の組織維持」のために、魂、志を曲げてはならないと強く強く思うものであります。

1031「訊け」管理人:2011/09/07(水) 11:25:45 ID:???
>「靖国見真会」参加者さま

――――――――――――――――――――――――――――
すみません。
返事をすぐにでもさしあげなければと思いつつ、いろいろ
と処理しなければならない用事がありまして、今になってし
まいました。
――――――――――――――――――――――――――――

 〝本流名物〟敵前逃亡ですが・・・さすがこれが見られません。貴殿は
素晴らしい男であります。・・・って、同世代ですよね?たぶん?

 また貴殿、肥後の方とか・・・。

「3点差を追う最終回、相手は熊本●●」なんて感じの野球の試合
の時の話なんですが、打席に向かうわたしに向かって、祖父が放った一言。




「西郷どんの無念を忘れたっかぁあ!」

(意味:熊本鎮台、撃つべし)

↑ 冗談で読んでくださいね(笑)ここは権威も威厳もない掲示板ですんで(笑)
あっ、わたしが云うことじゃないか。

――――――――――――――――――――――――――――
「訊け」管理人さんとのやりとりで、こちらもいい勉強をさせていただき
ました。宮崎弁で確か、「てげてげ」というのがありますよね。
「体外」という意味でしたか、そろそろここいらで、「てげてげでいいっち
ゃわー」にしたいと思います。
よろしくお願いします。
――――――――――――――――――――――――――――


 森高千里(熊本出身)にこう云われたならば、考えます。

 ちなみに「てげてげ」は貴殿ご解説のとおりの意味ですが、これが「てげ」
だけになった際、どのような意味になるかご存知でしょうか?これは・・・
英語でいうところの“very”でありまして、「非常に」てな意味になります。


文例:てげ森高!

意味:非常に森高千里ソックリだ。


――――――――――――――――――――――――――――
まず、「訊け」管理人さんが、『古事記と日本国の世界的使命』が出た
こと事態は評価していただいているとのこと、安心しました。
そうでなくっちゃ、と思います。
――――――――――――――――――――――――――――

 ・・・根拠なく批判することなど愚生、100%有り得ません。同時に
「身内誉めの世界」に堕落することも、同様にありません。この恐ろしさは
身に沁みて解るつもりです。

――――――――――――――――――――――――――――
だって、「原宿教団」は体制派なんですからね。
普通は、「体制派」が攻撃されるものですよ。
何で、その矛先がこっちにくるの、そう言いたくもなりますよ。
――――――――――――――――――――――――――――

 ここがよく判らないんですが・・・・アホは体制派にしかいないんでしょ
うか?いやこれ、教団攻撃派の中にも(あの掲示板等に)いるでありましょ?
根拠も示さずに騒いでいるだけの方々・・・反体制派だから「マトモ」なん
てのはそれこそ、本流で投稿すれば左翼認定されますよ(笑)しかも、投稿
意図の確認をされることも、なく(笑)

→ここのトキさん掲示板は違いますよ。ですんで貴殿もこっちに投稿された
方がよいですよ。

――――――――――――――――――――――――――――
こちらは、その「体制派」があまりにも、谷口雅春先生の「教え」に対し
て、絶版等、ひどい仕打ちをするというので、もはや我慢も限界、と起
ち上がったくちなんですからね。
――――――――――――――――――――――――――――

 そうなんでしょうね。この話題だけはこれ、わたしにはよく解かりません。
しかしご苦労が多いことは想像できる次第です。本当にご苦労様です。(本音ですよ)

(つづく)

1032「訊け」管理人:2011/09/07(水) 11:26:19 ID:???
――――――――――――――――――――――――――――
このまとめ方がそもそもおかしいのです。
私はそんなことは一切、言っておりません。
私の書いたものを普通に受け止めれば、「復興G」様のようになると思
うので、それを引用させていただきます。
――――――――――――――――――――――――――――

 わたしは貴殿の御主張を誤読していたわけです。それでこんな、意図の確
認を行った次第なんです。いきなり「こんなこと言いやがって!!!」なん
てカタチで斬りかかったり、そんなことはせずに済むように意図を確認申し
上げたまでです。


――――――――――――――――――――――――――――
本部は、「この神道篇から第一章のみを切り離して単行本として」『古
事記と〜』を発刊したことを問題にしたわけですね。
――――――――――――――――――――――――――――

 そう理解しております。


――――――――――――――――――――――――――――
「切り離し」たことをもって、「訊け」管理人さんは「削除」と言っているの
だということが私なりにようやく理解できました。
しかし、これをもって「削除」というでしょうか?
「削除」と言われたら、普通は『古事記と〜』という本は、谷口雅春先生
のご文章をどこか「削除」して出していると、普通はそう受け止めるので
はないですか?
そう受け止めたお前が悪い、と言われたら、返す言葉もございません
が…。
――――――――――――――――――――――――――――

 お前が悪い、とまでは思いませんが・・・誤解回避のために「削除の意味」
を縷々説明した次第です。ご理解頂ければそれでよい話になります。

――――――――――――――――――――――――――――――
「訊け」管理人さんが、『古事記と日本国の世界的使命』が世に出て良かっ
たと言われるのであれば、11月30日の第二審でも、光明思想社が勝ちま
すように、お祈りいただければ幸いです。
――――――――――――――――――――――――――――――

 いやです(笑)

 むしろ不穏な動き――カルトの跳躍跋扈等、これらが見られたら世界2位
のブログ、これが咆哮する予定です。いやマジで、やります。「なんだとー!」
ならば蓮舫でも雇って、2位ブログを仕分けてください(笑)
 そして云うまでもないですが無論、現時点での光明思想社に対する不信感
は、「ない」です。この点はご確認を。

 やや話しが飛びますが、先にも書いた(復興Gさまとのやり取り)ことを
確認します。わたしが問題にしているのは「カルト」になります。どういう
意味かと申せば、わたしがカルトの親分ならアッサリ、出版社に役員を送り
込みます。そしてケチャンケチャンに(かつ合法的に)編集しちゃいますが
ね(笑)それを心配している次第なのです。
「それは妄想だ(笑)」とお笑いならば、それも結構です。まあしかし・・・
トキさんも工作員に接触してますし、まあ野球部のマネージャーにも「元」が
おります次第。「熊本鎮台、ゆめゆめご油断なさるな」と申し上げたいところ
です。

1033「訊け」管理人:2011/09/07(水) 11:40:44 ID:???
>「靖国見真会」参加者さま

 念のため付記します。愚生2駄文はこれ、貴殿御文章1028以降、未読での
投稿文です。

 いま拝読中してますが・・・いやー、男だ貴殿(笑)貴殿はこちらで主張
なさるべきです。プロパガンダ板で吠えてても意味は少ないと思いますので。
今後とも、どうぞよろしくお願い致します。

1034「靖国見真会」参加者:2011/09/07(水) 12:20:54 ID:FP5gECQk

「訊け」管理人さん、一連の「やりとり」に一応の区切りがついたことを嬉しく思っております。
今回の投稿、「光明思想社」への信頼を裏切るな、肝に銘じよ、という一種の激励と勝手に「誤読」させていただきました(笑)。

〉「熊本鎮台、ゆめゆめご油断なさるな」と申し上げたいところです。

桐野利秋「熊本城は、この青竹でひとたたきごわす」
別府晋介「別に方略ナシ、ただ一蹴して通るのみ」
篠原国幹「このくらいの城1つ落とすのに、何の戦策も戦略もいりもはん」

「油断大敵」ですね。

〉わたしが問題にしているのは「カルト」になります。どういう意味かと申せば、わたしがカルトの親分ならアッサリ、出版社に役員を送り込みます。そしてケチャンケチャンに(かつ合法的に)編集しちゃいますがね(笑)それを心配している次第なのです。
「それは妄想だ(笑)」とお笑いならば、それも結構です。まあしかし・・・

「光明思想社」にこの点を伺いましたところ、それは「妄想」ではなく「杞憂」だということでした(笑)。
何故か、「光明思想社」としては、「生長の家社会事業団」が持っている著作権の聖典しか出版できないからです。
つまり、出版できるのは『生命の實相』『真理』聖経等に限られるので、「ケチャンケチャンに(かつ合法的に)編集しちゃ」うところがないのです。

ただし、前にも書きましたように、戦前の『生命の實相』と戦後のそれとは違っているところがありますので、そこを是非、『生命の實相』のリニューアル版では反映して発刊してほしいと願っていますし、その希望を「光明思想社」にも伝えてあります。

来年早々には『生命の實相』リニューアル版が発行されるようです。
楽しみに待ちたいと思います。

谷口雅春先生の「教え」を復活させることに、自分の人生の「夢」を賭けたいと思っております。
だって、「夢」断大敵ですからね。

1035「訊け」管理人:2011/09/07(水) 12:30:32 ID:???
――――――――――――――――――――――――――――
桐野利秋「熊本城は、この青竹でひとたたきごわす」
別府晋介「別に方略ナシ、ただ一蹴して通るのみ」
篠原国幹「このくらいの城1つ落とすのに、何の戦策も戦略もいりもはん」

「油断大敵」ですね。
――――――――――――――――――――――――――――

 あ痛ぁ〜、返り討ちに遭ってしもうた(笑)

1036初心者:2011/09/07(水) 12:41:34 ID:4IaAZAME
>>1019
義春さん

金融工学というのは、他者から富を奪うためのテクノロジーといってよいかと
思います。テクノロジーという表現は、少々おおげさかと存じますが、とりあえず
そういうことにおきます。

他者から富を奪うためのひとつの方法が「空売り」でしょうね。株式であれ、商品であれ、
所有していないモノを売り、価値がさがったところで買い戻す。空売りでリスクをヘッジ
しつつ、通常の売買をからませることで、損失を最小限におさえながら、他者の富をより
効率よく収奪するためのテクノロジーが金融工学だろうと理解しております。
(このあたりは、訊け管理人様のほうがはるかにお詳しいでしょう)

義春さんがいっておられるように、すべては数字の操作でしかないようです。数字を操作
するだけで、マネーが世界市場をかけまわり、いちぶの賢い人たちのもとに富が集中する
仕掛けになっているような気がします。

金融工学は、たしかに、自然状態をはなれて大きくゆがんでしまったリビドー経済によって
もたらされた金融テクノロジーであるのかもしれませんね。もしそうであれば、反復強迫に
よって活動が維持され、ついには経済活動全体を破綻に追い込むということさえもやらかして
しいかねないようなあやうさを、うちに秘めているような気もします。

ですけども、金融工学に代表されるような過剰な経済活動を異常気象の原因と考えるのは、
やはりロゴスの働きでしかないような気がします。こうした考え方でいくとするなら、
経済活動を適切にコントロールしさえすれば異常気象は抑えられるというエコロジーの
発想にゆきついてしまいますよね。

わたしがいっておきたいのは、自然自体は制御不能だろうということです。自然自体は、
人間の活動とは無関係に、自律的な運動をつづけているはずなのですね。この自律的な
運動に手を加えることができると考えるのが、ロゴスにもとづく発想であるはずです。
ロゴスによってソフィアをコントロールできる。こんなふうに、エコロジストたちは考えている
ということがいえると思います。

語の定義がまったくできていないのですが、いま必要なのは、エコロジーではなく
エコソフィアの発想ではないかと思います。エコソフィアの定義をあえていうとすれば、
強迫観念を捨てて自然自体に向き合ってみる、ということにでもなるのでしょうか。

そうすることで、強迫的にではなく、自然にあるがままの状態で、過剰な経済活動も
抑えられていくような気がします(それがイスラム的ということであるのかもしれません)。
ただ、そのあたりの理論化はまったくできておりません。

気合いが入ったことで体調がととのったようですね。ひとまず安心しました。

1037役行者:2011/09/07(水) 12:51:15 ID:EXvQ1aGs

>「靖国見真会」参加者様

>>1028
>>1029


 せわしいなか、大先輩自ら早速のご返答、深く感謝申し上げます。訊け管理人さま同様、「男」を感じさせて頂きました。


 さて、雅春先生のみ教えを後世に残したいとの夢、切実に感じ入りました。
 また、断固たる大信念、畏敬申し上げます。


 ただ、いま、手が放せないため、後ほど、ご返答させていただきますので、ご了承のほど、お願い申し上げます。

 私も、妥協でなく、和解の夢、諦めた訳ではありません。
  
            再拝

1038義春:2011/09/07(水) 13:44:19 ID:SjZg29/2
>>1036
初心者さま
お返事下さって有り難うございます。
ご心配をおかけして申し訳ありません。
無理をしないように重々気をつけていきます。

