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3.11以降の世界と現代文明のゆくえ

1管理人:2011/06/30(木) 02:12:08
継続中の東電福島第一原発の核生成物質漏洩事故は、人類史上に残る大事件であろう。
折しも世界は大きな転換期に入っており、今回の日本の原発事故の原因・推移・影響をふまえながら、それが今後の世界の歴史展開や文明のゆくえの大勢とどう関係するかを考察し、意見を交わすことは意義深いのではないかと考えます。

スレッド【福島原発設備と安全率】にて藤原さんが貼り付けで再録されたニューリーダの文章の最後の部分は、日本の原発事故と地球史・文明史の関係、またこれからの新たな世界の流れに対する深い洞察に満ちているものであるので、
ここに、【3.11以降の世界と文明】と広がりのあるスレッドタイトルにして、知的レベルの高い会話の場としたいと思いますので皆様よろしくお願いします。

>私が過去に書いた本を読めば明白ですが、原発の危険性については35年前からダメだと主張しており、それはプルトニウムの半減期が24,000年で、文明の歴史の五倍もある以上は始末に負えない。また、エネルギーをグロスではなくネットで考えれば、原子力発電は安くないという理由です。
しかも、無限の自然に対して有限の人間の判断が、ほとんど役に立たない人は地球の歴史を知るので、私には津波や自身の基準値などは役人向けの気休めです。
それに関しては「ニューリーダー」の記事の最後の部分を参考までに貼り付けます。ただし、これは入稿のオリジナル原稿で、活字になったものは大事な部分を削られており、編集長のレベルあるいは読者のレベルになっているので、せっかく私がヨーロッパで教養として交換される、知的な会話の雰囲気が消えているのは残念です。
<貼りつけ記事>藤原: すこし補足しましょう。核爆発による放射能の危険性では、原発も原子力空母も同じように危ない。また、原発の歴史を研究すれば原子力潜水艦が、発電用に使った装置を陸上で使い、原発に発展したというプロセスが分かる。しかも、今回の津波で冷却ポンプが機能せず、想定外という言葉が逃げ口上に使われたが、貞観地震(869年)やチリ地震の時には、30m以上の津波が襲った記録があります。
岡田: 想定値よりもあるかに大きいですね。
藤原: しかも、白亜紀末に恐竜やアンモナイトが絶滅した、ユカタン半島の隕石落下の時の記録だと、巨大津波は300mを越える巨大なものだったから、想定外というのは逃げ口上でした。阪神大震災の直後に本誌で活字にした、『サイエンス軽視が日本を亡ぼす』と題した記事で、私は天災が人災になった経過を指摘したが、今回の3・11地震による原発の爆発事故も、サイエンス軽視による悲劇の典型です。
岡田: 地震や津波による猛烈な被害との関連で指摘したいのですが、18世紀の半ばにあったリスボン地震で、大津波被害が致命的だったために、ポルトガル植民帝国が没落したといわれています。
藤原: リスボン地震の発生した同じ日に、マリー・アントワネットがウィーンで生まれているが、ポルトガルの凋落は規定の事実でした。だが、リスボン地震の当時に覇権国として君臨した、フランスとオーストリアの二大王国の没落と終焉が、フランス革命と第一次世界大戦によって、決定づけられた世界史の教訓がある。だから、津波で大被害を受けた当事国は、ポルトガルでも日本でも凋落傾向を継続するが、その周辺で超大国を競い合った覇権国の方が、かえって激動の渦に巻き込まれた教訓は貴重です。<

4西條謙太郎:2011/06/30(木) 05:26:12
藤原さんによる、3・11地震による原発の爆発事故はサイエンス軽視による悲劇の典型であるという指摘と、津波被災国の凋落と周辺の覇権国の没落・終焉の歴史教訓の指摘は、極めて重要な示唆に富んでいるものと考えます。

前者については、1万年足らずの文明の歴史のなかで人類の基本的性向はさほど進化していないのに、サイエンスとテクノロジーが急速に進歩したため、サイエンス軽視とテクノロジー偏重に陥り、結果的にテクノロジーに振り回されている状況ではないかと思います。

また、後者については、今回の原発災害が、積年の財政問題や官主主義システムの跋扈により凋落してきた日本の破綻を決定的なものとし、さらには、その日本の破綻が、2008年末の西欧諸国のバブル崩壊から続く西側先進諸国の財政の行き詰まり、ドルの限界という基軸通貨体制問題及び、今後顕在化してくる中国をはじめとする新興国バブルの崩壊および諸資源枯渇の現実化の流れと合流することで、世界金融システムの極端な不安定化と米国一極システムの終焉、全世界的な社会システムの動揺、中東やアジアを中心する地政学イベントの続発という新たな不安定時代の端緒を開く契機となるのではないかと考えています。

5千々松 健:2011/06/30(木) 16:09:55
この際、大学の理学部と工学部の差異に注目する必要がありそうだ。
前者は科学を後者は技術を学ぶことが基本となる。サイエンス(科学)とテクノロジー(技術)は一連のものではなく、分離して考えるコトが大切であり、理工学部というのは二兎を追うものであり感心しない。科学技術研究所なども科学研究所、技術センターと分離するか、せめて科学・技術研究所とすべきだろう。
サイエンス軽視の風潮はフクシマ原発事故をもたらしたと言えるし、或る一定の枠の中でしか思考しないという技術屋の限界が示されてしまった。
サイエンスは奥の深いものであり、「既知のものから未知のコトを考えたり、未知のコトから既知のものを考えたり」特に自然科学分野は観察と実験をベースにした基本的な人材教育がなされるべきと思う。
そして今は、数学・物理学・生物学・地学・化学、、全ての自然科学を通じて一段階上の共通項を探る「メタサイエンス」の進化が期待されるのです。

6千々松 健:2011/06/30(木) 22:26:45
【オイラーの多面体定理:頂点の数+面の数−辺の数=2】
とテオンの数列【-363,-120,-39,-12,-3,0,1,2,5,14,41,122,365】の特徴の一つである1を中心軸にした場合のマイナスとプラス方向の対称位置同士の合計数が常に2となることとの関連については、何か不思議な関係が在りそうです。
ダイヤモンドのシュトーレンカットの創始者である首藤氏は、そのあたりを研究され既に何かを掴んでいたはずですが、数年前に早世されてしまい残念です。

7知恵蔵:2011/07/03(日) 16:14:23
藤原先生の本を読めば、原発ではなく水素ガスこそが21世紀の基本エネルギーであるべきことが分かる。
この度の災難に対し、ロシアが大量に輸出してくれたのは朗報である。外交下手の日本の政治家、官僚はエネルギー戦略に
伴う外交の多角化を嫌うせいなのか、自前で賄える原発に過度に依存してきたように思える。
役人やメディア、御用学者は汚れた利権で結ばれた原発カルトと化してしまい、この期に及んでも代替エネルギーに関して狂信的に否定する。
ただもし東シナ海で油田が発見されれば、日本のエネルギー、さらには外交戦略も大きく変化せざるかもしれない。

8asa:2011/07/23(土) 15:16:25
初めて書き込みをします。
福島原発事故発生により、原子力発電そのものが如何に危険なものであるか、
そして、原発により放射性廃棄物や使用済み核燃料の処理についても莫大な
費用と時間も掛かることにも考慮すれば、菅総理の個人的な思いつきに過ぎない
とは言え、「将来が原発に頼らずとも、やっていける社会にする」と言う脱原発
依存の方向性そのものは正しいものと考えます。
そもそも日本経済は急成長することは期待出来ないし、GDPで中国に追い抜かれた
ことも大したことでは無いと思っております。
だとすれば、日本経済はダウンサイジング化と言うことで、「より小さくより賢くより
スマートに」と言うことで、農業や環境、観光と社会福祉等を中心に雇用拡大や人材育成
に大いに力を入れて行き、少しでも節電や節約をして資源エネルギーや食糧輸入の大幅な
削減により、貿易黒字が維持出来る程度の規模まで生産規模を縮小して、海外でも生産が
可能な分野については、幾らでも追い出しても良いのでは無いかとも考えられます。
最後に、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加については、賛成ではあるのですが、
国内農業への影響にも考慮すれば、大企業に対しては法人実効税率を80%に引き上げて
ただ荒稼ぎすることしか考えていない大企業なら、「どうぞご勝手に」と言うことで、
幾らでも追い出して勝負させても良いのでは無いかとも考えられます。
また、これまで原発推進してきた特殊法人等で溜め込んだお金は、被災者の救済と財政赤字
の削減のために使い、その後で使用済み核燃料や放射性廃棄物の管理と不要となった原発施設
そのものを冷温停止から完全な屍状態にするための維持管理のために使って行くしか無いので
は無いでしょうか。
使用済み核燃料については、取り出して再利用可能な状態になれば、それを必要とするアメリカ
やフランス、中国をはじめベトナムやトルコ等への原発の安全性向上のための技術協力と併せて
提供してあげること位は出来れば、少しでも日本の国益に繋がるのでは無いかと思います。

小職も、仮に日本が外国に攻撃されることがあるとすれば、核兵器や大量破壊兵器なんかわざわざ
仕様することは無いと思います。
そんなことするよりは、何処かの国の自爆テロリストでも雇い入れて、日本国内で稼働中の原発施設
の何処かに特攻隊でもやらせて、原子炉を破壊して大量の放射能を撒き散らして、後は知らないふり
でもしてしまえば良いだけのことですから。
最も特攻隊により勝手に死んで行った連中なんかは自己責任以外の何ものでもないことは当然のこと
ですが。
逆に日本人として、こんな物騒な原発と無理心中なんかすることになってはいい迷惑でしかありません
から。
逆に、もし仮に小職が自衛隊員なら、今回のような大震災等により被災された方々を助けるために幾ら
でも任務を全うすることに誇りを持って対応します。
だが、時には危険なところのも行かなければならないことは想定しており、そのために厳しい訓練も必要
であると思いますが、仮に自分の命が犠牲になることがあったとしても、靖国神社にだけは絶対に慰霊なん
かされたくはありません。
また、これに代わる場所でも追悼されたくありませんから。
勝手に慰霊でもされたら、そういう連中に対して、「ふざけるな、この日本軍の大馬鹿野郎、おまえらこそ
日本からとっとと出て行け」と言う物凄い怒りをぶつけるしかありませんから。
そうでなければ、かつての戦争で犠牲になられた方々に申しわけありませんから。
そんなことされる位なら、何と言われても構いませんが、そっと静かに忘れ去られても、この国で暮らす全ての
人達が、安定した社会の中で幸福に穏やかに暮らせることが出来れば本望でもあり、惜しくはありませんから。

