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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 3
1083
:
義春
:2011/09/14(水) 14:45:43 ID:iu5Ar./Q
初心者さま
話が進んできましたので、一度、まとめながら書かせて頂きますね。
色々考えつつ書いていますが、行き届かない点はご指導、ご鞭撻下されればと思います。
まず、環境偏重になっている「本部」は、エコロジーという実態のない、
人間の都合の良いように解釈された自然を保護するというロゴス(人間の浅知恵)
によって支配されています。
それはロゴスの暴走(イメージ先行で言葉が実態から乖離する事)を起こしています。
その為、暴走を止めない為に反復しないといけない強迫神経症にかかっている…ということになります。
何故、暴走を止められないかというと、言葉に中身が無いので、止めた瞬間に
それが露わになってしまう…。
それであるから、教団はエコロジーという、人間の都合の良いものでない、本来の自然、
エコソフィア(自然主体の保護)にしていかないといけない。
それに対して、初心者さまの仰るところの「無葛藤派」は「実相独在」
つまり復興G様のトーキングステックの>144から引用させて頂くと、
「実相独在」とは、「現象無し」つまり人間の五官、眼耳鼻舌身でだれでも認識できる
五感の世界を「ない」と否定して、それを超えたものを全生命的に把握する
というものであるのに、雅宣先生は、その5感で知覚できないものである実相を
科学的に話そうとする、それは5感で知覚出来ないものを知覚しようとする、
つまり人間知で考えている事になるから虚説になる。
付け加えるなら科学的に説くのと、人間知と虚説はイコールではないという事です。
そもそも、虚説というものの実態を定義づけてないから、イメージとイメージの
抽象的つながり、それは恣意的な関係になってしまい、論者の都合の良い様に
使われてしまう事になる。それが結局、他者に自分の求めるものを求める事で
あるからヒステリーになってしまう。
何故、それが起こるのかと申し上げますと、言葉のピン止めをされないまま
なので、暴走を起こしやすく、そこに雅宣先生が全く違う視点から教えを説くので、
違和感を感じて焦っていらっしゃるのではないかと思います。
まぁ…葵先生におかれましては座禅でも組まれて、実相独在や虚説という言葉に
向き合われればと私は思いますが…。
そして、言葉の定義、ピン止めをされるべきだと思います。
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