それで…

>ですけども、金融工学に代表されるような過剰な経済活動を異常気象の原因と考えるのは、
やはりロゴスの働きでしかないような気がします。こうした考え方でいくとするなら、
>経済活動を適切にコントロールしさえすれば異常気象は抑えられるというエコロジーの
発想にゆきついてしまいますよね。


確かに、そうです。
そこは見落としていました…。
まだまだです(汗)

語弊があるかもしれませんが…
恐らく、初心者さまのお考えを補足させて頂くのだろうと想いますが…
私があの様に書いたのは…経済活動の実態を観ると、
そういった活動の存在そのものが、
異常気象に繋がっているとしか思えないのです。

例えば、私は半導体業界にいたので、
それを例に取ってみますと…
太陽光発電に使われるシリコンという物は、
原料全てが使用されるのではなく、
相当な量のシリコンは廃棄されます。
そして研磨する為に、大量の水を使用します。
その結果、山から切り出すので森は崩し、水を汚して…と
やはり環境に負荷を与えているのでは?と私は想います。

…だから、ロゴスにより、無理矢理、
異常気象のコントロールをしようとして
更に異常気象の元を作ってもいる…
そう私は感じています。

エコソフィアのお考え、私は賛成です。
又、夜に考えをまとめて書かせて頂きますね。

1039初心者:2011/09/07(水) 15:40:26 ID:4IaAZAME
>>1038

義春さん。この問題に真剣に取り組んでくれてありがとうございます。
わたしにしたところで、明確なイメージのもとに、この問題に取り組んでいるのではなく、
昔からエコロジーという言葉には違和感があって、その違和感がどこからくるのか、それを
はっきりさせたいと思いながら取り組んでいるところなのですね。

義春さんがいわれるように、人類による経済活動と環境破壊とのあいだに明確な因果関係が
あるのはたしかですよね。ですから、これを否定しようというつもりはありません。
ですけども、何かおかしいんですよね。どこかちがう。そんな気がしてならないのですよね。

ロゴスの発明によって、人類はすでに自然的世界から隔離されてしまった。これが問題意識の
発端ですよね。人類が自然と呼んでる存在は、人類によって架空された自然でしかない。
これがまず最初にくるわけですよね。それで、エコ活動が、架空された自然的世界の幻想を
維持することにどうしてもつながってしまう。そのために、その活動は、避けがたく神経症的と
なる。これを問題にしているわけですよね。

象徴的にいえば、イスラム感覚と西洋感覚とのズレですよね。このズレを維持するために、
神経症的ともいえる反復が、エコ活動においておこなわれているのではないかと、こんな
予測を立ててみたわけですよね。エコロジーにたいする違和感とは、それが、ズレを維持するための神経症的な活動だからではないかと、こうした予測も成り立つわけですよね。

エコ活動は、もっと本質的なところに立ちかえるべきではないのか。どうしても、このことを
考えてしまいます。それならどうすればよいのか。立ちかえるための方法がエコソフィアだと
思うのですが、それは具体的にどうすることなのか、となったときに、明確なイメージが出て
こないといったところなのです。

ただ、ひとついえるのは、人間が、自然的世界からどうしようもなく離れすぎてしまったという
のであれば、離れ去ったことによって生じたズレを維持しようとするのではなく、生じて
しまったズレを巻き戻すことこそが求められているのではないかと、こんな気がしてなら
ないのですね。それがエコソフィアの基本的な考え方になるような気がします。ですけども、
そのための明確な方法は思いつきません。あるいはひょっとして、これが「ダナオイの贈り物」
であるとするなら、もう無理なのかな、という気もします。

1040義春:2011/09/07(水) 17:01:32 ID:SjZg29/2
>>1039
初心者さま
仕事中の休憩時間なので少ししか書けませんが…

…私は出来ると想うのです。
というよりもやらないと
いけないと確信致しております。

今から個人的な想いを書かせて頂きます。
ロゴスの管理で人も歴史も
支配下に置かれるのは、私は楽しくありません。
此処で諦めれば利益や欲得しかない世界
そんな世界なんて生きていて面白くないのです。

そして、世界の構造自体を変える…
それに合わない者は世界の敵にする。
それを書いた時にローマから
大東亜戦争までの流れを思い出して、
涙にくれました。

又、受け渡していかないといけないものを
受け渡せないという事は
何より次の世代を想えば辛くもあります。
だから、本気で考えたく想うのです。

それから、人が産み出したものならば、
人が変えられない筈はありません。

だから、もっとイメージを共有して、
具体的に皆で考えてみたく想うのです。
如何でしょうか?

1041初心者:2011/09/07(水) 18:14:07 ID:4IaAZAME
義春さん

わたしの理想は、教団がエコソフィアの概念を明確化して、エコロジーではなく、
エコソフィアを前面に押し立てた環境活動を展開してくれることでありますね。

そうなれば、神経症的な症状からは脱出できるだろうし、それなりの評価もなされる
だろうと考えるのですね。ただ、ロゴスを手放せるか。これが問題なのですね。

ロゴスは世界を構造化する。そうですね。構造主義の立場から義春さんはいっておられる
のですね。ロゴスが成し遂げたのは、シニフィアンによる、世界の構造化であるとともに、
科学技術による体制化でもあるはずです。

おそらく、先進国の人々は、すでにこの体制に組み込まれ、先進技術のキャッチアップを
めざしている国の人々も、体制に組み込まれつつあるといってよいのだろうと思います。

体制に組する人たちからすれば、反体制側の人々は敵に見えますね。しかし、そうした人々は、
もしかしたら味方であるのかもしれないのに、そういうことさえも考えられないほどに、
ロゴスによって構造化された世界になじみ、体制に順応している人々が、あまりに多くいすぎる
ということなのでしょうね。

問題は、ロゴスはどのように世界を構造化してみせたのか、ということであるようですね。
このあたりについては、これまで考えたことがありません。しかしですね、シニフィアンが
流動的であるように、ロゴスによって構造化された世界が流動体であるのはたしかなこと
だろうと思います。

おそらく、義春さんがいう「構造化された世界」とは、わたくしがいつもいっている「大文字の
他者」であろうと思います。なんとなくイメージが広がってきました。しばらく考えてみることに
いたします。

1042義春:2011/09/07(水) 23:32:26 ID:iu5Ar./Q
初心者さま
そのようですね。
初心者さまは哲学、私は歴史からという視点から見ていますが、
その両方から観て同じところに行き着くということに驚いております。
これも初心者さまのおかげです。
私は刺激がないと考えを纏めない人間なのです。
普段は、かなりぼんやりしてますから。

私も勉強して色々考えて見ます。

1043役行者:2011/09/08(木) 09:38:01 ID:MCfmBrwo

>「靖国見真会」参加者様

 おはようございます。海のものとも、山のものとも、分からぬ馬の骨(笑)にご丁寧に返信、ありがとうございました。一昨日、あまり寝ておらず、昨日、和解とは如何に!と沈思黙考しておりましたら、寝てしまいました(笑)
もしかしたら、「和解」そのもの自体についても、話し合うべき内容かもしれません。


 本日、改めて掲示板を読んでいると、初心者様がこのようなことを述べていました。

 >おそらく、先進国の人々は、すでにこの体制に組み込まれ、先進技術のキャッチアップをめざしている国の人々も、体制に組み込まれつつあるといってよいのだろうと思います。
 
 体制に組する人たちからすれば、反体制側の人々は敵に見えますね。しかし、そうした人々は、もしかしたら味方であるのかもしれないのに、そういうことさえも考えられないほどに、ロゴスによって構造化された世界になじみ、体制に順応している人々が、あまりに多くいすぎるということなのでしょうね。<


 と。

 このロゴスの定義なのですが、たぶん、「実質、実体から離れた言葉」と解すれば良いかと存じます。

 ですから、実質、実体から離れ、組み立てられたシステム、体制より、反体制の方が味方であるかもしれません。と一般論で述べております。
 結論から先に述べますと、モノの本質を捉え、如何に世に貢献していくか?
 まず、ここありき!!かと存じます。「和解」ですが、妥協とは違いますから、この本質を捉え!!からはじまるかと私は考え直されました。

 昨日の文章は、 「靖国見真会」参加者様の数十年にわたる積年の思いが一気に綴られておりましたので、すべて答えるのに、一日では無理ということが今朝、判明しました(^_^;)
 まず、
 >「和解」派の方々に伺いたいのは、何のために「和解」するのですか?、ということです。

 についてですが、

 一般論的な、「雅春先生が悲しむ!!」このことは、あまりコトの本質とは違うと思いました。
 先ほど述べましたが、「本質を捉えて!」からが第一だと思います。
 
 また、現在、地球・人類的な危機と存じます。そのような時に、争うというエネルギーは、どれだけ人類にとってマイナスになるかということです。特に、生長の家の世界的な使命は大きいと思います。ですから、人類光明化という使命のもと、一致団結した方がより人類に、また日本国実相顕現に、貢献できるということなんです。教団を守るためというのは、少なくとも私にはありません。

 続きます。

1044役行者:2011/09/08(木) 09:44:05 ID:MCfmBrwo

次に下記文章です。

>だって、それを最も忌み嫌ったのは、谷口雅宣総裁なんですから。
谷口雅宣総裁がかつて、勝手に自分の論の都合のいいように谷口雅春先生を持ち出すな、こう言ったことを今でもはっきりと覚えています。
それはそうでしょう、谷口雅宣総裁にしてみたら、谷口雅春先生の逆鱗に触れるようなことをやっているという自覚は、当然、あるでしょうからね。
「谷口雅春先生が悲しまれるでしょ」
それを言われたら、その矛先はまず谷口雅宣総裁が受けなければなりません。
だから、谷口雅宣総裁はこの言葉を非常に嫌がっているのです。
私は、一貫して、谷口雅宣総裁は「確信犯」だと思っております。<

と。


 上記文章の、「勝手に自分の論の都合のいいように谷口雅春先生を持ち出すな」この言葉は、たぶん、憶測するに、「“谷口雅春先生”という言葉が独り歩きし、暴走している!!」と、そのとき、現総裁が感じられたからなのではないかなあ!と思うのです。
現総裁に限りなく価値観が近いのだけど、現教団に批判的な20年間生長の家から離れた立場の初心者様なら、「谷口雅春先生」という言葉の本質、実体について、まず、話し合われたかと存じます。さすれば、もっと理解が深まったかと思うのですが・・・このことについては現場にいなかったので想像でしか答えることができません(笑)

そして、

>それはそうでしょう、谷口雅宣総裁にしてみたら、谷口雅春先生の逆鱗に触れるようなことをやっているという自覚は、当然、あるでしょうからね。
・・・・・・・
私は、一貫して、谷口雅宣総裁は「確信犯」だと思っております。

 なのですが、ほぼ同意します。現総裁のいろいろなご文章から、上記のような気持があるのではないかと憶測はできます。


 >谷口雅宣総裁がやってきたこと、やっていることは、谷口雅春先生の「教え」「思想」の破壊以外の何物でもない、それに対する「怒り」「悲しみ」だけは人後に落ちないつもりでおります。<


 この言葉から、生長の家まっしぐらに、賭けてこられた思いを感じました。「靖国見真会」参加者様は想像するに、谷口雅春先生を慕い、敬い、惚れこみ、時には、苦悩を共にし、生長の家を築かれてきたのですね。その歴史ある、また数々の想い出がある生長の家が変わってゆく!!これは言語に絶する悲しみなのでしょう。たぶん、故郷が跡形もなく消えてゆく悲しみに似たものがあるのでしょう。
 
 
 谷口雅春先生の「教え」「思想」の破壊についてですが、これはそのような一面もあります。ですから、いいわけを言わせてください。だからこそ、理解を深めるための話し合いが必要かと存じます。これは体制側の教団にもいえることですが・・・

 今回はここまでにさせてください。数十年の積年の思いに対して、一気に答えるのは、ちとばかり、辛ろうございます(;_;)

1045琴音:2011/09/08(木) 21:51:47 ID:xk4PMokw
「榎本恵吾記念館」の内容を読んで、感動すると同時に、
練成会に参加したくても、今の生長の家はこの頃とは違うらしいと
思うと、何だか複雑です。

1046義春:2011/09/08(木) 22:03:04 ID:iu5Ar./Q
初心者さま
 1日ずっとエコソフィアについて考えていました。
確かに、今のエコ活動…これのもとは環境保護活動だったと思うのですが、
この環境保護活動はもうそのものが「言葉の暴走」を起こしています。

 私ももう無理なのかなぁ…と思いました。
ですが、ふと…閃いたのです。

 そもそも人間も自然から生じたのじゃないのか?
全ては神から発せられた光の表れなのだから、
人間も自然の一部なのじゃないのか?