9西條:2011/08/20(土) 09:05:27
Australia’s CBS exposed the “unspeakable” realities of the Fukushima catastrophe in its 60 Minutes program.
http://t.co/aE0qUWc

11No Lifeguards on Duty.:2011/11/30(水) 15:54:36
参考資料

サバイバルデザイン 須永豪氏作製 印刷・配布、自由(A3サイズ)

原発不要の理由を3分で伝える資料:
http://www.sunaga.org/works/img/311t/311t.pdf

汚染地で「30人学級で36人の子が病気」
http://www.sunaga.org/works/img/help/help.pdf

12藤原肇:2012/07/16(月) 21:43:38
霧島神宮に参拝した時に宮司さんから聞いた話では、神社の入り口周辺の立ち木が討伐によって荒され、神域を破壊した不心得者が跋扈しているようだ。犯人は誰かはまだ分からないらしいが、江戸っ子として私の故郷である東京の例で、何となく相似象として感じることがあった。それは湘南の太陽族の成れの果てが都知事になり、千葉の泥鰌堀の芋っ子男が首相として、官邸の密室に陣取り売国行為を演じる現状から、国立公園第一号の霧島の聖域が陵辱され、どこかの悪党に荒された背景を顕示する必要がある。
偶然だが手元に雑誌記事のコピーがあったので、『財界にっぽん』2011年10月号に掲載された、「天災を人災にする権力者の欲望と暴政」と題した記事を渡し、次のような言葉をパロディー風に宮司に伝えた。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai111001.html

「風俗小説家だった日没太陽族の単細胞知事が、身の程もわきまえずに国政を掻き回すために、尖閣列島をと都有地にしようと妄動しています。そのために都政より国政に都税を使いたいバカ者の追従者たちが、尖閣列島に渡るイカダを作ろうとして、霧島神社の神域の木を伐採した可能性があります。東京と大阪はニヒリストの首長たちに支配され、日本の運命は危ういという声が伝わってきて、神殿でかしわ手を打つ時に共振していました。また、日本のメディアは狂っているために真実を報道しないが、沖縄と鹿児島は戦場になるための工作で、支離滅裂な暴政の餌食になりかけている。国民は隠されて知らない数隻の航空母艦があり、海上自衛隊が保有して沖縄に配備されているが、アメリカが持ち込もうとしている垂直離着機のオスプレイは、この偽装航空母艦に配備するのであると、先ほど神社に参詣して手を合わせたときに、不思議な声でお告げを受けましたが、霧島神社には不思議な雰囲気がありますね」
こんなことを私の口が伝えたのを聞いて、最初は怪訝な表情をしていた宮司だったが、そのうちしたり顔で「ここではそういうことが良くあります」といったのであり、これが海の日の休日に霧島神宮で私に起こった体験談である。

13村山:2012/07/17(火) 22:03:22
藤原先生が霧島神社に参拝されたことを知り、何か不思議な因縁とでも言うか、地震などの天の異常現象が続発している日本にとって、重要な意味合いがありそうに思えます。
これまで一度も耳にしたことがありませんが、海上自衛隊が航空母艦を持っていたなどと言う事は驚きで、言う言葉がないほどです。
それも毎日の新聞の一面を賑わせているオスプレイと言う名の飛行機が、岩国基地や沖縄基地の海兵隊用では無くて、自衛隊の航空母艦の為なのに、嘘の情報操作で誤魔化されているとはショックです。
何と言う恐ろしい企みを日本とアメリカの政府は企んでいるのかと思うと、腹立たしい事まったく言いようがないほどです。

14一目山隋徳寺:2012/07/17(火) 22:41:01
ひゅうが型護衛艦 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%8C%E5%9E%8B%E8%AD%B7%E8%A1%9B%E8%89%A6
「ジョージ・ワシントン」と並走する「ひゅうが」の写真あり

動画:護衛艦ひゅうが:日米共同演習 KeenSword2010 DDH"HYUGA"
http://www.youtube.com/watch?v=uq9PPPJktLM&feature=related

15一目山隋徳寺:2012/07/17(火) 23:25:27

バトルシップ 劇場公開日 2012年4月13日

ユニバーサル映画100周年記念作 製作費2億ドル
解説
「キングダム 見えざる敵」「ハンコック」のピーター・バーグ監督が手がけ、エイリアンの侵略部隊と各国の連合艦隊が洋上で激闘を繰り広げる姿を描くアクション大作。ハワイ沖の太平洋上で大規模な軍事演習を行っていた、アメリカを中心とした世界各国の護衛艦隊の前に、突如として正体不明のエイリアンの母船が出現。地球側の呼びかけ応じることなく、侵略を始める。演習に参加していた米海軍の新人将校アレックスや、アレックスがライバル心を抱いている海上自衛隊の指揮官ナガタらは、弱点もわからない謎の侵略者と相対することになる。主演は「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」の新鋭テイラー・キッチュ。ナガタを演じる浅野忠信は、「マイティ・ソー」に続くハリウッド映画出演。

映画 『バトルシップ』 日本の海上自衛隊が大活躍!→ 韓国ネチズン
不満爆発「旭日旗」 なんか出すな!
http://jin115.com/archives/51863422.html

Battleship Trailer 2012:
http://www.youtube.com/watch?v=wjUsm4yCTl8
http://youtu.be/KWafZrKTs_4

16一目山隋徳寺:2012/07/17(火) 23:32:31
邱永漢氏(88歳) 5月16日(水)心不全で死去: 最期の言葉  「これからアジアの国々は酷い目にあう。大変な事になるだろう。でも、それも面白いね。」

17ABC:2012/07/18(水) 06:59:14
飯山さんのサイトに鹿児島県の種子島や馬毛島や沖縄などに、ミサイル基地が着々と建設されていることが報告されている。
それは日本と中国が戦争をする仕掛けであるし、鹿児島や沖縄が戦場になることによって日米の防衛産業が繁栄することを狙っているらしい。

18ABC:2012/07/18(水) 07:01:17
飯山さんのサイトの記事は以下の通り。
◆2012/03/31(奴) 猪血を虎れる鴨
鹿児島県民がどんなに反対しようとも、鹿児島の軍事基地化は既定
の路線! と書いたら、多くの方々からお叱りをいただいた。

グルンバの工事で忙しかったので、鷲は、ロクな説明ができなかった。
ご免なさい。

しかし、駄目なものは駄目なのだ。日本は民主主義の国ではない!
ので、国民がどんなに反対しても駄目なのだ。

日米安保条約から始まって、小選挙区制も、消費税も、沖縄も、原発も
国民がどんなに反対しても、「お上」が決めたことは通ってしまうのだ。

今回の種子島や馬毛島の軍事基地化だって同じだ。
馬毛島が米空母艦載機部隊による離着陸訓練(FCLP)の基地になる
ことは、日米両政府の合意事項として合意文書に明記されているのだ。
だから、国民や鹿児島県民がどんなに反対しようとも、「お上」は決めた
ことを、国民や鹿児島県民の意向などお構いなしに粛々と実行する。

実際に、コトは粛々と実行されている。
馬毛島には、米空母艦載機の離着陸訓練(FCLP)用の滑走路が完成
間近だし、この違法行為を鹿児島県知事は故意に見逃してきた。
種子島には韓国の(軍事用の)人工衛星が搬入されて、その発射準備
が着々と進んでいる。
マスコミは、北朝鮮のミサイル発射を攻撃するが、種子島からのミサイル
発射は見て見ぬふりだ。
このように、鹿児島県の軍事基地化は着々と、そして、粛々と進められて
いる。

しかし、上に書いたことは、ほんの序の口だ。
10兆円以上もの軍事予算を見込んだ大規模な軍事基地の築造絵図を、
日米の利権屋ロビーストたちは描いている。
軍事にカラんだ途方もない利権構造が鹿児島県を舞台にして生まれよう
としている。ようするに、軍事は儲かるのだ。

はたして、鹿児島県の地図上には、どんな絵図が描かれているのか?

猪血を虎れないよう、猫を噛む窮鼠(きゅうそ)の気持ちで書いていく所存。

19朝香隆彦:2012/07/18(水) 08:35:56
ひゅうが型護衛艦といえば22DDHや24DDHを忘れてはなりません。こちらが本丸ではないかと推察しております。

◎19500トン型護衛艦(ヘリコプター搭載護衛艦)
http://ja.wikipedia.org/wiki/19500%E3%83%88%E3%83%B3%E5%9E%8B%E8%AD%B7%E8%A1%9B%E8%89%A6

19500トン型護衛艦(19500トンがたごえいかん、JMSDF DDH 19500t class)は、海上自衛隊が取得計画中のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)である。1番艦が平成22年度(2010年度)予算で建造予定の護衛艦であるため、ヘリコプター護衛艦を意味する記号の「DDH」を付けて22DDHとの通称名でも呼ばれる。


