今日は八月五日で霧島神宮の六月灯の祭日であり、大石段の上から神殿まで続く玉砂利の道に沿って、手書きの絵で装飾した数百の四角い大きな紙燈篭が並び、最後には恒例の打ち上げ花火の放列でフィナーレになるというので、十三夜の月を見上げながら木立に囲まれて歩いた。神殿と御神木の間には御手洗の泉が湧き出し、社会人として踏み出した頃を思い出して、水で始まって水に戻る人生を歩んだ生涯を実感させられた。
留学生活の概要については『山岳誌』の補説で触れたが、学位を取ってから社会人になるにあたっては、これだけ素晴らしい機構とソフトを誇っている、水のシンクタンクを持つ会社に就職したく、全力を上げて努力してみたが困難だった。当時の日本は経済的に躍進していたが、鉄鋼や造船などの重工業の基礎作りを終え、オリンピック競技場や新幹線を作った程度で、ヨーロッパでは未だ実力を評価されずに、物真似をする国という評価が強かった。だから、今から思うと嘘のようで信じるのも難しいが、日本人の私を雇えば大事なノウハウを盗まれ、真似されて輸出攻勢されるだけだという、今の日本人が中国に対して考えているのと同じ、偏見と蔑視が50年前には支配していた。当然のことで日本人の私は警戒されて、このシンクタンクに入るのは難しかったが、プレオリンピックには選手になったし、冬季オリンピックはグルノーブル市のアタッシェを体験して、ヨーロッパの貴族に親しくした関係で、彼らや市長に後押ししてもらうことが出来た。その辺のことは「Mountains of Dreams」に触れたが、ヨーロッパでは人脈の影響が強烈だから、彼らのお墨付きで日本人不信を払拭し、やっとその組織に受け入れてもらえた。だが、ダムの設計のシュミレーションをしていた、肝心の研究部門に配属されるという希望は叶わずに、中東計画という部門に回されてしまい、促成でサウジの地質構造と地層について訓練され、現場主任ということで現地派遣になった。
当時のサウジは未だ石油大国ではなく、公式には鎖国状態をしていた関係で、外国人が自由に訪れることはほとんど不可能だし、私の身元保証人は農業大臣であり、入国と同時にパスポートは大臣預かりだから、一種の人質になったような状態だった。名君のファイサル国王は国民が欲しいのだが、遊牧民は季節ごとに移動する生活で、それを定着させるには水が決めてであり、農業化が重要な国策になっていた。そこで国土改造計画が始まったのであり、サウジにとって水資源はとても重要だから、アラビア半島輪七つの地区に割り振って、国土の部分的な緑化に取り組むことになった。そして、数年前にリャドの北西数百キロの場所で、素晴らしい水を大量に掘り当てるのに成功して、当時のレベルでも世界最大だった、56インチ口径のパイプラインをリャドまで建設し、それで首都の水を確保する提案になった。そうしたら、ファイサル国王が「われわれにはアラーがついている。この町の地下から水を掘り出せ」と言い、国王がアラーを持ち出した以上は、反対することができない状況になる。地質学的には帯水層が発達している地区は限られており、リャドの地下には分布していないが、13世紀の社会である封建王国のサウジにおいて、王様の信念に反対できる人間はいない。そこでビジネスとしての事業の推進が開始になり、「Riyadh deep Well Project」が動き出して、私がその現場主任として派遣されたという次第で、思いもかけない体験をすることになった。現在のところ落ち着いているこの霧島は水が豊かで、火山灰のシラスで濾過したミネラルに富む湧水は、霧島神社が鎮座する安山岩の割れ目から奔流になって誕生し、サウジの地下水とはまったく異なる水質であり、水との縁を思うと人生の持つ連環の醍醐味が、ここにメビウスの帯として繋がる妙味を堪能せざるを得ない。明日は八月六日で広島における原爆記念日で、カンボジアに住む娘のレミの誕生日に当たる日でもあるが、日本列島はフクシマ原発の爆発による放射能に包まれ、暴政による不始末で亡国の運命が支配するのに、国民は真相を知らないで放置された状態にある。かつて石油危機の襲来を予告したことによって、「狼少年」扱いされて気違い扱いされたことがあるが、放射能亡国を言えばその再現になるのだろうか。