 それに考えがいった時にアフリカのサハラ砂漠のことが浮かびました。
サハラ砂漠のある北アフリカは今でこそ、荒涼とした砂漠になっていますが、
カルタゴ、ローマが栄えた頃は森だったのです。
それどころか、地味豊かで、第三次ポエニ戦争で大カトーがカルタゴで
とれたイチジクを手にカルタゴを討つ演説をしたことでも知られます。
(参照ページ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E6%AC%A1%E3%83%9D%E3%82%A8%E3%83%8B%E6%88%A6%E4%BA%89
 
 ですが、ローマが衰退し、森の手入れをする人や耕作をする人が
いなくなって、荒れてしまい、そして、あのようなことになったのです。

 それなので、私はエコソフィア、真の環境運動とは
自然と自然の一部たる人間が共生するものではないか?と思うのです。

 そして、その本来の自然の姿を取り戻す活動をされたのが
初心者さまはご存知だと思うのでが、宮脇昭という人です。
(参照ページ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%98%AD

 wikiのページを観ると、宮脇さんは人工的な森を再生するのではなく、
その土地にあった木を植えていくものだというものです。
その活動は砂漠を再生するばかりではなく、複雑な生態系をかかえ
再生不可能といわれた熱帯雨林の森ですら再生しています。

 そして、土地本来の潜在植生とよぶのだそうですが、
それを調べる時に一番参考になるのは鎮守の森だとあります。
そして、その森は自然災害にもたえるとあります。

 私はその様にその土地の自然に合わせた環境活動こそが
エコソフィアではないかと思うのです。

 (続きます)

1047義春:2011/09/08(木) 22:26:01 ID:iu5Ar./Q
 そして、鎮守の森という項目を見ながら、
日本人は自然と一体になって生きてきたのか…と感じました。
それの表れが神道だと思うのです。
(参照ページ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%AE%E5%AE%88%E3%81%AE%E6%A3%AE

 そして、その自然と共に生きてきたのが天皇陛下という存在だと思うのです。
此処でいう天皇は古来の祭祀王としての天皇としてです。
【天皇】という言葉そのものが平和を願う天皇陛下の大御心に反して、
暴走することが多いですが、私は自然と共に生き、自然の声、神々の声に
真を尽くされるのが、天皇陛下という存在だと思っています。

 その姿は日々の元旦深夜に行われる四方拝から始まって
1年中自然や皇祖皇宗の神々への祈りに満ちていらっしゃいます。
 それは東日本大震災の折でも同じで
文芸春秋の4月号にも特集されていましたが、自然への脅威・原発への
国民の不安を、お言葉により、ピン止めされていらっしゃいます。
(参照ページ:http://sankei.jp.msn.com/life/news/110316/imp11031617200001-n1.htm

 私はその様にエコソフィアを考えてみましたが、如何でありましょうか?

1048義春:2011/09/08(木) 22:37:54 ID:iu5Ar./Q
蛇足の事などなど… 
 ちなみ、人間も自然の一部と浮かんできた時に流れたのがこれです。
http://www.youtube.com/watch?v=dqbF5wULBYQ&amp;feature=related

 真面目な話なのにガンダムネタを出してしまって申し訳ありません。
ですが、アニメも時には良いアイディアをくれると思っています。
結構、哲学を背景にしていることが多いのですよね。
 私はこのGガンダムの熱さが好きだったりします。
それで、このGガンダムというのはテーマの一つとして環境問題があって、
敵役とされたデビルガンダムは人間を滅ぼして地球環境を浄化するという
ものになってしまったのですが、主人公のドモンは人間も天然自然より
生まれたじゃないかと喝破しています。
(参照ページ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0

…と本当に蛇足的な事なのですが、これも書かないと、閃きの経過を表せないので…
敢えて出してみました。

1049義春:2011/09/09(金) 02:16:49 ID:iu5Ar./Q
初心者さま
 ロゴスがどうやって世界を構造化したか?という事なのですが…。
これも考えを巡らせていましたが、1つは経済という概念の発明。
もう1つは法だと思うのです。原初に近いものはハンムラビ法典ですね。
(参照ページ
要約版:http://www.louvre.fr/llv/oeuvres/detail_notice.jsp?CONTENT%3C%3Ecnt_id=10134198673226487&amp;CURRENT_LLV_NOTICE%3C%3Ecnt_id=10134198673226487&amp;FOLDER%3C%3Efolder_id=9852723696500800&amp;bmLocale=ja_JP
全文:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/5054/

 その発展系としてローマ法があります。
近代法はこのローマ法が元になっています。
それだけ普遍性があるのですが、ロゴスというものは、
社会のルールを作ってしまうこともあると思うのです。
普遍性、この普遍性というものが、
土地土地の特殊性を塗り替えてしまうと私は思うのです。

 そして、法と経済の両輪を以て、発展をよしとし、
発展なき者は悪であるという法に基づいた競争原理を生み出し、
その競争原理がロゴスをさらに暴走させ、
収拾のつかない事態を引き起こしているのではないのか?
…私はその様に考えております。

1050役行者:2011/09/09(金) 07:38:07 ID:KqR1jYS6
>>1045

>琴音さま

 訊け様も仰ってましたけど、求道者ですね。

 もし、良ければ、こちらのスレッドでも意見、感想等、述べてくださいなあσ(^_^;
 楽しみにしております。

>「 榎本恵吾記念館」の内容を読んで、感動する と同時に 練成会に参加したくても、今の生長の家はこの 頃とは違うらしいと 思うと、何だか複雑です 。<

 榎本先生がいらした宇治別格本山の練成のことと、勝手に解釈しました。
 ウゥ〜ン!!貴女は若い方と思われますが、感受性が人一倍強く苦労もされているようなので、自ら行かれて、判断なされたら如何ですか?

 榎本先生の奥さんも確か指導されてたと記憶してます。「榎本恵吾記念館」のことを話題にされたら、喜ばれますし、結構、盛り上がりますよ。それだけでも、行った価値はありますよ。

 是非、お勧めします。まず、宇治別格本山に連絡されてはどうですか?
 榎本恵吾先生の奥さんも、榎本先生ですから・・・σ(^_^;

 きっと、丁寧に受け答えして下さると思いますよ。

1051トキ:2011/09/09(金) 09:35:25 ID:upwd2b1M
>>1045

琴音様

 お返事が遅れて申し訳ありませんでした。

 役行者様が言われている通り、宇治別格本山の練成会は伝統的な生長の家の
雰囲気を残しています。
 また、各教区でも、伝統を守ろうと頑張っている人達は多数おられます。

 機会がありましたら、一度、のぞいてみて下さい。

合掌 ありがとうございます

1052初心者:2011/09/09(金) 14:32:44 ID:4IaAZAME
義春さん

エソフィアについて、真剣に考えていただいて、ありがとうございます。

すでに述べているように、わたしにはまだ、エコソフィアのイメージ化や概念化ができて
おりません。そうした事情のなかで、義春さんの見方、考え方を示していただけることは、
思考の助けになります。

昔の人の知恵。これはたしかに重要なことでしょうね。鎮守の森の発想から思い浮かんだのは、
わたしが、かねてよりこちらで書いている「ドリーミング」なのですね。ドリーミングとは、
大地の夢見であり、大地から立ちのぼってくる気配のようなものでもあるはずです。

オーストラリアや北アメリカの先住民は、ドリーミングを中心にした暮らしを、今もいとなんで
いるはずです。前にこちらの掲示板で書いたことがある、「わが部族の若者たちは決して
働かないだろう。働く若者は夢を見ることができない。知恵は夢からやってくるのだ」と
言った、北米ネズパース族の指導者ジョーゼフの言葉は、ヨーロッパからもたらされたロゴス
によって、ドリーミングが侵食されることへの警戒感を述べたものとして知られているようです。

昔の人たちというのは、大地から立ちのぼるドリーミングを感じながら暮らすことができた
人たちだろうと思います。確証はありませんが、鎮守の森もまた、ひとつのドリーミングで
あったのだろうとも思います。ロゴスによって浸食された現代人には、それを感じることが
できなくなった。義春さんの言葉から、あらためてこのようなことを考えるようになりました。

ドリーミングはソフィアの叡智でもあるはずです。エコソフィアは、まず第一に、大地の夢見でも
あるドリーミングを感じることが、出発点であるような気がしてきました。エコソフィアに人間の
側の都合をさしはさむことは許されないはずです。人間の都合を最優先にすることがロゴスの
考えですから、これは当然のことだろうと思います。

人間中心の浅知恵を介在させることなく、大地の夢見であるドリーミングにしたがって生きる
ことが、エコソフィアの原点であるような気がします。それを実践しておられる方々が、この国
にもたしかに存在する。そのことを確認できたようにも思います。

義春さんのおかげでイメージ化がまた一歩すすんだようです。義春さんにばかり苦労させて、
わたしは「いいとこ取り」をしているようにも思います。青年会では、ずっとこんな感じでした。
わたしは、けっこうずるい人間であるのかもしれませんね。それに文句もいわず協力してくだ
さる義春さんには、心の底から感謝しています。

1053初心者:2011/09/09(金) 16:32:34 ID:4IaAZAME
義春さん

さきほどわたしは、「協力」という言葉を使いましたが、これはあきらかに間違っていますね。
義春さんは、協力してくれているのではなく、すでに1個の主体として、かかわってくれている
というべきですね。

ここでなそうとしているのは、今ある対立の根拠を根絶やしにするための知恵を出し合おうと
いうことですね。そのために、義春さんは、みずからが主体となって、考え抜かれた知恵を提供
してくださっているのですね。

対立の根拠は浅いところにあるはずです。それは、本質を遠く離れた、浅い見方によってつくり
出された、お手軽な対立概念であるはずだ、との予測を立てているところなのですね。
わたしたちは、そうした浅い見方と決別し、対立を形づくっているであろう本質に迫ることで、
対立の根拠とされている考え方の浅薄さをあばこうとしているといってよいのかもしれません。

道はまだ始まったばかりですね。道は未知へとつながっていくはずです。本質は未知の領域に
隠れているにちがいありません。本質をさぐる手がかりは、今ある対立のなかに隠されている。
こうした予測を立ててみる必要もあるような気がします。あるいは、この対立は、本質を
覆い隠すためだけにつくり出されているのではないか。このような予測も成り立ちますね。
誰も本質など見たくはないのですね。

1054さくら:2011/09/09(金) 17:30:22 ID:caIQJ3Sc
初心者セニョール

Fantastico!

1055役行者:2011/09/09(金) 17:50:04 ID:???
>「靖国見真会」参加者様

>>1028
について、引き続き、返答させていただきます。

>私は、一貫して、谷口雅宣総裁は「確信犯」だと思っております。
そうとでも考えなければ、谷口雅春先生の愛国書を絶版にしたり・・・・・よくもまあ、ここまで谷口雅春先生の「教え」「思想」を解体できるものだと「唖然」としております。<

 「確信犯」は、雅春先生の「教え」の解体につながりますね。どこをどのように、解体したかが、問題になります。

 まず、「愛国書の絶版」これについては、逃げる訳ではないのですが、私、役行者は、外をほっつき歩いていたので、その詳細についてはよく分からない!というのが、本音です。
 ただ、いまの現状を見るに、まだ、愛国書はあるなあ!というのが印象です。
しかし、なぜ、『古事記と現代の預言』を絶版にしたのかは、その理由は分かりません。

これから、私個人の見解を述べさせていただきます。

以前、投稿した内容です。

>>773 :役行者


  たぶん、初心者様はこの自己犠牲的な人間愛に対しては限りなく美と捉え、愛されていることと存じます。つまり、問題は、ホロン(自己犠牲)という本能をはやし立て、あおるという行為をよろしくないと仰っているのだと、存じます。
 もし、国家が、社会が、人間のホロン(自己犠牲)という本能をはやし立て、あおるとしたならば、それはコトバの力を利用していることになる訳で、断じて許してはならないと私も思います!

 人間存在とは如何なるものか?
 地球存在は如何なる方向に向かうのか?
 神の地球計画とは!?