◎海上自衛隊 22DDHの情報
http://www.youtube.com/watch?v=cNyXFx2bNHQ

20asa:2012/07/18(水) 10:13:01
航空母艦ぐらいは、自衛隊が持っていたとしても、何ら驚くことでは無いし
これが、原子力空母なら、日本列島から遠く離れたところで、勝手に爆発し
沈没してしまうだけのことなら、それで結構なことでは無いでしょうか。
日本経済は、どうせ急成長なんか期待出来ないのだし、産業競争力は衰退し
経済規模や成長率なんかで、他国と比較する様な愚かなことはせず、まともな
日本国民なら、わざと騙されたふりをして、韓国に対して、経済規模で追い抜き
たければ、どうぞ追い抜いて下さい。とでも言ってあげて、幾らでも喜んで敗北
してあげることで、国際社会の中でも存在感も低下させ、世界の中で、ただひっそり
と存続して行くことさえ出来れば、これだけで十分だと思うし、それが返って、日本
が、変な戦争に巻き込まれることも無くなることに繋がるし、国内社会は、幾らでも
ひっそりと静まり返った社会に変わって行くことで、変な騒ぎを引き起こす連中なんか
一人もいなくなるし、それで犯罪もへり、いじめや自殺も減り、生活保護受給者も減り
東京からは地方に幾らでも人口が流出していくことで、エネルギー需要の大幅な削減に
繋がると共に、地域経済の活性化を通じて、日本経済を共に支え合い、助け合い、分かち合い
ながら、資源や食糧等の輸入を減らし、その分を他国にどうぞ廻して上げて下さい。とでも言っ
てあげれば良いのだし、極めて良心的な中堅企業や中小企業を中心に、安定した収益や利益を確保
することが出来る様になることで、皆で喜んで利益に貢献してあげると共に、喜んで税金や社会保険料
を、幾らでもたくさん払ってあげることで社会に恩返しできることだけを大いに誇りとさえ出来れば良い
のだし、それでただひっそりと幸せに暮らせる社会となりさえすれば、もう此れほど喜ばしいことは無いし
、何も言うことは無いし、国際社会に対しても、決して恥ずかしいことでもないどころか、これこそが、
幾らでも高く評価される様になりさえすれば、此れほど素晴らしいことは無いし、何も言うことはござい
ませんよね。
まともな日本人なら、愛国心というものがあれば、これぐらい出来て当然のことだと思えば、それが出来ない
連中こそ、幾らでも日本人とは一切切り離してしまえば、それこそ騙されたふりをして、そういう馬鹿な連中
を、幾らでも海外に売り飛ばすための外交カードに利用しても良いのだし、ここまでしなくても、何処か人目の
付かないところで、そっと静かに生きて行かれるのなら、それで良いのだし、生きて行けないのなら、そっと静かに
集団自殺でもさせて、そのまま滅びて下さい、と言ってあげるしか無いのは、自明のことでしか無いのは、悲しいこと
でしかありませんが、これを幾らでも乗り越えて行くことで、日本が幾らでも良くなるのなら、避けては通れないこと
でもあるし、致し方無いのでは無いでしょうか。

21吉田春夫:2012/07/18(水) 16:35:18
福島の原発の大爆発で放射能汚染が進み、無知な日本国民は言論統制で知らないが、
アメリカさんは東京近辺から逃げてしまい、赤坂の米国大使館には人影がないらしい。
横須賀の海軍基地が使えなくなったので、米国海軍の航空母艦は佐世保に本拠地を移し、
その次はより安全な沖縄に移転する計画が進んでいるという話が伝わっている。
もちろん横田基地も座間基地も米軍はもぬけの殻で、首都防衛などというものはもはや存在しない。
次の余震で福島の第四号炉が崩壊すれば、東京も全滅でチャイナシンドロームになる。
中曽根と菅直人がその責任者だが、なぜ日本の報道界は犯罪者の告発をしないのか不思議である。

22藤原肇:2012/07/22(日) 07:41:07
夏の霧島では恒例の「霧島国際音楽祭」が開催され、今年は7月18日から8月5日にかけて、「雄大な自然と音楽のハーモニー」と題し、第33回目の音楽フェスティバルが行われる。数多くのコンサートが催されるだけでなく、ワークショップやマスタークラスが企画され、音楽愛好家たちに至福の体験を提供するが、その音楽監督はチェリストの堤剛さんである。
「神宮の森に響くチェロとピアノの癒しの音」と題して、7月21日の夕暮れの19時30分から霧島神宮で、ピアニストの仲道郁代とチェリストの長谷川陽子による、ショパンを中心にした「かがり火コンサート」が行われた。神楽堂に隣接して作られたコンサートステージに、黒塗りのコンサートピアノが据え付けられ、客席を囲んで燃え盛るかがり火に照らされて、「レオノーレ」序曲のファンファーレの響きで始まったが、トランペットの吹奏はアレクセイ・トカレフであり、ペテルブルグ交響楽団の主任トランペッターである。
続いて中島宮司の挨拶が演奏の前に行われたが、この日は朝から雨模様だったので心配していたのに、午後には雨が上がって無事にかがり火が燃え上がり会が無事に開かれ、天の思し召しとの感謝の気持を表示したのであり、この宮司には中曽根大震災の記事を差し上げていたので、不思議で神秘な星のめぐり合わせ下での再会になった。ピアノ演奏の観察の都合で選んだ座席は中列左側で、四抱えもあるヒノキの巨木が左前方に聳え立ち、この古木の前方でかがり火が燃えているので、その彼方にステージの奏者が位置している構図が、何とも神妙でそこが聖域だけにとても印象深かった。多くの物事が根元では一本にまとまって集まる現象として、ささら的な世界が広がっている寓意なのだろうか。

23千々松 健:2012/07/23(月) 16:34:49
先の吉田秀和さんを送る会では、バッハの「G線上のアリア」が水戸室内管弦楽団により演奏されました。私は水戸芸術館の方に参列したのですが、サントリーホールの方では小澤征爾氏が指揮されたそうです。
21日の霧島国際音楽祭の前夜祭でもこの曲が入っていたと思いますが、霧島神宮での篝火と巨木の聖域で奏でられた「G線上のアリア」は、どんなにか素敵だったことでしょう!

24千々松 健:2012/07/23(月) 16:35:55
先の吉田秀和さんを送る会では、バッハの「G線上のアリア」が水戸室内管弦楽団により演奏されました。私は水戸芸術館の方に参列したのですが、サントリーホールの方では小澤征爾氏が指揮されたそうです。
21日の霧島国際音楽祭の前夜祭でもこの曲が入っていたと思いますが、霧島神宮での篝火と巨木の聖域で奏でられた「G線上のアリア」は、どんなにか素敵だったことでしょう!

25藤原肇:2012/07/23(月) 21:34:46
バッハの「G線上のアリア」の響きは実に象徴的であり、朱色と白色で塗り分けられたコンサートステージの中で、黄金色のピアニストと青色のチェリストのドレスに、漆黒のピアノの色の組み合わせで五色が揃い、何とも心地よい配色の空間が生まれていた。それにしても、ショパン特集としてのこの夜のコンサートの曲目が、「エチュード」、「革命」、「別れの曲」、「英雄」、「ポロネーズ」と続いていく前に、まず「夜想曲」から始まったのは順当な選曲にしても、その次にバッハの「無伴奏チェロのための」シャコンヌが配置されていたのは、何というシンクロニシティかと思わず目と耳を疑ってしまった。そして、丸山真男先生の面影がかがり火の向こうに浮かび上がり、これこそ星のめぐり合わせかと呆然とした気分に支配された。
それにしても、現在の日本は国際化という世界の趨勢の中で、皇国史観の妄想に支配された政経塾内閣の狂信的な路線を支えるマスコミにより、国境という枠組の中で物事を考えるバカな政治家たちが、古臭い経済国家主義と領土観に基づき、尖閣列島だのオスプレイだのに熱を上げている。そして、日本中が混沌の中で閉塞感と劣等感の狂気に包まれ、領土だとか民族の血といった国粋感情の中に沈み込み、狂おしい執拗低音が日本列島を揺るがせている中で、鹿児島や沖縄が戦場になりかねない忌まわしい陰謀が進んでいる。亡国に向けてのパッソ・オスティナートの不吉な旋律が、中曽根バブルや中曽根大震災という不協和音の乱れとともに、北東アジア全域に放射能と入り混じって降り注いでおり、それが大地の唸りを呼び起こそうとしている。まさに、忌まわしい精神の古層が剥き出しになり、21世紀の時代に幕末現象の維新ブームが蘇っているが、あの世で切る山先生は何と嘆いているかと思った。
マグマ溜まりか上昇し爆発して地表に積もり、シラス台地を作った南九州の霧島に、日本の古層が剥き出しになった聖域に流れていく、パッソ・オスティナードには不順な響きはないのに、海を越えた沖縄や屋久島の周辺からは、胆に響く低音の唸りの波動が伝わってくる。日本のメディアと官僚は既得権を守るために、つい最近まで小沢いじめに熱を上げていた癖に、己の浅はかな虐め習性には目をつぶり、中学生のいじめ事件を騒ぎ立てているし、文部省にいじめ対策の部門を作るとかほざいているけれど、日本全体がいじめ国家であることを忘れている。そんなことが頭を掠めているうちに、幾度かのアンコールの後で演奏者が巫女さんから花束を受け、この夜の音楽界は終了して闇夜の石段を降り、温泉に入って身体のしこりを解きほぐしてから安眠したのである。

26千々松 健:2012/07/23(月) 22:26:53
>23と24がダブってしまい、申し訳ありません。
霧島国際音楽祭の音楽監督の堤剛氏は桐朋学園で吉田秀和らの育てた逸材です。その秀和は那智大社の宮司の末っ子で生まれていたらしいから、きっと神聖なる感覚を持っていたに違いないと思う。本日のNHKのクローズアップ現代でも秀和が取り上げられていたが「自分で考えるコトの大切さ」と、最晩年に遭遇した原発事故からのショックも大きく「この国は病んでいる」という自筆原稿のコトバは身につまされる想いがした。
さて地図上では、霧島神宮・熊野那智大社・鹿島神社を結ぶ線がほぼ一直線上に並んでいて、かつ等間隔です。鹿島神社のある常陸の国(茨城県)は日本の原発発祥の地であるので、新県人としては一度はこの鹿島神宮に参拝しなければならないと思う。

27David 見城:2012/07/24(火) 07:09:46
夏の夜に、霧島神宮の薪能ならぬ「かがり火コンサート」についての藤原さんの文章(22.25.)を読み、篝火に照らされた木立の神域に流れたショパンやバッハの響きを思い、また、歴史の流れを濃縮したようなその夜の饗宴の醍醐味の一端を味あわせて貰うことができたことを感謝したい。

