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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 3
1041
:
初心者
:2011/09/07(水) 18:14:07 ID:4IaAZAME
義春さん
わたしの理想は、教団がエコソフィアの概念を明確化して、エコロジーではなく、
エコソフィアを前面に押し立てた環境活動を展開してくれることでありますね。
そうなれば、神経症的な症状からは脱出できるだろうし、それなりの評価もなされる
だろうと考えるのですね。ただ、ロゴスを手放せるか。これが問題なのですね。
ロゴスは世界を構造化する。そうですね。構造主義の立場から義春さんはいっておられる
のですね。ロゴスが成し遂げたのは、シニフィアンによる、世界の構造化であるとともに、
科学技術による体制化でもあるはずです。
おそらく、先進国の人々は、すでにこの体制に組み込まれ、先進技術のキャッチアップを
めざしている国の人々も、体制に組み込まれつつあるといってよいのだろうと思います。
体制に組する人たちからすれば、反体制側の人々は敵に見えますね。しかし、そうした人々は、
もしかしたら味方であるのかもしれないのに、そういうことさえも考えられないほどに、
ロゴスによって構造化された世界になじみ、体制に順応している人々が、あまりに多くいすぎる
ということなのでしょうね。
問題は、ロゴスはどのように世界を構造化してみせたのか、ということであるようですね。
このあたりについては、これまで考えたことがありません。しかしですね、シニフィアンが
流動的であるように、ロゴスによって構造化された世界が流動体であるのはたしかなこと
だろうと思います。
おそらく、義春さんがいう「構造化された世界」とは、わたくしがいつもいっている「大文字の
他者」であろうと思います。なんとなくイメージが広がってきました。しばらく考えてみることに
いたします。
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