 個人の見解ですが、このような根源的な問題に対して人間は自己犠牲せねばならぬと思っております。

 神の国は汝等のうちにあり!!です。


また、こちらの掲示板で活躍されておられる初心者さまは、このように投稿されておりました。

>>774

>愛国心は、ともすれば、熱狂、興奮、攻撃、排他、陶酔、憎悪などといった感情と結びつきやすいですよね。これが真の愛国心だとすれば、それは戦いや対立を生み出すだけでありますよね。義春さんがいっておられるように、しみじみと祖国を愛することができれば、隣国どうしが憎みあうということも避けられるのでしょうけど、現実には、愛国心は過激な行動へと結びつき、隣国どうしが憎みあうという結果を生み出しているようにしか思えませんよね。

 原因はやはり言葉の効果が大きいと思います。誰かが隣国をののしる言葉を吐き出せば、大勢の人々が同調します。それがさらに大きな言葉を生み出し、やがて歯止めのきかない愛国心となって、国家を飲み込んでしまう力を持ってしまうようでありますね。
 わたくしはやはり、言葉には中身が必要だと思うのですね。中身のない言葉が独り歩きして、それが暴走してゆくように感じられてならないのです。
 教団が愛国心のイメージをつくり出すとするなら、そうしたイメージを語る言葉には中身が必要だと考えます。中身があれば、イメージの拡大に歯止めをかけることができるのではないかと、このように考えます。
 中身のない言葉というのは、イメージだけがどこまでも広がっていって、ついには歯止めがきかなくなる怖れがありますよね。中身があれば、自由にイメージをふくらませることはできないはずですから、それによって歯止めがかけられると思うのでありますね。

中身のある愛国心。これが大事だと思います<

と述べられておられます。

 つまり、愛国心という言葉が日本的情緒とつながれば、真の大和魂と連結すると思うのです。
もし、現総裁の『古事記と現代の預言』を絶版にした理由が、愛国心の暴走を抑制するためとしたならば、それについては吟味熟読し、話し合い、解決しなければならない問題と存じます。

1056義春:2011/09/10(土) 10:47:32 ID:iu5Ar./Q
初心者さま
 おはようございます。
過分なるお言葉有り難う御座います。
何と申しますか…私はそう仰っていただけるだけのだろうか…
そう考えると恐れ多く、ですが、そのお言葉に見合うように、
これからも日々精進を重ねます!

物事の本質は、常に自己を苦しめる要因を孕んでいます。
私も、最初の癌と戦った時、癌という病苦の本質を見たくなかったもです。
観るのが恐ろしい、それを観た瞬間に予断を許さない局面に向き合わないといけない。
それはとてつもなく、恐ろしいものでした。


 しかし、その本質に向き合わない限り、
物事は解決する事は出来ないものと思います。
そして、一度腹を据え、苦難は全て背負う覚悟をすれば、
その苦難の方が何故か知りませんが、良い方にいくものでした。

 そして、対立する要因も末期癌みたいな、
どうしようもない状況ではないと思うのです。
私は某Kの科学のヲチをしてきたのですが、
あちらより、ずっとマシだろうと思うのです。
まぁ…比べる対象が滅茶苦茶だといわれれば、それまでですが…。

 どちらにせよ、私の人生は幼少の頃より、争いの連続、
争いの中に生まれ、争いの中で育ち、死力を尽くして様々な争いに勝ち、
そして、その争いに嫌気がさしています。
だからでしょうね…
だから、自分のできる限りの事をさせて頂こうと思ったのだと思います。
 そして、それが次の世代に生きるのであれば、恥多き、この人生を、
生きてきた意味もあるのだと思います。

それで
>「わが部族の若者たちは決して
働かないだろう。働く若者は夢を見ることができない。
知恵は夢からやってくるのだ」

同感です。【夢】というのは思考に【遊び】の空間
余白がないと見れないと思うのです。
現実的に働いていると、遊びの空間を削っていきます。
特に現代社会はその余白部分を完全になくして
(経済的に)有効活用に持っていくようになっています。

 そういえば、4〜5年前山梨にいる頃に鶴岡八幡宮に参拝した時に、
たまたま、某元総理の後援会長と知り合うことがありました。
たまたま、白旗神社前のさざれ石の前で大声で君が代を歌っている
おじいちゃんがいたので、それに面白さを感じて着いていったら、
そういった人だったというだけなのですが…
その人は会社を何個も経営されていらっしゃるのですが、
色々お話してくださった中で、こう仰っておられました
「人は家族のことをほって置いても24時間365日働かないといけない」
その方は経済という分野で他人に貢献すべきだというお考えだった様ですが、
私はどうも違和感を覚えました。
社会的な生き物としての人間としては良いのだと思います。
そこに異論はありません
 
 しかし本来の人としての温かさは何処に行くのだろう…。
それは【遊び】が無い人生ではないのだろうか…?
それは、寂しい人生じゃないのだろうか、
自分という存在を忘れてしまうには…人として耐えられないじゃのか…
そう、感じざるを得ませんでした。

 だから、その方にご自宅の住所を記した紙を手渡され、ここに訪ねて
自分の会社で働くように勧められましたが、結局お断りさせて頂きました。
…そんなことを思い出しました。

 それで今日はこれから伊勢神宮に参ってきます。
自分の書いた事をもう一度、自分の足で感じてこようと思います。

1057復興G:2011/09/10(土) 11:16:50 ID:Ir7svY6w

>>978 :山ちゃん1952様

長らくご無沙汰して、失礼しました。

「長らく」と言っても、ちょうど1週間目なのですが、その1週間の書き込み数が(このスレッドで)900を超え1,000に近づこうとしているのですから、前のことはもう遠い昔のことのようにすら感じられます。驚きですね。

それだけ真剣に生長の家を愛し、真剣に道を求め、それを生きようとしている方たちが多いということの証で、まことにありがたいことであると思います。

978で山ちゃん1952様は、

>「雅春先生」の書物は床が抜けるほど持っています。というのが復興G様の誇りであると思います。
私はこれが復興G様の「雅春先生」の誇りである。また「お山の集い」も最高の誇りである。是非自慢していただきたい。

と言ってくださったのですが、私はいちおう信仰歴は長いにもかかわらず馬齢を重ねるのみで、何も出来ていないことを恥じる思いばかりです。とても自慢する気にはなれません。ただ、そんな自分でも、今こうして生かされていることは、なんてありがたいことであろうかと、ひたすら感謝するしかありません。

山ちゃん1952様のおかげで、私は「トーキングスティックボード」のスティックを持たせて頂く気になり、ここ1週間ちかく、書き込みをさせて頂きました。これはまったく山ちゃん1952様のおかげ以外の何ものでもありません。
山ちゃん1952様はまさに私の導き親であり、天の使いとも思える方です。

ですので、「トーキング」のどこかで、お名前はあげないまま、「この書き込みを始めるきっかけを与えてくださった方々に心から感謝します」ということを書いたつもりなのですが、今見返してみますと、ちょっと見当たりません。でも、ずっとその気持ちを持っていたことは確かです。あらためて感謝を申し上げます。ありがとうございます。

山ちゃん1952様は、本当に真剣に生長の家を愛し、生長の家の正しい発展を願い、それにいのちをかける思いでやっていらっしゃることがわかります。
私も、立つところは違うかも知れないけれども、山ちゃん1952様に負けないよう、「実相独在」にいのちをかけて、「不退転」の決意をもって前進したいと思います。ありがとうございます。

1058復興G:2011/09/10(土) 11:23:03 ID:Ir7svY6w
>1057
ごめんなさい。
>1週間の書き込み数が(このスレッドで)900を超え1,000に近づこうとしているのですから・・・・

は間違いでした。何を勘違いしたのでしょう。約80でしたね。

1059初心者:2011/09/10(土) 11:49:21 ID:4IaAZAME
義春さん

しばらく前に、この掲示板でも「親殺し」という言葉が話題にされていましたよね。
「親殺し」は「兄弟殺し」にも通じますね。

「親殺し」は、心理学でいうエディプス・コンプレックスであるといってよいと思います。
そして「兄弟殺し」もどうようだと思います。

総裁先生は、エディプスを体現していらっしゃいますね。そのことからから批判されて
いるように思います。ですが、はっきりと言っておきたいことがあります。それは、
エディプスは策略だ、ということです。それは、本質を覆い隠すための策略です。
本質は、エディプスの奥に隠されているはずです。

批判派、追放派の人たち、この人たちをわたしは「無葛藤派」と呼んでいますが、
こういう人たちは、エディプスの策略にのせられています。エディプスを敵の本体だと
見間違えて、攻撃の矛先を向けています。

ここでもまた、ひとつの秘密があきらかになります。無葛藤派の人たちが策略にのせられて
いるという、この見せかけもまた策略なのです。無葛藤派の人たちもまた、エディプスに
攻撃の矛先を向けることで何かを隠そうとしています。わたしはそのように考えています。

こうした策略じたいは真実でもなんでもありません。ですが、あらゆる策略は、その奥に
隠された真実を隠し持っているものです。この真実をあばきださねばなりませんね。

それがどれほどの作業になるのか、まったく見当もつきません。それでも本質は、策略の
奥に隠されていると思います。今ある対立。それは見せかけです。真理はべつの場所に
隠されているはずです。その真理とは、「共存しなければならない堪えがた真理」である
のかもしれませんね。

1060役行者:2011/09/10(土) 14:36:32 ID:???

>「靖国見真会」参加者 様

>>1028
について、またまた、引き続き、返答させていただきます。

>私は、一貫して、谷口雅宣総裁は「確信犯」だと思っております。
そうとでも考えなければ、・・・・谷口雅春先生を慕う者を「原理主義者」だとして追放したり、
・・・よくもまあ、ここまで谷口雅春先生の「教え」「思想」を解体できるものだと「唖然」としております。<

次に、雅春先生の「教え」の解体として挙げられるのが、谷口雅春先生を慕う者を「原理主義者」だとして追放したり、と続きます。

「雅春先生を慕う者を“原理主義”だとして追放したり」なのですが、「雅春先生を慕う」イコール「原理主義者」と、果たして解釈できるか?と思うのですが?

 原理主義者とはいかなる方を指すのか?まず、ここから、言葉を確認させて頂きたいと存じます。

 マニュアル通りですと逆に話が絡まることがあるので、私の個人の見解を述べさせて頂きます。
 たとえば、聖典の局所局所、自分たちの都合の良いように解釈し、その言葉を反復させることによって、
権威付け、暴走させていく。その言葉の暴走は、対立を生みます。
本質、実質、実体、“意味ある言葉”とは、かけ離れているからです。
そこには、冷静さはなく、激情があるからです。言葉だけが、空回りしているのです。
激情を煽動することにより、誤魔化しの効く世界ですね。
 「神こそ絶対」という言葉で、例を挙げると、“絶対”という言葉を、
平面的、現象的に、都合の良いように解釈すれば、如何ようにも悪用できます。
それが中世の魔女狩りに繋がりました。「神こそ絶対」の権威のもとに。

「神こそ絶対」この言葉は、もっと、ホリスティックに、立体的に、実相的視点から捉え、
定義づけないと、暴走しやすい言葉であることは確かです。
そして、暴走したところに必ず対立が生じます。ですから、初心者様は、対立は本質を眩ます。と述べております。
原理主義とは、つまり、対立の世界で熱狂、攻撃、排他、陶酔している方々を指しておられるのではないでしょうか。

次に続きます。

1061役行者:2011/09/10(土) 14:43:18 ID:???