大木の繁る森林の中で、火をたいて夏至祭りや夏祭りをする習慣は世界各地に見られるが、個人的には、7月のこの時期であれば、那智の火祭やボヘミアングローブとのシンクロニシティを感じざるを得ない。

この霧島神宮の話を読んで、かつて那智の火祭りを訪ねた際、神域に聳え立つ大木の杉木立と、その元で行われる火祭りの迫力ある様相を見て、那智の火祭りや古神道の原点が、ギルガメッシュが森の番人であるフンババを殺す前のレバノン杉の林の中にあり、エンタシスの柱はレバノン杉の森の神秘と生命力への畏怖から生まれたものだろうと直覚したことを思い出した。

レバノン杉の森に遠征し、森の番人のフンババを殺し、自然を征服したギルガメッシュの末裔である我々の祖先が、自然を破壊・征服し、諸資源を枯渇させつつ、営々と築いてきたのが今日に至る歴史の主流である。
現代の先進諸国の中で最大の森林保有率を誇る、極東の島国の日本に、自然信仰の対象である鎮守の森の緑と赤い社のコントラストが今も美しく息づいており、夏の一夜、篝火のもとその木立の中で人々がバッハやショパンの生演奏を深く味わっているという姿は、自然の器に文明のエッセンスを盛り付けたとでも言うべき不思議な取り合わせ効果を持っており、その一夕の出来事が、現代の一つの奇跡であることを示している。

しかし、現代文明の中の奇跡のオアシスのような霧島神宮の夏の一夜も、それが311以降の日本で起きている出来事だと改めて認識するとき、今、日本で急展開し続けている、ギリシャ悲劇にもないような究極の人類悲劇の中の劇中劇のような、入れ子構造の一部であることが意識され、人類が陥った深淵の深さと事態の深刻さがよりいっそう強調されるような気がした。

28藤原肇:2012/07/25(水) 22:25:44
この霧島国際音楽祭の音楽監督は堤剛さんで、数年前まではインディアナ大学の教授として、世界を舞台にチェリストとして活躍していたが、現在では桐朋学園大学の学長になっていているようだ。『オリンピアン幻想』の中に書いたと思うが、若い頃にモントレーの音楽祭に参加した時の体験談として、スイスに集まった音楽家の卵たちを相手に、トランプや議論に興じたことを綴ったことがある。当時は未だ海外留学をする若者が少なく、コンクールに入賞した音楽家たちがパイオニアだったし、桐朋学園で学んだ人たちが圧倒的だった。そうした音楽化の卵の演奏の腕前は優れていたのに、社会を見る目は温室育ちで子供っぽく、荒波の中で自活していくのかと心配したが、そんな音楽家の中で例外だったのが堤さんで、彼は政治でも歴史でも文明論にも関心を示し、議論なら何でもこなすルネッサンス人に属していた。その後の堤さんは母校インディアナ大で教え、毎年バンフで開かれる夏の芸術学院の先生として、赴任する前の数日をカルガリーの私の家で過ごし、議論を通じて音楽の世界を教えてくれたが、もし霧島で会えるなら30年ぶりの再会になる。
そんな思いでチェロが奏でるシャコンヌを聞き、丸山先生が会わずじまいで亡くなったという、天才少女で幻のヴァイオリニストとして知られた、諏訪内昌子さんのエピソードを思い出した。ソリストとして活躍していた彼女は、ふと思い当たってジュリアード音楽院に留学し、交換授業として出席できるコロンビア大学で、政治思想史の授業に出席したときに、丸山先生の名を知り著作全集17巻に挑戦したという。モルガンお雪やグーデンホフ光子の伝統で、日本の女性には物凄い才女が世界で活躍し、比較にならない威力で男を圧倒しているが、連綿と続くバカな首相たちを思うと情けない限りで、首相も天皇も女性に任せたくなってしまう。
地質学を専攻した私には古層が分かり易いが、丸山先生のお陰でパッソ・オスティナードという言葉を知り、何となくダイナミックな変化の相を感じて、私の歴史感覚にも多様性の色彩が加わり、46億年の地球の歴史に色合が出始めた。
歴史といえばハーバード大学で授業をしている、北川智子さんもサムライを男の独占から奪い、「ペアー・ルーリング」という新概念を打ち出して、左脳と右手が卓越する歴史観に異議を唱え、右脳と左腕の協調作業の役割を訴えている。しかも、彼女がショパンとバッハをピアノで弾き較べ、バッハでは主旋律を右手と左手で紡ぐと指摘したが、そこには執拗低音の秘密が捉えられており、まさに青天の霹靂の乱舞があったので、やはり日本は天照大神の世界だと痛感した。これが「かがり火コンサート」の収穫であり、霧島神宮の社殿が女性を象徴して作られたし、それに向かい人びとが参拝する理由が納得でき、豊かな知的収穫を得た一日になったと湯船で思った。

29asa:2012/07/25(水) 23:20:46
女性宮家についてですが、女性天皇や女系天皇の容認につながるのでは無いか
という懸念から反対する人たちもいるようですが、現在の皇室の中で、男子は
一人しかいない状況等を考慮すれば、女性宮家に関しては、対象となる女性皇族
は、全て男系の女性皇族ということでもあれば、何ら問題無いのでは無いかと
考えられます。
将来的には、さすがに女系天皇の容認までは何とも言えないところはありますが、
天皇直系であれば女性天皇に関しては、構わないのでは無いかとも考えられますが
、皇室典範の改正により皇位継承順位も変わることにもなることを考えれば、何と
言っても今の天皇陛下のご意思というものが分からないし、勝手に議論する訳には
行かないし、こればかりは何とも言えないところはあるのですが、藤原先生は如何
どのようにお考えでしょうか?

30藤原肇:2012/07/28(土) 23:01:26
夜中には雷鳴や閃光が闇夜を貫いて走るし、朝霧に包まれる空から雨粒が降り注ぐ霧島は、生命力を水で表現する地球の息吹を感じ、われわれの故郷が水の惑星であることを実感させる。悠久の時間の流れのたゆといを実感させる、大自然が伝えるこの懐かしい気分は、人間が作った文化や社会レベルの執拗低音ではなく、もっと根源的な自然のリズムと結びつく、生命の躍動を伝えるパッソ・オスティナートで、それはフィボナッチ数列のファイ律動である。そんな地球が生み出すリズムの快感に魅せられ、一年の半分近くを山歩きに費やすことで、北アルプスの穂高連峰の岩壁に遊んだ時代が、『山岳誌』の章句の中に刻印として残る。
あの頃は人生における疾風怒濤の時代で、大学一年の時は岸内閣打倒に熱を上げ、二年の夏季実習を栃木県の川俣ダムで体験し、後背地の地質調査をやったことにより、構造地質学や水資源の問題に強い興味を抱いていた。当時は秋葉ダムを始め奥只見や佐久間ダムなど、日本中がダム工事で賑わっていたし、黒四ダムなどの大計画が次々と発表になり、私は日本のダム建造能力が世界一だと思い、それをいささか得意に感じていた。
だから、フランスに留学した時に将来の抱負を聞かれて、コンゴ川にダムを作るような大計画か、サハラ砂漠の緑化をやりたいと答えたものだ。そうしたら、「世界最大のサハラ砂漠は大切な自然だから、後の世代がつきを眺めて瞑想する場所として、人手を加えずに残して置くことは考えないか」と指導教授に言われ面食らった思い出が懐かしい。
大学に入るのは山岳部のメンバーになるためで、その頃アンナプルナに出かけていたから、京都大学を受けて「桜の花散る」が続いて、浪人した後で埼玉大学の学生になったが、共に外国語としてフランス語で受験できたからだ。
というのは、中学時代から文学少年だったために、フランス語を独学からアテネフランセで学び、高校時代は御茶ノ水周辺の大学で、モグリの学生として明治、中央、日大などで授業を聞いた。
高校時代の後半は英語の授業を取らす、「こんな汚い言葉を口にしたら、フランス語の発音が濁る」と主張して、フランス語を専ら学んだとことの天罰とでもいうか、英語の能力は中学生のレベルだのに、その後カナダとアメリカに40年も住んだのだから、人生というのは実に皮肉な結果を生むものだ。
その後は市谷の日仏学院の学生になって、カトリックの神父から議論の仕方を学んだが、一般教養のほとんどはこの時に身につけたし、沢歩きを中心に山に親しむ青春を楽しんだ。

31千々松 健:2012/07/29(日) 11:33:15
<岩と水と木と・・・上高地や穂高連峰に“カンタータ”を感じつつ・・・>
 真夏の太陽が照らす暑さの中でも、鹿島神宮の鎮守の森の中はひんやりとしていました。
寒中修行の執り行われる「御手洗(みたらし)」の湧水池の霊水は、地震を起こす鯰の頭を押さえ
ると伝えられた「要石」の真下辺りから流れているような位置関係にありました。ただし、この要
石にも拘らず3.11の東日本大震災で御影石製の大鳥居が崩壊してしまったのは誠に残念で、今度は
自身の森の杉大木を四本選んで再建するそうです。確かに石よりも木の方が生命力には溢れている
に違いないし、地震にも耐えられるかもしれません。

 さて地震といえば今、構造地質学者や地震学者は水の影響力に注目が集まっていて、断層(岩盤の
境目)の強度が水で低下するという「水誘発説」が云われているようです。

 また杉と言えばレバノン杉が思い出されますが、クフ王のピラミッドの南面地下に埋められていた
「太陽の船」二艘は、そのレバノン杉で構築されていましたから杉は水にも強いようですね。

32藤原肇:2012/08/02(木) 13:02:56
大学生になった年は60年アンポに重なり、クラス委員から全学委員に選ばれたが、当時は民青とかマル学とかの派閥抗争が酷く、パーティは部分だと軽蔑していた私は、党派性の抗争にはまったく関与することはなく、戦犯の岸内閣を倒すことに専念した。同時に日本中の大学の地質を専攻している学生を対象に、全国組織を作るためのオルグ活動をして、いろんな大学を訪れて調査と工作をしたことで、大学の実態と実力についての知識を得た。優秀な学生は花形の学科に競って行くために、どこへも行けない学生が集まるし、意欲的な学生が資源分野に関心を示さないのは昔から変わりない。だから、就職口や月給が他に較べて悪いために、人気のある学科に優秀な学生が集まるせいもあり、特に旧帝大系の地質や鉱山学科の質が悪かったが、東大では教授より助手が実力を持っていた。
五年後に国際地質学会がニューデリーで開かれると知り、チベット経由でヒマラヤを越えてインドに入って、川口慧海の逆のコースで行こうと考えたが、若気の至りの無謀な挑戦を思いついたものといえる。そこで予備調査と準備を中国で行うために、北京の地質学院に留学しようと考えて、調べてみたらレベルが余りにも低いので、その思いつきを放棄したことがあるが、北京行きが実現していたら温家宝は後輩のはずだ。二年の時に専門誌の『地質学雑誌』を創刊号から読み、何が現在の最先端領域かを知ったお陰で、大学よりも世界一の先生に師事することの方が、人生の近道になると思い当たったのだった。そこで世界一の先生に学ぶ目的の実現のために、ソ連政府の給費留学生の試験輪受けたのだが、高校で英語の単位を取っていなかったことと並び、成績が良くなかったことが原因になった。今から思うと「塞翁が馬」の幸運であり、山がなく飯がまずく共産主義に固まった、ソ連で青春時代を送らずに済んだだけでなく、その逆のグルノーブルに行けたことは、何と幸せだったかと思わずにいられない。

33藤原肇:2012/08/03(金) 11:51:44
グルノーブル大学で修士をやった時は悪戦苦闘で、知っていることを言われた時は理解が可能でも、知らない新知識に関しては理解不能のために、チンプンカンだという留学症候群に陥り、級友にノートを見せてもらってやっと理解でき、三時間くらいしか眠る時間がない生活だった。
せっかく留学したのにあの頃は寝る時間もなく、岩登りの他は本を読む余裕もない苦しい日々が続き、あんな体験は二度と味わいたくないと思う。それでもビリの成績で修士課程を修了して、博士課程になったら好き放題に山に登り、ファシズムや精神病理学の授業にまで出席したし、商社の資源コンサルタントになったお陰で、自分の力で生活する道を開くことができた。そんなある日だがある会社からの電話で、そこの技術者と議論して欲しいと頼まれたが、何事かと思ってその話に乗ったのであり、それが人生における転機を提供した。そこには日本から送られた地図や図面などがあって、最初は何のことか良く分からなかったが、何と日本人はダム地点に関しての基礎になる資料を送って、ダム建設の設計をしてもらっていたと分かった。それまでは日本の技術が世界一だと思い込み、得意な気分に統帥していたというのに、日本人が担当していたのは土方作業であり、肝心なソフトは他人任せだったと知って、これは大変な秘密に遭遇したと大きなショックを受けた。
当時は未だコンピュータも一般化しておらず、数学科でも数値理論を学んでいる程度で、コンピュータに触った学生もいなかった。だが、その会社では何千分の一の模型を作り、設計の内容次第でダムの寿命まで計算して、シミュレーションする能力をフルに使い、設計サービスをするような仕事をしており、科学における落差に愕然とさせられた。日本では湯水のように浪費すると形容していたが、水に対しての取り組みも幼稚であり、フランスではエビアン水を瓶詰めで商売していたのに、日本ではようやくダム建設に取り組み始め、「黒部ダム」の計画に国民は民族意識を高く掲げたし、私もその流れの中で驕慢化していた。
その頃の私は水の惑星の地球である以上は、何よりも大切なものは水資源だと考え、自分が水資源と関係することを誇りに思っていた。水の存在のお陰で生命が誕生しており、水の流れの大河の周辺に古代文明が生まれ、農業革命が文明の歴史を育てたのだし、液体の水が水蒸気になって利用されたことで、産業革命が始まったと理解したつもりだった。その意味では実にまともな感覚を持ち合わせて、生命の歴史をあらゆるものの出発の原点にし、それに自分の人生路線を重ね合わせていたと思う。だから、まともな人生を生きるという考えを持ち、水が総ての根源であると考えいた、ターレスに忠実な弟子であることに満足する、純粋な若者の一人に私は属していたというのに、このダムにまつわる見聞はショックだった。

34藤原肇:2012/08/05(日) 22:44:42
今日は八月五日で霧島神宮の六月灯の祭日であり、大石段の上から神殿まで続く玉砂利の道に沿って、手書きの絵で装飾した数百の四角い大きな紙燈篭が並び、最後には恒例の打ち上げ花火の放列でフィナーレになるというので、十三夜の月を見上げながら木立に囲まれて歩いた。神殿と御神木の間には御手洗の泉が湧き出し、社会人として踏み出した頃を思い出して、水で始まって水に戻る人生を歩んだ生涯を実感させられた。
留学生活の概要については『山岳誌』の補説で触れたが、学位を取ってから社会人になるにあたっては、これだけ素晴らしい機構とソフトを誇っている、水のシンクタンクを持つ会社に就職したく、全力を上げて努力してみたが困難だった。当時の日本は経済的に躍進していたが、鉄鋼や造船などの重工業の基礎作りを終え、オリンピック競技場や新幹線を作った程度で、ヨーロッパでは未だ実力を評価されずに、物真似をする国という評価が強かった。だから、今から思うと嘘のようで信じるのも難しいが、日本人の私を雇えば大事なノウハウを盗まれ、真似されて輸出攻勢されるだけだという、今の日本人が中国に対して考えているのと同じ、偏見と蔑視が50年前には支配していた。当然のことで日本人の私は警戒されて、このシンクタンクに入るのは難しかったが、プレオリンピックには選手になったし、冬季オリンピックはグルノーブル市のアタッシェを体験して、ヨーロッパの貴族に親しくした関係で、彼らや市長に後押ししてもらうことが出来た。その辺のことは「Mountains of Dreams」に触れたが、ヨーロッパでは人脈の影響が強烈だから、彼らのお墨付きで日本人不信を払拭し、やっとその組織に受け入れてもらえた。だが、ダムの設計のシュミレーションをしていた、肝心の研究部門に配属されるという希望は叶わずに、中東計画という部門に回されてしまい、促成でサウジの地質構造と地層について訓練され、現場主任ということで現地派遣になった。
当時のサウジは未だ石油大国ではなく、公式には鎖国状態をしていた関係で、外国人が自由に訪れることはほとんど不可能だし、私の身元保証人は農業大臣であり、入国と同時にパスポートは大臣預かりだから、一種の人質になったような状態だった。名君のファイサル国王は国民が欲しいのだが、遊牧民は季節ごとに移動する生活で、それを定着させるには水が決めてであり、農業化が重要な国策になっていた。そこで国土改造計画が始まったのであり、サウジにとって水資源はとても重要だから、アラビア半島輪七つの地区に割り振って、国土の部分的な緑化に取り組むことになった。そして、数年前にリャドの北西数百キロの場所で、素晴らしい水を大量に掘り当てるのに成功して、当時のレベルでも世界最大だった、56インチ口径のパイプラインをリャドまで建設し、それで首都の水を確保する提案になった。そうしたら、ファイサル国王が「われわれにはアラーがついている。この町の地下から水を掘り出せ」と言い、国王がアラーを持ち出した以上は、反対することができない状況になる。地質学的には帯水層が発達している地区は限られており、リャドの地下には分布していないが、13世紀の社会である封建王国のサウジにおいて、王様の信念に反対できる人間はいない。そこでビジネスとしての事業の推進が開始になり、「Riyadh deep Well Project」が動き出して、私がその現場主任として派遣されたという次第で、思いもかけない体験をすることになった。現在のところ落ち着いているこの霧島は水が豊かで、火山灰のシラスで濾過したミネラルに富む湧水は、霧島神社が鎮座する安山岩の割れ目から奔流になって誕生し、サウジの地下水とはまったく異なる水質であり、水との縁を思うと人生の持つ連環の醍醐味が、ここにメビウスの帯として繋がる妙味を堪能せざるを得ない。明日は八月六日で広島における原爆記念日で、カンボジアに住む娘のレミの誕生日に当たる日でもあるが、日本列島はフクシマ原発の爆発による放射能に包まれ、暴政による不始末で亡国の運命が支配するのに、国民は真相を知らないで放置された状態にある。かつて石油危機の襲来を予告したことによって、「狼少年」扱いされて気違い扱いされたことがあるが、放射能亡国を言えばその再現になるのだろうか。