>>1060 に続きます。

 義春さまがこのように投稿されておられます。
  >>1047

 その自然と共に生きてきたのが天皇陛下という存在だと思うのです。
 此処でいう天皇は古来の祭祀王としての天皇としてです。
 【天皇】という言葉そのものが平和を願う天皇陛下の大御心に反して、
 暴走することが多いですが、私は自然と共に生き、自然の声、神々の声に
 真を尽くされるのが、天皇陛下という存在だと思っています。
 ここには対立はありません。畏れ多くも陛下の一挙手一投足から
 流出される世界は、対立を越えた穏やかな世界なのです。

 また、初心者様が、
 >>1053 で先ほど、ふれた対立に対して次のような見解を示されています。
 対立の根拠は浅いところにあるはずです。それは、本質を遠く離れた、
 浅い見方によってつくり出された、お手軽な対立概念であるはずだ、との予測を立てているところなのですね。
 わたしたちは、そうした浅い見方と決別し、対立を形づくっているであろう本質に迫ることで、
 対立の根拠とされている考え方の浅薄さをあばこうとしているといってよいのかもしれません。

 対立を形づくっているであろう本質とは、ロゴスを越えた世界。
 ・・・
 この対立は、本質を覆い隠すためだけにつくり出されているのではないか。
 このような予測も成り立ちますね。<

 ということは、
 本質を顕し出せば、自ずと対立は消える。そのようにも言えると思うのです。

 ですから、
 本流掲示板から転載させて頂くことをお許しください。破邪顕正様が述べられている

>「君が代の 安けかりせば かねてより 身は花守となりけんものを」
これが私の好きな波長の世界なのです。<

分かったようなことを言って恐れ入りますが、この世界こそ、
 対立を越えた日本的情緒の世界と存じます。

この世界の分かる方々を、雅春先生を慕う方と定義付けておられるなら、追放はいかがなものだろうかと?
ただ、言葉の暴走をやむなしとし、対立の世界に陶酔されておられる方々の場合、まさしく原理主義者と言われても仕方なきことかと存じます。

>>1059 において、先ほど、初心者様が下記のような投稿をされました。

>それでも本質は、策略の奥に隠されていると思います。今ある対立。
それは見せかけです。真理はべつの場所に隠されているはずです。
その真理とは、「共存しなければならない堪えがたい真理」であるのかもしれませんね。<

深い意味は分かりかねますが・・・

最後に、果たして、追放はあったのでしょうか?左遷ならまだ分かりますが
・・・しかし、その理由のほどは知る由もありません。
どちらにしろ、人類光明化運動のため和解に向けて、
当事者同士が、可能な限り話し合うことを望みます。

1062山ちゃん1952:2011/09/10(土) 17:51:34 ID:6MMzJilY
復興G様
鄭重なる御挨拶有難う御座います。
谷口雅春先生の御著書を是非大切にされておられるとは思いますが、尚御大切にお願い
申し上げます。
私のような存在で『谷口雅春著作集』を作成しました。だが未だ完璧な状況ではありません。

たとえば、『生命の實相』満洲版の艮の巻などが出版されたのか(たぶん出版されてはいないと
思います)『實相体験集成第三輯・第四輯が出版されたか不明なのです。上謄写の(源本)
五部は印刷されています。

沢山の不明な著書があり、教文社のコンテンツにおいても?のついた著書があるほど
です。

そうした、生きた歴史を語る人が少なくなっているのは実感しております。明窓浄机ですら
途中で途絶えました。復興G様のような人が語らなければ、誰も語られないのです。

たぶん今回のト−キングステックボ−ドで語られた事を纏めて、どこかのブログに
書かれたほうがいいと思います。
私も自分の言葉ではありませんが、『社会運動の状況』という特高の書いたものを
掲載しましたが、関心の薄さを実感しています。

復興G様は「お山の集い」を出席された誇りは是非大切にして下さい。
また、それを発表するのは大切な事であると思います。

1063義春:2011/09/10(土) 23:49:18 ID:SjZg29/2
>>1059
初心者さま
私も最初は雅宣先生の行動を
エディプス・コンプレックスからと思っていました。
しかし雅宣先生の言動を改めて観てみますと、
雅春先生の御言葉のピン止めを
されているのだろうか…
と想うようになってきました。

(まぁ…私は今も政治は
大概オカシイと感じてますが…)
雅春先生が現象界にいらっしゃった時代は、
左翼による革命が現実的に起こりうる、
危急存亡の秋でありましたので、
言葉のピン止めをなされる時ではありませんでした。
その雅春先生の想いに心を寄せる時、
私も胸に迫る想いになり、言葉がでなくなります。

そして、前にどなたかが
『清超先生は教義の体系化を拒まれた』
という様な事を投稿なされていましたが、
清超先生は、教義の体系化をする過程で
言葉のピン止め、即ち、
定義を決められる事から起こりうる
危険をお感じになってらっしゃった
と私は勝手に考えています。

しかし、その中で「神こそ絶対」
と谷口雅春先生を神として
祭り上げ絶対視していく様になってきました。

それがロゴスとなっていきました。

その事の危険を雅宣先生は
敏感に感じてらっしゃるのだと想います。
それだから、それを防ごうとしたら、
雅春先生の実態から外れてしまった
【谷口雅春】というロゴスが暴走し、
こんな事態になってしまった…。

このロゴスの暴走こそが雅春先生が
悲しまれるのではないかとも感じます。

その中で策略があったのかもしれませんが、
1信徒で若造の私には分かりません。
…今回の事を私はその様に思っています。


だから、先ずは【谷口雅春】というロゴス、
実態から外れてしまった雅春先生を
皆で言葉のピン止めをして雅春先生に
戻すべきだと想うのです。

皆が敬い、何より愛する雅春先生を
皆で共有していくべきではないかと…
そして、雅春先生が願われた事を
次の世代も、又、次の世代も伝え、
そして、それを叶えていき、
人類光明化を為していくべきではないのか?
…そう、私は愚考致しました。
如何でありましょうか?

1064義春:2011/09/11(日) 01:34:28 ID:iu5Ar./Q
初心者さま
 伊勢神宮に参ってみてですが、
やはり日本の原型だと感じました。
今回の遠出は日本のエコソフィアの原型を求めるものでした。
それこそ、神に真を尽くして祈ってきました。

 伊勢神宮は…というより、伊勢そのものが磐倉、祭祀の場だと感じました。
それぞれの自然の現象にあった地に、神社を置き、祭っています。
太陽の神である天照大御神を中心に宇宙そのものが、そこにあると感じました。
それはギリシャの様に自然を破壊して神を祭るのではなく、
自然はそのままで、自然を主にした日本人のありよう、そのものでした。

 最初に外宮に参りましたが、一歩入った瞬間に空気が全く違っていました。
ここは神域だと、直感しました。
しかし、攻撃的ではなく、包み込むような雰囲気でした。
そして参っていったのですが、御正宮に至る石段は一枚の平石、
亀石だと感じたのですが、亀だとするなら、
それは神域に亀に乗っていく象徴のようでした。

 そして、内宮。
ここは式年遷宮ということもあり人が多過ぎて、
直感がなかなか働かなかったのですが、
御正宮に参拝したら、私の時だけ、閉じていた白布が
全部捲れ上がって、ホッとしました。

 そこで少し疑問に感じたのですが、
内宮と外宮を何故お分けされたのだろうと…。
外宮は分かるのです。豊受大神だから、大地・森だろう…と。
それだとするなら、内宮の天照大御神は八咫鏡を御神体とされていますが、
天照大御神をおろす場所、甘南備山があったのじゃないのかと思って、
検索しましたらこんなページがありました。
http://ameblo.jp/kazue-fujiwara/entry-10352024311.html

 ここに朝熊山のことが書いてあります。
>朝熊山は伊勢神宮の奥宮とも呼ばれていますが、
>この朝熊山こそ伊勢神宮の宗教的な意味での「聖なる地」であって、
>伊勢神宮の内宮は、その神奈備山に対して祭祀を執り行う場所であった
>と私は思います。

 私も同感です。

 それから二見浦まで移動し、夫婦岩、二見興玉神社…
ここは竜神が祭っているのですが、この夫婦岩を観て、
竜神だけを祭っているのではなく、
夫婦、即ち陰と陽、日と海、火と水を本来は祭っていたのではないのか?
…そう感じました。
 
 それだから、伊勢は全体が宇宙を表し、日本のありよう、
そして、その伊勢神宮を皇祖神とする御皇室のありようも、
ロゴスに染められようもないものと感じました。

1065復興G:2011/09/11(日) 06:51:40 ID:Ir7svY6w

>>1062 :山ちゃん1952様

合掌 ありがとうございます。
私は、あなたの上記の真心こもるメッセージを拝読し、なにか今までの偏見やわだかまりがスーッと溶けて行くのを感じました。

>そうした、生きた歴史を語る人が少なくなっているのは実感しております。明窓浄机ですら途中で途絶えました。復興G様のような人が語らなければ、誰も語られないのです。
たぶん今回のト−キングステックボ−ドで語られた事を纏めて、どこかのブログに書かれたほうがいいと思います。
復興G様は「お山の集い」を出席された誇りは是非大切にして下さい。
また、それを発表するのは大切な事であると思います。

私は素直にそのお言葉を受けて、これから徐々にそれを実行して行きたいと思います。ありがとうございました。

1066初心者:2011/09/11(日) 15:25:16 ID:4IaAZAME
義春さん

「策略」について述べてみます。といっても、これは単純ではありません。
ほかの言葉で表現したほうがよさそうなケースもあります。ここでは、「策略」という言葉を
使うのにもっともふさわしいと思えるケースについて述べてみます。

プロテスタンティズムを資本主義の起源とする考え方がちまたに流布しています。これは、
社会学者のマックス・ウェーバーが、共産主義を批判するためにもちいた論法です。それは
すなわち、上部構造である宗教が、下部構想である経済を規定したという、マルクス主義を
転倒させたかのごとき歴史的事実をもって、共産主義の、下部構造が上部構想を規定すると
いう基本原理への反証を企てるための論法でした。

これにたいして、共産主義者のジェイムソンという思想家は、プロテスタンティズムは、資本
主義を実現するための「消え行く媒介者」でしかなかったと反論したといいます。

プロテスタントが資本主義を実現しようとしたわけではありません。資本主義は、プロテス
タントが目標とした禁欲的生産活動の、その副産物として歴史に姿をあらわした経済活動で
あったのはたしかです。

資本主義は、それを実現しようと誰かが考えて実現させたものではありません。まったく
べつの活動の結果、その副産物としてあらわれてきたものです。そして、資本主義を実現
させたプロテスタンティズムは、ジェイムソンがいうように、その歴史的役割を終え、
「消え行く媒介者」として衰退することになります。

これが事実であれば、あまりにも策略的な出来事です。まるで、資本主義を実現するという
歴史の意思があって、その意思を実現するために、プロテスタンティズムが「消え行く媒介者」
として利用された、とも考えられるからです。

歴史の意思は、表面にあらわれた活動の背後に隠れている、ということが言えないでしょう
か?歴史は、背後に隠れている、不可知の意思の策略によってもつくられている。この
ように考えるのは無理なのでしょうか。このあたり、義春さんの見解を待ちたいところです。

ローマ元老院は、共和制を復活させるためにカエサルを暗殺したと考えられているようです。
しかし結果は、帝政への移行を加速させただけのようでした。帝政の実現をのぞむ歴史の
意思は、元老院とトブルートゥスを利用し、策略にのった彼らは、「消え行く媒介者」として帝政の
実現に加担させられ、帝政実現の過程で歴史の表舞台から永久にほうむりさられた。
このように考えることはできないのでしょうか。

真理はつねに活動の背後に隠されている。わたしはこのように考えます。
義春さんの批判的な意見を待っております。

1067役行者:2011/09/11(日) 19:00:13 ID:???

>「靖国見真会」参加者 様

>>1028  >>1029 >>1030
について、一人相撲している寂しさは隠せないですが、引き続き、返答させていただきます。

>私は、一貫して、谷口雅宣総裁は「確信犯」だと思っております。
そうとでも考えなければ、・・・・総本山があるのに「森のオフィス」
をつくって本部移転を企てたり・・・よくもまあ、ここまで
谷口雅春先生の「教え」「思想」を解体できるものだと「唖然」としております。<

  この「本部移転」のことは、大げさかもしれませんが、国家で言えば、遷都に匹敵する大事業なので、
 なかなか私もまだまとまっておりません。逃げるわけではありません。必ず、お答えいたします。申し訳ありませんが、次にいきます。

>>1029 は、和解の条件なので、一番最後にさせて頂きます。


>>1030

>それでも、「和解」せよ、という立場は、唯一、「役行者」様のこれに尽きるでしょうね。

>〉問題にしたき点は、ユダヤ商人の如きグループがその争いを利用して、
漁夫の利をねらっている可能性に対して!ではないでしょうか?・・・
争いそのことが疲弊を余儀なくさせることは間違いなきことでしょう。
生長の家を一筋にやってこられた方々に取りまして、果たして何の得になりますでしょうか。<<


に対しまして、


>結局、「教団の組織維持」のために、ということですよね。
谷口雅宣総裁が勝手に組織をガタガタにしておいて、このままでは組織が持たないから、
だから「和解」せよなんて、ムシがいいとは思いませんか?
何度でもいいます。誰が、こんなにしてしまったんですか?
「生長の家を一筋にやってこられた方々」が悩む原因は誰がつくったんですか?<


 というご返答をいただきましたが、まず、「教団の組織維持」のため!というのはどんなもんでしょうか?
双方にとって、というより、生長の家が未来に対して、もし、世界を舞台にした大きな使命があるとしたなら、
それはそれは、大きな損害になりますよね。 
 ただ、最近の「靖国見真会」参加者様の本流掲示板にての投稿内容が、
双方が共存のなか、信徒の方によりよいモノ・コトを提供していこう!ともに伸ばしていこう!
というような内容に変わっていると、勝手に勘違いさせていただいております(笑)


>「生長の家を一筋にやってこられた方々」が悩む原因は誰がつくったんですか?