35藤原肇:2012/08/08(水) 13:37:03
今でこそサウジは石油大国として知られており、国情について色んなことがわかるようになったが、当時は鎖国状態の砂漠の国でしかなく、13世紀に紛れ込んだという感じが強かつた。
恐竜のような大型アメ車が走り回っていたが、その車を満タンにするガソリンの値段よりも、冷えたコカコーラ1本の方が高いような状態だ。また、金曜日には待ちの中心の時計広場では、泥棒の右手を切ったり姦通女性に石を投げて、公開処刑が行われていただけでなく、「目には目を、歯には歯を」というルールが支配していた。だから、自分が運転している車の事故で人を撥ねれば、同じ車で撥ねられる刑罰が行われるし、労働者のお祈りを妨害した場合には、宗教警察に捕まって鞭打ちの刑になる。
こんな状態の国に派遣されたお陰で、会社は予想もしない最高の待遇をしてくれた。だから、月給はスイスの口座に自動振込みだし、住む家と自由に使える交際費を提供してくれ、三度の食事はホテルのレストランで済ませた。会社は私に二台の自動車と二人の運転手をつけてくれ、乗用車の方はプジョーの404型であり、掘削現場用にはトヨタのランドクルーザーだったので、私は砂漠に乗り出して疾走を楽しんだ。だが、「目には目を」というルールがあるために、運転は慎むようにと言うお達しがあって、本当は若気の至りでリスキーな行為ではあった。
だが、日没後には運転手が仕事をしないし、掘削作業は24時間体制だったから、ハンドルを握って現場に出かけて行き、砂漠の星空の美しさに感嘆したものであり、幕末の日本に来たガイジンの異国体験を味わった。
当時のリャドには大きな高級ホテルが二軒あったが、町の中心のインターコンチネンタルは改装中で、飛行場の前にあるサハラ・ホテルだけが利用でき、そこで私はいつも仲間と食事をしていた。しかも、後方の広間ではよく会議が開かれており、それが当時における閣議や外交交渉だったし、お陰で大臣やプリンスとも知り合いになったが、近隣の王族が来ると泊り客は追い出されて宿替えで、そんな不思議な世界を眼前で目撃した。
農業大臣がラクダ牧場に連れて行ったり、プリンスが主催する鷹狩りにさそわれて、砂漠に生きる民の生活について学んだことで、砂漠に生きる生活のリズムが理解できた。そんな人生で知り合った中に若いヤマニがいて、彼は石油鉱山大臣になって未だ日が浅く、お互いに若かったから親しく付き合ったが、石油の持つ価値を私に教えたのは彼だった。
日本人の地質のプロがフランスの会社で働いている上に、サウジで水を掘っていることが珍しく、興味をもたれたとしても不思議ではないにしろ、ペトロミンで仕事をしないかと誘って、「水はサウジでは大事だが、これからの世界は石油だ」と断言し、私の人生航路を歪めたのは彼である。もっとも、その時点ではそれほど強い関心も持たずに、石油鉱山省を見学に行ってみたのだが、英、米、欄、独、エジプト、トルコ、レバノンなどの出身で、顧問や相談役の技術関係者に会った結論は、自分に相応しい職場ではないという判断だった。
なぜならば、エクスパットと呼ばれる出稼ぎ人の仲間に、若い段階で加わったのでは修行にならず、もっと遍歴する必要があると痛感したからだ。また、サウジは石油開発の現場に位置しており、戦争でいえば戦場に相当しているし、自分の資質が指揮官より参謀役が似合いならば、ヨーロッパかアメリカに行くべきである。しかも、この時の私が抱いていた一種の偏見に似た気分は、水は生命にとって不可欠なものだが、石油は鉱山開発に似て山師が活躍する世界であり、どうも自分に似合わないという気分がして、残りの半生を石油の世界で過ごすなどと、この段階では予想さえもしなかった。

36藤原肇:2012/08/09(木) 12:10:15
それに加えて同時進行して起きた事件があり、その強烈な印象が私を痛打していたので、山師的な石油にまつわる仕事に関して、私が懐疑とためらいの気持ちを抱き、水離れをしようという気にはとてもならなかった。かつて商社の資源開発コンサルタントとして、ヨーロッパやアフリカで仕事をした経験は興味深かったが、資源開発にまつわる話は「戦争の犬」の世界であり、時にはクーデタが起きて急いで逃げたことや、諜報にまつわる嫌な体験を味わっていたので、社会人としてはまともな仕事をしたいと考えて、この水のシンクタンクで仕事をしようという気持ちになっていた。だから、サウジの国土開発計画は予想外だったが、新しい体験として好奇心に満ちた姿勢で臨んでいたので、いろんな国から来ている人とも親しく交際し、銀行のマネジャー、大学教授、今サルタン会社の代表など、各国から来ている人たちと食事したりして付き合い、一種の仲間的なグループでの交際パターンが出来ていた。
ところがある日突然このパターンが崩れたのであり、そのきっかけはヨーロッパで戦争が始まったらしいという情報が届き、それがこの異変を発生させたのであり、その事件はプラハの春といわれた1968年の夏の事件で、ソ連軍がチェコの首都プラハをタンクで制圧したのだった。迂闊にもこの事件が勃発する前の私は気を許し、私の周辺にいた人間の多くが情報関係の人であることを忘れ、気軽に付き合っていた自分の油断に気がつき、これは大変な世界に再び紛れ込んだと覚ったのだった。そういえば、わが社の現地支配人も担当副社長の経歴からして、海軍出身だったと遅ればせながら思い出したが、海軍出身はメカに強くて外国を知り言葉を幾つも使いこなし、諜報機関で活躍する適任の人材であるから、その筋の人間であることは疑いの余地がないと判断した。ところが、私はそんな筋とはまったく関係がないのに、他の人は私も彼らの仲間だと判断しているとしたら、そんな嫌な世界から逃げ出すことが最良の選択になる。
そこで考え付いたのがアラビアのロレンスの物語であり、T.E.ロレンスの著作を活用するということを思いついたお陰で、パスポートを取り戻してサウジ脱出を実現したが、それが今度は私とロレンスを深く結びつけることになった。東京の母やスイスやフランスにいた友人に依頼して、T.E.ロレンス関係の本をサウジに送ってもらい、それを使って英仏が中東の資源権益の争奪戦をした歴史を復元し、そうしたことに気づいているとほのめかして、出国許可とパスポートを手に入れた経過に関しては、いずれそれを活字にする機会があるとおもう。あるいは、軽率にもどこかに書いてしまったかもしれないが、危機からの脱出は自分の頭を使って考えることに決め手があるが、下手なやり方をすると砂漠の中で姿を消し、簡単に一巻の終わりになりかねないのがこの世界で、その訓練と切磋琢磨が生き延びた秘訣すも知れない。この体験がフランスに戻った私が文学部の英文学科に学士入学し、T.E.ロレンスの『知恵の七本柱』を読破するきっかけを与え、『山岳誌』をジョナサン・ケープ社版の『砂漠の反乱』を手本にして、終生一代の本に仕上げた原動力になったのである。

37千々松 健:2012/08/10(金) 06:45:43
JTがマイルドセブンをメビウスに名称変更するそうですが、初めもなく終わりもない「メビウスの輪」に因んだようですね。
さて、そのメビウスの輪はクラインの壺に通じ、ドーナツ型のト―ラスに行き着くわけですが、宇宙の基本構造をト―ラスとして捉えておられる慧智研究所の藤原肇博士が長い旅路の末に、日本列島の誕生の地とも言えるかもしれない霧島に行き着いたのは神聖なる「水」が導いたのではないかと愚考します。
「水に始まり水に終わる」しかし、メビウスの輪の如くに実際は終わらないで、また始まるのです。霧島の霊水にはそのような意味が込められていると思います。

38藤原肇:2012/08/10(金) 22:20:21
今朝は飯山さんとお喋りで過ごしたが、彼が読んだ七月二十三日の「霧島神宮かがり火コンサート」についての記事で、丸山先生のパッソ・オスティナートや古層について話題にしたが、その件を彼は早速ブロッグに書いたので参考までに貼り付ける。
たたかう老人! 飯山一郎の ハッタリなしの 口演会場 . .


☆  て げ て げ ( 大 概 大 概 )  ☆彡
『てげてげ』 の目次 直近の『てげてげ』
「てげてげ」は薩摩弁。意味は「適当、大雑把、いい加減、アバウト.」

◆2012/08/10(金) 霧島での優雅な雑談のひととき
おとといから鷲は霧島に来ている。
霧島には藤原肇先生が長期滞在しておられて、読書三昧の日々だ。
孫崎享の『戦後史の正体』も、藤原肇先生から「早く読みなさい!」と
一ヶ月以上前、発売前にいただいたので、鷲は熟読したワケ。

藤原肇先生と鷲は、きょうは早朝から「師弟水入らず」で語り合った。
今朝、藤原先生は丸山眞男のことを結構持ち上げておられた。
これに鷲は食ってかかった…。 (笑)
たしかに丸山眞男は戦後日本における最高の知性と言えるが、それは
日本一国のなかでの話で、「アジアから日本をみる」という視点が丸山
にはなかった…、と。
で、丸山眞男は、結局、『脱亜入欧』の権化・福沢諭吉を礼賛して終る…。
丸山眞男にして、「アジアという視点」がない「島国の学問」だった…、と。

鷲の丸山眞男批判を、藤原先生は微笑を浮かべながら聞いておられた。
充分に同意している! というお顔だった。
その表情をみて、鷲も嬉しくなって、先生を昼食にお誘いした…。

霧島。空気がEー。メシがうまい。水も神からの賜物だ。
藤原先生には、この霧島に住んでいただこう!
鷲は本気でそー思っている。

要するに、飯山さんにしてみれば、丸山理論が日本列島に限られ、朝鮮半島やユーラシア大陸にまで及んでいないのが、物足りないということだ。
それは東大法学部の伝統からして当然であり、荻生徂徠で儒教の古学に及んでいるとはいえ、ある意味では日本的なタコ壷理論だし、伝統的なドイツ派の学問の系譜からしてそれは仕方がないことだ。
私は丸山先生の政治思想史の果たした役割が、日本を支配していた学問に亀裂を与えた点で、大いに評価して敬意をささげている。
だが、本居妄想を有難がる小林秀雄やワグナーに関して、丸山先生が筆を進めるときにはそこから先は、読むだけ時間の無駄だと考え本を伏せてきた。
第一、『古事記』は平安末期から鎌倉初期に書かれた偽書であり、「史記」にしても司馬遷が書いた歴史物語に過ぎない。
書かれた歴史書と称するものは、総てでっち上げに過ぎないし、世の中で偽書を作るくらい遊び心のある暇人にとって、痛快な知的道楽はないと私は思っている。

39一色:2012/08/11(土) 09:39:43
国粋右翼たちの間での流行みたいな現象として目立っていろものに、進歩的学者たたきがあって、
円山真男教授への攻撃が行われたりしている。大部分は丸山思想を理解しないで、感情的な反撥だとわかる程度のものだ。
そうだから丸山思想はびくともしない。丸山教授を乗り越えるのには厳しい学問的訓練が必要なのだ。
飯山さんが朝鮮や中国をふくむ大陸の視野から、丸山批判をしたのは新しい突破口だという気がする。
それを受けて藤原さんが、小林秀雄の蛸壺とかワグナーの蛸壷と断言して、歴誌のゴミを蛸壷の中に叩き込んだのは痛快だ。

40藤原肇:2012/08/11(土) 11:27:34
もう半世紀近くも昔の話で記憶が定かでないが、当時の私はアンポの関係で反米意識が強かったので、それが潜在意識に潜んでいたことは確かだった。だから、同じ地質の専門家だったが石油相を辞めさせられて、確かベールートに逃避していたタリキ前石油大臣に対し、ハーバードを出て法律を専門にするヤマニよりも、より親近感を抱いていたように記憶している。親米派のヤマニは私の主人役のファイサル国王から、信頼されていたので彼が接近してきたと思うが、当時の私は掘り抜き井戸のカレーズ技術において、ペルシア文明に強い魅力を感じており、サウジがイランと仲良くやったら良いと単純に思っていた。だから、付き合っていたある段階で石油の重要性を教えられ、水から石油に変わらないかと誘われたのは確かだが、その段階では私は石油より水の方が貴重だと思い込み、少しだけ心を動かした程度のことだった。
なにしろ、その頃の段階では宗教上の対立関係として、ワハーブ派とシアー派の歴史関係にも無知で、中東が英米の支配力から脱却することが、何よりも大切だという気持ちだったことはほぼ確かだ。新進の石油大臣だったザキ・ヤマニと出会いを持ち、国際政治への関心と文明の未来に対しての好奇心で、何事かを考える若い世代の二人が世界を論じ、お互いに学びあったことは有意義にしても、彼の下で石油に関係する気持ちにならなかった。しかし、彼とも個人レベルでは親しく付き合ったのは、因縁として興味深い出会いだったに違いなく、中東諸国が英米帝国主義から独立して、アジアと一緒にやれば未来は明るいと主張したと思う。彼は私に二十世紀における石油の重要性を教え、私は彼に生命現象における水が果たす貴重な役割と共に、組織体の生命維持におけるエネルギーの貢献に関し、地球の歴史と私流の文明史観を作っていたし、石炭から石油になったエネルギー源が次の段階において、天然ガスから水素になるというくらいは、自分なりの思想として作り上げていたのは当然だった。
だが、私の考えの基本は水の文明史が中心だったから、ある日の議論において「ライバルの語源はラテン語のRIVILISに由来しており、これは水源を分かち合って共にするという意味だから、水源の上流に位置する者は水を支配できて有利だし、そのメリットを生かせば上流は下流のもの支配できる」くらいのことは挑発的に言ったはずだ。それはメソポタミアの王朝の首都の変遷の歴史を追ってみれば、最初はスサにあった都がバビロンを経て流れを遡行し、ヒッタイトからアッシリアに移ったパターンに見ても、水源に向かって覇者の位置は移動しているものだ。当時の私はフランスの五月事件を体験していたし、オリンピックの政治を通じてドゴール内閣を退陣させ、うまく戦えば支配体制を覆せるという考えの有効性を信じ、その熱気を強く感じていたのは確かだった。
水源に相当するアップストリームという言葉が一般化し、それに対応するダウンストリームが使われて、生産するものと消費するものの違いが強調されたのは、石油危機が襲来してから後になっての話であるが、私の考えは水の世界でのパターンに基づいていた。だが、それに閃いてヒントを得て国際政治に適用したとしたら、それは彼らの歴史的センスの優劣の問題であり、私がヒントを提供したということにはならないと思う。だが、下手にこんな議論を展開したら誤解の元であり、石油危機で破産したり苦しんだ人も多いので、これまでサウジでの体験は余り書かないようにしてきたが、私の思い出として「アラビアのロレンス」の世界と結びつき、テクニカラーの映像が浮かび上がるのである。

42藤原肇:2012/08/12(日) 07:59:00
フランスに戻り結婚した私はサウジでの体験に基づき、T.E.ロレンスの『知恵の七本柱』を研究したいと考え、文学部に学士入学して英文科の学生になった。英語を嫌悪し高校で英語の単位を取らなかったのに、英文学科に入ったのは矛盾だらけだったが、世界で仕事をするための方便として仕方がない妥協だった。この頃にオフショア開発として大陸棚の掘削が進み、ピレネー山脈の周辺での石油開発に続いて、北海やアドリア海で石油掘削が活況を呈したが、そういった現場での体験を蓄積しているうちに、大西洋の彼方からビッグニュースが飛び込んできた。それはアメリカ大陸最大の油田がアラスカで見つかり、ノーススロープが世界中の注目を集めているという知らせで、アラスカに行かなければ行けないと思った。だが、アラスカの石油は他人がすでに発見したものだし、次に大油田を発見する可能性の高い場所を探したら、どうも北極海の多島海群島らしいということになり、それではカナダに行き調査の仕事をすることだと判断を下して、カナダの石油センターのカルガリーへ移ることにした。
スイスで無税で買ったニッサンを船に乗せて、大西洋を渡ってカナダに移住したことで、石油開発と取り組む人生がスタートしたのである。世界を大陸次元で捉える場に身を置くことになり、地球儀レベルで国際問題を考えているうちに、エネルギーにまつわる歴史についての知識が増え、考えられないことを考えてみる仕事が開始した。そして、二十世紀が石油の世紀だと理解したことを体系付けてみたら、石油を武器に使えば古い秩序を壊すことが出来るし、それが実現したら石油危機になると思い当たった。
そこで、一年ほど情報を集めて整理したものをまとめ、石油危機が来る可能性についての警告の記事を書き、「文芸春秋」の編集部に送ったが半年以上も返事はなく、がっかりしていたところに手紙が届いた。
それによると、原稿用紙がないのでレポート用紙に、横書きでぎっしりと文字を詰め込んだ私の原稿は、寄稿のイロハをわきまえていないものだし、どこかの「馬の骨」に過ぎない人間だから評価が低い上に、採用の対象にならないタイプの寄稿に属す。だが、石油危機の発想が面白いので時間をくれれば、財界の実力者に石油の重要性を論じさせ、その発表の後に石油危機の記事を出せば、注目を集められるという内容だった。
そして、数ヵ月後に八幡製鉄の藤井丙午副社長の名で、石油が大切だという記事が出たが、寄稿した記事は数ヵ月後に『文芸春秋」1971年6月号に出たが、それが日本のメディアへの私の初登場だった。日本では編集者に読んで貰い採用して頂き、奴隷の立場で記事の発表になるが、欧米では内容が良ければ馬の骨でも登場できるのに、日本には真の登竜門は存在しないのである。

43藤原肇:2012/08/14(火) 11:59:34
その後の一年間に『文芸春秋』だけでなく、『日経新聞』の「経済教室」などに書いた記事で、一冊の本になるほど記事が溜まったから、出版したいと思い原稿を持ち込んだ。
だが、どこの出版社もけんもほろろの態度で断り、文芸春秋の出版部は「雑誌なら、石油危機が来るといういい加減な話でも活字にするが、単行本として無責任な内容のものは出せない」と言い、日経の出版部は「財界が全力を上げて石油開発に取り組み、日本経済の発展のために頑張れと言うのなら、当社の方針に合っているので考慮できる。だが、藤原さんは日本の財界は無能だから、石油開発で立ち遅れているというのでは、とても出すわけには行かない」という返事だ。その他にも五社近く断られて一年が過ぎ、日経の外信部の大原さんが同情してくれ、「自分は何冊も翻訳して出版社を知っているから、どこかに繋ごう」と引き受けてくれた。
大原さんが原稿をサイマル出版会に持って行ったら、田村社長が原稿をパラパラと開いて読み、直ぐにこれは大問題だから出したいと言い、それで出版が即座に決まったと連絡が来た。田村社長は京都の岩波といわれた弘文堂の元編集長で、弘文堂が児玉とナベツネに乗っ取られ、それでサイマルを立ち上げて編集長になり、優秀なジャーナリストに一冊は書かせるが、二冊はダメという奇妙なジンクスを持っていた。だから、そこで出せたのは名誉なことだそうで、ジャーナリスト仲間に加えられる意味では、運が良いということになるらしかった。
ハードカバーで初版3000部の処女作として、1973年の4月に出版されたのであり、五大新聞に書評が出たが評価は良くなく、「悲観主義」とか「日本経済の過小評価」とかで、最初の五ヶ月で1000部も売れなかったという。ところが、本の発売から六ヵ月後の1973年
10月に、第四次中東戦争が勃発して石油禁輸が行われ、石油価格が六倍で石油ショックが世界を襲い、日本では物価暴騰で経済パニックになった。その時に売れ残りの拙著は売り切れになり、ソフトカバーで増刷りが続きベストセラーになった。本を書いた理由は危機襲来に時にパニックになり、醜態を演じるなという警鐘だったのに、私は狼少年扱いでも視察されたので、本が売れたことなど少しも嬉しくなかった。
ただ、本が売れた成果はすでに書き上げていた、『石油飢餓』の出版が直ぐに決まったことだが、失政をした田中首相と中曽根通産相を批判し、責任追及のペンを取ったので権力者に恨まれた。そこで数年間は日本を訪れなかったし、その後に帰国した時は防弾チョッキを身にまとい、成田ではなく羽田から入国するために、わざわざ羽田着の中華航空を利用しているが、夏であせもの痒さで防弾チョッキは脱ぎ、暗殺されても仕方がないと諦めた思い出があり、それから後は石油関係の本を何冊か書いた。