 生意気をいうようですが、大いに悩んでいいと思います。
 雅春先生の時代、確かに高度経済成長という背景もありましたが、
先生のカリスマで随分、教勢が発展したように思えます。
 つまり、大変失礼かと存じますが、もちろん諸先輩方お一人お一人のご尽力の賜なのですが、
雅春先生のカリスマの渦があらゆるものを引き寄せたといっても過言ではないように思えるのです。

 我々の世代に、果たしてその勢いはあるのか?考えるだけで、不安になります。
なぜなら、もう雅春先生というカリスマは存在しないからです。
 真実、真理のみで勝負しなければならないからです。
 一人一人が真剣勝負しなければ、生長の家の未来はないと思われるからです。
 ですから、大いに悩んでよいのではないでしょうか?そのように思っております。

 最後に、 >>1066 において、先ほど、初心者様が下記のとおり述べております。


 >ローマ元老院は、共和制を復活させるためにカエサルを暗殺したと考えられているようです。
  しかし結果は、帝政への移行を加速させただけのようでした。帝政の実現をのぞむ歴史の意思は、
 元老院とブルートゥスを利用し、策略にのった彼らは、「消え行く媒介者」として帝政の実現に
 加担させられ、帝政実現の過程で歴史の表舞台から永久にほうむりさられた。<
 

 と。
 果たして、生長の家においてをや!!二極化のさなか、相争い、
 「生長の家を一筋にやってこられた方々」が「消え行く媒介者」となるのは、
 見るに見かねます。
 例えば、二手に分かれたエージェントたちが、故意に対立して見せ、
 そして、真正の生長の家信者同士を対立させる様にもっていこうとしていたら・・・
 共和制の復活のはずだったが、帝政へと思いも寄らぬ方向へ舵を切られてしまうのでは!!

1068役行者:2011/09/11(日) 19:37:28 ID:???

>「靖国見真会」参加者 様

 ご無礼をお許しください。もうすでに、ご返答をしてくださっていたのですね。
ありがとうございます。私もこちらから返答させていただきます。

1069義春:2011/09/11(日) 22:16:13 ID:iu5Ar./Q
初心者さま
 私はローマ史が得意な為、ローマ史で話させて頂きます。
(近世西洋史ももっと勉強しないといけないのですが、
ローマ史程の理解をするには1〜2年は勉強しないといけまんせんので…。)

 カエサル暗殺は現代では「懐古主義者の悪い結末しか生まなかった悲劇」
と呼ばれていますが、ブルータス達は…というより、実質的な首謀者である
カシウス・ロンギヌス(参照ページ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%8C%E3%82%B9
は共和制にローマを復帰させ、その事でローマを良くしたいと考えていました。
 
 しかし、共和制、それは600人の元老院議員により、
ローマ帝国(帝国とは他民族を内包する国家を指します)を統治することでありますが、
その段階は100年以上前、第三次ポエニ戦争に勝った時点で限界を迎えていました。

 なぜなら、元老院という統治システムは単一民族国家での統治システムとしては最適です。
王政の良さもギリシャのポリスの良さも併せ持つシステムであるからです。

 しかし、それ以上に国家の規模が大きくなると、元老院システムの根底である
単一民族という前提が成り立たなくなります。
また、統治に関する判断をより迅速に行う必要があるので、不適格なシステムになったのです。

 それなので、カエサル1人を暗殺しようとも、カエサルによって提唱された
1人が統治責任者という帝政が歴史は動いていきました。

 そのように歴史の意思というものは、あたかも人格を持ったかのように
働くことはしばしば見受けられます。
 それこそ個々の人間の意思では大きな意思とも言えます。

 「消え行く媒介者」という存在も、その存在自体も、歴史に方向性を与えられた中では、
歴史の進み行く中では、その方向性の推進者となってしまっている…とも言えます。

 翻って、分派の方々も含めた生長の家で思いを巡らす時、
役行者様が

> 果たして、生長の家においてをや!!二極化のさなか、相争い、
 「生長の家を一筋にやってこられた方々」が「消え行く媒介者」となるのは、
 見るに見かねます。
 例えば、二手に分かれたエージェントたちが、故意に対立して見せ、
 そして、真正の生長の家信者同士を対立させる様にもっていこうとしていたら・・・
 共和制の復活のはずだったが、帝政へと思いも寄らぬ方向へ舵を切られてしまうのでは!!

とお書きになっていっらしゃいますが、今の現状を省みれば、
生長の家外部の大きな意思が働いているとも考えられなくもありません。
ですが、私も役行者様と同様にその方々にも「消え行く媒体者」に
なって頂くのは辛く思いますし、又、教団側の方々にもそうなって欲しくはありません。
それが率直な想いであります。

1070初心者:2011/09/13(火) 11:51:45 ID:4IaAZAME
わたしが知るかぎり、生長の家が「現象なし」と否定したのはニュートン力学だけです。
生長の家でいう唯物思想とは、ニュートン力学なのですね。

しかし、ニュートン力学は、はじめから成立していませんでした。なぜなら、それは、絶対空間
と絶対時間という、ほんらい的に不可能な、世界の成立基盤を前提としていたからですね。

ニュートン力学ははじめから成立していませんでした。成立していないニュートン力学を
否定したからといって、それをもって「現象なし」と断ずることはできません。であるとすれば、
生長の家は、いかなる根拠をもって「現象なし」といっているのでしょうか。お答えいただけれ
ばありがたく存じます。

そもそも「虚説」とはなんなのでしょう。唯物思想のことでしょうか。今や世界の成立基盤は、
11次元の高次元バルク埋め込まれたに、4次元エネルギー膜と考えられるまでになって
いるようです。であれば、みなさま方がいわれる唯物思想とはなんなのでしょうか。
なにをもって唯物思想といっておられるのでしょうか。

唯物思想とは、もはや概念化が不可能な言葉であると、わたくしは考えております。
したがって、唯物思想という言葉を安易にもちいることは、わたくしにはできかねております。
あえていえば、それは性格分類においてのみもちいることができる言葉であるとも考えて
おります。

生長の家でいう唯物思想とは何を意味しているのでしょうか。生長の家についてはなにも
知らないわたくしに、ご教示いだければ、ありがたく存じます。

1071役行者:2011/09/13(火) 12:00:01 ID:k/AGLG2Q

本流掲示板のスレッド
「役行者」様にお応えします (4397)

 にご返答申し上げます。
 

>「靖国見真会」参加者様 


 >確か、谷口雅宣総裁は「焚書坑儒はしたくない」と言ったと記憶しています。なのに、こうして絶版が相次ぐ 神示講義『神ひとに語り給ふ 教の巻』まで絶版にしているのですからね。 心ある信徒はみんな心の奥底で不信感を 抱いていますよ。 教団は、まずそのことへの「説明責任 をしっかりと果たすべきだ」と思うのです。<



 「焚書坑儒はしたくない」と、もし現総裁が仰られたとするなら、絶版したものに対しての説明理由が確かに必要かと、私もそのように思います。


 また、絶版にした理由を、「売れないから」と教団側が告知されているとすれば、それは申し訳ありませんが、まったく説明理由になっていません。
真理の言葉がその本に綴られているとしたら、まずは“願”が先で、そして“救い”なのですから、「売れないから」は、カラッキシ理由にならないと思います。
 もし、どうしても、「売れないから」を理由になさるのでしたら、一般企業と同じく、実務的に売上制になされたらよろしいかと存じます。それが筋だと思われます。


 つまり、この件に関して、「靖国見真会」参加者様に異論ございません。


 また、「靖国見真会」参加者様が仰るよう、誌友会でテキストにしよう!としたとき、それが申請却下されたのが事実であれば、また、それもひとつの暴走ですね。
 それは、いただけないことなので、説明理由が必要かと、存じます。愛国書のことになるとブラックボックスになっていて、踏み込むことが出来ない!とするなら、それは、問題だと思います。なぜ、愛国書がいただけないのか。はっきりと、説明をしようとせず、「愛国書はテキストにしてはいけない」という、無言の言葉により圧力をかけるということは、不信を招くだけです。


 もし、教団執行部がこのような無言の言葉の圧力をかけているとしたら、いかがなものでしょうか?
 とにかく、曖昧な部分をそのまま曖昧にされ、無言の圧力を繰り返していたら、今度は無言の脱会者が因果応報として矢継ぎ早に現れる!と思われます。


 
 >絶版にした「本音」の説明をはっきりと提示するよう、お願いすべきだとい うことです。< 


「靖国見真会」参加者様の述べていることが事実なら、その通りと存じます。
 まさか教団側は、このように正式な説明理由なきままに通り過ぎて、
台風一過の如く、晴れ晴れとした日を仰ぐことができると思っているのでしょうか?そんなことはないと思います。
 きっと、正式な、誰もが納得するような、説明理由を必ず提示して頂けると信じております。

 続きます。

1072役行者:2011/09/13(火) 12:05:47 ID:k/AGLG2Q
>>1071  につづきます。

 本論に入ります!和解の方法手段ですが、天の時、地の利、人の輪というものがあります。慎重に行かねばならぬと思っています。
というのも、エコロジーの名のもとにおわします、より大きな帝政グループ( >>1067 をご参照願います)は、カルトグループを超えた大きな組織の可能性を秘めておりますから。
内患外憂のさなか、天の時が満るとき、そのときが勝負かと思っております。ファージーな返答になると思いますが、現段階ではお許しを願います。

 こんなことを書けば、叱られると思いますが、果たして、あの明治における文明開化!成功と言えるのでしょうか?
 わたしは、歴史に学びとうございます。いろんなところから反感を買うとは思いますが、私は坂本龍馬公、西郷隆盛翁の二の舞は踏みたくございません。確かに、「狂」にならなければ、コトは進みません。それは、初心者様にもコメントしましたが、「悲しいサガ」(>>779 を参照)でしょう。

 破邪顕正様の

>「君が代の 安けかりせば かねてより 身は花守となりけんものを」
これが私の好きな波長の世界なのです。<

  この世界に通じるものがあるかと存じます。
  滅びの美学を私は、是としたくないのです。大切なことなのですが・・・
 
  話を戻します。文明の大きな波に飲み込まれて、それで終わりなのでしょうか・・・
いや、ここに登場する皆様方、決して、そうは思っていらっしゃらないと思います。
 だから、葛藤されておられると思うのです。
 
 自民党時代、より大きな帝政に呑まれておりました。そして、民主党政権時代になって、また、より大きな帝政に呑まれている状態かと存じます。
 この途轍もなき大きな帝政!!に唯一呑まれてないご存在が、「天皇」なのかもしれません。
 とにかく、この大きな帝政を凌駕した運動を生長の家にて展開することが大切かと存じております。

>>1067を再度、コメントさせて頂きます。

 >ローマ元老院は、共和制を復活させるためにカエサルを暗殺したと考えられているようです。
  しかし結果は、帝政への移行を加速させただけのようでした。帝政の実現をのぞむ歴史の意思は、元老院とブルートゥスを利用し、策略にのった彼らは、「消え行く媒介者」として帝政の実現に加担させられ、帝政実現の過程で歴史の表舞台から永久にほうむりさられた。<
 

と。
果たして、生長の家においてをや!!二極化のさなか、相争い、「生長の家を一筋にやってこられた方々」が「消え行く媒介者」となるのは、見るに見かねます。
例えば、二手に分かれたエージェントたちが、故意に対立して見せ、そして、真正の生長の家信者同士を対立させる様にもっていこうとしていたら・・・共和制の復活のはずだったが、より大きな帝政へと思いも寄らぬ方向へ舵を切られてしまうのでは!!

 となると、悲しいかな!生長の家に残るのは、人の顔色を見て手を挙げる、場当たりのご都合主義者のみになってしまいます。

 和解の道筋を述べる前に、20年前に生長の家を離れた初心者様をはじめ、この掲示板に登場される方々と会話でき、また、「靖国見真会」参加者様をはじめ、本流掲示板の方々とも交流ができ、そのこと自体が私に取りまして、奇跡なのです。ですから、和解という奇跡も、天の時が満ちれば必ず起こるかと信じております。
 ファージーな答え方しか今のところできませんが、私の心情、察してください。

1073義春:2011/09/13(火) 15:31:15 ID:SjZg29/2
>>1070
初心者さま
唯物思想とは何かですね?
ニュートン力学…つまり、古典物理学とは、日常生活における物理現象を表したものです。

(古典物理学を大成させたニュートンも晩年は神を証明する理論を
編み出そうとしていた事も付記させて頂きます。)

しかしアインシュタイン等が、絶対空間と絶対時間での物理現象を解明した事により、物質とはある様に見えるだけ…

つまり、電子が高速回転する事により、その中のスカスカの空間がないように見え、
その事を以て、物質はあるように見える…もっと言えば【物質はない】と現代科学
でも証明されています。そこから言えば、物質に依存する現象もなしと言えましょう。

一方、生長の家では神から雅春先生への最初の啓示で『現象はない!』との事を以て、現象なしとしています。
(詳細な資料は出先なので、家に帰ってからで…。)
それは生長の家が神から啓示を受けたるものであるからとしか私には言えません。

科学は何にしても理論下の元で証明しなければなりませんが、
宗教は直感把握を重んじるので、その違いは遺憾ともしがたく想います。

…ですが、科学者に於いても一流どころになると、直感を重んじます。
何故なら、理論を飛躍しなければ掴めない科学的真実も又、存在し、頭脳智で処理
していても、そこには到達しない…との事です。

そして、唯物思想とは私の感じるにニュートン力学とマルクス・レーニン主義が
併せられた物と思っています。人間という存在を物理的なものとする事、
そして、その物理的に解した個々の人間を社会構造に組み込もうとしたものではないかと思っています。

(続きます)

1074義春:2011/09/13(火) 15:43:25 ID:SjZg29/2
(続きました)
それで何故『今の教え』が虚説と呼ばれるかなのですが…
本流掲示板の葵新吾先生の引用多用過ぎて、葵先生御自身の文章が分からなくなっている御文章から端的に申しますと
『直感把握を以て、教えは説かれなくてはいけないのに
雅宣先生は頭脳智で説こうとする、それは雅春先生の説かれた所である生命の実相から外れている』
という事であろうかと想います。

たぶん、こう書けば葵先生の事ですから、出血大サービスで大量の御文章を
投稿なさると想いますので、そちらをお読み下されればと想います。

1075義春:2011/09/13(火) 15:46:04 ID:SjZg29/2
追記するならば、やはり唯物思想とは何か?について言葉のピン止め=定義は必要
と想います。そうでなければそれを都合良く使われますから…。

1076義春:2011/09/13(火) 16:48:43 ID:SjZg29/2
それから『今の教え』が虚説か?となると、私はそれはないと思っています。

要はスタンスの違いだろう…と想うのです。

(環境偏重の偏重は止めて頂きたいな、もう少し国の話も…と想いますが…。)

何故なら、直感把握は確かに、大事です。
ですが、直感把握を良しとし過ぎれば、滅茶苦茶極端で有り得ない話ですが、
『直感が来たから明日から悪魔を拝め』
となれば拝むのですか?と想うのです。だから、いくら偉大なる葵新吾大先生の御文章を
拝読しても、頷くのは厳しいのです。

(まぁ…葵新吾大先生御自身の言葉を見つけるのも難しいというのもありますがw)
又、雅春先生が本から引用せず御自分の言葉で語った吉田國太郎先生を評価なされた事を
想うと、引用多用が即、良いのか?と言えば、疑問符もつきます。

だから、そもそも何を以て、直感把握なのかもハッキリなされればなりません。

そして、『今の教え』、つまり科学的に生長の家を説く、つまり教えをロゴス化しない方向性は
間違いではないと想いますし、必要な事だと想います。

それ故に雅春先生とのスタンスの違いだろうと想いますし、
それだから、この点で論争しても不毛な事だと私は想います。

1077うのはな:2011/09/13(火) 17:57:28 ID:iM0b0bt6

 「迷いはどこから来るか」という題での、雅春先生と雅宣先生の両方を
 読むと、「雅宣氏の場合」は虚説なのだ、と思います。
 「虚説」という言葉は悪いのかもしれませんが、自分のボキャブラリーの
 中では、そんな言葉しか思い浮かばないのです。

 でも、今教団機関誌など読むと、最初は雅宣氏の教えがおかしいと思ってた
 人でも、雅宣氏の著作を勉強していくうちに今の教えは昔とくらべておかしくないと
 わかったとコメントしてる方もいます。
 今の講師試験とか、内部ではうまくまるめこまれてしまうシステムになっているのではと
 思っています。

1078初心者:2011/09/14(水) 00:45:01 ID:4IaAZAME
義春さん

「虚説」というシニフィアンが、ピン止めされることなく使われているようです。
直観把握が正しくて頭脳知はまちがっている。これを唯一の根拠に「虚説」という言葉が
使われているとすれば、これはあまりにも無知で傲慢な態度といわざるを得ませんね。

「唯物思想」にしても同様です。物質の概念は、20世紀にはいって大きく様変わりしました。
ソシュールの登場によって、「唯物論」という言葉じたいが意味をなさなくなったような気が
します。

それでも、「虚説」や「唯物思想」という言葉を、いまだにいかなる葛藤もなく使い続けて
いる人たちがいます。いうまでもなく、これがシニフィアンの暴走です。シニフィアン連鎖です。
言葉とは何か。その性質を知らない人たちの、あまりにも無邪気で恥知らずな所業です。

公憤、義憤、私心を無にする、虚心坦懐。こうしたシニフィアンの暴走が意味するのは、欲望の
外在化でしょうね。わたしは、わたしのいない場所で欲望する。これが欲望の外在化、つまりは
ヒステリーです。

強迫神経症とヒステリーの戦い。これがゴタゴタの真相であるのかもしれません。

1079義春:2011/09/14(水) 02:01:17 ID:SjZg29/2
>>1078
初心者さま
まぁ…その様ですね。ホントに、何とも言えない気持ちになります。
葵新吾大先生の長文は雅春先生の御文章が引用多用されていますが、

葵先生には申し訳ありませんが、これは雅春先生の実態から外れた【谷口雅春】と
いうロゴスを以て、雅宣先生追放に正当化を与えようとしていると想います。

(だから、私の様な闖入者の存在はロゴスの暴走を止めかねないから排除したのでしょう。)

それだから、あの長文を読んでも、何を以て、虚説かを抜き出すのが非常にめんどくさいものでした。

だから、非常に端的に葵先生の御文章から、これだろうという所を抜き出しました。
直感把握を提唱なさるのに、葵新吾先生御自身の直感把握を持ち出さないのは何でだろうと思いつつ…。


ソシュールと唯物思想について、今、調べて拝読してきましたが、
初心者さまの仰る唯物論が意味をなさなくなってきたというのは…
『言語とは『恣意的な社会的規則(社会的取り決め)である言語』であるので、
発展・進歩を以て言語を解するマルクス主義から言語を研究するのはナンセンスである…
言語を通時的に研究することによって分かるのは
『言語の語彙・文法・用法・話法の変化』であり、
『言語の進歩・発展・前進・洗練』ではないという考え方が前提にある。』(原文まま・引用元:哲学辞典)
という所だろうと想います。
それから言えば、唯物論も意味をなさなくなっていますね。

まぁ…これから止めないといけないのはこれらのロゴスの暴走なんだと、私は想います。
その為に、言葉のピン止めをしていくのが大事だと存じます。

1080八百比丘尼:2011/09/14(水) 10:20:35 ID:j8iOdie.

 ショーシンシャウエル教授
講義がむずかしすぎて、ついていけません。
義春センパイ、あとでノート見せて下さい。


  −−東京うましか大学 学長。馬鹿梵鈴夜ーー

《 オープンキャンパス開催中。
  記念講演として「筒井康隆先生」をお招きして
  【アホの壁】を講義していただきます。
  http://www.shinchosha.co.jp/book/610350/

  打ち上コンパは、『養老の滝』です。

  我が校の合言葉は、
  これでっ!
  いいの・・・・・か?  》

どうして、うちの店使わないのよっ! 【割烹だちょう】女将(怒)

1081初心者:2011/09/14(水) 11:17:37 ID:4IaAZAME
義春さん

言葉が、本質的に意味をなさないというのは、言語は、言語じしんについて語ることは
できず、語れるのは他の言語との関係だけだということです。
(右は、左との関係を語ることしかできません)

しかも、この「関係」は、言語の語り手によって恣意的にむすばれます。「唯物論」にしても、
「虚説」にしても、これは他の言語との恣意的な関係においてのみ語られる言葉なのですね。

「唯物論」が、「実相独在」という言葉と恣意的にむすびつけられたとき、それは「迷い」を
意味する言葉として、語り手の内面に立ちあらわれます。「唯物論」という言葉に意味はありま
せん。それは、他の言葉とむすびつけられたときに、意味らしきものが立ちあらわれてくる
ように感じられるだけなのですね。

「虚説」もまた、「実相独在」という言葉との恣意的な関係において語られているようですね。
「虚説」という言葉に本質的な意味はありません。意味は、「実相独在」との関係によってつくり
出され、それがシニフィアンの暴走を加速させます。

それなら、「実相独在」という言葉は、いったい何を語っているのでしょう。
それは、他のシニフィアンとの関係を語っているだけなのでしょうか。それとも、確実な
シニフィエについて語ることができているのでしょうか。

「実相独在」が暴走するシニフィアンでないという保証はどこにもありません。
「無葛藤派」の人々のヒステリックな反応には、シニフィアンの暴走を隠ぺいするための、
無意識の意図が隠されているような気がします。
「無葛藤派」の人々は、何かを怖れていますね。総裁先生によって、何かがあばかれてしまう。
そうした、根源的な不安があるのかもしれませんね。

1082復興G:2011/09/14(水) 11:43:00 ID:Ir7svY6w

>>1080 :八百比丘尼様
***********
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判型 : 新潮新書
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***********
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1083義春:2011/09/14(水) 14:45:43 ID:iu5Ar./Q
初心者さま
 話が進んできましたので、一度、まとめながら書かせて頂きますね。
色々考えつつ書いていますが、行き届かない点はご指導、ご鞭撻下されればと思います。
まず、環境偏重になっている「本部」は、エコロジーという実態のない、
人間の都合の良いように解釈された自然を保護するというロゴス(人間の浅知恵)
によって支配されています。
 それはロゴスの暴走(イメージ先行で言葉が実態から乖離する事)を起こしています。
その為、暴走を止めない為に反復しないといけない強迫神経症にかかっている…ということになります。
何故、暴走を止められないかというと、言葉に中身が無いので、止めた瞬間に
それが露わになってしまう…。
 それであるから、教団はエコロジーという、人間の都合の良いものでない、本来の自然、
エコソフィア(自然主体の保護)にしていかないといけない。
 
 それに対して、初心者さまの仰るところの「無葛藤派」は「実相独在」
つまり復興G様のトーキングステックの>144から引用させて頂くと、

「実相独在」とは、「現象無し」つまり人間の五官、眼耳鼻舌身でだれでも認識できる
五感の世界を「ない」と否定して、それを超えたものを全生命的に把握する

というものであるのに、雅宣先生は、その5感で知覚できないものである実相を
科学的に話そうとする、それは5感で知覚出来ないものを知覚しようとする、
つまり人間知で考えている事になるから虚説になる。
付け加えるなら科学的に説くのと、人間知と虚説はイコールではないという事です。
 そもそも、虚説というものの実態を定義づけてないから、イメージとイメージの
抽象的つながり、それは恣意的な関係になってしまい、論者の都合の良い様に
使われてしまう事になる。それが結局、他者に自分の求めるものを求める事で
あるからヒステリーになってしまう。
 何故、それが起こるのかと申し上げますと、言葉のピン止めをされないまま
なので、暴走を起こしやすく、そこに雅宣先生が全く違う視点から教えを説くので、
違和感を感じて焦っていらっしゃるのではないかと思います。
 まぁ…葵先生におかれましては座禅でも組まれて、実相独在や虚説という言葉に
向き合われればと私は思いますが…。
そして、言葉の定義、ピン止めをされるべきだと思います。

1084義春:2011/09/14(水) 15:17:01 ID:iu5Ar./Q
 それで、言葉のピン止めという言葉が、良く分からないという方も
いらっしゃると思うので、勝手に話させて頂きます。
 