44藤原肇:2012/08/16(木) 07:53:37
私と霧島を結びつけた最大の貢献者は飯山一郎さんで、彼とは昨年の九月に初めてお目にかかったが、彼は四十年来の私の熱烈な読者であり、1973年の春に出した私にとっての処女作である、『石油危機と日本の運命』を読んで人生が変わったらしい。当時の飯山さんは二十代の若者だったそうであり。夏の終わりにこの本を読み石油危機の襲来を確信し、農家だった自宅の畑に鉄のタンクを幾つも備えつけ、家族や住民から気が違ったと言われたが、石油を買い込んで危機に備えて備蓄したそうだ。そうしたら数週間後に第四次中東戦争が勃発し、アラブ諸国の禁輸で石油ショックが日本全土を包み、瞬く間に石油価格が五倍に暴騰したので、彼は今のカネにして五億円ほど儲けたのだという。
石油危機が来ると予告した私でさえ、石油を手当てすることなど思いつかなかったのに、それを実行した日本人がいたのだから驚きだ。大部分の日本人がトイレットペーパーの買占めに走り、日本政府も財界もパニックに陥った時に、日本中から石油を求めて買い手が殺到した。だが、彼は毎日のように札束をダンボール箱に詰め、幾らあるかは銀行員に数えさせて暮らしたという、飯山青年が味わった武勇伝は講談調で痛快である。
その時から私の熱烈な読者になったらしく、『間脳幻想』はいつもリュックサックに入れて持ち歩き、これまで三冊もボロボロになるまで読んだそうで、そんなエピソードが彼のホームページに書き込まれた。2009年2月27日付の「てげてげ」の書き込みは、「藤原肇先生への公開礼状」と題したもので、それは記念すべき内容の記事だったのに、彼が使ったヤフーの手で記事は抹殺されてしまい、読むことができなくなったのが残念だ。もっとも、ヤフーが扱った記事や手紙は対馬海峡を渡り、総てKCIAに届けられているから、隣の国に行けばデータは残っているはずだし、ことによると飯山さんもバックアップしているかも知れない。
私は幸運にもプリントアウトが一部手元にあって、飯山さんが男の母親になった記録を保管している。今回もその回顧談を素晴らしい語り口で述べ、彼の独演会は聴衆を大いにうならせたが、彼は天性の語り部で若き日のアルバイトで身につけた、ディスクジョッキーの妙は流石にセントポール仕込である。だから、日本人離れした実行力を持つ人だけあって、一日に何十人もの人の電話を受けるし、ホームページには猛烈な書き込みを続け、しかも、日本全土どころか朝鮮半島やシナ大陸を駆け巡り、神鬼出没の鞍馬天狗並みの活躍をしている癖に、耄碌爺を自称しているのだから呆れてしまう。それでも素晴らしい決断力を持つ飯山さんは、フクシマ原発の爆発で放射能に覆われた日本で、多くの日本人が放射能によるガンの発症により、生命の健康を損なう事態からの回避のために、乳酸菌を使った生活環境つくりを目指し、八面六臂の活躍をしているのを見据えながら、私は何をすべきか省察せざるを得ない。

46管理人:2012/08/20(月) 17:50:09
商品先物の存在も念頭に浮かばず、自分の愚かさや礼儀もわきまえない
落書きは削除しました。

47飯山一郎:2012/08/20(月) 18:19:41
 .
本日(8月20日)の『文殊菩薩(ブログ版)』(http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-1167.html)に、
私(飯山一郎)について書かれた藤原肇博士の文章が載ったので、ココにアクセス。
そうしたら、まーまー、ひと様の話の真偽を見抜けない駄文(>>45)がありました。
無視してもEーのですが、袖触れ合うも他生の縁、多少の説明をしておきましょう。

1973年秋の第四次中東戦争勃発に端を発したオイルショックは、世界的かつ社会的
大混乱で、日本中から一時的にガソリン・灯油・重油どころか、トイレット・ペーパーや
洗剤までが消えました。

当時、私は、ガソリンスタンドや重油の卸業を経営する会社の社長でした。
ですから、当然、私は危険物取扱者免状も取得しておりましたし、石油類販売業の
許可もとって石油販売業を営み、栃木県石油販売業協同組合の組合員として石油
販売業者の地位向上のため当時の通産省にも足繁く「陳情」に通いました。

また、地元消防団の団員として栃木県立消防学校を「優秀な成績で卒業」しました。
そういう関係で地元の消防署にも「カオ」がききまして(笑)、石油類を貯蔵するオイル
ターミナルの建設や、その防油堤の工事も突貫工事でしたが見事にクリア。私の会社
の広大な敷地には石油タンクが建ち並びました。

「石油がジャブジャブの時代なのに、飯山一郎は馬鹿なことをやるものだ!」
という身内・親戚・友人の嘲笑と非難ごーごーのなか、『イーヤマ・オイルターミナル』
が完成したのです。
そしてさらに、このオイルターミナルの容量の何倍もの売買予約を入れ、その代金は
「飯山一郎はヲトコだから前金だ!」と、前金で決済しました。そのほーが安い仕入れ
ができたからです。
さらにさらに、私は、まわりの反対を押し切って、
『イーヤマは油断しない! イーヤマに石油危機はない!』
というビラをつくり、新聞折込みで市内全戸に配りました。

その1週間後、エジプト・シリア連合軍が、イスラエルに奇襲攻撃を仕掛けました。
第四次中東戦争の勃発です。そして深刻なオイルショック(石油危機)の開始です。
当然、私が買い占めていたガソリン・灯油・重油はコイの滝のぼりの大暴騰です。
『イーヤマ・オイルターミナル』の敷地内は、栃木県中からアブラを買いにくる客が、
現金の札束を手に長蛇の列。

「アブラを売ってください。いくら高くてもEーです。」
重油がないとハウスの農作物が霜枯れする! 焼き物が焼けない! 工場が止まる!
病院の患者が凍え死んでしまう! 荷物が運べない、納品が遅れると罰金なんです!
という悲鳴のなか、私は、
「アブラはアラブからいくらでも買える! 少し高いけど心配するな!」
と、早朝から深夜までアブラを売りまくりました。

以上のよーな愉快で痛快な商売ができたのも、藤原肇著『石油危機と日本の運命』
を読んだことがきっかけだったのです。

藤原肇博士! ほんとうにありがとう!
私の人生は、藤原博士の御著書によって狂いました! (Eー方向に)。(爆)

                                              飯山 一郎夜狸

50KS:2012/09/10(月) 09:15:06
飯山さんのサイトに藤原さんの近況が出ていた。藤原記念図書館が霧島に出来るらしい。(引用の貼り付け)
藤原肇は、その膨大な著作を読むと、世界でも有数の思想家、いや、
哲学者だと思わずにはいられない。
鷲は、この40年間、藤原肇の著書を読み抜き(とはいっても、脳力が平均
以下なので読解力も平均以下だが…)、藤原肇を40年間も思い続けてきた。
そのことについては、『40年も思いつづけた御仁が…』 という表題で
ネットに書いた。
だから、鷲は晩年になったら藤原肇みたいな一流かつ一級の人物と
歓談・雑談・面談、というかダイアローグ(対談・対話)を交わしながら
知性にあふれる知的な老後を過ごしたい! と考えていた。
そうすればボケなくてすむし、ボケても少しは回復するだろーからね。
余談になるが…、
世の中、一流の人物は沢山おられるが、一流かつ一級! という人物
は、そーそーいるものではない。では “一級の条件”とは何か?

国際的な視野の広さ、和・漢・洋、巾と間口の広い教養と素養、全て
のことについて何かを知っており、何か一つのことについては全てを
知っている(ホー・チミン)、母国語のほかに最低2か国語がツーツー、
人類と人間と隣人にたいする限りない優しさ、強靭な体力と精神力、
右から左まで巾広い人脈、飯山一郎みたいな弟子がいること、等々、
藤原肇は、またとない、まごうかたなき一流かつ一級の哲学者だ。

藤原肇の欠点は、弟子のひとりの飯山一郎が三流かつ二級程度の
人物でしかないことぐらい鴨。

しかし、不肖の弟子の巧妙な誘いにノって、志布志や内之浦が気に
入り、あげくは霧島に絶好の書斎と図書室を準備、さらに、うら若くは
ないが美人の秘書らしき女性も2〜3人はべらせ、好きな温泉も用意
して、「身体を温め健康な老後を過ごすにはココしかない!」と断固と
して宣言したら、弟子の気迫に押された師匠は、「分かった」の一言。

以上が、藤原肇が霧島に住むことになった経緯(いきさつ)の概要だ。
「飯山一郎も出すぎたマネをする…」などと言わず、ご了承願いたい。

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◆2012/09/08(土) 藤原肇の「独断」と、一部の読者の「偏見」
このHPの掲示板『放知技』に↓四方末さんという方が投稿してくれた。
藤原肇先生の『さらば暴政』の一節ですが、
「……中国や北朝鮮の核兵器の保有を恐れる前に、日本海に沿って
並んだ原子力発電所自体が、核兵器以上の破壊力を秘めていると
気づき……。ミサイルを使わなくても地震の破壊力によって、原子力
発電所は原爆の何十発分の威力で、日本と国民に悲惨な被害を
与えるのであり、幸運にも柏崎の地震は規模が小さかったが、危機
管理の点では、全くのお粗末さを露呈してしまった。」(112ページ)

2009年段階で書かれたこの部分は、2011年3月11日に発生した東日本
大震災と東京電力福島第一原発事故を予見した先見の明を示している
と思います。
四方末さんの投稿に、↓鷲は次のようなコメントを返した。
四方末氏が言われるとおりで『さらば暴政』は、緻密な政治分析の書で
あるだけでなく、予言の書と言える。
『岸信介の多重人格の遺伝子と「傀儡肉腫」の肥大』(160ページ)など
も、岸信介を野田佳彦の置き換えて読むだけで現在が良く見えてくる。

マニフェストは絶対に守るべきルールだ! と明言しながらも、その逆の
政策を平然とやってのけるという多重人格…。
そして、菅直人以上の「傀儡肉腫」の肥大…。

『さらば暴政』は、まさに今! 熟読すべき予言の書です。
その藤原博士の蔵書を集めた『記念図書館』が霧島に完成しつつあり
ます。
藤原博士は線を引きながら読書される…、その蔵書の一部が見られる
図書館です。
しかも藤原博士と茶を飲みながら歓談もできる…。
藤原博士は昨日、プノンペンに行かれましたが今月末には帰国される。
小生、藤原博士を巧妙に誘って、霧島に住んでもらうことにしてしまい
ましたが、藤原博士は霧島に来たことを「降臨」と洒落て、結構楽しんで
おられるようです。
                                飯山一郎

「飯山一郎は、藤原肇を霧島に囲った!」
というウワサがあるが、冗談も休み休み言ってくれたまえ。
カコッた!のではない。
鷲は、藤原博士に最高の環境を提供しただけだ。
霧島に住むことを決意されたのは、藤原先生の「独断」なのでR (爆)


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