 言葉のピン止めとは、言葉の定義づけなのです。
例えば、ブログ管理人さあが、SUBWAYの話を出されていましたが、
一般的にはSUBWAYは地下鉄を指す英単語です。
ですが、ブログ管理人さあはサンドウィッチ屋のSUBWAYという店を指して
話しています。
 だから、下手すれば、宮崎に「SUBWAYが出来た」だけでは、
「宮崎に地下鉄が出来た」と勘違い…即ち、言葉が暴走してしまう。
だから、「サンドウィッチ屋のSUBWAY」と言葉の中身をちゃんと指すことで
イメージが暴走しない様にする、それが言葉のピン止めというものだと私は思っています。

1085義春:2011/09/14(水) 15:46:20 ID:iu5Ar./Q
そういえば、山梨の韮崎で住んでいたアパートの1階は養老の滝でしたw(実話)
まぁ〜あそこは(検閲削除)系統なので、入る気にもなれませんでしたwww

1086初心者:2011/09/14(水) 15:52:10 ID:4IaAZAME
義春さん

見事なまとめを書いていただいて、ありがとうございます。

わたしがこれまで語ってきたことを、手際よくまとめていただいたように思います。
ただひと言つけ加えるなら、エコロジストと呼ばれる人たちは、たんにロゴスの空無が
あきらかになることを怖れているのではなく、自分たちが活動をやめれば、天変地異と
いってもいいような現実的な打撃が地球に襲いかかり、自然環境は破局的な結末を
迎えるということを、本気で信じ、怖れている人たちでもあるのかもしれない、ということ
を考えておく必要があると思うのですね。

活動をやめれば、その瞬間に怖ろしい出来事に襲われる。そうした神経症的恐怖心から、
日々のエコ活動を反復的にくり返すしかないという状況におかれているエコロジストが
いるのではないか、ということなのですよね。

現教団の姿勢を変えることはできないと、多くの人がいっていますね。もしそうであれば、
それはなぜなのかということを考える必要がありますね。わたしたちは、そのひとつの
可能性をさぐっているところなのですね。

もしも変われない理由が強迫神経症であれば、変わるのはむつかしいにしても、和解の
道をさぐる手がかりにはなるはずですね。なんらかの予測を立ててみて和解の可能性を
さぐるということが、今は必要なのではないかと思います。

1087「訊け」管理人:2011/09/14(水) 16:30:12 ID:UodBcqiE
>活動をやめれば、その瞬間に怖ろしい出来事に襲われる。そうした神経症的恐怖心から、
>日々のエコ活動を反復的にくり返すしかないという状況におかれているエコロジストが
>いるのではないか、ということなのですよね。

 なるほど・・・言われてみると、そのとおりかもしれませんね。
 って、突然の割り込み済みません。この話ですけど、言われるまで
気づけませんでしたんで、小感動してます。

>もしも変われない理由が強迫神経症であれば、変わるのはむつかしいにしても、和解の
>道をさぐる手がかりにはなるはずですね。


 まあ「言わずもがな」な話しですが・・・かの〝本流掲示板的なるもの〟
ですけど・・・恐怖心なんですよね。でも(割り込んで申し訳ないですが)
彼らの恐怖心って、なんでしょうね?なにに対して恐怖しているんだろう・・・
それが判らないんですよね。
 少なくとも雅春先生の「御教えを破る恐怖」ですが、これは感じていない気
がします。だけど毎度の過剰反応でしょ?ホント、なにを怯えているんだろう
かな・・・

 あっこれ、スルーで結構なネタですんで念のため(笑)

追伸

 やっぱあれですかね?「身内からの評価」・・・これ(だけ)が彼らの行動
基準なんでしょうかね?繰り返しですけどたとえば、天地一切との和解ですが
彼ら、破ってもテンデ平気ですもんね。あれはホント、不思議・・・

1088初心者:2011/09/14(水) 16:47:08 ID:4IaAZAME
「ピン止め」についてもひとこと書いておくことにいたします。

言葉というのは、他の言葉との関係で意味らしきものがきまる、ということは
すでに述べたとおりです。シニフィアンの暴走は、こうした関係性が恣意的に
運用されることによっておきてくる、ということがいえるはずですね。

シニフィアンどうしの関係性を制限することで、恣意的な運用に歯止めを
かけることができれば、シニフィアンの流動化を最低限に抑えることができますね。
定義するということは、そのひとつの方法ですね。あとは、定義するという
ほどではないにしても、自分がもちいる言葉と言葉の関係性を意識的に
制限できれば、それだけでも恣意的な運用をふせぐことにつながると思います。

定義とはなにかというと、これは、シニフィアンをシニフィエに固定することで、
ピン止めにしようというのではなくて、シニフィアンどうしの関係を固定する
ことによって、シニフィアンをピン止めにしてしまうということですね。

1089初心者:2011/09/14(水) 16:51:24 ID:4IaAZAME
訊け管理人さま

本流掲示板の人々の恐怖心については、#1081の記事にて、そのさわりの部分に
ふれておりますので、参考になさってくださいませ。

1090義春:2011/09/14(水) 16:53:29 ID:iu5Ar./Q
初心者さま
 いえいえ、ここを御覧の皆様にも、もっと話に加わって頂ける様に
と思って書かせて頂きました。
 それで、もう1つ忘れていました。
八百比丘尼姐さまへの講義ノートの辺りをすっ飛ばしていました。
雅宣先生=唯物思想の唯物思想の元である
唯物論の無効化のところは大事なところですので、もう少し書かせて頂きます。
レスのお返事はそれからでおねがいします。

 ソシュール、スイスの言語学者
フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure, 1857-1913)
は、言葉というものの変化が進歩や発展によるものではなく、
単に社会的な取り決めであるというものを明らかにしました。
言うなれば、マルクス主義は歴史の全てを発展・進歩による…
つまり、歴史というものは社会階級の闘争により、進歩発展してきたという
というところからの視点から観ていくものであろうと思いますが、それは言語の上からも
ナンセンスな手法であるというのを明らかにした…
 つまり、唯物思想の根拠であるマルクス主義、唯物論は物の見方として
意味を成さないということになったのだと私は感じます。
 
 だから、そもそも、葵先生は唯物思想の言葉のピン止めをしてないから
より質が悪いのですが、その様に既に唯物思想自体がナンセンスというものだった、
だから、雅宣先生をその点から批判するのは、そもそも原点がなっていないとも言える…
という事になろうかと思います。
 
 そして、そのマルクス主義なんて、今の私達、若い世代からすれば
マルクス主義を体現したスターリンや毛沢東により悪い印象しかありません。
詳しくは共産主義黒書とかにありますでしょうが、彼等により億単位の人が亡くなっています。

 そして、雅春先生の御在世の折りと違い、ソビエト崩壊等により、彼等の思想は、
政治の上でもナンセンスとされています。今の中国は、毛沢東の定めた国是を
破棄し、自分達の利権を守る為に資本主義を取り入れているので、また違った存在ともいえます。
まぁ…国を食い潰して、膨張していかないと自分達の利権を守れないから膨張主義を
取っているので、これはロシアや韓国ともども気をつけていかないといけないと私は思いますが…。

1091義春:2011/09/14(水) 16:56:16 ID:iu5Ar./Q
ちなみソシュールについての参考ページはこちらです。
ソシュールの言語論(シニフィエ・シニフィアン)と構造主義
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/es001/language.html

1092「訊け」管理人:2011/09/14(水) 17:04:05 ID:UodBcqiE
>>初心者さま

 ありがとうございます。
 一応、拝読しております。その上でのひとり言でありました。

1093義春:2011/09/14(水) 17:42:29 ID:iu5Ar./Q
>1086
初心者さま
 成る程…本当に地球が終わるという恐怖心…それは本当に在り得ますね。
恐らく、過激派のエコロジストとなると、そんな心理状態となっていそうですね。
そこは気がつきませんでした。

 現教団の姿勢が変わらない、その原因はハッキリさせていくのは、
これからの事を考えれば必要な事かと存じます。エコロジーという
ロゴスからエコソフィアへにシフトしていければ…和解もなっていくのでは
と思うのですが…。言葉足らずで申し訳なく思っていますが、頭が一寸ショート
しております…。数時間休みます。

1094初心者:2011/09/14(水) 18:34:21 ID:4IaAZAME
義春さん

頭がショートするまで、ご苦労をおかけいたしました。義春さんのデータ処理の
能力は一級品でありますので、これからも利用させていただきますよ。

生長の家も、いよいよソシュールの洗礼を受けるべきときがきたのでしょうか。
もしもソシュールがまじめに取り上げられれば、教義およびその周辺に大地殻変動が
起きる可能性がありますね。もちろん、そうなる前に、「ソシュールは頭脳知であり、迷い
である」という口実のもとに全否定されるでありましょうね。変われないのは、総裁先生だけ
なのでしょうか。

1095義春:2011/09/14(水) 20:59:03 ID:iu5Ar./Q
初心者さま
 お褒めに預かり、光栄であります。
いくらでもご利用下さい。全力で頑張ります。
ただ、身体が、母曰くに『大腸の設計ミスったw』というポンコツなので、
時々メンテナンスが必要ですw
(お母さんには本当に苦しい想いをさせてしまって申し訳ないなと想うのですけど)

 ソシュールの洗礼を受けましたら、教義やその周辺の大地殻変動が起きるかもとの事ですが…
…何と申し上げますか、語弊があるかもしれませんが、私は雅春先生の願われて事が
一つ叶ったとも言えるのではないかと想うのです。

 むしろ、ずっとそのままで永遠に唯物論や唯物思想、それからソビエトが
崩壊してなかった方が、どれだけ悲しまれただろうか…という方に私は想うのですね。
 
 また、頭脳知という言葉は、言葉の定義づけがされていませんから、どの様な
言葉にも適用可能かもしれません。それこそ、著者を隠して雅春先生の御文章を
出しても、雅春先生の御言葉を以て雅春先生を否定するなんて、滅茶苦茶な
事も起きかねません。

 だから、先ず、『頭脳知』・『迷い』とは何を指すかを言葉の定義づけをされれば良いのでは?
と想います。そうすれば、雅宣先生の仰る事の全否定はなくなると想います。

1096<削除>:<削除>
<削除>

1097初心者:2011/09/15(木) 08:40:06 ID:4IaAZAME
義春さんも気づいておられるように、雅春先生はシニフィアンを暴走させてしまいました。
シニフィアンの力を無制限に行使することで読み手の心情に訴える。こうした手法を多用
されていたように思います。

その結果、教団内部でシニフィアンの暴走が常態化し、シニフィアンを暴走させることで
真理を語り、悟りの感覚を得るという手法がまかりとおるようになりました。本流掲示板では
こうした手法が日常的にもちいられているように感じます。

シニフィアンの暴走は、本流掲示板の生命線です。書き手の多くが、シニフィアンを暴走させ
ることでなにかを表現した気になり、気持ちの高揚感を味わおうとしています。

本流掲示板の書き手の目的は、脳内でエンドルフィンやアドレナリンを分泌させることなのです。
シニフィアンを暴走させることで、脳内物質の過剰な分泌をうながしたいだけなのですね。

「雅春先生」や「生命の實相」はシニフィアンです。こうしたシニフィアンによって、脳内物質が
分泌されます。その快感を得るために、あの人たちは書きつづけています。

シニフィアンの暴走が禁止されると、あの人たちはなにもできなくなってしまいます。真理の
表現手段をうしない、悟りの感覚は消え去ります。

「無葛藤派」にとっての最大の脅威は、シニフィアンの暴走を抑制しているかにも見える
総裁先生です。「無葛藤派」の生命線は、スキゾフレニックなシニフィアンの暴走です。
これに立ちはだかるのが、総裁先生によるパラノイア的構築です。スキゾフレニックな暴走が、
パラノイア的構築によって疎外されようとしている。これが、今ある対立の真相であるような
気がします。

もしよろしければ、脳内物質にかんする感想など、お聞かせください。

それにしても、シニフィアンの暴走をこれだけ批判されても、本流掲示板はなにひとつとして
変わろうとしませんね。批判を受けつけない。そういう体質の人たちなのでしょうね。
そうした人たちが、総裁先生だけを変えようとして、それが無理だとわかり、やめさせようと
しています。変われない人たちが変われない人を批判する。なんでこんなバカげたことが、
白昼堂々とおこなわれているのでしょうか。


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